3258−6 日共批判論考
――――――『海つばめ』第878号2002年7月21日――
 日本共産党は創立八十周年を祝うという。ロシア革命の影響下、矛盾を深め、帝国主義へと傾斜して行く戦前の日本資本主義と闘うべく結成されたこの党は、戦前はいくらかでも真剣に闘ったが、戦後は全く日和見主義的なろくでもない党に堕落してしまった。この党の80年を斬る。
 不破哲三は、先の八十周年記念集会で、戦前の共産党は暗黒の時代に「平和と民主主義」の旗を掲げた唯一の政党だ、天皇専制に反対して闘うと共に侵略戦争にも反対して闘った、この「不屈の闘い」を「何よりの誇り」とすると語っている。戦前の共産党の闘いは実際にはどんなものであったのか、検討してみよう。
●●共産党の誕生と戦前の歴史
 まず、はじめに共産党の戦前の歴史を簡単に振り返っておこう。
 共産党が誕生したのは、1922年7月の15日であった。この第一次共産党は、コミンテルンの指示に基づいて組織されたもので、綱領草案では「君主制の打倒」などを掲げたが、その構成メンバーは山川均、堺利彦の社民的傾向、荒畑寒村の革命的サンジカリズム傾向、赤松克麿の右翼社民的傾向、それに野坂参三、佐野学と種々雑多であり、「余りに無計画で急ごしらえの粗製濫造的」(責任者の山川の言葉)にできあがったものであった。この党は綱領を採択する前に翌年解散してしまい、実質的な活動はほとんどなかったといっていい。
 共産党の本格的な活動は、26年の再建共産党からであるが、このとき共産党を支配したのは福本イズムであった。彼は山川の「解党主義」を批判して登場したのであるが、その「分離結合論」は観念的な急進主義であり、党と大衆の区別を設けず、当時の評議会などに党の任務を押しつけるなど、党と組合の運動に混乱をもたらしたのであった。
 27年に二七テーゼが発表され、党の体制は一応整備された。二七テーゼは共産党が採択した最初の綱領的文書であったが、それは「日本のブルジョア民主主義革命は極めて急速度に社会主義革命に転化するであろう」という革命の見通しを述べると共に、行動綱領として帝国主義戦争反対、中国革命への干渉反対、ソ連邦の擁護、植民地の完全独立など侵略と戦争に反対する要求、君主制廃止、18歳以上の男女の普通選挙権、8時間労働制、失業保険、大土地所有の没収などの要求を掲げていた。
 そしてこうした方針のもとに、『赤旗』を創刊し(28年2月)、選挙に参加し、中国侵略反対のキャンペーンをはったのである。
 しかし、こうした闘いは権力から三・一五や四・一六の弾圧を受け、党の指導部の多くは捕らえられてしまった。そして29年の大恐慌が日本にも波及し、30年、31年と労働者大衆の激しいストライキ闘争が展開されたが、共産党はそれを十分に指導することはできなかった。田中清玄らの指導部は、30年には川崎で「武装メーデー」を組織し、労働組合の闘いに多くの混乱を持ち込んだ。
 また、29年のコミンテルン第十回総会で「社会ファシズム論」が採用され、その影響が日本にも及んだ。コミンテルンのテーゼは、社会民主主義政党をファシズムの特殊な形態としての「社会ファシズム」と規定し、それとの闘争を強化するよう呼びかけたが、日本では全協が社民幹部を排撃する方針を採用し、セクト的な組合引き回しを行った。
 31年には新しい「政治テーゼ草案」(三一テーゼ)が発表された。そこでは日本の国家権力を金融資本独裁と規定し、当面の革命を「ブルジョア民主主義的任務を広汎に包容するプロレタリア革命」とした。これは二七テーゼのブルジョア民主主義革命を否定したものであり、党内の動揺を呼び起こした。
 翌32年には、共産党が「歴史的文書」という三二テーゼが発表された。そこでは再度当面する革命は「社会主義革命への強行的転化の傾向をもつブルジョア民主主義革命」と規定し直された。
 三二テーゼについては次にふれるとして、このテーゼと前後して権力の激しい弾圧が行われた。治安維持法による検挙数は、30年には6千8百人だったのが、31年には1万2千人、32年には1万6千人、33年には実に1万8千人を数えた。これにより、共産党は壊滅的な打撃を受け、さらに鍋山や佐野などの幹部が“転向声明”を出したり、党内にスパイや挑発者が跋扈するようになって、33年末までには解体してしまった。
 共産党の戦前の闘いは、実質的には27年からの6、7年であった。その間にたしかに「天皇制廃止」や「侵略戦争反対」のスローガンは掲げられたが、共産党の党としての闘いは様々な混乱と動揺をくり返し、労働者の闘いを積極的に指導したというよりも、混乱と分裂を持ち込み、引き回したということができよう。こうした闘いを美化することは、とてもできないのである。
●●三二テーゼと天皇制との闘い
 次に天皇制に対する闘い、民主主義のための闘いを、三二テーゼとの関連で見てみよう。三二テーゼは共産党によると「日本の革命運動が進むべき道を示す画期的なもの」と評価されており、この問題は戦前の共産党の革命論と直接に関わるからである。
 三二テーゼは、日本の当面の革命の性質を「社会主義革命への強行的転化の傾向をもつブルジョア民主主義革命」とし、次のように述べた。
 「社会主義の達成を主要目標とする日本共産党は、今日の日本における諸関係のもとでは、プロレタリアートの独裁へは、ただブルジョア民主主義革命の道によってのみ、すなわち天皇制の転覆、地主の収奪、プロレタリアートと農民の独裁の樹立の道によってのみ、到達しうるということを全く明瞭に理解せねばならぬ」
 これがいわゆる共産党(スターリン主義者)の「二段階革命論」といわれるもので、社会主義革命の前にまず天皇制を打倒するブルジョア民主主義革命を設定し、そのために闘わなければならないというものであった。
 問題は、当時の支配的な制度であるが、テーゼは絶対主義的天皇制、地主的土地所有、独占資本主義の三つの要素の結合と特徴づけ、天皇制は「国内の政治的反動と一切の封建制の残滓の主要支柱」であり、天皇制国家機構は「搾取諸階級の現存の独裁の強固な背骨」である、と位置づけたが、こうした規定は本当に何が支配的な要素であるかを曖昧にするものであった。
 日本の資本主義は明治維新を契機に資本主義的な発展を勝ち取り、この時期には世界の帝国主義の一角にくい込みつつあった。すでに資本主義的な諸関係は日本の社会全体に及び、昭和の金融恐慌や29年の世界恐慌の影響を受け、資本主義的な矛盾こそ日本社会の困難を規定するものとなっていた。大衆は、資本主義が発達していないことに苦しんでいたのではなく、過剰生産をはじめとする資本主義的な諸矛盾の中で苦しんでいたのである。
 たしかに、農村には寄生地主制が残存し、様々な封建的残滓があったことは事実であろうが、当時の支配的な制度は三井・三菱に代表される独占資本の支配であった。天皇制権力も、こうした独占資本の階級的な利益と離れて存在することはできなかったし、その利益を代表するものとなっていた。
 こうした状況の中で、社会主義革命の前に民主主義革命を段階として設定することは、社会主義のための闘いを永遠の彼方に押しやることに他ならなかった。この「二段階革命論」は、戦後も対米従属からの独立をめざす民族民主革命論として再生産されており、労働者の社会主義革命を恐れ、その前段の様々な民主的改革こそまず取り組まれるべきだという臆病な彼らの日和見主義・改良主義を特徴づけるものであった。
 『共産党の七〇年史』では、三二テーゼが「二段階革命論」を採用した意義を次のように述べている。
 「三二テーゼを含めて、戦前の党の綱領路線がすぐに社会主義に進むのではなく、資本主義の枠内での民主主義的変革を重視していたことは、日本社会の矛盾を人民にとってよりよい方向に打開するような法則的な道筋にそい、しかも必要な段階を経ながら日本社会の変革を進めるという科学的社会主義の運動論の見地にふさわしいものだった」
 つまり、資本主義の枠内での民主主義的変革を優先したことに意義があり、それこそが「法則的」なやり方であり、段階を経ながら一歩一歩改革していくという「科学的社会主義の運動論」(実際は卑俗な改良主義だ)にふさわしいものだと評価しているのである。
 したがって、こうした形で取り組まれた天皇制や侵略戦争との闘いが、その根底において日和見主義的なものであったことは明らかである。不破のように、暗黒の時代に政党として唯一「民主主義と平和」のために闘ったなどといっても、決して自慢にはならないのだ。
 しかも、三二テーゼには後になって不破自身がその誤りを明らかにした様々な問題、つまり「全般的危機論」や「ソ連=社会主義論」といった情勢認識の核心にふれる問題、社会ファシズム論やセクト主義といった戦略・戦術に大きく関わる問題が内包されていた。とするなら、戦前の共産党の闘いは誤りだらけであり、そのもとで取り組まれた闘いを「不屈の闘い」などと呼ぶことはできない。
●●共産党の「平和のための闘い」
 共産党の「侵略戦争反対」も、基本的には「民主主義」のための闘いと同じである。中国への侵略が現実化した二七テーゼ以来、共産党は「侵略戦争反対」のスローガンを掲げたが、共産党の革命路線そのものが日和見主義的であったとするなら、この闘いを高く評価することはできない。
 そればかりか、共産党は「侵略戦争反対」はさかんにいうが、あの太平洋戦争を帝国主義の戦争として評価することは できなかったのである。彼らは、「社会主義の祖国」ソ連が米英仏に荷担したこともあって、あの戦争を「民主主義対ファシズム」の戦争と描き出し、事実上“民主主義”の陣営(もう一つのブルジョア帝国主義連合)の闘いを擁護したのである。こうした彼らの誤りは、戦後の占領軍に対する「解放軍」規定に連なった。
 侵略戦争反対のスローガンを唯一掲げたなどといっても、その闘いが本当に要請されていた時代には、共産党自身が壊滅していてほとんど闘いらしい闘いを展開することはできなかったのである。すなわち、満州事変が勃発した31年から終戦の45年にわたる十五年戦争のうち、まともに「平和のための闘い」が展開されたのははじめの2、3年にすぎなかった。33年頃には共産党中央は壊滅状態になり、それ以後は党としての実際的な闘いはなく、“獄中十八年”に代表されるようにその侵略戦争反対はアリバイ的ななものにすぎなかったのである。
 共産党が、暗黒の時代に民主主義と平和の旗を掲げて闘ったなどといっても、その内実はそれほど自慢できるものではなかった。それは全体としては、小ブル的な闘いであり、労働者の社会主義をめざす階級的な闘いとは無縁であった。
 むしろ、その闘いは労働者大衆のあいだに多くの混乱を持ち込み、その発展を抑える有害な役割を果たしたといいうるのである。労働者はこうした党の「革命的な伝統」など、一切信用することはできない。
(山田明人)
 不破は、20世紀を「主権在民と人間の権利、世界諸民族の主権独立、そして平和への熱望を刻み込んだ」時代と特徴づけ、共産党は創設以来そのために闘ってきたと述べている。こうした主張は、共産党が労働者の社会主義とは無縁の党であることを暴露している。以下では、戦後の共産党の闘いについて見よう。
●●占領軍を「解放軍」と美化
 不破は、戦後の日本について、「日本が20世紀に経験した、……重大な転換は、大戦後、アメリカの事実上の従属国という立場に、転落したこと」であるとし、戦後の共産党の闘いを貫くものは、「日本の従属国化に反対」し「民族独立・主権回復」のための闘いであると述べている。
 まず不破は、日本が「従属国」となったのは、アメリカがポツダム宣言を無視し、単独占領に切り替えたことに始まったと次のように言う。
 「日本が戦争に負けたとき、ポツダム宣言を受諾しました。これは連合国の共同の要求でした。そしてその実行を保障するために、連合国が日本を占領下におきました。これは、国際的な正当性を持っていました」。この宣言には、日本の国民の自由に表明する意思にしたがって、平和的傾向を持つ政府が樹立された場合には、占領軍は直ちに撤収すると明記されていたが、アメリカ政府は「占領途中から、事実上、アメリカの単独占領にきりかえ、自分が支配する軍事体制に日本を永久的に組み込もうという、恒久基地化のたくらみをめぐらしはじめました。そこから日本の従属国化が始まったのです」。
 不破はポツダム宣言を「国際的な正当性」をもったものとして美化し、アメリカがそれを裏切ったと非難している。しかし、ポツダム宣言とアメリカの単独占領とは矛盾するものではない。
 ポツダム宣言は、アメリカ、イギリス、中国によって、日本に「無条件降伏」を迫ったものであった。宣言は、日本の軍国主義者の権力及び勢力の除去、連合国の軍事占領、軍隊の武装解除、戦争犯罪人の処罰、軍需産業の解体などを要求していた。すなわち、戦勝帝国主義国が敗北した帝国主義国を犯罪者として裁くことを内容としていたのである。
 ポツダム宣言は「国際的な正当性」をもっていたなどと言うことは、その帝国主義的な本質から目をそらし、これを美化することである。不破のこうしたポツダム宣言の評価は、第二次大戦を帝国主義戦争ではなく、「ファシズムと民主主義との戦争」とし、アメリカやイギリスなどを労働者の味方であるかのように述べたスターリン的な立場に立っているからである。
 第二次大戦についてのスターリン的評価がいかに日本の戦後の革命運動に害悪を与えてきたかは、終戦直後、当時の共産党の「アメリカ占領軍=解放軍」規定に示されている。
 45年10月、出獄した徳田、志賀は「人民に訴う」を発表、そのなかで、「ファシズムおよび軍国主義からの、世界解放のための連合国軍隊の進駐によって、日本における民主主義革命の端緒が開かれたことにたいして、われわれは深甚の感謝の意を表す」と述べ、さらにこの年の末に開かれた共産党第四回大会で「連合軍は我々の敵ではない。のみならず、民主主義革命の有力な味方であり、我々にとってはまさしく解放軍そのものである」と占領軍に対して幻想を振りまいたのである。
 だがそれがまったくの幻想でしかないことを、二・一ストをはじめとする労働運動への弾圧、共産党幹部の追放、機関紙の発行停止等々で、共産党は思い知らされることとなった。
 米ソの友好関係は連合国側の勝利が明確になる頃から弱まり、両者の対立が表面化するようになった。アメリカが強引に単独占領に切り替えたのは、ソ連と占領地区を分割したドイツの苦い経験の反省からであった。日本に対するソ連の影響力を遮断し、アメリカの完全な支配を確保しようとしたのである。そして、米ソの対立は48年には決定的となった。アメリカの政策は、日本独占の解体から復活に転換した。それと共に労働運動への弾圧を強めていった。それは、日本の“共産主義化”を阻止し、日本を“共産主義に対する防波堤”とするためであった。日本占領には一貫してアメリカ帝国主義の利害が反映されていたのである。
 戦後の労働運動にはかりしれない混乱を持ち込み、労働者の革命的闘いを挫折に導いた「アメリカ占領軍=解放軍」規定は、第二次大戦のスターリン的評価の必然的な結果であった。
●●対日講和と日米安保
 続いて不破は、日本のアメリカへの従属が始まったのは、対日講和と日米安保条約であると、こう述べている。
 「従属化計画を『条約』という形で具体化したのが、サンフランシスコ講和会議で結ばれた、平和条約と日米安保条約でした」、「はっきりいって、安保条約とは、占領下の基地体制の骨組みを条約の形で日本に押しつけた条約です」
 52年、サンフランシスコ平和条約によって、日本は連合国との戦争状態を終了させ、「主権」を回復した。しかし、対日講和にはソ連や中国は参加しなかった。当時、ソ連、中国など“共産主義”諸国をも含めた「全面講和」を主張していた共産党や社会党は、ソ連や中国が参加していないことをもって平和条約が日本をアメリカなどの自由主義諸国とだけ結びつける策動であるといって反対した。
 その本質は、日本の独占ブルジョアジーが占領状態から脱し、主権を回復し権力を握ることにあった。労働者の闘いの課題は、日本の独占資本の打倒として一層明確になった。ここにこそ、労働者にとってサ条約の意味があったのである。しかし、共産党は、この意義を見ることが出来なかった。共産党は、講和は日本が「むきだしにアメリカに占領されること」であり、「アメリカ占領者の政策に最後の仕上げがかけられること」であり、「形式的にも実質的にも新しい占領体制を創り出すもの」であり、かくして「日本を半永久的に占領する」ものであると述べた。
 共産党が、アメリカによる日本の「半永久的占領」と呼んだのは、講和条約と同時に結ばれた日米安保条約を根拠としていた。
 安保条約は、外部からの武装攻撃(これはソ連、中国を仮想敵国とするものであった)を阻止するためにアメリカに軍事基地を提供し、軍隊の駐留を認めること、日本が漸次的に軍備を増強すること、さらに、日本に大規模な内乱や騒擾が発生した場合、日本政府の希望によりアメリカ軍が鎮圧のために出動(「内乱条項」)できることを主な内容としていた。
 日本の独占資本がソ連、中国を仮想敵国として、アメリカの基地を提供し、軍隊の駐留を認めたのは、米・ソ二大陣営に世界が分割され対立しあっている状況にあって、政治的、経済的にアメリカと結びつくことが不可避だったからである。そしてまた、独自の軍事力を持たない日本独占資本は自己の階級支配を貫徹していくためには、アメリカの軍事力に全面的に依存することを必要としていたのである。
 もちろんこの安保条約は、日本独占資本にとって“不平等”な内容を含むものであった。アメリカ軍が日本“防衛の義務”を負わないこと、内乱条項をもつこと、条約期限の条項がないことがそれである。そして、日本資本主義の急速な発展を背景に、これらの“不平等”の是正が、独占資本の課題となっていった。六〇年安保改定では、アメリカ軍の日本防衛の義務が謳われ、十年後日米いずれかが、条約廃棄の意思を表明した場合、条約は失効することになった。さらに、ブルジョアジーが「独立国家としての尊厳にかかわる」としていた「内乱条項」は削除された。また、日米行政協定が結ばれ、アメリカの軍事行動についての「事前協議」が謳われた。
 六〇年安保改定に対して、共産党は、安保改定は日本を一層強くアメリカに結び付け、「対米従属を強める」ものと主張し、アメリカからの「独立」を求める「反米・愛国」の闘いを訴えたのである。
 しかしこの評価はまったくの的外れである。六〇年安保改定の本質は、戦後復活、強化を遂げた日本独占資本が、自らの地位にふさわしく、日米関係をより対等な関係に再編することであった。したがって闘いの課題は、こうした日本独占資本の支配を暴露し、その打倒に向けて労働者の闘いを組織していくことにあった。ところが、共産党は日本独占資本との闘いを呼びかけるのではなく、「半植民地」からの独立といった反米闘争にそらせたのである。共産党は、労働者の闘いに民族主義を持ち込み、その階級意識を混乱させ、解体する反動的な役割を果たしてきたのである。
●●破綻する共産党の民族主義
 日本がアメリカに主権を奪われて「従属国化している」という主張が共産党のドグマでしかないことは、戦後日本独占資本の発展の中でますます明らかになっていった。
 72年には、共産党が自民党政権のもとでは、返還はありえないといってきた沖縄が返還された。そして81年には、鈴木首相とレーガン大統領によって、日米関係を表す言葉として「日米同盟」が登場した。これは日米関係の変化を象徴していた。国際的に見ても、アメリカはドルの金兌換停止(71年)に追い込まれたようにその相対的地位を低下させる一方、日本は二度の“石油危機”を乗り越え、商品、資本輸出を飛躍的に増大させ世界の経済大国にのし上がっていった。
 さらに、80年代、90年代を通じて、日米安保が帝国主義的同盟であるという事実は、誰の目にも明白になっていく。日本独占資本は、憲法を無視して、公然と自衛隊の海外派遣を行うようになったし、97年の新ガイドラインでは、「周辺事態」という新たな概念が導入され自衛隊の行動範囲は、“領海”をこえて太平洋とはるか中近東にまで拡大されていくことになった。これは、日本独占資本が、積極的に帝国主義の国際秩序維持のために乗り出したことを意味する。ところが、不破にとっては、自衛隊の世界的規模での行動や日米共同行動の拡大は「対米従属」の強化なのである。
 不破は「『同盟』の名で従属の現実をごまかすことはできない」として従属を強調する。彼が日本がアメリカに従属している「端的な事実」としてあげているのは、沖縄や首都圏の横田や横須賀にアメリカが巨大な基地を持ち「広範な住民が、日常、その被害にさらされている」こと、そしてこれらの基地がベトナム戦争や中東湾岸戦争、アフガン戦争で利用されてきたことに対して、日本政府がこれに異議を唱えなかったことである。
 日米関係において、なお“不平等”な関係があることは明らかである。それは、世界最強の帝国主義国家と日本帝国主義の力関係を反映している。核兵器を持たない日本はアメリカの核の傘のもとに自らを置くなど、日本の“安全”(=独占資本の支配)をアメリカの強力な軍事力に依存している。日本がアメリカに基地を提供し、軍隊の駐留を許しているのは、アメリカから一方的に押し付けられたものではなくて、日本独占資本の意思なのである。ところが不破は、日米「同盟」におけるアメリカの優越をもって、日本がアメリカの言いなりの「従属国家」であるかのように言うのである。
 しかし、日米同盟は戦力の保持の禁止、戦争放棄を謳った「平和憲法」を改正しようとする動きや福田や安倍の核保有発言に見られるように米国の軍事力への依存を相対化し、軍備をさらに強化しようとする策動が強まっている。今後、こうしたこのような反動的な動きは勢いを増すだろう。
 こうした中にあって、「一億二千万人口と、世界有数の経済力をもつ」日本が、半世紀にもわたって「事実上の従属国の状態」にあるのは「世界史のなかできわめて異常なこと」などと民族主義を振りまき、「主権国家としての日本の地位を全面的に回復することは……21世紀に日本が成し遂げるべき最大の課題」などという共産党・不破の主張は、反動派の策動を側面から助ける役割を果すものでしかない。
(田口騏一郎)
 共産党が80年の歴史、とりわけ戦後の歴史の中で、自慢してやまない「国際共産主義運動における自主路線」といったものは、ペテンそのものであり、自分のつまらない“路線”を守るためだけにあくせくしてきただけの、“自閉症的”プチブル党であることを暴露しているだけである。共産党は戦後、まさに「国際共産主義運動」に対する(すなわちソ連共産党や中国共産党に対する)追随主義的、事大主義的な党として、つまり少しも“自主的”ではない権威主義的な党として再出発した。この党の戦後激動期における、混乱と支離滅裂の政治――日本の労働運動と革命運動にはかりしれない、多大な害悪を流した――は、そのひどい事大主義と不可分であった。
●●不破哲三のいつわりの総括
 不破は、共産党80周年記念講演の中で、日本共産党ほどソ連の「不当な干渉」と断固として闘った共産党は世界中になかった、またソ連軍のアフガン侵攻のときにも、我々ほどはっきりソ連を批判した共産党は世界中になかった、と自慢している。
 語るに落ちたとはこのことだ。不破に言わせると、世界中の共産党はソ連、中国の共産党に始まって、ろくでもない、箸にも棒にもかからない党、間違ったことばかりしてきた党だそうだが、日本共産党はその中で全く違い、間違ったことはほとんどない、立派な党だったというのである。しかし箸にも棒にもかからないような世界中の共産党の中で、どうして日本共産党だけが違うのか。
 こんな珍奇な自慢は、日本共産党もまた世界中の共産党と同じレベルのくだらない党、間違いばかりやってきた党でしかない、という真実を明らかにしているにすぎないのだ(事実、そうだったのだが)。
 世界の共産党の中で、アフガン侵攻に対して「私たちのような正面からの告発を行った共産党は、ほかになかった」としても――それが本当かどうかはさておくとして――、しかし共産党の外部には、そんな党はいくらでもいたのである。例えば、我々は、共産党の連中が「社会主義の防衛のため」であると美化した、ソ連のハンガリー侵攻(1956年)の事実に対してもすでに、ソ連の「干渉主義」(もちろん、我々はそんなことはいわないで、断固として帝国主義的蛮行として非難したのだが)に対して「正面からの告発を行っ」て来たのであるが、そんなことも、不破らは知らないのか。
 この愚劣な男は、日本共産党が「自主独立」でやってきたことを盛んに自慢しているが、労働者党の原則は国際主義であって、「自主独立」といったプチブル的原則ではない。労働者党は階級闘争において、世界中の党と緊密に結び付き、共同して闘いを発展させるのであって、「自分は自分、他人は他人」といった、プチブル的、個人主義的な原則を断固として退けるのである。
 それに世界中の労働者党は、路線や政策の相互点検、相互批判や議論を決して否定しないのであって、他の党の批判に対し、「内政干渉だ」といった反応しかできない党を軽蔑するのである。
 不破らは「自主路線」によって、ソ連の「覇権主義」と闘ったのであって、その意義を否定するのか、と息巻くのであろうか。しかし問題は、ソ連の「覇権主義」との闘いのやり方であって、闘ったこと自体ではない。むしろ、日本共産党はソ連共産党の「覇権主義」と十分に闘わなかったのである、というのは、常に“仲間内の”問題としてこの問題に接近し、ソ連共産党を単なる「社会主義の原則からの逸脱」として、間違った態度として否定したにすぎなかったからである。日本共産党にとっては、ソ連共産党もまた“友党”の一つであったのだから、その否定は自ら中途半端なものになったのである。事実を追ってみよう。
●●まずソ連共産党と、ついで中国共産党と対立
 日本共産党は1950年代末から60年にかけての、スターリン主義の清算と新しい権威の確立をねらった、「国際共産主義運動」の国際会議に喜んで参加し、その確認や決定(例えば、1960年の「モスクワ会議」等々)を熱心に擁護したのであったが、これに対してはすでに中国共産党は激しい反発を示し、ソ連共産党との闘争を始めていたのだった。
 1960年代の前半は、日本共産党はむしろ“中国派”であって、ソ連共産党に反発する中国共産党を支持していた。
 宮本等のソ連共産党非難の理由は、フルシチョフらが、アメリカ帝国主義を美化し、ケネディらを「平和の政治家」と呼び、「対米協調」の道を歩み、あまつさえ、自分たちの路線を日本共産党に押しつけようと、“大国主義的な”干渉をおこない、「志賀一派」らの“反党分子”を支援して党の分裂をはかってきた、といったものであった。
 彼らはこうした観点から、ソ連がアメリカと組んで実行した、1963年の「部分核実験停止」の試みにも反対し、その決議に国会で賛成したという罪で、志賀義雄らを党から追放した。
 しかし、彼らの“親中国的な”立場も、60年代半ば、ソ連共産党とその路線に激しく反発する毛沢東路線が強まり(いわゆる「文化大革命」の時代が開始され)、中国共産党が、ソ連共産党をブルジョア的に堕落した党であり、ソ連に資本主義を復活しようとしている――そして中国でも、修正主義派、すなわち劉少奇やケ小平などの実権派、走資派を支援している――という非難を強め、反米反ソの「国際統一戦線」を提案してくるとともに、たちまち放棄され、日本共産党と中国共産党の全面的な対立が――というより、単なるののしり合いが――発展することになった。
 当時、徹底した急進主義に走った中国共産党は、国内の“実権派”を資本主義の復活を企む“反革命”と攻撃しただけではない、ソ連共産党も、日本共産党もみな修正主義、改良主義、議会主義に転落した、第二インターの日和見主義者以上の裏切りものして告発したのであった。当時の『人民日報』(六七・六・一六)の一部を紹介してみよう。
「日本共産党の修正主義分子はマルクス・レーニン主義を裏切る道をますます遠くへつっ走っている。かれらは『協調路線』のデタラメな理論でプロレタリ革命とプロレタリアート独裁の学説を骨抜きにし、ブルジョアジーの議会政治に浮き身をやつし、階級投降政策を実行し、資本主義制度のもとでの一時的な安逸をむさぼるのに汲々としている。……かれらはすでに日本のプロレタリアートと日本人民の革命事業を遠くかなたにほうりすて、日本反動派のまぎれもない下僕に転落してしまった」
 日本共産党も負けてはおらず、毛沢東一派の試み(文化大革命)は「ただ自らの専制権力を確立しようとする」、個人の権力主義の野心から出た策動にすぎない、と反撃した。もちろん、中国の政治、経済において発展し始めたブルジョア的要素――それは、今ではまさに“全面開花”しているのだが――に反発した“文化大革命”――といっても、プチブル的にであって、決してプロレタリア的にではなかったが――を、単なる個人的野心や衝動による“権力闘争”といった“ブルジョア社会学的”観念でかたつけるほど、歴史と社会に対する本当の理解を遠くに追いやるものはなかったのだが。
●●「国際共産党運動の不団結」はよくない?
 宮本らが中国共産党に反発を強めととともに、今度は、ソ連共産党に接近するのは避けられなかった。
 そもそもわがプチブルの典型である宮本らが、ソ連と中国の共産党の対立が表面化する一九六〇年ころから一貫して強調してきたことは、「国際共産主義運動の不団結はよくない」といった、おかしなことでしかなかった。宮本らは、ソ連や中国の共産党に、「とにかく“不団結”は避けよう」と助言したのである。
 しかし一体、この「不団結は避けよう」といった立場とは何だったのか。「不団結」といった奇妙な観念(言葉)を持ち出したこと自体、宮本といった連中の俗物性を徹底的に暴露するものであろう。彼らは、とにかく「不団結」を恐れたのであって、積極的に、ある思想なり、階級的な立場なり、“路線”に向けて「団結」するように呼び掛けたのではなかった。また、そんな立派なものは、このいやらしい官僚主義者たちは全く持ち合せていなかったのである。
 日本共産党とソ連共産党の“雪どけ”は60年代末から始まったが、しかしこれは決して以前のような“蜜月”には戻ることはなかった。日本共産党自身が、自らの日和見主義とブルジョア追随主義を深める上で、ソ連や中国の立場や国際的政策にいちいち迎合し、対応していくことが、少しも利益ではなくなったからである。かつて、ソ連や中国の共産党に事大主義的に追随することが、党内でも勢力を獲得し、維持する一つの手段ではあったが、スターリン主義批判が深まるなかで、そんなものはかえってわずらわしいものになったのである。
 かくして日本共産党の日和見主義の深化ととともに、「自主路線」もまた、彼らの立場として強調されるようになっていった。ソ連共産党と“復縁”するとしても、それは双方にとって必ずしも熱烈なものとはならなかった。
 日本共産党は、70年代以降、ソ連や中国の共産党に対して、ある意味で是々非々の立場、ご都合主義の立場を取り続けるようになった。ソ連が東欧の国やアフガンに軍事介入すれば、ハンガリー事件のときとは違って、それを「民族主権」を踏みにじり、マルクス・レーニン主義の原則にもとるものだと非難することも辞さなかった。
 また、中国共産党の“大国主義的な”誤りについても、さかんにはやしたてたが、ソ連や中国の共産党の“誤り”を並べたてることは、そうした“誤り”と無縁の、宮本や不破の権威を高め、“絶対化する”ことでもあった。
●●最後までソ連、中国を「社会主義」国と美化
 彼らはソ連や中国の共産党と対立する中で、もったいぶって、「社会主義生成期論」といった珍奇な理論をでっち上げ(このもっともらしい理論が唱えられたのは、1977年のことであった)、こうした理論に基づいて、「社会主義」の国家であれ、何であれ、生まれたばかりの幼稚な段階ではいくらでも“間違い”を犯すのであり、それはやむをえないものだ、などと論じるようになった。ソ連や中国を社会主義の理想の国家として美化することが、ようやくできなくなったのである。
 しかしそれでも、彼らは、やがて“社会主義”国家つまりソ連や中国がさらに成長し、発展すれば、こうした誤りは自然と克服され、「社会主義本来の積極的なもの」が出てくるだろう、とご立派な“楽観論”――ソ連や中国の社会経済体制に対する幻想、したがってまたソ連や中国の共産党に対する幻想――をふりまくことを止めなかった。
 実際には、共産党の「社会主義生成期論」といったものは、便宜主義的なまやかしであって、どんなまともな、一貫した内容もなかったのである。
 この理論は、ソ連や中国の「社会主義とは決していえない」諸現象、諸事実を確認した、つまり「スターリン主義」や「毛沢東主義」等々はマルクス主義でも社会主義でもないことを承認したが、しかしそれはソ連や中国の「社会主義生成期」に必然的であることを否定し、「社会主義の原則からの逸脱」といったものによって説明した。
 例えば、宮本らは、ソ連や中国の「反民主主義的逸脱」は、「本質的には、科学的社会主義の原則からの逸脱と結びついた、前時代の遺産」(十六回大会)といった、ご立派な規定を持ち出したのである。つまり、問題は「前時代からの遺産」であるが、それは「「科学的社会主義の原則からの逸脱」と結びついているのである。こんな説明で、何か納得できる人がいるとするなら、そんな人はよほど判断力も理解力ももたない人たちであろう。
 社会主義にとって「否定的な現象」を説明するに、「社会主義の原則からの逸脱」を持ち出すほどのナンセンスはないように思われるが(まさに“史的観念論”だ)、宮本とか不破といった理論的ぺてん師たちにとっては、もっともらしい理屈が必要なだけだから、こんなご都合主義的なまやかしでも十分だったのである。
 かりにソ連や中国が「社会主義生成期」の段階にあって、多くの否定的なものをもっていて、それらが単なる偶然的なものだとするなら、一体何にための「社会主義生成期論」なのか。彼らは一方で、ソ連や中国の「否定的な」現象を、ソ連や中国が「社会主義生成期」にあるということから説明し、他方では、そこから説明するのを拒否したのである。
 彼らは、この否定的な現象を「社会主義の必然的産物などでは決してありません」と強調したが(例えば、不破哲三、『日本共産党の綱領路線』)、しかし不破の言うこの「社会主義」が理念としての社会主義か、それともソ連や中国の国家体制のことなのかをぼかし続けた。
 不破らは、現実のソ連や中国を社会主義国家と考えていたのだから、「否定的現象」は「社会主義」国家のものでありながら、「社会主義」国家のものではない、と事実上言ったのである。まさにちんぷんかんぷんであった。
 もちろん、彼は“本来”社会主義国家なら決してやらない「間違いだ」と説明したが、しかし社会主義国家なら“本来”やらないような「間違い」がなぜなされたのか、という問いには決して答えることができなかった。
 ソ連や中国共産党の「間違い」の根底には、社会主義の“未熟”があるが、しかしそれは彼らの間違いの原因ではない、原因は彼らの「原則からの逸脱」であるというのだが、こんなものは「間違い」の原因は「間違い」にあるといった同義反復以上ではなかったのだ。
 要するに、不破哲三らは、議論の堂々めぐりをやって、人々を煙にまいたのである。一体、何のために?
 もちろん、スターリン主義や毛沢東主義を長いあいだ美化し、支持したり、ソ連や中国を理想の社会主義国家として持ち上げてきた、自らの実践的、理論的な破綻を蔽い隠し、ごまかすために、である。
 そして、彼らはソ連や中国にどんなに「否定的な」現象があろうとも、ソ連や中国の社会主義の「完全変質論」を断固としてしりぞけた、つまりそれらは「健全な生命力」「復元力」をもっているのであり、その「否定的な」現象は近い将来必ず克服され、否定されて、社会主義の“本来の”姿が現われて来る、とつまらない幻想にふけったのである。
 あるいは、ソ連などは第二次世界大戦を「民主陣営」の一員として戦うことによって、偉大な歴史的役割を果たしたのであり、社会主義国家としての進歩性、優越性を示したなどとまで強調したのであった。
 かくして、「社会主義生成期論」はソ連や中国の社会主義国家としての存在を否定したのではなく、それを補強したのであった。共産党は一方でソ連や中国を美化し、擁護しつつ、他方ではそれを批判するという“困難で”矛盾した仕事にたずさわったのであるが、この矛盾した立場も1990年前後にはすっかり破綻してしまった。
 というのは、このころ、ソ連邦は社会主義国家としての自らを解体してしまい、またソ連共産党も自己否定して、解散してしまったからである。これはソ連を「社会主義」として持ち上げてきた共産党にとっては、青天の霹靂ともいえるショックであった。
 そしてまた、中国は表面は社会主義国家を装ったが、ケ小平のもと、ますます資本主義国家としての本性をあらわにし、今では中国共産党は自分の内部に、中国の“新興”ブルジョアジーを取り入れようとあくせくしているような有様である。
 こうした混乱と“間違い”そのものであった、ソ連や中国についての自らの判断や見解を、日本共産党は今、正しい「自主路線」の道であった、と労働者を、否、国民全体をいつわるのである。とするなら、我々は宮本や不破らのウソと欺瞞を徹底して明らかにしなくてはならないのである。
(林 紘義)
 不破は講演の後半を「二十一世紀――日本共産党は、どんな目標と展望をもって活動するか」と題して、この党が到達したベルンシュタイン流の俗悪な改良主義の地平に立って、この党のめざす実践的目標について語っている。
●●レーニンらの「予見」は外れた?
 不破のこの種の話の“枕”は決まっている。今回もまたその例に違わず、マルクスは「資本主義の社会」が「やがて人間社会のより高い段階――社会主義、共産主義の段階に移っていく必然性をもっている、このことを『科学の目』で明らかにした」とかのおしゃべりから始めている。
 不破はまずこういうもっともらしい決まり文句を並べることで自分がマルクス主義者であるかの「護符」を発行することから始めるのだが、もちろん、それはその後に繰り広げる俗悪な日和見主義をごまかすための目くらましに他ならない。
 事実、この前置きに続けて不破はこう言うのだ。
 「19世紀から20世紀のはじめにかけて、マルクスもエンゲルスもレーニンも資本主義の矛盾・衝突がだいたい限度にきた、この社会の耐用年数のきれる時期が迫った、と考えたものでした。ただ、いくら『科学の目』を持った彼らでも、この予見は当たらなかったのです。20世紀の帝国主義の時代に、資本主義はさらに巨大な発展をとげました」
 しかし、20世紀は「戦争と革命の時代だった」と特徴付けられるように、資本主義が爛熟して独占資本と帝国主義の段階に達し、二つの世界大戦をピークにその矛盾が異常に激化し、欧州でも日本でも深刻な革命的危機に見舞われた。そして、この矛盾や危機は解消されることなく、新たな世紀へと引き継がれ、ますます深刻化しつつある――というのが我々の眼前の状況ではないのか。
 資本主義がその固有の矛盾を噴出させ、その社会経済構成体としての歴史的な進歩性を失って反動的なものとなり、次のより高次のそれに取って代わらなくてはならない段階に達した(レーニンは帝国主義を「資本主義の最高の発展段階」と規定し、「社会主義革命の前夜」であると特徴付けた)という三人の歴史的な洞察、不破の卑俗な表現によれば「この社会の耐用年数のきれる時期が迫った」という「予見」は正しかったのであり、決して“外れて”はいなかったのである。
 不破は今さらながらのように三人の「予見」に反して「20世紀の帝国主義の時代に、資本主義はさらに巨大な発展をとげました」などと驚いているが、しかし、帝国主義の時代にはいかなる意味においても資本主義的な発展と繁栄(といっても、それはその本性からして相対的で一時的なものでしかないが)がありえないなどとこの三人の誰が「予見」したというのか。
 むしろ、この三人の歴史的な洞察を狭く一面的に解釈し、帝国主義の時代にはどんな意味でも資本主義的発展はありえず、一路「衰退と没落」の過程をたどるのみといった珍奇で主観主義的な「全般的危機」論をつい最近まで半世紀以上にわたり持って回っていたのが不破らスターリニストの諸君だったのである。
 そして、彼らは一方ではこうした超急進主義を振りまきながら、他方では「統一戦線」戦術に代表されるブルジョアジーとの協調主義によって、各国の革命を流産や敗北に導いてきたのである。
●●「民主主義革命」は「革命論の用語」!
 さて、「予見」の「当たらなかった」三人に変わって、今度は不破がこう「予見」するのである。
 「しかし、21世紀には、私ははっきりいって、地球は資本主義のままでこの世紀をやっていけるかどうか、資本主義の存続の是非を問われる時代が来たことを痛感しています」
 言やよし。ところが、彼はこの“革命的”なご託宣に続けて、すぐさまこう説教し始めるのである。
 「社会の発展というものは、段階的に行われるものです。だれかが希望したからといって、一挙に一足飛びにおこなわれるものではない。これが私たちの考えなのです。ましてや現在は、『国民が主人公』というのが政治の大原則であります。どんな改革も国民の間で条件が熟し、機も熟した時に、国民多数の合意と納得のもとで、初めて実現される。こういう一歩一歩の段階的な前進が、社会進歩の歴史を築いていくのであります」
 これが思想的には社会発展における「飛躍」や「質的転換」を見ない非弁証法的な歴史観、社会観であり、実践的には俗悪な漸進主義、改良主義のプログラムであることはあらためて説明するまでもないだろう。
 彼は「資本主義の存続の是非を問う」などと見得を切りながら、すぐにそれを忘れて「一歩一歩の段階的な前進」、すなわち「資本主義の枠内の民主的な改革」へと飛び移るのである。そして、不破は党綱領の謳う「民主主義の革命」に触れてこう強調するのだ。
 「これは、革命論の用語で表現していますが、内容を言えば、日本が事実上の従属国から抜け出して国の主権・独立を確保すること、それからまた政治・経済の民主主義の徹底をはかること、つまり社会主義的な改革、変革ではなく、『資本主義の枠内の民主的改革』が、日本における社会進歩の当面の中心課題だということを、明らかにした方針でした」
 語るに落ちたとはこのことだ。不破は、綱領に言う「民主主義革命」というのは「革命論の用語」、つまり自らをいくらかマルクス主義的、急進的にみせかけるための空文句に過ぎず、その本当の内容は「資本主義の枠内の民主的改革」であって、実際には革命でも何でもないと言うのである。
 共産党の唱える「新しい民主主義革命」などというものが現代日本では空虚な空文句に過ぎないことは我々がつとに指摘してきたところだが、ついに自らここまではっきりと告白するに至るとは! これは共産党の「綱領路線」の破綻を自ら認めるに等しい記念碑的な発言であろう。
 そして、例によって「ルールなき資本主義」論である。日本資本主義は資本主義の本来のあり方に照らしても「異常」、「異様」である、当面はこれを資本主義の正常な姿に戻すことが必要であって、こういう「日本改革」が実現すると資本主義のもとでも労働者に救いがあるかに不破は請け合うのである。
 こうして不破は「資本主義の存続の是非を問う」から出発して、いつの間にか、「資本主義の存続」の肯定へ、さらにはその賛美へと移行するのである。
●●中国が新しい社会主義のモデル
 そして、この不破流ペテンの総仕上げは再び「私たちの未来社会論」を語り、何か自分たちが「社会主義の理想」を手放さず、その実現をめざして闘う党派であるかの装いを凝らすことである。
 不破はこれまた一見もっともらしく「われわれのめざす社会主義は、社会生活全体にわたって、人類が資本主義の時代にかちとったすべての価値ある成果を受け継ぎ発展させるものだという立場であります」などと言う。
 しかし、彼の言う「未来社会」に「受け継ぎ発展させる」、「資本主義の時代にかちとった価値ある成果」とは何か。それは政治的には議会制民主主義であり、経済的には「市場経済での商品選択の自由」(!)である。
 しかし、「市場経済での商品選択の自由」とは何か。この「自由」を国民に満足のいくように保障するためには、商品生産と市場経済を全面的に発展させることであろう。そして、商品生産と市場経済を全面的に発展させるとは結局は資本主義を全面的に発展させることに帰着するであろう。
 つまり、不破のめざす「社会主義」とは事実上、資本主義の存続を、その全面的な発展を前提にしたものであって、それを根本的に変革することで実現されるものではないのである。それはせいぜい国家による「民主的規制」を施した資本主義、彼らの言う「ルールある資本主義」でしかないのである。
 不破は「利潤第一主義を乗り越え、人間による人間の搾取をなくす目標」について盛んにおしゃべりしているが、しかし、商品生産を、そしてそれを母胎に絶えず不可避的に生まれてくる資本主義的諸関係を廃絶することなくして、どうして「人間による人間の搾取をなくす」ことができるであろうか。
 また不破は旧ソ連の体制を目の敵にして「人間抑圧を特徴とするあのような体制の再現を許すことは、絶対にあってはならない」と力んでいるが、しかし、よくしたもので長年賛美してきたソ連に代わる社会主義のモデルが今では都合よく登場しているのだ。今度は中国、ベトナム、キューバがそれである。
 不破は「ソ連は解体しましたが、レーニンの名前と結びついた社会主義の事業が消え去ったわけではありません」として、こう強調してやまない。
 「中国、ベトナム、キューバなど、社会主義をめざす新しい事業に取り組んでいる国々が、現に存在しています。これらの国々がいまかかげている『市場経済を通じて社会主義へ』という方針は、かつてレーニンが提起し、スターリンが捨て去ったものであります。これは、だれも最後まで歩き抜いたことがない新しい挑戦であるだけに、その前途にははかりしれない困難があるでしょうが、この挑戦の成果が21世紀の世界の流れに必ず大きな影響を与えること、私はこのこともまた間違いなしと考えています」
 レーニンのネップが不破が言うような意味での「市場経済を通じて社会主義へ」の試みでなかったことはここではおくが、すでに「人民中国」(国家資本主義)の段階さえも“卒業”して、今や公然たるブルジョア大国への歩みを開始した中国の現実を目の前にして、その前途に「社会主義をめざす新しい事業」の実現を「間違いなし」と確信するとは、いったい不破といった男はどこまで愚かになったら気が済むのであろうか。
 ロシアと中国との違いといっても共産党が権力を握っているか否かの違いであって、ブルジョア的発展という両国のめざすものに本質的な相違はないのである。それを共産党という名称の党(といっても今ではブルジョア国家官僚の党だ)が権力を握っているというだけで、中国を「市場経済を通じて社会主義へ」のモデルと賛美するのである。
 国家資本主義とスターリニズムの旧ソ連がだめなら、今度はブルジョア的発展に狂奔する中国が「社会主義をめざす新しい事業」のモデルだというのだから、この男の感覚が尋常なものでないことだけは確かだ。
 不破の講演はもはや荒唐無稽としか言いようのない代物になっているが、しかし、それこそ日本共産党が80年の歳月を経て到達した今日のブルジョア的な退廃と堕落を「記念」し、飾るにふさわしいものではある。
(町田 勝)

――――――『海つばめ』第792号2000年10月1日――
 共産党が11月の党大会で規約を改正するという。党の組織的活動のやり方に関する、純然たる規約改正なら我々は特別に論じる必要は全くないだろうが、しかし実際には、この改正はその結成から80年を経て、共産党が露骨なブルジョア政党に脱皮したことを公に宣言し、告知するものであり、決定的な歴史的な意義を持っている。今や共産党を労働者階級の党、マルクス主義の党、社会主義の党として評価することは、いかなる意味でも不可能であろう。もちろん、共産党の堕落は今に始まったことではなく、今回の転向宣言も、共産党の腐敗した現実の追認、確認の意義しか持たないかもしれない、しかし共産党が自ら公然とブルジョア政党としての存在を誇示し始めた意義は小さくない。不破や志位は「国民のため」とか、「分かりやすくするのだ」とか、ありとあらゆるごまかしの空辞を持ち出しているが、しかし彼らの背教、彼らの“ブル転”(ブルジョア的転向)を断固として告発し、彼らを闘いの戦線から追放していかなければならない!
●●階級の党から国民の党へ
 規約改正の要点は、党の性格を「労働者階級の前衛」から、「日本の労働者階級の党であると同時に、国民の党」に変えたこと、「創立以来の『国民が主人公』の信条に立ち、常に国民の切実な利益の実現と社会進歩の促進のために」闘ってきたという文章を入れたこと、「党の決定は無条件に実行しなくてはならない」、「個人は組織に、少数は多数に、下級は上級に従わなくてはならない」という文章などを削除したこと、などである。
 また大会決議で、自衛隊は憲法違反であると主張しつつも、それが必要とされる情勢になれば「活用すべき」と強調したことも、今回の共産党の“転向”を象徴する契機として特に注目されるだろう。
 共産党が自らの性格を明白に労働者の階級政党から国民の党に変えたのは特徴的である。もちろん、これまでも共産党は自らを階級の党ではなく、国民の党である、と強調してきていたが、しかし労働者階級を優先させる規約の文章はそのままにしてきた。だが、今やこうした規約の文章が、この党には重荷に感じられるようになったのである。
 しかし“国民”の党といえば、それはブルジョア政党の謂いである。国民の概念は、すべての階級を――つまりブルジョア階級もプチブル階級も寄生階級も――包含するからこそ国民概念であり、それは不可避的に階級協調主義、妥協主義に通じている。
 階級闘争の立場を放棄し、ブルジョアジーに追随する日和見主義者たちだけが、自分たちの党が労働者階級の党ではなく国民の党だというおしゃべりにふけることができたし、またこれまでもふけってきたのである。
 階級概念に代わる国民概念は、資本の支配との闘争の放棄を意味したばかりではない、資本の支配を美化し、その枠内で、その「民主的変革」を謳う共産党の政治とピッタリ照応している。共産党は日本資本主義の「民主化」を求めるのだが、民主主義――もちろん、歴史的な政治体制としての民主主義――はすでに日本では現実であり、資本の支配の一形態、それにもっとも適した形態として、戦後存在してきたが、今ではすでにすっかり頽廃し、その矛盾、その腐朽を日々暴露しているのだ。
 基本的に“民主主義的な”資本の支配が確立している国で、「民主化」を「当面の課題」として求める人々は、不可避的に、この体制を支配する階級、つまりブルジョアジーの召使、下僕になるし、ならざるをえないのである。
 すなわち共産党はみじめな現状追随者であるにすぎず、この立場は必然的に、共産党を資本の勢力の手中に連れていくのである。
 労働者の階級政党を否定するのは、かつては社会党の右派勢力の立場であり、彼らは党内の左派と、つねに社会党は「階級政党」か「国民政党」かで争ってきた。この例からも分かるように、国民政党の概念は少しも珍しいものでも新しいものでもない。
 珍しいのは、資本の支配に反対して、社会主義を追求するという共産党もまた、社会党右派の後を追ったことだが、汚い社会党右派の連中こそ社会党を解体させるという奉仕の仕事――資本の勢力に対する――をやり遂げた後、今は議員の地位だけは守ろうと民主党に“なだれ込んで”いるのである。
 共産党が労働者階級の党から、国民の党に変身したことは――といっても、これは現実にはすでに久しい以前から実行されていたのであって、今回は、ただそれを“追認”し、公的に承認したにすぎないが――、共産党のブルジョア的堕落が「完成した」ことを教えている。
「前衛」の概念について
 共産党は「前衛」の言葉も削除したが、その理由について、不破哲三は、マルクスやエンゲルスは「前衛」という言葉は使わなかった、『共産党宣言』でも、党は実践的には「もっとも断固たる、たえず推進して行く部分」、理論的には「プロレタリア運動の諸条件、その進路、その一般的結果を洞察している点で、残りのプロレタリアートの大衆に先んじている」と書いて、「味のある言葉」を残している、として次のように主張した。
「『前衛』という言葉には、党と国民、あるいは党とその他の団体との関係を、『指導する者』と『指導される者』との関係としてとらえているのではないかとみられる誤解がある」
 つまり、「前衛」といった、誤解を招く言葉を避けるべきだと言うのであるが、前衛という言葉の意味が、マルクスが『共産党宣言』で述べている、共産党の性格づけと、どれだけ違っているというのか。マルクスは、まさに共産主義の党は労働者階級の「前衛」の役割を果たさなくてはならないことを述べているのであって、「(共産主義者の党は)残りの労働者大衆に先んじている」というマルクスの文章を肯定的に引用しながら、「前衛」という言葉を――言葉だけを――怖がるのは全くだらしなく、矛盾している。マルクスの文章こそ、「前衛」概念の主張そのものであろう。
 そして「前衛」という言葉には、「残りのプロレタリアートの大衆に先んじている」という概念は本質的な契機として含まれるだろうが、「指導する者」と「指導される者」といった意味が必然的に伴なわれているとは思われない。先頭に立って闘う者、先んじて矛盾を自覚して闘う者、でもいいのだ、むしろこれこそ「前衛」の本質的な概念であって、これを「指導する者」と「指導される者」という概念だと思うこと自体、“超”ナンセンスであろう。
 したがって「誤解を招く」とするなら、それはこの「言葉」が悪いのではなく、共産党の頭脳構造こそがまず問題であろう。
 しかも共産党は実際には、「前衛」というよりセクト主義であった。つまり組合など(大衆団体)に対する、共産党の偏狭な支配、“領地化”が、“引き回し”が、自らのプチブル的政治の“押しつけ”が問題なのであって、これは「前衛」という言葉を放棄することによっては決して克服されえないのである。
 不破らは一方で、社会主義の党の革命性、“前衛”性を否定し、他方で、労働組合などの“大衆団体”の非民主的な“囲い込み”や“引き回し”を改めないのだから――彼らは今も、組合支配のための卑劣で非民主的やり方をやめようとは決してしていない!――、この党はますます腐ったプチブル・セクトとしての性格を強めるしかないだろう。
自衛隊の「活用」
 自衛隊についての彼らの態度も、共産党の“ブル転”を暴露して余りある。
 彼らは口先では、自衛隊は憲法違反の存在であり、「段階を追って」やがては消滅させなくてはならない、とおっしゃるが、しかし他方、緊急事態(外国の侵略等々)が生じれば自衛隊は「活用」されなくてはならない、とわめくのである。
 しかしこうした立場は、これまで自民党が強調してきたものと寸分と違わない。自民党といえども、自衛隊の「活用」を考えるのは緊急の事態においてであって、そのためにこそ日本の軍隊は常日頃から育成され、強化されなくてはならないのである。
 だから、緊急の事態などを持ち出して、自衛隊の「活用」といった立場を正当化できるなどと思い込むのはナンセンス極まりないのだ。共産党は常日頃は自衛隊に反対である、ただ緊急の場合にのみ自衛隊の意義を認めるにすぎない、ただそれだけだといのうだが、しかし常日頃資本の国家が軍隊を育成するのは、単に平穏無事の日常のためではない、という簡単なことさえ、分かっていないのである。
 もし共産党が緊急事態のために軍隊の意義を認めるというなら、それは日常的にも擁護されなくてはならない、というのは、軍隊は日常から存在し、訓練され、装備されていなければ、緊急事態がやってきても、何の役にも立たないからである。
 緊急事態のときに自衛隊の意義を認めるということは、現在の時においても、常時においてもその意義を認めるということであり、それ以外ではありえない。この二つを切り離して、自衛隊には反対だが(原則としてというより、憲法違反の存在だから)、しかし緊急時にはなくてはならないものだ、などという観点で、自衛隊に――そして国家主義、軍国主義に――反対して闘っていくことができないのは余りに明らかであろう!
 また、共産党の茶坊主の志位は、遠い将来の自衛隊の解消について盛んに語り――自らの転向を隠すために――、それは日本が中立国家になった後だとして、次のように語っている。
 日本が中立した後、周りの国々と「本当の友好関係」を築く、また国際的な「段取り」で日本の平和も保証する、そしてそのとき「周りを見渡して、万一の心配もない」ということになれば、自衛隊も不要ということになって、「憲法第九条の全面的な実施」が可能になる、云々(赤旗、9月24日)。
 何というおめでたい空想であろうか。二百にもなろうとする国民国家、ブルジョア国家が存在し、互いに必死で競争し、対立し、争っているこの資本の支配する世界で、「周りを見回して、万一の心配もない」状況など来るはずもないではないか。階級国家が存在する世界で、絶対の「安全」とは一体どんな状況か、ブルジョア国家、階級国家がすべて平和的で、穏やかな国家として登場するとでも言うのであろうか。そうだとするなら、共産党は資本の支配する現実の世界の深刻な諸矛盾、諸困難、諸闘争を一切理解していないのだ、この世界が諸資本の――したがって諸国家の――競争と対立のなかで動いているのを忘れているのだ。ファシズム国家、軍国主義国家、超反動国家は未来のものでなく、すでにいくつかの国家の現実でさえある(多くの“民主主義”国家でさえ、こうしたものを必然的な契機にしている)、だが、共産党はこうした現実をすべて無視することができるのである。何という気楽な党(プチブル党)であろうか。
 資本の支配、資本の諸国家を前提にして、軍隊の撤廃を語る共産党はくだらない空想屋であるにすぎない。
 そればかりか、彼らは将来における軍隊の撤廃(現在の体制内での)という夢物語を語りながら、現実の冷厳な諸関係の中では、階級闘争の中では、ブルジョアに味方して、軍隊は必要であり、それを認めなくてはならない、と労働者に説教するのである。何という破廉恥な反動家たちであろうか。
●●天皇制にも同じ理屈
 共産党はまた天皇制についても、同じようなへ理屈を並べている。
 天皇制もまた将来は確かに廃止されるのだが、しかし現在のように憲法の枠内にあり、害悪を及ぼさない限り、それを廃止するという立場には立たない、と彼らは反動どもにこびている。
 つまり天皇制が憲法と議会に従属する、現在のような象徴天皇制の体制なら構わない、と言うのである。
 しかし現在の天皇制が、労働者にとって一つの抑圧機構として、おかしな権威として押しつけられているとき、象徴天皇制は害悪ではない、などとよくも言えるものだ。
 戦前の天皇制は悪く、戦後の象徴天皇制ならいいといったことでなく、象徴天皇制もまた、「天皇は国家・国民の象徴」といった欺瞞によって、国民を全体として資本とその国家のもとに統合し、抑圧するための一つの道具、国家の“機関”――戦前、美濃部達吉が天皇制に対してやった不細工な言い方――として立派に機能しているのであって、それさえ見ることのできない共産党は、民主主義ぼけ、平和主義ぼけしているとしか言いようがない。
 天皇は国民の象徴と規定することは、天皇と国民全体との間にどんな矛盾や対立もない、ということであるが、そんなことがありえないのは、先進的な労働者たちが(そして階級としての労働者も、全体的には)天皇制に反対であることからも明らかであろう。
 もし天皇が国民の象徴だというなら、それは資本の勢力と天皇の間に利害関係や思想的な一致があるということであって、ブルジョアたちはこの一致を国民全体の一致であると強弁しているにすぎない。
 天皇が自由主義的立場を取れば、それは現在の資本の勢力の支配的な立場と一致する、しかしだからといって、天皇は国家や国民全体を「象徴」しているわけではないし、そんなことはありえない。
 天皇を国民全体の象徴とすることは、支配階級と利害や立場や思想を一致する天皇に、したがってまたブルジョアジーに、国民全体を、したがってまた労働者階級を従属させることである。そしてそのためにこそ、象徴天皇制が意義を持ってくるのであり、ブルジョアジーは今なお天皇制を持ち上げ、珍重するのだが、この立場は事実上、今や共産党のものともなったのである。
●●悪臭放つ日和見主義
 この党は、今なお、自分たちを「科学的社会主義の党」と規定し、呼んでいる。
 しかし科学的社会主義とは、資本主義に対する闘いの学説であり、階級闘争の理論であって、これを否定する共産党が「科学的社会主義の党」などを名乗る資格がないのは余りに明らかであろう。
 この党ほど、科学的社会主義すなわちマルクス主義を歪曲し、修正し、曲解してきた党はない。それはスターリン主義以来の“伝統”であって、この党の本質であり、また根深い“体質”ともなっているのだ。
 今こそ先進的労働者は、完全に“ブル転”し、醜悪な資本の従僕に転落した共産党を弾劾し、労働者の闘いの戦線から追放して、新しい革命運動を作り出して行かなくてはならない、そしてそのためには、心ある労働者は一人残らず、新しい労働者の社会主義政党、社労党に結集しなくてはならない!
 共産党は、11月の党大会で、ブルジョア的転向を公然と宣言するという。しかしこの党の転落は今に始まったことでなく、1920年代、「スターリン主義者の党」として出発して以来、一貫して“進化”して来たものであり、様々な契機をもっている。今回は、共産党の日和見主義の“進化”を、二つの側面――議会主義との関係と、スターリニズムとの関係との――から検討してみよう。
 まず共産党の「人民議会主義」について検討してみよう。これは共産党の政治を基礎づけて来たもので、「先進国革命の新しい理論」ともてはやされてきた。だが、それが平凡なブルジョア議会主義の一変種にすぎなかったことは、いまでは完全に明らかである。
●●人民的議会主義とは
 共産党が「人民的議会主義」を強調し始めたのは、70年頃からであったが、さしあたり次のようなものであった。
 「我々が日本の政治の変革を展望する場合、党と統一戦線の勢力が積極的に国会の議席をしめ、『議会で安定した過半数をしめる』ことをめざすということであります。もちろん、国会で過半数をにぎれば、当然、この過半数を基礎にして合法的な政府を樹立することができるわけで、これはわが党が、国民の多数の支持のもとに、民主的な政府の合法的な樹立をめざすという立場を、明らかにしたものです」(不破哲三『人民的議会主義』)
 要するに、主権在民と民主主義の原則をもとに議会で多数を獲得することを通じて、平和的・合法的に日本の「独立」や「民主化」を、さらには「社会主義日本」をめざす、といった立場である。
 彼らはこれを「先進国革命の新しい理論」とし、左右の日和見主義との闘いと称してマルクスやレーニンからの引用を大量に示し、権威づけたが、国会で多数を獲得して合法的に社会主義に前進する(できる)という路線そのものが、資本の国家に対する過大な幻想、ブルジョア議会主義に他ならなかった。
 このことは、その後の彼らの歴史、民主連合政府や「よりまし政権」、「自由と民主主義の宣言」、「日本経済への提言」などで次々に暴露された。共産党は国会を「名実ともに国権の最高機関」であるといい、議会制度や複数政党制は将来の社会主義社会でも保持されると請け合い、共産党は決して「合法的・適法的」発展の道を踏み外さないと誓い、人権やブルジョア的自由を「人類共通の財産」と持ち上げたが、こうした主張がカウツキーやベルンシュタインの改良主義・修正主義に他ならなかったことは、今では完璧に明らかである。
 当初は、レーニンの議会主義を擁護し、マルクス主義やレーニン主義との整合性を何とか保とうと苦心してきたが、彼らのブルジョア議会主義への深化は、とうとう「整合性」を保つことはできなくなった。
 不破は昨年来の「経済」の連載で、さらには「赤旗」のインタビューでレーニンの「重大な誤り」を公然と批判し、マルクスやエンゲルスを「議会で多数を獲得する」ために闘った平凡な議会主義者・民主主義者として描くまでになっている。彼らの「人民的議会主義」は、その論理的必然としてマルクス・レーニン主義の国家論や革命的議会主義を公然と拒否するところまでいきついたのである。
●●レーニンとの「深い矛盾」
 今年の1月3日号の『赤旗』で不破は、共産党の議会主義とレーニン主義との「深い矛盾」について語っている。
 「はっきりいって、党綱領の革命の路線とレーニンが『国家と革命』で展開した理論との間には、最初からかなり深い矛盾があったんです。だいたい、綱領は、国会で安定した過半数をとることが革命の勝利への重要な条件となると規定しています。ところが、レーニンの『国家と革命』というのは、国会で多数をえて、これを革命の足場にすると言うこと自体を否定しているわけですから」
 たしかに、レーニンは不破と違ってブルジョア議会にどんな幻想も持っていなかった。彼は反動的な国会の中でも共産主義者は断固として闘うべきだとし、その「革命的な利用」を呼びかけたが、しかし議会の中で多数を占め、平和的に社会主義に到達しうるといった立場をブルジョア議会主義として明確に退けていたからである。
 これは単にロシア的な特殊性の問題ではなく、ブルジョア的議会主義と革命的議会主義との原則的な対立の問題であった。このために、共産党が現綱領を採択して以来、レーニンの「革命的議会主義」との矛盾に悩み続けなくてはならなかったのだ。
 ソ連が崩壊し、レーニン主義の呪縛から解き放たれた不破は、いよいよ公然たるレーニン批判に乗り出したというわけである。
 インタビュアーの山口富雄が、レーニンの主張をこの数十年間「無理をして読んできた」とその苦しい胸の内を明らかにすると、不破も喜々として言い放つ。
 「レーニンでも、科学的社会主義の生きた革命家として重大な誤りを犯す場合もあります」
 「彼が『国家と革命』で、マルクス、エンゲルスの国家論、革命論の誤った整理をおこない、『議会で多数をえての革命』という道を原理的に否定してしまったことは、その後の世界の共産主義運動に深刻な影響を与えた誤りでした」
 不破によれば、レーニンの国家論は、1871年のパリ・コンミューンで止まっているそうである。すなわち、そこでマルクスやエンゲルスが有名な教訓を引き出した――労働者は出来合の国家機関を利用することはできない、それを粉砕し、労働者の権力に置き換えなくてはならない等々――が、それ以上進んでいないと言うのである。
 もちろん、ここで「誤っている」のは、レーニンではなく不破の方である。「議会で多数を得て革命」という原理とは、まさにブルジョア議会主義そのものであるからだ。不破は、レーニンが暴力革命を絶対化した、議会制度や普通選挙の役割を軽視している、ブルジョア国家機構の改良ではなく粉砕を主張していると攻撃する。だが、こうしたレーニン攻撃は第二インターを牛耳っていたカウツキーやベルンシュタインのものであった。
 もちろん、「暴力(強力)革命絶対化論」は、かつての毛沢東派や急進主義者のものであっても、レーニンのものではない。むしろ、ブルジョアが“アカ攻撃”として好んで用いる用語であり、不破はそれを不用意に借用しているだけなのだ。
 レーニンは当時の情勢から暴力革命が避けられないことを強調したが、それは、平和革命と暴力革命を機械的に対立させ革命の道が「暴力革命以外にあり得ない」と形式的な議論をした主張したのではなかった。階級闘争の現実を見れば反動派がどんな抵抗もしないで権力を去るなどと考えることはできないこと、労働者は暴力をふくめて革命的警戒心を怠ってはならないということであった。
 ところが、不破はレーニンを「暴力革命絶対主義者」であるかに中傷し、「議会で多数をえての革命」という自らの議会主義を正当化するために、レーニンの「誤り」を叫び立てるのである。
 そしてマルクスやエンゲルスは、パリ・コンミューンの経験を絶対化せず、さらに「議会を通じての平和的発展の道」を追求していったとするのである。
●●マルクスもエンゲルスも平凡な議会主義者
 実際、不破の手に掛かるとマルクスもエンゲルスも「強力革命」を否定した平凡なブルジョア議会主義者に変身させられる。
 まず、『共産主義の原理』が取り上げられる。「問18」でエンゲルスはたしかに「民主主義的国家制度」の実現をまず要求しているが、イギリスをふくめて当時のヨーロッパのどこにも普通選挙制度が実現していなかった状況では、こうした要求は当然のことであった。ところが不破によるとここですでにエンゲルスは「議会の多数をえての革命」という方針を早くも問題にしているというのである。
 「労働者階級は、革命をやる前に、選挙で議会を選ぶという民主主義の政治体制の原則をかちとることが重要だ。これがかちとられたら、イギリスのように、すでに労働者が人口の多数を占めている国では、労働者だけで直接的に、フランスやドイツのような国では、労働者が農民・市民とくんで間接的に、多数をえての革命をやり遂げることができる――こういう方針を打ち出しているんですよね」
 ドイツについても次のように言う。
 「1848年、ドイツに革命が起こったとき、マルクス、エンゲルスは、『ドイツにおける共産党の要求』という政治綱領を書きますが、そこでは『普通選挙権』の実施を大きくうたいます」
 ドイツではまだ民族国家の統一も成し遂げられていなかったのである。マルクスが「普通選挙権」を要求するのは、そして「民主主義的国家」を要求するのは、当然のことであった。普通選挙や民主主義について論じることが、なぜ「多数をえて革命をやり遂げる」方針につながるのか、誰も理解することはできない。不破は自分の議会主義という小さな穴から、すべてを見ようと奮闘するのだ。
 「また、ヨーロッパの革命が終わったあと、イギリスに亡命したマルクスは、イギリスの労働者が普通選挙権を要求して起こしたチャーチスト運動と、親しい連帯の関係を結びます。そこで、普通選挙権が実現されたら、イギリスの労働者階級の前には、議会の多数をえて社会主義を実行する道が開けるという意義づけをします。エンゲルスが『共産主義の諸原理』で論じた革命論が、こうやって受け継がれ、実践的に発展してゆくんです」
 もちろん、マルクスがどこで「議会の多数を得て社会主義を実行する道が開ける」などという意義づけをしたかを証明することはできない(マルクスがそんなことを言うはずもないからである)。だが、普通選挙権の意義を論ずると、こうした意義づけをしたことになってしまうのだから恐ろしい話である。
 また、パリ・コンミューンの教訓についても、レーニンのようにブルジョア国家機構(その中心は官僚制と軍隊)を粉砕するのではなく、「改造する」ことがマルクスの言いたいことであった、マルクスは、コミューンの経験を「万国共通のモデル扱い」することなく、「つくりかえる」内容と方法にはその国の具体的な情勢によるようにしたと言うのである。
 「強力革命によって旧国家機構を完全に粉砕し、人民の武装に依拠して新しい国家機構を新たにつくりだす、という場合ももちろんあるでしょう。また、労働者階級が議会の多数をえて、合法的に政権につき、その政権の決定で国家機構の『つくりかえ』にとりかかるという場合もあるでしょう」
 いやらしい総括の仕方である(不破らしい!)。労働者は出来合いの国家権力を粉砕する道もある、しかし合法的な道もあり得る――これでは、マルクスがどんな教訓を導き出そうとしたかは、何も明らかではない。しかし、これが不破のやり方であり、すべてを相対化し、マルクスが導き、レーニンが誤解のない様な形で引き継いだ貴重な教訓をすべて葬り去ってしまおうということである。
 そして彼は、レーニンが見ていなかったであろう「ヴァッテンへの手紙」や「ベルンシュタインへの手紙」をとりだし、「粉砕」でなく「改造」や「つくりかえ」を論じているというが、エンゲルスは「粉砕」と対立する形で「改造」を論じている訳ではない。また、そこでエンゲルスが言っているのは、民主共和制のもとで労働者の階級闘争が徹底的に遂行されるであろうということであって、このことをもって「議会で多数をえて合法的に革命する」などという解釈は成り立たつはずもないのである。
 さらに90年代における「エルフルト綱領批判」や「フランスにおける階級闘争」への「序文」などを持ち出し、次のように言う。
 「こう見てくると、マルクス、エンゲルスの革命論は、1840年代の『共産主義の諸原理』から1890年代半ばにエンゲルスがなくなるまで、ほぼ半世紀にわたる一貫した流れとして浮き上がってきます。そのなかで『議会で多数をえての革命』というのは、非常に力強い流れとなっているんですね」
 結局、不破は自らの議会主義に似せて、マルクスやエンゲルスを読み解いたにすぎない。
 共産党の「人民的議会主義」は、まずレーニンの国家論や議会主義を否定した。そして「議会で多数をしめて、平和的に民主日本や社会主義をめざす」という枠組みに、マルクスやエンゲルスを無理矢理押し込めた。そこではマルクス主義の主要な国家論、革命的な議会主義の戦術はことごとく否定されてしまった。
 今や残されたのは、平凡で卑俗なブルジョア議会主義、改良主義である。労働者はこうした「先進国における新しい革命理論」の本質を見誤ることはないであろう。
(山田明人)
●●宮本体制の確立
 今では、日本共産党はスターリンを労働者、人民の抑圧者として語っている。しかし、1950年代まではスターリンは国際共産主義運動の偉大な指導者としてみなされ、各国の共産党はその圧倒的な影響下にあったのだ。そして、日本の共産党も例外ではなかった。戦前の共産党はもちろん、戦後も60年代頃まではスターリンの思想は共産党の運動に直接的、間接的な大きな影響を与えてきたのであり、共産党の歴史と現在は、スターリン主義の影響を抜きにしては語ることができない。
 一般的に言って、スターリン主義の影響はマイナスに作用したが、それが決定的な形であらわれたのは、戦後の激動期においてであった。
 戦後、労働者の自然発生的な階級闘争の高まりを、資本に対する意識的な闘いへと導くことができずに、解体させたのは共産党であった。
 戦後、地下から現れた共産党は、占領軍によって日本の民主主義革命の端緒が切り開かれたとして、それを「解放軍」と規定し、占領下の「平和革命」を訴えた。
 「平和革命」は、たんに徳田らの個人的な誤りといったものではなく、戦前のスターリニスト共産党の綱領的な立場と結びついていた。戦前の共産党は、日本が天皇制絶対主義の支配のもとにあり、革命の課題は天皇制を打倒し、封建遺制を一掃する民主主義革命だと規定した。共産党は日本の支配階級が独占資本であり、天皇は独占ブルジョアジーの支配の道具であることを見ることができず、社会主義のための闘いを労働者に呼び掛け、組織することに反対してきた。
 こうして戦後、占領軍によって「民主化」がなされるなかで、徳田らは占領軍に対する幻想にとらわれ、占領軍を「解放軍」として、「平和革命」を唱えたのである。
 二・一ストに対する占領軍による中止命令など、「平和革命」路線の破綻が明らかになる中で、スターリンの指導するコミンフォルムは、50年、占領下の平和革命は幻想と批判する「論評」を発表し、アメリカ帝国主義との闘争・民族解放の闘争を呼び掛けた。こうして、共産党は「平和革命」を主張する徳田、野坂ら主流派と「論評」を支持する宮本ら反主流派に分裂して、労働運動そっちのけで泥沼の抗争を展開した。この間、職場ではレッドパージの嵐が吹き荒れ、戦闘的労働者は次々と職場から追放されていったのである。
 しかし、分派抗争は徳田らの「批判」を受け入れたことで突如終息し、共産党はスターリンと中国共産党の指示した「軍事方針」に基づき火炎瓶闘争、交番襲撃を行うなど極左冒険主義に走ったのである。冒険主義は大衆的な影響力を失わせ、共産党を解体の危機に追いやった。
 共産党は分派闘争は、徳田ら主流派の「家父長的個人的」党の指導のもたらしたものであり、武装闘争については、ソ連、中国が共同して「干渉」し、それに徳田らが無批判的に追随した結果である、宮本は責任がなかったと主張している。
 だが、実際には宮本もスターリンや中国共産党に追随したのである。中国共産党が「批判」を受け入れた徳田らを共産党の指導部としてお墨付きを与え、分派闘争を止め、そのもとへの団結を呼び掛けると、反対派の中心の一人であった宮本は徳田派への批判をやめ、事実上これを承認した。彼にとっては、徳田主流派が組織的な手続きを踏まず反対派を排除して勝手に指導部をでっち上げたことが最大の問題であって、党の実践的理論的な問題は二の次、三の次の問題であったのである。
 徳田の死後、55年には共産党は六全協で、主流派と反主流は和解し党の統一を行った。党の統一のための筋書きはすでにソ連の主導のもとで出来上がっており、日本を帝国主義の支配下にある半植民地、従属国と規定し、民族独立のための武装闘争方針が出されるもととなった主流派の「五一年綱領」は「正しい」ものとされた。党統一の筋書きに乗って宮本は野坂ら主流派と一緒になって書記長の地位に就いたのである。
 「いかなる事態に際会しても党の統一と団結、とくに中央委員会の統一と団結を守ることこそ、党員の第一義的な任務である」、そのために「民主集中制と集団指導の原則を貫く」、「いかなる場合にも党の内部問題を党外にもちださず、それを党内で解決する」(78年、『五〇年党史』)、これが宮本共産党が分派闘争から得た「教訓」であった。
 徳田の「家父長的個人中心」の指導とか党規約を無視した「自由分散主義」が克服されるべき問題であるとされ、共産党を解体に追い込み、労働運動に図り知れない損害をもたらした党の基本路線についてなんら真剣な総括はされなかったのである。
 党内の反対意見について徹底した議論なしに「党破壊分子」「反革命分子」などと誹謗、中傷して排除するのはまさにスターリニストの常套手段であるが、書記長となり、党の実権を握った宮本はその後、官僚主義的締め付けをもって、第八回大会(61年)では構造改革派を、九回大会(64年)ではソ連派を、そして十回大会(66年)では中共派を次々に追放していった。
●●「民主的変革」路線
 宮本体制を確立した61年の第八回大会は、綱領を採択した。綱領は、日本の現状を「高度に発達した資本主義国でありながら、アメリカ帝国主義になかば占領された事実上の従属国」であるとして、当面する課題は「真の独立と政治・経済・社会の徹底的な民主主義的変革」であること、日本の革命は、資本主義の枠のなかでの民主的変革、アメリカ帝国主義と日本の独占資本という「二つの敵に反対するあたらしい民主主義革命」であることを謳った。
 共産党は、「反帝独立と反独占民主主義の任務を結合した、高度に発達した資本主義日本でのこの「民主主義的変革」の提起は、第二次大戦後の情勢を踏まえた、これまでの革命運動の歴史にない画期的な路線であると自画自賛している。
 だが、民主主義的な変革を経て社会主義的変革へという二段階革命戦略はなにも新しいものではなくて、スターリニスト的革命戦略である。スターリンは、二月の封建制を一掃するブルジョア革命を経て十月革命へという後進国ロシアの革命の経験を一般化した。戦前には天皇制を中心とする封建制を一掃するブルジョア革命であった。しかし、戦後は「アメリカ帝国主義の支配」をもってきて、資本主義の「民主主義的変革」を唱えたのである。
 労働者の社会主義のための闘争を否定し、日本の独立と資本主義の「民主主義的変革」をやるという宮本路線は、労働者の階級意識を曇らせ、闘いを歪め、後退させてきた。
 資本主義の「民主主義的変革」のための政権は、労働者階級の革命的権力ではなくて、自由主義的ブルジョア政党やプチブルジョア政党の参加する政権であろう。
 また、共産党はスターリン主義にもとづいて「統一戦線」を謳ったが、統一戦線の中での労働者の階級的ヘゲモニーを強調した。だが、労働者の階級的ヘゲモニーの貫徹する統一戦線など空文句でしかない。労働者がヘゲモニーを発揮するような統一戦線に自由主義者やプチブルジョアは参加しないだろうからである。
 かくして現実には、労働者の独自の階級的な闘いの自粛が叫ばれて、国民に支持される闘いという理由で労働者のストライキは切りちぢめられ、抑制されてきた。また、自治体の首長では自由主義者がもてはやされ、労働者はその支援者としての役割を担わされてきた。
●●「自主独立」路線とブルジョア的堕落
 不破は、五〇年問題の経験を通して共産党は「いかなる外国の干渉も許さない自主独立の立場」を確立し、それ以降、一貫して「自主・独立の立場」を堅持し、他国の共産党を自己の影響下におこうとするスターリン的なソ連、中国の「大国主義」、「覇権主義」と闘ってきた、共産党はスターリン主義とは無縁であると主張している。
 もちろん「帝国主義との平和的共存」を唱えたソ連共産党やアメリカ帝国主義との闘争を唱えた毛沢東の中国共産党が、自分らの路線を日本の共産党に押しつけようとしたことは、労働者の国際主義とは無縁のことであることは明らかである。彼らは労働者の階級闘争を発展させるためにではなく、自国の国家的な利益のために、他国の共産党に自分たちの方針を押しつけようとしたのだ。しかし、だからといって、不破のいう「自主独立の立場」が正当化されるわけではない。
 不破は、各国の共産党はお互いに平等、対等であって、外から批判を行うことは干渉であり、国際共産主義運動の原則に反する、世界の共産党はお互いの立場を尊重し合っていかなくてはならない、と言う。
 だが、外国からの一切の批判は「内部干渉」であるとしてこれを非難する「自主独立の立場」とは、労働者の階級的な立場とは無縁なブルジョア的立場であるといわねばならない。労働者の社会主義運動は本質的に国際的であって、日和見主義が国内のものであろうと国外のものであろうと、労働者の運動に影響を与えているかぎりそれを徹底的に暴露し、闘うことは労働者の革命政党の義務であり、任務である。
 実際に「自主独立」路線が強調されるようになるのは、60年代に入ってからである。「国際共産主義運動」を巡って、中・ソ対立が激化する波間で共産党は揺れ動いた。共産党は60年代の前半には、中国共産党との関係を強めた。
 六全協以降、宮本に対立したのはトリアッチに依拠した「構造改革派」であった。構造改革派は、日本独占資本に反対する「社会主義的変革」を唱えた。彼らは、独占資本の「民主的な規制」を通じて、その支配を掘り崩して、「平和的、合法的」に社会主義的な変革に向けて前進すると主張した。
 これに対して、宮本は、アメリカ帝国主義の支配を過小評価し、人民の権力確立という課題を忘れた「改良主義」、「社会主義革命の道を、進化や改良のつみかさねにおくという右翼的なあやまり、修正主義である」(『日本革命の展望』)と批判した。
 綱領決定後には、志賀らソ連派が現われ、ソ連がアメリカ、フランスなどと結んだ部分的核実験停止条約の評価を巡って、帝国主義との協調と批判する宮本と対立した。
 こうして宮本共産党はトリアッチを日和見主義と批判し、ソ連の「平和共存路線」を帝国主義との協調と非難する中国共産党に接近した。
 しかし、中国共産党の蜜月も長くは続かなかった。六五年にはインドネシアの共産党のクーデター計画が発覚し、三百万の共産党は一挙に崩壊した。これは毛沢東の急進主義との決別の一つの契機となった。
 こうした中で、共産党は「自主独立路線」を強めていった。しかし、共産党が、ソ連や中国から「自立」していったことは、マルクス主義的立場を深めていったことを意味しない。反対にブルジョア的な腐敗、堕落を進化させていったのである、
 共産党は、中共派を放逐した70年の十一回大会ではブルジョア議会を美化する「人民的議会主義」を打ち出し、さらに76年の十三回大会ではブルジョア的自由、民主主義を絶対化する「自由と民主主義の宣言」を発表した。
 「人民的議会主義」はブルジョア議会を国権の最高機関として持ち上げ、労働者の革命的権力を否定した。
 そして「自由と民主主義の宣言」では、将来の社会主義日本においては、個人の財産は尊重され、社会主義を批判する党を含む複数政党制がとられ、信教の自由も保障されると謳った。だが、社会主義とは資本の支配を克服した階級のない社会である。階級のない、搾取も抑圧もない社会でどうして、政党や宗教が存在するのか。共産党の主張はマルクス主義の社会主義を歪め、辱めるものである。
 今日では不破は、社会は段階的に発展するものであり、従って社会の改革も一歩一歩段階を追って前進していくのだと主張している。これは「究極の目的は無であり、現実の運動がすべて」として、社会主義のための闘いを否定し、改良のための運動を労働者の唯一の課題とした修正主義者ベルンシュタインの主張そのものである。共産党は、かつて彼らが社会主義への「裏切り者」として非難してきた社会民主主義に行き着いたのである。社会民主主義はスターリニスト共産党のなれのはてである。
 すでにイタリア共産党をはじめ、世界中の多くの共産党は、社会主義は破綻したとして共産党の名称を捨て、名実共に社会民主主義の党になった。イタリア共産党の今日の姿は、日本の共産党の明日の姿である。
(田口騏一郎)

――――――『海つばめ』第592号1996年8月4日――
 日本資本主義は特別だ、欧米の資本主義とは違ってひどく“異常で”あり、搾取的であるというキャンペーンが開始され、広汎に行われている。このキャンペーンは資本主義を暴露し、それと闘うように見せ掛けながら、実は、反対に「“健全で”、労働者が擁護し、受け入れることでできる資本主義がある」と強調することによって、資本主義を美化し、それとの共存を労働者に呼びかけるものであり、決して資本主義そのものとの闘いを提起しないのである。彼らは日本の資本主義も“民主的に”、すなわち欧米の資本主義と同じものに改良されればいいのだ、この改良のために闘うことが労働者の課題であり、利益であり、さらに労働者解放につながるのだ、と言うのである。もちろん、こうした徹底的にプチブル的で、徹底的に改良主義的なたわ言をほざいているのは、言わずと知れた、わが共産党である。
●●日本資本主義は“異常”か
 『労働運動』の八月号は、日本の資本主義を告発し、その法的規制の必要性を強調する特集を組んでいるが、それは日本資本主義に「ルールがない」からであり、それを改革する必要があるからだそうである。この点で、日本資本主義は「ルール」を持っている“進んだ”欧米の資本主義とは本質的に別のものであるという。
 この特集の最初の論文『法と運動による規制でルール確立へ』で、“労働ジャーナリスト”の篠塚裕一は次のように主張している。
「“ルールなき資本主義”という言葉は、欧米との比較で、日本の資本主義を特徴づけた言葉だが、日本では、欧米で当たり前の国民生活を守る様々なルール、なかでも労働者の働く権利を守るルールが確立されていない」
 そして共産党は、日本資本主義のあり方は「世界でも例を見ない異常な事態」である、「過労死は“ルールなき資本主義”が生み出す典型」といえる、日本の独占資本は「国際的にみても異常なまでの価値増殖欲」を持っているとわめいている。
 しかし果たして日本資本主義を特徴づけるこれらの言葉は正当なもの、正しいものであろうか。
 もちろん我々は、共産党のこうした日本資本主義の評価はくだらないものだと宣言する。彼らは戦前、戦後、そして現在に至るまで、一貫して、日本資本主義の「異常性」、後進性(“半封建性”)、そして非民主主義性(もしくは“対米従属性”)を叫び、その改良を――改良だけを――謳ってきたが、その“悪癖”は何ら変わっていないのだ。
 日本資本主義が欧米の資本主義と本質的に同じものあることは、知っていることである。もちろん、日本資本主義にはそれ固有の積極性もあるだろうし、またそれを確認することは重要である。しかしこのことは、欧米の資本主義もまた同様であって、欧米の資本主義もまた日本資本主義といくらか異なった特殊性を示すのであって、だからこそそれぞれの国の資本主義なのである。
 そして欧米の資本主義と日本の資本主義がそれぞれ特殊性を持つということは、この特殊性以上に、資本主義としての本質的な共通性をもつということを少しも否定しないのである。むしろ、反対にこうした共通性の方が一層重要であり、労働者にとって一層実践的な意義を持つのである(国際主義に立つ労働者の階級的実践にとっては、もちろん、この後者の契機の方が決定的であり、重要である)。
 そしてまた、各国の資本主義の特殊性を、西欧の資本主義の方が“民主的”で、非搾取的であり、立派な資本主義であるが、日本の資本主義は“反動的”で、「ルール」――一体どんな「ルール」のことか、結局は労働者を搾取するための「ルール」ではないのか――無視の、荒唐無稽な資本主義である、といった形で区別させ、対立させることがどんなにばかげているかは、一見して明らかであろう。
 もちろん日本資本主義がアメリカやヨーロッパの資本主義よりも、一層反労働者的であり、過酷な側面を持つことはありうるであろうが、しかし他方では、欧米の資本主義が“良い”資本主義であるかといえば決してそんなことはなく、欧米の資本主義の方が日本資本主義よりも一層反動的で、労働者にとってより敵対的である側面は、いくらでも見られるのである。
 例えば、アメリカでは労働者に対する企業の首切りは日本以上に頻繁に、“自由に”、大規模にまかり通っているのだが、これはアメリカが“自由主義”の牙城として、労働者の雇用に対する自由と権利(したがって、解雇する自由と権利)を、企業に一層強く認めているからである。だから、アメリカの企業は日本の企業以上に、経営の状況に従って労働者を“自由に”、大量に解雇したり、一時帰休させたりするのである。この点では、共産党もまさか、アメリカの方がいいとは言わないであろう。
 アメリカでは最近、広汎な低賃金労働者、臨時雇用労働が、サービス産業等々で新しく形成されている(“ワーキング・プーア”という概念さえ、すでに生まれているのだ)。アメリカでは賃金は、日本よりも一層“弾力的”である(資本は労働者に低賃金を押しつけ易い)、すなわち一層低賃金の広汎な層が形成されやすいのだ。共産党はこうした事実をどう評価するのであろうか。社会保障もまた(例えば医療保険制度)、アメリカの方が日本より労働者にとってより有利で好ましいと主張するのか。
 共産党はこうした単純な事実さえも見ておらず、評価することもしないのである。彼らの判断では、欧米の資本主義こそが、正常で、民主主義的で、労働者に対してより友好的、宥和的、協調的なのだそうである。“正義の”資本主義――これが共産党が、欧米の資本主義について事実上言っていることである。何という資本主義の恥ずべき美化であり、それへの迎合であろうか。
 もちろん、欧米の労働者がこんなことを聞いたら、その余りのばからしさに腹を抱えて大笑いするか、怒り心頭に発して日本共産党に抗議するであろう、「諸君は我々を抑圧し、搾取している反動的な資本を、何か良いものであるかに美化するのか、そしてそれが、資本を応援し、手助けしていることと同じだと気がつかないのか、諸君は労働者階級の裏切り者ではないのか、国際主義をどこに捨てて来たのか!」、と。
 彼らの見解は極端に一面的で、手前味噌であるが、これは戦前日本の資本主義を「半封建的」と評価したときも、戦後ずっと「対米従属」と規定したときも、今「非民主的」と騒ぎ立てているときも、一貫して変わっていないのである。このセクト主義の党派、スターリン主義の党は、かつても今も、現実を正しく見、正しく規定したことは――できたことは――一度としてなかったのである。
 深夜労働、長時間労働、低賃金労働、過酷な労働――どれをとっても、日本ばかりか、共産党が美化してやまない欧米にも――否、資本主義がはびこっている国なら、世界中どこにでも――一般的に見られるものである。これが日本だけにあって、欧米資本主義にないと、どうして共産党は考えたり、主張したりできるのだろうか、このとんまな党は一体何を考えているのだろうか。こんなことは、半ばデマゴギー的な主張であり、資本主義の途方もない美化ではないのか。共産党は一体何のために、こんなひどいでたらめを、労働者なら誰でも即座にそのいんちきを見抜くことができるような、子供だましの理屈をもてあそぶのか。
 彼らは日本の資本主義は「特別に」非民主的で搾取的だと叫ぶことによって、その“民主化”こそが必要だと言いたいのであり、自らのとことん日和見主義的な路線を、あからさまな恥ずべき改良主義を正当化しようと策動するのだ。
●●欧米の資本は労働者を搾取材料と見ない?
 彼らはまた、「なぜ、このような状況がつくりだされるのか。そこには、欧米では考えられない日本の独占資本の過酷な労働者支配と搾取欲がある。……そこには、欧米と比較して、二つの大きな特徴がある」と主張する。
 一つは、「日本の独占資本が労働者の労働を人間の労働として見ずに、もっぱら企業の利益を追求していく道具として考える『労働観』に立っていることである。……そこには労働者を人間として働かせる見地はみじんもない日本の独占資本の非人間的『労働観』を見ることができる。それはまた、欧米と日本との民主主義の発展の度合いを反映したものといえる」。
 二番目の特徴は、「反共思想差別をテコとした労働者支配である。……戦後憲法が制定され、主権在民、基本的人権の尊重などの平和的民主的原則が確立されたが、日本の独占資本は、『職場に憲法なし』という状況をつくりだし、戦前つちかわれた『反共偏見』を活用し、それを労働者支配の手法として取り入れてきた」
 これが、共産党がいうところの、日本独占資本が「過酷な支配と搾取」の体制を作りだした理由であり、原因である。この二つのことを排除するなら、日本の労働者もまた欧米の労働者並みになることができるのだそうである。
 まったくこうしたたわ言に付き合うのは、うんざりさせられることではないか。ここにあるのは、とことんプチブル的で卑俗な見地である。
 資本が労働者を「人間として見ず」、搾取材料、単なる「労働力」とみなすのは、別に日本の資本だけに限ったことではなく、まさに世界的に普遍的であって、この点では、アメリカも西欧も同じであろう。日本の資本が――日本の資本だけが――労働者を搾取材料として見、他方、欧米の資本が労働者を人間として見、かくして、日本と欧米の資本主義に決定的な差異――「民主主義の発展の度合い」における――がある、などと言うのがどんなにばかげた空論であるかは、労働者ならたちどころに見抜くことができるだろう。
 “反共主義”についてのおしゃべりもまた無意味なものである。彼らは資本によって労働運動が後退させられてきた原因を“反共主義”に置くことによって、労働運動の再生もまた、この“主義”を克服することよってはたすことができると、途方もない観念的で空虚な幻想を抱くのである。
 “反共主義”なるものが、共産党に対するブルジョアやプチブルの反感だというのなら、それは共産党が徹底的に堕落し、ブルジョアなどにとって“有害”でも“恐怖”でもなくなればやがて解消されるであろう(今解消されつつあるが、それはすでにブルジョア的商業新聞の論調に、はっきり反映を見出している)。
 しかしこの“反共主義”が真実の反共主義すなわち共産主義にたいする反発や恐怖であるとするなら、この感情をブルジョアやプチブルの中から一掃することは決してできないだろうし、また、この意味での“反共主義”を一掃することで、革命的闘いへの支持を拡大しようとする試みは決して成功しないであろう。反対にそれは、ただ労働者の闘いの日和見主義への屈折を準備するだけであろう。
 次のような主張のどこに「科学的社会主義」のかけらさえ見られるであうろか、そこにどんな“科学的”思考があるであろうか。
「日本の労働者が、“企業主義”にとらわれているということがよく言われるが、それは、終身雇用制、年功序列型賃金、企業組合という日本的労使関係の主柱のいわば礎石として、反共主義が組み込まれていることと無縁ではない」
 桶屋がもうかるのも風が吹いたからである。企業主義に労働者を縛り付けられているのも“反共主義”(つまり共産党に対する“偏見”や言われのない悪意)があるからである。全くこうした幼稚な、子供だましの奇弁をもてあそびながら「科学的社会主義」も何もあったものではない!
 この文章が少しも日本語になっていないということさえ、篠塚というとんまな人間は理解していないようだ。一体、反共主義が「日本労使関係の主柱の礎石」として組み込まれているとはどういうことか、是非篠塚の“道理に合った”説明を聞きたいものである!
●●彼らの実践的結論もしくは奇弁
 かくして、彼らが日本の資本主義をとりわけ反動的な資本、利潤欲に燃える資本として描くのは、これ反動的な資本を打倒して、日本の社会主義を建設しようと呼びかけるためではない、そうではなくて、反対に、資本の反動性をことさら言い立てることによって、この資本を資本主義の枠内で改良しよう――資本主義の枠内に留まろう――と呼びかけるためであるにすぎない。この目的のためにのみ、彼らは日本の資本の反動性を、欧米の資本とは本質的にことなった搾取欲を言いはやすのである。実際には、日本の資本だけが特別の搾取欲を持っているわけではなく、欧米の資本も同様である、否、資本一般がそうなのである。だから、彼らは日本の資本を暴露しているように見えて、実際にはそれといちゃつき、馴れ合っているにすぎないのだ。
 共産党は、労働時間規制法とか解雇規制法とかを獲得し、その法制化を実現していくことが、欧米並の労働条件を勝ち取っていく鍵である、とわめている。欧米の資本主義はまるで、労働者の解雇がないか、解雇規制が立派に“法制化”もしくは「ルールとして確立」されているかである。
 しかしこんなことは本当であろうか。例えばアメリカでは、いま企業の「ダウンサイジング」の中で“雇用調整”(つまり首切り)とか賃金引下げが強行され、労働者はいっそう困難な状況に置かれている。だからこそ、労働組合は医療保険・福祉改革、最低賃金制の確立などの“企業横断的な”テーマを掲げて、大資本の政府に要求を突き付けている。これは日本共産党が要求しているものと本質的に同じものである、すなわちこれは欧米の労働者もまた、資本のもとで、日本の労働者と同じ状態に置かれているということの、何よりもの明白な証拠であろう。日本だけが特別だなとどいう訴えは、国際主義どころか、事実上まさに“裏返しにされた”民族主義であり、共産党のプチブル的卑俗さ、矮小性をとことん暴露するものである。
 篠塚は職場での「労働条件改善」の闘いと、「国の制度としてルールを確立する運動」、例えば解雇規制法を「車の両輪」として、この二つの闘いを結合して闘うように呼びかけている。彼は、この“結びつき”を次のように説明する。
「例えば、解雇規制法ひとつとっても、その内容を職場で宣伝することは、ここに盛り込まれた要求が現行法体系のなかでも実現できる、労働者にとって当然の要求であるということについて、労働者に確信を与えるものとなる。それは、労働条件改善を求める闘いの正当性と問題解決の政策方向を明らかにし、労働条件改善の闘いを進める推進力となるだろう。労働条件改善の闘いが進めば、そうした切実な労働者の要求を反映した解雇規制法制定の運動は、広範な労働者の支持を集めて前進することかできる」
 何を言っているのか理解に苦しむような文章であるが、こうした文章の難解さ、あるいはあいまいさは愚劣な理論を愚劣ではないかに、何か重大な意義があるかに言いくるめようとする汚い試みと不可分である。
 まずいくらかでもはっきりしていることは、篠塚が、解雇規制法すなわち「国のルール」の内容を職場で宣伝するなら、職場の要求が「現行法体系の中でも実現できる、労働者にとって当然の要求」であるという確信を労働者に与えうる、と主張していることである。
 しかしまだ成立もしていない、まだ要求の段階でしかない「法体系」によって、どうしてそんなことができるであろうか。要求の段階にある「法体系」は決して「現行の法体系」でなく、したがって共産党の理屈によるなら、それを前提にする職場の要求は決して「当然の要求ではない」ということにならないのか。共産党が要求する法律が成立して初めて、「現行の法体系」について、共産党はあれこれの理屈をこねくりまわすことができるかもしれないが、現時点でまだ成立していない法律によっては、「現行の法体系」について論じることはできないことは余りに明らかであろう。
 これこそ、「当然の」理屈というものではないのか。まだ成立もしていない「法体系」によって、職場の要求は「現行法体系の中でも実現できる、労働者にとっての当然の要求であるとい確信を与える」という共産党の理屈は、途方もないものであろう。
 共産党はこうした空想的な「確信」を労働者に与え、この「確信」によって、職場での労働条件改善の闘いの前進を夢見、そしてこんどは、この労働条件改善の運動の前進が、「国のルールを作る」運動をいっそう発展させると期待するのだ。とするなら、共産党の“運動論”はすべて、空論と虚構の上に建造されているのだ。
 したがって、篠塚の実践的結論がわけの分からない空文句となったとしても、何ら驚くに当たらない。
「この関係をよくつかんで法と運動の規制による労働者の生活と権利を守るルールづくりの取り組みを、職場の闘いを基礎としつつ、国の制度として確立することを結合して進めることが、いまほど求められているときはない」
 この意味不明の文章は決して引用間違いでない、まさに篠塚が書いているままである。しかも、この文章は彼の論文の結論として、もっとも重要な結びの文章であり、共産党が労働運動を進めていく上での実践的結論としての文章なのだ。
 彼は要するに、国家に解雇規制の立法化を強要する闘いと、職場の経済的闘争を結合せよ、それらは両者相俟って、相互にいい影響を与え、強化されるだろう、と言いたいのだろう。今はこうした主張が、経済闘争にブルジョア的政治、労働組合主義的改良主義的政治をつけ加えただけの日和見主義であるということを指摘するにとどめ(レーニンの『何をなすべきか』参照)、詳しい批判は展開しないが、しかし彼のこの結論の文章を合理的に理解できる人は、一人としていないであろう。
 共産党の論客がこのような意味不明の文章を書くのは、決して偶然ではない。日和見主義者は自らの理論を明確に提出することができないのだ、というのは、余りに明確に提出するなら、その日和見主義的本質が赤裸々に労働者に暴露されてしまうからである。彼らは自らの立場をごまかし、労働者をだますために、労働者に真実を隠すために、あいまいで意味不明の、神秘的な理屈をもてあそぶのであり、そうせざるをえないのである。
 汚い日和見主義者が汚い詭弁を弄している。だが、労働者はこうした連中に全く正当な怒りと軽蔑の感情を抱くのであり、彼らの汚い詭弁から、彼らを一切信用できないことを学ぶのである。
(林 紘義)
――――――『海つばめ』第654号1997年11月16日――
 今月2日から共産党の赤旗祭りが開かれ、不破哲三が「記念講演」を行っている。彼は、日本の「異常性」を告発し「新しい国づくり」を提起し、21世紀の早い時期に「民主連合政府」をつくる、と強調している。しかし、その内容はこの党がいっそうブルジョア的に堕落してきたことを教えている。
●●はじめに
 不破は、新たな日本の「国づくり」が必要という。
 「戦後五十年、自民党政治がやってきた『国づくり』そのものが失敗し、もはやどうにもならない破綻に落ち込んでいる、ここに今の最大の問題があります」
 彼によれば、戦後の自民党の「国づくり」は、「大企業・ゼネコン国家」、「基地国家」という「国づくり」であった。
 「これが、自民党がつくってきた日本の国のほんとうに重大な特徴であって、資本主義の世界にたくさんの国がありますが、そこまで異常な状態に国をゆがめてしまったところは、日本以外にはどこにもない」
 つまり、自民党が世界でも「異常な状態に国をゆがめ」てしまった、その「ゆがみ」をただし、「正常な」国づくりに邁進しようということである。
 以下、具体的にみてみよう。
●●「大企業・ゼネコン国家」の現実
 不破は、あらかじめ大企業が政治や経済で大きな支配力をもつのは、どこの資本主義国家でも共通ではないかという疑問に答える。
 「しかし皆さん、日本での大企業の横暴、日本での政府の財界奉仕ぶり、これは世界でほんとうに異常きわまりないものであります」
 不破がいいたいのは、大企業が政治経済に大きな支配力をもつこと一般ではない、そのもち方の「異常さ」である。
 彼はその「異常性」として、次の三点を指摘する。第一に税金の使い方、第二に大企業のヒモつき、第三に大企業の横暴勝手な振る舞い、である。
 まず、税金の使い方として、社会保障と公共事業の関係を取りあげる。現在日本では、社会保障におよそ20兆円、公共事業に五十兆円の税金が投入されているが、これは「逆立ち」の関係だという。
 「アメリカやヨーロッパの主だった国の平均相場をとってみますと、日本の経済の規模であれば、社会保障に五十兆円から六十兆円、公共事業に十兆円、これが世間相場です。今の日本でどんなに逆立ちした姿勢で国民の税金が無駄使いされているか、この事実でも明瞭ではないでしょうか」
 不破には、社会保障がそれぞれの国家の資本主義的な発展の中で形成され、その限りで国家ごとの特殊性があること、そして社会保障が本質的には支配階級による労働者懐柔の手段に他ならなかったことなどは、どうでもいいことである。彼は、ただ福祉を拡大せよ、せめて公共事業と社会保障の関係を欧米並にすることが必要だというだけである。これが平凡な「ブルジョア福祉国家」論であることは明らかである。
 また第二に、財界・大企業のヒモつき政治が横行している、と批判する。「ロッキード時代につくられた金権汚職の網の目は、日本の政界全体を腐らすところまで広がっている」、と。
 しかし、政治的腐敗は現在のブルジョア国家に共通のものであり、日本だけが「異常」なのではない。だが、腐敗もヒモつきもない「民主政治」を熱望するプチブル不破にとっては、資本主義と議会政治の腐敗を結び付けることはできないのである。
 さらに三番目の「異常さ」として、「大企業が企業活動で、日本のように横暴勝手な振る舞いをしている国は、世界にない」というのである。
 最近の総会屋をめぐる一連の動きについて、「私どもは、日本の現状を“ルールなき資本主義”といってまいりましたが、法律で定められたルールさえ守らない横暴勝手が平気でまかり通っている。ここにも『大企業・ゼネコン国家』の現実があるではありませんか」、と。
 不破は、企業と総会屋の癒着を、利潤を求める企業活動の必然的な結果としてではなく、偶然の“悪事”として、ルール違反の“異常性”の問題として告発するのだ。
 彼の感情的とも言える「異常国家」批判は、どれも表面的で皮相なものばかりである。労働者にとって必要なのは、そうした現象を「異常」と特別視することではなく、資本主義の危機や腐敗の深まりの中で位置づけ、資本主義の支配と体制との闘いの展望を明らかにすることである。
 しかし、不破はあくまでも日本の「異常性」批判にこだわりつづけるのだ。そして、その陰でこっそりと資本への屈服と追随を説くのである。
 例えば彼は、5年ほど前に大企業の経営者が「日本の経営はもう世界に通用しない」といい、一つの企業だけで取り組んでも競争に負けてしまうので「日本の経済・社会システム全体」を切り替えるよういっていたことを取り上げて、それは共産党のいう民主的規制と同じものだというのである。
 「つまり、私たちが要求している、大企業に対する民主的規制、それが必要だということを、財界の代表者自身が語ったわけであります(拍手)」
 共産党の「民主的規制」や「ルールづくり」の要求は大企業の経営者も必要だと認めているものだというのだ。もちろんこれは、経営者(独占資本家)への批判ではなく、お追従にすぎない。
 しかも、こうしたところで会場から拍手が沸いたということは、共産党が独占資本との闘いでなく「協調」をこととする政党であることを証明していないのか。赤旗まつりに23万人も集めた、37万人の党員だ、「都議選で勝利」した、などと浮かれているが、その内実は日和見主義そのものである。こうした拍手こそ、労働者から見れば「異常」そのものなのだ。
 不破は、さらに続ける。
 「これはすべて、経済民主主義と呼ばれるもので、多かれ少なかれ、ヨーロッパなどの多くの資本主義国で実現するか、実現に近づいていることであります」
 彼は、すっかり欧米の資本主義に参ってしまっている。もちろん、それは資本主義そのものへの幻想でもある。続けていう。
 「これは別に、資本主義の枠をこわさないでもできることであります」
 不破が、徹底した改良主義者であること、彼のいう「ゼネコン国家」批判が、資本主義への追随と屈服であり、それを賛美していることは、完全に明らかである。
●●世界に例のない「基地国家」日本
 次に、日本は世界でも例のない「基地国家」であるという。
 世界でアメリカの基地を置かせているのは、20数カ国、3万人以上の巨大な部隊がいるのはドイツと日本と韓国だけである。
 「しかし、その三カ国の中でも、米軍基地がこんなに勝手気ままなふるまいをしている『基地国家』は、日本以外にないというのが、今の世界の現実であります」
 では、どんな点で異常なのか。
 第一に「日本の米軍基地は、はっきりいって植民地型の基地であります。最大の基地である沖縄の米軍基地は、県民の土地を暴力で奪い取って築いたものであります」。また、米軍は国中どこの空でも自由勝手に訓練できるし、国内法を守らなくてもいい。「そんな治外法権をもっているのは、はっきりいって、日本にいる米軍だけ。まさに植民地型の基地ではありませんか」
 第二に、“なぐり込み部隊”の常駐である。空母戦闘部隊と海兵隊が常駐しているのは、日本だけである。第三に「基地を自由使用できる」。これも日本の基地だけの「異常なひどさ」だという。
 第四に、駐留米軍の費用は日本の税金で維持されている、「これも世界に例がない話」で、「まさに、日本にある米軍基地は、アメリカの他の同盟国にも例がないような、横暴勝手な植民地型の基地だといわざるを得ないのであります」
 不破の「米軍基地」への怒りは、とても収まらない。日本の基地は世界でも「異常な植民地型」であり、こんな「基地国家」がどうして「独立国家」と言えようか、というわけだ。
 しかし、こうした「基地国家」の批判は、小ブルジョアのものであって労働者のものではない。そもそも、これらの基地の提供を日本の支配階級が、自己の利益を考え、すすんで提供しているとしたら(事実、そうではないのか)、それは「独立」を否定するものでは決してありえないからだ。
 労働者にとって重要なのは、日本の独占資本が「国家的な主権」を確保しているかどうか、政治的な独立をはたしているかということであって(現実を見れば誰もこの真実を否定できない)、外国の基地があるかどうかは二次的な問題である。帝国主義が支配する世界において、軍事力も基地もない「平和な独立国家」を夢想すること自体、小市民的な幻想にすぎない。
 まして、日本の軍事力が世界でも有数のものに拡大してきている時代に(日本の軍事費は、サミット七カ国ではアメリカに次ぐものであり、中国・北朝鮮・韓国・台湾の合計よりも大きいのだ)、「米軍基地国家」等々と批判することは、日本の支配階級を側面援助することであろう。
 だが、“勇敢な”民族主義者の不破は、さらに続ける。自民党の政治家達に「独立を知らない政治家」などといった非難を投げつけるのである。
 「『戦争を知らない子供たち』という言葉がありましたが、私は、今の自民党は『独立を知らない政治家たち』の集団だと思います(笑い、拍手)。『米軍永久基地論』でも恥とは思わない、『基地国家』しか知らない政治家集団の悲劇といいましょうか、そういうものが、今の状況にあらわれているといわざるをえません」
 軍備を増強し、帝国主義的な策動を強めようとしている独占資本の政党に「基地国家」という現実は、民族の「恥だ」「情けない」「悲劇だ」などとお説教するのである。これは果たして国家主義・軍国主義の挑発ではないのか。本当に「悲劇」(喜劇ではないのか)を演じているのは、不破自身ではないだろうか。
 しかもこんなところで、笑いや拍手が起きるとすれば、共産党という党が極めて卑しく反動的な民族主義にとらわれているということである!
 そして民主連合政府は、「基地国家」をやめて独立し、「中立・非同盟」の日本をめざすが、しかし「憲法の完全実施」などは、情勢を見定め、国民の合意の上で行う、「この分野で勝手なことをやることは絶対ありません」と誓うのである。
 「このように私たちは、安保条約をなくしたあとの憲法の完全実施の問題、自衛隊の縮小や解散の問題などは、そういう点を国民のみなさんの目でよく見定め、十分討論もつくしたうえで、国民の合意のもとに一歩一歩前進することを提唱しているのであります」
 要するに、民主連合政府は「憲法擁護」のスローガンを掲げるが、厳格にそれを実施するわけではない、国民の声に耳を傾けながらやって行きたい、というのだ。これは、事実上の支配階級に対する屈服宣言に他ならない。
 不破の「異常国家」批判は、支配階級への屈服や追随と一体になっているのだ。
●●まとめにかえて
 不破は、共産党が21世紀の早い時期に「民主連合政府」をつくるとし、これは単なる「願望」ではなく、「日本の社会の現状の中に、そういう民主的な政権を生み出す国民的な必然性がある」という。
 もちろん、こんな主張はいつわりであり、労働者を欺くものである。不破のいう「必然性」とは、マルクス主義のいう資本主義の諸矛盾の中でその現実的な「解決」としての社会主義の「必然性」では決してない。彼の「ゼネコン国家」や「基地国家」批判は、資本主義そのものの内在的な批判ではなく、表面だけの上滑りの批判である。それは「異常性」の批判であり、資本主義の「歪み」をただし、欧米並の「資本主義」に作り変えることに他ならない。ここでいわれる「必然性」とは、自民党政治の単なる否定であり修正であって(資本主義の救済ではないのか?)、改良主義的に翻訳された「必然性」にすぎないのだ。
 博学ぶった不破の記念講演は、共産党のブルジョア的堕落を改めて確認させるものである。その「異常性」批判は、資本主義を賛美し、反動的な民族主義をふりまくばかりである。
 現代の政治的ペテン師、不破を労働者の闘いから追放せよ!
(山田明人)




(私論.私見)