れんだいこのプロフィール

 (最新見直し2013.11.05日)

 (れんだいこのショートメッセージ)

 又の名をれんだいじとも云う。幼少より貧を楽しみ、長じてはいじめに屈せず、世に出てはおもねず、今となっては居直り、人生を達観せんとしている。その性隔てなく、金のなきを恨まず。ここまでの健康を謝し、余生を社会に尽くすべく志している。自称左派運動研究家及び在家歴史学者。いつしか本年の2010年、還暦を越えてしまった。

 辞を低くせざるを得ない人士中山みき、田中角栄、田中清玄、余人知らず。好みの芸能人ないしは歌手は小川知子、園まり、ちあきなおみ。ちあきはなぜ歌わないのかなぁ解せない。もう二、三曲は絶対ヒットを飛ばしてもらいたいのに。れんだいこが歌詞作ろうか。誰か繋いでくれ。これ本気だからね。2012.10月、中島みゆきの「歌姫劇場版」を観た。中島みゆきも好みに入れておこ。

 2003.4.27日再編集 2013.05.09日再編集 れんだいこ拝



(履歴)
 1950(昭和25).8月、三男として誕生。判明するルーツは讃岐観音寺。先祖は、江戸中期に帰農して開拓農民として活躍と郷土史に出ていると云う。その先は、ある程度判明しているが推測の域を出ず。家紋は隅切り角の花菱。2000年現在、50歳。2010年現在、60歳。遂に還暦を迎えた。2013年現在、63歳。

 幼少よりよく遊び学び神童の誉れ少しあり。長じては武道(剣道)を嗜む。受験期に、全共闘の大学解体論を真に受け京都へ出奔する。思い出深い丁度東大入試中止の年だった。これにより、れんだいこには東大コンプレックスが全くないふふふ。

 新聞特待生として京都府伏見区淀の朝日新聞配達店に住み込み自活し始める。但し、予備校に行かなかった為に特待生から外され一般住み込み配達員となる。いきなり社会に出たところ馬鹿にされること多く、急遽発奮し大学に行きたくなり11月、帰省する。関西から関東の私大を順番に受験し合格する。結局、早大法学部に入学する。予備校行かずだから仮にギリギリ入学でも誉れであろう。

 1970年、全共闘に憧れ上京する。但し、キャンパスに既にその影見えず。何かやらなくちゃと70年安保闘争に参加する過程で法学部自治会を掌握していた民青同にマイクを借りるなど義理ができ、そのうちオルグされ「30秒」の凝縮された逡巡の末、加盟する。以来自治会活動に精励する。ところが、いくら学び実践しても日共系のそれに種々理論的にも実践的にも肌もなじめず神経性血痰症に悩まされる。

 周囲の「お前は学習が足りない」云々に逆切れし、ならばその学習に取り組もうと決意し、自治会活動から手を引き地下サークルに下りる。今となってはこの時の勉強が学生時代の唯一の財産と云える。講義には殆ど出ていない。ゼミも入っていない。卒論もない。師たる教授も持たない。やがて新日和見事件騒動の頃に日共系運動に失望し訣別。この頃いろいろトラウマを負うも人生万事塞翁が馬、今となっても後悔せず。入学当初は最長7年ほど在学しようと思っていたが身辺が忙しくなり急遽卒業路線に切り替える。体育局の課目取るのに困ったぜよ。

 元々政治と宗教に対する関心が強く、そのエネルギーが仕事に向かわないのが悩み。只今零細業で四苦八苦中なるも、このたびやけくそでインターネット世界にデビュー。:根が浮気性なのか本業、ネットワーク、碁会所、カラオケパブ、インターネットの5本立て稼業に精励中、但しどれもパッとしないなぁ。2010年現在は、本業、碁会所、インターネットの3本立て稼業に絞っている。今後は著述業に向かうつもり。

 趣味は、囲碁(今は5段くらいかな。目下6段に向けて驀進中。2010年現在、小沢民主党幹事長と五分くらいかな感じとして。人に聞いたら、小沢どんの方がつおいって)。2013年現在、ほぼ6段域に辿り着いた。還暦過ぎても棋力ますます上達中と云うところが、れんだいこらしいふふ。読書(雑学)、旅行(東北以外はほぼ周遊。近いうちに何とか東北廻りしたいと思っている。外国は韓国、アメリカ、イギリス、イタリアの経験あり)、カラオケ(演歌からフォークまで、最近軍歌の哀調が分かってきた。最近のヤングの早口音楽には閉口反発している)。

 2013年現在、現代音楽の作詞の余りにもなお粗末さに反発し作詞家デビューも考え始めている。たまの休みは極力、温泉に行く。そろそろ温泉ソムリエ(温泉効能講釈師)を自認し始めている。残された人生に対して意欲満々と云うところが、れんだいこらしいや。
(現在) 
 パソコンと知り合って以来はまりにはまっている。特に投稿に精出しの味を覚えているが、自前のホームページも欲しくなり、【左往来人生学院】を立ち上げたところである。わがサイトをこれからどのように変革していくか、世界の変革と同じように難しいかも。
 2000.8.8日、掲示板も追加。2001.8.1日頃、論文集にそれぞれ掲示板を設置。同じ頃アンケート板も設置。未だ他サイトのリンク集に登場すること少なく不遇の観が強いが、必ずれんだいこが認められる日が来るという予感を覚えつつある。
 2002.11.23日現在、相互リンクも次第に増えてきている。しかし、まだまだ無視されており、この饒舌狭量主義をこじ開けていくのを楽しみにしている。しかしなんだな、見えて来るもんがあるなとつくづく一人合点している。
 2004.2.25日現在、マルクス主義の英訳からのれんだいこ和訳本三冊をサイトアップした。出来映えには自信持っているが特段評価されていない(見直しすればするほど首尾よくなるだろう)。孤高にして阿ねず、引き合いの来るのを楽しみにしておこうと思う。

 しかしなんだな、れんだいこは我が史観と観点の偉業を確信しているが、恐らく外国辺りから評価を得る時がやってきそうな。それまで我がサイトを掘って彫って刻み続けておこうっと。
(将来)
 将来のことは分からない。しかし、まだ夢も希望も捨ててないとしたら、たいしたものだろうと同窓会に顔を出して以来思った。つい最近幼少の友に再会した際に彼曰く、何でもいいからお前は何かしろ似合わない。以来、肝を舐め舐め薪に臥している。
(れんだいこ党)
 2002年のいつの頃だったか「れんだいこ党(別名たすけあい党)」を立ち上げた。未だれんだいこ党首一人だが、それはそれで良いし、党員が増えればなお良い。れんだいこはよほどおめでたいのか馬鹿なのかはたまた傑物なのか、それは歴史が自ずと語る。

 おほん、ここに厳かに告知する。れんだいこ党は遂に入党者を獲得し2名になった。三人寄れば文殊の知恵と云う。四人揃えば家が建つ。有能有益な大黒柱を据えてこの馬車を走らそう。皆の衆続け。メール入れてくだされば良い。

 2002.12.24日 党首れんだいこ拝


 おほん、ここに厳かに告知する。れんだいこ党は遂に入党者3名になった。せめて侍7名、使徒12名を募り、後は核爆発して行きたいと思うのこころ。おほん、目下党員6名(2010.10月現在)。その後が続いていないよぉ。
(出版決意)
 やはりネット文と出版物では訴求力が違う。そろそろれんだいこ見解を意図的に世に問うてみたい。本屋にれんだいこ図書が並ぶのを意欲しつつある。既成出版社のどこからも声がかからないので自費出版しようと思い始めている。さて、何で出すかだ。

 2006.11.29日 れんだいこ拝
(再生経緯)
 2007.8.26日、数え年58歳になるれんだいこは、日頃の不摂生と長年の蓄積疲労でか急遽病院送りの身になり、初めて体内にメスが入るという経験をした。結果的に1週間病床についただけでたいしたことがなかったことは僥倖であり、神に感謝する。と書いたが、その後病状悪化し再度手術する羽目になった。結果的に1ヶ月の入院となった。これを奇果として何らかの人生転換の契機とせねばなるまいと思う。今後は、それまでの行け行けスタイルから養生をも取り入れた健康管理に留意せねばならない。

 痛みを覚えた時真底思ったことは、「病むほど辛いことはない」。今後はタバコも止め、飲むのもほどほどにしますのでどうかお助けくださいと自制を誓った。愚かなるかなれんだいこ、無事退院するや「のど元過ぎれば熱さ忘れる」。れんだいこはよほど意志が強いのだとほほ。とはいえ、何がしか自己改造せねばなるまい。れんだいこよ男振りを挙げよ。

 2007.9.3日 れんだいこ拝
(いよいよ出版)
 2008.1.1日、学生運動論を処女作としようと思い、目下推敲清書中。

 2009.2.20日、社会批評社(代表取締役社長・小西誠)より「検証 学生運動 戦後史のなかの学生反乱」と題して処女作出版(目下予定)。遂にその日が来た。読めば為になるのだが、読んでくれるだろうか。否、そんな弱気ではない。書店から品切れコールで社会批評社が重刷に向かう日を楽しみにしている。二冊目三冊目十冊目が目白押しで控えているんだ、れんだいこの頭の中では。

 2009.1.28日 れんだいこ拝
(上巻まずまず好評、只今下巻推敲中)
 2009.4.26日現在、上巻の好評を得て下巻を推敲中です。一応の原稿はできているのですが、もっと要点を伝え、ダブりを少なくしようとしております。早く出せ、いつ出るのかとの催促もあり、夏頃原稿をお渡しする予定を早めようかと思っているところです。

 2009.4.26日 れんだいこ拝
(ウェブテレビ運動開始する)
 ウェブテレビを創ろう。コメンテーターれんだいこが登場する日を自分で待ち受けることにするふふふ。

 2010.5.15日 臥薪嘗胆 れんだいこ拝
(カンパ第一号現れる)
 そうだ、これを書いておかなければ。「れんだいこサイト非常に為になっております。ついては拝読料としてお供えします」と云うメール通知でカンパを頂いた。改めて感謝いたします。報告が遅くなりました。これを読まれた方も頼むよ。何せ有り難いものは有り難いんだ。浄財として大事に使わせていただきます。

 2010.5.15日 れんだいこ拝
(在家歴史学者を自称し始める)
 今日、投稿文を書いているうちに何気なく自称在家歴史学者と自己規定した。これが気に云ったので以降これを使用することにする。従来の「左派運動研究家」に加え「在家歴史学者」を加える。

 2010.5.27日 れんだいこ拝
(ブログ、ツイッター始める)
 2011.正月明け、ひなたぼっこ&雑談日記管理人のSOBAさんの助言によりブログとツイッターに参加することにした。れんだいこは、車と同様に中の仕掛けは知らないが、乗り回すのは苦ではないと云うか好きな方で、新しい世界が開けた気がする。SOBAさんに感謝申し上げる。

 れんだいこブログ(http://08120715.cocolog-nifty.com/blog/)(
短縮:http://bit.ly/rendaico

 れんだいこツイッター(http://twitter.com/replies)

 2010.2.8日 れんだいこ拝
(「検証学生運動下巻」出版)
 2011.8.8日、「検証学生運動下巻」が8.15日に出版されるとの通知あり。これで「検証学生運動上下巻」となった。三部作目として「学生運動に対するれんだいこ提言」があるが、これはネット公開で終わるかも知れない。さて次に何を出すかだ。角栄で行くか、中山みきで行くか、はたまた別バージョンで行くか、暫し腕を組む。

 2011.8.9日 れんだいこ拝
(「天理教教祖中山みき考究」出版予定)
 2012.11.4日、「検証学生運動上下巻」に続いて「天理教教祖中山みき考究」を世に出そうと執筆中。本書で、世の有益な思想をひとまとめにし、中山みき思想との絡みでアンサンブルしてみたい。出版社からのアファーがなければ自費出版するつもりである。

 2012.11.4日 れんだいこ拝
(川柳の会入会)
 2013.10月初旬、誘われて川柳の会に出向いた。お題が二つ与えられ、その場でも一つ与えられ、選ばれた。まずまずの発進となった。当然のように誘われ入会した。勢いがつきそうな気がする。
(温泉ソムリエ(温泉効能講釈師)を目指す)
 2013.10.23日、「温泉ソムリエ(温泉効能講釈師)」を目指そうと改めて思った。

Re::れんだいこのカンテラ時評535 れんだいこ 2009/02/11
 【れんだいこサイト左往来人生学院万歳】

 れんだいこのサイト左往来人生学院は、開設日が2000.02.11日である。丁度10年経ったことになる。当初より随分深く掘り下げたし、未だなにほどの寄与もできていないことをも恨む。れんだいこの寿命が何年あるのか判らないが死に土産にしておこうとは思っている。世の中の誰か一人にでも良い感化が与えられたなら本望と割り切っている。

 それにしても、気づいたことは著作権がうるさいということである。連中は、言葉も文字も音符も五線譜も、ついでに云えばネットに於けるWebの創成も、先人の無著作権営為により生み出されたものであり、その恩恵を受けて居ることを弁えず、ひたすら権利亡者に成り下がって正義ぶっている。それも日ごとに権利強化の種探しに明け暮れ得々としている。この手合いに漬ける薬はない。

 許しがたいのは、著作権法では「引用、転載できる。但し、著者叉は出所元明記、趣旨改変御法度」とは書いているが、「要事前通知、要承諾制」にはしていないのに、これを押し付け悦にいっていることである。これにより、議論の場合でさえ自分の文章しか引用、転載できず、歯の抜けた櫛のようなみっともない経過文を晒して、私はここまで著作権法の理解が進んでいると阿呆丸出しにしている。

 その程度の著作権法理解で、我こそは著作権法のマスターと自惚れている者が居る。申し訳ないけど、著作権法は未だ生成中で、少なくともここ数年間の強権化は行き過ぎと反省し始めているのが最新の動きである。最新と云えば、漢字検定協会が公益法人にあるまじき儲け過ぎとして問題にされ、司直の手が入った。ならば、悪名高きジャスラックはどうなんだと向かうのが筋のところ、イスラエルのガザ攻撃と同じで、これに正面から立ち向かう言論士が居ない。

 もとへ。我がサイトの10周年を祝おう。この間は貴重なカンパ第一号をいただいた。これは有り難い。これに続け皆の衆と煽りたい為にわざわざ書き付けておく。そうやって、れんだいこを執筆専門にさせてくれ。有益情報を根限り提供してしんぜよう。いずれサイトオリンピックができれば応募してみようと思っている。とまぁ、10周年の抱負を述べておく。

 2009.2.11日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評670 れんだいこ 2010/02/11
 【れんだいこサイト十周年万歳、自賛演説】

 今日2.11日は、れんだいこがホームページを創設しネット界に登場した日である。2000年のことであるから、あれから10年になる。早いと云う思いもあるが、よくぞここまで掘り抜いたと云う気もする。仕事もせずにと叱られているが、楽しいのだから仕方ない。未考察な課題や不十分な論考がまだまだあり、生ある限り根気よく続けて行きたいと思う。

 気になることは、れんだいこが特段に奇異な観点を打ち出そうとしているのではないのに、結果的に通説と見解を異にするものが多いということだ。この場合、れんだこの観点、弁証の方に問題があるのかも知れないと思いつつ最初は控え目に検証して行くことにしている。ところが、調べて行くうち、ますます確信を深めることが多い。

 その最初が、宮顕の戦前の党中央委員査問致死事件であった。日共問題は、れんだいこの学生運動時代覚えた違和感が元になっており、あの頃抱いた感慨の吟味と決着をつけると云う意味合いでテーマとしている。宮顕の戦前の党中央委員査問致死事件は、宮顕の正体を確かめる格好教材であり、この現場での宮顕を見つめることが宮顕論の核となると云う意味で重視している。多くの者はスターリニスト宮顕論で批判しているが、れんだいこはそういう論を張らない。スターリニスト以前としての宮顕論で十分間に合うと思っている。この観点なきままのスターリニスト宮顕論は、宮顕を左派的指導者として認めたうえでの批判であり、むしろ宮顕擁護ではないかと思っている。そういう違いがある。

 宮顕の戦前の党中央委員査問致死事件の通説は、宮顕−袴田派による党内スパイ摘発、査問途上の小畑中央委員の急性心臓麻痺死であり、不幸な事件としている。しかし、調べて行くうちに許し難い虚説であることが判明した。まず、スパイ摘発説そのものが胡散臭い。真実は、宮顕−袴田派の方がスパイ派であり、最後の労働者派中央委員であった小畑氏が査問テロに遭ったと認識すべきであることが判明した。この点で、小畑氏をスパイとする見解は如何に様々に衣装されようとも許し難い。小畑氏は冤罪であり、そういう意味で小畑氏、その親族の為にも名誉を復権せねばならない。

 次に、小畑中央委員の急性心臓麻痺死が胡散臭い。真実は、それがなぜ可能になったのかは分からないが、縛り縄を解き、査問のワナから逃げ出そうとした小畑中央委員に寄ってたかって抑え込んだ圧殺死の可能性が高い。より詳細には、宮顕が果たした柔道技での締め上げによる圧殺死の可能性が高い。これを「持病併発による急性心臓麻痺死」とする通説は、静かな査問説に繋がるものであるが、クロをシロと言いくるめる詐欺言論である。静かな査問説を主張する手合いに、査問中食事を提供していたのかと問うや、黙り込んでしまった。なぜなら、党中央見解が、そのことに一言も触れていないからである。れんだいこは、こういうところを見逃さない。

 この事件の胡散臭さを語れば次から次へと広がりキリがない。重要な個所でウソをつくことにより虚言連鎖になっている。問題は、日共党中央が今日まで一貫して、このウソの連鎖で真相を歪め、居直っていることにある。その党が、こたびの小沢キード事件で、他党のそれにも増して石川議員の証人喚問、真相解明、政治的道義的責任追及していることである。白々しさを通り越した狂態と云うべきではなかろうか。

 その2例目がロッキード事件であった。通説は、前首相・田中角栄が在任中に航空機商戦に手を染め、見返りにロッキード社より5億円迂回収賄した咎により逮捕起訴され、徹底追及されたとしている。しかし、調べて行くうち許し難い虚説であることが判明した。まず、日本の政府高官にわたった約20数億円は殆どが児玉誉士夫経由であり、だとすれば中曽根−ナベツネラインの方が収賄した可能性が強い。それを無理矢理に刎頚の友・小佐野賢治経由で角栄に渡ったとして国策捜査して行った形跡が認められる。

 この点で、5億円収受説の上に立って諸悪の元凶として角栄を批判して行った通説も、それにしても角栄の政治能力は評価されるべきであるとする弁護論も、如何に様々に衣装されようとも許し難い。角栄当人が最後まで否認して公判闘争を継続したことの方に真実があり、事件は冤罪であり、そういう意味で角栄、その親族の為にも名誉を復権せねばならない。

 この事件も、胡散臭さを語れば次から次へと広がりキリがない。重要な個所でウソをつくことにより虚言連鎖になっている。問題は、日共党中央が今日まで一貫して、このウソの連鎖で真相を歪め、居直っていることにある。かの時は諸悪の元凶として角栄を糾弾し、今になって云うことに「たかが5億円の外国の金に手を出した金欠角栄論」を振りまいている。こういう冒涜を許せるだろうか。こういうことを平気で云える口にこそ道義的責任を追求すべきではなかろうか。日共は、こたびの小沢キード事件で、他党のそれにも増して石川議員の証人喚問、真相解明、政治的道義的責任追及している。宜しい。同じ論理と論法で証人席に据えてやろう。

 この二事件の精査から始まり、関連する歴史事象の解析へと次から次へと向かったのが、この十年である。れんだいこはいつしか「れんだいこ史観」、「れんだいこ観点」と自負するようになった。なぜなら、市井の既成のどの史観、観点とも違う独自のそれだと気づいたからである。そもそも戦後日本の見立てが違う。れんだいこは、敗戦後の日本を日本ルネサンス期と見立て、戦後憲法の導入によるその後の歩みをプレ社会主義と見立てている。この見立ての相違から、何から何までが市井の既成のそれと齟齬するようになる。冒頭で述べたが、れんだいこが特段に奇異な観点を打ち出そうとしたのではない。自ずと導き出されたものが「れんだいこ史観」、「れんだいこ観点」となった。

 これ以降、「れんだいこ史観」、「れんだいこ観点」の磨きに大きく寄与したのが太田龍史観、観点であった。れんだいこのそれは幾つかの箇所で太田龍氏のそれとも若干違うが、現代世界を牛耳る真の権力体である国際金融資本の生態、その歴史的沿革について学ばせて貰った。氏の生前、一度だけになってしまったがセミナーに参加し、二次会を共にし、少し話しをしたのが良い思い出になった。改めて感謝申し上げておきたい。

 今日の「れんだいこ史観」、「れんだいこ観点」は、現代史のみならず近世史、古代史、神話史、思想、宗教、哲学、世相ジャーナル、著作権等々何でもござれに及んでいる。その時々にアンテナが作動した事象に取り組み、その都度論考して行くスタイルを確立しつつある。一度ゆっくり腰を落としてみたいのだが、それは世事許されないので、こういうスタイルになる。このれんだいこから見れば、世の識者の営為の安逸さが透けて見えてくる。おっとこれは云うまい。

 さて、そういう風に進化を遂げてきつつあるのだが、この先どこまで掘れるのだろうか。願うらくは、れんだいこも、太田龍の如くセミナーで飯が食えるようになりたい。氏に較べて語学ができないので、国際的視野を同時的に持つ芸当ができないが、内容的には自信がある。「れんだいこ史観」、「れんだいこ観点」から見た事象解析を世に知らしめ、何らかの有益な役割に資したいと思う。自分の方からの売り込みは得手でないので自然に熟柿となり、れんだこの見解が求められる時代を引き寄せたいと思う。

 そう云えば、この間著作をものした。「検証学生運動」(社会批評社)であるが、上巻としている関係上、下巻を出さねばならない。もうそろそろ原稿を送ろうと思う。問題は、反応の弱さである。左派圏は元々イデオロギッシュで理論好きな手合いで成り立っていると思うのに、最近は失語症に陥っているかのようである。下巻では、そういう風潮をからかうかのように挑発的なものにしてみようかと思っている。

 それはともかく、次の著作にも向かいたい。我がサイトは、その際の膨大な原稿になっている。その作風が著作権法違反だと咎められることが多いのだが、云う者は云う。黙って学ぶ者は学ぶ。そういう世の中であるからして、小難しい者とは付き合いを避け、ルールとマナーだけは守って同好の士を糾合して協働して行くことにしたい。生あるうちにどこまで漕げるか、それが問われていると思っている。そうだ。れんだいこ論考楽しみに読ませて貰っています、つきましては些少のカンパをと送金して下さった女史が居る。Kさん有り難うね。れんだいこ勇気凛凛だ。

 2010.2.11日 れんだいこ拝

 【最新最深のれんだいこ史観について】
 れんだいこ史観がその後更に精度アップしつつある。2010年頃より新たに「原日本新日本論」を獲得した。れんだいこの邪馬台国研究から得た着想である。この詳細は「れんだいこの新邪馬台国論」に譲る。これにより日本耽美派の精神が耽美派の人たち以上に理解できるようになった。2013年頃、「国際ユダ屋論」を獲得した。従来、「国際金融資本帝国主義ネオシオニズム」と長たらしく表記していたものが端的に表現できるようになった。

 2013.10.23日 れんだいこ拝




(私論.私見)