履歴考

 (最新見直し2010.02.24日)

 (れんだいこのショートメッセージ) 
 ここで、竹中平蔵の履歴を確認しておく。 「★阿修羅♪ > 歴史02 」の 中川隆・氏の2010.2.21日付け投稿「竹中平蔵物語、「ウィキぺディア竹中平蔵」その他を参照する。

 2010.02.24日 れんだいこ拝


 1951.3.3日、和歌山市の商店街にある竹中靴店(下駄屋)の次男坊として生まれた。和歌山市立吹上小学校、和歌山市立西和中学校、和歌山県立桐蔭高等学校卒業。

 1969年、一橋大学経済学部入学。この年、安田講堂事件で、東大が入学試験をできなかった。受験の機会があれば東大に合格していたかどうかは分からない。大学時代はマンドリンクラブに所属。(そこで津田塾大学に通っていた節子夫人と知り合い結婚することになる)

 1973年、一橋大学を卒業、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行した。

 1977年、同行設備投資研究所に配属になる。

 1981年、ハーバード大学、ペンシルベニア大学客員研究員。ハーバード大学留学中は設備投資に関する合理的期待の実証研究を行った。同大の博士候補者試験には合格できなかった。

 1982年、大蔵省財政金融研究所(のちの財政金融研究所)に主任 研究官として出向し、次席主任研究官となる。普通は2年間だが5年間在籍した。当時の同研究所は、上司として当時大蔵省官房審議官兼財政金融研究所次長(当時)の長富祐一郎や筆頭主任研究官(当時)の吉田和男が、同僚として植田和男、高橋洋一がいた創設期の黄金時代であった。

 長富はその後大蔵省関税局長を経て財政金融研究所長を務めることになる。長富は、大蔵省の中堅幹部だった頃から、財政金融研究所の外郭団体を使い、銀行や証券会社から巨額の裏ガネを集めていた。そのカネは、政界工作はもちろん、海外の主要な大学や研究所との人脈づくりにも使われていた。長富は頻繁に海外出張して、接待・贈り物攻勢をかけることを処世術とする等、大蔵省きっての問題人物であった。この長富との出会いが竹中をシンデレラ・ボーイに押し上げていくことになる。竹中がハーバード大学に留学できたのも長富裏コネクションによると云われている。 

 1984.7月、同研究所在籍中、留学中の研究成果をまとめた「開発研究と設備投資の経済学」(東洋経済新報社)を発刊し、サントリー学芸賞を受賞する。これにつき、佐々木実「竹中平蔵 仮面の野望(前編)」(月刊現代2005年12月号)が、当時の設備投資銀行の同僚の鈴木和志氏(現在明治大教授)や日本開発銀行での同僚高橋伸彰(現在立命館大教授)の実証分析の結果を無断で使用していた事実を指摘している。 

 1987年、大阪大学経済学部教授を務めていた本間正明の誘いで、歴代大蔵省キャリアの天下りポストである大阪大学経済学部助教授に迎えられる。以降研究者としての道を歩む。竹中は、この縁で後に、本間教授を経済財政諮問会議の民間議員に推薦することになる。  

 この時代に、母校の一橋大学に前述の論文に加筆したものを提出し、経済学博士の取得を試みたものの「あまりに初歩的すぎる」などとの意見が出て教授会の審査で不合格となる。これにより一橋大学での博士号取得を断念する。但し、竹中の指導教官であった山澤逸平(一橋大学名誉教授)は後年、この時の教授会の決定について一橋大の失態であると述べている。


 この時代の竹中の評判は宜しくない。休講ばかりで授業を真面目にやらなかったうえ、生来の女好きが災いして教え子の女子学生にセクハラを働いたため、本間教授の逆鱗に触れて大学にいられなくなってしまう。トラブルを表沙汰にせず円満に大学を去る形にして貰い、ハーバード大学に留学することになる。

 1989年、日本開発銀行を退職。長富氏と本間正明・大阪大学経済学部教授の引き、ハーバード大学教授を務めていたジェフリー・サックスの誘いでハーバード大学客員准教授及び国際経済研究所客員フェロー(准教授)に就任する。実際には助手見習いであり、しかも在籍したのはわずか3ヶ月だった。

 1990年、慶應義塾大学総合政策学部教授を務めていた日本の政界に影響力を持つ加藤寛(慶大名誉教授、元政府税調会長)に誘われ、慶應義塾大学総合政策学部助教授に就任。加藤寛氏の推薦により政府諮問機関に入る。

 同2月、日米構造協議において、アメリカ側が貿易不均衡問題を日本の責任で是正するように迫り、GNPの10%の公共事業を行うことを要求。同6月、日米構造協議で、海部内閣は総額430兆円の公共投資計画を約束。

 1993年、アメリカ合衆国に移住する。コロンビア大学のビジネススクールにある「日本経営研究センター」(所長:パトリック・ヒュー[Patrick, Hugh]教授)の客員研究員になる。

 1994年、大阪大学に論文「日本経済の国際化と企業投資」を提出し、博士(経済学)を取得する。

 同10月、ナポリ・サミットの日米首脳会談において村山内閣が更に200兆円の公共投資を上乗せすることをクリントン大統領に約束し、国際公約とする。公共投資計画は総額630兆円に拡大する。

 同年、竹中平蔵が「民富論」(講談社)を出版。「社会資本充実が日本の生きる道だ」、「530兆円を投資せよ。外圧に頼らない内需拡大を実施せよ」と主張。この頃からアメリカ側の工作活動を忠実にこなすエージェントととして頭角をあらわす。

 1996年、帰国、同年、慶應義塾大学の教授に就任。

 1997年、日本財団の交付金で設立された基本財産が397億円のシンクタンク東京財団の理事に就任。

 1998年、同常務理事。

 同年、「インテレクチュアル・キャビネット政策会議」が東京財団内に設けられ、総理に香西泰(後に政府税制調査会会長)、官房長官に島田晴雄(慶應大教授)と竹中、財政担当大臣に本間正明(大阪大教授、後に政府税制調査会会長)と吉田和男(京都大教授)、金融担当大臣に池尾和人(慶應大教授)と岩田一政(東京大教授、後に日本銀行副総裁)らが名を連ねた。これは実質竹中による政策会議で、自民党議員との交流会も頻繁に開かた。竹中はこの頃既に小泉純一郎とパイプを持っている。 

 1998年、小渕恵三政権で経済戦略会議(議長:樋口廣太郎)のメンバーに選ばれる。同会議には中谷巌も参加しており、中谷が同会議の実質的リーダーだったという。以降、 竹中は一気に政権中枢へと昇りつめていった。森喜朗政権ではIT戦略会議のメンバーとして政策ブレーンをつとめ、小泉政権発足とともに大臣に就任した。

 日本の短期経済政策には金融健全化と大胆な財政出動を伴う追加的景気政策が必要とし、内閣総理大臣小渕恵三に対し「10兆円を大きく上回る規模の追加的財政出動」などを提言した。その後、「日本経済再生への戦略」と題した答申を発表した。

 1999年、同理事長。

 日本興業銀行経営アドバイザーや、フジタ未来経営研究所理事長、アサヒビール社外取締役等も務めた。

 森内閣発足により設置されたIT戦略会議にて委員を務める。そのときの委員には出井伸之らがいた。内閣総理大臣森喜朗が推進するe-Japan構想に対しさまざまな提言を行った。
 2001年4月、第1次小泉内閣において民間人閣僚として経済財政政策担当大臣に起用される。アメリカのゼーリック氏(当時の国務省副長官、ゴールドマンサックスの幹部)の指示に従い、「郵政民営化」を推し進める。この人脈が後のヘンリー・ポールソン財務大臣へとつながる。西川善文氏に連なる。

 2002年、第1次小泉内閣第1次改造内閣においても経済財政政策担当大臣に留任し、金融担当大臣も兼任する。

 2002.5月、竹中と兄・宣雄(当時ミサワホーム東京社長)がミサワホーム乗っ取りを画策する。宣雄が、「弟の平蔵と話しているのだが、(産業)再生機構を活用したらどうか」と当時ミサワホーム会長の三澤に提案。三澤は提案拒否。その後ミサワホームは経営悪化に誘導されることになる。

 8月、写真週刊誌「フライデー」(2002年8月16日号)が、竹中平蔵氏について住民税の脱税疑惑のあることを報道した。それによると、1993年から1996年の4年間にわたって、毎年年の暮れになると住所をアメリカに移し、日本における1月1日現在の住民票の記載を意図的に消すことにより「毎年1月1日現在で住民登録していなければ当該年は免除となる」規定を悪用して住民税をごまかしていたという。

 竹中は、いわれなき誹謗中傷をされ名誉を毀損されたとして、出版社の講談社と編集者に対して名誉毀損を理由に損害賠償等の裁判を起こす。後にこの問題を国会で追及された際、竹中は、その期間に関してはアメリカでの所得は原則として得ていなかったが、同国で地方税(住民税)を全額払っていたこと、米国に住居を所有し1年のうち日本で教える4-7月を除き家族とともに米国で生活していたこと、日本では慶應義塾大学の助教授として毎年の春期講座に対する給料を受け取っていたことなどを明らかにしている。

 2003年、第1次小泉内閣第2次改造内閣においても留任、内閣府特命担当大臣として金融、経済財政政策を担当。

 同10月、兄・宣雄が、「弟から電話があった。トヨタの奥田会長と会ってほしい」と三澤に再度要請。会談の前日、竹中平蔵自らが三澤に日時の確認を行っている。

 2004.7月、第20回参議院議員通常選挙に自民党比例代表で立候補し70万票を獲得しトップ当選(史上唯一人の現職民間人閣僚たる新人参院候補)。

 同9月、第2次小泉改造内閣において、参議院議員として内閣府特命担当大臣(経済財政政策)・郵政民営化担当に就任。小泉内閣の経済閣僚として、日本経済の「聖域なき構造改革」の断行を標榜する。 


 同9.14日、フライデー事件裁判で、東京地裁判決が下り、被告のフライデー側が敗訴する。フライデー側は、直ちに東京高裁へ控訴した。

 2004.12.28日、ミサワホームが経営不振から産業再生機構の管理下におかれる。翌年3.31日、トヨタ自動車がミサワホームのスポンサーになることが決定する。

 2005.5月、ミサワホームの監査法人・中央青山監査法人で、ミサワホームの三澤千代治氏と親交が深かった理事長の上野氏が理事長職を辞任。後任の理事長に奥山章雄氏が就任した。奥山氏は竹中金融相が組織した金融再生プロジェクトチーム、および「金融問題タスクフォース」のメンバーでもあり、公認会計士協会会長として、「りそな銀行」の資本不足問題に、重大に関与した人物である。

 2005.8.23日、ミサワホーム創業者の三澤千代治側が、東京地検に対して、ミサワホーム売却を巡り、「国務大臣としての職務を逸脱した一企業への圧力であり、職権濫用にあたる」と主張し、竹中平蔵元経財相兼金融相を刑法193条に基づき「公務員職権濫用罪」容疑で警視庁に刑事告訴した。告訴は2006.3.1日、受理された。竹中側は「適正な職務執行であり、職権濫用ではない」と反論し、三澤の主張を否定している。国会審議でも竹中の言動について取り上げられたが、竹中自身は指摘された事実はないとして三澤側の主張に反論している。結局、訴追には至らなかった。

 2005.9月、第3次小泉内閣においても役職はそのまま留任。10月、第3次小泉改造内閣においては総務大臣兼郵政民営化担当大臣に就任。NHK民営化にも乗り出したが、首相の小泉純一郎が民営化に否定的な見解を示した為、頓挫する。

 2006.2.23日、フライで事件で、最高裁判所は講談社側の上告を棄却し、講談社側の敗訴が確定した。

 2006.9.15日、任期を4年近く残し政界引退を表明。 同年9月28日、参議院本会議で辞職許可(これに伴い神取忍が比例繰上当選)。 同年11月1日、自民党党紀委員会において9月29日に提出していた離党届が了承された。さらに同日、慶應義塾大学に復帰することが明らかにされた。

 政界引退後の現在は、慶應義塾大学教授のほか、日本経済研究センター特別顧問、アカデミーヒルズ理事長、関西大学客員教授を務めている。河野太郎、山本一太、世耕弘成らが結成した勉強会「プロジェクト日本復活」では顧問に就任している。また、人材派遣業のパソナにて特別顧問を務めたのち、同社の親会社であるパソナグループの特別顧問を経て取締役に就任した。

 2009.8.26日、パソナグループの会長に就任した。

 竹中が構造改革、特に経済政策の舵取りを行ってきた小泉政権下で、日本での地域間経済格差や個人間経済格差が社会問題化し始めるようになる。加えて、サブプライム問題に端を発する世界金融危機後、日本でも経済が停滞して行くことになった。これに対し、竹中は、「日本の経済がなかなか元気にならないのは改革をやり過ぎたからではなく、改革を止めてしまったからだ。郵政民営化や、政策投資銀行である商工組合中央金庫の民営化を決めた2005年には、改革が進むということで、一年間で日本の株価は42%上がった。日本にはそれだけの技術、資本、人材もあるから、改革をすれば、日本の株価は上がる。ところが改革をしないと期待成長率が下がって、2007年みたいに株価が11%も下がってしまった。2007年のアメリカもサブプライム問題で揺れながらも、株価は上昇していた。政治的に改革をしたくない既得権益者の政治的キャンペーンに、日本中がこの二年間で染まってしまった」と述べ、停滞の原因を構造改革に対する無理解・反動であると主張している。


【竹中平蔵出自考】
 14. 2012年10月20日 21:15:58 : HNPlrBDYLM

 部落出身者はエリート・コースを進んでもこういう歪んだ性格になってしまう。

 郵政民営化担当大臣である竹中平蔵がいる。彼は、斎藤貴男氏の「不平等社会日本」(文春文庫)によれば、東大法学部のネットワークから外れてしまった人間である。その大学受験の時期が、ちょうど大学紛争で東大入試が中止された時期に重なっていたので、仕方なく、一橋大学に入ったのである。更にいえば、竹中平蔵こそ、和歌山の靴屋(要するに部落民)出身で、東大に入れなかったルサンチマンから米国にすり寄って、出世したアメリカの手先そのものである。そういうメインストリームから外れざるを得なかった才能ある人々は、何か屈折した感情を日本社会に対して持っていくようである。竹中氏は「東大法」のサークルではなく、アメリカの研究所を中心にした「インナー・サークル」に加入するようになったわけである。
 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=227581

 小泉純一郎は父親が在日朝鮮人であり、竹中平蔵・野中広努は部落民出身であった。こうした出身は、かつて絶対に上層部に行くことができなかった。だから能力のある者は外国に向かったのである。そして、都合よく権力を獲得すると、今度は被差別の怨念が、国家への復讐という形で現れたのかもしれない。彼らの行ったことも差別の解決ではなく、金儲け思想への逃避であり、国民全体を金融幻想に巻き込み、日本国家そのものを破滅に追いやることになった。やはり心底では、自分たちをひどい目に遭わせた差別国家に復讐したかったにちがいない。
 http://blogs.yahoo.co.jp/tokaiama/320276.html

 本連載の目玉はこれまで明らかにされてこなかった竹中平蔵の幼少時代である。 ルポライターの田中幾太郎氏の筆によるものだが、一部重要な部分を引用してみる。

 (引用開始)

 「父親は小さな履物小売商をやっていた普通の商売人なんですが、父を見てると、世の中が不公平に見えるわけですね。父親はこれだけ苦労をして一所懸命働いてるのに金持ちになれない。 もっと楽してお金儲けしている連中が一杯いるのに・・・・。どうやったらもっと住みやすい、 よい世の中になるんだろう」(中略) 。同級生から「緻密で冷静」と評されていた竹中が別の側面を見せたのは、六七年十一月、和歌山市で「第四回全国高校生部落問題研究会」が開かれた時のことだった。十七都府県二百三十二校から二千三百名が結集した会場に高校二年生の竹中も足を運び、各分科会を精力的に回り、発言していたという。(中略)周囲が驚いたのは、その集会で、和歌山のある集落の出身者がひどい就職差別を受けたという報告があったときのこと。 竹中の顔が怒りでみるみる真っ赤になったのである。『リベラルタイム』(2005年10月号) 「貧困と差別」に憤った少年期-2000名中の3,4番 田中幾太郎(22-23ページ) (引用終わり)  

 この田中氏のルポではこれまで知られていた、竹中大臣の生い立ちのエピソードとは変わった一面が紹介されているのだ。 彼は3人兄弟の次男として和歌山市に出生。一橋大学に進学する18歳にまで同市内で過ごした。 学園紛争が原因で東京大学の大学入試が実施されず、彼は一橋大学に進学し、開銀に入行するわけである。この田中氏のルポでは、竹中少年が、「部落差別問題」に非常な関心を抱いていたこと、履物商をやっていた父親が、貧しい生計を立てていたことについて描かれている。 竹中という人は、もともと頭は良かったものの、苦学生であり、貧困問題について真剣に考えていた。 開銀に入行したのは、高度経済成長理論の生みの親である、官庁エコノミスト下村治氏に憧れたため、ということは既に説明した。 記事は、その和歌山市内は現在は、行政改革の「地方切り捨て政策」によって疲弊し、現在の日本に跋扈する「ヒルズ族」や外資系の進出、そのマネーゲームの現状について触れて、「これが差別と貧困を憎んだ竹中が目指したものだとすれば、『変節』との謗りは免れえない」と締めくくっている。

 部落については『被差別部落出身の有名人は?』へのコメント
 http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html

 日本の農村は怖い_月ヶ瀬村女子中学生殺人事件_平成まで部落にあった慰安所
 http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/340.html


 ★阿修羅♪ > 歴史02 」の中川隆・氏の2010.2.21日付け投稿「竹中平蔵物語」転載する。

 

 竹中さん、日本がアメリカ型になったら、一番困るのはあなたじゃないですか??
 http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/29469447a0d19222c5dc03ae3d04da49

 彼は小学生の頃から強烈な競争意識を奥底に秘めていた。日本開発銀行勤務時代に営業失格の烙印を押されるが、不意に歩み出した研究者生活のなかで、彼は人脈を広げ、アメリカ留学、大蔵省出向を経て学者としての地歩を築いていく。しかし・高い評価を得た処女作には剰窃疑惑が持ち上がっていた! 「日本のインテレクチュアルズ(知識人)が試される」。四年半前、小泉純一郎首相から経済財政担当大臣に任命された竹中平蔵は、就任時の記者会見でそう語っていた。日本の知識人の代表として政権に参加したのだという自負が、そう言わしめたのだろう。

 まるで急峻な山を踏破するように、竹中は一気に政権中枢へと昇りつめていった。一九九八年に小渕恵三政権で経済戦略会議のメンバーに選ばれたのを皮切りに、森喜朗政権ではIT戦略会議のメンバーとして政策ブレーンをつとめ、小泉政権発足とともに大臣に就任した。 政権入りしたときの竹中の物言いをそのまま受け入れるのならば、日本の知識人の代表として政治とかかわったこと、つまり竹中が権力中枢に入り込んだことは、ようやく日本の政治が知識人を受け入れて近代化、知性化されたということになるのだろう。果たしてそのような理解は正しいのだろうか。

 竹中は「サプライサイダー」とみられている。供給側を重視する経済学者、生産者側、企業サイドの活性化を重要視する立場である。竹中の経済観はそのまま小泉構造改革の思想になっているといってもいい。「小さな政府」と「競争社会」。竹中の思想はどこから出てきたのか。それは日本の社会を導く思想と呼べるものなのだろうか。

 これまでに竹中は膨大な量の文章を書いてきたが、自身の歩んできた道を綴ったものは驚くほど少ない。小泉構造改革がほんとうのところいったいどのような思想に基づいているのかを知るためには、竹中の思想のよって立つところを理解しなければならない。それはとりもなおきず竹中平蔵という人物そのものを理解することである。

 私は、竹中が歩んだ五十四年の軌跡をたどってみることにした。(中略) 露骨な競争意識

 小中学校時代、毎日のように顔をあわせていた親友の森本道夫が、竹中の行動に戸惑いを覚えるようになったのは、小学校六年生のころだったという。ときおり、激しいライバル心を抱いているような素振りを見せるようになったのである。もっともそれは学業に限ってのことだった。少し言いにくそうに森本は話した。 「ぼくのほうはそんな意識はぜんぜんなかったですけどね。中学校でも学年があがるにしたがって、平蔵が(成績のことを)聞いてくるようになったんです。ぼくはそういうのはちょっとあれやったから……」。

 中学校三年生のときだった。森本は業者が実施する有料のテストを受けて県内の成績上位者に入った。森本や竹中が通う西和中学校から受験した生徒のなかでは一番成績がよかった。「ぼくも受けたらよかったな」。竹中は森本から成績結果を聞くと、そういった。テストを受けていれば自分が一番になっていた、とでも言いたげな物言いである。森本は内心むっとすると同時になにか割り切れない気持ちもした。親友の竹中とは二人でいっしょにがんばっているとおもっていたからである。「あれっ、いっしょにがんばったらええやんかとおもっていたからね。平蔵だって勉強はよくできたし、ぼくに競争心をもつのはちがうだろうと。そういうのは勘弁してくれ、と。そういうことで、ぼくのほうから平蔵と少し距離を置くようになったんです」。

 おもいあたるきっかけがひとつあった。知能指数(IQ)テストである。 ふつう結果は本人にしかわからないはずなのだが、小学校六年生のときの森本の結果は一部の保護者の知るところとなった。先生が、学年で一番IQが高かったのが森本であることを保護者会でついもらしてしまったのだ。 森本はそのことを母親から聞いて知ったのだが、竹中が露骨な競争心を示すようになったのはこの一件以降である。森本にはそれ以外の理由がおもい浮かばなかった。

 吉田和男・現京大教授は、竹中の研究者としての骨格はアメリカでつくられたのではないかとの感想をもっていた。「どのような時期にアメリカにいたかですよね。これは竹中さんに限りませんけど、日本の経済学者はどの時期にアメリカにいったかで決まるところがある。竹中さんがいった時期は、純粋なケインジアンにはお年寄りが多く、若い人はそういう立場に異論を唱えていた。やはり経済学者は一番勉強をしていた時期に影響を受けるから」。

 吉田の言葉は七〇年代から八〇年代にかけて起こった、アメリカ経済学界の地殻変動といってもいいような大きな変化を前提にしている。七〇年代のアメリカ経済学界は、いわば戦国時代の様相を呈していた。 厳しい批判を受けたのが、それまで主流だったケインズ経済学だった。インフレーションが加速し、さらにインフレ、不況、高失業率が同時に起こるスタグフレーションが生じるなか、政府が有効需要を管理することで失業やインフレを是正する、という考え方を否定するグループが経済学界のなかに台頭してきた。 低金利がインフレを招いたとする「マネタリスト」は金利政策ではなく、貨幣を安定的に供給することが重要だと説いた。人々の将来予想を織り込んだ経済学を標梼した「合理的期待形成学派」は、人々が合理的に将来を予想すればケインズ的政策は効果がないと主張した。

 反ケインズの潮流のなかで、需要側ではなく供給側を重視した政策を唱えるグループも出てきた。「サプライサイドの経済学」である。レーガン大統領の掲げる「小さな政府」路線を理論面から支える主役はサプライサイダーたちだった。

 ◆竹中平蔵氏の“欺瞞”を最もよく知る植草氏

 最近、植草氏の著書『知られざる真実―勾留地にて―』(イプシロン出版企画)を読んだ。これは後世に残る名著だと思う。実に内容の濃い気高い“魂の書”である。同氏のブログのなかには同書を説明してこう書かれている。「小泉竹中経済政策の深い闇を抉る戦慄の告発書」「満身創痍にひるまず、権力に立ち向かう著者が小泉竹中経済政策を一刀両断に斬る救国の告発書」と。「満身創痍」という言葉は決して大袈裟ではない。

 小泉・竹中経済政策がいかに売国的で国民を裏切るものであったかは、年々歳々、明白なものとなっている。「郵政民営化」がその典型だ。無論、植草氏をはじめ心ある識者には、小泉政権が邪悪な従米主義を本質としたものであることは自明のことだった。加えて、同政権がどれほど財務省の言いなりであったかということも周知のことだった。その小泉政権の売国的体質を最も深く認識していたのが、実は植草氏だったように思うのだ。

 竹中氏にとって植草氏はちょうど10歳下の経済学者だ。竹中氏は、同業の植草氏に異常なほどの羨望と脅威を感じたことだろう。そのことは容易に想像できる。というのは、植草氏の客観的な経済分析能力は竹中氏をはるかに凌いでいると思うからである。なぜなら、竹中氏はミルトン・フリードマンの「新自由主義(=市場原理主義)」なる欺瞞的な経済理論の“単なる信奉者”に過ぎなかったからだ。簡単に言えば、竹中氏の経済理論なるものは単なる“屁理屈の受け売り”に過ぎないと思う。

 私は竹中氏を学者だとは思わない。本来、学者は「真理」に対して謙遜、かつ公平でなければならない。また、自らの持論を「多の中の一」と考えるだけの客観性がなければならない。だが、彼は微塵もそのような謙遜さや客観性を持ち合わせていないと感じる。いまでも竹中氏は性懲りもなくテレビ朝日系の番組に出演している。だが彼は、人と議論しても、同じ土俵で論じ合うというよりもむしろ自分で勝手に土俵をつくってしまい、そこで自ら覚えた(?)議論をまくし立てているように感じる。換言すれば、彼は学者というよりもむしろ欺瞞的で偏狭な宗教家(=原理主義者)に近いように思うのだ。

 だが何より問題なのは、彼がアメリカ大資本の悪辣な“手先”の一人だということだ。これに対して、ジョン・M・ケインズを敬愛する植草一秀氏は、日本国内の現実を直視した正当な経済理論を展開する。その卓越した経済分析はまさに超一流である。2004年4月、彼が不当に逮捕される前、テレビ番組『ウェークアップ』などでのコメンテーターとしての活躍は目を見張るものがあった。植草氏には、単に優れた分析能力だけでなく、むしろ人一倍の正義感とヒューマニズムが感じられた。それゆえに魅力的だったのだ。

 私は、植草氏と竹中氏は「月とスッポン」「提灯と釣鐘」だと思う。「太陽」と「月」ぐらいの違いさえあろう。端的に言えば、“ホンモノ”と“ニセモノ”の違いがある。竹中氏が“ニセモノ”であるゆえに、同じ“ニセモノの政治指導者”小泉純一郎氏に重用されたのだと思う。私は、両者は同じ“ニセモノ”であるゆえに“波長が合った”のだと感じる。

 竹中氏の欺瞞を最もよく知っているのが植草氏ではあるまいか。それゆえ彼は、虐げられた日本国民を覚醒するために、本著を書かずにはいられなかったと思うのだ。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/WA2-63.HTML

 私は、竹中平蔵という存在を、経済学者ともエコノミストとも思っていいないし、むろん、政治家とも思っていない。もっと深く怪しい、曖昧な、意味不明の人格と考えている。むろん、彼の唱える経済学なるものも同じだ、と思っている。言うなれば、竹中平蔵の経済学には、ドストエフスキーやラスコーリニコフに見られたような哲学的素養と深い根源的な思索というものがない。つまり竹中平蔵には経済の情勢論や政策論はあるが、経済の原理論や本質論が欠如している。マルクス、ケインズ、ハイエク、シュンペーター等、経済学の思想的巨人たちに関する言及や著書が、竹中平蔵にほとんどないのは、そのためであろう。その代わり、彼は、権力を握った政治家に取り入るのが無類にうまいし、そういう政治家を信用させる詐欺師的弁舌にたけている。竹中平蔵から学ぶべきことがあるとすれば、その学界・政界の遊泳術と詐欺師的弁論術だけだろうが、それこそ心ある日本人の最も嫌悪し、排斥する点だろう。

 翻って思うに、おそらく現代日本の政治家たちほど思想的、人間的レベルの低い人種は、いまだかつて存在しないのではないか、と思われるほどだ。現代日本の政治家たちは、いとも簡単に竹中平蔵の詐欺師的弁舌に洗脳されているように見える。

 竹中平蔵という、見るからに怪しい、詐欺師的人物に惚れ込み、その「立て板に水」という言葉が文字通りピタリと当て嵌まるかのような詭弁的弁舌に洗脳されたあげく、なんと恐るべきことに、国家国民の命運をも左右する政策や行政を、その稀代の詐欺師・竹中平蔵に丸投げするというような、そういう「人を見る眼」のない、「思想性の欠如」した、言い換えれば「貧困の哲学」ではなく「哲学の貧困」を体現しているような暗愚の政治家は、現代日本にしかいないだろう。要するに、政治家やエコノミストの思想的貧困が、すべての原因なのである。というわけで、おそらく、今、多くの日本人は、未曾有の経済危機がもたらす悲劇と不幸のどん底に突き落とされ、その共同体も社会システムも崩壊と解体を余儀なくされているわけだが、これらの問題は、言うまでもなく竹中平蔵という妖怪を抜きにしては語れない、と言えば、竹中平蔵本人は喜ぶだろうか。

 竹中平蔵は、何故、経済学の「古典」や「本質」を語らないのか?

 竹中平蔵の経済学には、経済の本質に関する議論がほとんどない。今、私の手元に『経済ってそういうことだったのか会議』という竹中平蔵と佐藤雅彦の対談本があるが、その冒頭で、竹中平蔵は、「貨幣」「交換」「価値」等について語っているが、残念ながら彼には、貨幣の本質や交換の謎、あるいは価値の発生…等の本質的、原理論的な基礎問題がまったく見えていないようである。

 「牛乳瓶のフタ集めの話」であるが、ある時、竹中平蔵少年が牛乳瓶のフタを集めはじめると、しばらくして学校中で「フタ集め」がブームとなり、フタ集めとフタ交換を繰り返すうちにフタに価値が発生し、竹中平蔵少年は「フタの大富豪」になったというわけであるが、それだけの話である。わずかに「信用」ということが語られるだけで、「貨幣」「交換」「価値」等の経済学的現象の奥底に潜む謎に、まったく関心がないようである。もし竹中平蔵に経済学や経済学説史に関する深い素養があるならば、是非ともうかがいたいものだが、竹中平蔵にはそういう深い素養は皆無だろう。

 竹中平蔵の言う「構造改革」や「規制緩和」「財政出動無効論」、あるいは「緊縮財政」「郵政民営化」「小さな政府」論等は竹中平蔵のオリジナルの思想ではなく、それぞれ経済学的な理論的背景と学説史があるのだが、竹中平蔵はそこの理論的背景と学説史を隠蔽したまま、まったく語ろうとはしない。「現代の経済学では常識ですよ。そんなこと、当たり前じゃないですか」と語るだけである。繰り返して言うが、経済学や経済政策をめぐる竹中平蔵の理論のほとんどは、借り物の理論であり、受け売りの理論であり、借り物や受け売りが一概に悪いというわけではないが、いずれにしろ、そのオリジナルはアメリカにある。 

 竹中平蔵式経済理論の核心は、需要拡大によって景気回復を試みるケインズ主義批判である。ケインズ理論では、不況の原因は需要の不足による消費後退、つまり生産能力はあるが商品が売れないデフレ・ギャップの発生である、と考え、財政出動、あるいは公共投資などによる需要拡大こそ景気回復の指標になるとする。しかし、アメリカでは、ケインズ主義的な需要拡大による景気回復という思想は、少なくともアメリカ経済学界では、理論的に否定され、完全に歴史の遺物と看做されて、つまり「ケインズはもう古い」「ケインズは死んだ」というのがアメリカの現代経済学の主流であり、流行思想である。竹中平蔵もそうしたアメリカの現代経済学を鵜呑みにして、それを無批判に受け入れ、日本国内でそれを、「構造改革」や「規制緩和」「財政出動無効論」、あるいは「緊縮財政」「郵政民営化」「小さな政府」論などとして、政策的に現実化したと言っていい。しかし、竹中平蔵は、その理論的根拠を明かさない。まるで自分のオリジナルな思想のように語る。そこで、竹中理論なるものの理論的背景を暴露しておこう。


・竹中平蔵よ、「マンデル・フレミング効果」「クラウディング・アウト現象」「ルーカス批判」を隠蔽するなかれ。

 ケインズ批判の理論的根拠になっているのは、「マンデル・フレミング効果」理論と「クラウディング・アウト現象」理論、あるいはルーカスの「合理的期待生成」理論、もしくは「小さな政府」を主張するリバータリニズムなどである。マンデル等の主張する「クラウディング・アウト現象」とは、財政赤字が巨大化している時、総需要拡大政策をとるためには財源が必要であるが、その財源を国債発行に求めるのがもっとも容易で安全な選択であろうが、しかしそこに経済学的に問題がある、というわけだ。

 つまり、国債の発行(国民がそれを買い取る…)によって市中の民間資金が国庫に吸収され、結果的に民間資金の不足が発生し、民間資金の不足が市中金利の高騰をもたらし、やがて資金不足から民間投資が冷え込み、景気回復が挫折する、という論理である。マンデルらはさらに、ここから、市中金利の高騰は、その国の通貨の高騰を招き(例えば、円高…)、その国の輸出産業が壊滅的な打撃を受け、景気回復は挫折する、という「マンデル・フレミング効果」理論を展開する。

 したがって、マンデルらは、ケインズ主義的な「総需要拡大政策」は無効だ、と主張することになる。ケインズ経済学批判は、ロバート・ルーカスの「ルーカス批判」で決定的な段階を迎えるが、それ以後、「ケインズ経済学は古い…」「ケインズ的経済政策は無効だ・・・」という言説が、アメリカだけではなく日本でも、無批判的に蔓延することになったわけだが、では「合理的期待形成学派」のルーカス教授の「ルーカス批判」とは何なのか。はたしてそれは信頼にたる批判なのか。

 そもそもフリードマンやルーカス等によるケインズ批判の哲学的背景はどこにあるのか。ルーカス革命の実態は如何なるものなのか。その核心にある哲学とは何か。たとえば、ルーカス批判の理論の一つは、「経済学者たちの代替的政策提案に対する評価は、人々の適応的期待とその影響による行動を考える必要がある」という理論である。


 要約すれば、ルーカス批判のポイントは、「ケインズ的な従来の経済政策においては標準的なマクロ経済モデルに依存するだけで、人々の適応的期待とその影響による行動を考慮していない」ということになる。では、「適応的期待とその影響」とは何か。

 例えば,「近々インフレが起きる」という期待が形成されると仮定しみる。すると,労働者は、賃金交渉の場で、「少なくともインフレの分だけ給料を上げてくれ」という要求が出すだろう。次に、経営者側は、賃金の上昇は企業にとってはコストの増加につながるから,企業は製品価格を上げようとする。その結果,いろいろな製品の価格が上昇して実際にインフレが生じることになる。

 このように,期待形成はいろいろな経路を通って実現することが多い。したがって、「政府は、このような期待の効果を十分に考慮した上で政策を行う必要がある」というわけだ。しかるに、ケインズ経済学では、この「期待形成とその影響」が無視されている。これが「ルーカス批判」の核心命題である。

 むろん、ケインズ経済学でも、「期待」という問題を完全に無視しているわけではない。しかしケインズ経済学が想定している「期待」は、過去の値を予測値として使う「静学的期待」であるのに対して、ルーカスの「期待」は、現在入手できるあらゆる情報を使って予測を行う「合理的期待」である、と主張する。「ケインズ的静態的期待」と「ルーカス的合理的期待」を区別するところにルーカス批判の核心があるのだろう。

 おそらく、ルーカス批判がアメリカのアカデミズムを制覇した理由は、必ずしもその理論の正当性ではなく、様々な高等数学を援用して数式や数字を駆使するその技法にある。科学主義や数学主義とも言うべきその悪しきスタイルはしばしば学問や科学の名のもとに人間の頭脳を一時的に幻惑する。一種のモダニズムである。たとえば、20世紀の哲学界を一時的に席巻した科学哲学や論理実証主義の台頭の場合にも、「科学」「記号論理学」「数学」を武器に、「ヘーゲル哲学の迷妄」が批判され、罵倒され、嘲笑された。数字や記号を使わない哲学は「過去の遺物」だというわけである。しかし言うまでもなく、哲学は、数学や科学の「基礎」や「前提」を問う学問である。数学や科学を道具として使えば、簡単に批判できるというのは大きな錯覚である。たとえば、近代哲学の父と言われるデカルトはそもそも数学者であったし、カント哲学はニュートン物理学の哲学的基礎付けである。経済学の世界でも、数字や数式の前に哲学や形而上学が忘れられ、隠蔽される。 


 最後に、竹中平蔵の「小さな政府」論について述べて終りにしよう。「小さな政府」論は、ブキャナン等の「公共選択論学派」の思想と理論からの受け売りと切り売りであり、その理論的根拠も学問的背景も知らずに、絶対的真理のごとく盲信し、思考停止状態で政権運営に当たっていたのが小泉政権であった。アメリカで「小さな政府論」を理論的に主張するグループがもう一つある。これも冷戦勝利後に急速に勢いを増しているグループだが、リバータリアニズムとかリバータリアンと呼ばれる一派である。たとえば、竹中平蔵等が主張する「小さな政府」論とは、言うまでもなく何もしない政府(笑)…のことである。そしてその行きつく先は政府そのものが必要ないと言う無政府主義(アナーキズム)である。むろん、これは極端な議論だが、「小さな政府」という美しい言葉がその背後に無政府主義的な国家解体への思想的可能性を秘めていることは憶えておいてよい。

 竹中平蔵が大衆洗脳に使った言葉に、「公務員を減らせ」「官から民へ」「既得権益の打破」というプロパガンダがあったが、それは、無意識のうちに国家解体の可能性を夢想していたはずである。竹中平蔵の経済学には、ドストエフスキーやラスコーリニコフ、あるいはマルクスやケインズ、柄谷行人等に見られたような哲学的素養と深い根源的な思索というものがない。つまり竹中平蔵の経済学には経済の情勢論や政策論はあるが、経済の原理論や本質論が欠如している。 いずれにしろ、「かんぽの宿疑惑」を初めとして、「小泉・竹中構造改革」の暗部が暴き出されようとしているが、同時に、小泉政権下で、政府を誤った方向へ導いた稀代の詐欺師・竹中平蔵の経済学が、受け売りと借り物と、そしてそれの隠蔽とからなる「トンデモ経済学」であったということが暴き出される日も、近いだろう。」
http://asyura2.com/09/senkyo61/msg/210.html

 竹中平蔵の経歴は、 一橋大学経済学部卒業後、日本開発銀行入行→同設備投資研究所→ハーバード大学、ペンシルバニア大学客員研究員→大蔵省財政金融研究所主任研究官→大阪大学経済学部助教授→ハーバード大学客員准教授、国際経済研究所(IIE)客員フェロー→慶應義塾大学総合政策学部助教授→同教授→経済学博士。というものであるが、これも日本の大学の官界、産業界、思想界、政界からの独立性の低さを如実に物語っている。

 まず、彼は国立大学卒業し、エリートコース(といっても学歴と “育ち”だけで測られたものだが)の開発銀行に就職している。 さらに、そこの研究所から、英語力にものを言わせてアメリカの大学の客員研究員にジャンプする。そこから官庁の研究所(内実は下請け)へ行き、これらの経歴を合わせて阪大の経済学部の助教授に納まる。 しかし、ここまでの内容からは、アメリカの大学で研究を手伝った(客員研究員とはそういうものである)ことと下請けの情報整理をしたことを除いて、経済学の研究者としての業績を見つけることはできない。 その後も海外では「客員(手伝い)~」のポジションのみをマスターし、この手のキャリアとコネと年功序列制との組み合わせから、慶応で博士号を得ている。 要約すると、竹中は、日本によくいる「アメリカとの距離を媒介する」タイプのエリートであり、こういった学歴・経歴をうまく運んで経済学者のふりをしているにすぎない。 竹中平蔵は経済学者ではないのだ.

 それはちょうど、竹中の所属しているサプライサイド派が経済学ではないように。 彼は単に、メディアや学歴、地位、名声を駆使して必死に八百長を演じていた男にすぎないのだ。 そういうところは日銀総裁に就任したノーパン福井と変わらない、 典型的な日本の似非エリートだ。 さて、そんな似非経済学者である竹中平蔵が、ニューエコノミー論というインチキジャンルに寄生しはたまた先端の思考実験の意味合いが強いモデルに便乗し、自身の専攻分野としてマクロ経済学に取り組んでいる。ここで、竹中平蔵とこのサプライサイド派の始祖たちとの間にいくつかの共通点があることが確認できる。 一つは、総需要後退局面(不況)を、「経済にとって大した問題ではない」と位置付けていたところ。

 さらに、金融政策は経済の根幹部分を握っているという正統派経済学の結論をかなり限定的にしか採用しておらず、政策観としてはこれを軽視していたところ。 まだある。 メディアやロビイスト、政治家、コンサルタントを用いて、学界で正当な意見だとは認められていない自説を売り込んでいくところ。経済政策という国民の命に関わる重大問題を、ファッション感覚で語り、 また実務において処理しようとすたところ。

 若い頃、左翼学生運動にのめり込んだ団塊・全共闘世代やその子供たちに喝采を浴びて受け入れられるところ。正統派経済学者や正統派経済学に基づいて政策立案する実務家の主張を驚くほど採用していないところ。特に<自分の考えは論理的に非の打ち所がないと信じていたので、基本的に実証分析に頼る必要がなく、学界の主流派は実証結果だけでなく、経済原理も間違っていると考えていた> あたりは竹中はクルーグマンが揶揄しているサプライサイダーそのままの姿である。

 サプライサイド派はジャーナリズムの世界以外ではおおかた無視され続けてきた。サプライ・サイド経済学を信奉するような経済学部は有力な大学にはないだけではなく、 有力な学部にはサプライ・サイダーと呼ばれるような経済学者は一人もいない 。それでは一体、サプライ・サイダーはどこから来たのだろうか。 彼らは、ジャーナリズム、議会スタッフ、コンサルティング会社といった 経済学の周辺部分から出てきたのである。 うした人々は、学術雑誌に論文を発表するのではなく、新聞の論説欄や パブリック・インタレスト誌のようなやや大衆向け雑誌の特集記事で自分の考えを述べている。 1970年代、バートレーとワニスキー(引用者注:サプライサイダー)は、 ミルトン・フリードマンやロバート・ルーカスといった保守派を含む経済学の 主流派が見つけられなかった経済学の基本的な真理を発見したと確信し、 大勢の政治家たちにもそう信じ込ませたのである。

 サプライ・サイド経済学の主要な論点をまとめると、以下のようになるだろう。第一に、需要サイド政策、とくに金融政策は、全くの無効であるというもの。 第二に、減税のインセンティヴ効果は大変大きく、税率を下げることで経済活動が 急激に活発になり、減税幅を上回る税の増収が期待できるというもの。 サプライ・サイダーは、自分たちの考えは論理的に非の打ち所がないと信じていたので、基本的に実証分析に頼る必要がなく、学界の主流派は実証結果だけでなく、 経済原理も間違っていると考えていたのである。 言い方を変えれば、サプライ・サイダーは奇人なのである。

 ロバート・バートレーは、その自己満足的な著書である『ザ・セブン・ファット・イヤーズ』の中で、サプライ・サイド経済学は、ウォール街のレストラン「マイケル1」で何度か夕食をとっているうちに生まれた、と述べている。そこでバートレーとラッファーは、ケインズ経済学が論理的に一貫していないという、 何百回もの学会が行なわれながらもポール・サミュエルソンを含む多くの人々が見過ごしていた事実を発見した。 また、金融政策は経済に重要な影響を与えうるというミルトン・フリードマンの考え方は間違っているという、辛辣で率直なシカゴ・セミナーが約30年にわたって綿々と続く間にもフリードマン、ルーカス、そして他のシカゴ大学の教授陣が見過ごしていた事実をも発見した。 そして、夕食をとりながらたどり着いたこうした深遠なる結論は、驚いたことにほとんどがウォールストリート・ジャーナル紙の論説欄やクリストルが編集していたパブリック・インタレスト誌に掲載されたのである。 バートレーが集めて売り込んだサプライ・サイダーは、単なる保守派経済学者の集まりというには、いくぶん風変わりで無謀であり、単なる一学派というよりは、むしろ特異な宗教集団のように見えるのである。

 しかし、「マイケル1」でディナーをとっていたバートレーとラッファーは、 総需要の問題をうまく回避できると思ったのである。 ケインズからルーカスに至る多くの経済学者が、中央銀行の金融調節が経済に大きな影響を与える理由を説明しようと多くの時間を費やしてきた努力が、またしてもこの夕食の席で間違っていたことになったのである。

 『経済学派分類』

1.伝統的経済学派(ケイジアン→ニューケインジアン)
総需要管理政策(財政政策・金融政策)による景気のコントロールは可能とする立場。
この学派が政治的勢力と結びつくと、公共事業推進派が生まれ、
利権屋の方便として我田引水的に引用される傾向がある。

2.新古典派
総需要管理政策は無効であり、経済の発展にともなって通貨供給量だけを管理すべきという立場。
まともな新古典派の学説は傾聴に値する面もあるが、大抵の場合はネオコンと結びついた新自由主義という
政治的勢力に我田引水的に流用されてるだけで、ほぼデンパと言ってよい。
経済学的本流は、すでにニューケインジアンと合流している。
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(傍系) サプライ・サイド
1980年代にアメリカで麻疹のように流行し、その後の世界経済の混乱(アメリカの双子の赤字、プラザ合意、日本のバブル)をもたらした戦犯。経済学の一分野として認知さえたことは一度もなく、新古典派がニューケインジアンと合流してしまった後に、取り残された市場原理主義者たちが、細切れの経営者的発想を持ち寄ってできあがった、1つ1つはバラバラの、一見正しそうに見えて実は正しいとは限らない理屈の集合体。

サプライ・サイドを信奉するような経済学部は有力な大学にはないだけではなく、
有力な学部にはサプライ・サイダーと呼ばれるような経済学者は一人もいない。
日本では竹中平蔵がサプライ・サイダーとして位置づけられている。

もちろん、一橋の経済学部をいい成績で卒業しているし、実務をこなしてきているし、教職に立って経験を積んでもいるから、ある程度は自説を有力に主張することもでき、また経済学の教養もある程度は身についているのだろう。

だが、所詮そんなちょっと詳しいアマチュア君に過ぎない彼が、いっぱしのマクロ経済学者という名目で担当大臣にまでなっていたとは、はっきり言って狂気の沙汰だ。

しかも、彼のベースとしているのは経済学界でも有名なインチキ似非経済学=サプライサイド理論なのである。こんな男が、「経済財政担当」「金融担当」という国の柱ともいうべき重要なポストにのさばっていたことが日本経済の悲劇であった。

 【アメリカの日本管理は-組織経営学である】
 http://amesei.exblog.jp/3192915/

 竹中平蔵は、1994年の時点でなんと「社会資本充実が日本の生きる道だ」「530兆円を投資せよ・外圧に頼らない内需拡大を実施せよ」と 著書『民富論』(講談社)で今と180度逆のことを書いている。 丁度このころは、アメリカが内需拡大を促して、日本政府に「内需拡大」のための公共投資基本計画を要求してきたときと時季が一致する。

 村山元首相は朝日新聞の「経済漂流」と言う連載で「大統領がやれと言った」と証言している。竹中平蔵はこの時点ではケインズ政策を積極的に推進するようなことを言っていたのだが、今は小さな政府・財政再建を主張する小泉政権の大臣である。間接的には彼にも日本の超巨大財政赤字の責任があるということになる。竹中平蔵は要するに、時のアメリカの政権、ウォール街の要求に対して忠実に堪える「エージェント」だったのである。プリンシパルにとってこれほど扱いやすいエージェントはいないのではないか。

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-07-26/2008072604_03_0.html

 アメリカではFRB議長グリーンスパンの超低金利政策の結果住宅産業バブルが起こり、これが今日まで消費を支えてきたが、ここへ来て住宅バブルに 「ローソクの最後の炎現象」が見えてきた。前述のようにアメリカには日本 のような「潜在消費・投資力」の備蓄がないから解決策を他国に求めるしか なくなる。 そこでアメリカに狙われたのが日本、つまり竹中平蔵大臣である。 実は竹中平蔵氏は1980年から90年のJapan as No.1(「日本の世紀」と言われるほど日本経済が世界を制覇した)時代にハーバード大の客員研究員や准教授をしていた。日本の銀行が世界ランキング1位から10位を占める事態に危機感を抱いたアメリカはハーバード大等の叡智を結集して「日本叩き落とし戦略」を打ち出して見事に成功し、その結果日本の大不況はまだ続いている。 竹中氏(当時、大蔵省財政金融研究所主任研究官)は日本の大蔵情報提供者 として重要な働きをしたと考えられる。 自ら打つ手がなくなったアメリカは日本の「打つ手」(現金備蓄)を奪うしか 手が無いのである。竹中大臣はアメリカの国益の立場に立っているのである。

 不良債権で金融機関のパイプが詰まったままの状態で金融緩和をすると緩和 された資金はアメリカに流れず、資金需要がない日本の資本市場で浮遊資金 の増大となる。資金は当然土地と株にヘッジし、地価と株価を押し上げる結果となる。これこそ日本経済再生の道だが、アメリカにとっては許し難い こと。すなわち日本の土地と株が上がりだすとアメリカから資金が逃避し 日本市場に向かうからである。 不良債権処理を急ぎ、日本の国民に痛みを与え、デフレをさらにスパイラル化し、大銀行や大企業を破綻に追い込んでまでもアメリカの国益の為に尽くす 竹中平蔵。さらなる「詭弁」で小泉首相と国民を騙し続ける竹中大臣。

まるで邪教の亡者のごとき竹中大臣の強烈な意志と情熱は、多分1980年代に 洗脳された「日本叩き落とし精神」の具現だろう。今日本は「気違いに刃物」を与えてしまった。 今アメリカは戦争と言う無駄な公共投資を前倒しで実行しているが(前述のごとく)潜在的財源が無い。どんなことをしても日本の「備蓄資金」をアメリカへ還流させなくてはならない。

 http://www.chokugen.com/opinion/backnumber/h14/jiji021021_baikoku.htm

 竹中平蔵がやってきた日本の金融政策を振り返ってみよう。

 竹中平蔵が、日本に、自己資本比率規制を導入した。その結果、世界でも 最強を誇っていた日本の銀行は軒並み、貸し出しを減らし、貸し渋りを行う ようになった。そして不況になっていった。 それまでは世界のベスト10 バンクに日本の銀行が6行も入るすごい状態にいたのだった。

○竹中平蔵が時の橋本首相に「金融ビッグバンをやるべきです」と進言して、それをやった。すると山一證券は自主廃業となり、メリルリンチ証券となり、長期信 用銀行はf経営が傾き、一時国有化し、リップルウッドに買収された。 東邦生命は、買収されてGEキャピタル生命となり、日興證券は、 これも経営 が傾き、外資に助けを求め、外資の傘下にはいった。 日興コーデイアル証券となった。倒産は続出して、金融恐慌の一歩手前まで いった。時の橋本政権は選挙で大負けした。日本経済にとって致命傷となった


○竹中平蔵金融大臣が、「不良債権処理をやるべきです」といい、それを強化すべ きだといった。すると、銀行は貸しだしを抑制するためさらに不況 となる。不良債権と認定された企業は次から次へと倒産していくため小泉政権の自殺者数や、倒産件数は歴代1位である。 この竹中平蔵金融担当大臣が就任している間、UFJ銀行は経営不安に陥り、 54もの金融機関が倒産した。足利銀行も倒産した。建設会社が倒産した ときに、竹中平蔵金融担当大臣は、とてもよろこんだ。 「これが構造改革の進展している証拠だ」 。

 http://www.amezor.to/shiso/051030203841.html

 竹中平蔵が経済閣僚ポストを二つもなぜ握っているかは、ずばり言えばインサイダー情報を外資系証券に流し、外資系証券も彼らのインサイダー情報を流すことで情報のバーター取引をやっているのだ。竹中大臣の友達にはモルガンスタンレーのフェルドマン氏が付いていて、彼らは何をやってもアンタッチャブルである。なにしろ取り締まるべき金融庁の大臣が張本人なのだから誰も取り締まれない。 今回の日興コーディアル証券のインサイダー疑惑を追及されることはないし、それを記事にするマスコミもないだろう。 しかし状況からして日興コーディアルを売り抜けたり空売りをして儲けた筋がいることはチャートを見ればわかる。 その情報がシティから漏れたか日興から漏れたかはわからないが、上がるべき株が上がらず下げているのは明らかにおかしい。 日興は脱税でも110億円の追徴を払っているしこのダブルショックで700円台の株が500円まで下げている。 このように金融庁と外資系証券会社が手を組めばいち早く情報が手に入り100%確実に相場で儲ける事が出来る。

その中心にいるのが竹中金融大臣でありモルガンスタンレーのフェルドマン氏だ。 彼らは財界の若手や官僚の若手をグループに引き込んでは人脈を広げていく。 100%美味しい話を持ちかければ彼らのグループに引き込むのはわけないだろう。 UFJにしても竹中大臣の判断次第なのだから外資系証券会社の動きは目が離せない。 「りそな」の時も、普通は紙切れになるはずの株券が金の卵になったのは竹中大臣の判断であり、竹中大臣のインサイダー情報を持っていた一部の外資系証券会社は大儲けした。逆に株主責任を追及した植草一秀氏は彼らの制裁にあって社会的生命を抹殺された。 もはや小泉・竹中内閣を脅かす敵は無くなった。抵抗勢力も北朝鮮カードでおとなしくなり、抵抗勢力のトップの野中広務は引退した。

構造改革派の言う勝ち組とは政治を利用してインサイダーで儲ける事が出来る特権階級のことであり、よそ者がインサイダーで儲けると金融庁が厳しく取り締まる。

シティと日興コーディアルは縁が切れたわけではなく、筆頭株主ではありますが極めて短期間に1000億円もの利益を手にすることが出来た。 ハゲタカ外資は金融庁を使って日本の証券会社を締め上げて多くの証券会社を廃業に追い込み、日興證券へシティを二束三文で資本参加させ、 僅か6年で1000億のリターンだから笑いが止まらない。

竹中大臣にとっては日本経済や日本企業がどうなろうと関係なく、外資との口利き手数料で私腹を肥やし、税務署の手の届かないタックスヘイブンに利益を送金させている。 まさにハゲタカ外資は竹中大臣のような手先を使って、やりたい放題の事が出来るようなシステムが出来ている。

 http://asyura2.com/0403/hasan35/msg/602.html

 私達は洗脳されていました。不良債権の処理こそが構造改革だと。。。 彼等のやり口はこうでした。

一、株式は自己資本の半分以下にすること。
二、不良債権は二年で半減すること。不良債権処理に充てた資金には税金を課す ただし繰り延べ資産として7年間分認める

私達は国の命令で株式の売却を始めました。株の暴落が始まり○銀は国有化され○銀の株券は一夜で紙くずとなりました。数兆円の血税をつぎ込み身奇麗にした ○銀は瑕疵担保条項までつけて外資の手に渡りました。その後私達は恐ろしい光景を目にすることとなりました。

瑕疵担保条項によって死ななくても良い企業まで次々と息の根を止められて行きました。 その時つぶせばつぶすほど外資がもうかる条約だった事に私達は気づきました。

そんな時あの竹中が金融中枢に入ってきたのです。そしていきなり繰り延べ資産は認めないと言い出したのです。税金は取っておきながら、です。人々はパニックに落ちました。株価は大暴落し、旧額面で80円を割り込んだ時、外資の増資申し入れを受け入れました。四大メガバンクすべてが外資に自社株を叩き売ったとき、り○な銀行の国有化が決まり、○銀の時と同じく数兆円の国民の税金がつぎ込まれましたが、驚いたことに減資なし、株主責任は問わないという寛大な措置でした 。あれほど株主責任を厳しく追及していた竹中 木○コンビの豹変でした。その翌日から外資の数千億単位の株式購入が連日のように続きました。 日本の国富が外資の手に落ちて行くのを私達は茫然と見ているしかありませんでした・・・。私達は竹中によって株式をもっと売り払えと指導されていたからです。


米企業  真の黒幕。裏でシナリオを書いている。 りそな銀行救済措置の時、竹中に救済措置のシナリオを指示し事前に日本株を大量購入。救済措置後株価が上がったところで 大量に売りぬけ、何千億という利益をあげた。
これが植草の追及するインサイダー取引。

竹中  米企業の犬。米企業とのインサイダー取引を追及されたら政権交代どころか、国家犯罪にも問われる。 米企業に多大な損失を与えることになり、追求されればインサイダーがばれることを恐れる米企業に消される可能性もある。 よって何としてでもこの問題を追及する輩を潰す必要があった。

竹中の辞任は植草逮捕により検察内部の亀井派が竹中を追及する動きを見せたため。このまま政権内に残り、責任追及されれば政権は転覆する。それを防ぐため、植草逮捕の翌日、竹中は辞任を発表した。辞任したことにより、亀井派はこの問題を追及しても政権に大ダメージを与えることができなくなり、追求する動きが弱まった。その結果インサイダー取引は闇に葬られるわけだ。

 第10回「失われた5年-小泉政権・負の総決算(4)」
 http://web.chokugen.jp/uekusa/2006/06/10_47b9_1.html

・私は小泉政権の発足時点から、「小泉政権の政策が実行されてゆけば、
 日本経済が最悪の状況に向かうことは間違いない。金融恐慌も現実の問題になるだろう」と 発言し続けた。権力迎合の殆どの付和雷同エコノミストは、
 「改革推進で株価は上昇するし、経済も明るい方向に向かう」と大合唱していた。

・外資系ファンド、国会議員、政権関係者がインサイダー取引を実行した疑いは濃厚に存在するのである。私はこの問題について、テレビ番組などで再三、調査を要請した。

・一連の経過のなかで、外資系ファンドを中心に巨大利益を供与された人々が存在することを忘れてはならない。


 第11回「失われた5年-小泉政権・負の総決算(5)」
http://web.chokugen.jp/uekusa/2006/09/11_4e5b.html

・小泉純一郎首相も竹中氏も私の存在と発言を非常にうとましく思っていたようである。私が所属する会社や私が出演していたテレビ局にさまざまな圧力がかけられた。それでも私は信念を曲げるわけにはいかないと考えて発言を続けた。

・だが、結局小泉政権は最後の最後まで「天下り」を死守した。ここに、 小泉改革の本質が示されている。官僚利権は温存し、経済的、政治的弱者を情け容赦なく切り捨てるのが「小泉改革」なのである。 国民は目を覚ましてこの本質を見つめるべきだ。

 小泉政権インサイダー疑惑-りそな国有化の闇
 http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060712


 <植草氏は、りそな銀行処理の際の政権のインサイダー取引を暴露する本を出版しようとしたら、突然痴漢にされた>

 今回の植草一秀事件については、植草氏が、りそな銀行国有化に基づく現政権の犯罪行為を告発する本を出版しようとしていたところ、その直前に突然起こったものです。

<竹中氏の巨額な海外預金>

 昨今、竹中平蔵氏の、クレデイスイス銀行ジュネーブ支店に存在している巨額な預金残高の存在が一部で知られています。100億円を超えるという話を聞いています。

<銀行を外資に売り飛ばすための骨太の方針>

 こういった巨額な預金がなぜ存在するのかということと、この竹中平蔵氏が、日本の金融機関を外資に売り飛ばすことを主導していたことを思い起こしていただきたいと思います。

<竹中氏とインサイダー取引>

 そして、りそな銀行を国有化する際に、この竹中平蔵氏が暗躍したことがインサイダー取引につながっているという指摘があります。
 http://blog.mag2.com/m/log/0000154606/107731145.html

 竹中平蔵の嘘

 城内委員

 「次の質問は、アメリカ政府の対日イニシアチブ、対日要求についてで ありますけれども そこで質問ですけれども、郵政民営化準備室が発足したのが昨年の四月ですから、この昨年の四月から約一年間、現在に至るまで、郵政民営化準備室に対する、米国 の官民関係者との間で郵政民営化問題についての会談、協議ないし申し入れ等、こういったものが何回程度行われたのか、教えていただきたいと思います」 。

 竹中国務大臣「昨年の四月二十六日から現在まで、郵政民営化準備室がアメリカ の政府、民間関係者と十七回面談を行っているということでございます」。

 城内委員「十七回ということは、これはもう月に一回はこういう形で、アメリカの方で早く民営化してくれと言ってきているということであって、かなりの頻繁な数ではないかというふうに私は思っております」 。

 このとき竹中大臣は城内議員に対しては「妄想だ」などと言い放つことなく、郵政民営化の背後に米国の圧カがあることをみずから認めている。 しかしその後、通常国会の衆議院本会議で五票という僅差の可決となり、参議院 での採決が予断を許さない緊迫した情勢になって以降、焦燥の度を強めた竹中大臣の答弁は一変する。

竹中国務大臣「……ここで読み上げる、読み上げていただくまで私は、ちょっと外務省には申し訳ありませんが、アメリカのそういう報告書、見たこともありません」。

 二〇〇三年十月二十四日付けの米国政府の年次改革要望書には次のような記述がある。

 《V-D.民営化 米国政府は、二〇〇七年四月の郵政民営化を目標に、小泉首相が竹中経済財政・金融担当大臣に簡保、郵貯を含む郵政三事業の民営化プランを、二〇〇四年秋までに作成するよう指示したことを特筆する》
 http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2005/12/ocr_d42f.html

 そもそも年次改革要望書なるものが、いつから、誰によって、何のために、どんな内容で作成されたのか、このような疑問にメディアはほとんど答えてこなかった。それには深い意味があったのだが、詳しくは文藝春秋12月号の関岡英之氏の論文を読んでいただくとして、それを読む前に重大な事実を認識しておく必要がある。

 それは、現総務大臣竹中平蔵氏の国会答弁である。竹中氏は2005年8月2日、参議院郵政民営化に関する特別委員会で、民主党の櫻井充議員の質問に次のように答弁している。「郵政の問題につきまして外国の方から直接要望を受けたことは一度もございません。(中略)そのような場を設けたことは一度もございません」と。このことはたまたま小生も生で国会中継をみており、この答弁を聞いて、はて面妖な、と不審に思ったことをはっきり記憶している。

 実はこの文藝春秋12月号には、ジャーナリストの徳本栄一郎氏が「竹中平蔵が総理大臣になる日」と題してリポートを掲載している。その中で、上記の竹中氏の国会答弁が、事実と食い違い、矛盾していることを鋭く検証しているのである。またある週刊誌は、これも紛れのない事実を積み重ねて、この国会答弁が真っ赤なウソであるとし、竹中氏の人格まで疑わしいとしている。いやしくも現職の大臣が国会の答弁で簡単に見破られるようなウソをついたということは、よほど政府にとって都合の悪い事情が裏にあることを匂わせるではないか。なぜそこまで隠し通さなければならないのか。

 2005年12月号の月刊『文藝春秋』(関岡英之論文「警告レポート・奪われる日本」)につづいて、同誌の2006年1月号に関岡さんの「竹中大臣へ」の告発論文が 掲載された。関岡論文において、竹中大臣が国会で行った答弁がいかに矛盾に満ちた、でたらめなものであるかが明らかにされた。もはや竹中大臣は逃げることは不可能だ。潔く、非を認めるべきだ。

 竹中大臣は、「米国政府の日本政府に対する年次改革要望書」(米国政府が日本政府に対して郵政民営化を要求した公式文書)について、2004年10月19日の衆議院予算委員会で「存じております」と答弁しながら、2005年8月2日の参議院の郵政民営化に関する特別委員会では「年次改革要望書」について「アメリカのそういう報告書、見たこともありません」と答弁した。 これほどひどい国会答弁の食い違いは、議会史上でもめずらしいことだ。

 竹中大臣は、このことに責任をもって答えなければならない。「存じております」と「見たこともありません」の答弁矛盾について、 竹中大臣は答える義務と責任がある。

 国民の皆さんに訴えたい。竹中大臣の責任を追及する国民運動を起こすことを。堕落したテレビ朝日とお粗末な司会者に対しても抗議運動を起こさ なければならないと思う。

 http://www.pluto.dti.ne.jp/%7Emor97512/

 weekly・ポスト・ドットコム 2002年9月6日号

 小泉改革の成果はなかなか見えてこない。「成果が見えないどころか、日本はますますひどくなる一方です。小泉首相がやっていることは全部逆。まず資産デフレを止めることを考えなければいけないのにそれはやらない。こんな状態なら、首相が自ら辞任するか、内閣を改造するのが当然でしょう。私はやはり小泉首相の責任が一番重いと思います」

――経済政策のどこが一番問題か。

 「全部ミスですよ。何か成功したことがありますか? 私はないと思いますが、あったら教えてもらいたい。だからこそ、小泉首相だけでなく、竹中平蔵経済 財政相も柳沢伯夫金融相もしかり、塩ジイ(塩川正十郎財務相)もまたしかり。 日本経済をどんどん悪くしてしまった責任者たちが、よくも堂々と政権に残っているなと感じます」


――小泉政権がアメリカン・スタンダードにこだわるのはなぜだと思うか。

 「私は、現在の不況をアメリカによってもたらされた『アングロサクソン・リセッション』 と呼んでいます。これはイコール『竹中不況』といってもいい。彼は、小渕内閣以来、経済ブレーンとして日本の政策の中枢部門にいるが、この2年間の彼の言動を検証してみると、いたずらにアメリカに追随するだけで、主張にも一貫性がない」


――アメリカに振り回されている?

 「一番わかりやすい例を出すと、彼は一時期、IT革命を謳って、“500万人の雇用が新たに創出される”といいましたね。そうしてITバブルを起こしたが、結局は夢にすぎなかった。

 竹中氏は市場原理主義者といいますか、要するにアメリカかぶれした人です。すぐに“マーケットに聞け”とか、“ハイリスク・ハイリターンの時代が到来した”などと口にしますが、彼のいう通りにやってきた結果、日本の経済は傷んでしまった。これはもう国賊でしょう。しかも、確固たるポリシーがあるわけでもなく、トレンドを追いかけているにすぎません」
 http://www.weeklypost.com/jp/020906jp/edit/edit_1.html

 植草さんが竹中のことを↓のように罵っていた。

 「竹中三原則ってのがありまして…間違いを認めない。節操がない。そして、自画自賛する」 。一同爆笑。 竹中平蔵のずる賢い所は、出る番組を選ぶことです。NHKには出たがりません。これは、NHKの解説委員は東大出が多くしかも自分のアンチが出ることが多いので極力出ないわけです。ところが、田原総一郎の様な”同業者”(田原は孫正義のエ-ジェント)に取っては竹中と意見を同じくすることが良いビジネスになるわけです。竹中を知る大学関係者は、彼は学者ではないと言います 。理由は簡単で、理論も何もないからです。ただ、ファンドの言うことを自分が言ったように見せかけているだけで 中身は何もありません 。

 森内閣の時に、森喜郎と言う人がこれ以上はないミ-ハ-だったおかげで 芸能人脈を作ってしまいました。その子息が六本木人脈と言われている遊び人グル-プを作っていて モデルやタレントの女の子を通じて、業界人の○グル-プを関係が深くなった。 そこで、テレビ関係で殖財をしている連中とも親しくなり結果、竹中は 政治家を儲けさせてやることでより政界の中枢に出入りできるようになった。政治家の子息、テレビ局、芸能界、そして金持ちの子息・・・・ さらにその親たち・・・全ては竹中のクライアントなのです 。批判できるわけがありません


 テレビ局が毎年、新卒を入れるときに○政とか○芸とか○文とか言う符丁で 呼ぶ人々がいます。これは、その父親が政治家、芸能プロか芸能人、文部省の役人と言う意味ですがこの連中は局内で集まり派閥を作る傾向があります 。この派閥の特徴は、とにかく金回りが良いこと。車も外車が当たり前だし別荘にクル-ザ-、休みには海外旅行・・・ 殆ど仕事もせずにテレビ局の名詞を悪用して遊び回っているわけです。

 竹中は慶応の教授時代から金持ちの子弟には必ずと言って良いほど声を掛けて自分の子分である、外資系のコンサルを紹介してはマ-ジンを裏で稼いでいましたフェルドマンなんかはその頃からの腐れ縁です。同時にメディアに出るようになってからは、関係者をコンサルに紹介して良いエ-ジェント稼業に勤しんでいたのです。芸プロの社長、タレント、もちろんテレビ局の財務部門・・・その連中を儲けさせたのでエ-ジェント竹中は評判が極めて良くなったのです。


 テレビ局というのは、裏金としてどのくらいの現金を撒くかで 出演が決まり結果ギャラに反映するわけです。 裏金以上に稼げばよいわけですから、稼ごうと思えばそれだけ裏金も必要になります 。しかしそれは、普通の方法では稼げません

脱税も良いでしょうが、それはリスクが伴います。竹中はケイマン諸島に本拠地を置くファンドが付いていると言われますが そのようなファンドを上手く使って金を儲けさせてやる 。結果、竹中情報は=金そのものでありテレビ関係者にとって竹中を出してやることは =金作りになったのです。 では、竹中がテレビに出るメリットは何でしょうか? それは、彼のサイドビジネス・・・つまり、ファンドに金持ちを紹介するためには テレビで自分を宣伝する必要があった 。あの有名な竹中教授です・・・で、一回の講演料は安くてもその後のパ-ティでは名刺を交換する金持ち連中が引きも切らなかったそうです


 日比谷にアピシウスというレストランがあります 。そこで食事をすると一人5万円は当たり前に掛かる 。竹中はそこの常連で、いつもファンドとそういった金持ちの子弟を連れて 食事をする 。その後は、最近は麻布のクラブでファンド達を入れて情報交換している 。竹中は女性には興味がないようです 。

ひたすら、ファンド達と企業や金融機関買収を話し合っている。 木村も、同席することがあり他には楽天の三木谷等が入ることもある 。最近では、上海閥とおぼしき連中が入り日本企業の買収を如何に進めるか。 それをよく話し合っている

 アルゼンチン経済を破綻に導いた前大統領は、「構造改革」を唱えていたせいか、経済の状態が相当悪くなっても、不思議とかなり高い支持率を維持していた。 経済の調子が悪いのも「構造改革が進んでいないからだ」と必ず言い訳をする。 「悪いのは改革を邪魔する抵抗勢力」と言っておれば大衆は簡単にだまされるのである。 「改革」唱えながらの経済運営では、経済は低迷する。すると必ず「改革」派の人々は、犯人捜しを始める。悪いのは「銀行の経営者」「建設・土木業者やこれらに支援を受けている政治家」「道路公団」「金融庁」「大企業の経営者」等、きりがない。しかし彼等が悪いかどうか知らないが、たとえ彼等を懲らしめたからと言って、日本経済が上向くと言うものではなかろう

 おそらく次には彼等は「精神」の問題と言い始める気がする。日本人の「精神」が悪くなり、何でも人に頼るようになったから、経済が上向かないと言うのである。 日経新聞には、既にその徴候が現れている。「科学性」が否定され、「精神主義」が花盛りになる。まさに戦前と同じ構図を辿っている。
http://www.adpweb.com/eco/eco265.html


 竹中平蔵氏(慶応大学教授)が、公明党の機関誌『公明』八月号の特集「日本復活に何が必要か」のなかで、巻頭論文「改革止めれば日本は衰退」を寄稿しています。

 周知のとおり竹中氏といえば、小泉内閣の金融、経済財政、郵政民営化などの担当大臣を歴任し、「新自由主義」構造改革路線の旗振り役を務めた人物です。その竹中氏がいまどんな「日本復活」の処方せんを提案しているのか、いささか興味をそそられました。

 が、一読して、そのあまりにも無反省な「改革」論に、正直言ってあきれてしまいました。

「改革」が進まないから消費が低迷しているというが…
 竹中氏は、まず「日本経済の現状が厳しいのはなぜでしょうか?」と問いかけ、その原因は、次の三つだと言います。

 (1)「改革が進まなくなっている」との不安から「期待成長率が下がって、消費も投資も減少」。

 (2)「コンプライアンス(法令遵守)不況」。

 (3)ドル安による円高で「外需が減少」。

 第一の、「改革が進まない」↓「期待成長率が下がる」↓「消費も投資も減少」という三段論法についていえば、いま消費が 低迷しているのは、そんなことが原因ではありません。小泉「構造改革」による貧困の拡大、家計の負担増、物価高こそ、消費低迷の最大の原因であり、そのために「新自由主義改革」路線は国民の批判をあびて頓挫したのです。 第二に、竹中氏の言う「コンプライアンス(法令遵守)不況」とは建築偽装や食品偽装にたいして規制を強化したから「一気に売上げが落ちて(不況になった)」、つまり「法令遵守」が不況の原因という“珍説”です。 第三に、円高による外需減少をドル安のせいにしますが、問題にすべきは外需頼みのゆがんだ経済成長のあり方です。 経済構造を内需型に改革することこそ大事ですが、竹中氏はそのことにはまったくふれません。 総じて、竹中氏の現状認識には、現在の世界と日本の資本主義が直面する深刻な矛盾を客観的に分析する立場が感じられません。

 今日の資本主義では、大企業中心の新自由主義的な資本蓄積のために、富が大企業、大金持ちに集中し、それが巨額な金融資産(過剰な貨幣資本)として金融危機を起こし、また投機マネーとなって原油や穀物を暴騰させています。 一方に膨大なワーキングプアと貧困、他方に法外な富の累積という異常な資本蓄積のあり方―ここに現代の新自由主義的資本主義の 矛盾の根源があります。しかし、こういう現状認識を竹中氏に求めるのは、どだい無理な話かもしれません。

 お手本だった米国流の「新自由主義改革」がこけてしまって…

 続いて竹中氏は、「日本復活」の処方せんとして、次の三つの「ナショナルプロジェクト」をあげています。

 (1)「羽田空港の拡充」。 (2)「法人税の引き下げができるスーパー特区」。 (3)「東大の民営化」。

 最初の「羽田空港の拡充」では、「キャパシティーを3倍にする」などと提案しています。一昔前の田中角栄流の「土建国家」を思わせるような大型開発プランです。 次の「法人税の引き下げ」は、財界が渇望している要求です。竹中プランは、それを「特区」にして、地方を法人税切り下げ競争に 巻き込むことで実現しようというわけです。それは財界・大企業にとっては願ってもない提案だとしても、地域経済にとっては、さらなる格差を拡大するだけでしょう。

 「東大の民営化」についていえば、小泉内閣の「郵政民営化」に続いて“柳の下のどじょう”をねらっているのかもしれません。しかし、東大を「世界のトップ5」の大学に押し上げるための民営化といっても、あまりにも論理が飛躍しているといわざるをえません。

 竹中氏は、こうした三つのプロジェクトで「日本を強くし、地域を活性化できる」と約束しますが、その理論的根拠は不明です。 もともと、竹中氏が旗を振った小泉「構造改革」には、独自の経済理論の裏付けがあったわけではありません。 たかだか「市場に任せればすべてうまくいく」という「新自由主義」派の経済学をメインストリーム(主流)などと称して、米国流の「新自由主義改革」をお手本にしたものにすぎませんでした。 いま、そのお手本の米国がサブプライムローン(低信用者向け住宅ローン)の破たんで深刻な金融危機に見舞われています。 その惨たんたる状況が世界中で明らかになりつつあるときに、「改革止めれば日本は衰退」などと叫んで、「羽田空港の拡充」や「東大の民営化」を提案しても、説得力はありません。  「改革」のお手本だった米国がこけてしまったのに、それでも懲りずに「改革」続行の旗を振り続けているというのが実態でしょう。 それにしても、連立政権与党の機関誌が、いまだに、こうした無反省な「日本復活論」を巻頭にかかげているとは、少しお粗末すぎるのではないでしょうか。(友寄英隆)

 ★小泉改革=IMF構造調整プログラム★  

 ウクライナの破滅とIMF諸改革

 ウクライナの、そしてモンゴルの破滅のパターンは、IMFがアフリカはじめ、援助を行った各国でやったこととまったく同じである。 援助を要請すると、融資条件として構造調整プログラムがIMFから提示される。 その通りに実行すると外資が参入、国内産業が破壊される。そしてアメリカの援助穀物が世銀の食糧援助によって持ち込まれ、農業は競争力を奪い取られ、自給自足、自主独立の手段を失う。この状態で旱魃などが襲えば、即、飢餓につながる。 IMFの要請により財政を緊縮し、教育予算を削減、教育も破綻している国が多いので、人材が育たない、企業も起こらない。 財政が改善しないからさらに援助を、ということで借金がふくらみ、国内総生産は借金の利子だけで消えていき、国内産業の育成はますますままならない、という悪循環に陥る。 アフリカがあれほどまでに飢餓と貧困に苦しむのはIMFの構造調整プログラム(SAP) による社会構造の破壊が大きく影響している。

 現在の貧困は、IMFがSAPを開始した1980年前後から急速に悪化している。 世界の最貧困層20%と最富裕層20%の所得格差を見ると、60年には1:30。 これが90年には、倍の1:60。2000年ではさらに拡大して 1:78になっているという。

 IMF世界銀行の搾取システム構築を考え出した米シンクタンクにいた日本人が竹中平蔵。 IMF管理下国でも無いのに日本にそのまま適用した結果が今の日本。結果このようになるとわかりきってやった確信犯。「痛みを伴う」と竹中に丸投げした小泉も言っていただろ。w ハッキリとした原因があればこそ結果がその通りに現れる。

793 名前:名無しさん@3周年: 本日のレス 投稿日:2009/03/27(金) 00:38:32 NO8nhOEa

 竹中は慶応の教授です。かつて日銀の総裁も狙いました。彼が小泉と組んでしたこと。学歴など必要ない。経済学の知識もね。「首切り」「米国のギャンブル経済(デリバティブ取引)に日本の資金を投入させ、経済がうまくいっているように見せる」だけでした。 世界恐慌が起きて蓋を開けましたら、「サブプライムと一番関係のない日本」(竹中)のGDPが先進国で一番落ち込みました。 住宅はサブプライムの本家米国より落ち込みがひどかったのです(爆笑)。 早い話、失業者を大量に出した結果が消費を低下させ、内需をメチャクチャにした だけのことです。いまだに竹中はその罪を認めません。あの狂った小泉など何も考えないお目出度い男です。国民はこの馬鹿に一度は酔ったのです。次の選挙でとにかく政治を変えよう。官僚・国家公務員のリストラですよ。防衛費にもメス。その資金で北欧でやったように若者に定職を与える。





(私論.私見)