「タルムードの位置づけ」、編纂史

 (最新見直し2006.6.26日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ユダヤ教の原典は聖書であるが、実践的にはタルムードの方が影響力が強い。以下、そういう役割を持つタルムードの考察に入る。

 2006.10.21日 れんだいこ拝

【ユダヤ原理派を律する驚くべき「タルムード、ラビ説法」考その1、正の面】

 タルムードに付き、日本に長期滞在したアシュケナジー・ユダヤ人のラビー・トケイヤーは、彼の著書「ユダヤ人の発想」(徳間書店)の中で次の様に述べている。

 「勿論ユダヤ人は『(旧約)聖書の民』である。そして『聖書』がユダヤ人の文化の基礎を作っているとすれば、『タルムード』はしばしば中央に建った太 い柱であると言われる。なんと言っても『タルムード』はユダヤ文化に於いて最も重要な本であり、そしてユダヤ人の創造力のバックボーンを成している。『タルムード』という本が生き続ける限り、ユダヤ人は滅びる事はない。ユダヤ人は発展を続けるだろう」。
 「『タルムード』はユダヤ人の魂であり、頭脳である。ユダヤ人はタルムード的な存在であると言われて来た。言い換えれば、タルムード的人間であったからこそユダヤ人は成功して来たのだ。キッシンジャーはタルムード的人間である。マルクス、フロイト、アインシュタインもそうであった。タルムード的人間であったところに、成功の秘密があった。そして来るべき21世紀にもタルムード的人間は成功するだろう」。

 ラビー・トケイヤーのタルムード観が恐らく、ユダヤの民の正式な受取りようなのだろう。

 事実、タルムードには豊富な名言が散りばめられており、生活の知恵の宝庫となっている。「聖タルムード以上の教典はないという 」と云われている。これを学ぼうとすれば、「タルムード・ダイジェスト」「ユダヤの教え(タルムード学)」その他を参考にすれば良い。その一端が垣間見えるであろう。

(私論.私見) 「ユダヤ人の教育重視」について

 思えば、ユダヤの民は世界一、幼児教育から始まる系統教育を重視する特徴を持つ。いわゆるユダヤ人の優秀性がここで形成されると伺うべきか。日本の民も又これに引けを取らない教育重視民族である。もっとも、戦後、形式的には学制を整備したが、支配権力の愚昧さにより実質的に駄弁教育を押し付けられ、世代交代のたびに一億聡白痴化を深めつつあるように思われる。

 2005.2.23日 れんだいこ拝


【ユダヤ原理派を律する驚くべき「タルムード、ラビ説法」考その2、負の面】
 「ユダヤ教の背景の教えであるタルームードの実体」を参照する。
 ラビー・トケイヤーの自賛するタルムードは全部で19巻あるらしいが一般に公刊されていない。原書はヘブライ語で書かれており、「近代になるとヘブライ語の読めないアシュケナジー・ユダヤ人が多くなって来たので英語にも翻訳された」。「そんなに素晴らしい書物ならば、なぜ全巻を日本語に翻訳して出版しないのか。なぜ秘本にされるのか。誰かが日本語に翻訳する許可を求めても、彼等はそれを許可しないだろう。それはなぜなのか」ということになろうが、ここにタルムードの秘密がある。「タルムード」には、非ユダヤ人が戦慄する様な事が随所書かれている。以下考察するが、それは「悪魔の論理(サタニズム)」で染め抜かれている。それ故に内輪教本にされざるを得ない。そのように思われる。

 滅多に指摘されないが、西欧史における「バビロンに捕囚」、「ローマ軍によるユダヤ神殿の徹底破壊」、「ユダヤの民のパレスチナからの所払い」、「ユダヤ人の流浪化、離散(ディアスポラ)」、「ユダヤ人のゲットー化」の背景には、タルムード教本を金科玉条するユダヤ権力との「血で血を争う抗争史」があり、東洋の我々の容喙を許さないものがあるように思われる。それは、日本の戦後民主主義者の凡庸な目線には決して映じないものである。

 近世に入って、それまでキリスト教国化することで当該権力を安泰させてきた西欧諸国は、その支配体制の根幹を揺さぶられていった。そのこと自体は歴史法則であるからして何ら問題は無かろう。問題にすべきは、西欧諸国の支配体制の揺らぎがユダヤの民のゲットーからの脱出を誘い、このことも歴史法則であるからして何ら問題は無かろう。問題は、そのことによってユダヤのタルムード原理派が再び息を吹き返し、ゲットーから出るに当って「悪魔の論理(サタニズム)」を生硬に保持したまま公権力への階段を上り詰め始めたことにある。

 彼らはやがてネオ・シオニズムを生み出し、西欧諸国を篭絡し、西欧諸国をして世界の植民地化争奪戦へ導き、第一次世界大戦、第二次世界大戦を生み出し、戦後は更に強大な裏権力を形成していった。2005年現在の米英ユ同盟のネオコン勢力はその現段階の姿である。彼らは今や、世界の政治、経済、マスコミ、エネルギーを支配し、彼らのグローバル・スタンダードに拠るワンワールド世界の創出に向けてピッチを上げつつある。いわゆる「シオンの議定書的世界支配の日」を迎えつつある。


 そういう情勢に規制されて、「ユダヤ問題」はヨーロッパでは勿論、アメリカでもタブーとなっている。20世紀の落とし子とも云えるマスコミが第四権力となり、それを支配するユダヤ権力が日々都合の良い情報を垂れ流し、逆を規制している。今や、ニュースからでさえ真実を読み取る事が出来ない。ニュース以外の時評番組もシオニズム・プロパガンダかもしくはシオニズムの意向に添った範囲のものしか報ぜられない。それら以外の番組はほぼ愚民化に資するものでしかない。

(私論.私見) 「ユダヤ人の教育重視」についてその2

 ユダヤの民の教育重視も、「サタン論理」の押し付けを伴っているとしたら、功罪半ばしよう。彼らは、この陥穽からいつどうやって抜け出せるのだろう。

 2005.2.23日 れんだいこ拝

【太田龍・氏の指摘】
 太田龍・氏は、「2006.6.25日付け時事寸評第1720回、マイケル・ホフマンが、ユダヤ教のドグマホロコースト神話を超克するキリスト教歴史修正派の神学建設の急務を訴える」で次のように記している。
○マイケル・ホフマンのニューズレター「レビジョニスト・ヒストリー」第四十一号(二〇〇六年六月号)。ここに、「“ホロコースト”歴史修正主義のキリスト教的神学」と言う論説が掲載されて居る。これは重要な文章であるので、後日、なんらかのかたちで日本民族有志に紹介したい。

○日本人は、全く意識して居ないが、M・ホフマンは、ここでの「ホロコースト」は、ヘブライ語では、Shoah(ショアー)。そしてその本当の意味は、(ユダヤの神エホバによって)選ばれた民(Chosen People)に対するホロコースト、である、と強調する。

 この指摘は全く正しい。まり、いわゆる「ホロコースト」説は、「ユダヤ教のドグマ」の一部なのである。「ドグマ」とは、論証の必要なき、問答無用の絶対的な公理、として押し出される独断的教義である。従って、この「ドグマ」は、ユダヤ教の体系と枠組全体を信じる者にのみ通用するのであって、ユダヤ教徒でない人々は何の意味もない筈である。

○ホフマンは、このユダヤ教のドグマにもとづく、いわゆる「ホロコースト」イデオロギーを批判する、キリスト教神学が登場しなければならない、と言う。普通の日本人は「ユダヤ教」の教義については、完全な無知である。

○キリスト教の旧約聖書は、ユダヤ教の経典としての「トーラー」であるが、しかし、両者は、そのまま、等置はされ得ない。それに、ユダヤ教の枠組の中では「トーラー」よりも、生ける(つまり現在の、現存する)ユダヤ教ラビの説教、解釈が優先する。二千年近い時間に蓄積されたユダヤ教ラビの解釈を集めたタルムード。このタルムードは、膨大な分量である。

○十七世紀末のドイツの学者アイゼンメンガー教授の、ユダヤタルムードの中のキリスト教を攻撃した記述を集めた古典的大著は、一七〇〇年に出版された。日本で出版された、このユダヤ教タルムードについてのもっとも詳細な研究書(訳書)は、デ・グラッべ著、久保田栄吉訳「ユダヤの『タルムード』 : 世界攪乱の律法」(昭和十六年)、である。

○マイケル・ホフマンは、現在、世界中のキリスト教徒の殆んど全部が、ホロコースト神話を受け入れることによって、シオニストユダヤの手先に転落してしまった、と告発する。

○この評価も正しい。ユダヤホロコースト神話を超克する、キリスト教神学の建設が急務である、と、M・ホフマンは訴える。これも全くその通り。(了)

【ユダヤ原理派の執拗な「イエス・キリスト攻撃の実態」】
 「ユダヤ教の背景の教えであるタルームードの実体」を参照する。

 1988.8月、「キリスト、最後の誘惑」なる映画が全米各地で上映された。それは、タルムード思想で作られたイエス・キリストのポルノまがい映画であった。当然、イエス・キリスト教の教義を信奉する側からの抗議の声が各地で上がった。この映画がイタリアのベネチア映画祭で上映され様とした時、イタリアの映画監督フランコ・ゼフィレリは次の様に語った。
 「謝りに満ちた醜悪な時代遅れの作品。常にキリスト教世界を吹き飛ばそうと考えているロサンゼルス(ハリウッド)のユダヤのクズ文化の仕業である」。
(私論.私見) 「ユダヤ人の教育重視」についてその2

 思えば、ハリウッド映画は、執拗にキリスト教の牧師や神父、信者を中傷し続けお笑いにしているとのことだ。他方で、ユダヤ教のラビがそういう目に遭うことはない。これは偶然なのだろうか。

 2005.2.23日 れんだいこ拝

【タルムードの位置づけ」】
 「タルムード」に次のような記述があると云う。イルミナティ(啓明会)の創設者(アダム・ワイスプト)の手紙「阿修羅♪タルムード」「角笛」「世界支配の計画書」「タルムード」その他を参照する。
◎、タルムードの意義について
 タルムードの意義について次のように語られている。
 「 吾々はタルムードがモーゼの律法書に対して絶対的優越性を有することを認むるものなり」(1864年版イスラエル文庫)。
 「 律法(聖書)は多少とも重要ではあるが、長老方が聖典に記された言葉は常に重要である」。
 「神は夜の間にタルムードを学び給う」(メナヘム・ベン・シラ法師)。
 「天上にも地上と同じき数の高等なる学園あり。神もそこにて熱心にタルムードの研究に従事す」(ロイベン法師)。
 「エホバは天国にあって刻苦勉励してタルムードを学び給う。それほどこの書物に敬意を払われているのである」(メチラ訳)。

◎、ラビ(法師)の言葉の意義について
 М・トケイヤーの「ユダヤ製国家日本」は、ラビ(法師)の役割について次のように述べている。
 「ユダヤ人は国を失って、世界の各所に小さな地域社会をつくって生活したために、政府を持つことが無かった。どの共同体でも、ラビが地域社会の指導者となった。ユダヤ人は『学ぶ民族』だから、ラビの地位が高かった。ラビは聖書や、ユダヤ民族の“智恵の宝庫の本”といわれるタルムードの権威者だった。

 ラビはキリスト教の神父や、牧師とは、まつたく異なった存在だ。たしかにラビは僧のような役割もつとめる。しかし、それよりは人々によって選ばれる地域共同体の指導者であり、教師であり、カウンセラーであり、裁判の裁定にも当った。

 ラビは神学校で学んだ上で、それぞれの地域共同体の長老たちによって面接を受けて、その共同体のリーダーとして選ばれた。凡そ一千人から三千人に一人ぐらいの割合で、その共同体のリーダーとして存在した」。

 ラビ及びその言説の意義について、タルムードの中で次のように語られている。
 「ラビの命令は聖書の命令よりも重要である。ラビの命令に従わない者は誰でも死に値し、沸騰している糞の地獄の中でゆでられる懲らしめを受けるだろう」(エルビンErubin 21b) 。
 「ラビを冷やかす者は死に値する馬鹿ものである」((Baba Bathra 75a)。
 「教法師の日常の言辞も、誡律同様に重んずべきなり」(1516年版ヴェネツィア版ミトラシュ)。
 「掟の言葉より法師の言葉を敬え」(アシ法師)。
 「汝知るべし、法師の言葉は予言者の言葉より美し、と」(アシ法師)。
 「もし法師、汝の右の手を左の手と言ひ、左の手を右の手と言ふとも、彼の言葉に違ふべからず」(アシ法師)。
 「教法師を畏るるは神を畏るるなり」(モシェー・バル・マエモン)。
 「教法師の言葉は、生ける神の言葉なり」(ベハイ法師)。
 「タルムードの決定は、生ける神の言葉である。エホバも天国で問題が起きたときは、現世のラビに意見を聞き給う」(ラビ・メナヘン、第5書の注解)。 
 「天上に於て困難なる問題の生ずる時、主なる神この世の法師等にも諮問し給う」(メナヘム・ベン・シラ法師)。
 「法師の言葉を嘲る者は、地獄の煮え立つ糞の中にて罰せらるべし」(アシェル法師)。
 「ラビの言葉に背くことはトーラーに背くことよりも、さらに悪い」(ミズナ、サンヘドリン、10の3)。
 「ラビの言葉を変える者は死罪に処すべきである」(エルビン、21のb)。
 「神はユダヤ人の魂六十万を創り給えり。聖書の各節は六十万の解釈を有し、各々の解釈は一の魂と関係あればなり」(アシェル法師)。
 「地獄に行ったラビは一人もいない」(ハギガー27a)。
 「あるラビは神と討論し彼を打ち負かした。神はラピに負けたことを認めた」(パパメツイア59b)。
 「誰でもラビに従わないものは死に値し、地獄の熱い大便の中でゆでられる懲らしめを受けるだろう」(エルビン21b)。

◎、タルムードの秘密主義について
 タルムードの秘密主義について次のように語られている。
 「トーラを学ぶゴイは死罪に当る者なり」(モシェー・バル・マエモン)。

【「タルムードの歴史的由来」】
 タルムードの編成史は迷路のようなものなので、以下概略として確認しておく。

 ユダヤ教は、基本教義書としての聖書を中心とした書式律法の他に口伝律法を持つ。口伝律法は、主としてモーゼの律法に遡る。モーゼは、シナイ山で神から啓示を授けられ、これを石板に刻み律法とした。これを「トーラ・シェビクタブ」(Torah Shebiktb)と云うが、他にも口伝律法があり、解釈文も存在する。これを「トーラ・セベアルペ」(Torah Schebeal peh)と云う。

 モーゼはこの口伝律をヨシュアに、ヨシュアは順次70人の長老に、長老は予言者達に、予言者達は大教会にと、連続的にユダヤの民の中でも選り抜きの知者に伝えていった。遂に口伝えでは記憶出来ないまでになり、これを文書化し始めた。これがタルムードの始まりとなる。つまり、「タルムード Talmud は、その口伝律法を書き写したもの」とみなされる。ちなみに、イエスは、タルムードが神の言葉を曲げているとして非難している。

 律法、タルムードは、パレスチナのユダヤ人学校で教えられ、次第に内容が整備され、ユダヤ・タルムードの最初のものが編集されていった。2世紀頃、聖徒とか王子とか呼ばれたラビ・ユダが初めて口伝律の全目録書を作成した。彼はそれを6篇63書に構成分けした。これが、セフェル・ミスナイオトまたはミスナ(ミシュナ)とも云われるものであり、聖書に次ぐ位置づけをもって「第二律法」とも云われる。

 内容は、成文律法を前提としたユダヤ人の日常生活の規範、細則、時代状況の変化に即応した判断、指針の体系となっている。このミスナが全タルムードの根幹となり、パピロニアとバレスチナの学校で採用された。その後パレスチナとバビロニア両地域の律法学者の研究対象となり、膨大な注釈が生み出され、注釈が生まれた。その後年々註解が増加し、ミスナについての博士達の論争と判決とが書下された。それをゲマラという。

 つまりミスナは法律の本文であり、ゲマラは判決を誘導すべきさまざまな意見の注釈解説書ということになる。しかし、ミスナの全訓言がユダヤの学校で論議されたわけではなかった。このためミスナのある部分はゲマラの中に欠けている。ミスナとゲマラを合わせてタルムードが編さんされた。  

 ラピ・ユダのミスナについて、パレスチナとバビロンの学校では各自勝手な解釈を行なった。そのためまた二通りのゲマラが出来た。つまり390年頃のエルサレム訳と490年頃のパビロニヤ訳である。エルサレム訳の著者は80年間エルサレムの教会の長老であったラビ・ヨハナンで、ミスナの註釈39章を書いて紀元1230年に完成する。  

 一方パビロニア訳は一人の著者ではなく、また一時期に完成したわけでもなかった。ラビ・アシが紀元327年に始め、60年間努力し、およそ427年にラビ・マレマルがこれを継ぎ、約500年にラビ・アビナによって完成された。バビロニア・ゲマラには36章がある。ミスナに附加されたこのニ通りのゲマラはまた二通りのタルムードも作った。エルサレム訳は簡単すぎ曖味でもあったためにあまり用いられず、パピロニア訳は各時代のユダヤ人に非常に尊重された。

 ゲマラにトセホトという追録がある。これはラビ・ハイアがミスナに対する自分の意見をこう呼び、彼とラビ・ウシヤイアはこの書物を学校で公然と解説した最初の人物であった。ミスナに対する註釈は校外の博士達によって作られ、バライェトト(外来の教え)あるいは外来意見といわれた。

 
タルムード(Talmud)の語源は、教えるという意味のラムード(Lamud)が転化して教訓という意味を持つようになり、その書籍集として使われるようになったことに発する。タルムードは、紀元後に数回にわたって編纂された法典とその注解書で、旧約聖書、トーラーと並ぶユダヤ人の生活を律する思索、手引き、教訓となっている。

 ユダヤ教徒が旧約聖書を重んずる点では共通しているが、トーラーとタルムードの位置づけを廻って様々な分派が発生している。カライ派(Kalaites )はユダヤ教の一派で、トーラーだけを信じ、タルムードを認めない。そういう派も存在する。

 
「ユダヤの世界観 タルムード的人間」で、次のように解説されている。
 概要「タルムードは、紀元前五百年から紀元五百年までの千年間にわたる口伝を、二千人以上のラビが編纂したもので、ヘブライ語で書かれ、全二○巻、1万2千頁に及んでいる。教育熱心なユダヤ人は、一日一回は必ず開く。毎日休まず少しづつ読まなければ、とうてい読み切れない」。
 「ヘブライ語は、右から左へ読む。タルムードをみると、一枚の紙の中に関連した項目を配置し、さらに関連するものをさっと検索できるようになっている。紙の真ん中に本分が位置し、その周囲に本文に対するラビの注釈や、律法との関係、有名なラビのコメント、さらに聖書との関連、警句、索引等々が配置されている。あたかも新聞の一面の大見出しが中心におかれ、その周囲を関連する記事が埋めるような体裁になっている。このレイアウトと索引機能を簡潔にまとめた形は素晴らしい。これがいまから1500年も昔に書かれたとは凄いことである。まちがいなく人類の大切な遺産である」。
 「タルムードは、今でも十分に使える機能性を有している。今でも、情報を簡潔に整理する場合に、よく一枚の紙に図式化してまとめようとすることがあるが、ユダヤ人はまさにその能力に長けていた。タルムードの最後の頁は白紙になっているが、これはさらに次ぎなる人々が頁を継ぎ足せ、新たな解釈を探せという意志の現れである」。

【「完結されたタルムードの構成」】

 完成されたタルムードの主要部は次の六部である。
ゼライムZeraim「種子」用法。種子、果物、草木、樹木の処理及家庭的用法。
モェドMoed「祭典礼式」。安息日及祭礼の開始終了、挙式時期。
ナシムNaschim「婦人法」。結婚女、拒婚女及其の責務、親戚、疾病。
ネデキンNezikin「損害額」。人及動物によって蒙った損害額、罰則及賠償。
コダシムKodaschim「神聖」儀式。犠牲及各種神聖なる儀式。
トホロトTohoroth「斎戒法」。器具、夜具及其の他の品物の汚穢及斎戒法。

 以上を「六命令」あるいは「六法今」といい、各部は又マッシクトトと呼ぶ書籍または小冊子に分かれ、その書籍は更に章、項目に分かれている。


【「タルムードのその後の編纂」】

 1032年、タルムードはこのように多様で混乱した内容であるため研究を簡易化する概要摘録がユダヤ人達にとって必要となり、イサク・ベン・ヤコブ・アルファジが筒易タルムードを発行し、彼はそれをハラクホト「憲法」と呼んだ。彼は冗漫な全討論を省略し生活上実際的な事象を有する部分のみを残した。しかしこの著述には秩序がなかったために評価は低かった。

 1180年、ユダヤ律法の整頓した著述を最初に発行した人物はマイモニデスで、彼は「教会の鷲」と呼ばれた。彼は、有名な著述ミスナトーラ「律法の反覆」別名イアド・ハザカ「強き手」を公にした。この著述は四部あるいは四巻と一四書からなり、しかも全タルムードを含んでいる。この中には多くの哲学的論議があり、独自の法律を作ろうと試みた。そのため彼は人民から破門され死刑の宣告を受け、エジプトに逃れ1205年に死んでいる。それにもかかわらずこの著述はユダヤ人達の間で次第に認められ、いかがわしいと考えられた箇所を削除校正した翻訳がユダヤ人によって尊童されるようになった。

 1340年、マイモニデスの著述中の哲学的新考案を削正し、不要の法律を排除し、ラビ達の思想を厳密に調和した刊行物がヤコブ・ベン・アセルによって出版された。それに彼はアルバー・ッーリム「四命今」という名をつけた。その構成は次の通り。
オラハ・ハイムOrach Chaiim「生活の根源」。家庭並に教会に於げる日常生活を記す。
イオレ・デアIore Deah食物斎戒及びその他の宗教的律法についての知識を記す。
ホシエン・ハンミシユバトHoschen Hammischpat 民法及刑法についての秘密の判決。
エブェン・ハェゼルEbhen Haezer「助けの岩」。婚姻法について記す。

 アルファジ、マイモニデス並にヤコブ・ベン・アセルが同一律法に対し異説解釈をし、所論が不統一となったので簡潔な解釈でユダヤ人にふさわしい律法書が大いに必要となった。この必要をみたしたのはバレスチナのラビ・ヨセフ・カロ(1488〜1577)のアルパー・ッリンについての有名な註釈書シュルハン・アルク「準備された食卓」であった。しかしながら東方ユダヤ人の習慣は西方ユダヤ人のそれとは非常に異っており、ヨセフ・カロのシュルハソ・アルクでさえ随所にユダヤ人に対して満足を与えなかったので、ラビ・モツシエ・イツセレスはシュルハン・アルクについての註釈書ダルケー・モツシエ「モーゼの道」を書いた。これは東方におけるョセフ・力ロの著述の如く西方においても同様の人気を博した。

 現在、シュルハン・アルクはユダヤ人が遵奉すべき義務ある律法法典とみなされている。ユダヤ人はもっばらこの法典を基に研究し多くの註釈はこの書に基づいて書かれた。特筆すべきは、この著述は常にユダヤ人によって神聖なものと尊重され、聖書以上に重要なものと考えられ、今もなお同様に取扱われていることである。タルムード自らがこの点を至極明瞭に裏書している。すなわち、パパ・メデア書冊三三に、「聖書に精進する者は報酬を得む。されど多からず。ミスナを学ぶ者は恩籠を受けむ、然れどもゲマラを学び、これを行なう者は最高の報酬を得む」ソフェリム書冊の一五の七に、「聖書は水の如く、ミスナは酒の如く、ゲマラは芳香酒の如し」次の言葉はラビ達の書中の有名な箇所で高度に称讃された意見である。

 「子よ、律法の言葉に優る学者の言葉に心を留めよ」。この理由はサンヘドリン書冊一○のご一の八八に出ている。「学者の言葉に背く罪は律法に背く者に較べ著しく重し」。律法と博士達の意見が違う場合も双方共に主たる神の言葉として許容せねばならぬ。小冊子エルビン一三において、ヒレル及びシャマイ両校間に意見の相違があった事が述べられ、「両者の言葉は生ける神の言葉である」と結論してある。ミヅベアハ書五に次の意見が出ている。「聖タルムードに優る何物もなし」。


【タルムード外伝「ゾハル書」】

 タルムードに関連して世上著名なユダヤ人の書ゾハルがある。あるラビ達によれば、モーゼがシナイ山上で律法の解釈を教えられて後、この報告をヨ シュアにも長老達にも述べなかったが、唯アロンに、アロンはエリアザルに伝え、順次に口伝の教えがゾハルという書の型になるまで伝えられた。

 いわゆる「照り出づ」という意味のゼハルという字からゾハルが出たので、モーゼの書の説明すなわちペンタチユークの註釈という意味に出たものである。署者はラビ・アキパの弟子ラビ・シメオン・ベン・ヨハイだという。彼は神殿の破壊後五○年頃生れ、抗ユダヤ戦たるハドリア戦の際(一二○ 年頃)殉教者として没した。しかしながらこの書に出ている人名は書が示しているより後世紀の人物で、しかもランバム(ラビ・モシユ・ベン・ナハマン)及びラビ・アセルー−およそ一二四八年没−−の記載がないところから、ゾハルの書は大よそ一三世紀に初めて出版されたという方が真実に近い。大よそこの時代以来公にされた書籍は論証においても文体においてもカルディヤ型文書と同様であると考えられている。大オクタポ版三巻より成る。





(私論.私見)