帝国主義論
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 目次
 序 文(フランス語版およびドイツ語版への序文 ) 

 一 生産の集積と独占体  

 二 銀行とその新しい役割  

 三 金融資本と金融寡頭制  

 四 資本の諭出  

 五 資本家団体のあいだでの世界の分割  

 六 列強のあいだでの世界の分割  

 七 資本主義の特殊の段階としての帝国主義  

 八 資本主義の寄生性と腐朽  

10

 九 帝国主義の批判 

11

 一○ 帝国主義の歴史的地位

12

 付録・バーゼルにおける臨時社会主義者大会の宣言(1912.11.24―25日)

13  事項注
14  解 説
15  あとがき
16  人名索引
17  文 献





(私論.私見)



☆  事項注

〔1〕 一九一四―一七年に外国で書いた論文の再録版――レーニンは『第二インタナショナルの崩壊』(全集第二一巻所収)をはじめ、いくつかの政治論文をあつめて、『流れに抗して』という標題の論文集を出す計画であった。しかしその発行はかなりおくれ、レーニンはやっと一九一八年三月にそのための「序文」を書いている(全集第二七巻、二二五ページを参照)。
〔2〕 『フランス語版およびドイツ語版への序文』――どういう理由からか、このフランス語版とドイツ語版は、レーニンがこの序文を書いた当時出版されなかった。これはやっと一九二一年一〇月に、『資本主義と帝国主義』という標題で、雑誌『コムニスチーチェスキー・インテルナツィオナール』の第一八号にはじめて発表された。
〔3〕 ブレスト―リトフスクの講和――一〇月革命の勝利の瞬間から、ソヴエト政府は公正な民主主義講和について交戦諸国と交渉を開始した。イギリス、フランスはソヴェト政府の提唱を拒絶したので、ソヴェト政府はドイツ、オーストリアと単独に講和することにきめ、その交渉を一九一八年二月にブレスト―リトフスクではじめた。生まれたばかりのソヴェト共和国は、息つぎの時間をつくってソヴェト権力を強化するために、たとえ犠牲をはらってもこの講和を必要とした。しかしメンシェヴィキやエス・エル、白衛派などはこぞって講和に反対した。この会談はトロツキーの背信行為によっていったん決裂し、のちに同年三月に、ドイツのいうがままのもっと耐えがたい屈辱的な条件で講和が成立した。
〔4〕 ヴェルサイユの講和――第一次世界大戦の後始末をつけるための講和会議は、一九一九年一―六月にパリでひらかれた。この会議は、イギリス、アメリカ、フランス、イタリア、日本のいわゆる五大国が敗戦諸国の犠牲において世界の再分割をおこなうためのものであった。この会議を実際に指図したのはロイド―ジョージ(英)、ウィルソン(米)、クレマンソー(仏)の三巨頭であった。六月二九日にヴェルサイユ宮殿で調印された条約は、ドイツからあらゆる植民地領土を取りあげたうえ、ドイツに天文学的数字の賠償を支払うことを強要した。このヴェルサイユ条約はその第一部で、この不公正な帝国主義的な性格の「平和」を維持することを目的とした、国際連盟の創立を規定した。ソヴェト・ロシアはもちろんこの会議に参加しなかった。
〔5〕 ウィルソン主義――アメリカ大統領ウィルソンは、ヴェルサイユの平和会議にあたって、いわゆる「ウィルソンの一四ヵ条」の原則を提案した。この第一条で彼は国際連盟の創設を提唱し、第二条で民族自決権をとなえていたが、しかしこの「一四ヵ条」は、結局は、五大帝国主義国で世界の再分割をおこなうことを目的とするものにほかならなかった。
〔6〕 第二インタナショナル――一八八九年にフランス革命一〇〇周年を記念して、諸国の社会主義者がパリでひらいた大会によって創立された。はじめのうちはエンゲルスの指導もあったが、彼の死後ベルンシュタインが修正主義をもちこんだ。カウツキーたちはこれにたいしてマルクス主義の「正統」をまもってたたかったが、彼らも帝国主義の本質を理解できなかったので、この組織はついに革命的な組織になることができなかった。第一次世界大戦が起こると、これに加入していた主要な諸国の社会主義政党は――ボリシェヴィキ党をのぞき――祖国防衛主義の立場に立つにいたった。こうしてそれはそのときをもって不名誉な崩壊をとげた。
〔7〕 バーゼル宣言――一九一二年一一月二四―二五日にバーゼルでひらかれた第二インタナショナルの臨時大会で採択された有名な宣言。これは、切迫している戦争が帝国主義的性格の世界戦争であることを強調し、万国の社会主義者が国際主義の立場に立ってあくまでも戦争にたいして反対するように訴えるとともに、さらに、もし不幸にも戦争が起きた場合には諸国の労働者階級は政府の行為にたいして反逆するであろうと警告した。なお、「宣言」の全文は付録として本文のあとに収めてある。
〔8〕黄色インタナショナル――解消した第二インタナショナルにかわって、西ヨーロッパの社会主義諸党の指導者たちが一九一九年二月にベルリンに結成した組織。黄色は「革命的」な赤色に対応する形容詞で、「階級協調主義的」な立場をあらわす。
〔9〕 ドイツ独立社会民主党――一九一六年三月に国会で軍事予算に反対投票したためにドイツ社会民主党から除名されたカウツキー以下一七名は、一時、院内活動のため「社会民主党同志団」をつくったのち、一九一七年四月にスパルタクス団(注一四を参照)と合同してあらたにドイツ独立社会民主党を結成した。しかし一九一八年一一月のドイツ革命を契機として、彼らはスパルタクス団とはなれた。一九二〇年一〇月のハレ大会で党内の左派がスパルタクス団にはしったのち、残党はますます反革命的性格を明らかにし、一九二二年九月にドイツ社会民主党と合同した。
〔10〕 第三インタナショナル――共産主義インタナショナル、略称――コミンテルン。レーニンの主唱によって一九一九年三月六日に共産主義を指導原理としてモスクワで結成された。諸国の共産党の統一的指導機関で、一九三五年にはソ連邦共産党をはじめ七六の党が加盟していた。第二次世界大戦のさなか、一九四三年五月一五日に解散を決議した。
〔11〕 ボリシェヴィキ――ソ連邦共産党の前身ロシア社会民主労働党内のレーニン派の総称。一九〇三年の第二回党大会(党は事実上はこのときに結成された)で、レーニン派と反しーニン派が鋭く対立したが、前者が多数を占めたので、これ以来レーニン派はボリシェヴィキ(多数派)と呼ばれるようになった。その後ボリシェヴィキは、真の革命的社会民主主義者=レーニン主義者=共産主義者の代名詞としてもちいられるにいたった。
〔12〕 メンシェヴィキ――第二回党大会でボリシェヴィキに対立して敗れたメンシェヴィキ(少数派)は、口さきでは革命をとなえながら、本質的には改良主義者、日和見主義者で、第一次世界大戦にさいしては祖国防衛主義の立場に立って帝国主義戦争に協力した。さらに十月社会主義革命の勝利後は、ボリシェヴィキ勢力に反対するために白色反革命軍と直接手をにぎるにいたった。
〔13〕 社会革命党――一九〇一年に結成された小ブルジョア政党で、種々のナロードニキ(後出注六〇を参照)的潮流を源流としていた。農民を基盤として、ロシアの社会運動で一時かなりの役割を演じた。しかし十月革命後、農村にも社会主義的変革の波が押しよせると、これに反対し、ついには白衛軍と協力して反革命行動をとるにいたった。
〔14〕 スパルタクス団――第一次大戦が起こったあと、ドイツ社会民主党内の国際主義者たちは党主流の日和見主義的・社会排外主義的傾向に反対してたたかい、そのため党から除名された。彼らK・リープクネヒト、ルクセンブルグ、メーリング、ツェトキン、ピークらのグループは、のちにスパルタクス団と呼ばれた。これが母体となって、一九一八年一二月にドイツ共産党が結成された。
〔15〕 「コンミューン派」と「ヴェルサイユ派」――一八七一年のパリ・コンミューンのとき、パリの労働者たちは、自分たちの革命政府の樹立と自由なフランスのために、コンミューンに拠って英雄的にたたかった。これに反して、旧政府首脳ティエールらブルジョアジーの代表者たちは、ヴェルサイユにのがれてそこに売国的偽政府をつくり、自分たちの階級支配を維持するために、きのうまでの敵であるプロイセン侵略軍と恥ずべき講和をむすび、その支持のもとにパリ・コンミューンを攻撃し弾圧した。
〔16〕 アメリカ=スペイン戦争――一八九〇年代の後半にスペインの海外植民地に反乱が勃発したのに乗じ、アメリカはそれらの領土を強奪しようとして一八九八年にスペインに戦争をしかけた。戦争はスペインの敗北におわり、アメリカは同年一二月のパリ条約によってグァム、プェルトリコ、フィリピンを獲得し、形式的な独立を得たキューバを完全な支配下においた。
〔17〕 ポーア戦争――イギリスは、南アフリカのボーア人共和国トランスヴァールとオレンジを滅ぼし強奪するために、一八九九年にこの国に戦争をしかけた。ボーア人ははじめ随所でイギリス軍を負かしたが、力つきて一九〇二年にプレトリアで講和条約をむすび、イギリス国王の支配下にはいることをよぎなく承認した。イギリスはこの戦争で限りない暴虐をボーア人にくわえた。
〔18〕 レーニンはホブソンの『帝国主義論』の詳細な検討を、『帝国主義論ノート』の《κ》(《カッパ》)でおこなっている(全集第三九巻、三七三―四〇二ページを参照)。また『ノート』のべつの箇所で、レーニンはこの著書につぎのような評価をあたえている。「ホブソンの帝国主義にかんする著書は一般に有益である。しかしそれがとくに有益であるのは、この問題についてのカウツキー主義の基本的な虚偽を暴露するのをたすけているからである」(前掲書、八六ページ)。なお、レーニンは早くからこの著書に深い関心をしめしており、すでに一九〇四年に翻訳を手がけたが(全集第三七巻、三二五ページを参照)、その手稿は残っておらず、翻訳が完了したかどうかもわからない。
〔19〕 正しくは、ヒルファディングの著書の標題はつぎのとおりである。『金融資本。資本主
義の最近の発展についての一研究』。
〔20〕 ケムニッツとバーゼルの両大会――一九一二年九月にひらかれたドイツ社会民主党のケムニッツ大会と、同年一一月にひらかれた第二インタナショナルのバーゼル大会のこと。これらはともにその決議で、社会民主主義者はきたるべき帝国主義戦争に積極的に反対することを決定した。
〔21〕 本訳書では、すべて邦訳して各段落の直後につけることにする。だが、レーニンは文献をとくに原語でしめしているので、本訳書でも、研究者の便宜のために、レーニンの引用した文献を著者名のアルファベット順に配列して、著者名のない年鑑類などは書名のアルファベット順に配列して、付録としてまとめてかかげることにする。
〔22〕 集積と集中――資本の集積というのは、直接に資本の蓄積にもとづくものであって、剰余価値の一部を原資本に付加することを通じて、資本の規模が拡大することである。これにたいして、資本の集中とは、すでに存在する資本の合同または合併によって個々の資本が大きくなることである。両者はたがいに制約しあうものであるが、資本主義的生産の発展の過程でより基本的なのは、集積である。
 ところで、レーニンは本書では、わずかの例外をのぞき、内容的には集中(ツェントラリザーツィヤ)Zentralisation について述べている箇所でも、集積(コンツェントラーツィヤ)Konzentration という術語をもちいている。これは、レーニンの読んだ『資本論』第一巻が、一八七二年に出た第二版であったことと関連するようにおもわれる(この事実は、全集第五版、第三巻、注一五による)。マルクスは第二版ではまだ Konzentration と Zentralisation という二つの術語の使いわけをしておらず、たとえば現行の第四版で、「これは、蓄積(Akkumulation)および集積(Konzentration)とは区別される、本来の集中(Zentralisation)である」(原書、全集版、六五四ページ、旧ディーツ版、六五九ページ)となっている箇所が、第二版ではたんに、「これは蓄積と区別される本来的集積(Konzentration)である」(六五一ページ)と書かれていた。そしてこの段落のあとに出てくる現行版における「集中」の語も、第二版では「集積」となっていた。マルクスが「集積」と「集中」という二つの術語を明確につかいわけたのは、一八七二―七五年に出たフランス語版が最初であった(同書、二七五ページ以下を参照)。
 この訳書では、レーニンがどういう術語をもちいているかを明確にしめす意味で、「コンツェントラーツィヤ」はすべて「集積」と訳した(もっとも、引用文のなかでとくに「集中」と訳すほうが適当とおもわれた場合は、そう訳した箇所がある)。しかしここでいう「集積」は、狭い意味での「集積」にかぎられず、集積に制約されつつ進行する「集中」の過程および概念をもふくんでいる、と理解すべきであろう。なおレーニンは、集中について述べる場合、「ツェントラリザーツィヤ」という外来語のほかに、「ソスレドトーチェニエ」という伝来のロシア語をもつかっている。
〔23〕 独占と独占体――レーニンは本書で「独占」を単数で使ったり複数でつかったりしている。単数の場合はそのまま「独占」と訳して問題ないが、複数の場合は、いくつかの例外を除き、「独占体」と訳しておいた。複数でも、もろもろの独占の現象をさしているとおもわれる場合は、「独占」と訳出した。
 なお、レーニンの原稿によれば、この箇所は「モノポーリイ」と複数になっているが、出版社がかってに手を加え、一九一七年の版では「モノポーリヤ」と単数になっていた。ここを単数にしたのでは、レーニンの意図はゆがめられてしまうであろう。
〔24〕 邦訳、大月書店版、二九九―三〇〇ページを参照。なお、引用文中( )でくくってあるのは、レーニンの挿入したもの。以下同様。
〔25〕 企業の独占団体の諸形態――レーニンが本書であげているものは、つぎのとおりである。カルテル――とくにドイツで発達した形態で、同種の企業が相互の競争を制限することによって独占的な高利潤を獲得しようという協定によって成立する。それぞれの加盟企業は、商業上および生産上の独立性を保持したままで、生産物の価格、販売市場、生産量その他について協定をむすぶ。なお、非加盟者はアウトサイダーと呼ばれる。
 シンジケート――カルテルよりも高度の形態で、加盟者はもはやその製品を自分の手で販売することをやめ、独立の組織であるシンジケートをとおして売るようになる。そしてシンジケートの内部では、カルテルの場合よりも、大資本の支配がより強まる。
 トラスト――とくにアメリカで発達した形態。アメリカでは一九世紀末に独占行為にたいして禁止立法がなされたので、カルテルにかわる脱法的手段としてトラストが考えだされた。ここでは、加盟企業は独立性を失い、トラストの単一の経営と管理に服することになる。
〔26〕 レーニンはここで「リシェーニエ」ということばをつかっているが、これはこの場合は「剥奪」としか訳しようがない。しかしケストナーは Sperre あるいは Sperrung という語をつかっている。すなわち、原料等々を「剥奪」するのではなく、それらがアウトサイダーの手にはいらないように「遮断」するわけである。だがここでは、レーニンの言いかえを直接に訳すことにした。なお『帝国主義論ノート』一八―一九ページを参照。
〔27〕 『バンク』(『銀行』)――ドイツ金融業界の雑誌で、一九〇八年から一九四三年までベルリンで出ていた。レーニンはこの雑誌に掲載された論文や資料を研究した(『帝国主義論ノート』、四八―六四、一四一―一六〇、四五七―四五八ページを参照)。
〔28〕 レーニンによるヤイデルスのこの著書の詳細な検討については、『帝国主義論ノート』、一二七―一三九ページを参照。レーニンはリーサーよりもヤイデルスを高く評価している。
〔29〕 レーニンの原文では表に番号はないが、組みの関係から、本訳書では便宜上〔 〕にかこんで表に番号をつけることにした。
〔30〕 シュルツェ―ゲーヴァニッツの論文『ドイツの信用銀行』の詳しい批判を、レーニンは『帝国主義論ノート』三〇―四一ページでおこなっている。また彼の著書『二〇世紀初頭のイギリス帝国主義とイギリスの貿易』の検討は、同書四一二―四二三ページでなされている。レーニンは本書でシュルツェ―ゲーヴァニッツの著述をかなり利用しているが、それはこの著者の考えや記述がすぐれているからではなく、逆に、彼には「歓喜する帝国主義者の勝ちほこった豚の調子が随所で見られる」(三三ページ)からであり、また彼が「帝国主義に奉仕する理想主義」(四二三ページ)の立場から意見を述べているからである。
〔31〕 リーフマンの著書『参与会社と融資会社』の批判的検討については、『帝国主義論ノート』三四一―三四九ページを参照。レーニンはリーフマンの理論的水準の低さを随所で笑っている。
〔32〕 ドイツの大銀行にかんするリーサーの著書というのは、『ドイツの大銀行、およびドイツの一般経済の発展との関連におけるその集中』(一九一〇、一九一二年)のこと。レーニンはこの著書の分析を、他の文献の検討とあわせながら、『帝国主義論ノート』三一三―三四〇ページでおこなっている。
〔33〕 このパラグラフではレーニンは二度とも「ツェントラリザーツィヤ」という術語をつかっている。
〔34〕 全集版、六二〇ページ、旧ディーツ版、六五五ページ。レーニンはロシア語訳をそのまま引用しているが、それはマルクスの原文とはすこし違っている。マルクスの原文はつぎのとおりである。「たしかに、それ〔銀行制度〕とともに社会的規模での生産手段の一般的簿記や配分の形態があたえられているが、しかし形態だけである。」四八
〔35〕 一八七三年の取引所瓦落――一八七三年の前半に、まずオーストリア=ハンガリーで、ついでドイツその他の諸国で起こった。七〇年代の初めに信用の膨脹、創業行為、株式投機が空前の規模に達した。そして世界経済恐慌の兆候がすでに見られはじめた時期に、株式投機はなお増大した。その反動として、ついに一八七三年五月九日にウィーンの取引所で大暴落が生じ、二四時間内に株価は数億グルデンさがり、膨大な数の倒産者を出した。
〔36〕 創業スキャンダル――フランス=プロィセン戦争ののち、ドイツの資本主義は急速な発展をとげたが、その当時、一八七〇年代に、株式会社の設立にさいしてもろもろのスキャンダルが生まれた。急激な会社創立にともなって、事業家の詐欺的取引、土地や有価証券の気ちがいじみた投機がひろくおこなわれた。
〔37〕 『フランクフルター・ツァイトゥンク』(『フランクフルト新聞』)――ドイツの巨大株式取引業界の日刊新聞。一八五六年から一九四三年までフランクフルト・アム・マインで出ていた。
〔38〕 「組織された」資本主義――独占資本主義の段階で巨大資本が相互のあいだで競争を制限する協定をむすんでいる事実に幻惑されて、いまや資本主義的生産のかつての無政府性が排除され、恐慌はなくなり、国民経済の計画的発展が可能となったと説く、ブルジョア的資本主義弁護論。はじめゾンバルト、リーフマンその他の独占資本の理論的代弁者が唱えたが、のちに、カウツキ−、ヒルファディングらの第二インタナショナルの改良主義的理論家たちもこれにとびついた。
〔39〕 邦訳、大月書店版、三四六ページ。第二の引用文は、「産業に充用された資本のますます多くの部分は金融資本、すなわち、銀行の管理下にあって産業資本家が充用している資本である」という一句のなかの、後半の部分である。
〔40〕 さきの文章は第一四章「資本主義的独占と、銀行資本の金融資本への転化」からとられたものであるが、そのまえの二つの章では「カルテルとトラスト」(第一二章)、「資本主義的独占と商業」(第一三章)が考察され、レーニンのいうように「資本主義的独占体の役割が強調されている」。
〔41〕 原語「ホジャーイニチャニエ」のもとになっている動詞「ホジャーイニチャチ」は、元来は「経営をおこなう」、「家政をつかさどる」という意味であるが、転じて、「自由にとりしきる」という意味にもちいられる。「ホジャーイニチャニエ」という名詞は、第二の意味でつかわれるのが普通であるが、レーニンはここでは、独占体の「経営遂行」、「業務遂行」がそれ自体「自由なとりしきり」に通じ、金融寡頭制の支配になることを言いたかったために、「ホジャーイニチャニエ」にかっこをつけたのだと察せられる。
〔42〕 ゲ・ヴェ・プレハーノフのこと。彼は戦争中にべトログラードで公刊された論文集『戦争について』のなかで、本文中にあるような意見を述べた。
〔43〕 『ノイエ・ツァイト』(『新時代』)――ドイツ社会民主党の理論雑誌で、一八八三年から一九二三年にかけてシュトゥットガルトで発行されていた。一九一七年一〇月まではカウツキーが、それ以後はクノーが編集者であった。
〔44〕 創業者利得――ヒルファデイング『金融資本論』、第七章の一「配当と創業者利得」、とくに一七一―一七三ページを参照。
〔45〕 レーニンは本書を合法的出版物として出す計画だったため、ロシア帝国主義についてはごく簡単な指摘をするにとどめている。しかし彼が、文献の不足になやみながらもロシアについても研究をしていることは、『帝国主義論ノート』によって明らかである。彼はアガードの著書『大銀行と世界市場。ロシア国民経済とドイツ=ロシア関係におよぽす影響から見た世界市場における大銀行の経済的および政治的意義』(ベルリン、一九一四年)のほか、ア・エヌ・ザク『ロシア産業におけるドイツ人とドイツ資本』(サンクト―ペテルブルグ、一九一四年)、B・イシハニアン『ロシア国民経済における外国の要素』(ベルリン、一九一三年)を利用している(『帝国主義論ノート』、八七―一〇四、二一六―二一七、二三八―二三九ページを参照)。
〔46〕 邦訳、一九九ページ。なおヒルファディングの原文では、「より収益の少ない旧資本」ではなく、「より少なく評価された旧資本」となっている。
〔47〕 フランスのパナマ事件――パナマ運河の開堀工事がフランスの手ですすめられていたころ、一八九二―一八九三年に、フランスの諸会社による政治家や官僚や新聞の大規模な買収事件が起こり、センセーションをひきおこした。
〔48〕 レーニンが本書を準備する過程で膨大な統計資料を詳しく研究、点検、分析したことは、『帝国主義論ノート』を一見すれば明らかであるが、全世界の有価証券発行高(第9表、第10表)については、彼はネイマルクの数字のほかに、W・ツォリンガーの論文『国際価値移転のバランス』(一九一四年、イェナ、『世界経済の諸問題』、第一八号)を利用し、両者を比較して、独自の計算を試みている (『帝国主義論ノート』、六四―六六、一一四―一一九、三五五―三五六ページを参照)。
〔49〕 レーニンがあげている著書のうち、ホブソン『帝国主義論』については、岩波文庫版、上巻、一一四―一一五ページを、ヒルファディング『金融資本論』については、大月書店版、四七五―四七六ページを参照。
〔50〕 一九一一年八月一九日(新暦九月一日)の日本とフランスとの通商条約――これによって、たとえば、(一)フランスは日本のすべての植民地で特恵をあたえられることになったが、日本は、絹をほとんど購入しないアルジェリアで特恵をあたえられたにとどまる。また、(二)フランスはサーディン、ぶどう酒、石けん、香水、自動車、機械その他の商品の日本への輸出で特恵を得たが、日本は生糸の輸出について特恵をあたえられただけであった。
〔51〕 括弧のなかの文章は、一九一七年の版では削除されていた。これは、この著書を出版した「パールス」社にいたメンシェヴィキたちが、カウツキーをかばってしたことである。このように、カウツキーやその他の日和見主義者たちを批判したレーニンのことばが一九一七年版で削除されたり訂正されたりした例は、このほかにも多くあるが、研究上重要ではないので、あと一ヵ所をのぞき、いちいち指摘しないことにする。
〔52〕 いま起こっていること――第一次世界大戦のこと。レーニンは検閲を顧慮してこのような言い方をしたのであって、「奴隷のことば」の一例である。
〔53〕 レーニンはモリスの著書『植民史』の検討を、『帝国主義論ノート』二一九―二二五ページで試みている。そして、この本「そのものは事実の無味乾燥な羅列のようである」にしても、「統計的概括は興味ぶかい」という両面の評価をあたえている。
〔54〕 三行まえの「ところが」以下この段落の最後までの文章は、一九一七年の初版では削除されていた。なお、ロシア・マルクス主義の創始者というのはプレハーノフのことである。
〔55〕 ズーパンの著書『ヨーロッパの植民地の領土的発展』とヒューブナーの『地理統計表』からの詳細な引用と分析が、『帝国主義論ノート』二六二―二七五ページでなされている。
〔56〕 ヒルファディング『金融資本論』、四九四ページを参照。
〔57〕 カウツキーの論文名は、第一のは『帝国主義』そのものであり、第二のは『再考のための二つの文書』であった。
〔58〕 ここは原文は《・・・・,произвольно и неверно свя его только с промышленным капиталом в аннектирующие другие нации странах,》であるが、アンダーラインをひいた語が初版では аннектирующих となっていた。それを『レーニン全集』第二版の編集者がレーニンの手稿によって аннектирующие となおし、それが現行版にもとりいれられている(第二版、第一九巻、一四四ページを参照)が、これでは意味がとおらない。ソ連邦で出ている英訳もドイツ語訳も、ここを аннектирующих と解して訳している。私も同様に訳しておいた。
〔59〕 邦訳、下巻、二二四ページ。
〔60〕 ナロードニキ――一八六〇―一八九〇年代のロシアの革命運動における主要な潮流で、農民社会主義の立場をとっていた一派。ロシアにおける資本主義の発展がまだ微弱だったあいだは革命的な役割を果たしたが、九〇年代になると、プロレタリアートの立場にたつマルクス主義的社会主義の直接の反対者となるにいたった。
〔61〕 ロシアにおける資本主義の発展の可能性を否定するナロードニキのひとりクリヴェンコは、その発展の必然性を主張するマルクス主義者に反論して、もし資本主義の発展が必然的で進歩的であるなら、「農地の買占めをも、店舗や居酒屋の開設をもはばかってはならず」、「国会にいる多数の居酒屋の主人の成功をよるこび、農民の穀物の多数の買占人を、もっと援助しなければならない」という、こっけいきわまる「結論」を引きだした。レーニン『「人民の友」とはなにか』、全集第一巻、二八二ページ(国民文庫版、一九七ページ)を参照。
〔62〕 レーニンは準備過程で『ノイエ・ツァイト』一九一四年(第三二年)、第二巻第二一号に掲載されたカウツキーの論文『帝国主義』を詳しく批判している(『帝国主義論ノート』、二三三―二三八ページを参照)。なおカウツキー一派をレーニンは「新しいプルードン主義」(八六ページ)あるいは「近代的プルードン主義」(一六〇ページ)と特徴づけている。
〔63〕 邦訳、上巻、一一五―一一六、一〇六、一〇七ページ。
〔64〕 邦訳、上巻、一五五ページ、下巻、一〇一、三五、二四五、三〇四ページ。
〔65〕 『マルクス=エンゲルス往復書簡』については、『マルクス=エンゲルス全集』、第二九巻、(原)三五八ページ、第三五巻、(原)二〇ページを、エンゲルスのカウツキーあての手紙については、第三五巻、(原)三五六ページを参照。なお、『イギリスにおける労働者階級の状態』第二版の序文は、同全集第二巻、六六四―六八〇ページに収録されている。
〔66〕 解党主義――一九〇五―一九〇七年の第一次ロシア革命が失敗におわると、メンシェヴィキたちは、非合法のロシア社会民主労働党の組織を解消し、非合法の革命活動をやめることを要求した。彼らは、革命を放棄することを代償に、ツァーリ政府から党の合法的な存在の許可を得ようと試みたわけである。
〔67〕 フェビアン協会――一八八四年にイギリスのブルジョア・インテリゲンツィアの一群が設立した改良主義的な結社。この協会の名は、決戦を回避する戦術をとったことで名高い古代ローマの司令官ファビウス・クンクタトール(ぐずぐずする者、の意)の名にちなんで、一派がみ
ずからつけたものである。この協会の代表的な人物に、バーナード・ショー、シドニー・ウェッブなどがいる。
〔68〕 ホブソンは『帝国主義論』の第二編第四章「帝国主義と劣等人種」の初めの部分で、「キッド氏、ギディングス教授、および『フェビアン』帝国主義者たちによって有能に提供された真実の論点・・・・」(下巻、一四〇ページ)と書いているが、レーニンはおそらくホブソンのこのことばを思いうかべているのであろう。
〔69〕 最後のモヒカン族――モヒカン族は、かつて北アメリカに住んでいたインディアンの一種族で、いまは死滅している。F・クーパーの同名の小説から転じて、このことばは、死滅しつつある社会現象の最後の代表者をさすのにもちいられる。
〔70〕 邦訳、五三九―五四〇ページ。
〔71〕 エンゲルスは『資本論』第三巻第六章の「注一六」でつぎのように書いている。近代的生産力が資本主義的商品交換の法則からますますはみだしつつあることは、「・・・・とくに二つの徴候のうちに現れている。第一に、あらたな一般的な保護関税熱であって、これはことに、ほかならぬ輸出能力ある物品を最もよく保護するものだという点で、旧来の保護関税と異なる。第二に、生産を、したがって価格と利潤を調整するための、大きな生産部面全体の工場主たちのカルテル(トラスト)である」(全集版、一三〇ページ、旧ディーツ版、一四二ページ、「注一六」)。
〔72〕 ホブソン『帝国主義論』、下巻、二六五ページ。
〔73〕 レーニンはここで、後出の義和団の蜂起(注七四)と関連する帝国主義諸国の「共同」歩調を一例として念頭においている。一九〇一年九月七日にイギリスを先頭とする帝国主義諸国が中国とのあいだに調印した「北京議定書」によって、中国はこれら諸国に多額の賠償金の支払いと同時に、北京における諸国軍隊の駐留、広範な治外法権地域の設定などをみとめさせられた。
〔74〕 義和団の蜂起の鎮圧――義和団の蜂起は一九〇〇年六月に北京、天津を中心に起こった。これよりさきにイギリス、フランス、ドイツ、ロシア、日本などの帝国主義諸国は、中国の分割に乗りだし、中国をめぐって相互に対立していたが、中国人がしだいに目ざめて帝国主義諸国の居留民の排斥運動を展開し、ついに義和団の蜂起にまで発展すると、上記の列強は自国の居留民の安全を確保するという名目で、中国人民の解放運動を、アメリカの軍隊をもくわえて、共同して武力によって鎮圧した。
〔75〕 ファショダ事件――フランスのマルシャン少佐の率いる特別遠征隊は、アフリカにおける植民地拡張を目的として、一八九八年にナイル河上流のファショダを占領した。これが、おなじく東アフリカの侵略をめざすイギリス帝国主義との衝突をひきおこした。しかし、フランスはナイル流域から手をひき、イギリスはエジプトを確保することで、事態がおさまった。
〔76〕 ロシアに対抗してのイギリスと日本との条約(日英同盟)――ロシアの満州進出が露骨になった一九世紀末に、イギリスはロシアに対抗して極東における自国の「権益」をまもることを目的として、日本と同盟関係にはいろうとした。こうして一九〇二年に日英同盟条約がむすばれた。この条約は、その後情勢の変化に応じて何回か修正されつつ一九二四年まで存続したが、その年に日英米仏四ヵ国の太平洋条約が発効すると同時に効力を失った。
〔77〕 邦訳、四七一―四七二ページ。なお、ヒルファディングの原文では、「輸入された資本」ではなく「輸入された資本主義」であり、「農業的孤立」ではなく「農業的きずな」であり、また「その武力」は「その権力手段」となっている。
〔78〕 リーサーの原文は「純然たる私経済的」ではなく、「純然たる私法的」となっている。


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☆ 解 説

★  一

 レーニンが本書の執筆にとりかかったのは、第一次世界戦争(一九一四―一九一八年)がまさにたけなわだった一九一六年の前半であり、そして本書が出版されたのは、二月革命でツァーリズムが崩壊したあと、勝利するまでの戦争の継続を主張する臨時政府――ブルジョアジ−とブルジョア化した地主の政府、帝国主義戦争の一方の張本人である連合諸国政府の後楯をあてにしていた政府――と、全国の労働者・兵士・農民代表ソヴェトのまわりにしだいに堅く結集して、パンと土地と自由をもとめてたたかっていた人民の勢力とが、いわゆる「二重権力」の状態のもとでヘゲモニーを争っていた、一九一七年なかごろのことであった。
 このような世界的激動のさなかに準備され出版された本書は、日の目を見るまでにすでにいくつかの受難を経験した。
 レーニンがペトログラードの「パールス」(「帆船」)出版社から、帝国主義にかんする著述の執筆の依頼を受けたのは、一九一五年暮のことであった。この申し出を喜んでひきうけたレーニンは、さっそく、ツァーリズムのもとでも合法的な出版物として出せるような形で原稿を書いて、急いで居住地のツューリヒ(スイス)から、当時フランスに住んでいたエム・エヌ・ポクロフスキーに書留便で送り、「パールス」出版社へ送付するように依頼したが、その原稿はポクロフスキーのもとにとどかなかった。こういう事態が起こりうることを、レーニンは予期していたのであろう。彼は控えの原稿をもっており、それを送りなおした。
 こうして原稿はやっと「パールス」出版社の手にとどいたが、しかしそれはけっしてすぐそのままの形では出版されなかった。当時この出版社で牛耳をとっていたメンシェヴィキたちは、レーニンの手稿にかってに手を入れた。まず、本の標題からして『資本主義の最新の段階としての帝国主義』とあらため、またカウツキーやマルトフらの日和見主義を痛烈に批判した部分を削除したりしたほか、個々のことばもいくつか書きあらためた(これらの改訂のうちのいくつかの重要なものは、事項注で指摘しておいた)。そうこうするうちに二月革命が起こり、レーニンも四月三日(ロシア旧暦)にロシアに帰ってきて、四月二六日付(同前)であらたに「序文」を書いた。そしてやっと同年なかごろに(正確な月日はわかっていない)本書が出版されるにいたったのであるが、そのさい「パールス」出版社は自社の名前を明記せず、当該場所に、「出版所。『ジーズニ・イ・ズナーニエ』〔『生活と知識』〕書店」と記入しただけであった。このような経過をへて本書はやっと公刊されたのであるが、しかし印刷された本文はメンシェヴィキたちが手を入れた草稿のままであった。レーニンの手稿どおりの『帝国主義論』が公刊されたのは、一九二九年に出たレーニン全集第二版の第一九巻においてである。

★  二

 レーニンの『帝国主義論』は、その分量の点ではマルクスの『資本論』の数分の一にすぎないが、しかし後者とならんでマルクス主義経済学における最も重要な基礎的文献の一つとみなされている。レーニンのこの著書を読まないでは、人は一般に帝国主義について語ることができないばかりでなく、現代資本主義についても今日の日本資本主義経済についても語ることはできない。
 マルクスが経済学の研究に志してから『資本論』の執筆にむけて多くの努力をかさねていた一八四〇―六〇年代は、イギリスで完全な勝利を収めた産業資本が、古い重商主義政策をつぎつぎに廃止して自由主義の経済政策を全面的に実現してゆくと同時に、イギリスのそのような発展がもたらした自由貿易制度の影響を受けて、西ヨーロッパの他の国々でも資本主義が急速に発展し、こうして国際的自由貿易が現出した時代であった。マルクスが資本主義発展のまさにこういう時代に生きていたことが、彼に、資本主義社会の基礎的な経済的運動法則にかんする著書としての『資本論』を書かせたし、また書くことを可能にしたのである。
 ところが、一八六〇年代以後は世界資本主義の様相が変わってきた。
 第一に、西ヨーロッパとアメリカの発達した資本主義諸国で資本主義の発展がいっそうすすむと、資本と生産との集積(狭い意義の――注二二を参照)とならんで集中の過程が急速に進行しはじめ、そのことがいままでのような自由競争を困難にするとともに、ここに自由競争に対立する原理である独占への強力な傾向が生まれた。
 第二に、独占への傾向は銀行業でも強く現われた。そしてそのことは、七〇年代以降各国で株式会社が広範に普及していったことと結びついて、一方では巨大資本による「支配の集中」をいちじるしく容易にするとともに、産業と銀行との癒着という新しい現象を生みだすにいたった。いままで支配的な資本形態であった産業資本にかわって、あらたに金融資本が支配的な資本形態となるにいたった。
 第三に、アメリカの一八六一―六五年の南北戦争における工業的北部の勝利と、一八七〇―七一年のフランスとの戦争におけるドイツの勝利は、すでに、アメリカとドイツにおける資本主義の急速な発展をしめすものであったが、戦争ののちは、これら両国は、長いあいだ「世界の工場」として君臨していたイギリスの独占的地位を脅かしはじめた。しかも、イギリスのかつての第一級の地位は、綿工業を中心とする軽工業におけるイギリスの圧倒的強さによるものであったが、新しくはじまりつつあった時代にアメリカとドイツを台頭させたものは、鉄工業を中心とする重工業のとくに急速な発展であった。だがこのことは、原料資源をめぐる資本主義列強の競争をとくに激化させずにはおかなかった。
 第四に、先進諸国の経済における右に述べたような一連の変化を基礎として、経済政策ばかりでなく、植民政策や外交政策その他でも、いままでの自由競争の時代とは異なる新しい様相が見られるにいたった。たしかに、植民地略取は資本主義の黎(れい)明期に「文明」諸国が暴虐のかぎりをつくしておこなったことだし、また、あの自由主義の「祖国」イギリスの産業資本はその植民地インドにおける「自由競争」によってインドの人民大衆に塗炭の苦しみを味わせたばかりでなく、セポイの反乱(一八五七年)にたいしては血の弾圧でのぞむことを辞さなかったのであって、植民地支配は資本主義諸国にとってはいつの世にも欠くことのできないものであったが、しかし新しい時代には諸国の植民政策にも新しい内容が盛られるにいたった。一八八〇年代以降、あらゆる資本主義国による植民地追求はいちじるしく激しさをましたばかりでなく、植民地住民にたいする支配の方式も、直接に弾圧的なものになった。たとえば、ホブソンがイギリスについて指摘しているように、「一八七〇年代以後に植民地もしくは保護領としてイギリスが併合した三九の地域のうちで、第三の等級〔代議機関ならびに責任政府をもつ植民地――引用者〕に属するものはただの一つもなく、第二の等級〔代議機関をもつが、責任政府をもたない植民地〕に属するものはただ一つ(*)」しかなかったのであって、イギリスは、残りの三八の地域を第一級の植民地すなわち「直轄植民地」として支配したのである。ここには、「植民地はわれわれの首にかけられた石うすだ」という考えの片鱗すら見られない(本書、一〇二ページを参照)。そしてこのような傾向はどの植民地領有国にも共通して見られるところなのである。
 (*) ホブソン『帝国主義論』、邦訳、岩波文庫版、上巻、六九ページ。

 資本主義の発展における新しい様相の出現は、数多くの研究家に各種各様の見解を展開させることとなった。レーニンが本文の冒頭で述べているように、一九世紀と二〇世紀の境目のころから、「新旧両世界の経済文献ならびに政治文献は、われわれの生活している時代を特徴づけるために『帝国主義』という概念について論じることが、しだいにますます多くなってい」(一九ページ)たのである。
 これらの文献のうち、ホブソンの『帝国主義論』(一九〇二年)とヒルファディングの『金融資本論』(一九一〇年)とは、グールヴィチの『移民と労働』(一九一三年)とともに、レーニンが本書を書くにあたって利用したブルジョア学者たちの数多くの著作とは異なり、彼がとくに高く評価しているものであるが、それにしても前者は平和主義の立場に立ったものであり、また後者は、ヒルファディングののちの日和見主義的立場につながるような欠陥をもっていた。

★  三

 レーニンがマルクス主義者として社会的実践活動にはいった一八九〇年代は、資本主義がすでに古典的な発展期を終えて、独占期の様相を表面にあらわしはじめた時代であった。だからレーニンは、活動の比較的早い時期に、新しい時代の特徴について書いている。たとえば、一八九九年末に執筆した『カウツキー「ベルンシュタインと社会民主党の綱領」の書評』のなかには、つぎのような叙述がある。
 「最近におけるこの周期〔産業恐慌の一〇年周期――引用者〕の変化は、エンゲルス自身が指摘したところである。ところで、企業家のカルテルは、生産を制限し調整することによって、恐慌に対抗することができる、という人がいる。だがアメリカはカルテルの国であるが、そこでは生産の制限のかわりに、生産の巨大な成長が見られる。つぎに、カルテルは、国内市場のためには生産を制限しながら、外国市場のためには生産を拡大し、そこでは欠損価格で商品を売り、祖国の消費者から独占価格を取りたてる。保護貿易のもとではこの制度は不可避であるのだが、しかし保護貿易に自由貿易の制度がとってかわることを期待する根拠は、なにもない(*)」。
 (*) 全集、第四巻、一ニ六―二一七ページ。

 また、一九〇四年にレーニンは亡命先のジュネーヴでホブソンの『帝国主義論』を手に入れ、さっそくそれの翻訳にとりかかった。そのことは、母親へあてた当時の手紙から知られるところである。だがこれらはすべて、レーニンの帝国主義研究の前史である。彼が帝国主義の本格的研究の必要を痛感し、そして実際に丹念な研究にとりかかったのは、第一次世界戦争が起こってからまもなくのころのことである。
 (*) 全集、第三七巻、三二五ページ。

 レーニンは本書で、この戦争が「両方の側からして帝国主義的な・・・・戦争であり、世界の分け取りのための、植民地と金融資本の『勢力範囲』の分割と再分割、等々のための戦争であったこと」(一二ページ)を証明しようとしたのであるが、しかし、きたるべき戦争がそういう性格の戦争であることは、第二インタナショナルの指導者たちがすでに一九〇〇年のシュトゥットガルト大会と一九一〇年のコペンハーゲン大会で、基本的にはみとめていたところである。またそのことは、本書の付録に収めた第二インタナショナルの『バーゼル宣言』(一九一二年)がはっきり確認したところである。そして彼らは、「大会は万国の労働者にむかって、資本主義的帝国主義にプロレタリアートの国際的連帯の力を対置することを要求する」(一七三ページ)、とおごそかに宣言したほどである。しかし周知のように、一九一四年七月末から八月初めにかけて現実にヨーロッパの列強のあいだで戦争が起きると、諸国のきわめて多数の社会主義者たちは、二年まえの自分たちの崇高な約束をあっさりわすれ、プロレタリア国際主義の立場を捨てて、「祖国擁護」――じつは「祖国」の大ブルジョアジーの帝国主義政策の擁護――の立場に転落してしまった。
 革命の大義を裏ぎった諸国の第二インタナショナルの指導者たちにたいするきびしい批判と、真のプロレタリア国際主義の立場の宣伝のためのレーニンの努力は、すでにその年の八月末には開始された。だが、いまはそれらの活動についてくわしい説明をする場所ではないので、問題を経済学の分野に限定しよう。
 一九一五年二―三月ごろに、レーニンはつぎのように書いている。「今日の戦争は帝国主義的性格をもっている。この戦争は、資本主義が最高の発展段階に達し、すでに商品の輸出ばかりでなく資本の輸出もきわめて本質的な意義をもち、生産のカルテル化と経済生活の国際化がいちじるしい規模に達し、植民政策がほとんど全地球の分割をもたらし、世界資本主義の生産力が民族国家の区分という限られた枠を乗りこえて成長し、社会主義を実現する客観的諸条件が完全に成熟した、そういう時代の諸条件によってひきおこされたものである(*)」。
 (*) レーニン『ロシア社会民主労働党在外支部会議』――全集、第二一巻、一五二―一五三ページ。

 これでわかるように、すでにこのころにレーニンは本書で体系的に確立した見解のまぎわまでゆきついていたのである。
 また同年七―八月に書かれた『社会主義と戦争』という小冊子のなかには、「奴隷所有者的『大』強国による世界の分割(*)」にかんする表がのっているが、これは本書の第六章にある「列強の植民地領土」〔第16表〕と内容はまったく同じものである。また八月末に発表された有名な小論文『ヨーロッパ合衆国のスローガンについて』のなかでは、列強による世界の領土的分割の「完了という条件のもとで、資本主義諸国の経済的発展の不均等性と関連して、帝国主義戦争が不可避であることが説明されている(**)。
(*) 全集、第二一巻、三〇九ページを参照。
(**) 前掲書、三五一ページを参照。

 このように、実際に帝国主義戦争が起こってからの一年間におけるレーニンの政治的活動のなかで、『帝国主義論』を書くための心の準備が、レーニンにはほとんどできあがっていたのである。
 レーニンが帝国主義にかんする文献の丹念な研究に着手したのは、一九一五年のなかごろ、スイスのベルンにおいてであったようである。そして「パールス」出版社の申入れを受けたあと翌年二月にツューリヒに移ってからは、彼はそこの州立図書館にかよって膨大な資料の収集と研究にはげんだ。この準備過程で、レーニンがクルプスカヤの助けを得ながら作成した書抜き、要綱、覚え書、統計表、等々は、『帝国主義論ノート』という標題のもとに一九三九年にはじめて単行の資料集として出版されたが、同じものがレーニン全集(第四版)第三九巻に収められている。

★  四

 レーニンは本書の「序文」で、「私はこの小冊子が、それを研究しないでは現在の戦争と現在の政治を評価するうえでなにひとつ理解できない基本的な経済問題、すなわち帝国主義の経済的本質の問題を、究明する助けとなることを期待したい」(一〇ページ)と言っている。このことばのうちに、私は本書の二様の性格がしめされていると考える。
 第一に、本書は「帝国主義の経済的本質の問題を究明」しようとしたものであり、そのかぎりではそれはなによりも経済学的文献である。しかし第二に、他方では、レーニンはこれをたんなるアカデミックな経済学研究の書として書いたのではない。レーニンは、広範な読者大衆が現在の戦争と現在の政治を正しく評価するための一助となることを期待しつつ、これを書いたのであって、そのかぎりでは、本書はたんなる経済学研究書の枠をはみでている。そして本書のこの二重の性格は、本書の構成のうえにもその刻印を押している。
 本書は全一〇章から成っているが、そのうち第一―第五章は純然たる経済学的研究にあてられている。そして第六章で、独占的金融資本が支配するにいたった時代の植民政策の基本的特徴が説明され、つづく第七章でいままでの六つの章の総括があたえられている。レーニンはこの章の初めの部分で、帝国主義の五つの基本的特徴を数えあげたあと、すぐつづいて、「帝国主義とは、独占体と金融資本との支配が形成されて、資本の輸出が顕著な意義を獲得し、国際トラストによる世界の分割がはじまり、最大の資本主義諸国による地球の全領土の分割が完了した、そういう発展段階の資本主義である」(一一六ページ)という、帝国主義の簡潔な定義をあたえている。そしてこの定義のなかで、レーニンは、帝国主義列強による世界の領土的分割の完了という、見ようによっては政治上の契機とおもわれるものまであげているが、しかし彼は右の定義を「基本的な純経済的概念」(同所――傍点は私のもの)に限定したものといっており、そしてレーニンのそのことばは正しい。だが同時に、帝国主義の経済学上の定義をあたえたことが、本書の使命そのものの要請からして、経済学的考察の枠を越えさせることにもなるのである。レーニンはこの章でカウツキーの帝国主義の定義を批判してゆくなかで、結びの部分で、新しい時代における資本主義列強の経済的発展の不均等性と結びつけて、世界の再分割のための帝国主義戦争の不可避性を論証し、いまたたかわれている戦争が、「金融的強盗のイギリス・グループとドイツ・グループのどちらが大きな獲物を手に入れるべきか、ということをめぐる戦争」(一四ページ)にほかならないことを、言外に読者に語っているのである。
 つづく第八章では「資本主義の寄生性と腐朽」が考察される。これも、たしかに、一方では経済学上の問題である。寄生性と腐朽という新しい時代の資本主義の特徴は、先進諸国の膨大な資本輸出という事実と関連している。だがそうして、「もっぱら理論的な――それもとくに経済学的な――分析にごく厳重に局限し」(九ページ)ながらも、当時の社会主義運動における最も重大な問題の一つ、すなわち日和見主義の問題を――しかしここではやはり経済的土台との関連において――とりあげるのである。
 また第九章で社会のさまざまな階級の帝国主義「批判」を批判するときにも、レーニンは同様のやりかたをしている。
 こうして本書は、第一義的には、「資本主義の特殊な、最高の段階としての帝国主義」にかんする経済学的考察の書であり、小冊子ながらマルクス主義経済学の発展のうえで大きな寄与をしたのであるが、それだけでなく、まさにそのことを通じて、広範な読者が政治活動のうえで正しい道を歩むことを可能にするような基礎理論を提供したのである。
 ところで、現在われわれは、レーニンが本書を書いた時代と、一方ではほぼ同じ性格をもつが、他方ではきわめて異なる特徴をもつ時代に住んでいる。すなわち、現在、いくつかの帝国主義諸国があいかわらず巨大な経済的および政治的力を保有しているが、しかし他方では、一九一七年以降は、資本主義はもはや全世界をおおう体制ではなくなり、いまでは周知のように、地球の陸地面積の約四分の一で、世界の総人口の約三分の一の人々が社会主義社会を建設している。レーニンの時代とわれわれの時代とではこのような重大な相違があるのだから、われわれは、レーニンの『帝国主義論』から多くのものを学びつつも、この小冊子のなかのレーニンの個々のことばを教条のようにおしいただいて、それを現代に機械的にあてはめるようなことをしてはならない。また逆に、時代の相違を理由に、レーニンにおける科学的な基本的見解を捨てさるようなことをしてもならない。レーニンの理論を生きたものとして身につけるということは、けっして生やさしいことではないが、広範な読者が、本書を読みつつそのような努力をされることを、私は、訳者およびマルクス主義経済学者として、心から期待したい。         (訳 者)

☆ あとがき

 私が国民文庫版の『帝国主義論』の旧訳の訳者、堀江邑一氏のご了解を得て、私の手になる新訳を出したのは一九六一年のことであった。それ以来一一年のあいだに二四刷をかさねてきたが、その訳にもいろいろな欠陥が見いだされたので、機会を得て、ここに新訳改訂版を出すことにした。もっとも、基本的には一九六一年のままで、誤りや不適当な箇所を訂正したにとどまる。
 だがこうして新訳改訂版を出すにあたって、体裁を広範な読者にとってより近づきやすいものにあらためた。すなわち、さきの版では、レーニンが注であげた引用文献は、レーニンのとおりまず原語でしめし、そのあとに邦訳を付すという方法をとったが、こんどは、すべて翻訳してあげるにとどめた。しかしただそれだけではしーニンがわざわざ原語をしめした意義がそこなわれるので、巻末にすべての引用文献を原語でしめすことにした。
 また事項注は、専門研究家にもなにがしか役だつとともに、なによりも広範な学習者により良い手引きになりうるように、かなり書きあらためるとともに、新しい注をいくつか書きたした。
 この新しい版が、わが国の学習意欲に満ちた広範な読者にとって、古い版よりももっと読みやすく利用しやすいものになったとしたならば、私の努力はむくいられたと考えることができる。
     (訳 者)




☆ 人名索引

アガード Agahd,E. ドイツの小ブルジョア経済学者,15年間,露清銀行の職員として勤務した.

アグィナルド,エミリオ Aguinaldo,emilio(1869―1946) 1898年のアメリカ=スペイン戦争当時のフィリピン諸島原住民の独立運動の指導者.

アクセリロード,ペ・べ Аксельрод,П.Б.(1850―1928) メンシェヴィキの指導者.ストルィピン反動期には解党派.第1次世界大戦中,はじめ社会排外主義者,のちに中央派.

アリストパネース(ほぼ紀元前443―385) ギリシアの喜劇作家.

ウィルソン,ウドロー Wilson,Woodrow(1856―1924) アメリカの政治家,第28代大統領(1913―21年).

ヴィルヘルム二世 Wilhelm U.(1859―1941) 最後のドイツ皇帝ならびにプロイセン王(在位1888―1918年).1918年革命のため退位させられた.

アルント,パウル Arndt,Paul ドイツの経済学者.

エシュヴェーゲ,ルードヴィヒ Eschwege Ludwig ドイツの経済学者,経済雑誌『バンク』の寄稿家.1912―13年に金融資本の問題について多くの論文を書いた.

エドワード七世 Edward Z.(1841―1910) イギリス国王(在位1901―10年).

エンゲルス,フリードリヒ Engels,Friedrich(1820―1895)

オーウェンス Owens,M.J. (1859―1923) アメリカのガラスびん製造機械の発明家,のちにこの分野の産業家となる.

カウツキー,カール Kautsky,Karl (1854―1938) 第2インタナショナルとドイツ社会民主党の指導的理論家.19世紀末―20世紀初めには,ベルンシュタインの修正主義にたいしてマルクス主義の「正統」をまもってたたかったが,1909年ごろから日和見主義に傾いた.第1次世界大戦中,国際主義と排外主義とのあいだを動揺し,十月革命後は決定的な反ソ・反ボリシェヴィキの立場にたった.

カウフマン,オイゲン Kaufmann,Eugen ドイツの経済学者,雑誌『バンク』の寄稿者.

カーネギー,アンドリュー Carnegie,Andrew (1835―1919) スコットランド出身のアメリ力の大富豪.1848年にアメリカに移住,南北戦争のときに投機でもうけ,1873年に鉄鋼業界に進出,1901年にモルガンの鉄鋼トラストと合同.

カルヴァー,リヒアルト Calwer,Richard (1868―1927) ドイツの社会民主主義者,経済学者,修正主義者,1909年に離党.国会議員.世界経済の統計学的研究に従事.

ギッフェン,ロバート Giffen,Sir Robert (1837―1910) イギリスの統計学者で経済学者.

グヴィンナー,アルトゥール・フォン Gwinner Arthur von (1836―1931) 1894―1914年ドイッチェ・バンクの取締役.ドイツ金融資本の主要人物.

クノー,ハインリヒ Cunow,Heinrich (1862―1936) ドイツの経済史家,人類学者,社会学者,ベルリン大学教授.はじめマルクス主義に接近したが,のちに修正主義者.第1次世界大戦中,社会帝国主義者,1917―23年『ノイエ・ツァイト』の編集者.

クラモンド,エドガー Crammond,Edger イギリスの経済学者.

クルップ Krupp l9世紀以後のドイツ最大の重工業者の一族.

グールヴィチ,イ・ア Гурвич,И.А. (1860―1924) ロシア初期のマルクス主義者の1人.医学,哲学をまなぴ,のち経済問題とくに移民問題を研究.80年代末,スウェーデンをへてアメリカにわたり,Hourwich と名のった.エンゲルス,レーニンとも文通があった.

クレマンソー,ジョルジュ Clemanceau,Georges (1841―1929) フランスの保守政治家,第1次大戦末期に首相兼国防相.

クローマー,エヴリン・ベアリング Cromer,Evelyn Baring (1841―1917) イギリスの政治家,1883年から1907年までエジプトの事実上の支配者,伯爵.

ケストナー,フリッツ Kestner,Fritz ドイツのブルジョア経済学者.トラストの発達を研究.

コルチャック,ア・ヴェ Колчак,А.В. (1875―1920) ツァーリ海軍の提督.1918年,シベリアの反革命派の首領.敗北後,とらえられて銃殺された.

ゴンパース,サミュエル Gompers,Samuel (1850―1924) アメリカ労働総同盟の創立者,会長.第1次世界大戦にさいしては主戦論者.労資協調主義者,十月革命後はソヴェト国家に敵対する態度をとった.

ザルトリウス・フォン・ヴァルタースハウゼン,アウグスト Sartorius,Freiherr von Waltershausen,August (1852―?) ドイツの経済学者.近代世界経済史の研究家.

サン―シモン,クロード―アンリ Saint-Simon,Claude-Henri (1760―1825) フランスのすぐれた思想家.空想的社会主義の代表者の1人.

ジーメンス,ゲオルグ Siemens,Georg (1839―1901) ドイツの大産業家,金融業者.1870年に「ドイッチェ・バンク」を創立,その取締役となる.プロイセン下院議員,のちドイツ国会議員.

シャイデマン,フィリップ Scheidemann,Philipp (1863―1939) ドイツ社会民主党の右派.1917年には革命的労働運動に反対,1919年に首相となり,革命運動の弾圧に一役を買う.

シュタウス,エミール・ゲオルグ・フォン Stauss,Emil Georg von(1877年生) グヴィンナーの私設秘書,のちにドイッチェ・バンク,ディスコント―ゲゼルシャフトの取締役.

シュティリッヒ,オスカー Stillich,Oskar (1872―?) ドイツの経済学者,金融問題の著述家.

ジュデクム,アルベルト Suedekum,Albert (1871―1944) ドイツ社会民主党員,修正主義者,社会帝国主義者.第1次世界大戦中,イタリアとスカンディナヴィア諸国をまわって社会民主党多数派の社会排外主義的行動を弁護した.

シュルツェ―ゲーヴァニッツ,ゲルハルト Schulze-Gaevernitz,Gerhard (1864―1943) ドイツのブルジョア経済学者,ブレンターノ派,帝国主義擁護の立場から多くの著書がある.

シルダー,ジーグムント Schilder,Siegmund (?―1932) オーストリアの経済学者,大学教授,世界貿易政策の専門家.

スコーベレフ,エム.イ Скобелев,М.И. (1885―1939) メンシェヴィキ,第4国会議員,第1次世界大戦中は中央派.十月革命後メンシュヴィキからはなれ,22年ロシア共産党に入党.

ステッド,ウィリアム・トマス Stead,William Thomas (1849―1912) イギリスの新聞記者.『レヴュー・オヴ・レヴュース』の編集者.

ズーパン,アレクサンダー Supan,Alexander (1847―1920) ドイツの地理学者,ゴータ大学およびブレスラウ大学の教授.

スベクタートル Cneктатор ナヒムソンの筆名.

ゾンバルト,ヴェルナー Sombart,Werner (1863―1941) ドイツの経済学者.はじめマルクス主義に好意的であったが,のちに「マルクス批判家」となる.資本主義について膨大な量の著述がある.

ダーヴィド,エドゥアルド David,Eduard (1863―1930) ドイツの経済学者.ドイツ社会民主党に属し,ベルンシュタイン主義者.農業理論でマルクス批判を試みた.第1次世界大戦中は極端な社会排外主義者.1919年連立内閣に入閣,ドイツ革命およびソヴェト権力に敵対.

ダヴィドフ,エリ・エフ Давыдов,Л.Ф. ロシア大蔵省の信用局長.

ターフェル,パウル Tafel,Paul ドイツの経済学者,エ学士.アメリカに7年間滞在したのち,『北アメリカのトラストおよび技術におよぼすその影響』を書いた.

チェンバレン,ジョゼフ Chamberlain,Joseph (1836―1914) イギリス自由統一党の首領,植民地相.イギリス帝国主義の思想的代表者の1人.ボーア戦争を鼓舞した.

チヘイゼ,エヌ・エス Чхеидзе,Н.С. (1865―1926) グルジア人,メンシェヴィキの指導者.第3,第4国会の議員.戦争問題では中央派的立場をとった.十月革命後ソヴェト権力に敵対,1921年フランスに亡命.

チヘンケリ,ア・イ Чхекели,А.И. (1874―?) グルジアのメンシェヴィキ,第4国会の議員.第1次世界大戦中は社会排外主義者,十月革命後グルジアでメンシェヴィキ政府の内相,のち亡命.

チールシュキー,ジーグフリード Tschierschky,Siegfried (1872―?) ドイツの経済学者.トラストやシンジケートのなかでの実務にも従事した.

ディウリッチ,ジョルジュ Diouritch,Georges フランスの経済学者,主としてドイツ経済を研究.

ディスレイリ,ベンジャミン Disraeli,Benjamin (1804―1881) ベコンスフィールド伯爵,イギリス保守党の指導者.もと青年「イングランド派」,しばしば大臣,首相となる.

デシャネル,ポール Deschanel,Paul (1855―1922) フランス進歩党の指導者,評論家.下院の副議長,議長をつとめた.

デーニキン,ア・イ Деникин,А.И. (1872―1947) ツァーリ軍隊の将軍.第1次世界大戦中,旅団長,軍団長,十月革命後南ロシアとウクライナで白衛軍の司令官.

トマ,アルベール Thomas,Albert (1878‐1932) フランス社会党の改良主義的指導者.極端な社会排外主義者.第1次世界大戦中,ブルジョア政府の労働相.戦後は国際連盟の国際労働局事務総長.

ドリオ,エドワール Driault,Eduard フランスのブルジョア歴史家.

ナヒムソン,エム・イ Нахимсон,М.И. (1880年生) 経済学者.はじめブンド派,第1次世界大戦中は中央派に属した.世界経済の専門家,十月革命後コム・アカデミーその他で働いた.

ネイマルク,アルフレード Neymarck,Alfred フランスの金融財政統計家.

ノスケ,グスタフ Noske,Gustav (1868―1946) ドイツ社会民主党の右派,反動的な組合運動指導者.革命的労働運動を弾圧.ヒトラーのもとで年金生活をした.

ノーベル,アルフレード Nobel,Alfred (1833―96) スウェーデンの工業家,ダイナマイトの発明者.ノーベル賞はこの人の遺言によってもうけられた.

ハイニヒ,クルト Heinig,Kurt (1886―1956) ドイツの経済学者,社会民主党員.主として現代資本主義経済を研究.

ハイマン,ハンス・ギデオン Heymann,Hans Gideon ドイツの経済学者.ドイツの経済事情を研究した.

ハインドマン,ヘンリー・メイヤース Hyndman,Henry Mayers (1842―1921) イギリス社会党の創立者,国際社会主義ビューローの一員.第1次世界大戦期には社会排外主義者,1916年に離党.

バウアー,オットー Bauer,Otto (1882―1938) オーストリア社会民主党および第2インタナショナルの指導者,カウツキー主義者,いわゆるオーストリア派マルクス主義の代表者.

ハヴメイヤー,ジョン Havemeyer,John (1833―1922) アメリカの工業家,最大の製糖トラストの所有者.

パトゥイエ,ジョセフ Patouillet,Joseph フランスの経済学者.

ハルムス,ベルンハルト Harms,Bernhard (1876―?) ドイツの経済学者.

ヒューブナー,オットー Huebner,Otto 年鑑『万国地理統計表』の編集兼発行人.

ヒル,デイヴィド Hill,David Jayne (1850―1932) アメリカの歴史家,外交官.主著『ヨーロッパ外交史』.

ヒルデブラント,ゲルハルト Hildebrand,Gerhard (1878―1921) ドイツの経済学者,修正主義者,ドイツ社会民主党員.日和見主義のために,1912年に党から除名された.

ヒルファディング,ルドルフ Hilferding,Rudolf(1877―1941) 経済学者,ドイツ社会民主党と第2インタナショナルの主要な理論家の1人.第1次世界大戦期には中央派,のち共産主義に反対.「組織された資本主義」,「経済民主主義」をとなえた.主著『金融資本論』.1923年と28―29年に蔵相になる.のちナチス・ドイツ占領下のフランスで獄死した.

フェルカー Voelker ドイツの官吏,のちに鉄鋼産業合同の指導者となる.

フォーゲルシュタイン,テオドール Vogelstein,Theodor ドイツの経済学者.

ブハーリン,エヌ・イ Бухарин,Н.И. (1888―1938) 20世紀初頭のロシアの社会活動家ですぐれた経済学者,ボリシェヴィキとしてレーニンとともに行動.経済学者.レーニンの死後はじめトロツキー反対の理論活動をおこなったが,1929年に右翼日和見主義潮流の理論的指導者となり,党から除名された.その後復党をゆるされたが,1938年に反革命陰謀のかどで処刑.

プレハーノフ,ゲ・ヴェ Плеханов,Г.В. (1856―1918) ロシアにおけるマルクス主義の創始者.第1次世界大戦期には社会排外主義の立場をとり,戦争中のストライキの中止,ツァーリズムとの闘争の中止を労働者に訴えた.

ベア,マックス Beer,Max (1864―?) ドイツの社会主義史研究家.ドイツ社会民主党左派であったが,イギリスに移住後,改良主義の影響を受けた.第1次と第2次世界大戦の中間期にひところ共産主義者となった.

ペイシュ,ジョージ Paish,Sir George(1867―?) イギリスのブルジョア経済学者,雑誌『ステーティスト』発行著の1人.

べラール,ヴィクトル Berard,Victor (1864―1931) フランスの小ブルジョア経済学者,政論家.帝国主義に反対し自由競争を支持し,フランスの植民政策に警告をあたえた.

ベルンシュタイン,エドゥアルド Bernstein,Eduard (1850―1932) ドイツの社会民主主義者.いわゆる「修正主義」をとなえ,マルクス主義理論に全面的な修正をくわえようとした.

へンガー,ハンス Henger,Hans ドイツの経済学者.

ポトレソフ,ア・エヌ Потресов,А.Н. (1869―1934) メンシェヴィキの指導者,解党派,社会排外主義者.十月革命後亡命.

ホブソン,ジョン・アトキンソン Hobson,John Atkinson (1858―1940) イギリスの経済学者,フェビアン派.主著『近代資本主義の進化』,『帝国主義論』など.

マクドナルド,ジェームス・ラムゼー MacDonaid,James Ramsay (1866―1939) 1911年から14年までイギリス労働党首領.第1次世界大戦期には平和主義者,戦後3回首相となる.帝
国主義的自由主義的政策をとり,1929年労働党から除名された.

マスロフ,ペ・べ Маслов,П.П. (1867―1946) 経済主義者,メンシェヴィキ,解党派.第1次世界大戦期には社会帝国主義者.十月革命後は政治活動から手をひき,教育と研究に従事し,1929年にはアカデミー会員になった.

マルクス,カール Marx,Karl (1818―1883)

マルトフ,エリ Мартов Л. (1873―1923) メンシェヴィキの指導者.「プラトニック」な国際主義者として社会排外主義者とのブロックを主張した.十月革命後は反ソ活動に従事,1920年にドイツに亡命.

ミルラン,アレクサンドル Millerand,Alexandre (1859―1943) フランスの政治家.ブルジョア政府に入閣した最初の社会主義者.第1次世界大戦中「挙国ブロック」の指導者.のち首相,大統領を歴任した.

モリス,ヘンリー・C Morris,Henry C. (1868―?) アメリカの歴史家.植民史に大著がある.

モルガン,ジョン・ピアポント Morgan,John Pierpont (1867―1943) アメリカの大財閥モルガン家の首領.

ヤイデルス,オットー Jeidels,Otto ドイツの経済学者,金融資本の発展を研究した.

ユイスマン,力ミーユ Huysmans,Camille (1871―?) ベルギーの社会民主主義者,哲学教授.第1次世界大戦まえに国際社会主義ビューロー書記,戦争とともに社会愛国主義者となる.のち文相,首相,下院議長.

ランスブルグ,アルフレード Lansburg,Alfred (1872―?) ドイツのブルジョア経済学者,雑誌『バンク』の発行者.

リーサー,ヤーコブ Riesser,Jacob (1853―1932) ドイツの経済学者,銀行家,政治家.ドイツ民主党の指導著.金融資本と帝国主義の擁護者.

リジス Lysis(Letailleur,E.) (フランスのジャーナリスト,E.ルタイュールの筆名)議会制度反対の反動雑誌『ヌーヴェル・デモクラシー』の編集者.

リーフマン,ロベルト Liefman,Robert (1874―1941) ドイツの経済学者,教授,金融資本の擁護者で研究者.

リンカーン,エイブラハム Lincoln,Abraham (1809―1865) アメリカ合衆国第16代大統領.奴隷解放を支持し,南北戦争後,南部の奴隷制支持勢力の手で殺された.

ルーカス,チャールス・プレスウッド Lucas,Charles Preswood,Sir イギリスの評論家.イギリス帝国主義の擁護者.

レヴィ,ヘルマン Lew,Hermann (1881年生) ドイツのブルジョア経済学者,ハイデルベルグ大学教授,金融資本の研究者.

レスキュール,ジャン Lescure,Jean (1882―1947) フランスの経済学者.

ロイド―ジョージ,デイヴィド Lloyd George,David (1863―1945) イギリスの政治家,自由党首.商相(1905―08年),蔵相(1908―15年),首相(1916―22年)となる.イギリス帝国主義の代表者であり,十月革命後はソ連邦にたいする反革命運動の全世界的組織者として行動した.
ロックフェラー,ジョン・デイヴィソン Rockefeller,John Davison (1839‐1937) アメリカの大財閥ロックフェラー家の創始者.スタンダード石油会社をおこし,石油独占をおこなった.ロックフェラー家はアメリカの対外政策に大きな力をおよぼしている.

ローズ,セシル・ジョン Rhodes,Cecil John (1853―1902) イギリス帝国主義の代表者,植民主義者,ボーア戦争の張本人.アフリカのイギリス領ローデシアは彼の名をとったもの.

ロスチャイルド(あるいはロートシルド) Rothschild ヨーロッパ全土に力をふるっていたフランクフルトの銀行家の一族.19世紀までは世界で最大の金融王であった.

ワール,モリス Wahl,Moris フランスの経済学者.




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