「シオンの議定書」本文

 (最新見直し2006.10.27日)

 第一日目の抗議録である。「プロトコール、1」から「プロトコール、9」がこれに入る。いわば総論のような箇所となっている。


 (れんだいこの解説を付けましたが、不要の方は原文のみお読みください)

【プロトコール、1 】
 いわば「議定書宣明」であり、「ユダヤ帝王学」を約15分野にわたって総論を開陳している。

 諸君、我々は、美辞麗句や空疎な言葉による観念遊戯を控え、思想の本質を総合的に究め、我々を取り囲むもろもろの事情に対して比較と推論の光をあて解き明かそうと思う。

 ここで、二つの観点、即ち我々自身の観点とゴイム(豚的動物すなわち非ユダヤ人)のそれを提起し、両者の違いをはっきりさせ、我々の体系を明確にしてみようと思う。

(私論.私見) 「議定書書き出しの『我々とゴイムの視点の違い』」について

 秀逸なるかな。議定書は、「ユダヤ人とゴイムの違い」を「観点の差」に求めている。実にそうだ。認識の始まりは、「科学的真理」に裏付けられてはいない。或る投企的な「打ったて」をもって始まっているのではないのか。この「打ったて」により認識のレールが敷かれ、認識が体系化していくことになる。最初の「打ったて」が違えば、その後の認識体系が異なるのは当然である。

 議定書は、ユダヤ人とゴイムの差をこの「打ったて」に求めている。その上で、「両者の違いをはっきりさせ、我々の体系を明確にしてみようと思う」と云う。この識別はかなり高度なものであり、それこそ認識の「真理」を言い当てているように思われる。以下、議定書は数々のこういう「深い認識」を示している点でも注目に値する。

 2004.9.20日 れんだいこ拝

 世の中には、低級粗雑な考えを持つ人の数の方が、上質高尚な考えを持つ人の数をはるかに凌ぐ。これが常であり、まずはこのことが踏まえられねばならない。私は指摘しなければならない。彼らを統治するには、学者ふぜいの論議によってではなく、強権と恐怖政治(テロリズム)によって為すに如かず。これこそが最良の方法である。

 誰もが権力を欲し、誰もが独裁者になりたがる。実に個人的私益の為には公益を犠牲にしても顧みない連中ばかりである。我益を手中にすることを抑えて、万人の利益のために我が身を犠牲にしようとする者などは、めったに居るものではない。

 人間という名の禽獣を抑え、彼らを牽引してきたものは何であったか、それを思案せねばならない。社会の仕組みが始まった原始時代にはそれは暴力であった。その暴力の威圧の前に人々は盲目的に服した。その後には、法律に服するようになった。だが、この法律とて所詮仮面を被った暴力に他ならないではないか。これがありのままの法則であり、ここから推論すると、「正義は力の中に横たわっている」と結論したい。
(私論.私見) 「暴力の社会的本質性」について

 議定書は冒頭より「議定書派の帝王学」を披瀝する。その最初の指摘が、「暴力の社会的本質性」についての言及である。その是非はともかく単に聞き置くことにする。仮に、これを「議定書派帝王学その1、暴力の正義性を知れ」とする。
 政治的自由は単なる思想であっていささかも現実ではない。が、政権党派を打倒すべく、この思想を餌として人民大衆を我らが陣に引きつけるには、その撒き方や使い方を知っていなければならない。その際、打倒対象である相手方が自由思想、いわゆる自由主義(リベラリズム)に立脚して政権を維持している場合には好都合である。そして、その思想のためになら喜んで全力を投げうつつもりがあるならば、仕事はさらにやり易くなる。

 この場合には、我々の所説が勝利することは目に見えている。政権の支配の手綱がゆるめられると直ちに、新しい手に手綱が執られるのは、自然法則の赴くところである。それは、盲目的な大衆にとっては一日たりとも指導者なしには済まされないからである。新しい権力者が単にすでにリベラリズムによって弱められた前任者の地位に座るだけのことである。
(私論.私見) 「リベラリズムの陥穽」について

 「議定書派帝王学その2、リベラリズムは単なる観念でしかない」。議定書のこの指摘つまり「リベラリズムの陥穽」は物議を起しそうである。ここでは、その是非はともかく、議定書が概要「リベラリズムとは、旧権力打倒に都合よい思想であり、我々にとって都合の良いものである」と言説していることを注目しておく。
 今日においては、自由主義的権力に代わって金力が支配する。かっては信仰が支配した時代があった。自由主義の理想が実現することは不可能である。なぜなら、誰一人としてほどよい使い方を知らないゆえに。

 人民大衆を無秩序な群集に一変させるには、かれらに一定期間自治を与えるだけで十分である。与えた瞬間から尖鋭な共食い闘争が勃発し、やがては社会闘争にまで発展し、遂にはその真っただ中で国家は焔に包まれて炎上し、その権力は一山の灰燼に帰するであろう。

 国家が内乱によって消耗するか、内部不一致のために外敵の手中に落ちるにせよ、どのみちその国は回復できず没落するほかはない。その時こそ、我らの出番である。完全に我々の手中にある資本の専制力が、その国に救いの藁を差しのべると、否応なく彼らはそれに縋(すが)りつかなければならない。拒めば底に沈むのである。

 リベラルな考えをもっている人が、上述のような考えを悪辣、不道徳であると評するならば、私はこれに対して次の問いを投げ返したい。どの国も内敵外敵両面の敵をもっている。外敵にはあらゆる策略を用い、たとえば敵には攻撃防御計画を伏せておき、夜間奇襲あるいは圧倒的優勢な戦力で撃破しても不道徳ではないとされるならば、さらに悪質な敵、社会秩序の紊乱者、安寧の妨害者に対して同じ方法を用いることが、いかなる理由で不道徳且つ許しがたいと云われなければならないのか? と。
(私論.私見) 「策略的政治手法」について

 「議定書派帝王学その3、策略は正義である」。議定書はここで「策略的政治手法」を公然と是認している。ここではその是非はともかく単に聞き置くことにする。
 大衆は、うわべのことにしか理性の力が働かない。愚にもつかぬ表面的なものへの反対とか批判にうつつを抜かし、反対ということを喜ぶ習性を持つ。かかる場合に、健全で論理的な精神が、道理の通った助言や議論の助けを借りて上手に大衆を導くことができるだろうか? 

 彼らは、もっぱら軽佻浮薄な情熱、迷信の類、風習的習慣、伝統、感傷的な理論に同調し易く、それらに囚われている間違いだらけの者達であり、故に党派の争いに巻き込まれがちである(党派根性にとらわれる)。

 故に、筋の通った議論を基にして出来上がっている調停案でもその妥協が潰され、合意が妨げられることになる。大衆の決議というのはどれも偶然の結果か、表向きの多数決によるものであるのだが、それは政治の裏面を知らずに、みすみす不条理な決議をさせられ、政治の中にアナーキーの種子を蒔き奇妙な芽を兆させるのである。
(私論.私見) 「大衆の政治能力」について

 「議定書派帝王学その4、大衆は無知である」。議定書はここで「大衆の政治能力に関する見立て」を披瀝している。ここではその是非はともかく単に聞き置くことにする。

 政治は、道徳とは何ら関係がない。道徳に基づき統治する支配者は練達の政治家ではない。そういう者が統治すると政権の王座は動揺し、永く保つことができない。支配したいと思う者は、我々が常々所有する新聞に感謝するところであるが、気付かれぬように策謀(欺瞞)と偽善との双方を用いなければならない。誠実や正直さとかのような、民衆において偉大な大徳目と称されるものは、政治においてはむしろ悪徳でしかない。

 それらは支配者を王座から転がり落とすのに効果あるもの、最も強力な敵よりも確実な破壊力をもつものなのである。そのような徳目は、ゴイムの王国の属性にしておいてもよいが、我々ユダヤ人は決して彼らの轍を踏んではならない。

(私論.私見) 「政治と道徳の関係」について

 「議定書派帝王学その5、政治から道徳を切り離せ」。議定書はここで「政治と道徳の関係」について言及し、「政治における道徳性」を排斥している。これは卓見かも知れない。ここではその是非はともかく単に聞き置くことにする。
 我々の正義は力の中に横たわる。「正義」なる言葉は抽象的な概念であって、なんら具体的なものではない。その言葉は次のことを意味するに過ぎない。「わが欲するものを我に与えよ。我が汝らよりも強きことを証せんがために」。

 正義(権利)は何に拠って始まり、どこで終るのか?  

 権力の仕組が薄弱で法律が空疎であり、リベラリズムの乱用により権利を乱発し、支配者たちが脆弱となった国家には、新たなる権利を見つけ出しこれを行使することができる。

 その新しい権利が既存の制度、秩序、法規の一切を粉砕し、すべての機構を再構築し、我々はリベラリズムの中で放棄されて残されていた彼らの権威ある権利を継ぐ王者となる。
(私論.私見) 「政治における正義」について

 「議定書派帝王学その6、正義は権力を目指す」。議定書はここで「政治における正義」について言及し、「正義は権力を目指す」ことを指摘している。ここではその是非はともかく単に聞き置くことにする。
 あらゆる形態の政治権力が動揺している現在、我々の権力は、他のいかなる権力にもまして目に見えないであろう。我々の権力が敵のいかなる狡知をもってしてもこれを覆えさせられない強さに到達する瞬間まで、我々の権力は表面に出さないことにする。

 我々が目下用いざるをえない一時的な悪策から、確固たる善政が顕現する。この善政は、自由思想によって形無しにされた国民生活の仕組みを平常の状態に修復することになるだろう。結果は手段を正当化するので、目的が善ければ手段は選ばない。我々の計画においては、必要と有効なこと以上には、善とか道徳とかにはこだわらないことに留意しようではないか。

 我々の眼前には戦略的に敷かれた計画がある。数世紀にわたる我々の辛苦の労働が無に帰する危険を顧みるならば、この路線から逸脱することは許されない。
(私論.私見) 「目的と手段の関係」について

 「議定書派帝王学その7、目的は手段を正当化する」。議定書はここで「政治における目的と手段の関係」について言及し、「目的は手段を正当化する。ないしはそれを凌駕する」と述べている。ここではその是非はともかく単に聞き置くことにする。
 我々が、我々の活動に有効な満足すべき行動を練りあげようと欲するならば、大衆の下賎さ、狡猾さ、だらしなさ、軽薄さ、無定見無節操さを考慮に入れ、彼ら自身の生活状況、あるいは彼ら自身の福利を顧慮する必要がある。大衆の力は、盲目的であり、愚かしく、何かからの暗示にかけられるがままに衝動的に動き、判断力が弱く道理を弁えないということを踏まえておかねばならない。

 盲人が盲人を道案内すれば、共に奈落に落ちこむのは必然である。大衆から選ばれた何人かが天才的な賢者であったとしても所詮成り上がり者のこととて、政治の何たるかの真の理解に達しておらず、そういう指導者が指導すれば全国民を滅亡の淵に落としこむのは必然である。

 幼児時代から特別の方式によって訓練された者だけが、政治の秘訣つまり政治の基本を成り立たせているイロハ(ABC)を理解することができる。

 大衆が大衆に政治を任せれば、すなわち人民の中から選出された成り上がり者の代表者に任せれば、権力と名誉を追うあまり党派間の軋轢とそこから生ずる無秩序状態に自滅するのが関の山である。

 大衆がおだやかに、つまらぬ嫉妬を交えた非難を言いたてずに、個々人の関心がごちゃまぜになっている国の諸問題を処理することが可能だろうか? 彼らが競争や個人的利害を度外視して国政を切り盛りできるものであろうか。外敵に対して有効に対応することができるだろうか? それは不可能である。なぜならば、大衆の頭数と同じだけバラバラになった計画が、一切の同質性を失って理解を絶し、実行不能なものとなるからである。

(私論.私見) 「大衆の政治能力、それに依拠する大衆政治の愚昧性」について

 「議定書派帝王学その8、大衆政治は愚昧である」。議定書はここで「大衆政治の愚昧さ」について言及し、概要「大衆政治は名指導者に指導されても失敗する」ことを指摘している。ここではその是非はともかく単に聞き置くことにする。
  国家を見渡して全体を適切に要素化させ、これらを機関として纏め上げるといったような、大規模かつ明確な諸計画を念入りに練れるのは独裁支配者だけである。このことから、どんな国でも申し分ない統治形態は、一人の責任ある人間の手に全機能を集中したものであるという明白な結論が得られる。

 文明は絶対専制の他には有り得ない。大衆によってではなく彼らを指導する絶対的な独裁によって政策が遂行されるでなければ、文明は維持できない。
(私論.私見) 「独裁政治こそ政治の要諦」について

 「議定書派帝王学その9、独裁政治こそ政治の要諦である」。議定書はここで「独裁政治の善性」について言及し、概要「真っ当な政治を為しえるのは独裁政治においてこそである」と述べている。ここでは、その是非はともかく単に聞き置くことにする。

 大衆は野蛮人であり、ことごとくの機会にその野蛮さを発揮する。下層民大衆が自由を手にすると途端にアナーキー(無政府状態)に転ずる。そのアナーキーさこそ野蛮の極みであろう。

 飲酒で馬鹿になりアルコール漬けになったゴイム(獣類動物)どもを見よ。自由がかれらに節度なき飲酒の権利をもたらしたのである。それは我々及び我々一族の歩む道ではない。ゴイムの畜生どもはアルコール飲料に酔いしれ、彼らの若者たちは因習陋習とごく若いうちからの性的堕落に痴呆状態となって成長する。

 その性的堕落は、我々の特別な代理人つまり富豪の邸宅の家庭教師、下男、家政婦、書記その他によって、しばしばゴイムの娯楽場にいる我らの女性たちによって手ほどきされる。かれら代理人の最後に、頽廃と奢侈に他の者たちを引き込む尖兵であるいわゆる「社交界の貴婦人たち」も入れておく。

(私論.私見) 「大衆は野蛮且つ自由を与えればアナーキーに陥るという大衆観」について

 「議定書派帝王学その10、大衆は野蛮且つ自由を与えればアナーキーに陥る」。議定書はここで「大衆観」について言及し、概要「大衆は野蛮且つ自由を与えればアナーキーに陥る。大衆にとって自由は弊害である」と述べている。ここでは、その是非はともかく単に聞き置くことにする。

 我々の合い言葉は力と偽善である。特に力のみが政治的諸問題を克服する。政治家に本質的に必要な才能の中にこの力が宿されているならば、ことに然りである。

 強権政治が根本原則でなければならぬ。我々の後押しする政府の手先どもが強権政治を敷こうとしない場合には、欺瞞と偽計が用いられねばならない。これを鉄則とすべしである。この悪は終局である善に達するための手段にすぎない。

 それゆえに、我々は、目的達成のために役立つときは、贈収賄、詐欺、裏切りをためらってはならない。これが役立つ場合には躊躇無く用いねばならない。政治の世界では、相手を屈服させ支配権を握る為には、他人の財産を奪い取る方法を遠慮してはならぬ。

 我々の国家が戦争という方法によってではなく平和的な征服の道を進んでいる際には、大衆を盲目的に服従させる為に恐怖を用いねばならない。我々は、目につかないけれども効果のある死刑宣告をもって統治する権利をもっている。

 仮借ない厳しさだけが、国家の強さを見せつける最大の力である。単に利益を得るためのみならずわれわれの義務としても、また、勝利のためにも、我々は暴力と偽善による計画を保持し続けなければならない。

 報復主義は使われる手段と同じく、有無を言わさず強力である。それは手段そのものであるというよりも、我々が勝利し、すべての政府を我らの超政府にひざまづかせる厳格な教義なのである。我々は抵抗する者及びその精神に対して容赦なく鉄槌を浴びせ、二度と歯向かわないように十二分に思い知らせる。

(私論.私見) 「強権恐怖政治支配論」について

 「議定書派帝王学その11、強権恐怖政治支配こそ目指さねばならない」。議定書はここで「強権恐怖政治」について言及し、概要「政治的諸問題を解決する有効な方法は、強権と恐怖、偽計である」と述べている。ここではその是非はともかく単に聞き置くことにする。
 はるか以前の時代にさかのぼれば、我々は大衆の中にあって「自由・平等・友愛」という言葉を叫んだ最初の人達であった。以来、幾度となく愚かなオウムたちが四方八方からこの餌に群がり集まり、世界の繁栄と、以前は下層民の圧力に対して頃合い善く保護されていた真の個人的自由を、この餌をもって破壊し去った。

 教養あり才智ありと自称するゴイムの知識人も、この三つの標語の間に隠れている矛盾に気がつかなかった。これらの言葉が意味するものとその相互関係を検証せねばならぬところを為さず、その矛盾に気づいて否定せねばならぬのに、そこまでは考え及ばなかった。彼らは、自然界には平等の存立しないことや自由など有り得ないことに留意しなかった。

 自然界には掟があり万物はその掟に従わせられるように作られているように、我々もまた気質、性格、能力が不平等に作られていることを見なかった。結局、ゴイムの知識人は「自由・平等」からは何も作りだすことができなかった。

 彼らは、大衆が盲目であること、彼らの仲間から選ばれ支配を委託された選良にしても、政治に関しては大衆と同様に盲人であることを見抜かなかった。政治の奥義を授けられた者は多少愚かであっても統治ができるが、反面、大天才であったとしても奥義を授けられない者は政治に関しては無知蒙昧であることを、決して考えようとはしなかった。これらのことを、ゴイムは一切顧みなかった。

 永い間一貫して王朝政治が保たれたのは、これらの奥義に依ってきたからである。王室以外の者や統治される者には誰にも知らされない政治統治の奥義が、父から子へ一子相伝で伝えられたのである。時代が過ぎ、政治の要諦を一子相伝する意義が失われた。このことが、我々の主義を成功に導く絶好の機会となった。

 地球上のいたる所で、我らの盲目の代理人たちのおかげで、「自由・平等・友愛」 という言葉が、我らの旗を熱狂的にかざす大群を、我々の隊列に引き入れてくれた。これらの言葉はまた常に、ゴイムの繁栄を蝕み、いたる所で平和、安寧、協同を毀損し、ゴイムの国家の基礎を破壊する生きたエダシャクトリ(果樹の害虫)となった。後に述べるように、このことが我々の勝利を助けた。
(私論.私見) 「自由・平等・友愛」について

 「議定書派帝王学その12、『自由・平等・友愛』はまやかしである。議定書はここで「自由・平等・友愛」について言及し、概要「『自由・平等・友愛』はまやかしである。これな気づかず、ゴイム社会は蝕まれた」と述べている。議定書のこの指摘は物議を起しそうである。ここではその是非はともかく単に聞き置くことにする。
 こんな風に我々に幾多の有利な材料はあったが、とりわけ、我々に切札を手中にせしめたのは、特権の破壊、云い換えればゴイム社会のにおける貴族支配の存在そのものの破壊である。唯一、人民と国とを守るこの階級は、我々に敵対してきたのである。

 ゴイム社会における血統的な、系図上の貴族階級を滅亡させた廃墟の所に、我々は、我々の金力が主導する、我らの教育を受けた階級を貴族として樹立した。それが金権貴族政治である。金権貴族政治は、我々自身のものである富と、我らが学識ある長老たちが備蓄した知識とによって確立されたところに特徴がある。
(私論.私見) 「貴族支配の打倒、それに続くに金権貴族政治」について

 「議定書派帝王学その13、『貴族支配の打倒、それに続くに金権貴族政治』は我々の政治戦の勝利である」。議定書はここで「貴族支配の打倒、それに続くに金権貴族政治」について言及し、概要「『貴族支配の打倒、それに続くに金権貴族政治』は我々の政治戦の勝利である。ゴイム社会の大衆はこれに気づかず利用された」と述べている。議定書のこの指摘も物議を起しそうである。ここではその是非はともかく単に聞き置くことにする。
 我々の勝利をいっそう容易ならしめた事実がある。それは、我々に必要欠くべからざる好ましい人物たちとの交際を通じて、我々は常に人間心理の琴線をくすぐり、即ち金銭欲、貪欲、人間のあくことをを知らない物質的欲望に働きかけた。云うまでもなく、これらへの耽溺はいずれも独創性を麻痺させる効果がある。この弱点故に、彼らの心と意思を、彼らに金を出してくれる人間に、自分の意志の最終決定をゆだねることになるのである。 
(私論.私見) 「エージェント作りとその手慣づけ方」について

 「議定書派帝王学その14、エージェント作りとその手慣づけ方」。議定書はここで「エージェント作りとその手慣づけ方」について言及し、「人間のあくことをを知らない物質的欲望に働きかけ、」概要「我々は、エージェント作りとその手慣づけ方に成功したことにより、我々の勝利を容易にした」と述べている。議定書のこの指摘も物議を起しそうである。ここでは、その是非はともかく単に聞き置くことにする。
 自由という言葉の空疎な抽象性が大衆にこう考えさせるようになった。彼らの統治者・政府などは、本来の国家の所有者である人民に委任された管理者(豚小屋の番人)に過ぎず、従って番人は使い古しの手袋のようにいつでも取り替えられるものだ。そう思い込ませることができた。

 人民の代表者が取り替えの効く仕組みとなっていると気づかせるのは我々の思う壺で、我々が自由に利用できるということであり、云うなれば、我々に代表者の身柄を預けたようなものであり、我々が代表者の任命権を握ったことになる。
(私論.私見) 「自由思想による支配者打倒戦略戦術」について

 「議定書派帝王学その15、自由思想利用による我々の旧支配者打倒戦略戦術」。議定書はここで「自由思想による支配者打倒戦略戦術」について言及し、「自由思想普及により我々は旧支配体制打倒を用意にせしめた」と述べている。議定書のこの指摘も物議を起しそうである。ここではその是非はともかく単に聞き置くことにする。


【プロトコール、2 】
 「プロトコール、1」の総論を受け、個別課題各論に入っている。
 我々の目的には戦争は欠くべからざるものである。が、できる限り、戦争が領土的な利益をもたらさないように仕向けるべきである。そうすれば、戦争は経済に基盤を置くようになり、この領域において各国は我々の支配の強力さを思い知らされるであろう。また、戦争当事国は双方とも我々が国境を越えて放っている我々の代理人団(エージェント)の思うがままに操られることになるだろう。どんな国境も我々のこの活動を阻止できはしない。
(私論.私見) 「戦争政策及びその要諦」について

 議定書は「プロトコール、2」から各論に入る。その最初に取り上げられているのが「戦争政策及びその要諦」である。余程戦争問題が重要であるかが分かる。議定書は、1・国家間の戦争をけしかよ、2・但し、利益をもたらさないようにせよ、3・いずれ疲弊し経済的問題に帰着する、4・我々の出番になる、と記している。

 さて、議定書のこの示唆を我々はどう受け取るべきだろうか。「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような奥の院の手の内までわざわざ書き付ける必要があるのだろう。
 私個人にはどんな制約があろうとも、我々のエージェントが百万の眼を持って監視し情報を収集しているので、節穴になることはない。むしろ手に取るように事態が掌握できる。

 世界にまたがる我々の法は各国の法を無効にしてしまい、丁度国家の市民法が国民の関係を律するのと全く同じように、我々の法の方が正確に各国を支配することになるであろう。
(私論.私見) 「各国に放たれたエージェントの役目」について

 議定書はここで、「各国に放たれたエージェントの役目」について触れている。その活動を支えるために、ユダヤの法が各国の法に優先されている」、と云う。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような奥の院の手の内までわざわざ書き付ける必要があるのだろうかについて。
 我々が公衆の中から選んだ行政官たちは、奴隷のように従順な資質であるかどうかを厳しく監視され、支配技術に長けた人物にはさせない。それゆえに、彼らは、我々の賢人と顧問と、全世界の諸問題を律すべく幼年期より養育された助言者・専門家の手中に握られ、将棋の歩(ふ)のような役目を引き受けることになる。
(私論.私見) 「各国における我々のエージェントとしての行政官の役目」について

 議定書はここで、「各国における我々のエージェントとしての行政官の役目」について触れている。概要「各国政府にはエージェントが送り込まれる。但し、人選に当たっては、能力の有る者は選ばない。何故ならコントロールし易いから」、と云う。


 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような奥の院の手の内までわざわざ書き付ける必要があるのだろうかについて。
 諸君もご存知のように、我らの専門家たちは、歴史の教訓や一瞬一瞬の現実の出来事の観察から、我らの政治計画に必要とする学術を体得しているのである。

 これに対して、ゴイムの専門家たちは、歴史の事実の赤裸々な歴史的観察を為し得ず、一連の結果に厳しい批判を加えることなく機械的に空理空論に走り、何ら批判的研究を為し得ない。
(私論.私見) 「我々の専門家とゴイムのそれとの能力の違い」について

 議定書はここで、「我々の専門家とゴイムのそれとの能力の違い」について触れている。概要「ゴイムの専門家は、ユダヤのそれに劣る。何故なら本当の学術を体得しておらず、空理空論に走り批判的研究を為しえないから」、と云う。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような奥の院の手の内までわざわざ書き付ける必要があるのだろうかについて。
 故に、我々は彼らに一顧も与える必要もない。時が一撃をくらわせるまでは存分に遊ばせ楽しませてやろうではないか。過去の栄光に新しい形を与える希望に生きさせてやろうではないか。古き良き思い出に浸(ひた)らせてやろうではないか。

 彼らには、我々が「科学が説くところでは」(学説)と吹きこんだ科学的法則を信じこませ、それを後生大事にいつまでも墨守させておこうではないか。
(私論.私見) 「ゴイムの専門家は暫くの間駄弁にうつつをぬかさせておけば良い」について

 議定書はここで、「ゴイムの専門家は暫くの間駄弁にうつつをぬかさせておけば良い」と述べている。興味深いことは、概要「いわゆる学説など当てにならないものなのに、ゴイムの知識人というものはあたかも真理の如くに後生大事に抱えね癖がある。所詮それだけの能力しかない。放っておけ」、と指摘していることである。これを聞いて頭が痛い者も出てくるだろう。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような奥の院の手の内までわざわざ書き付ける必要があるのだろうかについて。
 我々が一貫して、新聞マスコミを通じて、声を大にしてそれらの学説を盲信させるべく使う。それが言論機関の目的である。ゴイムの知識人たちは彼らの知識にいい気になり、論理的検証を行なうことなく科学から得た知識すべてを信じこむだろう。

 その知識たるや、我らの代理人団たる専門家が、ゴイムの心魂を手なづけてわれわれが望む方向に赴むかせんが為に、巧みに断片を寄せ集めたものなのである。
(私論.私見) 「言論機関の目的」について

 議定書はここで、「言論機関の目的」について述べている。興味深いことは、概要「学説は学説でしかないのにこれを盲信させるべく、言論機関を使う。ゴイムの知識人たちの頭脳はそれがお似合いで、信じ込む。それは塩梅が良いことだ」、と指摘していることである。これを聞いて頭が痛い者も出てくるだろう。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような奥の院の手の内までわざわざ書き付ける必要があるのだろうかについて。
 ここに述べたことは根も葉もないことであるとは、瞬時たりとも考えないでいただきたい。我々が仕掛けたダーウィン主義(ダーウィニズム)、マルクス主義、ニーチエ主義が、いかに功を奏しているかに注目していただきたい。

 我らユダヤ人にとっては、少なくとも、これらの指導者たちがゴイムの心魂に及ぼしたことどもを直視すれば、事は十分に明白であろう。
(私論.私見) 「ダーウィン主義(ダーウィニズム)、マルクス主義、ニーチエ主義」について

 議定書はここで、「ダーウィン主義(ダーウィニズム)、マルクス主義、ニーチエ主義」について述べている。興味深いことは、概要「それらはいずれも我々が仕掛けた学説である。ゴイムの人心を惑わすのに非常に功を奏した」、と指摘していることである。

 ここの下りが「議定書偽書説」派の根拠を与えているように思える。ここではこれを詮索しないでとにかく拝聴しておくことにする。しかし、「議定書偽書説」派の者は、むしろ説明せねばならない。何故かような奥の院の手の内までわざわざ書き付ける必要があるのだろうかについて。
 政治上の、また、行政上の諸問題の方向において些細な誤りを避けるためには、各国民の思想、気風(性格)、民情傾向を顧慮することが絶対に必要である。我々の方式は、我々が遭遇する人民の気質に応じて様々に仕組まれ案配されるけれども、もしも過去の成り行きと現状とを睨み合わせて上手な運営ができなければ、この方式の勝利はおぼつかない。
(私論.私見) 「ゴイム社会及びその歴史の研究の必要」について

 議定書はここで、「ゴイム社会及びその歴史の研究の必要」を説いている。これは議定書派の根拠の有る指摘ではないかと思われる。れんだいこが思うに、「社会及びその歴史の研究」は何も国家、民族のみならず、あらゆる事象の研究の際に言える事で、議定書が云おうが云うまいが重要なことではなかろうか。これは感心する下りである。


 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような奥の院の手の内までわざわざ書き付ける必要があるのだろうかについて。
 近代国家は、大衆の世論を創り出す強力な力をその手に持っている。すなわち、新聞・雑誌がそれである。新聞・雑誌が果たす役割は、必要欠くべからざるに至った国民の声を指摘し、世論の声を伝え、大衆に愚痴のはけ口を与え、不平不満を表明させ更にはそれを作り出すことにある。

 言論の自由の勝利が具体的になるのは新聞においてである。だが、ゴイムの国家は、いかにこの力を効果的に使うかについては知っていたためしがなく、つまり活用法を知らなかったこともあって新聞・雑誌は我らが手中に落ちた。新聞・雑誌を通じて、我々はその背後にあって、影響力を行使し得ることになった。

 金力が我々の手中にあることを周知のことであるが、我々が新聞を手中にする過程も又実に、血と涙の海の中においてであった。我々は、あまたの同胞を犠牲にしてきた。けれども、今や十分に報いられている。わが方の犠牲の一人一人は、神の前においては千人のゴイムに相当する。
(私論.私見) 「新聞の役目」について

 議定書はここで、「新聞の役目」を説いている。概要「新聞の社会的影響力は大きい。ゴイムはこれを上手に使うことが出来ず、我々が今支配している。新聞を通じてこそ我々は影響力を強めることができたのである」と述べている。これも感心する下りである。


 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような奥の院の手の内までわざわざ書き付ける必要があるのだろうかについて。


【プロトコール、3 】
 「プロトコール、3」で、ゴイム政府及びその社会の批判的検討に入っている。
 今日、我々はあと数歩で目標に到達せんとしていると言ってよい。横切るべき空間はあとわずかを残すのみであり、我々が歩んできた長い道のりは、今まさに我々の民族の象徴たる両頭の蛇の輪を締め合わそうとしている。この輪が閉じられるとき、ヨーロッパのすべての国家は強力な万力によって締め上げられることになる。
(私論.私見) 「民族の象徴たる両頭の蛇の輪」について

 議定書はここで、「両頭の蛇」について述べている。その両頭の蛇の輪が結ばれる時、彼らの世界支配が完成される、と述べている。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような奥の院の手の内までわざわざ書き付ける必要があるのだろうかについて。
 当今の国政機構の天秤はほとんど破壊しているも同然である。なぜならば、我々が、秤の均衡を損なうように支点を操作して狂わせているからである。ゴイムはしっかり固定してあると思い込んでいて、いずれ天秤は釣り合いを取り戻すはずだと、ずっと期待し続けている。だが、支点つまり王座に即位している王たちは、自分たちで押えが利かず無責任極まりない力に困惑するだけの阿呆家来どもに取り巻かれている。権力的家臣達は特有の茶坊主的密議支配を好む。宮殿内に風靡するこの政治支配が王権政治の特徴である。

 かくて、王たちには人民に近付く手だてがない。まさに取り巻き連中のど真中で王位に就いている王たちは、人民と一緒になって、権力の簒奪者たちに対抗する術を持つことが出来ない。明敏な統治権力と人民の盲目の力との間に、双方ともがあらゆる意味を失うように、我々が深い溝を設けた。盲人と彼の杖のように、両者は離れ離れにされれば全くの無力となる。
(私論.私見) 「茶坊主政治による密議支配、ゴイム王の隔離と孤独」について

 議定書はここで、「茶坊主政治による密議支配、ゴイム王の隔離と孤独」について述べている。ゴイム国家の凡俗政治を云いえて妙な的確にして辛辣に批判している。


 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かようなゴイム国家の無能政治性の批判を為す必要があるのかについて。
 我々は、権力を追い求める者たちを煽動して権力を誤用させるため、すべての勢力を独立させ、極力相対立させ、それを促進する自由主義的傾向を鼓吹するように仕向けてきた。この目的に向って、我々はどんな形の企てでも指示教唆し、あらゆる政党を炊きつけ、戦闘準備させ、どんな野望の目的をも権力に対して向けるようにさせた。我々は、ゴイムの国家というものを、混乱した問題の大群が争乱する競技場と化せしめた。ほどなく、混乱と破綻があまねく広がるであろう。
(私論.私見) 「ゴイム社会の内部対立誘引」について

 議定書はここで、「ゴイム社会の内部対立誘引」について述べている。こうなると、左派運動はこれに乗ぜられない自己規律を持たねばならないことになろう。これに無自覚なままの有り様は問題ということになる。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような陰謀の手の内を明らかにする必要があるのかについて。
 あとからあとから出てくるおしゃべり屋たちが、議場と行政会議の場を討論会場に変えてしまった。あつかましい向う見ずなジャーナリストと厚顔無恥なパンフレット屋(コラムニスト)が毎日のように政府当局を攻撃する。権力に対する悪口雑言はすべての制度を転覆させる最後の一太刀となり、ことごとくが狂乱した大衆のめった打ちに遭って空中に吹き飛ばされるであろう。
(私論.私見) 「ゴイム政府批判扇動」について

 議定書はここで、「ゴイム政府批判扇動」について述べている。こうなると、左派運動はこれに乗ぜられない自己規律を持たねばならないことになろう。これに無自覚なままの有り様は問題ということになる。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような陰謀の手の内を明らかにする必要があるのかについて。
 なべての人民は、奴隷や農奴として縛り付けられていたかっての時代よりも更に難儀な、貧困なるがゆえの重い労働の鎖につながれている。彼らは何とかしてこの束縛から逃れようとするかも知れないが、この重荷を取り除くことはできず、決して貧困から脱却できない。

 我々が憲法に書き込んだ大衆に関する権利というようなものは、虚構であって実際に使える権利などではない。いわゆる「人民の権利」なるものは、単なる観念、実際生活では決して実現されるはずのない観念としてのみ存在する。
(私論.私見) 「人民大衆の疲弊、憲法権利の空疎性」について

 議定書はここで、「人民大衆の疲弊、憲法権利の空疎性」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような観点をひけらかす必要があるのかについて。
 おしゃべり屋には無駄口をたたく権利があり、ジャーナリストには真面目なことも書くが阿呆なことを書きなぐる権利があるとして、生活の重荷に打ちひしがれ、重き犠牲に腰を二重に折り曲げているプロレタリア労働者には、何があるというのか。かってプロレタリアートは、我々が説きつけたことに賛成し、我々が権力の中に潜ませておいた我らが代理人団の手下に賛成して投票した見返りに、我らが食卓からパン屑を恵んでもらっただけで、憲法からは何の利益も得られなかった。

 共和国の憲法は、貧者にとっては皮肉以外の何ものでもない。なぜならば、ほとんど一日中働いている労働者に必要なものは、憲法を使うことによっては全く与えられないだが、その一方で、彼は仲間たちが打つ同盟罷業や主人が行う工場閉鎖によって、確実な生活の資を奪われてしまうからである。
(私論.私見) 「共和国憲法の空疎性」について

 議定書はここで、「共和国憲法の空疎性」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような観点をひけらかす必要があるのかについて。
 我々の誘導によって人民は、貴族階級を破壊させてしまった。貴族自身の利益は人民の厚生福利と密接に結びついていた。そういう意味で、貴族階級は人民の本当の保護者であり養い親であった。現今では、貴族階級の滅亡によって、人民は労働者の首に残酷無慈悲なくびきをつなぐ守銭奴の手中に落ちた。その支配が人民の上に重荷となって遠慮なくのしかかっている。
(私論.私見) 「ゴイム社会における貴族階級の没落の歴史的意味」について

 議定書はここで、「ゴイム社会における貴族階級の没落の歴史的意味」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。


 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような観点をひけらかす必要があるのかについて。
 我々は、労働者に我が戦列即ち社会主義者、無政府主義者、共産主義者に加わるよう提案し、振りかかる圧迫からかれらを救出する救世主を買って出る。我々は、我らがフリーメーソン員が標榜した「人類団結という兄弟的友愛」の定め通りに、一貫して主義者たちを支援している。
(私論.私見) 「ゴイム社会における社会主義者、無政府主義者、共産主義者台頭の歴史的意味」について

 議定書はここで、「ゴイム社会における社会主義者、無政府主義者、共産主義者台頭の歴史的意味」について述べている。ここは議論せねばならないところのように思える。何と、社会主義者、無政府主義者、共産主義者運動は彼らの手の内で御されていると云うのだ。こうなると、左派運動はこれに乗ぜられない自己規律を持たねばならないことになろう。これに無自覚なままの有り様は問題ということになる。


 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような観点をひけらかす必要があるのかについて。
 貴族は、人民の労働から恩恵を蒙っていたから、労働者たちがよく食べ、健康で、強壮であるかどうかに関心を払っていた。我々は全く反対のこと即ち劣化、ゴイムから生命を奪うことに関心を寄せている。我々の権力は、労働者の慢性食料不足と肉体的虚弱を必要とする。まさにそうしておいてこそ、彼は我々の意のままに従うようになり、我々に敵対する強さも意志もなくなり、自分たちの権力を見つけ出そうとはしなくなる。

 王たちが正当に貴族に与えた権力よりも、さらに確実に労働者を資本の権利に従わせるのが飢えである。飢えが引き起こす貧困と嫉妬と憎悪によって、我々は大衆を動かし、彼らの手を使って我らが行く手を阻む者すべてを掃討するであろう。全世界王が王冠を戴く時が至れば、同じ方法を用いて障害となるものをことごとく一掃するであろう。
(私論.私見) 「飢餓の持つ統治上の意味」について

 議定書はここで、「飢餓の持つ統治上の意味」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。


 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような観点をひけらかす必要があるのかについて。
 ゴイムは、我らの専門家たちの助言なしに物事を考えるということができなった。自分で考えるという習慣を失ってしまった為に、我らの王国が実現したあかつきに我々が直ちに採択し、一歩も譲歩(じょうほ)する事なく確保(かくほ)するであろう施策の必要性の意味が見えない。即ち、公教育の場においては、唯一単純かつ真実の知識、全知識の基礎を教えることが肝要であるということである。 それは、人間生活の構造に関する知識、社会存在のあり方に関する知識、労働には分業が必要であり、従って、人々は階級と身分に分かれなければならないということであるが。

 人間活動の実際にはさまざまな差異があって、平等などというものはありえず、なんらかの行為で階級全体に累を及ぼす者と、自分自身の名誉を傷つけるだけの者とは、法律の前では平等の責任を負うはずがないということは、万人が心得ておくことが肝要である。

 ゴイムには知らされていない秘密であるが、社会構造の真の知識は、身分とかけ離れた仕事をさせないようにしなければならず、個々人に要求される仕事と受ける教育との落差が悩みの元にならないように、万人に実地をもって示そうと思う。この知識を完璧に身に付けたあかつきには、大衆は進んで権力に服従し国家に指示された仕事を受け入れるであろう。

 現状の知識と我々が人民大衆を育成してきた方向からいえば、大衆は印刷されたものを鵜呑みにし、我々が彼らに誤りを吹き込んできたためと、彼ら自身の無知のおかげとで、これまでに考察した身分という身分に対して、全面的に憎悪を燃えつのらせる。それは各階級には常々相応しい重要な職務があるという身分の意味を全く理解していないことから来ている。
(私論.私見) 「分業、階級、身分の差の生得性の認識及びその理解」について

 議定書はここで、「分業、階級、身分の差の生得性の認識及びその理解」について述べている。ここは議論せねばならないところのように思える。いわゆる哲学的問題なるが、「ゴイムには知らされていない秘密」として概要「各階級には常々相応しい重要な職務があるという身分の差の意味」を知ること、教えることが肝要と云う。鵜呑みには出来ないが、意味するところはかなり重要な示唆かも知れない。いわゆる平等運動のナンセンスさを指摘していることになる。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような観点をひけらかす必要があるのかについて。
 この憎悪は、「経済危機」の効果で数倍もの火の手を挙げるだろう。経済危機たるや為替取引を中止させ、工業を停止させるだろう。我々は、自分たちが熟知している隠密な方法を総動員し、すべて我々の手中にある金力の助けを借りて、大規模な経済危機を作り出し、それによって全ヨーロッパ諸国の労働者大衆をいっせいにまとめて路上に放り出すだろう。

 これらの大衆は、ただ単に無知であるがゆえに、揺籃時代から羨み妬(ねた)んでいた連中を喜んで血祭りにあげることで痛快な気分を味わい、連中の財産を略奪するであろう。

 彼らは、「我々のもの」には手をつけない。なぜなら、襲撃の時機を知っているのは我々であり、我々は財産を守る手を事前に講じるからである。 
(私論.私見) 「経済危機の効果」について

 議定書はここで、「経済危機の効果」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。


 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような陰謀の手の内を明らかにする必要があるのかについて。
 我々は、進歩こそがすべてのゴイムに理性の支配をもたらすだろうと強調してきた。しかし、我々の専制は一分の隙もない独裁である。それがいかに、炯眼厳格な方法によってあらゆる不満を鎮圧し、すべての制度慣習のリベラリズムを麻痺させるかを知るだろう。

 一般大衆はあらゆる種類の利権特権は自由の名のもとに生み出されたと見ていて、君主がそれを握っていると思い込み、怒涛のように襲いかかったが、盲人のならいでおのずとあまたの石に蹴つまづく結果となり、案内人を求めて猛進したが、今さら昔の状態に戻ることはできず、我らの足下に全権をゆだねてしまうことになった。
(私論.私見) 「進歩概念の意味」について

 議定書はここで、「進歩概念の意味」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような陰謀の手の内を明らかにする必要があるのかについて。
 フランス革命を想起していただきたい。それを「大革命」と名付けたのは我々であった。その準備が秘密裡に行われたことを、我々は熟知している。あの革命は全面的に我らの手で遂行した一大事業であった。

 その時以来、我々は人民大衆を幻滅から幻滅へと導いている。それは、その帰結として最終的には彼らをして、我々が世界のために準備しているシオンの血を受けた専制君主に賛同するに至らしめんが為である。彼らは、我々に頼らずして歓呼して迎えるようになるだろう。
(私論.私見) 「フランス革命とフリーメイソン、革命の効果」について

 議定書はここで、「フランス革命とフリーメイソン、革命の効果」について述べている。ここは議論せねばならないところのように思える。いわゆるフランス革命の背景事情について精査し直さなければならない、ということになるだろう。これに付き、歴史学者は如何なる見解を示しているのだろうか。併せて「世の革命的闘争」と云われているものの裏舞台を検証し直さなければならない、ということになろう。


 れんだいこが思うに、そういう背景があったとして、そのシナリオに乗ぜられず押し進めた革命があるとしたらそれこそ値打ちもののそれではなかろうか。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような歴史の秘密を明らかにする必要があるのかについて。

 今日我々は、多国家にまたがる勢力として無敵である。なぜならば、何ものかが我々を攻撃しようとも、我々は他の国家に支援される仕組みになっているからである。ゴイム人民の底無しの無気力さ、且つ権力の前には腹這いになって這いつくばるが、弱者には無慈悲、他人の過失には厳しく罪悪には寛容、自由社会制度の矛盾は認めようとしないが思い切った専制者の強権に対しては殉教者のように耐える、ゴイムのそれらの特徴が我々を今日にあらしめた。

 我々はこれに全く助けられたところが多い。現在の首相という専制者のもとでゴイム人民は呻吟しているけれども、かってならその何分の一かの権力乱用でもあれば、王の二十人ぐらいは打ち首にしたであろう。

(私論.私見) 「ゴイムの人民大衆の劣等性質」について

 議定書はここで、「ゴイムの人民大衆の劣等性質」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような観点をひけらかす必要があるのかについて。

 この現象、同じ性質の事象と見えることに対する人民大衆のこの矛盾撞着はどう説明したらよいのか? 

 ここには厳然たる事実がある。現代の専制者たちは彼らの代理人を通じて、人民大衆に向いこうささやくのである。権力をこういうふうに使えば、国家には害を及ぼすけれども、崇高な目的にはかなっているのだ。人民の生活保護、国境を超えた人民大衆どうしの友情、社会連帯、平等の権利という目的を実現しようとする為であると。云わずもがなのことではあるが、彼らは、これらすべては我々の統治支配のもとで初めて実現するものだとは言っていない。

 かくて人民大衆は正しいものを罰し、不正なるものを許し、前にもまして、望んだことは何でも実現できると信じ込まされるのである。このような事態のおかげで、人民大衆はあらゆる種類の安定を覆し一歩一歩混乱を生み出している。

(私論.私見) 「ゴイムの人民大衆の軽薄さ」について

 議定書はここで、「ゴイムの人民大衆の軽薄さ」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような観点をひけらかす必要があるのかについて。

 「自由」なる言葉は、さまざまの人間集団に、あらゆる種類の権力、あらゆる種類の権威、さらには神や自然の掟に対してまで闘争することに向わせる。このため、我々が我らの王国を実現したあかつきには、大衆を血に飢えた獣に改造する暴力的概念であるこの言葉を、我々は、目に触れる辞書から抹殺するであろう。 

 獣たちは血をたらふく呑んで腹がふくれると眠り込むので、鎖につなぐのはいともたやすいというのは事実である。だが、血を呑まさなければ彼らは眠らず、引き続き闘争を続けるであろう。

(私論.私見) 「自由概念の性質」について

 議定書はここで、「自由概念の性質」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。


 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような陰謀の手の内を明らかにする必要があるのかについて。


【プロトコール、4 】
 「プロトコール、3」のゴイム政府及びその社会の批判的検討を受け、ユダヤ王国再興運動推進上の要点確認に向っている。その絡みで、秘密組織フリーメーソンについて堂々と触れている。
 あらゆる共和国はそれが出来上がるまでにいずれもいくつかの段階を経る。その最初は、かなたこなた、右に左に攪乱された盲目の大衆の狂瀾が猛威を振るってやまないことから始まる。次はデモゴギー、つまり民衆煽動の時代である。ここから無政府状態が生じ、無政府状態は必然的に専制に向う。
(私論.私見) 「共和国制の発生過程」について

 議定書はここで、「共和国制の発生過程」について述べている。それによれば、衆愚政治から扇動政治続いて専制政治に向う、との観点を披瀝している。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 この独裁は、合法的に公明正大な専制というものではなくて、目には見えず密かに姿を隠しているものだが、それだからといって弱体という訳ではない。それは種々の手先の庇護の下に楽屋で地味に働く秘密組織が活躍するからである。

 その活動は幕の蔭であらゆる代理人の背後で働くだけに、手きびしいことでも平気でやる。それら代理人たちは交代するので、不当に襲われないばかりか、秘密の勢力を効果的に助けている。しばしば交代するおかげで、長期活動の報酬が節減できるのである。

 それでは誰が、何者が、そんな見えない政権を樹立できるのか。

 ここにこそ我々の特徴がある。非ユダヤ人即ち外部の者を入れてあるフリーメーソン員は、本当の秘密政権を隠蔽する屏風であり、目的を分からなくする仮面となる。我が勢力の活動計画やその本当の所在は常に、人民には全く謎に包まれたままにしている。
(私論.私見) 「秘密組織フリーメーソン」について

 議定書はここで、「秘密組織フリーメーソン」について述べている。「フリーメーソン」は、議定書派の世界支配計画の手足となる秘密結社である、と述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 自由は、それが神に対する信仰や人類愛に支えられ、平等思想と結びつかないならば無害なものであり、人民の安寧幸福になんら害を与えないから、国家の政権綱領の中に居場所があってもよろしい。だが、平等思想は自然法則に悖(もと)るものであるから、自由思想とは切り離さなくてはならない。

 このような信仰をもって、人民が教区の保護のもとにあり、地球に対する神の支配に従う牧師の手に導かれ満足して敬虔に歩んでくれるならいい。そうでないからこそ、我々は信仰という信仰をむしばみ、ゴイムの心から神の摂理と霊魂なるものを引き離し、代わりに損得勘定と物欲を入れることが絶対不可欠なのである。
(私論.私見) 「宗教対策及び平等思想の排斥の必要」について

 議定書はここで、「宗教対策及び平等思想の排斥の必要」について述べている。いわゆる身分制秩序安泰型の宗教は結構なものだが、平等思想及びそれに貫かれる宗教は排斥されねばならない、と云う。してみれば逆に、無政府主義、社会主義、共産主義運動それ自体は利用し得るものであるが、それが平等思想に貫かれたものであるならば危険であり、望ましくない、ということになるのだろう。

 人民大衆をこの流れに向わせない為に、意図的に信仰心を抑制し、物欲主義を煽る、と述べていることになる。取りあえず拝聴しておこう。
 ゴイムに物事について考えたり留意観察したりする暇を与えないためには、彼らの気持を工業や商業に向けさせ引き付けなければならない。そうしてこそ、国民という国民が国家・社会など眼中(がんちゅう)になくなり、ただひたすら私利的利益追求に没頭し始め、その結果として彼らの共同の敵に注意を払わなくなる。

 重ねて述べるが、自由をしてゴイム社会をきっぱりと崩壊滅亡させんが為には、投機を産業の基礎にしなければならない。その結果、産業が国土から引き出したものは、いくつかの手を通り抜けて投機に手渡される、即ち、我らがユダヤ階級の金庫の中に転り込んでくるであろう。
(私論.私見) 「事業活動、投機活動奨励の意味」について

 議定書はここで、「事業活動、投機活動奨励の意味」について述べている。それによれば、「我々が物事について考えたり留意観察したりする暇を与えない」為に、事業活動、投機活動が奨励されている、ということになろうか。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 経済生活で他人よりも優位に立とうとする激烈な闘争と、市場での不断の投機とが、薄情冷酷きわまりないな社会を生み出すだろう、いや、すでに生み出している。その社会は、本来高等な政治・宗教などのものに対して無関心どころか嫌気、反発を強めるだろう。彼らの生きがいは唯一、利益、すなわち金を集めることだけになる。彼らは金があれば手に入る物質的喜びを求めて、まぎれもなく貨幣を偶像視し始め拝金教徒と化すだろう。

(私論.私見) 「拝金教徒化政策」について

 議定書はここで、「拝金教徒化政策」について述べている。ということは、拝金主義は意図的に作られている、ということになるのだろうか。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 次いで時至れば、ゴイムの貧乏人どもは、高邁な目的のためでもなく、また、富を得んがためですらなく、ただひたすら特権上流社会への嫉妬にかられ、ゴイム憎しのために我々に付き従い、権力をめぐるわれらの競争相手、ゴイムの知識人たちに逆らって我らの指導に従うことになるであろう。
(私論.私見) 「ゴイム大衆の政治的利用政策」について

 議定書はここで、「ゴイム大衆の政治的利用政策」について述べている。とすれば、「大衆の不断の啓蒙、高等教育政策」がこれを防ぐ手立てになろう。ここは取りあえず拝聴しておこう。


【プロトコール、5 】
 「プロトコール、4」のユダヤ王国再興運動推進上の要点確認に向っている。これを受け、「プロトコール、5」では、その王国新政府の諸政策上の要点確認に向っている。
 見せ物団体、言説混乱による疲労困憊が進み、いたる所で腐敗が広まっている社会、富が詐欺同然の悪賢い奇策に類する方法で獲得される社会、たるみ切った社会、道徳が進んで守られるのではなく懲罰厳罰によって維持される社会、信仰心や愛国心が無国境主義的信念に一掃された社会に、どんな種類の統制支配なら適用できるか? あとで述べるような専制支配以外に、どんな支配形態ならこのような社会にあてはめられるか? 

 我々は社会の全勢力をこの手に掌握せんがため強力に集中化した政府を樹立しようと思う。我々は新たな法律によって、国民の政治生活すべてを手加減することなく律しようと思う。それらの法律は、ゴイムが許してきた寛大とか特典とかを一つづつ全部取り潰すだろう。いかなる時にもいかなる場所でも、行動や言葉でわれらに盾突くゴイムどもを一人残らず一掃する立場で臨み、専制ということの強力さを遺憾なく発揮するのが、わが王国の特徴である。

 私が述べているような専制は、時代の推移による近代の進歩とはそぐわないという意見も聞くが、事実は正反対であることを証明しよう。
(私論.私見) 「ユダヤ王国の専制政府」について

 議定書はここで、「ユダヤ王国の専制政府」について述べている。ゴイム政府打倒の為にはリベラリズムのエキスを注入したが、自分達の天下政府を樹立すると手のひらを返し、専制政治に切り替える、と云う。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 人民大衆が、王は神の意志を純粋に体現した者だと見ていた時代には、なんの不平不満も漏らさずに王の専制権力に従った。だが、人民には権利というものがあるという考えを我々が彼らの心に植えつけてからは、彼らは王座に座る者を単に普通の人間とみなし始めた。「神権による王」の聖油は人民が見ている前で王たちの額から消えうせてしまい、我々が人民から信仰心を奪った時に、権力の強力な力は飛び散って公共の場所へ移って行き、我々がそれを押収したのである。

 加えるに、巧妙に仕組まれた学説と詭弁により、社会生活の制約やその他ありとあらゆる方便により、あるいは、ゴイムどもにはまるで解らない手段を動員して大衆や個々人を支配する技術は、他の技術と相並んで我々ユダヤ人の天才的政治力に属するものである。我らが支配の中枢である専門家がもともと手中にしていたものである。

(私論.私見) 「ユダヤ王国の人民大衆支配政策」について

 議定書はここで、「ユダヤ王国の人民大衆支配政策」について述べている。ここは注意を要する記述である。字句通りに受け取れば、そういうユダヤの陰謀があるのなら、人民大衆は封建的専制政府の擁護に向うべし、ということになる。そういう意味で、いわゆる左派運動を牽制する内容となっている。

 しかし、れんだいこは、議定書口述者の率直な感慨を書き付けているだけのことと受け止める。それによれば、ゴイム政府の権威を奪い取り、その打倒を炊きつける能力、その他様々な大衆支配の技術は「他の技術と相並んで我々ユダヤ人の天才的政治力に属するものである」と自画自賛していることになる。
 この天才政治というのは、事象の分析、観察、精緻な計算によって成立しており、この種の熟練技術に関しては我々に肩を並べる者はいない。それはあたかも、練り上げられた政治的活動と固い結束関係の組み立てにおいて我々の競争相手がいないのと同じである。いるといえば、イエズス会だけは我々と比べられるだろうが、我々は無分別な大衆の間にその信用を失墜させることに成功した。

 というのは、我々は我々の組織が目に見える組織として存在することがないように工夫してきた。その裏でわれわれは終始一貫秘密組織を維持し続けてきた。これに比して、イエズス会はその組織が外部から見えるようになっており、それだけ攻撃を受けやすかった訳である。
(私論.私見) 「ユダヤ人の天才政治能力」について

 議定書はここで、「ユダヤ人の天才政治能力」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。しかし思い当たることが多い気がする。

 結局、カトリックの首領であろうとシオンの血を受けたわれわれの独裁者であろうと、専制君主は専制君主であることに変わりはない。が、神の選民である我々にとっては、このことは無関心ではいられないのである。

 ほんの一時は、我々が全世界のゴイム連合にうまくしてやられることもあったやも知れぬが、ゴイムの間には今では決して取り返しのつかぬほど深く根を張った軋轢があるので、我々はそのお陰でついぞ危険にさらされずにいる。

 我々は、二千年も前からゴイム間に個人的、国家的、民族的、人種的、宗教的反目を拵え、相互の憎悪によって個人も国民も対立反目応報を繰り返すように仕組んだ。これがなくならないよう努力してきたので、手が付けられないほど劇しいものになっている。これが、我らに腕を振り上げたとしても、支持してくれる国はどこにもただの一国もない理由である。我々に対抗する同盟を結べば自分が不利になることを、どの国も肝に銘じているからである。

 我々はあまりにも強力である。何人も我々と妥協せねば存立できない。我々は我々のこの力を信頼しなければならない。我々の力から逃れおおせるものはない。国家は我々の蔭の関与なしには、ほんの些細な協定でさえ結ぶことすらできないようになっている。

(私論.私見) 「ゴイム諸国家への意図的分裂策動」について

 議定書はここで、「ゴイム諸国家への意図的分裂策動」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。しかし思い当たることが多い気がする。

 Per Me reges regnant.(王は我によりて支配する)。我々の預言者たちによれば、「我々は世界のすべてを支配すべく神自身に選ばれたのである」。神は我々がこの使命を遂行できるように、我々に天与の才を授けられた。仮に反対陣営に天与の才が授けられた者が現れ、我々に闘いを挑んだとしても、駆出し者というものはしょせん古くから職業的にやってきた者には太刀打ちできない。

 そういう者がでてきたら、我々と彼らのとの闘いはこの世が始まって以来見たこともないような熾烈を極めたものとなるであろう。しかし、我々の闘争は未だかってなかったほどの残酷なものであろうから、天才先生は現われるのが遅過ぎたことになろう。

(私論.私見) 「ゴイム有能者の反抗の限界」について

 議定書はここで、「ゴイム有能者の反抗の限界」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。しかし思い当たることが多い気がする。
 すべての国家機構を動かす車輪はエンジンが駆動する。エンジンは我らの手中にある。国家機構のエンジンとは金である。我々ユダヤの学識ある長老たちが創造した政治経済学は、久しい以前から資本に君主の威光以上の威信を与えてきた。

 資本、それが束縛なく相携えて力を発揮するには、存分に工業と商業の独占がはかられねばならぬ。そのことはすでに世界のあらゆる隅々で、見えざる手によって実践に移されているところである。この目的が達せられると、政権は商人の手に移って大衆はこれに屈従することになる。
(私論.私見) 「ユダヤ金融の国家支配」について

 議定書はここで、「ユダヤ金融の国家支配」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。しかし思い当たることが多い気がする。

 今日では、人民大衆を武装解除させることは、戦争に赴かせることよりも重要である。さらに重要なことは、我々の都合からいえば、我々の考えを実行しようとする大衆の焔を抑えることよりも燃え上らせることである。さらに重要なことは、他人の考えを根絶するよりは、その考えをすばやく掴みとり我々に都合がよいように翻案することである。他人の意見を知らずにいるのは愚かである。

 我々の役員会が採択している原理に次のことがある。非難によって大衆を意気阻喪させること、抵抗心をかき立てるまじめな思考をさせないようにすること、心の力を空理空論の論争にそらさせることである。

(私論.私見) 「ユダヤの人民大衆操作術」について

 議定書はここで、「ユダヤの人民大衆操作術」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。しかし思い当たることが多い気がする。
 いつの時代でも世間の大衆というものは、個人も同様であるが、言論と事実(行動)とを混同してきた。競技場で見た通りのように直に自己の感覚に現れてくるもので満足しているが、約束されたことが社会生活の中で実行されているかどうかを検討しようとする者は稀である。もっぱらショーを見るだけで満足している。そこで我々は、大衆の利益が進歩に向っていると声高く証明するショー団体を作るだろう。

 我々は、あらゆる政党に自由主義的な綱領や主張を吹き込む。我々の弁士はリベラルな顔つきを装おって全政党に入り込み、聞き手が聞き飽きて辟易するようになるまで喋り立てる。
(私論.私見) 「ユダヤの世論操作」について

 議定書はここで、「ユダヤの世論操作」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。しかし思い当たることが多い気がする。
 世論をわが方に引き寄せるには、あらゆる角度から意見を続出させ、相反する説をいくつも並べ立て、ある期間、十分ゴイムの判断を迷路に迷い込ませて、遂に結局、一番いいのは政治上のことには何も意見をもたないことだと思い至らせるようにしなければならない。政治はそれを司る者だけが理解できる領域であり、所詮一般大衆には解らない。なぜなら、大衆は自分たちを導く者を通じてしか理解できないからである。それを悟らせる。これが第一の秘訣である。

 統治に成功するのに必要な第二の秘訣は、次のことにかかっている。すなわち、国民大衆の欠点、悪習慣、情欲を助長させ、これに対する法律規則を頻発して社会生活上の取り決めを複雑化することだ。すると市民生活が混沌に陥り、その中にあって誰もが訳がわからなくなり、その結果、大衆同士相互の理解ができなくなる。これこそ別の意味で我らにとっては有利なこととなる。
(私論.私見) 「ユダヤの大衆操作の要諦」について

 議定書はここで、「ユダヤの大衆操作の要諦」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。しかし思い当たることが多い気がする。
 諸党派その他組織対策も然りである。党派の中に不和・軋轢の種子を蒔き、まだ我々に従わおうとしない集団を撹乱し、どの程度のものであれ我々の仕事を妨害するような個人の企てに対しても片っ端から気勢をそぎ骨抜きにしてしまうことになる。

 個人の企てほどまたとなく危険なものはない。その裏に天才があろうものなら、このような企ては、我々が蒔いた軋轢の種子を台無しにし、人民何百万人にも勝る力を持ち始めるからである。
(私論.私見) 「ユダヤの抵抗者対策の要諦」について

 議定書はここで、「ユダヤの抵抗者対策の要諦」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。しかし思い当たることが多い気がする。
 我々はゴイム社会の教育を指導する際には、彼らが何か創意を示す徴候があれば、いつでも気力を失って絶望してしまうように仕向けなければならない。自由奔放な活動というものは、別の自由奔放さに出会うと無力になる傾向がある。衝突すると、容易ならぬ精神的打撃、失望、意気消沈が起こる。これらありとあらゆる手段を駆使して、我々はゴイムを疲労困憊させたあげく、国境を越えた現実の力を我々に提供せざるをえなくなるだろう。
(私論.私見) 「ゴイム社会の教育指導の要諦」について

 議定書はここで、「ゴイム社会の教育指導の要諦」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。しかし思い当たることが多い気がする。
 その現実の力が、いかなる暴力も用いることなく、世界中の国家支配力を次第に吸収して、超政府を形作るのである。今日の支配者たちに代わって、我々は超国家管理機関という怪物を設けるであろう。その手は鉗子のようにあらゆる方向に伸び、その組織は巨大な規模に広がり、世界中の人間という人間を制圧せずにはおかないだろう。
(私論.私見) 「来るべき超国家管理機関の超政府」について

 議定書はここで、「来るべき超国家管理機関の超政府」について述べている。いわゆる「ワンワールド国家」のことであろう。ここはそのまま拝聴することにする。


【プロトコール、6 】
 「プロトコール、5」のユダヤ王国新政府の諸政策上の要点確認を受け、更に具体的施策に言及している。
 我々は近く巨大な独占を確立し始めるだろう。それはゴイムの巨万の富がすっぽり入るような、並外れた富の貯水池である。政治的破滅に続く時期には、政府の債権ともどもゴイムの財産も一挙に枯渇するだろう。御列席の経済人諸君は、この連携作用の趣旨を評価されるのにやぶさかかではなかろう。
(私論.私見) 「ゴイム国家の破滅」について

 議定書はここで、「ゴイム国家の破滅」について述べている。「政治的破滅に続く時期には、政府の債権ともどもゴイムの財産も一挙に枯渇するだろう」とは不気味な示唆である。ここはそのまま拝聴することにする。
 我々は、あらゆる手だてをつくして我々の超政府の人気を煽る。我々に進んで従う者すべての保護者であり儲けさせてくれる恩人だと思わせなければならぬ。そういうものとしての我らが超政府の重要性を強調しなければならない。
(私論.私見) 「超政府プロパガンダ」について

 議定書はここで、「超政府プロパガンダ」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 ゴイムの貴族は政治的勢力としては死んだので、我々はもはや彼らに考慮を払う必要はない。だが、土地所有者としての彼らは我々にとって警戒を要する存在である。それは彼らがその資産で自給自足していけるからである。それ故に、本質的な問題として、代価がいくらかかろうとも何としてでも、彼らからその土地を取り上げなければならぬ。

 この目的達成の最も良い方法は、土地を所有していることがだんだん重荷になるようにすること、即ち土地税を高くして土地を抵当に入れさせる等々で圧迫することである。このために土地所有の状態を監視し、土地収入を最小限にさせねばならない。ゴイムの貴族は、生れつき足りることを知らないのでいろいろ試みるが、急速に燃えつきたり初めはうまく行ってもいずれ失敗に帰するだろう。
(私論.私見) 「土地所有者への打撃政策」について

 議定書はここで、「土地所有者への打撃政策」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 そうなったらすかさず、我々は無条件に商業と工業の保護者にならなければならないが、特に投機事業を奨励せねばならない。それは産業の成長に重しをつける役割がある。投機産業がないと個人資本を増大させ、為に土地銀行が地主に貸付けたせっかくの債務を返済され、工業に出資した地主の運命が持ち直すことになるだろう。

 我々が欲するのは、産業が土地から得る富を吐き出させることであり、投機という手段で世界の金すべてを我々の手に移すことである。そうしてこそゴイムは、無一文となって無産階級の列に落とされ、何とか生きていこうとすれば我々の前にひざまづくほかはなくなるだろう。
(私論.私見) 「投機事業の奨励」について

 議定書はここで、「投機事業の奨励」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 ゴイムの産業を完全に滅亡させるには、投機の助けを借りて、我々がゴイムの間で盛んにしてきた奢侈、財力を使い果たしてしまうような奢侈に対するあくなき欲望を募(つの)らせることである。
(私論.私見) 「奢侈の奨励」について

 議定書はここで、「奢侈の奨励」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 我々は、労働者には好都合にならない程度に賃金の上昇をはかるだろう。同時に、農業や家畜飼育の収穫が駄目になったから上がるのだという理屈を付けて、生活必需品の価格をあげるだろう。

 我々はさらに進んで、労働者を混乱と酒漬けにし、それに加えるに、ゴイムの頭の良い者たちをすべてこの世から根絶すべくあらゆる処置を講じ、生産の根源力を巧みに深く蝕むだろう。
(私論.私見) 「労働者対策としての賃金上昇政策、弱脳化政策」について

 議定書はここで、「労働者対策としての賃金上昇政策、弱脳化政策」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。

 ゴイムに時期尚早のうちに真相を悟られないようにするために、我々は仮面をつけて、表面上は労働者の経済状態を改善し、経済上の大問題を解決する為にと称して真相を隠しながら取り組む。我らの経済学説が精力的に宣伝する偉大な政治経済原理のもと、いかにも労働者階級に役立つかのように情熱を傾けて説き伏せるだろう。

(私論.私見) 「我々の仮面政策、経済学説喧伝」について

 議定書はここで、「我々の仮面政策、経済学説喧伝」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。


【プロトコール、7 】
 「プロトコール、6」の「ユダヤ王国新政府の具体的施策」を受け、その際の最も肝腎な点に付き留意を喚起している。
 軍事力増大と警察力強化、この二つを欠いては、前述の計画を完成させることは全くできない。我々の到達目標は、我々を除いては、世界のすべての国家には、労働者階級大衆と我々の利益に奉仕する少数の百万長者と、警察官と兵隊たちだけがいればよろしい。
(私論.私見) 「軍事力増大と警察力強化」について

 議定書はここで、「軍事力増大と警察力強化」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 ヨーロッパ全土、また、ヨーロッパとの関係を通じて他の大陸にも、我々は騒乱と混乱と敵愾心を起こさなければならない。そのことは、我々にとっては二重の利益がある。まず第一に、各国は我々が指一本で意のままに混乱を作り出したり秩序を回復する力を持っていることを熟知させ、却って我々に一目置くようになるだろう。こうして各国は、我々を厄介だけれども無くてはならない重荷と認めるように習慣づけられることになる。

 第二に、我々は策謀や工作を駆使して、政治的手段により、通商条約あるいは借款協定により、すべての国々の内閣の内部に伸ばしてあった糸という糸をもつれにもつれさせるであろう。このことを成功に導くためには、我々は交渉協定締結の際に狡猾さと洞察力を発揮しなければならないが、いわゆる「表向きの言葉」を使うときには、心とは裏腹に正直従順を装おい続ける。このようにして、ゴイムの個人や政府は、我々が見せてやることなら何でも上辺(うわべ)だけを見るように躾けられているので、我々を恩人とか人類の救世主と思い続けるのである。
(私論.私見) 「権謀術数政策」について

 議定書はここで、「権謀術数政策」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 我々に反抗する国がある場合は、その隣の国から戦争を仕掛けさせ、反逆行動をことごとく叩き潰す位置にいなければならない。しかし、その隣国も束になって反抗するならば、その折には我々は世界戦争という手段に訴えて報復しなければならない。

 政治上で成功を収める秘訣は、腹の中を隠すことである。つまり、その企図を秘匿することにある。外交官は言行一致してはならないのである。
(私論.私見) 「世界戦争の訴求」について

 議定書はここで、「世界戦争の訴求」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 我々が練り上げた大規模な計画は今や成功を収めんとする域にあるが、我々はこの計画に従って更にゴイムの政府を誘導せねばならぬ。何によってかといえば、いわゆる「言論大砲」と称する手段を使う。これによりひそかに我々が吹き込んだ世論というものを作り出し政府を砲撃する。「言論大砲」とは新聞である。新聞は、ごくわずか例外はあるが、すでに完全に我らの手中にある。
(私論.私見) 「言論大砲としての新聞の活用」について

 議定書はここで、「言論大砲としての新聞の活用」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。

 ヨーロッパにおけるゴイム政府を統制する政策を一言に要約すれば、一国をテロ攻撃して我らの強力さをすべての国に見せつけることにあり、もしも我々に対して総決起することでもあれば、我々はアメリカ、支那、日本の火砲を向けさせて応戦するだろう。

(私論.私見) 「ゴイム政府に対するテロ及び牽制政策」について

 議定書はここで、「ゴイム政府に対するテロ及び牽制政策」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。


【プロトコール、8 】
 ここで一区切りし、「プロトコール、8」より「ゴイム政府懐柔策」について言及している。
 我々は、敵対者が我々に向って使いそうな武器をすべて備えていなければならない。我々は、常軌を逸していると思われるほど大胆かつ不正な裁定を下さなければならない場合のために、言葉の微妙な綾を探し出し、こんがらがった法律用語を駆使して事態を正当化せねばならない。そして、この裁定が最も公正で理にかなったように大衆に見せかける法律用語を駆使する能力を磨かねばならない。
(私論.私見) 「法律用語駆使能力」について

 議定書はここで、「法律用語駆使能力」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 我々の操作する政府の要職(幹部団)には、周囲に全分野の知的人士を従え、その仕掛けのど真ん中で仕事をするようにしなければならない。政府の要職iは、政界人、新聞記者、老練な法曹人、行政官、外交官、そして決定的に重要なことは、我々の特別な教育機関で特別教育を受けた人士で構成されねばならない。

 これらの人士は、社会の裏街道を知り、政治の初歩から要諦までのすべての用語に通じておりこれを使いこなせる。これらの人士は、人間の深層心理と急所に通じており、かれらが操作しなければならない人間機微の体系を熟知している。それらの体系とはゴイムの素質、欠陥、悪習、本質、階級、身分の特徴など、考え方・感じ方の類型を意味する。

 言うまでもないことであるが、我々の陣営の補佐役をゴイムから選んではならない。彼らは何が目的かを考える苦労をせず、何が必要なことであるかを決して熟考せずにただ執務する癖に慣らされている。ゴイムの役人たちは、書類に目を通さずに署名をしている。ただ報酬目当てか野望のためかで仕事をしているのである。
(私論.私見) 「我々の操作する政府の要職に相応しい人物」について

 議定書はここで、「我々の操作する政府の要職に相応しい人物」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。

 我々の政府には多くの経済学者が控えており、政府を取り巻かせている。ユダヤ人教育の主たる内容が経済学であるのは、この目的のためである。さらに、我々の周囲には、銀行家、実業家、資本家がおり、特に大切なことであるが百万長者が睨みを利かせている。どうしてかといえば、実際のところ、万事は金で解決がつくからである。

(私論.私見) 「我々の操作する政府を取り巻く経済学者の役割」について

 議定書はここで、「我々の操作する政府を取り巻く経済学者の役割」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 政府の要職にユダヤ人同胞を就けることがまだ危険な間は、もはや政府の要職にユダヤ人兄弟を据えても危険はないという時期までの暫しの間、その椅子にはとかく過去や世評に何かとあり、国民との間に溝がある人間を据える。

 その人物が我々の意に従わない場合には処刑し放逐しなければならない。そう仕掛けしておけば、後釜は、彼らが最後の息を引き取るまで、我々の利益を守る為に働くようになるであろう。
(私論.私見) 「我々の操作する政府の大統領ないしは首相職に就く人物の要件」について

 議定書はここで、「我々の操作する政府の大統領ないしは首相職に就く人物の要件」について述べている。何と、「その椅子にはとかく過去や世評に何かとあり、国民との間に溝がある人間を据える」と云う。なぜなら、そのような人物であればコントロールし易くいつでも放逐できる。それが為、彼は必死になって我々のために働いてくれる、と云う。

 戦後首相列伝における小泉首相なぞこの典型ではなかろうか。


【プロトコール、9 】
 「プロトコール、9」では、ユダヤ王国創出後の諸施策について言及している。
 我々の原理を実行に移すにあたっては、諸兄が現に居住し活動している国々の人民大衆の性格を考慮していただきたい。我々が作った鋳型で人民大衆を再教育し終らないうちは、一律に原則を当てはめようとしても上手(うま)くいくとは限らない。しかし、慎重に適用するならばものの十年とたたないうちに、最も頑強な民族性も変化して、すでに我々に従っている列伍に新しく加わってくることになるだろう。
(私論.私見) 「ゴイム人民の再教育」について

 議定書はここで、「ゴイム人民の再教育」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 リベラルな言葉、我らがフリーメーソンの標語として効果の高い「自由、平等、友愛」 は、我々の王国が到来した暁には、もはや標語(スローガン)としては使わせず、「自由の権利、平等の義務、友愛の理想」という風にもっと的確に有り得べき境地を表現したものに改正する。これが我々のやり方である。「牛は角を捕えよ」の格言にあるように急所を捉える。
(私論.私見) 「自由、平等、友愛標語(スローガン)の廃止」について

 議定書はここで、「自由、平等、友愛標語(スローガン)の廃止」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。

 実際には我々は、我々自身以外のものは、あらゆる種類の支配を一掃したけれども、法律上はまだ数多くのものが残っている。今日では、どこかの国が我らに対して反抗を示したとしても、我々の裁量下、我々の指導下にあって形式的に反抗して居るに過ぎない。一例として反ユダヤ主義は、我々が下層の「兄弟ユダヤ人」を監視するには必要欠くべからざるものだからである。この問題に関してはすでに討議が重ね られているので、これ以上立ち入らない。

(私論.私見) 「反ユダヤ主義対策」について

 議定書はここで、「反ユダヤ主義対策」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。

 実際において我々の眼前には行動を制限する障害は存在しない。我らの超政府はすでに強力絶大な言葉で現わされている超法規的な状態即ち独裁状態で存続している。

 私は衷心からから申し上げるが、然るべき時に、我々は法律を作り、裁判と宣告を行う。我々は生殺与奪を実行する。我々は全軍の先頭にあって、指導者の軍馬にまたがる。我々の意思力で全てを支配する。なぜならば、かって権力を握っていた党派の残党も、今や我々に屈伏し我々の掌中にあるのである。我らの手中にある武器は、貧欲なまでに容赦なき復讐であり、憎悪と敵意の深き恨みに燃えている。我々には果てしなき野望がある。

(私論.私見) 「超政府の独裁権力」について

 議定書はここで、「超政府の独裁権力」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 現今、世界的に広がり行く恐怖は我々が生み出している。それはすべてを巻き込み行く恐怖である。帝政復興主義者、大衆迎合煽動家、社会主義者、共産主義者、その他あらゆる種類のユートピア夢想家といったあらゆる意見、あらゆる主義の人物たちが我々の用を勤めている。我々は彼らを操り働かせている。彼らの一人一人が、権威の最後の残党まで叩き潰さんがために、現在秩序を転覆させることに燃え上がっている。

 これらの行動により、全世界の国々が拷問を受けている。各国政府はもう止めてくれと手すり足すり哀願し、平和のためならどんなことでも代償に出すからという気になっている。だが、我々は、彼らが心底から我らに服従し、率直に我らの国際的超政権を受け入れるまでは、平和を与えるわけには行かない。
(私論.私見) 「我々の各種の主義者操作について」について

 議定書はここで、「我々の各種の主義者操作について」について述べている。留意すべきは、この弁によると、「社会主義者、共産主義者、その他あらゆる種類のユートピア夢想家」の運動は、議定書派の世界支配計画の手の内で踊らされているということになる。先に、概要「ダーウィン主義(ダーウィニズム)、マルクス主義、ニーチエ主義のそれらはいずれも我々が仕掛けた学説である。ゴイムの人心を惑わすのに非常に功を奏した」と指摘されていた。

 これらを考え合わせると、左派運動はこれを反証せねばならない義務があると考えられる。ならば各党派は如何に反証し得るのか。きいておきたいところである。
 人民は、社会問題を国際的協調という手段で解決する必要を感じて遠吠えを挙げている。だが、彼らの党派は分立している故に我らの掌中に飛び込んでいる。というのは、分立抗争すれば金が要るが、金はすべて我らの手中にあるからである。
(私論.私見) 「金力支配」について

 議定書はここで、「金力支配」について述べている。考えさせられるところである。この弁によると、概要「政党の組織維持、抗争には金が要る。その金を支配しているユダヤ権力に跪かざるを得ない仕掛けにしている」ということになる。

 となると、自前の資金調達能力を確保することが自律政党の第一歩ということになる。しかし、最近の政治資金の闇雲な規制化、日共式「潔癖運動化」は却ってこの存立基盤を危ぶませているのではなかろうか。ロッキード事件以来金権批判が為されてきたが、考えねばならないところではなかろうか。
 我々にはゴイムの王たちのうちの「利口な」勢力がゴイム大衆の「盲目的な」 力と連合しはしないかという懸念があったが、そのような可能性に対する打つべき手はすべて打った。両者の間でお互いに恐怖の念を抱かせるという防波堤を設けたのである。このようにしておけば、大衆の盲目勢力は相変らず我々を支持し続け、我々のみが彼らを指導することができ、もちろん、彼らを我らが目指す目標へと引っ張って行くのである。
(私論.私見) 「ゴイムの王権力と大衆の離反策」について

 議定書はここで、「ゴイムの王権力と大衆の離反策」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 盲目的な大衆の手が我々の指導の手から離れないようにするためには、時々彼らの中に入って直接交流を図らなければならない。実際に我々自身が行えなければ、とにかく最も信頼の置ける兄弟を通じて行う必要がある。我々だけが唯一の権威者となった時には、我々はそれこそ市場のような所で直接呼びかけるだろう。また、我々が目指す方向に彼らを向けさせるように政治に関わる問題を指導してやるだろう。

 田舎の学校で教えることを誰が点検するのか? 政府や王の特命全権公使が語ることは、直ちに全国に広まらずにはすまない。それは人民大衆の声によって広まるのである。
(私論.私見) 「大衆掌握策」について

 議定書はここで、「大衆掌握策」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 ゴイムの諸制度を時期尚早に破壊しないようにするため、我々はきわめてソフト(巧妙)に事に取り掛かった。そして、彼らの機械を動かしているぜんまいバネの端をつまんで細工し、これらのバネはかっては精妙にしかも秩序正しく動いていたが、我々はそのバネを混沌放従のリベラリズムに代えることで不整脈を打つようにした。こうして我々は、裁判(訴訟手続き)、選挙法、新聞紙法(マスコミ)、個人の自由問題を、ことに人間の土台である教育と訓練、それは原理的にはどうにでも加工できるものであるが、それらのバネを操った。
(私論.私見) 「リベラリズムの効用」について

 議定書はここで、「リベラリズムの効用」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 我々は、我々が教え込んだことではあるけれども、ゴイムの若者たちに、我々には百も承知の嘘と解っている主義や学説を注入することによって、彼らを翻弄し愚鈍にし堕落させてきた。
(私論.私見) 「エセ主義や学説の効用」について

 議定書はここで、「エセ主義や学説の効用」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 現行の法律については、条文の内容を変えることなく、単にねじ曲げて正反対の解釈をすることによって法の意味を歪曲し、結果としては大層な成果を挙げてきた。その成果は、第一に多様な法解釈で法の真の精神が覆われ、次いで立法の錯綜した糸のもつれにより、政府自身をして法をどう処理してよいかわからなくさせた。

 もはや法の解明が不可能になるといったほどに分かりにくいものになった。法律を文字に拘泥せずに解釈するという学説は、ここに起源がある。
(私論.私見) 「法の捻じ曲げ解釈の効用」について

 議定書はここで、「法の捻じ曲げ解釈の効用」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。

 諸兄の中には、来たるべき時が来ないうちに、もしもゴイムが事前に我々の計画を嗅ぎつけたら、彼らは武器を手にして我々に向って蜂起すると考える方もおられようが、心配ご無用にしている。西欧においては、最も太い肝玉の持ち主をも戦慄させる恐怖作戦をもって対抗する。

 首都には地下鉄道、大都市の地下通路が設けられているが、いざという決定的な瞬間が来る前に事到ったその時には各所から首都を建物や書類もろとも空中に吹き飛ばしてしまうのである。

(私論.私見) 「戦慄の恐怖作戦の効用」について

 議定書はここで、「戦慄の恐怖作戦の効用」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。




(私論.私見)

●「自由」なる言葉は神や自然の掟に対してまで闘争させる
「自由」なる言葉は、さまざまの人間集団に、あらゆる種類の権力、あらゆる種類の
権威、さらには神や自然の掟に対してまで闘争することに入らせた。このため、われ
われがわれらの王国を実現したあかつきには、群集を血に飢えた獣に改造する暴力的
概念であるこの言葉を、われわれは、目に触れる辞書からは抹殺するであろう。
 獣たちは血をたらふく呑んで腹がふくれると眠り込むので、鎖につなぐのはいとも
たやすいというのは事実である。だが、血を呑まさなければかれらは眠らず、引き続
き闘争を続けるであろう。


●自分個人が第一という考えを全員に植え込む
 自分個人が第一という考えを全員に植え込むことによって、ゴイムの家族主義や家
庭教育尊重心を粉砕し、癖のある考え方の人間は引き離して一掃してしまう。<十>


●キリスト教が完全に破壊されるのはここ数年のうちに過ぎなくなった
 今や日一日と、世界の人民に対するかれら[ゴイム僧侶]の影響力は低下しつつあ
る。信教の自由ということが至る所で喧伝されたので、今やキリスト教が完全に破壊
されるのはここ数年のうちに過ぎなくなった。ほかの宗教に至っては、骨抜きにする
のは更に容易であるが、今この問題を論ずるのは時期尚早であると思う。われわれは
聖職者重視の教権主義や聖職者たちの力を、以前かれらが華やかなりし頃に持ってい
たのとは比べものにならないほど狭い枠に押し込めるであろう。<十七>

●思考力を人間から切り離すことは極めて有益な手段である
 思考力を人間から切り離すということは、過去長い時間をかけて、われわれが導入
してきた極めて有益な手段である。思考力を抑制する手段はすでに、いわゆる実物教
育[百貨店は万国博におけるデモンストレーションを指す]という方法で実行されて
いる。この方法によりゴイムは、目に見えるものだけを頼りにして理解し、物を考え
ない従順な動物にさせられている……フランスでは、われわれの最良の代理人である
ブルジョアジー諸氏が、すでに実物教育の新しい計画を実地に移している。<十六>

●われわれは法王庁の擁護者を装って進み出る
 決定的に法王庁を破壊する時が来れは、見えざる手の指が各国民に法王庁を指さす
であろう。しかしながら、国民がそれに襲いかかろうとしたら、あたかも過度の流血
を防がんとするかのように、われわれは法王庁の擁護者を装って進み出る。この転換
によって、われわれはかれらの深奥にまで足を踏み入れ、間違いなくかの最強部を腐
食し切るまでは二度と出て来ないであろう。<十七>

●われわれの王国ではわれらの宗教以外いかなる宗教の存在も許さない
 われわれが王国を築く時は、われらの唯一神宗教以外いかなる宗教の存在も許さな
い。われわれの運命は選民としてのわれわれの地位によりその唯一神と結びつき、そ
のわれわれの運命は神を通じて世界の運命と結び付いているのである。ゆえに、われ
われ以外のあらゆる形態の宗教を一掃する。<十四>

     自由・平等・進歩・権利
●自由や平等は人間の本性にある破壊的な原理である
[われらの王国を築いた暁には]われわれは明白にする、自由とは放縦ではないこと
を、人間の品位とか力とかには自堕落が含まれていない以上に自由とは抑制の利かな
い権利は含まないことを、良心の自由や平等その他これに類するものは人間の本性に
ある破壊的な原理であることを万人に公表し、個人の自由とは決して無秩序な群集の
前で言語同断な言説を弄して煽動することではないことを。真実の自由とは、社会の
法律には敬虔に厳しく従う人の不可侵性にあること、人間の尊厳とは権利意織に包ま
れてはいるが同時にいかなる権利意織ももたぬものであること、そして自分勝手な空
想を実現しようとすることは決して許されないことを。<二十二>

●自由の権利は人間性に拷問をかける
 われわれは最もはっきりとした口調で、ゴイム政府が犯した過ちを描いてみせるで
あろう。われわれがかれらに対する嫌悪の情をそそるので、人民は、かの自由を振り
回す権利などよりも、農奴制のような状態でよいから安穏の方を好む。自由の権利は、
人間性に拷問をかけ、まさに人間存在の根源を疲弊させ、人民は自分が何をしている
のか解っていない一群のこすからい山師たちの餌食となったのである。<十四>

●飲酒や性的堕落はわれわれが手ほどきしたものである
 飲酒で馬鹿になりアルコール漬けになった動物どもを見よ。自由がかれらに節度な
き飲酒の権利をもたらしたのである。それはわれわれやわれわれ一族の歩む道ではな
い。ゴイム々はアルコール飲料に酔いしれ、かれらの若者たちは因習陋習とごく若い
うちから性的堕落に痴呆状態となって成長する。その性的堕落は、われわれの特別な
代理人・・富豪の邸宅の家庭教師、下男、女性家庭教師によって、書記その他によっ
て、しばしばゴイムの娯楽場にいるわれらの女性たちによって手ほどきされた。かれ
ら代理人の最後に、私は、頽廃と奢侈に他の者たちを引き込む尖兵である、いわゆる
「社交界の貴婦人たち」も入れておく。<一>

●自由思想の使い方を知らなければならない
 政治的自由は単なる思想であっていささかも事実ではない。が、政権をもっている
党派を粉砕すべく、この思想を餌として人民大衆を自陣に引きつける必要があれば、
その撒き方や使い方を知っていなければならない。その際、相手方が自由思想、いわ
ゆるリベラリズムに感染していれば、そして、思想のためになら喜んで全力を投げう
つつもりがあるならば、仕事はさらにやりやすくなる。<一>


●権力に対する悪口雑言はすべての制度を転覆させる最後の一太刀となる
 あとからあとから出てくるおしゃべり屋たちが、議場と行政会議の場を討論会場に
変えてしまった。向う見ずなジャーナリストと破廉恥なパンフレット屋が毎日のよう
に政府当局を攻撃する。権力に対する悪口雑言はすべての制度を転覆させる最後の一
太刀となり、ことごとくが狂乱した群集のめった打ちに会って空中に吹き飛ばされる
であろう。<三>

●人々は階級と身分に分かれなければならない
 人々は階級と身分に分かれなければならない……人間活動の実際にはさまざまな差
異があって、平等などというものはありえず、なんらかの行為で階級全体に累を及ぼ
す者と、自分自身の名誉を傷つけるだけの者とは、法律の前では平等の責任を負うは
ずがないということは、万人が心得ておくことが肝要である。<三>



●われわれの政府が承認されると自由主義者や空想論者の役割は終る
 われわれの政府が承認されると、自由主義者、空想論者の役割は最終的に終る。そ
の時まで、かれらはたっぷりとわれわれに奉仕し続けてくれる。そのために、われわ
れはかれらの頭をあらゆる種類の空疎な内容の空想的理論、今では進歩的と呼ばれる
理論の方に引っ張り続けている。<十三>

●「自由、平等、友愛」はわれわれの王国では標語としては使わせない
 リベラルな言葉、われらがメーソンの標語として効果の高い「自由、平等、友愛」
は、われわれの王国が到来した暁には、もはや標語としては使わせず、「自由の権利、
平等の義務、友愛の理想」というふうに単なる理想主義を表現したものに変える。こ
れがわれわれのやり方・・牛は角を捕えよ・・なのである。<九>

●自由≠ニは法律で許されたことをする権利である
自由≠ニいう言葉には、いろいろの解釈があるが、われわれは次のように定義する
・・自由とは法律で許されたことをする権利である。この定義は通常はわれわれだけ
に役立つ定義である。なぜならば、法律というものが前に述べた計画に従って、われ
われが思いのままに作ったり廃止したりできるものであるから、およそ自由と名の付
くものはすべてわれわれの手中にある。<十二>

●平等思想が一番下の思想であることは動かない
 平等思想は自然法則にもとるものであって、平等思想が一段下の思想であることは
動かないところなのである。

●進歩思想は限度というものを弁えなかった
 進歩思想は、あらゆる種類の解放運動を激励してきたが、限度ということを弁えな
かったのである……いわゆる自由主義者は、実際はともかくとしても思想に関しては
例外なく無政府主義者である。自由主義者のどの一人も自由のお化けを追い求め、ま
っしぐらに放縦に、すなわち、反対のための反対という無政府主義に陥っている。
<十二>


●真理は一つでありそこには進歩≠ェ入り込む余地はない
 われわれはゴイムの空っぽ頭を進歩転換させることに成功したことはなかった。ゴ
イムの中には、物質的発明の問題ではない所で進歩を追い求めたところで真理からは
遠ざかるばかりだということが判る人間はいないのである。なぜなら、真理は一つで
あり、そこには進歩が入り込む余地はないのである。進歩、それは誤った推論に基く
思想のようなものであり、神の選民であり、真理の保管人であるわれわれの外には何
びとも知らない真理を覆い隠すのに役立つ。<十三>

●権利にはなんら具体性はない
 われわれの権利は力の中に横たわる。権利≠ネる言葉は抽象的な思考であって、
なんら具体性はない。その言葉は次のことを意味するに過ぎない・・わが欲するもの
を我に与えよ。我が汝らよりも強きことを証せんがために。権利はどこから始まるか?
どこで権利は終るか? 権威の仕組が薄弱で法律が空疎であり、リベラリズムの乱用
により権利を乱発し支配者たちが脆弱となった国家ならどんな国でも、私は新たなる
権利を行使できる・・強者の権利によって打撃を与え、既存の秩序と法規の一切を粉
砕し、すべての機構を再構築し、リベラリズムの中で放棄されてわれわれに残された
かれらの権威ある権利を継ぐ王者となる。<一>

●憲法に書き込んだ大衆に関する権利は虚構である
 なべての人民は、奴隷や農奴として縛り付けられていたかつての時代よりもきびし
く、貧困なるがゆえに重い労働の鎖につながれている。なんとかしてかれらはこの束
縛から逃れようとするかも知れないが、この重荷を取り除くことはできず、決して貧
困からは脱却できない。われわれが憲法に書き込んだ大衆に関する権利というような
ものは、虚構であって実際に使える権利などではない。いわゆる「人民の権利」なる
ものは、単なる観念、実際生活では決して実現されるはずのない観念としてのみ存在
することができる。<三>

●信仰心を奪い権利思想を植えつける
 人民が王は神の意志を純粋に体現した者だと見ていた時代には、なんの不平不満も
鳴らさずに王の専制権力に従った。だが、人民には権利というものがあるという考え
をわれわれがかれらの心に植えつけてからは、かれらは王座に座る者を単に普通の人
間とみなし始めた。神権による王≠フ聖油は人民が見ている前で王たちの額から消
えうせてしまい、われわれが人民から信仰心を奪った時に、権力の強力な力は飛び散
って公共の所有権となり、われわれがそれを押収したのである。<五>

     ゴイム(非ユダヤ人)

●科学が説くところでは≠ゴイムに信じ込ませておこう
 かれら[ゴイム]には、われわれが科学が説くところでは=i学説)と吹きこん
だことを後生大事にいつまでも守らせておこうではないか。われわれが一貫して、新
聞を通じて、声を大にしてそれらの学説を盲信させているのは、そのことが目的であ
る。ゴイムの知識人たちはかれらの知識にいい気になり、論理的検証を行なうことな
く科学から得た知識すべてを信じこむだろう。その知識たるや、われらの代理人団た
る専門家が、ゴイムの心魂を手なづけてわれわれが望む方向におもむかせんがために、
巧みに断片を寄せ集めたものなのである。<二>

●われわれはダーウィン主義、マルクス主義、ニーチエ主義を仕掛けた
 ここに述べたことは根も葉もないことであるとは、瞬時たりとも考えないでいただ
きたい。われわれが仕掛けたダーウィン主義、マルクス主義、ニーチエ主義が、いか
に功を奏しているかに注目していただきたい。われらユダヤ人にとっては、少なくと
も、これらの指導者たちがゴイムの心魂に及ぼしたことどもを直視すれば、事は明白
であるはずである。<二>

●ゴイムは偏見なく歴史的観察を実際に適用することがない
 諸氏もご存知のように、これらわれらの専門家たちは、歴史の教訓や一瞬一瞬の現
実の出来事の観察から、われらの政治計画に必要とする知識を体得しているのである。
ゴイムは偏見なく歴史的観察を実際に適用することなく、一連の結果に厳しい批判を
加えることなく空理空論に走る。ゆえに、われわれはかれらに一顧も与える必要もな
い・・時が一撃をくらわせるまで楽しませてやろうではないか。過去の栄光に新しい
形を与える希望に生きさせてやろうではないか。古き良き思い出にひたらせてやろう
ではないか。<二>

●ゴイムが明きめくらだからわれわれの成果が約束されている
 こんなにもわれわれがかれらを明きめくらにさせられるというのは、ゴイムの頭が
われわれと比較してお粗末である証拠、それも明々白々の証拠ではないだろうか。わ
れわれの成果が約束されているのは、主にこのためである。<十五>

●ゴイムの底無しの無気力さがわれわれの今日をあらしめた
 今日われわれは多国家にまたがる勢力として無敵である……ゴイム人民の底無しの
無気力さ、権力の前には腹這いになって這いつくばるが弱者には無慈悲、他人の過失
には厳しく罪悪には寛容、自由社会制度の矛盾は認めようとしないが思い切った専制
者の強圧に対しては殉教者のように耐える・・われわれの今日をあらしめたのは、
[ゴイムの]それらの特徴に助けられたところが多い。

●ゴイムの生きがいは金を集めることである
 かれらの生きがいは唯一、利益、すなわち金を集めることである。かれらは金があ
れば手に入る物質的喜びを求めて、まぎれもなく拝金教徒と化すだろう。次いで時至
れば、高尚な目的のためでもなく、また、富を得んがためですらなく、ただただ特権
ゴイム憎しのために、ゴイムの下層階級は権力をめぐるわれらの競争相手、ゴイムの
知識人たちに逆らってわれらの指導に従うであろう。<四>

●ゴイムはやたらと自説に固執し自説の一時的満足にしか頭が回らない
 ゴイムは、通常、かれらの考えを実行する際に、やたらと自分の説に固執し、自説
の一時的満足にしか頭が回らない。しかも、その自説たるや、われわれがかれらに吹
き込んだものであって、本当に自分が考え出したものではないことに気が付きもしな
い。<十五>

●ゴイムは成功さえできれば計画はどうなっても構わないと考えている
 際立ってわれわれは計画を実行さえできれば成功不成功を問わないのに、際立って
ゴイは成功さえすれば計画はどうなっても構わない。このようなかれらの心理のおか
げで、われわれは大いにやすやすと思うがままにかれらを操れる。かれらは見た目に
は虎だが中味は羊であって、風が通り抜けて行く頭の持主なのである。<十五>

●われわれの大盤振舞いはゴイムの鼻持ちならぬ自惚れを利用するためである
 ゴイムは、物好きからか、あるいは、大きなパイに一口あずかる手段としてメーソ
ンに入ってくる。中には、実現不可能な根も葉もない夢想を実現させるために、耳よ
りな情報を仕入れようとして入ってくる者もいる。かれらは成功と拍手喝采に飢えて
いるが、その成功や拍手喝采こそは、われわれが気前よく振る舞ってやつているので
ある。われわれがそういう大盤振舞いをするのは、かれらが持っている鼻持ちならぬ
自惚れを利用するためである。<十五>

●ゴイムに考えたり留意観察したりする暇を与えてはならない
 ゴイムに考えたり留意観察したりする暇を与えないためには、かれらの気持を工業
や商業に向き放しにさせなければならない。そうしてこそ、国民という国民が利益追
求に没頭し、そのあげくにかれらの共同の敵に気をとめなくなるだろう。<四>


     力と偽善

●フランス革命を「大革命」と名付けたのはわれわれであった
 フランス革命を想起していただきたい。それを「大革命」と名付けたのはわれわれ
であった。その準備が秘密裡に行われたことを、われわれは熟知している。あの革命
は全面的にわれらの手で遂行した一大事業であったのである。

●国家滅亡の時こそわれらの出番である
 国家が内乱によって消耗するか、内部不一致のために外敵の手中に落ちるかでは・
・どのみち、その国は回復できず滅亡するほかはない。その時こそ、われらの出番で
ある。完全にわれわれの手中にある資本の専制力が、その国に救いの藁を差しのべる
と、否応なくかれらはそれに縋りつかなければならない。拒めば・・底に沈むのであ
る。<一>

●われわれの到達目標
 軍事力増大と警察力強化・・この二つを欠いては、前述の計画を完成させることは
全くできない。われわれの到達目標は、われわれを除いては、世界のすべての国家に
は、プロレタリアート群集とわれわれの利益に奉仕する少数の百万長者と、警察官と
兵隊たちだけがいればよろしい。<七>

●われわれはあと数歩で目標に到達せんとしている
 今日、われわれはあと数歩で目標に到達せんとしていると言ってよい。横切るべき
空間はあとわずかを残すのみであり、われわれが歩んできた長い道のりは、今まさに
象徴の蛇の輪を閉じようとしている。その蛇は、わが民を象徴している。この輪が閉
じられるとき、ヨーロッパのすべての国家は強力な万力によって締め上げられるので
ある。<三>

●われわれの合い言葉は力と偽善である
 われわれの合い言葉は・・力と偽善である。……力のみが政治的諸問題を克服する。
暴力は原則でなければならず、新権力の代理人の足もとに王冠を置こうとしない政府
に対しては欺瞞と偽善が鉄則でなければならない。この悪は終局である善に達するた
めの手段にすぎない。それゆえに、われわれは、目的達成のために役立つときは、贈
収賄、詐欺、裏切りをためらってはならない。政治の上では、支配権を握って屈伏さ
せるためならば、躊躇なく他人の財産を奪い取る方法を知っていなければならない。
<一>

●われわれの義務としても暴力と偽善による計画を保持する
 平和的な征服の道を進んでいるわれわれの国家は、盲目的な服従を強いるために恐
怖を維持する必要から、目につかないけれども効果のある死刑宣告をもって戦争の恐
怖にとって代える権利をもっている。仮借ない厳しさだけが、国家の強さを見せつけ
る最大の力である。単に利益を得るためのみならずわれわれの義務としても、また、
勝利のためにも、われわれは暴力と偽善による計画を保持し続けなければならない。
<一>



●報復は厳格な教義である
 報復主義は使われる手段と同じく、有無を言わさず強力である。それは手段そのも
のであるというよりも、われわれが勝利し、すべての政府をわれらの超政府にひざま
づかせる厳格な教義なのである。われわれは容赦なく不服従というものを根絶するこ
とを、十二分に思い知らせる。<一>

●善とか道徳にはこだわらない
 すべての形態の権力が動揺している現在、われわれの権力は、他のいかなる権力に
もまして目に見えないであろう。いかなる狡猾な者もくつがえせない強さに到達する
瞬間まで、われわれの権力は表面には現われないからである。われわれが目下用いざ
るをえない一時的な悪から、確固たる支配という善が顕現する。この善は、自由思想
によって形無しにされた国民生活の仕組を平常の状態に修復するだろう。結果は手段
を正当化する。しかしながら、われわれの計画においては、必要と有効なこと以上に
は、善とか道徳とかにはこだわらないことに留意しようではないか。<一>

●道徳で統治する支配者は練達の政治家ではない
 政治は、道徳とは全く関係がない。道徳で統治する支配者は練達の政治家ではない
から、彼の王座は動揺する。支配したいと思う者は・・われわれが所有する新聞に感
謝する・・気付かれぬように欺瞞と偽善との双方を用いなければならない。率直とか
正直とかのような、偉大な国民資質と称されるものは、政治にとっては悪徳である。
それらは支配者を王座から転がり落とすのに効果あるもの、最も強力な敵よりも確実
な破壊力をもつものなのである。そのような資質は、ゴイムの王国の属性でなければ
ならないが、われわれは決してかれらの轍を踏んではならない。<一>

●盲人が盲人を導けば奈落に落ちこむ
 満足すべき行動を練りあげるためには、群集の狡猾さ、だらしなさ、情緒不安定、
かれらの理解力の欠如を考慮に入れ、かれら自身の生活状況、あるいはかれら自身の
福利を顧慮する必要がある。群集の力は、盲目的であり、愚かしく、何かからの暗示
にかけられるがままに動き、道理をわきまえないということを理解しなければならな
い。盲人が盲人を導けば奈落に落ちこむのは必然である。群集の何人かが天才的な賢
者であったとしても成上がり者であり、政治を理解することはできず、指導者として
前を進めば全国民を滅亡の淵に落としこむのは必然である。<一>

●群集の解決というものは偶然の結果か表向きの多数決によるものである
 群衆の解決というのはどれも偶然の結果か、表向きの多数決によるものであり、政
治の裏を知らずに管理の中にアナーキーの種子を蒔くという奇妙な解決を出航させる。
<一>

●人民の政治は自滅するのが関の山である
 人民が人民に任せれば、すなわち人民の中から出た成上り者に任せれば、権力と名
誉を追うあまり党派間の軋轢とそこから生ずる無秩序状態に自滅するのが関の山であ
る。人民群集がおだやかに、つまらぬ嫉妬を交えた非難を言いたてずに、個々人の関
心をごちゃまぜにしている国の諸問題を処理することが可能だろうか? 外敵に対し
て自分自身を守ることが可能だろうか? それは考えられない。群集の頭数と同じだ
けバラバラになった計画が、一切の同質性を失って理解を絶し、実行不能となるから
である。<一>

●政治の奥義を授けられた者でなければ政治はできない
 群集が盲目であること、支配を頼むためにその中から選挙された成り上がり者は、
政治に関しては群集と全く同じく盲人であること、政治の奥義を授けられたる者は多
少愚かであっても統治ができるが、反面、大天才であったとしても奥義を授けられな
い者は政治に関しては無知蒙昧であることを、決して考えようとはしなかった・・こ
れらのことを、ゴイムは一切顧みなかった。<一>

●絶対的な独裁なしには文明の存在はありえない
 全体を適切に国家のいくつかの部分に割り当てるといったふうに、大規模かつ明確
な諸計画を念入りに練れるのは独裁支配者だけである。このことから、どんな国でも
申し分ない統治形態は、一人の責任ある人間の手に全機能を集中したものであるとい
う明白な結論が得られる。絶対的な独裁なしには、その人が誰であろうとも、群集に
よってではなくかれらを指導することによって遂行される文明の存在はありえない。

●政治上で成功を収める根本原則は企図を秘匿するにある
 政治上で成功を収める根本原則は、企図を秘匿するにある。外交官は言行一致して
はならないのである。<七>

●系図上の貴族に代えるに金力の貴族を樹立した
 唯一、人民と国とを守るこの階級[貴族]は、われわれに敵対したのである。ゴイ
ムの血統的な、系図上の貴族階級を滅亡させた所に、われわれは、金力の貴族が主導
する、われらの教育を受けた階級を貴族として樹立した。われわれはこの貴族政治の
特徴を、われわれ自身のものである富と、われらが学識ある長老たちが備蓄した知識
とによって確立した。<一>

●ゴイムの王と群集の間には防波堤が設けてある
 われわれにはゴイムの王たちのうちの「利口な」勢力がゴイム群集の「盲目的な」
力と連合しはしないかという懸念があったが、そのような可能性に対する打つべき手
はすべて打った。両者の間でお互いに恐怖の念を抱かせるという防波堤を設けたので
ある。このようにしておけば、人民の盲目勢力は相変らずわれわれを支持し続け、わ
れわれのみがかれらに指導者を与え、もちろん、かれらをわれらが目指す目標へと引
っ張って行くのである。<九>

●われわれの誘導によって人民は貴族階級を全滅させた
 われわれの誘導によって人民は、貴族階級を全滅させてしまった。人民の福利と密
接に結びついた貴族自身の利益のために、貴族階級は人民の唯一の保護者であり養い
親であった。現今では、貴族階級の滅亡によって、人民は労働者の首に残酷無慈悲な
くびきをつないだ守銭奴の手中に落ちた。<三>

●ばらばらに分れた党派はわれらの掌中に飛び込んでいる
 人民は社会主義の問題を国際的協調という手段で解決する必要を感じて遠吠えを挙
げている。ばらばらに分れた党派はわれらの掌中に飛び込んでいる。というのは、分
立抗争すれば金が要るが、金はすべてのわれらの手中にあるからである。<九>

●新聞はわれらの手中に落ちた
 今日の国家は、人民の世論を創り出す強力な力をその手に持っている。すなわち、
新聞である。新聞が果たす役割は、必要欠くべからざると考えられることを指摘し、
人民の愚痴にはけ口を与え、不平不満を表明し作り出すことにある。言論の自由の勝
利が具体的になるのは新聞においてである。だが、ゴイムの国家は、いかにこの力を
効果的に使うかについては知っていたためしがなく、新聞はわれらが手中に落ちた。
新聞を通じて、われわれはその背後にあって、影響力を行使した。<二>

●新聞は「強国」である。
 ゴイムの政府は、すでに完成の域に達しつつある、われわれが練り上げた大規模な
計画に沿うように行動させなければならない。何によってかといえば、いわゆる「強
国」と称する手段を使い、ひそかにわれわれが吹き込んだ世論というものによってで
ある。「強国」・・それは新聞である。その中には、ごくわずか例外はあるが、すで
に完全にわれらの手中にある。<七>

●新聞界メーソンの結束は固い
 フランス新聞界のみではあるが、今日でもすでにメーソンの連帯行動を物語る形態
があり標語ももっている。すべての新聞機関は、結束して職業上の秘密を守っている。
古代の卜占官さながらに、その成員は、過去に解決ずみの問題でない限り、情報源を
漏らしたりはしない。ジャーナリストならただの一人もこの秘密を暴露するような愚
挙を犯しはしない。というのは、どの一人をとってみても、かねて過去に不行跡な事
などをしない限りは、文筆仲間に入れて貰えないからである……秘密を漏らしたりし
ようものなら、直ちに過去の不行跡が暴露されるというものである。秘密が少数の間
でだけ知られている限りは、ジャーナリストの権威は大多数の人々に行きわたり・・
群集は熱狂的に彼に従う。<十二>


●群集の意見を先導するにはわれわれの仕組の働きを良くするだけで事足りる
 群集の意見を先導するには、われわれの仕組の働きを良くするだけで事足りるので
あり、われわれがかれらに賛同を求めるのは、あれこれの問題についてのわれわれの
行動ではなく言説であることに気付かれるであろう。われわれは常に、希望に導かれ
確信に基いてすべての事業にあたり、公共の福利に奉仕しているのであると公言して
いる。<十三>

●法律を文字に拘泥せずに解釈する
 現行の法律については、内容的には変えることなく、単にねじ曲げて反対の解釈を
することによって、結果としては大層な成果を挙げてきた。その成果は、第一に解釈
が法律を覆い隠すという事実に、次いで立法の錯綜した糸から何かを引き出すのは不
可能なために、政府の目から法が完全に姿を隠すという点に明かに見てとれる。法律
を文字に拘泥せずに解釈するという学説は、ここに起源がある。<九>

●こんぐらがった法律用語を駆使して事態を正当化しなければならない
 われわれは、常軌を逸していると思われるほど大胆かつ不正な裁定を下さなければ
ならない場合のために、言葉の微妙な綾を探し出し、こんぐらがった法律用語を駆使
して事態を正当化しなけれはならない。そして、この裁定が最も高潔で道徳にかなっ
たことを法律用語で言っているのだと思わせるように、はっきり述べることが肝要で
ある。<八>

●重要な問題は明確に言い切ってはならない
 権力の分立、言論の自由、新聞、宗教(信仰)、法の前の平等な結社の自由、財産
の不可侵性、居住、徴税(脱税の考え方)、法の遡及力……これらの問題はすべて、
直接手を出したり人民の前であからさまにすべきではないような事どもである。どう
しても直接触れなければならない際には、明確に言い切ってはならない。現在の法に
ついてのわれわれの原則的な考えを微に入り細に穿って語ることなく、単にさらりと
言ってのけるだけに留めなくてはならない。……原理を明かさなければ、われわれは
行動の自由を確保しておいて、かれらの注意を惹くことなくあれこれとそらせるが、
一部でも明言してしまうと、たった一言だけで何もかも与えてしまったことになるか
らである。<十>

●労働者を資本の権利に従わせるのは飢えである
 われわれの権力は、労働者の慢性食料不足と肉体的虚弱を必要とする。まさにそう
しておいてこそ、彼はわれわれの意のままに従うようになり、われわれに敵対する強
さも意志もなくなり、自分たちの権威を見つけ出そうとはしなくなる。王たちが正当
に貴族に与えた権力よりも、さらに確実に労働者を資本の権利に従わせるのが飢えで
ある。<三>

●憎悪は経済危機の火で倍加される
 憎悪は、経済危機≠フ効果で数倍もの火の手を挙げるだろう。経済危機たるや為
替取引を中止させ、工業を停止させるだろう。われわれは、自分たちが熟知している
隠密な方法を総動員し、すべてわれわれの手中にある金力の助けを借りて、大規模な
経済危機を作り出し、それによって全ヨーロッパ諸国の労働者群集をいっせいにまと
めて路上に放り出すだろう。これらの群集は、ただ単に無知であるがゆえに、揺籃時
代から羨み妬んでいた連中を喜んで血祭りにあげ、連中の財産を略奪できるだろう。
かれらはわれわれのもの≠ノは手をつけない。なぜなら、襲撃の時機を知っている
のはわれわれであり、われわれは財産を守る手が打てるからである。<四>

●投機を産業の基礎にしなければならない
 ゴイム社会をきっぱりと崩壊滅亡せんがためには、投機を産業の基礎にしなければ
ならない。その結果、産業が国土から引き出したものは、いくつかの手を通り抜けて
投機に手渡される、すなわち、われらが階級に転り込むであろう。<四>

●戦争は経済に基礎を置くように仕向けるべきである
 われわれの目的には戦争は欠くべからざるものである。が、できる限り、戦争が領
土的な利益をもたらさないように仕向けるべきである。そうすれば、戦争は経済に基
盤を置くようになり、各国はわれわれの支配の強力さを思い知らされるであろう。ま
た、当事国は双方ともわれわれが国境を越えて放った代理人団の思うがままに操られ
るだろう。<二>

●金本位制を採用した国々は危殆に瀕している
 御存知のように、金本位制を採用した国々は危殆に瀕している。われわれが流通し
ている金を出来る限り引き上げるものだから、通貨の必要を満たすことが出来なくな
っている。<二十>

●われわれが計画したゴイムの財政制度と原理の改革案は国庫を空にさせる
 われわれが計画したゴイムの財政制度と原理の改革案は、誰も肝を潰さないように
衣をかぶせてある……ゴイ政府の無頓着なやり方のお蔭で、国庫はついに空になる。
ここで国債時代が始まるのだが、国債は国庫以外のものまで呑み込み、かくてゴイ国
家全部がご破産となるのである。先刻御承知であろうが、かくのごき財政管理法は、
われわれがゴイムに授けた方法であって、われわれがこれを実行することはできない。
<二十>

●国債は支配者の頭の上にぶら下っているダモクレスの剣である
 国債はどんな種類であろうとも、国家が脆弱であり国家機能を理解することすら欠
如している証拠である。国債は支配者の頭の上にぶら下っているダモクレスの剣のよ
うなもので、支配者は国民から税金を取る代わりに、われわれの銀行家に掌をさしの
ばして憐れみを乞うようになる。外債は国家の体に取りついている蛭であって、蛭の
方で自然に落ちるか、国家が叩き潰しでもしない限り取れるものではない。だが、ゴ
イの国家はこの蛭を払い落とさない。行き着く先は減亡というところまで、ますます
取りつかせ太らせ、最後は失血して自ら死を招くのである。<二十>

●かれらの人民は驚くべきほど勤勉なのに途方もない財政的混乱に陥った原因
 ゴイの支配者たちは、かつてわれわれが助言したとおりに、国務を怠って各国代表
たちとの宴会や儀礼、歓楽にふけっていた。かれらはわれわれの支配が目に見えない
ようにする衝立に過ぎなかった。王たちに代って寵臣たちが書いた回顧録なるものは、
実はわれわれの代理人が書いたのであるが、そこには決まって将来の経済と繁栄が約
束されていたので、皮相的にしか物を考えない人間たちを満足させた……が、何の経
済のことか? どんな新税を?・・われわれの回顧録や計画を読めばそういう問が出
てくるはずなのに、誰一人として質問しなかった。かれらの人民は驚くべきほど勤勉
なのに、かれらが途方もない財政的混乱に陥った原因が、そのうかつさにあったこと
は、諸兄はよく御承知のことと思う。<二十>

●ゴイム政府が必要とする金は人民から取り立てた方がはるかに簡単であったのに!
 ゴイムの頭というのは、思考力の発達していないことにかけては、全く野獣並みで
あることが明々白々ではないか! かれらは、われわれから利子付きの金を借りてい
る[外債]。その元利を返そうと思えば、国庫から取り出す以外に手はなく、結局ま
たわれわれから借りなければならず、どうあってもわれわれの懐に戻るということを
考えても見ようとしないのである。かれらが必要とする金は、人民から取り立てた方
がはるかに簡単であったのに!<二十>

●リベラリズムを注入すれば国家は敗血症に犯される
 もしも国家機構の一部を損傷すれば、国家は病気にかかり、死ぬことになることは
人体と同様である。われわれが国家機関にリベラリズムの毒を注ぎ込んだら、その政
治複合体全体がある変化を起こし、国家が不治の病い・・敗血症・・に犯され、あと
は悶絶死という終焉を待つばかりである。<十>

●憲法は国家の機能を破壊する学校以外の何ものでもない
 リベラリズムは立憲国家を作った。それはゴイムにとっては唯一の安全装置である
専制国家に代るものであった。よく御存知のように、憲法は混乱、誤解、争論、見解
の相違、各党派の実りなき煽動等の一切合切の学校・・一言にして言えば、これら何
もかもが国家の機能を破壊する学校以外の何ものでもない。<十>

●人民の代表は取り替えてよいものだとは任命権をわれわれに預けたことになる
 自由という言葉の抽象性のゆえに、われわれはすべての国の群集に、かれらの政府
は国の所有者である人民のための豚小屋の番人に過ぎないのだ、番人は破れた手袋の
ように取り替えていいものなのだと説きつけることができた。人民の代表は取り替え
られるものなのだ、ということは、われわれが自由に利用できるということであり、
言うなれば、任命権をわれわれに預けたことになるのである。<一>

●行政官たちはわれわれの手の内にある将棋の歩(ふ)である
 われわれが公衆の中から選んだ行政官たちは、奴隷のように従順な資質であるかど
うかを厳しく監視され、支配技術に長けた人物にはさせないだろう。それゆえに、か
れらが、全世界の諸問題を律すべく幼年期より養育された助言者・専門家である学識
者と天才の手の内にある将棋の歩(ふ)となるのは容易である。<二>

●政府の要職には国民との間に溝がある人間を座らせる
 しばしの間、もはや政府の要職にユダヤ人兄弟を据えても危険はないという時期ま
で、その椅子には別の人間を座らせよう。とかく過去や世評に何かとあり、国民との
間に溝がある人間を、である。その人間がわれわれの意に従わない場合には処刑し放
逐しなければならない・・かれらが最後の息を引き取るまで、われわれの利益を守ら
せるために。<八>

●大統領はゴイ人民の地下に仕掛けられた地雷である
「おしゃべり屋」連中の手助けをする護民官は、ほかならぬ新聞である。新聞屋は支
配者に怠慢無能の烙印を押し、よって無益無用であると断罪した。実にこのために多
くの国々で支配者が退位させられたのである。その時であった、共和国時代到来の可
能性が見えたのは。その時であった、われわれが支配者に代えて政府の似顔絵・・群
集、すなわちわれらが奴隷、われらの人形たちの中から拾い上げた大統領・・を置き
換えたのは。これはゴイ人民の地下に仕掛けられた地雷であった。敢えて申し上げる
が、ゴイ人民の地下に、である。<十>

●大統領には過去に古傷のある候補者を選ぶ
 われわれの計画が然るべき成果を挙げるためには、パナマ汚職事件その他のような、
過去に隠れた古傷を持っている候補を選んで選挙に臨む・・すると、そういう連中は
旧悪を暴露される怖さと権力を得た者の常で、すなわち、大統領の地位に付きものの
特権と名譽を失うまいとして、われわれの計画達成の当てにしてよい代理人となるの
である。<十>

●大統領はわれわれが選んで与える
[フランス議会の]下院は、大統領を選出し、援護し、保護するであろうが、われわ
れは新法案を提案したり既成法案を修正したりする権限を奪ってしまう。というのは、
この権限は責任ある大統領、われらの手中にある傀儡に、われわれが与えるのである。
そうすれば事の成行きとして、大統領の権威は四方八方から攻撃の的となる。だが、
われわれは自己防衛の手段として、人民に呼びかける権限、代議員たちの頭越しに直
接人民に呼びかけて決定させる、すなわち、大統領といえども一員である盲目の奴隷
・・群集の大多数・・に呼びかける権限を彼に確保してやる。<十>

●大統領の責任を回避させる手を打つ
 われわれの計画がまだ熟成していなくて、実際には非合法の状態でこれら一連のこ
とを全部実行して、なおかつわれわれが立てた大統領に全責任を負わせないためには、
大統領周辺の大臣や高官を教唆して、かれらが自分たちの裁量でやったことであり、
かれらを身代りにして責任を取らせることで、大統領の責任を回避させる……この件
に関しては、われわれは特別に上院、最高行政裁判所、閣僚会議に役割を与えるが、
一個人には勧めない。<十>

●大統領には憲法を逸脱した新しい法案を提案する権限をもたせる
 大統領は、幾通りにも解釈できる法律の意味を、われわれの意図する通りに解釈す
るであろう。大統領はさらに進んで、われわれが廃止の必要を指示すれば、法律を廃
止することもやるだろう。その他に、大統領は臨時法を、また、国利国益のためには
これが必要だと言いつくろって、憲法の枠から逸脱した新しい法案すら提案する権限
を持つだろう。<十>


●政治犯罪者が主義に殉ずるものとして尊ばれることをなくす
 政治犯罪者が主義に殉ずるものとして尊ばれることをなくすためには、裁判の際に、
かれらを強盗、殺人犯、その他言語同断破廉恥極まる犯罪者と同じく扱うのである。
そうすると世間は、政治犯をその種の犯罪と同種の不道徳な犯罪と見做し、軽蔑の眼
差しで見下げるようになる。ゴイムが反政府活動を圧殺するのに同じ手段を用いない
よう、われわれは極力努力してきたし、今後もその努力は継続したいと思う。新聞や
演説講演・・間接的には巧みに編集した歴史教科書・・を通じて、われわれは反政府
屋を公共の福利のために殉じた殉難者として宣伝してきたのは、以上の理由からであ
る。この宣伝がふくれ上って、リベラルたちが増加し、何千というゴイムをわれわれ
の家畜群に引き込んだのである。<十九>

●人間を加工するものは教育と訓練である
 破壊すべき時期でない時にゴイムの諸制度を破壊しないようにするため、われわれ
は巧妙にそっと手をかけた。そして、かれらの機械を動かしているバネの端をつまん
だ。これらのバネは精妙にしかも秩序正しく動いていた。われわれはそのバネを混沌
放従のリベラリズムに代えた。われわれは法律の運営、選挙の管理、新聞、個人の自
由を、原理的にはどうにでも加工できる生存物[人間]の土台である教育と訓練とい
うバネを操った。<九>

●政治活動はゴイ政府と一戦交えさせるためにわれわれが施した訓練であった
 厄介になるかも知れない連中に政事の諸問題に首を突っ込ませないようにするのに、
われわれは政事に代わるものを熱心に勧めている。すなわち商工業の問題である。こ
の分野でなら、どれほど騒いでもよろしい! 政事に代わって何か没頭できるものが
あれば、群集は政治活動の類いから手を放して一服することに異存はない(政治活動
は、ゴイ政府と一戦交えさせるために、われわれがかれらに施した訓練であった)。
商工業問題においては、われわれは政治そっくりの事をやっているかのように思うよ
うに処方してある。<十三>

●さらに政治から遠ざけるために娯楽、芸術、スボーツをあてがう
 かれらがかかずらわっていることを解き当てさせないように、われわれは娯楽、競
技、ゲーム、色事、遊び場をあてがって、更に政事から遠ざける……そのうち、われ
われは新聞を使って芸術、スポーツなどありとあらゆる種類の競争を始める。こうい
うことに関心が向けられれば、われわれがかれらと争わなければならない問題から、
かれらを完全に遠ざけるだろう。ますますかれら自身の意見を反映したり形にしたり
することが難しくなるに従って、人民はわれわれと同じ口調で語るようになる。なぜ
ならば、われわれだけがかれらの考え方に新しい方向付けを示しているからである…
…もちろん、われわれとは表面的には無関係の人々を通じてであるが。<十三>

●われわれの政府はすでに超法規的な状態で存在している
 われわれの行動範囲には限界を遮るものがない。われらの超政府はすでに強力絶大
な言葉で現わされている超法規的な状態で存続している・・すなわち独裁である。
<九>

●武装蜂起にはこういう手段に出る
 諸兄の中には、来たるべき時が来ないうちに、もしもゴイムが真相を嗅ぎつけたら、
かれらは武器を手にして蜂起すると言われる方もおられるようが、それに備えるに西
欧においては、最も太い肝玉の持ち主をも戦慄させる恐怖作戦をもって対抗する・・
すなわち、決定的な瞬間が来る前にすべての首都に地下鉄道、大都市の地下通路が設
けられ、事到ればそれらの首都を建物や書類もろとも空中に吹き飛ばすのである。
<九>

●反抗する国がある場合は世界戦争という手段に訴える
 われわれに反抗する国がある場合は、その隣の国から戦争を仕掛けさせ、反逆行動
をことごとく叩き潰す位置にいなければならない。しかし、その隣国も束になって反
抗するならば、その折にはわれわれは世界戦争という手段に訴えて対抗しなければな
らない。<七>


●われらの手中にある武器は、貧欲、復讐、憎悪と果てしなき野望である
 しかるべき時に、われわれは法律を作り、裁判と宣告を行う。われわれは生殺与奪
を実行する。われわれは全軍の先頭にあって、指導者の軍馬にまたがる。われわれは
意志の力で支配する。なぜならば、かつて権力を握っていた党派の残党も、今やわれ
われに屈伏しわれわれの掌中にあるのである。われらの手中にある武器は、貧欲、容
赦なき復讐、憎悪と敵意に燃える、果てしなき野望である。<九>


     幹部団とメーソン員

●メーソン員はわれわれの前に立てられた屏風である
 あれこれの秘密組織の手による専制、その活動は幕の蔭であらゆる代理人の背後で
働くだけに、手きびしいことでも平気でやる。それら代理人たちは交代するので、不
当に襲われないばかりか、秘密の勢力を効果的に助けている。しばしば交代するおか
げで、長期活動の報酬が節減できるのである。見えない勢力というものを転覆する位
置にあるのはいったい誰か? ここにこそわれわれの特徴がある。非ユダヤ人を入れ
てあるメーソン員は、われわれとわれわれの目標の前に立てられた屏風として隠密裡
に活動するが、わが勢力の活動計画は、その所在すら人民には全く謎に包まれたまま
にされる。

●われわれの幹部団は特別な人士で構成される
 われわれの幹部団は、周囲に全分野の知的人士を従え、その中心にあって仕事をす
るようにしなければならない。幹部団は、政界人、老練な法曹人、行政官、外交官、
そして決定的に重要なことは、われわれの特別な教育機関で特別教育を受けた人士で
構成されるだろう。これらの人士は、社会構造のすべての機微を知っていて、政治の
初歩から要諦までのすべての用語に通じている。これらの人士は、人間の裏側すべて
に通じ、かれらが操作しなければならない人間機微の体系を熟知している……言うま
でもないことであるが、われわれの陣営の補佐役をゴイムから選んではならない。か
れらは何が目的かを考える苦労をせず、何が必要なことであるかを決して熟考せずに
事を運ぶことに慣らされている。ゴイムの役人たちは、書類に目を通さずに署名をし
ている。報酬目当てか野望のためかで仕事をしているのである。<八>

●ユダヤ人教育の主たる内容は経済学である
 われわれは全世界の経済人にわれらの政府を取り巻かせるであろう。ユダヤ人教育
の主たる内容が経済学であるのは、この目的のためである。さらに、われわれの周囲
には、銀行家、産業人、資本家・・大切なことは・・百万長者といった人たちのきら
びやかな群がいる。実際のところ、万事は金で解決がつくからである。<八>

●秘密結社に喜んで入ってくるのは一般人の中では軽薄に属する人間が多い
 秘密結社に喜んで入ってくるのは、世渡りがうまく出世第一主義で、一般人の中で
は軽薄に属する人物が多いので、かれらを御してわれわれが仕組んだことを片付けさ
せるのは、さして苦労のいることではない。<十五>

●王国実現まではフリーメーソン支部を世界各国に増設する
 われわれの王国を実現するまでの期間は……フリーメーソン支部を世界各国にどし
どし増設し、そこへ名士になりそうな人物、現に名士である人物を引き入れる。それ
というのも、それら支部は重要な情報集積所であり、情報を流す出口でもあるからで
ある。メーソンの全支部は、われわれだけが承知していて他には絶対に誰も知らない
中央管理機構の下に置く。その機構を構成するのは、われらの学織ある長老たちであ
る。支部には代表者がいるが、かれらは上記のメーソンの真の管理機構を覆い隠すた
めに置かれるものであり、標語や計画は蔭の管理機構から発せられるのである。<十
五>

●われらの王国樹立の際には現存秘密結社はすべて解散させる
 このためには、われわれの王国到来に反対しいやしくも武器を執る(手にする)者
は一人たりとも容赦なく殺戮する。秘密結社に類するあらゆる種類の新団体結成もま
た、死をもって処する。われわれが認めている現存秘密結社は、役立つものも役立っ
たことのあるものも、一率に解散させ、欧州から遥か離れた地方へ追放する。あまり
にも事情をよく知り過ぎたゴイのメーソン員にも同断の処置を執る。なんらかの理由
でこの処置を執らなかった者に対しても、追放の恐怖で脅迫しておく。われわれの支
配の中心地である欧州からは、秘密結社員全員を追放に処する法律を作成し公布する。
この決定は変更できず、これに対する控訴は許さない。<十五>

●われらの兄弟たちには反対行動をとった結社員を告発する義務がある
 今日でもわれらの兄弟たちは、自分の責任において、自分の家族の背教者や結社に
反対する行動をとった結社員を告発する義務をもっているが、それと同じことを全世
界を支配するわれらの王国においても、わが臣民全員に国家に対する奉仕として義務
づけるのである。このような組織こそが、権威権力の乱用や贈収賄や、われわれの機
密計画を使い、人間についての超人類的な理論を駆使し、われわれがゴイムに植え付
けた悪習のすべてを根絶させるであろう。<十七>

●われわれは本人も分らないようにメーソン員を処刑する
 何びとも避けられない終局は死である。どうせ避けられないものならば、新秩序の
建設者であるわれわれよりも、建設の邪魔をする人間に早く回してやった方がよろし
い。われわれは、同胞のほかには誰も気付かないように、本人自身でさえも死刑宣告
されたことが判らないように巧みにメーソンを処刑する。必要とあれば全員あたかも
自然死のごとく息を引き取るのである。……われわれはゴイムにはリベラリズムを説
くけれども、同時に一方では、わが民やわれらの代理人たちにはひたすら恭順に服さ
せる。<十五>

●世界同時クーデターの暁には……
 世界各地に同時にクーデターを勃発させ遂に決定的にわれらが王国に突入し、現存
する政府という政府が誰の目にも没落したことが明らかになった時(これが実際に起
こるには少からぬ時間、恐らくまるまる一世紀はかかるだろう)、われわれに対する
陰謀の類いは絶対に存在を許さないように監視する仕事がある。<十五>

●「反ユダヤ主義」は下層ユダヤ人を監視するには必要である
 実際にはわれわれは、われわれ自身以外のものは、あらゆる種類の支配を一掃した
けれども、法律上はまだ数多くのものが残っている。今日では、どこかの国がわれら
に対して反抗を示したとしても、われわれの裁量下、われわれの指導下にあって形式
的に反抗してあるに過ぎない。一例として反ユダヤ主義は、われわれが下層の兄弟た
ち[ユダヤ人]を監視するには必要欠くべからざるものだからである。<九>

     ユダヤ王とその王国

●われわれは世界のすべてを支配すべく神自身に選ばれたのである
 預言者たちによれば、われわれは世界のすべてを支配すべく神自身に選ばれたので
ある。神はわれわれがこの使命を遂行できるように、われわれに天与の才を授けられ
た。仮に反対陣営に天与の才が授けられたとしたら、われわれに闘いを挑んでいたで
あろうが、駆出し者というものはしょせん古くから定着している者には太刀打ちでき
ない。……さよう! かれらの天才は現われるのが遅過ぎたのである。<五>

●自然はわれわれが世界を導き支配するように創造した
 ゴイムとわれわれの間の能力の差違こそが、ゴイムの空っぽ頭と対比して、われわ
れが神の選民として、また、高い人間性をもつ運命が定められているゆえんが明白に
証明される。ゴイムの目は開いていても何も見ていないし、何も創造しない(恐らく
物質的なもの以外は)。このことをもってしても、自然はわれわれが世界を導き支配
するように創造したことが明白である。<十五>

●富があればこそ万物に秩序をもたらす
 われわれの手中には、現代最も威力を発揮するもの・・金≠ェある。われわれは
二日間あれば必要な量の金をわれわれの貯蔵庫から集めることができる。この事以上
に、われわれの支配は神の思召しであることを証明する必要があるだろうか。かよう
な富があればこそ、何世紀にもわたってわれわれが重ねなければならなかった悪がす
べて、真実の福利を最終の最終にもたらす・・万物に秩序をもたらす・・ために役立
つことが疑いもなく明らかであるだろう。<二十二>

●われわれはクーデターでこう語る
 われわれのクーデターが成功した暁には、われわれはさまざまの階層の人々にこう
言うだろう。「何もかもが恐しく悪くなり、すべてが我慢できない状態に陥ったが、
われわれは諸君がこうむっている苦痛の原因・・民族心、国境、身分の違い・・を根
絶しつつある。もちろん、諸君がわれわれを断罪するのは自由である。だが、われわ
れが提供するものに挑戦もしないうちに断罪するとしたら、それはちょっと大胆過ぎ
るというものではないか」……すると群集はわれわれを讃え、希望と期待にふくれ上
がり全員こぞって手を差しのべ、われわれを激励し、われわれを讃える。<十>

●われわれはすべての保護者として超政府の重要性を強調しなければならない
 あらゆる手だてをつくして、われわれに進んで従う者すべての保護者、恩人を代表
するものとして、われらが超政府の重要性を強調しなければならない。<六>

●われわれは強力に集中化した政府を樹立する
 いたる所で腐敗が広まっている社会、富者だけが詐欺同然の悪賢い奇策に富んだ社
会、たるみ切った社会、道徳が進んで守られるのではなく懲罰厳罰によって維持され
る社会、信仰心や愛国心が無国境主義的信念に一掃された社会に、どんな種類の統制
支配なら適用できるか? あとで述べるような専制支配以外に、どんな支配形態なら
このような社会にあてはめられるか? われわれは社会の全勢力をこの手に掌握せん
がため強力に集中化した政府を樹立しようと思う。<五>

●われわれの専制は一分の隙もない独裁である
 われわれの専制は一分の隙もない独裁である。それがいかに、炯眼厳格な方法によ
ってあらゆる不満を鎮圧し、すべての制度慣習のリベラリズムを麻痺させるかを知る
だろう。

●わが王国の特徴は専制ということの強力さを遺憾なく発揮する
 われわれは新たな法律によって、国民の政治生活すべてを手加減することなく律し
ようと思う。それらの法律は、ゴイムが許してきた寛大とか特典とかを一つづつ全部
取り潰すだろう。いかなる時にもいかなる場所でも、行動や言葉でわれらに盾突くゴ
イムを一人残らず一掃する立場で臨み、専制ということの強力さを遺憾なく発揮する
のが、わが王国の特徴である。<五>

●われわれの憲法発布の翌日からは永久に抹消されねばならないことがある
 新憲法発布の翌日からは、新聞報道の自由、結社の権利、信教の自由、その他あま
たの事柄は、人間の記憶からは永久に抹消されなければならないか、急激な変更が加
えられなければならない。<十一>

●いかなる場合でもわれわれは人民と権力を分け合うことはありえない
 憲法発布のその瞬間、世界の人民は革命が成し遂げた厳然たる事実に呆然とし、ま
だ恐怖心と半信半疑の気持に捕われている時から、われわれがすこぶる強力、難攻不
落、かつ、十二分過ぎるくらい力に溢れていて、いかなる場合であっても、かれらに
一顧も与えず、かれらの意見や意志には一瞥も加えず、いかなるささやかな反抗の表
明も示威も、時と所を問わず、一つ残らず粉砕する用意があり可能であり、われわれ
は取るべきものはすべて取り、いかなる事情にせよ、われわれはかれらと権力を分け
合うことはありえない……そうすれば、かれらは恐怖に身震いして何事にも目を閉じ、
事の成行きを最後まで見守るほかはないであろう。ゴイムは羊の群であり、われわれ
は狼である。狼が羊の群に入ったらどういうことが起こるか、御存知であろう。<十
一>

●われらの強さは離散より生れ来った
 神は与え給うた。われら神の選民に、離散という贈り物をして下さった。それは万
人の目からはわれらの弱さと映るが、われらの強さは離散より生れ来たったのである。
それが今や全世界支配という戸口に到達している。今やわれわれが据えた基礎の上に
築くべきことは、余すこと僅かとなっている。<十一>

●人民はわれらの独裁者に向ってこう叫ぶだろう
 憲法廃止以前にわれらの独裁者が認められるかも知れぬが、その秋が来ればそれま
での支配者たちの無能無策に・・われわれが仕組んだことであるのだが・・業を煮や
した人民たちは、大声で叫ぶだろう。「奴らを追放しろ、世界を治めるのは一人でい
い。おれたちをまとめて争いの種をなくしてくれ・・国境、民族、宗教、国債、そん
なものは御免だ・・平和と秩序をくれ、今までの支配者や議員が決してくれなかった
平和と秩序を!」<十>

●悪の予防接種を施せばゴイムはわれわれの支配下に入る
 だが、諸氏は完璧に理解されていると思う、すべての国々でこのような叫びを挙げ
させるには、すべての国々で、紛争、憎悪、闘争、羨望、さらに拷問、さらに飢餓に
よって、人間性が疲労困憊の極に達するまで、人民と政府との関係を悪化させること
が絶対不可欠であることを。これら悪の予防接種を施すことによって、また欠乏によ
って、ゴイムは金銭その他すべてのことにわたってわれわれの支配下に入る以外のこ
とは考えなくなる。ただし、もしも世界の国民にホッと一息でも入れさせるならば、
われわれが渇望する時は九分九厘到来しないのである。<十>

●群集を一大盲目力に仕上げる
 群集は、従順に応待すれば見返りがあるわれわれの話を聞くことだけに慣らされる。
このようにして、群集の指導者としてわれわれがかれらの頭に据えてやった代理人の
指導なくしては、どんな方向へも一歩も足が踏み出せないほど総員を一大盲目力に仕
上げるのである。人民は新しい指導者たちが自分たちの生計、報酬、あらゆる種類の
利益になることを握っていることが判るから、この方式に服従する。<十>

●われらの王国ではゴイムには未来の幸福のために苦しみを引き受けさせる
 ゴイの社会には、根深く対立抗争の種を植え込んでおいたので、秩序を回復するに
は権威の力を直接見せつけた容赦ない手段を執るよりほかはない。苦しむ者に一顧だ
に与えてはならない。未来の幸福のために苦しみを引き受けさせるのである。いかな
る犠牲を払ってでも福利を達成することこそ、どんな政府でも自分たちの存続を忠実
に考え、特権維持ではなく職責完遂を顧みるならば、断じて遂行しなければならない
義務である。<十五>

●われわれは犯罪者は何をさておいても逮捕する
 われわれは、犯罪者とあれば根拠が十分であろうと不十分であろうと、まず逮捕す
る。万一間違えるといけないということで、政治的堕落や犯罪を犯した疑わしき者に
逃亡の機会を与えるとは、とんでもないことである。政治犯の場合は、文字通り峻厳
でなければならない。単純犯罪で動機の再審議を許可し、特別扱いをすることが可能
な場合でも、職権を持った者の他には何びとといえども事件に介入する口実は存在し
ない。<十八>

●反政府活動屋は象に対して吠え立てる小犬以外の何ものでもない
 反政府活動屋は象に対してキャンキャン吠え立てる小犬以外の何ものでもない。組
織的に活動している政府にとっては、警察の見地からではなく公共の立場から見ても、
小犬が象に吠え立てるのは、象の強さや力を全く知らないからであると見做す。これ
には両者の力関係を一度だけ見せてやる以外は何もする必要はない。そうすれば小犬
は吠え立てるのを止め、次からは象を見ると尻尾を巻いて逃げ出すであろう。<十九>

●われわれの臣民の三人に一人が他の二人を監視するようにする
 われわれの計画では、われわれの臣民の三人に一人が、国家への無料奉仕義務とし
て他の二人を監視する。かつてのようにスパイは恥ずべきことではなく、評価すべき
ことなのである。しかしながら、根拠のないことを密告した者は厳罰に処し、密告権
の乱用を慎ませる。<十七>

●資本家に富を集中させたのはゴイム政府の力が強くならないようにするため
 貧しい者に課税することは革命の種を蒔くことになって、小を追って大を逃し、国
家の損害となる。そんなこととは全く別に、資本家に課税するのは、個人の富の増加
を防ぐことになる。われわれが昨今資本家の手に富を集中させたのは、ゴイム政府の
力・・国家財政・・が強くならないように、平衡力をつけるためであった。<二十>

●われわれは小さな親方製造業を再編成する
 われわれは小さな親方製造業を再編成して、個人資本の工業家を倒すという狙いを
もっている。大規模の製造業は必ずしも意識的ではないにせよ、政府に反対する考え
方を群集に植えつけるので、この処置は欠かせない。小さな親方たちは罷業を知らず、
既存の秩序にしっかり結び付いている。<二十三>

●現在の課税方式はゴイムの間に不満と反抗を起こさせるためにのみ必要である
 現在の課税方式はゴイムの間に不満と反抗を起こさせるという理由でのみ、われわ
れには必要なのである。われわれの王は、均衡を保つことと安寧を保証することに強
みがある。それがためには、資本家たちは国家機関を正常に動かすために自分の所得
の何分の一かを投げ出すことが絶対に必要なのである。ゆとりのある人々は公共の必
要を賄わなければならない。そういうことが行われると、僻n民は富豪を怨まなくなり、
富める者は国家維持にはなくてはならない財政的支柱であり、国家に必要なものを支
払っているからには、安寧福利の守り役であるということが解ってくるのである。
<二十>

●貨幣の代用に紙幣を使うことが確実に流通を阻害した
 貨幣の代用に紙幣を使うことが、確実に流通を阻害した。この状況が続いてどうい
うことになっているかは、すでに明らかでる。<二十>

●われわれの法律の原則は官憲に対する服従である
 われわれが公然と世界に乗り出し、恩恵を施す折には、われわれの法律はすべて、
いかなるよけいな解釈をする余地もなく、何びとにも完璧に解る、簡潔、明白、確固
としたものであるだろう。そこに貫徹させておくべき原則は、官憲に対する服従であ
り、この原則によって荘重高潔なものとなる。<十五>

●法は逸脱堕落に罰を課し見せしめにするたけに作られる
 裁判官たちは寛容なところを見せたくなるが、それは法の正義を破ることになると
いうことを弁えなければならない。法は逸脱堕落に罰を課して見せしめにするために
作られたのであって、裁判官の徳性を引けびらかすためのものではない……そんなに
徳性を引けらかしたければ私生活でやればいいのであって、人間生活教育の公共の場
を使うべきではない。<十五>

●われわれの絶対主義は万事にわたって論理が貫徹している
 われわれの絶対主義は万事にわたって論理が貫徹しているので、どの判決一つをと
ってみても、われわれの最高意志は尊重され一点の疑念もなく遂行される。あらゆる
種類の不平苦情を無視し、あらゆる種類の示威抗議には制裁を加えて見せしめにする。
われわれは控訴権のような、決定を覆す権利を廃棄する。そういうことはもっぱらわ
れわれの一存・・支配する者の判断に預けられる。われわれが任命した裁判官が誤っ
た判決を下すことがある、というような考えを人民に与えることは断じて許してはな
らない。<十五>

●われわれは全教育課程から政治と法律を排除する
 われわれは全教育課程から政治と同様に法律も排除する。政治法律に関しては、予
め許された者の中からさらに卓越した人物を選び、数十人という少数の人物にのみ教
える。大学はもはや、喜劇や悲劇を書くようなつもりで法案や計画をこね上げたり、
父親たちでさえも理解できなかった政策問題にかかずらわう青二才を世の中に送り出
してはならない。<十六>

●われわれが行う教育の原理は従順である
 われわれはかれら[ゴイム]の教育の中に、完膚なきまでにかれらの秩序を破壊す
る原理を持ち込まなければならなかった。しかしながら、われわれが権力を掌握した
時には、秩序破壊の種になるようなものはことごとく教育課程から駆逐し、青年を権
威に従順な子供にし、平和安寧の希望として統治者を頼みの柱とするように育成する
のである。<十六>

●われわれの歴史研究はゴイム政府が犯した誤ちをことごとく叙述する
 どんな形の歴史研究も皆そうであるが、範を過去に求める古典主義で行くと良い例
よりも悪い例の方が多いのであって、われわれはそれに代えるに未来研究をもってす
る。われわれは、われわれにとって好ましくない過去何世紀かの人類の記憶を一切消
去し、ゴイム政府が犯した誤ちをことごとく叙述する。実際生活、秩序に対する義務、
人民相互間の関係、悪を伝染する利己的な実例、その他教育の本質に関わる類似の問
題の研究、これらが教育計画の最前線に置かれるだろう。その実施にあたっては職業
ごと、あるいは生活状態によって別々にし、教育は決して画一的に行ってはならない。
この処置は、特に重要である。<十六>

●われわれは私学という私学をことごく廃止する
 われわれは私学という私学をことごく廃止する。教育施設の中では、あたかもクラ
ブのように、親たちとの集まりを持つことは許す。休日には、そういう集まりに教師
が参加して、人間関係、見せしめの罰則、神の選民ではない者のいろいろな制約等々
の問題、とどめには、まだ世界で明らかにされていない新たな哲学原理について、課
外講義で読んで聞かせるだろう。その原理は、最終的にわれわれの信仰に従わせるた
めの移行期の教理として、われわれが提起するのである。<十六>

●討議や投票は邪推と誤解の烙印を押すようなものである
 政府の計画というものは、一人の頭脳で万端出来上っているべきである。なぜなら
ば、多数の頭で部分部分をばらばらに作らせると、決して確固不動のものにはならな
い。それゆえ、われわれは行動計画を知っているのは良いが、その巧妙さ、各部分の
緊密な連関性、各要点の隠れた意味を破壊しないようにするには、討議してはならな
い。度重なる投票という手段でこの種の労作を討論し修正を加えることは、邪推と誤
解の烙印を押すことになり諸計画の進行と結びつきを妨げる。われわれは計画が強力
に適切に仕組まれることを欲する。ゆえに、われわれはわれわれの指導の天高フ労作
を、群集やあるいは特別な団体にすら毒牙にかけさせてはならない。<十>


●人民はわれらが王を神と崇めて帰依献身しその専制に従うであろう
 われわれの政府は、支配する側からいえば族長父権的保護という外観を呈するだろ
う。われわれ民族とわれらの国民は、王という人物に、王との関係はもとより、国民
が望むこと、国民がやっていること、国民間のいろいろな関係などの何もかもを気使
う父の姿を見るだろう。安穏無事に生きたいと切に願うならば、国民は完全にこの考
えにとらわれ、この方の保護と指導なしには何もやって行けなくなり、とりわけ、わ
れわれが任命した者たちが私利私欲のためにではなく、ひたすら誠実に命令を実行し
ているだけであることを知ったときには、われらが王を神と崇めて帰依献身し、その
専制に従うであろう。<十五>

●人類を服従に立脚させることは強者の権利である
 義務を実行させる権利は、臣民に対する父たる政府の第一の責務である。人類を天
然が定めた秩序すなわち服従に立脚させることは、強者の権利である。この世の万物
は、人間でないものでも環境か、そのもの自身の本性か、いずれにしてももっと強い
者に服従させられている。であるからこそ、善を実現するためには、われわれはさら
に強い者になろうではないか。<十五>

●悪に懲罰を加えることは一大教育課題である
 われわれは確立した秩序に違反する者は何びとでも、躊躇なく犠牲にせざるをえな
い。見せしめに悪に懲罰を加えることは、一大教育課題である。<十五>

●われらの王国は金融市場をすべて廃止する
 われわれが世界の王座に昇る時は、われわれの利益に反するかかる財政上の窮策を
痕跡も残さず一掃し、併せて金融市場をすべて廃止する。われわれの権威は価格変動
に左右されるべきではないから、価格上昇も下落もできないように、法令をもって価
格というものを固定してしまう。(価格を吊り上げるのは落とすためであり、実にこ
の方法によってわれわれはゴイムとの関係の初期にかれらを弄んだのである)。<二
十一>

●罷業は政府にとっては破滅的な一大問題である
 罷業は政府にとっては破滅的な一大問題である。われわれは時の権力をわれらの手
に移す時に、この手を使う。<二十三>

●われらの王国では酩酊も法律によって禁止する
 酩酊も法律によって禁止し、酒の力で野獣に変わる人間性に対する罪として処罰す
る。<二十三>

●われわれの国家では検閲を財源に変えてしまう
 出版物の刊行は、今日ではそれを検閲するとなると大変金のかかることであるが、
われわれはわれわれの国家にとって得な財源に変えてしまう。新聞等の発行団体や印
刷所に許可を出す前に、特別印紙税と[損害に備えての]保証金を納めさせるのであ
る。これをやっておくと、新聞等のいかなる攻撃からも政府を守ることができる。わ
れわれに対する新聞等の攻撃などがあろうものなら、われわれは仮借なく罰金を科す
る。保証の形をとるこのような印紙税、保証金、罰金といった方法は、政府の大いな
る財源となるであろう。<十二>

●われわれを攻撃するものの中にはわれわれが設立した機関も含まれる
 われわれを攻撃するものの中には、われわれが設立した機関も含まれるということ
である。だが、かれらは、われわれが予め改正しようと決めた部分のみを攻撃するの
である。<十二>

●一片の記事といえどもわれわれの検閲抜きには公表されることはない
 一片の記事といえどもわれわれの検閲抜きには公表されることはない。現在ですら
すでにこのことは達成されていて、すべてのニュースは少数の通信社に世界中から集
められそこから配付されるようになっている。通信社は追って完全にわれわれの傘下
に入り、われわれが許可したものだけが一般に供給されるようになるだろう。

●われらの敵対者をこうして罠にはめる
 文学とジャーナリズムは、最も重要な教育手段のうちの双璧であり、それゆえに、
わが政府は大多数の雑誌の所有主となる。このことは、独立系新聞の有害な影響を緩
和し、公衆の精神に甚大な影響をもたらすだろう……仮に十の新聞に発行許可を与え
たとすると、われわれは三十に及ぶ新聞社を設立する。しかしながら、公衆はそんな
事情はゆめ知らず考えてみようともしない。われわれが発行する新聞はすべて、見た
目には反対の傾向や意見をもち、それゆえにわれわれに対する信頼を集め、われわれ
にとっては全き疑うことなき反対者を呼び寄せる。このようにして、われらの敵対者
は罠にはまり、牙を抜かれるのである。<十二>

●新聞の見せかけの一斉射撃には意味がある
 われわれの機関は、われわれの公式の新聞に対して見せかけの一斉射撃を浴びせる。
われわれに対するこの集中砲火は、ほかの目的、すなわち、言論の自由はまだちゃん
と存在していると納得させ、われらが代理人に、反対者たちはわれわれの指示に対し
て、実のある反対意見をこれっぱかりも示さなかったからには、われわれに反対する
機関はみな空騒ぎしているだけではないかと断言する材料を提供する。公衆の目には
感知されないが絶対確実なこのような組織方法は、公衆の関心と信頼をわが政府に惹
きつけておくのに最高の方法である。<十二>

●新体制下ではどの種類の新聞にも社会腐敗を暴露する記事は載せさせない
 われわれが完全な主権を手中にするまでの過渡期の新体制の時期まで進んだら、も
はやどの種類の新聞にも社会腐敗を暴露する記事は載せさせない。新体制下では万人
が完全に満足しているから犯罪を犯す者はいないと信じさせることが必要である……
犯行の真相解明は、被害者とたまたま目撃した者だけに留めておくべきであって、そ
れ以外には必要ない。<十二>

●われらの王は宴会を一切廃止する
 支配者の代表的な行為に、儀礼のための宴会というのがあるが、これは貴重な時間
を浪費するものであるから、王に統括と熟慮の時間を確保するために、宴会は一切廃
止する。王の力は、きらびやかな王位を取り囲み、自分のことしか考えず国家の問題
なぞ念頭にない取り巻き連中にかしづかれ、取るに足らないことに時間を割かれるべ
きではない。<二十>

●国の資産はことごとく王が所有者である
 われらの王は、法的な形では国の資産はことごとく王が所有者であり(形だけでな
く実際にも容易にそれが適用できる)、国内流通を規制するためにはあらゆる資産の
総額から合法的に徴収することができる……富める者は、税金を払えば残りの金は国
家が財産不可侵権で保障してくれ、なおかつ正直な利益を保護してくれるのだから、
余分な金の一部は国家に御自由にお使い下さいと差し出すのが義務であると考えなく
てはならないのである。私は今、「正直な」と言った。これは財産をしっかり監督す
れば、法律でいう泥棒を駆逐するということを意味している。<二十>

●われわれの支配者は目に見えない護衛だけに守られる
 われわれの支配者は目に見えない護衛だけに守られる。反政府暴動があるやも知れ
ず、王にはそれを抑える力がなく逃げ隠れているという考えは断じて与えてはならな
い。<十八>

●公然と護衛することは強そうに見える王者の弱さをさらすことになる
 公然と護衛することは、強そうに見える王者の政治組織の弱さをさらすことになる。
われわれの王は人民の中に行くときは常に、見た目には全く偶然そこに居合せた物見
高い男女の群集に取り囲まれたかのように見せる。……公然たる護衛警察は王者の神
秘的権威を失わせる。少々大胆さを持ち合わせていれば、誰でも自分は護衛を自由に
操れると思い込み、暗殺者は自分の力に自信を抱き、時至れば官憲に一撃を加える瞬
間をうかがう……ゴイムには、われわれは正反対のことを教えてきたが、目立つ護衛
策がどんな結果をもたらしたかを、事実そのものによってとくと見ることができた。
<十八>

●秩序破壊の跡にイスラエル王が王座に就く
神に選ばれた者≠ヘ、理性ならぬ本能によって、また人間性ならぬ獣性によって動
くばかげた力を粉砕すべく天から下される。この力は今は自由の原理という仮面をつ
けて略奪とあらゆる種類の暴力をはたらき凱歌を挙げているが、この力が秩序破壊の
跡にイスラエル王を王座に据えるのである。だが、かれらの役割は王が王国に入った
その瞬間に終る。王国の路からは、その残骸の一片すらも残さないように一掃される
必要がある。<二十三>