不破哲三論総論―そのフリーメ―ソン性を暴く

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4).5.9日

 (れんだいこのショートメッセージ) 
 れんだいこが宮顕論、不破論になぜ拘るのか。それは、この代表的2名によって日本左派運動が捻じ曲げられ、反動的役割しか果たしていないからである。その汚染はあらゆるところへ波及している。このことに気づき、決別し、一掃させたところからでしか左派運動の再生はないと信ずるからである。この観点の認識の共有が欲しい。

 新左翼はこうした日共運動に逸早く気づき批判してきた。そして、条件反射的とも云える対照的運動を繰り広げてきた。しかし、れんだいこに云わせればまだ甘い。宮顕・不破に乗っ取られた日共運動を一応左派のそれとして認め、その上で本当の左派運動はこちらだというスタンスで百家争鳴運動を繰り広げてきた。その結果、心あるものは日共運動を見放したが、かといって新左翼運動が芽を吹いた訳ではない。

 その要因をどこに求めるべきか。「戦後60年の節目」にそろそろ思い致せるべきではなかろうか。れんだいこは、「日共運動を一応左派のそれとして認め」のところが間違いだと申し上げている。宮顕・不破式日共運動は口先はともかく実践的には有害無益な指導ばかりにうつつを抜かしてきたところに特徴がある。それは異邦人の闖入だからである。早くここに気づいて、一から総点検し、捻じ曲げられた部分を戻さねばなるまい。そして新たな情勢、新たな認識に基づく左派運動を昂進させねばなるまい。以上提言しておく。

 2005.9.21日 れんだいこ拝


【不破哲三論その1、イントロ】
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK138」の脳天気な氏の2012.11.2日付け投稿「つくば市選挙にみる共産党の酷い衰退」に興味深い内容が記されているので、これを確認しておく。冒頭で、ブログ「法螺と戯言」の2012.10.31日付けブログ「つくば市選挙結果」の次のような内容を紹介している。(転載分文はどういう訳か末尾が違うので、ブログ原文に訂正しておく)(http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51816075.html
 10月28日に投票のあったつくば市長・市議選の結果について、まずは書き留めておきます。当選した市長の得票数が三万六千余票、二位、三位の得票数、いずれも一万六千票を越えました。つくば市で圧倒的支持を十数年前までは獲得していた元茨城県会議員の共産党候補はわずか六千票で最下位。同時に投票があった市議会選挙。今回市長選最下位得票した候補者は、かっては常に市議選上位当選の常連でした。然るに今回の選挙ではトップ当選がカナダ人帰化と思われる候補者五千余票に対して、共産党候補者は二十位、二十七位、二十八位(最下位当選)、三名合計の得票数が五千余票です。

 十数年前まで、この党は茨城県にあっては、国政選挙で総得票数は何時も最下位であったが、つくば市のみでは当選者に伍する得票を獲得していました。研究学園都市住民の高い知性が、共産党への高い支持を支えているなどと党関係者は誇らしげでした。とするなら、最近の急激な支持の下落が意味するところを共産党中央は深刻に捉えるべきでしょう。党中央は、この急激下落を党員数・赤旗購読者の急激な減少に帰し、連日下っ端党員の尻を叩き、督励しています。急激な支持そして党員数減少の真の原因が党中央の政策・指導方針、政策的戦略・戦術の誤りであることは、党外の心ある人たちの一致した見方です。共産党幹部はそうした自らの過誤については頑なまでに言及しないのです。そして、八十を越えた老人特権大幹部が豪邸山荘から指揮を執る異常さ!一般党員がなぜ、これらのことを不審しないのか? 「民主的組織」には考え難い事と思っています。 看過できないこと、そして憂うことは、共産党支持者といわれる300万余の有権者が、こうした共産党の犯罪的過誤に気づかず 、またしても国民が心から望む政治の転換という大事業に貢献し損なうことです。 

 これによると、研究学園都市のある茨城県のつくば市では十数年前までは共産党への高い支持が存在した。ところが最近、急激な支持の下落が見られる。党中央は、この現象に対する科学的社会主義の見地からの分析をせず責任を取らず、ひたすら「八十を越えた老人特権大幹部」(不破のこと)の山荘からの指揮に従い続けている云々と云うことになる。

 「これに関して興味深い記事があったので、あわせ転載します」として、「日本共産党・民青同盟悪魔の辞典+ キンピー問題笑える査問録音公開中」の2012.10.28日付けブログ「志位委員長に直接質問した人の手記」を転載している。これが又興味深いので転載して確認する。前置きによれば、共産党の志位委員長に一般国民が質問する企画があったようで、その際の遣り取りらしい。長く共産党本部の専従職員として活動した方(政治将校のHNで登場している)が興味深いコメントをしています、とある。原文は「はてな匿名ダイアリー 日本共産党の志位委員長と問答を交わした」(http://kinpy.livedoor.biz/archives/52037615.html#comments)のようである。
 Cちゃんの回答、ざっと一読したんですけど、いまの日本共産党の基本的見解をきちんとふまえていますね(つまり、その程度なんで、Cちゃんの独創性などないw)。Cちゃんは、そのあたり「役人的」でそつがないのが特徴です。あるテレビ討論で「JR北海道、四国、九州の赤字をどうするか」が議論になったとき、「全体をひとつにして、国鉄に戻せばいいんですよ!」とCちゃんが述べて、山荘老人が激怒したことがありました。山荘老人は「民営化してもう何年になっているんだ! そんな非現実的なこと言っちゃダメじゃないか!」と相当な剣幕でしたが、常幹の一人がCちゃんに御注進申し上げたところ、「え? だって、我が党の総選挙政策に国鉄に戻すって書いてあるよ?」とケロリ。調べたら本当に書いてあって、フワッチのいい加減さが暴露されました。結局、政策委員会が責任をとらされ、「国鉄に戻す」政策はこっそり削除されましたがwフワッチは自分の党の政策なんか、まったく無視してしゃべることが多いです。ひどかったのは、数年前に自分が「北方領土解決は、まず二島先行返還を中間的条約締結で」と言っていたのに、「ムネオ疑惑」が起きると「鈴木、佐藤コンビは国益に反する二島先行返還を進めようとした」と非難するんですから。佐藤優さんも唖然としてましたね。いい加減な男というか、ミヤケンなきあとは「天上天下唯我独尊」でしたね。

 このブログから、不破が引き続き小姑的立場から志位イジメをしていることが確認できる。しかしそのことは本題にはならない。注目すべきは、現役委員長の志位が、党の政策を踏まえて発言しているのに、不破が横槍を入れて、結局は党の政策が不破の一声で没にされた顛末である。不破のエエ加減さを示すダメ押しとして、不破自身が「北方領土解決は、まず二島先行返還を中間的条約締結で」と述べていたのに、二島先行返還論を主張していた鈴木宗男の「ムネオ疑惑」が発生するや論調を変え、平然と「鈴木、佐藤コンビは国益に反する二島先行返還を進めようとした」として非難に転じたことに垣間見られる不破の言説のご都合主義ぶりが知れることである。

 不破が、国鉄民営化問題に対して実際にどう発言していたのか、北方領土問題に関して実際にどう発言していたのかを確認する資料が手元にないが、「政治将校」氏の批評は的確と思われる。これについてはどなたかが検証して下されば助かる。問題は、かの胡散臭い宮顕に見出されてポスト宮顕として長らく党中央の最高指導者として君臨し続けた不破とはそもそも何者ぞ、この観点からの解析が必要なのではなかろうか。

 世間には不破スマイルが通用しているが、れんだいこは不破の裏の顔が気になる。不破スマイルが化けた時、どんな形相になるのか誰も証言しないが、筆坂辺りは知っているのではなかろうか。しかし筆坂も証言しない。よって、れんだいこが以下の如く推断することにする。長らく共産党一途の支持者が、このブログによって、不破を怨むことになるのか、れんだいこを怨むことになるのか、それは分からない。分かることは、不破かれんだいこのどちらかを怨まないとすれば、れんだいこの筆がまだ足らないと云うことである。

 2012.11.6日 れんだいこ拝

【不破哲三論その2、れんだいこが不破をフリ―メ-ソン結社員だと認定する理由考その1】
 れんだいこは、不破をフリ―メ-ソン結社員だと認定している。その根拠を以下記す。

 不破をフリ―メ-ソンと認定する根拠は、一つは東大学生運動時よりのスパイ性疑惑である。これは、東大に於ける国際派内スパイ査問事件の当事者であったことと関係している。これについては、れんだいこの学生運動サイト内の「東大国際派内査問事件(戸塚、不破査問事件)」で検証している。詳しくは、このサイトで確認して貰いたい。これを簡潔に述べれば、不破は、戦後学生運動第一期から二期にかけての東大の学生運動家である。彼の主たる任務はレポであった。即ち専ら情報収集役であったと云うことになる。その情報収集も、左派運動盛り上げの為のそれであると云うよりは、戦前来、左派弾圧所轄署として悪名高い本富士署に出入りしていた戸塚との二人三脚で情報収集に努めていたという胡散臭いものである。

 当時、戦後学生運動は官学の雄として東大が、私立の雄として早大が指導しており両者は競り合うかのように指導者を輩出していた。或る時、早大の学生細胞が官憲スパイを捉まえ査問したところ「戸塚と不破がスパイである」ことを自白した。当時、戸塚は東大細胞キャップに就任していた。不破はその配下でレポ活動をこなしていた。内容の由々しき故に慎重に事を進め、裏取りで確証を得た早大学生細胞が東大細胞に恐れながらと報告した。当時の東大細胞の実質的責任者は武井、力石であり、調査に乗り出し同様の確証を得た。面目丸つぶれとなったところで査問となった。この時の監禁暴行事件が「東大国際派内査問事件(戸塚、不破査問事件)」と云われるものである。詳しくは同サイトで確認を賜りたいが、要するに「戸塚と不破がスパイである証言」の信憑性である。安東仁兵衛氏の「戦後日本共産党私記」(文藝春秋社、1995.5月初版)が事件の存在と経緯を明らかにしたが、肝腎の「戸塚と不破がスパイである証言」の真偽解明は慎重に避けている。故に読み解くしかない。

 これを大胆に読み解いたのが上述のサイトである。れんだいこの結論は「戸塚と不破はスパイである」であるが、世間の評は黙殺したまま今日まで経緯している。そろそろ白黒つけた方が良いのではなかろうか。れんだいこは、不破のスパイ性の元一日を示すのがこの事件であると思っている。不破はその後、同事件に懲りてスパイから足を洗うのではなく、ますます磨きをかけて行った、その延長上に宮顕が居り、登用され、何度かの曲折を経て遂にポスト宮顕の座に登り、今日まで君臨し続けていると読む。委員長の座を志位に譲っているが小姑として依然権勢を握っていると読む。この問題は、ひとまずここで措くことにする。
 不破をフリ―メ-ソン結社員だと認定だと認定するもう一つの論拠は不破の歴史理論である。不破の著作、講演その他その他で披歴される歴史理論はマルクス主義のそれと云うよりもフリ―メ-ソンの歴史理論そのものであると云う理由である。マルクス主義とフリ―メ-ソンの歴史的な繫がりは元々ある訳で驚くには足りないが、問題は、不破がフリ―メ-ソン的水準を一歩も出ないマルクス主義者として理論形成しているところにある。これについては、この後の「不破の日本共産党創立81周年記念講演会講演」で再確認することにする。
 不破をフリ―メ-ソン結社員だと認定だと認定するもう一つの論拠は、筆坂著「日本共産党」(新潮新書、2006.4.20日初版)による推断である。筆坂がよくぞ漏らしてくれたと思うが、何気なく次の事実を明らかにしている。2004.11.17日、日共の不破夫妻が、東京元赤坂の迎賓館で、デンマークのマルグレーテ2世女王夫妻招待の夕食会に招かれ参列した。日本側の主賓は天皇皇后夫妻で、夕食会への参加は日本の政党関係では不破夫妻だけだったとのこと。不破は、見知っている人として俳優の岡田真澄氏や外務省から宮内庁に移っていた役人がいたと伝えている。これをどう読むべきか。れんだいこは、不破が「マルグレーテ2世女王夫妻招待の夕食会に参加していたことの意味は大きいと考える。この夕食会は誰でも参加できるような半端なものではない。「フリ―メ-ソンもいろんな系があるだろうが、不破がデンマークのマルグレーテ2世女王夫妻と同系の結社員であることを見て取れる」のではなかろうか。れんだいこはそう読む。筆坂は凡庸にも次のように評している。「不破氏の野党外交は、何か特権階級の別世界のような気がしてならない」。
 新たな情報が入ったので記しておく。「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK138」のちゃむちゃん氏の2012.11.4日付け投稿「日本共産党はアメリカのポチだった! 右を向いても左を見ても、日本はアメリカのポチばかり」の肝腎な個所を転載しておく。
 検察官役指定弁護士が申請していた証拠人を却下し、2審も、即日結審で、無罪が確実の小沢裁判であるが、一頃は、日本共産党を含め、「政治と金」の「説明責任」の馬鹿の一つ覚えであった日本である。ところで、日頃は人権派のようなふりをし、自らも国権による弾圧も経験した日本共産党が、小沢裁判についてだけは、検察による国策捜査の疑いを完全に無視し、「政治と金」「説明責任」の馬鹿の一つ覚え繰り返し、いぶかしく思っていたものであるが、日本共産党とは何なのかとネットで検索していたら、こんなサイトが。

 社民党も共産党も「政治とカネ」「説明責任」と騒ぐ理由
 http://ameblo.jp/yama1717/entry-10771933794.html

 中曽根康弘、不破哲三、加藤紘一、太田昭宏、菅直人、小泉純一郎、辻元清美。「ヘンな取り合わせやなぁ」と思われそう。これはアメリカ人政治学者ジェラルド・カーティス教授の著書『政治と秋刀魚』(日経BP社)の出版を記念した「日本政治を語る会」の発起人メンバー。名著『代議士の誕生』のあのカーティス教授だ。六月九日、会場の日本プレスセンターには、発起人の外、増税派の与謝野馨前官房長官、与謝野氏と対立する上げ潮派・中川秀直元幹事長、民主党の仙谷由人議員・・・・・・。政治家だけでなく会場は財界やマスコミ関係者でテンコ盛り。「日本にとって必要なのは説得の政治。国民に粘り強く説明し、納得を得ながら政治を進めることが肝要」とカーティス教授。「今の政治にはカーティス教授の批判こそが必要だ」と中曽根さん。「中曽根さんも最後はいいこと言うようになったのねぇ。不破さんと三人で後期高齢者医療制度反対のノロシを上げたいわね」と、「天敵」だった土井たか子さんが私の隣で呟く。

 辻元清美WEB http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2008/06/13-1612.html より

 <コメント>

 CIAエージェント、大学教授の顔ともうひとつ対日工作員の顔を持つジェラルド・カーティスの元に、与党、野党これだけ集まっているのだから驚く。中には戦後政治を長らく一党独裁してきた自民党以外、共産党や社民党の元トップの顔も。辻元清美が前原が国交大臣のときに副大臣になり、社民党が連立を離れたときに名残惜しそうに前原と抱擁し泣きべそをかいていた理由も、なんとなくわかる。そして福島瑞穂が人権派の弁護士でありながら小沢問題について「説明責任」を繰り返し、共産党の市田書記長が「政治とカネ」と非難を繰り替えすわけも。みんな対日工作員に毒された同根、同じ穴の狢(むじな(笑) 鳩山や小沢のように、日本人が日本人のために、というのは理想が高すぎる? こうやって工作員に懐柔され、低き低きに、政治家たちは流れていく・・・。米国の言うこと聞いてりゃ、楽だからね。身分や地位は保証されるしハメられたり身を危険にさらすこともないのだから。しかし国民、置いてきぼりなわけだけど。


 これによると、CIAエージェントにして小泉進次郎の恩師として知られるジェラルド・カーティス(Curtis, Gerald)コロンビア大学教授の著書「政治と秋刀魚-日本と暮らして四五年」(日経BP、2008年初版)出版記念パーティーに、判明するだけで中曽根康弘、不破哲三、加藤紘一、太田昭宏、菅直人、小泉純一郎、辻元清美、土井たか子が集まっていることが見て取れる。出版記念パーティーの名を借りているが、日頃から誼を通じるグループと勘繰ることができよう。それぞれ所属する政党、政治履歴は違うが、ロッキード事件での熱心な田中角栄追及派にして小沢金権問題でも同様の糾弾派と云う点で共通している。いかがわしく思うのが当たり前だろう。

 ちなみに、ジェラルド・カーティスとジョセフ・ナイ元国防次官補、リチャード・アーミテージ元国務副長官、マイケルグリーンは2010年代の日本を食い荒らす国際ユダ邪の日本支配悪代官である。出版記念パーティーならば参加しても良いと云うものではない。お蔭でこういう裏の繋がりが露見した訳なので、それはそれで良いのだが。興味深いことに、よほど知られて不都合だったのだろう、これを知らせるサイトが揃いも揃って閉鎖されている。補足情報として「2004年まではRIETIという独立行政法人で、現在は東京財団の特別研究員として研究プロジェクトのひとつであるVCASI(仮想制度研究所)というなにやら怪しそうな(笑)財団でもFellows Listに名前を連ねている」とある。
 補足しておけば、「サンデー毎日誌上の不破と中曽根対談考」に記したが、中曽根と不破との間には盟友的な臭いがする。「不破と中曽根が地下水脈で繫がっていた動かぬ証拠として本対談を見つめることができるかどうか」と云う問いが必要であり、この対談はこれを証していると窺う。不破の胡散臭さについては「不破哲三なるペンネームについて」でも言及しているので参照されたし。

 2012.5.26日、2012.11.4日再編集 れんだいこ拝

【不破哲三論その3、れんだいこが不破をフリ―メ-ソン結社員だと認定する理由考その2】
 赤旗に2003.7.18日、東京・日比谷公会堂での「日本共産党創立81周年記念講演会」のお知らせが出ている。それによると、引き続き不破議長が党内実権を掌握しているようで、「党綱領の改定について。市民道徳について」なる演題で講演するとのことである。主たるテーマは、「党綱領の改定について」とするようである。

 党創立記念日には「先人の苦労に思いやり、党史上の回顧」をするのが通常ではあろうが、現下党中央はそれを為しえない。れんだいこはそれには理由があると考える。宮顕―不破系が日共の正統系譜を継承していない咎めが「党史上の回顧」を忌避させていると見る。その致命的アキレス腱は、戦後直後から5年間指導し続けた徳球―伊藤律系運動を弁証法的に継承しておらず、つまりは前任者からの引継ぎができていない、その為その運動を正視し得ずただひたすら歪曲的に罵倒することしかできないことにある、と考える。

 1955年の六全協は宮顕を再々度党中央に登壇させる形で党内合同を為し遂げた。この時の問題は次のことにある。六全協時点では没理論的に党内合同を急いだため、「50年分裂問題」に対しての総括が宿題として預けられた。この作業は徳球―伊藤律系運動からの党運動を引継ぐ儀式として必要不可欠であった。本来であれば、徳球―伊藤律系運動に対する全肯定派、半肯定半否定派、全否定派が互いの観点を擦り合わせ喧喧諤諤の討議を為すべきであったが、宮顕は自前の全否定論を暴力的強権的一方的に採択させた。それが為に形式的に儀式化を為したものの実質的には本来の意味での引継ぎが何もできないことになった。このことが今日的な日共の変質と腐敗の源流となる。

 宮顕がこの総路線を敷いた。不破はこの宮顕総路線の忠実な継承者となった。かくて、宮顕とその後継者不破運動は、戦前戦後と系流してきた日本共産党運動の正統性を継承し損なって今日まで経過している。「党創立記念日には『先人の苦労に思いやり、党史上の回顧』をするのが通常ではあろうが、現下党中央はそれを為しえない」所以がここにある。党創立記念日に「党綱領の改定について。市民道徳について」なる演題で講演せざるを得ない変態性がここにある。少々奇異な「市民道徳について」と付け加えられているのは筆坂失脚事件に関連して言及しようとしているのだろう。以上の俯瞰図を踏まえて、今年も不破がその反動的本性を如何に饒舌に詭弁三枚舌仕立てで語るのかに興味がある。

 このサイトで不破に論及する意味は、現下党中央の行き着いた観のある腐敗に対して、宮顕を起点にしてその後継者であった不破をどう観るのかについて明らかにすることにある。知識人標榜紳士は暫く静観して後付けの論を楽しむだろうが、我々は今進行系の最中においてこそ認識を逞しゅうすべきではなかろうか。左派人士にとってこの解明は、現下日共党中央をどう観て関係すべきか、という極めて実践的な課題として屹立していると云えるであろう。

 左派系の多くの者は次のように観ているように思われる。穏和系は、共産党は腐っても鯛であり、民主勢力の砦であり、断固として党中央に結束しながら個々の否定事象には内部的改革を目指すべきである云々。その対極論として急進系は、共産党はスターリ二スト政党であり乗り越えられるべき解体対象に過ぎない云々。これを両翼としてその他中間的な見解が多々ある。

 我々は、もはや通俗化したこれら諸見解とどう関わるべきだろうか。今もって未解明なまま徒に時日が経過しているように思われる。なぜなら、この程度の認識ならば、私が学生運動していた70年代初頭の頃の認識と少しも変わらないからである。つまり、あれから三十数年を経過して何ら基本構図が変わっていないということであり、それは認識上何の進歩もなかったということを意味しているであろう。もはや、時は、もぐら叩きのように日共見解のあれこれを批判してみても甲斐がない、長年日共党中央に巣食ってきた変調指導部を一挙的に叩き出すか、新日本共産党を創党するか二つに一つの決断を迫られているのではなかろうか。以上を念頭において、逐次解明を試みようと思う。以下、「不破の党創立記念講話のデタラメ」、「不破の党創立記念講話のデタラメ続編」、「『私の戦後60年』のからくり考」、「読売新聞[時代の証言者]の共産党・不破哲三文考」に記す。

 2003.7.5日 れんだいこ拝

【不破哲三論その4、れんだいこが不破をフリ―メ-ソン結社員だと認定する理由考その3】
 不破を評する視点は次のように定めねばならない。2004.3.3日現在、宮顕・不破系党中央の右派系総路線はことごとく失敗した。こうなると、執行部総退陣して次世代に運動を任すのが見識というものだろう。革命を世上一般の事業感覚で考えてみれば分かりそうなものだ。では、何故に宮顕・不破一派は党中央の座椅子に拘り続けるのだろうか。その右派系総路線の破綻が顕著にも拘らず、更に飽くことなく党綱領の更なる右傾化を強行したのか。この不自然さの背景にあるものを凝視することが不破論の始発にならねばならない。

 要するに、宮顕・不破系一派は、日本左派運動に責任を持つ姿勢において違うのではなかろうか。左派運動の右傾化ないしは最終的瓦解に向けて責任を持とうしており、それを己の目の黒いうちに為し遂げ反革命事業の目鼻をつけたいとの妄執に浸っている、というだけのことではないのか。これが炙り出されてくる実相であろう。そうであるが故に、通常ならば執行部責任辞職せねばならないところを逆に居直ることができる。なぜなら、日本左派運動が貧すればするほど彼らの事業経営は成功しているのであるから、現下の停滞はむしろ狙い通りなのではないのか。ならばこそ居直りができている、あくまで党中央の座椅子は手放さない。こう読まないと解けない。

 世に不思議なことは、この観点に立たないと不自然なことが多すぎるのに、こう読むこともなく全てを追随し了解していることである。れんだいこなぞは体に支障きたさずにはこういうことを納得できない。多少なりとも違和感を覚えるのだろうか、のんべんだらりとした批判が為されてはいる。しかし、そういう生半可な批判で気持ちが整理できるというのも不思議だ。とてもではないが、れんだいこには真似できない芸当である。同じ批判でもれんだいこのそれとは雲泥の差がある訳で、だから、この溝が埋まらない限り日共批判という点だけでの野合はできない。当分平行運動していかないといけない気がする。道遠しの感がある。

 批判の未熟さについては新左翼も同じである。あるいは原水禁、日中友好協会、部落解放同盟等の戦闘的左派団体も同じである。宮顕・不破系党中央の右派系総路線を批判して得意がっている感がある。既に述べたように、宮顕・不破系党中央の右派系総路線は確信犯的なものであり、それを右派系総路線であるとして批判しても噛み合わない。宮顕・不破系党中央の右派系総路線がもたらされている背景と狙いについて有効な処方箋を生み出さない限り実践的な意味がない。現状は、宮顕・不破系党中央に噛みつかれた新左翼、戦闘的左派諸団体が深手を負って立ち直れていないのではないのか。それは、宮顕・不破系党中央の狙いが貫徹されていると云う意味で敗北なのではなかろうか。こう云う風に捉えられないところに理論と実践の貧困があると云うべきではなかろうか。

 2004.3.3日 れんだいこ拝

【不破哲三論その5、不破と野坂、宮顕の三者関係考】
 この党中央のことを思案することは既に馬鹿馬鹿しい。しかし、最低限必要なことは記しておかねばならぬ。

 1955年の「六全協」以来、宮顕系が党中央を占拠して既に50年になろうとしている。今日の日共が野坂式の人民に敬愛され大衆政党として良き指導振りを発揮していたとするなら、それは宮顕―野坂総路線のお陰であり、その後継者不破の能力に因る。その反対に共産党という党名に似ても似つかぬ醜態を晒しているとすれば、その場合も宮顕―野坂総路線のせいであり、その後継者不破の能力のしからしめるところである。いずれにせよ、宮顕―野坂総路線は「不破という有能な後継ぎに恵まれ、似ても似つかぬ共産党に仕上げた」ことは確かである。

 その不破が、2002年最新刊として「二つの世紀と日本共産党」を発行した。これが108冊目になるらしい。政界でこれほど著作しているのは中曽根の41冊が続くと云う。れんだいこから見れば、この二人は飽くことなく害悪を流し続ける双璧ということになる。ところで、不破は、宮顕―野坂総路線の二代目であり、意図的に忠実な継承者で宮顕的な面と野坂的な面の両面を継承しているように見えるが、我々は、不破と野坂、不破と宮顕との関係をどのように了解すべきだろうか。

 いずれにせよ不破は、宮顕と云い野坂と云うよりによって碌でもない変調指導者を師としているからして不破も又碌なモンにならない。両人との関係を少し詳細に見ると次のように云えるだろう。れんだいこには、不破と野坂の関係において、不破は野坂の政治的スタンスを丸ごとそっくり継承しているように見える。

 では、不破と宮顕の関係はどうなのであろうか。れんだいこ史観に拠れば、厚顔無恥なまでに私物化的に振舞う政治手法において共通しており、この両者に違いがあるとすればハードとソフトという程度のものであり政治的役割は寸分違わない。つまり、不破の政治理論は野坂的であり、組織理論は宮顕的であるように見える。

 してみれば、不破に対するに宮顕に対すると同様手加減は良くない。そういう観点に立つべきだ。あのソフトスマイルの陰に隠れた裏表のありすぎる行状を的確に認識すべきである。目下、頻りにレーニンに挑みマルクスに挑んでいるが、その本質的観点は片方で持ち上げながら他方でその論の最も精髄的なところを否定しようとするところにある。その三枚舌的詭弁による煙り巻き論法は、読み手をして真意を分からなくさせ、詰まるところ訳の分からないままイエスマンを強いることになる。70歳を越えてのその芸人ぶりは尋常ではないが、その熱情のみ評価されるに足りるだろう。

【不破哲三論その6、道理倫理を説く不破の品性疑惑考】
 道理倫理を説くのを得手とする不破の品性疑惑をしておく。詳細は「不破スキンダル、その利権告発考」、「戦後革命論争史編纂手柄横取り考」、「不破の異常性格考-「大嘘つき」性、私物化性」で確認する。

 2001.8.20日 れんだいこ拝

【不破哲三論その7、宮顕―不破系党中央の反動性考】
 以上を念頭において、逐次解明を試みようと思う。その最初の課題を、宮顕と不破の系譜的関係をどう観るのかに設定したい。実は、これもかなり深刻な違いを見せていることが分かる。A派(穏和系内原理派)は、宮顕の頃を原則的であったと回顧し、不破-志位運動を堕落と観る。B派(穏和系内民主派)はこれとは逆に、不破指導を宮顕の頃の辟易する頑迷さからの解放の動きと観、その改革作業が日和見的であることに不満を見せている。残念ながら、共産党支持系左派人士の場合、この両論が圧倒的であり、日共党中央批判者はこのどちらかの延長線上に位置している。奇妙なことに、全く正反対から事象を捉えている割には、この両論は論争されておらず、反党中央という一点で野合さえしているように思われる。これもまた堕落でしかなかろう。

 れんだいこは新観点を打ち出している。黙殺されて久しいが、痴呆症候群下の左派人士が大量に生み出されている現状からは仕方ないのであろうと合点している。ここでれんだいこ観点を説明すれば、宮顕を左派ではない異筋な闖入者=当局内通者=仮面左翼とみなしており、不破-志位執行部を宮顕路線の忠実な敷設者と観ている。従って、宮顕と不破間には基本的な対立はなくむしろ運命共同体的でさえある、という見立てをしている。

 宮顕が原則的で有り得たように見えるのは、当時は徳球系時代の名残りで取り巻く周りが多少なりとも左派的であったが故に打倒除名するにもそれに規制されて左派言葉で語らねばならなかっただけであろう。それも第7回、第8回党大会で党内反対派を追い出しつつ宮顕式総路線を敷くことに成功して以来は我が世の春となり、誰憚ることなく本質である右派街道へ一直線に向かうことになった。この道中がジグザグしつつ「一定左派的」であったのは、清掃せねばならない「左派」系人士がたむろしており、宮顕系がこれに「聖戦」を仕掛けていったにせよ論駁の必要上相手の土俵まで下りていかねばならなかった故である、と観ている。

 不破が台頭してきた第10回、第11回党大会以降においては既に党内には「左派」系人士は居なかった。不破の役目は、従順にして理論的能力の劣る連中ばかりとなった党内を如何に丸め込み、饒舌に煙巻き論法でなだめすかしながら、宮顕式総路線の本質である「体制内左翼としての右派系運動」にソフトランディングさせていくかにあった。この意味では不破は類稀なる能弁人士であった。数多くの学者党員との論争にも一歩も引かず応戦し得た数々の実績を残している。それは単に当の論争相手が軟弱でしかなかったという好都合にも恵まれだけに過ぎないのではあるが。

 不破指導の特徴はそういうところにあるが、それを理論面で裏付けようとするところに不破の潔癖性があり興味深い。但し、その理論たるや饒舌長大文且つ玉虫色見解且つ詭弁のオンパレードであり、理論に何ら信を置いておらずその場の情況に応じてご都合主義で対応するところに特質がある。規定的に云えば、「アリバイ理論的且つマヌーバー的手前味噌論を常用する職業的反対弁舌屋」でしかない。問題は、そういう不破理論の「創造性」に対して、これに批判を挑むものが居らず長年野放しにされているという日本左派運動戦線の不甲斐なさにある。

 この間、宮顕-不破-志位ラインの「錦の御旗」は、議会闘争の重視であり、この路線はその闘争が一定の進展を見せている限りにおいて呪術的信頼を獲得し得ていた。その際に「70年代の遅くない時期までの民主連合政府の樹立」は党員を奮い立たせる格好の青写真シナリオであった。よしんばそれが「21世紀前半の遅くない時期までの民主連合政府の樹立」になろうとも、「21世紀後半」になろうとも、党の求心力の要であり、党員間の魔力的な合言葉になった。

 この種の言霊を他にも捜せばあるにはある。例えば「自共対決論」もそうであろう。自民党幹部の時々の片言隻句を都合良く拾い出して、真に敵足りえているのは我が共産党以外にないと吹聴することにより、党内に自信と結束を呼び込んできた。同様センテンスで「トロツキスト泳がせ論」も云われてきた等々。

 既に賢明なるロム者にはお分かりいただけると思われるが、今日の党の低迷はそれらの虚構の一切を晒しつつある。それだけに事態は深刻だということだ。問題は、党中央がこの危機感を正確に把握しているにも関わらず、党内反対派が居るとして連中の方がこの危機感を正確に把握していないことにある。先述したが、宮顕-不破-志位ラインの相互関係の読み間違い故に党中央の危機感を読み取れず拱手傍観、単なる不平をこぼす程度に止まっているやに見受けられる。

 不破の妄執は、この危機感に対して隙あらば創価学会-公明党批判で切り抜けようと策している。このことは二つのことを意味している。一つは、危機感を正当に理解しているもこの危機を脱却する自力更生的手法を持っていない事、一つは日共を食い散らしたその成果に立って創価学会-公明党対決をもって氏の右派化闘争の最後のご奉公の場にしようとしているという事である。この背景も分からないままに再び三度踊らされようとしている党員の憐れさよ。

 問題は、この期に及んでも為すすべを持たない左派人士の理論的低迷にこそ真因がある。「革命的理論なければ革命的闘争もない」はこの意味でもけだし名言であろう。理論戦線の貧困が行動を制約しているこの現実を見据え、左派人士は互いの観点を早急に擦り合わせねばならない。それは丁度、大東亜戦争の総括の喫急性とも通底する論理の流れであるように思われるがいかがであろうか。

 2001.8.20日 れんだいこ拝

【不破哲三論その8、宮顕―不破系党中央の破綻性考】
 今日、仮にインターネット空間に限定したとしてさえ、日共系人士の狭い了見が目につく。著作権金棒の振り回しもそうだが、彼らは言論の自由な通行に網をかけることを当然視しようとしている。あるいは大東亜戦争の戦史考察もそうだが、決して真っ当な議論に踏み込まない。何気ないときには紳士的な対応を吹聴し悦に入っているが、混み入ってくると罵詈雑言罵倒用語を平気で乱発し始める。

 冤罪事件の解明ないしは支援に向うのではなく、検察になったつもりで有罪法理を説くことを得意とする。その昔述べた言説に平気で頬被りして新たな論の展開を好む。この間自己批判というのはついぞない。政治的位置付けを重視し、事の理非曲直を聞き分けするのではなく、敵か味方かを判断の優先基準にする。

 れんだいこは、こうした癖は保守的体質として批判すべき対象として習ってきた。ところが、今日ではこの体質を最も体現しているのが日共系のように思えてならない。敢えてそう書くのは、この体質の鼓吹者が宮顕―不破系ではなかろうか、とても共産党員とは似つかわしくない者が党中央に陣取り、言葉だけ格好つけてその実裏腹な行いをするから、その攪拌作用としてこういうことが起っているのではないか、という気がしており、この感覚を世に問いたいからである。

 我々の身の回りに接する共産党員の個々にはなるほど良い人もいるかも知れない。しかしだ、1955年の六全協以来だから既に50年近く変調論理ばかり押し付けられたら、そも善良な党員も何らかの疾患を抱えずには平常で居られないのではなかろうか。選挙一つそうだ。科学的社会主義を自称しながらとてもではないええ加減な総括しかできない。それで党内に問題が起らない。この体質は何なんだ。自民党の総裁選について立候補者に対する論評ができなかった。それはそうだろう、論ずれば、お前の党はどうなんだ、党首選があるだけでもましだろうと切り返されたらグーの音も出やしない。

 2003.9.21日、東大阪市会議員(定員50)選挙が行われ、自民党が11から18議席に、公明党が12から14議席に、民主党が5議席、日本共産党は11議席から5議席に後退、新社会党の松平要氏と解放同盟全国連合会の坂口克己氏が当選した。この不都合な結果に論評ができない。恐らく、投票数も投票獲得率も議員数も等々全ての数字で言い訳無用の結果が出ているので、今までのように何か一つ取り柄のところを吹聴するということさえできないのだろう。それでダンマリという訳だ。

 そして総選挙で後退しても大敗しても捲土重来を云えば済まされる。その昔、野坂は、「ブルジョア政党のように安易に責任を取らないのがプロレタリア政党の良いところだ」と居直ったが、そんな屁理屈はなかろうにこれが通用する。党員が自分の党中央に批判の言葉を提起できない、集団強訴出来ない仕掛けにされているからであろうが、この仕掛けを受け入れる方にも問題があろうに、ここを突けない。

 こんな日共に誰がしたんだ。これが云いたい訳。不破は長年のトップとして重過失がある。その不破が党綱領を又も姑息なやり方で変えようとしている。あちこちで整合しておらず、現実感覚とも乖離しており、ただひたすら穏和式運動に流し込むだけの不破式綱領を採択させて置土産と云う魂胆だろうが、歴史的正義がどこにもない。あるのはただ妄執のみである。間もなくその綱領が採択される運びとなっている。汝党員ら愚かというも哀れなり。

 2003.9.24日 れんだいこ拝

【不破哲三論その9、宮顕―不破系党中央が石もて追われる日は来るだろうか考】
 さて以上、長々と不破を解析した。本論考も一助となって、日本左派運動史が検証され、宮顕、不破が石もて追われる日は来るだろうか、宮顕、不破に石もて追われた者の復権が見られる日が来るであろうか。かく語って筆を措きたい。





(私論.私見)