教祖中山みき略伝

 更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.10.9日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 本サイトで、天理教教祖中山みきの足跡を検証する。お道教理では「ひながた」と云う。但し、本部教理では、二代真柱の裁定により「神がかり以降の足跡」を「ひながた」としている。れんだいこは、違うと思う。それはともかく、以下、みきの誕生前の様子から誕生から生没までを追跡する。これを以下の如く八期に分ける。補講として、以降のお道の歩みを確認しておくことにする。

 極力れんだいこなりに理解したみき伝を綴る予定であるが、その前段階として天理教本部発行の「稿本天理教教祖伝」その他市井のみき伝より情報を取捨選択しておくことにする。みきの実像についてはまだまだ筆が足らず、あるいはまどろっこしい書き方になっているように思うがいずれ再推敲する予定である。何度も何度もみき様に立ち返り思案を深めたいと思う。御意の士よ、遠慮なく意見賜り、共同して実録中山みき教祖伝を書き上げようではないか。それをお願いしたい。

 2007.10.22日 れんだいこ拝


関連サイト 宗教 幕末回天運動の研究 明治維新の研究

目次
第一期 (1798〜)  「みき」神がかりまでの歩み
西洋歴 和暦 年齢 主な出来事及び内容
第 1部 1798年〜 寛政10年〜  1才〜 みきの誕生とその家系.両親の様子
第 2部 1800年〜 寛政12年〜  3才〜 おいたちと幼少期.娘時代の様子
第 3部 1810年 文化7年 13才 「嫁入り問答」 騒動.
第 4部 1810年〜 文化7年〜 13才〜 みきの御新造時代、その浄土宗信仰
第 5部 1813年 文化10年 16才 へらわたし.この頃の世相と折々の逸話
第 6部 1816年 文化13年 19才 五重相伝の授戒.浄土宗との決別
第 7部 1817年〜 文化14年〜 20才 「おかの寵愛事変」.長男誕生、出産の慶び
第 8部 1821年〜 文政4年〜 24才 この頃の世相とみきの苦悩
第 9部 1828年〜 文政11年〜 31才 「ほうそう事件」と神仏祈願
第10部 1830年〜 天保元年 33才 おかげまいりの影響
第11部 1833年〜 天保の頃 36才〜 「婦唱夫随の主婦の鏡」時代とその世相
第12部 1833年〜 天保の頃 36才〜 大峰修験信仰その他当時の民間宗教の隆盛
桃尾の滝修行考
第13部 教派神道の発祥、経世済民の動き
別章【黒住教
別章【金光教
第14部 1837年 天保8年 40才 大塩平八郎の乱
第15部 Re国学史考(国学の動き)

第二期 (1837〜)  「みき」神がかり.天啓
西洋歴 和暦 年齢 主な出来事及び内容
第16部 1837年 天保8年 40才 秀司の足痛と加持祈祷
第17部 1838年 天保9年 41才 みき神がかり、天啓問答
第18部 1838年 天保9年 41才 みき、「神の社」に貰われる
第19部 「ひながた」考
第20部 「天啓」考
第21部 「立教」考
第22部 創造主としての元の神、実の神/考
神様顕現の理考

第三期 (1837〜)  「みき」神がかり以降の歩み1、堪能時代
西洋歴 和暦 年齢 主な出来事及び内容
第23部 1838年 天保9年 41才 みきの内蔵隠り
第24部 1839年 天保10年 42才 「貧に落ちきれ」
第25部 1840年 天保11年 43才 善兵衛の苦悶.世評と狐憑騒動
第26部 1840年 天保11年 43才 「屋形毀ち」発せられる
第27部 1841年 天保12年 44才 みきの身上と親族会議
第28部 1842〜 天保13〜 45〜 みきの苦悶−宮池事変
第29部 1842〜 天保13〜 45〜 堪能の日々
【別章「教義各論原形」】
第30部 1848年〜 嘉永元年〜 51才〜 お針子、寺子屋を開く
第31部 1853年 嘉永6年 56才 善兵衛の出直し、母屋壊し、堪能の日々
第32部 1853年 嘉永6年 56才 こかんの大阪匂いがけ
第33部 1853年 嘉永6年 56才 Reペリー艦隊黒船来航の衝撃

第四期 (1854〜)  「みき」神がかり以降の歩み2、おたすけ時代
西洋歴 和暦 年齢 主な出来事及び内容
第34部 1854年 安政元年 57才 「をびや許し」のはじめ
第35部 1855年〜 安政2年〜 58才〜 貧のどん底、身内外へのをびや許し
第36部 1861年〜 文久元年〜 64才〜 最初期の信者たちとその信仰形態
第37部 1863年〜 文久3年〜 66才〜 「お助け出張り」と信者寄り来る
第38部 1864年 元治元年 67才 こかんが裁許状を授かる
飯降伊蔵のお参りと真実
第39部 1864年 元治元年 67才 建て家談議と普請の始まり
第40部 1864年 元治元年 67才 大和神社のふしと伊蔵の真実
第41部 1865年 慶応元年 68才 信仰の拡がりと反対者.妨害者.異端の出現
第42部 1866年 慶応2年 69才 真之亮の誕生.武士階級にも浸透し始める
第43部 1866年 慶応2年 69才 古市代官所へのお出まし、応法の理の動き1
第44部 1866年 慶応2年 69才〜 急速な教義形成、つとめの歌と手振りの教え
第45部 1867〜68年 慶応3〜4年 70〜71才 徳川幕府の崩壊前夜とお道の動き、幕府崩壊
第46部 みかぐらうた(御神楽歌)
第47部 Re【幕末の研究】の「幕末通史」
第48部 Re【明治維新考】の「明治維新の史的過程」

第五期 (1869〜)  「みき」神がかり以降の歩み3、本格的布教の時代-
西洋歴 和暦 年齢 主な出来事及び内容
第49部 1869年 明治2年 72才 お筆先の執筆始まる
第50部 1869年 明治2年 72才 官制「神随らの道」と教祖の教え
第51部 1869年 明治2年 72才 秀司が内妻おちゑと離縁、小東まつゑと結婚
第52部 1870年 明治3年 73才 お道教義の骨格完了と「元の理」仕込み
第53部 1871年 明治4年 74才 講を結べ。教勢の発展と「講の結成」、講元一覧表
第54部 1872年 明治5年 75才 「別火別鍋」宣言
第55部 1873年 明治6年 76才 明治新政府のその後の動きと教祖の対応
明治新政府の修験道禁制、キリスト教解禁
第56部 1874年 明治7年 77才 神楽面のお出まし
第57部 1874年 明治7年 77才 教祖の中南の門屋建築の仰せ、大和神社での神祇問答の節
第58部 1874年 明治7年 77才 「山村御殿問答」、「中教院の節」

第六期 (1874〜)  「みき」神がかり以降の歩み4、激しい弾圧と「みき」の応戦
西暦 和暦 年齢 主な出来事及び内容
第59部 1874年 明治7年 77才 教祖赤衣を召す
第60部 1875年 明治8年 78才 ぢば定め
第61部 1875年 明治8年 78才 教祖最初のご苦労、こかんの出直し
第62部 1875年 明治8年 78才 中南の門竣工し教祖移る
第63部 1876年 明治9年 79才 応法の理の動き2、秀司が風呂屋と宿屋営業
第64部 1877年〜 明治10年〜 80才〜 鳴物の教え
第65部 1880年 明治13年 83才 応法の理の動き3、転輪王講社の設置
第66部 1880年 明治13年 83才 真之亮養子入り
教祖が伊蔵の伏せこみ要請
第67部 1881年 明治14年 84才 「こふき」をつくれ、秀司の出直し、
かんろだい普請
第68部 この頃の講元の動きと説法

第七期 (1882〜)  「みき」神がかり以降の歩み5、「みき」のご苦労と応法派の動き
西暦 和暦 年齢 主な出来事及び内容
第69部 1882年 明治15年 85才 伊蔵伏せ込み
かんろだいの没収と迫害
毎日つとめ
第70部 1882年 明治15年 85才 泉田事件、我孫子事件考
第71部 1882年 明治15年 85才 奈良監獄署への御苦労
第72部 1882年 明治15年 85才 燃え上がる信仰と弾圧
第73部 1883年 明治16年 86才 御休息所の建てかけ
第74部 1883年 明治16年 86才 雨乞いづとめと拘引
第75部 1884年 明治17年 87才 度重なる御苦労
応法の理の動き4、教会設置運動1
第76部 1885年 明治18年 88才 応法の理の動き5、教会設置運動2

第八期 (1886〜)  「みき」神がかり以降の歩み6、「みき」最後のご苦労と緊迫問答
西暦 和暦 年齢 主な出来事及び内容
第77部 1886年 明治19年 89才 最後の御苦労
第78部 1886年 明治19年 89才 帰還後の教祖のご様子
第79部 1886年 明治19年 89才 真之亮の苦悩と「御請書事件」神道管長他との問答
第80部 1886年 明治19年 89才 仲田儀三郎出直し、教祖のおつとめの急き込み
第81部 1887年 明治20年 90才 厳寒の急き込みとおさしづ問答1、2、3
第82部 1887年 明治20年 90才 「教祖御身隠し」
補足「教祖最後の御教え譚」考
補足「教祖御苦労史」考
別章【教祖逸話篇

 この後は、「別章【お道その後伝】」に続く


【補考】
別章【当時の政治社会体制
教祖みきのおもかげ
別章【お道の高弟及び大教会史考
天理教教祖伝史考
天理教後継者定め考
教祖と大神大社との浅からぬ関係考
三島神社移転、鏡が池埋め立て事変考

インターネットサイト
参考文献
掲示板(神一条教よろづ書込み掲示板




(私論.私見)