元の理教理考、その人類史的意義考

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年.1.16日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「元の理」を論評する。

 2007.12.25日 れんだいこ拝


【「元の理」とは】

 みきは、その教義の中核に次のような説話「元の理」を語った。お道教学では「こふき」とも命名されている。「元の理」の由来は分からない。オリジナルテクストのようなものがあるのかどうか、それも分からない。教理的には、「神の社(やしろ)」として貰い受けされた教祖に、元の神、実の神が啓示した天地創造譚であり、神話であり実話であり、且つ神楽つとめの台として拝受されている。

 「天理教教典  第三章 元の理」冒頭は次のように記している。

 「親神は、陽気ぐらしを急き込まれる上から、教祖をやしろ(社)として、この世の表(おもて)に現れた、奇(く)しきいんねん(因縁)と、よふきづとめ(陽気づとめ)の理を、人々によく了解させようとて、元初(はじま)りの真実を明かされた」。

 「おふでさき註釈  29〜51総註」は次のように記している。

 「かぐらづとめの理を明らかにし、親神様の、この世人間創造のご苦心をお教え下さるために、元初まりのお話を詳しくお説き下されている」。

 「天理教教祖伝  第八章 親心  元の理」冒頭は次のように記している。

 「かくて教祖は、つとめの完成を急き込み、その根本の理を諭す上から、元初まりの理を、人々の心の成人に応じて、理解し易(やす)いように、順序よく述べられた」。

 天理教事典(天理教道友社)は「元の理」を「元初(始)まりの話」と言い換えた上で次のように記述している。

 「教祖(おやさま)が、人間救済の目的で、元初まりの真実、すなわち、『元の理』を示すために明かされた、人間世界創造の説話である。『元初まりの話』には、天理教の根本教義が集約されているので、このお話を、一般の神話としてではなく、人間救済のために人間世界創造の元を明らかにされた真実の話として、受け止めることが大事である」。

(私論.私見)

 「中山みき教理の歴史的高み」について、れんだいこに云わせれば、中山みき教理は、国内諸宗との対比を越えて世界宗教として登場しており、世界宗教の三大精鋭であるユダヤ、キリスト、マホメット教と互角以上に教義問答し得る稀有な事例となっている。このことに「中山みき教理の歴史的高み」がある。かく確認しておきたいのだが、天理教本部教理の理解は、敢えてそうしているのかどうかまでは分からないが、「中山みき教理の歴史的高み」にまでは迫っておらず、その分だけ皮相的なように思われる。

【お筆先の「元の理」記述】

 このことをお筆先で次のように語っている。

 この世の 人間始め 元の神 
 誰も知りたる 者はあるまい
三号15
 この世を 始めた神の 真実を 
 説いて聞かする 嘘と思うな
三号68
 今までも 心学こふき あるけれど 
 元を知りたる ものはないぞや
三号69
 今までに ないことばかり 云いかけて 
 よろづ助けの つとめ教える
六号29

 胎内ゑ 宿し込むのも 月日なり
 むまれだすのも 月日世話どり

六号131
 今までも 今がこの世の 始まりと 
 云うていれども 何のことやら
(7.35)
 今までに ない助けを するからは 
 元を知らさん ことに於いては
(9.29)
 「この世うの 元しっかり 知りた者 
 どこのものでも 更にあるまい
(10.47)
 真実に この元さえ しっかりと 
 知りたるならば どこへ行ったとて
(10.48)
 この話し 何と思うて 聞いている 
 これ取次に 仕込みたいのや
(10.49)
 どのような ことを月日の 思うには
 人間元をこれ 世界中へ
(10.50)
 早々と この真実を 一列に 
 知らしたるならば 話し掛かるで
(10.51)
 いかほどに 話しを説いて 聞かしても
 元を知らして おかんことには
(10.52)
 元さいか しっかり云うて おいたなら
 何を云うても 皆な聞き分ける
(10.53)
 この世うの 地(ぢい)と天とは 実の親
 それよりでけた 人間である
(10.54)
 これからは 唐も日本も 知らんこと 
 ばかり云うぞや しかと聞くなり
(10.55)
 どのような ことも知らんと 云わんよう
 皆な一列に 仕込みたいから
(10.56)
 日々に 月日の心 思うには
 多くの人の 胸の内をば
(10.57)
 この心 どうしたならば 分かるやら
 どうぞ早くに これを分けたい
(10.58)
 世界中 真実よりも 胸の内
 分かりたならば 月日楽しみ
(10.59)
 それからは 一列なるの 胸の内
 分かりたならば 月日それより
(10.60)
 段々と 日々心 勇めかけ 
 陽気づくめを 皆なに教えて
(10.61)
 世界中 多くの人の 胸の内
 皆な澄ましたる ことであるなら
(10.62)
 それよりも 月日の心 勇み出て
 どんなことでも 皆な教えるで
(10.63)
 どのような ことでも月日 真実に
 皆な一列に 教えたいのや
(10.64)
 真実の 心が欲しい 月日には
 どんなことでも 仕込みたいから
(10.65)
 この話し 何をしこむと 思うかな
 これから先の よろづ道筋
(10.66)
 何事も 月日の心 思うには
 日本に古記 欲しいことから
(10.87)
 日本にも 古記を確か こしらえて
 それ広めたら 唐はまゝなり
(10.88)
 この話し 何と思うて 皆なの者
 日本のものは 皆な我がことや
(10.89)
 それ知らず 何と思うて 上たるは
 胸が分からん 月日残念
(10.90)
 このところ どのよな古記 したるとも
 これは日本の 宝なるぞや
(10.91)
 一列の 心定めて 思案せよ
 早く古記を 待つようにせよ
(10.92)
 真実の 古記がでけた ことならば
 どんなことでも 月日広める
(10.93)
 月日より 広めをすると 云うたとて
 皆なの心は 承知でけまい
(10.94)
 それ故に 取次よりに しっかりと
 頼みおくから 承知していよ
(10.95)
 この日柄 刻限来たる ことならば
 なんどき月日 どこへ行くやら
(10.96)
 日々に 取次の人 しっかりと
 心しづめて 早く掛かれよ
(10.97)
 この道は どういうことに 皆なの者
 思うているやら 一寸に分からん
(10.98)
 月日には 何でもかでも 真実を
 心しっかり 通り抜けるで
(10.99)
 この道を 上へ抜けた ことならば
 自由よう自在の 働きをする
(10.100)
 月日より この働きを 仕掛けたら 
 いかな強敵 来たると云うても
(10.101)
 心より 真実分り 澄み切りて 
 どんなことでも 親にもたれる
(10.102)
 この先は 世界中は どこまでも
 陽気づくめに 皆なしてかヽる
(10.103)
 この者に 月日よろづの 仕込みする
 それで珍し 助けするのや
(11.31)
 このことは 一寸のことやと 思うなよ
 これは日本の 古記なるのや
(11.32)
 月日には 今までどこに ないことを
 ばかり云うぞや 承知しておけ
(11.61)
 このような ないことばかり 云うけれど
 先を見ていよ 皆な誠やで
(11.62)
 なにぶんに 珍しことを するからは
 いかな話しも ないことばかり
(11.63)
 どのような ないことばかり 云うたとて
 先を見ていよ 見える不思議や
(11.64)
 今なるの 悩みているは 辛けれど
  これから先は 心楽しみ
(11.65)
 このような 話しくどくど 云うのもな
 これは末代 古記なるのや
(11.66)
 月日より このたびここで 表われて
 どんなことをも 話しするのは
(11.67)
 どのような ことも段々 知らしたさ
 日本の古記 皆なこしらえる
(11.68)
 この世うを 初めてからに ないことを
 どんなことをも 教えたいから
(12.138)
 この世うの 本元なるの 真実を
 しっかり承知 せねばいかんで
(12.139)
 この元を しっかり知りて いる者は
 どこの者でも 更にあるまい」
(12.140)
 「このたびは 本真実を 云うて聞かす
 何を云うても、しかと承知せ
(12.141)
 月日には 世界中を 見渡せど
 元始まりを 知るたる者なし
(13.30)
 この元を どうぞ世界へ 教えたさ
 そこで月日が 現れて出た
(13.31)
 世界中 一れつは皆な 兄弟や
  他人というは 更にないぞや
(13.43)
 この元を 知りたる者は ないのでな
 それが月日の 残念ばかりや
(13.44)
 高山に 暮らしているも 谷底に
 暮らしているも 同じ魂
(13.45)
 それよりも だんだん使う 道具はな
 皆な月日より 貸し物なるぞ
(13.46)
 それ知らず 皆な人間の 心では
  何ど高低 あると思うて
(13.47)
 月日には この真実を 世界中へ
 どうぞしっかり 承知さしたい
(13.48)
 これさいか 確かに承知 したならば
 謀反の根は 切れてしまうに
(13.49)
 月日より 真実思う 高山の
 戦い災禍 治めたるなら
(13.50)
 この模様 どうしたならば 治まろう
 陽気づとめに 出たることなら
(13.51)
 この世うの 人間始め 元なるを
 どこの人でも まだ知るまいな
(16.10)
 このたびは この真実を 世界中へ
 どうぞしっかり 皆な教えたい
(16.11)

 明治3年頃「よろづよ八首」が御作成されているが、このお歌の中で次のように諭されている。

1首  「よろづ世の 世界一列 見はらせど 
 胸のわかりた ものはない」
2首  「その筈や 説いて聞かした ことはない 
 知らぬが無理でハ ないわいな」
3首  「このたびは 神が表へ 現われて 
 何か委細(一切)を 説ききかす」
4首  「この所 大和の地場の 神がた(館)と 
 いうていれども 元知らぬ」
5首  「このもとを 詳しく聞いた ことならば 
 いかなものでも 恋しなる」
6首  「聞きたくば 訪ねくるなら 云うて聞かす 
 よろづ委細(一切)の 元なるを」
7首  「神が出て 何か委細(一切)を 説くならば 
 世界一列 勇むなり」
8首  「一列に 早く助けを 急ぐから 
 世界の心も 勇さめかけ」

 これを解説すれば、次のように云われていることになる。

 概要「世間を見晴らせど、本当の真実を分かった者はいない。それも道理で、神はこれまで真実を明かされなかった。このたび神が現れ、この世の仕組み、人の在り方の元真実、本真実について教えることになった。神が現れたここ大和の地場は神の館である。神の話を聞きたければ訪ね来るが良い。一から十まで何なりとたっぷりと十分に聞かせよう。この話は聞けば聞くほどもっと聞きたくなり、勇むことになる。神は、世直し、世界の立て替えを願うから、世界の人々を勇まそうと思う」。

【「元の理」の内容考】
 「元の理」の内容は、大きく見て三部作(段落)と看做すことができる。まずは、人間創造の意味と、その為の雛型道具引き寄せ譚。続いて、体内宿し込みの試作譚、最後が、八千八度の生まれ代わり成人譚である。但し、最後の八千八度の生まれ代わり成人譚は「こふき」諸本では語られているが、お筆先には記されていない。即ち、専ら口伝として御話しされていたのではないかと思われる。この「元の理」の中で、天理教教義全般が語られており、いわば円環的な教理体系となっている。且つ、概要「(この話は、)学問にない、古い九億九万六千年前のことの、命の元真実、本真実を語るものであり、同時に天地開闢世界創造の元真実、本真実神話である。それを世界へ教えたいとして明らかにされた」という構図になっている。

 中山みき教理の国内諸宗との相違の最たるところは、日本神道が依拠する記紀神話の天地創造譚とは別系の「元の理」を通して天地創造神話を説き明かしているところに認められる。天地創造神話が何故重要かというと、天地創造神話の説き分けとして教理が生まれているという元の親的地位を占めるからである。もっとも、これを持つことの良し悪しは別の問題である。仏教、儒教が持たないからといって遜色(見劣り)する訳ではない。

 「元の理」の内容は天理教独特のものであると同時に、それがかなり精緻にして説諭力のあるものとなっている。そういう創造説話を持つことにより、世界に伍して競える宗派としての格を持ちえており、このことが天理教に偉大さを備えさせている。世に同種の神話があるとすれば、ユダヤ、キリスト、マホメット教圏内が崇めるユダヤ教聖書の天地創造譚が筆頭に挙げられる。その対抗としてギリシャ神話、日本の記紀神話などが挙げられよう。が、れんだいこの見るところ、中山みき教理の方が断然秀逸と悟らせていただく。ここに「中山ミキ教理の歴史的高み」がある。これについては、「セム系一神教(ユダヤ、キリスト、イスラーム)の天地創造説との比較」で概述する。

 そういう「元の理」に対する称賛の仕方が、天理教本部教理では、創造説話があること自体の称賛、それに続いて、「元の理」が奇妙なほど現代科学の成果とも符合しているところへと向かっている。しかし、そういう評価は「元の理」を扁平にしていないだろうか。「元の理」が「泥海古記」と称されて道人のバイブルになっていたお道初期の時代に於いては、「元の理」の説き分けそのものに対する感動、それより発する諭し話しに対する深い味わい、人の生き方としての助け合い、その必然的発展形態としての講の結成こそにドラマがあったのではなかろうか。しかも、他の神話が、時の支配者の支配の正統性を裏づける為の教話になっているのに比して、それを否定しむしろ「金持ち後回し、谷底救済」による助け合い共生社会の創出へ向けての世直し、世の立替教として位置していることが勇気を凛々とさせたのではなかろうか。これらのことに「元の理」の値打ちが認められるのではなかろうか。このような天地創造神話を持つ中山みき教理は、日本は無論のこと世界の諸宗教との理論的競合に於いて怯むものは何もない。ここが素晴らしいのだ。

【「元の理」の意義と意味考】
 みきは、折に触れ「こふき」を筆に認(したた)め、あるいは口伝してきた。1881年(明治14年)、教祖が4月よりお筆先第16号を執筆された頃、官憲の禁圧は最も強まっていた。教祖は、これに抗するかのように、この頃から頻りに側近の高弟達に、「『こふき』をつくれ」と指図し始め、「元の理」をまとめるようお急き込みされるようになった。それまでも折に触れ「こふき」をお筆先に記されていたが、このたびは高弟の悟りに応じて各自が纏めるよう指図していることに特徴があった。ちなみにお筆先は1882(明治15)年に終筆する。これを思えば、「こふき」こそみき教理の集大成であったことになる。

 かくて、教祖の「『こふき』をつくれ」を受けて、「お道」の高弟による「こふき」の執筆が始まった。
天理教教典第三章/ 元の理は、「元の理」の意義と意味について次のように記している。
 「親神は、陽気ぐらしを急き込まれる上から、教祖をやしろとして、この世の表に現れた、奇しきいんねんと、よふきづとめの理を、人々によく了解させようとて、元初りの真実を明かされた」。

 教祖の御在世中の御話しと云へば、大抵この泥海中のお話しが多かつた。教祖は、これをお聞かせになる前には、大抵次のようにお話しされ、終いに、「こういう訳ゆえ、どんな者でも仲良くせんければならんで」とお諭しくだされた。
 「今、世界の人間が、元をしらんから、互に他人と云つてねたみ合ひ、うらみ合ひ、我さへよくばで、皆な勝手/\の心つかひ、甚だしきものは敵同士になつて嫉み合つてゐる。それも、元を聞かしたことがないから、仕方がない。なれど、この儘にゐては、親が子を殺し、子が親を殺し、いぢらしくて見てゐられぬ。それで、どうしても元をきかせなければならん」。

 「世界をろっく(平ら)の地に均す」のは、元はじまりの話しによってなのだと聞かされている。

  「こふき」の意義が、お筆先に次のように語られている。
 高山の 説教聞いて 真実の
 神の話を 聞いて思案せ
三号148
 日々に 神の話を 段々と 
 聞いて楽しめ こふきなるぞや
三号149
 今までハ この世始めた 人間の 
 元なる事を 誰も知ろまい
十六号1
 この度は この元なるを しっかりと
 どうぞ世界へ 皆な教えたい
十六号2

 これによれば、「高山の説教に抗するための元始まり話」として「こふき」が位置付けられていること、「人間の元なる事」のこの話を明らかにするので、これを「段々と聞いて楽しめ」との思いから指図したことが分かる。ならば、道人は教祖の思いのままに受け取るのを了とすべきであろう。
 「人間々々元が分かろまい。世界中皆(みな)神の子供。難儀さそう、困らそうという親はあるまい。親あって子がある。この理を聞け。憎い可愛(かわいい)の隔てない」(明治20.12.9日補遺)。

【「元の理」の特徴、その歴史的意義】
 れんだいこ理解によれば、「元の理」には次のような特徴が認められる。
 「元の理」は、世界の他のどの教説に比しても遜色のない人類創造譚となっている。これが第一の特徴と思われる。
 その教説に於いて、生物の登場と文言が、それぞれ独特な象徴的な表現になっており、その表現の中に理話しが説かれており、普遍の真理が汲み出せるよう説話されている。これが第二の特徴と思われる。記紀神話の模倣ではなく、発想と主題、展開の仕方と表現のことごとくが類例のないオリジナル性に貫かれており、人間誕生の気が遠くなるほどの雄大なプロセスを諭している。
 世界始まりの原基を「泥海」としており、その中に生物の存在を説いている。ユダヤ-キリスト教の聖書の天地創造譚は真空からの天地創造であり、天理教の泥海からの天地創造の方が合理的ではないかと思われる。これが第三の特徴と思われる。
 親神としての月日二神が登場し、天地と人類創造の思惑を語る。ここに、人間の存在に対する、生活の目的に対する「理説き解答」がある。人間全てを問題にしており、民族神話、国家神話とは異なる汎人類的救いになっている。これが第四の特徴と思われる。
 親神の人類創造思惑を披歴しており、これにより被創造物である人間の生きる目的が明かされている。それによると、親神は被創造物である人間が生き生きと生きる様を見て共に楽しみたいとしている。これを「陽気づとめ」ないしは「陽気暮らし」と云う。人間の生きる意味をかく説いた教説は珍しい。これが第五の特徴と思われる。
 元始まりの紋型ない泥海から始まり、生命(いのち)の源流になるいろいろな道具が寄せられ丹念に人間が創造され、次第に十全になっていく。その過程は、他のどの創造譚に比較してみても詳しく、これを聞く者をして得心のいくものになっている。これが第六の特徴と思われる。
 生命の進化論的変遷を説いている。鉱物、植物、動物に分けられ、動物はアメーバから脊椎動物まで12種類に分岐し、脊椎動物は、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類の5種に分岐する。脊椎動物の一番最初の魚類にどじょうがいて、終わりの哺乳類の中に猿を経由して人間がいる。

 これによれば、泥海とどじょうと人間は縁戚関係にあるということになる。人と全ての生物類との親近関係が示唆されている。今日の生物分子学は、生物と無生物の間を別種とせず、本質的なつながりで見ようとしており、この点でも妙に科学性が認められる。これが第七の特徴と思われる。
 人間の生成過程が実に長い時間をかけてのものであり、並々ならぬものであったこと。その生成と立てあうかのごとく天地の変成が為されたことが教えられている。これが第八の特徴と思われる。
 「人間は生まれながらにして罪人である」という「A poison in the blood」とするユダヤ-キリスト教的原罪意識や、仏教的業因縁が説かれておらず、「借り物教理、埃教理」で説いている。罪と罰思想がなく底抜けに明るい。「借り物教理、埃教理」に続いて「たすけの理話」が説かれている。その諭しは、民衆救済の強靭な論理を含意している。これが第九の特徴と思われる。
10  後の西田哲学の「一即多」、「多即一」との相似性が認められる。その弁証法的構造も注目される。これが第十の特徴と思われる。

【教祖が元を説かれた理由】
   教祖ご自身は次のようにお話しされていたと伝えられている。
 明治10年10月25日、(桝井伊三郎)(願いの筋なし)。桝井を前にして次のようにお諭しされている。「さあ八十の年をまちかねた/\。この話しはなあ、聞き流し説き流し、よく心に治めてくれにゃならんで。取り違えのないよう、あんな話しと思うて聞いたらいかんで。あんな話しと思うてきいたらあんな話しになってしまう。人間元の理がわからなければ何もわからん、何も知れようまい、心して聞かにゃいかん、心によう治めてくれ」。
 (「おやさまのおことば」/ 目次topへ
 明治10年10月28日、(氏名なし)(願いの筋なし)。教祖の次のような御言葉があった。「人間元はじまりの話し、よう心に治めねば子を育てることできようまい。子を育てることできぬようでは親の恩はかやせ(返せ)まい。子を育てゝこそ親の恩は返せるのやで。(行空き)お産は病いではない。だがお産から色々と病いを引き起こすような事がもしもあったなら、女として女の道がたっていないからや」。
 (「おやさまのおことば」/ 目次topへ
 「深谷源次郎先生(河原町初代)のお話しは、神様(教祖)は、いつも私たちが行くと、人間を創(はじ)めた時の話をしなさる。そしてそのたびに、泣いて聞かして下さった。
『変わらぬのが天の理やで。米を植えたら米、麦を蒔(ま)いたら麦が生える。芥子(ケシ)の種には芥子の実がのる。この理をよう聞き分けておくれ。人間は、人間が産んで、独り大きいなって、偉くなれば、我が力で偉くなったように思うが、それは大きな間違いやで。人はどうでも、我さえ良くば、という心ではいかん。皆々、神様の可愛い子供や。我が身が可愛いように、人さんを可愛がってやっておくれ。我(が)があってはならんで。欲があってはいかんで。世の中に、火難に遭(お)うて裸で泣く者もある。盗難に遭(お)うて難儀する者もある。何で、このような目に遭(あ)うか。この理を聞き分けておくれ。神は、可愛い子供に苦労さしたくない。皆なの心意気が、ころっと違うからやで』
と、聞かして下さった」。
 (みちのとも大正10年3月号、深谷先生の御話し/深谷源次郎より)
 「教祖ご在世中のお話といえば、大抵この泥海中のお話しが多かったが、これをお聞かせになる前には、
『今、世界の人間が、元を知らんから、互いに他人と言って嫉(ねた)み合い、恨(うら)み合い、我さえ良くばで皆な勝手/\の心遣い。甚(はなは)だしき者は、敵同士になって嫉(ねた)み合っているのも、元を聞かしたことがないから仕方がない。なれど、このままに居ては、親が子を殺し、子が親を殺し、いぢらしくて見て居られぬ。それでどうしても元を聞かせなければならん』
ということをお話になり、それから泥海中のお話をお説きになり、しまいに、
『こういう訳ゆえ、どんな者でも、仲良くせんければならんで』
と言ってお聞かせになった」。
 (諸井国三郎先生(山名初代)のお話し。山名大教会初代会長夫妻自伝(大正五年)69p)

 天理教教典は次のように記している。
 「 親神は、陽気ぐらしを急き込まれる上から、教祖をやしろ(社)として、この世の表(おもて)に現れた、奇(く)しきいんねん(因縁)と、よふきづとめ(陽気づとめ)の理を、人々によく了解させようとて、元初(はじま)りの真実を明かされた」。(天理教教典第三章「元の理」)

 「おふでさき註釈  29〜51総註」は次のように記している。
 「かぐらづとめの理を明らかにし、親神様の、この世人間創造のご苦心をお教え下さるために、元初まりのお話を詳しくお説き下されている」。

 天理教教祖伝は次のように記している。
 「かくて教祖は、つとめの完成を急き込み、その根本の理を諭す上から、元初まりの理を、人々の心の成人に応じて、理解し易(やす)いように、順序よく述べられた」。(天理教教祖伝第八章「親心  元の理」)

 「ひとことはな志 その三  此世始まりのお話」冒頭で、二代真柱様は次のように記している。
 「おつとめは、よろづたすけ(万救け)のために勤められるものであり、よろづたすけとは、ひとり人間の身上ばかりではなく、農作や日本、世界の上にも及ぼされているのを申しました。言わば、人間身上なり、生活なりの上につき、あらゆるご守護を下さることをお述べ下されているのでありますが、何ゆえに、このおつとめに、このようなご守護の理をお教え下されているのでありましょう。それにはまず、この世初まりのお話を聞かせて頂くのが順序であります。と言うのは、教祖様(おやさま)は、 『おつとめによって、この世に再び人間をつくるのだ。更生さすのだ』 ということを仰せになっています。『元初まりの親神様が、教祖様(おやさま)の口を通じて、人間創造の思召(おぼしめし)をお聞かせ下され、人間の心の掃除をして、人間創造当時と同じように、その後‘’ほこり‘’にまみれ、いろいろな勝手な‘’いんねん‘’を積んできた人間を、人間創造当時の如(ごと)き、無垢(むく)なものにつくり直す』 ことを仰せになっているのであります。(中略)『おつとめによって、その昔、ない人間を創造された時と同じように、この世で人間をつくり直す』と仰せられているのであります。『心を澄まして、創造当時と同じように、‘’ほこり‘’にまみれない、楽しい人間と更生さすこと』を仰せられたのであります。  されば、おつとめの理を思案させて頂くためには、まず、この世初めのお話を聞かして頂くのが順序なのであります」。
 「泥海古紀之訳」参照。次のように諭している。
 「御教祖が天啓によって御話し下され筆に残って居るところの泥海古記は、理を仰せられたもので皆な悟りなり。月日が道具神を食うてしまうて仕込んだとの仰せ、この理が悟りである。あたかも日本に古事古記神代記とか種ゝなる古事伝説の不思議なる事が伝えられてある如く、これを神の恵みの説きわけとして拝する必要がある。一言説いたら百巻の書物と仰せられてある。 泥海古紀は実に深淵なる意味の存するところにして最も重要なる宇宙の大真理が見出す根元であって、道を学ぶ者、殊に人を教導する本教教師たるものは、誠心誠意神意を悟り、深く治めさして頂くべきことが肝要である。しかしてこれはいわゆる神秘的の奥儀の存在するところ故、最も畏れ多き意味ある故、文書につづり難く、もとより真理の奥意は筆墨によりてその真味を悟ることは不可能のことに存する次第なり」。

【梅谷四郎兵衛と「元の理」】
 「山田清治郎先生がお子さんの身上について案じた末、何かお諭しを頂きたいと思って、梅谷四郎兵衛先生を御宅にお訪ねになったことがある。来意を聞いて、「うん!そうか、まあこっちへお上がり」と山田先生を招じて、二時間余に亘って御こふきの御話を諄々とお説明になった。家には子供の身上が迫っているために、聞いていられた山田先生は気が気やなかった。最後まで御こふきをお話になった梅谷先生は、「御教祖がな、御古紀(こふき)を本当に受けるものでなけにゃ、お道の人やないでと仰って下さったことがある」と付け足された。御伺いした病の理に関しては一言も仰せられなかった。二時間余り聞いて帰られて見ると、御子息の御身上はケロリと忘れたように癒っていた」(「こふきと道の人(その一)」、昭和二年十月二十五日発行「洗心」第六号(天理教洗心会)・六号活話より紹介)。
 「(山田清治郎先生のお話し)どの子であったか忘れたが、子供が病気で熱が出て下らない。いろいろさんげしたが御守護頂けないので、梅谷四郎兵衛先生にお諭しを頂きに行った。ところが、お話し下さるのは泥海古記のお話しで、なかなかおやめにならない。そのお話しなら、自分も知っているので、ついうっかり聞いていると、だんだん眠くなって来て、どうにもならない。膝をつめったり、手をつめったり、やっとやっと目を開いて聞いていた。お話しがすんだ時先生は、「どんな話も聞かしておけ、どんな話も聞いておけ、まさかの時にはどんな理も浮かばしてもらう、と聞かして頂いている。あんたは今日はそんな話を聞きに来たのやない、と思うやろう。わしも、こんな話をしようと思うたのやない。これは神様が浮かばせて下さったのや、とわしは悟る。あんたは今日こんな話を聞きに来たのやなかろうが、この話を聞けとおっしゃっている、と思うて聞いてもらわねば何にもならぬ」とおっしゃった。実に耳が痛かった。甘露台へお参りして、心から自分の不心得をお懺悔して、今日のお話し、どろうみ古記をしっかり心におさめさせて頂いて帰って来たら、子供の熱はすっかり引いて御守護を頂いていた。人間思案を捨て、理屈抜きで、神一条に徹しきらねば、本当の神様の御守護は頂けないとつくづく悟った次第である」(「こふきと道の人(その二)」、昭和三十二年一月第九号「みちのだい」「対談 山田清治郎先生にきくー親心についてー」より)。

【山田伊八郎と「元の理」】
 この元なるはどろの海 」。
 「※次のお話は「山田伊八郎伝」の編集主任・山本徳雄さんが教義及び史料集成部の史料担当者会総会において、”『山田伊八郎伝』について”と題して昭和50年2月27日に講話されたものです(史料掛報214号より)。

 (前略)伊八郎先生は山中忠七先生の一人娘を嫁に貰われましたために想像外、教祖に非常に接近させて頂かれて、少々無理な時でも休んでおられる時でも、側へ行って話を聞かして頂いておられるんであります。奥さんがそうした立場であったために、山中忠七先生に連れられては気安く、お側にお伺いされているのであります。嫁入って来られる前、最後の三年間はお膝元でお仕込み頂いた、そのこいそ様の婿であるという立場でもあったんでしょうが、いろいろ遠慮なくお話し聞かせ下さっております。そのお話は大体八割、九割までは元の理のお話であります。どんな身上・事情でお伺いせられても、元の理の話をあちらこちらから角度を変えてお話下されています。こうして、教祖が伊八郎先生に数多くお仕込み下さいましたが、その重要なお仕込みの中の最後のお言葉が、私非常に気になるのであります。それは、明治十九年十月三日(旧九月十六日)のお言葉であります。その時の聞き書きを拝読さして頂きますと、

 『明治十九年旧九月十一日ヨリ食ジ、平日ノ通とハ沢山たべ、その後十五日迄腹がツカイ、同十五日、相成候得ハ母が亦、腹がツカイ、同十五日夜 相成候得ハ、亦ムメ女(二女)がむりヲゆい、同十六日、幾栄(長女)が亦、腹がイタミ、同十六日、神様へ参詣致す。神様二度御噺しにヲデマシ。その御噺にハ』(山田伊八郎文書196頁)として教祖のお言葉を書いておられるのです。この『神様二度御噺しにヲデマシ』、一度は山田伊八郎が来ているから、話をしてやろうと思ってお出まし下さったようでありますが、何とも仰せられずにお入りになって、それでも帰らずに待っておられたんであろうと思いますが、二度目またお出まし下さってお話下さったお言葉が、簡単な一言であったんです。重要なお仕込みとしては、これが最後になっているんですが、これまでに十分いろいろお話下さっている。最初出て下さってお入りになり、二度目出て下さってこの一言をお話下さるということは、私拝察させて頂きますのに、これまでのようにいろいろと話してやろうか。しかしあまり話してやるのもいいやら、話しないのもいいやら、どうしようかと思って、ご思案して下さっていたのではなかろうかと拝察するんです。そして二度目にたった一言おっしゃったのが『残念/\。この元なるハどろの海。それをしりたる者ハ更になし』。これだけおっしゃってまたお入りになったんです。『これだけの御噺し。午後三時頃ヨリ帰村いたし』。これだけの話で到頭終わって、それから伊八郎先生はどれだけの時間お屋敷に置いて頂いておられたのか、ご思案しておられたのかわかりませんが、午後三時頃から自分の村へ帰って来たと書いておられるんです。

 ただ簡単にこれだけなんですが、拝察さして頂きますのに、これは教祖の重要なお仕込みであったと思うんであります。私よく元の理についていろいろ僭越な考え方をしたり、いろいろさせて頂きますのも、実はこのお言葉が元になっているのでありまして、伊八郎先生が生涯何の身上や事情のお助けに出られても、必ずこの元の理の話(当時は泥海古記とおっしゃった)をせられんことは一度もなかったというのであります。お助け頂いた人達の話を聞いてみますと、それで不思議に良くなったというのです。山田伊八郎先生も教祖にいろんな身上や事情のお話、身上お知らせ頂いて参拝なされ、そしてお伺いされたら元の理の話を聞かして下さる。それで帰ってみたら御守護頂いているということばかりをほとんど続けておられるんですが、伊八郎先生も生涯元の理を説いて、身上や事情の諭しもなかなか大したお方であったようです。この方の五人の弟子と言われた人が、身上や事情の諭しでは有名な先生になられたのであります。それだけに伊八郎先生も大したものでありますが、しかし元の理の話をせられないことはなく、必ずその話をなされたというのです。それで教祖のお心、思召をしっかりと心に治めておられたようであります。特に、最後の明治十九年三月十三日の教祖が二度もお出まし下さって、ただ一言『残念/\。この元なるハ泥の海。それを知りたる者ハ更になし』とおっしゃってお入りになった。これが最後のお言葉であったということが、特に厳しく伊八郎先生の胸に打っているのではなかろうか。お悟り下さっていたように思うのです。(後略)」。

 「梅谷先生よりお聞かせ頂きましたお話でありますが、後になれば天理十冊本というのができる。即ち”こふき”であります。それを外国に広める。外国の人はそれを見て感じるならばどんな者でも助かる。しかしこんなものという心であったら、その場で倒れる様な御守護であると聞かせて頂きました」。
 (「天理十冊本」、昭和十一年「第六回教義講習会講義録」「根の国日本」山田清治郎より)

 「神さまは、どうして、こんな形の生物世界のしくみをお創りになったのであろうかと思う。これが分らない。教祖はこのことについて、どうお話になったであろうか。私が教祖にお会いした人々から聞いた話の中には、それに対する話はない。誰も質問しなかったものであろうか。あの当時の人々は、それは当り前のことで、世の中の当然の仕組みとして疑問に思わなかったらしい。「人間はどうして水を呑まないと死ぬのでしょうか」、「人間はどうして息をしないと死ぬのでしょうか」と質問した人の話も聞いていない。当時は当り前と信じ切っていたものと思う。もっとも、教祖は、『この世に当り前ということはないのである』と仰せになっていたそうだ。そうするとそれに対するお応えもあったものと思う。だが伝わらなかったか、誰も質問してくれないので、お話するきっかけがなかったものか。またお話があったものと思うが、聞き手の方が直接生活に関係がないので、忘れられたのでないか。奥野道三郎氏のお話では、塩は月さまの心とおっしゃったそうだ」。
 (「当り前ということは 」、昭和六十一年十二月発行、高野友治著「創象38」(天理時報社)2~3pより)。





(私論.私見)

【参考】夜泣き①
さあ/\小人々々、小人というは心あれども、何しても仕様(しよう)の無きもの。‥
さあ、この子は夜泣きすると思う。一夜の事ならよけれど、未だ(まだ)いかん。‥
めん/\急いてはいかん。長くの心を持ちて、だん/\互いの心持ちて行けば、何一つのほこりも無い。この道 天然自然の道やと思え。‥
めん/\どうしてこうしてと、心に思わぬよう。天然自然の道やと思うて心に治めば、小人身の處もすっきり治まる。
おさしづ 明治21年 (228頁)

【参考】夜泣き②
さあ/\夜泣き、子が泣く、どんな事情も諭してある。よう聞き分け。何にも彼も神口説き、皆ふでさき(おふでさき)にも知らしてある。読んで分からん。どんなであろう。夜泣きする、夜泣きする。どういう事を口説く。一日の日雨降る、風吹く、春の日は のどか。一年中はどんな日もある。何であったな。一時なる思うなら、どういうものであろう。見えようまい、分かろまい。よう聞き分け。
おさしづ 明治22.5.7 (3件目)

【参考】夜泣き③
子の夜泣き 思う心は違うでな 子が泣くでない 神の口説きや (よみくだし)
おふでさき 第三号 29首

【参考】夜泣き④
一代二代だん/\という一つの理、結構と思うて居る、有難(ありがた)と思うて居る中に、小人の事情、夜も泣く 昼も泣く。何で泣くと思う。一度尋ねてみようと思えど、日々の日に遅れ、よう諭さにゃならん。小人が泣くやない。何か万事(ばんじ)早く事情諭したい。何程泣く、何で泣くと思う。これより一つの内々一つ/\早く悟れ。万事一つの理には、一つの理はあろうまい。子の夜泣き 昼も泣く。いかなるもたんのう(足納)、年々に一人又(ひとりまた)一人又一人、二三年(二、三年)の間ならばと思う。内々もよく聞き分け。よう帰って来た/\と言うて、先々の處(ところ)楽しみの理、先々の處は何程の事情とも思わずして、今の一時の處ばかり思う。たんのう一つの理が治まれば、子の夜泣きは無い。めん/\身上も速やかという。早く事情を諭さにゃならん。悟らにゃならん。
おさしづ 明治24.4.20 (2件目)
【註】「子の夜泣き」については、乳児、小児の「夜泣き」に限らず、子供に現れる、お見せ頂くすべての「身上・事情」は「子の夜泣き」であり、「神の口説き」であると受け止めさせて頂くべきと思案します。

成るたけ満足。先ず/\親孝心(親孝行)のため満足させ。又めん/\一つの道運んで、安心をせねばならんと。めん/\も安心して、成るたけ満足をさせ。 
おさしづ 明治21年 (15件目) 補遺

親に孝心夫に貞女(ていじょ)、世界の事情、どうでもこれを分けねばならん。
おさしづ 明治22.1.13

子供の成人楽しみに、日々に功(こう)を積んで居る。皆その通り、いつもいつまでも親の厄介になる者はどんならん。
おさしづ 明治22.1.24 午前9時

家内親々一つの事情、一代又二代、心の理があって一つ十分に治めある。
おさしづ 明治22.6.10

   喜多治郎吉 身上に付 願
さあ/\尋ねる。尋ねるから 一つの理も聞き分け置かねばならん。身の障り、さあ/\一寸(ちょっと)身の障り、一つ/\直ぐ/\何か障る身の處(ところ)小児いんねん(因縁)の處、よう/\小児一人与えたる處、身の處、一つ/\二つ三つ、さあ/\妊娠、さあ出産、さあ/\三才で物分かり掛け。よう聞き分け。さあこれもあたゑ(与え)一つの理という。又(また)いんねん一つの理。この理をよう聞き分けば、身は速やかという。さあ/\小児いんねん/\、あたゑ/\という。
   只今の「小児いんねんあたゑ」と仰せ下さるは、いかなる理で御座(ござ)りますか、押して願
さあ/\与えたるは小児は、親々の親という。親々の親を与えたるという。
おさしづ 明治22.6.16
【註】喜多家に養子に迎えた、梅谷四郎兵衛先生の四男「秀太郎」氏は、
『治郎吉先生の「親々の親」、つまり「祖父の魂のいんねんの方」を与えたのや』と仰るのです。

これまで尽す運ぶ中に、互い扶け合い(たがいたすけあい)は諭する理、又所に一つ成程の者というは、第一に家業親孝心、二つ一つが天の理という。
おさしづ 明治22.10.9 補遺

日々家業第一内々親孝心、この二つ理がこれが天の理。
おさしづ 明治22.12.14 補遺

一日の日は遊びに行て来うか言うて暮らして、奈良へ行こと思えば、年寄ったら手を引いて上げましょうと言うて、手を引かねば行かりゃせん。この理をよう/\気を付けさっしゃい。この理から年が寄ればくどい事を言う。理と理と親子なるこのやしき(屋敷)へ入り込めば、年取りた者を親と見立てるよう。この理を聞き取ってくれ。
おさしづ 明治22.10.14 午前8時20分

古き者 親という。子は何人ありても親は一人。為(な)したる事は どうでも立てねばならん。
親がありて子というは、親が賢(かしこ)うても、子は鈍(どん)な者 出ける(できる)やら知れん。子は、親が鈍な者やと言う者があるなれども、何ぼ(なんぼ)鈍な親でも、親があればこそ。年が寄れば 鈍な者や。鈍な者でも 親というもの大切なものや。‥
親というものは どれだけ鈍な者でも、親がありて子や。子は何ぼ(なんぼ)賢うても 親を立てるは一つの理や。これだけの理を聞かし置こう。
おさしづ 明治22.10.14

親は親。何も案ぜる事は要らん。どういう事も治まれば皆治まる。親小人同じ事情。
おさしづ 明治22.10.22 (2件目)

元というはをやという。をやという理は可愛い理に育てば(育てれば)、どんな所も育つ。親と成りて育つるは可愛という理を以(もっ)て育てるよう。これだけ一寸(ちょっと)諭し置こう。
おさしづ 明治22.11.27

親という理に子という理、救けにゃならんが親の理。可愛い一条、‥
おさしづ 明治23.8.7

さあ/\人間というは神の子供という。親子きょうだい同んなじ(同じ)中といえども、皆一名一人の心の理を以(もっ)て生(うま)れて居る。何ぼ(なんぼ)どうしようこうしようと言うた處(ところ)が、心の理がある。何ぼ親子きょうだいでも。
おさしづ 明治23.8.9

古き者に親が尽して子が尽す当り前、子が尽して親が何でもという心の理がある。
おさしづ 明治23.10.1

十分(じゅうぶん)子が成人する。親々の理 子にある。子に真実誠あれば理がある。古い者は親ともいう。
おさしづ 明治24.1.8 (4件目)

親の理は神の理、‥
おさしづ 明治24.3.25

めん/\の子供の親あって子、‥
おさしづ 明治24.5.13

いかなるもいんねんほこりいんねん、難儀するもいんねん、暮らすもいんねん、それ/\(それぞれ)いんねん。親の理に分からんは知らず/\の理であろうまい。‥
いんねん事情、いんねん事情なら通らねばならん。いんねんというは そう/\どうむ(どうも)ならん。曇りの中でも暮らさにゃならん。それ/\親から明らか事情持たねばならん。これだけ諭するによって、しいかり(しっかり)聞き分け。
おさしづ 明治24.5.20 (3件目)

事情どういう事を聞き、今の不自由を思わずして、他の處(ところ)、世界万事(ばんじ)の中、一つの理が難儀不自由。親一つの理を以(もっ)てすれば、治まらん事はない。よく聞き取ってくれ。
おさしづ 明治24年7月

子供という、親という、親は辛抱(しんぼう)して、この物は数無い物や、残してやろ、と言うが親の理。上と言えば上、兄と言えば兄、親と言えば親の理。しっかり聞いてくれ。
おさしづ 明治24.11.15 夜1時

勝手良い理に寄って 勝手の悪き理は寄り難(に)くい理であろう。勝手の良き理は置かん。この道では選り喰い(よりぐい)同様、親という理分からねば何も分からん。
おさしづ 明治25.10.15

心の尽し方、親孝行の理も同じ事、皆随(みな/つ)いて来る。
おさしづ 明治26.5.17 夜

どうでもこうでも伝う理、親という代、そのあと伝わにゃならん。尋ねるまでのもの。真実の理を見た限り、親のあと子が伝う。心無き者どうしようと言うて成るものやない。元々の理を伝わにゃならん。
おさしづ 明治26.6.21

親が分からにゃ、子が皆分からん。
おさしづ 明治27.3.15

親は子を思うは一つの理、子は親思うは理。この理聞き分け。何でもぢば、という理が集まりて道という。
おさしづ 明治28.3.10

第一心 一人心、親という理思う。神という理思う。思うは鮮やか。思うは神の理、親の理忘れる事なら道とは言わん。‥生涯さしづは生涯 親の理 神の理、その理 知らねばならん。
おさしづ 明治28.6.24

一戸の内に諭しても分かるやろ。水も同じ事。汲(く)めば飲める。
親があって子という。子は何人あれど皆(みな)可愛いもの。なれど、どんならにゃ ならんように片付ける。中に出直す者もある。我が子であってまゝ(まま)にならん。出すにも出せん、切るにも切られん。あんな者は何處へなっとと(原文まま)思えど、真の理は切れるか。この理から取ってみよ。
おさしづ 明治31.3.30

親ありて子、親ありて子。思やん(思案)せい。結構思えど、心に掛かれば どうもならん。理の煩(わずら)わんようにせにゃならん。 
おさしづ 明治32.9.23

親の後は子である。親に子が無けねば、貰(もろ)てなりと末代(まつだい)という。よう聞き分け。心が悔(く)やめば、切り(限り)が無い、果てが無い。‥
これが間違いと思たら、間違う。聞き違えば違う。さあ/\心配する事要らんで。親は一代 理は末代、神は末代。理は違わん。この理 聞き分けてくれ。
おさしづ 明治33.4.3 (3件目)

何も彼も皆いんねん同志(同士)、いんねんという。親子の理、いんねん理 聞き分け。
おさしづ 明治34.3.11

(みな)夫婦と成るもいんねん(因縁)、親子となるもいんねん。どうでもこうでもいんねん無くして成らるものやない。夫婦親子と成り、その中よう聞き分けにゃならん。‥
堪いられん(耐えられん)(ところ)から親といういんねんという處から、どういう處も治め。一人の理ではない。‥
道という。扶け合い(たすけあい)というは、それ/\(それぞれ)諭す。又(また)いんねんの中というは、尚々(なおなお)の事。いんねん、それは やり損(ぞこ)のうてはならん、運び損のうてはならん。‥
夫婦親子というは深い中(仲)、それには又きょうだい/\ある。この理 何か結び合い/\、この心定め。成る理は言うまで。何かいんねん為す(なす)中なら、どうという一時急く事、人という心寄せ/\、心寄せるなら又(また)世界もほんになあ道と言う。早く順序定め。急く/\。
おさしづ 明治34.3.26 補遺

親の言う事は、道の上の心と思わにゃ理やない。道の理やで。これさえ聞き分けたらば、腹立ちゃせん。たゞ(ただ)ぬっと大きなって、子の間はというものは、どういう事も知りゃせん。さあ/\欲というものに切り(限り)は無い/\。いんねん(因縁)が悪かったらどうするか。門に立って一度のものも乞うや。不自由の理 聞き分け。不自由の理 聞き分けたら、何も腹立ちゃせん。
おさしづ 明治35.3.14

親孝心(おやこうしん/親孝行)、又(また)家業第一。これ何處(どこ)へ行(いっ)ても難は無い。
おさしづ 明治35.7.13

親という子という、子の煩(わずら)いは 親の煩い、親の煩いは 子の煩い。これしっかり聞き分け/\。
おさしづ 明治35.9.21

親と成り子と成るは、いんねん事情から成りたもの。親を孝行せず、親という理忘れ、親に不幸すれば、今度の世は 何になるとも分かり難ない/\。この話 理 伝えて置こう。 
おさしづ 明治40.4.9

をやの心 殺して通る者。勝手な道を歩む者。なれど、一度は許す、二度は救ける、三度は許さん。
教祖直々の御言葉 明治18.3.14  松村榮治郎


教祖が元を説かれた理由 ⑩ に続く