中曽根逝去考その2

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元).12.2日

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 2004.8.9日 れんだいこ拝


【中曽根逝去考】
 ジャーナリスト田中良紹の2019.11.30日付けブログ「中曽根康弘と田中角栄―その裏面史」参照。
 2019.11月29日、中曽根康弘元総理が東京都内の病院で逝去(享年101歳)。1947年に衆議院選挙で初当選して以来連続20回の当選を重ね、科学技術庁長官、防衛庁長官、通産大臣、自民党幹事長などを歴任。

 1982年に「戦後政治の総決算」を掲げて内閣総理大臣となり、97年には最高位の勲章である大勲位菊花大綬章を受賞した。臨時行政改革推進審議会の会長に土光敏夫氏を充て、国鉄、電電公社、専売公社の民営化を実現した。86年には戦後2回目となる衆参同日選をしかけて大勝した。米国のレーガン大統領、英国のサッチャー首相と同時代の政治家として世界的な「民営化」の流れに乗り、国鉄や電電公社を民営化したのを始め、「ロン・ヤス関係」によって日米同盟強化を図った。
外交面ではとりわけ当時の米大統領レーガン氏と懇意になり、「ロン・ヤス」と呼び合う強固な関係を築いた。日の出山荘(東京西多摩の日の出町にある中曽根氏の別荘)に大統領を招いて、首脳会談を行なったことも注目された。中曽根氏がほら貝を吹く姿も話題になった。冷戦下でソ連の脅威が増す中で「海空防衛の重視」を掲げ、防衛費の国民総生産(GNP)比1%枠を撤廃した。

 ロッキード事件で逮捕され、有罪判決を受けた田中角栄元総理と中曽根の二人は47年の初当選同期。生年も同じ1918(大正7)年生まれで、5.4日に生まれた田中氏が同月27日に生まれた中曽根氏よりわずかに年長だ。

 中曽根総理に38年間仕えた上和田義彦秘書。

 ロッキード事件。1976年に米上院の多国籍企業小委員会が暴露したロッキード・スキャンダルは、米国の軍需産業であるロッキード社が世界各国に秘密代理人を置き、秘密代理人を通じて各国政治家に賄賂を贈り、ロッキード社の航空機を買わせていたという疑惑である。その中で日本の秘密代理人として名指しされたのが児玉誉士夫だった。今では米国の公文書公開によって児玉がCIAの協力者であったことが判明しているが、当時は右翼民族派がなぜ米国企業の秘密代理人なのかが大きな疑問であった。ロッキード社から児玉を通して政治家に22億円の金が流れたとされたが、それは防衛庁が購入した対潜哨戒機P3Cの売込みのためだと言われる。しかし事件が発覚すると児玉は病で入院し、ロッキード社との通訳を務めた福田太郎も急死する。そのため児玉ルートの賄賂工作を東京地検特捜部が解明することはなかった。

 児玉と最も近い政治家が中曽根氏だった。児玉の秘書である太刀川恒夫氏は中曽根氏の秘書も務めていた。そして中曽根氏は防衛庁長官時代に対潜哨戒機の国産化を主張していたが、国産化は撤回されて日本政府はロッキード社製のP3Cを100機購入することになる。

 ロッキード社が国産化論者の中曽根氏をターゲットに児玉を通して賄賂を流した可能性はないか。しかし特捜部に突然逮捕されたのは田中角栄前総理で、国民は「総理の犯罪」に大衝撃を受けた。容疑は全日空にトライスターを購入するよう働きかけ、5億円の賄賂を商社丸紅から受け取ったというものである。

 それまで社会部が原稿を書いてきたロッキード事件は、その日から政治部が書くようになり、田中の金権政治がやり玉に挙げられた。しかし捜査を指揮した法務大臣は中曽根派の稲葉修氏であり、中曽根氏は三木内閣を支える自民党幹事長、そして三木総理は田中角栄にとって最大の政敵であった。捜査は田中派の橋本登美三郎と中曽根派の佐藤孝行の二人の議員を起訴して終わり、佐藤氏は有罪判決を受け入れたが、角栄氏は一貫して無罪を主張し、徹底抗戦の構えに出た。

 私は一審判決が出る直前に「田中角栄の最後を見届けたい」と政治部に転じ、中曽根氏が総理を務める官邸担当の記者となった。

 一審で東京地裁は懲役4年、追徴金5億円の実刑判決を言い渡す。一方、角栄氏は無罪を主張して徹底抗戦を宣言する。国民や野党の中から「議員を辞めろ」の声が上がり、中曽根総理が直接角栄氏に議員辞職を要請することになった。ホテルで行われた二人だけの会談は1時間半に及び、二人で手を取り合って泣いたと言われる。何が話し合われたのかもはや知るすべはないが、角栄は議員辞職をせず自重自戒と称して政治活動を自粛することになった。

 角栄は中曽根総理に解散・総選挙を迫る。中曽根総理は渋ったが、党内最大派閥を擁する角栄氏に抵抗できない。年末に行われた総選挙で、自民党は過半数を割る大惨敗だったが、角栄氏は史上最高の票を獲得して甦った。

 この選挙直後に私は田中派担当記者となった。そして角栄氏の早坂茂三秘書から私邸に籠っている角栄氏の「話の聞き役」をやってくれと頼まれ、月に一度目白の私邸で角栄氏の話を聞くことになった。有罪判決を受けながら選挙で甦った角栄氏は次第に政治力を強めていく。「中曽根は絶対に俺の言うことを聞く」という自信にあふれていた。

 そして奇妙なことにロッキード事件で有罪判決を受けた佐藤孝行氏の中曽根派内における力も増していった。派閥の大臣推薦枠の筆頭は必ず佐藤氏である。まるで中曽根総理は佐藤氏に「借り」があるように見えた。その頃、中曽根総理の首席秘書官を務める上和田氏から突然呼び出しを受け、絶対に他の政治部記者に見られないところで秘かに情報交換したいと言われた。

 「中曽根内閣は角栄の支えがなければ1日も持たない。それで角栄の心中を知ると思える6人に人を張り付けている。ところが6人がみな違うことを言う。角栄は誰にも本心を明かさない。だから君の知っていることを教えてくれ。俺も中曽根の考えを君に教える」と上和田氏は言う。

 それから週に一度総理秘書官と秘かに会うことになった。38年間秘書として中曽根氏に仕えた上和田氏の話には味わいがある。「田中は天才だ」と上和田氏は言った。「ところが田中は天才と言われることを嫌う。努力して這い上がって来たと言われたい。中曽根は天才でなく秀才だ。努力して総理になった。ところが本人は天才と言われたい。秀才と言われると不機嫌になる。二人は何から何まで対照的だ」。

 角栄氏は中曽根総理のことを「富士山」と言った。富士山は遠くから見ると本当に美しい。ところが登ってみるとゴミだらけだと言うのである。そして有罪判決後に米国のキッシンジャー元国務長官が目白の私邸を訪れた時、「中曽根は中将クラスで大将の器ではない」と言った。

 角栄氏は「米国の虎の尾を踏んでロッキード事件に巻き込まれた」という説がある。中曽根氏がジャーナリストの田原総一朗氏にそう語ったためその説が広く流布された。独自の資源外交をやったことで米国に睨まれたというのである。しかしロッキード事件は世界各国で起き日本を狙い撃ちにしたものではない。共通しているのは反共主義者が秘密代理人であることだ。

 そして各国では誰も逮捕されてはいない。日本だけは三木総理が捜査資料を米国に要求し、東京地検特捜部の検事が米国で司法免責の上で得られた供述を基に角栄氏を逮捕した。角栄氏が死んだ後で最高裁はこの供述調書の証拠能力を否定している。

 中曽根嫌いが大同団結して田中派の二階堂進氏を総理に担ぎ、中曽根再選を阻もうとしたことがある。二階堂氏は「中曽根は必ずあなたを裏切る」と言って角栄氏に翻意を促したが、角栄氏は中曽根再選を押し通した。田中派の金丸信、竹下登のグループが中曽根再選の側に付き、きわどい情勢で再選が果たされると、角栄氏は中曽根政権の長期化を考える。それが衆参ダブル選挙を打って自民党を大勝させ、その功績によって党則を変え、3期6年の政権運営を可能にして最高位の勲章である大勲位を受賞させる構想である。私の取材メモにその発言が書いてある。

 しかし二階堂氏が角栄氏に逆らったことが公になると、中曽根氏は素早く角栄氏から金丸、竹下グループに乗り換えた。金丸氏を幹事長に据え、竹下氏に総理の座を譲ると思わせて田中派を分断していく。金丸、竹下グループが「創政会」を結成したことで角栄氏の酒量が増え、ついに病に倒れて角栄氏は政界を去ることになった。

 そこで中曽根氏は角栄氏が構想した衆参ダブル選挙を自力でやる。この時も自民党内には誰も賛成者がいなかった。すると竹下氏のスキャンダルが写真週刊誌に報道され、竹下氏がダブル選挙容認に傾く。金丸幹事長は言を左右にしていたが、それほどの大勝にならないとの読みから最後はダブル選挙に賛成した。

 ところが選挙結果は304議席の大勝利だった。3期6年の党則改正が浮上しそうになると、間髪を入れずに金丸幹事長が「世代交代」を理由に辞任した。これで中曽根氏の野望は1年間だけの任期延長に抑えられ、竹下氏への政権移譲が現実化した。

 しかし中曽根氏はしたたかである。総裁選挙をやれば大派閥の竹下派が勝つことになるが、選挙ではなく「禅譲」すると言って、安倍、宮沢氏にも総理の目があると思わせ、3人を競わせて自分への忠誠心を試すのである。私自身は「数の論理」で竹下総理誕生と思っていたが、新聞やテレビは最後まで「安倍総理誕生」を報道し続けた。

 それは中曽根派の実力者、ロッキード事件で唯一有罪判決が確定した佐藤孝行氏が通信社にしゃべった情報が駆け巡った結果である。誰が佐藤氏にそれを言わせたか。私は自民党の反対派を切り崩してダブル選挙を実現したのに続き、中曽根氏の政治術の見事さを見せつけられた思いがした。

 上和田氏はダブル選挙の半年前に私にこう言った。「中曽根はダブル選挙を必ずやる。自民党全体が反対してもやる。中曽根は金丸さんとは違って善人でない。他人の傷口に塩をすり込むことのできる男だ。そして叩けばホコリの出る奴が大好きだ。しかし政治家としては凄い男だ。どうやってダブル選挙に持ち込むかよーく見ておけ」。

 金丸氏からはこんな話を聞いた。「そもそも田中派は中曽根を総理にすることに反対だった。ところが田中のオヤジがどうしても中曽根だと言う。後藤田が何であんなおんぼろ神輿を担ぐのかと言ったら、オヤジがおんぼろだから担ぐんだと言った。そこで俺がオヤジの言うことが聞けない奴は派閥を出ろと言ったらみんな収まった。俺は大の中曽根嫌いで通っていた。その俺が賛成したのだから中曽根は恩義を感じたのだろう。総理になった時に料亭に呼ばれた。中曽根は畳に手をつき深々と頭を下げてあなたを将来幹事長にすると言った」。

 中曽根は角栄のおかげで総理になれたが、その時から田中派の分裂につながる一手を打っていた。

 中曽根再選を巡って自民党内を震撼させた「二階堂擁立劇」になると、金丸氏は中曽根再選に動いた。

 2010年、朝日新聞が「ロッキード事件発覚時に中曽根幹事長が米国にモミケシを要請していた」という記事を掲載した。ロッキード事件が発覚したのは76年の2月4日、18日には三木総理が米国に関係資料の提供を要請していた。その夜、中曽根氏は駐日米国大使に政府高官の名前の「モミケシ」を国務省に伝えてくれと要請していた。その公文書は2008年に秘密指定が解除されていた。偶然かもしれないが、米国は日本に政権交代が起きようとする時期に自民党の恥部ともいえる情報を公開した。

 そして米国には公文書が存在するが、日本にはそれに対応する情報が存在するのかどうかも分からない情けない状態にある。沖縄返還密約でも米国には情報があるが日本では情報が隠蔽され、それを暴露した記者は逮捕・起訴される運命に陥った。

 私にはどうしてもロッキード事件で田中角栄元総理を逮捕したところから、日本政治の歪みが大きくなり、国民には「タテマエ」だらけの情報しか与えられていない気がする。日本はいつになったらまともな情報国家になれるのだろうか。

 1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。89年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■「田中塾のお知らせ」12月17日(火)19時~21時 場所:東京都大田区上池台1-21-5スナック「兎」(03-3727-2806) 東急池上線長原駅から徒歩5分■参加費:1500円 ■申込先:agoto@K6.dion.ne.jpに住所氏名明記で

 「八木啓代のひとりごと」の「中曽根元首相の訃報に思い出すこと 」。
 ロッキード事件というと、田中角栄の5億円の贈賄、というイメージがあるが、実際にはロッキード社の対日工作資金は、約30億円。田中角栄より、むしろ、当時の政界のフィクサーだった児玉誉士夫を通じて流れたカネの方が遙かに莫大だった。そして、児玉と中曽根は昵懇だった。
 https://www.news-postseven.com/archives/20160802_434677.html/2

 にもかかわらず、検察が児玉・中曽根ルートではなく、田中角栄を逮捕する方向に行ったのは、重要証人であった児玉が突然、重度の「意識障害」に陥り、国会喚問が不可能になったからだった。このとき、児玉の主治医だった喜多村孝一が「脳梗塞」であるという診断書を作り、それを疑った国会医師団が児玉邸で事実を確認することになると、それに先回りして、児玉に薬物を注射し、昏睡状態にした事実には、具体的な証言もある。

―― 天野さんは『新潮45』(2001年4月号)に「児玉誉士夫の『喚問回避』に手を汚した東京女子医大」という手記を寄せられています。その中で、児玉誉士夫は重症脳梗塞による意識障害のために国会の証人喚問に応じられないとされたが、児玉の意識障害の原因は、児玉の主治医だった東京女子医大教授の喜多村孝一が薬物を注射したことだと暴露されています。この点について改めて教えていただけますか。

天野 順を追ってお話ししましょう。昭和51年2月5日、朝日新聞の報道により、米国のロッキード社が児玉誉士夫に21億円もの不正な政治献金を行っていたことが明らかになりました。このお金は児玉を通じて政界にも流れた疑いがありました。そこで、国会はロッキード事件の真相を解明するために、児玉の証人喚問を決定したのです。

 ところが、この証人喚問は実現しませんでした。それは、児玉の主治医である喜多村孝一が国会に、「児玉誉士夫は脳血栓による脳梗塞の急性悪化状態にある」という診断書を提出したからです。

 しかし、その数日前には、児玉はゴルフをしており、ゴルフ場内のレストランで支払いレシートが見つかったと言われていました。もしこれが事実であれば、喜多村の診断書は嘘ということになります。国会はその真偽を確かめるべく、独自に医師団を結成し、児玉邸に派遣することにしました。

 ところが、国会医師団の診断結果は驚くべきものでした。児玉は実際に重症の意識障害下にあり、証人喚問は不可能ということになったのです。つまり、喜多村の診断書の内容は正しいということになりました。

 しかし、これには裏がありました。国会医師団が児玉邸に行ったのは2月16日の午後10時頃です。実はその数時間前に、喜多村が先回りして児玉邸に赴き、児玉にフェノバールとセルシンを注射していたのです。

 フェノバールは強力な睡眠剤であり、どうしても眠れない患者や、てんかん発作が起きた患者などに使用する薬です。また、全身麻酔をかかりやすくするための前投薬としても使用されます。セルシンも同じく強力な睡眠剤で、患者が興奮状態で手に負えない場合などに使用されます。これらを同時に使用すれば、昏睡状態が生じ、数時間は当然口も利けなくなります。

 これらの注射によって生じる昏睡状態は、重症脳梗塞による意識障害と酷似しています。もちろん血液や尿を採取すれば、薬物の存在を確認することはできます。しかし、国会医師団はまさか児玉にこのような注射が意図的に打たれているとは思わなかったのでしょう。それ故、彼らが児玉の症状がこのような注射によるものだと見抜けなかったとしても無理はありません。

―― 天野さんはどのようにして喜多村が注射を打ったことを知ったのですか。

天野 喜多村本人が私にそう言ったからです。2月16日の午前中、私は東京女子医大の脳神経センター外来室で患者を診ていました。午前の診療を終え、これから昼食だという時に、私の外来診察室2番に隣接した外来診察室1番の喜多村の診察室から、喜多村の大きな声が聞こえてきました。喜多村は何やらただならぬ様子で往診の準備をしているようでした。

 私が「何をされるのですか」と尋ねたところ、喜多村は「これから児玉様のお宅へ行ってくる」と言いました。喜多村は児玉を呼ぶ際、必ず「児玉様」と呼んでいました。

 しかし、報道では、近く国会医師団が児玉邸に派遣されると言われていました。「国会医師団が児玉邸に派遣されると言われているのに、何のために行くのですか」と問うと、「国会医師団が来ると児玉様は興奮して脳卒中を起こすかもしれないから、フェノバールとセルシンを打ちにいく」と言うのです。……
 

 中曽根が逮捕されることもなく、後に大勲位まで受けられたのは、この医師の「功績」が大きいと言っていいだろう。むろん、この喜多村医師は、この児玉昏睡事件の後、中曽根の主治医となっている。あらためてよく思い出しておこう。 日本の原子力政策と新自由主義を全力で推進してきたのは、そういう人物だった。 そして、その人物を手本としている劣化コピーが、現在の首相なのだと。

 2019.11.29日、「不破哲三・前共産党議長「率直な討論できる政治家」…中曽根元首相死去」。
安倍総理大臣  安倍総理大臣は、弔意を表す談話を発表した。「中曽根氏は、東西の軍事対立や日米貿易摩擦の高まりなど、わが国が厳しい内外情勢におかれた時期に、5年間にわたり総理大臣の重責を担われ、戦後史の大きな転換点に当たってかじ取り役を果たされた」。「戦後日本政治の総決算を掲げ、アメリカのレーガン元大統領との強い信頼関係のもとで強固な日米同盟を確立し、近接するアジア諸国との関係を強化するとともに、国際社会の一員として、世界の平和、経済秩序の維持に重要な役割を果たし、わが国の国際的地位を大きく向上させた」。「中曽根氏は、行政改革の断行を最重要課題と位置づけ、強いリーダーシップを発揮して21世紀に向けた諸制度の改革に取り組み、国鉄の民営化をはじめとして、大きな実績を上げられた」。「私は、この訃報に接し、深い悲しみを禁じえません。国民の皆様とともに、心から哀悼の意を表します」。
森喜朗・元首相  1983年発足の第2次中曽根内閣で文部大臣で初入閣した東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の森元総理大臣は、NHKの取材に対し「とにかく偉大な政治家で、自民党や国政全般の大変大きなおもしになり、象徴的な方だった。その方が亡くなられて大きな時代の流れだという印象だ。私個人としては中曽根内閣で教育改革が大きな柱に取り上げられる中、私に文部大臣をやってほしい、がんばってくれと言われ、大きな命題を任されて光栄でもあったし、責任の重さを感じていた」。「(戦後の)日本の復興から繁栄、安定、その中の指導者として大変な功績があった」と語った。
福田康夫・元首相  福田康夫・元首相は談話を発表した。「政治の先達として果たされたご実績を高く評価します。日米関係の安定化や国営企業の民営化などで示された政治のリーダーシップの在り方や、政界引退後の平和研究所での終生のご活躍など、多いに勉強させて頂きました。長い間ご苦労さまでした」。
亀井静香  自民党の政務調査会長などを務めた亀井静香氏は、東京都内でNHKの取材に対し「『巨星墜つ』だ。戦後の政治史の1ページがめくられた。歴史観や国家観を大事にしようとした政治家だった。中曽根氏は、戦中と戦後を生き抜かれ、国家に対する愛情や国民の在り方をいつも考えていた方だ」。一方で「憲法改正は、中曽根氏のレゾンデートルだったが、それに手をつけられずに引退したということは、1つの汚点だと思う」。
山崎拓・元自民党副総裁  中曽根内閣で官房副長官を務め、首脳会談に同席した経験を持つ山崎拓・元自民党副総裁は「年齢から、この日がいつか来ると覚悟はしていたが、惜別の情を誰よりも強く感じる。私は中曽根氏に見いだされて国会議員になった一人で、大恩人だ。思い出は数限りない」。「国際政治を迫力ある外交で動かされ、冷戦構造の解消を強く叫ばれた」。また、官房副長官として中曽根氏の首脳会談に同席した思い出に触れ「アメリカのレーガン大統領との会談では、冷戦構造の解消をアメリカに強く迫ったうえで6者協議を提案し、今の対北朝鮮外交が始まった。迫力を身にしみて感じた」と振り返った。
島村元農相  中曽根氏の秘書を務めたあと、衆議院議員となり、農林水産大臣や文部大臣などを務めた島村宜伸さんは、NHKの取材に対し、「なんとも言えない。私にとって、中曽根元総理は親と同じですから、大変驚いているが、いまは落ち着いている。いろいろな思いは、頭の中によみがえっている。お世話になった皆様には、私からも大変お世話になりましたと言いたい」。
甘利税制調査会長  かつて中曽根派に所属していた自民党の甘利税制調査会長は、「『巨星墜つ』という感じだ。本当に残念だ。ご冥福をお祈り申し上げる。偉大な政治家で、常に世界観とか大局観とか、物事をふかんして戦略的に見られる人だったと思う。どんなに頑張っても追いつけない存在だった」。
大島衆院議長  大島衆院議長は「会議に参加せず、あとで文句を言うのは卑怯ひきょうだ」と説諭された思い出を紹介し、「国民に応えられる政治の実現に努力したい」。「時代を読み取る深い洞察力、確固たる信念と志を持ち、それらを実現するため柔軟かつ大胆な政治手法を振るわれた偉大な政治家だった」。
官房長官は記者会見で「中曽根氏が体現されたリーダーシップや改革精神は安倍政権も受け継いでいる」と強調。首相が目指す憲法改正に関し、「憲法審査会で各党が考えを示し、中曽根氏が主張されてきたように与野党の枠を超えて建設的な議論を行ってほしい」と語った。
二階幹事長  自民党の二階幹事長は「今日の自民党の発展そのものを残した」と述べた。 自民党の幹事長は記者団に「国の大きな問題で羅針盤の役割を果たした。常に大局と歴史に立脚した政治家だった」と惜しんだ。二階氏が率いる二階派は旧中曽根派の流れを受け継ぐ。
高校の後輩でもある選対委員長は記者団に「戦後史に残る大宰相。ご存命中に憲法改正できなかったのは後輩政治家の責任だ」と語った。
河村元官房長官  自民党の河村元官房長官は記者団に対し「寂しい思いだ。日本の厳しい時代に総理大臣として貢献され、われわれの手本のような方だったので非常に残念だ。残った者がしっかり頑張っていかなければならない。また、総理大臣になって最初に行った外国が韓国だったことを考えると、中曽根元総理大臣は日本と韓国の関係を大事にされていたと思う」。
額賀元財務大臣  自民党の額賀元財務大臣はNHKの取材に対し「自分が初当選したのは中曽根内閣の時だったが、『戦後政治の総決算』だと言ってさまざまな改革に取り組んでいたことが印象的だ。こんにちの日本の土台を作った方であり、信念を貫き、未来に向けた哲学を持った政治家だった」。
細田元幹事長  自民党の細田元幹事長は記者団に対し「行政改革の問題や日本の発展、それにアメリカをはじめとする外国との外交に力を入れていた。生涯の課題として憲法改正も長く主張しておられた。筋の通った大政治家だったと思う。憲法改正も中曽根先生のお気持ちに沿って自民党は進んでいる。心からご冥福を申し上げる」と述べました。
古賀元幹事長  自民党の古賀元幹事長は、NHKの取材に対し「日本の戦後政治をリードした大功労者であり、敬愛し尊敬していた。私が自民党の幹事長に就任した際、『総理を支えることも大事だが、国があり国民があるということを忘れるな』と言われ、そのことばを肝に銘じて仕事をしてきた。これからも頑張ってもらいたいと思っていたので、寂しいし残念だ」。古賀誠元幹事長は取材に「まだまだ元気でご指導いただきたかった。大変残念だ」とコメントした。
小泉環境大臣  小泉環境大臣は経団連との懇談会のあと、記者団に対し「私の父と中曽根元総理は、ぶつかり合うこともあったのは皆さんご承知のとおりだが、中曽根元総理がお元気だった時に私がごあいさつした際、笑顔で明るくご対応いただき、その懐の深さを学ばなければならないと思った。『日本のためにありがとうございました』と、心からご冥福をお祈りしたい」。
田中茂元参議院議員  中曽根元総理大臣の秘書をおよそ30年務めた田中茂元参議院議員はNHKの取材に対し「とにかく本を読み、勉強をした人だった。総理大臣になるために20冊ものノートを記して用意していて、あれだけ勉強する総理大臣はほかにいない。『いつかは』と思っていたが、思い出がありすぎて、今は何とも言えない」。
柳本卓治  中曽根氏の元秘書で参議院憲法審査会長などを務めた柳本卓治氏は、NHKの取材に対し、「父同然の恩師だった。憲法改正は中曽根元総理大臣のライフワークだったし、『政治家は、国家観、歴史観の上に立って日本の在り方を考えなければいけない』ということを教わった。ひと月ほど前にお目にかかったときは、逆に励まされるほどお元気だったが、それが最後の別れになってしまった。今はことばが出てこない」。
公明党の山口代表  公明党の山口代表は、党の参議院議員総会で、「大きくはない派閥を率いて総理大臣になられたのは、自民党の中では並大抵のことではなかったと思う。総理大臣になってからは『戦後政治の総決算』を掲げて、3つの大きな国営企業を『中曽根行革』で民営化に導いたのは力が必要で、大きな業績のひとつだった。引退されてからも100歳を超えるまで外交安全保障に対する、さまざまな提言をなされ、つい最近まで姿勢よく行動していたことに深く敬意を表するところだ。逝去を心から悼み、ご冥福をお祈りしたい」。公明党の代表は記者団に「自民党を基礎からつくった根っからの党人派。時代の荒波を乗り越え、国民に何かを残すという気概を持って当たられた」と振り返った。
立憲民主党の枝野代表  立憲民主党の枝野代表は記者会見で「大変学識にあふれた方であり、姿、形だけでなくきぜんとした姿勢の方だった。立場や意見は違うが、学ぶべきことがたくさんあった。日本の歴史に大きな足跡を残され、その中には大きな功績と言っていい部分があったのは間違いない。重ねて心から哀悼の意を表したい」。立憲民主党の代表は会見で「学識にあふれ、毅然(きぜん)としていた。学ぶべき点のたくさんある先輩だった」と語り
菅直人 元総理大臣  立憲民主党の菅直人 元総理大臣はNHKの取材に対し、「非常に存在感のある方で、私が総理大臣としてサミットに出席する際に意見をいただいたこともあった。印象深いのは、後藤田正晴さんを官房長官に起用したことで、異なる意見の人の言うことも聞くということだったのだろう。私も総理大臣になった時に、自分にとって耳の痛いことを言ってくれる人を起用する手法をモデルにした。心からご冥福をお祈りしたい」。
国民民主党の玉木代表  国民民主党の玉木代表は記者団に対し、「尊敬する偉大な政治家で、まさに『巨星墜つ』だ。『日本』という背骨がまっすぐ入った気骨ある方で、国鉄民営化をはじめ戦後政治に大きな足跡をしるした。1983年に韓国を訪問した際には韓国語であいさつし、日韓関係の改善につなげるなど、単なる『タカ派』ではなく、国益を考え、アジアの平和と繁栄に貢献をされた。心からご冥福をお祈りしたい」。国民の代表は記者団に「背中に『ニッポン』という背骨がまっすぐ入った気骨ある政治家だった」と述べた。
国民民主党の平野幹事長  国民民主党の平野幹事長はNHKの取材に対し「101歳という長寿で、これまで日本の政治を主導してこられた方であり、極めて残念だ。われわれは、思いをしっかりと受け止めて頑張りたい」。
国民民主党の原口国会対策委員長  国民民主党の原口国会対策委員長はNHKの取材に対し「心から哀悼の誠をささげたい。何度もご指導をいただいたが、安全保障に関する勉強会では『部分だけを見ず、広く世界の流れを見ながら、日々、研さんするように』というお話をされた。限られた時間だったが、非常に濃厚で、ありがたい時間だった」。
鈴木宗男参議院議員  日本維新の会の鈴木宗男参議院議員は「衆議院議員に無所属で初当選し、のちに自民党に入ったのが中曽根総理大臣のときだったので、いろいろな思い出がある。昭和、平成を通じて、最後のステーツマンと言える大物政治家で、非常に残念だ」。
小沢一郎衆院議員  自民党で幹事長を務めた小沢一郎衆院議員(国民民主党)は「お仕えした際、(選挙手腕を)『名医の手術を見ているようだ』と褒めていただいた」と回顧するコメントを発表した。
 中曽根内閣で自治大臣などを務めた国民民主党の小沢一郎衆議院議員は「選挙を担当する自民党総務局長としてお仕えし、衆議院京都2区の補欠選挙で、谷垣前総裁と、野中元幹事長の両方を当選させることができた際『名医の手術を見ているようだ』とえらく褒めていただいたことをよく覚えている。文字どおり、戦後政治を総決算されたすばらしい指導者だった。心からご冥福をお祈り申し上げたい」。中曽根内閣で自治相を務めた国民民主党の衆院議員は談話を出し、「文字通り戦後政治を総決算された素晴らしい指導者だった」と回想。
不破哲三・前共産党議長  国会で中曽根氏と激しい論戦を繰り広げた不破哲三・前共産党議長は「首相在任当時は激しい論戦をやり合った。政治的に対立する立場にあったが、率直な討論のできる政治家だった」と評した。

 共産党の不破哲三前議長は29日、中曽根康弘元首相の死去を受け「政治的に対立する立場にあったが、率直な討論のできる政治家だった。心からのお悔やみを申し上げる」との談話を発表した。不破氏は、現職時代に予算委員会後に国会の廊下まで追いかけてきた中曽根氏から「基地問題について不破さんは重大な問題を提起していたのに、政府側はその意味が分からなかったようだ」と語りかけられたエピソードも紹介した。
 共産党の不破哲三前議長は、NHKの取材に対し、「国会で私の質問に政府がまともに答弁しないときに、審議が終わった後に追いかけてきて、感想を言われたこともあった。自民党議員に追いかけられたのは最初にして最後だった。また、中曽根氏が大臣を務めていて、国会の質疑で席を外す際には、『外して大丈夫か』と声をかけてくるような人だった。自民党と共産党で立場は違ったが、おもしろく、礼節のある人だった」。

 中曽根康弘元首相が29日、101歳で死去した。

 取材を通じ、長年にわたって親交を深めたという渡辺恒雄読売新聞グループ本社代表取締役主筆(93)は追悼のコメントを発表した。

 コメントの全文は次の通り。

 中曽根さんの逝去は、私にとっては親の死と同様のショックです。私が平記者、中曽根さんがまだ陣笠代議士の頃から、毎週土曜日には決まって読書会をして、良書を読みあさった。夜2人で酒を飲むときも、話題は読書の話、政治の話ばかりだった。あのような勉強家、読書家は他に知らない。小泉首相の時、勝手に国会議員定年制を作られ、国会議員を85歳で無理やり引退させられた時は、(中曽根氏は)本当に憤慨していた。質素な生活にも感銘していた。私にとって彼以上に敬愛した人物はいない。

 中曽根康弘元首相の訃報を受け、経済界からは国鉄改革など経済政策でも指導力を発揮した実績を高く評価する声が相次いだ。

 【写真】「ロン・ヤス関係」といわれたレーガン元米大統領と中曽根元首相

 日本商工会議所の三村明夫会頭は29日、記者団に対して、「私心なく、国益のために本当に頑張られたと思う」と述べた。三村氏は中曽根氏の地元である群馬県出身で、20年近く中曽根氏を囲む会を主催。中曽根氏が自ら会長を務める公益財団法人「中曽根平和研究所」の副会長も務めている。

 三村氏は中曽根氏が中国や韓国との関係を一層発展させていくための取り組みを続けてきたことにも言及。「反日感情が悪いときも対話の重要性を説いてこられた」と故人の功績をたたえた。

 また中曽根氏とともに国鉄改革に取り組んだJR東海の葛西敬之名誉会長は「国鉄の分割民営化は、中曽根元総理のリーダーシップがあったからこそ実現できた。その結果が鉄道の今日の発展につながっており、大変大きな功績を残された」とのコメントを出した。

 一方、経団連の中西宏明会長は、「近年も憲法改正に関する会合などで、わが国の将来に思いをはせ、お考えを発信され続けていただけに、本当に残念でなりません」とのコメントを発表。中曽根氏がエネルギー問題への対応、米国との同盟関係の強化、自由貿易体制の推進などにも取り組んだことに触れ、「世界的にも卓越した政治指導者のお一人であった」とした。

 また経済同友会の桜田謙悟代表幹事も中曽根氏が「戦後政治の総決算」を掲げ、さまざまな改革に道筋をつけてきたことを評価。「日本国有鉄道、日本専売公社、日本電信電話公社の民営化などの大改革は元総理の強力なリーダーシップがなければ成し得なかった」とたたえた。

中曽根元首相死去 海外の反応

中曽根元総理大臣の死去について海外の反応です。

米ポンペイオ国務長官「信頼できる友人」

アメリカのポンペイオ国務長官は29日、コメントを発表し、「心から哀悼の意を表します。中曽根元総理大臣は日本の重要な時期の勇気ある指導者であり、日米同盟と経済関係の強さを象徴するアメリカの信頼できる友人でした。偉大な政治家として近隣諸国との関係を改善し、当時の困難な課題に取り組む努力は、国際社会に影響を与えてきました。私たちはその計り知れない貢献をずっと記憶し続けるでしょう」と述べました。

米臨時代理大使「日米の最高の立て役者」

アメリカ大使館のヤング臨時代理大使はツイッターに、中曽根元総理大臣とレーガン元大統領がソファーに座って会話する姿を収めた写真を投稿し、「日本政府と日本の皆様に心よりお悔やみ申し上げます。輝かしい経歴やレーガン元大統領との友情を通じ、極めて重要な日米パートナーシップの最高の立て役者を務められました」とコメントしました。

中国 「中日関係の発展に重要な貢献」

中国外務省の耿爽報道官は、29日の記者会見で、「中曽根元総理大臣は、見識の高いベテラン政治家であり、中国との友好的な交流や協力に進んで取り組み、中日関係の発展に重要な貢献を行った方だ。中曽根氏の逝去に対し、謹んで深い哀悼の意を表すとともに、ご家族の方々に心からのお見舞いを申し上げる」と述べました。

また、日中関係が「蜜月」の時代と言われた1980年代に中曽根元総理大臣と親しい関係を築いた胡耀邦元総書記の三男の胡徳華氏がNHKのインタビューに応じました。この中で胡徳華氏は、「中曽根元総理大臣は日本と中国の平和と友好に多大な貢献をしました。中曽根元総理大臣は中国の古い友人です。亡き父をはじめ、私たち家族にとっても非常によい友人でした。亡くなったことを聞き、とてもつらく思います。ご家族の方にお悔やみ申し上げます」と述べました。

中国 各メディアが速報で伝える

中国国営の中央テレビや新華社通信など、中国の各メディアも中曽根元総理大臣の死去を速報で伝えました。

このうち、中国中央テレビは、NHKの報道を引用して、中曽根元総理大臣が1982年から5年間、日本の総理大臣を務め、国鉄の民営化や日本の安全保障の強化に努めたと伝えました。

また、共産党系のメディア環球時報は、中曽根元総理大臣の経歴のうち、1985年の8月15日に戦後の総理大臣として初めて靖国神社に公式参拝したことを強調して紹介しています。

さらに、上海の共産党系メディア「澎湃」は、「最も国際化した政治指導者だった」などと伝えています。

台湾外交部「台湾の人々の独立と尊厳を追い求めてきた」

台湾の外交部は、「深い哀悼の意を示す」などとするコメントを発表しました。

コメントでは、中曽根元総理大臣が長きにわたって中国と台湾との関係を注視してきたとし、「中国に対して、台湾に武力を使用するという主張を棚上げし、武力統一の立場を放棄するよう呼びかけたこともあった。2005年には東京で行われた催しで、台湾の人々の独立と尊厳を追い求めてきた精神に敬意を示し、台湾と日本の良好な関係が永く続くことを願っていた。中曽根元総理大臣の考え方が今後もアジア太平洋地域を平和に導くと信じている」などとしています。

中曽根元総理大臣は、戦争中、南部・高雄の海軍施設でも勤務していて、多くの台湾メディアが中曽根元総理大臣の死去を速報で伝えました。

ゴルバチョフ氏「卓越した日本の政治家」

中曽根元総理大臣が死去したことについて、旧ソビエトのゴルバチョフ元書記長は「友人であり、卓越した日本の政治家が亡くなったことを深く悲しんでいる」とするコメントを発表しました。

この中でゴルバチョフ氏は「1985年に初めてお会いして以降、私たちはいつも率直に意見を交わしてきた。中曽根氏は、両国間の行き詰まりを打開し、関係を前進させる決意を持っていた。さらにペレストロイカにも関心を寄せ、われわれの政治の変化についても深く研究していた」としています。

そして「きょうのこの悲しい日に私は特別な温かい気持ちで『日の出山荘』で会話を交わしたことを思い出している」として、平成4年、ゴルバチョフ氏夫妻が東京・日の出町の中曽根氏の別荘「日の出山荘」に招かれた時の思い出を記しています。

ジャック・アタリ氏「国際的な広い視野で決断」

フランスのミッテラン元大統領の特別補佐官を務めたジャック・アタリ氏は、中曽根元総理大臣について、「それまでの日本の総理大臣と異なり、党の束縛などを受けず、国際的な広い視野で決断ができる新しいタイプの政治家で、『日本のゴルバチョフ』という印象を持った」と振り返りました。

そのうえで、フランスと日本との文化交流の拠点となっているパリ日本文化会館の設立にあたっても、「ミッテラン元大統領との良好な関係が重要な役割を果たした」と述べました。
海外のメディアも速報で伝えています。

ロイター通信は、アメリカのレーガン元大統領と親しくつきあい、抜本的な改革を実現するために官僚たちと戦ったことを伝えました。

アメリカのAP通信も「第2次世界大戦後の政界の巨人、中曽根元総理大臣が死去した」と伝えています。

アメリカの有力紙、ウォール・ストリート・ジャーナルも速報で伝え、「中曽根政権のもと、日本は戦後の軍備を強化し、世界経済で
アメリカのライバルと評価されるようになった」と指摘しています。

韓国 連合ニュース「現代政治史の生き証人が亡くなる」

韓国の通信社、連合ニュースは、中曽根元総理大臣が死去したことを速報で伝えました。

連合ニュースは、中曽根元総理大臣の経歴を紹介するとともに「日本の現代政治史の生き証人が亡くなった」と伝えています。

また「1960年代前半の日韓国交正常化の過程で重要な役割を果たし、1983年には戦後の日本の総理大臣として初めて韓国を訪問して、両国の友好に寄与した」と功績をたたえています。

その一方で、1985年に戦後の総理大臣として初めて、靖国神社に公式参拝したことについては「日本の政治家が靖国神社を参拝できる道を開き、韓国や中国などの周辺国から反発を買った」と批判的に伝えています。




 そして、岸信介・笹川良一・文鮮明とともに国際勝共連合=日本会議の創始者であったこと。
 岸信介・正力松太郎・中曽根康弘・児玉誉士夫・笹川良一、以上の人物は、全員、A級戦犯として収監され処刑を待つ間に、朝鮮の昭和通商によって、麻薬を販売した巨額の(現在価値にして数兆円といわれる)資金を米軍に提供し、引き換えに釈放され、以降は、CIA工作員となった人物である。
 この資金が「M資金」と称され、戦後の詐欺事件に大きく関与した。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/M%E8%B3%87%E9%87%91

 中曽根こそ、戦後日本の疲弊、日本をアメリカの属国に仕立てた最大にして最悪の原因者であるといえよう。 その中の一コマではあるが、中曽根は、1985年、坂本九らを乗せた日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落した事件について、「秘密は墓場に持って行く」と語っている。
 いったい、何が秘密なのか?

 日航123便墜落の暗黒に差し込んだ光
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-339.html

  日航123便、墜落原因の続報 森永卓郎・青山透子・ベンゼン環
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-445.html








(私論.私見)