【2代目ロスチャイルド・ネイサン】

 (最新見直し2006.12.21日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 
 2006.12.21日再編集 れんだいこ拝


【2代目ロスチャイルド・ネイサン時代】
 ロスチャイルド1世の死去後、3男のネイサンがロスチャイルド本家を相続し、ロスチャイルド2世と称されることになった。

 ロスチャイルド兄弟は相互に助け合いながら現在のロスチャイルドの基盤を築いていった。5人の息子はそれぞれをヨーロッパ列強の首都に派遣され、長男アムシェルはフランクフルト、次男サロモンはウィーン、3男ネイサンはロンドン、4男カールはナポリ、5男ジェームズはパリの各支店を担当し、その担当支店を資産相続し、ロスチャイルドの支家となった。

 彼ら5人の息子はそれぞれの国の政府と癒着して“貴族”の称号を得て、政治的にも活躍し、今日の“ロスチャイルド金権王朝”の基礎を作った。この第二世代の活躍したのが19世紀前半。孫の世代は概ね19世紀中葉から後半にかけて活動した。第二世代のロスチャイルドは、特にロンドンのネイサン(1777〜1836年、三男)とパリのジェームスが成功を収めた。
 フランクフルト、ロンドン、パリ、ウィーン、ナポリを拠点とした五人兄弟社の総資本は、イギリス・ポンドに換算すると、つぎのように増加している。1815年、13万6千ポンド。1818年、170万ポンド。1825年、400万ポンド。この十年間にロスイチャイスドの総資本が30倍にもなっていることになる。いかに急激に財をなしたかがみてとれる。その要因として、五人兄弟の財務の才とともに、情報の価値を知り、確実な情報を握っていたことが挙げられる。電話も電信もない時代、交通の要所、商業都市、政治の中心地ごとに、その地の銀行家や商人、ジャーナリストと代理人契約を結び、彼らが経済や政治にわたるニュースを送ってきた。ロスチャイルドは、それをシステムとして完成させた。1840年の記録だが、ローマ、トリノ、フィレンツェ、ミラノ、トリエステ、コンスタンチノープル、オデッサ、サンクト・ペテルブルク、ブリュッセル、アムステルダム、ニューヨーク、ボルチモア、サンフランシスコに通信局を設けていた。通常の兼務型の代理人ではなく、ロスチャイルド専任のスタッフを傭っていた。これらの諸都市と、五人兄弟のいるフランクフルト、ウィーン、ロンドン、ナポリ、パリとが結ばれていた。

【2代目ロスチャイルド・ネイサン時代、情報戦】
 いかに早く情報を送るのか。当時の伝達手段は馬車による郵便だった。ロンドンのネイサンは、ロンドン・ドーヴァー間に私用の馬車便を走らせた。夜昼とわず、またどのような天候でも休まない。海峡を専属の船が往き来する。大陸に届いた手紙や手形や書類を、ジェームスの代理人が受け取り、直ちにパリ、ウィーン、ナポリへと送った。通常は郵便馬車に託したが、急を要する場合、あるいはより重要なケースは専属の馬車を走らせる。情報が最も「高価な商品」と考えてのシステムであった。短い距離間で、とりわけ急ぐ場合は、伝書鳩を利用した。ロスチャイルドはドイツでは街道町ヘンバッハに、イギリスではケントに専用の伝書鳩飼育所をそなえていた。

【2代目ロスチャイルド・ネイサン時代、ナポレオンとの確執】
 1814.3月末、ロシア軍皇帝によってパリ市陥落。4月、ナポレオン(45歳)は退位、エルバ島に流された。代わって、ブルボン王朝ルイ18世がパリ市入城した。この資金20万ポンドを準備したのはロスチャイルド家であった。

 1814年、東インド会社のインド貿易独占権が廃止されると、ロスチャイルド家が利権支配するようになった。

 1814年、それまでフランクフルトで取引と財務の勉強をしてきた5人兄弟の末っ子5男ヤーコプが22歳の時、パリに赴く。当人は「ヤーコプ」の名がイヤで、なぜか「ジェームス」という英語名にした。直ちに「ロスチャイルド兄弟社」を設立し、ロンドンのロスチャイルド銀行のパリ支店として経営に当った。ヨーロッパの情勢を見越してのパリ進出だった。おりしもナポレオンが退位してルイ18世が即位した。アンシャン・レジーム(旧体制)が復活した。とはいえ、貴族と軍人はもはや名ばかりで、身分や肩書きや遺産よりも商才と金がモノをいう時代へと転換していた。

 ルイ18世をはじめ、ナポレオンに追放されていた貴族たちがもどってきた。世の中がガラリと変化していて財産の運用法がわからない。ジェームスのお里であるフランクフルトの本家は、反ナポレオンに援助をした。その一族であれば信用できる。ジェームスの銀行はいち早く財務相談の部屋を設け、時代の変化にうろたえている階層を顧客にとりこんだ。戦争つづきだったフランスの国庫は底をついていた。銀行からの投資を求めており、ジェームスの資金はロンドンが保証した。その後の二十年たらずで、フランスきっての大銀行頭取になった。

 ウィーン会議は難航した。フランスに2500フランの賠償を課したとしても、どこの国もあまりある巨大な戦争債務をかかえていたからであった。最大の債権者は、ロスチャイルド家であった。

 1815.2月、ナポレオン(46歳)は再起を誓いエルバ島を脱出、絶大な歓迎とともにパリ市に帰還した。各国は、再びロスチャイルド家に頼らざるをえなかった。各国は、新たな金貨を鋳造し、連合軍21万の集結を支援した。6月、ナポレオンは、ワーテルローに12万5千で向かう。これを阻止せんと名将ウェリントン率いるイギリス軍は、ブリュッセルの郊外のワーテルローでナポレオン軍と天下分け目の決戦を挑む。6.18日、ナポレオン軍は敗北する。8月、ナポレオンは聖ヘレナ島に流され、ここで一生を終える。

【2代目ロスチャイルド・ネイサン時代、ワーテルローでボロ儲けする】
 ネイサン・ロスチャイルド(38歳)は、この勝敗の第一報に高額の懸賞金をかけていた。そして、同日深夜、アムステルダムのロスチャイルド家代理人は、この知らせをダンケルク港に。19日午前、海賊船団はイギリスへ、そして、20日早朝、ネイサンはこれを知った。そして、ロスチャイルド2世は、ナポレオン敗退の報をいち早く知ると、6.20日、「連合国敗北、ナポレオン勝利」のニセ情報をロンドン証券取引所にタレ流し、ナポレオン復活以来値下がりが続いている政府関連証券を売り叩いた。投資家は投売りに廻った。だれもが狼狽して売りに走ったところを、翌21日、ロスチャイルドは一転して底値で買いまくった。証券取引所が午後に閉まった時、彼は取引所に上場されている全株の62%を所有していた。はたして、21日夜、ウェリントンからの正式第一報「ナポレオン敗北」という真情報が届き、翌22日、証券は暴騰、彼は300万ドルの自己資産を75億ドル、すなわち2500倍に増やした。この日、イギリスの名門の多くが破産した。逆に、ロスチャイルド家は巨万の富を築き、ロスチャイルド銀行はイギリス屈指の大銀行になり、不動の地位を得た。「連合国はワーテルローの戦いに勝ったが、実際に勝ったのはロスチャイルドだった」と云われる。

 ナポレオンのロシア遠征、諸国民解放戦争、ナポレオン退位、ウィーン会談、ワーテルローの戦いなど、ヨーロッパは激動のさなかだった。どの国も軍備拡充に大わらわで、喉から手が出るほど金が要る。国債、公債、手形、証券が乱れとんだ。ヨーロッパ金融の中心であるロンドンの“シティー”にあって、ネイサン・ロスチャイルドには並外れて有利な点があった。フランクフルトの兄のほか、ウィーン、ナポリ、つづいてパリに兄弟が散って、刻々と情報が入ってくる。やりとりの手紙はドイツ語だが、ヘブライ語の文字を使って書いた。秘密を保持できる。専門に伝書鳩を飼育していて、至急のときは鳩を飛ばせた。十九世紀初頭のメイル便というものだった。ワーテルローの戦いでは、いち早くイギリス軍の勝利を知り、直ちにフランを売ってポンドを買った。

 ロスチャイルドが動き、全世界から資金が集められ、まず胴元が利益を懐に入れた。それと共に地球上のパンカーは整理統合され、最終的に三財閥ロスチャイルド、モルガン、ロックフェラーに集約される金融集団となる。

【2代目ロスチャイルド・ネイサン時代、イングランド銀行を支配下に置く】
 1815年、ロスチャイルド家はイングランド銀行を支配下に置き、英国の通貨発行権と管理権を手中に収めた。

【2代目ロスチャイルド・ネイサン時代、イングランド銀行を支配下に置く】
 1830年、パリ7月革命。国王派と反政府派の衝突が市民革命へとひろがった。市民蜂起とパリ支配、臨時政府、国王退位。「市民王」ルイ・フィリップが即位した。旧体制によって業務を拡大してきたジェームス・ロスチャイルドは、この時38歳、雲行きが怪しくなった。パリに引きつづき、ブリュッセルで革命が起き、ベルギーが独立を宣言した。フランスが武力で鎮圧に出ると、どの国も予測して、反フランス同盟に動き出した。そのさなかにジェームスがウィーンの兄ザロモンに送った至急便が残されている。戦争を見越して相場が過熱しているが、開戦には至るまい。「確信をもっていえますが、反フランスは成立しないでしょう」。政府筋とのコネをきかせてだろう。ジェームス・ロスチャイルドは首相の交代、および和平派の新首相が、ウィーンの宰相メッテルニッヒとともに調停に乗り出すことを知っていた。「ロスチャイルド兄弟社は、戦争のためには一文も出さない」。

 ロンドンとパリとウィーンで、いっせいにその旨の声明が出された。首相や大臣に耳打ちするかたちで伝えられ、決して大っぴらにいわれたわけではないが、そのためよけいに美しく潤色されてマスコミにひろがった。1830.12月の日付で、オーストリアの外交官が日記に書いている。
 「いまや情報が人を動かす。ロスチャイルドの言葉は内閣よりも強力である」。

 1831年、ロンドン列強会議で、ベルギーの独立と中立が承認された。ベルギーは直ちに国づくりにとりかかり、ヨーロッパで最初の国営鉄道を設立。大工事のための国債が、優先してロスチャイルド銀行にわりあてられたのはいうまでもない。背後で独立を助けてくれた恩人というわけだ。

【2代目ロスチャイルド・ネイサン時代、急死】
 1836年、三男のネイサン・ロスチャイルドが急死した。会葬者に絹のハンカチが配られた。円柱の前にシルクハットとガウン姿、腹をつき出して立っている男の姿が描かれていた。1814年から35年まで、午後3時半から4時半、いつもこのいで立ちのネイサンが、証券取引所の隅に立ち、商談をまとめ、指示を出していた。「柱の前のネイサン」が“シティー”の名物となる間に、「ロスチャイルドとその兄弟社」は、ヨーロッパ市場で押しもおされもせぬ大銀行に育っていった。

 ロンドンのロスチャイルドは、ネーサン死後も、ディズレイリ内閣によるスエズ運河株式の買収(1875年)に400万ポンドを融資し、政府にスエズ運河買収の資金を提供したり、第1次世界大戦の際には莫大な戦費調達と引き換えにユダヤ人国家の建国を約束させる(後のイスラエル建国につながる)など、政治にも多大な影響力を持った。戦後のユダヤ人国家建設を認めさせる(バルフォア宣言,1917)など国際政治上に大きな足跡を残した。
 1913年、イグナシアス・バラは、著書「ロスチャイルド家のロマンス」を出版し、ロスチャイルド2世がどのようにして富を築いたか明らかにした。

 1914年、ネイサン・マイアー・ド・ロスチャイルド男爵は、彼の祖父についての「ワーテルローの物語」は事実ではなく中傷であるとして、イグナシアス・バラの著書を即刻発売禁止にするよう法廷に訴え出た。1915.4.1日付けニューヨーク・タイムズは、「法廷がその物語は真実であると裁定し、ロスチャイルドの訴えを退け、彼に法廷費用の全額支払いを命じた」と報じた。同時に、「ロスチャイルドの全資産が20億ドルと推定される」と記している。

【3代目ロスチャイルド・ジェームズ時代】
 

 ジェームス・ロスチャイルドは32歳のときに結婚した。ジェームスは30歳の時「男爵」の位をさずかっており、これにふさわしいユダヤ人家族をフランスに求めるのは至難のワザというものだった。非ユダヤ人との結婚は論外だった。五男五女の末っ子の点が幸いした。二男のザロモン兄とは20近く齢が離れており、その娘ベティーは芳紀19歳。身内に白羽の矢が立った。とともに以後、半世紀近くつづけられたロスチャイルド結婚方式が定まった。

 ベティーは美しく、聡明だった。やがてラフィット街のロスチャイルド邸は、パリきってのサロンになった。銀行家、工業家だけでなく、作家、詩人、画家たちが出入りした。パリ住まいの革命詩人ハインリヒ・ハイネもその一人で、フランスのブルジョワ階級を手きびしく批判する一方、べティー・ド・ロスチャイルドを讃える文をつづり、おりにつけ手紙を送っている。「男爵夫人さま、お約束したとおり、新作の書き出しをお目にかけます……」。この世の最初の読者というわけだ。文学史の有名なエピソードだが、ハイネの死後、その手元には多くの国債や鉄道株券が残されていた。新作と引き換えに、優先株をまわしてもらったのかもしれない。

 ネイサン・ロスチャイルド死後、五男のジェームズ(パリ支店)が当主をついでロスチャイルド3世となった。

 1848年、ロスチャイルド銀行以外のパリの銀行の合計資産が3億6200万フランの時代、パリのロスチャイルド分家(5つの分家のうちのひとつ)だけで6億フラン所有していたという。1925年、一族の資産は3000億ドル、45年には5000億ドルに達していたといわれ、世界の富の半分を所有していると言われる所以がここにある。ロスチャイルド家が世界最強の金融王朝であり、同家は今なおヨーロッパ最大の財閥として世界の政財界を牛耳うる地位にいる。

  パリのジェームスは、当時の成長産業だった鉄道に着目し、1835年に鉄道事業に進出した。パリ〜ブリュッセル間の北東鉄道を基盤に事業を拡大していった。「ヨーロッパの鉄道王」としてそれを支配した。また南アフリカのダイヤモンド・金鉱山に投資し、更にはロシアのバクー油田の利権を握って「ロイヤル・ダッチ・シェル」をメジャーに育て上げるなど、情報・交通・エネルギー・貴金属を中心とした実業中心の膨張を遂げていくこととなった。1814年に東インド会社のインド貿易独占権が廃止されると、ロスチャイルド家が利権支配するようになった。

 1861年、スエズ運河が完成した。フランスとエジプトが運河会社の株を分け合った。

 1862年、ロスチャイルド家を訪問したナポレオン3世と金融提携をした。

 1862年には、ロスチャイルド家を訪問したナポレオン3世と金融提携をした。

 1870年に資金難にあえぐバチカンに資金援助を行うなどして取り入り、その後ロスチャイルド銀行は、ロスチャイルドの肝いりで設立されたヴァチカン銀行(正式名称は「宗教活動協会」、Instituto per le Opere di Religioni/IOR)の投資業務と資金管理を行う主力行となっている。ロスチャイルド家がカトリック教を金融支配するという事態になった。  

 ロスチャイルド商会は、1870年代頃からになって、急激に扱い高と資産とがふくらんでいった。その要因は、この頃どの国も軍備の整備と拡充に追われたことにあった。旧来の財務ではやりくりがつかず、国債や公債発行で資金を調達するようになった。

 1875.11月、スエズ運河の収益が期待通りに上がらず財政危機に陥った。エジプトが、持ち株40万株の内の17万6602株を担保に金策に走った。フランスは、ナポレオン3世が普仏戦争に敗れ退位し、ドイツに50億フランもの賠償金を課せられており巨額のエジプトの持ち株を買い取る余裕はなかった。11.14日、イギリス首相ディズレイリは、ユダヤ人の大富豪ロスチャイルド邸で主人のライオネルと夕食をともにしていた。そこへ召使が一通の電報をもってきた。それは、エジプトのパシャがスエズ運河の株を売り出そうとしている、という極秘情報であった。値段は1億フラン (400万ポンド)だという。ディズレイリはヴィクトリア女王に諮り、ライオネル・ロスチャイルドの融資により買収に入った。イギリスが、以後72年間にわたってスエズ運河地帯を支配下に置くことになる。(「スエズ運河の完成と買収」その他参照)

 こうして、ギリス政府が、ライオネル・ロスチャイルド資本の融資によってスエズ運河会社最大の株主となり、ロスチャイルド家はイギリス政府&ヨーロッパ王室との癒着を更に深めていった。スエズ運河の株を持つライオネル・ロスチャイルドは、初代ロスチャイルドの孫の世代にあたる。「議定書」は、ライオネルなど、孫の世代のロスチャイルドの歴史的経験を反映して居ると見る。

 ロスチャイルド家は、単なる一つのユダヤ財閥家族ではない。スプリングマイヤーが「イルミナティ悪魔の13血流」(KKベストセラーズ)で展開して居るように、ロスチャイルドは、イルミナティの約五百の家系の中核体の一つである。
 1880年には世界三大ニッケル資本の1つである「ル・ニッケル(現イメルタ)」を創設し、1881年には亜鉛・鉛・石炭の発掘会社「ペナローヤ」を創設し、スペインからフランス、イタリア、ギリシア、ユーゴスラビア、北アフリカ、南アフリカまで事業を拡大している。また、1888年にはロスチャイルド資本によって世界最大のダイヤモンド・シンジケートである「デ・ビアス社」を創設し、更には南アフリカ最大の資源開発コングロマリットである「アングロ・アメリカン」=オッペンハイマー財閥と提携した。今さら言う事でもないが、つい最近まで南アフリカを騒がしていたアパルトヘイトの真犯人はロスチャイルド家の代理人たちであった。

 19世紀になると、フランクフルトゲットー出身のロスチャイルド家がヨーロッパはおろか、アメリカ、アジアにまでまたがる諸国の政府や王侯貴族を相手とする大金融業により世界に君臨するようになる。ロスチャイルドの生家を一目見ようと多くの人々がゲットーあとを訪れ、ユーデンガッセはフランクフルトの名所となった。18世紀において、ゲットーの証人となったゲーテをはじめ、そこを訪れた多くの旅行者の記述がゲットーを嫌悪し、耐え難い生活の場とみていたのと、きわめて対照的である。

 第一次世界大戦勃発の時,アメリカ人民はドイツとの戦争をのぞんでいたわけではなかった。国際的銀行家が巨万の富を手に入れるために戦争を必要とし、周到な準備に基づいて引き起こされたのである。

【ゴールドスミス家】
 ドイツ・フランクフルトのロスチャイルド家は娘ばかりとなり、1901年、男系としては断絶した。代わってゴールドスミス家が利権を相続してドイツを仕切る。紛れもないロスチャイルド家当主の家系にあたる。 マクシミリアン・ゴールドシュミット=ロスチャイルド、ミンナ・ロスチャイルド。ロスチャイルドー族の最も有能な財政家である。

 ゴールドスミス家はロスチャイルド家の財政家として国際金融に暗躍するジェームズ・ゴールドスミスを輩出。この男の華々しい活躍もあって、1989年、ロスチャイルド銀行は88年ぶりにフランクフルトでの事業再開を発表。こうして、ロスチャイルド家とゴールドスミス家は何代も前から複雑に結婚し合ってきた同じファミリーということになる。 


 第二次世界大戦後、その勢力は衰え、かつてほどの影響力は失ったとされるが、金融をはじめ石油、鉱業、マスコミ、軍需産業など多くの企業を傘下に置いている。

 穀物等の食料から始まり、石油燃料等の資源、鉄道、通信、銀行、証券へと至り、飛行機、軍艦、兵器などの軍需産業、更に原子力へ。マスコミ、ノーーベル賞も、ソ連も中国も。世界政治。国連も。

 エドマンド・ロスチャイルドだった。

 20世紀末期を迎えている今、ロスチャイルド財閥はもはや単なる一財閥ではなくなった。現在、パリ分家とロンドン分家を双頭とするロスチャイルド財閥は、金融と情報という21世紀の主要メディアを支配し、また、そのあり余る力をアフリカ大陸をはじめ、全世界の金やダイヤモンドやウランをはじめとする地下資源の確保に注ぎ込む、巨大な先端企業連合体でもある。

 1885年、ヴィクトリア女王が、スエズ運河で借りを作って以来の親交により、ライオネルの息子のナサニエル・ロスチャイルドにロードを与えた。ナサニエルは、上院議員となった。ヴィクトリア女王に続くエドワード7世は、引き続きロスチャイルド家への依存を強めていった。

 19世紀末にはロスチャイルド家が既に「世界最大の財閥」にのし上がっていた。ハプスブルク時代に金融力によって宮廷ユダヤ人(ホフ・ユーゲン)となり、本来ならユダヤ人が絶対にもらえない「男爵位」を得たロスチャイルドは、ユダヤ金融資本のシンボルとなり、世界に散らばったユダヤ人の力が全てロスチャイルドに糾合された。このファミリーは無数に婚姻しており、当然ユダヤ教以外の人物も多数含まれる。シェークスピアにも悪く書かれた“ユダヤ商人”たちは、現在、ロスチャイルドのネットワークの中にほとんど全て取り込まれているといっても過言ではない。  ロスチャイルド家は近代・現代ビジネス史上、最も成功したファミリーである。ロスチャイルド家の存在を無視しては、20世紀も21世紀も、そして地球の戦争も平和も語ることができない。関係者によると、ロスチャイルドは自分たちが現代文明をリードしてきたという強い自負を持っており、次のように述べている。
 「我々は純粋に“ビジネス”を追求しているのであり、“国際ルール”を侵していない。先見性に優れた大胆かつ站密なビジネス戦略の積み重ねが、今日のような確固たる“資本主義的地位”を築いたのである。我々のことを悪く言う人がいるが、我々は現代文明のあらゆる分野に多大な“恩恵”をもたらし、人類全体に計り知れない貢献をし続けているのであることを忘れないでくれたまえ」。

 彼らにとってみれば、国境はないに等しい。まさしく世界をまたにかけた商売をしているのである。他方、世界中にのさばっている“死の商人(兵器商人)”の多くは、ロスチャイルド財閥と何かしらの関係を持つ者たちであることは事実である。戦争あるところにロスチャイルドの姿ありと言われている。

 1913年には米国に連邦準備制度(FRB)を設立し、米国の通貨発行権と管理権を手中に収めています。


 
1915年、ロード身分のナサニエルが死に、ウォルターが相続した。1937年、ウォルターロスチャイルドが死亡。イギリスに於けるユダヤ王は3代目のヴィクターが就任。→イブリン

 1947年、ヴィクターは、父の弟のアンソニーに反逆される。これにより、イギリスのロスチャイルドは二分された。

 1940年当時のロスチャイルド一族は約5000億ドル、アメリカの全資産の2倍、全世界の富の50%を支配していたと推定されている。彼らの富は創業以来230年にわたって確実に増殖している。彼らの勢力範囲は、まずヨーロッパ、ついでアメリカ、アジア、そしてアフリカ、オーストラリアに広がり、戦争と革命、そして経済恐慌、あらゆる動乱のたびごとに膨張して現在に至っているわけだ。

◆交友録◆ エドモンド・ロスチャイルド
 彼に会った頃、日本では田中角栄が首相に就任して話題になっていた。「人間の価値はその人が何を考え、何をしようとしているかで決まる。生まれや出身校ではないんだ。」生まれたときからロスチャイルド家の当主を定められていた彼にとって『今太閤』と騒がれていた田中角栄の天衣無縫な生き方は憧れでさえあった。当時彼はシェル石油の会長職を退き、英ヒース首相の命によりシンクタンクを任されていた。

  「家なんて体を横たえる所があれば十分だ。邸宅?持っていても荷が重い。政府に任せた方が賢明だよ」27冊の美術書にもなっているロスチャイルド家の邸宅や財宝も、彼の心のよりどころには決してなりえないようだった。            

 人生で最も感動的だった瞬間は、ヒットラーが自殺し、服毒自殺に備えて持っていたモルヒネのカプセルをトイレに流したとき、と答えた彼を前にして、私は初めてユダヤ人というものをはっきりと意識した。ユダヤとは何なのか。国籍なのか民族なのか宗教なのか。

  それから後、世界各国をまわるうちに闇の権力が厳然として存在することを確信するに至った私は、その代名詞としてロスチャイルドの名が上がってくることにいまひとつ腑に落ちないものを感じていた。「本当の黒幕は他にいるのではないか。」

  ある日彼は私を自宅に招いてくれた。自らモーツァルトや ショパンを奏でた彼は、自分が実はちょっとした科学者で、ケンブリッジ大学には自分の開発した計器が今も残っている ことを嬉々として話してくれた。それはまるで、ロスチャイルドではない、自分自身の純粋なアイデンティティを主張しているかのようだった。

  あれから長い時が流れた。昨年彼から届いた手紙には、病身をおしてペンを走らせたであろう頼りなげなサインが記さ れていた。操り人形になることを拒んで自殺したとされる息子、世界の富の半分を所有したと言われる財産。激動の人生を生きてきた彼の目には一体今何が映っているのだろう。 いつか再び彼に会う日、輪廻転生の話が彼の心を光に解き放してくれることを信じている。


 「我々は純粋に“ビジネス”を追求しているのであり、“国際ルール”を侵していない。先見性に優れた大胆かつ站密なビジネス戦略の積み重ねが、今日のような確固たる“資本主義的地位”を築いたのである。我々のことを悪く言う人がいるが、我々は現代文明のあらゆる分野に多大な“恩恵”をもたらし、人類全体に計り知れない貢献をし続けているのであることを忘れないでくれたまえ」。





(私論.私見)