れんだいこの西郷隆盛論



 (最新見直し2013.4.5日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここに、れんだいこの西郷隆盛論を記しておく。

 2008.3.1日 れんだいこ拝


【れんだいこの西郷隆盛論】
 れんだいこがなぜ急に西郷隆盛を知りたくなったのか。それは、流布されている征韓論、その後の士族の反乱、西南の役の真相を知り、西郷イメージに虚飾を感じ始めたからである。こういう思いにあった時僥倖にも「南州翁遺訓」を読む機会を得た。これにより、西郷の政治論の真っ当さ、奥深さに感応することができた。西郷派が何の為に西南の役へと向かったのか分かった。そこには、理不尽に抵抗し潰えた亡びの美学が刻印されている。

 今れんだいこは思う。西郷及び西郷派こそは、かの時の時点で早くも明確に、文明開化の名の下に移入されつつあった西欧文明の中に潜む「怪しい分裂」を見抜いていた。西欧文明が既に病んでおり、その病を促進しているロスチャイルド派国際金融資本帝国主義の悪巧みを見抜いていた。西郷及び西郷派は、西欧文明そのものを拒否していたのではない。その中に潜む悪しき因子を見抜いていた。日本及び日本民族がやがて懐柔される危険性を警鐘乱打し、征韓論、その後の士族の反乱、西南の役へと向かう道筋は、幕末維新以来の正の回天運動を貫徹する為に、止むに止まれず日本国家と民族の存亡を賭けて戦いを挑んだ反ネオシオニズム闘争であり、彼らはこの正義に殉じた英傑であった。こう構図を構えるべきであろう。今日の政治のテイタラクを思えばその真因はここにあり、遠く西郷派のかの時の敗北によりもたらされている。そういうことが分かってきた。

 この史実が、歴史の通説から隠蔽されている。戦後に於ける大国主の命的政治を体現した田中角栄が極悪非道人と呼ばれるのと同じく、西郷隆盛も叉汚名を着せられたまま歴史偽造されている。それは何もネオシオニズムに牛耳られた政府系の御用史学からのみならず、反政府運動の一番手的地位にある日本左派運動の通説からも同様の扱いを受け批判を浴びせ続けられている。この面では奇妙に政府と反政府が通謀している。

 ここにマヤカシがある。これをノホホンと学べば学ぶほど馬鹿になる秘密がある。知識と情報を増やすほど却って真実から遠ざかる仕掛けがある。このことに覚醒することが史学の第一歩となるべきであろう。ご丁寧なことに、政府系と反政府系はデキレース的な政治運動にウツツを抜かしながら、西郷論や角栄論や大東亜戦争論やホロコースト論や9.11論になるや、通説批判する者達に向かって、そういう見方をするのは陰謀史観であると云って直ちに却下する。つまり聞く耳を持たない。中には条件反射的にヒステリックになる者も出る始末である。

 れんだいこに云わせれば、ネオシオニズムが特徴とする得意芸は史実偽造であり、史実の隠蔽とか偽造を常習的陰謀的に為しているので、そのことを指摘するのが陰謀史観だと云われても、事実そうだろうがと言い返すしかない。陰謀史観だといわれて却下されるには及ばない。むしろ、陰謀史観だとレッテル貼ることで思考停止できる者はよほどオツムが粗雑にできているに違いないと思う。その程度の頭脳の者が教授の肩書きでインテリを自称しつつ世渡りしている姿こそ滑稽だと思う。

 真にインテリ性があるのなら、そういう陰謀が存在するのかしないのか詮議せねばなるまい。あらゆる証拠を出し、陰謀史観派と駁論し、検証能力で秀でねばなるまい。そう為すのを学問と云うのではなかろうか。基本的な学的態度とはそうあるべきではないのか。この姿勢を放棄するのが陰謀史観批判論者の共通スタンスであり、批判言辞だけを浴びせて事足れりとしている。卑怯姑息なのではあるまいか。そういう態度から良い学問が生まれる訳もなかろう。これを為し得ない者が、政府系にせよ反政府系にせよ安逸な政論でお茶を濁して我が世の春を謳歌しているだけのことではないのか。そんな気がする。

 2008.3.1日 れんだいこ拝

【西郷―角栄を貫く赤い線、日本近現代史考】
 久しぶりに田中角栄をシリーズ的に見直してきたが、ここら辺りで一段落させ次に西郷隆盛論の見直しに向かいたい。両者には一見何らの繋がりも見られないように思われるが、れんだいこは似ていると考えている。こう云えば察しの早い方は、西郷は西南の役で敗れ、角栄はロッキード事件で失脚させられたと云う不運の英傑政治家として思い浮かべるであろう。然りである。しかし、それだけでは共通項が見当たらない。両者には或る共通のものがあると思う。それは、両者の政治が、いわゆる天皇制より以前のはるか昔からの日本的共和政治に郷愁しており、その良さを具現化せんとした政治を目指す過程で倒れた倒されたと云う面があるのではなかろうか。れんだいこはそのように考えている。

 もとより西郷は士族、角栄は農民であり出自が違う。西郷は政治畑であり角栄は経済畑である。つまり政治のホームグランドが違う。西郷は利権からほと遠く、角栄は利権を呑み込んでいた。そういう意味での金権性が違う。この違いにより両者が交わる線は見えなかったのだが、れんだいこ史観を通せば共に日本古来の縄文型共和政治を良しとして比類ない能力で政治闘争し続け最終的に失脚を余儀なくされた点で似通っている。それも、現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義派の手によって倒された英傑政治家と云う点で絶対的に似ている。こういうことになる。

 と云う訳で、西郷と角栄の歴史的繋がりの赤い線をスケッチしておく。日本の近代史はこういう流れになるのではなかろうか。

 その1。西郷は徳川政権末期いわゆる幕末時代に、倒幕派の主軸となった薩長同盟の薩摩側のリーダーとして活躍した。多くの志士の血で購われた幕末維新を成功裏に為し遂げた。幕末維新は大きく見て世界史上傑作の日本式武装無血革命であり、誉れとするべき事件であること。この回天事業の要所を締めたのが竜馬―西郷―勝の英傑ラインであった。この革命の真の偉大さは、日本の植民地化を画策していた国際金融資本帝国主義の思惑を外れさせ、日本の近代的独立の端緒に立ったことにある。

 その2.。そのようにして勝ち取った幕末維新革命政権であったが、その後の明治維新過程で文明開化の名の下での国際金融資本帝国主義の容喙が激しく、幕末維新以来の継続革命派が夢見たものが大きく捻じ曲げられ、それも幕藩体制よりもより悪しき方向に変質されていくことに対して継続革命派の義憤が嵩じて行った。

 その3。明治維新政府内の両派の対立が頂点に達したのが征韓論争であった。この時、西郷の念頭にあったのは、国際金融資本帝国主義派の策動に抗する為の日中韓の北東アジア軍事ブロックの構想であり、西郷はその為に単身李氏朝鮮に乗り込み談判する予定であったこと。西郷のそれは征韓論ではなく和韓論であったこと。

 その4。その当時の李氏朝鮮は日本の幕末の攘夷運動下にあり、話せば通ずる可能性があったこと。イフではあるが、西郷と李氏朝鮮は肝胆相照らす仲になる可能性が大いにあったということ。

 その5。西郷のこの北東アジア政治ブロック構想に立ち向かったのが、岩倉遣欧使節のメンバーであり、征韓論論争の真実の論争の正体はここにあること。流布されている西郷的征韓論は歴史偽造であること。岩倉遣欧使節派はそれ以前も以降も露骨に国際金融資本帝国主義の走狗として立ち働いていたこと。

 その6。.征韓論争は、継続革命派と国際金融資本帝国主義派の抜き差しならない絶対対立として進行し、継続革命派が一斉に下野したこと。これが士族の反乱の真実の動機となったこと。士族の反乱の本質をかく踏まえること。

 その7。西郷派の西南の役は士族の反乱の最後の大戦争となったこと。この時、西郷自身は、もう少し時間を稼ぎ、準備に努めれば勝てる戦にする可能性があったが、維新政府がこれを大いに危惧し挑発し、これに乗せられる形で私学校の青年将校が決起し、西郷もせっつかれて遂に立たざるを得なかったという裏事情があること。

 その8。この時、西郷が敵として見つめていたものは、大久保―岩倉―伊藤派の維新政府の面々ではなく、彼らを背後で操っている国際金融資本帝国主義ネオシオニズムであったこと。西郷派は、決起したものの再度の内戦を好餌とされる危機を危ぶみ、生きざまのみを遺すと云う滅びの美学に殉じた形跡が認められること。

 その9。西郷派一掃の後の日本はネオシオニズムの思惑通りの日本帝国主義化へ進んだこと。 これが日本帝国主義の正体であり国際金融資本帝国主義の傭兵化であったこと。これに対する抵抗運動として自由民権運動、議会制民主主義運動、マルクス主義運動、アナーキズム運動その他が生み出されたこと。この抵抗運動はインテリ型に終始し、抵抗はすれども幕末維新のように革命政権樹立へと成功させたことは一度もないと云うこと。

 その10。その後、日本帝国主義内に自律化が進み、独自権益を確保し出すことにより国際金融資本帝国主義の傭兵的地位からの脱却を求める流れが生まれ、これが大東亜戦争に至る伏線となったこと。大東亜戦争とは、日本帝国主義の自律を廻る国際金融資本帝国主義との闘争であったこと。皇道派と統制派の軍部の対立は、自律派と傭兵派との内部抗争であったこと。

 その11。遂に大東亜戦争に突入し、その敗北で戦後日本は再度国際金融資本帝国主義のクビキ下に置かれたこと。

 その12。大東亜戦争の敗北は他面で旧支配層を蟄居させ、新憲法下で新たな下克上を生み、最終的に自民党政権内のハト派がこれを御したこと。その政策が史上稀なる戦後復興と高度経済成長をもたらしたこと。

 その13。田中角栄は戦後政治から輩出したその怪物であったこと。その田中が日中国交回復を為し遂げ、続いて日ソの国交回復を手掛けようとし国際金融資本帝国主義のクビキからの自律に向かったこと。

 その14。その流れを断ち切る役目で金権批判論が登場し、勃発したのがロッキード事件であり、これにより戦後ハト派政治が終焉させられ、中曽根に象徴されるタカ派政治の天下時代に帰着したこと。

 その15。その延長線上の姿が今日の政界であること。

 その16。この間、この枠を突き崩す動きとして細川政変が発生したが、国際金融資本帝国主義のクビキからの自律を求めるでもなく内部分裂を余儀なくされたこと。

 その17.2009年、細川政変に続く鳩山政変が発生したが、腰が据わらず漂流しつつあること。その後を菅、野田が引き継いだもののますます親ネオシオニズム性を発揮し、2012年末の衆議院選で古巣の自公政権に政権返上したこと。この流れに抗する唯一の勢力が小沢派として橋頭保化していること。

 してみれば、西郷は、既にかの時、今日の日本のテイタラクを予見し、与えられた能力の限りを使って奮戦力投したことになる。西郷と角栄には繋がる赤い線が認められることになる。こういうことが見えて来る。れんだいこは、このことを知っただけでも大いに為になった。

 2008.3.1日、2010.04.17日再編集 2013.01.07日再編集 れんだいこ拝













(私論.私見)