れんだいこの書評集

 (最新見直し2006.10.14日)

【れんだいこの書評】
2005.10.25  増山榮太郎「角栄伝説ー番記者が見た光と影」
増山榮太郎「角栄伝説ー番記者が見た光と影」
2006.04.20  筆坂英世「日本共産党」
2006.05.20  津田道夫「思想課題としての日本共産党批判」
2006.10.07  平野貞夫「ロッキード事件、葬られた真実」
2006.10.14  太田龍「ユダヤの謀略、世界革命運動の秘密」
2006.10.14  佐藤優「日米開戦の真実」
2007.03.27  トラウデル・ユンゲ「私はヒトラーの秘書だった」

Re:れんだいこのカンテラ時評その119 れんだいこ 2005/10/25
 【増山榮太郎氏の「角栄伝説ー番記者が見た光と影」を評す】
 小泉政治の狂態をみせつけられるほどに角栄が懐かしい。こういう折柄、増山榮太郎氏が「角栄伝説ー番記者が見た光と影」(出窓社、2005.10.20日初版)を出版した。これを仮に「増山本」と云う。

 角栄についてはこれまであまたの著作が為されている。角栄ほどその見解が批判と擁護に分かれる人物は珍しい。れんだいこはおおかたの角栄本に目を通しているが、読めば観点が余計に歪んでくる本と為になる本がある。「増山本」は当然後者の有益本である。これがれんだいこの総評となる。

 増山氏は、早大文学部卒の時事通信社の政治記者である。運命の僥倖であろう増山氏は、要職時代の角栄が首相になるまでの期間の番記者を勤めた。増山氏は添え書きで、「本書は、戦後政治の結晶として『総中流社会』をもたらし、巨悪論によって追われた田中政治を再検討・再評価するものです」、「私自身、長年の政治記者生活の総決算のつもりです」と記している。

 増山氏は、角栄政治と余りにも対極的な小泉政治下の現下の時局を憂い、角栄政治を懐旧し、ありし日の角栄の実録証言を世に明らかにすることを使命と思い立った。その内容は、既成の角栄本と重複しないよう随所に有益な新証言、逸話を持ち込んでおり、角栄研究本の新ページを開いている。

 文章は新聞記者だけあっててだれており、非常に読みやすい。れんだいこは一気に読み上げさせてもらった。「れんだいこの角栄論」に取り込むべき多くの逸話を聞かせて頂いた。ここに感謝し、併せてこの場で了承を得たいと思う。

 あとがきで、「おそらく田中氏のような天才政治家はこれまではもちろんのこと、これから二度と現われることはあるまいというのが、本書を書き終わっての私の結論である」と記している。

 思えば、角栄と身近に接してその息遣いさえ知っている者ほど好意的且つ信奉的であり、角栄の人となりが偲ばれる。佐藤昭子女史の「私の田中角栄日記」、辻和子女史の「熱情ー田中角栄をとりこにした芸者」は、角栄の裏表のない生き様をいずれも称えている。秘書早坂茂三は、角栄政治の何たるかを縷々語り続け、噛めばかむほど味があった好人物ぶりと政治能力の高さを評している。

 「増山本」は、角栄出自の新潟の原風景、幼少時の角栄、上京後の角栄、実業家時代、政治家駆け出し時代の記述が目新しい。願うらくは、「世界で最も成功した社会主義国ニッポン」を底上げした要職時代の角栄の逸話をもう少し詳しく聞かせて欲しい。思うに、増山氏の情報力を以てすれば、恐らく全三冊ぐらいにはなりそうである。そういう意味で続刊を期待したい。

 角栄は不幸なことにロッキード事件で虎バサミされ、以降その政治能力が羽交い絞め封殺された。右派と左派が奇しくも連衡し、日本政界から実に惜しい人物を訴追していった。今なおしたり顔して角栄批判に興じている手合いを見るが、食傷である。

 不破の角栄イジメは病的であり、新著「私の戦後60年」では何と、それまでの金権の元凶批判から転じて「角栄は僅か5億円の調達に困って外国の金に手を出した」云々なる誹謗を浴びせている。あまりにも酷いと云うべきではなかろうか。ニセの友は老いても悔いることがないようである。

 その点、増山氏の角栄を見る眼は温かい。というか、その温かさは角栄自身が増山氏に注いでいたものであり、増山氏は今その温かさを思い出しながら懐古しているのではなかろうか。小泉名宰相論に興じるメディアの嬌態下の今、「増山本」の素顔の角栄論は貴重である。他の角栄番記者よ、今からでも遅くないそれぞれの実録角栄像を語り伝えて欲しい。「角栄は日本政治史上孤高の座を占めている」と判ずるれんだいこは、このことを強く願う。

 れんだいこ的には、「増山本」が角栄政治の左派性に光を当てているところが特に良かった。「角栄政治の本質左派性即ち土着左派性の解明」はこれからもっとも急がれるところであり、ひょっとしてロッキード事件勃発の最深部の真相かも知れない。「増山本」は、ゴルバチョフ談話「世界で最も成功した社会主義国ニッポン」を紹介しながら、この方面への関心を誘っているところに良質さを見せている。この観点は、増山氏が実際に接していた当時には見えずして、今になって遠望して気づかされた角栄観なのではあるまいか。

 角栄はこれまで余りにも、立花史観と不破史観により栄誉と実像を著しく傷つけられてきた。この両者はネオ・シオニズムと親和して、この観点から角栄批判に興じているところで共通している。猪瀬直樹の論もこの類のもので、許し難い逆さま観点からの角栄批判を開陳している。田原総一朗、岩見隆夫らの論は上げたり下げたりで常に日和見なそれである。小林吉弥、北門政士、久保紘之、水木楊らの論はややましな中間派のものである。

 他方、小室直樹、青木直人、三浦康之らの好意派のものがある。古井喜實、井上正治、石島泰、渡部昇一、秦野章、後藤田正晴、木村喜助、小山健一らは、ロッキード事件に対する疑義を表明することで間接的に角栄を擁護している。政治評論家では早くより馬弓良彦、砂辺功、戸川猪佐武、岩崎定夢、新野哲也、渡辺正次郎が角栄政治を高く評価している。戸川氏は不審に急逝してしまったが実に惜しまれる死であった。「増山本」には、戸川氏が生きておれば一献傾け合うであろうシンパシーがある。

 惜しむらくはと記しておこう。増山氏はよほど穏和な性質の御方なのだろう、ロッキード献金5億円授受説に対して、これを冤罪とする立場からは論じていない。最近の徳本栄一郎氏の「角栄失脚歪められた真実」、これをヨイショする五十嵐仁氏の「転成仁語」の最終的に否定されたロッキード事件アメリカ謀略説らの観点に対して宥和的である。この点に関しては、れんだいこ的には角栄冤罪説に立って欲しかったと思う。

 歴史のトップ・シークレットは嗅ぎ分けることでしか判断できない。れんだいこは、ロッキード社5億円献金捏造説、ロッキード事件国策捜査説、角栄政治土着系左派説、角栄外交日中同盟説に立っている。この観点からの角栄論はまだ曙光でしかない。「増山本」は角栄政治土着系左派説に道を開いており、番記者の証言であるだけに値打ちがある。

 「角栄ー大平同盟の絆の裏話」の下りも良かった。補足すれば、れんだいこが最近聞いた話はこうである。大平急死を聞きつけた角栄は善通寺での通夜に駆けつけ、大平の死装束を前にして十数分余嗚咽男泣きしていたという逸話である。今、政界で、こういう掛け値無しの絆を持つ者がいるだろうか。角栄ー大平同盟が夢見た真実一路の政治は戦後ルネサンスに咲いた日輪であった。今は跡形も無く土足で踏みにじられている。残念無念至極というほかない。

 いずれにせよ、「増山本」は新たな角栄観に向けて一石を投じたことになる。その波紋や如何に。

 2005.10.25日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評その160 れんだいこ 2006/04/20
  【筆坂秀世著「日本共産党」】
 れんだいこは、「左往来人生学院掲示板」での2006.4.17日付投稿「れんだいこのカンテラ時評第159」で次のように記した。
 こたび筆坂が興味深そうな暴露本を出版したようである。宮顕がどう不破がどうというより、自身が参席した幹部会の会議の様子をこそ明らかにさせるべきであろう。左派運動の指導部としては凡そ不具合な陰険謀議にうつつを抜かしていただろうと思われる。

 早速書店に行き、筆坂著「日本共産党」(新潮文庫、2006.4.20日初版)を購入して中身を確認した。れんだいこの予想通りの日共党中央の腐敗を内情暴露しており、いわば内部告発本となっている。(実際には筆坂は離党しているので、正しくは内部告発というより内情告発と云うべきだろう) 筆坂は、日共党中央からの迫害が予見される危険を顧みず、何故敢えて我が身に引き受けたか。ここに関心がもたれる。

 れんだいこは、次のように推理する。その1の理由として、筆坂は、宮顕ー不破ラインの不倒翁執行部による党中央の腐敗が一般に予想されている以上に酷いものであり、自身の人生の過半を投じた党活動履歴の自負に賭けてこれを告発せざるを得なかった。その2の理由として、宮顕ー不破ラインの不倒翁執行部の腐敗は、もはや自浄能力を欠いているどころか養分を吸い尽くした後の立ち枯れ木状態にあり、むしろ筆坂の駄目押しを期待していると読んだ。その3の理由として、その2に関連して、党中央にはもはやかっての宮顕御用的特務機関の威力が無く、彼らも党中央の腐敗を持て余しており、故に迫害されない。迫害されるほどの力が無い。

 筆坂は以上のいずれかの読みから「日本共産党」を出版したものと思われる。れんだいこに云わせれば、筆坂の告発は、党中央に居合わせた者からの宮顕ー不破ライン執行部の際限の無い腐敗暴露という点で希少価値がある。その威力は、袴田の「昨日の友へ」以来のものであろう。袴田が宮顕を、筆坂が不破を告発したことになる。願うらくは、筆坂は、知りえた情報をもっと公開し、歴史に遺さねばならない。それは、党中央潜入スパイ派の実態を暴露する意味で貴重なドキュメント証言となろう。

 彼らは、能力の不足により党指導を歪めたのではない。党の換骨奪胎を狙う異分子故に能力を党指導を歪めるように使う。御身保全だけでは理解できない数々の反革命的悪行に手を染めている。筆坂が暴露すればするほど、れんだいこのこの指摘の正しさが確認されることになるだろう。故に、筆坂は口封じされる運命にある。永遠にか金銭でか、それは分からない。

 筆坂の告発は、日共の現綱領、現路線を概ね肯定的に捉えた上で、派生的腐敗を告発するというスンタスに特徴がある。故に、不破ー志位執行部は逆に反撃し辛(づら)い。党内事情の酸いも甘いも、手の内を知り尽くした相手であるだけに、これまでと同じような批判を浴びせる訳にはいかない。そういう意味で、当面様子見の黙殺以外に手の施しようが無いと思われる。

 れんだいこの診るところ、筆坂の政治能力は宮顕ー不破イデオロギーにかなり深く洗脳されており、その分詰まらない。如何にうまく使われ、使い捨てにされたのかの両面に於いて、使い捨てにされたことによる反発から事を為している様子は伝わるが、如何にうまく使われたのかの分析がまるで出来ていない。

 筆坂が正気に戻るにはもう少し日数がかかるのかも知れない。付言すれば、かっての新日和見事件の被害者達の心情もそのようなものであった。彼らは決して日共の路線批判にまでは向わない。その分物足りない。

 以上が、筆坂の内情告発に対するれんだいこの総合感想である。以下、個別に検討してみたい。

 まず、宮顕観について見ておく。筆坂は次のように述べている。
 「あの戦時中の過酷な弾圧下で、12年間も牢獄につながれながら非転向を貫いた宮本氏は、私たちにとっては次元が違いすぎて憧れることすら憚られるほどの大きな存在であった。私が日本共産党に入党して以降も、『仮に宮本さんのような弾圧を受けたら黙秘で頑張ることができるか』と自分に問いかけ、到底その自信がない自分に恐れおののいたものである。戦後、今の共産党の路線をつくりあげたのは、間違いなく宮本氏の卓越した政治的眼力とリーダーシップであった」。

 「筆坂の宮顕観」は、拵えられた通説に過ぎない。れんだいこは、宮顕論でそのウソを告発し抜いている。にも拘わらず何の弁証も無くこれを無視し続け、通説の俗説に固執するのはいわば「サバの頭」を信仰しているに過ぎない。そう思いたい故に我はそう思う、という手合いに漬ける薬は無いので処置無しと云える。

 れんだいこ史観によれば、宮顕が「12年間も牢獄につながれながら非転向を貫いた」という神話自体のウソさ加減に思い至らない頭脳では政治指導者としてそれだけで失格であろう。逆に、「即時虐殺された幹部が居る中で、何故宮顕だけが非転向を貫けたのか」を問うことこそが事態の核心に迫ることのできる道である。

 実際には、数々の資料と証言を付き合わせれば、宮顕は監獄内で放し飼い状態にあり、特段の拷問も受けていないと理解すべきである。従って、「仮に宮本さんのような弾圧を受けたら黙秘で頑張ることができるか」などと問い、恐れおののく必要は無い。「黙秘で頑張ることができる」などという事は在り得ない。それが在り得たという事は、宮顕と当局が共同して拵えた神話であり、ここに疑惑を持たねばならない。

 何なら、当時の特高の誰それに確認すればよかろう。「当時、黙秘で、取調べを頑張り通すことが出来ましたか」と。れんだいこの結論は「有り得ない」。故に、それを在り得たとするのは、陰謀により生み出されたフィクションでしかない。

 故に、筆坂の「宮本氏の卓越した政治的眼力とリーダーシップ」を高く評価する見識もいただけない。実際は、日共を今日の如く役立たずにしてしまった路線を敷いた張本人であり、それも意図的故意に「闘う日共解体戦略」に基づき持ち込まれたものに過ぎない。もうこれぐらいにしとこ。

 次に、筆坂が、数々の疑惑追及につき国会で追求したことを次のように自画自賛している。
 「田中金脈事件、ロッキード事件、KDD汚職、KSD汚職、内閣官房機密費問題、ムネオ事件等々、日本共産党が抜きん出た調査力を発揮した汚職・腐敗事件は多い」。

 筆坂が思いつくままに挙げた「日本共産党が抜きん出た調査力を発揮した汚職・腐敗事件」は曲者である。れんだいこの観るところ、日共の疑惑追及は背後で操作されたような訴追の仕方が多く、むしろそこをこそ詮索すべきであろうに、筆坂は今に至るまで無自覚なようである。

 時に特ダネを飛ばすが、不自然に入手された特ダネが多い点を気にかけるべきだろう。特に、政府自民党内のタカ派とハト派の抗争に於いて、専らハト派の不祥事追求に精力的になる癖の原因を解明すべきだろう。中曽根ー小泉系譜のシオニスタン系タカ派の汚職・腐敗事件例えばFX選定事件、ダグラス・グラマン事件、リクルート事件等々に関して、誇るほどの訴追をしなかった原因をこそ探るべきだろう。

 筆坂はその他、幹部会、党財政、政党助成金、民主集中制、党勢拡大運動、選挙総括、党内選挙、党内人事、党指導部、党員、拉致事件、自衛隊、皇室、民主連合政府等々に関わる諸問題での党中央の対応を批判している。それぞれの論点を列挙すればキリが無いので割愛するが、宮顕ー不破ー志位党中央の恐るべき空疎な指導ぶりを明らかにしている。

 要するに、「至らない者が至ろうとして生起させた諸問題ではなく、党中央が党をわざと至らせない為に仕組んだ数々の不祥事問題」として受け止めない限り理解できない、ということである。ここを見抜かずにマジメそうに注進する者が後を絶たないが、党中央は分かった上で意図的故意にやっているという認識に立つ必要がある。たとしたら、注進者より役者が上ということになろう。このことが分からない下手な役者の正義ぶりが多過ぎる。

 2006.4.20日 れんだいこ拝

【津田道夫氏著「思想課題としての日本共産党批判」】
 津田道夫氏著「思想課題としての日本共産党批判」(群出版、1978.3.20日初版)を書評する。れんだいこは、津田氏が何者であるか知らないが、日共問題に関して真面目に思想営為していることは分かる。それ故に、書評し甲斐がある訳であるが、その観点は凡庸過ぎる。但し、その凡庸さは一人津田氏のみならず当世の左派理論家に共通しているものであるからして、ここでは津田氏を右代表人として祀りあげ、これを叩くことにより、れんだいこの観点との差異を浮き彫りにさせ、問題点をはっきりさせておこうと思う。そういう意味での格好教材として本書を位置づけている。

Re:れんだいこのカンテラ時評221 れんだいこ 2006/10/07
 【平野貞夫「ロッキード事件、葬られた真実」考】

 平野貞夫氏が「ロッキード事件、葬られた真実」を世に問うている。平野氏が次第に角栄を真っ当に評価する目線を嵩じさせていることが判明する。後書きで次のように記している。
 「だからこそ、私はロッキード事件で角栄が逮捕された年から30年経った節目の年に、どうしても本書を上梓したかった。新しい日本の政治をスタートさせるために」。

 平野氏は大胆にも、本書の中で中曽根の悪事を衝いている。本来なら、児玉ー中曽根ーナベツネラインの訴追へ向う捜査が、国策捜査で意図的に角栄逮捕へ捻じ曲げられた事を内部証言している。れんだいこは、もっと早くこのことを指摘して欲しかったと思うが、この結論に至るには何がしかの浄化期間が必要であったのかも知れない。

 れんだいこが思うのに、平野氏はあの当時、立花流の「諸悪の元凶田中角栄論」に論理的に組み敷かれ、角栄追放過程の政治史的意味を読み取れず手をこまねいていたまま見過ごしていたのではなかろうか。平野氏は本来なら、戦後保守政権内のハト派対タカ派抗争に於いて、ハト派的立ち回りをすべき位置にいた。にも拘わらず、ハト派の総帥角栄が四面楚歌の中で討ち死にさせられつつあるにも拘わらず、いわば政治的中立性という美名の下に見殺しにしたのではないのか。平野氏は今、そういう風に客観的に自己を捉えることができるようになったのではなかろうか。

 平野氏が、そういう悟りを得るにはある種の時間が必要であった。ロッキード事件以降の政局推移を見て、「角栄的なるもの」から「中曽根的なるもの」への転換を見て、その後のせめぎあいの政局を経て、このところの旧福田派の森ー小泉ー(安倍)と三代続くタカ派政権の動きを見て、政治の質が恐るべき貧困になったことに愕然とさせられ、対極的に角栄時代の政治を愛惜し始めたのではなかろうか。これが、平野氏の「ロッキード事件、葬られた真実」の執筆動機であるように思われる。

 れんだいこは、ここまで辿り着いた平野氏に更に問いたい。そろそろのどに刺さったトゲを抜くべきではなかろうか。「5億円贈収賄」はどこまでが本当なのか、むしろ冤罪ではないのか。この観点に立って検証し直して貰いたい。れんだいこは、ロッキード事件にネオ・シオニストによる謀略的なものを認めているので、こう立論することは容易く出来る。この視点を持たない平野氏がどこまで迫ることができるのだろうか。角栄愛惜も、「5億円贈収賄」を事実と認めたうえで為すのと、冤罪と看做して為すのとでは迫力が違ってこよう。

 「中曽根的なるもの」をもっと検証し直して貰いたい。中曽根の政治論全体が如何に食えない代物で、偽装愛国で、実はネオ・シオニストへの身売り国売り以外の何物でもないことを検証し直して貰いたい。中曽根政治こそが正真正銘の利権政治であることを告発して貰いたい。現下の旧福田派の森ー小泉ー(安倍)と三代続くタカ派政権が、「中曽根的なるもの」の焼き直しでしかないことを検証して貰いたい。現下の政治の貧困を質すにはこの作業を避けては通れないのではなかろうか。

 逆に云えば、平野氏が知る限りの力で「角栄的なるものの実像」を証言して欲しい。角栄政治が如何に有能で且つ議会制民主主義を踏まえたものであったのかを証言して欲しい。金権にまみれたが、独り角栄だけが責められるには及ばない当時の自民党内の仕組みを証言して欲しい。立花式「諸悪の元凶田中角栄論」を自壊させる内部証言に向って証言して欲しい。それにしても我々は、ネオ・シオニストの買弁評論家でしかない立花の諸言説に騙されすぎてきた。中曽根批判の次は立花批判にまで向わねばなるまい。

 れんだいこに云わせれば、角栄及びそのブレーンが指針せしめた「日本列島改造案」は歴史千年の時空に残る名作である。日本がこれをバイブルにして国家建設に向えば誤ることが無かった。今からでも遅くない、読み直して政策の下敷きにすべきであろう。読まない批判家が多過ぎる。読んでも理解できない低脳批判家が多過ぎる。

 「日本列島改造案」の構想と思想を読み取れない自称インテリとサヨイストが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とばかりに、罵倒し続けてきた。角栄は同書の中で近未来のIT社会の到来をも誤ることなく想定している。環境、クリーンエネルギー対策にも示唆している。物流の速度をもって社会の進歩を計るという卓越した史観を披瀝している。「中曽根的なるもの」のタカ派が為す事は凡そ、反「日本列島改造案」政策ばかりである。小泉政権5年有余は、角栄の指針せしめた総路線を破壊する政策に熱中しただけであった。「自民党内ハト派を、それがねじれハト派であろうとも最終的に解体し、ひいては国家をネオ・シオニズム利権に丸投げする」ものであった。

 そういう政策をマスコミは囃し立てる。御用評論家が持ち上げる。よってたかってイジメられた角栄と対蹠的に、よってたかって褒めそやす。これを覆すには叡智が必要である。まずは頭脳で負けてはならない。次に情報戦で負けてはならない。金力でも負けてはならない。我々の進撃が開始され、何れの日にかきっとシオニスタンを封じ込め、彼らを歴史法廷に引きずり出し、その悪業の数々の裏舞台を明かさせよう。今や、政府自民党がシオニスタン・タカ派勢力に純化された分闘い易いと云うべきではなかろうか。

 2006.10.7日 れんだいこ拝

【太田龍「ユダヤの謀略、世界革命運動の秘密」を評す】
 太田龍・氏の「ユダヤの謀略、世界革命運動の秘密」は、1995(平成7)年に初版されている。序文の日付からして、脱稿は1994.12.24日辺りのようである。れんだいこが思うのに、太田氏は今から10年前に既に同書の観点を樹立していたことになる。これを先見の明と云うべきか。

 衆知の通り太田氏は、1950年代に生まれた日本トロツキズムの草分けの一人であり、「日本トロツキスト連盟」結成時の創始者の一人である。「太田龍―黒寛論争」を経て離脱し、以降云々。

2006.10.14  佐藤優「日米開戦の真実」

2007.03.27  トラウデル・ユンゲ「私はヒトラーの秘書だった」
Re:れんだいこのカンテラ時評276 れんだいこ 2007/03/27
 【ヒトラーの人となりの実像に迫る貴重証言考】

 トラウデル・ユンゲ「私はヒトラーの秘書だった」(足立ラーべ加世、高島市子訳、草思社、2004.1.28日初版)を読了したところ、貴重と思ったので批評しておく。

 ユンゲは、本書でヒトラーの人となりを証言をしている。どう貴重なのかは後述するとして、ユンゲは、1942年末から45年末までのヒトラーとの出会いから死の瞬間までの2年半を、ヒトラー専属のタイプ秘書として共に過ごし、「ヒトラー最後の遺言」をも筆記した人であり、自殺現場を確認しているという奇特な経緯を持つ人物である。僥倖か偶然か戦後のナチス摘発の猛威をも潜り抜け、生き延び、最晩年に「私はヒトラーの秘書だった」を遺言することになった。

 ユンゲは、戦後まもなくの記憶の定かな時期に、ヒトラーの個人秘書として得た体験を書き綴っていた。それは、長く伏せられ続けていた。2002.2.11日、ガンで死去する直前になって、「アンネの日記」(畔上司訳、文芸春秋、1999年)の著者として知られるメリッサ・ミュラーが解説を引き受けるという条件で、「私はヒトラーの秘書だった」と題して出版に踏み切った。これよりユンゲの秘蔵証言ヒトラー譚が世に明るみになり、貴重な歴史資料となった。これを仮に「ユンゲ証言」とする。

 読めば判明するが、ユンゲは、戦勝側の戦後思潮であるネオ・シオニズム史観及びイデオロギーを受け入れており、その観点からヒトラー批判の眼差しで著述している。それは、この著作が合法的に出版される為の賢明な方法であったのかも知れない。用意周到な奴隷の言葉を通して記しているので、上っ面を素直に読むものは何の感慨も催さず、ヒトラー最後の日々のドキュメントを淡々と知ることになるだろう。

 しかし、れんだいこは、そうは読み取らない。ユンゲは晩年になって何故にこの貴重証言を世に残そうとしたのか、その真意を忖度したい。ユンゲが意味も無く共に過ごした「思い出のヒトラー」を漠然と世に知らせたとは思えない。それでは晩年の今はの際に世に送り出した意味が分からない。やはり、何らかの突き動かされる衝動により貴重証言を世に残したと受け取るべきであろう。あるいは、ユンゲの意思によってではなく、天啓に導かれて「ヒトラーの実像」を証言したのかも知れない。
 
 さて、「ユンゲ証言」が如何に衝撃的であるかを解き明かしたい。れんだいこが思うのに第一に、世のヒトラー観の通説である「ヒトラー狂人説」を否定している。ユンゲは、ヒトラー秘書に採用されてより最後の日までの間、誰よりも真近で見たヒトラーの人物像を何の飾りも無く証言しており、それが新鮮である。

 それによると、孤高の権力者であるが、決して独裁者ではない。軍事指導会議の様子は明らかにされていないが、その後に設営された座談でのヒトラーは常に物静かで、文化的香りの高いサロン風の談笑好きであった様子を証言している。戦争に対して冷静に歴史正義を確信しており、戦局の帰趨は神の恩寵に委ねていた事を証言している。最後の大詰め局面でも死を恐れず、むしろムッソリーニ的逆さ吊り裸処刑の不名誉を厭い、ピストル自殺したことを証言している。「私は、死んでも生きても敵の手には落ちたくない。私が死んだら、私の死体を焼いてしまって、永遠に見つからないようにしてくれ」と、ヒトラーが指示したことを伝えている。

 その他日々の様子として禁煙派であったこと、菜食主義者であったこと、胃痛の病状持ちで、名犬好きで、潔癖なほど清潔好きであったことを証言している。女性関係もストイックで、権力者にありがちな性的放縦は無く、清楚な風雅を漂わせるエーファ・ブラウン女史唯一人との親密な関係が続いており、その関係は相互に心からの信頼で結ばれていたことを伝えている。最後の局面で、ヒトラーの逃亡せよとの指示に対し、エーファは、「あなたもご存知じゃないの。私があなたのお傍に残ることを。私は行かないわ」と述べたことを証言している。この二人は、いよいよ最後の際で結婚し、エーファは運命を受け入れ、死を共にしたことを証言している。

 もう一つ興味を引くのは、ユダヤ人の迫害的移送が、戦時下特有の敵対性民族の隔離政策であり、それはアメリカが日系人を強制隔離して労役させていたのと同じであったことを想起させる記述になっていることである。従って、ユダヤ人ホロコースト600万人の様子を伝えていない。戦後になって、そのことを知らされ痛苦に感じたと記しているが、それは跡付けであり、当時の雰囲気においてホロコーストを否定していることの方がより貴重であろう。

 更に、ヒトラーが敗北を観念した時、大本営スタッフに対して逃亡するよう促したことも記している。次のように指示している。「諸君、何もかもおしまいです。私はこのベルリンに残り、時が来ればピストルで自殺します。行きたい人は行ってよろしい。全員自由です」。ヒトラーは皆と握手を交わして、別れの挨拶をしている。

 ユンゲは、この時のゲッペルスについても淡々と記している。左派圏で「ウソも千回言えば本当になる」宣伝相として高名なゲッペルスであるが、「忠義の手本の方が、長らえた生より貴重」として、ヒトラーに殉じた潔さをも証言している。

 更に、敗戦後のドイツに襲ったナチス狩りの凄惨さをそれとなく証言している。「毎晩のように、拷問されている人の悲鳴や、ロシア方面への護送を編成する点呼などが中庭から聞こえてくる」と記している。他にもいろいろ記されているが、れんだいこが一読して印象に残ったことは凡そ以上である。

 さて、こうなると、我々が戦後通説としてきた「狂人的ヒトラー、ゲッペルス観」は大いに訂正を迫られることになろう。実に、本書はこのことを奴隷の言葉を使って淡々と証言しており、そのことに不朽の価値が認められそうだ。以上、感想を記しておく。

 2007.3.27日  れんだいこ拝






(私論.私見)