戦後史論

 とりあえず書き出し転載。

「戦後史」

冷戦と米国の新世界秩序計画
−戦後日本社会を方向づけた日米同盟の源流−
1999.11.3 初版2001.9.21改訂版著者 渡辺康夫Yasuo Watanabe
(要約抜粋)
 この仮説の主要なアプローチは『双方向の利権がシステムの安定化をもたらす』という視点にある。以下においてこの概念は、現在までの国際社会をとりまく、あらゆる側面の解析に応用される。

 我々の置かれた社会およびその動向を理解するには、公文書調査以外のさまざまなアイデアが必要になってくる。要人の血縁関係、軍事的側面、経済的側面など、あらゆる視点から今日を解明しようとする少数の文献が存在している。我々の社会を分析するに当たって、より多くの視点や方法を紹介する事は、このホームぺージの目的の一つとなっている。

 しかし最終的な物証として、公文書の提示は不可欠なものといえる。今日、公文書など客観的物証の提示されない多くの文献が存在する。これらは論拠の確認ができないため、原則として除外するようにしたが、先に述べたように、この仮説にはまだ確認の取れていない情報も含んでいる。

 このホームページの各話題は簡潔にまとめ、情報や論拠の出典を可能な限り文献No.などで明記するようにしてあるので、読者はそれぞれ興味のある話題について、最寄りの図書館などで確認してほしい。出典の明らかでない話題については確認でき次第、個々に明示するほか、著者の誤謬によるものは削除・改訂を行ってゆく。公文書調査は、時間的あるいは専門的知識に制約をもつ一般人にとって、困難な作業である事は否定できない。読者の広範な知識提供をお願いする次第である。

 この仮説に関する重要な結論は、『冷戦が世界規模の狂言であった』ということであり、その実態は
世界の軍事産業に代表される欧米巨大財閥に支援された米政府の軍事通商外交と、米国による政権保護を当てにした小国の軍事物資購入が、互いの利益として成立する関係にあった

ということに集約されよう。これによって冷戦体制における米ソの代理戦争と呼ばれた多くの紛争・戦争国の当事者らは大国の大事な顧客として、政敵から保護されていたのである。

【 注意とお願い 】

 このHPを読まれる読者に私が望むのは、いたずらに反米感情や、反韓、反中感情を持たないで欲しいという事である。今日各方面でこの傾向が見られるが、今後このような傾向が続けば、平和憲法の放棄、有事法のさらなる強化、防衛予算の増額、米軍駐留と地位協定の正当化などが進められる事に、国民が自ら進んで同意する事態を招きかねないといえるだろう。

 反米感情によるオプションが選択された場合、1970年の「ニクソン・ドクトリン」が再び採用されるだろう。ニクソン・ドクトリンは、アメリカ軍部隊を東南アジアから撤退させる手段として多くの政治家によって歓迎されたのだが、それは兵器購入の新しい自由を得たアジアや以遠の同盟諸国が西側の利益にかなうよう「兵器を賢明に利用する」ことを前提としていたのである。(文献3−P.312)

 このような事態は、冷戦終結を迎え、受注難と経営危機に直面する軍産体制に新たな兵器輸出ブームを起こそうとする指導者側の意図に、我々が同意してしまう事を意味する。そして軍需産業に再び活力が与えられる結果、やがてどこかの国に戦争を勃発させることになるだろう。

 教科書の書き換え、民族の自決、大国からの独立を主張する雑誌をはじめ、我々の周りではいま、反米・反韓・反日感情などを煽ろうとする多くの傾向がある。私は民族の自立権を否定するものではないが、その主張には、我々の社会をとりまく軍産体制を結果的に温存してしまう危険性への議論が全く欠落しているように思われる。国家の自立と自由の確立には、まずこの軍産体制の実態を知り、議論されなければならないのではないだろうか。もし、我々が世界の軍産体制の実態について知らされないまま国防論を持ち出されたとき、周囲に軍をもつ国々に囲まれているという現実を考えるなら、誰が軍を持つ事を否定できよう。そして、我々市民はその実態を知らされないまま軍産体制の維持・強化に同意する事になるのである。

 戦争は軍産体制が危機に陥った時に起こされ、その前提として民族の対立が煽られるという歴史的パターンがある。冷戦終結直後の湾岸戦争はまさにこうした時、起こされたのだった。このHPは、戦争や民族間の対立に潜む軍産体制の意図を読み取り、無意味な対立や対立が生み出す指導者側の利権発生を、市民の側から防がなければならないという事を提言している。我々国民の手によって、歴史の正しい実態が知られつつある状況を彼らに認識させるならば、彼らが国民をあざむく事は、今後容易ではなくなるばかりか、事実を知る国民の支持喪失を恐れる彼らは、国民の意思を政策に反映せざるを得なくなるだろう。そのためにもこのHPは歴史の実態に忠実でなければならない。

 人間は間違いを犯す動物である事を言い訳にする事はできないが、このHPの決定的な間違いや、より重要な論点が欠落しているかもしれない可能性のある事を、特に初心者の読者に対して注意を喚起しておく事は私の責任であると考える。このHPの読者自身の再検証と、読者の広範な知識提供および、このHPに含まれるであろう誤謬のご指摘をひきつづきお願いする。

仮説から導かれる冷戦体制というシステム


a) 米ソ大国は、世界各国に軍事的役割を与え、その政権を保護するとともに内政に深く介入した。
b)米ソをはじめ各国は、それぞれの軍事的役割の下で、ある国は戦争を実行、ある国は多くのテロ集団を養成・支援し、ある国は防衛力強化のため、多くの軍事物資を米ソから購入した。
c)戦争当事国、テロ集団をかかえる各国指導者層は、富と権力を約束する大国支援を獲得するため、大量の軍事物資を大国から購入、戦争・紛争を可能な限り長期化させた。
d)その結果、世界はひとつの巨大な軍事市場となり、国家のあらゆる行動が軍事取引に帰着される国際社会が創り出された。そして、米ソをはじめとする各国は、その軍事的緊張の中で自国の軍事予算を肥大化させ、また大量の軍事物資を同盟国に輸出し合った。その結果国際財閥グループはかつてなく長い軍事的需要が続く中で、法外な巨額の利益を世界中で計上することになった。

 戦争の世紀と呼ばれた20世紀には真の対立よりもむしろ、対立によって生じる軍事市場の巨大利権発生を目的とした国家間の事前合意による、演出された対立が数多く存在したといえよう。まさに世界は今日、軍需産業の基礎の上に成り立っている(文献3)といえるのかもしれない。

【 戦争は何故起るのか 】

 軍事企業の受注先が民間に依存できない以上、余剰生産の販路を海外に求めるのは必然であったといえる。しかしこれは、その周辺国の軍事バランスを崩し、情勢の不安定化をもたらした。国家を戦争に駆り立てる要因のひとつには、こうした戦争産業の海外進出にあったことは否定できないだろう。(文献3)

 戦争は兵器産業のみならず石油、鉄鋼、食品、衣料、建築、機械・電子工業、医療などあらゆる業種への利潤にも貢献した。そのために、戦争産業は国家のあらゆる産業の中核をなし、また兵器はその法外な利益率において民生品とは比較にならないため、車や航空機など時代の節々で起こされた新興企業は軍事に進出し、瞬く間に巨大資本に成長していった。そして彼らの巨大資本を駆使したコミッション(賄賂の意味で使われる)という国家要人への働きかけは、国家中枢への影響力を確実なものとしていった。その結果、彼らの相互利権獲得のため、要人よりも一般市民が、先進国よりも途上国が利用される新しいタイプの戦争が生まれてきたのである。

 第三世界における局地的な軍事紛争は、戦争産業の格好のターゲットとなった。資金は石油で調達され、多大な生命が失われつつも世界全体にはほとんど影響はなかった(文献3−P.26)のである。

 はるか100年前から続き、今日では世界中に網羅された兵器産業を中核とした国際的なネットワークによって『世界の戦争は国家間の事情や、歴史的背景とは無関係に起こされる』事を文献3は示唆している。

 第二次世界大戦前夜について文献3には興味ある記述がある。「三年前に、シアラー事件とともに始まった兵器会社を統制しようという動きは、今や当初の狙いを大きく超え、海外から手を引く(注.今日でも聞かれる米国の孤立化政策の原点である)という決意にまでいたった。中立法成立の三ヶ月後、ムッソリーニはエチオピアに侵攻し、ヒトラーは公然と再軍備を始める」(P.96)。これは、米国というよりも、米軍需産業への協力ではないのか。また、英国の二大軍事企業アームストロング社とピッカーズ社は英政府の発注を得られず、経営危機に瀕していたが、「1931年、日本はイギリスを含む国際連盟に非難されながらも、中国の満州を侵略した。この戦争でイギリスの対日・対中兵器輸出に新たなブームが起きた(P.87)」と著者は記述しているのである。読者はこの2つの記述をどう考えられるだろうか。

 『戦争は何故起るのか』という疑問は、多くの人々が抱くにもかかわらず、これまで不問にされ続けてきた。文献3は、このテーマに最も近い答えを用意している文献として読者に是非読んでほしい一冊なのだが、現在絶版で図書館か古書店にしかない。再版を切に望みたい。


【世界の兵器市場に関する参考サイト】

世界の兵器売買や、兵器市場の実態を知る事のできる推薦サイト。

ビル・トッテン No.350 「米国は世界の兵器スーパーマーケット」
http://www.billtotten.com/japanese/ow1/00350.html

カーター政権と武器移転
http://www.obirin.ac.jp/gscl/kenkyu/1999/19841113.htm

スティーヴ・ライト「小火器はいかにして紛争地域に流れ込むか」
http://www.netlaputa.ne.jp/~kagumi/0101-3.html

軍事政策学
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kako/csis.htm

 我々の社会通念とはかけ離れた侵略主義に基づく巨大な軍事大国の脅威は、自国の防衛予算の増大と、同盟国への軍事物資の大量輸出を国民に対して正当化する。
98年日米新ガイドラインに国内世論が沸騰する中で起きた北朝鮮のテポドン発射実験は、『冷戦の局地的続行』という冷戦後の世界政策を唱えるアメリカへの同意を示す、北朝鮮側の演出と考えられる。戦後50年の間、むしろ北朝鮮は日本に軍事行動を一度も起こしていない。しかしマスコミはこうした場面ではすでに我々の側にはおらず、ただ北朝鮮の軍事的脅威を煽るだけであった。日本政府は数年後、多大な食料援助を約束しており、これはアジア太平洋地域における軍事的緊張の継続に対する日本側の謝礼と考えられる。

 この地域における軍事的緊張は、アメリカの軍事通商の機会をもたらし、そして日本では米国製防衛システムの導入や、駐留米軍増強への機会など、米国の利権が発生することで日米関係はより強化される。その結果、アメリカの国際的な影響力を背景に世界へ市場を展開する日本の経済、すなわち市場開拓の基盤は、より強力に支援されることになるからである。

 報道機関の情報独占体制は、国民に対する世情の秘匿を可能にする。
 政財界のトップ、官僚OB、内閣情報調査室(『内調』と呼ばれるこの公的機関は、戦後、米CIAが日本に創設した日本版CIAである−文献21)の現役室長、多数のテレビ局、新聞、大手出版界の幹部、ジャーナリスト、小説家らによって構成され、世論操作を続けていた『三宝会』は、戦時下における軍の情報工作活動をほうふつとさせる。公文書17の存在は、これまで新聞、テレビの報道では、一切伏せられているもので、かつての三矢研究発覚よりも重大である。

 一方、冷戦終結に伴い、大国支援を失った政権は、あっという間に政敵に追われた。それはかつて、大量虐殺をおこなったカンボジアのポル・ポト政権、ユーゴスラビアのミシェロビッチ政権、ペルーのフジモリ政権、フィリピンのエストラダ政権と続く。これからも世界の独裁政権は、次第に消滅してゆくだろう。そして日本も例外ではない。アジア太平洋地域の軍事的緊張は、巨視的には解消される傾向にあるからである。将来、日米同盟を背景に世界へ進出した日本は、その市場を失い、旧財閥社会および旧政党の崩壊と、既存の政党政治体制は消滅してゆくだろう。

 テロの存在と脅威もまた、政治指導者への支持強化や、現政権の政策を正当化させる道具として用いられた。
政府は、安全な社会への脅威となるテロ組織を叩くことで国民の支持基盤を強化しようとする。しかしこれらテロ集団のトップが、同胞に知られることなく対立する政府機関から資金援助され、動かされている可能性について、今日ではすでに広く認知されているようである。事実、彼らの攻撃目標はほとんどつねに一般市民であり、公的機関や要人であったことはまれにしかない。
テロは国側の対策を促し、国は民間の軍事関連部門をもつ企業に協力を仰ぐことから、結果として政官業に利権をもたらすという皮肉な結果を生む。あるいは、テロ対策による利権獲得には、テロ行為が前もって存在しなければならないといえるだろう。

 オウムの地下鉄サリン事件は、日米新ガイドラインに新たに盛り込まれたテロ対策にとっては、非常にタイムリーな事件だったといえるのではないだろうか。この疑惑が正しいならばこの事件の真相は、米国絡みの国際犯罪だったといえるので、司法・検察による真相究明は期待できないだろう。

 日本の60年代安保闘争もまた、財界支援を受けた東大幹部クラスのみが事実を知る、米国絡みの革命闘争劇であったようだ。しかしこれも真相はまだ明らかにはなっていない。

 ペルーのフジモリ大統領は2人に1人が失業、5人に1人が極貧という国内経済の下で、日本大使館を占拠したテロリスト集団をみごと一掃。第三期目を強引に勝ち取った。したがって、これが演出された事件だったのであれば、日本政府の重大な関与を疑わない訳にはいかない。
2000年11月20日、フジモリは突然訪問先、日本から辞表を提出、日本政府の保護を受けており、これはペルー新政権による旧フジモリ政権の不正資金摘発からの逃亡と見られている。ペルー新政権はフジモリの公職追放を決議し、日本政府に証人喚問のためフジモリ召喚を要請しているが、日本政府側はフジモリを日本人と主張するなど、現在もペルー側の召喚要請に応じようとはしない。フジモリが亡命先に日本を選んだ理由もまた、現時点では不明である。

 2001年8月13日付「田中 宇:国際ニュース解説」によれば、フジモリ前政権は、ゲリラとは関係ない人々をゲリラに仕立て上げ、それを襲撃する事でゲリラ取り締まりを続行するかのように見せかけていたようだ。詳しくは以下のURLから「田中 宇:ペルー・フジモリ前政権の本質」をご覧になっていただきたい。
http://www.tanakanews.com/b0813peru.htm

 そしてアメリカは、世界中のテロ国家を巨大な軍事力で叩いてみせることで大統領の支持率を上昇させ、また米国民の大きな負担となっている軍事予算を正当化させている。

 しかし、世界が米世界政策に協力する背景には、援助・支援以外にも、世界の富裕階級の支援を得たアメリカによる、圧倒的な巨大軍事力を背景にした力の外交、すなわち恫喝による世界支配という側面がある。

 *2001年6月7日に来日された、マハティール・マレーシア首相の講演は、経済支援の打ち切りをほのめかしながら、服従を迫る大国の世界政策によって「富める者が、さらに豊かになる」という国際社会の現状を証言するものといえる。( ビデオニュース・ドットコム → Press Club 「マハティール・マレーシア首相講演」)

 さらに、その当事国における米企業の有利な進出と展開は一般に知られているとはいえないのである。

戦後史における未解決のテーマ

(1)20世紀に起った多くの大量虐殺は、欧米巨大財閥グループの意図によるものではないか。

(2)日本国内にも、さまざまな軍事利権の絡む人体実験が存在するのではないか。

(3)冷戦の発案者は日本人−旧大本営参謀本部の朝枝繁春(あさだしげはる)−ではなかったか。


冷戦と米国の新世界秩序計画

 
新世界秩序計画とは、冷戦期において計画された正式な名称ではもちろんない。これは、冷戦がトルーマンによって宣言されたというその行為から見ても、最初から計画性を帯びたものであったといえること、および冷戦が軍事利権に基づく擬装された対立であったことを仮説の基本とする以外、冷戦と同義である。しかしそれは、ここで述べようとする冷戦の擬装された対立という仮説が、これまでの歴史観とは明らかに違うということを意味しており、その真相に閨閥という巨大資本の背景が仮定されている。そのために新世界秩序計画という名称は、戦後米財界において絶大な影響力を獲得したロックフェラー巨大石油資本に代表される東西を超えた国際的な軍産体制の象徴として、これまでの冷戦という用語とは区別される。

 また軍産体制は、50年代アイゼンハワー政権時代の軍産複合体と同義であるが、このような政府・軍・各省庁が軍事産業の海外進出に密接な連携を形作る体制は、はるか100年前から続いているという歴史的背景に基づき、戦後に特化される軍産複合体という用語はあえて使用していない。


@)大戦中、政・財・軍の連携で実施されたマンハッタン計画による米国の核兵器開発成功と、大戦の勝利確定により、米支配階級には、核の機密と独占を主張する軍や議会、また戦前に資本投資していた米財界の保守勢力によるドイツ・日本への宥和政策を求める声があった。一方、核開発に莫大な投資をおこない、米英による世界のウラン鉱山の独占体制を敷き、この新しい投資物件の将来における巨大な世界市場に関心を抱く国際財閥グループや、またドイツ・日本への断固とした制裁を求める改革派勢力があった。
あらゆる公的機関の中枢に進出し、国際的な支配階級社会を形成する彼らは、血縁者あるいは支持者の軍部高官、政府閣僚をはじめ、学者、弁護士、マスコミらを動員し、核の巨大利権を伴った戦後世界政策をめぐって、公式・非公式に動き始めていた。
こうした確執の中で終戦間際の米国では、さらに旧覇王モルガン系財閥の覇権を覆そうとする、ロックフェラー系財閥の思念も加わった激しい対立と、政府内外における議論が沸き起こった。(文献7)

A)世界中で無秩序に核開発競争が行われることは、世界の破滅を招く恐れがあった。そのため米国は、最小限の国々にのみ、核技術を提供する方向を検討した。それらの国々は、各国を率いて米国に対峙する中にも、決定的な引き金をひくことなく、秩序ある対立を演出する、という壮大なシナリオを実行できるだけの、また同盟国に逸脱を許さない強力な軍事国家でなければならなかった。巨大な軍事大国による脅威の存在は、軍拡や核開発など互いの防衛予算増大を正当化させ、また互いの同盟諸国に兵器をはじめ、多くの軍事物資を輸出できる。そして無秩序な核開発を防止するため、核の国際管理が提唱されたのである。(後述)
こうして一方の軍事大国ソビエトに核技術がわたり(文献4)、その見返りに米国の敵国としての役目を引き受ける極秘のシナリオは、のちのトルーマン大統領によって、『冷戦』と宣言されることになる。一方、ソビエト側にとっても、アメリカ帝国主義の膨張を阻止するという名目により、自国の兵器を多くの同盟国に輸出できた。
米国の戦後処理という問題は、国家と軍需産業の癒着を、かつてないほどに増長させる、巨大利権獲得に取って代わられた。まもなくこの冷戦体制は、共産主義勢力の阻止という名の下に、米世界政策の中心に据えられていったのである。


B) 1945年4月12日F・ローズヴェルト大統領は、原爆の実験を待たずに急死した。

 ――― 彼の机には、後のマンハッタン計画につながるウラン諮問委員会設立を決断させたとされる有名なアインシュタイン書簡が2通、未開封のまま残されていたという(文献23−P.82)。レオ・シラードによってもたらされ、アインシュタインの判断によって、そのいずれかに署名される筈であったこれらの書簡は、アインシュタインがその両方に署名した事は既に良く知られているが、2通の書簡がそのままローズヴェルトに届けられ、しかもそれらが未開封であった事は、これまで当たった文献には見られなかった記述である。事実ならば、ローズヴェルトはそれらの文面を検討することなく原爆開発の指示を下した事になるが、それにしても2通が、そのままローズヴェルトに届けられたという事は、これらの書簡が、シラード自身による単独の発案ではない可能性が残る。――――

 F・ローズヴェルト大統領の唐突な死によって、H・トルーマンが大統領に就任。過去にシュローダ銀行の重役職への推薦を受けるなど、米英財界の強い信頼と支援を得ていたダレス兄弟が、それぞれ国務省特別顧問、OSSベルン支局長に就任した。これにより事実上、ジョン・F・ダレスが新世界秩序計画上の実権を握る最初のトルーマン政権が誕生した。戦後米議会で、核兵器による米国の国際社会における決定的な優位性が議論される中、トルーマン大統領は核技術と核物質の国際管理を支持する声明を発表。軍・議会も反発することなく、これにならい、国連でバルーク・プランが発表される。しかしそののち、米国はソ連の核技術スパイ疑惑を主張。米ソ核交渉が開始されたが、物別れに終わった。(文献20)これによって、世界大戦後、世界が向かおうとする和平への道は閉ざされ、米国の新世界秩序計画、冷戦への幕は切って落とされたのである。

 ──── 一見、各方面から主張されたであろう新兵器の機密保持支持に反した、政府による核の国際管理声明から、米ソ核交渉に至る過程には、周到な熟慮の跡が見られる。
まず、米ソによる核の独占は、むしろ国連による核の国際管理体制の下で、はじめて実現可能であったといえる。米国だけで、世界中に起りうる個人レベルの核開発、核物質の入手までをも監視しきれるものではない。それよりも各国どうしの監視・報告がもっとも有効である。また、軍の核機密体制は、冷戦の下で徹底され、頻繁な核実験による巨大利権は国際財閥グループのものとなった。そして、これらの条件を満たしながら、世界の核開発競争への危険性は回避されたのである。
この冷戦体制を通じ、米ソによる大規模な核実験に使用された大量のウラン原料は、世界のウラン鉱山の利権を支配する、英国ロスチャイルド財閥によって供給されていたという証言がある。(文献4) ────

 その中で、ダレス兄弟の外交政策は世界で奏功し、やがて彼らは国務長官、CIA長官という、より重要なポストが与えられた。その一方で、政策承認に大きな影響力を持っていたウィリアム・ドレーパー陸軍次官は、ジョージ・ケナン政策企画局(PPS)局長ら、国務省内の支持者を確実に増やしていった(文献5)。こうした人的背景が、何者かによって各省庁に形作られて行くにつれ、米国の対日政策における民主化への改革路線は、次第に停止されていったのである(文献21)。
戦後対日政策にあらわれた逆コース問題は、米政府の戦後世界政策の急激な変更の中で、次第に影響力を持ちはじめた、新しい世界秩序計画の中の一部分にすぎないものだった。しかしそれは、米国の世界政策の中で、アジア太平洋地域における軍事的役割を担うという、日本の非軍事化を目的とした当初の政策とは、全く異質な意味が与えられることになったのである。

 ──── 戦後史の歴史書に登場するジェームス・フォレスタル国防長官、ウィリアム・ドレーパー陸軍次官、ポール・ニッツイ国務省貿易局次官らは、世界最大の投資銀行のひとつ、ディロン・リード社の幹部であり、また対日政策を大きく変更させたロビー組織ACJ(アメリカ対日協議会)のメンバー、ジェームス・カウフマンは同社の顧問弁護士であった。彼らはニューズ・ウィーク誌の外信部長ハリー・F・カーン(ACJ主催者)の協力を得て、米国の逆コース政策の推進を図ったのである(文献5、21)。
とくに、ジェームス・フォレスタルは、ローズヴェルト大統領の要請で、政界入りを果たしたディロン・リード社社長(文献21)であり、NSA(米国家安全保証局)創設および、これまで歴史書に一切登場していない後述のUKUSA協定を推進した人物であるという(軍事研究2001.2号)。────


C)連合国最高司令官(SCAP)ダグラス・マッカーサは、新しい米政権の逆コース政策にとって障害となった。米国民から英雄視され、『日本を東洋のスイスにする』と公言していたマッカーサは大統領選を前に、日本での占領政策で実績を残すため、米政府の逆コース政策にことごとく対立してみせた(文献5)。そのため、トルーマン政権はマッカーサを解任、帰国させたのだった。その後彼は、米国の巨大軍事企業のひとつであるレミントン・ランド社の会長に就任している。ここには戦後冷戦体制の発端となったマンハッタン計画の総指揮官であるレスリー・グローヴス陸軍准将も副社長として名を連ねていた(文献4)。


D)新たな世界秩序計画の一部分となった対日政策は、軍部・財閥の解体、要人の公職追放から一転して、日本の再軍備、財閥保護、早期独立を要求した。米国の新世界秩序計画にとって、財閥支配の強い日本社会を米政策に従わせるには、旧財閥を保護・強化し、そして彼らの社会基盤を堅持するために、国体の要である天皇制を残す必要があったという(文献5)。


──── 公文書16−1947年11月17日付のCIA対日文書(ORE44)では、講和条約締結を目前に控えた米政権に対して、ソ連の同席を求められない場合、米国の講和条件は、必然的にソ連の行動をを拘束することができず、そのうえ、ソ連は条約の難点と弱点を検討する十分な時間をもち、「日本は米ソ間の互いの脅威と不信を、自身の利益のために操ることができるより良い立場になるだろう。」と警告している。

ORE44は、米ソ間の脅威に基づく、この地域における各国のバランス・オブ・パワーが、米国の軍事通商と外交戦略を密接に関連付ける事を可能にした、冷戦体制という着想を米国に抱かせる最初の契機となったものではないだろう。しかしこの年代は、占領下にあった日本において、逆コース政策が顕在化した時期に一致し、その後GHQで日本の民主化を推進したチャールズ・ケーディスが追放されている(文献21)。さらにこの2年前、1945年に起った不発原爆のソ連への譲渡の際、朝枝中佐が主張した案に、これが奇妙な一致を見せるのである。(後述)────


一方、天皇制を政治基盤とした日本の旧支配勢力も、天皇の護持こそが彼らの生き残る唯一の道であった。戦中、彼らは国に殉ずることを国民に強いたにもかかわらず、自らは生き残るため、戦後内閣に児玉誉士夫を配してGHQ高官を抱き込み、米国の断罪から逃れようとする、なりふりかまわぬ政治工作を展開したのだった(文献22)。

児玉は東久邇内閣の内閣参与に任命され、そののち天皇護持を条件に、自由党の結成資金を提供した闇のフィクサーとして知られているが、彼はまた戦後、米国の対日政策を裏から支えるCIAのエージェントでもあったという(文献7、21)。児玉を仲介者とし、日米支配勢力によって固められた日本の旧支配勢力への強力な保護政策は、反天皇派の民主化勢力が、戦後日本政治の表舞台へ拡大する機会を、周到に阻止したといえるだろう。

こうして、早期独立に向けた日米の折衝が行われ、戦争責任の免罪という、連合国を無視したサンフランシスコ講和条約調印のすぐあと、日本の旧支配勢力と米国によって交わされ、アチソンと吉田が東京でまとめ上げていた、米軍駐留、地位協定という日米安全保証条約には、政治・軍事・経済・教育・文化・報道など日本のあらゆる側面が、CIAを中心とした米軍の各諜報機関による監視統制下に置かれるという、新たな占領が運命付けられていた(文献7、公文書11、16より結論)。


──── この結論は、戦後日本の現状を決定付ける最も重要な部分であるため、さらに調査を続行している。これを裏付けるひとつの公文書は、先に述べたORE44と記名されたCIA対日文書が、州、陸海空軍の諜報機関との協調により作成された、と明記されていた点にある。この事実は、独立後も在日駐留米軍の各諜報機関による、日本への関与の可能性を示唆しているが、これまで当たった文献・公文書からは、駐留米軍や自衛隊(防衛庁情報本部)による国内外における工作活動の事実は、1954年 在日米陸軍情報当局による、坂田という名のジャーナリストの監視調査(文献21)一件を除き、他は一切見つかっていない。しかし、公文書11−日米新ガイドラインでは、「平時の協力」が「特定領域の事態に言及したものではない」とした上で、「情報と諜報の共有」を掲げている。

かつてGHQの情報活動を担当していたG2(参謀2部)の傘下には、12もの秘密工作組織があったという(文献7、21)。これらの組織のいくつかは、その後の講和条約締結後も、CIAに引き継がれているようである(文献21上−P.349)。

また軍事研究2001.2号では、日本が加盟していない軍事諜報協定、UKUSA協定による通信監視システム『エシュロン』の日本国内−三沢米軍基地への設置が報告されている。エシュロン(echelon)の存在の真偽について、2001年5月30日付の東京新聞(夕)は、第2面に『【ブリュッセル29日AFP=時事】欧州議会の調査委員会は二十九日、米国を中心に英語圏五カ国で組織するとされる通信傍受システム「エシュロン」についての報告書を明らかにし、その存在を「疑いない」と断定した』という記事を掲載している。エシュロンの存在は、日本のあらゆる側面が駐留米軍による監視・統制下に置かれているのではないかという疑惑の一部を肯定するものといえる。その他の情報は、インターネットで「エシュロン」を検索されたい。

文献21の著者は、「CIAは、日本の情報機関の防諜対策の対象となっていないため、西側同盟国の中で、日本はCIAが最も自由な活動を展開できる国であり、その下地を作った日本の政治家は、『情報機関の父』吉田茂であった」と述べている。

吉田のこうした行動の動機となる背景として次のような参考資料がある。
文献7の巻末資料四に1921年ロックフェラー一族により設立された『外交問題評議会(CFR)』に関する小論が添付されており、彼らの掲げる『新世界秩序』は、この仮説の表題の根拠となっている。CFRには歴代の大統領以下、ダレス兄弟、ハリー・F・カーン、ヘンリー・キッシンジャーなど、諸政権の重要メンバーが名を列ねており、ここで発行する季刊誌『フォーリン・アフェアーズ』に、吉田茂も投稿している。インターネットではさらに、CFRにおける橋本首相のあいさつ、CFRの上級研究員を招いた経団連の主催するシンポジウムの様子(ビデオ)などが検索できる。

また、フォード政権の副大統領であったネルソン・ロックフェラー(H.キッシンジャーのパトロン)の弟デイヴィッド・ロックフェラーが1972年に設立した「三者委員会」は、カーター政権の非公式政府組織として文献19に紹介されている。文献19は冷戦後、機密解除されたキッシンジャー外交に関する公文書によって構成されているもので、多くの通俗書で採り上げられてきたこの非公認政府とされる陰謀論めいた組織は、これにより公文書でその存在が確認された。本書P.541の解説によれば三者委員会は、アメリカ、ヨーロッパ、そして日本の多国籍企業幹部、公職経験者、大学関係者で構成されているようだ。。日米関係は、今日までの国際社会において、我々が知りえない巨大な暗部を構成しているのだろうか。

吉田は、こうした独立国日本の将来を暗示するかのように、ひとり安保条約調印に臨んだのだった。


【 駐留米軍の目的 】

このような背景には、米国の新世界秩序計画にもとづく冷戦体制の要求する軍事的緊張が、必然性を伴わないものであったため、一国の逸脱がすべての計画を水泡に帰す、危うい側面があったからではないだろうか。そのため米国は各国に十分な見返りを考慮するとともに、米軍を駐留させ、監視することも怠らなかったのだろう。こうした状況は日本だけに限らない筈である。先に述べた通信監視システム『エシュロン』は、世界各地に存在するという。

冷戦体制の下で、世界各地の独裁政権や、テロ組織を動かし、米軍が世界警察としてそれを軍事攻撃する、というシナリオでは、世界中の至る所に米軍が駐留している事は、その意味でも都合が良いといえる。これらが世界各国に米軍を駐留させる目的であろう。アメリカが国連を無視する理由もここにある。すなわち米国の軍事行動は、民主主義を護る闘いではなく、関係者の利権が目的なのである。

世界平和の脅威となるテロ国家への軍事行動により、世界の米軍駐留を正当化することもでき、米政権の国内での支持率は上昇し、巨額の軍事予算を有権者に対して正当化する。それは、米国内の軍事産業を保護する上でも好ましいものであり、軍事攻撃は各国首脳を牽制する政治的な道具としても機能し、世界警察を自認する米国首脳陣への巨大軍事産業体である国際財閥グループの支持、評価も高まるのである。こうした意味で政府閣僚とは、巨大財閥グループのエージェント(協力者)であるといえよう(文献13)。


冷戦終結後、世界中の企業間合併に見られる、し烈な国際競争は、兵器産業だけではなく、あらゆる業界が冷戦体制の下で巨額の利益を上げていたことの証左であるといえる。計画推進のため、各国政府は重要な局面で米国の指示を受け、報道管制と情報操作が、今日でも国際規模で行われている可能性は非常に高いのではないか。
そして、米国の世界政策を決定付ける者の頂点に、国際財閥グループの存在があり、こうした国際社会の置かれた状況の中に、今日の日本があるということになる。
日本の独立は、冷戦体制という他国民の流す、おびただしい血と、国土や精神文化の破壊によって生み出される、欧米巨大財閥の軍事利権を目的とした軍事協定に合意した上での『戦争免責』と『経済支援』、および『安保』だったといえよう。

当時敗戦国であった日本に採りうる別の選択肢があったのか、という異論もあろう。しかし、その議論はあくまでも、日米戦争が『真の対立』であったことが前提とならねばならないのである。


【 太平洋戦争に関する疑惑 】

1)南進:
東南アジア進行は当時の日本政府の正式な国家方針であった。 年表18によれば、1941年6月6日、大本営「対南方施策要綱」決定。7月2日御前会議「情勢の推移に伴ふ帝国国策要綱」を決定(対ソ戦準備・南進のため対米英戦を辞さず)
しかし戦後この経緯は、一部の軍関係者による暴走説が一般的である。(文献14)日米開戦を決定付けた南進を否定しようとする意図は何なのか。また、このことは南進が、太平洋戦争の真の目的を解き明かす、重要な要である可能性を、われわれに示唆しているように思われる。

2)南京虐殺:
これも近年話題になった、太平洋戦争史の隠された謎であり、日本軍の南京虐殺という大量殺戮を告発する文献を、日本の学者が真っ向から否定するニュースがあった。南京虐殺はかなり以前から報告されているが、冷戦が終結し、日米関係が微妙になった途端、南京虐殺はなかったとする日本の権威の危惧するものは何か。

3)真珠湾攻撃(1):
当時のローズヴェルト政権は、戦争関連法案を次々に否決されるという状況にあり、日本による真珠湾攻撃によって、ようやく開戦にこぎつけたという経緯があった。(2000年3月31日東京新聞−夕、2面「けいざい潮流」)この米国の政治的状況は、当時の日本政府にとって、駐米大使と外務省筋から把握不可能な情報ではなかった筈である。真珠湾攻撃を検討した時点で、そのことを作戦課は考慮しなかったのか。

4)真珠湾攻撃(2):
2001年7月19日付の週間文秋に紹介された文芸春秋社刊『真珠湾の真実』の著者R.B.スティネット氏インタビュー(P.54,55)によれば、真珠湾攻撃を行った南雲中将率いる奇襲艦隊は、11月26日から30日まで無線封止を守らず交信を続け、それを受信したアメリカの無線方位測定機は26日、単冠湾を出発した南雲艦隊の位置・方位・速度を把握。米海軍本部は同26日、北太平洋から米艦隊を一掃し、真珠湾への航海を許した事実が公文書調査によって新たに発覚したという。
この文献は「ローズヴェルトが日本の真珠湾攻撃を知っていた」事や、「日米開戦に向けたローズヴェルトの挑発行為」のみが強調されて紹介される事が多いが、インタビューを見る限り、これは日本軍が真珠湾攻撃を米軍に知らせ、米軍はその航路から撤退したという事になる。つまり真珠湾攻撃は、日米あるいは日米双方の軍部による合作であった事を意味するが、このことは当時すでに網羅されていた国際的な軍産体制のネットワークの実態を考慮すると十分に考えられる事だといえる。
つまり無線封止を厳守しなかったのは、日本側が艦隊の位置を知らせる必要があったからであり、それは航海中、米艦隊に遭遇する事がないよう、当然取られるべき処置だったのだと思われる。この根拠には、無線封止を守らなかった事について、単に南雲中将の個人責任に帰される問題ではない事が挙げられる。何故なら無線は日本各地で受信された筈であるにもかかわらず、4日間も放置されたからである。
日米開戦やその敗因について、殆ど常に日本軍上層部の無能説が一般的であるが、私は全国から集められた精鋭集団がそこまで無能であったと論じるのは議論の本質を見誤る危険があるという結論に達している。何故ならその説は、今日まで問題の本質を結局解き明かす事ができなかったからであり、軍産体制というこれまで論じられる事のなかった因子を導入する事で、これらの不可解な行動は整然と説明できるからである。

5)戦時標語:
戦時下にあった当時の戦時標語には、敵に勝つよりも『死ぬ事』を重視するものがあった。タワラ・マキン守備隊3000名と軍属1500名全員の玉砕を報じる大本営の見出しには、『忠魂に、我等遅れじ』と添えられた。当時、戦争で自らの命を捧げることが皇民の証であったという。なぜ日本国の存亡を決する大戦にあって、戦争に勝つよりも『一死報国』が優先されなければならないのか。これは明らかにおかしい。兵員の死はすなわち戦力の低下を意味するからである。実際、兵站支援系統を持たない、南方の戦地に送られた多くの兵員は、飢餓と疫病に見舞われ、闘わずして戦死したという。第二次大戦・冷戦期を通じ、世界中で起った一見無意味としか思えない大量殺戮の真相が、ここにも隠されているように思われてならない。

6)暗号:
外務省の暗号は解読されている事を当時、ドイツから指摘されていたが、外務省は事実上これを無視。そのまま解読されている暗号を使用し続けた(文献21)。その意図は何だったのか。また日本軍の暗号JN25も解読されていたが、軍はそれに気づかなかったという(文献21)のだが、ドイツの報告を知らなかった訳ではないだろう。

7)原爆投下(1):
トルーマン政権の原爆投下宣言を黙殺。(1945年7月28日鈴木首相、ポツダム宣言を黙殺・戦争邁進の談話−年表18)結果的に原爆は広島に投下された。同時に大規模空爆が実施されたが、日本は何の反応も見せず、75時間後、長崎にも原爆投下を許した。日本が第二の原爆投下を容認した理由は本当に、来る筈もないソ連の仲介承諾を待ち望んでいた、日本指導者層の優柔不断だったのか。
また、文献14によれば、1945年8月半ば頃、米軍が進駐する前にソ連大使館を訪れた朝枝繁春中佐は、アメリカが原爆を使い果たしていた事を知っていたが、彼はどこからその情報を得たのか。

8)原爆投下(2):
文献14によると、当時ドイツから米国の新型爆弾−原爆の開発に注意するよう勧告を受けていたが、大本営はこの情報を秘匿し、各課に連絡を入れなかった。そのため、警戒態勢の敷かれていなかった日本上空に、エノラゲイ号と、観測機二機は、容易に侵入できた。観測機は数マイル離れて観測するよう指示を受けていたので、目標地点に侵入したのはエノラゲイ号一機だけであった(資料2)。大本営は、警戒態勢を敷かせようとしなかったのではないか。

9)原爆投下(3):
日本の沿岸を警備していた日本軍にも、疑問が残る。参謀本部が各課に知らせなかったとはいえ、報道でポツダム宣言とその意味は知っていた筈である。ポツダム宣言後もなお、警戒態勢を敷かなかったのか。

10)原爆投下(4):
日本は当時戦闘続行不可能な状況にあり、原爆投下や、それに伴った大規模空爆作戦は、兵站支援系統の攻撃という意味では無意味な大量殺戮であった。

11)原爆投下(5):
米公文書(資料2)によれば、日本への原爆投下−グローヴス作戦−はエノラゲイ号一機と観測用の計画専用機二機による、B29三機が編成されたようである。戦闘不可能であったとはいえ、敵陣地に護衛もなしに乗り込むのは、米国にとって重要な作戦であっただけに、これは奇妙な不注意というべきであろう。米国側にはエノラゲイ号の撃墜はありえないとする、絶大な根拠があったというのだろうか。

12)原爆のソ連への譲渡:
『長崎で回収した不発原爆をソ連大使館に至急搬入されたし。』このロシア公文書館に残されている参謀本部宛の緊急電報を指示したのは、旧大本営の朝枝繁春中佐であった。電文を打ったのは当時、作戦課に所属した瀬島隆三。朝枝は、ソ連大使館員にその主旨を次のように説明した。アメリカが日本を占領すれば、日本は二度と復興できなくなる。しかし、原爆をソ連も所持すれば、二大国間で日本は将来、しかるべき地位を獲得できよう、というのが朝枝の意図であった(文献14)。ソ連に譲渡された原爆は、その後同時に投下された気象観測用ラジオゾンテであることがわかり、日本側の米ソ衝突のシナリオは失敗に終わった(文献14)とされている。

しかし、このシナリオは後の米ソ冷戦体制のシナリオに酷似しており、原爆資料は実際にソ連へ渡り(文献4)、日本は二大国間で将来『しかるべき』経済大国にのし上がったのである。失敗したとされる日本の米ソ衝突の策略は成功したのではなかったか。
もしそうならば、ソ連は米国にこの情報を流した可能性がある。つまり、米ソは対立国家ではなかった事になり、本文で述べた冷戦への疑惑は正しい事になる。また、日本が米国にこの情報を流したのであれば、日米は真の対立国家ではなかったことになる。

戦後、米国の断罪を逃れるため、米国と取引した日本軍関係者は多い。したがって、原爆譲渡の件も米国に流したのは日本側ではないかといえるかもしれない。しかしこれは、731部隊の資料譲渡とは訳が違う。この情報を米側に流しても、米国は何の利益もないのである。それどころか、米国にとって、世界戦略上の最大の切り札となりうる新兵器をソ連に渡そうとしたのであるから、米側の逆鱗に触れる事はあっても、感謝されることはない。したがって、日米戦争について、真の対立を仮定する限り、それはありえないと結論しなければならない。

さらに、米国が独自に冷戦のシナリオに気づいた可能性はないと思われる。それは米国と闘った歴代の対戦国の中で、例外的な対日支援が説明できない事、および対日政策の唐突で、急激な逆転が物語っているからである。ただし、もう一方のドイツの復興については、まだ調査を進めていない。

いずれにしても日米ソが対立国家であったならば、米国の対ソ政策あるいは対日政策で、報復措置がとられることは避けられなかっただろう。ソ連の原爆開発にはウランの調達から、精製法の確立と、その設備の設計および建設、そして核実験に至るまで5年を要しており、米国が行動を起こす時間は十分にあった。しかし戦後まもなく起ったのは、逆コースと呼ばれる不可解な対日政策の変更と、米ソ冷戦体制だった。それは、米国に開戦を決意させた張本人である筈の日本支配階級への免責・保護であり、今日の米国経済を脅かす元凶となる程の、理解しがたい過大な対日経済支援であった。────

日本の独立後、米国は石油の供与をはじめ、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争で、日本に軍需景気をもたらし、また生産技術供与、東南アジアおよび米国市場の開放など、多大な経済支援をおこなった。東南アジアは戦前、米英の植民地であり、日米開戦は、石油を求めた日本軍の南進、つまり東南アジア進行が発端となったものであるが、戦後米国は英国の猛反発を抑えて日本に東南アジア市場を開放したのである(文献5)。米国にとって、対日戦争とは一体何だったのか。このような米国の異例ともいえる対日経済支援によって、戦後日本は経済サミットG7に、毎年招かれるほどの経済大国にのし上がった(文献7)。
こうした戦後日本における経緯により、戦前よりも強力な国内財閥支配体制を手にした日本の財界には、アメリカの言う通りにしさえすれば、我々の将来は安泰だ、という風潮が生まれた。冷戦期における日本はまさに、米国の作り出した冷戦構造を背景にした、アジア太平洋地域最大の受益者であった。しかしその陰で、世界の何も知らされていない多くの人々は、狂気と憎悪に満ちた争いの日々に今日も置き去りにされているのである。
世界を取り返しのつかない運命に引き入れた冷戦の発案者とは、日本人ではなかったか。


E)冷戦による国際的な軍事企業の謳歌は、しかし、恒久的なものではなかった。アポロ計画とヴェトナム戦争がピークを過ぎた70年代初期において、米国の軍事産業は深刻な不況を迎えることになった。もはや核兵器は、東西陣営に溢れており、度重なる大規模な核実験による死の灰は、世界中の人類に深刻な不安を与えるようになって来たからである。冷戦期、米ソによる核実験の回数は2500回以上。単純平均で、年平均2500/50=50回、日数で365/50=7.3日、つまりほぼ一週間に一回の核実験が、50年間続けられた計算になる。そして、そのたびに米ソ国民の税金は、莫大な核の利権となって米英財界に流れ込んでいたのである(文献4)。1980年代のレーガン政権は、ふたたび反共と強いアメリカを唱え、軍事予算を急増させたが、それも束の間に終わった。そして1989年12月、米ソ首脳マルタ会談での冷戦終結宣言は、世界から東西の壁を取り除き、冷戦体制からの脱却がはじまった。米ソの軍事支援が消滅すると、これまで大国支援の下で、長期化していた局地紛争は、次々に解決へと向かった(文献8)。ソビエトが降りた今、もはや互いの同盟国に支援という名目による、兵器および軍隊の維持・拡張に利用可能なあらゆる製品の大量輸出は成立しないのだった。そして、物資輸入に対する見返りである、当該国政権への支援と保護も期待できなくなるのである。そうした事情から、韓国と北朝鮮は国連に同時加盟し、アンゴラの内戦が終結、南アフリカのアパルトヘイト体制が崩壊、カンボジアでは総選挙が行われて、連合政権が成立、イスラエル・パレスチナ問題では、パレスチナ暫定自治協定が結ばれた(文献8)。
同時に、米ソの枠組みが取り除かれた世界では、これまで多くの兵器を大国から購入・備蓄していた小国の紛争が多発した。おそらく後述の日本がそうであるように、少なくともそのいくつかは、米ソの政治的支援の消失による現政権の崩壊を危惧した『演出された紛争』だったのだろう。日本でも、北朝鮮や中国共産党の脅威を、マスコミが煽っていたが、これらも同様の『演出された脅威』と考えられる。つまり、冷戦によるビジネスと直結した米ソ共同の軍事通商外交が、世界の紛争国や、テロ国家の存続を支援し、戦争を無意味に長期化させていたのである。いいかえると、戦争を長期化させ、米ソの良い顧客で有り続ける事が、彼らの政敵からの保護を約束し、彼らの政治基盤を支えていたといえる。

一方、冷戦がこれまでのドル箱であり、世界の多くの産業界が依存していた作為的な軍事市場の消滅で、『世界同時不況』を迎えることになった。軍事産業界はその後、民需転換を試みたが失敗、局地紛争という新たな脅威に活路を見出したかに見えるが、これまでのような利益確保は見込めないだろう(文献8)。これに伴い、欧米財閥は原発など核技術の平和利用確立にも失敗。業界再編成を試みるため、新たな市場獲得、下請け企業も含めたリストラ、赤字部門の売却、合併を進めた。そのために、米国民の所得は未曾有の好景気とは裏腹に、富裕階級以外はすべてマイナスに転じるという経済分析の結果が報告されている。この傾向は、70年代初頭に現われており、それは米国の軍需産業に、最初の不況が訪れた時期に一致する。

数年前、米議会では将来に向けた孤立化政策支持、すなわち米国の国際社会への関与がもはや国益とならない事に、多くの議員が同意するなかで、B.クリントン大統領は、それを公式に非難した。そして彼は、これが彼らの『ボス』のメッセージであることを議員、およびそれを知る関係者らに示唆するように、その演説を“The New World Order”という謎の言葉で締めくくっている。
『冷戦構造の局地的続行』という米国の方針は、中東における局地紛争の再発という、今日の状況に反映しているようである。

1999年3月24日のニューズ・ウィーク誌で、米国は中国による核技術スパイ疑惑を主張。このことは世界が冷戦に向かうきっかけとなったソ連の核技術スパイ疑惑と、奇妙な一致が見られる。

田中 宇氏の「国際ニュース解説」によれば、米政府と軍はロシアに代わって中国の軍事的脅威を掲げた第二次冷戦構想を協議しているようだ。しかし一方、中国は、援助と引き換えに服従を迫る米国の「人権外交」に風穴を開けようとしているように見える。この点と、中国は米国に依存しない方針を従来から掲げている(文献21)ことを考慮すると、この新冷戦構想は、恐らく失敗に終わるだろう。
詳細は「国際ニュース解説」で検索してほしい。読者の判断を仰ぐ。

また、日本や東南アジアのバブルとその崩壊の裏には、米国の投機グループによる金融市場での証券詐欺があったようである(後述)。米国の好景気は、軍事市場を失いつつある米国の犯罪ともいえる金融政策によって、世界中のマネーが、ウォール街に集められたためだった(文献15)。

2001年2月9日に起きた、米原潜と日本の実習船えひめ丸の衝突事故は、選挙資金提供者を原潜に招待したブッシュ新政権の後援者優待疑惑へと発展した。その中で、民間人の多くは石油会社の幹部であり、ブッシュ大統領は、石油、ガス会社の経営に関与し、またチェイニー副大統領も同じ会社の社長だったことが報道された。そして、同16日ブッシュ政権はイラクへの空爆を、突然実施したのである。前クリントン政権でも見られたこの行動パターンは、日本のマスコミが報じるような、単なる米政権のスキャンダル隠しというよりもむしろ、米国支配階級に危機を招きかねない米マスコミの真相究明に歯止めをかけるためにリンケージされた、軍と連携したイラクなど他国への軍事攻撃と考えるべきで、これは米ジャーナリズムに対する、あからさまな恫喝なのである。

冷戦後、西側諸国と民主主義を護るという米軍の大儀は失われ、そのために米兵のモラル低下による事件の頻発が報じられている。ブッシュ政権は、米国の隠された真相究明の歯止めとして、軍という切り札が使えなくなることを恐れるかのように、米軍の強化、米兵の待遇改善を検討し始めている。米軍強化の背景には、冷戦終結による世界規模の軍需低迷からくる軍需企業の経営危機がもうひとつの要因としてあるようだ。

2001年9月11日、米国に大規模な同時テロが起った。世界貿易センタービル2棟(ツインタワー)およびワシントンの米国防総省(ペンタゴン)がハイジャックされた旅客機によって次々に突入され、死傷者数は数千人から1万人規模とされている。

【 米同時テロとその後の米国の対応に関する疑問点 】

この事件は、これまでのテロとは大きな相違点が見られる。

1)米国の対外戦略に大きく関与するウォール街や、軍事的中枢機関への致命的損害を狙ったこれまでにない大規模なテロ事件である。その攻撃規模と目的に関して、これまでのバスジャックや大使館攻撃とは異なる、本質的な米国への損害を狙ったように見える。

2)犯行声明は否定されるか、既存のテロ組織は犯行を否定している。これをそのまま受け取れば、犯行はこれまでのテロ組織とは異なる国家もしくは国家規模の組織力によるものとの見方も可能だ。

3)犯行声明は出されていないのが現状のようだが、そもそもテロリストの目的が列強による世界支配構造を粉砕する事にあり、テロはその手段にすぎないと考えるならば、犯行声明は自身とテロ組織を壊滅させかねない自殺行為だったと結論できる。これは、これまでの考察に欠けていた一般的なテロ行為に関する大きな擬装疑惑の根拠となりうる。

4)米国は早くもオサマ・ビン・ラディンを主犯と主張。400億ドルの軍事予算を可決し、アフガン侵攻に向けて大規模な軍事攻撃を準備しているが、納得できる証拠は提示されていない。ビン・ラディンは79年のソ連によるアフガン侵攻の際、米国から支援を受けていた人物である。

5)米国の報復攻撃に対し、各国首脳は日本の全面支持をはじめ足並みはこれまでになく整然とそろっている。これは、民主主義と法の精神にのっとった法的手続きによる解決を、米国はもとより主要先進諸国がそろって拒否した事を意味する。

日本周辺における反米、反韓、反中感情や、米国内における反日感情などの民族感情発生ののち起った今回の大規模テロは現在、日本国内においてもマスコミによる反アラブ感情が盛んに煽られている。そしてこの民族感情は、日本のさらなる軍事化への原動力として今後、利用される恐れがある。

また、これでアフガニスタンが格好の軍事市場として、低迷する世界経済活性化のための中心的役割を担う事になってゆくというのであれば、各国首脳の方々には、この一連のテロ事件には世界的共謀の疑いも生じる事となり、これはいずれの国民にとっても許しがたい犯罪行為であると申し上げねばならない。

現在どれが誰の発言であるかが明確でない記事が多いのですが、ラムズフェルド米国防長官、9月19日付東京新聞には「米、イラクの関与示唆」と明記された貴方の記事が第一面に報道されています。このHPで既に紹介した通り、満州侵攻、真珠湾攻撃、イラン・イラク戦争、湾岸戦争は国家間の対立によるものではなく、経営危機に直面した軍需産業に対して起こされた、いわば特需を目的とした戦争であった事が、日本で発行された文献に示唆されています(文献3、真珠湾攻撃−R.B.スティネットによれば日米合同作戦)。特にイラン・イラク戦争でイランに武器供給を行っていたのはなんとイスラエルだったというではありませんか。この程度の知識は多くの国民が既に知っておりますため、イラクの関与は即ち今回のテロが、米軍需産業の特需を目的としたものと見られる恐れがあるといえるでしょう。ラムズフェルド長官、ずばりお聞きしたいのですが、「このたびの米国同時多発テロの真犯人は、米国自身ではないのですか。」

それから一つお願いがあります。在日米軍基地ではいま、戦闘機の離発着訓練をされているようですが、写真で見る限り、民家がすぐ近くにある状況にもかかわらず、機体には爆弾やミサイルらしきものが装着されているように見えます。もしそうであれば、危険ですのでお止め願いたい。


結局この戦争が実現した場合、誰が得をするのか。前出ビルトッテン「米国は世界の兵器スーパーマーケット」を見ると、戦争支持国はすべて兵器輸出主要国の上位を占めているのがわかる。今回可決された米国の軍事予算400億ドルは、米国の94年から98年度までの5年間の兵器輸出総額を合計した539億ドルに対して、
400/539・100=74.2%にも昇る。これは年平均額107.8億ドルでは
400/107.8・100=371.06% 、つまり4倍近い額となる。


【 日本の冷戦後 】

a)日本の政界においても冷戦の終結当時、もはや米国の核の傘下は将来的に期待できないことが予想された。もし、米国の一方的な安保条約破棄などによって、米国との政治的関係が消失した場合、安保と憲法をめぐって対立するという、これまでの政党政治体制における主要な基幹が成立しなくなるばかりか、今日の政党そのものの存在意義も問われかねないという危機感が広がった。

つまり日本は、アジア太平洋地域の軍事的緊張という米国の国益−米軍駐留や、米国の戦略防衛システムの定期的な契約−に協力する事で同盟を結び、その見返りに米国の影響力を背景にして、世界に市場を展開してきた訳である。その関係を維持するキー・ワードは、『アジア太平洋地域における軍事的緊張』にあった。

一方、国民の意思によらず日本の政治が変わらないのは、親米派の政治家を米国はCIAを通じ、選挙資金提供などの支援・援助を行ってきたからで、これは日本だけに限らないという(文献21)。日本のあらゆる政党は、米国の意向を忠実に護ることで互いの利権を生み出す『政党政治体制』を維持してきた事がこれでわかる。

個人的に見ても米国に太いパイプをもつことは、カネと権力に結びついた。彼らは争って訪米し、自身を売り込み、実績を重ねる事で人脈や派閥を形成・拡大する。財界の支援を得て党幹部にのし上がり、そして国際的な上流階級の仲間入りを果たそうとするのである(文献13より推察)。
この種の、財界の後押しによって登場する大物有望政治家達は、国民の支持獲得のため、マスコミが強力にバックアップするようだ。

政治家が犯罪を犯しても、検察は彼らを捕らえようとはしない。これはその政治家に与えられた米政権の「対日政策」に障害が生じるためではないか。そうなら、大物政治家ほど、逮捕・起訴される事はないといえる。あるいは司法・検察が、すでに米国の支配下にあるのだろうか。政治家の犯罪は文献22を参照されたい。

日本が日本を護る訳でもない米軍に、その駐留費を支払う理由もまた、こうした政財界の安泰を維持しようとするものだといえる。在日米空軍は、日本の防空警戒システムとのデータ・リンクを行っていない(文献7)。

この支配構造の中で、米国の対日政策が変更されることは、彼らにとって死活問題だったといえよう。米国の将来に向けた孤立化政策が聞こえ始めている中で、日本の政治家は、いきなり独自の政策立案や、経済方策を求められる時代に突入したのである。現在、日米関係の将来は、非常に流動的とみてよい。

こうした背景から冷戦終結当時、日本の政界では自民党が分裂。社会党は55年体制とともに消滅した。しかしその後、旧体制に代わる新体制は当分生まれないことがわかった政界では、夫々の足場確保のため、殆どの政党が事実上、与党にまわった。そして、かれらの有力な支持者である財界の利権確保が第一の優先課題となった。現在666兆円の長期債務(2000年12月20日 東京新聞−夕)は、金融保護と公共事業に費やされたものである。このうち、関係者にはひとりに付き、3〜5%の仲介料が支払われている筈である(文献14、22より推定)。そして、建築部門の労働者には、極端なダンピングが言い渡された。彼らの不況対策とはこのようなものであった。この666兆円の債務は将来、そのまま不良債権化すると見られている。そして、政府は断続的にではあるが、かつての共産圏の脅威を打ち出し、有事法の強化、すなわち米国に対する、この地域における軍事市場の健在をアピールするなど、これまでの米国との関係を維持しようとする動きが今日まで続いている。


b)財界にとっても、冷戦の終結と同時に起ったバブルの崩壊による経済破綻に直面する事となった。しかし後述するように、これが意図的な不況である事は、ほぼ疑いない。金融界が大きな損失をこうむったのは確かに事実のようである。
それにもかかわらず、日本経済の危機というシナリオは実行された。そして、この作り出された不況対策に、かつての占領時代のドッジ・ラインが適用されたのである。すなわち、最初に財界による『価格破壊』が提唱され、国内生産品のさらなるコスト・ダウンが要求された。次に増税、福祉の切り捨て、大型リストラなど、意図的に失業者を増やし、現実の不況を作り出した。それによって、国内生産品の国内での消費を極力抑え、その余剰分を輸出にまわし、外貨をより多く稼ごうとしたのである。事実ここ10年の貿易黒字は世界一を維持し続けている。こうした経済安定化政策、つまり歳出を極限まで抑え、歳入を可能な限り拡大する意図は、日本経済救済のため、政府が巨額の資金を必要としているというシナリオに基づくからで、その根拠には銀行の不良債権があったのは事実であろう。実際、これら銀行への救済資金は財界が拒否。その結果、後に国民の税金となって現われる公的資金によってなされたのだった。これにより金融界を除く財界は、この平成不況というシナリオの下で、さらに巨額の利益を上げたものと推察される。銀行も後のゼロ金利政策によって、現在は巨額の利益を計上しているという。

しかし、実態が明らかにされたとはいえない不良債権は、莫大な公金投入後も、依然として減少する様子はない。文献12によれば、不良債権の正体は、バブル期に銀行が支払能力のない土地開発業者に貸し付けた高額・高金利の膨大な融資と、その担保として抱かえ込んだ、価値のない大量の土地である。土地はバブル崩壊後、下がり続けており、銀行としては直ちに売却したいが、売却すれば含み損が顕在化する。しかし売却しなければ、上昇する見込みのない地価はさらに下がり、損益はさらに拡大する。そして、高めに設定された金利はその間、損益として膨れ上がるのである。さらに銀行の不良債権隠しの帳簿操作が不良債権拡大に拍車をかけた。こうして、銀行はどうする事もできないまま、問題を先送りする結果、不良債権は刻一刻と増加し続けているのである。これが不良債権の減らない理由のようである。

・不良債権、つまり破綻した銀行およびその銀行が担保として抱え込んだ大量の不動産、倒産した企業などは債権売却されるのだが、これらの不良債権は、評価額の5%位で米投機家筋に投げ売りされている。つまり、日本が不良債権を処理すれば米国などの投資家は大儲けできるのである。これが日本政府へ米政府が要求する、「不良債権の速やかな処理」の内容である。

・これと関連するのは、米国を中心とした外資系金融界の日本進出である。日本で開設された米国系銀行は、日本の消費者から資金を集め、それを米国系投資グループに融資する。その投資グループは、日本政府に不良債権の速やかな処理を要求する米国の対日政策により、日本が投げ売りする不良資産を、ただ同然の破格値で買い取る事ができる。つまり、米国は日本の消費者から集めた資金により、日本の資産を手に入れる事ができる。

以上2点は、ビル・トッテンNo.197 「日本の不良債権市場を狙う外国人投資家」より要約したのもである。

【記事の原典】
『ビジネスウィーク』誌(7/27/98号)“The Slowest Fire Sale of Earth"
『デイリーヨミウリ』誌(8/4/98付け)“Bad Loans a Great Opportunity for Investment Adviser”
この記事のURLは、
http://www.ashisuto.co.jp/

あるいは、ほとんどの大手検索サイトから「OW197」で検索できる。

これにより、2001年7月14日時点までの小泉政権の目的はあきらかになる。すなわち、日本は、不良債権処理を進め、さらなる倒産・失業者の増大、不況の深刻化を引き起こしても、アメリカを大儲けさせ、日米関係を強化し、党の生き残りを図ろうとしているのである。
あるいは、さらなる不良債権を発生させ、アメリカに供する事が狙いなのかもしれない。

2001年8月29日付 日経新聞(朝)によれば、小泉首相の掲げる構造改革の道筋を示す改革工程表づくりに28日着手したようだ。これは経済財政諮問委員会議の民間議員、奥田碩トヨタ自動車会長が構造改革実行の「時間軸を明確にする必要がある」として提案した。これは、もはや9月解散説もささやかれ始めた小泉政権に業を煮やした財界が、改革推進に自ら動き出したという事か。


c)80〜90年代の日本のバブルとその崩壊には、ジョージ・ソロスら、米国の投機家グループの関与があったようである。特定銘柄の株および円買いによって、異常な株高と円高を起こし、他の投資家がつられてそれらの株や円を2倍、3倍に引き上げた所で、ある日一斉に売り逃げたのである。この時、彼らの投機以降の円、株価上昇がそのまま彼らの利益になった(文献15)。当時一般人の株式投資参加を新聞・雑誌が盛んにあおっていた事が想起される。

一方、地価の下落は、日本の企業が投機していたから、日本の財界が土地価格操作に関与していたと考えられる。そして、米国と結託した政治家や、財界は、巨額の利益を手にしたのであろう。日本も関与していた90年代東南アジアのバブル崩壊にも、この手口が使われたという(文献15)。

株式市場の大暴落は、地震や台風のような自然現象ではなく、そこに資金があれば株価は投資総額に見合った株価を維持する。大暴落が起るのは、大口取引をする誰かが意図的に大量資金を引き揚げるからである。そのことを誰も明らかにしようとしないのは、それが巨大な欧米財閥グループや、彼らの手先である公的機関だからであろう。近年では光通信、IT関連株の暴落が疑わしい。米国でも未曾有の好景気とあいまって、米国民の株式参加急増をニューズ・ウィーク誌が報じていた。そして2000年4月、NY株式市場の大暴落があったのである。

2000年6月16日、読売新聞(朝刊)の第6面によれば、ニューヨーク五大マフィアがすべて関与していたウォール街巨額詐欺事件が、FBIによって摘発され、120名が一斉検挙された。これは、こうした一連の証券詐欺事件への公的機関の関与が否定されたように見えるが、そうではないだろう。この事件は国家機関、米財界の証券詐欺疑惑を、共存関係にあるマフィアが肩代わりしたものではないか。それは、東南アジア、韓国、日本のバブルとその崩壊が絡んだ、国際的な証券詐欺にしては、被害総額が53億円と、あまりにも小さすぎるのである。

国家とマフィア、この一見理解しがたい組み合わせも軍産体制の産物であった。兵器輸出の取り引きには、習慣的にその国の仲買人が関わってくる。違法取引では特にそうで、彼らはさまざまな手法を巧妙に駆使するが、そうした仲買人はまた、麻薬取引やマフィアとのつながりをもっている。こうして軍事企業と伴に政府・軍・各省庁が兵器セールスに関わる軍産体制の関係者らは、必然的にマフィアとつながっているのである。(文献3−P.399)


d) 歴代の財界人の最も恐れる事態は、労働者の暴動であった(文献13)。同様に日本の政治家が恐れる事は、米国や日本の財界の評価を落とす事で、権力の座を奪われる事であろう。この財閥支配体制による、封建的社会を民主社会に変えようと願う者にとって重要な事は、対立する政党に一票を投じる事ではない。それは、有権者が与党支持であれ、野党支持であれ、そこには国民自ら問題に当たる事を拒絶し、『おまかせ政治』に徹する以外の選択肢は存在しないからである。このような政治体制は『寡頭政治』と呼ばれる。日本は憲法では民主国家であると唱われているが、実際は行政が経済や文化を規制する社会主義国家といえる(文献15)。

米国では共和党と民主党という二大政党の政策競争によって健全な政治社会が達成されているといわれているが、実際は両政党にロックフェラー財団が深く関与しており、米政策に強く影響を与えているのである。国家にとっても与党政党が代わるたびに、国内外の政策が180度逆転するのは好ましくないといえる(文献15)。同様の事が日本にもいえた。国民が対立するさまざまな政党に注目し、選挙による支持政党の勝敗に一喜一憂している間は、国を牛耳る張本人らは安泰なのである。つまり、どの政党を支持するにせよ、それは今日の政党政治体制を支持する事になり、これまでの社会体制をますます強固なものにするという仕組みになっている。

彼ら支配者側の人間に共通している事は、国民や労働者をつねに予測可能な管理体制の中に置こうとする事である。海外にはそのために専門の公的研究機関が設けられているといわれ、日本には先に述べた『三宝会』が、実行機関として類似している。これはその規模からいっても、取るに足らない一部分にすぎないものと思われるが、日常的に機能する、なかば公的な情報機関の存在が、公文書によって証明された貴重な事実といえる。

権力が恐れるものの、いまひとつは、国民の教育レベル向上である。今日の教育荒廃は、米国や日本の政財界の意図による可能性を指摘する文献も存在している。


e)今日の核技術に対する見解では、その危険性が生む安全管理面での莫大なコスト高と、汚染のない完全な環境保全は、とうてい不可能な現実が明らかにされつつある。いま、世界中の原発周辺では、白血病患者が増加しているのである。そのため、世界的に核技術は撤廃される傾向にある中で、日本はこれまでに何兆円もかけた原発推進政策の続行を堅持している。その中で、1999年9月、東海村のJCO臨海事故が発生。米国から核武装疑惑をもたれている中で、町工場なみのずさんな核管理体制を露呈しながら、核兵器原料であるプルトニウムの強引な備蓄政策、プル・サーマル計画を死守しようとしているのである。現在、日本のプルトニウム保有総量は25トンにも達し、これは長崎型原爆3125発分に相当する。

先のJCO臨海事故の特徴は、中性子の拡散にある。これは体外被爆よりも、中性子によって体内の血液(ナトリウム)、骨(リン)などが放射性物質に変化するために起る体内被爆に問題があり、早期の症状は現われないが長期にわたって確実に被爆者の健康や脳神経をむしばむ結果、この事故の実態は5〜20年後まで顕在化しない事が予想される。体内被爆は放射性物質が対外へ排出されるまで長期にわたって続き、その間、被爆者は全身崩壊(主に若年死、ガン化)や、遺伝子変異(子孫の奇形、精神・身体障害)から逃れる術はない。そして、発病までの期間が長いため、発症の現われた因果関係を立証することは困難である(文献20より推定)


f)2001年8月21日付 日経新聞(朝)によれば、アメリカの巨大軍事企業のひとつである米ボーイング社は、日本の三菱重工業、川崎重工業、富士重工業3社に対し、次世代超音速旅客機(SST)の技術を提供する方針を固めた。その目的には「高速化に必要な技術を与え、付加価値の高い主要構造部分の開発担当につなげる」とされている。

この記事から予測できるのは世界の軍産体制を維持するため、日本が軍事面でより大きな地位を占めてゆくのではないかという事である。
事実、日本の自衛隊航空機は70年代において既に、ロッキード社に発注されたスター・ファイター230機のほとんどを三菱重工が国内でライセンス生産しており(文献3−P.291)、製造コストの削減が図られていたのである。近年、企業にとって開発費は大きな負担となっており、兵器開発は特にその傾向が強い。軍事技術への転用が可能と思われる、このような技術委譲は今後、軍事面における開発コストの分散化を図るため、日本の産業構造に深く関与して行く恐れがある。教科書問題や天皇の戦争責任問題に目を奪われている間にも、確実に浸透してゆく日本産業の軍事化に対し、我々市民は警戒の目を向けてゆく必要があるだろう。冷戦が終結したいま、世界の軍需産業こそが大幅に削減されるべきなのである。

未解決問題−大量殺戮に関する考察

20世紀、世界中で起った大量殺戮のその不可解な目的は、今日でも明らかにされていない。戦争の起因が軍需産業の保護にあるのもひとつだが、この問題で考えられるひとつの可能性には、国際社会の場で断続的に議論されている世界人口の過密化があるかもしれない。一説によれば、世界人口の指数関数的増加が、食料供給能力を超えるとき、人類の破滅が訪れるという。

かつて、日本の支配者らは、『日本国民をもって他の民族に優越せる民族にして、延(ひ)いて世界を支配すべき運命を有す』(文献5)と宣言し、第二次大戦に突入していった。今日のわれわれにとって、この宣言はいかにも稚拙なものにしか見えないが、その真意が自国民を含めた世界人口の可能な限りの削減と、財界の軍需利権獲得にあったとすれば、当時の日本軍および指導者層の不可解な行動はこれで説明がつく。
日本の対米英戦争は、勝つための戦争ではなかったのではないかという疑惑は、その理由が立証できないにしても、一般にもっと明確に指摘されてよい。太平洋戦争における日本の行動には、米英国への協力と見なせる事実がいくつもある。

大量殺戮が、ある種の目的をもって組織的に起こされ、それによってたとえば、世界戦争が起るとすれば、われわれ一般人には全く知らされていない歴史上の重大な真相が存在するという事になる。そう思わせるほど、第二次大戦から冷戦期にかけて、こんにち民族浄化と説明される意味不明な大量殺戮が頻繁に起きたのだった。しかし近代世界史の解明には、さらに第一次大戦史へさかのぼる必要があろう。歴史に残された痕跡は、まだ隠された多くの事実があることを、われわれに示唆している。


あとがき

冷戦が偽装された対立だったのではないかという疑惑を最初に提示したのは、1993年に文献4を発表した、翻訳・解説者である広瀬 隆氏であった。この戦後史仮説は、それにもとづいて私なりの再調査を行ったものにすぎない。広瀬氏の分析法は各国要人の血統をたどるユニークな着想によって、冷戦体制の疑惑解明という困難な調査を行った事をここに敬意を持って記しておきたい。偽装された対立という巨大な冷戦の実態調査は、公文書調査による通常の社会学的手法では、今日でも困難な作業であるといえる。彼は、そのひとつとして、かつて反共の先頭に立っていたR.ニクソンが、旧ソ連のシベリア核物理学研究所所長ロアルド・サグデエフと血縁関係にある事を突き止めている。
その後、冷戦体制の軍事的側面および経済的側面から、冷戦は偽装であった事をいくつかの文献が示唆している。このホーム・ページはそれらの文献とその独自調査を紹介する私の意図も含んでいる。

このホーム・ページはまだ完成されたものではなく、証言や新事実を追加してゆくつもりである。表題の日付が変更されていれば、いくつかの補足があったことを意味する。

かつて、物理学者A・アインシュタインの善意を欺き、『宇宙の力』と呼ばれた核の巨大な利権を手に入れようと策謀を繰り返した欧米巨大財閥グループは、天文学的な投資と、放射性物質取り扱いに関する安全基準確立のため、ハーバード、MITやカリフォルニア大学病院など、公的な教育・福祉施設を利用して、米国内だけで数万人といわれている、貧しい人々、知恵遅れの子供らを使った人体実験を大規模かつ長期にわたって行ったあげく、もはや核技術を放り出す以外にないという結末を迎えつつある。1994年の米会計検査院報告によれば、放射性物質以外の神経ガスなども含めれば、1940年から74年にかけて数十万人の米国民が人体実験の犠牲になったという(文献20)。

この50年という世界の歴史はまさに、現代の壮大な寓話そのものであったといえよう。しかし、世界がその後、和平への道を探るはずであった冷戦終結の本当の理由が、軍事市場への供給過多にあったと結論するには、まだ疑問が残るのである。

* ご意見,情報提供など、ご教示をお待ちしています。

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[ 参考文献(年代順)および公文書資料 ]


1.アメリカ合衆国原子力委員会、国防省、ロス・アラモス研究所 「原子兵器の効果」 科学新興社 1951年

2.山極 晃、立花誠逸、岡田良之助 訳編 「資料マンハッタン計画」 大月書店 1993年

3.アンソニー・サンプソン「新版 兵器市場」 TBSブリタニカ 1993年

4.アルバカーキー・トリビューン編 「マンハッタン計画−プルトニウム人体実験」 小学館 1994年

5.ハワード・B・ショーンバーガー 「占領 1945−1952」 時事通信社 1994年

6.マイケル・ノルドレッド 「円バブルの崩壊」 講談社 1995年

7.G.デイビス/J.ロバーツ 「軍隊なき占領」 新潮社 1996年

8.野木 恵一 「図解 軍需産業を見る」 同文書院 1997年

9.ゴードン・A・クレイグ/アレキサンダー・L・ジョージ「軍事力と現代外交」有斐閣1997年

10.西川 純子 編 「冷戦後のアメリカ軍需産業」日本経済評論社 1997年

11.「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」日米安全保証協議委員会1997年9月23日版

12.グループ21「不良債権の正体」講談社 1998年

13.ネルソン・アルドリッチ「アメリカ上流階級はこうして作られる」 朝日新聞社 1999年

14.共同通信社社会部 編「沈黙のファイル」新潮文庫 1999年

15.広瀬 隆「アメリカの経済支配者たち」集英社新書 1999年

16.57−02 CIA−1“CIA Research Report”国立国会図書館 憲政資料室 所蔵

17.「平成9年10月31日 第141回国会 衆議院予算委員会議録」国立国会図書館 法令議会資料室 所蔵

18.歴史学研究会 編「日本史年表」増補版 岩波書店 1999年

19.ウィリアム・バー「キッシンジャー[最高機密]会話録」毎日新聞社 1999年

20.アイリーン・ウェルサム「プルトニウム・ファイル」翔泳社 2000年

21.春名 幹男「秘密のファイル−CIAの対日工作」共同通信社 2000年

22.黒田 清、大谷昭宏 「権力犯罪」旬報社 2000年

23.A.L.サッチャー「殺戮の世界史」祥伝社 2000年