「魏志倭人伝」逐条解説(No5)

 (最新見直し2006.11.27日)

 これより前は、「女王国衛星諸国と狗奴国について」に記す。

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここでは、倭国の風俗について検証解析する。

 2006.11.27日 れんだいこ拝


より女王国に至るには万二千余里

【総合解説】

 (逸文)魏略は、「自帯方至女國万二千余里 其俗男子皆黥而文 聞其旧語 自謂太伯之後 昔夏后小康之子 封於会稽 断髪文身 以避蛟龍之害 今倭人亦文身 以厭水害也」と記している。



男子は大小と無く、皆面と身に黥文す。
古より以来、其の使が中国に詣でるや、皆、自ら大夫と称す。

夏后少康の子は、(倭人を)會稽に封ぜられ、断髪文身し、以って蛟龍の害を避ける。

今、倭の水人、好く沈没して魚や蛤を捕る。
文身し亦以って、大魚や水禽を厭ふ。
後、稍以って飾と為す。
諸国の文身は各々異なり、或は左に、或は右に、或は大きく、或は小さく、
貴卑に差有り。

【総合解説】

 


「男子は大小と無く、皆面と身に黥文す」について

「古より以来」について

 古より以来、とある「古」とはいつの頃のことをさしているかということについて、三国志の場合、「古」とは原則として「周」以前つまり、ほぼ「堯 、舜、禹、夏、殷、周」の時代のことを指しているとされる。こう考えると 、倭人伝の古より以来も又「周」代以前からと理解することが適切と思われる。

「其の使が中国に詣でるや、皆、自ら大夫と称す」について

 「大夫」とは、「卿、大夫、士」という、統治階級の三分法の一つを指している。この三分法は「夏、殷、周」の時代に用いられており、従って、倭国の使が名乗っていたのは、この古の用法に従って正確な位置づけに則して自称していることになる。いいかえれば、自称は、自称であっても、決して分不相応、越権の自称ではなく、いわば中国の天子を中心とする「柵封 体制」(天子が柵をもって封爵を授け、それぞれの位置づけを行う政治体 制)の中に、正しく自己を位置づけた、そういう自称であったということになる。


「夏后少康の子は、(倭人を)會稽に封ぜられ」について
 「会稽」というのは、現在は浙江省、抗州市の南方の山の名に会稽山として残っているが、かっては江蘇省から浙江省、福建省にかけて置かれた郡の名であった。会稽山の太古の名は茅山と云う。夏の兎帝がこれを会稽山と改称した。春秋時代に越王こう践が嘗肝して越国の再興を図ったというのがこの山の山中のことである。

「断髪文身し、以って蛟龍の害を避ける」について

「今、倭の水人、好く沈没して魚や蛤を捕る」について

「文身し亦以って、大魚や水禽を厭ふ」について

「後、稍以って飾と為す」について

「諸国の文身は各々異なり」について

「或は左に、或は右に、或は大きく、或は小さく」について

「貴卑に差有り」について


其の道里を計ると、當に會稽の東治の東に在る。

【総合解説】

 


「其の道里を計ると、當に會稽の東治の東に在る」について
 「東治」は「東冶」の誤りとする説もある。三国志版本は「会稽東治」とするのに対し、後漢書列伝倭条(范曄撰)、晋書・翰苑は「会稽東冶」と記している。後漢書列伝倭条は、「其の地は、大較 会稽.東冶の東に在り、」となっている。梁書・隋書・北史は単に「会稽」と記している。「会稽間川」ともあり、記載無しの例もある。

 問題は、「会稽東治」と「会稽東冶」では大きく意味が変わってくることにある。「東治」の場合は、会稽山を中心とする会稽郡のことで、「當に會稽の東治の東に在る」は、日本列島を会稽山の東方海上に位置するとしてしていたことになる。これに対し、「東冶」の場合は、台湾対岸の福建省「東冶」(福建省びん候県付近にあった県名)の東方海上に位置するとしてしていたことになる。こうなると、沖縄から台湾北部の範囲が該当することになる。ちなみに、福建省東冶は永安三年(260年)以降は会稽郡に属していない。なお、中国における郡と県の関係は、日本の場合と逆になり、郡が大きく県が小さい。会稽東冶といえば、会稽郡東冶県のことになる。

 「東冶」とするのは以下のように後漢書・晋書・翰苑の三書に過ぎないが、この後漢書を根拠として、古代中国人は日本列島が台湾付近まで南北に延びていると誤認していた、との説がある。


其の風俗は淫らでない。

男子は皆露かいし、木綿を以って頭に招け、其の衣は横幅、但結束し相い連ねて、略々縫うことなし。

婦人は髪をふりみだしたまま屈かいし、衣は単被の如く作り、其の中央を穿ち、頭を貫きて之れを衣る


【総合解説】

 


「其の風俗は淫らでない」について
 東夷伝韓条には、その俗は乱れている。北方の郡に近いところは、やや礼俗を知っているが、遠いところはまるで凶徒や奴婢の集まりのように粗暴である。と記述されている。

「男子は皆露かいし、」について

「木綿を以って頭に招け、其の衣は横幅、但結束し相い連ねて、略々縫うことなし」について

「婦人は髪をふりみだしたまま屈かいし」について

「衣は単被の如く作り、其の中央を穿ち、頭を貫きて之れを衣る」について


禾や稲を種え、ちょまを養蚕して緝績し、細紵やけん緜を出だす。

其の地には牛.馬.虎.豹.羊.鵲無し。
兵は矛.楯.木弓を用いる。
木弓は下が短く、上が長い。竹で作った矢は或いは鐡鏃、或は骨鏃。
有無する所はたん耳.朱崖と同じである。

【総合解説】

 


「禾や稲を種え」について

 「ちょまを養蚕して緝績し、細紵やけん緜を出だす」について

「其の地には牛.馬.虎.豹.羊.鵲無し」について

「兵は矛.楯.木弓を用いる」について

 この矛が、銅製であったか、鉄製であったかは記されていない。

 矛の使用は九州説に伴う。銅矛は、九州で373例見いだされているのに、近畿からは、わずかに10例しか見いだされていない。


「木弓は下が短く、上が長い」について

「竹で作った矢は或いは鐡鏃、或は骨鏃」について

「有無する所はたん耳.朱崖と同じである」について

 「たん耳.朱崖」とは、今の海南島にかってあった郡の名前である。海南 島といえば、中国大陸最南端の島であり、香港の西南にあたる。中国広東省南部の半島から二十kmという、目と鼻の近さにある島で、面積約3,



倭の、地は、温暖で、冬夏生菜を食す。
皆徒跣。
屋室有り。
父母兄弟は異なる處で臥息す。
朱丹を以って其の身体に塗る。中国で用いる粉の如きなり。
食飲には、へん豆を用い、手食す。

【総合解説】

 


「倭の、地は、温暖で、」について


「冬夏生菜を食す」について

「皆徒跣」について

「屋室有り」について

「父母兄弟は異なる處で臥息す」について

「朱丹を以って其の身体に塗る。中国で用いる粉の如きなり」について

「食飲には、へん豆を用い、手食す」について


其れ、死には棺有るも槨無く、土で封じて塚を作る。
始め、死するや停喪十余日、その時は肉を食わず、喪主哭泣し、他人は歌舞飲酒を就す。
葬が已れば、家を挙げて水中に詣り、澡浴す。以って練沐の如し。

【総合解説】

 


「其れ、死には棺有るも槨無く、土で封じて塚を作る」について


「始め、死するや停喪十余日、その時は肉を食わず、喪主哭泣し」について

「他人は歌舞飲酒を就す」について

「葬が已れば、家を挙げて水中に詣り、澡浴す。以って練沐の如し」について


其れ、海を渡って行来し中国に詣でるには、恒に一人の髪をくしけずらず、蝨を除かず、衣服は垢で汚れ、肉を食わず、 婦人を近づけず、喪人の如くにさせる。これを名付けて持衰と為す。

若し行く者吉善ならば、共に其の生口.財物をいつくしむ。 若し疾病有り、暴害に遭えば好きなように之れを殺す。 其の持衰謹まずと謂へばなり。

【総合解説】

 


「其れ、海を渡って行来し中国に詣でるには」について

「恒に一人の髪をくしけずらず、蝨を除かず、衣服は垢で汚れ、肉を食わず、婦人を近づけず、喪人の如くにさせる。これを名付けて持衰と為す」について

「若し行く者吉善ならば、共に其の生口.財物をいつくしむ」につい て

「若し疾病有り、暴害に遭えば好きなように之れを殺す」について

「其の持衰謹まずと謂へばなり」について


真珠.青玉を出だす。
其れ、山に丹有り。
其れ、木にはだん(ゆすらうめ).ちょ(とち).よしょう(くす のき).じゅう(ぼけ).れき(くぬぎ).とう(かや).きょう(かし.うごう(こうぞ).ふうこう(ふう).
其れ、竹にはじょう(ささ).かん(やだけ).とうし(しゅろち く)がある。
きょう(しょうが).きつ(たちばな).さんしょう.じょうか(みょうが)有るも、以って滋味と為すを知らず。
びえん(さる).こくち(黒っぽいきじ)有り。

【総合解説】

 


「真珠.青玉を出だす」について

「其れ、山に丹有り」について

「其れ、木にはだん(ゆすらうめ).ちょ(とち).よしょう(くすのき).じ ゅう(ぼけ).れき(くぬぎ).とう(かや).きょう(かし).うごう(こうぞ ).ふうこう(ふう)」について

「其れ、竹にはじょう(ささ).かん(やだけ).とうし(しゅろちく)がある」について

「きょう(しょうが).きつ(たちばな).さんしょう.じょうか(み ょうが)有るも、以って滋味と為すを知らず」について

「びえん(さる).こくち(黒っぽいきじ)有り」について


其れ、俗として、もの事、行來を挙するに、云為するところあれば、すなわち骨を灼いて卜し、以って吉凶を占う。

先ず卜するところを告げる。其の辞は令の如し。
龜法は火によるさけ目を視て兆を占う。

【総合解説】

 


「其れ、俗として、もの事、行來を挙するに、云為するところあれば、すなわち骨を灼いて卜し、以って吉凶を占う」について

「先ず卜するところを告げる。其の辞は令の如し」について

「龜法は火によるさけ目を視て兆を占う」について


其れ、會同坐起には、父子男女の別無し。

人の性質は酒を嗜む。
大人を敬する所作は、但、手を搏ち、以って跪拝に當てる。

【総合解説】

 


「其れ、會同坐起には、父子男女の別無し」について

「人の性質は酒を嗜む」について

「大人を敬する所作は、但、手を搏ち、以って跪拝に當てる」について


其れ、人は長生き。或は百年、或は八九十年。
其れ、國の俗は、大人は皆四五婦、下戸も或は二三婦。
婦人は淫らでなく、やきもちもやかず、
盗まず、訴訟少なし。

【総合解説】

 


「其れ、人は長生き。或は百年、或は八九十年」について

「其れ、國の俗は、大人は皆四五婦、下戸も或は二三婦」について

「婦人は淫らでなく、やきもちもやかず」について

 東夷伝夫余の条では、淫行する男女、嫉妬する婦人は皆殺す。嫉妬をもっとも憎み、殺した死体は山の上にさらす。と記述されている。

東夷伝高句麗の条では、その俗は淫と記述されている。


「盗まず、訴訟少なし。」について


其れ、法を犯せば、軽い者は其の妻子をなくし、重いものは其の門戸を滅ぼされ、宗族の貴卑に及ぶ。
各々差と序有り。
相臣服するに足る。

【総合解説】

 


「其れ、法を犯せば」について

「軽い者は其の妻子をなくし、重いものは其の門戸を滅ぼされ、宗族の貴卑に及ぶ」について

「各々差と序有り」について

「相臣服するに足る」について

 倭人伝以外に、倭地ないし倭国の様子を記載されたものとして次のような一文がある。

魏略

 「その俗、正歳四節を知らず。但々春耕秋収を計りて年紀と為す。」

 倭人の習俗は、一年を春夏秋冬と名付ける四季の区分暦を知らず、種まく春の訪れで新しい年の初めを知り、実りの秋に収穫することによって、農耕生活の一年の終わりとしている。

晋書

 「但秋収之時を計りて以って年紀と為す」

 春耕して秋収穫するまでの農作業をもって、農耕生活1年の暦としている、という意味である。

隋書倭国伝  「夷人里数を知らず、ただ計るに日を以ってす」

 これより後は、「女王国、卑弥呼について」に記す。





(私論.私見)