戦後憲法検証

  更新日/2017(平成29).4.26日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、戦後憲法を検証しておく。政治局面は日増しに反動的方向へ流動化させられつつある。70年代の政治的経験を持つれんだいこには、この逆流が信じられないが、まさ夢になりつつある。一体、左派は何をしてるのか、れんだいこ自身にも鞭打って一喝されねばならない。

 
右派の改憲運動が次第に認知されつつあるが、それは左派の変調さと無能さによるジリ貧化により促進されているのではなかろうか。戦後日本の奇特性、そこから生み出された戦後憲法の特殊な質を認識しない愚昧さが通底しており、これが為、護憲運動を理論化し得ていないのではなかろうか。自主憲法制定論の内実は戦後憲法レイプ運動であり、これと攻勢的に闘うことが求められているにも関わらず駄弁運動に終始し過ぎているのではなかろうか。

 2001年4月末、小泉政権が誕生し、公の席であったかどうかはっきりしないが首相公選制を通じて憲法改正の先鞭をつけると宣言するにいたっている。興味深いことはマスコミ論調の変遷であり、かっての「危険な反動策動論」はすっかり影を潜め、今では止む無し論から一歩進んで当然論で後押ししようとしているやに見受けられる。

 
大東亜戦争の総括もそうであるが、この戦後憲法の評価についても総合的に為されているようには思われない。在るのは、非弁証的な右派の「占領下の押し付け憲法」論と左派の「絶対護持」論の云いっ放しである。少し違うのは、大東亜戦争については右派の見直し論が精力的であり、逆に戦後憲法については左派の方が熱心ということかと思われる。もっとも70年代の感覚で云えばそうであったという程度のことであるが。

 
れんだいこは、戦後憲法の内実の思想に言及せずのまま何でもかんでも民主的を付ければ用が足りている既成サヨ勢力の擁護論が、却って憲法の空洞化を促すことを危惧している。戦後憲法の意義について独特かもしれない観点を添えながら、以下順次考察していきたい。とはいえ、まだまだ未完です。


 2004.2.11日再編集 れんだいこ拝


関連サイト 戦後政治史検証 戦後民主主義考 戦後政治論
在地型社会主義の研究 大東亜戦争を問う

目次

憲法とは何か考
戦後憲法体制賛辞論、護憲の論理考その1
戦後憲法体制賛辞論、護憲の論理考その2
戦後憲法体制賛辞論、護憲の論理考その3
戦後憲法前文と9条の論理構造考その1
戦後憲法前文と9条の論理構造考その2
護憲改憲両派の議論の陥穽考
れんだいこの日本国憲法和本・英訳同時併載文
別章【方言憲法考
改憲阻止の戦略戦術考

戦後憲法の制定過程について(一)経過
戦後憲法の制定過程について(ニ)GHQ案の検証
補足1・憲法研究会の「憲法草案要綱」の検証
補足2・憲法草案に関与したGHQ側要員の証言考
補足3・日本共産党の憲法草案考
補足4・五日市憲法草案考
別章【憲法9条考
戦後天皇制=「天皇象徴制」の位置付けについて
れんだいこの天皇制考
戦後民主制=「主権在民制」、「議院内閣制」、「政教分離」について
戦後内閣制=内閣一体制について
「基本的人権」について
「地方自治」について
「財政民主主義」について
「裁判官の独立性」について
大臣の文民規定について
99条の「行政当局者の憲法遵守義務規定」考
硬性憲法について
文部省発行「新しい憲法のはなし」
憲法論争史について
憲法改定論とその論争史について
改憲派の言説と動向について
倉山満の政論に対するれんだいこ批判
憲法論議の中身について
読売試案考
渡辺治の珍論考
三島由紀夫の憲法改正草案考
不破系日共に憲法改正批判の資格があるのか。
ワイマール憲法について
関連著作本
インターネットサイト




(私論.私見)

 <憲法第31条の解釈について>
 元最高裁判事であり憲法学をリードしてきた憲法学者の伊藤正己氏の書いた「憲法」伊藤正己著 第三版 弘文堂329ページに以下の記述がある。(この箇所は憲法第31条について述べたものである。)

 「手続き的保障の意義」
 以下にみるように、憲法は、とくに人身の自由にかかわる手続きについて詳しい規定をおいている。それは国家が勝手気ままに自由を制限することを防止するためには、制限の手続きをあらかじめはっきり定めておく必要があるという、歴史的体験から得られた考え方による。アメリカの偉大な法律家の一人、フランクファーターは、「人間の自由の歴史は、その多くが手続き的保障の遵守の歴史である」と語ったが、その言葉は手続き的保障の意義をよく表している。日本国憲法は、31条で手続き的保障の原則を定め、さらに刑事手続きに関する詳しい規定を設けている。国家が刑罰権をもち、その発動の過程で人々の自由が侵害、制限されるのであるから、手続き的保障が刑事手続きについて重視されるのは当然である。しかし現代国家は、刑罰権の発動だけでなく、行政権行使の過程で、国民生活と多様な関わりを持つようになっており、そこでは刑事手続きの保障とは程度の差はあっても、それにおけると同じ趣旨が生かされるべきであるという要請が存在している。

適法手続き
(1) 法律の定める手続き

「法律の定める手続き」という言葉には広い意味がこめられている。

すなわち、人権制約の手続きだけでなく、実体も法律で定められること、および

人権制約の内容が手続きと実体の両面にわたって適正でなければならないことである。

このように理解するのは、31条が、刑事裁判上の規定としての役割だけでなく

人身の自由全体、さらに人権保障全体にかかわる原則を定めたものととらえることによ

る。この原則を適法手続きの原則とか法廷手続きの原則と呼ぶ。

この原則は、個別の自由や権利の保障規定にも生かされているが、

それらの規定によってとらえることのできない問題―たとえば後述の告知、

聴聞の手続き―が生じたとき31条の原則のもとで処理されることになる。

またこの原則が広い内容を対象としていることから、

31条の「生命」「自由」「刑罰」といった文言についても

刑事法上の狭い意味に限ることなく、広く国家権力による国民の自由や

権利への侵害・制約についても適用されると理解される。

たとえば、財産権への制約や、少年法による保護処分、

伝染病予防法による強制処分のほか、後述のように行政手続き上の諸問題

についても

適用の対象として考えてよい。

334ページ
行政手続きの適正
適法手続きの原則は「法の支配」の原則からみて、

行政手続きに対しても及ぶと解される(後略)

○この「憲法」伊藤正己著から
わかることは
憲法第31条は、刑法に限らず、行政手続きにも原則適用されるべきであること

である。
そして憲法第31条の立法趣旨は、歴史上の権力の恣意的な横暴から

人々を守ることであり、法律の内容が適正であることと、

法律にしたがった適正な手続きの保障が重要であることである。

これは当然、法律を定める権限をもつ国会議員を選出する選挙自体も

「適正な手続き」の保障を求めているものと解される。

なぜなら根本にある選挙が恣意的なものであれば

憲法及び法律はまったく根本から成り立たないからである。

いわば、選挙において「適正な手続き」が保障されることを

前提とした立法趣旨である。

憲法および法律はあくまでも

国民主権を反映する

「選挙」の過程が、きちんとした手続きによってなされる保障が

存在した上でのものである。

もし、選挙において「適正な手続き」が保障されず、

権力者にとって恣意的なことのできる選挙であれば。

その立法過程において、国民主権を反映しない立法や

罪刑法定主義を無視した刑法、また人権無視の憲法改悪を強行しようとする政権が

生まれるであろう。

であるから、国民主権の原理をさだめ、人権の保障をうたった

憲法前文および憲法13条「基本的人権の尊重」からも

「選挙における適正な手続き」はもとめられており、

それは憲法第31条の立法趣旨にあると解されるべきである。

<民事訴訟法の川嶋四郎氏の憲法第31条の解釈>
1千ページある大著の
「民事訴訟法」日本評論社の川嶋四郎氏も
憲法第31条が刑法に限らず、行政の手続きに適用されるべきであることを
述べている。
以下は「民事訴訟法」川嶋四郎著 日本評論社 19ページ、20ページより引用
「日本では、憲法第31条が「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科されない。」と規定し、すでに適正手続き(デユープロセス due
Process)(アメリカ合衆国憲法修正14条一項等を参照)を明示的に保障していることから、
そのような実体的法規範の解釈の可能性を探求する方向性を採用することのほうが、むしろ、日本法内在的であり示唆的かつ説得的ではないかと考えられる。そこで本書ではB説(注憲法第31条を
刑事手続きだけにとどまらず、一定の行政手続き、民事訴訟法手続きなどにも適用すべきであるという説)
その根拠は以下の通りである。
まず
1 適正手続き(デユープロセス)の保障は、多くの近代国家における自明の憲法上の手続き原理であり、社会権まで周到に規定する日本国憲法が、民事裁判の局面に関するその規定を欠くとは
考えられないこと。

2憲法第31条の規定は、特に戦前における不幸な刑事裁判の歴史に鑑みて
(注 に照らして)そのような文言に仕上げられたと推測されること。

3憲法第32条(注裁判を受ける権利)が、刑事訴訟だけではなく、民事訴訟にも適用があることには異論がないが、憲法第31条の規定の位置から、立法者が、憲法第32条の前に刑事手続きにしか適用のない規定を置いたとは体系的に見て考えられないこと。