キリシタン禁制の論理考

 (最新見直し2007.3.19日)

 徳川幕府は、1612年に天領でのキリスト教を禁止し、翌年には全面的に禁止の命令を出し、改宗を強制した。その理由として、1・キリスト教義の市民主義、2・キリスト教の謀反性、3・新教国オランダの、旧教国のスペインやポルトガルが布教によって領土を奪う野心があるとの忠言等々があった。翌年、「耶蘇教大追放令」が発令され、宣教師の追放、教会の破壊、キリシタンの処刑などの大迫害がはじまった。キリシタンは、踏み絵により棄教を迫られた。長崎地方で1629年頃から始められ、1635年頃には全国的に実施された。


 植田義弘氏著「教祖ひながたと現代」に、新井白石の「西洋紀聞」にあるキリシタン禁制に関する論述の紹介がある。興味深いのでこれを引用、転載する。
 「その教えとするところは、天主を以って、天を生じ地を生じ、万物を生ずるところの大君大父とす。我に父有りて愛せず。我に君有りて敬せず。猶(なお)これを不孝不忠とす。いはんや、その大君大父に仕ふる事、その愛敬を尽さずという事無かるべしと云う。礼に、天子は、上帝に事(つか)ふるところの礼ありて、諸侯より以下、敢えて天を祀る事あらず。これ尊卑の分位、みだるべからざるところあるが故なり。しかれども、臣は君を以って天とし、子は父を以って天として、妻は夫を以って天とす。されば、君に仕えて忠なる、もて天に仕ふるところ也。父に仕えて孝なる、もて天につかふるところ也。夫に仕えて義なる、もて天につかふるところ也。三綱の常(君臣、父子、夫婦の関係)を除くの外、また天につかふるの道はあらず。もし、我が君の外につかふべきところの大君あり、我が父の外につかふべきの大父ありて、その尊きこと、我が君父の及ぶべきところにあらずとせば、家においての二尊、国においての二君ありといふのみにはあらず。君をなみし、父をなみす、これより大きなるものなかるべし。たといその教えとするところ、父をなみし、君をなみするの事に至らずとも、その流弊の甚だき、必ずその君を殺(正式文字は右のつくりが式)し、その父を殺(式)するに至るとも、相かへり見るところあるべからず」。





(私論.私見)