249 名長言

 (最新見直し2006.6.19日)



目次

【学問のすすめ】
【古典とは】
【サミエル・ウルマンの「青春」】
【与謝野晶子「あゝをとうとよ戰ひに」】
【毛沢東「人間の正しい思想はどこからくるのか」(1963.5月)】
【ロダン「真理を語るものとなれ」】
【近藤栄蔵、仮題「理論と実践」】
【孔子の「年代節論」】
孔子「論語」
【塩野七生「ルネサンスとは何であったのか」】
勝海舟「永川清話」
尾崎行雄(立憲政友会院内総務)演説
【吉田兼好「徒然草」】
加藤尚文「名言百選」


【学問のすすめ】
 福沢諭吉の「学問のすすめ」の一節
 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり。されば、天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、生まれながらの貴賎上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きを以て天地の間にある万の万物を資り、以て衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げを為さずして、各安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり」。

【古典とは】
 (2003.2.15日付け朝日新聞文化欄、俳人・長谷川櫂「時のかたち」より抜粋)
 古典はいつでも誰もが学ぶべきもので「新」も「派」もない。古典というと、はるか昔に絶滅して今は博物館の冷たい大理石の台に横たわる竜の死骸か何かのように考えている人がいる。これはいささか愚かな早合点。正確にいうと、古典とは「時間を超えて生き続けているもの」。

 わずか一回の短い人生を生きている我々以上に最もよく生きているもの。むしろ我々の方が古典よりも先に台の上の死骸になる。学ばずにおく手はない。古典を学ぶとは一も二もない。幾度も自分を殺すことである。そして、言葉のはるか彼方から響いてくる言葉の声に耳を澄ます。個性、才能、自己表現。そんな恥ずかしいものを見せびらかしたい人は勝手に見せびらかしてくれ。早晩、時間がきれいに洗い流してくれる。

【謡曲「亀丘林幸若 敦盛」】
 謡曲・幸若舞のの「亀丘林幸若 敦盛」の一節。戦国時代の風雲児武将・織田信長の天下取りの契機になった「桶狭間(おけはざま)での奇襲戦」を前に、信長が舞ったという謡曲「敦盛」の一節が知られている。
 思えば此の世は 常の住処にあらず 草の葉におく白露 水に宿る月より猶あやし
 金谷に花を詠じ 栄華はさきを立って 無常の風にさそはるる南楼の月を弄ぶ輩も 月に先だって 有為の雲に隠れり
 人間五十年 下天の中をくらぶれば 夢幻のごとくなり 一度生を受け 滅せぬ者のあるべきか滅せぬ者のあるべきか
 人間五十年 下天の中をくらぶれば 夢幻のごとくなり 一度生を受け 滅せぬ者のあるべきか滅せぬ者のあるべきか

【サミエル・ウルマンの「青春」】
 「青春の詩」を参照する。「サミエル・ウルマンの青春の詩」が概要次のように紹介されている。

 第二次世界大戦後の1945.9.27日、昭和天皇が、日比谷の占領軍総司令部のマッカーサー元帥を初訪問し、別れ際にツーーショット写真を取られた。この時に、二人の後ろの壁に掛っていた英文詩 が「サミエル・ウルマンの青春の詩」 であった。マッカーサー元帥は、この詩を友人のコーネル大学教授 John  W.Lewis 氏 より贈られ、座右の銘として執務室に飾っていた。 

 作詩者のサミエル・ウルマン(Samuel Ullmann)氏は当時は全く無名で、アラバマ州の人だと言うこと以外は全く知られていなかった。この詩を、ある日本人 ( 岡田義夫氏 : 明24年、埼玉県生れ。元東京毛織のOB ) が見つけ、感動し、漢詩調に翻訳した。これが後に 松下幸之助氏 の眼に止まり、あるインタービューでこの詩の事を紹介したことから広く知れ渡ることになった。ロバート・ケネディーがエドワード・ケネディーへの弔辞にこの詩の一節を引用したのも有名な話である。

 その後、色々な人が、サミエル・ウルマン氏について調べ、近年になってアラバマ州のバーニングハム市でウルマンが晩年を過ごした家がみつかり、彼の作成した他の詩も発見された。JASA (日本協会) が、1993年に日米親善事業の一環として、その家を買い取り「ウルマン記念館」として運営しており、この様な経過を経て日本で有名になった後にアメリカにお里帰りしたという心温まる話がある。


 岡田義夫氏の漢詩調訳文は青春の詩で確認できる。ここでは、れんだいこ訳「サミエル・ウルマンの青春の詩」で内容を味わうこととする。
「れんだいこ訳サミエル・ウルマンの『青春』の詩」」
 青春

 青春とは人生のひと時を云うのではない。心の状態を云うのだ。旺盛な意欲、豊かな創造力、瑞々しい情緒、臆病を却ける勇猛心、安逸を斥ける好奇心、こういう心を持ち続けることを青春と云う。

 人は、年を重ねただけで老いるのではない。理想を失う時に初めて老いる。歳月は皮膚のしわを増す。が、情熱を失う時に精神がしぼむのだ。

 苦悶や、猜疑、不信、恐怖、失望、こう云うものに長年月捉われることが、頭脳をくたびれさせ、若々しい精神を芥に帰せしめてしまう。

 人は70歳であろうと16歳であろうと須(すべか)らく、学ぶことを愛し、星や、その輝きにも似たる事物や思想に寄せるときめき、事に処する不退転の挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と堪能、これらがその胸中に抱かれているものだ。

 人は信念と共に若く、猜疑と共に老ゆる。
 
  自信と共に若く、脅えと共に老ゆる
 
  希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。


 人はその心が、大地より、人より、神より、美と喜悦、勇気と壮大、威厳と霊感の囁(ささやき)を受ける限り、いつまでも若さを失わない。


 心の緊張の糸が萎(な)え、人の心がすっかり悲歎の白雪と皮肉の氷に蔽いつくされた時に、人は真に老いて神の憐れみを乞う他なくなる。

 れんだいこ訳「サミエル・ウルマンの青春の詩」の逐条解析文。
【原文とれんだいこ和訳】(「青春」)
 YOUTH(青春)
 Youth is not a time of life - it is a state of mind; it is a temper of the will, a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.

 青春とは人生のひと時を云うのではない。心の状態を云うのだ。旺盛な意欲、豊かな創造力、瑞々しい情緒、臆病を却ける勇猛心、安逸を斥ける好奇心、こういう心を持ち続けることを青春と云う。

 (英訳)temper(怒り猛り)predominance(優勢、顕著な)appetite(興味)
 No body grows only by merely living a number of years; peoples grow old only by deserting their ideals.  
 人は、年を重ねただけで老いるのではない。理想を失う時に初めて老いる。
 (英訳)desert(見失う、捨てる)
 Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul.  
 歳月は皮膚のしわを増す。が、情熱を失う時に精神がしぼむのだ。
 (英訳)wrinkle(しわが寄る)
 Worry, doubt , self - distrust, fear and despair - these are the long , long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.
 苦悶や、猜疑、不信、恐怖、失望、こう云うものに長年月捉われることが、頭脳をくたびれさせ、若々しい精神を芥に帰せしめてしまう。
 (英訳) bow(曲げる、弦楽器をひく)
 Whether seventy or sixteen,  there is in every being's heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undoubted challenge of events, the unfailling childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.
 人は70歳であろうと16歳であろうと須(すべか)らく、学ぶことを愛し、星や、その輝きにも似たる事物や思想に寄せるときめき、事に処する不退転の挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と堪能、これらがその胸中に抱かれているものだ。
 (英訳) wonder(不思議)、amazement(びっくり仰天する)、unfailling(絶えない)、appetite(欲望, 欲求)
 you are yang as your faith, as old as doubt ;
  as young as your self - confidence, as old as your fear;
  as young as your hope, as old as your despair.
 人は信念と共に若く、猜疑と共に老ゆる。
 
  自信と共に若く、脅えと共に老ゆる
 
  希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。
 So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite so long as your young.
 人はその心が、大地より、人より、神より、美と喜悦、勇気と壮大、威厳と霊感の囁(ささやき)を受ける限り、いつまでも若さを失わない。
 (英訳)grandeur(荘厳, 華麗, 盛大, 壮観; 偉大, 崇高さ, 威厳, 高貴)
 When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.
 心の緊張の糸が萎(な)え、人の心がすっかり悲歎の白雪と皮肉の氷に蔽いつくされた時に、人は真に老いて神の憐れみを乞う他なくなる。
 (英訳) wire(不思議)、

【与謝野晶子「あゝをとうとよ戰ひに」】
 「日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室」の「あゝをとうとよ戰ひに」
 君死にたまふことなかれ (旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて)

 あゝをとうとよ、君を泣く、 君死にたまふことなかれ。
 末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも。
 親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしへしや。
 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや。

 堺の街のあきびとの 旧家をほこるあるじにて
 親の名を継ぐ君なれば、 君死にたまふことなかれ。
 旅順の城はほろぶとも、 ほろびずとても、何事ぞ。
 君は知らじな、あきびとの 家のおきてに無かりけり。

 君死にたまふことなかれ、 すめらみことは、争ひに思い舞う。
 おほみづからは出でまさね、かたみに人の血を流し
 獣の道に死ねよとは、 死ぬるを人のほまれとは。
 大みこゝろの深ければ もとよりいかで思されむ。

 あゝをとうとよ、戦ひに 君死にたまふことなかれ。
 すぎにし秋を父ぎみに おくれたまへる母ぎみは
 なげきの中に、いたましく わが子を召され、家を守り
 安しと聞ける大御代も  母のしら髪はまさりぬる。

 暖簾のかげに伏して泣く  あえかにわかき新妻を
 君わするるや、思へるや、十月も添はでわかれたる
 少女ごころを思ひみよ、 この世ひとりの君ならで 。
 あゝまた誰をたのむべき、君死にたまふことなかれ。

【毛沢東「人間の正しい思想はどこからくるのか」(1963.5月)】
 
 人間の正しい思想はどこからくるのか。天からふってくるのか。そうではない。もともと自分の頭のなかにあるのか。そうではない。人間の正しい思想は、ただ社会的実践のなかからのみ生まれてくるのであり、ただ社会の生産闘争、階級闘争、科学実験という三つの実践のなかからのみ生まれてくるのである。

 人間の社会的存在は,人間の思想を決定する。そして,先進的階級を代表する正しい思想は,ひとたび大衆に把握されると,社会を改造し,世界を改造する物質の力に変わる。人間は社会的実践のなかでさまざまな闘争をすすめて,豊富な経験をもつようになるが,それには成功したものもあれば,失敗したものもある。

 客観的外界の無数の現象は,人間の目,耳,鼻,舌,身体などの五官を通じて,自分の頭脳に反映してくるが,はじめは感性的認識である。 このような感性的認識の材料がたくさん蓄積されると,飛躍がおこり,理性的認識に変わるのであって,これが思想である。

 これはひとつの認識過程である。これは全認識過程の第一の段階,すなわち客観的物質から主観的精神への段階,存在から思想への段階である。このときの精神,思想(理論,政策,計画,方法をふくむ)が客観的外界の法則を正しく反映しているかどうかは,まだ証明されてはおらず,正しいかどうかはまだ確定することができない。

 そのあと,さらに認識過程の第二の段階,すなわち精神から物質への段階,思想から存在への段階がある。つまり,第一段階でえた認識を社会的実践のなかにもちこみ,それらの理論,政策,計画,方法などが予想どおりの成功をおさめることができるかどうかを見るのである。

 一般的にいえば,成功したものが正しく,失敗したものはまちがっており,人類の自然界にたいする闘争ではとくにそうである。社会における闘争では,先進的階級を代表する勢力が,ときには一部の失敗をなめることもあるが,これは思想が正しくないからではなく,闘争における力関係の面で,先進的勢力の方がまだしばらくのあいだ反動勢力の方におよばないため,一時失敗するのである。だが,そのあといつかはかならず成功するだろう。

 人間の認識は実践でためされてふたたび飛躍をとげる。こんどの飛躍は前の飛躍にくらべていっそう大きな意義をもっている。なぜなら,認識の最初の飛躍,すなわち,客観的外界を反映する過程でえられた思想,理論,政策,計画,方法などがはたして正しかったのか,まちがっていたのかを証明することができるのは,こんどの飛躍だけであって,これ以外に真理を検証する方法はないからである。

 そして,プロレタリア階級が世界を認識する目的は,ただ世界を改造するためであって,これ以外に目的はない。正しい認識は,しばしば物質から精神へ,精神から物質へ,すなわち実践から認識へ,認識から実践へという何回もの反復によって,はじめて完成されるのである。これがマルクス主義の認識論であり,弁証法的唯物論の認識論である。

 現在,われわれの同志のなかには,まだこの認識論の道理がわからないものがたくさんいる。こうした人は,その思想,意見,政策,方法,計画,結論,よどみなく,つきることのない演説,長たらしい文章がどこからきたのかとたずねられると,これはおかしな問題だとおもい,答えることができない。
また,物質が精神に変わり,精神が物質に変わるという,日常生活のなかにつねに見られる飛躍の現象も,理解できないようにおもう。

 したがって,われわれの同志たちが,思想をただし,調査研究をうまくやり,経験をしめくくり,困難にうちかち,あやまりをすくなくし,仕事をりっぱにやり,奮闘努力して,社会主義の偉大な強国を建設するとともに,抑圧と搾取をうけている世界の広範な人民をたすけ,われわれがになうべき国際主義の偉大な責務をはたすことができるようにするためには,弁証法的唯物論の認識論についての教育をおこなわなければならない。

【毛沢東「人間の正しい思想はどこからくるのか」(1963.5月)】
 WHERE DO CORRECT IDEAS COME FROM? MaoTse-tungMay 1963
 これは,「当面の農村工作におけるいくつかの問題についての中国共産党中央の決定」(草案)の一部である。この決定の草案は、毛沢東同志の主宰のもとに起草され、この部分は毛沢東同志が執筆した。
 This passage is from the "Draft Decision of the Central Committee of the Chinese Communist Party on Certain Problems in Our Present Rural Work", which was drawn up under the direction of Comrade Mao Tse tung.
 The passage was written by Comrade Mao Tse-tung himself.
 人間の正しい思想はどこからくるのか。天からふってくるのか。そうではない。もともと自分の頭のなかにあるのか。そうではない。
 Where do correct ideas come from? Do they drop from the skies? No. Are they innate in the mind? No.
 人間の正しい思想は、ただ社会的実践のなかからのみ生まれてくるのであり、ただ社会の生産闘争、階級闘争、科学実験という三つの実践のなかからのみ生まれてくるのである。
  They come from social practice, and from it alone; they come from three kinds of social practice, the struggle for production, the class struggle and scientific experiment.

 人間の社会的存在は,人間の思想を決定する。そして,先進的階級を代表する正しい思想は,ひとたび大衆に把握されると,社会を改造し,世界を改造する物質の力に変わる。

 It is man's social being that determines his thinking. Once the correct ideas characteristic of the advanced class are grasped by the masses, these ideas turn into a material force which changes society and changes the world.
 人間は社会的実践のなかでさまざまな闘争をすすめて,豊富な経験をもつようになるが,それには成功したものもあれば,失敗したものもある。
 In their social practice, men engage in various kinds of struggle and gain rich experience, both from their successes and from their failures.
 客観的外界の無数の現象は,人間の目,耳,鼻,舌,身体などの五官を通じて,自分の頭脳に反映してくるが,はじめは感性的認識である。
 Countless phenomena of the objective external world are reflected in a man's brain through his five sense organs-the organs of sight, hearing, smell, taste and touch.
 このような感性的認識の材料がたくさん蓄積されると,飛躍がおこり,理性的認識に変わるのであって,これが思想である。
 At first, knowledge is perceptual. The leap to conceptual knowledge, i.e., to ideas, occurs when sufficient perceptual knowledge is accumulated.
 これはひとつの認識過程である。これは全認識過程の第一の段階,すなわち客観的物質から主観的精神への段階,存在から思想への段階である。
 This is one process in cognition. It is the first stage in the whole process of cognition, the stage leading from objective matter to subjective consciousness from existence to ideas.
 このときの精神,思想(理論,政策,計画,方法をふくむ)が客観的外界の法則を正しく反映しているかどうかは,まだ証明されてはおらず,正しいかどうかはまだ確定することができない。
 Whether or not one's consciousness or ideas (including theories, policies, plans or measures) do correctly reflect the laws of the objective external world is not yet proved at this stage, in which it is not yet possible to ascertain whether they are correct or not.
 そのあと,さらに認識過程の第二の段階,すなわち精神から物質への段階,思想から存在への段階がある。つまり,第一段階でえた認識を社会的実践のなかにもちこみ,それらの理論,政策,計画,方法などが予想どおりの成功をおさめることができるかどうかを見るのである。
 Then comes the second stage in the process of cognition, the stage leading from consciousness back to matter, from ideas back to existence, in which the knowledge gained in the first stage is applied in social practice to ascertain whether the theories, policies, plans or measures meet with the anticipated success.
 一般的にいえば,成功したものが正しく,失敗したものはまちがっており,人類の自然界にたいする闘争ではとくにそうである。
 Generally speaking, those that succeed are correct and those that fail are incorrect, and this is especially true of man's struggle with nature.

 社会における闘争では,先進的階級を代表する勢力が,ときには一部の失敗をなめることもあるが,これは思想が正しくないからではなく,闘争における力関係の面で,先進的勢力の方がまだしばらくのあいだ反動勢力の方におよばないため,一時失敗するのである。だが,そのあといつかはかならず成功するだろう。

 In social struggle, the forces representing the advanced class sometimes suffer defeat not because their ideas are incorrect but because, in the balance of forces engaged in struggle, they are not as powerful for the time being as the forces of reaction; they are therefore temporarily defeated, but they are bound to triumph sooner or later.
 人間の認識は実践でためされてふたたび飛躍をとげる。
  Man's knowledge makes another lean through the test of practice. This leap is more important than the previous one.
 こんどの飛躍は前の飛躍にくらべていっそう大きな意義をもっている。なぜなら,認識の最初の飛躍,すなわち,客観的外界を反映する過程でえられた思想,理論,政策,計画,方法などがはたして正しかったのか,まちがっていたのかを証明することができるのは,こんどの飛躍だけであって,これ以外に真理を検証する方法はないからである。
 For it is this leap alone that can prove the correctness or incorrectness of the first leap in cognition, i.e., of the ideas, theories, policies, plans or measures formulated in the course of reflecting the objective external world.There is no other way of testing truth.
 そして,プロレタリア階級が世界を認識する目的は,ただ世界を改造するためであって,これ以外に目的はない。
 Furthermore, the one and only purpose of the proletariat in knowing the world is to change it.
 正しい認識は,しばしば物質から精神へ,精神から物質へ,すなわち実践から認識へ,認識から実践へという何回もの反復によって,はじめて完成されるのである。
 Often, correct knowledge can be arrived at only after many repetitions of the process leading from matter to consciousness and then back to matter, that is, leading from practice to knowledge and then back to practice.

 これがマルクス主義の認識論であり,弁証法的唯物論の認識論である。

 Such is the Marxist theory of knowledge, the dialectical materialist theory of knowledge.
 現在,われわれの同志のなかには,まだこの認識論の道理がわからないものがたくさんいる。
 Among our comrades there are many who do not yet understand this theory of knowledge.
 こうした人は,その思想,意見,政策,方法,計画,結論,よどみなく,つきることのない演説,長たらしい文章がどこからきたのかとたずねられると,これはおかしな問題だとおもい,答えることができない。
 When asked the sources of their ideas, opinions, policies, methods, plans and conclusions, eloquent speeches and long articles they consider the questions strange and cannot answer it.
 また,物質が精神に変わり,精神が物質に変わるという,日常生活のなかにつねに見られる飛躍の現象も,理解できないようにおもう。
 Nor do they comprehend that matter, can be transformed into consciousness and consciousness into matter, although such leaps are phenomena of everyday life.

 したがって,われわれの同志たちが,思想をただし,調査研究をうまくやり,経験をしめくくり,困難にうちかち,あやまりをすくなくし,仕事をりっぱにやり,奮闘努力して,社会主義の偉大な強国を建設するとともに,抑圧と搾取をうけている世界の広範な人民をたすけ,われわれがになうべき国際主義の偉大な責務をはたすことができるようにするためには,弁証法的唯物論の認識論についての教育をおこなわなければならない。

 It is therefore necessary to educate our comrades in the dialectical materialist theory of knowledge, so that they can orientate their thinking correctly, become good at investigation and study and at summing up experience, overcome difficulties, commit fewer mistakes, do their work better, and struggle hard so as to build China into a great and powerful socialist country and help the broad masses of the oppressed and exploited throughout the world in fulfillment of our great internationalist duty.

【ロダン「真理を語るものとなれ」】
 意訳概要「君は深く根強く真理を語るものとなれ。諸君の信ずることを云い表すに決して躊躇してはならない。たとえ、諸君が、世の抱き慣れたる思想に対峙するという苦しい巌に突き当たろうとも。諸君は始めのうちは、理解されないかも知れない。しかし諸君の孤立は束の間であろう。同志の人達は間もなく、諸君の所へ来るだろう。何故なら一人の人に宿る真理である事柄は万人にとっても真理であるからだ」。

【近藤栄蔵、仮題「理論と実践」】
 
 「日本の古い社会主義者は大概、一応、キリスト教の門をくぐってから、社会主義の道に入っている。これは荒畑君が自伝のどこかで云う通り、キリスト教が明治のその頃の日本における進歩思想を代表していた為である。ところが私の場合においては、既にキリスト教が進歩的思想と認められない時代と環境の下に思想の変化を来たしたが故に、キリスト教の洗礼を抜きにして社会主義に入門し、自由民権説を素通りしてマルクス主義に突入し、しかもそのマルクス主義に於いても、資本論などに没頭することなくして、一足飛びにレー二ズムに渡りついている。つまり私は、社会思想に関する限り、年数をかけた本科生ではなくて、速成科卒業だったのだ」。
 概要「社会思想面に関する限り、私が本科ではなく速成科卒業であることは、マルクス主義のドグマチストに陥ることから私を救うている。社会主義者としてのこの出発条件が、その後大正、昭和に於ける社会主義者としての私の行動を決定付けた。私は何処までも社会運動家で、社会思想家ではない。私の有つ理論はすべてナベ釜同様の実用品で、象牙の塔にお祭りするような神聖体では一つもない。それだけに私は、理論を惜しげな区何にでも使うと同時に、もはや使用に耐えぬと観たら、いつでも惜しげなく棄てる。この私の態度の故に、ドグマチックな同士の眼には、私が裏切者と疑われたり、変節漢に見えたりして、『転向者』に分類される訳だろうが、私としては、理論は人間の道具に過ぎぬ。道具は仕事の都合で変えて一向に差し支えない。否、変えられねばならぬものだという論法である。

 人類の幸福増進と人智の発達普及の道具としての社会理論を私はかく取り扱って来た。学者にはこうした態度は罪悪であろう。だが私は自分で学者と思ったことはないし、また実際学者でないのだから、平気なみのである。私は人類福祉の為に犠牲となる用意は常にもっているが、理論と心中することは御免だ。
 「社会制度を変えさえすれば人間が変る、人間と人間の相互関係を変更すれば、そこに人間行為に変化がもたらされるという唯物史観の見透しは正しい。だが、人間の社会的行為の背後には、長い時間が築いた習慣という強い要素があること、而してそれを打破して新たなる習慣を築くには、やはり相当に長い時間を要することを、私はこの南露の旅で教わった」。

【孔子の「年代節論」】
 この言葉は数え年74歳まで生きた孔子が、晩年に自らの生涯を振り返って述べたものである。
 「吾、十有五にして学に志し(志学)、三十にして立ち(而立)、四十にして惑わず(不惑)、五十にして天命を知る(知命)。六十にして耳順(したが)い(耳順)、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず(従心)」。
 「私は15歳で、学問を志すようになり、30歳で、一通りの学びと経験を終え自分の見解と食い扶持を持つようになった。40歳で、どんな問題が起きても対処し得るに至り、自分の生きる方向が定まり、50歳で、我が人生の使命を悟った。60歳で、人の云うことや世間の慣わしに対して素直になり、70歳で、云うこと為すことが自然に順応するようになった」 。


 
森田実氏は面白おかしく次のように述べている。

 「わが人生を振り返って、論語流の言い方をすれば、吾十有五にして学を志すこと不徹底、三十にして立たんとすれど十分には立たず、四十にしてなお惑いつづけ、五十になっても天命を知らず、六十にして耳順わず、七十にして心の欲するところに従えば矩を踰えそうになる自分と戦いつづけている、という有様である」。

孔子「論語」
 孔子「論語」の一節。
 「子曰く、学びて時に之に習う、亦説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)あり遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや」。
 (解説)学而(がくじ)は篇の題名で、どの篇もそれぞれ最初に出てくる二字または三字をとり篇名としている。子は元来男子の美称であるが、論語の中で単に子といえば孔子をさす。

 (れんだいこ読解)

 「学問をして学んだことを実地に験してこれを繰り返ことは実に楽しいことである。遠方から友がやってきてよろづ論じあうも楽しい。世間が私の実力を認めてくれない場合でも心に憤りを抱かず、平静穏やかな心境で自己の道を貫いていく生くことこそ本当の立派な人間といえるのではないか」。

 「有子曰く、其の人と爲りや、孝弟(こうてい)にして上(かみ)を犯(おか)すを好む者は鮮(すく)なし。上を犯すを好まずして乱を作すを好む者は未だ之れ有らざるなり。君子は本を務(つと)む。本立ちて道生ず。孝弟なる者は、それ 仁(じん)を爲すの本か」。
 (解説)有子は、名は若で孔子の門人にして孔子より43才若く、孔子と姿が似ていた。孔子、有若、子夏、子游、子張、子貢等の 学説は荀子に引き継がれていく。
 (れんだいこ読解)

 「その人柄が孝(子が親を敬愛する)、弟(弟が兄長に対して従順に応接する)ように孝弟なる人で道理に外れた人はまずいない。道理に外れることを好まない人で社会を乱す人は未だこの世に存在したことがない。君子はものの根本に務める。根本ができあがることにより道が生じる。これを思えば、孝弟なる人の為す道が仁道の根本と云えよう」

【塩野七生「ルネサンスとは何であったのか」】
 塩野七生「ルネサンスとは何であったのか」の一節。
 「悪を弁護しているのではありません。ただ、覇気とか活気とか気力とかは、善悪には関係なく発揮される性質を持つ。それに、野の百合とソロモンの栄華がともに存在するのが、人間世界の現実でもあるのです」。
 「哲学とは、ギリシャ哲学に尽きるのであって、それ以降の哲学は、キリスト教と哲学の一体化という、所詮は無為に終わるしかない労力の繰り返しでは無かったか。無用の労の繰り返しというのでは過激すぎるのなら、ギリシャ哲学の打ち上げた命題に、時代ごとの答えを与えようとした労力、と言い換えても良い。なぜなら、宗教とは信ずることであり、哲学は疑うことです。唯一の原理のの探求も、哲学では、原理の確立と破壊を繰り返し行うことによって成されるものであって、いつたん打ち立てた原理を神聖不可侵なものとして堅持し続けることで成るものではない。哲学はギリシャ哲学に尽きると云ったのは、ギリシャ時代は多神教だったので、神聖にして不可侵としなければ成り立たない、一神教の規制を受けずに済んだからです」。
 「言語には、他者への伝達の手段としてだけではなく、言語を使って表現していく過程で自然に生まれる、自分自身の思考を明快にするという働きもある。明晰で論理的に話し書けるようになれば、頭脳のほうも明晰に論理的になるのです。つまり、思考と表現は、同一線上にあってしかも相互に働きかける関係にもあるということ。また、流れが変われば、自分の眼で見、自分の頭で考え、自分の言葉で話し書く魅力に目覚めるのも当然の帰結です」。
 「人間とは、見たくないと思っているうちに実際に見えなくなり、考えたくないと思いつづけていると実際に考えなくなるものなのです。その例証としては適当かどうかは分かりませんが、一般のドイツ人と強制収容所に送られて死んだユダヤ人を思い起こしてください。ドイツ人の多くは、強制収容所が存在することは知っていた。昨日まで親しくしていた友人が突然に姿を消したのにも、気づかなかったはずがない。ただ、そういうことは見たくないし考えたくないと思いつづけているうちに、実際に見えなくなり考えなくなってしまったのです。戦争が終わったとき、ドイツ人は一様に言った。我々は知らなかったのだ、と。これは知りたくないと思いつづけたからに過ぎません。

 ユリウス・カエサルの言葉に、次の一文があります。『人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない』。この一句を、人間性の本質を突いてこれに勝る言辞は無し、といって自作の中で紹介したのは、マキャベリでした。ユリウス・カエサルは古代のローマ人、マキャベリは、それよりは一千五百年後のルネサンス時代のフィレンツェ人。カエサルの言を『再興』した中世人は、一人も存在しません。つまり、中世の一千年間、カエサルのような考え方は、誰の注意も引かなかったということでしょう」。

勝海舟「永川清話」
 勝海舟の「永川清話」より。
 「西郷というやつは、分からぬやつですよ。小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく鳴る。もし馬鹿なら大馬鹿で、利口なら大きな利口ですよ」
 西郷との初対面の席で、西郷曰く「幕府には、もはや天下を仕切るだけの力は無い」。この時の遣り取りで、勝は次のように語っている。

 概要「俺は、今までに天下に恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠と西郷南洲だ。西郷と面会したら、その意見や議論は、むしろ俺の方が優るほどだったけれども、いわゆる天下の大事を負担するものは、果たして西郷ではあるまいかと、またひそかに思ったよ」。
 

尾崎行雄(立憲政友会院内総務)の国会演説
 尾崎行雄(立憲政友会院内総務)の国会演説の一節。
 「彼ら(桂など藩閥勢力)は常に口を開けば、すぐに忠愛を唱え、あたかも忠君愛国は自分の一手専売のごとく唱えているが、その為すところを見れば、常に玉座の陰に隠れて政敵を狙撃するが如き挙動をとっている」。局座をもって胸壁となし、詔勅をもって弾丸に代えて、政敵を倒さんとするものではないか」。

【吉田兼好「徒然草」】
 吉田兼好の「徒然草」より。
 「花はさかりに、月は隈(くま)なきをのみ見るものかは。雨に向かいて月を恋い、垂れこめて春の行方知らぬも、あわれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散りしおれたる庭などこそ、見どころ多けれ」

加藤尚文「名言百選」
 加藤尚文氏の「名言百選」より。
「書道だけではない。いわゆる稽古ごと、習い事の奥義もまたここにある。まず真似びごとから入ってやがて厳密に定法(じょうほう)を身に付ける。この間は全く自己を殺すのである。定法が身についたとき真似びは学びに移っている。真似びからの離脱である。更に長い年月の後に学びも脱して自在の境地にいく。ここに至って殺されていた自己は最高に発揮されて、真の自由がくる。否定が否定されたのである。基礎をゆるがせにしてはならない。その時は理屈なしである。熟達しても時々基礎に立ち返るといい。自在への第一歩に妙手はない」。
 「習い事(芸事)は人生の縮図である。それは、定石と波長との組み合わせ、といっていい。ルールを厳密すぎるくらい遵守しながら、遂にはそこを破って飛躍する長い長い実践過程である。であるから、定法を身につけるあいだの冗長な時間に堪えられなければ、独創自在の域には、到底到達することが出来ない。ここには『自由と必然』の妖しい予告すら、潜在している。この一見無限連続に見える過程は、であるから、一瞬一瞬の忘我没入を尚ぶ。ある時、量は質に転化している。実は無限地獄ではなくて、弁証法だったのである。従って、完結という思想がここにはない。直観で完結を予知すると、危険を回避するために、わざと未完を創造する。それほど、行き止まりを恐れるのである」。

千利休「利休百首」
 千利休(1522−1591)の「利休百首」の一節。
 「その道に入らんと思う心こそ我が身ながらの師匠なれけれ」。
 「ただ湯をわかし茶をたててのむ許(ばか)りなる事と知るべし」。
 「茶はさびて心は厚くもてなせよ道具は何時も有り合わせにせよ」。
 「規矩(きく)作法守りつくして破るとも離るるとても本(もと)を忘るな」。

 茶道に関しては、薮内紹智「源流茶話」の次の言葉も有益である。
 「さびたるはよし。さわしたるはあしし。古語にも風流ならざる処、又風流とこれあり候、求めて風流なるは、かえって風流ならざるなり」。

 「茶湯一会集」に次の言葉がある。
 「一会に深き主意あり。そもそも、茶の湯の交会は一期一会といいて、例えば同じ主客交会するとも、今日の会に再びかえらざる事を思えば、実に我が一世一度の会なり」。
 「さるにより、主人は万事に心を配り、いささかも粗末なきよう深切実意を尽くし、客にも、この会に又遭い難き事を弁(わきま)え、亭主の趣向一つもおろかならぬことを感心し、実意を以って交わるべきなり。これを一期一会という」。

カントの「道徳律」
定言名法の第一方式  「汝の行為の格律が、汝の意志によって、あたかも普遍的自然的法則となるかのように行為せよ」。
定言名法の第二方式  「汝自身の人格にある人間性、及びあらゆる他者の人格にある人間性を、常に同時に目的として使用し、決して単に手段として使用しないように行為せよ」。
定言名法の第三方式  「意志が−−−自己自身を同時に普遍的に立法的と見なし得るような、そのような格律にのみ従って行為せよ」。

マキャべり著『君主論』(河島英昭訳)
 「誰しも人は次のことを理解しておく必要がある。すなわち君主たる者は、わけても新しい君主は、政体を保持するために、時に応じて信義に背き、慈悲心に背き、人間性に背き、宗教に背いて行動することが必要なので、人間を善良な存在と呼ぶための事項を何もかも守る訳にはいかない。またそれ故に彼は、運命の風向きや事態の変化が命ずるままに、えのれの行動様式を転換させる心構えをもち、先に私が言った如く、可能な限り、善から離れることなく、しかも必要とあれば、断固として悪の中へも入っていく術(すべ)を知らねばならない」。
 「君主たる者は、おのれの臣民の結束と忠誠心とを保たせるためならば、冷酷という悪評など意に介してはならない。(中略)慕われるよりも恐れられていたほうがはるかに安全である。(中略)なぜならば、恩愛は義務の鎖でつながれているので、邪(よこしま)な存在である人間は、自分の利害に反すればいつでも、これを断ち切ってしまうが、恐怖のほうは、あなたに付きまとって離れない処罰の恐ろしさによって、つなぎ止められているから」。

フィヒテ「ドイツ国民に告ぐ」(1807−8年)
 
 「独立を失った国は、同時に、時代の潮流にあずかる能力、時代の潮流の内容を自由に規制する能力さえも失ったものである。−−−このようなていたらくでは、従来の世界に自力で参加することなど思いも着かず、ただ、他国に追従するだけとなる。こういう状態から再び奮起するには、新しい一世界が開けてきて、その国自身の一新紀元をつくり、その世界を築き上げつつ、新時代の内容を充実させていくよりほかにはない」
 「祖国が外国に併合されようと、ドイツ国民の没落を防ぐある一つのものを諸君は持っている。それはドイツ魂だ」

ヒトラー著「わが闘争」の「戦時宣伝」

 ヒトラーはその著『わが闘争』の「戦時宣伝」で次のとおり言っている。

 「民衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮よりも、感情的な感じで考え方や行動を決めるという、女性的な素質を持ち、女性的な態度をとる。この感情は複雑ではなく、非常に単純で閉鎖的である。繊細さは存在せず、肯定か否定か、愛か憎か、正か不正か、真か偽かであり、決して半分はそうで半分は違うとか、あるいは一部分はそうだがなどということはない」。

 「宣伝は、大衆に確信させるためのものである。最も簡単な概念を何千回もくりかえすことだけが、覚えさせることができるのである。結局はいつも同じことをいわなければならない」。
 「宣伝は、大衆に確信させるためのものである。最も簡単な概念を何千回もくりかえすことだけが、覚えさせることができるのである。結局はいつも同じことをいわなければならない」。

【孫子の兵法の「兵は詭道(きどう)なり」】
 孫子は、兵法の極意を「兵は詭道(きどう)なり」と喝破し、次のように説いている。
 「例えば、できるのにできないふりをし、必要なのに不必要と見せかける。遠ざかると見せかけて近づき、近づくと見せかけて遠ざかる。有利と思わせて誘い出し、混乱させて突き崩す。充実している敵には退いて備えを固め、強力な敵に対しては戦いを避ける。わざと挑発して消耗させ、低姿勢に出て油断を誘う。休養充分な敵は奔命に疲れさせ、団結している敵は離間をはかる。敵の手薄につけこみ、敵の意表をつく。これが勝利を収める秘訣である。これはあらかじめこうだと決めてかかることは出来ず、たえず臨機応変の運用を心がけなければならない」。

【石川九楊(書家)の「本居宣長から疑えー『神の国』、『三国人』発言を越えて」】
 「西暦1000年頃、「源氏物語」のような女流文学が日本に生まれたのは、平仮名が「女手」と称して平安時代の貴族の女性に開放されることによって、文字と政治と思想から疎外されていた女性の視点と世界観が文として表現されるようになったからである。「やまとごころ」は、もともとこの孤島人の意識ではなく、漢字文=漢文=漢字文の漢意の中の非政治的・非思想的部分を異様に誇張して派生したものである。

 日本語には国語の前提として漢語がある以上、国語教育を強めると共に漢語教育を復活して、日本語の水準を高めることが必要。日本語の一方であり、根幹である漢語教育を疎かにすることは、日本語の衰退を招き、日本人が世界的水準で思索し、世界的に活躍する機会を奪う。知識人は歪んだ平仮名文化を自賛して自閉し、更に現在のように平仮名・国語・国文教育まで軽視されれば、子どもたちは限りなく無文字に近い生活に墜ち、原始や野蛮ににた精神世界を生き始める」。


【ケインズの「アルフレッド・マーシャル伝」】
 ケインズ(1883−1946)の「アルフレッド・マーシャル伝」の一節
 「経済学の研究には非凡な特殊の天分が必要とは思われない。知的に考えるときには、哲学や純粋科学のより高級な学問に比較して、非常にやさしい学科ではなかろうか。しかもすぐれた経済学者、否、資格有る経済学者すら、珍鳥中の珍鳥である。やさしい学科でありながら優れた者が極めて少ないとは! 経済学の巨匠は、芸術家のように超然、廉潔でなければならず、しかも時には政治家のように地上近くにあらねばならぬ」。
 「経済学の巨匠はいろいろな天賦の才能の稀に見る組み合わせを持たなければならない」。
 「彼はいくつもの異なった方面において高い水準に達していなければならず、まだ余り一緒に存在することのない諸々の才能を併せ持たなければならない」。
 「だから彼は、数学者であり、歴史家であり、政治家であり、哲学者でなければならぬ」。

【有島武郎の「宣言一つ」】
 有島武郎(1878−1923)の「宣言一つ」の一節。
 「私は第四階級(労働者階級のこと)以外の階級に生まれ、育ち、教育を受けた。だから私は第四階級に対しては無縁の衆生(しゅじょう)の一人である。私は新興[第四]階級者になることが絶対に出来ないから、ならして貰おうとも貰わない。第四階級の為に弁解し、立論し、運動する、そんな馬鹿げきった虚偽も出来ない」。

【三木清の「人生論ノート」】
 三木清(1808−1946)の「人生論ノート」の一節。
 「今日、愛については誰も語っている。誰が怒について真剣に語ろうとするのであるか。怒の意味を離れてただ愛についてのみ語るということは今日の人間が無性格であるということのしるしである。切に義人を思う。義人とは何か、−怒ることを知れる者である」。

【ミレーの「美術に間する覚書」】
 ミレーの「美術に間する覚書」の一節。
 「馬鈴薯の方がざくろよりも劣ったものであるなどとは、誰がよく断定できるであろう。芸術とは自然がつくったものであるのに、その芸術そのものが最高の目的であると人が信ずるようになった瞬間から、頽廃(デカダンス)が始まったのである。人々はある芸術家が無限な物へ視線を注いでいたということを考えずに、その芸術家そのものを自分たちの手本とし目的とした

【正岡子規の「十たび歌詠みに与うる書」】
 正岡子規(1867−1902)の「十たび歌詠みに与うる書」の一節。
 意訳概要「御歌所(天皇側近)連より上手なる歌詠みならば民間にこれあるべく候。田舎の者が元勲(げんくん・天皇側近の長老)を崇拝し、大臣を偉い者に思い、政治上の力量も識見も元勲大臣が一番に位する者と迷信致し候が、少し眼の有る者は元勲がどれくらい無能力かという事ぐらいは承知の上ではないか」、「歌は平等無差別なり。歌の上に老少も貴賎もこれなく候。歌詠まんとする少年あらば老人などに構わず勝手に歌を詠むが善かるべし」。

倉田百三の「亀井勝一郎・青春をいかに生きるか」
 倉田百三(1891−1943)の「亀井勝一郎・青春をいかに生きるか」の一節。
  「全ての男性が家庭的で、妻子のことのみ関わって、日曜には家族的のトリップでもするということで満足していたら、人生は何たる平凡、常套であろう。男性は獅子であり、鷹である」。
 (次に、女性の男性の見方、扱い方に説き及び、男性の「婦人に対する礼と保護」、「事業と生活に対する熱情と欲望」さえあれば、という前提で)「あまり小さく、窮屈に男性を束縛するのは、男性の世界を理解しないものだ。小さい几帳面な男子が必ずしも妻を愛し、婦人を尊敬するものではない。大事なところで、献身的に尽くしてくれるものでもない。要は男性としての本質を見よ。夫としての頼み甲斐を見よ」、「あまりに窮屈な理解の無いことを云うな。極端な束縛とヒステリーとは夫の人物を小さくし、その羽翼を拐(も)ぐばかりでなく、また男性に対する目と趣味との洗練されていないことを示すものにほかならない」。

【菊池寛の「小説家たらんとする青年に与う」】
 菊池寛(1888−1948)の「小説家たらんとする青年に与う」の一節。
 「小説を書くには、文章だとか、技巧だとかそんなものよりも、ある程度に生活を知るということとある程度に人生に対する考え、いわゆる人生観というべきものを、きちんと持つということが必要である。それができるまでは、小説を書いたって、ただの遊戯に過ぎない」、「『25歳未満の者、小説を書くべからず』という規則を拵えたい」、「人生というものに対しての自分自身の考えを持つようになれば、それが小説を書く準備としては第一で、それより以上、注意することはない。小説を実際に書くなどということは、ずっと末の末だと思う」。

【吉本隆明の「なぜ書くか」】
 吉本隆明(1924−存命)の「なぜ書くか」の一節。
 「私は『時間』と格闘し、その格闘において身をけずりとられてきたと思う。『私に残された生!』という感慨をあるときふと思いうかべたりするほど、私は老いぼれてはいない。(中略)ただ、『私に残された未踏!』という思いは静かな緊迫した時間のうちに、私の『書く世界』を、ときとして訪れることは確かである」。

【森田実の「 いま日本人が学ぶべき『韓非子』の7つの教え――亡国のきざし 」】
 森田実の2001.4.9日づけ「 いま日本人が学ぶべき『韓非子』の7つの教え――亡国のきざし」()転載。
 『韓非子』の中に「亡徴」という章がある。「亡国のきざし」の意味である。日本にはいま亡国のきざしが顕著になっている。いくつか、日本の現状に合う言葉を紹介してみたい。森首相ら政府与党とその支持組織のリーダーの顔を思い浮かべながら読んでほしいと思う。(以下、徳間書店刊『中国の思想・韓非子』西野広祥・市川宏訳より引用)

 (1)「緩心(かんしん)にして成なく、柔茹(じゅうじょ)にして断寡(すくな)く、好悪決するなくして定立するところなきものは亡ぶべきなり」(君主がぼんくらで無能、何事につけ優柔不断で、人まかせにして自分の考えというものがない。このようなとき、国は亡びるであろう)

 (2)「浅薄にして見(あら)われ易く、漏泄(ろうせつ)して蔵(かく)すなく、周密なる能わずして、群臣の語を通ずるものは、亡ぶべきなり」(君主の人物が薄っぺらで簡単に本心を見すかされ、またオシャベリで秘密が守れず、臣下の進言内容を外にもらす。このようなとき、国は亡びるであろう)

 (3)「狠剛(こんごう)にして和せず、諌(いさめ)に愎(もと)りて勝つを好み、社稷(しゃしょく)を顧みずして、軽(かるがる)しくなして自ら信ずるものは、亡ぶべきなり」(独善的で協調性がなく、諌言されればむきになる。国家全体のことを考えずに軽率に動き、しかも自信満々である。このようなとき、国は亡びるであろう)

 (4)「大心にして悔ゆるなく、国乱れてみずから多とし、境内の資を料(はか)らずして、その鄰敵(りんてき)を易(あなど)るものは、亡ぶべきなり」(君主がずぼらで、およそ反省ということをせず、どんなに国が乱れていても自信満々で、自国の経済力を考えずに、隣の敵国を組みやすしとする。このようなとき、国は亡びるであろう)

 (5)「好みて智をもって法を矯(た)め、時に私をもって公を雑(まじ)え、法禁変易し、号令しばしば下るものは、亡ぶべきなり」(都合が悪ければ理屈をつけて法をまげ、何かにつけて公事に私情をさしはさむ。その結果は朝令暮改、次から次へと新しい法令が発せられる。このようなとき、国は亡びるであろう)

 (6)「大臣はなはだ貴く、偏党(へんとう)衆強、主断を壅塞(ようさく)して重く、国を擅(ほしいまま)にするものは、亡ぶべきなり」(大臣があまりに尊ばれ、強力な派閥を形成して、裁決を君主に仰がず、思いのままに国政を動かす。このようなとき、国は亡びるであろう)〈「大臣」を、「自民・公明・保守三与党の大幹部または自民党の派閥の実力者」の意味と解すれば、日本の現実にあてはまる〉

 (7)「公家(こうか)虚(むなし)くして大臣実(み)ち、正戸(せいこ)貧しくして寄寓富み、耕戦の士困(くる)しみて、末作(まっさく)の民利するものは、亡ぶべきなり」(国家の財政が底をついているのに、大臣の家には金がうなっている。戸籍のある正規の人民、農民や兵士が恵まれず、利益を追って流れ歩く商人や末梢的な仕事にたずさわるものが利益を得ている。このようなとき、国は亡びるであろう)

 いま、日本は第二次大戦後最大にして最悪の危機に直面している。国政を自公保連立政権にまかせつづけるならば、日本という国が滅亡するおそれが高い。政権交代を実現しなければ、わが国は亡びるだろう。 韓非は「亡徴」章の最後で「亡徴とは必ず亡ぶと曰(い)うにあたらず、その亡ぶべきを言うなり」と述べている。これは「亡国のきざし――亡徴とは、それがあらわれたからといって、必ず亡びるという意味ではない。亡びる可能性があるということである」という意味である。日本がいま政治の出直しを実現すれば、再生は可能だ。すべてはこの夏の参院選における国民の投票行動にかかっているのである。


【森田実の「 日本政治の空気は変わった。だが本質までは変わっていない」】
 森田実・氏の「日本政治の空気は変わった。だが本質までは変わっていない」()転載。

 マックス・ウェーバーの政治家論

 国会議員になるほどの政治家でマックス・ウェーバーの『職業としての政治』を読んでいない者は少ないと思う。なかでも、次の言葉を知らない者はほとんどいないのではないかと思う。「特に政治家の運命を決定するのは、情熱――責任感――観察力という三つの性質であると言えるであろう」(『職業としての政治』清水幾太郎訳、『世界大思想全集』河出書房新社) 。政治家の資質が議論されるときに、つねに情熱、責任感、観察力の三つが上げられるのは、マックス・ウェーバーのこの言葉に由来している。

 ウェーバーによれば、情熱とは「仕事に没頭する」という意味の情熱、すなわち「仕事」および「その授け手である神または魔に対する情熱的献身」のことである。責任感とは「この仕事そのものに対して全責任を負担するという精神」のこと。観察力――それは政治家にとって決定的な心理的性質である――とは「心を落ち着けて冷静に現実に立ち向かう能力」のことだ。

 ウェーバーは強調する――「政治への献身は、情熱からのみ生まれ、かつ情熱によってのみ養われ得るのである――政治をして浅薄な遊戯としないで、人間的に純真な行為としようとする場合には」。そして政治家の生き方についてこう結論づける ――「自分が世間に捧げんとするところのものに対して、世間は(自分の立場から見て)余りにも愚鈍であり、余りにも卑劣である場合にも、それに挫けず、凡てに対して『それにも拘わらず』と言い得る確信のある人、そういう人だけが、政治に対する『天職』を有するのである」。


【木村愛二の「9.11.アメリカ重大事件に典型を見る偽善系左翼のぶりっ子癖が裸の猿の最悪の癌」】
 木村愛二氏の「『亜空間通信」77号(2001/11/04)の「9.11.アメリカ重大事件に典型を見る偽善系左翼のぶりっ子癖が裸の猿の最悪の癌」の抜粋。

 私の基本姿勢を示すと、英語の諺が最も厳しいが、「偽の友は公然の敵より悪い」、またはその裏返しで、「公然の敵は偽の友より良い」である。今回も、心情左翼とやらの読者が多い朝日新聞よりも破落戸ナベツネ独裁の読売新聞の方に、うがった記事が見られた。理由は簡単で、いわゆる右は平気で嘘も付くが本音の勝負もするし、基本的には主流の自然体であり、いわゆる左は丸暗記の優等生型の格好だけで不勉強の反主流、つまりは経営能力も経験もない偽善系の負け犬の群れだから、なのである。

 非常に簡単な結論を先に述べると、私が偽善系左翼と呼ぶ連中は、私とはまったく逆で、事態の真相究明を、目的にも手段にもしていない。彼らの動機は、自分達の勢力の拡張、いや、それが困難というよりも不可能に近くなっている現状の下では、実は、そこそこの勢力維持にしかない。比較的に大きな組織の専従幹部、いやさ、患部について、はっきり言えば、目的は飯の種の確保にしかない。動機が違えば、頭脳の働き方が、すべてが違ってくるのは当然のことなのである。

 問題の核心は、戦で言えば、どこが天王山なのかを読み切れずに右往左往し、敗走を続けるの愚であり、その愚を、なぜ何度も繰り返して恥じない「偽善系左翼」の群れが、なぜ存在し続け得るのか、そしてその現象の歴史的意味についての考察である。

 私が「ガス室の嘘」を暴露し始めて以来、私のことを、舌っ足らずに「ネオナチ」とか、一般には「左翼」の反対側に位置付けられる「右翼」の肩を持つとか、体制に迎合するとか称して、足を引っ張った積もりでいる連中もいるが、そんな連中は私の眼中にはない。私が「偽善系左翼」として位置付けるのは、今は亡き日本社会党から始まり、凋落の一途を辿りつつある日本共産党などを最大集団とする諸々の党派の全体像である。

 情報操作を研究している明治学院大学の川上和久教授によれば、第2次世界大戦当時、アメリカの宣伝分析研究所は情報操作の研究を行い「7つの法則」を見出したそうです。これを今回のテロ事件に当てはめてみると…1.ネームコーリング:攻撃対象の人物や組織に対し、憎悪や恐怖の感情に訴えるレッテルを貼る方法→今回の場合、公の場で繰り返される「凶悪テロ組織アルカイダ」「非人道的組織タリバン」といったフレーズ。最近では、この手法を「悪魔化」(demonization)と呼ぶ。この第1の法則的な戦時宣伝を打ち破らないと、「超法規」行動の必要性を論破できず、ずるずると戦争協力に引き込まれるのである。

 孫子も「謀を破る」ことの重要性を指摘している。その兵法の基本、「彼(敵)を知り、己を知る」努力と能力を欠く集団には、勝利の可能性がないばかりか、負け戦の保証しかないのである。ところが、現代では、負け犬でも、山に逃げ込む必要はなく、都会においてさえ、そこそこの宗派勢力を維持できる世相なのである。だから、何度負けても悪癖の除去が不可能なのである。

 「テロ」という用語に関しては、アメリカの言語学者、チョムスキーが、いわゆる湾岸戦争を戦争ではなくてアメリカという国家が犯した「国家テロ」と既定しおり、国際行動センターでも、アフガン空爆の方を「テロ」と呼んでいることなどを、まず議論すべきである。

 私は以前から、「テロ」の語源のラテン語では「脅す」の意味であり、言葉の脅しをも含めた物理的な強制行為を意味すると考えるべきであるが、歴史的経過により、一般には「戦争ではない非合法の暴力行為」の意味を帯びてきた旨、指摘している。現状では、抵抗運動の暴力を「テロではない」などと主張する向きもあるので、意味が混乱し、デマゴギーの材料になっている。この点の議論を抜きに「テロを糾弾する!」などと叫んで事実上体制を利する盲動に堕するのは、偽善系左翼の「ぶりっ子」僻の特徴である。
 以上。


 「丁度20世紀が幕を閉じようとする頃にジーンがこの世を去った事実は何かを示唆してはいないだろうか。時代は変わりつつあった。今では、かってマッカーサーという一人のアメリカ人が、妻の献身的な努力に支えられ、日本を統治したのだということさえも、遠い過去の出来事に思える。しかし、現代日本が抱えている数々の病巣の根源を辿ってゆくと、その多くはマッカーサーの政策に端を発しているのが分かる。だとすると、日本人はいまだにマッカーサーの呪縛から解き放たれてはいないのだといえる。それはとりも直さず、ポスト・マッカーサーの不毛も意味している。数々のマッカーサー伝説を検証する作業によって、新しい世紀の指針を探り当てる時期がそろそろきているのではなかろうか」(工藤美代子「マッカーサー伝説」2001.9.30日付日経) 

【道元禅師の言葉】
 曹洞宗の開祖。建長5年(1253)8.28日没。「正法眼蔵」
 「日本国は、国王大臣、老少朝野、在家出家の貴賎、ともにしゃく楊枝・漱口の法を忘れず、とかあれど洗面せず。一得一失なり。いま洗面・しゃく楊枝ともに護持せん」(第50[洗面]の巻)。
 「仏道を習うというは、自己を習うなり。自己を習うというは、自己を忘るるなり」
 「玉は琢磨(たくま)によりて器となる。人は練磨により仁となる。何の玉かはじめより光ある。誰(たれ)人か初心より利なる。必ず磨くべし、すべからく練るべし」
 「学道のひと、衣食に労することなかれ」。

【呂新吾の言葉】
 呂新吾(明末の学者、1536−1618)の著書「ロ申吟語(しんぎんご)」。大臣には6等級があると云う。
 「第二級・剛明にして事に任じ 慷慨(こうがい)して敢えて言い 国を愛すること家のごとく 時を憂えること病のごとく しかして甚だ鋒鋩(ほうぼう)を露(あら)わすを免れず 得失相半ばす。(あんまり情熱的なので、つい相手を傷つけるような角のある言葉を使う可能性がある。いいところとそれがマイナスに転ずるところと半々)」。
 「安静にして時を逐(お)い 動けば故事に随(したが)い 利興すうたわず 害除くあたわず」。

【レーニンの言葉】
 「ヨーロッパの近代の繁栄は、植民地における豊富な天然資源の一方的な略奪、活用と、現地における奴隷に近い安価な労働力の使役の上に築かれた」。

【レーニン晩年の覚え書(1922.12.30日)】
 少数民族グルジアの取り扱いについて、ジェルジンスキー、オルジョニキッゼ、スターリンらのやり方を深く心配して、次のように述べている。「この場合には、スターリンの性急なやり方と行政者的熱中が、さらに評判の『社会民族主義者』に対する彼の憎しみが、致命的な役割を演じたと思われる。総じてにくしみは、政治では、通常最悪の役割を果たすものである」。

 「概して、日本の革新派は自分の枠組の中での言論の自由を好むが、他流試合をしたがらない通弊がある」とは粕谷一希氏が中央公論社での編集者としての体験から得た痛切な認識である。(『中央公論社と私』文藝春秋)


 革新派だけがそうだとは思わないけれど、少なくともこの弁護団は粕谷氏の挙げる通弊からまぬがれていない。それにさきほどわたしは、荷風や漱石の文業に手をくわえるのは、差別関連のことばや不快なことばについては人びとの目に触れないようにしておくほうがよいと考えている人がけっこういるからだろうと書いたのだが、この弁護団はその代表格に映る。他流試合を拒否する姿勢は言論統制、全体主義につながっている。


【ド・ゴールの言葉】
 レジスタンスを戦ったド・ゴールの言葉。第2次大戦でフランスは国土をナチスに蹂躪され、1940年6月14日、パリ陥落に伴い、ド・ゴールはロンドンに 亡命します。そのころの歴史の趨勢は圧倒的にドイツに傾いていて、当時の米大統領、フランクリン・ルーズベルトをはじめ、 世界の指導者はもちろんのこと、フランス人さえもド・ゴールを相手にしませんでした。というのは、彼は当時、まだ、 ドイツ降伏を決めたポール・レイノー内閣の陸軍次官という、無名の一将軍にすぎなかったからです。ロンドンに亡命したド・ゴールは1940年6月18日、BBC放送でフランス国民にこう呼びかけています。
 「一つの戦闘に敗れたといっても、それは戦争に負けたことではない。全フランス国民がいつでも私と一緒に行動できるよう準備してほしい。 この先、どんな事態になろうとも、レジスタンスの炎を消してはならないし、それは決して消え去ることはない」。
 このド・ゴールの呼びかけに、フランス国内からの反応は鈍く、対独協力のペタン政権からは、欠席裁判で 「死刑」の宣告を受ける。が、歴史の流れはその後どうなったか。

 日本人には、伝統主義(traditionalism)的体質が根強い。昨日まで正しいとされてきたことは、すぐそのまま、今日もまた正しいのだと信じ込んでしまうのである。つまり、何事に拠らず、革新(innovation)は、条件反射的に毛嫌いするのである。伝統主義は、圧倒的強さで日本人にのしかかり、全ての革新を拒否しているのである」(小室直樹「日本の敗因」)

 直きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞(物知り)を友とするは益なり。便ぺき(お追従)を友とし、善柔(表面が丁寧なだけで誠実さが無い)を友とし、便ねい(小才は利くが、心のねじれた人)を友とするは損なリ(友を選ぶについての論語)

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色。盛者必衰の理をあらわす

 飯田亮(まこと)「私の履歴書」2001.6.17日付け
 「国際共産党問題」で困り果てた私は、ある人の紹介を受け、共同通信社の社長だった福島慎太郎氏を訪ねた。江戸っ子気質の福島氏は、私の悩みを笑い飛ばす。「お前が赤だって?上等じゃないか、おれだってピンクと言われているんだ。気にするな」。この言葉を聞き、もやもやがスーッと晴れていった。

 与謝野晶子「ひらきぶみ」明治37年
 「歌は歌に候。歌読みならひ候からには、私どうぞ後の人に笑われぬ、まことの心を歌ひおきたく候。まことの心うたはぬ歌に、何の値打ちか候べき。まことの歌や文や作らぬ人に、何の見どころか候べき。長き長き年月の後まで動かぬ変わらぬまことの情け、まことの道理に、私あこがれ候心もち居るかと思ひ候」。
 「乱れ髪」の翌年、23歳の年から41歳までの間に、夫寛(鉄幹)との間に実に5男6女の母親となった。門下生として、北原白秋、吉井勇、木下杢太郎、石川啄木、佐藤春夫、堀口大学、三ヶ島、石上露子、岡本かの子ら。

【加周義也「リンチ事件の研究」】
 人間社会の現実は、まさしく通俗であり、猥雑であり、実にどろどろした醜悪なるもののカオスだ。思想、思想と上品ぶってみても、そのカオスたる通俗社会を基盤とし、源とし、そこから発している。そしてまたそこへ還元されるべきものである。

 つまり、思想的営為というものは、本来、通俗社会の醜悪なるカオスの只中から気高い真理〈真実〉を発見し、その真理の光でカオスの闇を照らし出す営為に他ならない。醜悪な現実問題によりよき解決を与え、創造的発展を促す活力ある知識と知恵の有機体系、−それが思想の本領だといってよい。もちろん、いろいろな思想があって良いのだけれども、少なくとも、一握りの殿上人のもてあそぶ酒肴、そこで交わされるおしゃべりの如きものであるべきではなかろう。

 であれば、思想を云々する以上、自ら通俗社会の醜悪な現実を直視観察し、そこに足を踏ん張り、拠って立つ基盤をその中に構築しなければならない。通俗を忌み嫌い、現実に目をそむけた思想のレベルの論議など、傾聴するに値しない。口にする思想的言辞がいかに立派そうに見えても、砂に書いた文字に等しい。

 しかして、この事件もまた通俗社会に起った犯罪事件である以上、通俗で猥雑なのは当然である。それを問題なする限り、通俗で猥雑になるのはおおかた避けられない。もっとも、それは取り上げ方にもよるだろうが、事件の審理を通俗だ猥雑だといって避け、またそういわれるのを恐れて避けて通った思想のレベルの論議に、どうしてまともな論議が期待できるだろう。

サルトル
「非暴力の君へ。要するに次のことを理解してくれたまえ。もし、暴力が今夜はじめて開始されたもので、かつて地上には搾取も圧制も存在しなかったというならば、あるいは、非暴力の看板を掲げて紛争を鎮めることができるかもしれない。ところが、もし体制全体が、そして君たちの非暴力思想までが一千年にわたる圧制によって規定されているならば、受身の態度は君らを圧制の側につけるだけである」

 精神病理学の泰斗にして岡山大学学長に就任した林道倫(1885ー1973)氏の1949(昭和24)年、第一回入学式の言葉。
 「新しい岡山大学が専ら人民の力によって作られたという点に深く心をとどめなければならぬ」。
 「時流に迎合せず、長いものにまかれることなく、他人の思想の無条件エピゴーネン(追随者)となることなく、自己の思想目標を樹立しなければならぬ」。

Der Angriffのタイトルの下に一連のページ群を作成していた最初の人物は、20世紀最後の年の10月末をもって、サイバースペースから消滅した

活字印刷術時代の遺物たる「著作権」という概念は、21世紀のサイバー情報時代には大きく変貌を遂げるであろう。もはや著作物を著者が独占し、情報の所有を宣言する時代は終焉を迎える。情報は共有され、そして多数の人間によってさらによい情報に高められる。そこに関与した人間、最初に考案した人間の名誉は守られるであろうが、それ以上に、優れた情報を共有することを人々は喜びと感じるようになる。

一人の人間が著作権を主張するということは、その一人の限界が思想の限界を生み出すことにもなる。しかし、共有と連結による思想の高まりは、21世紀以降のサイバー・ガイア生命体とでもいうべき高度な思索状態を生み出す可能性がある。

もちろん、低級な情報の共有による人類全体の衰亡という選択肢もありえるのだが、人類には自浄作用があることだろう。

これまで私は、情報をただ受け取る立場ではなく、受け取った情報を吟味し、判断する能力を育てることが必要である、と一貫して述べ続けてきた。そして、本来ならば違法でもなく、また間違ってもいないのに、なぜかタブーとされている諸々の情報を発信することをテーマとしてきた。さらに、これまでの「ウヨク・サヨク」だの何だのといった旧態依然のレッテル貼りによる「セット思考」を痛烈に批判してきた。

だが、このように私が情報発信し続けることそのものが私の主張にとって矛盾するものとなってきたのは皮肉であった。私は権威になってはならない。その主張は等価なものとして受容されなければならない。
 私は「ほかに誰も作っていないサイト」というのをいくつか作ってきた。それは、同様のサイトができることを期待していた側面もある。ところが、私がサイトを作るとそれで安心してしまうのだろうか、私だけがそのテーマを扱うようなことにもなりかねない。あるいは、私がやらなければ誰もやろうとしない。

私はDer Angriffのごときサイトが登場することをまだかまだかと待ち望んでいた。広範囲に、自分の興味のある対象を取り上げる包括的なサイト、情報を読者と共有することによって情報そのものを洗練させていくサイトの出現を。しかし、そのような「Der Angriffを凌駕する総合情報サイト」は登場しなかった。これは大いなる失望である。

私はそこで考えた。もはやこのようなサイトは存在してはならない。一個人が片手間にやっているサイトごときによって、新たなサイトの出現を阻むようなことになってはならないからだ。Der Angriffサイトに載っている情報は、私の専有物であってはならないのだが、その情報はなぜかDer Angriffの専有物と解釈されてしまっている。そのような状況はぶち壊さなければならない。

そして、私の最後の実験が始まった。いかにしてこのDer Angriffサイトの情報という「Web上の共有資産」を損なうことなく、その管理人がWebから消滅するかという、ほとんど誰も考えていなかったような実験が。その実験は9月に開始された。綿密な計画に基づいて「副管理人」を募集することからすべては始まった。

副管理人の名目で私が集めたのは、Der Angriffの諸ページの内容を受け継ぐ「後継者」である。もちろん、このサイト群は私一人が個人的に管理していたのだから不可能ではないはずなのだが、すべてのページを一人に委任するとすれば現状では負担も大きいだろう。また、ミギもヒダリもない私のサイトには、言い換えればミギ的ページもあればヒダリ的ページもある。お笑い的ページもあればまじめなページもある。それをすべて引き継ぐようなキティなキャラクターの人間がもう一人存在するとしたら、それはそれでコワイ話だ。だから、私はサイトを分割譲渡することにした。

 分割譲渡の条件はただ一つ。私がその情報の集積・整理に関わったという一切の痕跡を消去すること。一般的には逆であろうし、私から委任された人たちも最初は一様にとまどっていた。しかし、私は私の痕跡を消し、「私の情報」を名実ともに「共有情報」に変えなければならない。だから、私は無理にお願いした。
 Der Angriffの内容はWeb上で生き続ける。それは複数の新管理人のもと、新たに再編成されて共有財産となる。それでこそ初めて、Web上の情報共有の理念が実現される。リンク自由、引用自由、修正自由。そこから真実の情報が生まれるはずだ。私は、自分の存在を消すことによって、その大いなる情報の革新に寄与することを誇りに思う。

 2点だけ断っておかねばなるまい。読者の皆さんにお願いしたいことがある。私の後継者たちは剽窃者でもなければ、他人の情報を自分のものであるかのごとく主張したがる人でもない、ということを理解してほしい。情報をもらってほしい、とお願いしたのは私のほうである。そして、譲り渡した情報を、譲られた人がどのように加工し、変形し、あるいは勝手に削除するも自由である――ただ一点、私の存在を消去することだけは必須として、それ以外はすべて自由なのだ。だから、現時点で後継者でない人が参加することもまた自由である。

 そしてもう1点。後継者たちは私と思想においておそらくかけ離れた存在であるということだ。後継者たちはむしろ、私の思想すべて、私の信じるものをそのまま信じている人たちではない。逆に、ほとんどの点で意見も食い違うことだろう。共通点はただ一つ、私がネット上に提示した「データ」に関心を示してくれた、ということだ。したがって、私への批判は彼らに一切当てはまらない。私の有している思想や思いがいかなるものであろうとも、後継者たちにその責任は一切及ばないことを宣告しておく。

私はWebに「いなかった」ことになろう。それができるか否かが、サイバースペースの将来を決定する。そして、完全に私の痕跡が消え、新たな情報次元が開かれたとき、そのとき初めて私はサイバースペースに戻ってくることにする。さよなら。そして……I SHALL RETURN.

河上さん、はじめまして、私はれんだいこと申します。このたびはサイト閉鎖とお聞きしてびっくりしています。いろいろ有用情報があるなぁと感心していました。まさかこう云う事態になるとはおもっていませんでしたので、そのうち勉強させていただこうと日延べさせていました。内容については各所に分散するとのことですが、仕方ないのでしょうか、これ以上コメントできませんが。ちなみに、私のサイトは
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/
です。 なお、どこで見たのか忘れましたが、確か議論の仕方についてコメントされていたように思います。あれが欲しいのですが、捜してみてどこにあるのか分かりませんでした。この点だけでも教えていただけましたらありがたいです。しぶとくしぶとく、あなたを分かる者が必ずいることを信じて頑張って参りましょう。ではまた。2000.11.6日 れんだいこ

 そして、閑話休題。偽善に飽き飽きしたところで、一服の清涼剤と、今後の議論の参考のために、それらのイギリスの思想潮流に通じていたはずの中野好夫の短文を紹介したい。

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悪人礼賛
(1949.10)

 ぼくの最も嫌いなものは、善意と純情との2つにつきる。

 考えてみると、およそ世の中に、善意の善人ほど始末に困るものはないのである。ぼく自身の記憶からいっても、ぼくは善意、純情の善人から、思わぬ迷惑をかけられた苦い経験は数限りなくあるが、聡明な悪人から苦杯を嘗めさせられた覚えは、かえってほとんどないからである。悪人というものは、ぼくにとっては案外始末のよい、付き合い易い人間なのだ。という意味は、悪人というのは概して聡明な人間に決っているし、それに悪というもの自体に、なるほど現象的には無限の変化を示しているかもしらぬが、本質的には自らにして基本的グラマーとでもいうべきものがあるからである。悪は決して無法でない。そこでまずぼくの方で、彼らの悪のグラマーを一応心得てさえいれば、決して彼らは無軌道に、下手な剣術使いのような手では打ってこない。むしろ多くの場合、彼らは彼らのグラマーが相手によっても心得られていると気づけば、その相手に対しては仕掛けをしないのが常のようである。

 それにひきかえ、善意、純情の犯す悪ほど困ったものはない。第一に退屈である。さらに最もいけないのは、彼らはただその動機が善意であるというだけの理由で、一切の責任は解除されるものとでも考えているらしい。

 かりにぼくがある不当の迷惑を蒙ったと仮定する。開き直って詰問すると、彼らはさも待っていましたとでもいわんばかりに、切々、咄々としてその善意を語り、純情を披瀝する。驚いたことに、途端にぼくは、結果であるところの不当な被害を、黙々として忍ばなければならぬばかりか、おまけに底知れぬ彼らの善意に対し、逆にぼくは深く一揖して、深甚な感謝をさえ示さなげればならぬという、まことに奇怪な義務を負っていることを発見する。驚くべき錦の御旗なのだ。もしそれ純情にいたっては、世には人間40を過ぎ、50を越え、なおかつその小児の如き純情を売り物にしているという、不思議な人物さえ現にいるのだ。だが、40を越えた純情などというのは、ばくにはほとんど精神的奇形 [ルビ:モーローン。註] としか思えないのである。

註 [2001.6.8.]:原語はmoron。ギリシャ語の「愚か」に由来し、わがiMac内臓の小学館ランダムハウス辞書には、「【1】(一般に)愚か者,ばか,まぬけ.【2】心理「軽度精神薄弱者. 【3】性的変質者.」とある。

 その意味からいえば、ぼくは聡明な悪人こそは地の塩であり、世の宝であるとさえ信じている。狡知とか、奸知とか、権謀とか、術数とかは、およそ世の道学的価値観念からしては評判の悪いものであるが、むしろぼくはこれらマキアベリズムの名とともに連想される一切の観念は、それによって欺かれる愚かな善人さえいなくなれば、すべてこれ得難い美徳だとさえ思っているのだが、どうだろうか。

 友情というものがある。一応常識では、人間相互の深い尊敬によってのみ成立し、永続するもののように説かれているが、年来ぼくは[い疑いをもっている。むしろ正直なところ真の友情とは、相互間の正しい軽蔑の上においてこそ、はじめて永続性をもつものではないのだろうか。

「世にも美しい相互間の崇敬によって結ばれた」といわれるニ−チェとワーグナーの友惰が、僅々数年にしてはやくも無残な破綻を見たということも、ぼくにはむしろ最初からの当然結果だとさえ思えるのだ。伯牙に対する鍾子期の伝説的友情が、前者の人間全体に対するそれではなく、単に琴における伯牙の技に対する知音としてだげで伝えられているのは幸いである。伯牙という奴は馬鹿であるが、あの琴の技だけはなんとしても絶品だという、もしそうした根拠の上にあの友情が成立していたのであれば、ぼくなどむしろほとんど考えられる限りの理想的な友情だったのではないかとの思いがする。

 友情とは、相手の人間に対する9分の侮蔑と、その侮蔑をもってしてすら、なおかつ磨消し切れぬ残る1分に対するどうにもならぬ畏敬と、この両者の配合の上に成立する時においてこそ、最も永続性の可能があるのではあるまいか。10分に対するベタ惚れ的盲目友情こそ、まことにもって禍なるかな、である。金はいらぬ、名誉はいらぬ、自分はただ無欲でしてと、こんな大それた言葉を軽々しく口にできる人間ほど、ぼくをしてアクビを催させる存在はない。

 それに反して、金が好きで、女が好きで、名誉心が強くて、利得になることならなんでもする、という人たちほど、ぼくは付合いやすい人間を知らぬのだ。第一、サバサバしていて気持がよい。安心して付き合える。金が好きでも、ぼくに金さえなければ取られる心配はないし、女が好きでも、ぼくが男である限り迷惑を蒙るおそれはない。名誉心が強ければ、どこかよそでそれを掴んでくれればよいのだし、利得になることならどんなことでもするといっても、ぼくに利権さえなければ一切は風馬牛である。これならば常に淡々として、君子の交りができるからである。

 金がいらぬという男は怖ろしい。名誉がいらぬという男も怖ろしい。無私、無欲、滅私奉公などという人間にいたっては、ぼくは逸早くおぞ気をふるって、厳重な警戒を怠らぬようにしてきている。いいかえれば、この種の人間は何をしでかすかわからぬからである。しかも情ないことに、そうした警戒をしておいて、後になってよかったと思うことはあっても、後悔したなどということは一度もない。

 近来のぼくは偽善者として悪名高いそうである。だが、もしさいわいにしてそれが真実ならば、ぼくは非常に嬉しいと思っている。ぼく年来の念願だった偽善修業も、ようやく齢知命に近づいて、ほぼそこまで到達しえたかと思うと、いささかもって嬉しいのである。

 景岳橋本左内でないが、ぼくもまた15にして稚心を去ることを念願とした。そしてさらに20代以来は、いかにして偽善者となり、いかにして悪人となるかに、苦心修業に努めて来たからである。それにもかかわらず、ぼく自身では今日なお時に、無意識に、ぼくの純情や善意がぼくを裏切り、思わぬぶざまな道化踊りを演じるのを、修業の未熟と密かに深く恥じるところだっただげに、この定評、いささかぼくを満足させてくれるのだ。

 もっとも、これはなにもぼくだけが1人悪人となり、偽善者たることを念願するのではない。ぼくはむしろ世上1人でも多くの聡明なる悪人、偽善者の増加することを、どれだけ希求しているかしれぬのである。理想をいえば、もしこの世界に1人として善意の善人はいなくなり、1人の純情の成人小児もいなくなれば、人生はどんなに楽しいものであろうか、考えるだけでも胸のときめきを覚えるのだ。その時こそは誰1人、不当、不法なルール外の迷惑を蒙るものはなく、すべて整然たるルールをまもるフェアプレーのみの行われる世界となるだろうからである。

 されば世のすべての悪人と偽善者との上に祝福あれ!

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 私は、以上のような本音の人間観察、自己評価の上に立つことなしに、唯物論だの社会主義だのと正義の味方面して論じるのは、偽善に他ならないと思う。[後略]

 以上で引用終わり。

 上記の内、「世には人間40を過ぎ、50を越え、なおかつその小児の如き純情を売り物にしているという、不思議な人物さえ現にいる」という部分が、チョムスキーにも当て嵌まると言ったら、おそらく同種の「善人」の崇拝者たちは、きっと怒るだろうが、憎まれ愚痴を叩くのは、わが努め、いや、正直に悪人振ると最高の趣味なのである。

 蛇足になるが、ホロコーストの大嘘を守護し、911の謀略を疑わずに、イスラエルのパレスチナ侵略、アメリカのアフガン侵略に反対して、だから自分は善人だと思いこんでいるのは、やはり、「精神的奇形 [ルビ:モーローン] としか言いようがないのである。

 以上。






(私論.私見)