補足(22) 宮顕ー不破系日共の除名、除籍、離党史考

 高知聡・氏は、「日本共産党粛清史」の中で次のように述べている。

 「徳球時代の除名処分者は、48年の細谷松太ら、50年1月の中西功ら、志賀意見書を廻る野田弥三郎らである。50年分裂のドサクサの中での除名や逆除名、査問やリンチはある程度の例外性を持つとすれば、徳球時代は万事に大まかな徳球の個性があって、愚劣ではあっても、陽性な感じがないではない。志田時代は全てが陰気であり、犠牲者は夥しいが、大きな除名は伊藤律と神山茂夫ということになる。イデオロギー闘争によらざる反対派の排除というスターリン主義の常套手段が、日本に定着するのは、宮本体制の確立の過程においてであり、宮本体制の只中においてである」。

 高知聡・氏は、「日本共産党粛清史」の中で口を極めて反徳球ー伊藤律見解を披瀝している。が、同氏はこの下りで、徳球ー伊藤律派運動と宮顕系運動を対比させ、宮顕系運動の卑劣さを強調している。反徳球ー伊藤律見解を保持する者も、少なくともこの観点を持たねばならないだろうがさにあらずで、目下この観点は依然として少数派になっている。

 2005.7.23日 れんだいこ拝



(最新見直し2005.7.23日)

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(私論.私見)


共産党:朝鮮総連批判の作家を除籍 「党の活動を攻撃」と

 北朝鮮問題に対する活動や主張が党の見解と異なるなどとして、作家の萩原遼さん(68)が共産党を除籍されたことが分かった。通知文書は、不破哲三議長も出席していた先月の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)のパーティー会場付近で朝鮮総連批判のビラを配布したことなどから、「党の立場や活動を攻撃している」などと理由を説明している。

 萩原さんは1958年入党。69年に共産党機関紙「赤旗」の記者となり、72〜73年には平壌特派員を務めた。その後フリーとなり、特派員時代の経験などを元に帰還事業の悲劇を描いた「北朝鮮に消えた友と私の物語」で99年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。

 今月7日付の通知文書では、02年9月の日朝平壌宣言以降、萩原さんが元平壌特派員の肩書で「宣言を白紙に戻せ」などと主張している点を「元の肩書を使い、党とは異なる見解を発表することは党員の立場に反する」と指摘。さらに、先月24日の朝鮮総連結成50周年記念パーティーの会場近くで、萩原さんが自身の所属する脱北者支援NGO(非政府組織)メンバーらと、帰還事業の批判ビラを配布するなどした行為も「党員とは相いれない言動」とした。

 党の規約は「党員資格を明白に失った党員、著しく反社会的な行為で党への信頼を損なった党員は、慎重に調査、審査のうえ除籍することができる」と定めており、17日に党側との協議があり、正式に通告されたという。萩原さんは「党批判をしているのではない。今回の件は子供のけんかを親が買って出るようなもので、極めて不当な措置」と話している。

 共産党は、83年10月のミャンマー・ヤンゴンでの爆弾テロ事件(ラングーン事件)をきっかけに朝鮮労働党と断絶。朝鮮総連とも関係を絶った。しかし、00年に朝鮮総連とは関係を正常化している。

 ▽共産党広報部の話 個人の党籍や除籍などについては答えられない。

毎日新聞 2005年6月22日 15時00分