「妙見(みょうけん)信仰」の影響



 (れんだいこのショートメッセージ)
 幕末において、江戸の剣道場が「幕末回天運動」の志士をあるいはそれを追討した新撰組の隊士を輩出した史実がもっと注目されてよいと思われる。思うに、当時に於ける「剣の達人」ぶりは、現代で云うところの学歴に匹敵するステータスであったのではなかろうか。これあればこそ、人が耳を傾けたという具合の重要な履歴ではなかっただろうか。以下、これを検証する。

 2005.4.14日 れんだいこ拝


 「副島隆彦の今日のぼやき」を参照する。「ジョー(下条)拝」とある。 

 政治家・小沢一郎のブレーン履歴をもつ平野貞夫氏が「坂本龍馬の10人の女と謎の信仰」を著し、この本の中で、坂本龍馬は千葉道場で北辰一刀流の奥義として「妙見信仰」を身につけ、それが反幕府の思想に結びついて倒幕・維新とつながっていったのではないかと述べている。これによると、「妙見菩薩陀羅尼経」(みょうけんぼさつだらにきょう)の経の中に、「王位(国家権力)が腐敗し民衆が困窮したとき、北辰は民衆のため新しい王位をつくることに法力を与える」という経文があり、この「北辰法力」が幕末回転運動に寄与していたのではないかと云うことになる。即ち、幕末回転運動イデオロギーに「妙見信仰」があったということになる。

 妙見信仰は道教・仏教・神道が混じった信仰で、北斗七星・北極星を崇(あが)める。全国に妙見(みょうけん)寺や妙見神社があり、日本全土に拡がっている。妙見信仰の一番古いものは大阪にある妙見寺と云われている(「妙見信仰の史的考察」、中西用康著、相模書房)。同書によれば、妙見寺は蘇我馬子(そがのうまこ)が創建したといわれているとのことである。これによれば、妙見信仰は蘇我氏と関係していることになる。北極星の位置に聖徳太子ゆかりの斑鳩寺がある。これを考えれば「妙見信仰」と「聖徳太子」には強いつながりがあることになる。


 法隆寺では、聖徳太子は救世観音(ぐぜかんのん)として祀られていた。救世観音とは国宝観音菩薩立像ともいい、八角円堂で知られる夢殿(ゆめどの)のご本尊で、秘仏として長い間人目に触れず過ごしてきた仏像である。「761年(天平宝字5年)の記録に「上宮王(聖徳太子)等身観世音菩薩像」とあり、聖徳太子の等身像ともいわれて秘仏であったが、明治17年アメリカ人の学者フェノロサと近代美術の先駆者、岡倉天心によって像を幾重にも覆っていた長い白布が除かれ広く世に知られるようになりました。当時、この秘仏の白布をとることは、聖徳太子の怒りに触れ、大地震が起こると言われていました。そして天心とフェノロサが布をとるとき、法隆寺の僧たちは恐れをなして、逃げていったと言います」とある。(http://www.tabian.com/tiikibetu/kinki/nara/horyuji/horyuji4.html)

 妙見信仰と菩薩信仰と聖徳太子信仰の3つは微妙に混ざっているように見える。聖徳太子のもっていた剣が四天王寺にあり、その名前を北斗七星に関わる七星剣という。「妙見(みょうけん)信仰」は反権力の思想になって関東の武士に広がっていった史実がある。

 宇麻志(ウマシ)神社がある矢野町という場所の風景を歌った、柿本人麻呂の和歌がある。「妻隠 矢野神山 露霜尓 尓宝比始 散巻惜」(巻10・2178号歌)(妻ごもる 矢野の神山 露霜に にはひそめたり 散らまく惜しも)(矢野の神山が、霜や露で、色づき始めた。散ったら惜しいな)

 妙見信仰は弘法大師(空海)に関係している。空海は、西暦806年に唐から帰国して、高野山に真言宗の総本山金剛峰寺(こんごうぶじ)を開山した。その時に、「妙見大菩薩」と言う真言密教(しんごんみっきょう)を立ち上げている。空海は、大師が唐から持ち帰った占星術の教典が宿曜経(すくようきょう、宿曜道ともいう)に基づき、全国を行脚(あんぎゃ)する過程で妙見寺や妙見菩薩を広げている。

 これについては今後更に検証して行くことにする。

 2010.6.13日 れんだいこ拝












(私論.私見)