哲学の貧困





(私論.私見)


プルードン(Pierre Joseph Proudhon 1809-1865)

 フランスの社会思想家で、生産者の自由連合による社会革命と改良を説いた社会主義者。当時の多くの社会思想家と異なり貧しい職工の家庭に生まれる。

 彼はサン・シモンやヘーゲル、アダム・スミス、聖書などの本を製造する印刷工や校正係となって独学し、ヨーロッパ大陸を修行して回る熟練工として育つなかで、個性的に自立した生産者の機能的な分業が富の基礎であるにもかかわらず、その〈集合力〉が資本家によって不当に利用されていると考えるようになった。

 近代工業と成長期の資本主義の多面的な矛盾を指摘しながら、社会進歩への信頼を失わず、寡占的な産業封建制から国家統制的な産業帝制への動きに産業民主制を代替させようとした。

 その著《貧困の哲学 Systeme des contradiction economiques, ou philosophie de la misere》(1846)で、生産者の預託による共済的な人民銀行案や、租税改革案などを説き、労働者の精神的成熟と社会統御の能力の漸次的成長を促すことを要求したため、政治的能力を過度に強調する革命家たちに反対され、とくにマルクスの《哲学の貧困》によって攻撃を受けた。パリの熟練工の支持で1948年には国民議会議員となってルイ・ボナパルトの政策を批判し、投獄と亡命生活を送った。

 エンゲルスの《空想より科学へ》では〈批判的社会主義〉として扱われている。空想的社会主義者分類されることが多いが、プルードン自身は自分を〈科学的社会主義〉と呼んでおり、また職業生活以外の社会生活の多くの領域で自治 self-goverment と自主管理 self-management を勧め、国や政党、経営者による上からの制御に反対した彼の思想は、マルクスやレーニンの思想を掲げる国家群の悲喜劇を前に近年再評価されている。

 今日でも大陸の労働運動には反インテリ的なプルードン主義の傾向が強い。また〈アナーキズム〉の名付け親ともいわれる。



マルクスの『哲学の貧困』を読む

斉藤悦則

テキストの成立経緯

『哲学の貧困』はフランスの思想家プルードンの著作『貧困の哲学』(一八四六年)に対する批判の書。一八四七年にフランス語で出版された。書名そのものからもマルクスの才気と悪意がうかがえる。

 当時、マルクスは二八才、パリ、ブリュッセルと移り住む無名のドイツ人亡命者であった。一方、九才年長のプルードンはすでにヨーロッパ思想界のスター級の存在であり、マルクス自身もかつてはプルードンを大いに賛美していた。  二五才の頃、マルクスはパリでプルードンと交わり、独仏交流の評論誌への参加をよびかけている。しかし、プルードンはこの若者がほかのドイツ人亡命者を非難するその言葉の激しさや心根の狭さにいささかあきれる。

 プルードンは社会変革の活動のなかでも「あらゆる異議の歓迎、すべての排他性の払拭」が大事と諭すのだが、マルクスにはそうした発想こそがプロレタリアートの運動にとって有害と思われた。寛容やバランス感覚を重んじるのはプチ・ブル(小ブルジョア)的な感傷にすぎない。そこで、マルクスはそれまでの友好的な態度を改め、相手を理論的に打ちのめして、プルードンが革命家たちに与えている影響力を失わせようと企てる。

 プルードンの『貧困の哲学』はまさしくバランスをテーマとする本であった。彼によれば、人類の経済的営みはいずれも自らの福祉(より良い暮らし)を求めるが、その営みそのものが同時に弊害(悪)を生む。それを克服しようとする営みもまた新たな弊害を必然的に生じさせる。たとえば、分業は生産性を飛躍的に向上させるが、同時に人間を愚鈍にする。人間を単純反復作業から脱却させるため、機械制を導入すると、生産性はさらに高まるが、人間は機械の奴隷と化す。人間に主体性を取り戻させる仕組みとしての競争は、人間に創意と工夫を発揮させ、生産性をますます高めるが……。

 というぐあいに、プルードンの見るところ、すべての経済カテゴリーはその内部に対立をはらむ。対立しあう二項はともに正当な存在理由をもつ。単純素朴に「良い面だけ保持して、悪い面だけを除去」するわけにはいかない。両面はいずれもそのカテゴリーの必然的で本質的な属性だからだ。しかも、こうした矛盾こそが経済にダイナミズムをもたらす。否定面を否定しても、それはさらなる否定を求めるから、したがって、われわれはどこまでも矛盾とともに生きてゆくしかない。矛盾の解消を求めるのは生気のない停滞を望むことにひとしい。矛盾のはざまに立ち、あるいは人間の歩行運動のように、バランスをくずしつつバランスを追求すること、これがプルードンのヴィジョンであった。

 プルードンの『貧困の哲学』(副題=『経済的諸矛盾の体系』)は分厚い本だが、マルクスは二日で読了。そして、ただちに批判にとりかかる。

  内容

 批判の書『哲学の貧困』は二つの章からなる。第一章はプルードンの経済学を批判し、第二章は哲学を批判する。  経済学を批判するといっても、それはプルードンの価値論がリカードの労働価値説より劣っていると主張しているだけのものである。その眼目は、プルードンを平等主義者に見立てる点にある。相手を素朴で幼稚な社会主義者のように描き出し、最高水準の経済学者(マルクスにとってのリカード)と見比べて、「平等主義的な結論」のお粗末さを笑う。フェアなやり方ではない。

 プルードンはその著作(全一四章)の第二章で価値論をあつかうが、その前の第一章では経済の科学について論じ、現状に添い寝する「経済学」と夢見心地のままの「社会主義」の不毛な対立を浮き彫りにした。そして、経済学の礎石である「価値」の概念にも矛盾があるとし、以下すべての経済カテゴリーにおける矛盾の系列的な連鎖へと叙述をつなげてゆく。マルクスによる批判は、相手の積極的な部分とわたりあって議論を高次化するたぐいの批判ではない。相手の弱点をさぐり、そこを集中的にたたく。引用文を並べて客観性を装いつつ、相手の言い分を巧みにゆがめる。  哲学批判の部分はさらにその傾向が強い。

 マルクスはいう。「彼にとって、解決すべき問題は、悪い面を除去して良い面を 保存することである」。そうではない、とプルードン自身が言っているにもかかわらず、マルクスはこのフレーズをくりかえす。さらに、「悪い面こそ歴史をつくる運動を生みだすのである」というが、これはもともとプルードンの発想。

 マルクスがこうした荒っぽい手口を用いるのは、彼がそこで理論闘争ではなく政治闘争を展開していると意識していることによる。プロレタリアートとブルジョアジーの階級闘争、その全面的な対決の前夜にあっては、プルードンのような客観主義的な態度は許されない。プロレタリアートの革命的気概の盛り上がりにとって、小ブルジョア的な感傷やためらいは有害である。革命運動からプルードンの影を一掃しよう。マルクスにとって、これはどんな手を使ってでもやりとげなければならないことであった。

 最後にマルクスは「労働者のストライキは非合法である」というプルードンの言葉を引用し、その反革命性を印象づけようとする。プルードンのレトリックを無視した引用で、もとの文意を逆にしてみせた。なにしろここは戦の場なのだから、何でもありなのである。 すべてを戦争になぞらえるマルクスのしめくくりの言葉は一段と勇ましい。「戦いか、死か。血まみれの戦いか、無か。問題は厳として、こう提起されている」というジョルジュ・サンドを引用し、「社会科学の最後の言葉」はこの一句につきるとする。すなわち、戦闘性をそなえない社会科学は無意味だと結論した。 

この本から何を学ぶか

 この本はプルードン批判としては問題があり、じっさい発刊当時はほとんど売れず、社会的インパクトはゼロに近かった。しかし、いったんマルクスが偉くなると様子が変わる。青年マルクスの口汚い罵りの言葉までもが神々しく、ありがたく読まれるようになる。本書は、偉大な思想が卑小な思想を木っ端みじんにうち砕く痛快な読み物として、また白と黒をはっきりさせてわれわれがどちらの側に立つべきかを教えてくれる階級闘争の教科書として、マルクス主義の必読文献の一つとされた。

 それはついこのあいだまでの風潮。いまでは、もっと別の読み方が大きな顔をしてできるようになった。たとえば、ここで青年マルクスを等身大のまま見ようとすれば、自分の新しいアイデンティティを獲得するために父親殺しを試みる若者の姿が浮かんでくる。口調の激しさは自己否定の苦悶とその断固たる意志をあらわす。

 また、初期と後期のマルクスの落差を知るための資料として読むのもよい。これはごくマニアックだが、同時にきわめてオーソドックスな読みのスタイルである。マルクスについて、こじゃれたことを言って悦に入りたいなら、本書をはずすわけにはいくまい。

 マルクスの思想形成の過程において、この著作が一つの大きな節目をなしていることはたしかである。マルクス自身が後年(『経済学批判』の序言で)述べているように、彼はここにおいて「科学的」方法を確立し、それまでの哲学的意識を精算できた。すなわち、経済学の面では自分のうちにあった「平等主義」的な感傷から脱却し、哲学の面ではいわゆる史的唯物論の骨格をここでつくりあげることができた。

[後略]