別章【カンテラ時評2】

 更新日/2018(平成30).1.30日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 2017(平成29).12.21日、「カンテラ時評2」サイトを設け、れんだいこのディリー時評を発信する。このところ、掲示板が機能しなくなり、ブログにも入れなくなり、遂にツイッターにまで及んだ。所詮は運営者からの借り物であるので文句を言っても勝ち目はない。そこで我がホームページ上に取り込み、自前サイト化しておくことにする。ホームページがヤラレタなら致し方ないけど、USBに格納しておけば復旧は可能と判断する。

 2017(平成29).12.21日 れんだいこ拝


コード№ 項目
カンテラ時評2/2018.2月分
カンテラ時評2/2018.1月分
カンテラ時評2/2017.12月分
カンテラ時評2/2018.2月分




(私論.私見)

 国会質疑削除考

 「ライブドア社長ホリエモンの送金指示メール偽造事件」をめぐって腹立たしいことがあるので、備忘録的に書き付けておくことにする。全ては永田議員の勇み足的処理で、永田議員及び国対委員長・野田議員の責任を問う形で決着したが、果たして永田議員の単独プレイであったのだろうか。民主党若手ホープの永田議員をして爆弾発言させるシナリオに巻き込まれた可能性はないのか。永田議員は、党を挙げて全面支援するとの言質により質問に臨んだのではないのか。前原代表の強烈な後押しなしにはなし得なかったのではないのか。永田議員はかくて、党執行部の後押しを得て質問に立ったが、民主党執行部は、小ネズミ首相の即座のガセネタ指摘により腰砕けになった。永田議員は梯子を外され、病院へ隔離させられた挙句、議員辞職を余儀なくされようとしている。しまいには、前原ー鳩山ー永田は、わざわざテレビ映り仕掛けの衆人環視の中でお詫び珍芸する始末となった。れんだいこは全てが臭いと思う。

 民主党が真に反省せねばならぬのは、かような執行部を生み出したことに対する責任ではあるまいか。民主党はこのところ、鳩山ー岡田ー前原という党内右派系列に執行部を占めさせてきているが、それが次第に反感と失望を生み出しているのではないのか。この連中の憲法改正及び自衛隊の武装海外派兵感覚は、自民党若手に比して何ら遜色のない「改革派」である。本来なら、自民党内で活動すればよいものを、ポスト制限によりあぶれたことにより民主党に鞍替えしてきた連中ではないのか。そういう系譜の者どもによる二大政党制は本来の意味でのものではない。我々は、こういうことを確認すべきではなかろうか。

 それはともかく、「国会質疑の議事録削除」について考察する。民主党は、「自民党からの公開質問状に対する回答」として、様々に陳謝した挙句、「衆議院予算委員会及び国家基本政策委員会の議事録については、ご要求通り該当個所の削除に応じます」と回答している。れんだいこは、たかが飲酒とタバコぐらいのことで、しかも卒業式の二次会という宴席の場でのことで、苫小牧高校野球部の春の甲子園大会出場辞退を余儀なくされる風潮にも不快を感じているが、「国会質疑の議事録削除」にはもっと不快を感じている。

 誰も問題にしていないようだが、「国会質疑の議事録削除」とは何ぞ。国会議員が国会という場で為した発言は永久に取り消しができないことこそ政治改革の第一歩ではないのか。発言の訂正及び陳謝はあり得て良い。それらは全て付帯されるべきだろう。だがしかし、何の理由で、実際に為された発言を議事録から削除せねばならぬのか。これこそ国民を愚弄する臭い話ではないのか。自民党が要求し、民主党も何の違和感もなく応じているようだが、社民党、共産党も特段の抗議をしていないようだが、一体どういうことなんだ。

 みんなもなぜ問題にしないのか。マスコミは相変わらず、苫小牧高校野球部の春の甲子園大会出場辞退当然論的立場から関係者を批判しているが、バカも休み休み言いたまえ。現役選手の重度の不祥事ならともかくも、オービーの素行にまでなぜ責任を被らねばならないのか。あるいは選手登録されなかった部員の不祥事でも同様の辞退が強制されているようだが、そういう一蓮托生制は行き過ぎではないのか。社会的マナーは、相互の「自由、自主、自律」により獲得形成すべきもので、相互監視制度から強制されるものではなかろうに。この行き過ぎが咎められないのはなぜなんだ。

 マスコミは、逆から批判するのを得意技にしており、「国会質疑の議事録削除」についても然りのようである。誰も問題にしていない。れんだいこはこの際確認しておきたい。一体、「国会質疑の議事録削除」は戦前の帝国議会でも常用されていたのであるのか。戦後の国会ではいつ頃から始まったのか。諸外国でも同様の措置を採っているのか。これらの点に付き、どなたかご教示賜りたい。

 参考までにお伝えすれば、れんだいこの知る限りでは、1988.2.7日の衆院予算委員会での浜田幸一委員長の「宮顕リンチ疑惑発言」の取り消しが初見である。この時、日共の宮顕ー不破は、ハマコー発言を議事録から削除することに成功している。そういう経緯があるので、日共は、こたびの永田議員の発言削除に対しても何の発言もできないのは理屈である。むしろ、そういう前例を作った党である故に、「国会質疑の議事録削除」を不審がる資格さえない。

 それはともかく、「国会質疑の議事録削除」は、これが度重なれば歴史の偽造になりはすまいか。どういう法益があってさようなことをするのか、れんだいこにはどうしても解せない。他にも、引用、転載に承諾要す著作権論にも疑問を持っている。私の解釈の誤りを指摘してもらいたい。

 最近気づくことに、市井の会話の中に「意味が分からん」というぼやきのようなフレーズが流行っている。世相は時代を敏感に反映している。確かに、諸事万事精査されぬままに美名の掛け声だけでゴリ押しされており、「意味が分からん」時代になっているのではなかろうか。


 2006.2.5日 れんだいこ拝