【サイトアップ協力者求む】

 世上には、「評論書読みの原マルクス知らず」が多すぎる。それというのも、非合法時代にあっては墨塗りにも拘わらず渇望されたにも拘わらず、戦後の合法時代に至っていつでも読めるのに却って遠ざけられているという不思議な現象がある故にであろう。ホント世の中はおかしい。だが、この現象には理由がある。識者は指摘しないけれども、日共党中央は1955年の六全協以来当局スパイ派ないし投降主義派の宮顕一派に乗っ取られた。以来その反動的策動により、左派運動の内部から原典読みが抑圧されてきている面がある。この例証には事欠かないので割愛する。

 戦前は右から、戦後は左から抑圧されている。この体制がまもなく50年になろうとしている。「評論書読みの原マルクス知らず」現象が現われても何ら不思議では無い。

 宮顕―不破系日共党中央は代わりに党内学習文献を設定し、党員に学習を義務づけている。が、どれもこれも何の役にも立たない修正本ばかりである。というか害毒でさえある駄文ばかりが読まされている。何とマルクス主義の文献としてはほんの数点しかない。マルクス主義を学ぶ場合(マルクス主義に限らずというべきであろうが)、下手な評論よりも原書から豊かな湧き出る叡智を汲みだしたほうが楽しいし有益にして賢明であるというのに、日共党中央は意図的に巧妙に原典読みから遠ざけさせる仕掛けを為していることが判明する。これを俗に愚民化政策と云う。

 しかし、そうした日共を批判して生まれた新左翼諸党派の感性も鈍い。僅かに中核派が数点のみ原典読みに漕ぎ付けている。その他新左翼系は評論の再評論で屋に屋を重ねている。れんだいこに言わせれば、マルクス主義を値打ちもの感覚においてとらえない風潮に汚染され過ぎている。要は、一応一通りのマルクス主義原典に当たってからそれから議論しませう、只今の風潮は勝手読みマルクス主義による批判が多すぎる、これではまともな議論にならない、れんだいこはそう考える。

 れんだいこの関心は、マルクス主義においての市場経済論の位置付けを明確にしたいところにある。この課題の考察はかなり難しい。目下、この観点から知識を集積しているところであるが、いつになったら間に合うのか見当がつかない。恐らく生涯のテーマになるであろう。

 れんだいこは先に「市川氏の日本共産党闘争小史」をサイトアップした。続いて、レーニンによる「カール・マルクス伝」、マルクスの「資本論」、「ゴータ綱領批判」、「フォイエルバッハ論」等々に向かいたい。となると、れんだいこ一人では無理や。手分けしてサイトアップしてくれる同人を求む。

 2003.3.26日 れんだいこ拝




(私論.私見)