左翼小児病


 レーニンに言わせれば、社会主義革命へ接近するために、選挙戦術は政治情勢全般との関連で検討されるべきなのであって、第1次大戦後のイギリスの左派社会主義者に次のような選挙戦術の提案を行っている。当時、イギリスには共産党がなく、小さな4つの社会主義党、グループが統一共産党の創設をめざして協議に入っており、かれらに提案した選挙戦術が次のものである。当時のイギリスの選挙制度は単純小選挙区制である。

 イギリスの同士達は、共産党は妥協してはならない、共産党はその主義を純粋にたもち、改良主義にたいする党の独立性を保たなければならないと主張するが、そうではない。

「反対に、イギリスの労働者の大多数が、まだイギリスのケレンスキー一派あるいはシャイデマン一派のあとにくっついており、こういう連中のつくる政府をもった経験がない−−このような経験は、ロシアでもドイツでも、労働者が大衆的に共産主義に移っていくうえに必要であった−−ということからでてくる疑う余地のない結論として、イギリスの共産主義者は、議会活動に参加しなければならず、議会の内部から労働者階級をたすけてヘンダソンやスノーデンの政府の成果を実地に見せなければならず、ヘンダソンやスノーデンをたすけて、ロイド・ジョージとチャーチルの連合に勝たせなければならない。それ以外の行動をとることは、革命の大業を困難にすることを意味している。なぜなら、労働者階級の大多数の見解に変化がなければ革命は不可能であり、このような変化は、大衆の政治的経験によってつくり出されるのであって、けっして宣伝だけでつくりだされるものではないからである。」(「共産主義内の左翼小児病」全集31巻、72頁)

 レーニンはさらに具体的な選挙戦術にまで踏み込んで話をしている。党員諸兄の皆さんには、是非、全文読んでいただきたい。特に8章、9章を。

「ヘンダソン一派とスノーデン一派が共産主義者とのブロックを拒絶するならば、共産主義者は一挙に得をして大衆の共鳴をかちとり、ヘンダソン一派とスノーデン一派の信用をおとさせるであろう。そして、このためにいくつかの議席を失うとしても、それは我々にとって、いっこうたいしたことではない。我々は絶対に確実なごく少数の選挙区、つまり、わが党の候補者を立てても自由党員に有利に、労働党員に不利にならないような選挙区にだけ党の候補者をたてることにしよう。我々は選挙宣伝をおこない、共産主義の宣伝ビラをまき、わが党の候補者の出ていないすべての選挙区では、ブルジョアに反対して労働党員に投票するよう、すすめる。同志シルヴィア・パンクハーストと同志ガラチャーが、これを共産主義の裏切りと見なすか、あるいは社会主義の裏切り者にたいする闘争を放棄するものだと見なしているのは、誤りである。反対に、これによって共産主義革命の大業は疑いもなく得をするであろう。」(同77頁)

 そのうえ、最後に次のようにさえ言っている。

「それは、あまりに『たくらみのある』、あるいは複雑な戦術だ、大衆はそれを理解しないだろう。それは我々をばらばらにし、細分するだろう。・・・私はこの『左派』の反対論者にこう答える。−−君たちは大衆のせいにしないでくれたまえ!と。おそらくは、ロシアでは大衆の文化はイギリスよりもすすんでおらず、おくれているだろう。それでも大衆はボリシェヴィキを理解した。」(同77頁)

 レーニンの選挙戦術は、日本共産党の選挙戦術である全小選挙区立候補とは天地ほどの違いがあるのである。レーニンの考えでは、当時のイギリスの政治情勢の特徴を労働者大衆の大多数が労働党支持に移行しつつあることと把握しているのであり、そのような政治情勢の中では、労働党支持へ向かう労働者の腕を掴んで、その大多数を、直接、共産党支持に引き寄せることはできず、まず、彼ら労働者多数の願望を実現し、その成果・労働党政権を経験させることが必要だし、その経験こそが社会主義革命への接近という視点から見て重要なことだとレーニンは主張しているわけである。

 加えて、レーニンの時代と今日の世界情勢を比較してみるべきであろう。レーニンの提案当時、ロシア革命の成功による社会主義運動の世界大での展開が猛烈な勢いで進んだ時期である。イギリスでも例外ではない。そのような時代にあっても、レーニンは以上のように提案しているのである。一方、我々が置かれた世界情勢はどうであろうか。レーニンの時代とは全く逆に、社会主義の思想と運動が、これほど地に墜ちた時代はないであろう。

 このようなレーニンの認識には党勢の発展=社会変革への接近などとする単純な理解・公式は微塵もないのである。






(私論.私見)