3−2 共産主義の原理(共産主義者の信条草案) Frederick Engels The Principles of Communism

「共産主義の原理」の「れんだいこ和訳本」ほぼ完訳を祝す れんだいこ 2004/02/24
 ここに、エンゲルス著「共産主義の原理」の「れんだいこ和訳本」をサイトアップする。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/marxismco/marxism_genriron_gensyo_genri.htm

 これが、「フォイエルバッハ・テーゼ」、「共産主義者の宣言」に続く第三作目である。続いて、「エルフルト綱領批判」、「ゴータ綱領批判」、「ユダヤ人問題について」へ向かう予定である。

 当初はれんだいこの50歳過ぎての手習い的な英語学習の意味を持たせていたが、今や新しい目的が付け加わっている。既成の市販本特に日共系のものの邪悪な悪訳がこれほど酷いものとは思わなかったので見過ごしてきていたが、もはや許せなくなっている。宮顕・不破一派の策動は、マルクス主義の原典そのものを亡くせ無いので悪訳で対抗しているかの感がある。そのサマは「現代版焚書坑儒」と云えようか。

 これに気づいたのはれんだいこだけではなかろうが、これを大衆的に明らかにしようとしているのは僅かのグループである。そのうちの一人として今後とも精力的に翻訳していこうと思う。いつの日かドイツ語原典をも参照しようと思うが、今は全く予定が立たない。学生時代、ドイツ語を履修していたので、やる気になれば出来るようにも思えるが、少し気が遠くなる。それよりも英訳本を下敷きにしての和訳本をこなしていきたい。最終的には資本論までいきたいが、寿命が持つかどうか。

 それより何より、「れんだいこ和訳本」を市販品の訳本と見比べながら読み進め、マルクス主義の原意を正確に受け取って欲しいと思う。この「共産主義の原理」にもかなりな悪訳を認めることが出来よう。しかも、肝心なところになると決まって変な訳にされているのに気づくであろう。

 そういう悪訳に依拠した左派運動が首尾よく進展する訳がない。今や、「れんだいこ和訳本」を起点に日本左派運動の再建に乗り出さねばならない。「れんだいこ和訳本」にはそういう意義がある。

 同時にこのことは、従来の左派運動圏に棲息してきた自称知識人のエエカゲンさをも自ずと暴いている。以下、云々と書きつけようと思ったが、そんなことはもうどうでもよい、馬鹿らしくなるだけだから割愛する。

 2004.2.24日 れんだいこ拝


 Frederick Engels The Principles of Communism
 Written:
October-November 1847;
 Source: Selected Works, Volume One, p. 81-97;
 Publisher: Progress Publishers, Moscow, 1969;
 First Published: 1914, Eduard Bernstein in the German Social Democratic Party’s Vorwarts!;
 Translated: Paul Sweezy;
 Online Version: MEA 1993; marxists.org 1999;
 Transcribed: Zodiac;
 HTML Markup: Brian Basgen.

 Document Introduction.

 1847.10-11月パリでエンゲルス執筆(テクストはエンゲルスの遺稿中にあったものにより、その訂正、挿入、削除、強調されたものをとる)


【れんだいこ和訳一括文】
 一問 共産主義とはなにか?
 ( 共産主義とは、プロレタリアート解放の諸条件にかんする学説である。

 二問 プロレタリアートとはなにか?
 (答) プロレタリアートとは、ただその労働〔力〕を売ることにだけによって自分の生活をささえ、資本のどんな種類からも利潤を引き出していない、社会階級をいう。プロレタリアートの禍福、その生死、その全生存は、労働にたいする需要に依存しており、従って仕事の変化状況や、制御できない競争の変動によって左右されている。

 プロレタリア―トあるいはプロレタリア階級とは、一言でいえば、19世紀〔以後〕の労働階級のことである。

 三問 では、プロレタリアートは、いつでもいたわけではないのか?
 (答) そうだ。彼らは、いつも貧乏で働く階級として存在してきた。そしてまた、働く階級は、徹底して貧乏であった。

 しかし、今日のような状態でくらしている労働者且つ貧乏人がいつでも存在していた訳ではない。言い換えれば、いつもプロレタリアとして存在していた訳ではない。自由にして無拘束の競争が、いつでも存在していた訳ではないのと同じことである。

 四問 プロレタリアートは、いかにして発生したか?
 (答) プロレタリアートは、産業革命によって発生した。その産業革命は、18世紀の後半にまずイギリスに起り、それから世界のあらゆる文明国で、次々に起ったものである。
 この産業革命は、蒸気機関や、さまざまな紡績機械や、力織機、その他あらゆる機械装置の発明によってひきおこされた。

 これらの機械は非常に高価で大資本家だけが調達できたのだが、いままでの生産様式全体をかえてしまい、これまでの労働者をおしのけた。なぜなら、機械はそれまでの労働者が非効率的な紡ぎ車や手織機で生産するものよりもっと安価で良質な商品を生産したから。

 機械は、産業をそっくり大資本家の手にひきわたし、労働者のわずかな財産(道具、織機、等々)をまったく無価値なものにした。

 その結果、資本家は、まもなくすべてのものを自分の手におさめたのに、労働者の手にはなに一つ残さなかった。

 これはまず、衣料産業への工場の導入により記録された。
 ひとたび機械と工場制度の導入という衝撃があたえられると、このシステムはたちまち、そのほかのあらゆる産業部門、特に織布、印刷、製陶、金属品工業にも、広まった。
 労働は、ますます個々の労働者間を分業するようになった。それで、以前は一連の過程を持つ仕事をこなしていたが、今では一過程の一部分だけになった。

 この分業は、生産物を、いっそう急速に且ついっそう安価に、製造した。

 それは、個々の労働者の作業を、単純な、際限なく同じことをくりかえす機械的な操作に変質させた。機械によって人間のそれに比べて同じどころか、むしろはるかにうまくやることができるようになった。

 こういうふうにして、あらゆる産業は、紡績業や織物業がかって為したように、次々と蒸気力や機械や工場制度が支配するようになった。
 しかし、同時に、産業が大資本家の手にうつり、労働者は、何らかの形で独立性を残していたものを奪いとられた。

 次第に、本来のマニュファクチュアばかりでなく手工業もまた工場制度に支配されるようになった。これにより、大資本家たちは、かなりの費用の節約ができ、分業が十分おこなわれる大作業場を建設することによって、次第に小親方を駆逐していった。
 これが、如何にして、現下の現在文明諸国で、ほとんどすべての労働部門が工場式に経営され、ほとんどすべての労働部門で手工業やマニュファクチュアが大工業のためにおしのけられてしまったかの理由である。
 この過程は、更にかなりの程度で、これまでの中間層特に小手工業の親方を破滅させた。労働者の状態を完全に形成した。そして、次第に他のすべてのものをのみこむ二つの新しい階級がつくりだされた。すなわち、
T  大資本家の階級。彼らは、すべての文明諸国で、あらゆる生活手段と、機械や工場などの装置、生活手段の生産に必要な原料のほとんどを一手に専有している。

 これが、ブルジョア階級またはブルジョアジーである。
U  まったくの無産階級。彼らは、生計に必要な生活手段を得るために、自分達の労働〔力〕を交換を通じてブルジョアに売るのを余儀なくされている。これが、プロレタリア階級またはプロレタリアートと云われる。

 五問 プロレタリアのブルジョアジーに対する労働〔力〕売りは、どんな条件下で為されるのか?
 (答) 労働〔力〕は他のすべての商品と同じように一つの商品であるから、その価格は、他の商品のばあいと精密に同じ法則によってきめられる。

 大工業または自由競争の支配――この二つは、あとで説くように結局同じものであるが――のもとでは、一商品の価格は、平均してみれば、いつでもこの商品の生産費にひとしい。

 だから、労働〔力〕の価格も、同様にその生産費にひとしい。
 しかし、労働〔力〕の生産費用は、労働者を働かせ続け、労働階級を死なさないように保全するに要する生活手段の質料と等しく構成されている。

 だから、労働者は、自分の労働〔力〕の償いとして、この目的に必要なものだけしかうけとらないであろう。こうして、労働の価格あるいは賃金は、生計維持に必要な最低、最小限となるだろう。
 しかし、仕事は景気が良いときもあれば悪いときもあるのだから、労働者は、あるときはこれより多くの、あるときはこれよりすくない賃金をもらうだろう。まさに工場主が、自分の商品にたいして、あるときはその生産費より多くの、あるときはそれよりすくない代金をもらうように。

 しかし、工場主が、景気のよいときとわるいときを平均すれば、自分の商品の対価としてうけとるものは、とにかくその生産費より多くもすくなくもないように、労働者がうけとるものもまた、平均すれば、たしかにこの生計に必要な最小限より多くもすくなくもないのである。

 しかしながら、この賃金の経済法則は、大工業がすべての労働部門を支配すればするほど、ますます厳格におこなわれるであろう。

 六問 産業革命のまえには、どんな労働階級がいたのか?
 (答) 労働階級は、異なる社会の発展段階によって、それぞれちがった環境で暮らしていたし、また所有し支配する階級に対して異なる諸関係に有った。

 古代には、労働者は所有者の奴隷であった。それは未だに、多くの後進国で存在しており、またアメリカ合衆国の南部でさえ、いまだにそうである。

 中世には、労働者は土地所有貴族の農奴であった。今日でもまだ、ハンガリア、ポーランド、ロシアではそうである。

 中世および産業革命が起きる寸前までは、都市の手工業職人であり、小ブルジョアの親方のもとにやとわれてはたらいていた。

 次第に、マニュファクチュアが発展するにつれて、これらの手工業職人はマニュファクチュア労働者になった。この時すでに大資本家にやとわれていた。

 七問 プロレタリアは、どういう点で奴隷とちがうか?
 (答) 奴隷は、いちど売られたら売られきりである。ところが、プロレタリアは、日々刻々、自分を売らなければならない。

 個々の奴隷は、一所有者の財産であって、どんなみじめな生存にしろ、この所有者の利益の為もあって、とにかく生存の保証がある。

 ところが、個々のプロレタリアは、いわばブルジョア階級全体の財産であって、ブルジョアのだれかがプロレタリアの労働〔力〕を必要とするときにだけ労働〔力〕を買いとられるので、〔個々人としては〕なんら生存の保証はない。

 この生存は、ただプロレタリア階級全体に保証されているだけである。
 奴隷は競争の圏外にあるが、プロレタリアは競争のなかにあって、競争のあらゆる変動を身に感じる。

 奴隷は、一個の物とみなされて、市民社会の一員とはみとめられない。
 が、プロレタリアは、一個の人間として、市民社会の一員としてみとめられている。

 しかるに、奴隷はプロレタリアよりはよりましな生存条件にあった。プロレタリアは社会のいっそう高い発展段階のものであって、またそれ自身としても奴隷よりは高い社会的水準に位置しているというのに。

 奴隷がみずからを解放するには、すべての私的所有関係のなかで奴隷関係だけを揚棄し、これによってまたみずからプロレタリアになればよいが、プロレタリアは、私的所有一般をなくすことによってしか解放されえない。

 八問 プロレタリアは、どういう点で農奴とちがうか?
 (答) 農奴は、収穫の一部をおさめたり、労役に服したりする代償として、生産用具、すなわち一片の土地を使用する。

 プロレタリアは、生産物の一部をうけとる代償として、他人の生産用具をつかってこの他人のために働く。

 農奴はさしだし、プロレタリアはうけとるのである。
 農奴は生存の保証があるが、プロレタリアはそれがない。
 農奴は競争の圏外にあり、プロレタリアはそのなかにある。
 農奴は、次の三方法の一つにより解放される。一つは都会に逃げだして、そこで手工業者となるか。又一つは生産物や労役の代わりに、金銭を地主におさめて自由借地農になるか、後の一つは自分の封建領主を追いだして、自分自身土地の所有者になるか。

 つまり、どういう方法をとるにせよ、とにかく有産階級になり、競争の仲間入りをすることによって自分自身を解放するのである。
 プロレタリアは、競争や、私的所有や、またすべての階級的差別をなくすことによって、解放されるのである。

 九問 プロレタリアは、どういう点で手工業者とちがうか?
 (答) (欠落)

 十問 プロレタリアは、どういう点でマニュファクチュア労働者とちがうか?
 (答) 一六世紀から一八世紀までのマニュファクチュア労働者は、ほとんどどこでも、まだ生産用具を自分の所有物としてもっていた。すなわち、自分のつかう機械や家族のつかう紡ぎ車、ひまひまに自分でたがやす小さい畑をもっていた。プロレタリアは、こんなものをまったくもっていない。

 マニュファクチュア労働者は、ほとんどいつでも田舎に住み、そして自分の地主または雇主と多かれすくなかれ家父長制的関係のうちで生活している。プロレタリアは、たいていは大都市で生活し、その雇主と純然たる金銭関係にある。

 マニュファクチュア労働者は、大工業によってその家父長制的関係からひきはなされ、まだ持っていた所有物をうしない、こいう方法でプロレタリアになる。

 十一問 産業革命のために、また社会がブルジョアとプロレタリアとに分裂したために、まずはじめにおこった結果は、なんであったか?
 (答) 第一に、機械作業によって工業生産物の価格がますます安価になってゆく結果、マニュファクチュアあるいは手労働をもとにした産業の古い体制が、世界各国で完全に破壊されてしまった。

 このやり方で、すべての半未開国は、これまで、歴史の発展にたいして多かれすくなかれ縁が無く、その工業がマニュファクチュアをもとにしていたが、このためむりやりに鎖国状態からひきはなされた。

 それらの国は、イギリス人の安価な商品を買いいれて、自国のマニュファクチュア労働者を没落させた。
 こうして、幾千年来すこしも進歩がなかった国、例えばインドのような国もすっかり変革され、中国でさえも、今日では革命に近づいている。
 今日イギリスで発明される新しい機械が、一年もたたないうちに、幾百万の中国労働者の生活環境を奪うようになった。

 こうして、この大工業は、地球上の全世界の人々を互いに関係付け、すべての地方的な小市場を一つの世界市場の中に投げ入れ、いたるところに文明と進歩とを広げた。そして、もう今日では、文明諸国におこるすべてのことは他のすべての国々に影響せずにはいないほどまでになったのである。

 だから、もし現在イギリスまたはフランスで労働者が解放されたとすれば、それはかならず、ひきつづいて他のすべての国々にも革命(遅かれ早かれ、それぞれの国々の労働者階級の解放をも遂行せねばならなくなるような革命)を課題とさせる。
 第二に、マニュファクチュアにかわって大工業がおこったところではどこでも、ブルジョアジーはその富と権力とを最高度に発展させ、彼らを国内第一級の階級にした。

 その結果として、ブルジョアジーが政治権力を掌握し、これまでの支配階級、すなわち貴族とギルド親方組合、およびこの両者を代表する絶対王権を没落させた。
 ブルジョアジーは、土地の限嗣相続(長子相続)を揚棄することによって、貴族や王侯権力を打ち滅ぼした。他の言葉で云えば、土地財産を売買し易くすることによって、王侯貴族の特別な特権を廃止する事によって。

 それは、ギルド親方組合の権力をギルド及びその職能的特権を揚棄することによって破壊した。
 この両者のかわりに、彼らは自由競争をもってきた。即ち、誰でも任意の産業部門を営む権利をもち、単に必要な資本が欠如しているばかりという社会状態のことである。
 自由競争の導入はかくて、今から社会の構成員に彼らの諸資本は平等ではないという点でのみ不平等であるということ、資本こそは決定的な力であり、したがって資本家即ちブルジョジーが社会の第一階級になったことを、公然と宣言していることになる。

 自由競争は、大工業を打ち立てるのに必要欠くべからざるものである。なぜなら、それは大工業を起し得る唯一の社会状態だからである。
 貴族とギルド親方組合との社会的権力を破壊した後に、ブルジョアジーは又彼らの政治上権力をも破壊した。

 そして、社会の中で実際の第一階級になりあがった後に、ブルジョアジーは又、政治的にも支配階級であることを宣言した。

 これは、代議制の採用を通じて成し遂げられた。代議制というのは、法律の前でのブルジョア的平等、即ち自由競争の法律的承認に基づくものであって、ヨーロッパ諸国では立憲君主制という形態で採用された。

 これらの立憲君主制のもとでは、一定の資本を持った者がつまりブルジョアジーの構成員だけが選挙権を持っている。

 これらのブルジョア選挙人が代議士を選び、そしてこれらのブルジョア代議士が租税賦課の拒否権を使うことによってブルジョア政府を選ぶ。
 第三に、至る所でプロレタリアートはブルジョアジーと歩調を合わせて発達する。

 ブルジョアが富を集積するに連れて、プロレタリアートはその数を増す。

 というのは、プロレタリアはただ資本によってのみ雇われることができ、又資本は労働を雇ってのみ増殖することができるのだから、プロレタリアートの増大は、資本の増大と同じ歩調を合わせて進行することになる。
 同時にまた、この過程は、ブルジョアジーとプロレタリア達とを産業の経営にもっとも有利な大都会に集め、こうして大ぜいの人を一つの場所に密集させることによって、プロレタリア達に、彼ら自身の強さを意識させることになる。

 更に、この過程が更に進展して、より新しい労働効率促進機械が発明されるにしたがって、賃金の上に成り立つ大産業によって産業の大部分がますます執り行なわれることになる。賃金は、見てきたように、最低限におしさげられ、これがプロレタリアートの状態をますます耐え難いものにする。

 かくて、プロレタリアートの不満が増大することにより、プロレタリアートの勢力が増大すると共に、プロレタリア社会革命の準備の為に寄り集うことになる。

 十二問 産業革命の結果は、そのうえになにであったか?
 (答) 大工業は、蒸気機関その他の機械をつくりだし、これを手段として、一層短い時間と一層少ない費用とで産業生産を無限に拡張させていった。

 かくて生産が促進されたことで、自由競争が、それは大工業が必然的にもたらすものであるが、最も激しい形態を帯びるようになった。多くの資本家が産業に身を投じ、短期日のうちに生産が需要を追いこしてしまった。
 その結果、製造された商品が売れなくなり、いわゆる商業危機がはじまる。
 工場は休業しなければならず、工場主は破産し、労働者は食いはぐれた。
 極度の窮乏がいたるところにおこった。

 しばらくすると、過剰な生産物もさばけてしまい、工場もまた仕事をはじめ、労賃はあがり、しだいに景気もまたいつもよりはよくなった。

 しかしまもなく、またもやあまりに多くの商品が生産され、新しい危機がはじまる。同じ過程が前と全く同じ経過で続くばかりとなる。
 このように、今世紀〔一九世紀〕の初めから、産業の状態はたえず好況期と危機期のあいだを変動してきた。そして、ほとんど規則的に、5年から7年毎にこのような危機が起こり、この危機はいつも、労働者のひどい貧乏や、広範囲な革命的昂揚や、現存かる秩序全体に直接の危険をもたらしすことになった。

 一三問 これらの規則的にくりかえされる商業危機からどんな結果が出てくるか?
 (答) 第一に、大産業はその最初の発展段階で自由競争をうみだしたにもかかわらず、いまでは、この自由競争ではまにあわなくなったこと。

 競争と、大産業にとって、競争と一般に個人的生産組織とは足かせになってしまい、それは爆破されなければならないし、また爆破されるであろうということ。

 大産業は、現在の足元上にとどまる限り、7年毎にくりかえされる一般的な混乱の代価を支払うことによってのみ維持されることができるのであり、この混乱はいつの時でも全文明をおびやかし、ただプロレタリアの人達を悲惨なめにつきおとすばかりでなく、また多数のブルジョアジーをも破滅させること。

 だから、大産業は、自らお手上げにせねばならない。だがしかしそれは絶対に不可能である。さもなければ、まったく新しい社会組織が不可避的に必要になる。即ち新しい社会組織では、もはや互いに競争する個々の産業家達によってではなく、むしろ全社会がしっかりした計画に基づいて運営され、そして全ての人の需要に応じて生産するようになる。
 第二に、大産業と、それによって可能になった生産の無限の拡張が、次のような社会秩序を実現可能な範囲をもたらすことになる。即ち、生産能力が高まるので、社会のあらゆる成員が各自の全能力と素質とをまったく自由に行使し且つ発揮させうるような社会状態に位置することが可能になったということである。

 そこで、今日の社会で、あらゆる悲惨や諸危機をうみだしている大産業の特質こそが、別の社会組織になることで、この悲惨とこれらの破滅的な景気変動とを揚棄する特質であるということが見えてくる。
 そこで、次のことがきわめてはっきり見えてくるわけである。
(1) いまから以後、これらすべての害悪は、もはや現実の状況の諸要請に適合しなくなった社会秩序に帰着されねばならないということ。そして、
(2) 新しい社会秩序をうちたてることによって、これらの害悪をまとめて放擲することが可能であるということ。

 一四問 この新しい社会制度は、どんな種類のものでなければならないだろうか?
 (答) 結局、それはなによりもまず、産業および一般にあらゆる生産部門の経営をたがいに競争する個人の手からとりあげ、そのかわりに、すべてこれらの生産部門を、全社会によって、すなわち共同の計算で、共同の計画にしたがって、また社会の全員を参加させて、経営させるようにしなければならないであろう。

 言い換えれば、それは競争を揚棄し、そのかわりに、協同社会をもってくるであろう。
 更に、個人による産業経営はその必然の結果として私的所有をともなうものであり、だから競争は個々の私的所有者が産業を統制するやりかたに他ならないから、私的所有は、競争や産業の個別的な経営や競争から切りはなすことができない。

 だから、私的所有は揚棄されなければならない。そしてそのかわりに、あらゆる生産用具を共同で利用し、一般的合意(一言で言えば財産の相互共有と呼ばれるものであるが)によってあらゆる生産物を分配されるようにならねばならない。
 事実、私的所有の揚棄は、産業の発展により必然的に生み出される社会秩序全体の変革を、もっとも簡潔に特徴をつかんで総括したものであるから、共産主義者がこれを主要な要求として強調するのは当然のことである。

 一五問 では、私的所有の廃止は、もっと以前にはできなかったか?
 (答) そうだ、できなかった。社会秩序のあらゆる変化や、所有諸関係のあらゆる変革は、古い所有諸関係にもはや適合しなくなった新しい生産力が創造されたことの必然的な結果である。

 私的所有自身はいつも存在していた訳ではない。
 私的所有はいつでもあったものではなく、中世の終りごろ、当時の封建的な且つギルド組合的所有下で運営させることのできない新しい生産様式が勃興してきた時、これはマニュファクチュアの形でうまれたのであるが、古い所有諸関係でまにあわなくなり、新しい所有形態すなわち私的所有をうみだしたのである。

 そして、マニュファクチュアにとって且つ大産業の最初の発展段階にとって、私的所有は唯一のこれしかない所有形態であった。私的所有を土台にしていた社会秩序も又唯一のこれしかない社会秩序であった。
 単に全ての人のために十分にあるというだけでなく、社会資本を増大するための、生産力をいっそう発展させるためのよぶんな生産物がまだのこるほど豊富に生産されないあいだは、いつも、社会の生産力を左右する支配階級と貧乏な抑圧される階級とが存在せねばならない。

 これらの階級がどういうものかは、〔その時代の〕生産の発展段階に依存する。
 農業にたよっていた中世には領主と農奴とがあり、中世後期の都市には同業組合の親方と職人や日雇人とがあった。17世紀にはマニュファクチュア業主とマニュファクチュア労働者とがあり、19世紀には大工場主とプロレタリア達とがある。

 今日では次のことがはっきりしてきている。これまではすべての人のために十分なだけ発達していなかったという点で生産諸力がまだあまり発達していなかった。そして、私的所有が、生産諸力の更なる発達との関係で足かせになってきた。
  しかし、今日では、大産業の発達が新しい時代を切り開いた。
 資本と生産諸力とがこれまで知られなかったほどに拡大され、そしてこの生産力を短期間のうちに、無限にふやす手段がある。

 更には、この生産諸力が少数のブルジョアの手にあつめられている。しかるに、国民の大多数はいよいよプロレタリアートになり、ブルジョアの富が増大していくにつれて、プロレタリアの状態はますます貧しく、ますますたえがたいものになっている。
 最後に、これらの巨大な、たやすくふやすことのできる生産諸力が私的所有やブルジョアをはるかにのりこえて成長した。それは刻々、社会秩序のうちにじつに暴力的な混乱をひきおこす衝動を強めている。

 そこで、これらの状勢下で、私的所有の揚棄がたんに可能であるばかりでなく、まったく必然にさえなっている。

 一六問 私的所有の廃止は、平和な方法で可能だろうか?
 (答) そういうことがおこりうることはのぞましいことであろう。そして共産主義者はうたがいもなくけっしてそういうことには反対しないだろう。

 共産主義者は、あらゆる陰謀は無益なばかりか、むしろ有害でさえあることを知りすぎるほど知っている。

 共産主義者は、次のことを知りすぎるほど熟知している。つまり、革命というものは、故意に、またほしいままにおこされることはなく、それはいかなるところ、いかなる時代にも、個々の党派とか階級全体とかの意志や指導からまったく独立した情勢が必然的な結果としておこるということを。
 しかし、彼らはまた、ほとんどすべての文明国で、プロレタリアートの発展が暴力的に抑圧されているということ、そして、これによって共産主義の反対者が革命に反対して全精力をもって策動し続けていることも知っている。

 もし、抑圧されたプロレタリアートがとどのつまり革命にかりたてられるとすれば、そのときには我々共産主義者は、現在ことばをもって擁護しているように、行動をもってプロレタリア達の諸利益を擁護するであろう。

 一七問 私的所有を一挙に揚棄してしまうことができるだろうか?
 (答) いや、できない。それはいま現にある生産諸力を、相互共同社会をうちたてるために必要な程度にまで一挙に増加させる事ができないのと同じことだ。

 恐らく確実に、プロレタリアート革命が現存社会を徐々に変革していくだろう。そして、生産手段が充分な量をつくりだすようになった時にはじめて私的所有を揚棄することができるだろう。

 一八問 この革命は、どんな過程を辿るだろうか?
 (答) 究極のところ、この革命は、民主主義的立憲制度を樹立するだろう。そしてそれを通じて、直接にまたは間接に、プロレタリアートの政治的支配をうちたてるであろう。

 イギリスでは直接的に、プロレタリア達が既に人民の大多数となっている。フランスやドイツでは間接的に、人民の大多数がプロレタリアだけでなく小農民や小市民から構成されている。この小農民や小市民は、プロレタリアートへと落ち込む過程に入っており、あらゆる政治上の諸利益もますますプロレタリアートに依存するようになっており、従って、遠からずプロレタリアートの諸要求に和合せねばならない立場にある。

 恐らく、これは第二の闘争を必要とするであろう。しかし、結果は、プロレタリアートの勝利をもって終わるほかはない。
 民主主義は、もしそれが私的所有に対して指揮監督し且つプロレタリアートの生活状態を保障する諸方策を通じて実現する是正方法を直ちに利用しなければ、プロレタリアートにとってまったく無益なものとなるであろう。

 現存諸関係の必然的な結果として浮き出ている主要な諸方策は、次のものである。
(1)  私有財産に対する累進課税、高度の相続税、傍系(兄弟、甥などの)相続の揚棄、強制公債等々の制限。
(2)  地主、工場主、鉄道所有者、船主に対するある種国有産業の競争を通じての、ある種政府基金という形態での補償による漸次的収用。
(3)  大多数の国民に敵対したすべての亡命者と反逆者の所有物の没収。
(4)  国有農場、国有工場、国有作業場における労働の組織化。労働者間の競争が揚棄され、そして工場主がまだのこっている限りはその工場主達に、国家によって支払らわれるのと同じ高報酬〔賃金〕を支払う事が義務づけられている。
(5)   私的所有が完全に揚棄されるまで社会の全構成員に対する労働の平等な義務。
 産業軍の編成、特に農業のために編成すること。
(6)  国家資本をもった国立銀行を通じて国家の手に貨幣と信用を中央集中化、すべての私的銀行や金融業者を抑制する。
(7)  国有の工場、作業場、鉄道、船舶のいくつかの養成、新たな土地の開墾化への耕作、及び既に開墾された土地の改良。全てが資本と労働の成長に連れて国家の処理で者とが増加するにしたがって改良してゆくこと。
(8)  全ての児童の教育を、彼らが母親の養育なしでやってゆけるようになる時からただちに、国家の施設で、国家の費用で為す。
 教育と生産との結合。
(9)  市民達を共同団体化さすための共同住宅として、公共用地に大規模住宅をつくる。この共同団体は、農業と工業とをいとなみ、それぞれの生活様式の一面性と諸欠点を回避する為に田園生活と都市生活との長所を結合する。
(10)  市街地区に建築されている不健康且つ安普請住居をすべて破壊すること。
(11)  私生児に嫡出子と平等な相続権をあたえる。
(12)  国家の手に全ての運輸機関を中央集積すること。
 すべてこれらの方策は、もちろん、いちどにやり遂げることは不可能である。
 しかし、一つはそれにつづいていつも他の方策にすすむであろう。

 ひとたび私的所有にたいする最初の根本的な攻撃がくわえられると、プロレタリアートは更に前進し、いっさいの資本、いっさいの農業、いっさいの運輸、いっさいの交易をますます国家の手に集積させていくことになるだろう。

 すべて上記の方策は、この最終をめざしていくことになる。そして、プロレタリアートがその労働を通じて国の生産諸力を倍化していく程度に正確に比例して、これらの方策は実現されるようになり、またその集中化の成果を生み出す事が出来るようになるであろう。
 最後に、全ての資本、全ての生産と交易が国家の手に集められるならば、私的所有は自然になくなり、貨幣は無用になり、生産がふえ、また人間が変化するので、何であれ残存している旧社会の経済的習癖を剥げ落とすことが出来るようになるであろう。

 一九問 この革命は、ただ一国だけで起す事が可能なのだろうか?
 (答) いや、おこりえない。世界市場の創造によって、大産業はすでに地球上のすべての人々を、とりわけ文明国の人々を互いに結びつけた。為に、どこの国の人々も他の国の人々に起こったことから独立していることが出来なくなっている。

 更に、大産業は、かなりの程度まで文明化された諸国の社会的発達を統合した。その基盤上で、ブルジョアジーとプロレタリアートを決定的な階級にし、且つ階級闘争を、現在の〔世界の〕最大の闘争にした。

 共産主義革命は、けっしてただ一国だけのものでなく、すべての文明国で、いいかえると、すくなくとも、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツで、同時におこる革命となるであろう。
 この革命は、これらの国々で、急激にあるいは緩慢に発展させるであろう。どの国が他よりも発達した産業、より大きな富、また生産諸力のより画期的質量をもつかにしたがって。

 だから、この革命を遂行するのは、ドイツではもっとも緩慢でもっとも困難であり、イギリスでは困難がより少ないだろう。

 それは、世界の他の国々にも同じように強烈な衝撃を及ぼし、それらの国々のこれまでの発展過程を急進的に一変させ、非常に促進させるだろう。

 それは一つの世界革命であり、したがって世界的な地盤でおこるだろう。

 二〇問 私的所有を最後的にとりのぞいた結果は、どうなろうか?
 (答) 社会が、生産のあらゆる威力と交通手段を獲得するだろう。同じように生産物の交換と分配とを私的資本家達の手から取り上げ、そして資源の有効利用と社会全体の需要に基礎をおいた計画にもとづいてこれを運用することになるだろう。

 この方法で、あらゆる中で最重要な事は何よりもまず、今日なお大工業の経営につきまとっているすべての有害な結果が揚棄されることだろう。
 もはや危機はなくなるだろう。即ち、拡張された生産は今日の社会秩序にとっては過剰生産であり、また悲惨の非常に有力な原因の一つであるが、そのときには、いくら拡張してもけっしてたりるということはなく、なおはるかに拡張されなければならない需要のうちにあるだろう。

 社会の基本的な諸要請をこえた過剰生産は、悲惨をひきおこすかわりに、あらゆる人の需要をみたす保証となり、新しい需要と同時にそれらをみたす諸手段を生み出すであろう。
 それは、新しい進歩の条件と動機になり、いつも過去に為し遂げた進歩と同じようにもはや社会秩序を混乱にみちびくこともないだろう。

 私的所有の圧迫から解放された大産業は非常な大きさに発達し、それにくらべると現在までにできあがった大工業も、ちょうどマニュファクチュアを現在の大工業とくらべるように、きわめてこせこせしたものに見えるだろう。

 このような産業の発達は、すべての人の需要をみたすにたるだけの生産物を社会の用に供するだろう。
 同じことが、農業にも実現するだろう。即ち、私的所有や土地分割の圧迫によって、これまでの改良や科学の発達による成果をとりいれることをさまたげられていた農業もまた、まったく新しい飛躍をして、不足なく十分な生産物を社会の用に供するであろう。

 このようにして、すべての成員の欲望がみたされるように分配を整備しうるほど十分な生産物を社会はつくりだすであろう。
 これとともに、社会がたがいに対立する種々の階級に分裂しているのは、よけいなことになるだろう。
 事実、それは、ただよけいなものになるだけではなく、新しい社会秩序と両立しないものにさえなる。

 階級の存在は労働の分業に起源を持つのだが、これまでに知られているような様式の労働分業は、まったくなくなってしまう。

 というのは、機械的な且つ化学的な補助手段は、工業生産と農業生産とを我々が記述したような水準にひきあげるには十分なものではない。つまり、こういう補助手段を使いこなす人の諸能力も、同じようにこれに応じて発達していなければならない。
 前世紀〔一八世紀〕の農民やマニュファクチュア労働者が、大産業にまきこまれた時、その生活様式全体をかえ、まったくちがった人になったのと同じように、同じ方法で、社会全体による生産の相互共同的統制や、そこからくる生産の新しい発展は、まったく別の人間を必要とし、またこれをうみだすであろう。
 各人が、ただ一つの生産部門に従属し、その部門にしばりつけられ、その部門によって搾取され、他のすべての素質を犠牲にしてただ一つの素質だけをのばし、一つの部門あるいは生産全体の一部門のなかの一部門だけしか知らないような今日の人間では、生産の共同経営などはやれない。

 現に今日の産業でさえ、ますますこんな人間は不要にされつつある。
 産業は、社会によって全体として管理運営され、そしてある計画的に基づいて運営されるようになった。今や、あらゆる面に素質の発達した、生産の体系全体を見とおせるような成熟した人間がなによりも前提とされている。
 ひとりが農民に、つぎが靴屋に、第三のものが工場労働者に、第四のものが株式の投機屋になるというような労働の分業形態は、既に機械によって時代遅れにされており、このような分業は完璧に消滅していく事になるだろう。

 教育は、若い人々が生産の全体系を非常にはやく親しく経験できるようにするであろう。そしてそれは、彼らが、社会の需要や各人の好みに応じて生産部門の系列を順々にうつることができるようにするであろう。

 この教育は、こうして現在の分業が各人におしつけている一面的な性格から解放することになるだろう。
 共産主義者社会は、このようにして、各人に、彼らの全面的に発達した素質をあらゆる方面にのばす機会をあたえることになるだろう。
 しかし、これが起こるときには、諸階級は必然的に消滅するだろう。

 だから、共産主義者の基盤上で組織された社会は、一方では階級の存続とは両立しないし、また他方では、こういう社会の構築そのものが階級的差別を揚棄する手段をあたえるであろう。
 このことは、都市と農村との差異が消滅していく事が決定されていることを推論させる。
 農業と工業の経営は、二つのちがった階級の人々により為されるよりはむしろ同じ人によって為されることになる。このことは全く物質的な諸理由に限ってみても、共産主義者協同社会の必然的な条件である。

 農村で農業をいとなむ人口が分散し、これとならんで大都市で工業に従事する人口が密集していることは、農業と工業とのまだ発達していない段階に応じた状態であり、これが将来のあらゆる発展のじゃまになることは、今日すでに漠然とながら感じられている。
 生産力を共同で計画的に利用するための社会全員の総合的結合、あらゆる人の需要をみたすほどの生産の拡大、ある人の需要が他の人を犠牲にしてみたされる状態が揚棄されること、諸階級と彼らの諸対立とがまったくなくなること、これまでのような労働の分業をなくすことを通じて、産業教育および仕事の交替によって、すべての人の生産した利益にあらゆる人が享受することによって、都市と農民との連携によって、全社会成員の能力を全面的に発展させること。――以上が私的所有を揚棄したおもな結果である。

 二一問 共産主義者社会は、家族にどんな影響をおよぼすであろうか?
 (答) それは、男女の関係を、当事者だけが関係し、それについて社会が如何なる干渉もしてはならない、純粋に私事的な関係に変革するだろう。

 この社会でこれができるのは、私的所有を一掃し、子供を相互共同で育てるという基盤で教育し、またそれによって、伝統的な結婚の二つの基礎、すなわち私的所有に根付く依存であるところの妻の夫への依存、子供の両親への依存をなくしてしまうことによってである。
 ここに、婦人の共有に対する道徳堅固な俗物どもの非難にたいする答えがある。

 すなわち、婦人の共有とは、まったくブルジョア社会に属する状態であり、それは現在売春の形で遂行されていることを見て取る事が出来る。

 しかし、売春は私的所有にもとづくもので、したがって私的所有がなくなるとともになくなる。

 だから、共産主義者の社会は、婦人共有を持ち込む代わりに、実際にはこれを揚棄するのである。

 二二問 共産主義は、現存する国家主義(民族主義)に対してどのように対応するのか?
 (答) (欠落)

 二三問 共産主義は、現存する宗教に対してどのように対応するのか?
 (答) (欠落)

 二四問 共産主義者は、社会主義者とどうちがうか?
 (答) いわゆる社会主義者は、三つの部類にわかれている。
 [ 復古的社会主義者 ]

 第一の部類は、封建的な、また家父長制的な社会を支持者から成り立っている。彼らは既に、大工業及び世界貿易により且つこれら両者によって創造されたブルジョア社会によって、破壊されており、且つ依然として日々破壊されつつある。

 この部類は、現在の社会の害悪から「封建的な家父長制的な社会を再建しなければならない、なぜなら、この社会にはこのような害悪がなかったからだ」という結論をひきだしている。 あれこれのものがあるが、すべて彼らの提案はこの目的を指針させている。
 この部類の復古的社会主義者は、プロレタリアートの悲惨さにたいして、表面上は同情したり熱い涙をながすとはいうものの、いつも共産主義者によって精力的に反対され続けるであろう。それは次の理由による。
 (1) 彼らは、まったく不可能な何がしかをもとめて闘っているからである。
 (2) 彼らは、貴族、ギルド親方組合、小生産者の支配を樹立せんと求めている。そして、専制的または封建的君主、官吏、兵士、坊主などの復活を望んでいる。しかしその社会は、今日の社会の諸悪からの解放を、抑圧された労働者を共産主義者革命を通じて解放するという見通しを少しも示す事なしにすくなくとも現在と同じくらいの諸悪をもたらすものである。
 (3) プロレタリアートが革命的になり共産主義者になるや否や、彼ら復古的社会主義者達は彼らの真実の意図をさらけだし、ただちにプロレタリアに対抗してブルジョアジーと同盟するからである。
 [ ブルジョア社会主義者 ]

 第二の部類は、今日の社会の支持者から構成されている。彼らは社会が必然的に発生させる害悪により、この社会の将来に懸念を抱かされている。

 それで彼らは何であれ、現在の社会は維持しつつ、これにつきものの害悪だけを取り除こうと欲している。
  この目的のために、あるものはたんなる慈善的な方策を提案し、他のものは大げさな改革計画を対置する。この計画たるや、社会を再組織するという口実で、現下の社会の土台を維持し、またそうすることによっていまの社会そのものを維持しようとしている。

 共産主義者は、これらのブルジョア社会主義者に対してもたえず闘わなければならない。なぜなら、彼らは共産主義者の敵の為に働き、そして共産主義者が打倒しようとしているまさにその社会を擁護しているからである。
 [ 民主主義的社会主義者 ]

 最後に、第三の部類は、民主主義的社会主義者から構成されている。彼らは、一八問のなかでしめされたような共産主義者の主張と同じ方策のいくつかを支持している。しかしながら、それらは共産主義に移行するための一片のものとしてではなく、彼らが信じている方策は現在の社会の悲惨さと諸悪を揚棄するために十分なものとしてみなしている。
 これらの民主主義的社会主義者は、自分達の階級の解放条件についてまだ十分に明確にされていないプロレタリアであるか、あるいは小ブルジョアの代表者即ち民主主義の達成と、ここから出てくる社会主義的な方策の達成までは、多くの点でプロレタリアと同一の利害をもつ階級の代表者かのどちらかである。
 だから、共産主義者は、行動のときにはこの民主主義的社会主義者と理解しあえるようにせねばならない。そして一般に、彼らと共通の政策を極力道連れすべきであろう。これらの社会主義者が支配者たるブルジョアジーに奉仕したり、共産主義者を攻撃するという道に入らない限りにおいては。

 この共同行動という形態は、彼らとの意見の相違を討議することをしりぞけるものではないことは、いうまでもない。(欠落)

 二五問 現在の他の政党に対する共産主義者の態度はどうあるべきか?
 (答) この態度は、国の違いによって異なる。

 ブルジョアジーが支配しているイギリス、フランス、ベルギーでは、共産主義者はいまのところ、なおいろいろな民主主義の党と共通な利害をもっている。しかも、この民主主義者が、今日いたるところで彼らの主張している社会主義的方策が共産主義者の目的に近づけば近づくほど、すなわち彼らがプロレタリアートの利益を擁護することがますます明確になればなるほど、また彼らがプロレタリアートにたよることが大きくなればなるほど、共産主義者との共通な利害も大きくなる。

 たとえばイギリスでは、労働者階級のチャーティストのほうが、民主主義的小ブルジョアまたはいわゆる急進主義派よりも、はるかに共産主義者に近い。
 民主主義的憲法の採用されているアメリカでは、共産主義者は、この憲法を武器としてブルジョアジーにさしむけ、プロレタリアートの諸利益の為にこれを利用しようとする政党、すなわち国民農業改革党と提携している。

 スイスでは、なおはなはだ折衷的党ではあるが、急進主義党が共産主義者と提携できる唯一のグループである。そしてまた、これらの急進主義派のうちでも西部スイス人とジュネーヴ人とがもっとも進歩的である。
 最後に、ドイツでは今や、ブルジョアジーと絶対君主制間の支配権を廻る決戦がせまっている。

 共産主義者は、ブルジョアジーが権力を握るまでは共産主義者とブルジョアジー間の決戦には突入できないのだから、共産主義者の関心は、ブルジョアができるだけはやく政権をにぎることを援助することである。そうすれば又ブルジョアを打倒する事も早まるというものだ。
 だから、共産主義者は政府に対抗して、不断に急進主義的自由党を支持しなければならない。しかし、ブルジョアのおちいる自己欺瞞に感染したり、または申し立てられているようなブルジョアジーの勝利がプロレタリアートにも恵みをもたらすという誘惑的な約束に落としこめられないように注意しなければならない。
 プロレタリアートがブルジョアジーの勝利から引き出す奥底の諸利益は、つぎの点にある。
 (1)プロレタリアートをして堅く結ばれ、戦闘的にして組織された階級に向けての団結を促進せしめる様々な譲歩。
 (2)確実なのは、絶対君主制が瓦解するその日から、ブルジョアとプロレタリアとのあいだの闘争が開始されることである。
   その日から、共産主義者の政策は、現在すでにブルジョアジーが支配している諸国において今日にあるようなものと同じものになるだろう。


【れんだいこ英訳対照和訳文】
 一問 共産主義とはなにか?(What is Communism?)

 Communism is the doctrine of the conditions of the liberation of the proletariat.

 ( 共産主義とは、プロレタリアート解放の諸条件にかんする学説である。

 二問 プロレタリアートとはなにか?(What is the proletariat?)

 The proletariat is that class in society which lives entirely from the sale of its labor and does not draw profit from any kind of capital; whose weal and woe, whose life and death, whose sole existence depends on the demand for labor -- hence, on the changing state of business, on the vagaries of unbridled competition.

 The proletariat, or the class of proletarians, is, in a word, the working class of the 19th century.[1]

 (答) プロレタリアートとは、ただその労働〔力〕を売ることにだけによって自分の生活をささえ、資本のどんな種類からも利潤を引き出していない、社会階級をいう。プロレタリアートの禍福、その生死、その全生存は、労働にたいする需要に依存しており、従って仕事の変化状況や、制御できない競争の変動によって左右されている。

 プロレタリア―トあるいはプロレタリア階級とは、一言でいえば、19世紀〔以後〕の労働階級のことである。

 三問 では、プロレタリアートは、いつでもいたわけではないのか?(Proletarians, then, have not always existed?)

 No. There have always been poor and working classes; and the working class have mostly been poor.

 But there have not always been workers and poor people living under conditions as they are today; in other words, there have not always been proletarians, any more than there has always been free unbridled competitions.

 (答) そうだ。彼らは、いつも貧乏で働く階級として存在してきた。そしてまた、働く階級は、徹底して貧乏であった。

 しかし、今日のような状態でくらしている労働者且つ貧乏人がいつでも存在していた訳ではない。言い換えれば、いつもプロレタリアとして存在していた訳ではない。自由にして無拘束の競争が、いつでも存在していた訳ではないのと同じことである。

 四問 プロレタリアートは、いかにして発生したか?(How did the proletariat originate?)
 The Proletariat originated in the industrial revolution, which took place in England in the last half of the last (18th) century, and which has since then been repeated in all the civilized countries of the world.
 (答) プロレタリアートは、産業革命によって発生した。その産業革命は、18世紀の後半にまずイギリスに起り、それから世界のあらゆる文明国で、次々に起ったものである。
 This industrial revolution was precipitated by the discovery of the steam engine, various spinning machines, the mechanical loom, and a whole series of other mechanical devices.

 These machines, which were very expensive and hence could be bought only by big capitalists, altered the whole mode of production and displaced the former workers, because the machines turned out cheaper and better commodities than the workers could produce with their inefficient spinning wheels and handlooms.

 The machines delivered industry wholly into the hands of the big capitalists and rendered entirely worthless the meagre property of the workers (tools, looms, etc.).

 The result was that the capitalists soon had everything in their hands and nothing remained to the workers.

 This marked the introduction of the factory system into the textile industry.
 この産業革命は、蒸気機関や、さまざまな紡績機械や、力織機、その他あらゆる機械装置の発明によってひきおこされた。

 これらの機械は非常に高価で大資本家だけが調達できたのだが、いままでの生産様式全体をかえてしまい、これまでの労働者をおしのけた。なぜなら、機械はそれまでの労働者が非効率的な紡ぎ車や手織機で生産するものよりもっと安価で良質な商品を生産したから。

 機械は、産業をそっくり大資本家の手にひきわたし、労働者のわずかな財産(道具、織機、等々)をまったく無価値なものにした。

 その結果、資本家は、まもなくすべてのものを自分の手におさめたのに、労働者の手にはなに一つ残さなかった。

 これはまず、衣料産業への工場の導入により記録された。

 Once the impulse to the introduction of machinery and the factory system had been given, this system spread quickly to all other branches of industry, especially cloth- and book-printing, pottery, and the metal industries.

 ひとたび機械と工場制度の導入という衝撃があたえられると、このシステムはたちまち、そのほかのあらゆる産業部門、特に織布、印刷、製陶、金属品工業にも、広まった。

 Labor was more and more divided among the individual workers so that the worker who previously had done a complete piece of work now did only a part of that piece.

 This division of labor made it possible to produce things faster and cheaper.

  It reduced the activity of the individual worker to simple, endlessly repeated mechanical motions which could be performed not only as well but much better by a machine.

 In this way, all these industries fell, one after another, under the dominance of steam, machinery, and the factory system, just as spinning and weaving had already done.

 労働は、ますます個々の労働者間を分業するようになった。それで、以前は一連の過程を持つ仕事をこなしていたが、今では一過程の一部分だけになった。

 この分業は、生産物を、いっそう急速に且ついっそう安価に、製造した。

 それは、個々の労働者の作業を、単純な、際限なく同じことをくりかえす機械的な操作に変質させた。機械によって人間のそれに比べて同じどころか、むしろはるかにうまくやることができるようになった。

 こういうふうにして、あらゆる産業は、紡績業や織物業がかって為したように、次々と蒸気力や機械や工場制度が支配するようになった。
 But at the same time, they also fell into the hands of big capitalists, and their workers were deprived of whatever independence remained to them.

 Gradually, not only genuine manufacture but also handicrafts came within the province of the factory system as big capitalists increasingly displaced the small master craftsmen by setting up huge workshops, which saved many expenses and permitted an elaborate division of labor.
 しかし、同時に、産業が大資本家の手にうつり、労働者は、何らかの形で独立性を残していたものを奪いとられた。

 次第に、本来のマニュファクチュアばかりでなく手工業もまた工場制度に支配されるようになった。これにより、大資本家たちは、かなりの費用の節約ができ、分業が十分おこなわれる大作業場を建設することによって、次第に小親方を駆逐していった。
 This is how it has come about that in civilized countries at the present time nearly all kinds of labor are performed in factories -- and, in nearly all branches of work, handicrafts and manufacture have been superseded.
 これが、如何にして、現下の現在文明諸国で、ほとんどすべての労働部門が工場式に経営され、ほとんどすべての労働部門で手工業やマニュファクチュアが大工業のためにおしのけられてしまったかの理由である。
 This process has, to an ever greater degree, ruined the old middle class, especially the small handicraftsmen; it has entirely transformed the condition of the workers; and two new classes have been created which are gradually swallowing up all the others. These are:
 この過程は、更にかなりの程度で、これまでの中間層特に小手工業の親方を破滅させた。労働者の状態を完全に形成した。そして、次第に他のすべてのものをのみこむ二つの新しい階級がつくりだされた。すなわち、

(i) The class of big capitalists, who, in all civilized countries, are already in almost exclusive possession of all the means of subsistance and of the instruments (machines, factories) and materials necessary for the production of the means of subsistence.

 This is the bourgeois class, or the bourgeoisie.

(ii) The class of the wholly propertyless, who are obliged to sell their labor to the bourgeoisie in order to get, in exchange, the means of subsistence for their support.

 This is called the class of proletarians, or the proletariat.

T  大資本家の階級。彼らは、すべての文明諸国で、あらゆる生活手段と、機械や工場などの装置、生活手段の生産に必要な原料のほとんどを一手に専有している。

 これが、ブルジョア階級またはブルジョアジーである。
U  まったくの無産階級。彼らは、生計に必要な生活手段を得るために、自分達の労働〔力〕を交換を通じてブルジョアに売るのを余儀なくされている。これが、プロレタリア階級またはプロレタリアートと云われる。

五問 プロレタリアのブルジョアジーに対する労働〔力〕売りは、どんな条件下で為されるのか?(Under what conditions does this sale of the labor of the proletarians to the bourgeoisie take place?)
 Labor is a commodity, like any other, and its price is therefore determined by exactly the same laws that apply to other commodities.

 In a regime of big industry or of free competition -- as we shall see, the two come to the same thing -- the price of a commodity is, on the average, always equal to its cost of production.

 Hence, the price of labor is also equal to the cost of production of labor.
 (答) 労働〔力〕は他のすべての商品と同じように一つの商品であるから、その価格は、他の商品のばあいと精密に同じ法則によってきめられる。

 大工業または自由競争の支配――この二つは、あとで説くように結局同じものであるが――のもとでは、一商品の価格は、平均してみれば、いつでもこの商品の生産費にひとしい。

 だから、労働〔力〕の価格も、同様にその生産費にひとしい。
 But, the costs of production of labor consist of precisely the quantity of means of subsistence necessary to enable the worker to continue working, and to prevent the working class from dying out.

 The worker will therefore get no more for his labor than is necessary for this purpose; the price of labor, or the wage, will, in other words, be the lowest, the minimum, required for the maintenance of life.
 しかし、労働〔力〕の生産費用は、労働者を働かせ続け、労働階級を死なさないように保全するに要する生活手段の質料と等しく構成されている。

 だから、労働者は、自分の労働〔力〕の償いとして、この目的に必要なものだけしかうけとらないであろう。こうして、労働の価格あるいは賃金は、生計維持に必要な最低、最小限となるだろう。

 However, since business is sometimes better and sometimes worse, it follows that the worker sometimes gets more and sometimes gets less for his commodities.

 But, again, just as the industrialist, on the average of good times and bad, gets no more and no less for his commodities than what they cost, similarly on the average the worker gets no more and no less than his minimum.

 This economic law of wages operates the more strictly the greater the degree to which big industry has taken possession of all branches of production.

 しかし、仕事は景気が良いときもあれば悪いときもあるのだから、労働者は、あるときはこれより多くの、あるときはこれよりすくない賃金をもらうだろう。まさに工場主が、自分の商品にたいして、あるときはその生産費より多くの、あるときはそれよりすくない代金をもらうように。

 しかし、工場主が、景気のよいときとわるいときを平均すれば、自分の商品の対価としてうけとるものは、とにかくその生産費より多くもすくなくもないように、労働者がうけとるものもまた、平均すれば、たしかにこの生計に必要な最小限より多くもすくなくもないのである。

 しかしながら、この賃金の経済法則は、大工業がすべての労働部門を支配すればするほど、ますます厳格におこなわれるであろう。

 六問 産業革命のまえには、どんな労働階級がいたのか?(What working classes were there before the industrial revolution?)
 The working classes have always, according to the different stages of development of society, lived in different circumstances and had different relations to the owning and ruling classes.

 In antiquity, the workers were the slaves of the owners, just as they still are in many backward countries and even in the southern part of the United States.

 In the Middle Ages, they were the serfs of the land-owning nobility, as they still are in Hungary, Poland, and Russia.

 In the Middle Ages, and indeed right up to the industrial revolution, there were also journeymen in the cities who worked in the service of petty bourgeois masters.

 Gradually, as manufacture developed, these journeymen became manufacturing workers who were even then employed by larger capitalists.

 (答) 労働階級は、異なる社会の発展段階によって、それぞれちがった環境で暮らしていたし、また所有し支配する階級に対して異なる諸関係に有った。

 古代には、労働者は所有者の奴隷であった。それは未だに、多くの後進国で存在しており、またアメリカ合衆国の南部でさえ、いまだにそうである。

 中世には、労働者は土地所有貴族の農奴であった。今日でもまだ、ハンガリア、ポーランド、ロシアではそうである。

 中世および産業革命が起きる寸前までは、都市の手工業職人であり、小ブルジョアの親方のもとにやとわれてはたらいていた。

 次第に、マニュファクチュアが発展するにつれて、これらの手工業職人はマニュファクチュア労働者になった。この時すでに大資本家にやとわれていた。

 七問 プロレタリアは、どういう点で奴隷とちがうか?(In what way do proletarians differ from slaves?)
 The slave is sold once and for all; the proletarian must sell himself daily and hourly.

 The individual slave, property of one master, is assured an existence, however miserable it may be, because of the master's interest.

 The individual proletarian, property as it were of the entire bourgeois class which buys his labor only when someone has need of it, has no secure existence.

 This existence is assured only to the class as a whole.
 (答) 奴隷は、いちど売られたら売られきりである。ところが、プロレタリアは、日々刻々、自分を売らなければならない。

 個々の奴隷は、一所有者の財産であって、どんなみじめな生存にしろ、この所有者の利益の為もあって、とにかく生存の保証がある。

 ところが、個々のプロレタリアは、いわばブルジョア階級全体の財産であって、ブルジョアのだれかがプロレタリアの労働〔力〕を必要とするときにだけ労働〔力〕を買いとられるので、〔個々人としては〕なんら生存の保証はない。

 この生存は、ただプロレタリア階級全体に保証されているだけである。

 The slave is outside competition; the proletarian is in it and experiences all its vagaries.
 The slave counts as a thing, not as a member of society.

 Thus, the slave can have a better existence than the proletarian, while the proletarian belongs to a higher stage of social development and, himself, stands on a higher social level than the slave.

 The slave frees himself when, of all the relations of private property, he abolishes only the relation of slavery and thereby becomes a proletarian; the proletarian can free himself only by abolishing private property in general.

 奴隷は競争の圏外にあるが、プロレタリアは競争のなかにあって、競争のあらゆる変動を身に感じる。

 奴隷は、一個の物とみなされて、市民社会の一員とはみとめられない。
 が、プロレタリアは、一個の人間として、市民社会の一員としてみとめられている。

 しかるに、奴隷はプロレタリアよりはよりましな生存条件にあった。プロレタリアは社会のいっそう高い発展段階のものであって、またそれ自身としても奴隷よりは高い社会的水準に位置しているというのに。

 奴隷がみずからを解放するには、すべての私的所有関係のなかで奴隷関係だけを揚棄し、これによってまたみずからプロレタリアになればよいが、プロレタリアは、私的所有一般をなくすことによってしか解放されえない。

 八問 プロレタリアは、どういう点で農奴とちがうか?(In what way do proletarians differ from serfs?)
 The serf possesses and uses an instrument of production, a piece of land, in exchange for which he gives up a part of his product or part of the services of his labor.

 The proletarian works with the instruments of production of another, for the account of this other, in exchange for a part of the product.

 The serf gives up, the proletarian receives.
 The serf has an assured existence, the proletarian has not.
 The serf is outside competition, the proletarian is in it.

 (答) 農奴は、収穫の一部をおさめたり、労役に服したりする代償として、生産用具、すなわち一片の土地を使用する。

 プロレタリアは、生産物の一部をうけとる代償として、他人の生産用具をつかってこの他人のために働く。

 農奴はさしだし、プロレタリアはうけとるのである。
 農奴は生存の保証があるが、プロレタリアはそれがない。
 農奴は競争の圏外にあり、プロレタリアはそのなかにある。
 The serf liberates himself in one of three ways: either he runs away to the city and there becomes a handicraftsman; or, instead of products and and services, he gives money to his lord and thereby becomes a free tenant; or he overthrows his feudal lord and himself becomes a property owner.

 In short, by one route or another, he gets into the owning class and enters into competition.
 The proletarian liberates himself by abolishing competition, private property, and all class differences.
 農奴は、次の三方法の一つにより解放される。一つは都会に逃げだして、そこで手工業者となるか。又一つは生産物や労役の代わりに、金銭を地主におさめて自由借地農になるか、後の一つは自分の封建領主を追いだして、自分自身土地の所有者になるか。

 つまり、どういう方法をとるにせよ、とにかく有産階級になり、競争の仲間入りをすることによって自分自身を解放するのである。
 プロレタリアは、競争や、私的所有や、またすべての階級的差別をなくすことによって、解放されるのである。

 九問 プロレタリアは、どういう点で手工業者とちがうか?(In what way do proletarians differ from handicraftsmen?)
 (答) (欠落)

 十問 プロレタリアは、どういう点でマニュファクチュア労働者とちがうか?(In what way do proletarians differ from manufacturing workers?)
 The manufacturing worker of the 16th to the 18th centuries still had, with but few exception, an instrument of production in his own possession -- his loom, the family spinning wheel, a little plot of land which he cultivated in his spare time.
 The proletarian has none of these things.

 The manufacturing worker almost always lives in the countryside and in a more or less patriarchal relation to his landlord or employer; the proletarian lives, for the most part, in the city and his relation to his employer is purely a cash relation.

 The manufacturing worker is torn out of his patriarchal relation by big industry, loses whatever property he still has, and in this way becomes a proletarian.

 (答) 一六世紀から一八世紀までのマニュファクチュア労働者は、ほとんどどこでも、まだ生産用具を自分の所有物としてもっていた。すなわち、自分のつかう機械や家族のつかう紡ぎ車、ひまひまに自分でたがやす小さい畑をもっていた。プロレタリアは、こんなものをまったくもっていない。

 マニュファクチュア労働者は、ほとんどいつでも田舎に住み、そして自分の地主または雇主と多かれすくなかれ家父長制的関係のうちで生活している。プロレタリアは、たいていは大都市で生活し、その雇主と純然たる金銭関係にある。

 マニュファクチュア労働者は、大工業によってその家父長制的関係からひきはなされ、まだ持っていた所有物をうしない、こいう方法でプロレタリアになる。

 十一問 産業革命のために、また社会がブルジョアとプロレタリアとに分裂したために、まずはじめにおこった結果は、なんであったか?
 (What were the immediate consequences of the industrial revolution and of the division of society into bourgeoisie and proletariat?

 First, the lower and lower prices of industrial products brought about by machine labor totally destroyed, in all countries of the world, the old system of manufacture or industry based upon hand labor.

 In this way, all semi-barbarian countries, which had hitherto been more or less strangers to historical development, and whose industry had been based on manufacture, were violently forced out of their isolation.

 They bought the cheaper commodities of the English and allowed their own manufacturing workers to be ruined.
 Countries which had known no progress for thousands of years -- for example, India -- were thoroughly revolutionized, and even China is now on the way to a revolution.

 (答) 第一に、機械作業によって工業生産物の価格がますます安価になってゆく結果、マニュファクチュアあるいは手労働をもとにした産業の古い体制が、世界各国で完全に破壊されてしまった。

 このやり方で、すべての半未開国は、これまで、歴史の発展にたいして多かれすくなかれ縁が無く、その工業がマニュファクチュアをもとにしていたが、このためむりやりに鎖国状態からひきはなされた。

 それらの国は、イギリス人の安価な商品を買いいれて、自国のマニュファクチュア労働者を没落させた。
 こうして、幾千年来すこしも進歩がなかった国、例えばインドのような国もすっかり変革され、中国でさえも、今日では革命に近づいている。

 We have come to the point where a new machine invented in England deprives millions of Chinese workers of their livelihood within a year's time.

In this way, big industry has brought all the people of the Earth into contact with each other, has merged all local markets into one world market, has spread civilization and progress everywhere and has thus ensured that whatever happens in civilized countries will have repercussions in all other countries.

 It follows that if the workers in England or France now liberate themselves, this must set off revolution in all other countries -- revolutions which, sooner or later, must accomplish the liberation of their respective working class.

 今日イギリスで発明される新しい機械が、一年もたたないうちに、幾百万の中国労働者の生活環境を奪うようになった。

 こうして、この大工業は、地球上の全世界の人々を互いに関係付け、すべての地方的な小市場を一つの世界市場の中に投げ入れ、いたるところに文明と進歩とを広げた。そして、もう今日では、文明諸国におこるすべてのことは他のすべての国々に影響せずにはいないほどまでになったのである。

 だから、もし現在イギリスまたはフランスで労働者が解放されたとすれば、それはかならず、ひきつづいて他のすべての国々にも革命(遅かれ早かれ、それぞれの国々の労働者階級の解放をも遂行せねばならなくなるような革命)を課題とさせる。

 Second, wherever big industries displaced manufacture, the bourgeoisie developed in wealth and power to the utmost and made itself the first class of the country.

 The result was that wherever this happened, the bourgeoisie took political power into its own hands and displaced the hitherto ruling classes, the aristocracy, the guildmasters, and their representative, the absolute monarchy.

 第二に、マニュファクチュアにかわって大工業がおこったところではどこでも、ブルジョアジーはその富と権力とを最高度に発展させ、彼らを国内第一級の階級にした。

 その結果として、ブルジョアジーが政治権力を掌握し、これまでの支配階級、すなわち貴族とギルド親方組合、およびこの両者を代表する絶対王権を没落させた。

 The bourgeoisie annihilated the power of the aristocracy, the nobility, by abolishing the entailment of estates -- in other words, by making landed property subject to purchase and sale, and by doing away with the special privileges of the nobility.

 It destroyed the power of the guildmasters by abolishing guilds and handicraft privileges.
 In their place, it put competition -- that is, a state of society in which everyone has the right to enter into any branch of industry, the only obstacle being a lack of the necessary capital.

 ブルジョアジーは、土地の限嗣相続(長子相続)を揚棄することによって、貴族や王侯権力を打ち滅ぼした。他の言葉で云えば、土地財産を売買し易くすることによって、王侯貴族の特別な特権を廃止する事によって。

 それは、ギルド親方組合の権力をギルド及びその職能的特権を揚棄することによって破壊した。
 この両者のかわりに、彼らは自由競争をもってきた。即ち、誰でも任意の産業部門を営む権利をもち、単に必要な資本が欠如しているばかりという社会状態のことである。

 The introduction of free competition is thus public declaration that from now on the members of society are unequal only to the extent that their capitals are unequal, that capital is the decisive power, and that therefore the capitalists, the bourgeoisie, have become the first class in society.

 Free competition is necessary for the establishment of big industry, because it is the only condition of society in which big industry can make its way.

 自由競争の導入はかくて、今から社会の構成員に彼らの諸資本は平等ではないという点でのみ不平等であるということ、資本こそは決定的な力であり、したがって資本家即ちブルジョジーが社会の第一階級になったことを、公然と宣言していることになる。

 自由競争は、大工業を打ち立てるのに必要欠くべからざるものである。なぜなら、それは大工業を起し得る唯一の社会状態だからである。

 Having destroyed the social power of the nobility and the guildmasters, the bourgeois also destroyed their political power.

 Having raised itself to the actual position of first class in society, it proclaims itself to be also the dominant political class.

 This it does through the introduction of the representative system which rests on bourgeois equality before the law and the recognition of free competition, and in European countries takes the form of constitutional monarchy.

 In these constitutional monarchies, only those who possess a certain capital are voters -- that is to say, only members of the bourgeoisie.

 These bourgeois voters choose the deputies, and these bourgeois deputies, by using their right to refuse to vote taxes, choose a bourgeois government.

 貴族とギルド親方組合との社会的権力を破壊した後に、ブルジョアジーは又彼らの政治上権力をも破壊した。

 そして、社会の中で実際の第一階級になりあがった後に、ブルジョアジーは又、政治的にも支配階級であることを宣言した。

 これは、代議制の採用を通じて成し遂げられた。代議制というのは、法律の前でのブルジョア的平等、即ち自由競争の法律的承認に基づくものであって、ヨーロッパ諸国では立憲君主制という形態で採用された。

 これらの立憲君主制のもとでは、一定の資本を持った者がつまりブルジョアジーの構成員だけが選挙権を持っている。

 これらのブルジョア選挙人が代議士を選び、そしてこれらのブルジョア代議士が租税賦課の拒否権を使うことによってブルジョア政府を選ぶ。

 Third, everywhere the proletariat develops in step with the bourgeoisie.

 In proportion, as the bourgeoisie grows in wealth, the proletariat grows in numbers.

 For, since the proletarians can be employed only by capital, and since capital extends only through employing labor, it follows that the growth of the proletariat proceeds at precisely the same pace as the growth of capital.

 第三に、至る所でプロレタリアートはブルジョアジーと歩調を合わせて発達する。

 ブルジョアが富を集積するに連れて、プロレタリアートはその数を増す。

 というのは、プロレタリアはただ資本によってのみ雇われることができ、又資本は労働を雇ってのみ増殖することができるのだから、プロレタリアートの増大は、資本の増大と同じ歩調を合わせて進行することになる。

 Simultaneously, this process draws members of the bourgeoisie and proletarians together into the great cities where industry can be carried on most profitably, and by thus throwing great masses in one spot it gives to the proletarians a consciousness of their own strength.

 Moreover, the further this process advances, the more new labor-saving machines are invented, the greater is the pressure exercised by big industry on wages, which, as we have seen, sink to their minimum and therewith render the condition of the proletariat increasingly unbearable.

 The growing dissatisfaction of the proletariat thus joins with its rising power to prepare a proletarian social revolution.

 同時にまた、この過程は、ブルジョアジーとプロレタリア達とを産業の経営にもっとも有利な大都会に集め、こうして大ぜいの人を一つの場所に密集させることによって、プロレタリア達に、彼ら自身の強さを意識させることになる。

 更に、この過程が更に進展して、より新しい労働効率促進機械が発明されるにしたがって、賃金の上に成り立つ大産業によって産業の大部分がますます執り行なわれることになる。賃金は、見てきたように、最低限におしさげられ、これがプロレタリアートの状態をますます耐え難いものにする。

 かくて、プロレタリアートの不満が増大することにより、プロレタリアートの勢力が増大すると共に、プロレタリア社会革命の準備の為に寄り集うことになる。

 十二問 産業革命の結果は、そのうえになにであったか?(What were the further consequences of the industrial revolution?)
 Big industry created in the steam engine, and other machines, the means of endlessly expanding industrial production, speeding it up, and cutting its costs.

 With production thus facilitated, the free competition, which is necessarily bound up with big industry, assumed the most extreme forms; a multitude of capitalists invaded industry, and, in a short while, more was produced than was needed.
 (答) 大工業は、蒸気機関その他の機械をつくりだし、これを手段として、一層短い時間と一層少ない費用とで産業生産を無限に拡張させていった。

 かくて生産が促進されたことで、自由競争が、それは大工業が必然的にもたらすものであるが、最も激しい形態を帯びるようになった。多くの資本家が産業に身を投じ、短期日のうちに生産が需要を追いこしてしまった。

 As a consequence, finished commodities could not be sold, and a so-called commercial crisis broke out.
 Factories had to be closed, their owners went bankrupt, and the workers were without bread.
 Deepest misery reigned everywhere.

 After a time, the superfluous products were sold, the factories began to operate again, wages rose, and gradually business got better than ever.

 But it was not long before too many commodities were again produced and a new crisis broke out, only to follow the same course as its predecessor.

 その結果、製造された商品が売れなくなり、いわゆる商業危機がはじまる。
 工場は休業しなければならず、工場主は破産し、労働者は食いはぐれた。
 極度の窮乏がいたるところにおこった。

 しばらくすると、過剰な生産物もさばけてしまい、工場もまた仕事をはじめ、労賃はあがり、しだいに景気もまたいつもよりはよくなった。

 しかしまもなく、またもやあまりに多くの商品が生産され、新しい危機がはじまる。同じ過程が前と全く同じ経過で続くばかりとなる。

 Ever since the beginning of this (19th) century, the condition of industry has constantly fluctuated between periods of prosperity and periods of crisis; nearly every five to seven years, a fresh crisis has intervened, always with the greatest hardship for workers, and always accompanied by general revolutionary stirrings and the direct peril to the whole existing order of things.

 このように、今世紀〔一九世紀〕の初めから、産業の状態はたえず好況期と危機期のあいだを変動してきた。そして、ほとんど規則的に、5年から7年毎にこのような危機が起こり、この危機はいつも、労働者のひどい貧乏や、広範囲な革命的昂揚や、現存かる秩序全体に直接の危険をもたらしすことになった。

 一三問 これらの規則的にくりかえされる商業危機からどんな結果が出てくるか?(What follows from these periodic commercial crises?)
 First:That, though big industry in its earliest stage created free competition, it has now outgrown free competition;

 that, for big industry, competition and generally the individualistic organization of production have become a fetter which it must and will shatter;

 that, so long as big industry remains on its present footing, it can be maintained only at the cost of general chaos every seven years, each time threatening the whole of civilization and not only plunging the proletarians into misery but also ruining large sections of the bourgeoisie;

 hence, either that big industry must itself be given up, which is an absolute impossibility, or that it makes unavoidably necessary an entirely new organization of society in which production is no longer directed by mutually competing individual industrialists but rather by the whole society operating according to a definite plan and taking account of the needs of all.

 (答) 第一に、大産業はその最初の発展段階で自由競争をうみだしたにもかかわらず、いまでは、この自由競争ではまにあわなくなったこと。

 競争と、大産業にとって、競争と一般に個人的生産組織とは足かせになってしまい、それは爆破されなければならないし、また爆破されるであろうということ。

 大産業は、現在の足元上にとどまる限り、7年毎にくりかえされる一般的な混乱の代価を支払うことによってのみ維持されることができるのであり、この混乱はいつの時でも全文明をおびやかし、ただプロレタリアの人達を悲惨なめにつきおとすばかりでなく、また多数のブルジョアジーをも破滅させること。

 だから、大産業は、自らお手上げにせねばならない。だがしかしそれは絶対に不可能である。さもなければ、まったく新しい社会組織が不可避的に必要になる。即ち新しい社会組織では、もはや互いに競争する個々の産業家達によってではなく、むしろ全社会がしっかりした計画に基づいて運営され、そして全ての人の需要に応じて生産するようになる。

 Second: That big industry, and the limitless expansion of production which it makes possible, bring within the range of feasibility a social order in which so much is produced that every member of society will be in a position to exercise and develop all his powers and faculties in complete freedom.

 It thus appears that the very qualities of big industry which, in our present-day society, produce misery and crises are those which, in a different form of society, will abolish this misery and these catastrophic depressions.

 第二に、大産業と、それによって可能になった生産の無限の拡張が、次のような社会秩序を実現可能な範囲をもたらすことになる。即ち、生産能力が高まるので、社会のあらゆる成員が各自の全能力と素質とをまったく自由に行使し且つ発揮させうるような社会状態に位置することが可能になったということである。

 そこで、今日の社会で、あらゆる悲惨や諸危機をうみだしている大産業の特質こそが、別の社会組織になることで、この悲惨とこれらの破滅的な景気変動とを揚棄する特質であるということが見えてくる。

 We see with the greatest clarity:

(i) That all these evils are from now on to be ascribed solely to a social order which no longer corresponds to the requirements of the real situation; and

(ii) That it is possible, through a new social order, to do away with these evils altogether.

 そこで、次のことがきわめてはっきり見えてくるわけである。
(1) いまから以後、これらすべての害悪は、もはや現実の状況の諸要請に適合しなくなった社会秩序に帰着されねばならないということ。そして、
(2) 新しい社会秩序をうちたてることによって、これらの害悪をまとめて放擲することが可能であるということ。

 一四問 この新しい社会制度は、どんな種類のものでなければならないだろうか?(What will this new social order have to be like?)
 Above all, it will have to take the control of industry and of all branches of production out of the hands of mutually competing individuals, and instead institute a system in which all these branches of production are operated by society as a whole -- that is, for the common account, according to a common plan, and with the participation of all members of society.

 It will, in other words, abolish competition and replace it with association.

 (答) 結局、それはなによりもまず、産業および一般にあらゆる生産部門の経営をたがいに競争する個人の手からとりあげ、そのかわりに、すべてこれらの生産部門を、全社会によって、すなわち共同の計算で、共同の計画にしたがって、また社会の全員を参加させて、経営させるようにしなければならないであろう。

 言い換えれば、それは競争を揚棄し、そのかわりに、協同社会をもってくるであろう。
 Moreover, since the management of industry by individuals necessarily implies private property, and since competition is in reality merely the manner and form in which the control of industry by private property owners expresses itself, it follows that private property cannot be separated from competition and the individual management of industry.

 Private property must, therefore, be abolished and in its place must come the common utilization of all instruments of production and the distribution of all products according to common agreement -- in a word, what is called the communal ownership of goods.
 更に、個人による産業経営はその必然の結果として私的所有をともなうものであり、だから競争は個々の私的所有者が産業を統制するやりかたに他ならないから、私的所有は、競争や産業の個別的な経営や競争から切りはなすことができない。

 だから、私的所有は揚棄されなければならない。そしてそのかわりに、あらゆる生産用具を共同で利用し、一般的合意(一言で言えば財産の相互共有と呼ばれるものであるが)によってあらゆる生産物を分配されるようにならねばならない。

 In fact, the abolition of private property is, doubtless, the shortest and most significant way to characterize the revolution in the whole social order which has been made necessary by the development of industry -- and for this reason it is rightly advanced by communists as their main demand.

 事実、私的所有の揚棄は、産業の発展により必然的に生み出される社会秩序全体の変革を、もっとも簡潔に特徴をつかんで総括したものであるから、共産主義者がこれを主要な要求として強調するのは当然のことである。

 一五問 では、私的所有の廃止は、もっと以前にはできなかったか?(Was not the abolition of private property possible at an earlier time?)
 No. Every change in the social order, every revolution in property relations, is the necessary consequence of the creation of new forces of production which no longer fit into the old property relations.

 Private property has not always existed.

 (答) そうだ、できなかった。社会秩序のあらゆる変化や、所有諸関係のあらゆる変革は、古い所有諸関係にもはや適合しなくなった新しい生産力が創造されたことの必然的な結果である。

 私的所有自身はいつも存在していた訳ではない。
 When, towards the end of the Middle Ages, there arose a new mode of production which could not be carried on under the then existing feudal and guild forms of property, this manufacture, which had outgrown the old property relations, created a new property form, private property.

 And for manufacture and the earliest stage of development of big industry, private property was the only possible property form; the social order based on it was the only possible social order.
 私的所有はいつでもあったものではなく、中世の終りごろ、当時の封建的な且つギルド組合的所有下で運営させることのできない新しい生産様式が勃興してきた時、これはマニュファクチュアの形でうまれたのであるが、古い所有諸関係でまにあわなくなり、新しい所有形態すなわち私的所有をうみだしたのである。

 そして、マニュファクチュアにとって且つ大産業の最初の発展段階にとって、私的所有は唯一のこれしかない所有形態であった。私的所有を土台にしていた社会秩序も又唯一のこれしかない社会秩序であった。

 So long as it is not possible to produce so much that there is enough for all, with more left over for expanding the social capital and extending the forces of production -- so long as this is not possible, there must always be a ruling class directing the use of society's productive forces, and a poor, oppressed class.

 How these classes are constituted depends on the stage of development.

 単に全ての人のために十分にあるというだけでなく、社会資本を増大するための、生産力をいっそう発展させるためのよぶんな生産物がまだのこるほど豊富に生産されないあいだは、いつも、社会の生産力を左右する支配階級と貧乏な抑圧される階級とが存在せねばならない。

 これらの階級がどういうものかは、〔その時代の〕生産の発展段階に依存する。

 The agrarian Middle Ages give us the baron and the serf; the cities of the later Middle Ages show us the guildmaster and the journeyman and the day laborer; the 17th century has its manufacturing workers; the 19th has big factory owners and proletarians.

 It is clear that, up to now, the forces of production have never been developed to the point where enough could be developed for all, and that private property has become a fetter and a barrier in relation to the further development of the forces of production.

 農業にたよっていた中世には領主と農奴とがあり、中世後期の都市には同業組合の親方と職人や日雇人とがあった。17世紀にはマニュファクチュア業主とマニュファクチュア労働者とがあり、19世紀には大工場主とプロレタリア達とがある。

 今日では次のことがはっきりしてきている。これまではすべての人のために十分なだけ発達していなかったという点で生産諸力がまだあまり発達していなかった。そして、私的所有が、生産諸力の更なる発達との関係で足かせになってきた。
 Now, however, the development of big industry has ushered in a new period.
 Capital and the forces of production have been expanded to an unprecedented extent, and the means are at hand to multiply them without limit in the near future.

 Moreover, the forces of production have been concentrated in the hands of a few bourgeois, while the great mass of the people are more and more falling into the proletariat, their situation becoming more wretched and intolerable in proportion to the increase of wealth of the bourgeoisie.
  しかし、今日では、大産業の発達が新しい時代を切り開いた。
 資本と生産諸力とがこれまで知られなかったほどに拡大され、そしてこの生産力を短期間のうちに、無限にふやす手段がある。

 更には、この生産諸力が少数のブルジョアの手にあつめられている。しかるに、国民の大多数はいよいよプロレタリアートになり、ブルジョアの富が増大していくにつれて、プロレタリアの状態はますます貧しく、ますますたえがたいものになっている。

 And finally, these mighty and easily extended forces of production have so far outgrown private property and the bourgeoisie, that they threaten at any moment to unleash the most violent disturbances of the social order.

 Now, under these conditions, the abolition of private property has become not only possible but absolutely necessary.

 最後に、これらの巨大な、たやすくふやすことのできる生産諸力が私的所有やブルジョアをはるかにのりこえて成長した。それは刻々、社会秩序のうちにじつに暴力的な混乱をひきおこす衝動を強めている。

 そこで、これらの状勢下で、私的所有の揚棄がたんに可能であるばかりでなく、まったく必然にさえなっている。

 一六問 私的所有の廃止は、平和な方法で可能だろうか?(Will the peaceful abolition of private property be possible?)
 It would be desirable if this could happen, and the communists would certainly be the last to oppose it.
 Communists know only too well that all conspiracies are not only useless, but even harmful.

 They know all too well that revolutions are not made intentionally and arbitrarily, but that, everywhere and always, they have been the necessary consequence of conditions which were wholly independent of the will and direction of individual parties and entire classes.
 (答) そういうことがおこりうることはのぞましいことであろう。そして共産主義者はうたがいもなくけっしてそういうことには反対しないだろう。

 共産主義者は、あらゆる陰謀は無益なばかりか、むしろ有害でさえあることを知りすぎるほど知っている。

 共産主義者は、次のことを知りすぎるほど熟知している。つまり、革命というものは、故意に、またほしいままにおこされることはなく、それはいかなるところ、いかなる時代にも、個々の党派とか階級全体とかの意志や指導からまったく独立した情勢が必然的な結果としておこるということを。

 But they also see that the development of the proletariat in nearly all civilized countries has been violently suppressed, and that in this way the opponents of communism have been working toward a revolution with all their strength.

 If the oppressed proletariat is finally driven to revolution, then we communists will defend the interests of the proletarians with deeds as we now defend them with words.

 しかし、彼らはまた、ほとんどすべての文明国で、プロレタリアートの発展が暴力的に抑圧されているということ、そして、これによって共産主義の反対者が革命に反対して全精力をもって策動し続けていることも知っている。

 もし、抑圧されたプロレタリアートがとどのつまり革命にかりたてられるとすれば、そのときには我々共産主義者は、現在ことばをもって擁護しているように、行動をもってプロレタリア達の諸利益を擁護するであろう。

 一七問 私的所有を一挙に揚棄してしまうことができるだろうか?(Will it be possible for private property to be abolished at one stroke?)

 No, no more than existing forces of production can at one stroke be multiplied to the extent necessary for the creation of a communal society.

 In all probability, the proletarian revolution will transform existing society gradually and will be able to abolish private property only when the means of production are available in sufficient quantity.

 (答) いや、できない。それはいま現にある生産諸力を、相互共同社会をうちたてるために必要な程度にまで一挙に増加させる事ができないのと同じことだ。

 恐らく確実に、プロレタリアート革命が現存社会を徐々に変革していくだろう。そして、生産手段が充分な量をつくりだすようになった時にはじめて私的所有を揚棄することができるだろう。

 一八問 この革命は、どんな過程を辿るだろうか?(What will be the course of this revolution?)
 Above all, it will establish a democratic constitution, and through this, the direct or indirect dominance of the proletariat.

 Direct in England, where the proletarians are already a majority of the people.

 Indirect in France and Germany, where the majority of the people consists not only of proletarians, but also of small peasants and petty bourgeois who are in the process of falling into the proletariat, who are more and more dependent in all their political interests on the proletariat, and who must, therefore, soon adapt to the demands of the proletariat.

 Perhaps this will cost a second struggle, but the outcome can only be the victory of the proletariat.
 (答) 究極のところ、この革命は、民主主義的立憲制度を樹立するだろう。そしてそれを通じて、直接にまたは間接に、プロレタリアートの政治的支配をうちたてるであろう。

 イギリスでは直接的に、プロレタリア達が既に人民の大多数となっている。フランスやドイツでは間接的に、人民の大多数がプロレタリアだけでなく小農民や小市民から構成されている。この小農民や小市民は、プロレタリアートへと落ち込む過程に入っており、あらゆる政治上の諸利益もますますプロレタリアートに依存するようになっており、従って、遠からずプロレタリアートの諸要求に和合せねばならない立場にある。

 恐らく、これは第二の闘争を必要とするであろう。しかし、結果は、プロレタリアートの勝利をもって終わるほかはない。
 Democracy would be wholly valueless to the proletariat if it were not immediately used as a means for putting through measures directed against private property and ensuring the livelihood of the proletariat.

 The main measures, emerging as the necessary result of existing relations, are the following:
 民主主義は、もしそれが私的所有に対して指揮監督し且つプロレタリアートの生活状態を保障する諸方策を通じて実現する是正方法を直ちに利用しなければ、プロレタリアートにとってまったく無益なものとなるであろう。

 現存諸関係の必然的な結果として浮き出ている主要な諸方策は、次のものである。
(i)  Limitation of private property through progressive taxation, heavy inheritance taxes, abolition of inheritance through collateral lines (brothers, nephews, etc.) forced loans, etc.
(1)  私有財産に対する累進課税、高度の相続税、傍系(兄弟、甥などの)相続の揚棄、強制公債等々の制限。
(ii)  Gradual expropriation of landowners, industrialists, railroad magnates and shipowners, partly through competition by state industry, partly directly through compensation in the form of bonds.
(2)  地主、工場主、鉄道所有者、船主に対するある種国有産業の競争を通じての、ある種政府基金という形態での補償による漸次的収用。
(iii)  Confiscation of the possessions of all emigrants and rebels against the majority of the people.
(3)  大多数の国民に敵対したすべての亡命者と反逆者の所有物の没収。
(iv)  Organization of labor or employment of proletarians on publicly owned land, in factories and workshops, with competition among the workers being abolished and with the factory owners, in so far as they still exist, being obliged to pay the same high wages as those paid by the state.
(4)  国有農場、国有工場、国有作業場における労働の組織化。労働者間の競争が揚棄され、そして工場主がまだのこっている限りはその工場主達に、国家によって支払らわれるのと同じ高報酬〔賃金〕を支払う事が義務づけられている。
(v)  An equal obligation on all members of society to work until such time as private property has been completely abolished.
 Formation of industrial armies, especially for agriculture.
(5)   私的所有が完全に揚棄されるまで社会の全構成員に対する労働の平等な義務。
 産業軍の編成、特に農業のために編成すること。
(vi)  Centralization of money and credit in the hands of the state through a national bank with state capital, and the suppression of all private banks and bankers.
(6)  国家資本をもった国立銀行を通じて国家の手に貨幣と信用を中央集中化、すべての私的銀行や金融業者を抑制する。
(vii)

 Education of the number of national factories, workshops, railroads, ships; bringing new lands into cultivation and improvement of land already under cultivation -- all in proportion to the growth of the capital and labor force at the disposal of the nation.

(7)  国有の工場、作業場、鉄道、船舶のいくつかの養成、新たな土地の開墾化への耕作、及び既に開墾された土地の改良。全てが資本と労働の成長に連れて国家の処理で者とが増加するにしたがって改良してゆくこと。
(viii)  Education of all children, from the moment they can leave their mother's care, in national establishments at national cost.
 Education and production together.
(8)  全ての児童の教育を、彼らが母親の養育なしでやってゆけるようになる時からただちに、国家の施設で、国家の費用で為す。
 教育と生産との結合。
(ix)  Construction, on public lands, of great palaces as communal dwellings for associated groups of citizens engaged in both industry and agriculture and combining in their way of life the advantages of urban and rural conditions while avoiding the one-sidedness and drawbacks of each.
(9)  市民達を共同団体化さすための共同住宅として、公共用地に大規模住宅をつくる。この共同団体は、農業と工業とをいとなみ、それぞれの生活様式の一面性と諸欠点を回避する為に田園生活と都市生活との長所を結合する。
(x)  Destruction of all unhealthy and jerry-built dwellings in urban districts.
(10)  市街地区に建築されている不健康且つ安普請住居をすべて破壊すること。
(xi)

 Equal inheritance rights for children born in and out of wedlock.

(11)  私生児に嫡出子と平等な相続権をあたえる。
(xii)  Concentration of all means of transportation in the hands of the nation.
(12)  国家の手に全ての運輸機関を中央集積すること。

 It is impossible, of course, to carry out all these measures at once.
 But one will always bring others in its wake.

 Once the first radical attack on private property has been launched, the proletariat will find itself forced to go ever further, to concentrate increasingly in the hands of the state all capital, all agriculture, all transport, all trade.

 All the foregoing measures are directed to this end; and they will become practicable and feasible, capable of producing their centralizing effects to precisely the degree that the proletariat, through its labor, multiplies the country's productive forces.

 すべてこれらの方策は、もちろん、いちどにやり遂げることは不可能である。
 しかし、一つはそれにつづいていつも他の方策にすすむであろう。

 ひとたび私的所有にたいする最初の根本的な攻撃がくわえられると、プロレタリアートは更に前進し、いっさいの資本、いっさいの農業、いっさいの運輸、いっさいの交易をますます国家の手に集積させていくことになるだろう。

 すべて上記の方策は、この最終をめざしていくことになる。そして、プロレタリアートがその労働を通じて国の生産諸力を倍化していく程度に正確に比例して、これらの方策は実現されるようになり、またその集中化の成果を生み出す事が出来るようになるであろう。

 Finally, when all capital, all production, all exchange have been brought together in the hands of the nation, private property will disappear of its own accord, money will become superfluous, and production will so expand and man so change that society will be able to slough off whatever of its old economic habits may remain.

 最後に、全ての資本、全ての生産と交易が国家の手に集められるならば、私的所有は自然になくなり、貨幣は無用になり、生産がふえ、また人間が変化するので、何であれ残存している旧社会の経済的習癖を剥げ落とすことが出来るようになるであろう。

 一九問 この革命は、ただ一国だけで起す事が可能なのだろうか?(Will it be possible for this revolution to take place in one country alone?)

 No. By creating the world market, big industry has already brought all the peoples of the Earth, and especially the civilized peoples, into such close relation with one another that none is independent of what happens to the others.

 Further, it has co-ordinated the social development of the civilized countries to such an extent that, in all of them, bourgeoisie and proletariat have become the decisive classes, and the struggle between them the great struggle of the day.

 It follows that the communist revolution will not merely be a national phenomenon but must take place simultaneously in all civilized countries -- that is to say, at least in England, America, France, and Germany.

 (答) いや、おこりえない。世界市場の創造によって、大産業はすでに地球上のすべての人々を、とりわけ文明国の人々を互いに結びつけた。為に、どこの国の人々も他の国の人々に起こったことから独立していることが出来なくなっている。

 更に、大産業は、かなりの程度まで文明化された諸国の社会的発達を統合した。その基盤上で、ブルジョアジーとプロレタリアートを決定的な階級にし、且つ階級闘争を、現在の〔世界の〕最大の闘争にした。

 共産主義革命は、けっしてただ一国だけのものでなく、すべての文明国で、いいかえると、すくなくとも、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツで、同時におこる革命となるであろう。

 It will develop in each of the these countries more or less rapidly, according as one country or the other has a more developed industry, greater wealth, a more significant mass of productive forces.

 Hence, it will go slowest and will meet most obstacles in Germany, most rapidly and with the fewest difficulties in England.

 It will have a powerful impact on the other countries of the world, and will radically alter the course of development which they have followed up to now, while greatly stepping up its pace.

 It is a universal revolution and will, accordingly, have a universal range.

 この革命は、これらの国々で、急激にあるいは緩慢に発展させるであろう。どの国が他よりも発達した産業、より大きな富、また生産諸力のより画期的質量をもつかにしたがって。

 だから、この革命を遂行するのは、ドイツではもっとも緩慢でもっとも困難であり、イギリスでは困難がより少ないだろう。

 それは、世界の他の国々にも同じように強烈な衝撃を及ぼし、それらの国々のこれまでの発展過程を急進的に一変させ、非常に促進させるだろう。

 それは一つの世界革命であり、したがって世界的な地盤でおこるだろう。

 二〇問 私的所有を最後的にとりのぞいた結果は、どうなろうか?(What will be the consequences of the ultimate disappearance of private property?)
 Society will take all forces of production and means of commerce, as well as the exchange and distribution of products, out of the hands of private capitalists and will manage them in accordance with a plan based on the availability of resources and the needs of the whole society.

 In this way, most important of all, the evil consequences which are now associated with the conduct of big industry will be abolished.
 (答) 社会が、生産のあらゆる威力と交通手段を獲得するだろう。同じように生産物の交換と分配とを私的資本家達の手から取り上げ、そして資源の有効利用と社会全体の需要に基礎をおいた計画にもとづいてこれを運用することになるだろう。

 この方法で、あらゆる中で最重要な事は何よりもまず、今日なお大工業の経営につきまとっているすべての有害な結果が揚棄されることだろう。
 There will be no more crises; the expanded production, which for the present order of society is overproduction and hence a prevailing cause of misery, will then be insufficient and in need of being expanded much further.

 Instead of generating misery, overproduction will reach beyond the elementary requirements of society to assure the satisfaction of the needs of all; it will create new needs and, at the same time, the means of satisfying them.
 もはや危機はなくなるだろう。即ち、拡張された生産は今日の社会秩序にとっては過剰生産であり、また悲惨の非常に有力な原因の一つであるが、そのときには、いくら拡張してもけっしてたりるということはなく、なおはるかに拡張されなければならない需要のうちにあるだろう。

 社会の基本的な諸要請をこえた過剰生産は、悲惨をひきおこすかわりに、あらゆる人の需要をみたす保証となり、新しい需要と同時にそれらをみたす諸手段を生み出すであろう。

 It will become the condition of, and the stimulus to, new progress, which will no longer throw the whole social order into confusion, as progress has always done in the past.

 Big industry, freed from the pressure of private property, will undergo such an expansion that what we now see will seem as petty in comparison as manufacture seems when put beside the big industry of our own day.

 This development of industry will make available to society a sufficient mass of products to satisfy the needs of everyone.

 それは、新しい進歩の条件と動機になり、いつも過去に為し遂げた進歩と同じようにもはや社会秩序を混乱にみちびくこともないだろう。

 私的所有の圧迫から解放された大産業は非常な大きさに発達し、それにくらべると現在までにできあがった大工業も、ちょうどマニュファクチュアを現在の大工業とくらべるように、きわめてこせこせしたものに見えるだろう。

 このような産業の発達は、すべての人の需要をみたすにたるだけの生産物を社会の用に供するだろう。

 The same will be true of agriculture, which also suffers from the pressure of private property and is held back by the division of privately owned land into small parcels. Here, existing improvements and scientific procedures will be put into practice, with a resulting leap forward which will assure to society all the products it needs.

 In this way, such an abundance of goods will be able to satisfy the needs of all its members.

 同じことが、農業にも実現するだろう。即ち、私的所有や土地分割の圧迫によって、これまでの改良や科学の発達による成果をとりいれることをさまたげられていた農業もまた、まったく新しい飛躍をして、不足なく十分な生産物を社会の用に供するであろう。

 このようにして、すべての成員の欲望がみたされるように分配を整備しうるほど十分な生産物を社会はつくりだすであろう。
 The division of society into different, mutually hostile classes will then become unnecessary.
 Indeed, it will be not only unnecessary but intolerable in the new social order.

 The existence of classes originated in the division of labor, and the division of labor, as it has been known up to the present, will completely disappear.

 For mechanical and chemical processes are not enough to bring industrial and agricultural production up to the level we have described; the capacities of the men who make use of these processes must undergo a corresponding development.
 これとともに、社会がたがいに対立する種々の階級に分裂しているのは、よけいなことになるだろう。
 事実、それは、ただよけいなものになるだけではなく、新しい社会秩序と両立しないものにさえなる。

 階級の存在は労働の分業に起源を持つのだが、これまでに知られているような様式の労働分業は、まったくなくなってしまう。

 というのは、機械的な且つ化学的な補助手段は、工業生産と農業生産とを我々が記述したような水準にひきあげるには十分なものではない。つまり、こういう補助手段を使いこなす人の諸能力も、同じようにこれに応じて発達していなければならない。

 Just as the peasants and manufacturing workers of the last century changed their whole way of life and became quite different people when they were impressed into big industry, in the same way, communal control over production by society as a whole, and the resulting new development, will both require an entirely different kind of human material.

 前世紀〔一八世紀〕の農民やマニュファクチュア労働者が、大産業にまきこまれた時、その生活様式全体をかえ、まったくちがった人になったのと同じように、同じ方法で、社会全体による生産の相互共同的統制や、そこからくる生産の新しい発展は、まったく別の人間を必要とし、またこれをうみだすであろう。

 People will no longer be, as they are today, subordinated to a single branch of production, bound to it, exploited by it; they will no longer develop one of their faculties at the expense of all others; they will no longer know only one branch, or one branch of a single branch, of production as a whole.

 Even industry as it is today is finding such people less and less useful.

 各人が、ただ一つの生産部門に従属し、その部門にしばりつけられ、その部門によって搾取され、他のすべての素質を犠牲にしてただ一つの素質だけをのばし、一つの部門あるいは生産全体の一部門のなかの一部門だけしか知らないような今日の人間では、生産の共同経営などはやれない。

 現に今日の産業でさえ、ますますこんな人間は不要にされつつある。

 Industry controlled by society as a whole, and operated according to a plan, presupposes well-rounded human beings, their faculties developed in balanced fashion, able to see the system of production in its entirety.

 産業は、社会によって全体として管理運営され、そしてある計画的に基づいて運営されるようになった。今や、あらゆる面に素質の発達した、生産の体系全体を見とおせるような成熟した人間がなによりも前提とされている。
 The form of the division of labor which makes one a peasant, another a cobbler, a third a factory worker, a fourth a stock-market operator, has already been underminded by machinery and will completely disappear.

 Education will enable young people quickly to familiarize themselves with the whole system of production and to pass from one branch of production to another in response to the needs of society or their own inclinations.

 It will, therefore, free them from the one-sided character which the present-day division of labor impresses upon every individual.
 ひとりが農民に、つぎが靴屋に、第三のものが工場労働者に、第四のものが株式の投機屋になるというような労働の分業形態は、既に機械によって時代遅れにされており、このような分業は完璧に消滅していく事になるだろう。

 教育は、若い人々が生産の全体系を非常にはやく親しく経験できるようにするであろう。そしてそれは、彼らが、社会の需要や各人の好みに応じて生産部門の系列を順々にうつることができるようにするであろう。

 この教育は、こうして現在の分業が各人におしつけている一面的な性格から解放することになるだろう。
 Communist society will, in this way, make it possible for its members to put their comprehensively developed faculties to full use.
 But, when this happens, classes will necessarily disappear.

 It follows that society organized on a communist basis is incompatible with the existence of classes on the one hand, and that the very building of such a society provides the means of abolishing class differences on the other.
 共産主義者社会は、このようにして、各人に、彼らの全面的に発達した素質をあらゆる方面にのばす機会をあたえることになるだろう。
 しかし、これが起こるときには、諸階級は必然的に消滅するだろう。

 だから、共産主義者の基盤上で組織された社会は、一方では階級の存続とは両立しないし、また他方では、こういう社会の構築そのものが階級的差別を揚棄する手段をあたえるであろう。
 A corollary of this is that the difference between city and country is destined to disappear.
 The management of agriculture and industry by the same people rather than by two different classes of people is, if only for purely material reasons, a necessary condition of communist association.

 The dispersal of the agricultural population on the land, alongside the crowding of the industrial population into the great cities, is a condition which corresponds to an undeveloped state of both agriculture and industry and can already be felt as an obstacle to further development.
 このことは、都市と農村との差異が消滅していく事が決定されていることを推論させる。
 農業と工業の経営は、二つのちがった階級の人々により為されるよりはむしろ同じ人によって為されることになる。このことは全く物質的な諸理由に限ってみても、共産主義者協同社会の必然的な条件である。

 農村で農業をいとなむ人口が分散し、これとならんで大都市で工業に従事する人口が密集していることは、農業と工業とのまだ発達していない段階に応じた状態であり、これが将来のあらゆる発展のじゃまになることは、今日すでに漠然とながら感じられている。
 The general co-operation of all members of society for the purpose of planned exploitation of the forces of production, the expansion of production to the point where it will satisfy the needs of all, the abolition of a situation in which the needs of some are satisfied at the expense of the needs of others, the complete liquidation of classes and their conflicts, the rounded development of the capacities of all members of society through the elimination of the present division of labor, through industrial education, through engaging in varying activities, through the participation by all in the enjoyments produced by all, through the combination of city and country -- these are the main consequences of the abolition of private property.
 生産力を共同で計画的に利用するための社会全員の総合的結合、あらゆる人の需要をみたすほどの生産の拡大、ある人の需要が他の人を犠牲にしてみたされる状態が揚棄されること、諸階級と彼らの諸対立とがまったくなくなること、これまでのような労働の分業をなくすことを通じて、産業教育および仕事の交替によって、すべての人の生産した利益にあらゆる人が享受することによって、都市と農民との連携によって、全社会成員の能力を全面的に発展させること。――以上が私的所有を揚棄したおもな結果である。

 二一問 共産主義者社会は、家族にどんな影響をおよぼすであろうか?(What will be the influence of communist society on the family?)
 It will transform the relations between the sexes into a purely private matter which concerns only the persons involved and into which society has no occassion to intervene.

 It can do this since it does away with private property and educates children on a communal basis, and in this way removes the two bases of traditional marriage -- the dependence rooted in private property, of the women on the man, and of the children on the parents.
 (答) それは、男女の関係を、当事者だけが関係し、それについて社会が如何なる干渉もしてはならない、純粋に私事的な関係に変革するだろう。

 この社会でこれができるのは、私的所有を一掃し、子供を相互共同で育てるという基盤で教育し、またそれによって、伝統的な結婚の二つの基礎、すなわち私的所有に根付く依存であるところの妻の夫への依存、子供の両親への依存をなくしてしまうことによってである。

 And here is the answer to the outcry of the highly moral philistines against the "community of women".

 Community of women is a condition which belongs entirely to bourgeois society and which today finds its complete expression in prostitution.
 But prostitution is based on private property and falls with it.

 Thus, communist society, instead of introducing community of women, in fact abolishes it.

 ここに、婦人の共有に対する道徳堅固な俗物どもの非難にたいする答えがある。

 すなわち、婦人の共有とは、まったくブルジョア社会に属する状態であり、それは現在売春の形で遂行されていることを見て取る事が出来る。

 しかし、売春は私的所有にもとづくもので、したがって私的所有がなくなるとともになくなる。

 だから、共産主義者の社会は、婦人共有を持ち込む代わりに、実際にはこれを揚棄するのである。

 二二問 共産主義は、現存する国家主義(民族主義)に対してどのように対応するのか?(What will be the attitude of communism to existing nationalities?)
 bleibt [3]
 (答) (欠落)

 二三問 共産主義は、現存する宗教に対してどのように対応するのか?(What will be its attitude to existing religions?)
 bleibt [4]
 (答) (欠落)

 二四問 共産主義者は、社会主義者とどうちがうか?(How do communists differ from socialists?)
 The so-called socialists are divided into three categories.
 (答) いわゆる社会主義者は、三つの部類にわかれている。

 [ Reactionary Socialists ]

 The first category consists of adherents of a feudal and patriarchal society which has already been destroyed, and is still daily being destroyed, by big industry and world trade and their creation, bourgeois society.

 This category concludes, from the evils of existing society, that feudal and patriarchal society must be restored because it was free of such evils.
 In one way or another, all their proposals are directed to this end.

 [ 復古的社会主義者 ]

 第一の部類は、封建的な、また家父長制的な社会を支持者から成り立っている。彼らは既に、大工業及び世界貿易により且つこれら両者によって創造されたブルジョア社会によって、破壊されており、且つ依然として日々破壊されつつある。

 この部類は、現在の社会の害悪から「封建的な家父長制的な社会を再建しなければならない、なぜなら、この社会にはこのような害悪がなかったからだ」という結論をひきだしている。 あれこれのものがあるが、すべて彼らの提案はこの目的を指針させている。

 This category of reactionary socialists, for all their seeming partisanship and their scalding tears for the misery of the proletariat, is nevertheless energetically opposed by the communists for the following reasons:

 この部類の復古的社会主義者は、プロレタリアートの悲惨さにたいして、表面上は同情したり熱い涙をながすとはいうものの、いつも共産主義者によって精力的に反対され続けるであろう。それは次の理由による。
 (i  It strives for something which is entirely impossible.
 (1) 彼らは、まったく不可能な何がしかをもとめて闘っているからである。

 (ii)  It seeks to establish the rule of the aristocracy, the guildmasters, the small producers, and their retinue of absolute or feudal monarchs, officials, soldiers, and priests -- a society which was, to be sure, free of the evils of present-day society but which brought it at least as many evils without even offering to the oppressed workers the prospect of liberation through a communist revolution.

 (2) 彼らは、貴族、ギルド親方組合、小生産者の支配を樹立せんと求めている。そして、専制的または封建的君主、官吏、兵士、坊主などの復活を望んでいる。しかしその社会は、今日の社会の諸悪からの解放を、抑圧された労働者を共産主義者革命を通じて解放するという見通しを少しも示す事なしにすくなくとも現在と同じくらいの諸悪をもたらすものである。

 (iii) As soon as the proletariat becomes revolutionary and communist, these reactionary socialists show their true colors by immediately making common cause with the bourgeoisie against the proletarians.

 (3) プロレタリアートが革命的になり共産主義者になるや否や、彼ら復古的社会主義者達は彼らの真実の意図をさらけだし、ただちにプロレタリアに対抗してブルジョアジーと同盟するからである。
 [ Bourgeois Socialists ]

 The second category consists of adherent of present-day society who have been frightened for its future by the evils to which it necessarily gives rise.

 What they want, therefore, is to maintain this society while getting rid of the evils which are an inherent part of it.

 [ ブルジョア社会主義者 ]

 第二の部類は、今日の社会の支持者から構成されている。彼らは社会が必然的に発生させる害悪により、この社会の将来に懸念を抱かされている。

 それで彼らは何であれ、現在の社会は維持しつつ、これにつきものの害悪だけを取り除こうと欲している。

 To this end, some propose mere welfare measures -- while others come forward with grandiose systems of reform which, under the pretense of re-organizing society, are in fact intended to preserve the foundations, and hence the life, of existing society.

 Communists must unremittingly struggle against these bourgeois socialists because they work for the enemies of communists and protect the society which communists aim to overthrow.

  この目的のために、あるものはたんなる慈善的な方策を提案し、他のものは大げさな改革計画を対置する。この計画たるや、社会を再組織するという口実で、現下の社会の土台を維持し、またそうすることによっていまの社会そのものを維持しようとしている。

 共産主義者は、これらのブルジョア社会主義者に対してもたえず闘わなければならない。なぜなら、彼らは共産主義者の敵の為に働き、そして共産主義者が打倒しようとしているまさにその社会を擁護しているからである。
 [ Democractic Socialists ]

 Finally, the third category consists of democratic socialists who favor some of the same measures the communists advocate, as described in Question 18, not as part of the transition to communism, however, but as measures which they believe will be sufficient to abolish the misery and evils of present-day society.

 [ 民主主義的社会主義者 ]

 最後に、第三の部類は、民主主義的社会主義者から構成されている。彼らは、一八問のなかでしめされたような共産主義者の主張と同じ方策のいくつかを支持している。しかしながら、それらは共産主義に移行するための一片のものとしてではなく、彼らが信じている方策は現在の社会の悲惨さと諸悪を揚棄するために十分なものとしてみなしている。

 These democratic socialists are either proletarians who are not yet sufficiently clear about the conditions of the liberation of their class, or they are representatives of the petty bourgeoisie, a class which, prior to the achievement of democracy and the socialist measures to which it gives rise, has many interests in common with the proletariat.

 これらの民主主義的社会主義者は、自分達の階級の解放条件についてまだ十分に明確にされていないプロレタリアであるか、あるいは小ブルジョアの代表者即ち民主主義の達成と、ここから出てくる社会主義的な方策の達成までは、多くの点でプロレタリアと同一の利害をもつ階級の代表者かのどちらかである。
 It follows that, in moments of action, the communists will have to come to an understanding with these democratic socialists, and in general to follow as far as possible a common policy with them -- provided that these socialists do not enter into the service of the ruling bourgeoisie and attack the communists.

 It is clear that this form of co-operation in action does not exclude the discussion of differences.

 だから、共産主義者は、行動のときにはこの民主主義的社会主義者と理解しあえるようにせねばならない。そして一般に、彼らと共通の政策を極力道連れすべきであろう。これらの社会主義者が支配者たるブルジョアジーに奉仕したり、共産主義者を攻撃するという道に入らない限りにおいては。

 この共同行動という形態は、彼らとの意見の相違を討議することをしりぞけるものではないことは、いうまでもない。(欠落)

 二五問 現在の他の政党に対する共産主義者の態度はどうあるべきか?(What is the attitude of the communists to the other political parties of our time?)
 This attitude is different in the different countries.

 In England, France, and Belgium, where the bourgeoisie rules, the communists still have a common interest with the various democratic parties, an interest which is all the greater the more closely the socialistic measures they champion approach the aims of the communists -- that is, the more clearly and definitely they represent the interests of the proletariat and the more they depend on the proletariat for support.

 In England, for example, the working-class Chartists are infinitely closer to the communists than the democratic petty bourgeoisie or the so-called Radicals.

 (答) この態度は、国の違いによって異なる。

 ブルジョアジーが支配しているイギリス、フランス、ベルギーでは、共産主義者はいまのところ、なおいろいろな民主主義の党と共通な利害をもっている。しかも、この民主主義者が、今日いたるところで彼らの主張している社会主義的方策が共産主義者の目的に近づけば近づくほど、すなわち彼らがプロレタリアートの利益を擁護することがますます明確になればなるほど、また彼らがプロレタリアートにたよることが大きくなればなるほど、共産主義者との共通な利害も大きくなる。

 たとえばイギリスでは、労働者階級のチャーティストのほうが、民主主義的小ブルジョアまたはいわゆる急進主義派よりも、はるかに共産主義者に近い。

 In America, where a democratic constitution has already been established, the communists must make the common cause with the party which will turn this constitution against the bourgeoisie and use it in the interests of the proletariat -- that is, with the agrarian National Reformers.

 In Switzerland, the Radicals, though a very mixed party, are the only group with which the communists can co-operate, and, among these Radicals, the Vaudois and Genevese are the most advanced.

 民主主義的憲法の採用されているアメリカでは、共産主義者は、この憲法を武器としてブルジョアジーにさしむけ、プロレタリアートの諸利益の為にこれを利用しようとする政党、すなわち国民農業改革党と提携している。

 スイスでは、なおはなはだ折衷的党ではあるが、急進主義党が共産主義者と提携できる唯一のグループである。そしてまた、これらの急進主義派のうちでも西部スイス人とジュネーヴ人とがもっとも進歩的である。
 In Germany, finally, the decisive struggle now on the order of the day is that between the bourgeoisie and the absolute monarchy.

 Since the communists cannot enter upon the decisive struggle between themselves and the bourgeoisie until the bourgeoisie is in power, it follows that it is in the interest of the communists to help the bourgeoisie to power as soon as possible in order the sooner to be able to overthrow it.
 最後に、ドイツでは今や、ブルジョアジーと絶対君主制間の支配権を廻る決戦がせまっている。

 共産主義者は、ブルジョアジーが権力を握るまでは共産主義者とブルジョアジー間の決戦には突入できないのだから、共産主義者の関心は、ブルジョアができるだけはやく政権をにぎることを援助することである。そうすれば又ブルジョアを打倒する事も早まるというものだ。
 Against the governments, therefore, the communists must continually support the radical liberal party, taking care to avoid the self-deceptions of the bourgeoisie and not fall for the enticing promises of benefits which a victory for the bourgeoisie would allegedly bring to the proletariat.
 だから、共産主義者は政府に対抗して、不断に急進主義的自由党を支持しなければならない。しかし、ブルジョアのおちいる自己欺瞞に感染したり、または申し立てられているようなブルジョアジーの勝利がプロレタリアートにも恵みをもたらすという誘惑的な約束に落としこめられないように注意しなければならない。
 The sole advantages which the proletariat would derive from a bourgeois victory would consist
 プロレタリアートがブルジョアジーの勝利から引き出す奥底の諸利益は、つぎの点にある。

 (i) in various concessions which would facilitate the unification of the proletariat into a closely knit, battle-worthy, and organized class; and

 (1)プロレタリアートをして堅く結ばれ、戦闘的にして組織された階級に向けての団結を促進せしめる様々な譲歩。

 (ii) in the certainly that, on the very day the absolute monarchies fall, the struggle between bourgeoisie and proletariat will start.
   From that day on, the policy of the communists will be the same as it now is in the countries where the bourgeoisie is already in power.

 (2)確実なのは、絶対君主制が瓦解するその日から、ブルジョアとプロレタリアとのあいだの闘争が開始されることである。
   その日から、共産主義者の政策は、現在すでにブルジョアジーが支配している諸国において今日にあるようなものと同じものになるだろう。


【脚注(Footnotes)】

 The following footnotes are from the Chinese Edition ofMarx/Engels Selected Works Peking, Foreign Languages Press, 1977.
 with editorial additions by marxists.org

 Introduction In 1847 Engels wrote two draft programmes for the Communist League in the form of a catechism, one in June and the other in October. The latter, which is known as Principles of Communism, was first published in 1914. The earlier document Draft of the Communist Confession of Faith, was only found in 1968. It was first published in 1969 in Hamburg, together with four other documents pertaining to the first congress of the Communist League, in a booklet entitled Grundungs Dokumente des Bundes der Kommunisten (Juni bis September 1847) (Founding Documents of the Communist League).

 At the June 1847 Congress of the League of the Just, which was also the founding conference of the Communist League, it was decided to issue a draft "confession of faith" to be submitted for discussion to the sections of the League. The document which has now come to light is almost certainly this draft. Comparison of the two documents shows that Principles of Communism is a revised edition of this earlier draft. In Principles of Communism, Engels left three questions unanswered, in two cases with the notation "unchanged" (bleibt); this clearly refers to the answers provided in the earlier draft.

 The new draft for the programme was worked out by Engels on the instructions of the leading body of the Paris circle of the Communist League. The instructions were decided on after Engles' sharp criticism at the committee meeting, on October 22, 1847, of the draft programme drawn up by the "true socialist" Moses Hess, which was then rejected.

 Still considering Principles of Communism as a preliminary draft, Engels expressed the view, in a letter to Marx dated November 23-24, 1847, that it would be best to drop the old catechistic form and draw up a programme in the form of a manifesto.

 "Think over the Confession of Faith a bit. I believe we had better drop the catechism form and call the thing: Communist Manifesto. As more or less history has got to be related in it, the form it has been in hitherto is quite unsuitable. I am bringing what I have done here with me; it is in simple narrative form, but miserably worded, in fearful haste...."

 At the second congress of the Communist League (November 29-December 8, 1847) Marx and Engels defended the fundamental scientific principles of communism and were trusted with drafting a programme in the form of a manifesto of the Communist Party. In writing the manifesto the founders of Marxism made use of the propositions enunciated in Principles of Communism.

 Engels uses the term Manufaktur, and its derivatives, which have been translated "manufacture", "manufacturing", etc. Engels used this word literally, to indicate production by hand, not factory production for which Engels uses "big industry". Manufaktur differs from handicraft (guild production in mediaeval towns), in that the latter was carried out by independent artisans. Manufacktur is carried out by homeworkers working for merchant capitalists, or by groups of craftspeople working together in large workshops owned by capitalists. It is therefore a transitional mode of production, between guild (handicraft) and modern (capitalist) forms of production.

 (Last paragraph paraphrased from the Introduction by Pluto Press, London, 1971)

 1. In their works written in later periods, Marx and Engels substituted the more accurate concepts of "sale of labour power", "value of labour power" and "price of labour power" (first introduced by Marx) for "sale of labour", value of labour" and "price of labour", as used here.

 2. Engels left half a page blank here in the manuscript. In the Draft of the Communist Confession of Faith, the answer to the same question (Number 12) reads as follows:

 "In contrast to the proletarian, the so-called handicraftsman, as he still existed almost everywhere in the past (eightennth) century and still exists here and there at present, is a proletarian at most temporarily. His goal is to acquire capital himself wherewith to exploit other workers. He can often achieve this goal where guilds still exist or where freedon from guild restrictions has not yet led to the introduction of factory-style methods into the crafts nor yet to fierce competition But as soon as the factory system has been introduced into the crafts and competition flourishes fully, this perspective dwindles away and the handicraftsman becomes more and more a proletarian. The handicraftsman therefore frees himself by becoming either bourgeois or entering the middle class in general, or becoming a proletarian because of competition (as is now more often the case). In which case he can free himself by joining the proletarian movement, i.e., the more or less communist movement."

 3. Engels' notation "unchanged" obviously refers to the answer in the June draft under No. 21 which read as follows:

 "The nationalities of the peoples associating themselves in accordance with the principle of community will be compelled to mingle with each other as a result of this association and thereby to dissolve themselves, just as the various estate and class distinctions must disappear through the abolition of their basis, private property."

 4. Similarly, this refers to the answer to Question 23 in the June draft which reads:

 "All religions so far have been the expression of historical stages of development of individual peoples or groups of peoples. But communism is the stage of historical development which makes all existing religions superfluous and brings about their disappearance."

 5. The Chartists were the participants in the political movement of the British workers which lasted from the 1830s to the middle 1850s and had as its slogan the adoption of a People's Charter, demanding universal franchise and a series of conditions guaranteeing voting rights for all workers. Lenin defined Chartism as the world's "first broad, truly mass and politically organized proletarian revolutionary movement" (Collected Works, Eng. ed., Progress Publishers, Moscow, 1965, Vol. 29, p. 309.) The decline of the Chartist movement was due to the strengthening of Britain's industrial and commercial monopoly and the bribing of the upper stratum of the working class ("the labour aristocracy") by the British bourgeoisie out ot its super-profits. Both factors led to the strengthening of opportunist tendencies in this stratum as expressed, in particular, by the refusal of the trade union leaders to support Chartism.

 6. Probably a references to the National Reform Association, founded during the 1840s by George H. Evans, with headquarters in New York City, which had for its motto, "Vote Yourself a Farm".

 Study Guide | Communist Manifesto
 Communist League | Rules of the Communist League | Communist Confession of Faith
 1847 Index | 1840s Index | Marx-Engels Archive | Vorwarts!


【翻訳検証】

【れんだいこ和訳】 【市販本の和訳】




(私論.私見)