3259−3 市場性社会主義論について

【「市場主義的社会主義論」を考察する前の確認ごと】
 一般に、字句、文章の解釈は読み手によって様々になり易いということが知られねばならない。まして、思想的なものが介在している場合には、一層解釈が分かれることになる。このことは、マルクス主義の研究の場合特に当てはまる。

 その理由として、読み手が己の力量に合わせて読み取る癖があり、これからなかなか脱却できないという公理があるからである。更に、人は己の置かれている社会的基盤の利益に影響され、自身が受け取りやすいようにしか理解しないという公理があるからである。もう一つ、同じ文章でも時代のニューマに影響を受け、響いてくるヶ所が異なるからだと思われる。

 「市場主義的社会主義論」を論ずる場合、上述の制限からの解放無しには進まない。マルクスの言及をマルクスの言及通りに読み取ると、@・「市場主義的社会主義論」は否定されていたのか。「国有化的社会主義論」が前提にされていたのか。A・「市場主義的社会主義論」が当然のように前提とされていた、と理解することが出来るのか出来ないのか、ここがポイントとなる。

 果たして、マルクスは、資本主義の非を否認し、且つその没落の不可避性を見通ししていたが、その際にどのような未来社会のシステムを夢想していたのであるか。その後のマルクス主義者が金科玉条としてきた国有化政策、集団化政策は、真にマルクス主義的であったのかどうか、という判別が必要となる。


 さて、ここまで論じてくると、マルクス・エンゲルスの社会主義論を原文に忠実に再現せねばならないだろう。以下、この道に分け入ることにする。

 2003.1.24日れんだいこ拝


【「市場主義的社会主義論」の考察意義について】
 ソ連邦の解体後以降の現象かそれ以前より論議されていたのか分からないが、「市場主義的社会主義論」が検討されつつある。れんだいこは、その論議は面白いとして注目している。もっとも、世上で論議されている内容においてかどうか不明であるので若干の考察を試みたい。この議論は、目下の一級課題であり、奥が深い。そう認識することが肝心だ。

 従来、マルクス主義的社会主義理論は、「来るべき革命を通じて資本主義的私的経済体制を国家管理化することで資本主義の矛盾を止揚させる」というところに眼目があったのでは無かろうか。それは、いわゆる国有化理論を通じての生産の無政府性のコントロールであり、この道筋こそが社会矛盾の根本的解決であり、ひいては人間疎外現象の克服の道筋ともなる。これが伝えられてきたマルクス主義の経済政策理論である。こういう理解で何らおかしくなったが、最近になって、そういう公式主義的観点の一面性が論(あげつら)われるようになってきた。

 端的には、ソ連邦の解体とそれに続く東欧諸国の社会主義国家体制の崩壊が契機となった。この時、マルクス主義的経済の国家管理方式が破綻したと評された。このことをソ連邦の解体の中心的な教訓として受け取る見解が生まれた。要するに、ソ連邦の解体は経済革命の失敗が因を為しており、ここから教訓を引き出さねばならないとするものであった。

 そういう事情によってか今日、マルクス主義的社会主義理論に新たな理論的問題が発生している。従来の「経済の国有化的社会主義論」に対して「市場主義的社会主義論」が生み出されている。それ故にかどうか、その後のソ連邦、東欧諸国も然りだが、生き残った中国、ベトナム、キューバ、北朝鮮ら数ヶ国の社会主義国も、社会主義体制の生き残りを賭けてこの新課題を模索しつつある。現実からそういう必要が生じたという次第であろう。実際には、何ら理論面の切開が無されないままに体制延命策として資本主義的市場性の導入に向かっていっているように見える。それら各国はお国柄に応じて違いを見せているが、基本的に国有化理論との決別方向に向かっているという点では共通している。

 これを、マルクス主義の歪曲と捉えるのは容易である。問題は、「市場主義的社会主義論」はそうは簡単な問題ではない、というところにある。今最先端の「市場主義的社会主義論」は、御用教学としての理論としてではなく、むしろ本来のマルクス主義は「市場主義的社会主義論」的であったのではないのか、従来の国有化主義国家管理型統制経済的手法の方こそ非マルクス主義的であったのではないのか、という認識まで辿り着こうとしている。

 これを夙に早くより指摘していたのは、広西元信氏であった。広西氏は、1966.12.1日初版で「資本論の誤訳」(こぶし書房、2002.3.30日再初版)を世に問うている。同書で、所有と占有概念の違いを識別し、概容「マルクスは、占有概念で社会主義社会を透視していた。マルクスの言説の中に国有化概念は無く、むしろ資本主義的株式会社を労働者の生産管理的方向(アソシエーション)へ発展させる必要を遠望していたこと。その限りで、ロシアのスターリニズム的国有化政策指導は何らマルクス主義的でないどころか、反対物である」と鋭く指摘している。

 この広西見解は長らく無視されてきた。しかし、ソ連邦が崩壊し、「市場主義的社会主義論」が生み出されつつある折柄にあってはその先見の明を高く評価されねばならない、とれんだいこは考える。しかし、「市場主義的社会主義論」と広西見解の接合は良いとしても、最近はしゃいでいる日共不破の「レーニンと市場経済」となるとどうだろうか。不破理論の特質は、問題の在り処を探る才には長けているものの、その考究と称して幅広い知識を提供するところは良い。しかし、結局は、マルクス、エンゲルス、レーニンらの言説を捻じ曲げつつ有害無益な右派的理論に到達させてしまうのがいつもの遣り方である。従って、不破理論に対しては、知識を得るところと見解を押し付けられるところとの境目をはっきりさせ、知識を検討し不破見解は却下させねばならない。何もかも鵜呑みにする事は厳禁である。

 2003.1.3日れんだいこ拝


【「レーニンと市場経済論」について】
 不破は、「マルクス主義的市場経済論」に不破らしいアプローチを見せている。例えば、2002.9.4日付赤旗の「中国社会科学院での不破議長の学術講演(2002年8月27日) レーニンと市場経済」で何ほどか言及している。とてもそのままでは有害無益であるので、れんだいこ流に要点整理し直しする。

 マルクス主義はマルクスとエンゲルスによって創始されたが、社会主義社会の展望を述べたにとどまり、実際の建設に直面することはなかった。これに実践的に対応した史上初のマルクス主義者はロシア10月革命を遂行したレーニンの指導するポルシェヴィキ達であった。

 ロシア10月革命遂行直後のレーニン達は「マルクス主義的国有化理論」を信奉しており、この理論に基づき革命後の経済建設にあたった。「市場経済」、「商売の自由」、「売買の自由」などは社会主義建設の敵、反革命のスローガンだとされ、市場経済の根絶こそが社会主義建設の任務とされていた。こうして「戦時共産主義」が導入された。この時、国有化理論に基づく諸政策が強行に押し付けられていった。小生産者の小規模な商品生産であっても市場経済を認めれば、それが資本主義の害悪の土壌となる。それを強めるわけにはゆかない故に市場経済を廃絶させるというのが当時のマルクス主義者達の政策論理であった。

 しかし、市場経済否定政策は、クロンシュタットの反乱に象徴されるように人民大衆の不満を強めた。興味深いことは、当時のマルクス主義理解そのものにあり、市場経済否定政策そのものがマルクス主義を証左しているという見解にあったことである。従って、市場経済否定政策反対者は反マルキストとなり、当人達もそれを甘受していた。既に述べたが、広西理論によれば、この構図自体が間違いという事になる。

 しかし、流石にレーニンは偉大であった。「戦時共産主義」政策としての市場経済否定政策の政策的過ちを見て取った。こう理解したのは、当時のロシアの指導者のなかでレーニン一人であった。レーニンは苦悩した挙句「勇気と決断」をもって、1921.3月、新しい政策として「新経済政策(ネップ)」を導入した。「戦時共産主義」政策からの大胆な転換であった。ネップの当初は、農民対策として、「生産物交換」つまり農村の生産物である穀物と都市の生産物である工業製品との物々交換を認めるという政策であった。

 しかし、この政策転換でさえ党内で喧々諤々の議論を要している。「レーニン全集」に、この時期のある会議の記録が掲載されている。それによれば、ある同志は、「われわれは牢獄(ろうごく)で商売のやり方など学ばなかった」と発言した。ある同志は、「商売のような不愉快な仕事を共産主義者がやれるものか」と発言した。これに対して、最後に結語に立ったレーニンは、「不愉快な課題に直面したからといって、それを回避したり、それに落胆したりするのは、革命家に許されないことだ」との批判を加えている。

 ほぼ半年の模索を経て、社会全域に市場経済を認める「市場経済を通じて社会主義へ」の道を提起したのは、1921.10月であった。ここに、自営業者の存在と彼らの営業(商売)の自由が保障された。私的な小資本資本主義が一定の範囲内で認めることになった訳である。真の意味は、大衆的自治を尊び、これに立脚する社会主義を展望したということであろう。それは、短期決戦的社会主義路線つまり「上からの革命」から長期展望的社会主義路線つまり「上下からの革命」へのレールの敷き替えであったように思われる。

 レーニンは、「市場経済を通じて社会主義へ」に当たって、社会の経済構成が@・社会主義部門、A・国家資本主義部門、B・私的資本主義部門、C・小商品生産部門などが並立して協力しあい競争しあう関係を良しとしていた。その道が、資本主義に逆転する道となるのではなく、社会主義に到達する道として構想されていた。その為に何が必要かということについて多くの独創的な提言が為されていた。

 
レーニンは、@・社会主義部門が、市場での競争で資本主義に負けない力をもつようになること、その立場で、内外の資本主義から学べるものは学び尽くすべしとしていた。レーニンは公然と 「ヨーロッパ的に商売のできる一流の商人になろう」と呼びかけている。 「国有企業などの社会主義部門を、資本主義企業との競争で点検しよう」とも述べている。「工業と運輸の分野の生産手段の圧倒的な部分」(レーニン)を社会主義国家が握り、こうして経済全体の要をなす「瞰制高地」を確保し、舵取りをうまく為し、経済発展せしめることを良しとしていた。

 
市場経済が生み出す否定的な諸現象から社会と経済を防衛することにも留意し、社会保障制度をはじめとするいろいろな社会的な規制を必要としている。拝金主義や各種の腐敗現象に対しては、公的機関そのものの自己規律、人民的な監督と点検という活動の重要性を声を大にして繰り返し強調した。そのためにも、国民全体の文化水準を高めて、国民一人一人がそういう役目をはたす力をもつようにすること、これがレーニン主義的「市場主義的社会主義論」の要諦となっていた。

 しかし、レーニンは、この方針を確立して1年5カ月後の1923.3月に病気で倒れ、その後、政務には復帰できないまま1924.1月に亡くなった。レーニン没後、ソ連の党と政府の指導権を握ったスターリンは、1929年から30年代初頭にかけて、「上からの革命」政策を強行していった。農業面での「集団化政策」、工業面での5ヵ年計画による重化学工業重視政策が導入されていった。スターリンの諸政策は「新経済政策」の事実上の終結宣言であった。以来、「市場経済を通じて社会主義経済へ」の方針は、ソ連には復活することがなかった。

 ソ連解体後の中国、ベトナム、キューバなどは「市場経済を通じて社会主義へ」を標榜し、開放政策に転換し始めた。これが、「かってレーニンが提起し、スターリンが捨て去ったもの」の復活か、資本主義の道への雪崩れか、これが見極めのポイントとなる。

 本来であれば、レーニンの「市場主義的社会主義論」は、これによって社会主義国が、資本主義国に対してあらゆる分野で優位性を発揮する為の経済政策であった。つまり、「市場主義的社会主義論」は、資本主義体制の転覆後の新社会建設理論として有効な観点として普遍的な意味と意義があるということである。この観点から「市場主義的社会主義論」を考究していくことに「市場主義的社会主義論」の意味がある。

 というのに、不破の「レーニンと市場経済論」は、はなはだしく社会主義諸国の経済遅滞ぶりを嘲笑し過ぎていやしないか。修正資本主義あるいは混合資本主義観点そのものでしかないのではないのか。「利潤分配をもう少し労働者側に傾ける資本主義改良論」でしかないのではないのか。資本主義に学ぶという言辞の裏で実は単に資本主義への投降を呼びかけているのではないのか。れんだいこのそれとはミソとクソほどの違いがある。この識別無しに同じ土俵で「市場主義的社会主義論」を論ずれば、混乱するだけだろう。

 問題は更に続く。史上の社会主義国家がその建設革命途上で陥った共通項として経済革命の失敗がある。その教訓を引き出し今後その轍を踏まぬ為には、既成のマルクス主義的理解、あるいはマルクス主義そのものまで含めてダイナマイトで爆砕せねばならぬのかも知れない。しかして、この場合マルクス主義の単純な否定ではなかろう、むしろまさしく高次的に止揚せしめたというべきでは無かろうか。

 2004.5.13日再編集 れんだいこ拝



 


マルクス・エンゲルスの社会主義・共産主義社会スケッチ論の考察
マルクス主義における「社会主義的生産管理システム」について
日本左派運動における生産管理闘争史
今日の生産管理経営企業考
中共のケ小平路線考察
ベトナムのドイモイ政策考




(私論.私見)



中国共産党のマルクス批判紹介と意見

2000/8/18 琵琶湖 太郎、30代、労働者

 現在の中国共産党の経済理論は、どの様なものか? 「社会主義市場経済」論の代表的論客である呉敬・氏の主張を紹介する。その内容は、「中国の市場経済ー社会主義理論の再建」サイマル出版社95年3月から山口 勇氏が「20世紀社会主義の意味を問う」御茶の水書房98年4月 P175〜176にてまとめたものである。

1.「社会主義市場経済」論の理論的核心は、市場経済概念の本質を「資源配分方式」に求め、計画経済には「効率性の欠如」という根本的な欠陥があることが歴史的に実証され、現実に有効な資源配分方式は市場経済以外にはないと主張するところにある。マルクスは価値法則を「自然法則」(社会的欲求に応じた社会的総労働の比例的な配分の法則)という資源配分論との関連において解明したが、資源配分方式と経済の運行状態とを混同したために、市場経済を資源配分方式として概念的に明確にすることができなった。経済学説史上、資源配分方式としての市場経済概念をはじめて明確にしたのは新古典派である。
2.計画経済が効率的に運行するには、隠れた前提として「完全情報仮説」(中央計画当局が物的ー人的資源状況、需給システムなどを含む経済活動に関するすべてに情報を手中にすること)と「単一利益主体仮説」(全社会の利益が一体化していて、相互に分離した利益主体および異なった価値判断が存在しないこと)という二つがある。だが、生産力が高まり、経済社会が複雑さを増せば増すほど「二つの前提条件」を満たすことは困難になり、情報面での障害とインセンティブ面での困難に直面する。
3.資本主義と社会主義との違いは、所有制の違いにあり、公有性のもとでも市場経済は機能するから、公有制を土台とした市場経済が社会主義市場経済である。
 以上である。私は基本的にこの考え方に賛成である。問題は3である。公有制といっても一党制で、民主主義が十分でない社会では、共産党官僚が、新しい階級となる可能性が高い。さらに所有の問題だけでなく、実際の経営権の問題がある。ユーゴの労働者自主管理やドイツの共同決定法の様な下からの経営システムを組み込む必要がある。1、2の市場中心の経済運営には、現在の日本共産党綱領、自由と民主主義の宣言とも計画経済(計画と市場の結合)と書いてあり、かつてのユーゴ、ハンガリー、1980年前後の中国に近く、かなり読む人によって、違った解釈を可能にする書き方である。
 しかし、このような経済が、存立しえないことは、著名な経済学者であるW・ブルス、K・ラスキが「マルクスから市場へ」岩波書店95年に書いている。呉敬氏もこの主張に影響されているのかもしれない。仮定の話だが、もし日本共産党が、単独政権を握り、現綱領の計画経済を実行した場合、同党にとっていままで以上の危機が訪れ、反動として労働者の権利を求める運動が大幅に後退する危険性がある。あくまで市場を認めた上で、抜本的改革を行うべきである。
 なお市場に対してマルクス以前の社会主義者、マルクス、エンゲルス、レーニンすべてがかなり否定的な表現をしているが、生産側(供給)と消費側(供給)がともに有限量の時、価格を通じてその互いの量を一致に限りなく近づける事は、政治権力とは関係がない経済独自の法則である。

中国内陸部の経済発展戦略に関する一考察

『巨大国家 中国のゆくえ──国家・社会・経済』

第3節 市場経済体制の模索



西部 忠氏の論文
(03/1/3 22:55)

ここでは、西部忠氏の社会主義経済計算論争に対する見解を紹介します。
簡単に結論のみを書きますと、私は、西部氏の主張は妥当ではないかと考えます。

http://www.econ.hokudai.ac.jp/~nishibe/works98/stcap.html
より引用

引用開始
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資本主義経済の強さとは何か?
−所有権・技術革新・インセンティヴ

西部 忠
北海道大学経済学部
nishibe@econ.hokudai.ac.jp


[目次]

0.「資本主義経済の強さ」という問題
1.新古典派にたいする社会主義経済計算論争の意義
2.現代オーストリア学派による再解釈とその問題点
3.資本主義経済の強さの二側面
4.二つの競争概念−環境適応型と環境創出型
5.市場のメタファー
−「最適な均衡価格計算通信機」「無知の知への変換機」「新奇性・多様性の発生機」
6.所有と経営の分離傾向と予算制約のソフト化
7.おわりに
参考文献



0.「資本主義経済の強さ」という問題
 今世紀最大の社会経済的な事象としてソ連・東欧での社会主義経済圏の成立と崩壊が繰り返し指摘されている.そして,この事実認識を踏まえた上でなされる多くの議論は,おきまりの対極的な論調に分岐するようにみえる.一方では,社会主義という実験の失敗は誰の目にも明らかであり,効率的で存続可能な経済システムは資本主義のほかにはなく,しかも規制緩和,民営化,市場開放,小さな政府を伴う自由主義的なそれが望ましいという資本主義礼賛論が勢力を増している.他方で,ソ連・東欧社会主義の失敗は中央集権的計画経済の破綻を意味するだけで,真正の「社会主義」はまだ構想も実践もされておらず,今こそそれを模索すべきだとする社会主義擁護論もいまだ根強く残っている.
 だが,われわれは現実の資本主義経済が今なお示し続けている激しい経済変動やその経済制度の複雑なあり方を十分に説明できてもいなければ,はたして真正の社会主義経済とは何を意味するのか(あるいは意味しないのか)を明確に定義できるわけでもないというのが現状ではなかろうか.そうであれば,現在何よりも必要なことは,資本主義を礼賛したり社会主義を擁護したりことではなく,礼賛ないし擁護しようとする当の対象を従来よりも適切に説明できる理論枠組みを構築するための認識営為を辛抱強く継続することではないか.われわれは,理論的に明晰にできることをできるだけ明晰にする努力をつうじて現実世界を絶えず新たに解釈し意義付けることができるし,その結果として,経験から学びながら理論を進化させることができるのである.
 先の二つの見解は「市場の普遍性」にかんする次のような認識を共有している点で相互補完的な位置にたつ.すなわち,市場経済とは経済体制のいかんを問わぬ普遍的な経済調整メカニズムであり,資本主義にせよ社会主義にせよ,それらが効率的な経済システムとして存続していくためには何らかの形で市場システムを基盤としなくてはならない,と.そして多くの場合,この認識の前提として,市場とは,資源配分のための競争的メカニズムであり,一定の条件を満たせば希少資源の配分においてこの上なく効率的であるという,正統的なミクロ経済理論の考えがおかれている. 
 むろん,市場をより広い意味での「社会的制度」として理解するのであれば,市場が経済システムにとって普遍的な基礎であるという結論そのものは間違いではない.社会主義に関する昨今の議論の多くが対象としているのが,市場なき集権的計画経済ではなく市場社会主義であることからも,このような考えが思想潮流の広い範囲にわたり大きな説得力を持っていることがうかがえる.ただし市場の普遍性論(および多くの市場社会主義論)は,それが前提とする市場概念とその論拠について大きな問題を抱えているようである.この議論を根底で支える市場とは新古典派の市場理論たる一般均衡理論が提示する市場モデルにほかならない.したがって,一般均衡理論の市場像が現実的にも理論的にも妥当なものであるかどうか,また,そのようなモデルにおける資源配分や情報伝達の効率性を論拠に市場の普遍性を正当化することができるのかをまず考えてみなければならないだろう.もしこれらの問いに対する答えが否定的であるなら,市場の普遍性論はその結論がかりに概ね正しいものだとしても,その論拠に誤りがあることになり,その主張の妥当性は失われる.私の考えでは,一般均衡理論の市場モデルにより市場の普遍性を正当化することはできないし,それはかえって人に誤った市場のイメージを植え付けるのである.
 これに関連して,このところ注目されつつある複雑系の経済学研究が,やはり新古典派1) ,とりわけ一般均衡理論の市場像を批判することから出発していることを確認しておくことは無駄ではあるまい.一般均衡理論の方法論的枠組みは,1)視野,合理性,働きかけといった能力に限界のない全知・全能の経済主体が目的関数(企業にとっての利潤関数や家計にとっての効用関数)を最大化するという「最適化原理」,2)価格を変数とする供給関数や需要関数が構成可能であり,全市場における需要と供給を同時に均衡させる一般均衡価格が存在し,それが安定であるという「価格均衡原理」の二つにより特徴づけられる(塩沢 (1990) 第9章, (1997a) 第1章, (1997b) 第3章).明らかに一般均衡理論は,経済主体をあまりに合理的にとらえ市場経済をあまりに単純で操作可能なシステムと描いている.
 ところが,現実はこうした理論的描像とはまったく異なる.経済主体は限定合理的であり市場経済は不確実かつ複雑で操作困難なシステムでしかなく,さまざまな制度や慣習が市場を補完している.慣習,標準化(ノルム),定型化(ルーティーン)は単に自由市場の作動にたいする硬直性や制約を意味するのではない.それらは,各経済主体の計算の複雑さを軽減し,他の経済主体の行動を予測可能なものにするために必要不可欠である.つまり,市場は価格メカニズムとして抽象化され表現されるような自立可能なシステムではなく,法体系や慣習,標準化・定型化などの諸制度・行動様式と一体化した社会制度としてしか存続することができないのである (Hodgson (1988)chs.4, 5).
 一般均衡理論は,無時間性,せり人のいる模索過程の虚構性,方法論的個人主義と交換関係の絶対化といった問題ゆえにその非現実性・非妥当性がしばしば批判されてきたものの(宇沢(1977) 第1章, Rowthorn (1980)ch.1,塩沢(1983) 第1, 3章),冷戦構造が持続する時代においては最も抽象的かつ一般的な理論モデルを提示するものとして受容されてきた.社会主義経済圏の崩壊という現実は,資本主義や社会主義といった経済体制や価値規範にたいしてだけでなく,経済理論の中核にある単純で機械的な市場の見方にたいしても重大な反省を迫り,市場経済を複雑系として認識するための重要な契機になったことは間違いない.
 ところで,社会主義経済の勃興・衰亡という現実の重みに匹敵する今世紀の経済理論上の論争は,社会主義経済計算論争をおいてほかにはないだろう.たしかに,社会主義経済の存立可能性と実行可能性をめぐるこの論争の直接の対象は社会主義経済であるけれども,市場経済の理解が結局のところ論争における最大の争点になった事情からいえば,市場経済と資本主義経済が間接的ではあるがより一層重要な対象であった.経済計算論争は,市場論,知識論から経済政策論,経済体制論などその関連領域が広いことから,いわば経済学の全体を俯瞰しうるような特別な位置を占めている.このため,われわれが今世紀の経済学の流れを回顧し経済学が取り組むべき次世紀の課題を展望するためには避けて通れない論争だともいえる.だが,この論争の意義はそれにつきるわけではない.それは,一般に論争とは科学にとってどういう意義を持つのか,それを通じて科学はどのように進化するのかなど,科学観や科学方法論にかんする,より一般的な教訓をも与えてくれる2).かくして,経済計算論争は,市場の普遍性や複雑系としての経済という課題に取り組み,市場経済の意味と経済学の役割を再考するための最善の教練場を提供しているのである.
 90年代に入ると社会主義経済計算論争にかんする議論が盛んになり3),私もこの論争を主題とする『市場像の系譜学』(西部(1996a))を公刊した.執筆過程で常に念頭にあったのは「社会主義経済はなぜ失敗したのか?」「社会主義はなぜ脆弱だったのか?」という問いの裏側にある「資本主義経済が持つ強い生命力の秘密はどこにあるのか?」という問いであった.ポスト冷戦時代にこの論争を再検討しようとするものはだれでも社会主義経済にかんする問題の裏側に存在する資本主義市場経済にかんする双対問題を考えさせられることになるのか,日本に限っても尾近 (1991),森岡 (1994) (1995a) (1995b)など問題意識をかなりの程度共有する論考が見られる.本稿は,主として「資本主義経済の強さとは何か」という双対問題を拠り所に,新古典派のみならずオーストリア学派の市場理論が内包する問題と限界を明らかにすることを目的とする.

1.新古典派にたいする社会主義経済計算論争の意義
 経済計算論争は従来,社会主義を批判するオーストリア学派とそれを擁護する一般均衡理論派の間の論争として紹介されてきた.通説的な解釈は,ミーゼスやハイエクら批判派は「試行錯誤法」を導入したラーナー,ランゲらの市場社会主義の提案の前に敗退したとみなした.もちろん,市場社会主義に関するランゲ・モデル(Lange (1936-37))も多くの問題を抱えており,したがって社会主義計画経済の可能性が最終的に論証されたわけではないという留保を付けてはいた(鈴村(1982)).
 まず,アローやドゥブリューらを中心とする経済学者が1950-60年代,主に一般均衡の存在条件や安定条件について研究を進めた結果,ランゲ・モデルの「試行錯誤法」には,模索過程の安定性や収束の敏速性が一般には保証されていないという問題があることが明らかにされた.
 また,ランゲ・モデルの国有企業管理者や産業管理者に課せられた,価格が限界費用に等しくなるよう工場や産業の生産量を定めよという行動ルールは,あたかも価格受容者のように振る舞うことを管理者に要求している.ランゲは,収穫逓増産業において価格=限界費用の生産量では平均費用が価格を上回り損失が生じてもそのルールを守るべきだと述べているから,管理者の業績を判定する基準が「利潤」でないことは明らかである.そもそもランゲ・モデルには,彼らがそのルールを遵守するよう動機づける誘因体系は存在しないのではないだろうか.1960-70年代に,ハーヴィッチや青木は,経済システムと個別主体の私的誘因が整合的であるかどうかという「誘因両立性(インセンティヴ・コンパティビリティ)」や,計画当局が経済計画のために伝達する情報量が必要最小量であるかどうかという「情報効率性」にかんする問題を新たに取り上げて理論的に発展させた(Hurwiicz (1960) (1971) (1972) (1973),青木 (1971)).こうして,ランゲ・モデルの作動可能性には強い疑問符がつけられることとなった 4).
 以上のように,論争後にはミーゼスやハイエクが提起した知識の局限性,社会主義的生産者における誘因の欠如,中央計画局の独裁といった問題を克服するための重要な理論的貢献が生み出された.にもかかわらず,経済計算論争にかんする最も根本的な視点自体は新古典派のなかで一貫して疑われることはなかった.根本的な視点とは,新古典派のハードコアたる一般均衡理論は概ね妥当な市場理論であるとする次のような見方である.この論争以来,一般均衡理論のいくつかの問題点が指摘されたものの,そうした批判は部分的修正を迫るもののすぎず,一般均衡理論はむしろそうした理論的成果の結晶により補強され市場理論としてその正しさを増大させたのである,と5) .
 しかし,経済計算論争とは,現実の市場経済を認識し理解するための理論的枠組みとして一般均衡理論は基礎的欠陥を持っていることが明確になった論争にほかならない.この論争では,社会主義計画経済や市場社会主義のみならず,新古典派のハードコアが深刻な批判を受けたのである.もしこのことが正しければ,それは市場とは稀少な資源・情報の配分メカニズムであるという一般均衡理論の市場像が大幅に修正されるべきことを意味している6) .
 90年代にはまた,経済計算論争にかんする議論と平行して,市場社会主義の可能性にかんする議論が活発化してきている7) .それらが新たな社会主義経済モデルを提示しようとする真剣な試みであることは疑いえないにしても,既に述べた論点を認識していない議論が多いところに問題の深刻さがうかがえる.市場社会主義の最新ヴァージョンのほとんどは,ランゲらが説いた市場社会主義をプロトタイプとして利用しながら,それにさまざまな修正を施したものにすぎず,一般均衡理論の市場像のかかえる基礎的問題を依然として継承しているからである.今から見ていくように,一般均衡理論が資本主義経済の強さを説得的に説明できないという点にこそ,その市場理論としての重大な欠陥が表れるのであり,このことは一般均衡理論を暗黙的に受容しながら市場社会主義のあれこれの青写真を提示する論者が未だに資本主義の強さを正しく理解していないということを意味するのである.


2.現代オーストリア学派による再解釈とその問題点
 無論,一般均衡理論を自明視する見方に批判的な一群の人々もいた.なかでも現代オーストリア学派のカーズナー,ラヴォアたちは80年代をつうじてこの論争を再解釈し,新古典派の標準的解釈に対する批判を始めた(Kirzner(1988), Lavoie(1985)).彼らは,主体の行動や市場を分析する概念や視点を,均衡から過程へ,実質合理性から手続き合理性へ,完全競争からライバル競争へ変更する必要があると主張した.
 オーストリア学派の競争概念がマルクスのそれと近いこと,経済計算論争こそ一般均衡理論の鉱脈であることなどを提示したラヴォアの功績は非常に大きいものである.にもかかわらず,ラヴォアにも次のような問題が残されている.
 まず第一に,ラヴォアはミーゼスやハイエクが論争当初から自己の立場と見解−市場を競争的発見過程ととらえる−を明確にしていたと主張するが,これはオーストリア学派の自己正当化でしかない.ミーゼスやハイエクも社会主義批判を目的とする論争を通じて一般均衡理論にたいする批判を自覚化し明確化した面があった.論争を通じて向上したのは,既に明確に存在していたオーストリア学派の見解の「伝達」であるよりむしろ彼らの「自己理解」ないし「自己発見」であったのであり,また,論争を通じて鮮明になっていったのはオーストリア学派のみならず一般均衡理論の市場像でもあった.自己を理解することと自己を伝達することは論争というプロセスの中で同時に進行した.ラヴォアにみられるような自己弁護は,いかなる学派においても自からの権威と正統性を歴史的に根拠づけようとするとき発生するもので,真理を自学派において囲い込もうとする閉鎖的な心性に基づいている.それは,互いに自分を正しいと信じる自尊心と相手の意見を全面的に否定しようとする排他心から必然化する敵対と相克という論争のネガティヴな側面を恐れるあまり,意見や主張の差異が研究者間・学派間の開かれた批判と討議のプロセスを通じて明確にされ,そのことを通じて科学的知見が発見され進歩するという論争のもつポジティヴな意義を否定しようとする態度である.しかし,「市場」が経済上の発見的手続きであるのと同じく,「論争」が科学上の発見的手続きであると考える進化論的科学観にたつならば,ラヴォアの論争解釈にはらまれる問題をわれわれは重要な教訓として受けとめなければならない(西部 (1996a) 第1章, 第7章第2, 3節) 8).
 第二に,この論争にかんする新古典派の標準的解釈を批判し代替的で有意義な論争解釈を提示したはずの現代オーストリア学派の経済学者ですら,代替的解釈の提示が一般均衡理論や現代ミクロ経済学にどの程度大きな転換を迫るものであるかを必ずしも十分に自覚できていないという問題がある.市場を「知識の分業」から理解するハイエクの議論が情報の経済学という形で新古典派の議論の枠内に取り込まれうる危険を必ずしも鋭く自覚しておらず,したがって現代オーストリア学派の新古典派批判はしばしば不十分なものに終わっている.ラヴォアやカーズナーがハイエクの議論から結晶化した「知識の発見的手続き」という現代オーストリア学派の代替的市場像は,もしここでいう「発見」が「既に存在しているが自分に知られていない事実や情報を見つけだすこと」を単に意味するのであれば,必ずしも一般均衡理論の市場像を乗り越えるものではない.この場合,「発見」は,「未だどこにも存在しない (nonexistent) あるいは決定されていない (indeterminate) 事実や情報を創出し決定する」という意味での「創造」とは異なり,「自らの無知 (ignorance) を克服して得た知識を他者へ知らしめること」すなわち「無知の克服」に他ならない.このような意味での「知識の発見」は情報論的に拡張された一般均衡理論に容易に包摂されてしまう 9).
 現代オーストリア学派が新古典派によるハイエク理論の摂取の可能性を鋭く自覚するならば,ハイエクの議論から一般均衡理論の枠を越え出る議論を救い出し,それを批判の最先鋒に据えるべきである.私は,知識には,経済主体に分散的に所有されている局所的知識(これは「情報」ないし「データ」に分類される)のみならず,技能や熟練,勘やコツなど経済主体が自ら明示化できない暗黙知(これは通常「情報」には分類されない真の「知識」である)が含まれていること,市場の発見過程は,散財する情報やデータをある主体が発見し市場を通じて社会に伝達する過程のみならず,新技術・新製品に体化されうる真の知識を市場の中で創造し,知識の新奇さと多様性を生み出す過程をも意味していること,したがって市場は暗黙知を不断に産出する一方,それを明示知へと変換する「多様性の創発機構」であることを主張した(西部 (1996a) 第4章第6, 7節).もし情報やデータへの還元困難な暗黙的な知識を考慮に入れないなら,いくら発見や過程を強調したところで市場は一般均衡理論の「情報伝達のシステム」に基本的には等しいものになってしまうからである10) .
 第三の問題点は,現代オーストリア学派は一般均衡理論に代替する市場理論を積極的には提示していないということである.彼らの批判はいつも抽象的で,市場の運行や作動を具体的に描写するモデル(それが常に数学的に形式化される必要はないとはいえ)を構築していない.しかし,市場が実際にどのようなメカニズムで機能しているのかを具体的に説明してみせなければ,一般均衡理論の批判としてはいわば半分の説得力しか持ちえない 11).
 現代オーストリア学派の以上の問題点を自覚しながら,この論争からわれわれがさらに何をくみ取り,それをどのように経済理論研究に生かして行くべきかを次に考えたい.その際,資本主義の強さがどこにあるのかという問いが一本の導きの糸になると思われる.


3.資本主義経済の強さの二側面
 ここでは,資本主義の強さにかんする対照的な二つの説明を提示する.予め注意しておけば,以下の二つの説明はかならずしも排他的なものではなく両立可能である.現実の資本主義経済においては,これらのどちらか一方のみが存在するというわけではなく常に両方が存在している.しかも両方存在していることがまさしく資本主義経済の強さなのである.したがって,これらを二つの「説明」というのは正しくない.正確には,それらは資本主義経済の動態性を形成する二つの相反する「力」を言い表している.だが,ここでこのような表現をするのは,まず第一に,一般均衡理論はこの二側面のうち一方しか理論化していないので資本主義の強さを十分に説明できないということを示したいからであり,第二に,二側面のうちどちらがより重要であるかを知るために仮説的にそれらを分離し,各側面の特徴を「説明」として際立たせてみようと考えたからなのである.
 さて,第一の説明によれば,資本主義が強いのは,競争を通じて非効率性が淘汰される結果,高い効率性や成長性が達成されるからである.このような考え方を「ムチによる非効率性の排除」と名付けることができよう.資本主義経済は私的所有権と経済的自己責任原則を基礎としているため,財務諸表で大きな負債超過が発生し返済不能や債務不履行に陥った非効率的な企業や個人は破産して,市場ゲーム(カタラクシー)から強制的に排除される.こうした経済的決定権の経済主体間の移動をともなう競争の結果,資源配分が効率的になる.この主張の原型はミーゼスに見ることができる.ミーゼスは1920年の論文「社会主義社会における経済計算」(Mises (1920))で社会主義経済の存立不能性を主張した.生産財の市場がなければその市場価格が存在しないのだから,合理的な経済計算や効率的な資源配分が行えないというのがその論拠であった.実際には,ミーゼスの叙述は両義的であり,経済計算と競争が静態的な意味なのか動態的な意味なのか明らかではない.静態的な意味においては,一般均衡理論を援用するランゲの市場社会主義モデルの提示がミーゼスにたいする反論として有効なものであることを認めなければならない(西部(1996a)第1章) 12).
 ミーゼスの社会主義批判は,動態的側面を強調する時にこそ有効なものになる.この意味でのミーゼスの主張は,複雑で不確実な経済では予想を伴う意思決定は市場価格で行う必要があるというものである.これはまた,次のようにも表現されうる.生産手段が国有化されている社会主義計画経済では,ある企業が予期せざる変化への適応に失敗し大きな損失を抱えることになろうとも,それを強制的に排除することは困難である.なぜなら,国営企業が国家自身の所有物である限り,それを破産させてもなんら所有者間の資源再配分は起こらない.このため,不効率な経営を行い大きな債務超過に陥った国営企業は,多くの場合,国家による温情主義的な管理価格,租税免除,補助金給付,信用供与によって存続しうるからである.私的所有権により経済的意思決定の責任の主体と範囲が明確に規定されていないと,損失や債務不履行といった経済的不効率性を除去する仕組みが消滅してしまう.コルナイは社会主義経済の企業がコスト意識と競争意識に欠け効率的ではないといった以上の事情を「ソフトな予算制約」により説明した(Kornai (1980), コルナイ(1983) (1984)).コルナイは,社会主義経済に比べれば資本主義経済(特に19世紀の)の広範な領域では予算制約はかなりハードであると考える13) .いわば資本主義とは「ムチによる非効率性の排除」がいわば徹底化されている世界であり,そこでは不効率な経営を行い損失を発生させる企業は直ちに倒産してしまう.だが,それは,自然淘汰のプロセスがいわば瞬時に起こり最も効率的な技術のみが存続すると仮定する一般均衡理論が描く世界と基本的には変わらない.一般均衡理論の完全競争は「ムチによる非効率性の排除」をいわば最も純粋に抽象化したものにほかならない.
 資本主義経済の強さにかんする「ムチによる非効率性の排除」という以上の説明にたいして,第二の見解を「アメによる多様性の創出」と呼ぼう.それによれば,資本主義経済が強さを発揮するのは,ルール(私的所有権や契約の規定,禁止行為の指定による自由な経済行為の消極的規定)により規定される市場ゲーム(カタラクシー)をつうじて,経済主体が新たな知識を発見したり,新しい技術や製品・サービスを開発し,それらを普及・伝播させることができるからである.この見解は,資本主義経済が技術,商品,知識における変異や新奇性を常に生み出し,それらの多種多様性を再生産していることに資本主義経済の強靭な生命力の源泉をみる.
 ハイエクは「類似的代替品」間の競争を市場経済の重要な特質としてあげていた(Hayek(1946)).いわゆる製品差別化にみられる非価格競争である.ハイエクの考えを,シュンペーターの技術革新の理論(Schumpeter (1912))やボードリヤールの消費社会の理論(Baudrillard, J. (1970))を踏まえてもう一歩進めるならば,次のようになるだろう.資本主義経済において技術,商品,知識が多種多様であり「類似的代替品」が存在するのは,技術革新により不断に新たな製品や技術が開発され,日々の漸次的改良により品質が向上しているからである.一方,消費者の欲望は必ずしも初めから固定的に与えられたものではなく流動的かつ無定形なものであり,マスメディアによる広告・宣伝が消費者の潜在的欲望を汲み上げ整流化することで日々新たな欲望を作り上げたり,また差異のみを求める欲望を積極に創り出している.
 集権的計画経済は,鉄道,ダム,軍事兵器,宇宙ロケットなど重厚長大型の産業が中核となる経済構造については,高い生産性と経済成長率を達成できる見込みがある.またこうした生産財ないし軍事・宇宙など特殊用途のための財の場合には同一製品の種類が少ないことはそれほど問題にはなるまい.だが,消費財やサービスについては,生活水準が向上するにつれて消費者は消費財の多種多様性と選択可能性そのものを価値と認めるようになるので,製品が少品種で画一的であることは深刻な問題となる.旧ソ連・東欧において自動車,電化製品,情報機器などの消費財の種類が少なく,その品質も低いものであったことは周知の事実である.その原因は,ソ連型計画経済には市場経済が持っているような多様性や新奇性の創出のためのインセンティヴがまったく備わっておらず,それゆえ「アメによる多様性の創出」の仕組みが存在しなかったことにあると考えられる.
 ソ連型経済の崩壊の原因について,ローマーや富森がこれとほぼ同様の見解を提示している.
 ローマーは,ソ連型集権的計画経済の崩壊の原因としてソフトな予算制約をもたらす依頼人ー代理人問題(principal-agent problem) 14)を以前の著作で過度に強調したことを反省し,技術革新の不在こそソ連崩壊の最大の原因であるとみなすようになった.ローマーが自説を転換したのは,1)ソ連型経済が1950年から1970年の20年間に西側諸国とほぼ同程度の経済成長率を達成していたこと(むろん,経済成長は軍事目的の投資に大きく依存し,しかも高い投資率により達成されたものではあるが),2)したがって1980年代のソ連型経済の崩壊の原因を依頼人ー代理人問題のみに求めることはできないこと,3)1980年代に経済的厚生の成長は国民経済の技術革新能力に大きく依存するようになったことを認識したためである(Roemer (1994) ch.5).
 旧ソ連で公表されてきた政府統計はインフレーションによる名目的影響をも含んだ相当水増しされたものであるという報告もあるため15) ,1)の実質経済成長率にかんする事実認識は是認しがたいが,2)と3)の認識は妥当なものであろう.ローマーは「国内的および国際的な市場のもたらす競争なしには,いかなる企業も技術革新をせまられることにはならないし,競争という動機なしには,すくなくとも市場経済が生み出すほどの速度では技術革新は起こらない」(ibid.: 61)と,技術革新にとっての「競争」の重要性を強調する.だが,ここでの「競争」の意味が問題である.
 富森も,「経済関係における『創造の自由』−新しい商品を新しい方法で作りだし,それを創意をもって売り出す自由−」がなかったことこそ「『社会主義』が『現代資本主義』に敗北することとなった決定的契機」であり,「市場経済のもつこの側面は戦略的には先に見た第一のポイント(市場がコミュニケーション・ネットワークであること)よりあるいは一層重要である」(富森(1993: 30))と述べている.
 ローマーが述べた「競争」が「環境創出型」のものであり,また,イノヴェーションのためには富森の指摘する「創造の自由」のみならず「創造のためのインセンティヴ」も必要であると補足する必要があるにせよ,ソ連型集権経済の崩壊の原因は技術革新の不在にあるとする彼らの事実認識は正鵠を射るものだ.
 資本主義経済には,企業や経営者がイノヴェーション(製品や技術における)を行うことを促すために超過利潤という経済的インセンティヴが組み込まれているし,また発見や発明にともなう経済的利益を一定期間保護する特許制度のような法的制度も整備しているので,財・サービスや生産技術の種類は社会主義経済に比べて圧倒的に膨大なものになる.ところが,瞬間的に最も合理的な選択を行う企業や消費者から構成される一般均衡理論の枠組みには,超過利潤のような「不均衡」はどこにも存在していない.このため,一般均衡理論の枠組みでは「アメによる多様性の創出」という市場の機能を説明することはできないのである(西部(1996) 第4章第7節).
 さて次に,これら資本主義経済の強さの二側面が市場における二種類の異なる競争概念に対応していることを見ておこう 16).


4.二つの競争概念−環境適応型と環境創出型
 資本主義の強さを「ムチによる非効率性の排除」から説明する第一の見解は,所与の嗜好や技術のもとでの資源配分・情報伝達の効率性をめぐる「環境適応型」の競争を強調する.それは,個々の経済主体の外生的な環境変化にたいする適応を焦点とする競争である.一般均衡理論の予備的模索では,各主体が「公共的情報」たる価格の変化に直ちに適応して自己の目的関数を最大にするように財・サービスの需要と供給を変化させる.企業が生産可能集合から利潤を最大にする技術と産出量を決定する結果,非効率的な技術は排除される.このように,一般均衡理論は,環境適応型の競争によって非効率性が排除され,自然淘汰が完了した状態を静的に描写する.
 これにたいし,資本主義の強さを「アメによる多様性の創出」に見いだす第二の見解は,イノヴェーションにより技術や嗜好にかんする情報の集合を拡張することで経済環境自体を新たに創造する「環境創出型」の競争に着目する.一般均衡理論は,環境創出型競争が生み出す動態過程を対象化することができない.
 昨今の自由市場礼賛論が,規制緩和により環境適応型の競争が激化し,淘汰の圧力により経済が効率的になるといった根拠に基づいて唱えられているので,環境創出型の競争の存在こそ資本主義経済の社会主義経済に対する相対的強靭さの源泉であることを特に強調しておく価値がある.
 私の考えでは,経済計算論争における社会主義批判の根拠として,ミーゼスやブルツクスは環境適応型の競争の不在に,ハイエクは環境創出型の競争の不在に重点をおいていた.ミーゼスやブルツクスは,市場における競争の自然淘汰機能を主要な根拠に市場経済の有効性と社会主義経済の存立不可能性ないし非効率性を主張したと考えられるからである 17).
 ミーゼスも1949年の『ヒューマン・アクション』(Mises (1949))では,カタラクシーにおける企業家が単なる機能的分配者ではなくプロモーターであることを指摘している.プロモーターとは「予想された状況変化に生産を調整することによって利潤を得ようと特に熱心である人々,群衆よりももっと主導性や大胆さや鋭い目を持つ人々,経済的向上を推進しプロモートする先駆者」であり,「市場の駆動力,不断の革新と改善へ向かって進む要素は,プロモーターの不断の活動と,利潤をできる限り多く獲得したいという彼の情熱によって与えられる」(ibid. 281).しかし,プロモーターは人間行為学的には定義できないし,先物市場がプロモーターの企業家的機能を一部代替できるとされていること(ibid. 282)からみて,ミーゼスのいうプロモーターは,シュンペーターの企業家のようなイノヴェーションの担い手ではなく,むしろナイト(Knight (1933))のいう不確実性(リスクではない)を積極的に求めていく投機家,あるいは一般に知られていない未利用の機会を発見することに努める商人を意味している.結局,ミーゼスはーまた同様にブルツクスもー,マルクス,シュンペーター,ハイエクが認識していた環境創出型の競争を理解しなかったのではないか.
 無論,ハイエクもこれらの競争概念を必ずしも明確に区別していたとはいえない.だが,ハイエクは,社会主義経済批判から一般均衡論批判へ転換する過程でこの区別を意識するようになった 18).1946年の「競争の意味」(Hayek (1946); (1948))が一つの転換点になり,ハイエクは「発見的手続き」としての競争の側面を重視するようになる.「競争はその性質からして,動態的な過程なのであり,その本質的な特質は静学的な分析の基礎をなしている諸仮定をを持ち込むことによって失われてしまう」(ibid.130)「社会の経済問題の解決はこの点において常に未知なるものの探索の旅であり,物事をこれまでの仕方よりもよりよくおこなう新しい仕方を発見する試みなのである」(ibid.138)
 ハイエクにとっての発見が「常に未知なるものの探索の旅であり,物事をこれまでの仕方よりもよりよくおこなう新しい仕方を発見する試み」であるならば,発見的手続きとしての競争は未知と新奇さを求める環境創出型のものをも意味するはずである.しかしながら,ハイエクは一般均衡理論に対して両義的であったため,その市場理解の曖昧さを取り除き,問題点を修正する必要がある.ハイエクの「情報伝達機構」や「発見的手続きとしての競争」という市場のメタファーは依然として問題含みであるからだ.
 ハイエクは有名な「経済学と知識」(Hayek(1937); (1948))「社会における知識の利用」(Hayek(1945); (1948))といった論文では知識の局限性,理性と計算の限界を指摘しながらも,市場を「情報伝達機構」ないし「テレコム・システム」(the system of telecommunication)ととらえている.しかし,この考え方は新古典派均衡理論と両立可能である.一般均衡価格こそ消費者の嗜好条件や生産者の技術条件などの客観的データを正しく反映する最も効率的な「情報」であるので,市場とはこの一般均衡価格を決定し各経済主体へ伝達する機構であると理解すればよい.一般均衡へいたる試行錯誤は,不均衡価格を訂正しながら,各経済主体の間に分散する知識・情報を集約する「最小限の」情報としての均衡価格ベクトルを探しだし,それを各経済主体へ伝達する営みとみなされる.また,ハイエクが提唱した「発見的手続きとしての競争」という見方も新古典派的に解釈されうる危険を残している.次に見るカーズナーは事実,「競争」とは均衡化過程に発生する経過的な不均衡現象であると理解している.1960年以降も,ハイエクは市場経済を「自生的秩序」(spontaneous order)というメタファーで表現しながら,新古典派市場理論とは異なる市場理論を明確に提示しなかったため,二つの競争は区別されず,知識の「伝達・発見」に関する混乱は助長されることとなった.


5.市場のメタファー
  −「最適な均衡価格計算通信機」「無知の知への変換機」「新奇性・多様性の発生機」
 カーズナーは,「市場過程とは以前の無知を訂正する一連のステップである」という.ここでいう「無知」とは「自分が無知であることを知らないということ」で,ある時予期せずに知ることで驚きを伴うものである(無知の無知から無知の知へ).見慣れない単語に出会い辞書で引いて知識を得るという学習のケースでは自分が無知であることを最初に知っているため驚きがなく,これとはちがう.ある人が果物1個を2ドルで買ったところ,近くの店では1ドルで売っていることに気づく場合,この一物二価は品質の違いや異なる市場といった仮定からではなく,その人が費用ゼロで除去しうる無知(1ドルの果物を知らないこと)から説明される.そしてこの価格差(不均衡価格)は一連のこうした自発的発見の継続により消滅するという(Kizner(1992:46-7)).
 この例のように,発見が企業家的な「機敏性」(alertness)にもとづくコストをかけない「無知」(この例では,価格差)の除去にすぎないのなら,不均衡価格は遅かれ早かれ均衡価格へ収束する.一般均衡が到達点であると考えられているならば,競争均衡の資源配分・情報伝達上の望ましい性質に着目する新古典派と,市場過程における不均衡価格が無知の除去を促進する純粋利潤を提供することを重視する現代オーストリア学派の違いは,「結果」を分析するか,そこへ到る「過程」に注目するかといった強調点にしかない.現代オーストリア学派のいう「無知」は一時的・経過的な不均衡として存在するだけであり,無知が除去されるにつれ経済はしだいに均衡に接近し,最終的には新古典派的な合理性と効率性が達成される一般均衡の世界へ到達する.それゆえ,カーズナーの企業家は,意図せざる結果として,各経済主体により分散所有された知識が均衡価格に効率的に集約・反映され,各経済主体へ伝達されることを促進する役割を果たすわけである.
 カーズナーは,基底変数(underlying variables),すなわち与件(嗜好・技術集合・資源利用可能性)が絶えず外生的に変化するから,実際には均衡へ到達することはないと述べ,市場過程の理論が目的論的になることを回避しようとしている.しかし,外的撹乱さえなければ究極的に均衡へ収束すると想定している点で,カーズナーの議論は既に目的論的である.カーズナーは「発見」という行為は「生産」でも「幸運」でもなく「創造」であると主張する(ibid. 218-22).しかし,既に存在してはいるがまだ見過ごされている価格差,資源,島など未利用の利潤機会を企業家的な機敏性により見つけ出すことをかりに「発見」と呼ぶことができるにしても,それを「創造」とみなすのは困難である19) .結局,カーズナーの市場過程論は一般均衡理論の前提である「完全競争」がいかにして成立するかをせり人による模索によってではなく,企業家の無知の発見による「均衡化過程」として説明するものであり,その意味で一般均衡理論を補完する役割を果たす.こうなるのは,カーズナーが「発見」を環境適応型の競争から理解するからである20) .
 私は,ハイエクのいう「発見」を真の意味での「創造」として理解したうえで,市場理論を展開しなければならないと考える.真の意味での知識の「発見」とは,カーズナーのいう「無知」の知への変換ではなく,次の二つの「未知」の知への変換を意味する.すなわち,1)ポランニー(M. Polanyi (1966))の「暗黙知」(tacit knowledge)やライル(Ryle [1945])の「実用知」(knowing how)など,技能や実践に体化されているため言語化して伝達することが困難な知識を詳記し伝達することができる明示知へと変換すること,2)シュンペーター(Schumpeter (1912)) の「イノヴェーション」ないし「新結合」のように,既存の素材・方法の新たな組み合わせ,ないし,新たな素材・方法の発見により,未だかつてこの世に存在しなかった新知識・新商品・新市場を革新・創造すること,である.
 このように知識の「発見」が暗黙知の明示知への変換や未知の発見といった知識の「創造」をも含むより広い意味を持つことを理解するならば,市場における発見過程とは,技術や嗜好にかんする明示的情報の集合を経済主体が拡大しながら新奇性・多様性を創出することと解釈できる.われわれは,ハイエクの議論をこのように拡張することで初めて資本主義の強さを理解することができるし,また,このような地点に立ってはじめて新古典派的な市場や競争の見方を乗り越えることができるのである.知識の創造といった観点に立つ以上の議論が,新古典派や現代オーストリア学派とは異なる市場の意味を与えることを,市場のメタファーを使いながら説明してみよう.
 既に見たように,新古典派は70年代に市場を情報伝達機構として拡大解釈し,完全競争市場を情報効率的メカニズムと考えるに到った21).この見方によれば,完全競争市場は社会に分散する知識・情報を最も効率的に縮約し,パレート効率的な資源配分を達成する均衡価格を計算して経済主体に伝達する「最適な均衡価格の計算通信機(コンピューター・トランスミッター)」であり,資源・情報の効率的配分・利用をその目的としている.そして,このメタファーは「ムチによる非効率性の排除」と「環境適応型」の競争を背後にもつ.
 これに対し,カーズナーの市場過程は知られざる無知の自発的発見の過程を意味するから,市場は「無知の知への変換機(コンバーター)」ともいうべきものになる.これは,合理性の限界,不均衡における人間の無知,純粋利潤を求める企業家の機敏さを媒介とする均衡化過程といった考え方を組み込んでおり,「アメによる非効率性の排除」と「環境適応型」の競争を表現している.カーズナーの功績は,無知や錯誤は,損失や倒産という「ムチ」ばかりではなく,自発的発見を促進するための「純粋利潤」という「アメ」によっても取り除かれることを示したことである.
 私が提示した知識の創造過程論は,市場を暗黙的で未知な知識を認識・伝達可能な明示知として多種多様に創出する「未知の知への変換機(コンバーター)」あるいは「新奇性・多様性の発生機(ジェネレーター)」と把握している.このメタファーは,市場システムを媒介とする新奇性・多様性の創発と,それに基づく知識の進化過程を主題化し,「アメによる多様性の創出」と「環境創出型」の競争を表現する.
 これら三つの市場のメタファーは現実の市場の各側面を特定の機能として抽象化したものであり,必ずしも相互に排除しあうわけではない.現実の市場経済は,資源の効率的配分のような単一原理から純粋に構成されてはいないというにすぎない22) .「最適な均衡価格計算・通信機」が均衡状態を,「無知の知への変換機」はそこへの均衡化過程を,「新奇性・多様性の発生機」は不均衡化過程ないし均衡の破壊をメタフォリカルに表現しているとみるならば,現実の市場経済はこれらのいずれをも部分的に含んだ「自生的秩序」=複雑系として実在している.
 ただし,ここで重要なことは,「新奇性・多様性の発生機」という市場のメタファーから「最適な均衡価格計算・通信機」や「無知の知への変換機」というメタファーを理解することはできるが,逆に「最適な均衡価格計算通信機」や「無知の知への変換機」から「新奇性・多様性の発生機」を認識することはできないということである.したがって,われわれはこれら三つのメタファーを次のような関連・順序において理解する以外にない.すなわち,「新奇性・多様性の発生機」により生み出された多様な知識のすべてが人々にとって有用で役に立つ知識であるかどうかはわからない以上,それらは「無知の知への変換機」にかけられ,経済主体に受容される可能性のあるものは発見され市場を通じて伝達されなければならず,その結果として「最適な均衡価格計算通信機」に必要なデータ(技術や嗜好にかんする知識)が与えられる,というように.ハイエクの「発見」を「創造」にまで拡張しなければならないのは,市場理解にこのような認識順序上の不可逆性が存在するからである.われわれは「発生機」というメタファーからのみ「通信機」や「計算通信機」というメタファーをも統合する市場像を構築することができるのである.


6.所有と経営の分離傾向と予算制約のソフト化
 資本主義の強さに関する「ムチによる非効率性の排除」の議論は,債務不履行になった会社に自己責任を負わせ倒産により市場ゲームから排除することで資源配分を効率的にすると主張していた.自己責任原理の源である私的所有制がこのメカニズムには不可欠である.そして,私的所有制こそ予算制約をハードなものにする岩盤であるといってよい.
 しかし,私的所有制に基づく資本主義といえども常にハードな予算制約になっているわけではない.資本主義では企業がどのような条件のもと倒産として社会的に認知され市場ゲームから退場しなければならないかは,法や慣習などの明示的ないし暗黙的なルールによって定められているとはいえ,予算制約のハードさは時代,国,産業ごとに異なっている.
 例えば,商慣習上は,不渡手形を二回振出せば銀行と取引停止になり事実上の倒産にいたるといわれている.しかし,倒産の危機は,企業の場合,メインバンクの緊急融資により回避されることも多い.また,金融機関の危機の場合には,日本銀行による特別融資や大蔵省による合併斡旋などの救済策により破綻が回避されることもまれに発生する.救済の是非は金融機関や政府や中央銀行の独自な判断に委ねられるので,それらの裁量の余地が大きい.そうした金融機関の判断は,その企業と銀行が個別に行ってきた商取引にもとづくその企業にたいする信用や再建可能性にかんする期待などのさまざまな主観的要因に依存する.
 日本の大企業の場合,メインバンクとメンバー企業が企業グループを形成し,株式の相互持ち合いにより強い協力関係を築き外部支配を排除することをつうじてリスクシェアを行っている.メインバンクはメンバー企業と人的交流を持ちながら企業経営を監視しており,企業経営の結果にも協同的責任を持っている以上,メンバー企業が倒産の危機に陥ったときにはメインバンクはその救済に全力を挙げるであろう.銀行などの金融機関自身の破綻の危機の場合には,大蔵省や日本銀行は一国の金融システムと信用秩序の維持といった大局的な観点を優先させて救済策の発動を決断することになる.このように,破産ルールは必ずしも厳密に適用されるというわけではなく,弾力的に運用される性質のものである.資本主義の下でもソフトな予算制約が広範に存在するわけである.
 また,前世紀に比べて今世紀(少なくとも80年代まで)は,1)企業の大規模化と産業の寡占・独占化,2)株式会社における「所有と経営の分離」と「経営者支配」(Berle=Means(1933))の進行,3)財政政策と社会保障費の増大を原因とする国家財政赤字傾向といった現象を背景に,企業の予算制約が全般的にソフト化する傾向にあった23) .
 戦後から80年代まで,日本の大企業は,終身雇用制,年功序列型賃金,企業別組合を三本柱とする日本的経営を特徴としてきた.会社は時に従業員の雇用を確保し生活を保障する「企業共同体」ともみなされ,経営者が企業を統治する主体になった.他方,会社の所有者たる株主はほとんどすべての会社に対する支配権(経営陣の解任権まで)を放棄し,値上がり益を狙う投機家となった.既に述べた企業グループの形成は,企業グループ内での株式相互持ち合いによる外部株主の排除,メインバンクによる信用供与,低い配当性向と高い利益内部留保,株や土地の含み益の増大といった事態を背景にして所有と経営の分離傾向をさらに押し進め,法人自らが法人を所有(支配)する「法人資本主義」を成立させた(奥村(1991),岩井(1994)第3章).この結果,日本の大企業の予算制約は著しくソフト化したのである.
 だが,90年代に日本で発生したさまざまな事態−バブルの崩壊による株式・不動産価格の低迷,金融機関の抱える大量の不良債権の存在とそれに起因する金融機関の破綻,銀行の貸し渋り,金融システムへの信頼の低下,株式の相互持ち合いの解消,国家予算の緊縮化と行財政改革−は予算制約が再びハード化していることを示しているようである.このように,資本主義における予算制約もハードとソフトの間をかなり大きく変動する.
 いずれにせよここで確認しておきたいのは,ソフトな予算制約は必ずしも社会主義経済に特有のものではなく,程度の差こそあれ資本主義にも存在していることであり,また,日本の場合,ソフトな予算制約の下でも,73年のオイル・ショックまでは高成長,その後も80年代までは安定成長を,技術革新とともに達成してきたという事実である.この点を考慮するとき,私的所有権が資源配分の効率性や経済の成長のための不可欠な条件であるとは考えにくい.そもそも所有権は,その財産の処分権,利用権,収益獲得権など様々に分割可能であり,現実にも,この分割された権利が社会的に分散所有される傾向にある24) .この点でも,私的所有権を企業の支配ないし意思決定の究極的で唯一の規定要因と見ることはできなくなりつつある.
 他方で,資本主義経済の強さに関する「アメによる多様性の創出」による説明では,私的所有権の重要性は「ムチによる非効率性の排除」に比べて相対的に小さい.なぜなら,当該の所有権が永久のものではないからである.創業者利潤や超過利潤は新たな技術や製品を発明・開発した経済主体が,他の経済主体の模倣を排除し独占的な地位を確保する結果としてある一定期間生じるものであり,いわば新製品・新技術にかんする「情報」に一時的な所有権を設定するということにほかならない.新製品・新技術に体化される知識は多くの場合秘匿され(ネットワーク外部性が存在する場合には,逆に積極的に公開することで市場を早期に独占しようということもありうるとはいえ),他の競争者が模倣することは困難か,可能であるにしても相当の時間が必要である.しかし,それらは遅かれ早かれ,消費者や競合する生産者に伝播することになるだろう.
 現実には,新製品・新技術にかんする情報の所有権は特許制度やライセンス制度により規定された期間に限って法的に保護されている.所有者は排他的に独占利用する権利があり,使用者は所有者に無断で特許対象物を使用・転用することはできず,特許料を支払うことによりその使用許可をえなければならない.つまり,経済主体は新製品・新技術にかんする「情報」を排他的・独占的に「暫定所有する」ことから利益をえる.しかし,一定期間が過ぎれば特許権は消滅し,すべての経済主体により新製品・新技術は模倣されることになり,最終的には新製品・新技術にかんする情報は社会の共有財産となるのである.つまり,経済全体の利益を向上させるためには,新製品・新技術などの「情報」にかんする特許権やライセンスなどの「知的所有権」は,物的対象物にたいする所有権のような絶対的なものではなく,一時的・経過的なものでなければならないことになろう 25).
 こうした「情報」にたいする所有権は「アメ」として働き多様性や新奇性を創出するためのインセンティヴを生み出すけれども,それが一時的なものに制限されているがゆえに,特定期間後は「ムチによる非効率性の排除」が作動して,旧来の製品・技術を採用していた他の多くの経済主体も生き残りのためにそれらを捨て新製品・新技術を模倣することを強制される.結果として,新製品・新技術の情報は急速に経済全体へと伝達されていく.このように,資本主義経済におけるアメとムチの二側面の共存こそ革新と模倣を伴う動態的な進化過程を生み出す.資本主義の強さはこの進化過程の中にこそある 26).


7.おわりに
 社会主義経済はソフトな予算制約を原因とする資源配分上の非効率性のために崩壊したわけではないし,逆に,資本主義経済の強さは必ずしもハードな予算制約によるのでもない.社会主義経済の崩壊の根因は家電製品・自動車など消費財における多様化や情報技術分野における技術革新が進展しなかったことにあった.
 それゆえ,資本主義経済は私的所有権と倒産ルールによる自然淘汰を制度的基礎としているものの,ソ連型社会主義経済との比較におけるその相対的強さは,超過利潤というインセンティヴを媒介とする暗黙知の明示化,イノヴェーションをつうじた財と知識の多様化にこそあると見るべきある.資本主義経済の進化・発展にたいして現在も重要な役割を果たしているのは,市場の「最適な均衡価格計算伝達機」や「無知の知への変換機」ではなく「新奇性・多様性の発生機」としての性質の方である.
 今世紀の歴史的事実がわれわれに示した歴史的教訓から学び,現実を認識する「眼鏡」である市場理論を刷新するためには,あるいは,そこからさらに市場社会主義の可能性を展望するためには,「資本主義経済の強さ」を理解する上での従来の市場理論の限界を踏まえ,それにより形成されている歪んだ市場のイメージを矯正することがまず必要とされる.


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[注]
1) 学説史的にいえば,メンガーに始まるオーストリア学派もワルラスに始まるローザンヌ学派(一般均衡理論派)もともに,イギリスのケンブリッジ学派(狭義の新古典派)と並び,新古典派(広義の新古典派)に属する.しかし,アメリカ・ケインズ学派の形成以降,特にサミュエルソンなどのアメリカの経済学者がミクロ理論とマクロ理論の統一という異なる意味で新古典派総合という言い方を始めた.それ以後,新古典派とは一般均衡理論を中心とするミクロ理論およびそれを基盤とするマクロ理論(ヒックスのIS-LM分析)を指すようになり,ケンブリッジ学派やオーストリア学派はそれとは区別して使われることが多くなった.同様に,この論文における「新古典派」とは一般均衡理論を基礎におく立場を指している(西部(1996d)).

2) 経済計算論争の科学論や科学方法論へのインプリケーションは西部(1996a) 序,第7章,西部(1996c)を参照のこと.

3) 経済計算論争を主題的に取り扱ったものは,山本(1939),Lovoie(1985), Brus and Laski(1989), Kirzner(1992), Steele(1992), 尾近(1991), 伊藤(1992), 塩沢(1993), 橋本(1994), 森岡(1994) (1995a) (1995b), 西部(1996a), 渡辺(1996)などがある.

4)70年代以降スティグリッツやアカロフは,不完全情報や情報の非対称性に関わるモラルハザード,逆選別といったという視点を導入し,一般均衡理論に対抗的な情報パラダイムを発展させた.それは「市場と計画」よりはむしろ「市場と組織」の問題に光を当てることになった.このパラダイムは,確かに従来の一般均衡理論にたいして新たな視点をもたらしているものの,一般均衡理論の情報論的拡張というべきである.

5)このことを確認するため,経済計算論争を強く意識しながら書かれたと思われるミクロ経済学の標準的教科書をみてみよう.それによれば,資源配分メカニズムを分析するための4つの視角−配分の効率性,分配の公正性,情報伝達の機能,誘因体系の整合性−は,「主として1920-40年代に華々しくたたかわれた「計画経済論争」の成果が次第に結晶化して,経済システムを評価する標準的視角として一般の認識を得るに至ったものである」(奥野・鈴村(1985:17))という.両著者は,この論争の成果が「経済システムを評価する標準的視角」を与えたとして,ミクロ経済学にたいする貢献を評価するだけで,一般均衡理論の枠組みがこの論争を通じて深刻な批判にさらされたとは認識していない.

6)一般均衡理論を批判する根拠は異なるものの,スティグリッツはここで述べたのとほぼ同じ結論に達している.スティグリッツは,一般均衡理論が,情報の不完全性,先物市場の不完備性といった市場の情報論上の失敗を認識できないことに,その理論としての欠陥を見ている(Stiglitz(1994)ch.2).

7)例えば,Yunker(1993), Bahdhan=Roemer(1993), Roemer(1994), Stigliitz(1994), Pierson(1995)など.

8)ミーゼスやハイエクはこの論争を通じて当初の立場を変更もしなければ,「撤退」もしていないというラヴォアに対してカーズナーは批判的である.カーズナーは「オーストリア学派が自分らの立場にたいする理解を徐々に洗練してきたのはまさにこの論争におけるやりとりをつうじてであった.つまり,1940年代末のミーゼスとハイエクの立場は1920年代初頭のミーゼスの言明で提示された立場とは全く異なる用語により明瞭に表現されたのである」(Kirzner (1992:100))と述べ,経済計算論争がオーストリア学派の市場像−競争的・企業家的な発見過程としての−を発展させ明確するための触媒の役割を果たしたと指摘している.私の考えもこれにほぼ一致するものである.

9)事実,ミクロ経済学の教科書は,次のようにハイエクの知識の分業論を「市場=資源配分のメカニズム=情報伝達機構」という構図によって見事に取り込んでいる.「これらの基礎的与件(「技術」,「生産資源」,「嗜好」など)に関する情報は,社会のどの主体の手にも整理・集中されていない(...)これらの基礎的情報は,社会のさまざまな主体によって分散・所有されているのである.従って,資源配分メカニズムは,情報を持つ主体からそれを必要とする主体へと,迅速・正確かつ効率的に,必要な限りでの情報を伝達する能力を備えていなくてはならない.また,情報を伝達する仕組としては,それ自体のために無駄な資源を使わずしかも強制的にではなく,情報の所有者に自発的に情報を通信させる仕組が望まれよう」(ibid. 13)ここでは,情報が一般資源と同様にさまざまな経済主体に分散・所有されていることを前提として資源配分と情報配分がアナロジカルに処理されている.

10)実際,ラヴォア自身も1985年の今や有名になった著作Livalry and Central Planning(Lavoie (1985a))の出版後,知識問題についてかなりの理論的前進を果たしている.同年のNatinal Planning: What is Left?(Lavoie (1985b))では,経済的知識を発見するための「市場」と科学的知識を発見するための「科学共同体」の役割をパラレルに論じ,知識と情報(データ)の区別の必要性を指摘するようになる.さらに翌年の論文"The Market as a Procedure of Discovery and Conveyance of Inarticulate Knowledge"では,初めて明示化されない,暗黙的な知識を最重要視し,市場をそのような知識を発見・伝達する手続きとして把握することによって新古典派を越える視点を提示している(Lavoie (1986)).

11)スティグリッツの評価もこのような私の判断と概ね一致している「私は市場社会主義の望ましさに関する以前の論争のほとんどは見当違いのものであったということを論じたい.すなわち,それは競争的市場がどのように働くかについての間違った理解,すなわちワルラス・モデルが少しも貢献しなかったような誤解にもとづいていた.(私の見るところ,オーストリア学派はこのことに気づいており,市場経済の代替的ヴィジョンを創造しようと努力した.しかし,ワルラス的パラダイムにたいする首尾一貫した代替案として満足できるような方法で彼らの見方を明瞭に表現し,形式化することに決して成功しなかった.それゆえ,時々の脚注的な参照を別にすれば,彼らは主流派の,少なくともアメリカ西ヨーロッパの主流派の外に取り残されてしまった.)」(Stiglitz(1994: 6))

12)森岡(1995a)(1995b)はこれと同様の考えを提示している.

13)コルナイも今世紀の資本主義では予算制約がソフト化しているとみているため,資本主義の予算制約が一般的にハードであると断言することを注意深く避けているが,19世紀の資本主義は予算制約がハードであったと考えている.「絶対的に純粋な完全ハードは,19世紀においても,おそらく決して貫徹されることはなかったが,資本主義システムの当時の指導的な国々では抽象的な極点にまで近づいた.破産は正真正銘の破産であった」(コルナイ(1983: 139)「資本主義経済の広範な領域(多数の国で経済の圧倒的部分)では,企業セクターの予算制約も非営利団体のそれも,未だかなりハードであるのにたいし,社会主義経済では−例外はあるものの−かなりソフトな予算制約が一般的である」(コルナイ(1984: 48)).

14)依頼人−代理人問題とは,監視費用が高い場合には,依頼人(例えば,株主,中央計画局)は代理人(例えば,経営者,生産管理人)を完全には管理できないため,代理人が一定の自立性をもってしまいモラル・ハザードが発生することである.これを防ぐには,代理人の目的を依頼人の目的に一致させるようなインセンティヴ・システムが必要とされる.

15)この点は谷江(1997: 48-53)を見よ.1928年から87年までの約60年間にソ連の年平均実質成長率は,ソ連政府統計によれば7.9%であるのに対し,モスクワの統計学者ハーニンのインフレーションの実態を加味した計算によれば1.8%にすぎない.谷江の議論は,ソ連経済崩壊の原因を情報・通信分野での技術革新の欠如に求める点で本稿に近いが,さらにその根因は一党独裁型の政治システムにあるとみている.

16)二つの競争については,西部(1995),(1996a) 第4章,(1996b)を見よ.

17)森岡が社会主義経済計算論争においてミーゼスやブルツクスを高く評価するのは,「環境適応型」の競争を「環境創出型」の競争よりも重要視しているからではなかろうか.森岡はミーゼスとブルツクスについて次のように述べる.「ミーゼスは,事業の拙劣な遂行や誤った信用の配分による損失にたいして財産所有者が倫理的にではなく,自らの財産で責任をとることを重視する」(森岡(1995a:48))「経済的自己責任の原則は,ある一時点での生産に関する意思決定の正否ではなく,(...)決定の繰り返しの過程における決定権の配分のルールに関わる」(ibid.49)「ブルツクスは『メンガー,ジェボンズ,ワルラスの偉大な達成』,すなわち限界革命以後の主観的価値論および均衡価格論を経済学の理論的な基礎として採用し,資本主義経済を『市場価格によって調整される』システムとしてとらえている」(森岡 (1995b:47)「資本主義システムにおいて決定的に重要なのは,個々の事業が価格から計算される収益性によって評価されるだけでなく,この評価が諸主体間の債務履行の強制を通じて長期的な淘汰過程の有効な規準として機能し得ているということである.この淘汰の結果,収益性と企業の存続・成長との間に密接な関連が生じる」「収益性と成長との結びつきは,価格それ自体の機能というよりはむしろ,価格による評価を債務履行の強制を介して市場からの淘汰と結びつける社会関係の機能と言うべきであろう」(ibid. 48)
以上の引用から,森岡は資本主義経済の強さを次の2点から捉えていることがわかる.すなわち,1)価格機構は企業に最適な技術を強制的に選択させるのではなく,長期的淘汰のための効率性規準を与える,2)債務履行の法的強制力により損失をもたらすような非効率的技術の採用ないし維持をやめさせ,そのことにより当該企業を強制的に市場から排除する.このことを森岡は「動態的な淘汰の過程による下からの制約(すなわち損失の持続を阻止する機能)」(ibid.)と呼んでいる.この議論は,一般均衡理論が最初から経済主体による目的関数の最適化を仮定するがゆえに見落としてしまう市場と法的制度の関係,すなわち,市場機構そのものはなんら経済主体に直接的に最適化行動を強制するものではなく,法的制度が損失を出し続け債務不履行に陥った企業を倒産させることで非効率性を排除できることを明確に指摘している点で一般均衡理論の市場理解を超えている.ブルツクスは生産の組織者,イノベーションの担い手たる企業家の役割を指摘し,われわれのいう「アメによる多様性の創出」の側面にも触れているものの,それをさほど重視しているわけではない.ミーゼスも,本文で述べるように,革新的企業家を考えていない.ミーゼスやブルツクスは,環境適応的な競争と「ムチによる非効率性の排除」の側面に焦点を当てたため,資本主義の強さに関する理解は十分でない.

18)ハイエクが社会主義経済批判から一般均衡理論批判に移行する過程でなぜ環境創出的競争を重要視するようになったかは,西部(1996a)第2,4章を参照されたい.

19)ブキャナン=ヴァンバーグも,「誤って見過ごされた機会」を「発見」するという形で企業家活動の革新性をとらえ,それを均衡論的枠組みに統合しようとするカーズナー(Kirzner(1985))の試みは根本的に首尾一貫していないと,カーズナーの企業家理論をほぼ本論と同じ趣旨から批判している.「革新的企業家の動学を強調し,市場過程の「創造的」で「オープン・エンドな」性格を言葉の上では認識しているにもかかわらず,カーズナーのアプローチは均衡論的枠組みの無意識的な目的論から逃れられていない.」(Buchanan=Vanberg (1991: 320))「殊に,企業家活動は『そこにある(out there)』ものの発見としてモデル化することはできない.これとは反対に,企業家活動は異なる選択をすれば異なってしまうような現実を「創造する」のである.かくして,将来の現実は成されるべき選択によって形作られ,この現実はこれらの選択と独立には存在しえない」(ibid.323)彼らは急進主観主義の立場から,時間的不確実性ゆえに選択が将来の現実を創造することを強調する.特に企業家の将来に対する「選択」を重視する点が本稿との違いである.

20)越後(1985)は,ハイエクの「発見的手続きとしての競争」という考えを発展させたカーズナーの競争観を新古典派の完全競争概念を批判するものとして高く評価し,それによってベイン型産業組織論や独占禁止政策論を批判している.しかし,ハイエクとカーズナーの発見・競争概念を同じものとみなしている点は疑問である.また,カーズナーの企業家が「シュンペーターの企業家の如く,積極的・能動的に変化を惹起する主体でない」(ibid.84)ならば,それは環境適応型の利鞘取り商人にすぎず,均衡化の役割を果たすだけではなかろうか.

21)情報効率性という概念は近年厚生経済学のメカニカル・デザインで利用されるようになっている.あるメカニズムがパレート効率的,情報分権的で,最小メッセージ空間をもつならば,そのメカニズムは情報効率的であるという(石井・西條・塩澤(1995)第6章).

22)ホジソンは「各システム(あるいは,サブ・システム)には,システム全体を支配しないとしても,そのシステムが機能するためには不可欠な『非純粋性』が含まれている」(Hodgson(1988;176))という「非純粋性原理」(impurity principle)を提唱しているが,その原理がここでも働いている.

23)コルナイはこの点を明確に認識している.「古典的な資本主義の始動期に比べて,予算制約を『完全なハード』の終点から遠ざけるような大きな変化が生じてきた」(コルナイ(1983: 139))

24)例えば,土地の定期借地権などさまざまなリース権が売買の対象とされるようになっている.

25)このような特許やライセンスといった所有権は,ソフトウェアや著作物の場合のように極めて低い費用で複製可能な商品にも拡張可能である.

26)資本主義経済の強さは,共同体の間/境界に発生した市場が計画,伝統,慣習,定型など多様な諸制度と様々な領域・階層で混成しながら共同体の内部に浸食し,実在的経済を統合していくような性質を持つからだと考えることもできる.西部 (1996a) 第7章7節, 補論, (1997)の議論を参照されたい.

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引用終了



「ゴータ綱領批判」での記述と社会主義社会における市場の採用との矛盾の克服について
(03/6/29 03:54)

> 読売が指摘しているように、社会主義と共産主義との区別の記述がなくなったことは、共産主義の色彩を薄めることを意味するのだろうか?

この点について不破氏は、
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-06-28/00_01.html
において「実は、こういう表現での二段階論は、マルクス、エンゲルスにも、レーニンにもないものであります。」「こう見てくると、未来社会の低い段階を「社会主義」、高い段階を「共産主義」というのは、マルクス、エンゲルスのものでも、レーニンのものでもない、もっと後世に属する使い方だということが、はっきりしてきます。」とマルクス、エンゲルス、レーニンのものではないという説明をしています。

この問題と関連して、不破氏は「ゴータ綱領批判」における社会主義社会の分配の問題に触れています。

ソ連・東欧の崩壊後に、世界的に市場経済を否定するマルクス流の社会主義の構想自体に問題があったという見解が普及しました。
日本においては、中野徹三氏が『社会主義像の転回』(三一書房、1995年)でこの問題の解明をおこなっています。

宮地健一さんのホームページhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/nakanomarx.htm
より引用

引用開始
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 マルクスは、プルードンを批判した『哲学の貧困』のなかでユーアの『マニュファクチュアの哲学』を引きながら、近代の自動機械工場が古い固定的分業を止揚し、個人の普遍的発展を促すこと、近代の大工業の本性労働時間が万人にたいして平等であることを要求すること、等を述べたうえで、将来の社会について次のように記している。

 「……社会の全構成員が直接労働者であると仮定すれば、物質的生産のために使用されねばならぬ労働時間の数量があらかじめ協定されているという条件においてのみ、等量の労働時間の交換ということが可能なのである。しかし、このような協定は私的交換を否定する(ドイツ語版では排除する)ものである。……労働時間が万人にたいして平等であるのは、大工業の本性にもとづくことにほかならない。きょうは資本と労働者相互間の競争との結果であるとも、あすは――もし労働と資本の関係が除去されれば――生産諸力の総和と現存の欲望の総和の関係を基礎とする一つの協定の産物となるであろう。階級対立がなければ私的交換はありえない。」(傍点引用者)

 すなわち、労資の階級関係が除去される(=私的所有の廃止)ならば、現存の生産諸力と社会の欲望の総和の考量にもとづいて支出すべき総労働時間を各労働者に配分する労働者間の協定が結ばれる。そしてこの協定が結ばれるや、生産物の私的交換は止み、生産物は商品の形態を脱ぎ捨てるというのである。つまり、第二の疎外(資本のもとでの労働の疎外)からの解放は、解放された生産者=労働者の自由な意識的協定を媒介にして、ただちに第一の疎外(商品・貨幣の物神性としての疎外)からの解放に帰結する。なお同じ趣旨の思想は晩年の『ゴータ綱領批判』にも次のように表現されている。

 「生産諸手段の共有にもとづいた協同組合的な社会の内部では、生産者たちは彼らの生産物を交換しはしない。……なぜなら、この社会では資本主義社会とは反対に、個人的な労働は、もはや間接的にではなく直接に、総労働の諸構成部分として存在するからである」(9)。
 このように『ゴータ綱領批判』(一八七五年)の思想は、基本的には一八四〇年代の『哲学の貧困』の思想をそのまま継承しているのだ。

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引用終了

また、私は、この問題に関して中野氏と同意見で、このJCPWや有田板で何度も

「生産手段の共有にもとづいた協同組合的な社会の内部では、生産者たちは彼らの生産物を交換しはしない。・・・ここで問題にしているのは・・・資本主義社会から生まれたばかりの共産主義社会である。・・・個々の生産者は・・・これこれの量の労働を給付したという証書を社会から受け取り、そしてこの証書をもって消費手段の社会的な貯えのなかから、それとちょうど等しい量の労働がついやされている消費手段をひきだす。」
「ゴータ綱領批判」岩波文庫 P35〜36

というマルクスの引用をおこない、市場を否定するマルクス流社会主義は誤りであるという見解を表明してきました。

今回、不破氏は、
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-06-28/00_01.html

引用開始

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「ゴータ綱領批判」でのマルクスの注意書きが大事
 マルクス、エンゲルスのこういう基本態度にくらべると、「ゴータ綱領批判」でのマルクスの論じ方は、未来社会の分配問題を、青写真に近いところまで書いているという印象を受けます。実は、マルクスは、この分配論のあと、たいへん大事な注意書きをしているのです。
 要約してみますと、
 ――ここで分配の問題にやや詳しく立ち入ったのは、安易に間違った分配論を党の綱領に持ち込むと、どんなひどい結果になるかを、示すためだった。
 ――未来社会の問題で、いわゆる分配のことで大さわぎをしてそこに主要な力点をおいたり、未来社会を主として分配を中心とするものであるかのように説明するのは、俗流派のやることで、そんなやり方は、受け継いではならない。
 ――未来社会論の中心問題は、分配ではなく、生産のあり方、生産の体制の変革にある。
 「ゴータ綱領批判」というのは、ドイツの二つの党派が合同して新しい党が生まれた時に、マルクスが助言として書いた文書でした。
 マルクスが、分配論について詳しい批判を書いた意味も、マルクスのこの注意書きを読むと、たいへんよくわかります。マルクス流の分配論――未来社会の分配方式の二段階論を綱領に書けなどということは、マルクスは少しも提案していないのです。未来社会を党の綱領で論じるなら、混乱した分配論をふりまわすことはやめて、生産体制の変革をしっかり中心にすえなさい――これが、マルクスの忠告の本旨でした。
 マルクスが展開した未来社会の分配論そのものも、こういう文脈で論じられたものですから、金科玉条として絶対化するわけにゆかない検討問題が多くふくまれていますが、なによりも大事なことは、マルクスがドイツの党に与えた忠告の本当の意味をよくとらえることだと思います。
 私たちは、こういう立場から、マルクスが「ゴータ綱領批判」で展開した二段階論ではなく、未来社会について青写真主義の態度をとることをきびしく排除したマルクス、エンゲルスの原則的な態度の方を選ぶことにしました。

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引用終了

というようにマルクス解釈として「ゴータ綱領批判」での分配の青写真を否定し、マルクスの著述と社会主義での市場経済の採用との矛盾を解消しようとしているようです。
もちろん、マルクス解釈としてこのような解釈が正しいのかという解釈上の批判はあると考えられます。
しかし、不破氏が遅まきながら、この問題に着目して点については評価したいと思います。

但し、小田さんが指摘しているように不破氏の市場観自体にかなり問題があるということは確認しておかなければなりませんが。