4483 「パレスチナ問題」考

パレスチナ問題各派の主張

 イスラエル国家の存続に反対する27のイスラム国家の中で、西側の外交努力により、わずか2国だけがイスラエルと和平関係にある。エジプトは、イスラム狂信派によって暗殺された前大統領、アンワール・サダトの時代に中東和平条約を締結した。ヨルダンはフセイン前国王によってイスラエルと和平条約を結んだ。

 <イスラエル派>

  ユダヤ人のイスラエル建国については色々な意見がありますが、わたしたちユダヤ民族の過去について考えてみて下さい。私たちは4000年以上も前からパレスチナの地に独立国として暮らしていたのですが、2000年前のローマ帝国の時代、属国にされローマの重税などに苦しまされてきました。あまりの圧政に耐えかねて、私たちは反乱を起こしましたが、結局ローマ軍に滅亡させられてしまいました。その結果、祖国を追われた私たちは世界中に散るはめになってしまいました。パレスチナに残ることができたユダヤ人はごく少数で、土地を追われたユダヤ人は農民としていきることができず、金貸し商人としていきるしかありませんでした。金融業というのは経済の発展には必要不可欠なものです。ヨーロッパの経済が発展したのも、私たちユダヤ人によるところが大きいのです。

 現にわたしたちを追放したスペイン、ポルトガル、ナチスドイツは大国としての地位をみるみるうちに失い、私たちが移り住んだアメリカは急速な発展を遂げたではないですか。それなのにスペインやポルトガルによって追放されたり、世界各地で色々な差別をされなければならないのはなぜでしょうか。
 人間としての最低の権利も認められていない私たちにとって、エルサレムの地にイスラエルを建国することはたいへん重要なことなのです。
 また、パレスチナの皆さんは、私たちが勝手に進入してきたかのようにいいますが、私たちはちゃんとパレスチナの住民からお金で土地を買って移り住んだのです。なぜ侵入者扱いを受けなければならないのでしょうか。土地を売ったのだから、入ってきた私たちに対して文句をいわないでほしいと思います。

 各種権利が認められなかったユダヤ人が、イスラエルを建国するのは当然なのです。

 聖書の中に「その日、主はアブラムと契約を結んで言われた、『わたしはこの地をあなたの子孫に与える。エジプトの川から、かの大川ユフラテまで』」(聖書、創世記第15章)とあるようにパレスチナの土地は神から与えられた土地である。したがって、「イスラエルの土地に対するアラブの領有権の主張は、盗難車の場合と同じだ。何百年使っていようが、いくら修理に金をかけようが、正当な所有権は初めに持っていた者に属するのが当然だ。ユダヤ人から最初に土地を盗んだのはローマ人だが、その後アラブが手に入れたからといってアラブに所有権はない。」(『エルサレムは誰のものか』 平山健太郎 NHK出版)

  <パレスチナ派>

 ユダヤ人はよく、「自分たちの住んでいた土地を横取りし、追い出しもした。」ということを私たちに言います。しかし、これは今から2000年前、私たちの祖先が大移動を起こした時のことをいっているのです。ゲルマン民族の大移動と同じようなことです。このような民族の大移動を理由にするなんておかしいとは思いませんか。他の地域でこんなことで争っているところなんてあるでしょうか。そんな何もなかった頃住んでいた彼らとは異なり、私たちは文明を2000年間ここで築き上げてきたのです。

 しかも彼らは追い出したと騒ぐだけでなく、個人の信仰である宗教や各地で迫害を受けてきたことを持ち出して、ここだけが守られる土地だとして運動を起こしてこの地に戻ろうとしています。 宗教の意味は分かるし、迫害に同情はするけれど、個人の心の問題とこの地とは何の関係もありません。

 このように、ユダヤ人は自分勝手な理由ばかりで、この地を、私たちの故郷を、軍事力や経済力を武器に奪い取ろうと攻撃してきます。たとえば、彼らは金持ちなのをいいことに、私たちには考えられないような高額で共同農地を買い占めたり、英・仏のヨーロッパ勢力を味方につけて、大国が後ろ盾だということを武器にするのです。そんな理由で私たちは土地を譲ることはできません。

 しかも、私たちが難民とよばれるようになったのも、イスラエルやアラブ諸国が自分の利益を求めようとするあまり、戦火を逃れて他国にいた私たちの土地までを奪ってしまったからなのです。そのため私たちの帰るところがなくなり、国籍も居場所もないなんて思いを、子供や孫や、さらにその先の者にまでさせなくてはならなくなってしまったのです。こんなことをした彼らを、私たちは許すわけにはいきません。パレスチナは当然私たちの者であるはずなのです。

 聖書になんて書いてあろうと、そんなことはわれわれには関係がない。はっきりしていることは、われわれの土地に突然ユダヤ人がやってきて、イスラエルという国を建国したという事実だけだ。ユダヤ人はパレスチナの土地を盗んだ泥棒だ。そのため600万人のパレスチナ住民のうち300万人近くが難民となり、200万人がいまもガザとヨルダン川西岸に不自由な生活を送っている。彼らを地中海にたたき込むまでは戦争をやめない。百歩譲ってイスラエルという国を認めるとしても、少なくとも1967年の第3次中東戦争で占領したガザとヨルダン川西岸は返還すべきだ。

  <イギリス派>

 私たちは第1次大戦でドイツに負けるわけにはいきませんでした。ところが、協商国であるロシア帝国は内部から崩壊しはじめ、東部戦線の事態は極度に悪化してきたのです。内外のユダヤ人の支持を得ることは必要でした。またトルコに勝つためには現在のイスタンブールを攻めることが重要です。そしてイスタンブールを攻めるにはドイツを通るわけにはいきませんからエジプトからパレスチナを通っていくしかありません。つまりパレスチナに親英的な国家を私たちは作っておきたかったのです。特にユダヤ人を支持したわけでもパレスチナ人を支持したわけでもありません。しかし、この地域は第2次大戦中も対立した要求を出してきたり面倒が見切れなくなりました。そして第2次対戦後、私たちは国連にすべてを預けることにしたのです。



重信房子さんを支える会「パレスチナ問題」

パレスチナ・イスラエル問題について語る 重信メイ

 パレスチナの歴史

 まずパレスチナ、日本ではイスラエルと言いますけども、40年前までは、この土地はパレスチナという名の土地だったのです。そして、なぜユダヤ人がいるか?という問題なのですが、彼らがいつからこの土地に来て、なんでイスラエルという国家を創ったかということを短い説明ですが話していきたいと思います。

 もともとユダヤ人の国というのは、2500年前にあの地域にあったのです。しかし、それ以前はエジプトの奴隷であったユダヤ人たちは、ファラオ(王)のピラミッド(墳墓)作りの為に強制労働に使われていたのですが、そのユダヤ人たちをエジプトのファラオは、あるとき遂にエジプトから追放してしまうのです。それで旧約聖書の中にあるように、逃げる途中、ユダヤ人たちはエジプト軍からの追撃を逃れるため、神に助けを求めて「海を半分に割って渡って逃げた」という、モーゼの逸話などがあります。この話も、ユダヤ教が歴史の史実を捻じ曲げたり、単純化させて大衆に浸透させていく、ひとつの例なのです。(皆さんも今度ディズニーのアニメなどを観るときは、ちょっと気をつけて観てみると良いかもしれません。) そして、海を渡ったユダヤ人の祖先たちは、大体今のパレスチナ地域の一角に、「ユダヤ人の国」というものを創ったのですが、実際には、そこにもアラブのたくさんの部族が住んでいて、トラブルが絶えませんでした。ユダヤ人たちは、いろいろな問題の罪(原因)を外部に押し付けるということをやって、現代と同じように、たくさん戦争をやって来たという歴史を持っているのです。
シオニズムの影からみえるナチズムの亡霊

 そしてまた、ユダヤ人・ユダヤというのは、民族であり、それ自体が宗教でもあり、現代までずっと、同族の共同体意識を強く持っています。例えばアメリカという"親ユダヤの国"に行ったら、そこには必ずユダヤ人の集まり(コミュ二ティー)があり、それは国内の各都市にどこにでもあります。1680年代くらいにシオニズムという思想がでてきますが、この意味は、「ユダヤの民族が世界中で一番優れた民族であるという発想を持って、世界中に散っていったユダヤ人を集めて、もういちどパレスチナの地にユダヤ人の国家"イスラエル"を築こう」とする運動です。これが発展して、1917年からずっとイギリスがこの地域を占領していたのですが、そこをパレスチナに解放するときにイギリスはユダヤ人たちと秘密の条約を結び、「パレスチナ地域の自治権をユダヤ人にあげます」という約束をしてしまったのです。しかし、本当はその前にイギリスは、アラブのヨルダンの王と1916年と'17年の間にわたって、いろいろな交渉によって「パレスチナやシリアをあげます」という約束をしていたのです。だけど、普通の人でも良くあるんですけども、ひとと約束を結んでも、あとになってぜんぜんちがう条件を言いだして、その約束を守らないという人もいますよね。

 でも、このケースで言えば、イギリスは一つだけ約束を守ったのです。それはユダヤ人に対してのみ緩和した条件を出して、彼らにだけ約束を守ったのです。その前に、なぜアラブはイギリスと約束したかと言うと、アラブ人との約束は1916年と'17年の間に約束をしていたのですが、アラブには当時、たくさんの王がいて、イギリスはその、どの王にも「何をあげる」という約束をしていたのです。ところが1917年と'18年の間にイギリスは、シオニスト・ユダヤ人の大富豪ホーソーという人と一緒に、こんどはパレスチナの地をユダヤ人たちにあげると約束をしてしまいます。結局、同じ土地を同時に二つの集団に与えると言う約束をしてしまったのです。それは、その頃ちょうど第一次世界大戦に入る時期で、あのアラブ地域の人たちは、トルコというドイツと組んでいた対抗勢力と闘うために、イギリスの参加を望んでいたので、そういう方法でいろいろと友好関係を結んでいました。しかし、世界的に結局はシオニストとの約束の方が守られていったのです。

 ところが世界中の人々は、このようなことに対して「それはちょっとダメなんじゃない。もともとそこには、パレスチナという国があって、パレスチナ人という民族が生活している土地があって、そういう場所から生活する人たちを追い出して、そこにイスラエルという自分たちの国を建設するのは、間違いなんじゃない」という考えはあったのです。

 1945年に第二次世界大戦が終わって、このときドイツでは敗戦前にナチスによって大勢のユダヤ人が虐殺されていました。これはちょっと話がそれますが、このときナチスが虐殺したユダヤ人の数は、最近の歴史検証によりますと、約600万人ユダヤ人が殺されたと言われています。しかし当時、ヨーロッパに何人のユダヤ人が居たか、ユダヤ人組織の発表によるとヨーロッパ全体で300万人のユダヤ人しか居なかったのにどうしてか600万人のユダヤ人が殺されたということになります。そうすると、それではヨーロッパの300万人のユダヤ人はみんな殺されたのかと言うとそうではないのですね。戦後、パレスチナに行った人たちもいますし、アメリカやロシアやヨーロッパの他のいろんな所に行った人たちもいるのですけど、そういうような中でこの時代のユダヤ人は、国際世論から見て「可哀想・悲惨な目にあった」という風潮だけが残ります。確かに、ナチスによって虐殺にあったのは事実ですし、気の毒なんですが、当時、主に虐殺されていったのは、ロマ(ジプシー)と言われる人々だったのです。彼らは、ヨーロッパの国々を定住をしないで大道芸やサーカスとかをやりながら渡り歩いている人たちです。実はそういう人たちもユダヤ人と一緒にたくさん殺されたのです。
 
 それで、そのナチスの考えというのが、「自分たちドイツ人のアーリア民族が世界で一番優秀で、そのアーリア民族の純粋な血統社会を作る」というもので、その思想に当てはまらない人、否定する考えや民族、ユダヤ人やロマ(ジプシー)やドイツ人でも精神・身体障害者とかの人たちが、迫害・拝外主義の対象になっていったのです。だから本当にいろんな人たちがナチスに殺されていったのです。そして、このようにユダヤ人が大勢殺されたことについて、国際的には、"可哀想"という世論があって、「パレスチナの土地をユダヤ人に半分はあげましょう」ということになっていきました。さらにその後、国連で「パレスチナ地域全土から、56パーセントをユダヤ人(人口、60万8千人)に譲渡し、43パーセントはパレスチナ人(132万8千人)に残す」という国連決議"パルティションプラン"(パレスチナ分割案)という、決議181号そのUが1948年に採択されました。パレスチナ側は、この案に当然、猛反対し、ユダヤ組織は渋々ながらも、いったんはこれを受け入れました。しかし彼らはその後もこれをそのまま遵守したかというと、そうではなかったのです。

 (ちなみに現在、昨年までの和平交渉でパレスチナ側の自治区に指定された土地面積は、その1948年国連分割案採択時の43パーセントよりも、さらに少なく、13パーセントしかありません。)

 そして1948年、協議の上で一定認められるというはずだった国連決議によるパレスチナ分割案(決議181U)なのですが、ユダヤ組織が「イスラエル共和国」の建国をパレスチナ・アラブ側との交渉解決を見ないまま一方的に世界に宣言しました。そしてこれに反対するアラブ諸国は一斉にイスラエルに攻めこみ、戦争(第一次中東戦争)になったのです。だから年数でいえば、イスラエルが建国してから50年ちょとしか経っていないのに、世界中に宣伝しているのは、まるで歴史的にずっと二千年以上前から国があるかのように公言しています。実際は、1945年の第二次世界大戦の終結以前は、全パレスチナ地域に住んでいた人口のたったの5パーセントしかユダヤ人は居なかったのです。そして、戦後からは、30〜40パーセントは増えています。これはどういうことかと言うと、この間に、パレスチナ地域の委任統治権を持っていたイギリス支配の目を盗んで、シオニストたちが組織的、秘密裏にユダヤ人移住を行なっていたからです。ヨーロッパからの入植者がどんどん増えていったのはこのためです。そしてその後も世界中からの入植者は増えていきます。そんな形で、シオニストたちはイスラエルという国を創っていったのです。

シオニストを支援する欧米諸国

 それで、このようなイスラエルの態度や国連分割案に反対する近隣のアラブ諸国との間でイスラエルは幾度かの戦争をするのですが、イスラエルはそれらの戦争に勝つたびにどんどんと、残るパレスチナの土地や近隣アラブ諸国の土地を占領していったのです。そして、皆さんもニュース報道などで知る機会があると思いますが、現在に至るまでイスラエルではパレスチナとの土地をめぐった闘いが続いています。そういった闘いがある中で、前にも少し述べましたが、やはりイスラエルが建国を宣言した初めの頃は、近隣のアラブ諸国は、これをパレスチナ国家独立に対する妨害であり、「イギリスとの条約違反だ」としてイスラエルに対して一斉に"パレスチナ・アラブ解放"のために戦争をしかけました。しかし、欧米諸国に支援されたイスラエルの近代兵器の前で、アラブ諸国は敗北してしまいます。さらにそのとき、パレスチナの聖地であるエルサレムも占領されてしまいました。それまでは、もともとこのエルサレムの町を国連が国際管理に指定していました。なぜならば、ここはキリスト教の聖地でもあるし、ユダヤ教の聖地でもあり、そしてイスラム教の聖地でもあるからです。そこを「一つの宗教だけで支配することは出来ないし、するべきではない」として、1948年に「国際管理に委託するべきである」と国連で決議されているのです。にもかかわらずイスラエルは、国連を無視してそこも完全に占領してしまいました。

 その後も、アラブ諸国とイスラエルとの戦争は、1957年にあり、67年にもあり、73年にもありました。これらの戦争を説明するととても長くなるのですが、ひとつだけ説明しますと、1954年にイスラエルとイギリスとフランスが、エジプトに戦争を仕掛けました。なぜかというと、このときはエジプトの国力が徐々に強くなっていった時期でした。それに対して、イスラエルが脅威を感じるようになってきました。それまでは、エジプトは王制だったので旧宗主国のイギリスなどに影響されやすく、イスラエルにとっては、それほど警戒する隣国ではありませんでした。しかし、王制を廃して、軍の中からアラブ民族主義を唱える、強い、新しい指導者が登場して、軍事も増強されてきたことに対して、イスラエルとしても、「早めに手を打つべき」ということで戦争を仕掛けたのです。しかも、イギリス・フランスとの合同で大量の戦力を投入してエジプトを攻撃しました。

 ところで、パレスチナという地域は、アラブでも特に重要な地域なのです。あの地域は、アラビアでは「心臓のように、真中にある大事な所」と言われて、ヨーロッパ、アフリカ、アジアの三つの地域を結ぶとても重要な位置関係にあります。そういった意味でも昔から、アラブの覇権を争う国々にとっては、どうしても抑えておきたい地域だったのです。だからイギリス、そして今はアメリカなどが、中東に自分たちの利権を擁護してくれる同盟国としてイスラエルに多額の資金援助を毎年、無償で援助しているわけです。さらにこの資金のほとんどがイスラエルの軍事費用にまわされるわけで、信じられないことに毎年、アメリカのタックスマネーがイスラエルにこれだけ行ってしまうのです。このおかげでイスラエルは、軍事を増やせるし、新兵器の開発もできるし、経済にも困らないという状態になっています。また、それはアメリカ人が望んでいるか、というとちょっと違います。実は、アメリカ政府の政治構造の中に、ユダヤ人たちでつくる、政治的に力のある「ユダヤ人のロビー」があるのです。これは、どのようなものかと言うと、例えば議員選挙などで自分たちが支持する候補者に対して、陰で多額の資金援助をして政治をコントロールする、一種のユダヤ人共同体への利益誘導をする機関と言っても良いでしょう。そういうユダヤ人の支持母体のあるところからイスラエルはどんどん援助を引き出して、力を蓄えていくわけです。

インティファーダ「石の闘い

 そういう中でパレスチナ人は自分の国から追い出されて、キャンプを作って、こんどは国の外から祖国解放を闘いたいと考えるようになっていくのですが、レバノンとかシリアとかヨルダンとかは、どこもイスラエルと国境が隣接していますので、そういう国のキャンプからパレスチナ解放の闘いを広めていこうとする人々の運動が高まっていきました。しかしそんな中、1982年にイスラエルは、パレスチナ解放運動が「レバノンの国内から出撃しているという」理由でレバノンに対して侵略戦争を仕掛けてきました。そしてそのときにパレスチナキャンプの女性や子供たち非武装の人々に対して、イスラエル軍などによる虐殺が行なわれたのです。このときキャンプの武器を持った男たち(兵士)は、みんなイスラエル軍の退去宣告に従ってレバノンから外に出ていたので、キャンプには女性や子供、年寄りたちが残っているだけでした。そこで、彼らはキャンプを包囲して、短時間に300人以上の住民を虐殺していったのです。さらに信じられないことに、そのときの"虐殺作戦"を命令した司令官が今のイスラエルの首相の職に就いている、シャロンです。では何で、そんな人が今まで何の罪も問われないで、ましてや首相選挙に出て当選し、それをアメリカとか欧米の世論は黙殺しているのか。例えばこれが、イラクとかユーゴなんかだったら、権力者の市民への虐殺が行なわれたときには、その国家がガタガタになるまで軍事で攻撃してでも要求を通そうとする。こういうアメリカの政治テクニックのことを「ダブルスタンダード」と言います。相手によっては違う顔を見せ、こっちではこう言い、あっちではああ言う。しかし、根っこの問題は同じことなのです。こんなことで、アメリカはイスラエルに対して援助していくから、いつまでたってもイスラエルでは、とんでもない人が首相になるし、とんでもないことをやり続けているわけです。
 
 例えばこういう情勢のなかで、インティファーダというパレスチナの闘いが「石の闘い」とか言われているのですけれども、アラビア語では「蜂起」という意味なんですが、これがまず、1987年に一回あって、それは「外(外国)でどんな闘いをしても役に立っていない。だからパレスチナに残っているパレスチナ人が、石を持ってでもいいから闘う」という形ではじめたのが、最初のインティファーダだったのです。それで、それが1990年までずっと続いて、'90年の初めにイスラエルとパレスチナの間で、「和平交渉をしましょう」ということになって、ちょとインティファーダが下火になりました。人々は、「やっとこれで問題が解決できるかも」と思うようになったのです。しかし何と、それが何の役にも立っていない現状。イスラエルと交渉すればするほど、どんどんパレスチナの土地を削り取られていったしまう。という問題が起こってきて、パレスチナの人々は「やっぱりこれは、もう一度インティファーダをやって、死ぬまで闘うしかないんだ」という気持ちで闘いはじめたのが、去年の9月からだったのです。それで今日まででも、毎日毎日、闘いのなかで必ず子供が殺されても闘いは続いているのです。


 今、パレスチナのインティファーダで闘っている子供たちは、イスラエルの軍隊相手に石飛礫を武器にして闘っています。相手のイスラエル軍は、もちろんただの銃だけではなくて、タンクやヘリコプター、さらにミサイルまで使って応戦しているのです。普通だったらそんなことあり得ないことなのですが、子供が学校行く前に道で若い人たちが石を投げて闘っているのを見て、自分も石を投げる。ひょっとしたらそれは、自分にとって危険なことになるかもしれない、捕まるかもしれないし、銃で撃たれるかもしれない。そんな中でうまく危険な目に会わなければ、学校の授業に出席する。そして、授業が終わって帰る途中でイスラエルの車に出会ったらまた、石を投げて、また殺されるかもしれないし、捕まっちゃうかもしれない。で、そういうなかで毎日を過している子供たちがいる。みんなそういう生活をしている。だから平和のない生活なんだけれども、自分の中では目的を持っているから、危険なことも平気で怖くないと思える。もう他になくすものは無いと思う。家も壊された、家族も殺された、学校に行ったからといっても将来、仕事に就ける保証はないし、だけど必要だから勉強はしないと…。そんな気持ちだから、殺されても捕まっても「大丈夫」という気持ちを持っているんです。だからこそ、みんながビックリするくらいのことを、向ってくるタンクに対して石つぶてを投げる。端からみると、「何でそんなバランスの無い、それこそ無鉄砲な闘いをするの?」と思われるのだけれども、彼らは「これしかない。この力しかないんだ」と考えてやっているんです。

 今の日本を考える

 そういうところから観て、日本の社会というのはすごく平和的で豊かな社会なのです 「日本もいつまで経ってもこういうような社会ではないと思うし、特に今、日本の憲法。この憲法が変わりそうなのを皆さん、知っていますか?」。日本の憲法というのは、1946年くらいに作られ、そのなかで日本は絶対戦争はしないという条項があります。すごい大事な憲法だと思うのです。しかし、まだ知らない人も多いし、そのため、憲法を変えようとしている動きを止めることも出来ていません。今、私たちがこうやって平和的に生活できているのは、そういう憲法に守ってもらえるところがあると思います。私たちが戦争を仕掛けて行かない限り、誰も戦争を仕掛けてこない。平和憲法があるからこそ、私たちは戦争があった国に対しては「戦争を止めましょう」という考えで働き掛けなければいけないのに、なんか、「戦争に参加しないとみっともない」という考え方が、日本では政治の主な潮流になってきたように感じます。そして何で私たちがこういうことに反対の声をもっと上げないのかとも思います。私たち若い世代が何とかしなくては、と思います「今の憲法なり、今の法律で作られていることって私たちがこれから生きていく社会のことじゃない?」。だから、古い世代の考え方にとらわれることなく、自由な発想を持ってどんどん自己主張していくべきだと思います。

 でも、私たちも、もっともっと力をつけいかなくてはダメなんだなと感じます。結局、私たちも他の人が作った憲法なり、法律なりその「社会の枠」のなかで生活していかなくてはいけない、というルールがあります。だから日本のなかでも、そういう平和を守る考え方、そして、政治的な意見を持っておいたほうがいいと思います。それもやはり、みんな独立した大人として政治的な考えを表明するというのは、各自の権利でもあり、社会的な義務だとも思います。なぜならば、自分もその子供も生きていく社会なんだし、自分もその子供も生きていく政治なのだから、より良くしていく必要があると思うからです。だから政治に対して、「もう、たくさん」ではなくて、みんなが意見を持った方がいい。もっと、いろいろやったほうがいいと思います。

 そしてまた、他の国、平和のない国では、辛い生活をして毎日、生きるか死ぬか分らない生活を過している人がいる現実を思いながら、日本はどんなに平和なのかということを考えてみることがとても重要なのだと思います。それはアラビア語でも言うのですが「自分が今、持っているものをそれが大事なものだとは思えないけど、それを無くしてしまってはじめて、本当に大事なものだったんだと気づく」、ということが言えると思います。だから私たちも、今は持っているんだけれども、持っているうちに、なくす前に、それを理解したい。それは、平和と生活の豊かさ、そして、気持ちが豊かになって欲しい。"気持ちの豊かさ"というのは、人のために何かやるとか、何か自分が人に敬われると、「もっともっと何か人の役に立ちたい」と思うような気持ちを持って欲しい。そういう考えを持った上で政治を行なえば日本という国は、"本当に国際的に貢献できる国"になれると思っています。

































Edward Said Interview

ペンと剣

Acknowledgement歴史の承認

DB:あなたはイスラエルによってパレスチナ人に対する「不正」の事実が承認されなければならないと主張し続けています。なぜ、そのことにこだわるのですか。

まず第一に、過去三、四〇年にわたって僕らを潰してきたものが、イスラエルが「不正」を否認し続け、それに対して責任をとらないという事実であったからです。そのおかげで僕らは、あたかも孤児のように、民族としての起源も、物語も、系譜もいっさい持たないように映るのです。パレスチナ人の系譜は、イスラエルがそれに対して何を行ったかが認知されて初めて筋の通ったものになるというのが僕の意見です。つまり、これは歴史の承認の問題なのです。

第二は、その承認により、少なくとも僕らはイスラエルと対等の立場になるということです。なぜなら、僕らは彼らの存在を認めているのですから。僕らは彼らに、「君たちはここに存在する」と言っています。君たちは僕らの社会を破壊し、僕らの土地を奪ったけれど、僕らは事実上、君たちが民族・国民であること nationhood は認めている。そして、次のようなかたちで君たちと平和的に暮らすことをのぞんでいる。僕らはヨルダン川西岸地区とガザ地区にパレスチナ国家をつくり民族自治を実現する。君たちは1967年以前のイスラエル領土に君たちの国家を持ち、自治を行なえばいい。しかし、彼らは決して僕らに承認を与えようとしないのです。民族・国民 nation としては決して。もちろん個人としては承認することに抵抗のない人々もいますが、それを公然と発言することはありません。1988年までの10年間は、イスラエル人たちは僕のところに話し合いに来て、君たちの承認が欲しいのだと申し入れたものでした。君たちが国連安保理決議242を受け入れイスラエルを承認すれば、どんなに助かるだろう。そうすれば、いっさいの状況が変わるだろうと言うのです。そこで、僕らは承認しました。だけど何ひとつ変わりません。むしろ事態は悪化しました。

この二つの理由から、僕らは認知される必要があるのです。否定と沈黙、そして最後は無関心という、特にアメリカのユダヤ人に顕著な態度は、僕らに大きなダメージを与えているのです。

DB:その認知がなされれば、あなたの言う「物語ること」 narrative が可能になるのでしょうか。

大きな違いになると思いますよ。それがなされれば、僕らは同じ歴史を共有することになります。僕らが自分たちの物語を語る力は格段に膨らむでしょう。欧米でパレスチナの歴史を物語ろうという試みには、必ずイスラエルによる組織的な攻撃が加えられてきました。それを理解することが重要です。その一方で、西岸地区とガザ地区に住むパレスチナ人にとっては生活の安定こそが当面の大問題であり、日々をつないでいくことに汲々として、とても自分たちの物語を語るどころではないという現実もあります。生きていくだけで精いっぱいなのです。このような状況は、レバノンでもどこでも、迫害を受けているパレスチナ人については共通しています。生き延びるための課題が大きすぎて、物語などにかかわっている余裕がないのです。ただ今日の暮らしをどうするかということしか考えられないのです。

国際的な舞台では、パレスチナ人が物語ろうとするたびに──パレスチナの物語の中断と、そのイスラエルの物語との関係を劇的に描き出そうとするたびに、組織的な攻撃を受けるのです。パレスチナについてメジャーな長編映画が作られたことはありません。それをドラマとして提示しようという試みがあれば、必ず批判を浴びせられ、阻止されるのです。最近のことでいえば一九八八年、パブリック・シアターの〔
プロデューサー〕ジョー・パップが 、西岸地区の劇団ハカワーティ の公演契約をキャンセルした事件がありました。テレビ映画やドキュメンタリー番組となると、いつだって「審議会」 (パネル)が必要だということになるのです。PBS制作のジョアン・トロート Joann Trout による「怒りの日々」Days of Rage のように、例はいくらでも挙げられます。数週間前に、ボストンのインスティチュート・フォア・コンテンポラリー・アートでパレスチナの近状を扱ったビデオ・ドキュメンタリー・シリーズが上映されました。でも、この上映には横槍が入って、「反対の側」からの代表も含めたパネルを設けない限り、企画は中止だというのです。

要するに、僕たちはいつも、「反対の側」の反対側なのです。このことによって、パレスチナ人の主張は一貫性を奪われてしまいます。僕のように公衆に向けて発言しようとする者は、いつだって一部始終を最初から繰り返さねばならないという状態です。さらには、このことによって、パレスチナ人という存在は一貫性を欠き、人間らしくないという印象が生じます。ちゃんとした一つの歴史を持った民族ではないと思われてしまうのです。これはまた、チョムスキーの言う「合意の捏造」〔manufacturing consent:
チョムスキーによる講義やインタビューなどを収録したメディア批判のドキュメンタリー映画〕を意識した、考え抜かれた戦略でもあります。これは僕らにとって大きな重圧となっていますが、パレスチナ人には欧米に暮らす者が少ないので有効に対処するだけの人材がありません。従って、この障壁を取り除くことは至難の業なのです。

DB:パレスチナ人のように植民地支配におかれている民族は、覇権者 hegemonic power によって自らの歴史を葬り去られてしまうことに、どう対処すればいいのでしょう。それについては、どのような比喩がふさわしいのでしょう。また、どうすれば葬られた歴史が回復されるのでしょう。歴史の「掘り起こし」ですか?

歴史についてもっとも重要なのは、それを掘り起こすことではなく、それを提示し、それについて語ることでしょう。また、その語り手の誠実さが絶え間なく攻撃にさらされるような状況を決して許さないことだと思います。また、隠喩については、ドラマにおける具現化がそれにあてはまると思います。この人たちは、描き出され represented てもよいはずです。それを何よりも強く感じます。物語の欠如こそが、きたるべき和平交渉〔
マドリードの中東和平国際会議〕にパレスチナ人が自らの代表を送る represent ことができないという、まさに『ガリバー旅行記』的な状況を可能にしているのだと思います。

パレスチナ人は、アメリカを後ろ盾とするイスラエルの否認の網目をかいくぐってしか、自分たちの代表を送れないのです。それゆえ、いろいろと条件がつきます。東エルサレム出身者が代表として認められないだけでなく、西岸地区とガザ地区の住民もだめ。PLOと接触があってもいけないのです。PLOに指名された者はもちろん、その指示のもとに活動していると認識された者も排除されます。PLOの誰かと会ったというだけでもいけないのです。しかも、政治的に自立していることさえ認められず、ヨルダン代表団の一部でなければならないのです。自分たちの国旗を掲げることはできません。自分たちの言葉で発言することは許されません。こんな条件は、多国間交渉の場では前例がありません。それでもアメリカは、イスラエルの望みだからといってこの条件を容認したのです。

その背景には、パレスチナ人が代表される度合いは、彼らがどの程度人間として認識されるかに比例するという考え方があります。従って、代表権を阻止すれば、彼らを人間として認識する必要はないということになるのです。それが、今日に至るまでイスラエル側、特にリクード党やシャミル Yitzhak Shamir のような人たちが、パレスチナ人を「居留外国人または居住民」と呼ぶのを好んできた理由です。この者たちは、ここパレスチナにおける歴史を持っていない、と彼らは言いたいのです。
 
シャミルはつい先日、シュテルン創設50周年の記念式典でスピーチを行ない、正義のためのテロリズムなら容認できると述べました。出席していたジャーナリストの一人が、では、パレスチナ人のテロリズムについてはどうなのかと訊くと、シャミルは、パレスチナ人の大儀は不正なものだ、なぜなら「彼らは自分のものでもない土地を要求して闘っている」からだと言い放ちました。というわけで、これらの問題はすべて歴史に関わってくるのです。

< 『ペンと剣』(クレイン1998)からの抜粋 :Copyright 1998 Crane>

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パレスチナ 拡大するジェノサイドユダヤ人は虐殺の歴史を負ってないのか

イスラエルのシャロン首相は「アラファトはイスラエルの敵」と宣言し、パレスチナ自治区への大規模な軍事侵攻を続けている。これに対してパレスチナ自治政府は4月3日、パレスチナ住民に対し、改めて長期にわたる徹底抗戦を呼びかけた。「対テロ報復戦争」を宣言してブッシュがアフガン空爆を開始して半年。いまやパレスチナはイスラエル軍によるジェノサイドともいうべき最悪の事態を迎えている。

目的は自治政府の破壊
 3月29日、ヨルダン川西岸のラマラでは、イスラエル軍戦車約20両がパレスチナ暫定自治政府・議長府に侵攻。突入したイスラエル軍は、電気・ガス・水道・電話などすべてのインフラを破壊してアラファト議長と警護兵の監禁を続けている。
 イスラエル軍はガザ地区を完全に封鎖し、ベツレヘムやヘブロン、ジェニン、ナブルス、カルキリアなども軍事的に制圧している。自動小銃を手にしたイスラエル兵たちが、一軒一軒しらみつぶしに家宅捜索し、数千人がテロリスト容疑者として逮捕され、多くの住居が破壊されている。死傷者も多数出ている模様だが、電話回線が切断され、救急車も駆けつけられないため死傷者数の把握すらできない状況だ。
 これらの軍事作戦の目的は、テロ対策に名をかりた軍事力によるアラファトの追放と自治政府そのものの破壊にあることは明らかだ。しかしシャロン政権の掲げる「軍事力による治安回復」は全く成功していない。むしろ、イスラエル軍の軍事力によるパレスチナ民衆に対する人権蹂躙・生活破壊は、さらなる「憎しみと報復の暴力」を生み出している。ラマラ侵攻後ただちにエルサレムで起きた18歳の女性の自爆テロをはじめ、検問所への自爆テロや狙撃事件が相次いでいる。
 イスラエル軍による監禁状態に置かれながらも「殉教者として闘う」というアラファト議長にはパレスチナ人の90%以上の支持が集まり、PFLP、DFLP、ハマス、イスラム聖戦機構、ヒズボラなどがこぞって報復を宣言。4月3日、クアラルンプールで開かれていたイスラム諸国会議機構(OIC、57カ国・機構)の特別外相会合も、「独立国家建設の闘いをテロリズムと結びつけることを認めない」とパレスチナを擁護する一方、「国家テロ」という表現でイスラエルを強く非難した。

シャロンこそ衝突の元凶
 シャロンは3月27日ネタニヤで27名が死亡したイスラム原理主義組織ハマスの自爆テロを受け、2万人の予備役を招集して本格的な自治区への軍事作戦を開始した。しかしイスラエル国内でも、「政治解決を拒否し、軍事的にパレスチナ側を抑え込むことをめざすシャロン氏にとって、今回の自爆テロは(自治区侵攻の)格好の口実」(イスラエルの新聞ハーレツ紙)との見方が有力だ。そもそもシャロンは和平へ向けた政治的解決を一貫してぶち壊してきた政治家だからだ。
 1993年、和平気運の高まりの中、イスラエルとPLOが互いに承認しあい、パレスチナ暫定自治に合意した(オスロ合意)。これに従い、ガザとヨルダン川西岸の占領地の一部からイスラエル軍が撤退、パレスチナ自治がスタートした。
 しかし和平を推進してきたラビン首相は95年にユダヤ教保守派によって暗殺されてしまう。和平プロセスが暗礁に乗り上げるなか、2000年7月にクリントン米大統領の仲介でアラファト議長とバラク前首相がキャンプデービッドで中東和平会談を開催。パレスチナ国家建設に向けた基本的な合意はできつつあったが、双方の「聖地」が集中する東エルサレムの旧市街をどうするのか。とりわけイスラム教徒の聖地「ハラム・アッシャリフ」(ユダヤ教名「神殿の丘」)の帰属をめぐって会談は決裂。「聖地問題」は継続対話事項となっていた。
 ところが2000年9月、この一番の焦点の「神殿の丘」にシャロンは首相選挙のパフォーマンスとして警官隊をともなって足を踏み入れ、「この地を和平推進派が譲歩してパレスチナに渡すことは絶対に許さない」と挑発的なアピールを行った。これに対してパレスチナ民衆も抗議のたたかいに立ち上がり、当日だけでも4人のパレスチナ人が射殺された。
 この事件以後「アルアクサ・インティファーダ」とよばれる民衆の投石による抵抗が続き、テロ事件も10数回に及ぶ。イスラエル軍によるパレスチナへの空爆や難民キャンプ破壊もくりかえされ、18カ月の間に1500人以上の死者が出ている。パレスチナ自治政府の存在自体を認めず、「和平ではなく武力によって治安を回復する」というシャロン政権の強硬姿勢こそが事態を泥沼に追いこんできた元凶なのだ。

高まる戦争拡大への批判
 4月4日、ブッシュ政権は国際社会からの圧力に押され、パレスチナ自治区からのイスラエル軍の撤退を求める声明をようやく発表した。だが、今回のシャロンによる大規模な軍事侵攻は、「イスラエルの行動は自国民を守るもので全面的に理解する」(3月30日のブッシュの演説)というブッシュ政権の後押し抜きには考えられなかった。
 ブッシュ政権は、「市民を標的にすることは不道徳」と自爆テロを批判してきた。だがそれならば、イスラエル軍のパレスチナ民衆に対する武力攻撃による殺人や住居の破壊、無法な捜索や逮捕は「不道徳」ではないのか。まったく手前勝手なダブルスタンダードだ。
 パレスチナ自治区を武力占領し、自治政府を破壊、パレスチナ独立国家建設をめざす対イスラエル闘争を根こそぎにせん滅せんとする「シャロンの戦争」は、「極論すれば、パレスチナ人をすべて追い出すか抹殺しない限り、この戦争に勝利はない」(3月30日『朝日新聞』)。しかしそれはかつて「ユダヤ人問題の最終的解決」と称して行われたナチス・ドイツによる「ジェノサイド」や、旧ユーゴにおける「民族浄化(エスニッククレンジング)」と、いったいどこが違うというのか。
 イスラエル国内でも「シャロン退陣」の声は日ましに高まっている。与党リクードのミハイル・エイタン議員は「第4次中東戦争以来最悪の失敗だ」とシャロン政権を批判。今年2月には68%あったシャロン政権の支持率は35%に急落。不支持率は60%に跳ね上がった。治安対策についても76%、経済政策に対しては92%が「よくない」と答えている。紛争の激化で観光客は半減し、ホテル・物販業・飲食店は倒産や休業を余儀なくされ、海外からの投資も手控えられているからだ。
 今や孤立しているのは監禁されているアラファト議長ではなくシャロンの方だ。フランスのマクドナルド解体事件で一躍有名になったジョセ・ボベ氏をはじめ欧州の反グローバリズムの活動家50名以上がイスラエル軍の制止を振り切って議長府に入り、十数名が逮捕されながらも約40名が「人間の盾」になる闘いを実現している。エジプト政府も4月3日、イスラエルとの外交関係を除きあらゆる接触を凍結することを決めた。またEU諸国や国連も自治区からのイスラエル軍の撤退を強く求めている。
 それだけではない。かつて見られない規模でイスラエル国内で平和運動がまき起こりつつある。18歳で兵役を拒否し刑務所に投獄されつつも「ユダヤ人とアラブ人が平等に暮らす国を作ることだ」「兵役拒否は私にとって社会変革を続ける活動の始まりに過ぎない」と宣言しているヤイール・ヒロくんら高校生62人で始まった兵役拒否の運動は、兵士・将校を含め3月30日現在で375人が占領地での軍務を拒否する運動に拡大している。
 即時停戦と占領地からのイスラエル軍の撤退こそ事態を解決する第一歩だ。


ガンジーのパレスチナ論
 1938年ガンディーは既にパレスティナ問題の本質を見ぬいていました。これは彼の当時のレターです。
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 ドイツでのユダヤ迫害とパレスティニアでのアラブ・ユダヤ問題について、私の意見を知りたいという手紙が多く寄せられたので、これはそれに対する回答です。この質問は非常に難しいのですが、私は躊躇せず、敢えて自分の意見を言うことにしました。

 私はユダヤ人について、同情の念を持っています。南アフリカで彼らのことをかなり良く知るようになったのです。彼らの中には、私の生涯の友人になった人もいます。 この友人達を通して、私は彼等の長年にわたる迫害についての多くを学ぶことができました。彼等はキリスト教の不可触民だったのです。キリスト教徒の彼等に対する扱いはヒンズー教徒が「不可触民」と接する のと、非常に近い。どちらの場合でも、非人道的な扱いを正当化するために宗教的な制裁が使われたのです。そんな訳で、彼等との友情は別として、私には彼等を同情する普遍的な理由が あるわけです。 しかし、私が彼等に同情しているからといって、私は正義を無視するわけ にはいかないのです。ユダヤ人のための国家建設という叫びは私には 大したアピールにはなりません。聖書に彼等を制裁しろと書いてあるとか、 パレスティニアへ戻ることを彼らが心から追い求めていること。(だけでは 正当な理由とはならないでしょう) なぜ、彼等は他の民族のように、自分が生まれ、生計を立てているところを 自分の国にしてはならないのか? イギリスがイギリス人に属するように、また、フランスがフランス人に属する ように、パレスティナはアラブに属するのです。アラブ人にユダヤ人を押し 付けることは間違いであり、非人道的行為です。

 今日パレスチナで起こって いることは、いかなる倫理規定によっても、正当化されることはできません。 委任統治は、先の戦争での制裁以外のなにものでもないのです。 誇り高いアラブの人口を減らし、そこにユダヤ人を入植させることにより、 パレスティナを部分的に、あるいは完全にユダヤの国に作り変えるという ことはまさに、人道上の犯罪でしょう。 ユダヤ人は自分が生まれ育った国がどこであろうと、そこで、公正な扱いを 受けるよう、正々堂々と要求することができるはずです。 フランスで生まれたユダヤ人はフランス人でしょう、これは、フランスで 生まれたキリスト教徒がフランス人であるということと全く同じ意味なの です。もしユダヤ人がパレスチナ以外にどこにも家も持っていないとしても、 それが、彼らが現在住んでいる場所を強制的に捨てるべきであるという考え方に なるとは思えません?それとも、彼らは、思うままに生活できる、家を2箇所 持とうと欲しているのでしょうか?自分達の国家を建設したいというこの叫びは、 ドイツ人にとってユダヤ人を追放するもっともらしい理由を与えることに なるのです。

 しかし、ドイツ人のユダヤ人迫害は歴史上で類を見ない行為です。 過去の専制君主達はヒットラーほど気が狂ってはいなかったと思います。 彼(ヒットラー)これを宗教的な熱意をもって行いました。彼は、 どんな非人道的行為であっても、人道的と見なされ、現世、来世ともに 報酬を受けることができるといった、排他的で好戦的な愛国心を中心とした、 新しい宗教を提唱したのです。狂った、しかし大胆な青年の罪は、信じ難い蛮行 を彼の民族全てに及ぼすことになったのです。もし人道主義の名のもとに、 戦争が正当化されることがあったとするならが、まさに、ドイツに対する戦争が そうでしょう、これは、ある民族に対する無慈悲な迫害を止めるためでしたから。 私は、しかし、戦争での如何なる解決も信じていません。従って、この戦争の 賛否を論議することは私の意図するところではありません。 ユダヤ人に対して犯されているような犯罪のためであっても、仮にドイツとの 戦争がなければ、そのドイツと手を組むことはないでしょう。 正義と民主主義を支持する国とその両方とも敵であるとみなす国の同盟は あり得ますか? それとも、イギリスは武力による独裁とそれと同じことを 意味する行為へ向かっているのでしょうか? 偽善、それは博愛主義という仮面をかぶった弱さでしょうが、妨げられな ければ、暴力は如何に効果的に働くのかを、ドイツは世界に示しているのです。 さらに、そのありのままの姿が如何に醜悪で、恐ろしいのかも見せ付けています。 ユダヤ人はこの組織的で恥知らずな迫害に抵抗することができますか? 彼らが、自尊心を維持し無力でないがしろにされたという絶望を感じない 方法はあるのでしょうか? 私はあること思います。誰でも、神を信じて いる人は、無力、絶望を感じることはないはずです。もし私がユダヤ人で あって、そしてドイツで生まれ、そこで暮らしているのなら、私はドイツが 自分の故郷であると主張するでしょう。たとえ、背が高い異邦人(ユダヤ教から 見て)であるドイツ人が私を撃つか、あるいは地下牢に投げこむと挑戦して きたとしても。私は追放されること、あるいは差別を甘んじて受けることは 断じて拒否するでしょう。私は仲間のユダヤ人が私のレジスタンス運動に 参加するのを期待して待ちはしない。最後には他の連中も私の例に従うこと を確信していますから、、、、 中略、 、、、、、、

 さて、これからパレスチナのユダヤ人について語りましょう。 ユダヤ人のやり方が間違っていることは疑う余地はありません。 聖書の概念でのパレスチナは地勢的なものではありません。それは彼等の心の中にあるのです。 しかし、もし彼等が地図の上でのパレスチナを彼等の国とあてにしている のであれば、英国の軍事力のバックでパレスティナに入るのは間違いです。 宗教的行為はいかなる場合でも、武力のもとに実行することはできないのです。 彼等はアラブ人の好意によってのみパレスチナに住みつくことができるのです。 ユダヤ人はアラブの心を変えようと努めるべきなのです。 彼等の心を支配している同じ神がアラブの心も支配しているのですから。 彼等は、ほんの少しの武力も行使せず、無抵抗不服従運動をアラブの前で 展開するべきなのです、たとえ、それによってアラブに撃たれるか、死海の中 に投げこまれたとしても。そうすれば、彼等の宗教的な祈願は世論に受け入れ られるでしょう。英国が武力行使しないようにするだけで、アラブ人を説得する 方法は山ほど出て来ます。そのままの状態であれば、ユダヤ人はなにも悪いこと をしていない民族を略奪したイギリス人に同調していることになるのです。 私はアラブの行き過ぎた行為を弁護しているわけではありません。 アラブも、また、こうしたユダヤ人の不当な侵略とみなされる行為に対し、 非暴力主義の抵抗を選択すれば良かったと思っています。 しかし、誰もが納得の行く善悪の基準に照らしてみればアラブの抵抗運動 の方に勝ち目があると言えるでしょう。 自分達が「選ばれた民族」であると主張しているユダヤ人に、それが正しい 主張であることを、非暴力主義の方法を選択することで、証明させては どうでしょうか? どんな国でもその国を愛すことによって、それが自分達の 祖国になるのです。でもそれは決して侵略行為では実現しません。 パレスティナもそうです。

 ユダヤ人の友人がセシル・ロス著の「文明へのユダヤの貢献」という本を送って くれました。この本はユダヤ人が世界を豊かにさせたことの記録です。 文学、芸術、音楽、劇文学、科学、医学、農業などの分野での有能な人々の ことを考えれば、ユダヤ人は嫌悪されるか、または、庇護されるといった 形で、西洋の「カースト」として取り扱われる必要はないでしょう。 すぐに人非人と見なされるような、神によって見捨てられた人間である 代わりに、彼等、ユダヤ人は神が選んだ人間として世界の注意と敬意を 集めることができるのです。彼等は文明への多くの貢献しましたが、さらに、 非暴力運動というすばらしい貢献をもそれに、加えることができるのです。 1938年11月20日 マハトマ・ガンジー著:私の非暴力:パレスティニアのユダヤ人 ナバジバン出版社  1960年 から抜粋


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[質問]
 昨今のパレスチナ/イスラエル情勢の悪化にともない、パレスチナ問題について多くの方々に知っていただけたらと、パレスチナ問題についてやさしく解説しているような書籍はないものかと考え、以下のような書籍をすすめることにしました。
 『(新版)リウスのパレスチナ問題入門』(エドワルド・デル・リウス著/山崎カヲル訳/第三書館刊/2001)
 ところで、その76頁に、次のようなラッセルの言葉の引用があります。

 「私たちはしばしば、ナチスがユダヤ人に行った迫害のゆえに、イスラエルを支持すべきだと言われる。こうした議論は私には、いかなる意味でも正しいとは思われない。イスラエルが現在行っていることは許しがたい。過去に迫害されたという口実で現在の自分たちの迫害を正当化するのは、まったくの偽善である。イスラエルは、きわめて多数のパレスチナ難民の貧窮に関して有罪であるだけでなく、植民地から解放されたばかりのアラブ諸国の貧困化に関しても有罪である。これら諸国は、イスラエルに対する軍備に費やす資金を国民の発展に投下することができるからである。」

 この文章の出典及び邦訳の有無について教えてください。

[回答]
 ** 様

 お尋ねの文章は、ラッセルが死ぬ2日前(1月31日)に執筆したものであり、1970年2月、カイロで開催された国際首脳会議に当てたメッセージです。(ラッセルは1970年2月2日死亡)
 この原文(英文全文)は、http://www.homeusers.prestel.co.uk/littleton/br7004br.htm に掲載されています。(著作権は、ラッセル平和財団が持っています。)

 邦訳は、岩松繁俊著『平和への告発』(精文館、1971年刊)pp.240-242 に掲載されていますが、この本は多分、出版元にも在庫はないと思われます。長崎の岩松先生がまだ何冊かお持ちかもしれません。是非入手したいということであればご紹介します。
 長いですが、以下、スキャナーで読みとったものをあげておきます。

 カイロにおける国際首脳会議(1970年2月開催)にあてたバートランド・ラッセルのメッセージ

 「中東における宣戦布告なき戦争の最近の局面は、重大な誤算にもとづいている。エジプト領内ふかく侵入した爆撃は、一般市民を降服する気分においこむのでなく、逆に、抵抗への決意をかためさせるだけであろう。これが、あらゆる空襲の教訓である。何年にもわたって、アメリカのはげしい爆撃をたえしのんできたヴェトナム人民は、降服ではなく、逆に、ますます多くの敵機を撃墜するという反応をしめした。1940年には、わたし自身の同胞国民は、かつてない団結と決意とをもって、ヒトラーの爆撃に抵抗した。こういう理由から、現在のイスラエルの攻撃は、その本来の目的を達成できないであろう。同時に、かれらは、世界中からきびしい非難をうけなければならないのである。
 中東における危機の発展は、危険であり、かつ、教訓的である。20年以上にもわたって、イスラエルは軍事力を増強してきた。各段階の増強がおわるたびごとに、イスラエルは"理性"に訴え、"交渉"を提案してきた。これは、帝国主義強国の伝統的なやりかたである。なぜならば、帝国主義強国は、すでに暴力でうばいとったものを、できるだけすくない障害をもって、統合したいからである。ひとつひとつの新しい征服地は、ちからずくの交渉の新しい基礎となるのである。そして、この交渉では、それ以前の侵略の不正は、無視されてしまうのである。イスラエルがおこなった侵略は、非難されなければならない。その理由は、ただ、いかなる国家も外国の領土を併合する権利をもっていないから、ということだけではない。さらに、あらゆる領土拡張を、どれだけまでの侵略ならば世界中がだまって見ているだろうか、という限界を知る実験的こころみとしているからである パレスチナ周辺にいる何10万もの難民のことを、ワシントンのジャーナリスト、I.F.ストーンは、最近、『世界中のユダヤ人の首にかけられた道徳的重荷』とのべた。難民の多くは、いまや、仮の住居に、他律的で不安定な生存をしいられて、30年になんなんとしている。パレスチナ住民の悲劇は、かれらの国が、新しい「国家」をつくるために、外国権力によって他国の人民に"あたえられた"国である、ということである。その結果、何10万もの罪もないひとびとが、永久に家をうばわれているのである。新しく紛争がおこるたびに、かれらの数は増加していった。これからさき、いつまで、世界中のひとびとは、この無慈悲で残酷な光景をだまって見ているつもりなのだろうか。難民が、すべてそのおいたてられた母国にかえる権利をもっていることは、きわめて明白である。この権利の否定こそが、うちつづく紛争の核心をなしているのである。世界中のどこにいるひとびとも、自分たちの国から、集団的に追放されることを承諾するものではない。いっい、だれが、どうして、パレスチナのひとびとにたいして、よそのだれもががまんできない苦痛を受諾せよ、と要求することができるだろうか。難民が、母国で、永久に正当な定住をえることが、中東での真の問題解決のための不可欠の要素である。
 ヨーロッパのユダヤ人は、ナチスの手で苦しめられたから、われわれはイスラエルに同情しなければならない、としばしばいわれている。しかし、わたしは、この提案のなかに、あらゆる苦しみを永久化すべき理由を何ら見いださない。今日、イスラエルがおこなっていることは、ゆるされえないことである。現在の恐怖を正当化するために過去の恐怖に訴えることは、はなはだしい偽善である。イスラエルは、膨大な数の難民を悲惨な境遇にあえぐよう運命づけているばかりではない。占領地区の多数のアラブ人が、軍事的支配を余儀なくされる運命にあるばかりではない。イスラエルは、さらに、ごく最近、植民地の状態からぬけだしてきたアラブ諸民族にたいして、軍事的要求は民族の発展より優先するからといって、いつまでも貧困状態のままにしておくと宣言しているのである。中東における殺戮の終止を見たいとおもうひとはすべて、将来の紛争の禍根をふくまないような解決をのぞまなければならない。正義はつぎのように要求する。すなわち、解決への第一歩は、イスラエルが、1967年6月に占領した全地域から撤退することでなければならない、と。長いあいだ苦しんでいる中東のひとびとに正義をもたらすのを支援するために、新しい世界的キャンペーンが必要とされているのである。(終)





(私論.私見)