毎日新聞記者の外務省公電漏洩事件考

 1971.6.18日、「外務省公電漏洩事件」が発生した。毎日新聞は、政治部記者の西山太一の署名記事で、概要「沖縄返還に当たって、アメリカ側が支払うべき金額の一部を日本が肩代わりして支払うという日米密約があり、諸費用の請求処理にあいまいさが残る」とする記事をスクープした。これが「外務省公電漏洩事件」の始まりとなる。

 後に判明したところによると、
西山記者は、安川外務審議官付きの秘書・蓮見喜久子経由で沖縄返還交渉に伴う日米密約を記した「外務省公電」を入手していた。「外務省公電」には、「沖縄返還に際し、米国が支出すべき基地の復興費(返還土地の原状回復費)の一部として軍用地地主に支払われる400万ドルを、表面上はアメリカが払うことにし、実は日本側が負担する経費の中から出すという肩代わり密約」が記されていた。文書は、愛知外務大臣から牛場駐米大使に当てたもので、愛知外相とマイヤー駐日大使の会談内容、井川条約局長とスナイダー公使の交渉内容などを記していた。西山記者は、外務省の女性秘書と親密な関係にあり、「情を通じて」公電を入手していた。

 12.7日、衆議院予算委員会で社会党横路孝弘議員が質問に立った。国家とメディア、沖縄密約電文漏洩事件によれば次のように記されている。概要「アメリカは返還に伴い軍用地の地主に復元のための補償が必要であるが、アメリカは議会で返還に伴う費用の支出は一切ないと説明したため、補償費用の支出はできない。日本がアメリカに支払う億2000万ドルは名目が、米資産の譲渡対価と基地従業員雇用費だが、実際にはその中にはアメリカ軍が農家に払う補償費400万ドルを含んでいる。つまり日本がすべての費用を肩代わりする、という事実が付されていると疑惑を追及した。

 外務省は、公電は本物のコピーであることを認めたが、密約の存在は否定した。西山記者の記事、及び横路議員の追及は、根拠を示さなかったため、疑惑を解明するに至らなかったが、同時に、沖縄にあることが確実視される核兵器または核施設、あるいは沖縄に寄航する原子力潜水艦等による核兵器の持ち込み、滞留についても日米間に密約があるのではないか、との疑いも広まった」。


 1972.3.27日、沖縄返還協定の批准書が交換された直後(1972.3.15日)の衆院予算委員会で、社会党の横路孝弘・楢崎弥之助、上原康助議員らが沖縄返還に当たって「沖縄返還協定の締結にあたり、日米に密約が存在されること、それを示す外務省公電密約が存在する」との爆弾発言となった。

 西山記者が入手した資料が横路氏に渡ったものであった。これを、「外務省公電漏洩事件」と云う。当時の福田赳夫外相や外務省の高官は、国会や法廷で密約の存在を否定した。しかし、後に(2000.5月)、「密約」の内容を裏付ける米公文書の存在が明らかになった。しかし政府は、「密約は存在しない」との立場を堅持し続けている。なお、この問題を素材としたノンフィクションに、沢地久枝著「密約」(中公文庫)がある。この事件を作家澤地久枝が取材し「密約」という小説を書いたほか、ドキュメンタリー作家によって沢地作品を原作にしてテレビドラマ化され、映画にもなった。後に英語字幕版も制作され、アメリカでも上映され、反響を呼んだ。

 佐藤首相は激怒し、警察に命じて漏洩ルートの捜索を指示し、関係者が逮捕されるという事件に発展した。国会で提示した外務省秘密電文のコピーから、政府は直ちに漏洩ルートを割り出した。警察は、西山記者が外務省職員(外務審議官の女性秘書)と不倫関係にあり、「情を通じて」公電を入手したとして「西山記者の情報入手における道義性」を問題としていった。毎日新聞は、国家機密や政府の情報開示に対する「国民の知る権利」を盾にキャンペーンを続けたが、「表現の自由、報道の自由」を護り切れなかった。「国民の知る権利が裁判で大きな論争点になったが、西山記者と外務省蓮見事務官の間に男女の関係があり、人々の好奇心を書き立てるに至った」。

 論点は、@・公電内容の真実性、A・公電内容の報道権と政府行為の秘密性の尊重との関係如何、B・マスコミが取材で得た資料が国会議員にわたったことの是非、C・取材にからむ当事者間の情交問題等々にわたり、法理的に解明すべき問題であったにも拘らず議論が深められなかった。

 1972.4.3日、警視庁は、女性秘書を国家公務員法第100条(職員は職務上知ることが出来た秘密を漏らしてはならない。1年以下 の懲役又は罰金3万円以下。)の守秘義務違反で告発、翌4.4日、毎日新聞記者を国家公務員法同第111条(国家公務員に秘密を漏らす行為を企て、そそのかし、又はその幇助をした者は1年以下の懲役又は3万円以下の罰金に処せられる)の秘密漏示教唆罪(違法行為のそそのかし容疑)で逮捕した。

 1972.4.15日、第一審で検事は次のような起訴状を読み上げた。「西山は蓮見とひそかに情を通じこれを利用し、外交関係機密文書ないしその写しを持ち出させることを企て、46年5月22日頃、蓮見をホテル山王に誘って情を通じた挙句、沖縄関係の秘密文書を頼む,などと執拗に迫った。…」。これに対して毎日新聞は、「取材にあたって道義的に遺憾の点があった。新聞記者のモラルから逸脱した」とコメントしている。

女性事務官は一審で有罪が確定。記者は一審判決(山本卓裁判長)では無罪となり、検察が控訴し、最高裁まで争われた。一審判決では次のように述べられている。「西山が蓮見に文書の持ち出しを依頼した点はそそのかしにあたる。しかし目的は正当であり、取材活動によってもたらされる利益は、損なわれる利益に優先する。手段,方法については相当性に欠ける点が見うけられないわけではないが、なお違法行為とは言えない」。 

 1978.5.31日、最高裁は、公法にいう「秘密」を実質秘とし、その判定は司法判断に服するとしたが、結局、電文の秘密性を認め、さらに取材方法も適当な取材活動の範囲を逸脱しているなどとして、逆転有罪判決を言い渡した。こうして最終的に二人とも有罪となった。その後、西山記者は退社した。

 この事件は、外務省の過剰機密姿勢、西山記者の取材姿勢、横路議員の出所漏洩姿勢、西山記者逮捕の是非、毎日新聞社の対応能力等々に後足の悪さを残すことになった。
この事件は、「国民の知る権利」という考え方を広める事になり、その後の情報公開制度定着の引き金となった点で大きな歴史的意義を持つ。

 2004.4.6日 れんだいこ拝





(私論.私見)