中川昭一変死事件

 更新日/2017.4.21日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 2009(平成21).10.3日、中川昭一が変死した。これを確認しておく。

 2007.5.11日 れんだいこ拝


【中川昭一変死事件】
 中川昭一(なかがわ しょういち、1953年(昭和28年)7月19日 ‐ 2009年(平成21年)10月3日)は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員。位階勲章は正三位旭日大綬章。称号(学位)は法学士(東京大学)。北海道5区、小選挙区比例代表並立制導入後は北海道11区から選出され、2009年に落選するまで連続8期、衆議院議員を務めた。その間、農林水産大臣、経済産業大臣、財務大臣、内閣府特命担当大臣(金融担当)を歴任したほか、党三役では自民党政務調査会長を務めた。また、超党派の北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟会長、日本会議相談役を務めた。元衆議院議員の中川一郎は父、中川の跡を引き継いで2012年に衆議院議員になった中川郁子は妻。

 2009(平成21).10月4日、東京都世田谷区の私邸2階の寝室で倒れているところを、郁子夫人によって発見された。東京消防庁による救急搬送先で死亡が確認されたが、実際の死亡日時は発見前日の10月3日と推測されている。死因について、その後遺族は弔問客に急性心筋梗塞と説明していたとされるが、実際の死因の特定は行政解剖の結果待ちとなった。死因は、睡眠薬とアルコールの同時摂取。実際はCIAに殺害されたと言われている。同月27日、新たに発足した鳩山由紀夫内閣の閣議において、中川に対する正三位および旭日大綬章の追贈を決定したが、その授与は同年10月3日付とされた。

 産経新聞と十勝毎日新聞は特集記事を組み、中川の死を悼んだ。 法名は「青邦院釋昭尊」。郁子夫人と長女が「清い政治を貫いた」との意味を込めて命名、鎌倉の高僧の承諾を受けた。 通夜と告別式は2009年(平成21年)10月8日・9日に東京都港区元麻布の麻布山善福寺にて自民党と中川家の合同葬として執り行われ、元首相・安倍晋三、前首相・麻生太郎、当時の首相・鳩山由紀夫等多くの政界関係者も参列した。「天皇陛下より勅使が午前九時半に訪れ、“祭粢料(さいしりょう)”が届きました」と、アナウンスがあり祭壇中央に、飾られていた。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E6%98%AD%E4%B8%80#.E6.80.A5.E6.AD.BB
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK76」の 純一氏の2009.12.28日付け投稿 「中川昭一の怪死 「越前屋おぬしも悪よのー」(zchmopさんのブログ)」を転載しておく。
 かって米国債の売却を口にしていた前閣僚 中川昭一氏が謎の死を遂げた。あのG7酩酊会見の醜態をさらし引責辞任をして間もなく突然の出来事であった。その背景には何か隠された謀略があったという疑いがぬぐえない。これを追及すればまた犠牲者が生まれることになるのか、再度考えてみたい。

 (以下、転載)

 http://ameblo.jp/zchmop/entry-10421123971.html

 G7酩酊会見の後 中川昭一が亡くなった謎だらけの怪死?

 会見前日、中川昭一と同席したメンバー。読売新聞経済部記者・越前屋知子、日本テレビ・原聡子記者、ブルームバーグ・下土井京子記者。その夜、越前屋知子はロイターの記者に伝えている。「明日の会見、面白いことになるわよ」。そして、幕は開き、「あの~、オバマが、あの~、…」。この瞬間が日本の信頼失墜が始まる。その後、越前屋知子はG7関連の記事を詳述し一躍、脚光を浴びる。読売新聞東京本社編集室経済部所属。中川昭一の会見について、陰謀説あり。「薬を盛られたのではないか?」。真実は闇のなか。ただ、読売新聞サイドは、越前屋知子の情報をインターネットから削除しまくっている。そして、中川昭一は消えた。否、消された。いくら酒好きとはいえ、国際会議の席であのような醜態を晒すことが出来ようか?

 越前屋知子の発言「明日の会見、面白いことになるわよ」。読売新聞は、一体いつから、諜報機関になったのか?越前屋知子は、とある政治家の愛人との噂あり。読売新聞、財務官僚に国益を語る資格は認められない。越前屋知子の名前を頭に刻め!CIAの犬、読売新聞は購読すべからず!常軌を逸したマスコミは、小泉、竹中とともに裁かれる!正義と真実は、いつの時代においても、的確な時期に、悪を炙り出してきた。「越前屋、おぬしも悪よのー」。今頃は、衆目を避け、どこかで息を殺して潜んでいる越前屋よ、出てきて事実を語れ!君は、子供に対して、人間をどう語っているのか?人を嵌めて、平然としている阿漕な勢力を一掃するために、越前屋知子を殺人幇助、国家侮辱罪で摘発し、真実を暴け!  

(私論.私見)

 「読売新聞記者・越前屋知子、日本テレビ・原聡子記者、ブルームバーグ・下土井京子記者」のその後を追跡せねばならない。「読売CIAの越前谷智子、ブルームバーグ・下土井京子記者玉木林太郎・財務省国際局長、篠原尚之・ 国際通貨基金副専務理事」が四人組である。

 ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK90」の明るい憂国の士 氏の2010.7.8日付け投稿「アメリカに従う者は必ず報われる。しかし逆らえば・・・ (世界の真実の姿を求めて!)」を転載する。
 http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-1011.html
 2010-07-07

 アメリカに従う者は必ず報われる。しかし逆らえば・・・ 

 参議院選挙にはアメリカが関わっている。アメリカの為に動いた人間は報われ、逆らう者には罰が下される。16年半におよぶ米国組織の経験から、彼らは常に極めて律儀に論功行賞人事を実践します。これだけは感心するほど。それだけに、その逆に期待に沿わなかったら、信賞必罰も徹底。米国の論功行賞は与党も野党も知っている? そうだとすると参議院選挙後は恐らくアメリカの意向に沿った、郵政民営化を加速する動きが始まる? 与野党の国会議員、財務官僚にはアメとして地位やお金がぶら下げられ、逆らえば、弱みを暴露され抹殺される。

 ただ公然とアメリカに逆らう人もいる。かって、亀井静香氏は、「新政権になれば、冷戦時代のようにはいかない。日本はアメリカが決めたことには従属しない。亀井静香がCIAに暗殺でもされないかぎり、アメリカに従属することはない」ときっぱりと言い切った。

 故中川氏に関連した一連の米国流の信賞必罰行動は、アンチCIAの日本人にはそれなりの“みせしめ”効果となった? 竹中氏が日本国の郵政民営化なのに、どういうわけか、郵政民営化に関して当時のゼーリック米通商代表と密な交信をしている。ゼーリックは日本の郵貯・簡保米営化という“大手柄”(米国寡頭勢力サイドから見て)の見返りに、世界銀行総裁(ネオコン論客、ポール・ウォルフォヴィッツの後釜)に抜擢。ローマにてゼーリック世界銀行総裁の執拗な残り90兆円の追加要求を中川氏が最後まで拒否したと思われます。このことは、ローマG7の開催中にゼーリックと中川氏が個別会談している事実から容易に推察できます。

 そしてローマでの中川氏のもうろう会見と大臣辞任。もうろう会見に同席していた篠原尚之財務官と玉木林太郎国際局長は何ら処分を受けず。中川氏の突然の死去の2日後に、篠原尚之財務官と玉木林太郎国際局長はそれぞれ栄転する。日本の大手銀行の幹部だった人物から、金融庁(日本の民間銀行の監督官庁)のトップ人事は完全に米国に握られていると非公式に聞いています。日本の大手銀行幹部はみんな、そのことを知っているはずです。篠原氏をIMF幹部に推薦したのはロバート・ゼーリック世界銀行総裁で、二人のツーショットがネット上に存在します。

 2009年2月14日にイタリアのローマで開催されたG7の財務大臣・中央銀行総裁会議終了後の会議において、ろれつが回らない状態で記者会見を行った様子が海外も含めたメディアで放送されると、猛批判を浴びることとなった。この朦朧会見で、中川さんの両どなりに座っていたのが、玉木林太郎 篠原尚之。

 2009年10月4日、東京都世田谷区の私邸2階の寝室で倒れているのを郁子夫人が発見し通報したが、東京消防庁の救急隊が到着したときは既に手遅れであり死亡が確認された。正確な死因については不詳。

 中川氏死去の2日後の2009年10月6日、財相の失態を放置したまま知らん顔でいた篠原尚之財務官が、IMF副専務理事の指名。つまり抜擢、出世。国際通貨基金(IMF)は加藤隆俊副専務理事(68)の後任に、前財務官の篠原尚之氏(56)を内定したと発表した。理事会の承認を経て11月1日付で就任する見通し。任期は5年。その後任財務官に、玉木林太郎国際局長が抜擢。周知のように両氏は今年2月、ローマG7蔵相会議に中川元財務大臣に同行した官僚たち。この人事はなんと、中川氏の変死とほぼ同時タイミングです。

 米国覇権主義者の価値観に基づく成果主義人事が、今回、篠原、玉木両氏に適用されたとみるのが自然。故中川元財務大臣には、まさに篠原、玉木氏と逆に再起不能の重罰?このあからさまな米国流の信賞必罰行動に、一般国民は無反応であっても、アンチCIAの日本人にはそれなりの“みせしめ”効果があった?

 http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/1694966.html

 ベンチャー革命2009年10月8日 No.33

 タイトル: 米国ジャパンハンドラーの露骨な信賞必罰みせしめ劇

 1.中川元財務大臣失脚の功労賞か

 2009年10月7日、財務省の篠原尚之財務官がIMF(国際通貨基金)の副専務理事に抜擢されたそうです(注1)。その後任財務官に、玉木林太郎国際局長が抜擢されているそうです(注2)。周知のように両氏は今年2月、ローマG7蔵相会議に中川元財務大臣に同行した官僚たちです。この人事はなんと、中川氏の変死とほぼ同時タイミングです。財務省国際局官僚はいったい、どんな神経をしているのだろう?よくもまあこんなあつかましいことができるなと、逆に感心してしまいました。

 2.米国にからめとられた日本の国際金融官僚

 上記の日本の国際金融官僚の国際的人事から、財務省や日銀や金融庁など、日本の金融官僚トップの人事に、米国ジャパンハンドラーが一定程度、関与していることが伺われます。

 本稿記述のため、財務省の組織図を調べたら、財務大臣はアドバイザーの位置(組織図における脇の権限のない“お飾り”の位置)に追いやられ、組織トップは“財務省本省”という抽象体になっています。ここに米国ジャパンハンドラーのボスがカーテンに隠れて闇鎮座しているのでしょうか(笑)。

 ところで筆者の知り合いで、日本の大手銀行の幹部だった人物から、金融庁(日本の民間銀行の監督官庁)のトップ人事は完全に米国に握られていると非公式に聞いています。日本の大手銀行幹部はみんな、そのことを知っているはずです。

 現在、財務省と日銀と金融庁は表向きそれぞれ独立させられ、小泉政権誕生以前、日本の国富を独占してきた旧大蔵省の弱体化が行われていますが、これも米国ジャパンハンドラーの差し金だと思います。ちなみに2001年、大蔵省解体・分割のトリガー、ノーパンしゃぶしゃぶ事件はCIA謀略部隊の陰謀と言われています(証拠はありません)が、この事件からも日本の官憲や大手マスコミの真の役割が何であるかよくわかります。

 3.ローマG7での中川朦朧会見を振り返る

 さて上記両氏は、今年2月のローマG7における故中川元財務相の朦朧(もうろう)会見事件の主要関与者であることは周知の事実です(注3、注4)。とりわけ玉木氏は、中川氏と麻布高校同級生であった偶然で、わざわざ、G7に政府要人として同行し、朦朧会見直前に、女性記者を同伴の上、中川氏にワインを飲ましていたそうです。

 日本の歴史に汚点を残した中川大臣朦朧会見の画像はネットで、日本全国のみならず、全世界を駆け巡りました。今度IMFに転出した篠原氏も、白川日銀総裁とともに中川会見画像に映っており、両氏の態度・表情は、全世界の人々に目撃されているということです。中川氏の異常会見にまったく動じることがなく、冷淡に傍観・放置しているのは誰の目にも“不自然”に映ったでしょう。どうして平気でいられるのか、事情を知らない国民はこの画像に、さぞかし苛立ったはずです。中川氏選挙区民を含み、事情を知らないお人好し日本国民の多くは、その苛立ちの矛先を中川氏に(間違って)振り向けたわけです。黒幕の思うつぼとはこのことです。

 4.中川朦朧会見はケネディ暗殺事件と同じく当事者のシナリオ行動

 筆者はこの“不自然”画像をみたとき、とっさにケネディ暗殺前後のリムジン運転手とリムジン周辺の護衛警官の動きを連想しました。狂乱するジャックリーヌ夫人の制止に動いた護衛一人(夫人付き添い)を除き、リムジンの運転手も、リムジン周辺の護衛も、まったく動じる様子がなかったのです。もしリムジン運転手も護衛も事前に暗殺計画を知らなかったなら、人間の自然な行動として、狙撃発生後、いったん車を止めて大騒ぎするはずですが、その素振りもなかったわけです。実に“不自然”でした。これと同質の“不自然さ”が中川会見にも観察できました。

 筆者のいう“不自然さ”とは、すなわち、事件被害者を除き、事件の周辺関係者が、事件勃発を予め知っているときに観察できます。これはシナリオに基づく予定行動とみなせます。

 5.竹中ハンドラーとツーショットのふてぶてしさ

 上記、篠原氏をIMF幹部に推薦したのはロバート・ゼーリック世界銀行総裁で、二人のツーショットがネット上に存在します(注1)。このゼーリックこそ、小泉政権時代、竹中ハンドラーであったことは有名です。

 9.11郵政選挙の直前、2005年8月2日、民主党若手ホープ、桜井充参院議員が、国会で竹中郵政民営化担当大臣に質問し、竹中氏が日本国の郵政民営化なのに、どういうわけか、郵政民営化に関して当時のゼーリック米通商代表と密な交信をしていることの証言を引き出すことに成功しています(注5)。なぜ成功したかというと、桜井議員が、その交信の書簡コピーをもっていたからです。NHKはたまたま、“闇権力に不都合な”この国会中継を“誤って”放映してしまいましたが、大手マスコミは完全黙殺でした。この大手マスコミの対国民への真実隠蔽体質が、9.11郵政選挙で、国民の大チョンボ(誤った判断)を誘発してしまいました、実に悔しい思いです。

 一方、ゼーリックは日本の郵貯・簡保米営化という“大手柄”(米国寡頭勢力サイドから見て)の見返りに、世界銀行総裁(ネオコン論客、ポール・ウォルフォヴィッツの後釜)に抜擢されているわけです。実にわかりやすい米国流論功行賞人事です。

 6.実にわかりやすい米国の信賞必罰人事:反CIA日本人へのみせしめか

 上記のような米国覇権主義者の価値観に基づく成果主義人事が、今回、篠原、玉木両氏に適用されたとみるのが自然です。筆者の16年半におよぶ米国組織の経験から、彼らは常に極めて律儀に論功行賞人事を実践します。これだけは筆者も感心するほどです。それだけに、その逆に期待に沿わなかったら、信賞必罰も徹底しています。中川元財務大臣には、まさに篠原、玉木氏と逆に再起不能の重罰が下されたとみることができます。

 このあからさまな米国流の信賞必罰行動に、一般国民は無反応であっても、アンチCIAの日本人にはそれなりの“みせしめ”効果があります。戦争屋=CIA(デビッドRF系)残党によるいつもの陳腐なジャパンハンドリング手口がここに垣間見られます。

 7.ローマG7蔵相会議の真相

 米国ジャパンハンドラーが、買弁日本人を使ってまで、中川失脚を企んだのは、当然ながら、それだけの必要性があったからです。そのことは、すでに拙稿(注6)にて分析済みです。

 さて国際政治評論家の浜田和幸氏によれば、福田首相(清和会には珍しく対CIA面従腹背政治家)の突然の辞任の真相は、米国金融危機の救済に、われわれ日本国民の残り少ない虎の子資産から100兆円規模の米国債購入を強要され断ったから(注7)とのことです。この見方に筆者も同感です。なぜなら、福田首相の前任者、安倍首相も、米国から数10兆円単位の米国債購入(このときはイラン戦争戦費)を強要されたものの、金融官僚コントロールができなくて辞任したのが真相(注8)だと筆者は信じていますから。

 蛇足ですが、福田首相が辞任会見で記者に向かって『私はあなたたちとは違うんです!』と怒った意味もよーくわかります(笑)。

 さてポスト福田の麻生・中川コンビ(対CIA面従腹背コンビ)は、米国の100兆円拠出要求を、10分の1の10兆円規模のIMF拠出に負けさせたのです。ローマにてゼーリック世界銀行総裁の執拗な残り90兆円の追加要求を中川氏が最後まで拒否したと思われます。このことは、ローマG7の開催中にゼーリックと中川氏が個別会談している事実(注9)から容易に推察できます。

 蛇足ですが、上記、篠原氏のIMF転出は、すきあらば、日本からもっとIMF拠出金を引き出すための仕込みと、中川朦朧会見事件の秘密暴露を防止するためと推測できます。


 ネット検索で次の文章に出くわした。「Author:阿陪天明のこれでよいのか日本」の「3.中川自民党政調会長の反米発言」である。「ベンチャー革命2006年12月21日 山本尚利」ともある。これを転載しておく。
 3.中川自民党政調会長の反米発言

 2006年12月17日、中川昭一自民党政調会長は、長崎市で講演し、第2次世界大戦で米国が長崎に原爆を投下したことについて「ああいうものを撃ち込むという米国の判断は本当に人道的にも許すことができない。原爆投下は犯罪だ」と述べたと報じられています。この自民党幹部の反米発言は本間スキャンダルの陰に隠れて、マスコミのフォローが少ないですが、これは看過できない重大発言です。中川氏の発言は、多くの戦後日本人が内心、感じていることですが、自民党の幹部の発言という点で極めて重大です。

 太平洋戦争時、トルーマン米大統領が、日本の降伏提案を無視して、核爆弾が開発されるまで日米戦争を意図的に引き伸ばし、原爆の実物実験とソ連の極東侵攻への威圧という二つの国家目的を持って、広島(ウラン型核爆弾実験ポイント)と長崎(プルトニウム型核爆弾実験ポイント)に2種類のタイプの原爆が確信犯的に実験投下されたことは間違いないでしょう。当時の米国では、亡命学者のアインシュタインなど、一部の良心的な原子物理学者や知識人が日本を実験台にした原爆投下計画に、人道的立場から反対運動していたことは有名です。その意味で中川氏の発言は正論であるし、戦後日本人の本音そのものです。だからこそ、米国のジャパンハンドラーがもっとも恐れるのが、米国の日本への原爆投下の真実を日本人が知ることによって、日本国民に反米感情が高まることなのです。現在、日本には米軍が駐留していますが、日本国民に反米感情が高まれば、在日米軍の真の目的(日本の軍国化防止への監視と、日本を米国本土防衛のための前線基地化すること)が日本国民に悟られてしまいます。戦後の自民党という政党は、元々CIAの資金援助で生まれた米国の傀儡政党ですが、米国の意図は、日本の反米化を阻止することでした。その意味で中川氏の反米発言は、米国のジャパンハンドラーの逆鱗に触れるものです。ジャパンハンドラーの逆鱗に触れるとどうなるか。その最大の犠牲者は田中角栄氏です(注2)。

 中川氏は、これらの経緯をすべて知った上での確信犯的対米挑発なのか、それとも彼の酒癖の悪さがもたらした錯乱的発言なのかは今のところ不明です。いずれにしても、彼はそのうち、闇の権力によって葬り去られる可能性が大です。

(私論.私見)

 本文の執筆が「2006.12.21日」とすると、中川昭一が変死の2009(平成21).10.3日の3年前の予言と云うことになる。逆に云えば、中川昭一は、この予言の通りに消された。本文の価値が高い所以である。

【中川昭一の履歴考】
 「中川昭一元財務・金融相、都内の自宅で死亡  2009年10月4日 YOMIURI ONLINE」の有益情報を抜粋転載しておく。 

 4日午前8時30分頃、自民党の中川昭一元財務・金融相(56)が東京都世田谷区内の自宅2階ベッドの上でうつぶせで倒れているのを妻が発見、「夫が冷たくなっている。急いで来て下さい」と119番通報した。 警視庁世田谷署員が現場に駆けつけたところ、中川氏はすでに死亡していた。同署で死因と詳しい状況を調べている。

 故・中川昭一氏の経歴

* 1953年7月19日:東京都渋谷区宮代町(現在の広尾)に中川一郎の長男として生まれる(本籍地は北海道広尾郡広尾町)
* 1966年3月:新宿区落合第一小学校卒業
* 1969年3月:私立麻布中学校卒業
* 1972年3月:私立麻布高等学校卒業
* 1972年4月:慶應義塾大学経済学部入学
* 1976年3月:慶應義塾大学経済学部卒業
* 1976年4月:東京大学法学部政治学科学士編入学
* 1978年3月:東京大学法学部政治学科卒業
* 1978年4月:株式会社日本興業銀行入行
* 1983年2月:日本興業銀行退行
* 1983年12月:衆議院議員初当選
* 1989年6月:宇野内閣で農林水産政務次官に就任
* 1996年11月:自由民主党副幹事長に就任
* 1997年9月:自由民主党北海道支部連合会長に就任
* 1997年10月:自由民主党総務会長代理
* 1998年7月:小渕内閣で農林水産大臣に就任
* 2001年5月:自由民主党広報本部長
* 2002年10月:自由民主党組織本部長
* 2003年9月:小泉再改造内閣、第2次小泉内閣、第3次小泉内閣で経済産業大臣に就任( 2005年9月)
* 2005年10月:第3次小泉改造内閣で農林水産大臣に就任
* 2006年9月:安倍晋三総裁就任に伴う執行部人事で自由民主党政調会長に就任
* 2008年9月:麻生内閣で財務大臣兼内閣府特命担当大臣(金融担当)に就任
* 2009年2月:麻生内閣でG7後の会見が非難され、財務大臣兼内閣府特命担当大臣および金融担当大臣を辞任。後任は与謝野馨。
* 2009年8月:第45回衆議院議員総選挙落選 中川昭一氏の最新の声

 「選挙が終わって―『十勝・日本が危ない』  平成21年9月14日 中川昭一が語る
 私の選挙が終わった。多くの人々が仕事、家庭、お盆を犠牲にして私の為に戦ってくれた。選挙区外からも大勢の人々が駆けつけてくれた。そして、それぞれの選挙運動を一生懸命やってくれた。朝6時頃、選挙事務所を飛び出して行く人たち、一日中車のハンドルを握ってくれた人たち。毎日毎日運動靴を履いて、雨や汗にまみれながら、一軒一軒「お願い」に行く人たち。相手から怒鳴られたり、泣かれたり、また励まされたり・・・・。皆、事前から危機を共有していたのでエネルギーは質・量とも感動的だった。全国から毎日たくさんの激励・応援の手紙やメール等々も頂いた。事務所の何枚もの大きなボードに掲載したが、どんなに励みになったか。

 それでも負けた。活動してくれた人々、約9万人の支持を考えると誠にありがたい。かつ申し訳ない。悔しい。しかし、十勝の総意として、私は否定された。敗因は逆風もあったが、やはり私自身の報道問題と、私が訴え続けたこのままでは「十勝が危ない」「日本が危ない」が有権者に受け入れられなかったことだろう。

 選挙中、周りの人からは「あまり民主党を攻撃するな」と言われた。もちろん自分の主張はしたが、マスコミは既に我々の敗北が決まった様な報道をしているので、そうなれば「大変なことになる」と訴えざるを得なかった。「泣け」とか「土下座しろ」というアドバイスもあったが、私には出来なかった。この間2度公開討論会があり、「これが選挙のあるべき姿だ」と思い大変重視したが、全く「討論会」にならなかった。形式的で3人で1時間半しかない。入場者も議論に参加した、候補者が主役で、候補者の主張の違いが明確になる「朝まで討論方式」でなければ意味がない。12日間、大音量で連呼を続け、人々と動物等に多大な迷惑をかけた。改めて「全ての十勝」に感謝と御礼の気持ちでいっぱいだ。

 それから2週間経過し、十勝は夜を徹して収穫の真っ盛り。コスモスが咲き乱れている。マスコミは新政権の行方と自民党の混乱、そして事件・事故報道ばかり。予想通り「危ない政権の危ない日本作り」が着々と進んでいる。そんな中JALの経営危機問題。この問題は永年の労組中心の高コスト構造と甘い経営に尽きる。アメリカのGMと同じだ。労組は「自分達の労働条件が悪化すると乗客の安全性が保証できない」と客の生命を人質に脅かしている。新政権になれば、ますます労組の主張が通るだろう。だからこそ、日本と日本人を守るために自民党がしっかりしなければならない。

 ところが・・・・・。
 党内議論は「若手に主導を渡せ」「上の人間は出て行け」「派閥をなくせ」・・・・。党がおかしくなると感じた時に、毎回「セミ」のように騒いでいる。近くは、今回解散前、遠くは今から16年前の記憶が私には鮮明だ。平成5年、我々は負けて野党になった。(私は当選したが)。やはり、不況、悪天候で不作、年末にはウルグアイラウンド(GATT、WTOの前身)で細川内閣は「無条件降伏」をした。あの時も党内で上を下への大議論をやった。しかし、激論の末、石原慎太郎さんの下で党再生の本格的議論が始まった。私も参加して、各分野ごとに、日本の為に党はどうなるべきか、どういう政策を打ち出すべきかを連日議論した。そして一年後、政権政党に戻った。その前提は唯一つ「保守」であった。

 そう、自民党の原点は「保守」なのだ。そして今こそ原点に戻るべきなのだ。「保守」とは守るべきものを守り、保守すべきために改革する。そして国民の活力に期待して成長のための戦略を描く。リベラリズム、ポピュリズム政権とどう区別し、対抗していくか。しかし、前進―地球の中で生き残り、真に国民を守るために何をなすべきか。と言った議論が全く欠けている。私を含め、「保守」議員の多くがいなくなったが、まだ残っている。彼らがいかに保守の旗印をもう一度立て直し、日本を守り、真の意味で国民を守るかを真摯に議論してほしい。心ある国民はそれを是非応援してほしい。自民党は末期的だが、今こそ日本の保守の軸を改めて確立するために全力を尽くすべきだ。さもなければ、日本は世界の中で埋没しながら自壊してゆく。

 P.S. 過日、麻生総理の「就任直後に解散しておけば勝っていたかもしれない。しかし、経済状況を考えると、とてもそれはできなかった。」という主旨の報道があった。それが総理の本音であり、総理という立場の判断の辛さだと思う。私は麻生総理に対し、心から申し訳なく思っている。何故なら、昨年来、経済・生活対策を最優先にすべしと一番強く迫ったのは、財務・金融担当大臣つまり私だからである。何よりも政局より、政策実行の為に。総理の選挙を負けさせ退陣に追い込んでしまった。私も議席を失ったが、あの時の判断は、その後の対策が日本と世界を上向きにしつつある現状を見ても、間違っていなかったと今でも思っている。

 私は今後新たに決意を持って進んでいきます。発信していきます。「日本が危ない」から。





(私論.私見)