ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の教義的差異と対立考
ユダヤ教 キリスト教 イスラム教

 (最新見直し2,006.7.12日)



 ユダヤ教とキリスト教、イスラム教の違いについて。

 ユダヤ教は、最も重要な聖典として旧約聖書に依拠する。特に、そのうちヘブライ語で「トーラ」と呼ばれるモーセの五書を重視する。これによれば、神(エホバ、ヤハヴェ)はユダヤ人に恩寵と保護を約束した。それに対してユダヤの民は、神を敬いそして十戒(戒律)を守ることを約束した。これが神とユダヤの民との間の契約(Testament)であり、「選良故の選民意識」を結束の絆とする。

 キリスト教は、旧約聖書に加えて新約聖書を創造している。つまり、旧新訳の二つの聖書から成り立っている。新約聖書の特徴は、閉鎖的独善的に陥りやすい「選良故の選民意識」から脱却し、国際主義的な世界観社会観民族観へ規範拡大したところに認められる。

 
「一般には、ユダヤ教は律法や儀式など外面的なことを強調し、他方キリスト教は愛とか信仰などの内面的なことを強調しているように見られている」が、「ユダヤ教の一派には、形式的宗教慣習よりも内面的宗教体験を重視するハシディズムという敬虔主義運動もあり」、事はそう単純には仕分けできない。

 カトリックの神父、プロテスタントの牧師、ギリシャ正教会の司祭、ユダヤ教の律法教師(ラビ)

 西欧史に於ける三角形の三すくみ戦闘図、アジアの盟主を混ぜれば四角形の四すくみ戦闘図となる。





(私論.私見)


 ◆なぜエホバと呼ばれるのか


エホバはもともとYHWHの母音を除いた、4文字をその様に読んだだけですが、YHWHの意味は

出エジプト記 3/14に、神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」

とあるように「ある」がヘブライ語でヤーハーで、YHWHと書かれているものです。しかし、ユダヤ人はモーセの十戒の為に、この言葉をみだりに口にすることが許されず

出エジプト記 20/7
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。

この4文字を読んで、「アドナイ」と口にしていた為に、この4文字の正確な表現が出来なくなり、ヨッロッパの学者がこの4文字を見て、YEHOWHAと母音を入れた為に「エホバ」が一般的な呼び名になった様です。

「私はある」の意味を考えたら「ヤーウェ」か「ヤーヴェ」の方が、ユダヤ人の表現近いかもしれません


◆もともと唯一の神だったのか


申命記 32/8−9
いと高き神が国々に嗣業の土地を分け、人の子らを割りふられたとき、神の子らの数に従い国々の境を設けられた。
主に割り当てられたのはその民、ヤコブが主に定められた嗣業。
詩篇 82/1−
神は神聖な会議の中に立ち、神々の間で裁きを行われる。「いつまであなたたちは不正に裁き、神に逆らう者の味方をするのか。
................................

などクリスチャンにとっては、奇異な文章が見受けられるでしょう、旧約聖書が編纂される前のユダヤ人達は、オリエント世界に広く普及していた神々への信仰、すなわち多神教の思想を持っていた、これは否定できない事実であります。
旧約聖書で「神」を意味する、ヘブライ語の「エル」は、ユダヤ神話ではカナンの天上の大会議において神々を裁く「至高神」の名前です。

聖書の中で邪神として忌み嫌われたカナンの地方神バアルは、エルの行政官であり、エルの息子たちの中で最も力強い神々の主だった。かつてのユダヤ人たちはヤ−ヴェを唯一神としてではなく、こうした神々の宮廷、神々の家族の中で大きな力を持った「エルの息子の一人」として捉えていた様です。
先の申命記や詩篇は、その残存であり、詩篇ではその後神々の会議を非難し、ヤーヴェ以外の神々が人間に成り下がって死ぬと書いてあるが、かえってその神々が存在を示した事になります。

創世記のE伝承による文章では、神を「エロイヒム」と書いてあるが、「エロイヒム」は「エル」の複数形で「神々」と訳すべきなのでしょうか、先の出エジプト記の「わたしはある」についても、モーセがエジプトから帰還するときに、それぞれの部族で神の名前が違うので、モーセが神に尋ねた事になっています。

出エジプト記 3/13
モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」

創世記に「アブラハムの神」・「イサクの神」・「ナホルの神」と殊更、誰々の神と人の名前を入れるのは、部族毎に違う神がいたことを示しています。
実は出エジプト記 3/14は、ユダヤ教の成立過程を示している。
つまり、それまで部族毎に違う神だったのが、それはすべてYHWHの神と同質の物で、みんな同じ物だと言う教義でYHWHに一神化したのでしょう。

こういう教義のまとめ方は、キリスト教の三位一体論(イエス・キリストと神と聖霊とが同質の物とする教義)と似てますが、キリスト教の神学者はこの辺を参考にしたのでしょうか


◆キリスト教の功罪


キリスト教では、ヤーヴェを唯一なる絶対神としている。キリスト教会はさかんに聖書を書き換えているが、先の申命記についても、新共同訳だけが「神の子らの数に従い」であり、他の訳本では「イスラエルの子らの数に従い」になっている。最初のギリシャ語への訳本の時、書き換えたらしいのですが、何らかの教義を打ち立てた時、不都合な場所を書き換えたり表現を変えたり、一般信者に説法しない業は、古今東西のキリスト教会がやってきた事なので、あらためて文句も言う気はしませんが


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とりあえず終わりです