大祓詞(おおはらいのりと)文考

 (最新見直し2009.3.4日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「にっぽん文明研究所の大祓え」、「【祝詞】大祓詞 おおはらえのことば」その他を参照する。れんだいこは今日ふと祝詞(のりと)を知っておきたくなり急きょサイト化した。既成の祝詞文を推敲し、その意味を探った。

 神社庁指定の「大祓詞」(おおはらへののりと、原文は平仮名の部分が万葉仮名)は大正3年に内務省が制定したもので、以降神社本庁の定本として各神社で用いられているが、古来の原文から離れていると思われる。これを仮に「定本・大祓ののりと」と命名する。通説は、「大祓のことば」と読むようである。

 「定本・大祓ののりと」とは別に別文「六月晦大祓祝詞(みなづきつごもりのおおはらえののりと」(出典:延喜式卷八「祝詞」)がある。これを仮に「別文・大祓ののりと」と命名する。れんだいこは、こちらの方が原文に近いと見立てるので、これを下敷きに記述を取り入れ推定復元した。まだ十分にはできていないが、判明次第更に書き直すものとする。これを仮に「れんだいこ文・大祓ののりと」と命名する。

 その違いは、天津神の罪、国津神の罪を列挙している下りが顕著で、「定本大祓詞」では削除されている。「別文・大祓ののりと」には記載されている。れんだいこは、「別文・大祓ののりと」の方が正しいと見立て、徒に原文改訂は良くないと考え復活させた。但し、「別文・大祓ののりと」の記載も語調が不自然で、そのままでは使えなかった。そこで修正した。両者の罪の違いが却って興味深い。

 更に、後半の下りでも記述が違う。れんだいこは、別文の方を採った。
これにより、「天つ宮ごともちて、天つ金木(かなぎ)を本(もと)打ち切り末打ち断ちて」の「天つ宮ごともちて」の後に「大中臣(おおなかとみ)」を挿入することにする。更に、別文では末尾に「四国(よくに)の卜部」が登場している。これをどう読み解くべきか。何か重要なヒントが隠されているように思われる。いずれにせよ、別文の記載が正しいと見立て、別文にある以上採りいれるべきとして採用した。

 他にも気がついたことは、「定本大祓詞」の文節が不自然に区切られており、ただでさえ分かりにくいのに余計に分かりにくくされていることだった。意味が通るよう、れんだいこ式に仕切りなおしした。
もう一つ、後半に出てくる「持」を「持つ、持ち」として解読されているのを排して、「も」と解して前の文節に括った。「以」も「も」と読むが、その使い分けについては今後考察することにする。正しいかどうかは分からないが、訳文上はかく理解した方が意味が通ずるのでそうした。これは、れんだいこの新たな発見の一つになった気がする。  

 そういう訳で、「れんだいこ文・大祓ののりと」を創案した。ここに、「れんだいこ文・大祓ののりと」の万葉仮名原文、現代文、解釈文を記しておく。全体に格調の高い美文になっている。且つ隠語による暗喩が込められており、古代史上の最大政変をそれとなく伝承している気がする。幾度も復唱暗誦することで自ずと意味が通ずるように工夫されているように思われる。

 留意すべきは、あくまで天津系の手になる「大祓詞」であり、出雲系の「大祓詞」が対置的に別に存在すると考えられることである。但し、こちらは秘されていると思われその限りで不明である。出雲国造奏上文「出雲国造神賀詞」(いずものくにやっこかむよごと、又はかむほぎのことば)があるが、それは出雲系の「大祓詞」とは又別文であろう。「出雲国造神賀詞」については「出雲国造家考」で確認する。 

 2009.3.4日、2010.01.12日再編集  れんだいこ拝


【「六月晦(みなづきつごもり)の大祓詞(おおはらへの言葉)」読み下し(れんだいこ編現代文)】
 「禊祓詞(みそぎはらへの言葉)」は、次の「大祓詞(おおはらへの言葉)」の前振りとして奏上される。「禊祓詞(はらへの言葉)」を受けて、「大祓詞(おおはらへの言葉)」が奏上される。
 かけまくもかしこき、いざなぎの大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に、御禊祓へ給いし時になりませる祓戸の大神たち、諸々のまがごと、罪、穢れあらむをば、祓へたまへ清めたまへとまをすことを、きこしめせと、かしこみかしこみもまをす。
 六月(みなづき)の晦(つごもりの)大祓(おほはらへ)〔十二月も此に准(なら)へ〕

 集侍(うごな)はれる親王(みこたち)、諸王(おおきみたち)、諸臣(まえつきみたち)、百官(もものつかさ)の人たち、諸(もろもろ)聞こしめせと宣(の)る。天皇(すめら)が朝廷(みかど)に仕(つか)え奉(たてまつ)る比礼(ひれ)挂(か)くる伴男(とものを)、手襁(たすき)挂くる伴男、靫(ゆぎ)負(お)ふ伴男、剱(たち)佩(は)く伴男、伴男の八十(やそ)伴男を始めて官官(つかさづかさ)に仕え奉る人等(ども)の過(あやま)ち犯しけむ雑雑(くさぐさ)の罪を、今年(こぞ)の六月(みなづき)の晦(つごもり)の大祓(おおはらへ)に祓ひたまひ清めたまふ事を諸(もろもろ)聞こしめせと宣る。
 高天原(たかまのはら)に神(かむ)づまります皇(すめら)が親(むつ)、神漏岐(かむろぎ)神漏美(かむろみ)の命(みこと)もちて、八百万(やほよろづ)の神たちを神集(つど)へに集へたまひ、神議(はか)りに議りたまひて、我(あ)が皇御孫(すめみま)の命は豊葦原(とよあしはら)の水穂の国を、安国(やすくに)と平(たひら)けくしろしめせと、ことよさしまつりき。
 かくよさしまつりし国中(くぬち)に、荒ぶる神たちをば神問(と)はしに問はしたまひ、神掃(はら)ひに掃ひたまひて、語(こと)問ひし。磐根(いはね)樹根(きね)たち草の垣葉(かきは)をも語止(や)めて、天(あめ)の磐座(いわくら)放ち、天の八重雲(やへぐも)を、伊頭(いづ)の千別(ちわき)に千別きて天降(あまくだ)りし、よさしまつりき。かくよさしまつりし四方(よも)の国中(くになか)と、大倭日高見(おおやまとひたかみ)の国を安国と定めまつりて、下つ磐根に宮柱太しき立て、高天原に千木(ちぎ)高しりて、天御孫の命の瑞(みづ)の御殿(みあらか)へ仕へまつりて、天の御陰(みかげ)日の御陰と隠(かく)りまして、安国と平けくしろしめさむ国中になりいでむ。
 天の益人(ますひと)らが禍(あやま)ち犯しけむ種々(くさぐさ)の罪ごとを法(の)り別(わ)ける。畦放ち、樋放ち、頗蒔(しおまき)、串刺し、生け剥(いけはぎ)、尿戸(くそへ)。国つの益人らが禍ち犯しけむ種々の罪ごとを法り別ける。生膚断絶(いきはだたちし)、白人胡久美(しらひとこくみ)、己(おの)が母犯せる罪、己が子犯せる罪、畜(けもの)犯せる罪、昆虫(はうむし)の患い、高つ神の患い、高つ鳥の災い、畜倒(けものたおし)
 天津罪 国津罪 許許太久(ここだく)の罪かくいでば、天つ宮ごともちて 大中臣(おおなかとみ)、天つ金木(かなぎ)を本(もと)打ち切り末打ち断ちて、千座(ちくら)の置座(おきくら)に置きたらはして、天つ菅麻(すがそ)を本狩り断ち末刈り切りて、八針(やはり)に取り辟(さ)きて、天つ祝詞(のりと)の祓へ清めの太(ふと)祝詞ごとを宣れ。
 かく宣らぱ、天つ神は、天の磐門(いはと)を押しひら)きて、天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて聞こしめさむ。国つ神は 高山(たかやま)の末、短山(ひきやま)の末に上(のぼ)りまして、高山の伊褒理(いぼり)短山の伊褒理掻(か)きわけて聞こしめさむ。かく聞こしめてば、皇御孫の命の朝廷を始めて天下(あめのした)四方(よも)の国(くにぐに)には罪といふ罪はあらじと。
 科戸(しなど)の風の天の八重雲を吹き放つことの如く、朝(あした)の御霧(みぎり)夕(ゆふべ)の御霧を、朝風夕風の吹き払ふことのごとく、大津辺(おほつべ)に居(を)る大船(おほふね)を舳(へ)解(と)き放ち、艫(とも)解き放ちて、大海原(おおうなばら)に押し放つことの如く、彼方(をちかた)の繁木(しげき)が本を、焼き鎌(がま)の利鎌(とがま)持ちて打ち掃ふことの如く、遺(のこ)る罪はあらじと祓へたまひ清めたまふことを、高山の末短山の末より佐久那太理(さくなだり)に落ちたぎつ。
 速川(はやかは)の瀬にます瀬織津(せおりつ)姫といふ神、大海原にも出(い)でなむ。かくも出でなば、荒潮(しほ)の潮の八百道(やほぢ)の、八潮道(やしほぢ)の潮の八百会(やほあひ)にます、速開都(はやあきつ)姫といふ神も加加呑(かかの)みてむ。
 かく加加呑みてぱ、氣吹(いぶき)戸にます氣吹戸主(ぬし)といふ神、根の国底の国に氣吹放ちてむ。かく氣吹放ちてば、根の国底の国にます佐須良(はやさすら)姫といふ神もさすらひ失(うしな)ひてむ。かくさすらひ失ひてば、今日より始めて現身(うつそみ)の身にも心にも罪といふ罪はあらじと。
 高天原に耳振り立てて、聞くものと馬ひき立てて、今年の六月の晦の日の、夕日の降(くだち)の大祓に払へたまひ清めたまふことを、天つ神国つ神 八百萬の神たち 共に聞こしめせと恐(かし)こみ恐こみまおす。四国(よくに)の卜部(うらべ)等(ども)、大川道(ぢ)にも退出(まかりいで)て祓ひやれと宣る。

【「六月晦(みなづきつごもり)の大祓詞(おおはらへの言葉)」読み下し解析文)】
 「禊祓詞(はらへの言葉)」を受けて、「大祓詞(おおはらへの言葉)」が奏上される。

 六月(みなづき)の晦(つごもりの)大祓(おほはらへ)
 〔十二月も此に准(なら)へ〕

 集侍(うごな)はれる親王(みこたち)、諸王(おおきみたち)、諸臣(まえつきみたち)、百官(もものつかさ)の人たち、諸(もろもろ)聞こしめせと宣(の)る。

 天皇(すめら)が朝廷(みかど)に仕(つか)え奉(たてまつ)る比礼(ひれ)挂(か)くる伴男(とものを)、手襁(たすき)挂くる伴男、靫(ゆぎ)負(お)ふ伴男、剱(たち)佩(は)く伴男、伴男の八十(やそ)伴男を始めて官官(つかさづかさ)に仕え奉る人等(ども)の過(あやま)犯しけむ雑雑(くさぐさ)の罪を、今年(こぞ)の六月(みなづき)の晦(つごもり)の大祓(おおはらへ)に祓ひたまひ清めたまふ事を諸(もろもろ)聞こしめせと宣る。

 高天原(たかまのはら)に神(かむ)づまります皇(すめら)が親(むつ)、神漏岐(かむろぎ)神漏美(かむろみ)の命(みこと)もちて、八百万(やほよろづ)の神たちを神集(つど)へに集へたまひ、神議(はか)りに議りたまひて、我(あ)が皇御孫(すめみま)の命は豊葦原(とよあしはら)の水穂の国を、安国(やすくに)と平(たひら)けくしろしめせと、ことよさしまつりき。 

 かくよさしまつりし国中(くぬち)に、荒ぶる神たちをば神問(と)はしに問はしたまひ、神掃(はら)ひに掃ひたまひて、語(こと)問ひし。磐根(いはね)樹根(きね)たち草の垣葉(かきは)をも語止(や)めて、天(あめ)の磐座(いわくら)放ち、天の八重雲(やへぐも)を、伊頭(いづ)の千別(ちわき)に千別きて天降(あまくだ)りし、よさしまつりき。


 
かくよさしまつりし四方(よも)の国中(くになか)と、大倭日高見の国(おほやまとひたかみのくに)を安国と定めまつりて、下つ磐根に宮柱太しき立て、高天原に千木(ちぎ)高しりて、皇御孫の命の(みづ)の御殿(みあらか)へ仕へまつりて、天の御陰(みかげ)日の御陰と隠(かく)りまして、安国と平けくしろしめさむ国中になりいでむ。

 天の益人(ますひと)らが過(あやま)ち犯しけむ種々(くさぐさ)の罪ごと
 
を法(の)り別(わ)ける。畦放ち 溝埋め 樋放ち 頗蒔(しきまき) 串刺し 生剥(いけはぎ) 尿戸(くそへ)
 国つの益人等が過ち犯しけむ種々の罪ごと
 を法(の)り別ける。生膚断絶(いきはだたちし) 死膚断死(しにはだたちし 白人胡久美(しらひとこくみ) 己(おの)が母犯せる罪 己が子犯せる罪 畜(けもの)犯せる罪 昆虫(はうむし)の災い 高つ神の災い 高つ鳥の災い 畜倒(けものたおし) 蟲物(まじもの)為(な)せる罪

 【天津罪 国津罪 許許太久の(ここだく)罪】かくいでば、天つ宮ごともちて【大中臣(おおなかとみ)】、天つ金木(かなぎ)を本(もと)打ち切り末打ち断ちて、千座(ちくら)の置座(おきくら)に置きたらはして、天つ菅麻(すがそ)を本狩り断ち末刈り切りて、八針(やはり)に取り辟(さ)きて、天つ祝詞(のりと)の祓へ清めの太(ふと)祝詞ごとを宣れ。
 かく宣らぱ、天つ神は、天の磐門(いはと)を押しひら)きて、天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて聞こしめさむ。国つ神は 高山(たかやま)の末、短山(ひきやま)の末に上(のぼ)りまして、高山の伊褒理(いぼり)短山の伊褒理掻(か)きわけて聞こしめさむ。

 かく聞こしめてば、
【皇御孫の命の朝廷を始めて天下(あめのした)四方(よも)の国(くにぐに)には】罪といふ罪はあらじと。
 科戸(しなど)の風の天の八重雲を吹き放つことの如く朝(あした)の御霧(みぎり)夕(ゆふべ)の御霧を、朝風夕風の吹き払ふことのごとく大津辺(おほつべ)に居(を)る大船(おほふね)を舳(へ)解(と)き放ち、艫(とも)解き放ちて、大海原(おおうなばら)に押し放つことの如く、彼方(をちかた)の繁木(しげき)が本を、焼き鎌(がま)の利鎌(とがま)持ちて打ち掃ふことの如く、遺(のこ)る罪はあらじと祓へたまひ清めたまふことを、高山の末短山の末より佐久那太理(さくなだり)に落ちたぎつ。
 速川(はやかは)の瀬にます瀬織津(せおりつ)姫といふ神、大海原に出(い)でなむ。かく出でなば、荒潮(しほ)の潮の八百道(やほぢ)の、八潮道(やしほぢ)の潮の八百会(やほあひ)にます、速開都(はやあきつ)姫といふ神加加呑(かかの)みてむ。

 かく加加呑みてぱ、
氣吹(いぶき)戸にます氣吹戸主(ぬし)といふ神、根の国底の国に氣吹放ちてむ。かく氣吹放ちてば、根の国底の国にます佐須良(はやさすら)姫といふ神
さすらひ失(うしな)ひてむ。
かくさすらひ失ひてば、【今日より始めて】現身(うつそみ)の身にも心にも罪といふ罪はあらじと。
 【高天原に耳振り立てて、聞くものと馬ひき立てて、今年の六月の晦の日の、夕日の降(くだち)の大祓に】払へたまひ清めたまふことを、天つ神国つ神 八百萬の神たち 共に聞こしめせと【恐(かし)こみ恐こみ】まおす。

 【四国(よくに)の卜部(うらべ)等(ども)、大川道(ぢ)にも退出(まかりいで)て祓ひやれと宣る。】

【「六月晦(みなづきつごもり)の大祓詞(おおはらへの言葉)」万葉仮名原文(れんだいこ編)】
  「天津系祓詞(はらへの言葉)」を受けて、「天津系大祓詞(おおはらへの言葉)」が奏上される。

 六月晦(みなづきのつごもりの)大祓(おほはらひ)
 〔十二月も此に准(なら)へ〕

 集侍(うごな)はれる親王(みこたち)、諸王(おほきみたち)、諸臣(まえつきみたち)、百官(もものつかさ)の人等(ひとたち)諸(もろもろ)聞食(きこしめ)せと宣(の)る。

 天皇(すめら)が朝廷(みかど)に仕(つか)え奉(たてまつ)る比礼(ひれ)挂(か)くる伴男(とものを)、手襁(たすき)挂くる伴男、靫(ゆぎ)負(お)ふ伴男、剱(たち)佩(は)く伴男、伴男の八十伴男(やそとものを)を始めて官官(つかさづかさ)に仕奉る人等(ひとども)の過(あやまち)犯しけむ雑雑(くさぐさ)の罪を、今年の六月(みなづき)の晦(つごもり)の大祓(おおはらへ)に祓ひ給ひ清め給ふ事を諸(もろもろ)聞こしめせと宣る。

 高天原爾 神留坐須 皇賀親 神漏岐 神漏美 乃命以知テ
 高天原(たかまのはら)に 神(かむ)づまり坐(ま)す 皇(すめら)が親(むつ) 神漏岐(かむろぎ) 神漏美(かむろみ)の命(みこと)もちて
 八百萬神等乎 神集閉爾集賜比 神議里爾議賜比テ
 八百万(やほよろづ)の神等(たち)を 神集(つど)へに集へたまひ 神議(はか)りに議りたまひて
 我賀皇御孫命波 豊葦原水穂國乎 安國登 平介久  知食世登 事依奉里伎。 
 我(あ)が皇御孫(すめみま)の命は 豊葦原(とよあしはら)の水穂の国を 安国(やすくに)と 平(たひら)けく しろしめせと、ことよさしまつりき。
 此久 依奉里志 國中爾 荒振留神等乎婆 神問婆志爾問賜比 神掃比爾掃賜比テ  語問比志
 かく よさしまつりし 国中(くぬち)に 荒ぶる神たちをば 神問(と)はしに問はしたまひ 神はらひにはらひたまひて 語(こと)問ひし。
 磐根樹根立 草乃片葉乎母 語止米テ 天乃磐座放知 
 いはね きねたち 草の片葉(かきは)をも こと止(や)めて 天(あめ)の磐座(いわくら)放ち
 天乃八重雲乎 伊頭乃 千別伎爾千別伎テ  天降志  依奉里伎
 天の八重雲(やへぐも)を いづの ちわきにちわきて 天降(あまくだ)りし よさしまつりき。
 此久 依奉里志 四方乃國中登 大倭日高見國乎 安國登 定奉里テ
 かく よさしまつりし 四方(よも)の国中(くになか)と 大倭日高見之国(おほやまとひたかみのくに)を 安国と 定めまつりて
 下都磐根爾 宮柱太敷立テ 高天原爾 千木高知里テ
 下(した)つ岩根(いはね)に 宮柱太(ふと)しき立て 高天原に 千木(ちぎ)高しりて
 皇御孫命乃 瑞乃御殿 仕奉里テ
 すめみまの命の みづのみあらか つかへまつりて
 天乃御蔭 日乃御蔭登 隠坐志テ
 天のみかげ 日のみかげと 隠(かく)りまして
 安國登 平介久 知食左牟 國中爾 成出傅牟
 安国と たひらけく しろしめさむ 国中に なりいでむ。
  天乃益人等賀 過氾志介牟 種種乃罪事
 天つのますひとらが 過(あやま)ち犯(おか)しけむ 種々(くさぐさ)の罪ごと

 【を法(の)り別(わ)けて 畔放(あはなち) 溝埋(みぞうめ) 樋放(ひはなち) 頻蒔(しきまき) 串刺(くしざし) 生剥(いけはぎ) 逆剥(さかはぎ) 屎戸(くそへ)
。】
 国つの益人等(ますひとら)が 過(あやま)ち犯(おか)しけむ 種々(くさぐさ)の罪ごと

 【を法(の)り別(わ)けて 生膚断死(いきはだたちし) 死膚断死(しにはだたち) 白人胡久美(しろひとこくみ) 己(おの)が母犯せる罪 己が子犯せる罪 母と子と犯せる罪 畜(けもの)犯せる罪 毘虫(はうむし)の災(わざはひ) 高つ神の災い 高つ鳥の災い 畜倒(たお)し 蟲物(まじもの)為(な)せる罪。】
 【天津罪 国津罪 許許太久罪】此久出傅婆 天都宮事以知テ 【大中臣】 天都金木乎 本打切里 末打斷知テ
 【天つ罪、国津罪 許許太久の(ここだく)罪】 かくいでば 天つみやごともちて 【大中臣おおなかとみ)】 天つかなぎを もと打ち切り 末打ち断ちて
 千座乃  置座爾  置足波志テ 天都管麻乎 本刈斷 末刈切里テ
 千座(ちくら)の 置座(おきくら)に 置きたらはして 天つすがそを 本(もと)狩り断ち 末刈り切りて
 八針爾 取辟伎テ 天都祝詞乃太祝詞事乎 宣禮
 八針(やはり)に とりさきて 天つ祝詞(のりと)の太(ふと)のりとごとを 宣(の)れ。
  久 良婆  天磐門乎 押披伎テ
 かく のらぱ 天つ神は 天のいはとを 押しひらきて
 八重雲乎 伊頭乃 千別伎爾千別伎テ  聞食左牟
 天の八重雲(やへぐも)を いづの ちわきにちわきて きこしめさむ。
 波 高山末 短山爾 上坐志テ
 国つ神は 高山(たかやま)の末 ひきやまの末に のぼりまして、
 高山伊褒理 短山伊褒理乎 掻別介テ  聞食左牟
 高山のいぼり 短山(ひきやま)のいぼりを かきわけて きこしめさむ。  
 久 聞食志テ婆 【皇御孫の命の朝廷を始めて天下四方の国には】 罪良自登
 かくきこしめてば、【皇御孫(すめみま)の命の朝廷(みかど)を始めて天下(あめのした)四方(よも)の国(くにぐに)には】罪といふ罪はあらじと。
 科戸乃 八重雲乎  吹放
 しなどのかぜの 天のやへぐもを ふきはなつことの如く
 御霧  夕御霧乎 朝風  夕風  吹拂
 朝(あした)のみぎり 夕(ゆふべ)のみぎりを 朝風 夕風の 吹き払ふことのごとく
 大津邊留 大船乎 舳解放 艫解放知テ 大海原 押放
 おほつべにをる 大船(おほふね)を へとき放ち ともとき放ちて 大海原(おおうなばら)に 押し放つことの如く
 彼方乃 繁木乎 燒鎌 利鎌以知テ 打掃
 彼方(をちかた)の 繁木(しげき)が本を 焼きがまの 利鎌(とがま)もちて 打ち掃(はら)ふことの如く
 波 良自登 祓給清給
 遺(のこ)る罪は あらじと 祓へたまひ清めたまふことを
 高山末短山與里 佐久那太理爾 落多岐
 高山の末 短山の末より さくなだりに おちたぎつ。
 速川乃瀬爾坐須 瀬織津比賣登云布神 大海原爾持 出傳奈牟
 速川(はやかは)の瀬にます せおりつひめといふ神 大海原に 出(い)でなむ。
 此久持 出往奈婆 荒潮乃潮乃八百道乃 八潮道乃潮乃八百會爾坐須
 かく いで往(い)なば 荒潮(しほ)の潮の八百道(やほぢ)の 八潮道(やしほぢ)の潮のやほあひにます
 速開都比賣登云布神持 加加呑美テ牟
 はやあきつひめといふ神 かかのみてむ。
 此久加加呑美テ婆 氣吹戸爾坐須 氣吹戸主登云布神 根國底國爾 氣吹放知テ牟
 かくかかのみてぱ 氣吹(いぶき)戸にます 氣吹戸主(ぬし)といふ神 根の国 底の国に  氣吹放ちてむ。
 此久 氣吹放知テ婆 根國底國爾坐須 速佐須良比賣登云布神持 佐須良比失比テ牟
 かく いぶきはなちてば 根の国 底の国にます はやさすらひめといふ神 さすらひうしなひてむ。
 此久 佐須良比失比テ婆 【今日より始めて】 罪登云布罪波 在良自登
 かく さすらひうしなひてば 【今日より始めて】 罪といふ罪は あらじと。
 【高天原に耳振り立てて聞く物と馬牽立て、今年の六月の晦の日の夕日の降の大祓に)】
 【高天原に耳振り立てて聞く物と馬牽立(ひきたて)て、今年の六月の晦(つごもの)の日の 夕日の降(くだち)の大祓(おおはらひ)に)】
 祓給比清給布事乎 天都神國都神  八百萬神等 共爾聞食世登 【恐恐】白須
 祓へたまひ清めたまふことを 天つ神国つ神 やほよろづの神たち 共ににきこしめせと 【恐(かし)こみ恐こみ】まをす。
 【四国(よくに)の卜部(うらべ)等(ども)、大川道(ぢ)にも退出(まかりいで)て祓ひやれと宣る】

Re::れんだいこのカンテラ時評547 れんだいこ 2009/03/04
 【大祓詞(おおはらへの言葉)「宣命書き」読み下し文】

 高天原(たかまのはら)に神留(づま)り坐(ま)す。皇親(すめらがむつ)神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)以(も)ちて、八百万(やおよろづ)の神等(たち)を神集(つど)へに集へ賜(たま)ひ、神議(はか)りに議り賜ひて、我(あ)が皇御孫命(すめみまのみこと)は 豊葦原水穂國(とよあしはらのみづほのくに)を 安國(やすくに)と平(たひら)けく知ろし食(め)せと 事(こと)依(よ)さし奉(まつ)りき。

 此(か)く依さしりし國中(くぬち)に、荒振る神等をば、神問はしに問はし賜ひ、神掃ひに掃ひ賜ひて、語(こと)問ひし。磐根(いわね)、樹根立(きねたち)、草の片葉(かきは)をも語止(や)めて、天(あめ)の磐座(いわくら)放ち、天の八重雲(やへぐも)を伊頭(いつ)の千別(ちわ)きに千別きて、天降(あまくだり)し依さし奉りき。

 かく依さし奉りし四方(よも)の國中(くになか)と 大倭日高見(おほやまとひだかみのくに)を安國と定め奉りて、下(した)つ磐根に宮柱(みやはしら)太敷(ふとし)き立て、高天原に千木(ちぎ)高知(たかし)りて、皇御孫命の瑞(みづ)の御殿(みあらか)仕(つか)へ奉りて、天の御蔭(みかげ)、日の御陰と隠(かく)り坐して、安國と平けく知ろしめさむ國中に成り出(い)でむ。天の益人等(ますひとら)が、過(あやま)ち犯しけむ種種(くさぐさ)の罪事(つみごと)は、天つ神、國つ罪、許許太久(ここだく)の罪出でむ。

 かく出でば 天つ宮事(ごと)以ちて 天つ金木(かなぎ)を本(もと)打ち切り、末打ち断ちて、千座(ちくら)の置座(おくきら)に置き足(た)らはして、天つ麻菅(すがそ)を本刈り断ち、末刈り切りて、八針(やはり)に取り辟(さ)きて、天つ祝詞(のりと)の太祝詞事(ふとのりとごと)を宣(の)れ。

 かく宣らば 天つ神は天の磐門(いはと)を押し披(ひら)きて、天の八重雲を伊頭(いつ)の千別きに千別きて 聞こしめさむ。國つ神は高山(たかやま)の末、短山(ひきやま)の末に上(のぼ)り坐して、高山の伊褒理(いぼり)、短山の伊褒理を掻(か)き別けて聞こしめさむ。

 かく聞こしめしてば、罪と言ふ罪はあらじと 、科戸(しなど)の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く、朝(あした)の御霧(みぎり)、夕(ゆふべ)の御霧を朝風夕風の吹き拂(はら)ふ事の如く、大津邊(おほつべ)に居(お)る大船(おほふね)を舳解(へと)き放ち、艫解(ともと)き放ちて、大海原(おほうなばら)に押し放つ事の如く、彼方(をちかた)の繁木(しげき)が本を、焼鎌(やきがま)の敏鎌(とがま)以ちて打ち掃ふ事の如く、遺(のこ)る罪はあらじと祓へ給ひ清め給ふ事を高山の末、短山の末より佐久那太理(さくなだり)に落ち多岐(たぎ)つ。

 速川(はやかわ)の瀬に坐す瀬織津比賣(せおりつひめ)と言ふ神、大海原にも出でなむ。かく出で往(い)なば、荒潮(あらしほ)の潮の八百道(やほぢ)の八潮道(やしおぢ)の潮の八百曾(やほあひ)に坐す。速開都比賣(はやあきつひめ)と言ふ神も加加呑(かかの)みてむ。 

 かく加加呑みてば 気吹戸(いぶきど)に坐す気吹戸主(いぶきどぬし)と言ふ神、根国(ねのくに)、底国(そこのくに)に気吹き放ちてむ。

 かく気吹放ちてば、根国、底國に坐す速佐須良比賣(はやさすらひめ)と言ふ神も、佐須良ひ失ひてむ。かく佐須良ひ失ひてば罪と言ふ罪はあらじと祓へ給ひ清め給ふ事を天つ神、國つ神八百萬神等共に 聞こしめせと白(まを)す。
--------------------------------------------------------------------------------
 (れんだいこ読解意訳文、現代口語訳)

 その昔、原日本には八百万(やおよろず)の国津神の住む豊葦原の瑞穂の国と云われる中国が在った。高天原王朝は、豊葦原の瑞穂の国を治める出雲王朝に国譲りを仕掛けた。度々の使者を送ったがらちが開かず、遂に軍事戦と談判により投降させることに成功した。その国譲り戦で勝利したフツヌシとタケミカヅチが高天原に凱旋してきた。

 高天原を治めるカムロ「ギ」の命(みこと)とカムロ「ミ」の命の発令により、高天原系の八百万の神々が天の安の河原に集まった。出雲王朝の支配者であり、豊葦原の瑞穂の国の盟主である大国主命の国譲りの件が報告され、議論に議論を重ねた結果、いよいよ豊葦原の瑞穂の国の平定に乗り出すことに評定が決着した。

 アマテラスは、オシホミミの命に、葦原中国を統治するよう命じた。オシホミミの命は、息子の天津彦火のニニギの命に役目を譲った。アマテラスは、オシホミミの命の進言を受け入れ、「ニニギの命よ、そなたに葦原中国の支配を任せます。さっそく取り掛かるように」と命じた。こうして、アマテラスの命で、ニニギの命が天降ることになった。

 アマテラスは、出発に当り、ヤタの鏡と草薙の剣と八坂の勾玉(まがたま)を授け、これをお守りとして祀るよう言い渡した。これを三種の神器と云う。最後に稲穂を渡し、豊葦原の瑞穂の国の食物とせよと命じた。オモヒカネには祭事と政事を執るよう言い渡した。他にアメノコヤネ(中臣氏の祖神)、フトダマ(忌部氏の祖神)、アメノウズメ(猿女氏の祖神)、イシコリドメ(鏡作の祖神)、タマノオヤ(玉作の祖神)が従った。他にアメノオシヒ(大伴氏の祖神)、ヒコホノ二ニギ、アメノイワトワケ、タジカラヲ、アメツクメの各命が随伴した。これを仮に天孫族叉は高天原軍と命名する。

 ニニギの命は、国津神の神々に使者を送り、大国主命の国譲りの件を伝え、豊葦原の瑞穂の国の統治権を渡すよう迫った。国津神系は大混乱に陥り騒々しくなったが、拒否して一致共同して抗戦する旨伝えてきた。抗戦派の荒ぶる神々は大倭日高見の国を盟主として抵抗の構えを見せた。

 高天原軍は遂に討伐に向かうことになった。ニニギノ命一行は、「東に美(う)まし國ありと聞く。我いざこれを討たん」と宣べ、幾重にも折り重なった分厚い雲を掻き分けに掻き分けて、日向の高千穂の峰に天降った。この地に堅い基礎に太い宮柱を建て、屋根は千木に高く聳え立つ豪勢な宮殿を建て、国津神を威圧した。稲作を進め、国津神の蒙を開き、高天原の征服事業は着々と進展した。

 しかし、完全制圧できず、国津神軍との抗争が続いた。高天原は業を煮やして、徹底した軍事行動による殲滅を宣言した。残虐非道の掃討戦が始まった。それでも国津神は降伏せず、地の利を生かして各地の高い山低い山に立て篭もって抵抗し始めた。高天原は手を焼いた。

 高天原軍は遂に軍事による徹底殲滅方針をあきらめ、武装解除し恭順するならば反逆した過去の罪を問わず制裁処罰しないこと、過去を祓い給い清め給いきれいさっぱり清算して公平な人材登用を進め、共に和して新日本を創建することを明らかにした。反逆徒が立て篭もる各地のアジトへ使者を送り、出向いて告げた。

 これにより、或る神達は豊葦原の瑞穂の国から立ち去り大航海に出向いた。或る神達は投降し始めた。豊葦原の瑞穂の国は溶解状態に陥り、投降相次ぐ事態となった。豊葦原の瑞穂の国の皇統を為す根の国、底の国の代表が高天原軍と協議を行い、制裁処罰されず公平な人材登用を行うなことを条件に帰服した。これが、高天原と豊葦原の瑞穂の国の合意となって、その後の日本が開かれた。

 祝詞(のりと)は、この経緯を確認するために遺す奏上文である。この国の成り立ちに於ける「抵抗の罪を問わず、過去を洗い流し、祓い給い、清め給い、天津神と国津神の八百万の神々が相和して新日本を創ることを申し合わせて、国が開かれた」と云う史実の重みを子々孫々に伝える為のものである。

--------------------------------------------------------------------------------
 【大祓詞(おおはらへの言葉)考】

 以上、「大祓詞(おおはらへの言葉)」をれんだいこ式に解読した。既成の下手にして拙い解読よりよほど値打ちがあるだろうと自負する。れんだいこが、「大祓詞(おおはらへの言葉)」に注目するのは、そこに大和王朝創建時の歩みと確認事項、国づくりの理念及び精神が格調高く濃密に詠われていることを認めるからである。事実、「大祓詞(おおはらへの言葉)」は、永らく日本政治の原理として踏襲伝統とされてきた。今この価値が忘れられようとしている。

 他方で思うのは、パレスチナに於けるイスラエルの飽くことなき徹底殲滅思想である。これを思えば、「大祓詞(おおはらへの言葉)」の価値が際立つ。そういうメンタリティーから急きょ、「大祓詞(おおはらへの言葉)」を解読することになった。現代は、イスラエル軍の徹底殲滅思想とハーモニーするような政治、経済、文化、学問が幅を利かせている。が、れんだいこは、これらを推進する国際金融資本帝国主義ネオシオニズムの頭脳は案外賢くないのではなかろうかと思っている。もっと云えば、中身が空疎な狂人思想ではなかろうかと思っている。

 そういうものなら我らが学ぶに値せずである。そうとならば、我々の政治、経済、文化、学問システムを我らなりに再度創出せねばならないのではなかろうか。既成のインテリはここが分かっておらず、今もひたすらネオ・シオニズムイデオロギーの捕囚に甘んじ、これを良しとしている。ウヨサヨはとてつもない腐敗した知性の汚濁のなかに在る。共に著作権狂いしているが、定向進化の法理によりもっと狂って盛んに小難しい社会へと誘い、終いには自分で自分の首を絞めて恍惚するところまで向かうであろう。

 そんなこんなを確認するための「大祓いの祝詞考」となった。
「大祓いのりと考」(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/kodaishico/nihonshindoco/noritoco/noritoco.htm)

 2009.3.4日 れんだいこ拝

中臣祓(なかとみのはらへ)
 「定番・大祓詞(おおはらへの言葉)」の他に「中臣祓(なかとみのはらへ)」がある。延喜式に所収されている。 但し、こちらも一様ではないらしい。とりあえず以下の文を確認しておく。大祓に読み上げる祝詞(のりと)。古くは、中臣(なかとみ)氏が宣読した。

 高天原に神留(づま)り坐(ま)す 皇親(すめむつ)神漏岐(かむろぎ)神漏美(かむろみ)の命(みこと)を以ちて 八百万(やほよろづ)の神等を 神集に集賜ひ 神議に議賜て 我が皇孫尊をば 豊葦原の水穂の国を 安国と平けく所知食(しろしめせ)と事依(よさ)し奉(たてまつり)き

 如此(かく)よさし奉し国中に荒振る神達を 神問わしに問ひ賜ひ 神掃いに掃ひ賜ひて 語(こと)問ひし 磐根樹の立草の垣葉をも語止て 天の磐座(いはくら)放ち 天の八重雲を伊豆の千別(ちわき)に千別て 天降りよさし奉き

 かくよさし奉し四方の国中に 大倭日高見の国を安国と定め奉(まつり)て 下津磐根に宮柱太敷き立て 高天原に千木高知りて 吾が皇孫尊の美頭の御舎(みあらか)に仕奉て 天の御蔭日の御蔭と隠坐て 安国と平けくしろしめせむ国中に成り出む 

 天の益人等が 過犯(おかし)けむ雑々(もろもろ)の罪事を 天津罪とは 畦放 溝埋 樋放 頻蒔 串刺 生剥 逆剥 屎戸 許々太久の罪を天津罪と宣別て

 国津罪とは 生膚断死膚断 白人胡久美 己が母犯罪己が子犯罪 母と子と犯罪子と母と犯罪 畜犯罪 昆虫の災 高津神の災 高津鳥の災 畜仆し蟲物為罪 許々太久の罪出でむ

 かくいで出(いで)ば 天津宮事を以ちて 天津金木を本打切り末打断りて 千座の置座に置き足はして 天津菅曾を本苅り断ち末苅り切りて 八針に取り辟(さき)て 天津祝詞の太祝詞事を宣れ 

 かく宣(のら)ば 天津神は天の磐門を押し開き 天の八重雲を伊豆の千別に千別て所聞食(きこしめせ)む 国津神は高山の末短山の末に登りまして 高山の伊穂理短山の伊穂理を撥(は)ね別(わけ)て聞こしめせむ

 かく聞こしめせては 罪と云罪は不在と 科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く 朝の御霧夕の御霧を朝風夕風の吹き掃う事の如く 大津辺に居る大船の舳解き放ち艫解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く 彼方(をちかた)の繁木が本を焼き鎌の敏鎌以ちて打ち掃う事の如く 遺れる罪は不在と 祓ひたまひ清めたまふ事を 高山の末短山の末より 佐久那太理に落ち瀧つ速川の瀬にます瀬織津比刀i姫)と云う神 大海原に持(も)出なむ 

 かくも出往ば 荒塩の塩の八百道の八塩道の塩の八百会にます速開都姫と云う神も可可呑(かかのみ)てむ かく可可呑ては 気吹戸にます気吹主と云う神 根国底国に気吹放ちてむ

 かく気吹放ちては 根国底国にます速佐須良姫と云う神も佐須良比失ひてむ

 かく失ひては 自以後始めて罪と云う罪咎と云う咎は不在物をと 祓いたまひ清めたまひと申す事の由を 八百万神等諸共に左男鹿の八の耳を振り立て聞こしめせと申す


 中臣の壽詞」があり、これを確認しておく。内容が大きく変わっている。
 つ(あき)つ御神大八島國知(しろ)食(め)す大倭根子(おほやまとねこ)天皇(すめら)が御前に、天(あま)つ神の壽詞を称(たたへ)辞(ごと)定め奉(たてまつ)らくと申す。

 高天原に神留(づま)り
(ま)す、皇親(すめむつ)神漏岐(かむろぎ)神漏美(かむろみ)の命(みこと)を持ちて、八百萬(やほよろず)の神達を集め賜(たま)ひて、皇孫(すめみま)の命は高天原に事始めて、豊葦原の瑞穂(みづほ)の國を安国と平らけく知ろしめして、天津日嗣(あまつひつぎ)の天津高御座(たかみくら)御坐(ましま)して、天津御膳(みけ)の長(なが)御膳の遠御膳と千秋(ちあき)の五百秋(いほあき)に瑞穂を平らけく、由庭(ゆにば)を平らけく安らけく由庭に知ろしめせと事依(よ)さし奉りて、天降りしし。

 後に、中臣の
遠津(とおつ)祖(みおや)、天兒屋根命、皇御孫(すめみま)の尊(みこと)御前(みまえ)に仕へ奉りて、天の忍雲根(おしくもね)の神を天の二上(ふたかみ)に上せ奉りて、神漏岐神漏美命の前に受けたまはり申しに、皇御孫の尊の御膳都水は、宇都志(うつし)國の水に、天津水を加へて奉らむと申せと事教へたまひしによりて、天の忍雲根の神、天の浮雲(うきくも)に乗りて、天の二上に上りまして神漏岐神漏美命の前(みまへ)に申せば、天の玉櫛(たまぐし)を事よさし奉りて、此(こ)の玉櫛を刺し立てて、夕日より朝日の照るに至るまで、天津詔戸(のりと)の太(ふと)詔刀言を以ちて(の)れ。如此(かく)告らば、麻知は弱蒜(わかひる)に由津五百(たかむら)生ひ出でむ、其の下より、天の八井(やゐい)出でむ、此(これ)を持ちて天津水と聞こしめせと事よさし奉りき。

 かくよさし奉りし任任(まにま)に聞しめす由庭の瑞穂を四國の卜部(うらべ)等(ども)、太兆(ふとまに)の卜事を持ちて仕へ奉りて、悠紀(ゆき)に近江國の野洲(やす)主基(すき)に丹波國の冰上(ひかみ)(いは)ひ定めて、物部(もののべ)人達(ひとたち)酒造兒(さかつこ)、酒波、粉走、灰焼薪採、相作、稲實公等、大甞會(おほにゑ)齋場(ゆには)に持ち齋(いは)まはり参(まね)来(き)て、今年の十一月(しもつき)の中都卯日に、由志理(ゆしり)伊都(いつ)志理み清麻波利に仕へ奉り、月の内に日時を撰び定めて(たてまつ)る。

 
悠紀主基(ゆきすき)の黒木白木の大(おほ)神酒(みき)を、大倭根子天皇が、天津御膳の長御膳の遠御膳と汁にも實にも、赤丹(あかに)の穂にも聞こしめして、豊(とよ)の明(あかり)に明りましまして、天津神の壽詞を、称辞、定め奉る皇神等も千秋五百秋(ちあきいほあき)の相甞に、相(あひ)宇豆(うづ)の比(ひ)奉り 堅磐に常盤にひ奉りて、伊賀志御世に栄えしめ奉り、康治元(はじめ)の年(とし)より始めて、天地月日と共に照し明しましまさむ事に、本末傾かす(いか)し(ほこ)の中執り持ちて仕へ奉る。中臣祭主(いほひぬし)正四位(よつのくらゐつかさ)上行(かみしな)神祇(かみつかさ)大副(おほひすけ)、大中臣朝臣(あそみ)清親、壽詞を称へ辞定め奉らくと申す。

 又申さく天皇が朝廷に仕へ奉れる親王等王等、諸臣百官人等天下(あめのした)四方(よも)の國の百姓(おほみたから)諸々集侍りて、見食べ、尊み食べ、歓び食べ、聞き食べ、天皇が朝廷に茂し世に、八桑枝(やくわえ)の立ち栄え仕へ奉るべき、祷(よごと)を聞しめせと、恐み恐み申し給はくと申す。

 (参照文献:大祓詞の解釈と信仰/岡田米夫)

 中臣寿詞

 現御神と大八嶋国所知食す大倭根子天皇が御前に、天神乃寿詞を称辞定め奉らくと申す。

 高天原に神留り坐す皇親神漏岐神漏美の命を持ちて、八百万の神等を集へ賜ひて、皇孫尊は、高天原に事始めて、豊葦原の瑞穂の国を安国と平けく所知食して、天都日嗣の天都高御座に御坐して、天都御膳の長御膳の遠御膳と、千秋の五百秋に、瑞穂を平けく安けく、由庭に所知食せと、事依し奉りて、天降し坐しし後に、中臣の遠つ祖天児屋根命、皇御孫尊の御前に、仕へ奉りて、天忍雲根神を天の二上に上せ奉りて、神漏岐神漏美命の前に、受け給り申すに、皇御孫尊の御膳都水は、宇都志国の水に、天都水を加へて奉らむと申せと、事教へ給ひしに依りて、天忍雲根神、天の浮雲に乗りて、天の二上に上り坐して、神漏岐神漏美命の前に申せば、天の玉櫛を事依し奉りて、此の玉櫛を刺立て、夕日より朝日照るに至るまで、天都詔戸の太諸刀言を以て告れ。

 如此告らば、麻知は、弱蒜に由都五百篁生ひ出でむ。其の下より天の八井出でむ。此を持ちて、天都水と所聞食せと、事依(よさ)し奉りき。

 如此依し奉りし任任に、所聞食す由庭の瑞穂を、四国の卜部等、太兆の卜事を持ちて仕へ奉りて、悠紀に近江国の野洲、主基に丹波国の^氷上を斎ひ定めて、物部の人等、酒造児・酒波・粉走・灰焼・薪採・相作・稲実公等、大嘗会の斎庭に持ち斎はり参来て、今年の十一月の中つ卯日に、由志理伊都志理、持ち恐み恐みも清麻波利に仕へ奉り、月の内に日時を撰び定めて献る悠紀主基の黒木白木の大御酒を、大倭根子天皇が、天都御膳の長御膳の遠御膳と、汁にも実にも、赤丹の穂にも、所聞食して、豊明に明り御坐して、天都神乃寿詞を称辞定め奉る、皇神等も、千秋五百秋の相嘗に、相宇豆乃比奉り、堅磐常磐に斎ひ奉りて、伊賀志御世に栄えしめ奉り、康治元年より始めて、天地月日と共に、照し明らし御坐さむ事に、本末傾けず茂槍の中執持ちて仕へ奉る中臣、祭主正四位上行神祇大副大中臣朝臣清親、寿詞を称辞定め奉らくと申す。

 又申さく、天皇が朝廷に仕へ奉る親王等・王等・諸臣・百官人等・天下四方国の百姓諸諸集侍はりて、見食べ、尊み食べ、歓び食べ、聞き食べ、天皇が朝廷に、茂世に、八桑枝の立栄え仕へ奉るべき祷を、所聞食せと、恐み恐みも申し給はくと申す。

【別文「中臣祓なかとみのはらへ」考】

ひふみ祓
           布瑠部 由良由良止 布瑠部ふるべ ゆらゆらと ふるべ

【十種大祓】
 「十種大祓」とは、「先代旧事本紀」の「天孫本紀」に記載されている祝詞で、神道に深く関わった物部氏のルーツ邇藝速日命(饒速日命にぎはやひのみこと)が伝えたとされる「十種神宝」(とくさのかんだから、天璽瑞宝十種(あまつしるしみずたからとくさ))に関連した呪文であり、「十種大祓」(とくさおおはらい)又は「布留部祓」(ふるべのはらい)、俗に「布瑠の言」(ふるのこと)、「ひふみ祓詞」とも云われる。ネット上では「フルベフルヘト解読」、「十種大祓」で確認できるが、原文かどうかは分からない。

 「十種の神宝」は、沖津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、死返玉(まかるかへしのたま)、足玉(たるたま)、道返玉(ちかへしのたま)、蛇比礼(おろちのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、品物之比礼(くさぐさのもののひれ)の10のアイテムを指す。
 十種神寶祓詞(とくさのかむだからのはらへのことば)

 高天原(たかまのはら)に神(かむ)留(づ)まる坐(ま)す 皇吾親(すめらがむつ)神漏岐(かむろぎ)神漏美(かむろみ)の命(みこと)もちて 皇神等(すめかみたち)の鋳(い)顕(あらはし)給(たま)ふ 十種(とくさ)の瑞實(みづのたから)を 饌速日命(にぎはやひのみこと)に授け給ひ 天津御祖神(あまつみおやのかみ)は 言誨(ことおし)へ詔(のり)給はく 汝(いまし)命(みこと) 茲(この)瑞實をもちて 豊芦原の中国(なかつくに)に天降りまして 御倉棚(みくらだな)に鎮(しづ)め置きて 蒼生(あおひとくさ)の疾病(やまひ)の事有らば この十種の瑞實をもちて

 一(ひと) 二(ふた) 三(み) 四(よ) 五(いつ)  六(むゆ) 七(なな) 八(や) 九(ここの) 十(たりや)  と唱(とな)へつつ 布瑠部由良由良(ふるべゆらゆら)と布瑠部

 此(かく)為しては 死(まか)りし人も生き返らむと 言誨(ことおし)へ詔給ひし随(まにまに) 饌速日命は天磐船(あめのいはふね)に乗りて 河内國(かはちのくに)の哮峯(いかるがのみね)に 天降りまし給ひしを 爾後(そののち)大和國(やまとのくに)山辺郡(やまべのこほり)の布瑠の高庭なる 石上神宮(いそのかみのかみのみや)に遷(うつ)し鎮(しづ)め斎(いつ)き奉(まつ)り。 代代其(よよそ)が瑞寶の御教言(みおしへごと)を 蒼生(あおひとくさ)の為に 布瑠部の神辞(かむごと)と仕(つか)へ奉(まつ)れり。

 故(かれ)此(こ)の瑞寶とは 瀛津鏡(おきつかがみ) 辺津鏡(へつかがみ) 八握剣(やつかのつるぎ) 生玉(いくたま) 足玉(たるたま) 死返玉(まかるがへしのたま) 道返玉(ちがへしののたま) 蛇比礼(をろちのひれ) 蜂比礼(はちのひれ) 品物比礼(くさぐさのもののひれ)の十種を布瑠御魂神(ふるのみたまのかみ)と尊(たふと)み敬(うやま)ひ斎き奉る 事の由(よし)を平(たいら)けく安(やすら)けく聞こし食(め)して 蒼生の上に罹(か)れる災害(わざわひ)及び諸諸(もろもろ)の疾病をも 布瑠比(ふるひ)除(そ)け祓ひ遣(や)り給ひ 寿命(よはひ)長く 五十橿(いかし)八桑枝(やくはえ)の如く立栄(たちさか)へしめ 常磐(ときは)に堅磐(かたきは)に守り幸(さきは)へ給へと 恐(かしこ)み恐み白(まを)す

 高天原(たかあまのはら)に神留(づま)り坐(ま)す皇神等(すめかみたち)鑄(い)顯(あらはし)給ふ

 十種瑞津(とくさみつ)の寶(たから)を以(もち)て 天照國照彦(あまてるくにてるひこ)天火明櫛玉饒速日尊(あめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)に 授け給ふ事誨(おしへ)て曰(のたまはく)

 汝此(いましこの)瑞津寶(みづの宝)を以(もち)て 中津國に天降り 蒼生(あをひとぐさを)を鎭(しづ)め納(おさ )めよ

 蒼生(あをひとぐさ)及び萬物(よろづのもの)の病疾(やまひ)の辭(こと)阿羅婆(あらば) 神寶(かみたから)を以(もち)て 御倉板(みくらいた)に鎭め置きて 魂魄(みたま)鎭め祭りを爲(な)て 瑞津寶を布留部(ふるへ)

 其の神祝(かみほぎ)の詞(ことば)に曰く

 甲乙(きのえきのと) 丙丁(ひのえひのと) 戊己(つちのえつちのと) 庚辛(かのえかのと) 壬癸(みづのえみづのと)

 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十(ひ ふ み よ い む な や こ と)
 瓊音(にのおと) 布瑠部由良由良(ふるへゆらゆら )

 如此(かく)祈り所爲婆(せば) 死(まかる)共(とも)更(さら)に蘇生(いき)なんと誨(おし)へ給ふ

 天神(あまのかみ)の御祖(みおや)の御詔(みことのり)を稟(かけ)給ひて 天磐船(あまのいはふね)に乘りて 河内国(かはちのくに)の河上(かはかみ)の哮峯(いかるがみね)に天降り座(ましまし)て

 大和國(やまとのくに)排尾(ひき)の山の麓(ふもと) 白庭(しろには)の高庭(たかには)に遷(うつ)し座(ましまし)て 鎭齋(いつき)奉(まつ)り給ふ 號(なづけ)て石神大神(いそのかみおおかみ)と申し奉(たてまつ)り

 代代神寶(よよかんたから)を以(もち)て 萬物(よろづのもの)の爲に 布留部(ふるへ)の神辭(かんごと)を以(もち)て 司(つかさ)と爲し給ふ故に 布留御魂神(ふるみたまのかみ)と尊敬奉(みうやまひたてまつ)り 皇子(すめみこと)大連(おおむらじ)大臣(おとど) その神武(たけき)を以(もち)て 齋(いつき)に仕(つか)へ奉(たてまつり)給ふ 物部(もののべ)の神社(かみはしら)

 天下(あめがした)萬物(よろづのもの)の聚類化(たぐひなり) 出(いでむ)大元(おほみと)の神寶(かんたから)は所謂(いはゆる)

 瀛都鏡(おきつかがみ) 邊都鏡(へつかがみ) 八握生劍(やつかのつるぎ) 生玉(いくたま) 死反玉(まかるがへしのたま) 足玉(たるたま) 道反玉(みちかへしのたま ) 蛇比禮(おろちのひれ) 蜂禮(はちのひれ) 品品物比禮(くさぐさもののひれ) 更(さら)に十種神(とくさのかみ)

  甲乙(きのえきのと) 丙丁(ひのえひのと) 戊己(つちのえつちのと) 庚辛(かのえかのと) 壬癸(みづのえみづのと)

 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 瓊音(ひ ふ み よ い む な や こ と にのおと )

 布瑠部由良由良(ふるへゆらゆら)と 由良加之(ゆらかし)奉(たてまつ)る事の由縁(よし)を以(もち)て 平(たひら)けく聞食(きこしめ)せと 命長く子孫繁(しげ)く栄へよと  常磐(ときは)堅磐(かきは)に護(まも)り給ひ幸(さきはひ)し給ひ 加持(かじ)奉る神通神妙神力加持(じんづうじんみやうしんりきかぢ)






(私論.私見)

 天津祝詞と神言