田中清玄

 (最新見直し2008.1.22日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 戦前の一時期の共産党委員長であった田中清玄氏の人となりを追うことはとても楽しい。れんだいこ観によれば、あたかも宮顕と対極的である様ばかりが見えてくる。現在の如く脳軟化させられた連中の視点からは見えてこないことだけれども、破天荒なまさに傑物であろう。出獄後の清玄氏の軌跡は、修羅場をくぐりぬけた者にしか見えてこない独特の感性と警戒心を持ちながらの古武士然とした迫力で、世界を股に奔走していくことになる。その様は、一時期でも共産党の委員長を立派に務めた者がその能力を他の分野に廻したらどれだけのことが出来るのか、の良い例証となっている。

 だがしかし、こうした面貌を持つ田中清玄氏は、戦後党運動史上宮廷革命を通じて権力を握った宮顕党中央からことごとく「職業的な反共スパイ田中清玄」と中傷されてきた。60年安保闘争期における反代々木系ブント運動に資金提供していた史実がそう云わせて来たのだが、その後の左派運動は、この宮顕ペテン論理に汚染されたまま今日に至っているように見える。れんだいこに云わせれば、真性スパイ派の宮顕派が、本来評価に値する人物をスパイ呼ばわりしてその価値を減じようとして左派運動に混乱の種を植え付けている策略ということになる。我々は心せねばならない。この眼力貧困も又脱却せねばならない課題であるように思える。

 例の「唐牛問題考」(「歪んだ青春−全学連闘士のその後」については次のように考えるのが正しい。清玄氏は若き頃の自身の武装共産党時代の姿(カリカチュア)を60年安保闘争期におけるブントに見たのであり、氏がその時点で民族派国際的政商として位置していたとしても、ブントが清玄氏の資金提供を断らねばならない理由がどこにあろうか。もしあるとするなら、ヒモ付き工作資金であったかどうかであろうがそういう形跡は無い。むしろ、清玄氏は終始、欲得あるいは何らかの思惑抜きの人情味で対していたのではなかろうか。そこには双方卑下することは何も無い。

 しかし、宮顕党中央はブントのいかがわしさをフレームアップせんとして、「右翼の大物」田中清玄から金を貰っていた云々の一点張りで批判していった。しかしそれは、あまりにもくだらない為にする批判ではなかったか。この論法を通用せしめるには、あまりにも無知な大衆が前提となる。宮顕党中央は平素より極力党史を学ばせない。どうしても学ぶ者には手前勝手な観点で染め上げた私物化的党史を呈示している。そういう事情で、党史を知る者も知らない者もいずれにせよ痴呆水準に止まらざるを得ない。

 もし宮顕が「右翼の大物・田中清玄」なるプロパガンダするのなら、清玄氏がかって日本共産党のれっきとした最高指導者であったという経歴から説き起こし、民族派国際的政商と化していった過程をもワンセットで明らかにしておくべきであろう。我々は、愚民論法で「右翼の大物」呼ばわりしていった宮顕の心情の愚劣さを見るべきではなかろうか。こういうやり方は宮顕論法の典型でもあり、我々は逸早くこの種の汚染から抜け出さねばならない。

 2004.4.25日再編集 れんだいこ拝


目次

田中清玄の履歴(プロフィール)
武装共産党委員長時代の足跡
被逮捕時の拷問の様子
獄中転向時の経緯、山本玄峰老師との関り
戦後の足跡
王子製紙争議に対する介入考
60年安保検証1、ブントに対する支援活動
(Re「唐牛問題考」(「歪んだ青春−全学連闘士のその後」
田中清玄「武装テロと母 全学連指導者諸君に訴える」考
田中清玄人脈考
60年安保検証2、清玄派対児玉派の対峙
田中清玄の言行録
田中清玄の人物評
歴代首相との交わりの様子
インターネットサイト
情報ストック 参考文献




(私論.私見)