3259 政治的民主主義論

 政治的民主主義論の解明がなぜ要求されるのか。それは、日本左派運動(あるいは世界的にもかも知れない)の低迷が、どうやら民主主義論の位置付けを廻って混乱しており、それが為に今ひとつ闘う方向が鮮明にならない、翻って運動内に経験の蓄積と継承が為されていない、という不幸な事態があるように思えるからである。

 こういう肝要なところでの見解の相違があるにも関わらず、互いが自己主張しっ放しで、議論を好まない。難しく語る割には、質問を交叉させようとしない。この現象はいわゆる左派系人士の能力のレベルを示しているであろう。こんな手合では政権が取れないだろうし、仮に取っても責任ある政治が行えないだろう。そんなこんなで、どうしてもここを整理しておきたい。


目次

32591 民主主義の原義と歴史的過程論
32592 「民主主義論」考察の意義
32593 「日本土着型民主主義の意義と限界」
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 第二次世界大戦がおわった直後には、世界中が恒久平和実現への情熱にかりたてられた時期があった。一九四八年一二月一〇日に国連の第三回総会で採択された「世界人権宣言」は、その情熱の具体化であり、そこにはつぎのような人権と言論の自由に関する歴史的 な字句がきざまれていた。まず前文にはこうある。

「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利」「言論および信仰の自由」、「達成すべき共通の基準として、この世界人権宣言を公布する」

 第一九条にはこうある。

「すべての人は、意見及び表現の自由を享有する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見を持つ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む」 (『世界人権宣言』の訳による)

 ここで指摘された「あらゆる手段」こそがメディアの機能の問題である。

 歴史的にみると、活字を一本づつひろった技術段階の時代の言論の自由が、一七七六年一月一〇日にフィラデルフィアで『コモン・センス』の発行を可能にし、アメリカ人に独立への決意をうながした。『コモン・センス』でペインは、「イギリスの立憲政の構成部分」を「二つの昔ながらの専制の卑しい遺物と新しい共和政の素材との混合物」として、つぎのように分解して説明する。

「第一は、国王個人が体現している君主政的専制の遺物。

 第二は、貴族院議員が体現している貴族政的専制の遺物。

 第三は、庶民院議員が体現している新しい共和政の素材であり、イギリスの自由はこの議員たちが備えている美徳に支えられているのである」(『史料が語るアメリカ史』の訳による)

 ただし、「庶民院議員」の「美徳」という評価は、あまりにも理想主義的で、あまかったといわざるをえない。だがこれも時代の制約というしかないだろう。

 『コモン・センス』がフィラデルフィアで発行され、熱狂的なベストセラーとなってから半年後の一七七六年七月四日には、おなじフィラデルフィアでひらかれた大陸会議で「独立宣言」が採択された。起草委員会の中心メンバーだったトマス・ジェファソン(のちの第二代大統領)は上流階級の出身だが、『コモン・センス』の発行以前からペインと親しい仲だったし、ペインの人柄からつよい影響をうけていた。「独立宣言」にはこうある。

「すべての人間は神によって平等に造られ、一定の譲り渡すことのできない権利をあたえられており、その権利のなかには生命、自由、幸福の追及が含まれている。またこれらの権利を確保するために、人びとの間に政府を作り、その政府には被治者の合意の下で正当な権利が授けられる。そして、いかなる政府といえどもその目的を踏みにじるときには、政府を改廃して新たな政府を設立し、人民の安全と幸福を実現するのにもっともふさわしい原理にもとづいて政府の依って立つ基盤を作り直し、またもっともふさわしい形に権力のありかたを変えるのは、人民の権利である」(『史料が語るアメリカ史』の訳による)

 一七八九年八月二六日にはアメリカ独立宣言の影響のもとで、フランス国民議会が「人間と市民の権利の宣言」を採択する。その前文にはこうある。

「国民議会を構成するフランス人民の代表者たちは、人権についての無知、忘却あるいは軽視のみが、公衆の不幸および政府の腐敗の原因であることにかんがみ、人間のもつ譲渡不可能かつ神聖な自然権を荘重な宣言によって提示することを決意した」

 第一〇条にはこうある。

「いかなる者も、その主義主張について、たとえそれが宗教的なものであっても、その表明が法によって確立された秩序を乱さないのであれば、その表明を妨げられてはならない」

 第一一条にはこうある。

「思想および主義主張の自由な伝達は、人間のもっとも貴重な権利の一つである。それゆえいかなる市民も、法によって定められた場合にはこの自由の濫用について責任を負うという留保付きで、自由に発言し、著作し、出版することができる」 (『資料フランス革命』の訳による)

「市民=視聴者」ではなくて「市民=電波メディア主権者」の意識を確立した市民個々人が、「人間のもっとも貴重な権利」を同時にあらゆるメディアに対して主張することを、私は痛切にもとめる。

 体制側はいま、マルチメディアが「双方向機能」だなどとおおげさに宣伝し、無理を承知で売りこんでいる。だがその前に、人権の擁護と言論の自由の「双方向機能」こそが追及されなければならない。光ファイバ網がなくても、やる気がありさえすれば双方向の意思疎通はいますぐにでも可能である。

 まず最初にそれを実現すべきなのは既存の大手メディアである。まずそれをやって見せてからでなければ、あらたなメディアについての「バラ色の夢」などをかたっても信用すべきではない。現状をそのままにしてあやしげな構想をたかく売りつけようとする相手には、「まずここで飛べ!」と命じてみることだ。



(木村愛二氏の論考「カール・マルクスとその亜流の暴力革命思想への徹底批判(その1)」)

 マルクスは、なぜ、「労働者階級」の概念にこだわり、しかも、その「労働者階級」こそが、きたるべき最終的な革命の担い手であり、その革命によって永遠の「自由の王国」が築かれるのだと、強調したのか。その答えは、今の私にとっては、実に簡単である。
 マルクスの初期の覚書き、『ドイツ・イデオロギー』は、当然、『資本論』体系以前の著述であるが、そこには、「新しい階級」が、「全社会の代表者として登場」し、「いっそう決定的な、いっそう根本的な、従来の社会状態の否定に向かって努力する」と記されている。自らは「プチ・ブルジョワ」であったマルクスは、自分自身の社会改革の「理想」を実現するために、「プチ・ブルジョワ」とか、「プチ・ブルジョワ的な穏健的社会主義思想」を排撃し、むしろ排他的に「労働者階級」を味方に選び、同時に、きたるべき革命が、「いっそう決定的な、いっそう根本的な、従来の社会状態の否定」でなければならないと決め付けたのである。しかし、この決め付けは、論証抜きの独断でしかなかった。
 以上のような『ドイツ・イデオロギー』の記述は、「初期マルクス」の信奉者、言い換えると、狂信的マルクス主義者たちに愛好されている。だが、そこにこそ、私は、マルクスの基本的な過ちの原因を発見するのである。マルクスは、プルードンらの穏健的社会主義者に打ち勝つためにこそ、その権力闘争の武器としての『資本論』体系を編み出したのである。
 プルードンらの理論に空想的な欠陥があったのは確かだろうし、マルクスの理論の中心となった資本主義の分析自体は正しかったのだが、その分析は、マルクスが「労働者階級」を味方に付けるための手段の役割を担ったのである。あえて糞爺とまでは言わないが、それでもあえて言うと、排他的に「労働者階級」を味方に選ぶマルクスに煽られた党派による排他的な陣営の構築の結果は、「いっそう決定的な、いっそう根本的な、従来の社会状態の否定」を怒号する武装革命への傾斜を深め、階級間の闘争だけに止まらず、いわゆる社会主義国家と資本主義国家との間の戦争まで招き、ついには、20世紀の世界を、血みどろの決戦の場と化したのである。この部分の私の意見については、後に、「ホロコースト見直し論の父」とされるポール・ラッシニエの文章を紹介しながら、深めていく予定である。

 私は、マルクスの基本的な誤りは、階級闘争の教条化にあり、彼自身は労働の経験なき知識人であるにも関わらず、「労働者階級」を革命の主体として位置付け、自らの権力意識を満足させるために階級間の憎悪を煽ったことにあると考えています。同様に職場の労働の経験も無く、労働組合運動とは完全に無縁だった赤軍派は、その典型的な鬼っ子です。

 「社会主義」に関しては、言葉自体の原義の吟味もありますが、昨年、「アソシエ」を名乗る集団の仲間から、彼らの理論的な支えとなっている専修大学の栗木安延さんの「カール・コルシュ」研究論文(専修経済学論集1998.7)を頂きました。1923年にあえなく敗北を喫したドイツの武装革命政府で法相になったこともあるコルシュは、 カウツキーにもマルクスにもレーニンにも批判的で、「戦後の労働者自主管理思想の源流」との評価も有る様です。具体的には、労働者生産協同組合の発想です。

 私は武装革命を好みませんが、「労働者自主管理」の歴史的な原型を、たとえば、 フランス革命期の「職安」型地域的組織に求めています。その時代には、社会党も共産党も、まったく存在していなかったのです。私は、当時もギロチンを多用していた 権力主義的な「左翼」政党が、その後も、労働者の自主的な組織を草狩り場にして、 歪め、崩壊させたとさえ考えています。





(私論.私見)