場面10 岸内閣が安保強行採決。

 (最新見直し2007.7.18日)

 これより前は「安保闘争坩堝と化していく」に記す。

【自民党が安保強行採決。全学連が”非常事態宣言”発令】
れんだいこ  いよいよ安保闘争のハイライト局面になります。
 5.19日、政府と自民党は、安保自然成立を狙って、清瀬一郎衆院議長の指揮で警官隊を導入して本会議を開き、会期延長を議決した。社会党議員をゴボウ抜きにして、深夜から20日未明過ぎにかけて新条約を強行採決した。採決に加わった自民党議員は233名、過半数をわずか5名上回る数で、本会議に於ける審議は14分という自民党のファッショ的暴挙であった。

 この採決には、社会・民社・共産各党が加わっておらず、与党の三派(石橋、三木、河野)も加わっていない中で行われた。この時自民党は警官隊の他松葉会などの暴力団を院内に導入していた。
 この時、社会党、共産党、国民会議は、国会周辺を取り巻く万余のデモ隊に知らせていない。5.20日零時30分過ぎデモ隊は三度第一議員会館前に終結したが、デモ隊の中から「会期は延長されたし、新安保も通ったというのに、なぜ知らせないのだ」と非難の声があがっている。

 暫く後社会党書記長江田、委員長鈴木、共産党の野坂らがやってきて、民主政治の大切さ、安保条約の通過を認めないなど分けのわかりにくい説明をし始め、「明日からの闘争に備えての解散」を呼びかけている。デモ隊はこれを聞かず午前3時30分まで国会前に座り込み、最後まで残った労学5000名余は国会周辺で警官隊と小競り合いしながらジグザグ.デモを繰り返した。
ト書き  この経過が報ぜられるに連れて「岸のやり方はひどい」、「採決は無効だ」、「国会を解散せよ」という一般大衆にまで及ぶ憤激を呼び、この機を境にそれまでデモに参加したことのない者までが一挙に隊列に加わり始めた。
れんだいこ  パチンコしていた連中までが打ち止めてデモに参加したとも云われていますね。
再来生田  「岸内閣打倒」、「国会解散」のスローガンが急速に大衆化した。夕刻から労・学2万人が国会包囲デモを貫徹した。丸山眞男寄稿中央公論「8.15と5.19」が、当日の様子を次のように伝えています。
 「18日の夕方から文字通りハチ切れそうに膨れ上がった国会周辺の人波、シュプレヒコールの交錯、その向こうに黒潮のように延々と連なる座り込みの学生達云々」。
 この日を皮切りに、これより1ヶ月間デモ隊が連日国会を取り囲み、「新安保条約批准阻止・内閣退陣・国会解散」のためのみぞうの全国的な国民闘争が展開していくことになった。
れんだいこ  こうした流れにつ いて、ブントも読み誤ったようですね。川上氏「学生運動」に拠れば、全学連中執は、5.19日の晩の新安保条約批准の報を知るや「安保敗北宣言」を出しているとのことです。早稲田大学新聞5.25日号一面トップの見出しは、「新安保、何が通過を許したか」、「安保闘争の挫折と国民会議の歩んだ道」、「挫折は戦後労働運動指導の集大成」、「今こそ指導層の告発を」となっており、「敗北」感が色濃く打ち出されています。
**氏  こうした首都東京の「敗北の早さ」に対して、「いつも半年から一年遅れて力を出すが、みじめに失敗する」(大島渚の談)京都では引き続きの闘争をアピールしている。
れんだいこ  安保闘争後の総括にも同様の現象が現れますが、敗北感に沈み込む東京と、粘り強さを見せる京都とが違いを見せることになります。
再来生田  ところが、まさにこの時より事態は大きく流動化し、「労働運動指導部が、民主主義擁護と国会解散を掲げて、大きくプロレタリア大衆を動かし出した」。ブントにとっても「事態の後に追いついていくのが精一杯」という意想外のうねりをもたらしました。
 5.6月に入るや知識人・学者・文化人らの動きも注目された。5.20日、九大の教授、助教授86名が政府与党の強行採決に反対して国会解散要求声明を発表した。大学教授団によるこの種の声明が全国各地で相次いだ。竹内好・鶴見俊輔らは政府に抗議して大学教授を辞任した。
れんだいこ  これらの知識人の呼応は「民主主義」を守る立場からのものであり、全学連主流派の呼号する「安保粉砕.日帝打倒」とは趣の違うものであったが、こうして闘争が相乗する流動局面が生まれて行くことになりました。
 5.20日、全学連、全国スト闘争、国会包囲デモに2万人結集。全自連も1万3000名を集めデモをしております。ブント系全学連主流派は7000名を結集し、抗議集会後渦巻きデモに移った。
再来生田  「全学連の清水書記長が首相官邸と自民党へ果敢なデモを行おう」と提案し、歓呼の声をあげながらそのまま駆け足で首相官邸へ向かった。アワをくった警官隊が門を閉めようとしたが、300人ほどが首相官邸中庭に入り込んだ。武装警官隊の排除が始ったが、この時の乱闘で8名の学生が逮捕され、26名が病院に担ぎ込まれ、40名が負傷している。これが官邸襲撃事件といわれるものです。

 「60年安保とブントを読む」の中で、多田靖が次のように証言しております。
 「5.20の闘争では清水を失っている。各学校のカードルの損害も次第に増えている。学生大衆の高揚とカードルの力は、負の相関をなしていた。島の方針は、4.26のようには貫徹できない状況があった。特に清水書記長の逮捕が大きな痛手であった」。
れんだいこ  ブントはこの頃満身創痍ですね。しかし情況は却って盛り上がる。
 しかし、この果敢な闘争が全学連主流派の志気を高めることにはならなかった。この頃既に全学連主流派内に分裂が起こっており、統一的な戦術指導がなしえていなかったことに起因している。
 「5.20安保強行採決を境に、日本の政治は戦後最大の山場にさしかかった。潮が上げ、出来合いのあらゆる潮流を越え、押し寄せる時、この既成潮流を叩き潰すためにこそ誕生したブントも、潮そのもののなかで辛うじて大衆と共に浮沈する存在でしかなくなっていた。統一など既になかった」(島「文集」)。
れんだいこ  剣が峰に乗り上がった格好ですね。
 5.21日、地方代表約1万名が首相官邸包囲デモ。全学連1万名、都自連1万5000名がそれぞれデモ。

 5.26日、安保改定阻止国民会議第16次抗議デモ、17万余が国会包囲デモ、空前の国会包囲デモとなる。全国で200万の大衆が一斉に行動を起している。
 この時の国会包囲デモの様子を朝日新聞が次のように伝えております。
 「デモ隊は果てしなく続き、林立する赤旗、プラカードの数は刻々と増えていった。‐‐‐どの道も身動きできない有様であった」。
**氏  全学連デモ隊は激しくジグザグ.デモを繰り返す中で、社共の議員や幹部は閲兵将軍のように高いところから「アリガトウゴザイマス、ゴクローサンデス」と繰り返していた。
れんだいこ  この夜、NHKはデモの実況とともに、共産党書記長宮顕の次のようなコメントを報じています。
 「今のところデモは整然と遣っているけれども、行き過ぎの行動の起こる恐れがあるので、そういうことのないように努力している。デモは恐らく整然と終わるだろう」。

 こうした最中5.31日、日共常任幹部会は、「国会を解散し、選挙は岸一派を除く全議会勢力の選挙管理内閣で行え」声明を発表、何とかして議会闘争の枠内に引き戻そうとさえ努力している形跡がある。
**氏  −−−−−
れんだいこ  これに対して社会党のほうが闘争態勢に突入します。6.1日、社会党代議士が 議員総辞職の方針を決定、同時に第一次公認候補者を発表しております。
 吉本隆明らは6月行動委員会を組織、全学連・ブントと行動を共にした。日高六郎.丸山真男らも立ち上がった。
ト書き  「アンポ ハン タイ」の声は子供達の遊びの中でも叫ばれるようになった。
れんだいこ  他方、児玉誉士夫らは急ごしらえの右翼暴力組織をつくり、別働隊として全学連を襲う計画で軍事教練を行ない始めた。
 ブントは、あらゆる手段を用いて国会突入を目指し、 無期限の座り込みを勝ち取る方針のもと、大衆的には北小路敏全学連委員長代理をデモの総指揮にあて、他方ブント精鋭隊は特別行動隊を結成した。 他国会突入のための技術準備も秘かに進めた。
再来生田

 6.3日、全学連9000名が首相官邸に突入。学生たちはロープで鉄の門を引き倒して官邸の中に入り、装甲車を引きずり出した。警官隊がトラックで襲ってくるや全面ガラスに丸太を突っ込んで警官隊を遁走させている。乱闘は6時過ぎまで繰り返され、13名の学生が逮捕、16名が救急車送りとなった。警官隊の負傷93名と発表された。これが首相官邸突入闘争といわれるものである。

 6.4日、第17次統一行動は国鉄労働者を中心に全国で560万人が参加 し、安保改定阻止の政治ストライキを打った。総評は、全国的に1時間の政治ゼネストを決行した。全学連3500名が国会デモ。


 これより後は「日共主導によるハガチー闘争考」に記す。





(私論.私見)