別章【お道の高弟及び大教会史考】 |
更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.2.19日
これより先は、「別章【教祖中山みき略伝】」に記す。
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、高弟系統史考をものしておく。「天理教教祖伝参考年表<人物>」、「教勢の発展と「講の結成」、講元一覧表」その他参照。 2007.10.25日 れんだいこ拝 |
目次 | |||||||
教勢の発展と「講の結成」、講元一覧表 | |||||||
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1858(文政5) | |||||||
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1861(文久元) | |||||||
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1862(文久2) | |||||||
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1863(文久3) | |||||||
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1864(文久4) | |||||||
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1864(元治元) | |||||||
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1866(慶応2) | |||||||
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1868(明治元) | |||||||
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1871(明治4) | |||||||
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1873(明治6) | |||||||
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1874(明治7) | |||||||
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1875(明治8) | |||||||
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1876(明治9) | |||||||
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1877(明治10) | |||||||
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1878(明治11) | |||||||
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1879(明治12) | |||||||
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1880(明治13) | |||||||
松田音次郎 | 河内国刑部村(大阪府八尾市) | ||||||
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抽冬鶴松 | |||||||
立花善吉 | |||||||
村上幸三郎 | |||||||
1881(明治14) | |||||||
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岸本休太郎 | 大阪.阿波堀通(大阪市西区) | ||||||
長谷与吉 | |||||||
小東政太郎 | 平等寺村(生駒郡平群町) | ||||||
別章【山田伊八郎&こいそ】 | 倉橋村(桜井市) | ||||||
深谷源次郎&ハナ | 京都河原町三条大黒町(京都市中京区) | ||||||
沢田権治郎 | |||||||
上田藤吉 | |||||||
松井忠作 | |||||||
宇野善助 | |||||||
佃巳之吉(つくだみのきち) | |||||||
1882(明治15) | |||||||
鴻田忠三郎 | 北檜垣村(天理市) | ||||||
小松駒吉 | 大阪瓦屋町(大阪市南区) | ||||||
博多藤平 | 大阪 | ||||||
中山重吉 | 三島村(天理市) | ||||||
本田せい | |||||||
小西定吉&イエ | |||||||
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林九右衛門 | |||||||
1883(明治16) | |||||||
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清水与之助 | 神戸三宮(神戸市中央区) | ||||||
上村吉三郎 | 倉橋村(桜井市) | ||||||
寺田半兵衛 | 大阪網島町(大阪市都島区) | ||||||
紺谷久平&たけ | |||||||
大浦伝七&なか | |||||||
1884(明治17) | |||||||
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西田佐兵衛 | 大阪順慶町(大阪市南区) | ||||||
竹内未誉至 | 大阪北炭屋町(大阪市南区) | ||||||
山田作治郎 | |||||||
藤村成勝 | 大阪 | ||||||
森口鶴松 | |||||||
1885(明治18) | |||||||
平野楢蔵&トラ | 郡山洞泉寺町(大和郡山市) | ||||||
別章【茨木基敬略伝】 | 大阪天満滝川町(大阪市北区) | ||||||
久保小三郎 | 奈良県添上郡矢田原村(奈良市矢田原町) | ||||||
宮田善蔵 | |||||||
谷岡宇治郎 | |||||||
谷岡ならむめ | |||||||
1886(明治19) | |||||||
増田甚七 | 郡山 | ||||||
中臺勘蔵 | 東京日本橋(東京都中央区) | ||||||
植田平一郎 | 陵西村(池田村)(大和高田市) | ||||||
仲野秀信 | 小泉村(大和郡山市) | ||||||
橋本清 | 芝村(桜井市) | ||||||
佐治登喜治良 | |||||||
中西金次郎 | |||||||
田川寅吉 | |||||||
1887(明治20) | |||||||
島村菊太郎 | |||||||
山本藤四郎 | |||||||
山本多三郎 | |||||||
山本りさ | |||||||
端田久吉 |
山名大教会 | |
敷島大教会 | |
大教会の系統 (敷島~治道) | |
北大教会 | |
飾東大教会 | |
天理教飾大分教会80年のあゆみ | |
網干大教会 |
インターネットサイト | |
参考文献 | |
掲示板(神一条教よろづ書込み掲示板) |
(私論.私見)
稿本天理教教祖伝逸話篇「200、大切にするのやで」。
「明治20年1月11日、紺谷久平は、信者一同が真心をこめて調製した、赤い衣服一枚と、赤の大きな座布団二枚を、同行の者と共に背負うて、家を出発し、おぢばに帰らせて頂き、村田幸右衞門宅で宿泊の上、山本利三郎の付添いで、同1月13日、教祖にお目通りした。教祖は、御休息所の上段の間で寝んで居られ、長女おまさが、お側に居た。山本利三郎が、衣服を出して、これは、播州飾磨の紺谷久平という講元が、教祖にお召し頂きたいと申して、持って帰りました、と申し上げると、教祖は御承知下され、そこで、その赤い衣服を上段の間にお納め下された。つづいて、座布団二枚を出して、山本が、これも日々敷いて頂きたい、と申して持って参りました、と申し上げると、教祖は、それも、お喜び下されて、双方とも御機嫌宜ろしくお納め頂いた。それから仕切りの襖を閉めて、一寸の間、そちらへ寄っておれ、とのことで、山本は下の八畳の間に下りる。紺谷も共に畏まっていると、おまさが襖を開けて山本を呼んだので、山本が教祖のお側へ寄らせて頂くと、赤衣を一着お出しになって、『これをやっておくれ』と、仰せられ、続いて『これは粗末にするのやないで。大切にするのやで。大事にするのやで』と仰せになった。山本は、きっと、その事を申し聞かします、とお答えして、八畳の間に下り、紺谷に、教祖から、そう申された、と詳しく話して聞かせた。こうして、紺谷久平は、赤衣を頂戴したのである」。 |