永田議員の偽メール質議事件考

 (最新見直し2012.8.1日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 遅まきながら「永田議員の偽メール質議事件」を検証する。

 2009.3.16日 れんだいこ拝


【永田 寿康(ながた ひさやす、1969年9月2日 - 2009年1月3日)履歴】
 1969.9.2日、愛知県名古屋市で出生。1988年、慶應義塾志木高等学校を卒業。1993年、東京大学工学部物理工学科を卒業する。その後、国家公務員として大蔵省に入省した。1995年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)でMBA課程留学。1999年、大蔵省を退職、古川元久(衆院議員)の公設秘書となる。

 2000年、総選挙に千葉2区から民主党候補として初出馬。公明党前職の富田茂之らを破り初当選。実父が九州の医療法人財団会長を務める国内有数の資産家であることから、以降潤沢な資金援助をうける。実父は永田の選挙区である八千代市に学院や病院、看護サービス施設を建設。月一度の新聞の折り込み広告等の選挙支援を行う。当選3回。2000年から2006年在職する。

 2001.4.5日、衆議院本会議において原稿なしで質疑を行う。本会議においては質問側も答弁側も朗読し形式的なやりとりに終わるのが常で、若手の新たな試みとして注目された。

 2002.7月、元外相田中真紀子の公設秘書の給与流用疑惑をめぐり、衆議院政治倫理審査会で質問した永田と大野功統(自民党代議士)の議員宿舎などに白い粉が入った封筒が郵送されたことがある。警視庁は同一人物による悪質な悪戯と見て捜査している。

 2004.10.15日、自民党旧橋本派をめぐる日歯連闇献金事件で、東京地検が元首相橋本龍太郎ら3人を不起訴処分としたことについて、「不起訴は不当」として、検察審査会に審査を申し立てた。

 2004年、元客室乗務員と結婚。挙式は千葉マリンスタジアムを借り切り行った。出席者全員で「寿」の人文字を作り、最後に新郎新婦が「ヽ」の部分を作ったところで航空写真を撮影するといった大掛かりなものであった。翌年長女が誕生。「平成の爆弾男」と呼ばれ、物議を醸す発言や行動を多々行なったことで知られた。


【偽メール事件で議員辞職】
 2006.2.16日、堀江メール問題が起こる。衆院予算委員会で、当時のライブドア社長の堀江貴文が武部自民党幹事長の次男への送金を指示したとするメールの写しを見せて問題を取り上げ、「武部疑惑」を追及した。当時の前原誠司党首や野田佳彦国対委員長が永田質問を元に、自民党の責任を追及した。ところが、2.27日、送受信が同一のメールアドレスだったこと等が判明。3.2日、永田自ら「メールは誤りであった」と述べた。この騒動で永田は発言を二転三転させるなどし、国民から民主党への非難が集中することになった。2.28日、民主党から半年間の党員資格停止処分を受け、この件で懲罰動議が衆議院懲罰委員会に付託された。結果、民主党代表前原誠司ら執行部が責任を取り総退陣することになった。3.31日、最終的に処分が決定する前、衆議院議長に辞職願を提出。4.4日、衆議院本会議で承認され、議員辞職した。この一連の騒動を仮に「永田議員の偽メール質議事件」と命名する。

 議員辞職後、次期総選挙で同じく千葉2区からの出馬を模索するが民主党に相手にされず、独自に実父の地元である九州からの出馬を模索するも難航。かつての選出選挙区であった千葉県内では、収賄罪で実刑を受けた元市長にまで後援会を譲ってもらうために頭を下げていたという。またこの間、民主党の党籍の解除、親族の経営する会社に入社するも一年足らずでの退社、その後親族の経営する公認会計事務所に入るも同じくまもなく退社、さらに親族の傷害致死事件や創価学会をめぐる自身の書類送検と略式起訴および罰金刑、夫人からの離婚調停などトラブルが頻発し、次第に精神に支障をきたすようになる。

 2008.11.12日、実父が関係する福岡県宗像市の医療法人所有の保養所で手首を切って抜け出し、徘徊しているところを警察に保護された。また、夫人との離婚が成立していたこともあわせて報道された。


【武部とホリエモンの関係】

 永田議員の追求した武部幹事長とホリエモンの関係は、偽メール事件化することにより葬られたが、疑惑は解消していない。ホリエモンの自民党公認出馬の背景に「ホリエモンは次男・毅を通じて武部幹事長に接触。武部幹事長は、千葉4区で出馬した藤田幹雄を通じてホリエモンから2~3億円の金をもらっているんです」という疑惑の声がある。藤田は、武部幹事長の長男・新の女房の姉の亭主という関係にある。「武部とホリエモンの関係問題」は闇に残され続けている。



【永田元衆議院議員変死】

 2009.1.3日、偽メール問題で平成18年に議員辞職した永田寿康・元民主党衆院議員(39)が3日午後6時半ごろ、北九州市八幡西区の11階建てマンションの駐車場で倒れているのを住民が見つけた。病院搬送されたが、まもなく死亡が確認された。福岡県警の八幡西署は飛び降り自殺を図ったと断定した。

 当時永田はマンション近辺にある精神科中心の八幡厚生病院に入院していた。他の患者の見舞客たちも、院内ロビーを呆然と歩く永田の姿を時々見かけていたという。同署によると、マンションの10階と11階の間の踊り場に遺書とみられるノートがあり、家族の名前に宛てて「死にたい」という内容が書かれていたという。空になった焼酎の紙パック(1.8リットル)も残されていた。県警によると、当時永田はマンション近辺にある精神科中心の八幡厚生病院に入院していた自殺当日、灰色のジャージー上下にダウンジャケットを羽織り、酒を入って現場マンションに立ち入ったとみられる。但し、マンションの出入口は住民以外は自由に出入りできないロック式の門扉になっており、永田がどのように侵入したのかといった疑惑が残っている。

 死後、手塚仁雄は、自分が助言した寝酒に関して、永田を悼む気持ちを述べた(週刊新潮2009年1月15日号P.31)。また、落選中の手塚に対して「復活できる可能性があるからいいですね」とも語っていた。民主党の議員とはほとんど会っていなかったうえに、手塚とも2008年2月を最後に連絡を取らなくなったという。

 2009年1月5日に営まれた葬儀の際には、実父の蒲池真澄が「5年で立ち直る、それにはあと3、4年だと思っていました。まさか死ぬとは全然考えていませんでした。それほど精神的な打撃が強かったのでしょうが、40代、50代になったときの知恵と経験として花開くと信じていました」と挨拶した。


【永田議員の偽メール質議事件、民主党の調査報告】
 「永田議員の偽メール質議事件」総括として「2006.3.31日づけ民主党第367 回常任幹事会(報告事項)」があり、これを転載しておく。
 報 告 書 民主党「メール」問題検証チーム

 <目次>
第一 はじめに
第二 調査経過
第三 事実の経緯
Ⅰ.「情報仲介者」との関係
Ⅱ.予算委員会における永田議員の 2 度の質問(2 月16 日、17 日)に至る経緯
Ⅲ.永田議員の質疑後から党首討論に至る経緯
Ⅳ.党首討論後から処分等の決定に至る経緯
Ⅴ.その後の経緯
第四 事実の経緯からみた問題点
第五 私たちの反省と教訓
<添付資料>
①西澤氏から初めに提供された、黒塗りの少ない「メール」
②西澤氏から後に提供された、黒塗りの多い「メール」
 第一 はじめに

 民主党の永田寿康衆議院議員が「偽メール」をかざして衆議院予算委員会で質疑を行ったことによって、永田議員のみならず民主党も国民の厳しい批判・非難に晒されている。国権の最高機関たる国会の予算委員会において、裏付けのとれていない資料を用いて個人を中傷するような内容の質問が断定調で行われたことは、どこから見てもその質疑者が非難されざるを得ないことは、疑問の余地がないところである。そして、私たち民主党は、党首討論を含め、その質疑や発言が党を代表して行われたものである以上、「民主党が何故にこのような質問や発言を許容したのか、責任野党としてこのような事態をつくり出したことについて如何に考えるのか、その責任をどう果たすのか」という問いに直面している。私たちが、次の総選挙で政権交代に挑戦する責任野党として、国民の皆様方の認知を得、信頼と期待感を獲得するために、この「偽メール事件」をどのように検証し反省するかが問われている。このような視点に立って、「偽メール事件」を客観化し、できうる限り克明に事実を認めて説明責任を果たし、その上に立って反省すべきを反省し、国民の皆様方をはじめ政治に携わる人々に対し心から謝罪するため、また、コンプライアンス論や組織経営的視点から、「民主党」の弱点や欠陥を摘出してその克服法についても提言を行い、少なくとも民主党所属国会議員一人ひとりの課題と考え、議論するため、本報告を作成した。民主党は、結党以来の深刻な危機に直面しているとの認識の下に、今回の「失敗」を教訓化し、国民の皆様方の信頼を取り戻すため、再出発する決意である。
 第二 調査経過

 「メール」問題検証チームは、本報告を為すに至るまで、以下の通り調査、分析を行い、本報告をとりまとめた。
 3月1 日(水)、民主党は、永田議員が「メール」問題を取り上げた2 月16 日の予算委員会質疑前およびその後の対応についての検証を行うとともに、この度の「メール」問題を教訓に、再発防止策を検討するため、「メール」問題検証チームを設置した。
 設置時の検証チームの構成は以下の通り。座長:玄葉光一郎 幹事長代理 委員:平野博文 総合調整局長、藤村 修 前国対委員長代理、松野頼久 筆頭副幹事長、佐藤雄平 副幹事長、細野豪志 役員室長、蓮 舫 副幹事長
 3月2 日(木)、第1 回「メール」問題検証チーム会合を開催し、「メール」問題についてブレーンストーミングを行うとともに、今後の作業手順などについて協議を行った。
  3月8 日(水)、第2 回「メール」問題検証チーム会合を開催し、関係者全員に報告書の提出を要請していること、外部の専門家に調査委託を要請していることなど、作業の経過が報告された。なお、検証チームの委員に、「メール」問題に関係していない、河村たかし議員、山田正彦議員、末松義規議員、平岡秀夫議員の4 名が追加選任され、この会合から加わった。
 3 月15 日(水)、「メール」問題検証チームの委員に、仙谷由人幹事長代理と加藤公一広報戦略本部事務総長を追加選任した。
 3月16 日(木)、第3 回「メール」問題検証チーム会合において、2 月17 日に永田議員が2 回目の予算委員会質疑を行うまでの事実経緯について、協議を行った。また、整理した事実経緯を補強するため、検証チームとして、関係議員からヒアリングを行うことを確認した。
  3月20 日(月)、検証チームは主な関係議員のヒアリングを開始し、これまでに永田議員、野田佳彦国対委員長(当時)、藤村修国対委員長代理(当時)、原口予算委員、前原誠司代表、細野役員室長からヒアリングを行った。
 永田議員および西澤孝氏の代理人を通じて、西澤氏に事情聴取に応じるよう要請をしていたが、返答が得られなかったため、3 月23 日(木)、西澤氏の代理人を通じて同氏に対し、内容証明郵便で事情聴取を要請した。
 3月24日(金)、第4 回「メール」問題検証チーム会合を開催し、永田議員の予算委員会質疑以降の事実経緯について、協議を行った。
10  3月27日(月)夜、西澤氏の代理人から、事情聴取について連絡を得たので、その具体的方法について協議し、事情聴取に応じるよう要請した。
11  3 月28 日(火)、西澤氏が永田議員に説明したなかで登場する人物のうち、重要と思われる関係者に事情聴取を要請した。
12   3 月29 日(水)午前、西澤氏の代理人から、事情聴取に応じるとの返答があり、同日午後9 時から事情聴取を行うことが予定されたが、西澤氏が都内に不在で体調不良との理由で延期された。
13  3月30日(木)、第5 回「メール」問題検証チーム会合を開催し、「報告書」(案)を協議してとりまとめ、西澤氏からの事情聴取および詳細について、座長に一任された。
14  3 月30 日(木)夜、「メール」問題検証チームとして、西澤氏から事情聴取を行った。
15   3 月31 日(金)昼、第6 回「メール」問題検証チーム会合において、西澤氏からの事情聴取について報告された。
16  3 月31 日(金)、「メール」問題検証チーム「報告書」を鳩山幹事長に答申した。
17  なお、外部の専門家に第三者的な評価を依頼することとし、3 月10 日(金)、検察官出身の赤松幸夫弁護士に調査を正式に依頼して、作業を開始した。
 第三 事実の経緯
 Ⅰ.「情報仲介者」との関係

 1 永田議員と「情報仲介者」西澤氏との出会いは、次の通りだった。
1)  2005.10.18 日、永田議員は、雑誌「Dumont」(以下、デュモン)の取材を受けた。
 2005.10.18 日、永田議員は、党所属議員の秘書の紹介により、雑誌「デュモン」の取材として初めて、西澤孝氏と出会った。
 その取材は、議員会館の事務所で行われ、株式会社デュモン・マーケティング代表取締役CEO の西澤氏のほか、編集長のS氏、およびカメラマンが同席して行われ、その際、紙面に使う写真の撮影を依頼されて永田議員は応諾した。
 この時の西澤氏について永田議員は「良い印象を持った」。
 なお、当該秘書は、2005 年9 月に知人の紹介で西澤氏および大学の同窓生のS氏と初めて会い、前原代表の取材の紹介を依頼された。しかし、代表が取材に応じなかったため、松本大輔議員、北神圭朗議員、馬淵澄夫議員、藤末健三議員を西澤氏に紹介した。また、永田議員と石関貴史議員については、西澤氏の依頼にもとづき紹介した。
2)  2005.10.20日、永田議員は、写真撮影に向かう車中で西澤氏から、「疑惑」について説明を受けた。
 2005.10.20日、永田議員は、西澤氏、S氏らとともに、都内のスタジオに出向き、写真撮影を行った。その移動に際しては、西澤氏が所有するという独製高級車を西澤氏が運転した。
 その車中で、永田議員は、西澤氏から、「IT関連およびライブドア関係の疑惑」について、説明を受けた。(これについて永田議員は、後日西澤氏から伝えられた情報も含んでいる可能性が高いとしつつも、情報の中身は正確に記憶しており、一部については詳細な資料も後日提供されたとしている。
 また、車中において西澤氏は、「自分はかつて大手の週刊誌の記者をやっていたが、今は自分が取材したものをメディアに載せて発信する立場ではない。記者時代に取材したものがこのまま世に出ないのは悔しいので、永田さんに国会で追及してもらいたい。それは自分の自己実現でもあり、永田の功績にもなるでしょう」と情報提供の動機を述べた。
3)  永田議員の後援会は、永田議員が表紙を飾った「デュモン」第 2 号を購入した。
 その後、「デュモン」スタッフが、永田議員が表紙を飾った第2 号を永田議員の国会事務所に持参し、秘書がこれを受け取った。
 2005 年12 月22 日、永田議員の後援会は、同第2 号400 冊を単価1,000 円(定価1,500 円)で購入し、後援会員に販売することとし、後援会が総額42 万円(税込)を支払った。
4)  2005.12.8日、永田議員は、「デュモン」誌の出版記念パーティーに出席した。
 2005 年12 月8 日、永田議員は秘書を通じて西澤氏から、都内の飲食店で催された同誌の出版記念パーティー兼忘年会に招かれて出席し、乾杯の挨拶をした。その席には、同誌の取材を受けた議員の秘書数名も代理出席していた。
 その席で西澤氏は、同誌はもうすぐ装丁を改めて発行することになっていると述べたが、同誌第1 号および第2 号はいわゆる「プレ創刊号」であり、その後は発行されていない模様である。
 後日、永田議員は、S氏と同誌の女性スタッフとの婚約パーティー(12 月22 日)への出席を依頼されたが、多忙を理由に断った。
5)  2006.1.12日、西澤氏が永田議員の国会事務所を訪れ、追加情報を提供されたようだが、永田議員はその内容について記憶しておらず、その際約束された、一連の情報をまとめたメールも届かなかった。
 Ⅱ.予算委員会における永田議員の 2 度の質問(2 月16、17 日)に至る経緯

 1、 西澤氏からライブドア関連情報等が提供された。

 
1)1 月26 日(木)頃、永田議員と原口議員は、西澤氏とライブドアに関する情報交換を行った。
 永田議員は、日時は確かではないとしながら、西澤氏および原口議員、同秘書と議員会館において、ライブドアに関する情報交換を行った。
 この会見は、原口事務所の日程表によると 1 月26 日であった。その際、永田議員は原口議員に対し、西澤氏について「旧い友人」で「1 回の広告収入を1 億円上げている、日本をともに変えていくことができる人物」と紹介した。

 2)1 月30 日頃、永田議員は、西澤氏と会食した。
 1 月30 日頃、永田議員は、西澤氏の依頼により会食したが、西澤氏から「西澤氏の妻がいずれ選挙に出たいと考えている」との話が出たため、「永田議員の秘書とすることを前向きに検討してもいい」と伝えると、西澤氏は「自分はお金に困っていない」ので人件費度外視でもありがたい旨述べた。
 その会食には、出版記念パーティーで司会を務めた自称フリーアナウンサーの女性が同席し、西澤氏自身が「元長野県知事の孫である」こと、「雑誌『デュモン』の広告収入が1 号あたり1 億円である」ことなどが話題となった。(現時点までの調査で、西澤氏は元長野県知事の孫ではないことが判明している。)
 その際、永田議員は、西澤氏から、国会で取り上げて永田議員の功績にしてほしいと言われたが、「物証に乏しい」と断った。
 その会食には、某週刊誌の副編集長も遅れて同席し、「西澤氏は記者として優秀だ」と持ち上げた。

 3)2 月1 日、永田議員と原口議員は、西澤氏から、ライブドアに関する情報の提供を受けた。
 2 月1 日、西澤氏および永田議員と原口議員は議員会館において会談したが、そのとき西澤氏より、ライブドアについて情報が提供された。その情報源は1 月末にライブドア・ファイナンスを退職した元社員であるとのことであったので、原口議員は、その元社員に面会したいと西澤氏に手配を要請したが、実現はしなかった。
 なお、原口議員の記憶では曖昧ながら、西澤氏は、「その元社員は西澤氏と一緒に経営をともにしている人物の関係者なので、相談しなければ・・・」と言っていたような気がするとのことであった。

 2、 2 月8 日(水)、永田議員は西澤氏の訪問を受け(於議員会館)、西澤氏から「メール」の提供を受け、かつ口座情報についても説明を受けた。

 1)永田議員が西澤氏から「メール」の提供を受けた経緯は以下の通りだった。
 2 月6 日(月)、永田議員は、西澤氏より電話で、「ライブドアの元社員が社内メールを持ち出したので国会で使ってほしい」との連絡を受けた。永田議員は、直ちに面会を申し出たが、西澤氏は膨大な数のメールをチェックしているので、後日連絡すると返答した。
 2 月8 日(水)、西澤氏は議員会館(永田議員室)を訪れ、永田議員が後に質問に使った「メール」を提供した。「メール」はプリントアウトされた状態で、発信者や受信者の特定につながる情報は黒塗りされていた(添付資料①の通り)。
 「メール」についての西澤氏の説明は、以下の通りだった。
 これはライブドアの社内メールであり、最近退社した元ライブドア社員が使っていたパソコンのハードディスクをそのままコピーして持ち出したもののなかから、西澤氏が選別したものである。コピーしたハードディスクを西澤氏が預かり、全部で約200 通のメール全てに目を通し、最も重要なものを持ってきた。
 「メール」を持ち出した元社員(=「情報提供者」)は、現在は大手企業の系列会社に勤務しているが、ライブドアに勤務していたときに、実際に問題の「メール」にある振り込みを実行した本人である。つまり、「メール」は堀江氏本人が受信者に対して直接送信したものであり、これを受けて他の人物の判断を仰がずにこの送金作業を実行できる権限を持っている者から提供されている。
 資金の出元はいわゆる裏口座で、堀江氏個人の様々な資金に充当されている。六本木ヒルズの自宅家賃、親しい女性が住んでいるマンションの家賃や付き人となっているライブドア社員の人件費、事件で払った和解金など、全てこの口座から支払われている。年間20 億円程度の出入りのある裏口座である。
 この口座の存在を知っている人物は数名にすぎないため、この「メール」の取り扱い次第では「情報提供者」が容易に特定されてしまう。また、発信者のアドレスは堀江氏のものであるが、堀江氏は複数のメールアドレスを使い分けており、このアドレスが公開されると受信者が数名に絞り込まれてしまうため、黒塗りにした。
 資金の振込先口座は武部氏次男の個人口座である。
 永田議員は、西澤氏に対し、「メール」の文中の「前回、振り込んだ口座と同じでOK」との記述に関して質問したが、同氏は手帳を見ながら、「この『メール』以前の送金があったことは確実、このメールを受けて8 月29 日に3,000 万円、10 月14 日には『12 月上旬に行われたK1イベントのチケット代金』の名目で1,000 万円、10 月31 日には『大晦日に行われたK1のチケット代金』の名目で1,000 万円が同様に送金されている」と述べた。
 さらに、永田議員は、「『情報提供者』は『メール』を国会で取り上げることに同意しているのか」と質問したが、「守秘義務の問題を気にしている。ライブドア社員には非常に強い守秘義務が存在し、退職後もその義務は免れない。『情報提供者』が特定されれば、大変なことになる」と答えた。そこで永田議員は、「弁護士に相談して返答する」と述べた。
 なお、西澤氏から永田議員に対し、この「メール」について、某週刊誌に記事として取り上げるよう要望しており、永田議員の質問のタイミングと同誌の締切や発売日との調整をしたい旨の連絡もされた。
 永田議員は、同日午後、守秘義務の問題に関して辻恵弁護士に電話で相談し、翌日、辻弁護士から判例が送付され、国会で取り上げても「情報提供者」が不利益を被ることはないとの返答があり、その旨を西澤氏に連絡した。
 なお、永田議員は、「メール」のコピーを2 通作成し、1 通を所持して原本とコピー1 通を保管していた。

 3、永田議員が「メール」は本物であると考えた根拠は、次の通りである。
 「メール」を直接プリントアウトしたものと見て、一切の矛盾は感じられないこと。
 文体が非常に自然で、登場する人物のうち堀江、武部幹事長のご次男の名前(実名)、宮内の各氏が実在すること。
 時系列的に見て、平成17 年8 月26 日に送信したメールで選挙コンサルティング費用3,000 万円を8 月29 日または31 日に送金することは自然であると感じたこと。
 メールソフトが「Eudora」(以下、ユードラ)であること。「ユードラ」はかつて広く使われていたメールソフトであるが、現在は圧倒的な少数派である。しかし、ライブドアの強制捜査以降に報道されたところによると、ライブドアはオン・ザ・エッジ時代に「ユードラ」の国内販売の権利を取得し、このマイナーではあるが有名なメールソフトを扱っているという事実が会社の信用を高め、事業が拡大したという。つまり、ライブドアにとって「ユードラ」は特別なメールソフトであること。
 「情報提供者」の特定につながる部分を黒塗りで消してあること。仮に一からでっちあげて永田を貶めようとするならば、もっと巧妙に仕組んで黒塗りする必要の無いメールを持ち込むことも可能である。そうしなかったのは、「メール」が真正のものであるからであるという推察が働いた。
 メール本文に永田を陥れるために必要な情報以外の情報までもが含まれていること。「前回、振り込んだ口座と同じでOK」など、問題の送金のために必要な情報以外の情報も含まれていることは、メールの信憑性を疑われたときにはむしろ不利である。信憑性を検証された時に、不利になるような情報まで含まれていることは、むしろ信憑性が高まるという心証が形成された。
 西澤氏に対する信頼が厚かったこと。短期間の付き合いとはいえ、こちらから情報を提供して欲しいと依頼したことは一度もないのに、かなり具体的な情報を持ち込んでいる。加えて、西澤氏の妻が政治家になりたいということで、人件費度外視の秘書として働きたいなどという話も政治家にとっては嬉しい話であり、また、金銭を目当てに近づいてきたという印象も全く皆無と感じられ、この時点では全幅の信頼を置いていた。
 偽メールを持ち込む動機が見あたらないこと。金銭目的でもなく、愉快犯にしてはメリットが小さく、デメリットは大きいこと。

 4、 2 月9 日(木)午後、永田議員は野田国対委員長に「メール」について報告した。野田委員長は永田議員に対し、信憑性の検証などを指示した。
1)  永田議員は、2 月9 日(木)午後、国会内で野田佳彦国対委員長(当時、以下同じ)に「メール」を示し、判断を仰いだ。その際、永田議員は、西澤氏による「メール」の説明を伝えるとともに、「『情報提供者』が特定されないよう『情報提供者』と電話でも接触していない」旨を伝えた。この時点で、「メール」の存在を知るのは、永田議員と野田国対委員長の2 名だけであり、野田国対委員長は「他に漏らすな、タイミングは自分で判断する」と述べた。また、後日、野田国対委員長から、予算委員会の公聴会期日決定直前に取り上げるよう指示を受けた。
2)  永田議員の説明を受け、野田国対委員長は、「情報仲介者」に対する全幅の信頼が置けるという心証、「情報提供者」の置かれている不安定な状況、永田議員のこれまでの疑惑追及の実績・経験なども踏まえて、他者の検証は「情報提供者」の特定につながり、その立場を危うくすると判断し、永田議員が極秘裏に内容の信憑性をさらに補強するよう指示した。
3)  また、永田議員から野田国対委員長に対して、銀行口座情報など新たな情報が次々と入ってくる可能性についても示唆がされた。

 5 2 月11 日(土)、永田議員は「メール」について前原代表に伝えた。
1)  永田議員は、TBS の「サタデーずばッと」に出演した際、生放送の休憩時間中に、同時に出演した前原代表に秘密であると念押しした上で、「メール」を一瞬見せたうえで、公聴会期日決定の直前に取り上げる旨を伝え、代表から「がんばってね」と言われた。
2)  永田議員は、後日 14 日(火)、野田国対委員長から、「代表が、永田議員が大きな仕事をすると言っていた」と聞き、細野役員室長に口止めをした。
3)  なお、14 日(火)に前原代表は、野田国対委員長から、「慎重に調査しているので、この件は内密にしてほしい。しっかりとした情報を得ている」と聞いた。

 6、 2 月13 日(月)、永田議員は、野田国対委員長に対し、情報の信憑性に確信があると報告した。これに対し、野田国対委員長は、16 日の予算委員会一般質疑の準備に入ること、「情報提供者」とも詰めを行うこと、同僚議員や専門家と事前に相談して発言振りに注意するよう指示した。
1)  永田議員は、松野予算委員会理事に「メール」を見せ、口止めしたうえで、予算委員会の質問時間確保を要請した。
2)  国会内において、野田国対委員長、藤村修国対委員長代理(当時、以下同じ)は、永田議員と「メール」についての打ち合わせを行い、2 月16 日の予算委員会一般質疑の準備に入るよう指示を出した。
3)  野田国対委員長および藤村国対委員長代理は、永田議員に対し、「『情報仲介者』を通じて『情報提供者』と直接会って、質疑においてどの程度まで情報を公表できるか」などの細かい詰めを行うよう指示した。また、質問に際しては疑惑追及について経験豊富な同僚議員や法律に詳しい方と事前に相談し、発言ぶりには注意するように指示した。
4)  永田議員は、その際に藤村国対委員長代理から「『メール』に記された人物が武部幹事長の次男であるという確証が必要である」、「振込用紙のコピーなどはないか」と指摘を受け、西澤氏に対してその裏付けなどを要求した。

 7 永田議員は、野田国対委員長の指示にもとづき、法律に詳しい同僚議員らに相談した。
1)  永田議員は、野田国対委員長の指示を受け、13 日から15 日にかけて弁護士資格を持つ、仙谷由人議員および枝野幸男議員に個別に相談しアドバイスを受け、枝野議員から党顧問弁護士に相談するようアドバイスされ、顧問弁護士にも電話でアドバイスを受けた。
2)  仙谷議員は、永田議員から、「この情報は直接金を振り込んだ人物からのものであり、口座もわかっている」と告げられたので、「振り込まれた口座と金の流れは確認するように」と答えた。
3)  枝野議員は、永田議員に対して法律の一般論を話したほか、「証拠を握って、証明できるなら問題ないが、『情報提供者』の証言が必要になるかもしれない」という旨を話した。永田議員は、「『情報提供者』を守る必要があり、なかなか表には出せないかもしれない」という旨を話していた。枝野議員は「それはややこしいな」と受け止め、その旨を永田議員に話した。また、間接情報だけであり、短時間の会話でこれ以上の具体的なアドバイスが難しかったので、「顧問弁護士にきちんと付いてもらった方がよい」と勧めた。

 8 、2 月14 日(火)午後、永田議員は、西澤氏から「国会質問は予定外であり、『情報提供者』が難色を示し始めている」との話をされ、西澤氏と最終調整を行った。その際、永田議員は、西澤氏から新たに黒塗りした「メール」を渡され、8 日に提供された「メール」の原本を西澤氏に返却した。
1)  永田議員は、西澤氏より電話で、「雑誌の記事にすることが前提だったため国会質問は予定外であり、『情報提供者』が難色を示し始めている」との話をされ、西澤氏は、永田議員の議員会館事務所を訪れ、「情報提供者」の希望に沿う形の質問にするための最終調整を行った。
2)  永田議員はその際、西澤氏から、宛名などの人物名、『@堀江』の「@」、『問題があるようだったら』の部分を新たに黒塗りした「メール」を渡され(添付資料②の通り)、引き替えに8 日に提供された「メール」の原本を返却した。
3)  その際の西澤氏の説明は、以下の通りであった。
 『○○へ』という部分は受信者の特定につながる。
 『問題があるようだったら』の部分と『@堀江』の@マークは堀江氏本人や側近達の間で使われている符号のようなものであり、これを明らかにすればメールの受信者が特定される。
 『□□』はライブドアの関係者で、これからこの人物を抱き込んで内通者にしようとしているので、迷惑をかけると困ることになる。
4)  なお、「メール」の本文をワープロ打ちしたものをマスコミ関係者に配布することについては、「『情報提供者』は了解しないだろうが、永田議員がやってしまっても問題にならないだろう」と西澤氏が判断し、そのようにすることとなった。
5)  原口議員は、この日に永田議員から、新しい証拠を入手したとの連絡を受けた。

 9、 2 月15 日(水)、西澤氏から永田議員に対して、振込元と振込先の口座情報を「情報提供者」から入手したとの連絡が入った。
1)  永田議員は、西澤氏に対して3,000 万円の振込元と振込先の銀行名、支店名、名義を「情報提供者」から聞き出すよう、メールで要求した。
2)  これに対し西澤氏から、電話で「振込元の口座はみずほ銀行六本木支店」と伝えられ、その後、「振込元と振込先の口座の銀行名、支店名、口座番号まで『情報提供者』から聞き出した」と連絡があったが、「電話では話せない」として、その時点では「振込元口座はみずほ銀行六本木支店、振込先口座は東京三菱銀行銀座支店である」という情報のみが永田議員に対し、告げられた。

 10、 2 月15 日(水)、野田国対委員長は、永田議員から質疑のやり方について報告を受けた。
1)  2 月15 日(水)、野田国対委員長は、永田議員より翌16 日の質疑のやり方について、持ち時間(1 時間)の後半に「メール」問題を取り上げること、答弁者には竹中大臣、二階大臣などを要求すること、「情報提供者」を特定されないよう入手していたメールの写しにさらに黒塗りしたもので質問すること、質問後の記者会見13ではメールの写しをワープロで打ち直したかたちで資料として配ること、などの報告を受けた。
2)  なお、この頃までに藤村国対委員長代理ないし予算委員会理事(民主党)は、「メール」の写しを永田議員が質問で取り上げることを承知していた。

 11、 2 月16 日(木)、永田議員が予算委員会一般質疑で「メール」問題を取り上げ、終了後、国会内で記者会見した。前原代表が「確度の高い情報」と発言したが、前述の野田国対委員長からの情報に依拠したものであった。一方で小泉総理が「ガセネタ」と発言した。野田国対委員長は、永田議員に対し、翌17 日の質疑内容について指示した。
1)  永田議員は、予算委員会で「メール」問題を取り上げた1 回目の質疑を行い、ラブドアの堀江氏、宮内氏、平松氏、武部幹事長、武部幹事長の次男の参考人招致と国政調査権の発動を要求した。
2)  永田議員の質疑後の主な発言は次の通りであった。
○永田議員「確信を持っている」(16 日記者会見)
○野田国対委員長「衝撃的な質疑で、大変重大な問題。今日は第一弾。」(16 日)、「総理のガセネタ発言は看過できない。ガセの根拠を明らかに。」(17 日)
○前原代表「なかなか確度の高い情報だという認識」(16 日代議士会)、「入金記録を明らかにすれば、信憑性への疑問は氷解」(17 日外国特派員協会)
○武部幹事長「全く身に覚えがない」(16 日ぶら下がり)、「指摘の事実は見つからない。民主党は許されない」(17 日)
○小泉総理「ガセネタを委員会で取り上げるのはおかしい」(ぶら下がり)
○東京地検「全く把握していない」(16 日コメント)

○堀江容疑者(弁護人)「指摘の事実はない」(17 日)
3)  野田国対委員長は、永田議員の質疑を院内中継で見ていたが、断定的な口調で追及するのは想定外であり、永田議員の思い込みの強さと高揚感が原因だったのではないかと思った。同時に、「疑惑追及について経験豊富な同僚議員や法律に詳しい方とは事前に相談したと報告を受けていたので、もっと予防線を張った質問をすると思っていた」と述懐している。また、永田議員が記者会見後、すぐにTV出演したことも誤算であり、すぐに国会内に戻るように指示し、永田議員、野田国対委員長、藤村国対委員長代理、予算委員会理事と、翌17 日のライブドア問題に関する集中審議における永田議員の20 分間の質疑内容を打合せした。
4)  その内容は、明日の質疑に向けて「メール」問題に関する情報をさらにどの程度まで公表できるかを「情報提供者」及び「情報仲介者」と相談すること、もし「メール」問題の二の矢をすぐに放ちにくい場合は、ライブドアの株価のチャートや堀江容疑者と自民党政治家のツーショットの写真などのパネルを使って質問することを確認したというものであった。
5)  また、野田国対委員長は、武部幹事長の「事実無根」という記者会見を見て、その表情から心証はクロという判断に傾いた。

 12、 2 月16 日(木)深夜、永田議員が口座番号を入手した。翌日、秘書が振込先口座の確認を試みるが、該当する口座は確認できなかった。
1)  2 月16 日(木)深夜、永田議員の秘書が西澤氏に口座番号を問うたところ、後にS氏が同秘書に電話で口座番号を伝えた(支店名は不明)。
2)  翌日午前、東京三菱銀行の都内全ての有人支店の当座預金、普通預金、貯蓄預金口座に対し、同秘書がS氏から伝えられた口座番号を用いて振込操作を試みるが、該当する口座はなく、永田議員はこの時点では、振込先口座は既に閉じられているのではないかと推察した。

 13、 2 月17 日(金)、永田議員は、「メール」問題について2 回目の質疑を行った。
1)  野田国対委員長は、2 月17 日(金)午前、永田議員より「情報提供者」がかなり動揺しており、新たな情報を公開するような質疑はできない旨の報告があり、永田議員本人も動揺している様子だったので、前日の打ち合わせ通り、パネル等を使って質問するよう指示したが、永田議員からは持ち時間の半分位は小泉総理の「ガセネタ」発言等に反論したいとの要望があった。

2)
 野田国対委員長にとって、午後に行われた予算委員会「ライブドア問題」集中審議の質疑において、永田議員の質疑が、すでに打ち合わせ済みの、パネルを使った堂々とした質問ではなく、哀願調の弱気な姿勢に終始してしまったことは想定外だった。(詳細は、衆議院予算委員会の議事録を参照)
 )2 月17 日(金)、原口予算委員は、西澤氏に対し、「『メール』が示す事実関係をどのようにして証明するのか」と2 回にわたり電話で訊いた。これに対し西澤氏は、「直接、振り込んだ人間が言っているのだから大丈夫だ」などと述べた。
4)  同日、野田国対委員長は、前原代表に対し、「『メール』問題の追及は、党首討論が仕上げだ」と述べた。
 Ⅲ.永田議員の質疑後から党首討論に至る経緯

 1 永田議員の 2 回の質疑後、「メール」の真贋論争が始まったが、有効な反論ができなかった。「対策チーム」を構成し、情報集約と対応協議を始めた。

 
1)2 月17 日(金)、国対役員を中心とした「対策チーム」を構成し、情報集約と対応協議を開始した。
 2 月17 日(金)、細野役員室長は、前原代表から、国対委員長と連携して関係者を集めて情報収集せよとの指示を受け、野田国対委員長に関係者の招集を要請するとともに、党顧問弁護士に連絡をとるよう担当事務局(総合調整局)に指示した。
 予算委員会終了後(午後 5 時過ぎ)、国会内に「対策チーム」メンバー(野田国対委員長、藤村国対委員長代理、中川議運筆頭、三井議運理事、細川予算筆頭、松野予算理事、原口予算委員、細野役員室長)が集まり、情報集約を行った。そこに遅れて、党顧問弁護士が加わった。
 会議では、「『メール』の存在自体が疑われているため、『メール』を公開すべき」との意見が多数を占めた。
 野田国対委員長は、永田議員に対し、「必要なら警備員をつける」、「安全のために『情報提供者』を保護下に置き、確実に『情報』の入手を図れ」と指示した。
 野田国対委員長は、顧問弁護士とともに『情報提供者』に会うため、永田議員に連絡を取り、午後7 時半頃に外出した。
 会議後、藤村国対委員長代理は、記者団にブリーフィングを行った。メンバーは、「午後9 時に都内ホテルに再集合する」ことを申し合わせて一旦解散した。
なお、夕方、国会内に立ち寄った松本政調会長は、細野役員室長の依頼により、報道対応のために国会内に残った。

 2)永田議員は、西澤氏に「メール」配布の了解を求めたが、西澤氏は難色を示した。永田議員は、西澤氏に会って説得する際に西澤氏から口座情報を提供され、永田議員の秘書が、振込元口座が「ライブドア・ファイナンス」名義であることを確認した。
 2 月17 日午後6 時頃から、永田議員は、野田国対委員長の指示にもとづき、西澤氏に対し、「メール」の配布を了解するよう電話で伝えた。これに対し西澤氏は、「『情報提供者』が怯えており、これ以上刺激すると『情報提供者』との関係が切れてしまう」と難色を示した。そのため、永田議員は、永田議員の宿舎で西澤氏と会い、説得した。
 「情報提供者」についての西澤氏の説明は、以下の通りだった。
 「情報提供者」は17 日、新しい勤務先に出勤したが、朝、ライブドア関係者から「『情報提供者』はお前だろう」と指摘され、面会を求められたため、やむなく午後1 時から複数のライブドア関係者と面会した。「情報提供者」は、シラを切り通したが、大変怯え、困惑しているので、「メール」の提供を説得できる状況にない。
 「情報提供者」との信頼関係が回復すれば、(メールが記録されている)ハードディスクのコピーを含めて、手に入れる自信はある。
 永田議員は、西澤氏に「時間的猶予は乏しい」、「マスコミに『メール』を配布しなければ民主党が崩壊する」と述べた。これに対し西澤氏は、「ハードディスクを盗んでしまいましょうか。どこにあるか分かっているので、私ならできる」と述べたが、永田議員は「そんな犯罪行為などできるわけがない。絶対にそんなことはするな」と述べた。
 さらに、永田議員は、西澤氏から振込元と振込先の口座情報を口頭で提供され、それをメモした。その内容は、以下の通りだった。
 振込元は「三井住友銀行渋谷駅前支店普通預金口座×××××××」であり、16 日深夜に永田議員が入手した口座は、誤って伝えられたものだった。
 振込先は「東京三菱銀行であるが支店名は不明。普通預金口座×××××××」であり、振込先口座の名義は武部氏次男の個人口座である旨、改めて説明された。
 そこで永田議員は、宿舎に向かっていた永田議員の秘書に、ATMを使って振込操作を試み、口座が実際に存在するか確認するよう指示した。秘書は、振込元口座が「ライブドア・ファイナンス」の名義で存在していることを確認し、その振込画面を携帯電話のデジタルカメラに納めた。また、以前西澤氏が振込先口座は銀座支店ではないかと言っていたので、秘書は、銀座支店に振込操作を試みたが、口座は存在しなかった。そのため、永田議員は、振込先口座は既にクローズされているのではないかと推測した。
 同様に西澤氏も、スタッフに連絡をとり、そのスタッフが振込操作を試みて「ライブドア・ファイナンス」の口座が映っている振込画面をデジタルカメラに納めた。

 
3)2 月17 日午後8 時頃、野田国対委員長は、顧問弁護士とともに永田議員の宿舎を訪れ、永田議員と一緒にいた「情報仲介者」と面会し、「メール」配布の了解を求めた。
 2 月17 日(金)午後8 時前後、野田国対委員長は、顧問弁護士とともに永田議員の宿舎を訪れ、永田議員と一緒にいた「情報仲介者」と面会した。
 永田議員は、野田国対委員長に西澤氏を「あえてお名前は紹介しませんが」と「不自然な紹介」をし、「情報仲介者」も自己紹介することなく会談は始まった。
 その時の「情報仲介者」について、野田国対委員長は、「出版社を経営している信頼できる人物だと事前に聞いていたので、ある程度年輩の人かと想像していたが、30 代前半の小声で不安げに話をする人物だったので意外な感じだった」との第一印象を持った。
 野田国対委員長は、「情報仲介者」に対し、「『情報提供者』を守ることが最優先なので、安全のために『情報提供者』の身柄を預からせてほしい」と申し出た。これに対し、「情報仲介者」は、その旨を情報提供者に伝えると答えた。
 また、野田国対委員長は、「情報仲介者」に対し、「至急に『メール』の写しを配布したいので是非協力してほしい」と要請し、事態の重大性、緊急性を強調して「メール」をマスコミに配布できるように説得した。これに対し、「情報仲介者」は、「『情報提供者』は『情報仲介者』との関係よりも『情報仲介者』の経営する会社に強い影響力を持つ人物との関係の方が深く、『メール』をマスコミに配布すれば、『情報提供者』が困惑するだけでなく、その人物と『情報仲介者』の関係も壊れてしまう。」と説明して「メール」の配布に難色を示し、永田議員と二人だけで話すことを要求した。
 永田議員は、宿舎の別室で「情報仲介者」と二人だけで断続的に話した。「情報仲介者」は、事態の大きさに困惑し、「自分が国会に呼ばれることになるのではないか」としきりに心配していた。午後8 時半頃、「情報仲介者」は、渋々永田議員の説得に応じ、「『情報提供者』を確実に説得するから野田氏と顧問弁護士はひとまず引き取って欲しい」と述べた。
 「情報仲介者」は、野田国対委員長に対し、「『情報仲介者』の経営する会社に強い影響力のある人物の了解が必要であり、その人物にこれから会いに行くので回答を待ってほしい」と述べた。これに対し、野田国対委員長は、「この部屋で待っている」と粘ったが、「情報仲介者」から「前向きな回答ができるように努力するので、お引き取りいただきたい」と言われ、顧問弁護士とともに退室し、「対策チーム」が再集合するホテルに向かった。それまでに、永田議員の秘書は宿舎に到着した。
 「情報仲介者」は、再び永田議員と二人きりで話すことを求め、永田議員と「情報仲介者」は別室で話をした。そこで「情報仲介者」は、永田議員に対し、「『情報提供者』が『メール』を配布することに同意することは絶対にあり得ない。野田氏には『情報提供者』を説得すると述べたが、無断で公表することにしましょう」と述べた。

 4)17 日(金)午後9 時頃、「対策チーム」が再集合したところに、永田議員より野田国対委員長に「メール」公表の了解が得られたとの電話が入った。午後9 時半頃、永田議員が「対策チーム」に合流し、「情報仲介者」が西澤氏であることを明かした。野田国対委員長は、「情報仲介者」の了解を得て記者会見を開き、「メール」のコピーを配布した。
 午後 9 時頃、「対策チーム」メンバーは、都内ホテルに再集合した。野田国対委員長は、メンバーに対し、「『情報仲介者』と会えたが『情報提供者』とは会えなかった。『情報仲介者』とは名刺交換もできず、コミュニケーションが取れなかった。『情報仲介者』は、永田議員との信頼関係で動いているのに、第三者が入ってきて心証を害したようだ」と報告した。その頃、永田議員は、野田国対委員長に対し「『メール』配布の了解は得られた」と電話で伝えた。
 その際の「対策チーム」メンバーのやり取りなどは、以下の通りだった。
 藤村国対委員長代理、原口予算委員から、「情報提供者」がライブドアを退職して大手企業の系列会社に在籍しているとの情報が提供されたが、その関係者に確認したところ該当者は在籍していないことが判明した。
 藤村国対委員長代理は、「送金元の口座情報は『情報提供者』から直接提供されたと永田議員から聞いている」と報告した。(その後19 日に、永田議員は「情報提供者」とは話したこともないことが判明した。)
 原口予算委員は、「『情報仲介者』は西澤氏であり、信用性に問題がある可能性がある」と述べた。また、西澤氏が社長を務めるデュモン・マーケティングのS氏の名前も話題となった。
 顧問弁護士から、名誉毀損の事実を証明する際の立証責任について説明があった。
 「メール」(添付資料②)が出席者全員に配布された。
 午後 9 時半頃、永田議員は、都内ホテルに集合した「対策チーム」に合流し、以下の通り発言した。
 「情報仲介者」の名前は西澤である。(「情報仲介者」が西澤氏であることを初めて明かす。)
 「情報提供者」はライブドア元社員のY氏(実名)である。永田議員と西澤氏との信頼関係から、その情報に確信を持っている。
 西澤氏は、若いがやり手である。西澤氏は、この問題が表面化すると重要なクライアントを失い、立ち上がれないほどの大損害を受ける。
 午後 10 時頃、野田国対委員長は、細川予算筆頭とともに党本部に向かい、午後10 時15 分から記者会見を開いて、「メール」(添付資料②)のコピーを配布した。
 午後 11 時頃、野田国対委員長は、記者会見を終え、細川予算筆頭および松本政調会長とともに「対策チーム」に再合流した。
 野田国対委員長は、永田議員に対し、週末は地元活動よりも「情報提供者」と接触することを最優先とするよう指示した。
 その前後、細野役員室長は、前原代表および鳩山幹事長に経過を報告した。報告を受けた鳩山幹事長は、細野役員室長に対し、平野総合調整局長を「対策チーム」メンバーに加えるよう指示した。これを受けて細野役員室長は、野田国対委員長に平野総合調整局長への連絡を依頼するとともに、松野予算理事(筆頭副幹事長)に玄葉幹事長代理への連絡を依頼した。
 深夜 0 時過ぎ、「対策チーム」は、19 日(日)午後9 時に平野総合調整局長および広報戦略本部メンバーを加えて集まること、野田国対委員長と永田議員が西澤氏と連絡を取って「情報提供者」に接触を図ること、を確認して解散した。2 2 月18 日(土)、「情報提供者」との接触を試みるとともに、西澤氏についての調査、「メール」の鑑定、口座情報の調査、「メール」以外の周辺疑惑の調査を開始した。

 1)2 月18 日(土)、永田議員は、「情報提供者」との接触を試みるが、面会できなかった。
 2 月18 日(土)朝、永田議員は、さらなる調査と「情報提供者」に接触するため、西澤氏に連絡したが、西澤氏は、「今日は静岡県掛川で民主党関係者の結婚披露パーティーに出席する」と述べ、西澤氏が帰京してから合流することを申し合わせた。現時点までの調査で、西澤氏が掛川の結婚披露パーティーに出席したとの事実は存在するものの、「民主党関係者」との話は粉飾であると考えられる。
 西澤氏の帰京予定時刻はどんどん遅れ、ようやく午後10 時頃、西澤氏は、永田議員に対し、「今東京駅に着いた。これからS氏と合流して『情報提供者』の説得にあたる」と連絡した。
 永田議員は、西澤氏に事態の切迫度が伝わっていないと感じ、西澤氏に「S氏と合流しなければならないのか」と訊いた。これに対し西澤氏は、「S氏の報告を受けなければ動きようがない」と述べた。
深夜、西澤氏は、S氏から報告を受け、永田議員に電話で以下の通り述べた。
 「情報提供者」は成田空港近辺のホテルに滞在し、今日は終日、自分のパートナーが一緒にいて「情報提供者」のケアをした。
 「情報提供者」に対するメディアの追及をかわし、「情報提供者」がよからぬ情報に接することを避けるため、できるだけ早く海外に出国させたいと考えている。
 今日、静岡に出発する前、「情報提供者」のもとを訪れ、手元にあった現金300 万円と『ハードディスクを西澤氏に渡して出国しなさい』という手紙を置いてきたが、『家族もいるのですぐに出国することはできない』と言われたため、出国は実現していない。
 一日ホテルでふさぎ込んでいた「情報提供者」は、相当に混乱しており、一時は本当にホテルの窓から飛び降りそうになったので、「パートナー」がこれをおさえた。
 この時点で永田議員は、「パートナー」は西澤氏の妻だと考えていた。(後日の西澤氏の話でこれはS氏であることが判明した。)

 2)2 月18 日(土)、野田国対委員長は、永田議員に西澤氏との接触を任せた。同夜、「対策チーム」メンバーが対応を協議し、西澤氏についての調査、メールの鑑定、口座情報の調査を継続するとともに、「メール」以外の周辺疑惑の調査を開始した。
 2 月18 日(土)、野田国対委員長は、永田議員から、「西澤氏が静岡県の結婚式に出席したため、西澤氏が夜東京に戻るまでは情報提供者との接触は困難」、「『情報提供者』には西澤氏の妻が付き添っている」との報告を受けた。
 また、野田国対委員長は、永田議員から、「昨晩の野田国対委員長に対する西澤氏の印象はとても悪かった」、「原口予算委員も3 回ほど西澤氏に電話をかけて永田議員をサポートしようとしたが、西澤氏は原口予算委員に対しても不快感をもっている」との報告を受け、永田議員から「西澤氏との接触は自分に任せてほしい」と懇願された。野田国対委員長は、やむなく西澤氏との接触を永田議員に任せ、永田議員が一番信頼している手塚仁雄前衆議院議員に、永田議員をサポートするよう要請した。
 細野役員室長は、電話で西澤氏およびS氏についての調査を行うとともに、「メール」の鑑定を複数の専門家に依頼した。その過程で細野役員室長は、ライブドア社が使用しているメールソフトが「ユードラ」であることなどの情報を得て、前原代表に「西澤氏は信用できない人物である」が、「『メール』はライブドア内部でやり取りされたものである可能性が高い」と電話で報告した。細野役員室長は、その後の調査で「メール」の信憑性に疑問を持ち、19 日にその旨を前原代表に報告した。また、細野役員室長は、口座の金の動きを調べられないか、松本政調会長、大塚耕平・福山両役員室長代理、国対事務局に相談したが、合法的に調べることは難しいとの結論に達した。
 午後 7 時半頃、国会近辺にいた「対策チーム」メンバーは、野田国対委員長の議員会館事務所に集まった。参加した、野田、藤村、松野、原口、細野、細川、中川の各議員のやり取りは以下の通りだった。
 藤村国対委員長代理は、送金元の口座が実際に存在することを確認したと報告した。
 西澤氏から永田議員に初めに提供された、黒塗りの少ない「メール」(添付資料①)が出席者に配られた。
 深夜、永田議員から、西澤氏とは会えなかったと最終的な報告があり、メンバーは解散した。
 細野役員室長は、深刻な事態であることを再認識し、福山役員室長代理および原口予算委員などに、「メール」の周辺疑惑を含めた調査を依頼するとともに、自らも武部幹事長と堀江氏のつながりの調査を開始した。

  3)2 月19 日(日)、西澤氏から、永田議員に対し、「『情報提供者』が情報の電磁的データを売ってもいいと言っている」との連絡があった。野田国対委員長は、『情報提供者』の存在を確認するため、瀬踏みを掛けたが、確認はできなかった。
 2 月19 日(日)、永田議員は、野田国対委員長に対し、「未明に西澤氏から電話連絡があった。珍しく『情報提供者』から西澤氏に電話があり、高飛びも考えているような状況なので、場合によっては『情報提供者』が持っている様々な情報が入力されているハードディスクやメールの電磁的データをコピーしたハードディスクを売ってもいいと言っている」と報告し、「西澤氏を通じて『情報提供者』と具体的な交渉に入っていいか」と相談した。
 これに対し、野田国対委員長は、金銭の話が出てきたことをいぶかしんだが、「『メール』の信憑性の立証が困難を極めるなか、それが『情報提供者』の存在を確認できる唯一の手段ならば、瀬踏みを掛けても交渉の余地は残した方がいい」と考え、永田議員に対し、「西澤氏と『情報提供者』とハードディスクを保護下に置くことが最優先」であり、「西澤氏と『情報提供者』を職員として雇用して生活を保障することも考える」、「『情報提供者』との交渉には自分が出向く」と述べた。
 また、永田議員は、野田国対委員長に対し、「自分で1,000 万円程度は用意できる」と述べた。これに対し、野田国対委員長は、「必要なら、党でそれくらいは何とか用意できる」と述べた。
 永田議員は、西澤氏に対し、その条件で「情報提供者」と交渉に入りたい旨を伝えた。これに対し、永田議員によると、西澤氏は、「永田議員に経済的に迷惑をかけるわけにはいかない。民主党ならば少しは気が楽だが、それでも受けるわけにはいかない。経済的な負担は自分で賄うから心配するな」と述べた。
 西澤氏から金銭の話が出てきたことを受け、野田国対委員長は、原口議員に対し、改めて西澤氏の身辺を徹底的に洗うよう指示した。午後遅く、原口予算委員は、野田国対委員長に「西澤氏の評判がすこぶる悪い」と報告した。それを受け、野田国対委員長は、永田議員に対し、独自の判断と行動は慎み、西澤氏や「情報提供者」とのやりとりは逐次報告して判断を仰ぐよう指示した。
 その夜、野田国対委員長は、顧問弁護士から、「偽情報に金銭を支払うことになれば、相手が詐欺罪を構成するので、情報を買うようなことはすべきでない」との助言を受け、交渉を通じた「情報提供者」の存在の確認を断念した。

 
4)2 月19 日(日)夜、「対策チーム」メンバーが対応を協議した。
  2 月19 日(日)午後9 時、「対策チーム」メンバーが都内ホテルに集まり、対応を協議した。出席者は、永田議員、野田国対委員長、藤村国対委員長代理、平野総合調整局長、細野役員室長、細川予算筆頭、松野予算理事、原口予算委員、中川議運筆頭、蓮舫議員、党顧問弁護士だった。途中、原口予算委員は、「独自調査を行う」と言って退席した。遅れて、玄葉幹事長代理が会合に合流した。
 この会合において報告された事項、および出席者の発言等は以下の通りだった。
 西澤氏の経歴等が判明し、「メディアが西澤氏を特定した。とくに某週刊誌は確信を持っている」との報告があった。
 「メール」に出てくる名前は、いずれも実在するライブドアの社員であることが判明した。
 「送金の元帳を見た協力者が存在すること、『メール』に記された3,000 万円の送金のほかに1,000 万円が2 回にわたり送金されたとの情報がある」ことなどが報告された。
 顧問弁護士は、「『メール』については誤りを認めるべき」、「『メール』の真偽性について、専門家による調査を行い、報告書をつくるべき」と進言し、危機管理の重要性を主張した。
 野田国対委員長は、細野役員室長に、「メール」の真偽性に関するレポートの作成を指示した。
 この会合において永田議員は、終始西澤氏と電話で話し続けた。出席者によると、永田議員は、すでに不安定な様子に陥っていた。永田議員と西澤氏の電話によるやり取りは、以下の通りだった。
 永田議員は、西澤氏に「メディアが西澤氏を特定した。とくに某週刊誌は確信を持っている」と伝えた。
 すると西澤氏は、ひどく狼狽し「S氏の謀略だ」と述べ、「自分の名前が報じられると経営する会社に大きな損害を与え、自分は会社を失う」と説明し、「メディア対応に長けた弁護士を頼むことにする」と述べた。
 「対策チーム」は、新たな疑惑の調査を並行して行うことを確認し、解散した。
 この後、永田議員は、23 日(木)に世田谷の病院に入院するまでの間、このホテルに滞在した。
 3、 2 月20 日(月)、党幹部による対応策の協議が行われ、22 日(水)の党首討論に向けた準備が始まった。

 
1)2 月20 日(月)、「メール」の信憑性の立証、新たな疑惑調査とも進展はなかった。
 2 月20 日(月)、永田議員は、西澤氏に対し、「プロ野球選手とのトラブルなど、西澤氏の評判が芳しくないことを党が懸念している」と伝えた。これに対し西澤氏は、激高した。
 細野役員室長は、朝から「メール」の信憑性の検証を行った。その結果、書かれている内容についても不自然な点が多いことが判明し、旧知の専門家に依頼して、「『メール』は本物ではない」とするレポートを作成し、この夜、野田国対委員長に渡した。
 細野役員室長は、「メール」および「口座」問題について、撤退・前進両にらみで22 日の党首討論の準備を進めた。この時、細野役員室長は、「『メール』問題で前進を選択するならば、新たな疑惑を追及するしかない」と考え、新疑惑の発掘に奔走した。
 この時点までに、「メール」の信憑性の裏付け、新たな疑惑の調査のいずれについても進展がなかった。

 
2)2 月20 日(月)夜、幹部協議が行われ、22 日の党首討論までに新たな疑惑の情報を入手する方針が確認され、対策チームに伝達された。この夜の報道番組で、平沢議員が「メール」を入手したとしてそれを公表した。
 午後 10 時頃、都内ホテルで幹部協議が行われた。出席者は、前原代表、鳩山幹事長、松本政調会長、野田国対委員長、玄葉幹事長代理、平野総合調整局長、細野役員室長の7 名だった。
 会議冒頭に野田国対委員長は、一連の経過を説明し、「メール」の信憑性が立証できていないことを詫び、「自らの責任である」と述べた。
 会議では、早期の撤退論を含め、様々な議論があった。また、周辺疑惑についての情報交換が行われ、22 日の党首討論までに新たな疑惑の情報入手に全力を挙げることが確認された。
 午後 11 時頃、野田国対委員長は、細野役員室長とともに、別のホテルに待機していた「対策チーム」メンバーに、幹部協議の結論を伝えた。出席者は、藤村国対委員長代理、松野予算理事、中川議運筆頭、蓮舫議員らであった。
 深夜、野田国対委員長は、永田議員および付き添っていた手塚前議員に対し、一連の会議の経過を伝えた。
 同夜、自民党の平沢議員は、報道番組に出演し、「メール」を入手したとしてそれを公表した。

 3)2 月21 日(火)午前、野田国対委員長は、役員会、常任幹事会に前日までの経過を報告した。
 2 月21 日(火)午前8 時過ぎ、野田国対委員長は、役員会において、前日までの経過を報告した。これに対し、参議院役員から懸念する意見が出された。
 午前 10 時、野田国対委員長は、常任幹事会において、報告した。出席者から質問や意見は出されなかった。

 4)2 月21 日(火)、「メール」の送信元と送信先のアドレスが同一との情報が流れたが、真偽の判断に至らないまま党首討論の準備が進められた。午後の記者会見において前原代表は、党首討論で「メール」問題を取り上げざるを得ないと考え、「楽しみにしていただきたい」と再び発言した。
 2 月21 日(火)、「対策チーム」メンバーは、国会内で断続的に情報交換を行った。
 細野役員室長は、新たな疑惑の調査にあたっていた平野総合調整局長および福山役員室長代理から、党首討論で追及できるテーマはないとの報告を受けた。
 原口予算委員は、国会内で、居合わせた「対策チーム」メンバーに、送信元(from)と送信先(to)が同一の「メール」のプリントアウトを見せた。「対策チーム」メンバーは、この「メール」について協議したが、真偽の判断には至らなかった。
 午後 3 時、前原代表が、定例記者会見において22 日の党首討論を「楽しみにしていただきたい」と発言した。これは、質問項目も決定していないにもかかわらず、記者から繰り返し質問を受けて、「明日の党首討論を聞いてもらえばわかる」という趣旨で「楽しみにしていただきたい」と述べたものだった。
 夕方、野田国対委員長と藤村国対委員長代理は、永田議員と会い、「メール」の送信元(from)と送信先(to)が同一であるという説が出回っていることを話した。それを聞いた永田議員は、驚き、野田国対委員長に「そのことを西澤氏に質してもいいか」と訊いた。野田国対委員長は、永田議員に、そのことは西澤氏には伝えず、党首討論まで「メール」の信憑性の立証に努めるよう指示した。
 深夜、細野役員室長は、党首討論に向けた新たな疑惑の調査を断念し、その旨を前原代表の留守番電話に伝言した。

 5)2 月22 日(水)、前原代表は、「国政調査権の行使に応じれば口座情報を明かす」と迫る方針にもとづき、党首討論で「メール」問題を取り上げた。その際、前原代表は「確証」を得ていると発言したが、終了後「言葉が間違っていた」と述べた。
 2 月22 日(水)昼前後、幹部は党首討論について打ち合わせを行った。出席者は、前原代表、鳩山幹事長、松本政調会長、野田国対委員長、玄葉幹事長代理、細野役員室長の6 名だった。
 打合せにおいて、出席者から、党首討論で「メール」問題を取り上げることの是非について、賛否両論が出されたが、最終的に、党首討論では「メール」には触れないこととすること、また昼の予算委員会理事会で「国政調査権の行使に応じれば口座情報を明かす」ことを主張した上で、党首討論においても同様の主張で迫る方針が確認された。
 この時点で、前原代表は、「メール」を持ち込んだ人物と「口座」情報の提供者は別人であると認識していた。
 前原代表は、党首討論において、「口座」情報について「確証を得ている」と発言し、国政調査権の発動を要求したが、終了後のぶら下がり取材において「言葉が間違っていた」と述べた。
 この時点では、党首討論に対するマスコミの最大の関心と注視の的は「メール」問題であるとの空気が極めて強く、この問題を避けることはできないとの思いも強くあって、前述の発言となった。
 Ⅳ.党首討論後から処分等の決定に至る経緯

 
1、 2 月22 日(水)夜、永田議員は自らの進退を野田国対委員長に預けた。永田議員の意思は二転三転したが、翌23 日(木)朝、永田議員の進退が幹事長に一任され、その深夜、永田議員は世田谷区の病院に入院した。

 1)2 月22 日(水)夜、野田国対委員長は、翌日に本会議が予定され、永田議員においても出席する必要があることを踏まえ、「翌23 日(木)の国対委員長定例会見に、永田議員が同席し、2 月17 日の予算委員会質疑以降の取り組みについて説明すべきだ」と考え、その打合せをするために永田議員と面会した。その際、永田議員は、野田国対委員長に進退を預けた。
 永田議員と面会した野田国対委員長は、永田議員に、「情報の信憑性の立証ができていないことに、党内外から厳しい声が上がっている」と伝えた。永田議員は、「これ以上努力しても情報の信憑性を確認することは困難である」、「自身の力不足を詫び、進退については国対委員長に預ける」と述べた。
 午後 7 時頃、前原代表、松本政調会長、野田国対委員長、玄葉幹事長代理、細野役員室長が都内ホテルに集まった。
 その場で、野田国対委員長は、永田議員の進退伺いを預かっていると報告した。これに対し、前原代表は、「本人のためにも、党のためにも、永田議員は自発的に辞職すべきである」と提案し、他の出席者もこれに同調した。前原代表は、「私が永田議員に辞職を促す」と述べたが、野田国対委員長が「永田議員のことは自分に任せてほしい」と述べ、野田国対委員長に一任された。
 午後 7 時過ぎ、野田国対委員長と藤村国対委員長代理は、永田議員が滞在するホテルの部屋を訪れた。その場で、野田国対委員長は、永田議員に対し、自分の判断で辞職するよう申し向けた。これに対し、永田議員は「その判断に従いたい」と述べた。
 その後、野田国対委員長は、前原代表、鳩山幹事長(留守電に伝言)、玄葉幹事長代理、細野役員室長に、「永田議員は辞職の意思を固めた」と報告した。
 野田国対委員長は、藤村国対委員長代理、蓮舫議員らとともに、翌日の永田議員の記者会見に向けた準備を行った。

 2)2 月23 日(木)朝、永田議員の辞意が揺らぎ、「本人の意思が確認できれば辞任を認める」ことが確認され、その対応が鳩山幹事長に一任された。
 2 月23 日(木)午前2 時頃、永田議員は、海外出張中の実父に電話で辞職する旨を説明した。実父は、永田議員に「それは筋が違うのではないか」などと翻意を促した。
 その後、永田議員は、一睡もせずに考え続け、野田国対委員長と藤村国対委員長代理に電話を掛けたが、未明で話はできなかった。午前5 時半頃、永田議員は、野田国対委員長から電話を受け、「辞職しません」と伝え、同じホテルに宿泊していた野田国対委員長の部屋を訪れた。
 そこで野田国対委員長は、「永田議員が辞職しないのであれば、自分が責任をとる」と述べ、永田議員を説得した。永田議員は、説得に応じ、改めて議員辞職する意思を固めた。野田国対委員長は、「永田議員は、心身の疲労が極限に達し、進退についての心境も大きく揺れ動いている」と感じ、藤村国対委員長代理と手塚前議員に永田議員の付き添いを要請し、ホテルを離れた。
 午前8 時、野田国対委員長は、藤村国対委員長代理と手塚前議員の到着後、鳩山幹事長に緊急役員会の開催を要請した。
 午前 9 時45 分、緊急の役員懇談会において、野田国対委員長は、永田議員の進退が自分に預けられたと報告し、一連の経過を説明した。会議では、本人の判断を尊重すべきとの意見も多く出されたが、異論もあり、永田議員の進退等の扱いについて、「本人の意思が確認できれば辞任を認める」ことが確認され、その対応が鳩山幹事長に一任された。

 3)2 月23 日(木)、永田議員は、鳩山幹事長と野田国対委員長に、辞職の意思がないことを伝えた。夜、役員懇談会において、永田議員を一旦入院させ、退院してから進退を判断することが了承された。
 2月23 日(木)昼頃、鳩山幹事長は、野田国対委員長から、「永田議員が議員を辞めたくないと言っている」との連絡を受け、夕方、野田国対委員長とともに、永田議員が滞在するホテルを訪れた。
 そこで永田議員は、鳩山幹事長に、「ご迷惑をおかけして申し訳ない」、「隔離された環境で情報が乏しく、入ってくる情報は進退にかかわることばかりで、精神的に大きく混乱しており、正常な判断を下すことは不可能だと思う」、「党内や国会、そして世論がどのように反応するか全く予想できず、もしかしたら大変な迷惑をおかけすることになるかもしれないが、可能であれば辞職は避けたい」、「進むも地獄。退くも地獄。だけど茨の道でも前へ進みたい」と述べた。
 それを聞いた鳩山幹事長は、「永田議員は精神的にも肉体的にも限界に達している」と判断し、永田議員に「入院したほうがよいのではないか」と話した。
 午後7 時30 分、鳩山幹事長は、再び開催された役員懇談会において、「永田議員に辞職の意思がなく、精神的にも肉体的にも限界に達して不安定な状況にあるため、一旦入院させて退院後に進退を判断する」と報告した。一部出席者は、永田議員の入院に反対したが、「永田議員が憔悴しているためやむを得ない」として、鳩山幹事長の報告は了承された。
 午後 11 時頃、永田議員は、世田谷区の病院に入院し、直ちに血液検査と点滴、レントゲン検査が行われた。医師の所見は「過労とストレスによる脱水症状と不眠であり、点滴と食事療法が必要」とのことだった。

 
4)2 月23 日(木)夜、鳩山幹事長は、「永田議員の入院に関するコメント」と「『メール』の信憑性を100%立証することはできなかった」とするコメントを発表した。
 2 月23 日(木)夜、役員懇談会後に幹部が協議し、「メール」の信憑性がないことを認めることを確認した。
 深夜、鳩山幹事長は、記者団に「永田議員の入院に関するコメント」と「『メール』の信憑性を100%立証することはできなかった」とするコメントを発表した。

 2、 2 月26 日(日)夜、鳩山幹事長、玄葉幹事長代理、平野総合調整局長が事態収拾に向けた打ち合わせを行った。28 日(火)に永田議員が退院して記者会見を行うとともに、「メール」は本物ではないとの調査結果を発表し、役員等の処分を決定した。

 1)2 月24 日(金)以降、調査を継続したが、新たな事実は判明しなかった。
 永田議員の入院後、西澤氏は、永田議員に「メールを西澤氏に持ち込んだのはS氏である。このことは100%間違いのない事実だ。」と電話で述べた。これを聞いて永田議員は、「『メール』はライブドアの元社員がハードディスクをコピーして持ち出したものから西澤氏が選別したという以前の説明と明らかに矛盾する」と考えた。
 2 月26 日(金)、野田国対委員長は、永田議員に、しっかりと休養するため、家族、秘書、手塚前議員以外とは連絡をとらないように注意した。
 この間、「メール」や「口座」、新たな疑惑などについて調査が継続されたが、新しい事実は得られなかった。

 2)2 月26 日(日)夜、鳩山幹事長、玄葉幹事長代理、平野総合調整局長が事態収拾に向けて打ち合わせを行った。翌27 日(月)、昼の幹部協議で、28 日(火)に永田議員が退院して記者会見を行い、役員等の処分を行う方針が確認された。
 2 月26 日(日)夜、鳩山幹事長、玄葉幹事長代理、平野総合調整局長が都内ホテルに集まり、事態収拾に向けて打ち合わせを行った。翌27 日に永田議員が退院することは難しいと判断された。
 2 月27 日(月)昼、代表、幹事長の協議において、「メール」は堀江容疑者が発信したものでないと判断せざるを得ないとの認識で一致し、翌28 日(火)に永田議員が退院して記者会見を行うこと、「メール」は本物ではないとの調査結果を発表し、役員等の処分を行う方向で手続きを進めることなどが確認された。
 午後 1 時頃、野田国対委員長は、前原代表に、国対委員長の辞任を申し出た。前原代表は、「預からせてほしい」とだけ答えた。深夜、野田国対委員長は、鳩山幹事長の留守番電話に、国対委員長の辞意を伝言した。
 午後 1 時頃、玄葉幹事長代理は、細野役員室長に、永田議員の記者会見および代表記者会見の準備を指示した。細野役員室長は、松本政調会長、加藤広報戦略本部事務総長、大塚同代理、福山役員室長代理、笠制作局長に、協力を要請し、永田議員および代表の記者会見の準備を進めた。しかし、関係者の日程が合わず、十分な打ち合わせが出来ないまま、会見の準備は深夜に及んだ。
 午後、鳩山幹事長は、羽田最高顧問、渡部最高顧問(当時)、小沢元党首、菅元代表、岡田前代表(電話)を訪ね、意見を聴いた。

 3)2 月28 日(火)朝、幹部協議および役員懇談会において、鳩山幹事長と野田国対委員長が辞意を表明した。前原代表の慰留に対し、鳩山幹事長は、「しばらくの間、事態収拾の責任を全うする」という思いに至り、辞意を撤回した。永田議員の党員資格停止処分、野田国対委員長の辞任、鳩山幹事長に対する常任幹事会名による厳重注意などの方針が確認された。
 2 月28 日(火)早朝、野田国対委員長は、鳩山幹事長に、改めて国対委員長を辞任したい旨を電話で伝えた。
 午前 7 時、前原代表と鳩山幹事長の打ち合わせが始まった。午前7 時半頃、玄葉幹事長代理、平野総合調整局長、細野役員室長が加わり、午前8 時頃、松本政調会長、野田国対委員長が加わった。その場で、鳩山幹事長と野田国対委員長が辞意を表明し、前原代表は、鳩山幹事長を慰留した。
 午前 8 時半、江田参議院議員会長が加わり、役員懇談会が開かれた。前原代表の慰留に対し、鳩山幹事長は、「しばらくの間、事態収拾の責任を全うする」という思いに至り、辞意を撤回した。会議において、永田議員の党員資格停止処分、野田国対委員長の辞任、鳩山幹事長に対する常任幹事会名による厳重注意などの方針が確認された。

 4)2 月28 日(火)午前、永田議員が退院し、記者会見に向けて打ち合わせを行い、午後2 時45 分、永田議員が記者会見を行った。
 2 月28 日(火)午前、永田議員は、世田谷区の病院を退院し、国会周辺で鳩山幹事長と面会した。その場で、鳩山幹事長は、永田議員に、処分内容を伝えた。
 その後、永田議員は、同じ場所で、担当議員と記者会見の打ち合わせを行った。その際、永田議員と出席者は、用意された原稿を若干修正し、読み上げることを確認した。
 午後2 時45 分、永田議員は、国会内で記者会見を行った。その場には、鳩山幹事長と野田国対委員長が同席した。

 5)2 月28 日(火)午後、役員会、常任幹事会、両院議員総会において、「メール」は本物ではないとの調査結果が報告され、処分等が決定された。続いて、鳩山幹事長と前原代表が記者会見を行い、自民党、武部幹事長およびそのご次男に対して謝罪を表明した。
 2 月28 日(火)午後3 時30 分、役員会において、「メール」は本物ではないとの調査結果、永田議員の党員資格停止処分、野田国対委員長の辞任、鳩山幹事長に対する常任幹事会名による厳重注意などの方針が承認された。
 午後 4 時、常任幹事会において、「メール」は本物ではないとの調査結果が報告され、永田議員の党員資格停止処分、野田国対委員長の辞任、鳩山幹事長に対する常任幹事会名による厳重注意などが決定された。
 午後 5 時、両院議員総会において、永田議員が謝罪するとともに、「メール」は本物ではないとの調査結果、永田議員の党員資格停止処分、野田国対委員長の辞任、鳩山幹事長に対する常任幹事会名による厳重注意などが承認された。
 両院議員総会終了後、代表と幹事長が相次いで記者会見し、国民の皆さんに謝罪するとともに、自民党、武部幹事長およびそのご次男に対して謝罪を表明した。
 Ⅴ.その後の経緯

 
1、 3 月1 日(水)、自民党から公開質問状が届けられた。
 1)  3 月1 日(水)、自民党から永田議員および民主党宛に、公開質問状が届けられ、翌2 日(木)、永田議員および鳩山幹事長名でそれぞれ回答した。
 2)  3 月2 日(木)、自民党から永田議員および民主党宛に、公開質問状(2)が届けられ、3 月3 日(金)午前、永田議員と鳩山幹事長が連名で再回答した。その内容は、以下の通りだった。
 自民党および武部幹事長、関係者に対しては、鳩山幹事長、永田議員連名による事実認識と陳謝を表明した。
 院内における事項については、永田議員に対する懲罰動議の懲罰委員会への付託、議事録削除、国会におけるしかるべき場での陳謝を表明した。
 私人たる武部幹事長のご次男の名誉回復については、民事の常識をもって誠実に対応することを表明した。
3)  再回答を受け、自民党は「民主党の釈明と謝罪を了とし、この問題を区切りと致します」との幹事長談話を発表した。

 
2 、3 月1 日(水)、「メール」問題検証チームを設置した。
1)  3 月1 日(水)、正副幹事長会議において、「メール」問題検証チームの設置が確認された。
2)  3 月2 日(木)、「メール」問題検証チームの第1 回会合が開催された。

 
3 、3 月3 日(金)、国対委員長辞任に伴う役員人事が承認された。
1)  3 月2 日(木)夕方、臨時役員会において、両院議員総会の招集と野田国対委員長辞任に伴う役員人事が確認された。
2)  3 月3 日(金)昼、両院議員総会において、新国対委員長に渡部恒三議員を選任することが承認された。あわせて、国対委員長代理に川端達夫議員(常任幹事会議長兼任)、平野博文議員(総合調整局長兼任)を選任するとともに、幹事長代理に仙谷由人議員を追加選任することが報告された。

 4、 3 月15 日(水)、武部幹事長のご次男の希望にもとづき、同氏に対する謝罪広告を新聞6 紙に掲載した。
1)  3 月7 日(火)、常任幹事会において、私人である武部幹事長のご次男の名誉回復等に関し、先方から新聞6紙への謝罪広告掲載の希望があったことについて、異論が出されたが、党としてこれに応じることで協議に入ることが承認され、具体的なことは鳩山幹事長に一任された。
2)  3 月15 日(水)、武部幹事長のご次男に対する謝罪広告を、同氏の希望にもとづき、全国紙5 紙および北海道新聞に掲載した。
 第四 事実の経緯からみた問題点

 1 なぜ、永田議員は、西澤氏に騙されたのか。
1)  永田議員は、西澤氏の言動から同氏に対する社会的評価が高いと考え、また讃辞を述べられたことなどから、同氏に全幅の信頼を置いていた。
2)  西澤氏は、現時点でみれば、「情報源の秘匿」や「情報提供者の安全」を巧妙に利用した、詐り話や事実の粉飾、針小棒大な説明などによって、合理性を装い、永田議員を騙した。
3)  その結果、永田議員は、西澤氏の説明を吟味することなく鵜呑みにして、「メール」は本物であると思い込んだ。

 2 なぜ、永田議員は、「メール」に関する調査を怠り、虚偽の質問を行ったのか。
1)  永田議員は、「メール」を入手した際にそれを本物と思い込んでいたために、当然行うべき客観的調査を全く行わなかった。
2)  永田議員は、野田国対委員長などから、「情報提供者」の確認を指示されたが、自らの思い込みにもとづき、「情報提供者」と接触する努力すら行わなかった。
3)  永田議員は、野田国対委員長などから、質疑までに「確証」を入手するよう指示されたが、当該口座番号すら得られていない状況で、2 月16 日の予算委員会において、「口座情報を得ている」と虚偽の質問をし、参考人招致と国政調査権発動を要求した。

 3 なぜ、党は「メール」の真偽をチェックできず、永田議員の質疑を許したのか。
1)  国会質疑において、議員の自主性を確保し、情報管理を徹底する必要性から、情報の客観化をチェックする仕組みがなかった。
2)  永田議員は、野田国対委員長をはじめとする国対役員に、情報を正確に伝えず、西澤氏が信頼に足る人物であるかのごとく誇張し、「口座情報を得ている」、「『情報提供者』から直接情報を得た」など、事実に反する情報を伝えて誤信させた。
3)  野田国対委員長は、情報管理の徹底を図るため、「情報」の確認作業を永田議員一人に委ねたが、それが他の議員やスタッフ、アドバイザーによる吟味を阻み、永田議員の誇張や事実に反する報告を見抜けず、情報の客観化を欠く結果につながった。
4)  野田国対委員長は、永田議員に、弁護士出身の同僚議員などから、「情報」の客観化や質疑の表現振りについてアドバイスを受けるよう指示したが、16 日に質疑を行うという時間的制約もあり、永田議員は、アドバイスを受けながらそれに的確に対応せず、「確証」を得られないまま断定口調で質問した。
 
 4 なぜ、前原代表は、2 月16 日の永田議員質疑直後の代議士会で「確度の高い情報」と発言し、その後、19 日と21 日に「楽しみにしていただきたい」と発言したのか。
1)  2 月16 日の時点で、前原代表は、野田国対委員長から「しっかりとした情報を得ている」と報告を受けており、「情報提供者」から情報を得ているものと認識していた。
2)  19 日の時点で、前原代表には、「振込元口座がライブドア・ファイナンス名義である」ことが報告されていたが、それが「情報提供者」に直接確認したものでないこと、および同人から直接提供されたものでないことは伝えられていなかった。
3)  21 日の時点で、前原代表は、国民の注視の的となっていた党首討論で「メール」問題を取り上げざるを得ないとは考えていたが、質問項目も決定していないにもかかわらず、記者から繰り返し質問を受けて、「明日の党首討論を聴いてもらえばわかる」という趣旨で「楽しみにしていただきたい」と述べたものだった。
4)  結果として、永田議員の思い込みに端を発した、確認されていない情報が、あたかも真実性があるかのごとく野田国対委員長に伝えられ、情報伝達の過程で、それが是正されないまま前原代表にも引き継がれていたことも、この発言の深因となっていたものと考えられる。
 
 5 なぜ、前原代表は 2 月22 日の党首討論において、「口座」を取り上げたのか。また、なぜ「確証」があると発言したのか。
1)  前原代表は、同日昼の予算委員会理事会における主張を踏まえ、幹部間で確認された方針にもとづき、「国政調査権の行使に応じれば、口座情報を明かす」と迫った。
2)  この時点においても、前原代表は、「口座」情報は「情報提供者」から提供されたものと認識し、周辺疑惑に関する情報が報告されていた。
3)  なお、前原代表は、党首討論後、「確証」があると発言したが、終了後のぶら下がり取材において「言葉が間違っていた」と述べた。

 6 なぜ、早期に方針転換できなかったのか。
1)  2 月17 日に永田議員が再質問をしなければ、事態の拡大は防げたと考えられる。しかし、16 日の質疑を検証することなく、新たな情報も得られないまま、質疑をさせた。
2)  2 月20 日夜の幹部協議は、早期の方針転換に向けた大きな分岐点だったと考えられる。この時、「メール」の信憑性の立証は困難との認識が共有されたが、「口座」に関する正確な情報は共有されず、新たな疑惑に関する情報の調査に全力を挙げるとの方針が確認された。
3)  2 月22 日の党首討論において「メール」問題を取り上げないという選択肢があったと考えられる。しかし、党首討論は国民注視の的となっており、賛否両論あったものの、取り上げざるを得ないと判断された。
4)  「ライブドアに関わる疑惑はあるはずだ」という空気が存在し、2 月16 日にマスコミのぶら下がり取材を受けた武部幹事長の表情などから、例え「メール」の信憑性が立証できなくとも、「疑惑はあるはずだ」という期待を最後まで捨てきれなかった。
5)  西澤氏が信用できない人物であると判明し、「メール」の信憑性の立証が困難を極めるなかでも、西澤氏から、振込元「口座」がライブドア・ファイナンス名義であると確認されたことが、「疑惑はあるはずだ」という期待を強め、あるいは誤った認識の原因となった。

 7 党の危機管理に問題はなかったのか。
1)  国会質疑の重さが十分に理解されず、「疑惑」追及には大きなリスクが伴うとの認識が不足していた。
2)  リスク認識の不足によって、このような重大な事態が想定されておらず、国会質疑における、事前のチェック体制が整備されていなかった。
3)  危機管理上の対応原則・方針が整備されておらず、リスクに対応するマネージメント機能が働いていなかった。
4)  リスクが顕在化した後も、永田議員と野田国対委員長をはじめとする国対役員、さらに党幹部の間で、正確な情報が共有されず、方針転換が遅れる結果となった。
5)  2 月23 日(木)の事態収拾に失敗し、同議員を入院させたことによって、事態収拾が遅れた。
 
 8 その他

 1)「メール」は誰が何の目的で作成したのか。
 検証チームの事情聴取において、西澤氏は、永田議員に「メール」を提供したことは認めたが、「自分はA氏の仲介をしただけ」と述べた。現時点では、「情報提供者」の存在を含め、「メール」の作成者は不明であり、その調査は不可能である。

 2)金銭の提供はなかったのか。

 金銭の提供はなく、その他についても、永田議員が懲罰委員会において説明した、雑誌「デュモン」の購入費42 万円の支払いおよび1 月30 日の飲食代金および、そこに行くまでのタクシー代以外にはない。

 3)「メール」を偽物と判断した理由は何か。

 以下の事項を総合的に勘案し、「メール」は偽物と判断した。
 「ユードラ」のバージョンが堀江氏使用のものと異なること。
 「メール」に不自然な点が多いこと(本文中の署名の前に「@」がついていること、本文の書式が一行ずれていること、敬称がついていないこと、宛名が黒塗りされていない「メール」の発信者と送信先のアドレスが黒塗りされていたこと)。
 西澤氏の評判が非常に悪く、信用できない人物だと判明したこと。
 「情報提供者」の存在が確認できなかったこと。
 「メール」の発信者のアドレス(from)と送信先のアドレス(to)が同一との説が出回ったこと。
 第五 私たちの反省と教訓

 1 基本的立場と反省

 民主党「メール」問題検証チームは、前述の通り率直に、永田議員が「偽メール」を取り上げて質問に至った経緯、また質問の仕方、質問後の国会対策委員会メンバーを主とした対応、2 月22 日の前原代表の党首討論に至る事実と心理、そして同日夜以降の民主党に対する批判・非難に対する対処(危機管理)の経過と永田議員および執行責任者に対する「処分」と自民党ならびに同党武部幹事長とそのご次男に対する謝罪などの事実を検証・認定し、その事実から導き出される問題点を摘示してきた。日本の戦後憲政史上初めてと言っても過言ではない、実質上の二大政党による政権交代による民主主義の深化・豊富化に向かいつつある状況下で、このような大失敗をし、その対処においても国民の批判を浴び、責任野党として政権政党への成長・成熟への国民の期待に背いた大失態を演じてしまったとの自覚をしなければならない。私たちは、この度の失敗の原因がどこにあるのかを摘出し、その反省の中から教訓を引き出し、その教訓を責任野党の組織のシステムとしてビルトインし、またその一員としての行動規範として体得するべく緊張感を持って自らを鍛えなければならない。

 2 自らの力に対する客観的認識

 私たちは野党に身を置いているという自覚を持つべきである。次の与党たらんとする情熱と気迫を堅持しつつ、いつも自らを客観化し、謙虚に自
らの力量を自覚するという態度が必要である。つまり、与党のような権力は持てていないのみならず、相手方の与党は、手にしている「権力」を手放さないことにその持てる力すべてを動員しているという冷厳な事実を忘れないことである。そして、政治および政治行動は、時機(タイミング)と時期(タイムリミット)に規定され、その効果が感じられることから、どうしても拙速に流れたり、準備不足のまま行動せざるを得ないことが多々あることを肝に銘じなければならない。

 3 マネージメントとリスク管理

 1)議員一人ひとりの政治活動についての「内なるガイドライン」

 敢えて言うまでもなく、本事件を契機として、党所属議員一人ひとりが、議員の職責の重さ、疑惑追及のリスクなどを改めて再認識するとともに、質問技術の向上を図るなど、議員として自己教育に努めることが必要であり、次のような基準を持つべきである。
①情報提供者や情報取材者に対し猜疑心を持つ必要はないが、その人たちに対する信頼が確かなものであるかどうかを反すうすること。
②情報そのものの合理性について、周辺事情を含め調査すること。
③間接情報(伝聞)については、自らの目と耳と体で確認すること。
④自分がその立場ならどうするかを考えてみること。
⑤信頼すべき同僚、ないし政治のしかるべき機関にチェックを申し出ること。
 などが、調査、質問、政策づくりの活動にあたって心すべきであろう。

 2)政党のチェックガイドライン

 一般的にも政党は個々の議員の自主性と自己責任に委ねつつも、以下のような基準によってリスク管理をすべきである。
慎重性の原則  疑惑追及や重大な政治的テーマであることを察知した場合、慎重の上にも慎重を期する。とりわけ、「一発主義」や「功名心高揚」に陥らないように指導する。
配慮の原則  当事者以外の人々に迷惑が及ばないよう最大限配慮する。
客観化の原則  少人数のプロジェクトチームを形成させ、その内部における相互議論で、情報、資料の客観化に努める。当該チームには、弁護士経験議員などを加え、国対役員、関係委員会理事等と正確な情報を共有する。
責任の原則  質問や追及に誤りが判明したときには、できうる限り速やかに、誤りを認め、しかるべき責任を明らかにする。

 3)危機管理機能の強化
 リスクを顕在化させないための機構を設置し、議員プロジェクトチームの活動についてリスクの発生を予防する。そのため、例えば、個々の議員が随時相談もできる窓口として、外部専門家の参加を得てのコンプライアンス委員会を設ける。
 リスクが顕在化したときの対応について、その責任を明確にしたうえで、危機管理対応の部局を設け、とりわけメディア対応に成熟した専門スタッフを養成することに努める。

 4)結語

 民主党は野党である。しかし、責任野党(次の国政選挙を通じて政権交代を実現し、政権を担う政党)でなければならない。政権争奪のための闘いは日常の闘いであるが、これ自体大きなリスクを伴うことであることを改めて自覚しなければならず、政治活動の基礎たるフィールドワーク・情報収集や、調査、討論、政策立案のすべてにわたって、リスクに取り囲まれているという緊張感を持つべきである。しかし、政権与党と闘う以上“あつものに懲りてなますを吹く”ようなリスクを嫌う、リスクを避ける政治文化に浸ってはならないことも明らかである。そして、「人はときとして過ちを犯す」こともまたひとつの真実である。私たちは、過ちを犯すこともあることを謙虚に認めながら、これをできうる限り押さえ込み管理するシステムをつくり上げ、リスクを管理しながら、リスクをとって、政権交代に挑戦しなければならない。失敗は恥ずかしい、失敗によって迷惑を掛けた人々には心の底から謝罪しながら、「失敗」の経験から教訓を汲み出し、この教訓を私たちの貴重な財産とするよう努めることが「責任野党」への再生の道であることを確信する。

 2006 年3 月31 日
 民主党「メール」問題検証チーム

 ◎座 長 玄葉光一郎 幹事長代理
 ◎委 員 仙谷 由人 幹事長代理
 平野 博文 総合調整局長
 藤村 修 前国対委員長代理
 松野 頼久 筆頭副幹事長
 佐藤 雄平 副幹事長
 加藤 公一 広報戦略本部事務総長
 細野 豪志 役員室長
 蓮 舫 副幹事長
 河村たかし 衆議院議員
 山田 正彦 衆議院議員
 末松 義規 衆議院議員
 平岡 秀夫 衆議院議員

れんだいこのカンテラ時評№1056  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 7月21日

 【「永田議員の偽メール質議事件」解析1、事件解析観点をかく問う】

 過日、阿修羅情報によってだったか「永田議員の偽メール質議事件」(以下、単に「事件」と記す)の民主党の報告書があることを知った。そのサイトは、2006.3.31日づけ民主党第367 回常任幹事会(報告事項)(以下、単に「報告書」と記す)である。

 事件とは、民主党が政権を取る2009年の3年前の2006.2.16日に発生している永田寿康・衆議院議員(以下、単に「永田」と記す。氏名につき以下同様とする)による失態的な国会質疑事件である。これにより、民主党内の有能な若手代表格であった永田は議員辞職を余儀なくされ完全失脚した。失意のままの2009.1.3日、北九州市の11階建てマンションからの飛び降りた形跡で変死している。自殺か事故死か他殺かさえはっきりしないまま処理されている。既に記憶の片隅でしかないこの事件であるが、妙な事が気になり始めたので記しておく。

 それは、現下の野田政権は無論のこと民主党三代政権の重要閣僚に関係するのであるが、何と事件に深く関係している者がよりによって大挙して登用されていることが判明する。多くの者はこれを偶然と看做すかもしれないが、れんだいこのアンテナに引っかかる。れんだいこの読みが正しければ、永田は、事件を企画演出した者たちによる政治的儀式殺人ならぬ儀式廃人で葬られたことになる。

 現代政治家の多くが国際金融資本グループの秘密結社員である可能性があり、そういう秘密結社は時に結束を強める為に儀式殺人をすることで知られている。永田は、その生贄にされたのではなかろうかとの疑いが捨てきれない。と云う事は逆に、永田を生贄にした連中がこぞって野田政権にへばりついているおぞましい姿が見えてくることになる。ウソかマコトか、2012年真夏の怪談として聞き流してくれれば良い。

 本事件の経緯及びその検証は報告書に譲る。本稿の狙いは、同書を踏まえつつ同書が触れなかったキモの部分を炙り出し、事件の裏真実を抉(えぐ)り出すことにある。事件の奥底の深い謀略を嗅ぎつけ、その構図を暴くことにある。民主党三代政権の閣僚登用の裏に潜む陰謀を捕捉することにある。れんだいこの読みが正しければ、このようなイカガワシイ政権と一刻も早く決別し、日本再生の大道へ歩を進めねばならないと思う。

 本論考末尾に記すべきであるが、ここで結論を先出しにしておく。事件の経緯から何を窺うべきだろうか。個々の疑問については文中に記す。総確認すべきは、本事件の登場する人物を見よ。単なる顧問格の面々、報告書委員に過ぎない河村、山田、末松、平岡の4名を除けば第一幕に「野田、前原、藤村、仙谷、枝野」、第二幕に「細野、鳩山、平野、松野、玄葉」、第三幕に「松本、蓮舫、手塚、加藤、大塚、福山、笠、江田」が登場している。

 何と、仮に「永田嵌められた説」に立てば、事件の裏で暗躍していたこれらの汚れ役が笠・氏一人を除いて揃いも揃って民主党政権で引き立てられ要職に就いていることになる。余りの符合に気持ちが悪いほどである。勿論、主役は野田、前原である。民主党のもう一つのスター失脚事件である石井議員刺殺事件に暗躍していた菅グループと合わせれば、民主党三代政権とは、永田及び石井抹殺グループのオンパレードと云うことになる。

 つまり、2009政権交代によりもたらされた民主党の鳩山、菅、野田政権とは、「永田議員失脚事件と石井議員刺殺事件に暗躍した黒い人脈者どもによる宴の政権」であることが判明する。してみれば、事件に登場した人物群は、「ノ―パンしゃぶしゃぶ事件」で露呈した売国系の官僚群と同じく売国系の民主党政治家群と言えるのではなかろうか。本事件考察の重要性はここにあり、連中が垣間見えていることにある。

 それにしても、マスコミの正義のペンは、こういうところの解明には向かわない。とにかくワシントンの仰せのままに小沢どんを目の敵にしてバッシングし続けており、ついこの間までは小沢金権論を云っていたかと思うと、夫婦不仲論に転じ、それも功を奏せず新党を立ち上げた今となっては小沢金欠論も交えて三面から舌鋒を鋭くしている。よくも口が曲がらぬ事と感心するが、大方の受け取りようはマスコミの云う事はその通りとしているように見える。かくしてマスコミはマインドコントロール機関として猛威を振っている。早くかような言論機関と決別して自由自主自律の独立系ネット言論機関を立ち上げねばと思う。

 事件の当事者となる永田の履歴はウィキペディア永田寿康その他で確認する。永田はこの時点で既に「国会の爆弾男」と呼ばれた楢崎弥之助(社会党出自の社会民主連合書記長、同党副代表)以来の「平成の爆弾男」と呼ばれるニックネームを得て国会での鋭い追及で名を馳せていた。そういうこともあってと思われるが、小泉政権の幹事長である武部勤の子息(次男)への不正献金疑惑ネタが持ち込まれる。これを仮に「ライブドアの最高経営者・堀江貴文の自民党幹事長・武部勤の子息次男への不正献金疑惑」と命名する(以下、「ホリエモン裏献金事件」と記す)。

れんだいこのカンテラ時評№1057  投稿者:れんだいこ 投稿日:2012年 7月22日

 【「永田議員の偽メール質議事件」解析2、国会質疑までの経緯】

 事件の発端は、2005.10.18日、永田が「党所属議員の秘書の紹介」により議員会館の事務所で雑誌「Dumont」(デュモン)を発行する株式会社デュモン・マーケティング代表取締役CEO・西澤孝・氏の取材を受けたことに発する。西澤の側からのアプローチであったと云う。

 ここでの問題は、事件を媒介した「党所属議員の秘書」が誰であるのか明らかにされて居ないことである。事件の胡散臭さを嗅ぎ取る側からすれば、最初の火つけ人であるこの秘書こそキーマンであるが、報告書は単に「党所属議員の秘書の紹介」と記して済ませている。永田と西澤を結びつけたのは、この秘書の単独発意なのか、秘書と西澤の二人のみによるセッティングであったのか、この二人がそもそも或る黒幕の教唆により接近したものなのかどうかの解明を要するが、報告書は追及していない。後の展開から見るのに、永田―西澤会談はそもそも永田にワナを仕掛ける為に接近されたものであり、永田が嵌められた形跡が強い。

 初会談以降、永田と西澤の交流が始まる。報告書がこの経緯について記しているので、ここでは略す。この過程で、「ホリエモン裏献金事件」が耳打ちされ、国会での追及を教唆されている。2006.1.26日、永田と原口一博・衆議院議員及び秘書が西澤と議員会館で同疑惑に関する情報交換を行っている。この時、原口が登場しているが若干の考察を要する。真相は恐らく、永田が最も信頼の於ける議員仲間として原口の同席を誘い、原口に一緒に聞いてもらうことで情報の信頼性を確認しようとしていたものと思われる。

 以降も同疑惑関連で永田と西澤の会食が続くことになるが略す。留意すべきは、この時点では、永田が「物証に乏しい」と述べていることである。これによると、永田は、事件追及に必ずしも積極的であったとは認めがたいことになる。してみれば、その後の永田の暴走は何によるのかが解明されねばなるまい。もう一つ、ここでの問題は、事件の追及に永田と原口に白羽の矢が立てられていると云うことである。奇しくもこの二人は民主党の中で国際金融資本の魔手の伸びていない稀有の若手有能政治家であり、共に将来が期待されるホープであった。故に狙われたのではなかろうかと思われる。但し、ここで二人の明暗が分かれる。即ち、その後の経緯から見て原口は乗り気にならず、逆に永田は食いつくことになる。

 2.1日、永田は、議員会館で西澤の訪問を受け、「ホリエモン裏献金事件」の証拠物である「メール」の提供及び口座情報について説明を受けている。西澤は次のように述べている。「情報提供者情報によると、メールは間違いなくライブドアの社内メールであり、しかもライブドアの最高経営者の堀江本人が受信者に対して直接送信したものであり、その内容は同氏の裏口座から武部次男の個人口座に資金供与する旨を告げている。実際に8.29日に3000万円、10.14日に1000万円、10.31日に1000万円が送金されている」。不思議なことに、報告書は周辺情報を事細かに記すばかりで、「ホリエモン裏献金事件」が有ったのか無かったのかの肝腎な検証をしていない。

 2.9日、永田は国会内で野田佳彦・国対委員長に事件の概要を伝え、国会追及の判断を仰いでいる。野田は、永田に対し調査を極秘裏に更に進め信憑性を補強するよう指示している。後日、永田は、野田から予算委員会の公聴会期日決定直前に取り上げるよう指示を受けている。報告書は永田から持ちかけたように記しているが、野田のけしかけぶりが判明する。推測するのに、野田は、永田が「ホリエモン裏献金事件」ネタで動いている事を既に知っており、その上で更にのめりこむよう指示している気配が認められる。

 2.11日、永田は、当時の前原誠司・党代表に対し事件を聴会期日決定の直前に取り上げる旨を伝えている。前原は、「がんばってね」と後押ししている。これも然りであるが、前原は野田同様に永田が「ホリエモン裏献金事件」ネタで動いている事を既に知っており、その上で更にのめりこむよう指示している気配が認められる。

 2.13日、永田は、野田に対し情報の信憑性に確信があると再報告している。これに対し、野田は16日の予算委員会一般質疑の準備に入ること、「情報提供者」との詰めを行うこと、同僚議員や専門家と事前に相談して発言振りに注意するよう指示している。この頃、詰めの作業を当時の藤村修・国対委員長代理と打ち合わせしている。藤村は、野田政権で官房長官に抜擢されることになるが、この頃から野田の懐刀であったことが分かる。

 2.13―15日にかけて、野田の指示にもとづき、弁護士資格を持つ仙谷由人議員及び枝野幸男議員に個別に相談しアドバイスを受けている。報告書は、仙谷、枝野を単にアドバイスの役割で登場させているが、永田の事件の追及を止めさせる側のアドバイスではなく逆に煽り、その後の法律問題処理は任せておけと後押しした可能性もあろう。なお、この時点では仙谷、枝野は大物ではなく単に弁護士系の議員の一人でしかない。それにしても、その後の仙谷、枝野の頭角ぶりは尋常ではない。

 ここでの問題は、永田が仮に永田個人の意欲で発意したものとしても、この時点で既に党中央の了解を取り付けており、それのみならず党中央の方がけしかけている様を見て取れることである。これを今日風の党の規約論、組織論でいえば、党中央の指示を受けた議員が党中央の意向を無視することはできまい。かくして永田がスケープコートの道に入れられたことが分かる。

 こうなると次のように問わねばならない。「ホリエモン裏献金事件の国会追及」は果たして永田の単独犯的主導により進められたのか否や。上記の流れによれば、「ホリエモン裏献金事件」を永田に食いつかせ国会追及させるべくワナが仕掛けられていたとも読める。真相は藪の中であるが事件顛末を見ればそう推測することが大いに可能であろう。留意すべきは、この第一幕で「野田、前原、藤村、仙谷、枝野」が登場していることであろう。この第一幕連中こそ事件の主役であり踊り子であろう。

 2 .14日、永田は、西澤と最終調整を行っている。この時、「国会質問は予定外であり情報提供者が難色を示し始めている」と告げられている。この時、永田は、西澤から新たに「黒塗りしたメール」を渡され、2.8日に提供されたメールの原本を西澤に返却している。永田は、西澤が梯子を外し始めた事を意に介していない。このことにどういう事情があったのかは定かではない。この日、原口は永田から新しい証拠を入手したとの連絡を受けている。

 2.15日、永田と野田が質疑のやり方について打ち合わせしている。翌日の爆弾質疑直前の打ち合わせであるが、どういうやり取りが為されていたのか分からない。推測するのに、野田が水田をけしかけ、党が全力で支援すると太鼓判を押していたのではなかろうか。永田は、これにより勇気りんりんで明日の質疑に思いを凝らしていたのではなかろうか。

 2.16日、永田が予算委員会一般質疑で「ホリエモン裏献金事件」問題を取り上げ、その証拠としてメールに言及し、ライブドアの堀江、宮内、平松、武部、武部の次男の参考人招致と国政調査権の発動を要求した。終了後、国会内で堂々たる記者会見をしている。

 この時、党中央側の野田が「衝撃的な質疑で大変重大な問題。今日は第一弾」、前原代表が「なかなか確度の高い情報だという認識」と発言して後押ししている。他方、武部は「全く身に覚えがない」、小泉首相が「ガセネタを委員会で取り上げるのはおかしい」、東京地検は「全く把握していない」とコメントしている。ここで留意すべきは、この時点で、小泉首相が「ガセネタ」と断じていることである。これは言葉のアヤではなく、既にこの時点で事件のガセネタ性を承知していた可能性も考えられる。この闇を嗅ぐべきではなかろうか。

 2.17日、永田は、「ホリエモン裏献金事件」についての2回目の質疑を行った。但し既に精彩を欠いていた。但し、この時点までは、野田は「総理のガセネタ発言は看過できない。ガセの根拠を明らかにせよ」、前原は「入金記録を明らかにすれば信憑性への疑問は氷解する」と強気に発言しており、永田を後押ししている。他方、武部は「指摘の事実は見つからない。民主党は許されない」。堀江は「指摘の事実はない」とコメントしている。野田は、前原に対し、「メール問題の追及は、党首討論が仕上げだ」と述べている。

 ここまでの経緯で確認すべきは、前原―野田コンビによる永田に対する十分なるけしかけぶりであろう。その梯子が外され、その後の永田がどういう風にあしらわれるのか、前原―野田が如何に上手く免責されるのかが後半の見どころとなる。

れんだいこのカンテラ時評№1058  投稿者:れんだいこ 投稿日:2012年 7月22日

 【「永田議員の偽メール質議事件」の解析3、その後の経緯】

 永田の2回目の質疑後、「メールの真贋論争」が始まった。民主党は対策チームを設け情報収集と対応協議を始めた。この日、細野豪志・役員室長が、前原から「国対委員長と連携して関係者を集めて情報収集せよ」との指示を受けている。細野は、野田に関係者の招集を要請するとともに、党顧問弁護士に連絡をとるよう担当事務局(総合調整局)に指示している。これによれば、細野は、この頃より前原、野田の直系の下役であることが分かる。

 同日午後8時頃、野田は顧問弁護士と共に永田の宿舎を訪れ、永田と一緒にいた「情報仲介者」と面会し、メール配布の了解を求めている。「情報仲介者」とは西澤のことか、ネタ元の情報提供者なのか、二人とも一緒に居たと云うことなのだろうか知りたいが分からない。

 午後9時頃、対策チームが再集合したところへ、永田より野田からメール公表の了解が得られたとの電話が入った。午後9時半頃、永田が対策チームに合流し、「情報仲介者」が西澤であることを明きらかにした。野田は、「情報仲介者」の了解を得て記者会見を開き、メールのコピーを配布した。

 その前後、細野は、前原及び鳩山由紀夫・幹事長に経過を報告している。報告を受けた鳩山は、細野に対し、平野博文・総合調整局長を対策チームメンバーに加えるよう指示した。これによれば、平野は、この頃より鳩山の直系の下役であることが分かる。鳩山政権で官房長官に起用されているのも頷けよう。

 これを受けて細野は、野田に、平野への連絡を依頼するとともに、松野頼久・予算理事兼筆頭副幹事長玄葉光一郎・幹事長代理への連絡を依頼している。

 ここでの問題は次の事にある。ここで、第一幕の「野田、前原、藤村、仙谷、枝野」に続いて第二幕として「細野、鳩山、平野、松野、玄葉」が登場している。第二幕の登場人物の特徴は、鳩山―平野を除き、第一幕の子分であることが分かる。それにしても、この時点で玄葉光一郎が登場している。細野、玄葉は党内でかなり若手の筈であるが、その後着実に登用の階段を上っている。本事件処理の汚れ役を引き受けた事が、その原点となっているように思われる。

 2 .18 日夜、対策チームメンバーが対応を協議し、西澤についての調査、メールの鑑定、口座情報の調査を継続、メール以外の周辺疑惑の調査を開始した。

 2 .19日、西澤から、永田に対し、「情報提供者が情報の電磁的データを売ってもいいと言っている」との連絡があった。同夜、対策チームメンバーが都内ホテルに集まり対応を協議している。永田は、この日より2.23日に世田谷の病院に入院するまでの間、このホテルに滞在し続けることになる。

 2.20日、党幹部による対応策の協議が行われ、22日に予定されている党首討論に向けた準備が始まった。同夜、幹部協議が行われ、党首討論までに新たな疑惑の情報を入手する方針が確認され対策チームに伝達された。この夜の報道番組で、平沢議員がメールを入手したとして公表した。

 2.21日午前、野田は、役員会、常任幹事会に前日までの経過を報告した。午後の記者会見で、前原は、党首討論に言及して「楽しみにしていただきたい」と再発言している。深夜、細野は、党首討論に向けた新たな疑惑の調査を断念し、その旨を前原の留守番電話に伝言している。

 2.22日昼前後、前原、鳩山、松本剛明・政調会長、野田、玄葉、細野の6名の幹部が党首討論について打ち合わせした。いよいよ党首討論となり、前原は、「国政調査権の行使に応じれば口座情報を明かす」と迫る方針に基づき事件を取り上げた。その際、「確証を得ている」と発言し、終了後「言葉が間違っていた」と訂正している。

 ここでの問題は、前原の「異様に強気な発言」にある。既に確認しているように事態は劣勢、真相が混迷している。にも拘わらず永田追及を更に後押しして踏み出し発言していることになる。これは単なるメンツでは説明できない尋常でない党首の暴走ではなかろうか。この「前原暴走」は当時もその後も何ら咎められていないことが不思議である。

 午後7時頃、前原、松本、野田、玄葉、細野が都内ホテルに集まった。その場で、野田は、「永田の進退伺いを預かっている」と報告している。前原は、「本人のためにも、党のためにも、永田議員は自発的に辞職すべきである」と提案し、他の出席者もこれに同調している。前原は、「私が永田議員に辞職を促す」と述べたが、野田が「永田議員のことは自分に任せてほしい」と述べ一任されている。

 ここも不思議なところである。前原は頻りに「永田切り」を吠えているが、既に党首討論で取り上げ事件を追及した以上、責任は前原の方が重いと看做すのが常識であろう。もはや「最低でも前原、永田の同時責任」となるべきところ当の前原が免責の上「永田切り」を吠えている不自然さが認められる。この前原のオールマイティーぶりは何に起因するのだろうか。

 午後 7 時過ぎ、野田と藤村が永田が滞在するホテルの部屋を訪れた。その場で、野田は、永田に対し辞職を促している。これに対し、永田は「その判断に従いたい」と述べている。野田はその後、前原、鳩山に留守電している。その後、玄葉、細野に、「永田議員は辞職の意思を固めた」と報告している。野田は、藤村、蓮舫議員らと共に翌日の永田の記者会見に向けた準備を行っている。

 2.23日午前5時半頃、永田は、野田から電話を受けた際、「辞職しません」と伝え辞意を撤回している。その後、永田は、同じホテルに宿泊していた野田の部屋を訪れている。野田は、「永田議員が辞職しないのであれば、自分が責任をとる」と述べ説得に努めたところ、永田は説得に応じ改めて議員辞職する意思を固めたと云う。但し、「永田議員は、心身の疲労が極限に達し、進退についての心境も大きく揺れ動いている」と感じ、藤村と手塚仁雄・前議員に永田の付き添いを要請しホテルを離れている。

 午前8時、野田は、藤村と手塚の到着後、鳩山に緊急役員会の開催を要請した。午前9時45分、緊急の役員懇談会が開かれ、野田は、永田の進退が自分に預けられたと報告し一連の経過を説明している。会議では本人の判断を尊重すべきとの意見も多く出されたが、異論もあり、「本人の意思が確認できれば辞任を認める」ことが確認され、その対応が鳩山に一任された。

 昼頃、鳩山は、野田から「永田議員が議員を辞めたくないと言っている」との連絡を受け、夕方、野田と共に永田が滞在するホテルを訪れている。永田は、鳩山に、「ご迷惑をおかけして申し訳ない」、「隔離された環境で情報が乏しく、入ってくる情報は進退にかかわることばかりで、精神的に大きく混乱しており、正常な判断を下すことは不可能だと思う」、「党内や国会そして世論がどのように反応するか全く予想できず、もしかしたら大変な迷惑をおかけすることになるかもしれないが可能であれば辞職は避けたい」、「進むも地獄。退くも地獄。だけど茨の道でも前へ進みたい」と述べている。

 ここは特に留意すべきところである。永田は揺れ動きながらも頑強に辞意を撤回し続けた事が明らかにされている。これを、永田の私因的な議員への拘りと看做すべきだろうか。れんだいこは、「事件の国会質疑」は党により要請されたものであり、自身の尻尾切りで済む話ではない、ホリエモン裏献金事件」はガセネタではない、引き続き徹底調査すべきであるとする正論で抗弁し続けていたと読む。

 推測になるが、「事件の国会質疑」は永田が質問するようお膳立てされ、党が総力で支援するとの約束の上で事に臨んだと思われる。こうして永田は2回に亘る質議へ誘導され取戻しのきかない破目に陥らせられたのではなかろうか。してみれば、これを誘導した者こそ陰の主役ではなかろうか。その主役の一人が野田である事は間違いない。2回目の質議の時点で既に流れが変わっており、永田は嵌められた事を悟り、嵌めた者に対するやり場のない怒りを表明し続けていたのではなかろうか。これこそ事件の裏真相なのではなかろうか。

 午後7時30分、鳩山は、再び開催された役員懇談会において、「永田議員に辞職の意思がなく、精神的にも肉体的にも限界に達して不安定な状況にあるため、一旦入院させて退院後に進退を判断する」と報告している。一部出席者は永田の入院に反対したが、「永田議員が憔悴しているためやむを得ない」として鳩山報告は了承された。

 夜、役員懇談会後に幹部が協議し、メールの信憑性がないことを認めることを確認した。深夜、鳩山は、記者団に「永田議員の入院について」と「メールの信憑性を100%立証することはできなかった」とするコメントを発表した。深夜、永田は世田谷区の病院に入院している。

 2.26日夜、鳩山、玄葉、平野が事態収拾に向けた打ち合わせを行っている。

 2.27日昼、幹部協議で、28日に永田が退院して記者会見を行い、役員等の処分を行う方針が確認された。「メールは本物ではない」との調査結果を発表し、関係者の処分を決定している。午後 1 時頃、野田は、前原に国対委員長の辞任を申し出た。前原は「預からせてほしい」とだけ答えた。ここもオカシなところである。前原が党首討論で事件を質議した以上、既に前原の党首責任こそ本星であろうにスル―され、永田と野田責任の方にのみ向かっている。前原をスル―させる力が働いていると読むしかない。

 深夜、野田は、鳩山の留守番電話に国対委員長の辞意を伝言した。午後 1 時頃、玄葉は、細野に永田の記者会見および代表記者会見の準備を指示した。細野は、松本、加藤公一・広報戦略本部事務総長大塚耕平・同代理福山哲郎・役員室長代理笠浩史・制作局長に協力を要請している。午後、鳩山は、羽田孜・最高顧問、渡部恒三・最高顧問、小沢一郎・元党首、菅直人・元代表、岡田克也・前代表(電話)を訪ね意見を聴いている。

 2.28日、午前7時、前原と鳩山の打ち合わせが始まった。午前7時半頃、玄葉、平野、細野が加わり幹部協議および役員懇談会が開かれた。午前8時頃、松本、野田が加わった。その場で、鳩山と野田が辞意を表明し、前原は鳩山を慰留した。

 午前 8 時半、江田五月・参議院議員会長が加わり、役員懇談会が開かれた。前原の慰留に対し、鳩山は、「しばらくの間、事態収拾の責任を全うする」という思いに至り辞意を撤回した。鳩山の辞任するしないの重要事がころころ変わる癖がこの時も確認できる。会議において、「永田の党員資格停止処分、野田の国対委員長の辞任、鳩山幹事長に対する常任幹事会名による厳重注意」などの方針が確認された。

 既に何度も指摘しているが、本来なら「前原代表辞任」も併せたものになるべきだろう。前原が責任を逃れる事ができるとしたら、党首討論段階での撤退によってであろう。それまでも永田をけしかけ、党首討論でも永田質議をエールした以上、前原責任は逃れるべくもなかろうに。

 午前、永田が退院し、記者会見に向けて打ち合わせを行い、午後2時45分、永田が記者会見を行った。その場には、鳩山と野田が同席した。午後、役員会、常任幹事会、両院議員総会において、「メールは本物ではない」との調査結果が報告され処分等が決定された。続いて、鳩山と前原が記者会見を行い、自民党、武部幹事長及び次男に対する謝罪を表明した。

 午後5時、両院議員総会において、永田が謝罪するとともに、メールは本物ではないとの調査結果、「永田議員の党員資格停止処分、野田国対委員長の辞任、鳩山幹事長に対する常任幹事会名による厳重注意」などが承認された。両院議員総会終了後、代表と幹事長が相次いで記者会見し、国民への謝罪、自民党、武部幹事長及び次男に対する謝罪を表明した。前原代表が、ここでも自身の責任をする―させたまま能天気な会見をしている事が分かる。

 3.1日、民主党は「メール問題検証チーム」を設置した。 メンバーは、座長・玄葉、委員として平野、藤村、松野、佐藤雄平・副幹事長、細野、蓮舫。全員が何らかの形で事件に関わっている者であった。このことが問題になったのであろう、無関係の河村たかし議員山田正彦議員末松義規議員平岡秀夫議員の4 名が追加選任されている。その後、仙谷、加藤が追加選任されている。3.31日、「民主党のメール事件顛末書」が発表された。

 最後にこの経緯で書ききれなかった妙な事を確認しておく。一つは、株式会社デュモン・マーケティング代表取締役CEO・西澤のその後であるが分からない。「ホリエモン裏献金事件」の収賄側とされている武部勤の子息(次男)であるが全く表に出てこない。「ホリエモン裏献金事件」ネタの元々の提供者も出てこない。いずれもオカシなことであろう。

 西澤に関連して次のような2006/03/31日付け毎日新聞記事がある。
 衆院懲罰委員会の与野党筆頭理事は31日、永田寿康衆院議員(民主党の党員資格停止中)の議員辞職願提出を受け、同議員に対する処分の取りやめを確認した。4日に予定していた偽メール問題に関する元週刊誌記者、西澤孝氏に対する証人喚問も中止する。永田氏に対しては、2番目に重い「登院停止30日」の処分とする方向だったが、議員を辞職することで懲罰自体が成り立たなくなった。西澤氏の喚問も、永田氏の懲罰決定に向けた真相解明が目的だったため、必要ないと判断した。

 露骨な真相隠しだろう。末尾の「永田氏の懲罰決定に向けた真相解明が目的だったため、必要ないと判断した」は次のように云い換えることができる。「永田氏の失脚に向けた事件化が目的だったため、永田氏が失脚した以上、真相解明は必要ないと判断した」

 もう一つ、永田は揺れ動きながらも頑強に辞意を撤回し続けたが、その時の永田の弁が公開されていない。「民主党のメール事件顛末書」は、この弁を巧妙に隠す為にさも緻密そうに作成されているとも窺う事ができる。とすれば、この手の報告書なり会議なり機関が幾ら造られても何の意味もないと云うことになろう。以上。

 永田は死して今なお告発していると云うべきではなかろうか。

【「永田議員の偽メール質議事件」の解析4、余話】
 日刊ゲンダイ2012/7/21日付け「民主党に詰問する このまま野田バカ首相と集団心中必至」の一部を引用し置く。「野田政権につきまとう自殺や内紛の暗いイメージ」の項に次のようなくだりがある。
 偽メール事件で仲間を自殺に追いやった重い十字架を背負っていることも一因だ。「当時、国対委員長だった野田さんは、イケイケで偽メールをけしかけた。ところが、ガセと分かると、頬かむりして責任回避。質問に立った永田議員をかばうこともなく、議員辞職するよう説得した。選挙区が隣で、野田さんを兄貴分と慕っていた永田議員は精神的に追い込まれ、09年に自殺してしまったのです」(民主党関係者)

【「依存症の独り言」の「2006/02/24 堀江メール事件総括」】
 「永田議員の偽メール質議事件」の参考として「依存症の独り言」の「2006/02/24 堀江メール事件総括」を転載しておく。

 「堀江メール事件」総括

 今日は、久々に国民的関心を呼ぶ政治事件となった「堀江メール事件」について総括したい。

 事態は既に、このメールが偽ものであったという方向で結末に向かっている。民主党
本部には23日の朝から抗議電話が殺到。「民主党はうそつき」「22日の党首討論にはがっかりした」などの電話がひっきりなしにかかり、その数は、最も電話が多い選挙期間中と同じぐらいだという。

 問題メールの存在を指摘した民主党の永田寿康議員(36)は23日、「自分の思い込みがあり、おわびしたい」と民主党幹部に陳謝したうえで議員辞職の意向を示した。これを受けて野田佳彦国対委員長は、「そういう事態になれば、その上の私の責任が一番大きい」と述べ、永田氏が辞職した場合の自らの引責を示唆。鳩山由紀夫幹事長も「メールの真偽について(本物だと)補強する材料がそろっていない事態を深刻に考えている」と述べている。民主党内からは「同僚でも納得できない。国民にはなおのこと理解されないだろう」(参院中堅議員)という声まで出ている。

 永田氏が議員辞職の意向を示し、野田国対委員長が引責を示唆するまでに発展した今回の事件の問題点はどこにあるのか? 野田国対委員長は24日午前、国会内で記者団に「犯罪者でもない人が議員辞職せざるをえないのはおかしい」と指摘した。この認識がまずおかしいのである。

 永田氏は、ライブドアの堀江貴文容疑者からのものとされるメールを掲げて国会で質問した。内容は「ライブドア前社長の堀江容疑者が自民党の武部勤幹事長の二男に3000万円を振り込むよう社内メールで指示した」というものだ。このとき永田氏は武部幹事長の二男の実名まで明らかにしている。これについて、与謝野馨経済財政担当相は「名誉毀損にあたる」という見方を強調している。与謝野経済財政相は「刑法の名誉毀損罪の構成要件として、公然事実を摘示して人の名誉を損じたときは、もう名誉毀損罪にあたる」と指摘している。私もまったく同意見である。現時点で、永田氏は確かに犯罪者ではない。しかし、名誉毀損罪が成立する可能性が高い以上、永田氏には犯罪の容疑が濃厚なのである。つまり、虚偽の根拠に基づいて他人の名誉を毀損した。これが第一の問題点である。

 予算委員会は、総理大臣以下の全大臣に質疑ができる国会でもっとも権威のある委員会だ。テレビで全国に放映される。その予算委員会で、国会議員が虚偽の根拠に基づき一般市民を、その実名まで挙げて犯罪者扱いした(永田氏が指摘した内容が事実であれば、3000万円は『不正献金』に該当する可能性が高い)。これは、「名誉毀損罪」云々以前の問題である。永田氏の政治的・道義的責任は、謝罪程度では済まされない。それほどに重い。これが第二の問題点。

 第三は、国民の政治不信を増幅したという点だ。前原誠司代表は、24日の時点で、まだ「メールが偽物だと思っていないが、100%確証がないことについては我々に非がある」と、言い逃れとしか思えない釈明をしている。そのうえ、永田氏の議員辞職については「今の段階では全く必要ない」と述べ、自らの責任については「我々は悪いことをしているわけではない」と全面的に開き直っている。22日の小泉純一郎首相との党首討論においても、事前に「本日の党首討論を楽しみに」などという前ふりをしておきながら、新たな事実は何一つ示さず、国政調査権の発動を求めただけだった。しかも、この問題を持ち出したのは討論の終了間際。まったくもって国民をバカにしているとしか思えない。野田国対委員長の「犯罪者でもない人が議員辞職せざるをえないのはおかしい」というトンデモ発言と併せて、国民の不信感を増幅させたのは間違いない。

 最大野党である民主党に、政権担当能力がないという事実が露呈したことも深刻な問題である。持ち込まれたメールの真贋も判断できなかったという点だけではない。偽ものである可能性が高まり、劣勢に立たされたときの泥縄的対応も、この党の危機管理能力の低さを証明している。辞意を表明した永田氏の記者会見を封じ込め、入院させるにいたっては、「何をか言わんや 」である。小泉首相は「ガセネタ」と断じた時点で、メールが偽ものという確証を掴んでいたという。だから余裕しゃくしゃくだったのだ。これに比べて民主党執行部の甘さ、能力不足は際立っている。小選挙区比例代表制が導入され、はや10年が過ぎようとしている。この間、2大政党による政権交代が期待されたきた。にもかかわらず、自民党に対抗するはずの民主党はこのレベルなのである。

 最後に、もっとも大きな問題点を挙げておこう。今国会の焦点は四つあった。①耐震偽装問題②米国産牛肉の輸入停止問題③ライブドア事件④防衛施設庁・官製談合事件。民主党は、これらを4点セットと名づけて小泉内閣に対する攻勢を強める予定だった。世論の追い風も吹き、小泉内閣の支持率は下降気味だった。ところが、この「堀江メール問題」で一気に形勢逆転。私としては、先の選挙で堀江氏を持ち上げた件や防衛施設庁の官製談合を徹底的に追求してもらいたい、と思っていたが、おそらく勢いはもう民主党には戻らないだろう。おそらく、党内の主導権争いでエネルギーが削がれ、民主党はガタガタになる。とくに、防衛施設庁の官製談合事件は、防衛庁の『省』昇格見送りの直接の原因になっただけに、徹底的に闇を暴いてほしかったのだが・・・

参照1:「永田騒動」で自滅の民主党、抗議電話も殺到
(2006年2月23日 読売新聞)
参照2:堀江メール:党として対応に問題、認める 前原民主代表
(2006/02/24 毎日新聞)
参照3:与謝野氏、永田議員「名誉毀損にあたる」
(2006/02/24 TBS News i)
参照4:堀江メール:民主党の窮状、深刻 永田議員の進退先送り
(2006年2月24日 毎日新聞)

 ところで、今回の事件の絵図は誰が書いたのだろう? 怪文書が出回るときは、必ず仕掛け人がいる。NHKの番組改変事件で、安倍晋三氏(当時は自民党副幹事長)をめぐる怪文書が出回ったときは、仕掛け人は朝鮮総連=北朝鮮だった。今回は???






(私論.私見)