451 天理教教祖中山みきの研究

 (最新見直し2007.10.7日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 れんだいこは、江戸幕末期に呱呱の声をあげた天理教教祖中山みきを日本の生んだ最大の傑物宗教家にして、「西のイエス、東のみき」と並び称されるに値する御方であると受けとめている。この彼女の実像を知れば、同時代に西欧から起こったマルクス主義と並行してほぼ同じ共生観点よりする社会変革の担い手であったことが知れるであろう。

 残念ながらみき教義がこの社会思想的観点から考察されることは皆無であるように思われる。それは、マルクス主義の西欧に於ける宗教批判を単に横滑りさせただけの、経文読みの経文知らず的知の貧困の為せる技であろう。彼らは、科学教信者でしかないというのに。もとへ、そういう意味において、本レポートは貴重な役割を持つものと自負している。

 もう一つ、こちらの方が通常の見方であるが、天理教を宗教として観た場合にも白眉であることが案外と知られていない。世界中の宗教に精通している俊英小滝透氏は、著書「いのち永遠に−教祖中山みき」の後書き中で次のように述べている。
 「天理教は、私が始めて出会った本格的な土着宗教でした。それは、私がそれまで知っていたセム系の一神教や仏教諸派、更には西欧思想とは全く違った世界観を持ち、しかも普遍性を兼ね備えた世界宗教であったのです。『ほぉーっ』と思ったのが、最初の私の感想でした。そこには、日本の持つ土着性と精錬された世界性がごく自然に融合し合った姿がありました」。

 れんだいこは、この言い回しにマルクス主義、あるいはアナーキズムとの絡みの考察を加えれば、他に付け足すことは無い。

 有難いことに、知ってか知らずでか、お道の初期信者は、みきの伝記資料を細かに塊集している。それは、原始キリスト教教団がイエスの行状を大切に保存してきた様子に匹敵している。但し、みき資料もイエス資料同様に玉石混交させられているので、実像が分かりにくい。

 以下、れんだいこは、みきの生涯をできるだけ時系列で追うことにする。但し特に重要な史実についてはそこで項目を立てて一区切りになるよう経過を叙述した。内容に立ち入る必要のある場合にはさらに項目を立てて分析した。そういう意味では時系列には必ずしもなっていない。全体として投稿前の予備資料としてレポート形式で書き上げたので、前後の文章は接合されていない。必要な個所についてはその都度私見.私論を書き添えた。

 なお、非常に長文化している為最重要事項についてはゴシック大文字で記した。最初はこの部分のみを読み進めたほうが判りやすいし疲れない次に普通文字を読み進めるのが適切かと老爺婆心ながら御提言させていただきます。

 2006.11.18日再編集 れんだいこ拝



関連サイト 宗教 幕末回天運動の研究 明治維新の研究

れんだいこの中山みき論序文
お道の理論研究
劇画構成「天理教教祖中山みき伝」
教祖みきのおもかげ

目次

第一期 1798〜)  「みき」神がかりまでの歩み
西洋歴 和暦 年齢 主な出来事及び内容
第 1部 1798年 寛政10年  1才 みきの誕生とその家系.両親の様子
第 2部 1798年〜 寛政10年〜  1才 おいたちと幼少期娘時代の様子
第 3部 1810年〜 文化 7年〜 13才 嫁入り問答」 騒動みきの御新造時代.浄土宗
第 4部 1813年 文化10年 16才 へらわたし.この頃の世相と折々の逸話
第 5部 1816年 文化13年 19才 五重相伝の授戒.浄土宗との決別
第 6部 1816〜 文政の頃 19才 「おかの寵愛事変」長男誕生、出産の慶び
第 7部 1828年 文政11年 31才 ほうそう事件と神仏祈願
第 8部 1830年 天保元年 33才 おかげまいりの影響
第 9部 1830年〜 天保の頃 33才〜 みきの「主婦の鏡」時代−「婦唱夫随
第10部 1830年〜 天保の頃 33才〜 この頃のみきの宗教的精神史足跡行程、大峰修験信仰その他当時の民間宗教の隆盛
第11部 −−−−− −−−−− −−−− 教派神道の発祥、経世済民の動き
第12部 1837年 天保8年 41才 大塩平八郎の乱
第13部 −−−−− −−−−− −−−− 国学の動き

第二期 (1837〜)  「みき」神がかり.天啓
西洋歴 和暦 年齢 主な出来事及び内容
第14部 1837年〜 天保8年〜 40才〜 秀司の足痛と加持祈祷
第15部 1838年 天保9年 41才 みき、神がかり天啓問答
第16部 1838年 天保9年 41才 みき、「神の社」に貰われる
第17部 「ひながた」
第18部 −−−−− −−−−− −−−− 「天啓」
第19部 −−−−− −−−−− −−−− 立教
第20部 −−−−− −−−−− −−−− 元の神、実の神

第三期 (1837〜)  「みき」神がかり以降の歩み1、堪能時代
西洋歴 和暦 年齢 主な出来事及び内容
第21部 1838年〜 天保 9年〜 41才〜 みきの内蔵隠り
第22部 1839年 天保10年 42才 「貧に落ちきれ」
第23部 1840年 天保11年 43才頃 善兵衛の苦悶.世評と狐憑騒動
第24部 「屋形毀ち」発せられる
第25部 1841年〜 天保12年〜 44才〜 みきの身上と親族相議.みきの苦悶−宮池事変
第26部−1 1842年〜 天保13年〜 45才〜 堪能の日々
第26部−2 当時の「教義原形」
第27部 1848年〜 嘉永元年〜 51才〜 お針子、寺子屋を開く
第28部 1853年 嘉永6年 56才 善兵衛の出直し、母屋の取壊しこかんの大坂布教、更なる堪能の日々
第29部 1853年 嘉永6年 56才 米艦隊司令長官ぺルリ来航、黒船来航の衝撃、幕末志士活動の胎動

第四期 (1854〜)  「みき」神がかり以降の歩み2、おたすけ時代
西洋歴 和暦 年齢 主な出来事及び内容
第30部 1854年〜 安政元年〜 57才〜 「をびや許し」のはじめ.貧のどん底 
第31部1 1860年〜 文久年間〜 61才〜 最初期の信者たちとその信仰形態
第31部2 1863 文久3年 65才 みきの「おたすけ出張り」
第32部1 1863 文久3年 65才 道人続々寄り集い来る
第32部2 1864年 元治元年 66才 飯降伊蔵のお参りと真実
第33部 1864年 元治元年 66才 建て家談議と普請の始まり
第34部 1864年 元治元年 66才 大和神社のふしと伊蔵の真実
第35部 1865年 元治2年 67才 つとめ場所の完成と普請考
第36部 1865年 慶応元年 68才 信仰の拡がりと反対者.妨害者.異端の出現
第37部 1866年 慶応 2年 69才 真之亮の誕生.武士階級にも浸透し始める
第38部 1866年 慶応 2年 69才 古市代官所へのお出まし「応法の理」の動きその一
第39部1 1866年〜 慶応 2年 69才〜 急速な教義形成、つとめの歌と手振りの教え
第39部2 み神楽歌十二下り
第40部 1867年 慶応 3年 70才 徳川幕府の崩壊前夜とお道の動き
1868年 慶応 4年〜 71才〜 徳川幕府の崩壊
第40部1 幕末の研究
第40部2 明治維新考

第五期 (1869〜)  「みき」神がかり以降の歩み3、本格的布教の時代-
西洋歴 和暦 年齢 お筆先のご執筆 主な出来事及び内容
第41部 1869年 明治 2年 72才 1号と2号の2 「おふでさき」の御執筆始まる。
第42部 官制「神随らの道」と教祖の教え
第43部 1869年 明治 2年 72才 この頃の中山家と秀司の嫁取り
第44部 1869年〜 明治 2年 72才〜 教勢の発展と「講の結成」
第45部 1870年〜 明治 3年 73才 「お道」教義の骨格完了と「泥海のお話」
第46部 1872年 明治 5年 75才 「別火別鍋」宣言
第47部 1872年〜 明治 5年 75才 明治新政府のその後の動きと教祖の対応
第48部 1874年 明治 7年 77才 3、4、5、6号の4 神楽面のお出まし
第49部 1874年 明治 7年 77才 「高山布教のさきがけとしての神祇問答」
第50部 1874年 明治 7年 77才 山村御殿問答

第六期 (1874〜)  「みき」神がかり以降の歩み4、激しい弾圧と「みき」の応戦
西暦 和暦 年齢 お筆先のご執筆 主な出来事及び内容
第51部 1874年 明治 7年 77才 教祖赤衣を召す
第52部 1875年 明治 8年 78才 7、8、9、10、11号の5 ぢば定め
第53部 1875年 明治 8年 78才 教祖最初のご苦労、こかんの出直し
第54部 1875年 明治 8年 78才 中南の門竣工し教祖移る、この頃の教勢と中山家
第55部 1876年 明治 9年 79才 12号 「応法の理」の動きその二、秀司、風呂屋と宿屋の鑑札受ける
第56部 1877年〜 明治10年 80才 明治10年13号
明治12年お筆先14号
鳴物の教え、講を結べ。
第57部 1880年 明治13年 83才 15号 「応法の理」の動きその三、「転輪王講社」の設置
第58部 1880年 明治13年 83才 真之亮養子入りと、教祖、伊蔵の伏せこみ要請す
第59部 1881年 明治14年 84才 16号 「こふき」をつくれ秀司の出直し。
第59部1 この頃の講元の動きと説法

第七期 (1882〜)  「みき」神がかり以降の歩み5、「みき」のご苦労と応法派の動き
西暦 和暦 年齢 お筆先のご執筆 主な出来事及び内容
第60部 1882年 明治15年 85才 17号 かんろだいの没収と迫害毎日つとめ
第61部 1882年 明治15年 85才 奈良監獄署への御苦労
第62部 1882年 明治15年 85才 我孫子事件考
第63部 1882年〜 明治15年〜 85才〜 燃え上がる信仰と弾圧
第64部 1883年 明治16年 86才 御休息所の建てかけ
第65部 1883年 明治16年 86才 雨乞いづとめと拘引
第66部 1884年 明治17年 87才 度重なる御苦労と教会設置運動その一
第67部 1885年 明治18年 88才 教会設置運動その二

第八期 (1886〜)  「みき」神がかり以降の歩み6、「みき」最後のご苦労と緊迫問答
西暦 和暦 年齢 主な出来事及び内容
第68部 1886年 明治19年 89才 最後の御苦労
第69部 1886年 明治19年 89才 真之亮の苦悩
第70部 1886年 明治19年 89才 「御請書事件」神道管長他との問答
第71部 1886年 明治19年 89才 厳寒のせき込み
第72部 1887年 明治20年 90才 おさしづ問答その一
第73部 1887年 明治20年 90才 おさしづ問答その二
第74部 1887年 明治20年 90才 おさしづ問答その三
第75部 1887年 明治20年 90才 「教祖御身隠し」

第九期 (1887〜)

 その後のお道の歩み戦前編

西暦 和暦 年齢 主な出来事及び内容
第76部 1887年 明治20年 伊蔵、本席に定まる。
第76部2 1888年 明治21年 教組一年祭前後の様子、神道天理教会設置の動き。
第77部 1889年 明治22年 本席のお指図始まる。
明治新政府のその後の動きと教派神道13派考
第78部 1890年〜 明治23年〜 本席の「三年千日お指図」時代
第79部 1896年〜 明治29年〜 内務省秘密訓令、本席お指図と応法のせめぎあい
第80部 1908年〜 明治41年〜 その後の歩み
第81部 1915年〜 大正4年〜 2代真柱に中山正善が就任。「ナライト事件」、「ほんみち派不敬事件」
第82部
第83部 「教祖最後の御教え譚」考
第84部
第85部

第十期 (1945〜) その後のお道の歩み戦後編
西暦 和暦 年齢 主な出来事及び内容
第86部 戦後の復元宣言

インターネットサイト
参考文献
掲示板(神一条教よろづ書込み掲示板


【教団内事変考】


 (序文と予備知識)

天理との出会い
人間と歴史考
大和地方の歴史と由緒
日本神道考
日本神道の歴史について
当時の政治社会体制
武家の参勤交代と庶民の旅について
当時の仏教的教説について
国学の動きについて
洋学の動きについて
幕末の民衆闘争
幕末の民衆宗教考
明治新政府による天理教弾圧の理由考
いわゆる知識人の天理教批判の位相考
いわゆる知識人の天理教賞賛の位相考
「天理教の誤りを破す」を駁す
天理教後継者定め考
仲田儀三郎伝
天理教分派史考
大本教について
教祖在世時代の刑法と拘引の根拠考
キリシタン禁制の論理考




(私論.私見)