ドイツ・イデオロギー批評(The German Ideology)

【】

 Works of Marx and Engels 1845

 Critique of Modern German Philosophy According to Its Representatives Feuerbach, B. Bauer and Stirner, and of German Socialism According to Its Various Prophets[7]


 Written: Fall 1845 to mid-1846;
 First Published: 1932 (in full);
 Preface: from Marx-Engels Collected Works, Volume 5.



 目次(Table of Contents)
れんだいこ和訳一括文
第一巻(Volume I)   Critique of Modern German Philosophy According to Its Representatives Feuerbach, B. Bauer and Stirner[8]
1−1 序文 Preface
1−2 第一章

I. Feuerbach: Opposition of the Materialist and Idealist Outlooks

1−2 第二章 II. The Leipzig Council: Saint Bruno
1−3 第三章 III. The Leipzig Council: Saint Max [45](Abstract of Chapter III)
第二巻(VolumeUI)
Critique of German Socialism According to Its Various Prophets
2−1

第一章

True Socialism
2−2

第二章

Highlights’ of The German Ideology
解説
既成翻訳の検証
イデオロギー論

人名注、事項注

サイト
文献




(私論.私見)



2004年2月28日(土)


マルクス/エンゲルス著 廣松渉編訳・小林昌人補訳

新編輯版 ドイツ・イデオロギー』(岩波文庫)

 

博士後期課程1年 常盤幸利

 

▼ざっと一読してみましたが、何が書いてあるのか意味がさっぱりわからないので「解説」から読み進めることにします。

 


「解説」

・『ドイツ・イデオロギー』は“唯物論的歴史観(史的唯物論)誕生の書”。←それは「フォイエルバッハ」に対する批判(積極的な提題)で成り立っている。

 


   一 『ドイツ・イデオロギー』の全体構造

・『ドイツ・イデオロギー』はドイツ的「哲学」とドイツ的「社会主義」に対する両刀的批判として計画された。

 


   二 『ドイツ・イデオロギー』の成立過程

・ヘーゲルの死後、ダーフィット・シュトラウス(彼自身はヘーゲル左派)による『イエスの生涯』が刊行される。「神人合一」はイエスという一身ではなく人類において実現されるという主張。

・フォイエルバッハ(彼もまたヘーゲル左派)『キリスト教の本質』→神の本質は「人間」であると主張。

▼ここでヘーゲルの『精神現象学』から一応の説明をしておく。『精神現象学』においてヘーゲルは人間の自己意識は「感覚」から「意識」「自己意識」「精神」そして「絶対知」へと発展していくと述べた。その最後に位置するのが「宗教」であった。「絶対知」と「宗教」の関連性は微妙だが、ヘーゲルがその「絶対知」(あるいは「宗教」?)という概念は神に宿ると考え、シュトラウスやフォイエルバッハ、そしてバウアーは「唯物論」的に人間に宿ると考えた。

▼ごく単純化して考えると、以下のようになる。

  • ヘーゲル(ヘーゲル右派)→キリスト教的→国家と宗教が結びつく
  • シュトラウス・フォイエルバッハ・バウアー(ヘーゲル左派)→人間的、唯物論的→当時のドイツに対する批判(政教分離)

  • ・マルクスの主張。

    「宗教批判は『本質的にはもう終わっている』、今や『宗教の批判は法の批判に、神学の批判は政治の批判に代わる』時だという。しかも人間が単に政治的に解放されるだけでは不十分で、『人間的』に解放されなければならない。疎外された世界と人間の現状を『人間そのものへ復帰させる』ような解放、つまり『ラディカルな革命』が必要である」。

    ▼すごいね、マルクス先生。ヘーゲル右派と左派の対立を「止揚」しようとしたんだね。

    ・マルクスとエンゲルスの意見の一致。「現実世界の分析と批判にあたって、国家ではなく市民社会に定位すること、フォイエルバッハをベースにした人間主義と疎外論を武器に人類史的なパースペクティブに立つこと」。

    ・バウアーは「実体」に対する自己意識の闘いを神や国家に対してだけでなく、大衆に対しても貫徹し、彼らを変えてやらねばならないと思うに至る。それはフォイエルバッハ、マルクス、エンゲルスの「類」についての論とは対立するものであった。「類」とは歴史的発展の契機を欠いた抽象物であり、不完全な人間の現状を肯定するものであり、つまり「実体」でしかない。

    ・シュティルナー『唯一者とその所有』→「類」と「個」の矛盾を衝く。→エンゲルスの感想「フォイエルバッハの『人間』を斥ける点では正しい。フォイエルバッハの『人間』は神から派生していて、確かにまだ抽象の神学的後光で飾られている」

    ・マルクス、エンゲルスの「人間主義」や「疎外論」は、人間疎外の現実を告発するだけでなく、“疎外からの解放”を“人間的本質の回復”として、“本質−疎外−疎外の止揚=本質の回復”という歴史的必然として構想された。→フォイエルバッハの人間論を超え、フォイエルバッハ以上に「人間なるもの」を歴史の主体に高めた。

    ・フォイエルバッハ哲学をベースにした社会主義→真正社会主義をマルクス、エンゲルスは批判。

     


       三 『ドイツ・イデオロギー』の編集問題

    ・編集方針上の問題なので割愛。以下、『ドイツ・イデオロギー』のおおまかな思想を読み込むという信念に立って、マルクス・エンゲルスの発言のどちらであるのかについては触れない。

     


    「序文」

    ・「(本書の目的は、青年ヘーゲル派の)羊たちの化けの皮を剥ぎ、彼らがいかにドイツ的市民の表象を哲学的な言葉でメーメーと鳴き真似しているにすぎないか、…示すことにある」

    ▼マルクスのこういう人をバカにした書き方は『資本論』でもあったなあ。最初に『資本論』を読んだとき、「むずかしいと思っていたけど(実際むずかしかったけど)、マルクスも人間なんだなあ」と思った。

    ・「かつてある健気な男がいて、人が水に溺れるのは人が重力の思想にとりつかれているせいだと思い込んだ。この表象を、例えば、それは迷信的な表象だ、宗教的な表象だと言明するといったやり方で人の頭から叩き出せば、あらゆる水難は免れるのだそうな」

    ▼マルクス/エンゲルスの唯物論を根拠にする象徴的な理由。現実(=物質)を見ろ!

     


    「序論の第一草案」

     T フォイエルバッハ

    ▼ヘーゲル左派の内部分裂については既に「解説」でみた。

    ・批判の対象はフォイエルバッハが中心である。

     


     1 イデオロギー一般、特にドイツ哲学

    ・歴史は自然の歴史と人間の歴史のふたつに区分けされることができる。両者は切り離せない。ここでは自然の歴史には触れず、人間の歴史を扱う。イデオロギーはこの人間の歴史の諸側面の内のひとつにすぎない。

    ・人間の第一の歴史的行為は、思考するということではなく、自らの生活手段を生産し始めるということ。出発点は、現実的な諸個人であり、物質的な生活諸条件。

    ・人間たちが生活手段を生産する様式は、さしあたりは、すでにそこにあって再生産されなければならない生活手段そのものの特質に依存する。

    ・この生産は人口の増加とともに現われる。人口の増加は交通を前提にする。

    ・経験的観察は、どの個別事例においても、社会的・政治的編制と生産との関連を経験的に、神秘化や思弁を一切交えずに提示することができるはず。

    ・当初の理念、表象、意識の生産は直接物質的活動や物質的交通、現実的生活の言語に編み込まれている。表象は思考はまだこの段階では物質的な関わり合いの流出として現われる。

    ・ここでは地から天への上昇がなされる。物質的生産と交通を発展させて、思考や思考の産物も変化する。意識が生活を規定するのではなく、生活が意識を規定する。

    ▼非常に基本的ないわゆる「マルクス主義」の諸概念が既にここに述べられている。ここらへんを読んでて、60年代の人たちがマルクス主義に教化されていった理由がわかるような気がした。なんか、こう、「奮い立て!意識が生活を規定するのではなく、生活こそが意識を規定するのだ!」とアジテーションされているような気になった。

     


    「序論の第二草案」

    ・省略

     


    「序論の第三草案」

    ・老ヘーゲル派(ヘーゲル右派)は、概念的に把握。青年ヘーゲル派(ヘーゲル左派)は、万事、宗教的表象を押し込むか、神学的なりと言明することで批判したつもり。青年ヘーゲル派は、世界において宗教や概念や普遍的なものを信じる点で老ヘーゲル派と同じであり、われわれ(マルクス/エンゲルス)はやはり唯物論的考えを貫く。

     


    「本論 一」

    ・「実際には、問題なのはそして実践的な唯物論者すなわち共産主義者にとっては、現存する世界を革命的に変革すること、眼前に見出される事物を実践的に攻略し変革することこそが問題である」

    ▼すげー!かっこいい!たしかにここまで言われりゃ、影響受けるわな。

    ・フォイエルバッハの「人間なるもの」→感性的、直感。それに対してマルクス/エンゲルスは「人間をとりまいているのは、産業と社会状態の産物であり、感性的世界は歴史的産物であり、活動の成果である」

    ・自然と人間との対立。しかし自然はまた人間によって作り出されてきたものでもある。特に産業化された社会においては。

    ・フォイエルバッハは愛と友情を知らない。(p.49

    ▼「人間の人間に対する」「人間的諸関係」とあることから、「愛」とは交通のことか。

    ・ファイエルバッハは歴史と唯物論を結びつけていない。

    ▼人間はその存在が歴史的存在であり、かつ生産的活動をする点において唯物論的である、ということか。

    ・「歴史を創る」ことができるためには、人間たちが生活できていなければならない。それには最低限、飲食、住居、被服が必要。第一の歴史的行為は、これらの欲求を充足させる手段の創出。物質的生活そのものの生産。

    ・第二の案件は、第一の充足によって創出される。

    ・第三の関係は、家族。再生産。

    ▼第二の案件がよくわからん。欲求が発展して第二になり、さらに他者との交通が第三ということか。

    ・「人間の歴史」は常に産業および交換の歴史との関連で論じられなければならない。(p.55

    ▼マルクス/エンゲルスの言ってることはすごく説得力があって、同時にすごくかっこよく惹きつけられるのだけど、ここまで断定的に言い切る自信はどこから湧いてきたのだろう。別に論理的で絶対的な根拠を提示して例えばヘーゲルなりフォイエルバッハなりを批判しているわけではないし、考えようによっては人間は精神的存在だともとれるのではないか。もちろん物質的存在だという風にもとれるからこそ、惹きつけられるのだろうけど。

    ・第四の形態として「歴史」?

    ・言語によって意識がある。言語は交通に対する欲求から生じるため、意識もすでに最初から社会的生産物である。

    ・「人口の増大」によって分業が発展していき、それで物質的労働と精神的労働に分割される。この瞬間から、純粋な理論、神学、哲学、道徳を形成できるようになる。

    p.62はひとまずのまとめか。三つの契機→生産力、社会的状態、意識。分業に伴って、精神的労働と物質的活動、享楽と労働、生産と消費が別々の個々人に帰属する可能性、現実性が与えられるため、矛盾に陥る可能性がある。そうならないようには分業をやめなければならない。

    ・不平等な配分→所有が存在するようになる。家族、奴隷制。分業と私的所有とは同じもの。

    ▼少しわかりづらくなってきた。分業という考え方を批判するため共産主義に結びついていく。

    ・さらに分業と同時に協同的利害が生じる(p.66)。分業の威力は人間を圧服する。また排他的活動領域をもつようになる。

    ・これにひきかえ、共産主義社会では分業はないから所有もなく、個々人が狩りもでき漁もでき批判もできる!嗚呼、すばらしきかな共産主義!以下、しばらく所有に対する批判。

    ・(p.74)生産諸力+交通携帯=市民社会←単一家族と複合家族から成る。

    ・これまでは人間たちによる自然の加工を考察してきた。これから人間たちによる人間たちの加工を考察する。

    ▼人間たちによる自然の加工とは、生産の初期の段階を想定しているのか。 

    ・共産主義。プロレタリアートは、世界史的にのみ実存しうるのであって、それは、彼らの営為たる共産主義がそもそも「世界史的な」実存としてしか現前しえないのと同様。

    ・歴史は発展してきたし、これからも発展してゆく。

    ・(p.78)歴史の世界史への転換は、「自己意識」、世界精神、あるいはその他の形而上学的な幽霊のからきし抽象的な事績というようなものではなく、まったく物質的な、経験的に追認できる事績。

    ・私的所有の廃止によって、個々の個人それぞれの解放は、歴史が世界史へと完全に転化するのと同じ度合いで遂行される。→共産主義革命

     


    「結論」(p.81〜)

    (1)生産力(機械装置と貨幣)と交通手段が呼び出される第一段階の階級。この階級から根底的な革命の必然性の意識、共産主義的な意識が出てくる。

    (2)社会的な占有から生起する威力は、そのつどの国家形態の内にその実践的、観念的な表現をもつ。

    (3)共産主義革命は、今日の社会の領域内ですでに階級や国民性等々のいっさいの解消を体現している階級によって遂行される。

    (4)大衆的規模での人間変革が必要。

    ▼プロレタリアート万歳!!大衆こそが社会を変革できる!!さあ、あなたも変革への意思をもて!!!

     


    (p.86〜)

    ・この歴史観は、絶えず現実的な歴史の地盤にとどまり、実践を理念から説明するのではなく、理念的構成物を物質的な実践から説明する。

    ・批判ではなく革命こそが歴史の駆動力。

    ▼具体的にマルクス/エンゲルスが想定していた革命ってなに?宗教的国家を転覆すること?

    ・生産諸力・諸資本・社会的交通形態の総体、これこそが「実体」とか「人間の本質」とかして哲学者たちが表象してきたものの、また彼らが神格化したり挑戦したりしてきたものの実在的な地盤。

    ・既存の生産諸力が、また革命的な大衆の形成がなければ革命は成立しない。

    ▼大衆が革命をおこす意志を形成しなければならないということか。土台=大衆

    ・フランス人やイギリス人は少なくとも政治的幻想に――これはまだしも現実からもっとも近い位置にある――とどまっているのにひきかえ、ドイツ人ときては「純粋精神」の領域内を動き回り、宗教的幻想を歴史の駆動力にしたてている。そんな歴史過程は単なる「騎士・盗賊・幽霊の物語」だ。宗教的人間を、全歴史の出発点となった原人間とみなし、そして、生活手段や生活そのものの現実の生産を、想像の中で、宗教的な空想の生産におきかえている。そんな歴史観は学問的娯楽だ。

    ・大衆つまりプロレタリアートにとってはそういう理論的表象は存在しないので、物質的環境を変えなければならない。

    ・非歴史的な人物とその人物が抱く空想の名声を、より明るく輝かせるために過去の歴史を書くという、この目的にふさわしいのは、結局、史実上の出来事についてはいっさい言及しないで、その代わりに物語、それも研究ではなく、勝手な構成と文学的な噂話に基づくおしゃべりを提供するというやり方。

    ▼このあたりの、学問に対する批判は今日の大学のセンセにもあてはまるなー。

    ・マルクスの物質的基盤思想に対する具体的根拠。フォイエルバッハについては彼が現実を重要視している点である程度認めているが、外的自然ということに関して見解が異なる。

    「魚の「本質」は魚の存在たる水である。川魚の「本質」は川の水である。しかし川の水は、その川が工業に従属させられるやいなは、川が染料その他の廃物で汚染され、蒸気船が運航するようになるやいなや、そして川の水が掘割へ引かれて、人がただ排水するだけで堀割の魚から生存媒体を奪えるようになるやいなや、水は魚の「本質」たることをやめ、もはや魚にとって不調和な生存媒体となる。

    ▼ある意味においてはわかるんだけどなー。そもそもの前提としての命題、「魚の『本質』=水」というのがひっかかる。

    ▼「本論 一」の最後、消去された部分、すなわちエンゲルスのキリスト教の比喩はどの点においてフォイエルバッハを批判しているのかよくわからなかった。


     

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    イデオロギー概論

    私は二年あまり前に、『イデオロギーの論理学』を出版したが、今度の書物は全く、それの具体化と新しい領域への展開なのである。が、そればかりでなく、又その敷衍と平易化とでもあることを願っている。
     イデオロギーの問題が、一般社会から云っても又階級的に云っても、至極重大な客観的な意味を有っていることを、今更口にする必要はないであろう。併しこの問題は世間の人々が想像しているように、それ程決って了った問題でもなければ、又充分に検討し尽されつつある問題だとさえも云えない。それは甚だ多くの未知のものを吾々に約束しているように見える。私はそこで、事物をイデオロギー論的に取り扱うための基本的な計画を立てて見ることにした。それがこの書物である。
     だから私にとって、イデオロギーの問題は単に一つの顕著な大事な問題というだけではなく、可なりの広範さと普遍さとを有った原理的な問題として現われる。この書物は単に読者にとっての手引きであるばかりでなく、又著者自身の科学的労作にとっての入門書なのである。それで今の場合、イデオロギーに関する歴史的叙述に立ち入る余裕がなかったのは遺憾である。
     第二部の批判的な各章は以前発表したものを元にし、之を短かくし且つ訂正したものである。併しこの各章が、単なる批判ではなくて、実は夫々一定の公式を導き出すためのものだという点を、注意して欲しい。
     
    一九三二・一〇

                      東 京        
    戸 坂  潤


    第一部「社会科学」的イデオロギー論の綱要



     
    第一章 イデオロギーの問題

       

     
    云うまでもなくそれ自身としてはブルジョアジーのものである処の、わが国に於ける文壇や論壇、又学壇をさえ一貫して、マルクス主義的・社会科学的・認識が今日では可なりよく普及していると見て好い。一部分の、無意識的にか又は故意にか、敢えて迷蒙に止まろうと欲しているとしか考えられない諸反動分子は例外として、わが国のインテリゲンチャ層は大勢から云って、マルクス主義的・社会科学的・諸範疇を夫々の程度に承認し、而も之を相当日常化して使っているだろう。イデオロギーという言葉乃至概念も亦例外ではない。
     諸種の反動的な「学者」や「専門家」達にとっては、それにも拘らずこの概念は、あまり好ましくない、厄介な、又は軽視されねばならぬ、ものであるように見える。之は高々一群の学徒にしか過ぎない社会学者達だけが口にしても好い言葉であって、その社会学者達自身さえが止むを得ない必要のない限り真面目に用いてはならぬ言葉である、と彼等は考えているようである。
     こう考えて見ると、イデオロギーという概念を承認するかしないか、又どの程度に夫を承認するかは、その国のインテリゲンチャがどの程度に進歩的であるか無いかの標準になる。蓋しインテリゲンチャの最も手近かな問題は、要するに知能的な――インテリゲンツの――問題であって、従って文化とか意識とかが彼等の何よりもの生活問題になるのが普通だから、彼等にとってはイデオロギーが最も手近かな問題であり、即ち又イデオロギーの問題は、彼等によってこそ最初に取り上げられる理由があるのである。
     わが国のインテリゲンチャも国際世界の大勢に従って、資本主義制度の社会的停滞と共に次第に無用のものとなり、それだけ自然の結果として低能化して来た今日、丁度ドイツの学生達が反動的であるように――彼等はその進歩性をフランス大革命への感激の涙と共に流し去って了った――反動化しつつあるのは事実である。そうだとすればたといイデオロギーという言葉が一般的に適用していても、イデオロギーという問題そのものはわが国のインテリゲンチャにとって、次第に意味を失って行くかも知れない。インテリゲンチャはその唯一の特有な社会的能力である処の彼等のインテリゲンツ(知能)を失って了う、イデオロギーなどという問題は彼等にとってどうでも好くなる。この問題は、自己満足的な低劣なジャーナリズム(ジャーナリズムは併し本来そういう低劣なものではないのだが)の欲するままに躍っては消える流行に過ぎないと云うことにもなるだろう。
     イデオロギーの問題は少くともインテリゲンチャが進歩的である限り、常に支配的な問題に止まるだろう。又止まらねばならぬ。だが、インテリゲンチャの反動化――併しそれはインテリゲンチャのインテリゲンツ喪失・低能化・自己喪失と一つである――と共に、イデオロギーの問題も亦消滅すると考えたならば、夫は大きな誤りだと云わねばならぬ。否この問題はプチブル・インテリゲンチャなどの眼の前からは、出来るだけ早く消え失せて行くがいい。その時こそは、この問題が、大衆自身の本当のインテリゲンツの興味の対象となることの出来る時なのである。

     イデオロギーの問題は、或る意味に於ける観念乃至意識の問題である。で観念乃至意識が又或る意味に於ける根本問題の一つである限り、イデオロギーも亦――或る意味に於ける――一つの根本問題でなくてはならぬ。――だが「観念」乃至「意識」の問題とは抑々何であるか。
     一体近世哲学の何よりもの特色は、それが色々の意味でではあるが結局「意識の問題」から出発するという点に横たわる。すでにデカルトは自己意識――我考う故に我在り――を哲学的省察方法の立脚地としたことは能く知られている。ライプニツやカントの問題が意識――表象者モナド・意識一般――であったことは云うまでもないが、最も意識の問題から遠いと考えられるスピノザさえが、実体概念の必要な一条件として、それ自身によって考えられ得るという点をつけ加えるのを忘れない。フィヒテの純粋自我、シェリングの自由意志の省察、ヘーゲルの絶対精神等々、凡そ近世の、特にドイツ的精神の伝統にぞくする、哲学――実はドイツ観念論――では、総て意識がそれの問題であり、従って又その出発の地盤となっている。
     近代哲学を代表するフッセルルの本質直観やベルグソンの直覚は、意識の構造又は実質をどうやったらば捉えることが出来るか、ということに答えている処の哲学的手段であるし、新カント学派の課題と雖も、結局はこうした意識の問題を解くための別な装置を見出すことに外ならなかった。
     だが意識の問題は無論決してデカルトなどから始まったのではない。ヘブライ思想とギリシア思想との結合者であった処の、併し結局ヘブライの宗教意識の神学的組織者であった処の、教父聖アウグスティヌスにまで、吾々はこの問題を溯らせることが出来るだろう。意識は、近世に於ける資本主義的な個人の自覚によって初めて公然と哲学の日程に上ったのではあるが、それよりも前に、すでに人間の宗教的な内面性の観念と同伴して、哲学の問題にまで提出されていたのである。尤もそれが哲学に対する殆ど完全な支配権を得たのは近世以来のことであると云って好く、又同じ近世に於てもその支配する形態は様々であるが、――例えば表象として自覚として自我として理念として等々――、吾々はその終局の起源をヘブライ思想が哲学体系にまで組織化されたこの時期に求めねばならぬだろう。
     処で更に、これ等の意識の哲学が、観念の哲学としてみずからを特色づけることによって、哲学史上の生存権を得ることが出来た、この点を注意せねばならぬ。そして観念の哲学――それは観念の問題から出発する――は、今云ったヘブライ思想に先立って、ギリシア思想の代表的な伝統の一つに外ならない。と云うのは、夫はプラトンの世界観によって後々の不抜な思想体系のための礎石として置かれたのである。聖アウグスティヌスも近世に於けるカント又ヘーゲルも、観念の問題から出発する観念の哲学としてである限り、全くプラトニズムの範に従って出来上った。之が哲学思想に於ける観念論に外ならない。
     かくて意識の問題から出発する従来の凡ゆる哲学は、それであるが故に又必然的に観念論に帰着する。――云い換えれば、従来、意識の問題は常に、観念論によって、観念論的に取り扱われることが、本格的であったということが判る。
     従来の多くの支配的な哲学――吾々はそれを正当な理由で広く観念論と呼ぶことが出来る――は、意識(乃至観念)から出発する、それがこの哲学の問題の地盤であり問題解決の鍵の所有者であり、又最後の解答者でもあるのだ。

     だが実際、意識とは何であるか。
     意識は無論哲学者だけにとっての科学的問題ではない、之を何よりもの固有な課題とするものは寧ろ心理学者であるように見える、心理学とは、心(Psyche)の、即ち又意識の、学でなければなるまい。併し心理学と雖も、一旦之が意識だと一応決められたものに就て、その意識の構造・機能・諸条件が何であるかは明らかに出来ても、抑々如何なるものを意識と呼ばねばならぬかは、最も基本的な問題であるにも拘らず、決して一義的には科学的に決定出来ない。それは必ずしも心理学が発達していず又はその基本的な省察が未熟であるからではなくて、其他の諸科学全般に於てもこの点に余り大した相違がないのである。でこの点は恰も一般に科学にとっての基礎概念――心理学では夫が意識である――が、もはや単純には科学にだけぞくし得ない処の常識的日常概念と接触している最もデリケートな活き活きした点である、ことを告げている。実際、意識という概念は、それが専門的な心理学者によってどう決定され又どう是正されようとも、それとは可なり独立に、世間的に、常識的に、併し定義すべからざる厳密さを持った一定概念として、通用しているのである。
     殆んど総ての概念がそうであるが(例えば感覚は心理学的に云えば一つの単純な心的要素に過ぎないが日常的には認識・判別・批評的判断・性格的能力・などの極めて複雑な力を意味する――センス)、専門的な概念――夫はやがて術語となる――は他方に於て日常的な概念と平行し複合しているのを常とする。と云うのは科学的諸概念は元々常識的な言葉から洗練し出されたものに外ならないからである。
     処で、意識が、心理学的な、或いは最も著しい場合を採るのが好都合とすれば実験心理学的な、概念であると共に、同時に吾々が日常用いている一つの常識概念でもあるということが、この概念の色々な困難を用意する。――心理学者は、だから、どれ程科学的であろうとも、必ずしも意識という概念の説明に於て権威を有つものではない。心理学的意識概念は、常識的な概念乃至用語のセンスによって、裏切られる。――一つとして数学の名辞のように定義出来る日常概念はない、誰が一体机を定義出来るか、誰が一体家を定義出来るか。こうした概念の諸規定はそれに対立した諸規定によって、順々に否定されることによって、初めてほぼ纏った一つの概念となることが出来る。ヘーゲルが指摘する通り、凡そ概念と呼ばれる限り、それは弁証法的なものであらざるを得ない。――意識の概念も亦そうした弁証法的な概念であることを今、忘れてはならぬ。
     心理学、その代表的なものは実験心理学であるが、この科学にとって、意識とは常に個人が有っている意識のことを意味する。考え方によっては個人ばかりではなく団体も亦――群集・法人・民衆・国民等々――意識を有つと云われなくはないが、そうした団体のもつ意識も実は、個人の有つ意識の概念を基準として、初めて意識の名を与えられることが出来る。個人のもつ意識という概念は、一切の意識の概念のモデルと考えられる。個人の意識群集の意識とが異ることを、或る心理学者達がどれ程強調しようとも、両者が同じく意識と呼ばれる理由は、外でもない両者とも同じく、個人的意識――もはや必ずしも個人のもつ意識に限られない――だという処に横たわる。
     実際、実験心理学(従って、又一般に心理学)が、生理学――それは生物個体に関する理論である――にその物質的基礎を求めなければならない以上、その意識の概念は個人的意識である外はない。――だがこの点は、謂わば哲学的心理学(F・ブレンターノの『経験心理学』やナトルプの『一般心理学』)・現象学・哲学(「先験心理学」其他)などに於ても、今まで少しも変る処はないのである。哲学的心理学や現象学乃至哲学などに於ける「意識」は、――最も特徴ある場合を採るとして――それが如何に「純粋意識」(フィヒテ、フッセルル)であろうと「意識一般」(カント)であろうと、要するに個人のもつ意識(それは個人意識とか経験的意識とか呼ばれる)から蒸溜されたものであって、個人の意識の外に横たわるにも拘らず依然として個人的意識の概念に依っていることを免れない。
     哲学者――実は観念論者――は好んで意識の超個人性を又は超意識性をさえ主張するが、そうした主張は、自分が観念論者乃至超観念論的観念論者であることを証拠立てているまでであって、却って皮肉にも意識概念の個人性を、個人主義的見解を、暴露しているに過ぎない。

     かくて哲学と云わず科学(今は特に心理学)と云わず、従来、観念論の組織の上に立ち又は之と友誼関係を結んでいる諸体系にとって、意識とは個人的意識の謂だったのである。意識は全く意識主義的に、個人主義的に、だがそれは結局観念論的に、しか取り扱われなかった(以上の意識の概念に就いては、第六章に詳しい)。
     こういう取り扱い方によれば、意識の問題は、意識そのものを道具としてしか解決出来ない、意識を説明するものは意識自身である。意識は最後のもので最初のものだ、ということになる。――では併し、意識と他の諸存在との関係――意識も亦一種の存在 Bewusstsein であるが――との関係はどうやって与えられるか。意識乃至観念が凡てである(尤もこの場合意識乃至観念の概念は色々に都合好く偽装してではあるが)、では他の諸存在はどうなったか。それこそは観念論者に聞くがいい。
     だが意識は決して、単なる意識としてあるのではなくて、何物かの意識としてしかないのである。或る形の観念論の主張に従って、一切の存在が意識として初めて、意識されることによって初めて、存在出来るというならば、それだけ却って一層、一切の意識は何物かの意識だということにならなければならぬ。併しそうすると、意識はもはや意識として独立するものとしては意味を失うのであって、却って意識は或る意味に於て他の存在に依存せねばならぬということになる。と云うのは、仮に意識を担うと考えられる主体――個人――が転変しようとも、一定の意識を形づくる処の存在そのものは転変しないかも知れず、従ってその意味に於て意識の内容は意識の主体――個人――を超えて一定形態を保つことが出来る、というのである。
     自我とか精神とかいう何か意識の担い手を意識と呼ぶのではなくて――だが哲学では大抵それを意識と考える――、意識現象の一定内容を意識と考えるならば、意識は当然意識以外の存在に依存せねばならぬという必然性が出て来るのである。
     でこういう理由からすれば、別に何の形而上学的範疇*――例えば純粋自我・純粋意識其他に関する処のもの――の手を借りなくても、而もより決定的に、意識の概念は個人――意識の担い手・主体――を超えて理解出来るし、また理解されねばならぬ。こうして得られた意識の概念こそ、本当の――形而上学的範疇を借りない処の――超個人的意識である。従来の哲学に於ける所謂超個人的意識――純粋意識・意識一般・絶体意識・等々――は、なおまだ、超個人的に考えられることを強制された個人的意識に過ぎなかった。

       * 普通、哲学概論式な概念によれば、形而上学的とは「認識論的」又は「現象学的」に対立する。だが吾々によれば、単に存在の意味の解釈を与えることに終始し、従って存在の意味の秩序を以て存在そのものの秩序と思い誤る処の、理論的方法が、形而上学的である。


     併し有力なそして又実際尊重すべき従来の観念論の或るものによれば、意識の概念はすでに略々今云った意味に近い点にまで引き寄せられていないのではない。超個人的意識は歴史的意識として、個人を超越せしめられる。歴史を遍歴する処の理念として、歴史的伝統の主体である精神(例えば客観的精神)として、又歴史的理性として、――人々はヘーゲルやディルタイ等を考えるべきだ――、それは鮮かに個人を超越する。例えばフィヒテに於ける(個人の)経験的意識から純粋自我の超個人的な(?)意識への超越は、決してこのように鮮かではない。と云うのは後者の場合に於ては、その所謂超個人的意識が、個人の意識からの形而上学的な超越の結果であったために、依然として個人的な意識の範疇の外へ出ることが出来なかったが、前者の場合は之と異って、個人的意識が実際に超個人的な意識にまで超越したと、一応は見られねばならぬのである。
     凡ゆる意味に於ける文化、広く理解された学術や芸術、又同じく広い意味での道徳や宗教まで入れて一切の文化は、従来こうした超個人的な意識という範疇によって理解され又取り扱われて来た。歴史主義歴史哲学、又文化哲学文化社会学は、そうした超個人的意識の内容に関する学に外ならない。個人的意識は今や歴史的意識に改変される。

     併し従来の所謂「歴史哲学」――それはドイツ観念論の嫡出子である――は、観念論的歴史観を以て貫かれているのを特色とする、人々はこの点に注目せねばならぬ。だから又そういう「歴史哲学」の根本概念としての歴史的意識も亦、おのずから観念論的に理解されるべき大勢の下に立たざるを得ない。それは併し取りも直さず、個人的意識の範疇によって歴史的意識が理解されねばならぬのが大勢だ、ということに外ならぬ。――だから、歴史的意識は元々個人的意識から超個人的意識への超越のために持出されたものであるにも拘らず、元の個人的意識を本当に超越して了っては結局行き処を持たなくなり、戸まどいせざるを得なくなる。そういう破目に立たされる。
     個人的意識から超個人的意識へのこの歴史哲学的飛躍は、前の形而上学的飛躍と、結局の結果に於ては、大差がない。「歴史哲学」は実際、つまる処歴史の形而上学(或いは又社会の形而上学)にまで行きつくべきものなのであった。
     本当の歴史的意識――超個人的意識のそういう一種の規定――の概論は無論、そのような形而上学的な意識の概念であってはならぬ。それは取りも直さず歴史的な意識の概念でなければなるまい。だが、歴史的ということは同時に又社会的ということでもあるのを忘れてはならないのである。実際「歴史哲学」・歴史主義・「文化哲学」、又「文化社会学」さえが、その歴史の概念を、そして又その社会の概念をさえ、決して充分に社会的規定の下に照らし出してはいない。それであればこそ此等の科学が、要するに「歴史哲学」・歴史主義・「文化哲学」・「文化社会学」等々であって、それ以上のものではあり得なかったのである。
     超個人的意識はだから、今や単に「歴史的意識」ではなくて更に同時に、社会的意識でなければならなくなる。――意識が依存する処の存在、意識を規定する処の存在、それが単に歴史ではなくて更に又社会でなければならなくなったわけである。それは純粋自我とか神性とかいう形而上学的存在ではなく、――又歴史哲学的な――「歴史」というような半形而上学的な存在でさえなくて、正に歴史的社会と呼ばれる存在でなければならなくなった。――歴史的社会が意識を決定する、意識は歴史的社会に依存する、意識は歴史的社会に於ける一つの特殊な存在である。それは社会的意識である、之こそが本当の超個人的意識なのである。

     そう云っても併しまだ規定は根本的には不充分である。社会的意識――この超個人的意識――はもはや全く個人的意識ではないにも拘らず、やはりまだ個人主義的に取り扱われるのが、之までの伝統であるように見える。と云うのは、社会的意識は社会心理学にとっての対象であるが、この社会心理学なるものが、全く個人心理学からの類推か拡大かに帰着するのであって(ル・ボンの『群集心理学』やマクドゥーガルの『社会心理学』を見よ)、結局個人として個人のもつ意識から出発して社会の又は社会人の意識を取り上げようとするものに外ならないからである。だからここでは社会的意識が、まだ殆んど社会自身の契機からは問題とされずに、依然として意識の契機から、即ち又個人的意識の契機からしか取り上げられていない。で意識が、歴史的社会の存在に依存し、夫によって規定されるなどという、折角の超個人的・社会的・意識の特色は、いつの間にか話題の外に逐放されて了っている。在るものは独立な意識という存在であって(但しそれが社会意識と形容されるのではあるが)、社会などは実は問題でさえないのである。――処でそういうものが取りも直さず観念論ではなかったか。
     さてそこで今や吾々は、超個人的意識・歴史的意識・社会的意識――そして之等のものが心理学的な術語としての意識に較べて意識という常識概念に却ってより忠実なのである――が、これまで述べてきたような観念論型の体系によっては、充分に把握出来ないということを見透すことが出来る。――意識の問題は、その提出の仕方を全く新しくされねばならぬ。
     意識の問題は実は、それが意識という常識概念にも相応するためには、直接に頭初から、意識の問題自身としてでは却って解くことが出来ない。観念論的乃至個人主義的な出発によっては解くことが出来ない。意識の問題は却って、もはや一応は意識でないものの問題として、歴史的社会自身の問題に従属することによって、初めて正当に解決への軌道に上ることが出来る。

       

     歴史的社会に就いての観念論に対して、だから吾々は、歴史的社会に就いての唯物論を、史的唯物論乃至唯物史観を、対立せしめねばならぬ。唯物史観は決して、ブルジョア・アカデミーなどに取っての議論や批判の対象となるために生れて来たものではなく、プロレタリア階級の生存闘争の武器として発達して来たものであるから、学位論文式な観点から之を弄ぶことは全く無意味であるだけに、それだけ実質的な生きた観点から把握しておくことが何時でも必要なのであるが、今は唯物史観の一般的な叙述は省こう*。必要なのは唯物史観による社会と意識――超個人的・歴史的・社会的意識――との関係である。

       * 唯物史観の輪郭に就いては拙稿「唯物史観とマルクス主義社会学」(岩波文庫・『教育科学』〔本全集第三巻所収「社会科学論」〕)で取り扱った。


     マルクスが、『経済学批判』の序文に於けるかの唯物史観の公式で、最も簡単に示している通り、物質的生産力による生産諸関係――それを人々は経済関係とも社会関係とも名づける――が、歴史的社会の全構築物(技術・経済・政治・法制・諸文化・諸観念を含んだ)に於て、終局の決定要因をなしている。この全構築物に於ける一切の作用の交互関係は、この一方向きの規定関係によって、初めて統一的に組織的に秩序立てられることが出来る、と云うのである。さてこの社会に於ける生産諸関係が決定要因となって、この決定要因によって決定されるものを唯物史観乃至マルクス主義は広くイデオロギーと呼ぶ。蓋し社会の全構築の基底をなすもの――下部構造――が生産諸関係であり、それの上に依って立つ構築物――上部構造――がイデオロギーだ、と一般的にまず規定しておいてよい。
     処で社会の全構築に於て、今基底にあると云ったものは、単にマルクス主義に依ってばかりではなく、何かの意味で物質的なものと考えられているだろう。仮に之までをもなお心的観念的意識的なものと考えてみても、この下部構造と上部構造とを区別するものとして、この下部構造に於ける意識(一般的に之を代表者として)の物質的特色を指摘しなくてはなるまい。例えば衝動や本能(M・シェーラーやマクドゥーガル)は、これに基く精神的なものに対して、物質的と考えられている。――で下部構造がそうだとすれば、上部構造は、何か心的・観念的な性質によって特色づけられるのが当然である。だから人々は、この上部構造を捉えて、社会の「精神史」を描いたり、「文化史」や「文明史」を書こうとするのである。こうした云わば社会的なる精神、社会的人間の意欲の所産、この上部構造としてのイデオロギー、之は取りも直さずかの社会的意識を云い表わすに最も適切で普遍的な概念でなければならぬ。
     イデオロギーの概念がマルクス主義によって見出されたために初めて、意識の問題は、生きた具体的な歴史的規定の下に、提出されることが出来る。――だがイデオロギーの概念はこう云っただけではまだ決して明らかではない。

     イデオロギーと云う言葉は可なり不思議な意味の変遷を嘗めて今日に至っている。この言葉が、デステュット・ド・トラシやカバニスが哲学の本領として提唱した観念学(ideologie)の名から始まったことは能く知られている。――この人達(イデオローグ)の思想によれば、凡ゆる哲学的諸問題は、観念(乃至意識)の研究を基礎として解答されなければならない。まず観念がその起源・発生に就いて、感覚論的に、従ってその限りは唯物論的に(何故なら例えば感覚論者エルヴェシウスはフランス唯物論者の先駆者であるから)、取り扱われねばならないのである。処がこのイデオロジーの哲学史上の役割は、恰も、コンディヤックの感覚主義をば或る意味では之と全く反対の極に立っているメヌ・ド・ビランの主意的観念論――直覚主義――にまで媒介する契機に相当していなければならなかったから、本来或る意味で唯物論的な――尤もフランス風の機械論的唯物論にぞくするのであるが――出発を有っていたこのイデオロジーも、おのずからその特色を変更せざるを得なくなってきた。メヌ・ド・ビランは人間学の歴史に於ける最も重大な結節点の一つであり、人間の内面的・内部的・条件を取り扱かうことを主眼としたが、こうした内部的人間学が、その思想の連りを今云ったイデオローグから引いていたことを忘れてはならぬ。
     イデオロジーはだから云わばフランス唯物論とフランス観念論――例えば所謂モーラリスト(之はモンテーニュから始まる)の如き――との中間に位する(実はすでにデカルトに於てそうであったのであるが)。之は十八世紀のフランス唯物論を標準にして云えば、その副産物又は副作用と考えられるだろう。吾々はこれを「フランス・イデオロギー」と呼ぶことが出来る。
     併しイデオロジーは、それが問題の出発点を――従ってその到着点をも――観念(乃至意識)の研究に限定して了ったから、その解決は、当然或る意味に於て観念的とならざるを得なかったのは、自然の勢だろう。ここではもはや事物は現実的な・着実な・説明を期待することが出来なくなる。それは一歩誤れば空疎な言説・科学上の徒らな大言壮語・に堕ちて行く。ナポレオンがド・トラシを指して「イデオローグの巨頭」と呼んだことは有名だが、それは恐らくこの意味に於てであったろう。こうなればイデオロジー(イデオロギー)という言葉はすでに嘲笑と非難とをしか意味しない。――そこでマルクスは、恐らくこの「フランス・イデオロギー」に対比して、ドイツの唯物論者達の観念性を指摘するために、その『ドイツ・イデオロギー』(Die Deutsche Ideologie)を書いた。十八世紀のフランス唯物論の副作用がフランスのイデオロジーであったと同じく、十九世紀のドイツ唯物論がドイツ・イデオロギーという副作用を持ったというわけである。
     無論こういう云わば綽名としての言辞は、それだけでは科学的な概念にはなれない。だがイデオロギーという言葉が、その本来の真面目な意味内容が何かあった又あるにも拘らず、同時にかかるアイロニーでもあるが、実はこの概念の根本的な実質内容を暗示している。イデオロギーは唯物史観によれば、社会の上部構造――意識――であると共に又虚偽意識なのである。この場合それは利害好悪によって歪曲された意識を云い表わす。
     で上部構造――広義の意識――としてのイデオロギーをもう少し分析しよう。この意識――超個人的・歴史的・社会的・意識――は併し、歴史的社会によって規定された限りの意識であった。と云うのは、仮に意識というものがあってそれが歴史的社会という存在によって限定されたとして、イデオロギーとしての意識はこうした限定を受けない前の意識を意味するのではない、そうではなくてこうした限定を受けた後の意識を意味するのである。処が意識という存在は歴史的社会とは一応別な存在であるから、その限り一応の自主性を有つので、一応は逆に自分が歴史的社会を限定すると考えられ得ねばならぬ。実際、吾々が歴史を造り社会を変革し得るのである。それにも拘らず、終局に於ては意識が歴史的社会によって限定される、そのことはすでに述べた。では一応は意識も亦歴史的社会を規定することと終局に於ては歴史的社会だけが意識を規定することと、どこで異るのか、一応終局に於てとの区別は何か。それはこうである。単独な個々の場合々々に就いて云えばその場その場限りでは意識も亦歴史的社会を決定する(同時に歴史的社会が意識を決定することは云うまでもない)、一応の場合々々はそうなのである、だが意識活動の多数の場合が一群となって統一的に組織的に一定形態を与えられるためには、逆に歴史的社会が意識を決定する外に道はない、それが終局に於ける場合だというのである。
     意識としてのイデオロギーはそれ故、もはや単なる意識ではなくて、一定形態の下に歴史的社会によって決定された限りの意識――そして之こそ意識の内容ある内容なのだが――、意識形態(乃至観念形態)でなければならない。で、意識の概念はイデーの概念ではなくてイデーの諸形態・イデオロギーの概念となる、意識の問題がイデーの問題としてではなく、正にイデオロギーの問題として提出されねばならなかった所以はここにある。
     意識形態としての社会上部構造・イデオロギーは併し、単純ではない。夫は諸段階に区別される必要がある。イデオロギーの第一の段階は与えられた経済的地盤の上に生じる政治的秩序であり、第二の段階は、直接には同じく経済的地盤から、間接にはこの第一段階の政治的秩序の全体から、制約される処の社会人の心理である、そして最後に第三段階は、この心理の諸特徴を反映する諸観念形態――狭義の――だと考えられる。或いはもっと要約して云えば、政治秩序(第一)と観念文化形態(第二・第三)とに分たれる。
     だがイデオロギーは、こうした社会的上部構造一般を意味するばかりではなく、同じく政治的乃至文化的イデオロギーの間に於ても、諸イデオロギーにそれぞれの内容を入れて考える時、――そしてそのように内容を入れて考えなければ如何なる概念も形式主義的にしか把握されない――、夫々のイデオロギーが他のイデオロギーから自らを区別する処の対立的特色自身を云い表わさねばならない。と云うのは、イデオロギーAがイデオロギーBと異る点に於て、初めてAとBとは、内容的にイデオロギーの資格を得る。イデオロギーという概念は単に一定の(イデオロギーと呼ばれる)現象を総括して命名するだけの言葉ではなくて、そうすることによって同時に、この現象内の個々の場合の区別をも云い表わす処のものでなければならない。丁度個人という概念が人間一般を指し示すばかりではなく、それによって個人と個人との区別をも意味するように。
     それ故イデオロギーは、単に社会上部構造の諸段階によって区別されるばかりでなく、それぞれの段階のイデオロギーの対立を同時に指し示さねばならぬ。――イデオロギーは実際、社会上部構造が歴史的に経て来たイデオロギーの諸形態を意味し、従って又それぞれの時代に於ける社会で対立している諸形態のイデオロギーを意味する。イデオロギーはこの意味に於て、イデオロギー一般であると共に、又イデオロギー形態ででもなくてはならない。
     上部構造一般としての、即ちイデオロギー一般としての、イデオロギーは、歴史的社会の何時の時期にも必ず意味を有つ存在でなければなるまい、意識を有たない社会は存在し得ないからである。だがイデオロギー形態としてのイデオロギーは、或る一定の社会条件の下では対立物として対立しないと考えられるならば、その時にはもはや意味のない概念となるだろう。一種類しかイデオロギーのあり得ない――そうした理想的な――社会に於ては、イデオロギーの諸形態という概念は意味を失って了う。――で、イデオロギーとは、イデオロギーという一つのものが、幾つかの対立物に分裂し、そして又その対立が一つのものにまで解消することを理想とする、そういう弁証法的な概念である。ここにイデオロギー概念の一切の諸特性が潜んでいる。

     唯物史観によれば社会の下部構造――生産諸関係――は経済的搾取関係によって特色づけられる。要するに余剰価値乃至利潤の追求がこの下部構造を規定する。だからこの経済的関係と直接に結合している社会的(その限り又政治的)関係としては、社会階級の対立が結果する。その意味に於て社会の下部構造は初めから階級対立によって特色づけられていたわけである。そこで、こうした下部構造の上に――直接に又間接に――立つ筈であった社会上部構造(イデオロギー・イデオロギー形態)は、階級性によって性格づけられざるを得ない。イデオロギーは今や実は階級イデオロギー――階級的世界観階級意識である。イデオロギー諸形態の対立は、階級性による対立だったのである*。

       * 実際殆んど凡ての場合イデオロギーとは政治的な概念である。それは革命の意識と関係づけられて理解される場合が多い。


     無論イデオロギーという概念を人々は勝手に都合の好いように規定することは出来る。例えば生物学的本能に動機されて一定形態の観念を持つ時、その観念はイデオロギーと呼ばれることも出来る。そういう可能性はそして無論決してそのものとして誤りではあり得ない、可能性とは誤りでないということの証拠であろう。だが誤っている点は、イデオロギーをこういう風に規定することが、全く部分的な見解でしかないということを知らない点である。イデオロギーの概念を統一的に組織的に把握するものは唯物史観の外にはないが、その唯物史観によれば、イデオロギーとは終局に於て階級イデオロギーの外ではないのである。色々のイデオロギーがあるのではない、そしてその内の一つのものが階級のイデオロギーなのではない、凡てのイデオロギーが階級イデオロギーに帰着しなければならない、と云うのである。
     階級は併し社会の全体ではない、それは社会の部分にすぎない(但し大事なことは夫が社会に於ける単なる部分ではなくて対立的な部分だということなのだが)、そうすれば階級イデオロギーは、即ち又イデオロギーは、社会全体を代表する観念ではなくてその一部分をしか代表しない観念となるだろう。一応そうである。でそうすればイデオロギーは決して社会全体に対して通用出来ないもので、夫は自分が代表する一つの階級にしか通用しない、ということになりそうである。それは階級の利害――併しそれは要するに個人主観の利害である――に動機される処の階級的偏見でしかない、夫は階級の主観性から来る虚偽意識に外ならぬ、人々はよくそう云うのである。――だが無条件にそうなのではない、或る場合には、そうであるが、他の場合にはその正反対でさえある、ということを今注意しよう。
     階級は社会の単なる部分ではなくて、対立的な部分である。二つの階級が並立していて、之を総括するものが社会だと考えてはならぬ(社会学者はそういう風にしか考えないかも知れないが)。二つの階級が対立していて、この対立物の張り合いが――現在の――社会の内容をなしているのである。だから二つの階級を精々「公平」に較べて見ると、夫々が全体社会を代表し又は夫にとって変ろうと欲している。二つの部分が夫々全体であることを要求する。ブルジョアジーは社会全体がブルジョア社会に止まることを欲するし、プロレタリアは社会全体がプロレタリアの独裁下に立つことを要求する、であればこそ初めて、二つの階級は対立するのである。袋の中の二つの球は――仮に衝突したり摩擦し合ったりしても――まだそれだけでは対立してはいない、単に並存しているに過ぎない。
     「公平」に観てもそうなのであるが、実在は決して道徳的俗物の欲するように公平ではない。存在は傾向を、運動方向を、必然的な勢を、有ってしか存在でない。で二つの階級の存在も亦決して「公平」に考えられてはならぬ。抑々社会の運動の必然的傾向・必然的方向を発見すること自身が、唯物史観の目的であった。そしてその為に階級という範疇が必要となったのである。唯物史観は決して「公平」な理論ではない。――で、唯物史観によれば、階級社会はプロレタリアの階級が、ブルジョアジーの階級と対立することを通じて之を克服することによって、初めて真に社会としての社会に――階級なき社会に――まで進歩することが出来る。二つの階級の夫々の歴史的役割はだからすでに明らかではないか。
     プロレタリアの階級は進歩的な階級である、と云うのは、この階級がブルジョアジーの階級に対して歴史的優位を持つというのである。
     だがこの階級の歴史的優位はそれだけでは今の場合まだ何物でもない。階級のこの歴史的優位が階級イデオロギーイデオロギー的優位として現われない限り、今の場合の問題にはならない。処で実際この階級の歴史的優位は、この階級の――主観的な――利害の追求が終局に於て社会自体の――客観的な――利害に一致すると云うこと、それが自己の実践及び観念客観的可能性と一致すること、によって示される。だからこの階級の階級イデオロギーは又、この階級の――主観的な――利害に相応することによって又社会自体の――客観的な――利害に一致し得ることがその特色となる。主観的な意欲が客観的な条件を充たすのである。だがそういうことが取りも直さず、真理ということではないか。之がこの階級のイデオロギーのイデオロギー的優位である。それはもはや階級的偏見や階級の主観性から来る虚偽意識などではない、却って正に之こそが、生きた真理意識なのである。
     イデオロギーが虚偽意識となるか真理意識となるか、主観的偏見であるか客観的な洞察であるかは、全く、それが如何なる階級のイデオロギーであるかから決定されて来る。歴史的社会の範疇である階級が、意識の論理的範疇である真理・虚偽の決定者だったのである。――歴史的社会的存在論理を決定する*。

       * 私はこのただ一つの一般的な命題を証明するために『イデオロギーの論理学』(鉄塔書院)〔本巻所収〕を書いた。


     一方の階級イデオロギーに立てば――主観的及び客観的利害の意識を通じてさえ――真理が発見されるのであり、之に反して他方の階級のイデオロギーに立てば真理は――主観的利害の意識などに妨げられて――蔽い匿されて了う。真理と虚偽との中から真理を選択させるものが、プロレタリアの階級意識なのである。階級性真理を選ばせる。――だが、そうは云っても階級性そのものが真理を成り立たせるのではない、客観的真理は主観的な階級性を超越して通用しなければならない。尤もそう云っても、単純に機械的に、真理は客観的でなければならず之に反して階級は主観的に過ぎないなどと、考えることは許されない。問題は、主観的な階級が或る場合何故客観性を有つことが出来又有たねばならぬかということの、具体的な弁証法的な理解にあるのである(例えば自然弁証法に於て、自然の客観性と階級の主観性とを無媒介に対立させて、之かあれかを問うことなどは、独りよがりな饒舌家がしそうなことである)。
     (プロレタリア)イデオロギーの――主観的な――階級性が論理上の客観性を持ち得また持たねばならぬということは、社会の持つ歴史的必然性からの直接な結果に外ならない。歴史的社会がその内的必然性によって是非ともかくかくに運動せねばならぬという関係それ自体の構造が、実はやがて真理というものの構造に外ならない。歴史的社会にこの歴史的必然性があるからこそ、それは自然史的に分析されることも出来る。所謂「歴史的必然性」とは、一種の自然必然性に外ならない。
     でイデオロギーの真理性は、歴史的社会の――一般的に云えば併し自然の――必然的運動機構の、反映だったのである。この反映を実現する手段として、階級が、階級性が、横たわる。云うまでもなく、この階級乃至階級性の媒介過程は、イデオロギーが歴史的社会に就いての意識であるか、それともより根源的な所謂自然に就いての意識であるかによって、その段階を異にする。自然科学のイデオロギー性に於ける階級性は、社会科学の夫に較べて、著しく低い段階に位置する。だがそうであるからと云って、自然科学のイデオロギー性乃至階級性を苟にも無視して良いと考えるものがいるとしたら、それは知らず知らずに、自然自体に対する――例えば夫と社会との連関というような点に就いての――弁証法的理解を怠った者だと云わねばならぬ。
     かくてイデオロギーは、単に社会の上部構造という社会的な存在であるばかりではなく、それが夫々の一定の形態物――観念形態――であることから、論理的な価値物とならねばならない。意識の問題は吾々によればイデオロギーの問題であったが、そうであることによって意識の問題――意識という存在の問題――は所謂価値の問題にまで成長するのである。
     所謂価値は吾々のイデオロギーの概念によって初めて、その誕生の不思議なカラクリを示される。所謂「価値論」によれば、価値は存在とは完全に別である、それは存在からは発生しない。だがそうすれば一体価値はどこから生れるのであるか、空から天降ってでも来るのであるか。こうした困難を恰も弁証法的に解決するものがイデオロギーの概念である。イデオロギーは一つの存在物である、だがそれ故にこそ夫は一つの価値物となる、夫は真理或いは虚偽を云い表わすのである*。

       * イデオロギーをば、歴史の運動に取り残された意識と考えることは、一般に行われる処であるが、意味のあることだ。なぜなら之は、イデオロギーが何故虚偽意識となるかということの一つの説明を与えるからである。イデオロギーとは要するにに歴史的存在に追いつけない意識だから虚偽だという主張なのである(歴史的存在を追い越して了った意識は之に反してユートピアと考えられる)。――だが、之では真理意識としてのイデオロギーは理解するに由がない。イデオロギーの価値的規定は単に歴史の時間的なメカニズムだけからは与えられない、社会の云わば空間的な――階段による――メカニズムを用いなければならない理由が茲でも明らかだろう。


     単なる意識は高々存在(自然・歴史的社会)の単なる反映を云い表わす概念である。イデオロギーは、意識形態は、之に反して存在の反映を具体的に叙述する処の概念である。イデオロギーは存在から出発し、存在から分離し、或いは存在から分裂し、そして終局に於て又存在に一致するという、観念乃至意識の、必然的な運命を物語る概念なのである。所謂「意識の問題」――諸形式の観念論・ブルジョア哲学の根本問題――は処が、こうした形の問題を提出することが出来ない、「イデオロギーの問題」が初めて意識の問題をば、解き得る公式にまで造り変えるのである。

     
    第二章 イデオロギー論の課題

       

     イデオロギーは、相対立する二つの規定を有っている。一方に於て夫は意識であるが、他方意識は単に意識ではなくて一つの歴史的社会的存在でもなくてはならない。そこで吾々は仮に、イデオロギー論の二つの――対立する――課題として、イデオロギーの心理学(この言葉を可なり自由に用いるとして)と呼んでおいて好いものと、イデオロギーの社会学(この言葉も亦便宜上広めて使うことにして)と呼んでおいて好いものとを、対立させて見なければならない。但しここで心理学と云い社会学と云うのが、普通そう呼ばれているものから、どれ程異っていなければならないか、夫こそ今から見ようとする点なのである。
     普通、心理学者達は意識を論理学から独立に取り扱うことが出来ると考える。或いは逆に云えば論理学は意識の分析とは独立に成り立つと仮定している。無論論理学者自身も亦この仮定で満足しているのが多くの場合である。論理学は高々、意識を極めて一部分にしか過ぎない表象、又は思考、に関する心理学的考察と関係を有つに過ぎないかのように考えられる。もし論理学乃至論理と呼ばれるものが、かの形式論理――学校論理――の外へ出ないものならば、なる程このことは本当だろう。論理の形式だけが論理学にぞくする、論理の内容は、そして論理の内容はもはや論理ではなくもっと具体的な意識内容――感情とか意志とか――であるが、この意識内容は、心理学にぞくする、ということになりそうである。
     併しこういう仮定、心理論理との独立という意識的又は無意識的な仮定は、心理学をも論理学をも、極めて滑稽な姿のものに導くだろう。心理学はもはや心理の論理的機能に対して全く手を下すことが出来なくなり、同時に又論理学は心理の論理的機能とは何も必然的関係のないものに就いて語らねばならなくなる。例えば形式論理学の教科書に於てのように、表象や観念や概念や範疇に就いて、その心理学的規定は全く無用なものとなって了うから、単に之を義務的に初めに掲げておいて、後から木に竹を継いだように之に、論理学的規定を付け加える外はなくなる。少くとも論理は意識・心理の一つの機能である、それは日常的な観念把握によれば明らかな事態である。処がこうした論理学と心理学とによれば、こういう常識的な大事な仮定が無視されて了う。論理学的なものは心理学的なものであってはならぬ、所謂論理主義はそう主張する、だが論理主義者が非難する心理主義者――その代表者は当然第一に多くの心理学者である――自身も亦、この主張を実は裏書きしている場合が多い。
     意識は心理学的諸仮説――心的要素・感覚其他――とは独立に、一つの統一的な存在である。そうでなければそれは意識として存在出来ず、又意識としての資格を保つことが出来ない。人々は之をだから「意識の統一」、「意識の流れ」、「意識の志向作用」、等々として指摘するのを怠らないのである。意識は常に意味を持つ処の、意味する処の、意識でしかない。意識はだから、云わば何か平面なようなものではなくて立体によって類推されるべきものだろう、例えば円錐とか波とかが之である。だが意識のこの立体性・統一性を成り立たせる構造は何であるか。意識の要素的諸部分の間の相互関係にしか過ぎない処の所謂「意識の構造」が何かと云うのではない、意識が一個の意識統一としてなり立つ所以のものは何か。吾々は夫を、最も広範に、併し最も正当に、外でもない一般的に論理と名づけるべきだと考える。意識の論理的機能によって初めて、意識は意識として、心理の機能を果すのである。
     だがこういうと、論理と心理とを絶対的に区別しなければならないと仮定している処の、例の心理学者や論理学者は、云うだろう。なぜ一体そういうものを論理と呼ぶことが出来るのか、なぜ又それを論理と呼ばねばならなくて他の名で呼んではならないか、と。併し、何故人々は論理学の教科書で教えるものだけを論理と考えねばならないのか。優れた芸術家に於ては、感覚(センス)――感情――はそれ自身の内部的な形成力によって必然的な一義的な作用連関の構造を張るのだし、政治的実践家の優れた者は、意志活動の無限な諸作用の内に、同じく一義的で必然的な連関を見出すのである。この連関が例えば数学的直観に於てのように一義的で必然的であるという事実は、理論的な諸作用の連関の場合と、少しも異るものではない。こうした構造形成力の必然性が吾々の謂う論理である。――もし意識を知情意に三分するのが便宜だとすれば、単に知識ばかりではなく、感情や意志も亦それぞれの形態の論理によって初めて感情や意志として機能することが出来る。ただ知識は、理論は、この論理を特に――概念的なものとして――自覚出来るが故に、特に特徴的に論理的・概念的だと考えられるに過ぎない。所謂論理――知識や思惟や理論に於ける論理――は、生きた本当の、而も日常吾々が夫を使って生きている、論理の特殊な一現象形態に外ならない。――論理とは外でもない意識の骨髄であり精髄なのである。
     (論理は併し単に意識の骨髄・精髄であるばかりではない、そうあることは実は更に根本的には、論理が存在の必然的な構造に外ならないことの一つの結果に過ぎないのである――後を見よ。)
     実際、心ある心理学者乃至論理学者其他によって、論理と感情乃至意志との関係は、可なり重大な注意を払われている。T・リボーが論理の内に於ける感情の役割を見出した(『感情の論理』)ことや、G・タルドが論理の内の意欲の作用を指摘したこと(『社会的論理』)は、その代表的なものであるが、P・ラピーやT・リップスの仕事も見遁すことが出来ない*。H・ロッツェが元来情意の対象と考えられていた価値を、論理的判断――論理的価値判断――の対象と見たことも今云った点から注意されねばならぬ。――かくて、これ等の人々によれば、ともかくも論理は単なる――理論的なものに限られた――論理ではなくて、感情の・意欲の・論理にまで、即ち一般に意識のかの三つの部面の全体を支配する処の論理にまでも、普遍化される。

       * P. Lapie, Logique de la volonte 及び Th. Lipps, Fuhlen, Wollen und Denken を参照せよ。なおG・ル・ボンの諸著述は集団意識の論理を取扱っている(例えば Les Opinions et les Croyances)。――だが何よりも有名なのはヘーゲルの所謂「思惟」――吾々は之を論理と解釈して好いのだ――である。彼によれば一切の意識内容は思惟によって貫かれている。処が人々はヘーゲルのこの考え抜かれた思想を、往々浅墓な意味に於ける没論理主義として片づけるのである。


     少くとも意識は、以上のように考えられるのでなければ、統一ある立体的な構造物として理解されることが出来ない。そしてこういう立体性を与えるものは、広義のそして又根本的な意味に於ける論理だったのである。論理の方から云っても亦、少くとも以上のように考えられなければ、内容のない形式論理学の埒外へ一歩も出ることが出来ないだろう。――イデオロギーの心理学とは、だから外でもない、イデオロギーの論理学を中心として帰趨するものである。だが夫がもはや単に心理学に止まることが出来ずに論理学でなければならない理由は、寧ろこれから後に出て来る。それはこうである。
     意識は――前に述べておいたように――存在に就ての意識でしかなかった、意識内容は存在の反映なのであった。処が存在の構造を吾々は、最も一般的に――先に述べたよりも更に一般的に――論理と呼ばねばならない理由がある。それは今述べよう。仮にそうとすれば意識の統一・立体性を与えるものが論理でなければならないということは、実は極めて当然なことではなかったろうか。存在の――必然的な――構造としての論理が、意識の構成力としての論理となって、反映するに過ぎないのである。
     では存在の必然的な構造が何故論理であるか。存在としての存在・存在それ自体・の構造は、それだけでは無論何も論理と呼ばれる理由はない、ただ夫が意識にまで反映される場合を予想し、或いはそれが意識にまで反映された結果から溯源して、初めて夫が論理として特色づけられる理由が出て来るのである。今は存在としての存在・存在それ自体・は問題ではなく、一般に存在の反映と考えられるイデオロギー――意識――が問題であったから、その限り存在は常に意識にまで反映され得る限りの存在として初めて問題となるのであるが、そうやって問題になる存在の必然的な構造が、取りも直さず常に論理として特色づけられる、と云うのである。で、存在の必然的な構造としてのこの論理が、意識の立体的な構成力の論理となって反映すればよいのである。――蓋し論理とは、存在と意識とを媒介する機能である、論理の媒介機能なくして存在の意識への反映はあり得ない。
     存在の構造は論理という機関によって初めて、意識の立体的な構築として反映する、意識――イデオロギー――はそれ故に、意識形態であらざるを得なかったのである。存在の構造は論理の機能によって、意識の形態にまで媒介・転化せしめられる。意識は元来、それ自身で独立な存在ではあり得なかった。それは終局に於て他の存在――意識と対立して考えられた存在――に依存するのであった。意識の精髄としての論理が、単に意識の限界に止まることが出来ず、意識を超えて、意識を存在にまで依存せしめる処のものとならねばならぬとすれば、それはだから至極当然ではなかった。――かくて吾々はイデオロギーの心理学を、イデオロギーの論理学にまで立体化する必要があったのである。

     イデオロギーは併し、存在の単なる直接な反映ではない、単なる存在――夫は自然によって代表される――が、歴史的社会的存在(かまち)を通って反映されて初めて、イデオロギーはイデオロギーの資格を得る筈であった。意識の形態を――存在から取って来て――与えるものが論理だと云ったが、具体的に云えば、この形態は実は、イデオロギーが反映しようとする対象の構造をば歴史的社会的存在の構造を通過させることによって、初めて形づくられるのであった。――それで論理も亦、この形態の具体性に対応して、具体性を有って来なければならぬ。論理は具体的な形態性を有って来なければならぬ。その形態がまず第一に範疇なのである。
     普通、範疇は根本概念を意味する。だがその際、論理という概念が意識全般を支配する骨髄として理解されねばならなかったと同じく、概念という概念も亦、観念の凡てに渡る骨髄として理解されなければならぬ。人々はよく、芸術や信仰に就いて、概念的なものを排斥せねばならぬ、というようなことを口にする。例えば芸術的感覚概念的なるものの正反対だと考える。併し概念という言葉をそういう風に使うことは全く俗物的な習慣からに過ぎないのであって(概略の観念という如き)、概念という言葉はもっと立ち入った基本的な意味の下に用いられることを必要とする。概念とは、形式論理学による学校式な定義とは一応無関係に、ヘーゲルに従って、把握の仕方一般を指さねばならない。芸術的感覚も亦そういう把握の仕方の一つに外ならない。そして人々の云う所謂概念的なるものは、理論的な把握の仕方のことを恐らく指すのであろう。だが実際には、理論的な把握さえが、人々の云うような意味では単に概念的ではないのだが。
     そこで範疇は、こういう――基本的な意味での――概念の、根本的な場合を指すべきである。尤も、アリストテレスによれば範疇は言表の類型であり、カントによれば夫は認識形成の形式であるに止まっているが、之は範疇の至極部分的な示し方にしか過ぎない。元来範疇はこれ等の人々が考えたように、社会的に又は先天的に、与えられているだけのものではない、範疇は社会的に発生するものなのである。と云うのは、仮に範疇をばこれ等の人々がするように、言葉によって云い表わされた(根本)概念だとすれば、それよりも先に言葉で云い表わされたこういう(根本)概念を産まねばならなかった処の(根本)観念が、すでに範疇の性格を持っていなくてはならないのである。範疇は、自らを範疇にまで生成する過程――歴史的社会に於ける――そのものによって初めて範疇であることが出来る。それでこそ初めて、範疇は論理の形態的構成力の因子となれるのである。
     イデオロギーの形態的構成力の因子としての範疇は云わばその発生学を有っている。範疇は存在を把握すべきであるにも拘らず、即ちその限り対象となる存在から発生するにも拘らず、なお社会的――経済的・政治的・又宗教的――発生条件によって限定される。だから同じ存在に就いても、どういう範疇が用いられるかは、具体的には、どういう社会条件の下にその存在が明るみへ出されているかに関わって来る。その限り範疇は全く社会の所産なのである*。

       * 範疇のこの――なおまだ一般的である処の――規定を指摘したのはデュルケムである。だが之だけでも範疇が少くとも社会の異るに従って別であることが出来るということを明らかにするには充分だろう。レヴィ・ブリュールも亦原始的社会――そういう社会条件――に於ける諸根本観念――諸範疇――が如何に吾々の世界のものと異るかを実証する。


     範疇の発生学は同時に又範疇の系譜学でなければならぬ、と云うのは、範疇はその社会的発生によって、その歴史的系統に従って成長しなければならないのである。ギリシア人の社会はギリシア的神話を産み、それがギリシア的世界観哲学として統一を有つためにはギリシア哲学的諸範疇を有たねばならないが、それは交通手段の乏しかった古代に於ては云うまでもなく、例えば印度哲学的(バラモンの又は仏教の)或いは支那哲学的(儒教の又は易の)諸範疇とは無縁であらざるを得なかった。処がこれ等の範疇の諸系統は今日に至るまで、夫々の系統として殆んど独立に伝承されているのが事実である。今日に至ってもまだ、欧州哲学的諸範疇――それはギリシア哲学的範疇の系統的発展であって今日の吾々にとって唯一の技術的・自然科学的・社会科学的・範疇である――は、東洋哲学的諸範疇と決して共軛化されていない、まして二つのものの一致は望むことが出来ない。なぜなら欧州哲学的範疇は現代の――文化民族による――社会全般の生きた機関(オルガノン)であるに反して、東洋哲学的範疇はすでにその成長を止めて、単に古典的な範疇として古典学的な意味をしか有っていないからである*。

       * ギリシア的乃至欧洲的思想は無論古来東邦的・印度的・思想と交流している。文芸美術に就いてはこの点は特に著しい(例えばガンダハーラ芸術)。――又数学に於てのような抽象的な(非日常的な)範疇は、割合非歴史的であるだけに、発生系統と無関係に、相互の間の一致を持つことも出来る(例えばニュートンと関孝和)。――だが問題は今(日常的な)哲学的範疇に就いてである。


     範疇の異った諸系統の間には、現在吾々が見ているように、こうした自然淘汰が行われている、之が哲学的諸範疇系統の歴史的運命・必然性なのである。この歴史的必然性を、無意識にか故意にか無視することによって人々は、東洋哲学的諸範疇――例えば国学的・朱子学的・陽明学的・仏教的・等々――を欧洲哲学的諸範疇に取って代わらせたり、後者を前者に強制的にあてはめたりすることが出来る。社会組織の問題が国学によって決定されたり、弁証法が完全に華厳経にあったり何かするのである。
     社会的発生学と歴史的系譜学とを有つ(イデオロギーに於ける)哲学範疇――だが夫は実はすでに範疇体系である――は、唯物史観によって、更に階級性の別を与えられる。欧洲哲学的範疇は同時に現代に於ける東洋にも通用せねばならぬ処の範疇である。吾々はこの範疇体系を日常選択することによってのみ、電車を動かし、ラジオを聴き、経済生活をなし、政治生活をなす。なぜならこの範疇は科学的範疇に一続きなのがその特色だからである。処が人々は、或る階級イデオロギーを組織するために、是非とも、例えば国民道徳というような一定の領域に限って、特に東洋哲学的な――それは結局国粋的な――範疇体系を選ばねばならぬ。そうなると、今までは単に歴史的な反動でしかなかったこの範疇選択は、実は階級的反動――ファシズムが今日之を代表する――であったことが暴露されて来る。――だが反動理論は必ずしもこのような拙劣な形でばかり現われるのではない。同じく――一応進歩的な――欧洲哲学的範疇体系を採りながら、反動理論は形式論理的な範疇体系を選択することによって、弁証法的論理の範疇体系を拒否することが出来る。丁度社会ファシズムや社会民主主義の理論に於てのように。
     かくてイデオロギーの論理学――夫はイデオロギーの心理学の到着点であった――は、イデオロギーの範疇論となって具体化される。吾々は一般に論理学に於ける所謂「範疇論」を、こういうものにまで改造しなければならないだろう。
     イデオロギー論は、その範疇論に立脚することによってイデオロギー――意識・政治秩序・文化――に対する基本的な(但し後に見る通りまだ全部ではないが)論理的批判――之が同時に歴史的批判である――を与えることが出来る。一体論理の構造や従って又科学の構成は結局範疇体系が適宜に具体化されたものに過ぎない。そうしてこうした論理や科学と範疇体系の上で共軛関係にある処の他の一切の文化――芸術・道徳・宗教其他――も亦、その限り範疇体系によって初めて組織が与えられるのである。イデオロギーは単なる意識乃至意識(観念)形態ではない、論理的価値歴史的価値を負った夫なのである。だからこそそれは客観的な文化形態ともなることが出来るわけである。――イデオロギーの論理学なしには、何の有効なイデオロギー論もないのだが、それに必要なものがイデオロギー論的な範疇論なのである。
     イデオロギーを意識形態だとすれば、イデオロギーの心理学はかくて論理学に集約されて初めて成り立つことが出来る。社会心理と呼ばれるものや個人心理なるものは、云うまでもなく一応心理的に問題として取り上げられねばならないが、それがイデオロギーの資格を以て登場するためには、この心理学が更にイデオロギーの論理学にまで高められねばならぬ。そうしなければ意識形態文化形態とは決して媒介されずに終らねばならないだろう(第六章を見よ)。こうして一切の意識内容や文化形象は、イデオロギーの論理的範疇論によって処理されるのである*。

       * イデオロギーの論理学乃至範疇論は、意識や文化の心理学的・社会学的・研究を決して除外するものではない。却って之こそがイデオロギー論の肉付けとなるものである。同様に、併し更に重大なことは、イデオロギーの論理学乃至範疇論が、イデオロギーの歴史的記述を除外する処ではなく、却ってそれ自身、具体的な内容から云えば、イデオロギーの歴史の原理的な記述だということである。一体論理とは存在の歴史的必然性の反映に外ならなかったからである。



       

     イデオロギーが意識として規定される側面から云うと、イデオロギー論は、イデオロギーの心理学・論理学・範疇論となった。今度は之を一つの歴史的社会的存在として規定する側面から、イデオロギーの社会学(そう仮に呼ぶとして)へ行こう。
     イデオロギーの社会学と云うと、人々は多分、社会学が近来好んで取り扱おうとする「イデオロギー論」を思い出すだろう。だが後に見るように、吾々の「イデオロギー論」は社会学者達の考える「イデオロギー論」――それは結局文化社会学乃至知識社会学の特殊な形態に過ぎない――とその根本性格を異にしているだろう。それと同じに、茲で今社会学と呼ばれるものは、社会学者達が立つ一つの立場や彼等が用いる一つの方法ではなくて、イデオロギーという意識的――夫はつまる処論理的――社会存在物に就いて、特に夫の論理学的でない契機の観察を意味するものに外ならない。意識を他の諸存在から区別する最も著しい特色の一つは、近代の哲学者達が好く指摘しているように、価値を担っているという点にあるが、その価値が、真理として――理論的・芸術的・道徳的・宗教的・真理として――常に論理的価値を意味しなければならない、吾々は論理の概念をそういうものとして規定しておいた。そこで今、意識(イデオロギー)のこの重大な特色を一応捨象して、即ちその論理学的契機を一旦無視して、他の一つの特色、契機である処の、夫が一つの歴史的存在物だという点だけを取り出したものを、イデオロギーの社会学と呼ぼうというのである。――実際所謂社会学は後に見るように、歴史的社会的存在の価値的規定を度外視することを一貫した特色としているだろう(第二部参照)。「社会学」は事物を評価することを欲しない。
     イデオロギーの社会学なるものに併し、も一つの制限を加えておく必要がある。イデオロギーは、すでに述べたような色々な意味に於て社会の上部構造であったが、上部構造という限りそれは社会の下部構造の上部構造でなければ意味がない。そこで、イデオロギーの社会学は恰も、専らこの下部構造と上部構造との連関を明らかにすることを課題とするだろうように見える。――だが、社会の下部構造――技術的・経済的・政治的・社会的・部面――であっても、唯物史観によれば、社会の必然的な歴史的発展に於ける弁証法的諸契機から構成されているのであって、その限り之は論理的構造を有つのであるから(イデオロギーはこの論理的構造を論理的価値関係――夫が論理的だ――として反映するのであった)、前のイデオロギーの論理学と雖も、矢張りイデオロギー(上部構造)と下部構造との連関を明らかにすることを課題としないではいられないのであった。だから、上部構造としてのイデオロギーを下部構造との連関に於て明らかにするのは、何もイデオロギーの社会学にだけ与えられた課題なのではない。それは本来イデオロギーの論理学の課題にぞくする。
     今必要なことは、之ではなくて、イデオロギーに固有な――他の歴史的社会的諸存在から区別された――歴史的社会的構造を取り出すということなのであるが、イデオロギーに固有な歴史的社会的構造と云えば併しその精髄は論理的構造に外ならないのだが、今は却ってこうした論理的なアクセントを全く引き去って了った残留物としてのイデオロギーが有つ処の、社会的歴史的構造を取り出して、それだけ又別に考えねばならない。そうしなければイデオロギーの論理学は終局的には具体化されず、イデオロギーの現実的な運動情勢は取り出されずに終るだろう。こうしたイデオロギーの没論理的構造を取り扱うものを、イデオロギーの社会学と呼んでおこう、というのである。
     実際、所謂――ブルジョア的――社会学が提供する社会の歴史的な又は非歴史的な諸関係形式は、その立場をさえ除外したならば、弁証法的骨髄――論理的乃至論理学的原理――によって貫かれるべき社会科学の豊富な内容となることが出来るだろうし、又そうならなければならぬのである。

     吾々は今、主に文化形態としてのイデオロギーの没論理的な歴史的社会的構造として、イデオロギーの二つの契機乃至二つの形態を対立せしめそして連関せしめよう。ジャーナリズムとアカデミズム。
     普通世間でジャーナリズムと呼ぶものは、大抵新聞紙に関係した事物を指すようである。併し云うまでもなく之は単に新聞紙又は一般に新聞現象に関係したものばかりを指すのではなくて、広く、雑誌とかキネマ・劇壇・ラジオ等々という現代に特有なイデオロギーの社会的諸物体の関係物を指している。そういう社会的諸物体を生産し又そういう諸物体を機関として表現されるような社会的意識・イデオロギー――の現代に於ける――一形態が実は、この場合のジャーナリズムの意味なのである。ジャーナリズムは、その限りイデオロギーの――現代に特有な――一形態である。実際今日の所謂ジャーナリズム――それはブルジョア・ジャーナリズムと呼ばれるべきだが――は近世に於ける欧洲の商業ブルジョアジーの台頭によって、今日の形態への萌芽を植えつけられた。十六世紀のヴェニスには近代的新聞紙の最初のもの(Notizie Scritte)が出たし、十七世紀初頭のフランクフルトアムマインやアントワープやロンドンが之に継いで新聞紙を発行している。それ以前のものは同じく新聞紙と云っても近代新聞紙の諸特徴を具えてはいなかった*。

       * 併しブルジョア・ジャーナリズムが今日の隆盛を来すに至ったのはフランス革命を契機にしてであったと云われる。


     処が他方ジャーナリズムは、もっと立ち入って考えて見ると、報道物(Nachrichtenwesen)――そういう一つの交通関係――に外ならないとも見られねばならない。そうすれば夫は一切の過去の又現在する諸民族の――原始民族さえの――生活のある処に悉く伴うものでなければならぬ。この点から見ればジャーナリズムは決して、現代にだけ特有なイデオロギーの形態なのではない。
     併しそれがどれ程古い時代からあったにせよ、報道乃至交通というこの後の意味でのジャーナリズムも亦、人間生活の物質的な生産諸関係――社会の下部構造――に対する上部構造であるという点で、依然としてイデオロギーの資格を持っていなければなるまい。そうすれば之は、イデオロギーの――現代にだけ特有であるような――歴史的一形態ではないにも拘らず、なおイデオロギーの――云わば本質的な――一契機であると云わねばならぬ。
     元来イデオロギーは、社会の上部構造の、時代々々によって異る諸形態――イデオロギー形態――を意味すると共に、又社会の上部構造一般――単にイデオロギー――をも意味する筈であった(前を見よ)。このようにしてイデオロギーの云わば本質的な契機と歴史的な形態とを媒介することが、イデオロギーという弁証法的概念なのであるが、ジャーナリズムも亦その通りである。ジャーナリズムとは、一方に於て本質的な――昔から常に存在した――報道乃至交通関係というイデオロギーの一契機でありながら、同時にそれが、歴史的必然性に従って、今日の所謂ジャーナリズム(ブルジョア・ジャーナリズム)というイデオロギーの一形態にまで発展して来なければならなかった、その所以を弁証法的に物語る概念なのである。
     ジャーナリズムは、普通それが任意の視角からどう見られようと、イデオロギー論の問題として取り上げられるのでなければ、統一的に解明出来ないのであるが、之をイデオロギー論の視角から取り上げると、之に対立するものは是非ともアカデミズムでなければならない。――処でアカデミズムも亦、一方に於て、現在の大学や研究所というインスティチュートを生産し之によって又生産される処の、イデオロギーの現代に固有な歴史的一形態であると共に、他方に於て古来存在するイデオロギーの本質的な一契機でもなければならない*。今日のアカデミズムは欧洲の諸大学が宗教的束縛から実質的に脱却したことからその形態を決定されたのであるが、すでに他方ギリシア時代の昔からアカデミズムは存在した、例えばイオニア学派・ピュタゴラス学壇・プラトンのアカデミー等々。

       * 時代によっては「アカデミー」と「大学」とは対立する。十七世紀の欧洲はその例であろう。併しこの対立は科学や文芸に於ける進歩的なアカデミーと反動的な大学との対立なのだから、イデオロギーの論理学にとっての対立であって、没論理的なこのイデオロギーの社会学の上での対立ではない。それで今の場合、アカデミズムという範疇は主として大学を云い表わすと見ても不当ではない。



     だがジャーナリズムとアカデミズムとはどう対立するか。
     ジャーナリズム(Journalism)という言葉はカエサルの官報である世界最古の新聞紙 Acta Diurna(日報)から来たと云われている。Diurna ――それが Journal と訳される――は日々(Jour)に関するものである。だから Journal とは、主観的には日記(例えばアミエルの Journal intime)などを意味するし、客観的には新聞紙などを指すこととなるのである*。ジャーナリズムとは、こうした日々にぞくするものが一つの原理となったものに外ならない。

       * 新聞紙に就いては拙稿「新聞現象の分析」(『法政大学哲学年誌一九三二』〔本全集第三巻所収〕)を見よ。


     でジャーナリズムが日々の、その日その日の生活と関係していることを先ず第一に注意しなければならない。それは人間の日常生活にその根を有つ処のイデオロギーの一形態乃至一契機なのである。日常生活は、仮にそれが公の生活ではなくて、個人の私的生活であっても、常に何か社会的な生活である。日の光は人間社会の――私的又公的――交渉の一日を開き又閉じる、人々にとっては社会的共通生活に這入ることによって一日が始まり、この生活から離れることによって一日が終るのである。そこでは私的個人の内部的な「生」と普通考えられるものは、そのままではもはや殆んど問題になる資格を持てないし、異常なものはこの社会的共通生活から除外されるか又は之によって平均されて了うのである。
     (だから、人間の特異な内面性を誇張したり、異常な生の体験に依り処を求めたりすることによって、この社会的共通生活からの脱却を企てる宗教意識にとっては、この日常生活の原理――日常性――は、何か外面的で卑俗なものとしか考えられない。それは何等の崇高さも高遠さも持たないものであるかのように貶されるのを常とする。)
     こうした日々の日常生活にその根を有っていたジャーナリズムは、普通世間の人々の平均的な知識・日常的知識と考えられる精神能力によって運ばれる。人々はこの能力を無雑作に常識と呼んでいるのである。処で常識にとっては専門的な知識は一応不用であり又時に有害でさえあると考えられる、常識は通俗的だという意味に於ても、又世間に知れ渡るという意味に於ても、ポピュラーであることが出来る、夫は例えば公衆(Public)によって支持される知識である、とそう人々は考えている。
     だが日常性乃至常識の概念をこのようなものとしてしか理解しないことは、夫自身之に対する――劣悪な意味での――常識的理解でしかない。常識は一方に於て共通的な・平均された・凡庸な・知識を意味しないのではないが、他方に於て又健全な良識(ボンサンス)をも意味しているのが事実である。元来常識―― Common sense, Gemeinsinn ――という言葉は、アリストテレスの De Anima に於ける共通感覚(共通感官・共通感)から来たのであるが、それが五官に共通であることから転じて、人間一般に共通であることに変化して来て常識となり、トーマス・リードの手によってそれが真理の直覚的な公理の提供者とさえなった。無論リードなどが考えていた人間一般は英国風の人間学――人性論(human nature の理論)――にぞくすると考えて好いから、すでに特殊な哲学史的制限を持っているのであるが、人々の常識は、この常識という概念を、実はもっと健全に理解している。というのは、凡ゆる人間に共通な根本的知識など事実あり得ないのが本当であって、実際の常識とは、世間の一般の人々(必ずしも総てである必要はない)にとって共通に通用する能力・知識及び見解を意味すると人々は考える。それは凡ゆる人間が事実立脚している公理的な知識ではなくて、却って凡ゆる人間が準拠すべき規範・理想的態度としての性格を有っている。だから知的常識の効用を却けたカントも、趣味判断に於ては美的常識――美的共通感覚(Sensus Communis aestheticus)――に根拠を求めることが出来、またそうせねばならなかった。――日常性はこうした常識が自分自身で持っている原理なのである。常識は他の何かの原理からの脱落や背反ではない、それ自身の原理を有っている。
     ジャーナリズムが日常生活に根を有ち、従って常識的であるということは、ここからもう一遍規定し直されなければならなくなる。もしそうしなければ、一般にジャーナリズムは、多くのアカデミケルが無意味に反覆しているように、何の積極的な価値も有たない処の、一つの不思議な――悪魔と同じに説明し難い――現象でしかなくなるだろう。
     ジャーナリズムの特色は実は、その現実行動性時事性(actuality)になければならなかったのである。と云うのは、それは、歴史の上からは現在性として、存在乃至事実の上からは現実性として、行為の上からは活動性として、生活の上からは社会性として、規定されねばならぬ。吾々の日常生活・常識の世界・の積極的な内容は恰もこうしたものなのである。常識の主体と考えられる公衆が、公衆として関心を持つ問題は実際、こうした規定によって理解出来る処の時事問題なのであって、時事問題とは言葉の通り、決して永久な問題ではあり得ない、公衆が健忘症である所以である。
     現実行動性によるこの時事問題は併し、常に政治的性格を有っている、日常生活は実践性――社会活動性――を有っているが、そうした実践性が含蓄ある意味での政治性に外ならない。事実所謂政治は、良い意味に於ける常識によって取り行われるべきだと、デモクラシーの理想は教えている。政治に玄人はあってはならぬ、凡ての人が、政治に干与しなければならないと。
     処がこの政治的・時事的・問題は常に、思想――イデオロギー――と呼ばれるものと結び付いている。人間の社会的実践が政治に於て最も著しいとすれば、この実践を顕著に反映する意識が、所謂思想なのである。思想とは併し常に、哲学的世界観的・意識の外ではない、政治は思想に、思想は哲学に、同伴する、政治学は元来哲学の重大な一部門であった。――処でジャーナリズムの内容は、社会人の有っている世界観・哲学・の一つの直接な表現でなくてはならない、そこでは世相が躍如として現われる。例えばジャーナリズムが何か非日常的・超常識的・非時事的・非政治的な部門の学芸を取り扱う時も、必ず之に何か思想的・哲学的・世界観的・な視角を与えることによって、之を時事化・政治化・現実行動化することを忘れないだろう。
     この現実行動性・時事性から出て来るジャーナリズムのも一つの規定は、その総合統一性である。というのは、ジャーナリズムはその世界観的統一によって、各々の専門的な諸科学を、又各々の分科的な諸文化を、初めて連関せしめることが出来る。云わばそれはエンサイクロペディックな特徴を有って来る。常識とは実際そういうものではなかったか。――元来ジャーナリズムは常に話題(Topik)に上り得るものでなければならない。話題とは凡ゆる部門的な分科的な事物が、言葉という共通な場処(Topos)をめざして集まることを示唆する言葉である。この集まる場処は市場の外ではなく、そこで一切の知識が交換され(ニュース・評判)、訂正総合され(議論)、又誇張されたり捏造されたりする(虚偽)。かくて常識――ドクサ――が養成される、神話世論が出来上るのである*。やがてここで又範疇――之は公衆に向って語ることを意味する言葉で市場と語原を同じくする――が発生し、論理が構成され、理論が出来上る。之が哲学的世界観に外ならない。哲学は常識のものであり、ジャーナリズムのものである。

       * フランシス・ベーコンの『市場の偶然』を参考せよ。


     ジャーナリズムをこう規定すれば、之に対立するアカデミズムは割合簡単に決定出来る。アカデミーという言葉が、アカデメイヤに建てられたプラトンの学壇から起こったように、アカデミズムは教壇という特殊な――一般的でない――社会的存在条件を仮定している。それが人々の一般的な日常生活の圏外に初めから逸していることを注意せねばならぬ。そこでは、常識は未熟なドクサとして、高貴な真理から峻別されねばならない。と云うのは、一定の学派的訓練によってしか見出されないような伝統的問題の解答としてしか、真理は真理として現われることが出来ぬ。アカデミズムは一般社会の現実行動的・時事的・な諸関心とは関係なく、アカデミーと呼ばれる特殊な社会圏だけにとってしか問題にならない問題に専ら関心を制限する。だから例えば社会科学などに就いて云えば、アカデミズムによる科学研究法は、科学のための科学として、純粋学の追求となって現われる。アカデミズムが難解を意味したり、衒学を意味したりしがちなのも無理ではない。――少くともアカデミズムは現実行動性・時事性によっては動かないという処に、その特色を有っている。それは何か超現実行動的・超時事的・な原理によって運ばれる処の、文化イデオロギーの一つの契機と一つの形態なのである。
     このことは併し、前に述べた連関から当然、アカデミズムの専門化を結果する筈であった。例えば科学は、言葉通り分科の学として、それぞれの専門の分科の外へ出る必要を感じることなく、展開することが出来る。諸専門部門の間の総合統一は、この視角からすれば二次的な或いは無用な配慮でしかないと考えられる場合さえ少なくない。哲学と雖も、アカデミズムにかかっては哲学的――世界観的思想的――に取り扱われなくても好い、問題は専門的な哲学的知識又は技術だけだ、と考えられる。

       三

     さてジャーナリズムとアカデミズムとを一応こう対立させるとして、二つのものがどういう連関にあるかが問題となる。――二つのものは事物に対する人々のイデオロギー的活動の、あり得べき二つの態度なのである。イデオロギー的活動のこの二つの契機乃至形態は、夫々が社会の上部構造のものであったということから、必然的な連関を与えられる。
     抑々ジャーナリズムは歴史的社会の運動の本質に於て一つの必然的な役割を有っている。それは社会の歴史的発展の運動形式に忠実であることを一時も忘れない処の、イデオロギーの運動形式なのである。だがそれが基本的な――下部構造としての――歴史的社会の運動にあまり忠実であろうとすることから、この忠実さが却って姑息な形骸となり、結果としてジャーナリズムは歴史的社会の運動を指導する独立なそれ自身の原理を見失って了うということにもなる。かくて人々によればジャーナリズムは全く無定見な日和見に時を費すものであるかのようである。
     処がアカデミズムは丁度之に反して、この歴史的社会の運動に必要と考えられる諸形式を与えることによって之を独自に指導することを専心する処の、イデオロギーの運動形式である。だがそれが独自の原理と節操とを守ろうと力める余り、この歴史的社会の運動を促進する代りに、却ってその運動を固定せしめる、運動は惰性に落されるということになる。かくてアカデミズムは人々によれば固陋な自己満足に日を送るかのように見えるのである。
     両者は元来、基本的・下部構造的・歴史的社会の発展の運動形式に対する、上部構造・イデオロギーの、取り得べき二つの運動態度でなければならなかった。それは元々、歴史的社会の運動をイデオロギー的に促進せしめるための、相互に補い合う筈の二つの極から成立っているメカニズムだったのである。それが或る条件の下には――その条件は後を見よ――その本質に含まれていた可能性を通して、却ってこの運動の制動機ともなることが出来る。でジャーナリズムの欠陥はアカデミズムの長所に、アカデミズムの欠陥はジャーナリズムの長所に、元来は対応する筈である。アカデミズムは容易に皮相化そうとするジャーナリズムを牽制して之を基本的な労作に向わしめ、ジャーナリズムは容易に停滞に陥ろうとするアカデミズムを刺戟して之を時代への関心に引き込むことが出来る筈である。アカデミズムは基本的原理的なものを用意し、ジャーナリズムは当面的実際的なものを用意する。
     イデオロギーの二つの本質的な契機としては、ジャーナリズムとアカデミズムとは正に以上のような有機的な連関にあり、又そうなければならぬ。だが、イデオロギーの二つの歴史的形態としての両者は、即ち現代に於けるジャーナリズムと現代に於けるアカデミズムとの連関は、単にこう云っただけでは片づかない。

     現代に於けるアカデミズムは、主として現代に於ける大学の本質によってその実質を決定されている。アカデミズムは元来、何かこうしたインスティチュートの特殊な存在によって制約されているものであったが、今日の――資本主義社会に於ける――大学は、更に特殊な社会的機能を果さねばならぬ。と云うのは、元々欧洲の旧い諸大学は封建的(乃至又宗教的)旧制度の必要を充すべく出来上ったのが多いのであるが(例えばオックスフォード・ソルボンヌなど)、資本主義制度によって確立された其後の諸大学も、多かれ少なかれこの封建制度からの伝統にぞくしているものが多い(例えばドイツの新しい大学やわが国の帝国大学の如き)。だが今日では封建的残滓は資本主義の敵ではなくて却って末期的資本主義の最後の武器となる。それは懐古的国粋的――乃至ファシスト的――反動の役割を、今日の半封建的諸大学に課している。そしてこの点では純粋に資本主義的な――かの伝統から自由な理想の下に生まれた――諸大学(わが国の初期の私立大学の如き)も、今日では殆んど之と異る処はない。なぜなら殆んど凡ての資本主義諸大学が一様に、資本主義にとってのイデオロギー的機能を果すために、かの伝統に合流することによって或いは又独立に、ファシスト的反動化を行わざるを得なくなったからである。大学は事実今日資本主義国家の完全な武器となり終った。
     かくてアカデミーの機能――それがアカデミズムである――は、この大学の本質・国家機関としての機能によって、一定の予め可能であった方向に実際に歪められて来る。アカデミズムは元々それが持っていた自己の固定化惰性化の可能性を愈々実現される、そうでなければ之に反動的な役割を容易に課すことは出来ない。処が次にアカデミズムはその反動的役割の内に、今や自らの学的価値をさえ自覚しようと欲する。そうなると之はもはや単なる固定化や惰性化ではなくて、その生命であった基本性原理性の喪失でなくてはならぬ。アカデミズムは完全な廃頽物となって了うのである。――之が今日の資本主義制度下に於けるアカデミズムの歴史的形態なのである。
     処が今日のジャーナリズムも亦、資本主義によって抜くべからざる歪曲を受けている。ジャーナリズムの今日の形態は出版資本の副産物に過ぎないとも云うことが出来る程に、資本主義――印刷・製紙の技術や販売組織に現われる――は近代ジャーナリズムの抑々の発育期から之を制約している。初めから資本主義と同伴しなければならなかったという点が、――大学は之に反して初めは必らずしも資本主義の所産ではなかった――近代ジャーナリズムの生れながらの運命だったのである。だが、多くの官公立諸大学が直接に資本主義的利潤の追求を目的としないのとは異って(但し私立の企業大学は別である)、今日のジャーナリズムはそれ自身直接に利潤の獲得を目指していることを見逃してはならない。それだけジャーナリズムの資本主義による歪曲は、アカデミズムのそれに較べて深刻であらざるを得ない。
     かくて現代に於けるジャーナリズムは元々それが持っていた無定見性の可能性を実現し、センセーショナルでトリビアルなものとなる。そうしなければ商品価値を生じ得ないのである。だがそれだけではなく、そうなることによってジャーナリズムはそれに固有な当面性実際性を失って了わねばならなくなる。それは現実行動的・時事的・性格――世論の指導・評論能力――を犠牲にせざるを得ない。実際例えば今日の諸新聞紙(近代的大新聞紙)は次第にその政治的見解を均等化しつつあるだろう。――このようなものが今日の資本主義制度下に於けるジャーナリズムの歴史的形態なのである。

     さて人々は、資本主義制度の下に於けるジャーナリズムとアカデミズムとのこの二つの形態が、直接にそれ自身としては、相互の間にもはや何等有機的な連関を持てない処の、バラバラなそして相互に矛盾した、二つの現象となっている、ということを今注意せねばならない。アカデミズムはアカデミズムで歴史的社会の必然的運動から愈々全く無関係に高踏化して行くし、ジャーナリズムはジャーナリズムで又之とは独立に、この運動を断片的な諸刹那に分解することによって愈々この運動を見失って了うが、その結果として、この二つのものは、相互を傷つけるようにしか作用しない状態に陥って了っている。で二つのものが有機的な連関に齎らされそうな手懸りは、今日ではもはやどこにもない様に見える。アカデミズムとジャーナリズムとは本来歴史的社会の運動に関して、初めから有機的に連関して相互に補い合う筈の、二つの契機――二つの極――ではなかったか。この二つのものの有機的な連関を、処が、近世資本主義が分解して了ったのである。かくて今や二つのものは歴史社会自身にとっての矛盾物であるばかりでなく、そうであることによって又相互に矛盾せざるを得ないものとなる。
     救済は併し空から天降って来ることは出来ない。丁度資本主義は資本主義自身の用意した契機によって止揚されねばならないように、この二つの矛盾物は、それ自身の力関係の内から矛盾の解決の鍵を見出さねばならぬ。
     実際、今日のジャーナリズムは次第にアカデミズムの従来の領域と権威とを奪い、良かれ悪しかれその力を増大しつつある。わが国などではジャーナリズムと云えば以前は単に文壇的なものとしか考えられなかったものが、今日ではアカデミーの独壇場であった理論の世界を蚕食して、論壇が形成されるに至ったのを見る。ジャーナリズムは理論的ジャーナリズムにまで、進行したのである。アカデミズムに対するジャーナリズムのこの力関係は併し、前者が主に封建制度からの伝統を持った封建的生産物の資本主義制度の下に於ける残存物であったのに反して、後者が専ら純資本主義制度の所産であるという、歴史的推移に於ける二つのモメントの力関係を云い表わしているに外ならない。でそれだけ、アカデミズムは熟しそして老い、それが含む凡ゆるモメントをすでに叙述し展開しつくしているが、之に反してまだ若いジャーナリズムにとっては、まだその凡ゆるモメントが客観的に展開し尽されては居ない。ジャーナリズムは、その可能性がまだ悉くは実現していない、それは客観的に様々なモメントを混同している、それは多分の未来を有つ。と云うのは、今日のジャーナリズムの形態は取りも直さずブルジョア・ジャーナリズムであったが、そして近来わが国のジャーナリズムも、急速に左翼イデオロギーを閉め出し始めたが、併しこのジャーナリズムの内には近来まで、左翼イデオロギーのための余地が残されていなくはなかった。そしてより重大なことは、今日ではすでに、ブルジョア・ジャーナリズムから独立に、プロレタリアジャーナリズムが発育し始まっているという事実である。
     近代ジャーナリズムは近代アカデミズムに較べてその発生の時期が新しいにも拘らず、尤も之は当然なことだが、却ってアカデミズムよりも現に先の歴史的段階を歩いている。アカデミズムとジャーナリズムとの矛盾の止揚はだから、アカデミズムの側からではなくて、正にジャーナリズムの側から、而もプロレタリア・ジャーナリズムの内から、待望されることが出来るだろう。
     プロレタリア・イデオロギーはルーズな意味でも大衆のものである。そして一般的に云えば、ジャーナリズムも亦元来そうした意味での大衆のものだったのである。今日のアカデミズムは処が封建的貴族と資本主義的貴族とのものであった。だからイデオロギーに於けるかの矛盾を止揚するものは、まず第一に、プロレタリア・アカデミズムよりも先に、プロレタリア・ジャーナリズムでなければならないのは当然である。――だがプロレタリア・ジャーナリズムとは何か、それは大衆化の外ではない。
     ジャーナリズムは普通、通俗化・啓蒙・又は俗流化とさえ考えられている。ブルジョア・ジャーナリズムならば、確かにそういう規定でも一応は捉えることが出来るだろう。だがプロレタリアのジャーナリズムはもはやそのようなものではないし、又あってはならない。一体人々は大衆という概念を勝手にルーズに用いるのではなく充分に科学的に用いなければならぬ*。それはプロレタリア階級に組織された又はされるべき民衆を意味すべきものである。大衆化とはだから外でもない、プロレタリアの組織化に外ならない。プロレタリア・ジャーナリズムとは、ただこの意味だけに於ける大衆化だったのである。――この大衆化の進み行く尖端にそして、プロレタリア・アカデミズムも亦横たわるだろう、その暁にはアカデミズムとジャーナリズムとが初めて本来の正常な有機的連関に、現実的に到着するだろうと考えられる。

       * 拙著『イデオロギーの論理学』の内の「科学の大衆性」〔本巻所収〕の項を参照。人々はジャーナリズムを問題にしつつ往々大衆の概念に触れるが、ジャーナリズムの概念が理論的に分析して用いられていないと同じく、大衆という言葉も全く個人的な思い付きから意味を与えられているに過ぎない場合が多い。


       

     イデオロギーの社会学として、少くとも吾々は一応、以上のようなジャーナリズム=アカデミズムの対立と連関とを指摘出来たが、元々この「社会学」は、それ自身だけで独立な根拠を持てるのではなくて、その根柢が、かのイデオロギーの論理学に、何かの仕方で結び付かなければならない筈であった――前を見よ。それを見るためには併し、ジャーナリズムとアカデミズムとのイデオロギー的機能を(そしてイデオロギーは論理によってその骨髄を与えられる筈だったことを思い起こそう)、もう少し立ち入って検べて見なければならない。
     ジャーナリズムのイデオロギー的機能は、その批評性に求められる。ジャーナリズムは、それがどのように専門的なアカデミカルな事物を取り扱うにしても、常に之を評論的視角から取り上げねばならぬ。それは文芸批評として又学術評論として、特色を現わす。だから文学とか哲学とかいう、それ自身批評的・評論的・性格を担っているものは、それが優れたものである場合、多くジャーナリスティックな特色を持っていることが事実である。カントの批評主義の哲学が甚だ能く読まれたなどは無意味ではない。――アカデミズムのイデオロギー的機能は之に反して、その実証性に求めることが出来るだろう。と云うのは、批評性は或る意味に於ける否定であり、一般的には積極的な建設の反対であるが、この否定の反対としての肯定を吾々は実証性(Position)と名づけておこう。オーギュスト・コントは実際、その実証主義をこうした批評主義に対立させている。分科的諸科学は、自然や歴史的社会に就いて、之を直接な生まな材料として、ひたすらに探究する、それは必ずしもこの直接で生まな材料に基く諸探究を総合したり媒介したり秩序づけたりしない、要するに必ずしも批評しないのである。――以上のことは、ジャーナリズムが常識のものであり、之に反してアカデミズムが専門のものであったことからも、至極自然に理解出来る。
     だが無論のこと、この批評性の機能と実証性の機能とは、単に今云ったように区別対立しているだけではなくて、至極複雑ではあるが、併し一定の連関関係に這入っていなくてはならない。二つのものは実は、一つのイデオロギーの二つのモメントに外ならなかった、単なる批評もなければ単なる実証もあり得ない、在るものは何かの形態に於ける両者の結合でしかない。
     文学の制作は一つの実証である、それは他人の制作した作品を品(しつ)するのではなくて、自ら生活材料を整理して形を与える処の一つの実証的な探究である。この制作は併し実は、その制作者のそれ以前の制作に対する批評を無視していなかった、ということを今注意しなければならない。この制作は批評から、この意味に於て一続きのつながりを有っていたのである、もしそうしなければ、制作の客観的な進歩は恐らく望み難いだろう。だが逆に又、批評家は或る意味に於て――少くとも可能的な制作家として――同時に作家でもなければならない、それが批評家の必要な資格なのである。そうすると批評は批評者の――可能的な――制作を仮定しないではなり立たない、そうでなければ批評は全く外部的な印象でしか無くなるだろう。この点から見れば、批評は又制作から、この意味で一続きのつながりを持っていなくてはならない。――実際の現象としては作家と批評家は資格として又個体として別ではあるが、批評と制作との間には本質的にはこうした連関が横たわっている。
     之は文学に於ける批評と制作との連関であるが、一般に文化イデオロギー――文芸や科学――に於ける批評的モメントと実証的モメントとの連関は、今のをそのまま拡大して考えることが出来る。で今度は諸科学に於ける批評的契機と実証的契機との連関を注意しよう。そこにも今云った限りの連関のあることは云うまでもないが、ここではそれ以上に、両者のより特徴ある連関の関係が浮き出して来る。と云うのは諸科学に於ては批評と実証とが極めて近く歩みよっているから、二つの連関は特別な相貌を呈して来るのである。――諸科学に於ける批評は、それ自身実証的な内容をもつのでなければ批評とならず、又その実証は予め他の実証的研究の批評を基礎にしない限り始められない。実証は批評的であり(例えば文献の整理・他の所説の歴史への顧慮・を必要とする)、又批評は実証的である(例えば新しい実験によって従前の実験の結果をたしかめたり覆したりする)。ここにあるものは批評的実証乃至実証的批評である。吾々は之を簡単なために、科学的批評と呼ぶことが出来る。
     処で之は諸科学に於ける批評と実証との連関であるが、之を再び、一般に文化イデオロギー――文芸や科学――に於ける両者の連関にまで、一般化して引きもどせば、科学的批評の概念はそれだけ一般化される。実際人々は、文芸に於ても、「科学的批評」の問題を有っているだろう。
     今、こういう操作によって取り出された科学的批評の概念こそ、イデオロギーの実証的モメントと批評的モメントとの連関、即ち又アカデミズム的契機とジャーナリズム的契機との連関の、最も特徴的な場合に外ならない。云わばそれは、アカデミズムとジャーナリズムとの数学的相乗積なのである。――ジャーナリズムのイデオロギー的機能とアカデミズムの夫とは、このような形態で以て連関するのを特徴的な場合とする。

     さて、批評という言葉は実はどのような意味にでも用いることが出来るが、夫が科学的批評であるためには、批評は一定の価値評価を結果する処の批判でなければならない。そうでなければ批評は単なる評判や無駄なさし出口に過ぎないのであって、何の促進的なイデオロギー的機能を果すものでもなくなって了う。処が価値とは、すでに述べた通り、論理学的なものでなければならなかったから、価値の評価は又論理学のものでなければならない。例えば一つの或る理論が金利生活者のイデオロギーだという、そういう社会学的事実を指摘しただけでは、まだ単に科学的ではあっても批評的ではなく、又単に批評的ではあっても科学的ではない。そうではなくて、金利生活者のイデオロギーであるが故に、その理論の体系に於ける誤謬虚偽が(或いは又その部分的真理が)摘出されて初めて、批判は科学的となる。その時初めて批判は効力を発生するのである。この場合併し、金利生活者の理論体系のこの論理学的構成が金利生活者の社会的歴史的――階級的――定位の社会学的構成に対応せしめられる。イデオロギーの論理学がイデオロギーの社会科学(もはや必ずしもイデオロギーの社会学ではない)と連関せしめられるのである。イデオロギーの科学的批評――それはジャーナリズムから出て来た――は、イデオロギーの論理学とイデオロギーの社会科学との数学的相乗積にも当るだろう*。

       * アカデミズムとジャーナリズムとの一般的な分析は拙稿「アカデミーとジャーナリズム」(『思想』一〇一号)及び「批評の問題」(同誌一二三号)を見よ〔いずれも本全集第三巻所収〕。


     かくてイデオロギーの科学的批評によって、イデオロギーの意識としての側面と、歴史的社会的存在としての側面とが、具体的に媒介される。之は外でもない、イデオロギーの社会学のメカニズム――ジャーナリズム・アカデミズム機構――のお陰であった。ここまで来てイデオロギーの論理学は初めて現実的情勢に即するまでに具体化されるのである。

     吾々は今や、イデオロギー論の課題の具体的な形態に問題を進めることが出来る。イデオロギー論は言葉通り、イデオロギーの理論だが、夫は一体イデオロギーをどうする理論なのであるか。或る種の――例えば社会学的な――イデオロギー論は、一応(だが無論初めから不充分なのではあるが)イデオロギーの存在を承認しながら(何となれば社会学者は必ずしもイデオロギーの概念を充分に承認するとは限らない)、諸々のイデオロギーを「公平」に観察して夫々を特色づけるだけで、その間の資格の前後・優劣を決定しようと欲しない。ブルジョアジーはブルジョアジーのイデオロギーを持ち、プロレタリアは又之とは異ったイデオロギーを持つ、ということを指摘して、高々夫々の社会学的必然性を解釈するに止めようとするのである。
     唯物史観によるイデオロギー論は、そして元来本当のイデオロギー論は歴史的に見ても理論的に云っても唯物論のものでしかないのだが、之に反して、諸々のイデオロギーを批判しないではおかない。それは夫々のイデオロギーの優劣・可否を判定することをこそその認識目的とする。実際、もしそうでなければ、一体イデオロギー論は何の役に立つだろうか。役に立つことを目的意識に取り入れない理論はすでに理論の第一の資格を欠いている。――処でイデオロギー論による諸イデオロギーのこの批判こそ、恰も先から云っていた科学的批評だったのである。
     再び云おう、イデオロギー論は唯物史観のものである。処が唯物史観はプロレタリア階級の歴史観に外ならない、それは階級的な見地に立ち、プロレタリア階級がブルジョアジーの階級を克服することによって歴史の進展を実践的に実現しようと欲する処の、階級性を持った歴史観なのであった。処でイデオロギー論は、プロレタリアのこの階級闘争のための理論機関の外はない。そして科学的批評は又そのための武器だったのである。
     イデオロギー論はであるから、先ずプロレタリアのイデオロギーに立つのでなければ何処にも成立しはしない。階級的判決を下し得るものは、それ自身階級性を有たざるを得ない。イデオロギー論はそれ自身一つのイデオロギーの体系であるが、イデオロギーがそうであったように、イデオロギー論は階級性を有つからと云って一般的に虚偽に帰着するものではなく、プロレタリア的階級性を有つが故に、却って真理性を有つことが出来る。科学的批評は派的であるが故に、却って初めてイデオロギーを真理にまで促進する役割を果すことが出来る。
     イデオロギー論の一般的な課題は、プロレタリア階級闘争のための理論機関として役立つことであった、ここでは諸イデオロギーはこの目的意識の下に、科学的批評の対象として取り上げられねばならぬ。それがイデオロギー論の内容となるのである。

     イデオロギー論のこの一般的な課題は、すでに今日まで、文学理論宗教批判やの形の下に、特殊化せられた。だが科学論も亦そうしたイデオロギー論の課題の特殊な場合として取り上げ直されねばならぬ――夫はすぐ後に見るだろう(第三章)。イデオロギー論はかくて要するに科学的な文化批判をその課題とする。そこで文化社会学やその一部分としての知識社会学或いは社会心理学を、之と比較し、之等を批判することによってイデオロギー論自身を具体化せねばならない――夫も亦後に吾々は見るだろう(第二部)。

     
    第三章 諸科学のイデオロギー論

       

     イデオロギー論にとっては一切の文化が、その科学的批判の対象である。一切の文化はその本質に於てイデオロギーでなければならないからである。併し之まで一般に文化の批判と呼ばれていたもの――その代表的なものは批判主義の哲学である――と、イデオロギー論とは無論一つではあり得ない。一体批判主義の一般的特色は何であったか。
     ドイツ観念哲学の用語例に従うならば、哲学は形而上学認識論との二つの部門に少くとも分けられる。吾々は今は、形而上学という概念を弁証法に対立させて用いなければならない理由があるので、そこでは形而上学という概念はおのずから又別な規定を持って来ているのであるが、それは兎に角として、哲学は一応この二つの部分に分けられるとそう近代ドイツ観念論者は考える。処が当然なことであるが、この二つのものは単に二つの部門であるばかりではなく、時代々々によってそのどれか一つが他方のものに対して支配的な位置を占める。例えばカント以前が形而上学の全盛時代であり(カント以前にも或る意味の認識論はあった――デカルトやロック又ライプニツ)、カント以後のドイツ哲学はたといそれが形而上学の形を有っていてもなお且つ認識論的特色を忘れてはいないと考えられる。そして現代は又形而上学の復興――ヘーゲル復興・スピノーザ復興・存在論への動向・其他――の時代だと云われている。だがそうなると、形而上学と認識論との区別は、もはや二つの部門の区別ではなくて、実は哲学上の二つの立場の区別となるだろう。所謂批判主義――それが特に喧伝されるようになったのは新カント学派の努力による――は、こうした一つの立場としての認識論として登場して来たものである。
     併しこの認識論(夫はとりも直さず批判主義の最近の形態に外ならぬ)は、必ずしも言葉通りに認識理論なのではない。と云うのは、之は単に認識の理論なのではなくて、正に科学的認識の理論なのである。実際カントが「認識」と呼ぶものが、又「経験」と呼ぶものさえが、ニュートンの物理学によって示されるような科学的体系に近いものを指していた。バークリやロックが問題とした「認識論」と、批判主義が立つ立場としての認識論との、重大な相違の一つは之である。前者は認識を一つの人間的能力としてしか取り上げない、之に反して後者は、認識を、科学的認識を、即ち要するに科学を、認識として取り上げる。ここでは科学という一つの文化が問題なのである。
     批判主義は認識論の名に於て、即ち科学的認識の批判の名に於て、何をなしたか。夫はこの立場からすればおのずから科学の批判でなければならないが、科学に於て批判されるべきものは科学的認識の妥当性――論理的な必然性と客観性――の権利づけであった。認識論はそうした意味で論理学となる(カントの先験的論理学)。――だが科学の権利づけはおのずから科学に於ける様々な意味での方法の検討に導かれざるを得ないだろう、認識論は方法論となるのである。科学的認識――夫はこの立場からすれば取りも直さず科学自身である――の方法を検討することは併しながら、要するに一口で云えば科学即ち科学的認識の基礎の検討に外ならない。批判主義=認識論は科学が立ち而も科学自身は自覚していない科学の根柢を鮮明にしてやらねばならないと考える、それが科学=科学的認識の基礎づけと呼ばれている。
     この場合、科学と科学的認識とがその本質に於て同一視されていることを何よりも吾々は注目しなければならない。と云うのは、科学は何よりも先に、その認識の方法如何によって特色づけられねばならないと仮定されているのである。科学はその対象よりも先にその方法の内に自分の本質を見出さねばならない。――科学は実在に対する社会的人間の労働による獲得物でなければならないのに、ここでは実在という対象は抜きにして方法という観念の獲得過程だけが尊重される。方法は客観から離脱した限りの主観の内で片づけられる。その意味に於て初めて、批判主義は方法論に帰着したのである*。

       * この点に就いては拙著『科学方法論』(岩波書店刊行)〔前出〕参照。


     このことから批判主義に於ける「方法」の概念に根本的な欠陥を結果する。方法は科学的認識という主観過程の外へ出ることが出来ない、そしてそういう科学的認識が即ち科学自身だというのだから、科学自身も亦結局一つの主観過程に還元されて了う。処が実は、科学とは、抑々批判主義自身の認識目的から云っても、一つの客観的な――歴史的社会的な――文化現象ではなかったか。で、そうすると今云ったような「方法」――科学=科学的認識の――は、少くとも科学という客観物の方法としては、不充分であらざるを得なくなる。
     果して所謂批判主義によれば、科学の方法は、科学の歴史的進歩の過程と絶縁された処の、単なる科学的概念構成の基本構造としてしか理解されない。処が実際には、科学を――無論その科学的概念構成を通してであるが――歴史的に進歩させることこそ、方法――科学研究法――の元来の面目ではなかったか。方法の概念は科学的概念構成の基本構造という云わば静態を通って、科学の歴史的進歩の動力として働くという規定にまで拡大されるのでなければ充分でない。
     だから例えば、数学は凡て形式論理による概念構成を基本構造としているから、数学の方法は形式論理のものだなどと結論することは、方法という概念を科学の基本構造という静態としてしか理解しないことであって、実際には、数学の発展は歴史的な弁証法過程をその背後に持っているのである。例えば代数的な量概念は、之によって微積分的な量概念にまで進歩出来たのである。科学の静態的な基本構造と云っていたものは、実はこうした弁証法的――歴史的――発展の結果である一断面に外ならない。数学の方法を数学のこの歴史的進歩という根柢にまで具体化するならば、もはや数学の「方法」は単に形式論理のものだなどと云って片づけることは出来ない*。

       * 数学や又「方法」の上で数学の支配下に立つ自然科学に、イデオロギー性=階級性があるかないかという問題、之はわが国に於ても暫らく前可なり大きな反響を呼び起こした問題であったが、この問題も今の点から原理的に解決出来る。静態――科学の超時間的な基本構造――としては数学は凡て形式論理を方法とする。だが動態――歴史的前進――としては形式論理を方法とするかそれとも又弁証法的論理を方法とするかは一層自由だと云っても好い。と云うのは前者によって数学の新しい領域は恐らく開拓されないだろう。之を開拓し得るためには是非とも後者に依らなければならないだろう。どれが数学の正しい「方法」であるかは、そこで初めて明らかになる。


     批判主義の科学批判に於ける方法の概念は、元々認識の妥当性・論理性・から引き出された。それは「真理」の問題に関わっていた。処が真理とは少くとも科学を歴史的に進歩させるものでなくて何であったか。一切の真理は意識の進歩・前進の真理である。真理は進歩の結果であり又原因なのである。それで本当の方法とは外でもない、云わば真理と進歩との相乗積、云い換えれば、所謂「論理」と歴史との相乗積、だと云って好い。――批判主義は科学の方法を併し、単なる「真理」又は「論理」によってしか理解せず、之を歴史的進歩の過程との相乗積に於ては理解しない。科学に於ける「論理」と歴史とはかくて全く絶縁されて了う。だがそういう「論理」は抑々論理ではないのである。
     だから批判主義は科学という一つの文化の批判を目的としながら、結局之を歴史的な存在として、即ち又社会的な存在として、取り扱うことが出来ない。そのことは併し外でもない、之を文化として取り扱い得ないということなのである。批判主義――文化の批判――は文化を文化としては批判し得ない。処でそれをなし遂げ得るものは正にイデオロギー論でなければなるまい。だがその時は文化も亦もはや単なる「文化」ではない、文化とは実はイデオロギーなのであった。

     イデオロギー論による文化(イデオロギー)の科学的批判に於ては、まず第一にイデオロギー(文化)がその「論理」と歴史(社会――やがて階級)との相乗積の具体性の下に取り上げられる。それが「イデオロギーの論理学」の問題だったのである。そして之が更に第二に社会に特有な一つの機構の下に――アカデミズムとジャーナリズムとの構造を通って――「イデオロギーの社会学」を自分に結び付けるのであった。
     さて科学の批判に就いて今述べたことは、適当な変換の下に、文化一般にそのまま通用する。吾々は芸術に就いて、又宗教に就いて、夫を見ることが出来よう。芸術は芸術的真理と芸術の歴史的階級的発展との二つのモメントの相乗積として、そしてそれが更にアカデミー的芸術(例えば所謂「純粋文学」の如き)とジャーナリズム的芸術(例えば所謂「大衆文学」の如き)との対立連関の状勢の下に、照らし出され得ねばならぬ。宗教も亦宗教的真理と宗教の歴史的階級的消長との統一に於て、そして更に宗教的教壇や大衆的信仰現象の対立連関を通って、吾々の眼の前に浮び出て来なければならぬ。
     だが今は、科学に就いてのイデオロギー論に制限しよう、諸科学の科学的批判に問題を限定するのである。蓋し科学理論は他の一切の文化理論=イデオロギー論の典型だと考えられるからである。

     哲学に於けるイデオロギーに就いて。――凡ての哲学は神話から発生する。ギリシア神話は例えばホメロスの詩に盛られたが、詩人の物語の整理や批判がギリシア哲学の地盤となった。印度に於けるバラモン哲学・支那に於ける儒教や易哲学・わが国の国学・等々も、夫々の民族の神話から発生したものだと見ることが出来る。神話は併し民族の世界観を云い表わす、だから世界観が哲学の地盤となるわけである。
     世界観は無論民族によって夫々異っている。それではこの世界観から発生する哲学も亦、民族によって一つ一つ異らねばならぬ筈ではないか。実際人々はギリシア哲学とか印度哲学とか支那哲学という名を口にする。哲学のこの区別は歴史的事実としてはなる程事実である。だが哲学が単なる世界観と異る点は、それが世界観の合理化されたもの、科学的に組織されたもの、だという処に横たわる。一つの民族にとって合理的に見えても他の民族の眼にも合理的に見えるのでなければ、夫は決して合理的だとは云えまい。だから哲学が単なる世界観ではなくて正に哲学であるためには、その民族的特色と云うものが、一つの事実としての資格を越えてそれ以上に、哲学の本質をなすものだと考えられてはならない。今日の欧洲哲学は、歴史的発生を欧洲に有っているという事実にも拘らず、その本質に於ては、吾々の哲学ででもなければならないのである。之に対して、印度哲学や支那哲学は今日ではそのままでは全く古典学的な遺産にしか過ぎず、わざわざこの古典学的骨董品に自分の根拠を求めようとする処の、この頃流行するわが国の国粋哲学――だが之も亦実は国際現象としてのファシズム哲学の一類例に外ならないのだが――は、事実、全く歴史的な又政治的な反動分子のたわごとに過ぎない。
     ギリシア哲学を源泉とし又主流とする今日の欧洲哲学は、欧洲だけの哲学ではなくて世界の哲学なのである。単なる歴史的事実として見れば哲学の一類例に外ならないこの哲学が、では何故そのような普遍的本質を有つのか。外でもない夫が実証科学との連帯関係を常に見失わなかったからである。
     実証科学――幼稚な・迷信に類する・又発達した・科学性を有った――の知識は、人間の社会生活――物質的生産生活――にとって、欠くことの出来ない実践的知識である。今哲学がこの知識――この実践的範疇体系――と連帯責任を感じている限り、その哲学は実践的となる。と云うのは、人間の生活に役立ち生活にとって実質的な意味を、哲学となるのである。之に反して哲学が之との連帯関係を無視すると、その哲学は生活に役立たず生活にとって何の実質的な意味も有たないから、おのずから歴史的に夫は淘汰されざるを得ない、そうした哲学は発達を止めるのである。
     だが、哲学は実証科学とのこの連帯性――夫を吾々は実証性と呼んでおこう――を有つか有たないかは、元来その哲学を産んだ世界観の如何から来ることを忘れてはならぬ。そこで吾々は、実践的世界観観想的世界観とを対立させることが出来るだろう。無論前者の正統的発生物――逆のマイナス符号の発生物も不可能ではない――が実証性を有った哲学となるのである。――この際例えばギリシア的世界観と云っても決して一つのものだと考えてはならぬ、世界観自身が歴史的に推移又は発達する、ギリシア的世界観と一般に呼ばれるものも実践的世界観と観想的世界観との結合の様々な諸相を歴史的に展開して見せたというのが事実である。実践的世界観と観想的世界観とは、世界観に於けるモメント又は世界観の性格を云い表わす、必ずしも歴史的に与えられた或る一つの世界観そのものの名ではない。
     実践的世界観と云ったが、古来どれ程観念的な世界観であっても或る意味に於て実践的でなかったものはない、却って多くの観想的世界観は、それが観想的であればこそ或る意味の実践性を主張する。原始仏教や儒教の「実践」哲学がそれである*。之に反して実践的世界観は、実践的であり得るが為めに却って一見観想的にさえ見えることがあるだろう。純粋自然科学の発達――そこから人間の技術が発達して来た――はそう云う世界観の齎物なのである。で、実践的世界観とは、云わば道徳的「実践」などを重んじる世界観のことでは必ずしもない、それはあくまで、科学的「実証」を重んじる世界観であったことを注意しておこう。

       * ソクラテスはギリシア哲学(それは元来自然哲学であった)の内にその「実践」哲学を導き入れた。処がプラトンに来れば明らかになる通り、このギリシア人にとって最も秀でた実践は正に「観照」なのである。――「実践」が如何に非実践的であり得るかが之でも判ろう。


     さてそうすると、実践的世界観から発生する又は夫が根柢に横たわっている哲学は、当然実証性を有った哲学――但し無論かの「実証哲学」のことではない――、即ち実証科学と連帯を有った哲学、であらざるを得ない、ということになる。

     実践的世界観から裏づけられた哲学は、まず第一に唯物論的存在論である。之に反して観想的世界観に裏づけられた哲学は第一に、観念論的存在論となる。蓋し一般に存在論――存在・実在の理論――は哲学体系第一段だと考えられる(第二段に就いては後を見よ)。
     ギリシア哲学が学的な――単なる世界観ではない処の――哲学として始まったのはタレスからだと云われるが、そのタレス以来、ソフィスト達が出て来るまでのギリシア的世界観は、実証的な従って実践的な根本特色を以て貫かれている。そこでは自然や根本物質が中心の問題であり(自然観)、ピュタゴラス学徒の数の思想からが実はこの自然や根本物質の根本問題に答えるための一つの自然観であった。タレス自身が秀でた技術的知識の所有者であったことは知られている。処でこうした実証的・実践的・な世界観によって生まれたこのソクラテス以前の自然哲学は、何よりも唯物論的存在論として組織立てられている。それを最もよく代表するのはデモクリトスの原子論であった。デモクリトス的唯物論――原子論――が今日の実証科学に於ける原子論――原子物理学や量子論――の原型に当るということは必ずしも偶然ではない。
     観想的世界観は最も好くプラトンの世界観に現われる。そして夫がプラトンの存在論を決定しているのである。彼――彼は当時のアテナイ貴族の最も卓越した代弁者である――によれば、観想こそは優れた生活の態度である、思索のための思索こそは人間の最高の天命なのである。だからこの世界観による世界像は諧調的な構造美を有つ宇宙――秩序の完成――であり、彫塑的な完璧である。そこでは働くことが必要なのではなくて観ることが凡てでなければならない、存在は観想されねばならぬ。存在としての存在は見られてあるものとなる、之が元来彼のイデア――観念――の意味であった。そしてここからその存在論であるイデア論が始まる、それが観念論の原型に外ならない。
     この二つの古典的な原型で見られるように、唯物論と云い観念論という存在論に、たとえありと凡ゆる種類と分派とがあるにしても、一切の哲学は終局に於て観念論か唯物論かに帰着せしめられることが出来るのである。
     処が、一般に存在論は存在に関する哲学体系であったが、哲学体系は範疇の体系によって初めて組織立てられる。そして範疇の体系の形式を取り出して見るとそれが所謂論理学なのである。世界観は存在論を決定したが、今度は存在論が論理学を決定しなければならない。世界観―存在論―論理学。
     実践的世界観は唯物論的存在論を決定し、之に反して観想的世界観は観念論的存在論を決定した。では唯物論的存在論と観念論的存在論とは夫々如何なる論理学を決定するか。前者は(唯物)弁証法的論理を、後者は形式的論理を決定するだろう。
     唯物論的存在論によれば、存在は物質――之は物理学でいう物質の範疇とは別である――である。と云うのは、存在は終局に於て観念――人々は之を主観とか意識とか自我とか名づける――から独立に存在する、従って又観念の力を借りることなくみずから運動する、と考えられる。だからここでは観念はいつも自分の外に横たわって運動している存在を捉えなければならない。処で論理とは観念が存在を捉えるための観念形式なのだから、この場合の論理は単に論理としての論理――論理・観念の自己同一性――に立脚することに止まることは出来ずに、論理外のものの論理化として機能しなければならない。即ち論理は単に論理としての論理ではなくて、非論理的な存在に関する論理でなくてはならぬ。之が矛盾と呼ばれる特色をなす。こうした論理機能を自覚したものが弁証法的論理である。そして弁証法的論理は、今述べた処で判るように、常に唯物論的なものでなくてはならなく出来ているのである(但し弁証法は何も論理に限らない、元来夫は存在の運動法則だということを注意しておこう)。
     之に反して観念論的存在論によれば、存在とは観念ということである。だからこの場合の論理は、観念に就いての観念の把捉形式の外ではない。論理は論理・観念の自己同一性にさえ立脚すれば好い(同一律と矛盾律)。そうした論理が形式的論理なのである。――唯物論は弁証法的論理を、観念論は形式的論理を、決定する。
     観想的世界観―観念論的存在論―形式論理学。及び実践的世界観―唯物論的存在論―弁証法的論理学。まずこの二群の公式を以上のように導来しておこう。

     さてこの二群の公式は哲学イデオロギーの歴史的発生の順序と構造とを云い表わす。そして之が今のブルジョア哲学プロレタリア哲学とを区別する組織的な測定器であることを注意すべきだ。でこの公式は哲学というイデオロギーの歴史的社会的存在に関する階級的制約を云い現わすものなのである。
     だが一般にイデオロギーの階級性――それが特に微細に具体化されると党派性ともなるが――は決して、イデオロギーの今云ったような歴史的社会的存在に関する階級的制約に尽きるのではない。と云うのは、どのイデオロギーが真理であってどのイデオロギーが虚偽であるかが、イデオロギーの何よりも重大な階級性の内容だからである。
     処でブルジョア哲学とプロレタリア哲学と、いずれが科学的に真理であるか、これも亦今の公式によって、終局的に解答されることが出来ねばならぬ。それは形式的論理学と(唯物)弁証法的論理学とを、その論理としての資格に於て対比すれば出て来ることである。――一体形式的論理学は存在をその運動の現勢に於て捉えることが出来ない、それは存在を形式的な自己同一性に於てしか捉えることが出来ない、之に反して(唯物)弁証法的論理学は存在を運動のままの姿に於て捉えることが出来また捉えねばならぬ(蓋し弁証法に於ける矛盾とは、運動するものを運動のまま捉えようとする場合を、形式論理の範疇で批評したものに外ならない)。所で実際存在は、少くとも運動し得るものでなければなるまい。――だが弁証法的論理学は決して形式論理学と互角に相反撥するのではない、すでにそれは形式論理学を自分のモメントとして、一つの特殊な極限の場合として、含んでいる。存在はその静止の状態に於てのみ形式論理学の範疇に忠実なのである。で形式論理学は弁証法的論理学の一つのセクションに過ぎない。一体何れが論理として役に立ち又普遍性を持っているかは、之で判るだろう。
     夫々の世界観や夫々の存在論は、銘々他の世界観や存在論から独立であることが出来る、いずれが正しくいずれが不当であるかなどという比較を、拒もうとすれば拒むことは出来る。だが論理になるとそうは行かない、独立な二つの論理などは許されようがないのである。かくて世界観や夫によって歴史的に決定される存在論は、最後に一定形式の論理学にまで歴史的に決定されるに至って、初めて逆にその論理的な是非を溯源して判定されることになる。歴史的社会的秩序としては世界観―存在論―論理学の順序であったが、論理的秩序としてはこの逆の順序が導き出される。――かくして初めて哲学というイデオロギーの階級性が明らかにされる*。

       * 以上の細かい点に就いては拙稿「イデオロギーとしての哲学」(『イデオロギー論』――理想社版の内)〔本全集第三巻所収〕を見よ。



     哲学に関する「イデオロギーの論理学」は大体こうだとして、吾々は之を「イデオロギーの社会学」にまで結び付ける約束であった。
     哲学イデオロギーに於けるアカデミズム――講壇哲学――は、凡ての資本主義国に於て殆んど例外なくブルジョア哲学の群に這入ることを思い出そう。そうすればプロレタリア哲学――マルクス主義哲学――はおのずから、そういう国々に於ては、ジャーナリズム哲学としてしか発生しないし又生存出来ない。処がジャーナリズム哲学と雖もアカデミーのブルジョア哲学の評論化・通俗化・俗流化に過ぎない場合が少なくない。だから今日のプロレタリア哲学――唯物弁証法の哲学――は、一方に於てアカデミズムのブルジョア哲学に対抗するばかりではなく、他方ブルジョア・ジャーナリズム哲学(例えばファッショ哲学や国粋哲学)にも対抗しなければならない。即ち今日多くの国のプロレタリア哲学は、後者の場合に於てはプロレタリア・ジャーナリズム哲学を、前者の場合に於てはプロレタリア・アカデミズム哲学を、その目標として進まねばならぬ状態に置かれているのである。
     資本主義国に於ける哲学イデオロギーは、凡てのイデオロギーがそうであるように、ジャーナリズムとアカデミズムとの収拾すべからざる分裂に陥っている。そこでアカデミズム諸哲学は自分に対する大衆の意識的なジャーナリスティックな批判によって迅速に規則的に整理される機会が殆んど全く無いから、いつもありと凡ゆる諸説の紛糾に煩わされざるを得ない。アカデミズムの哲学はそのアカデミー的研究機構によって勢力的に進歩するのではなくて、却って固陋な意識による回り道と繰り返しと重複とを通して、エネルギーを無統制に浪費せざるを得ない。同様に又ブルジョア・ジャーナリズム哲学はアカデミズムの基本的な訓練を獲得する機会を有たないので、永久にその俗流性を脱することが出来ないから、諸説が切り合う整理点に到着することが出来ない。こうやってブルジョア哲学は、無意識な見渡し難い程の雑多な対立を引き起こす。このことは併しブルジョア哲学者が信じるような豊富な個性や独創を意味するのではない、全くその反対なのである。
     ソヴェート連邦に於ける哲学は、イデオロギー一般のジャーナリズム的契機とアカデミズム的契機との有機的連関の故に、ただ一つのマルクス主義哲学――唯物弁証法の哲学――がアカデミカルでありながら而もそれの大衆化――それが本当のジャーナリズムだ――を見失うことなく、追及され得る与件を持っている。恐らくこうした形の研究に於てこそ、個性や独創も組織的に活用され得るだろう*。

       * 拙稿「ソヴェート連邦の哲学」(『新ロシヤ』第三号)〔本全集第三巻所収〕参照。――なおその国に於けるアカデミズムとジャーナリズムとの積極的な結合は、ソヴェート連邦の新聞の諸機能を見ると判る。そこではニュースとテキストとが積極的に結合されているのが特色である。



       

     数学に於けるイデオロギーに就いて。――数学は最も抽象的な科学だと考えられる、というのは、夫が第一に存在から最も離れており、従って又歴史的社会的制約を蒙ることが一等少ないと考えられる。多くの人々にとっては例えば数学の階級性などはあり得ない。7に5を加えれば12になるという関係は、プロレタリアにとってもブルジョアに取っても変らない真理だ、と人々は云うのである。で数学自身には――数学の応用や歴史はどうか知らないが――イデオロギーなどはあり得ない、と人々は考える。
     それは一応そうである、ここかしこに無限に見出される数学の部分々々に就いては確かにそうである。だが、それで凡ての関係が竭くされるのではない。――数学に於ける根本概念=範疇は云うまでもなく他の諸科学の範疇と連帯関係になくてはなるまい、就中哲学的諸範疇と一定の共軛関係に立つのでなければ事実数学的認識は根本的には成り立たない。数学の基礎・背後にはいつも哲学があるのである。
     P・デュ・ボア・レモンは数学者を有限論者と無限論者との二陣営の哲学者に分類したが、有限無限の問題は、そして之と直接に結び付いて連続不連続の問題は、古来数学の根本概念=範疇そのものに関係した問題であった。ところが有限無限・連続不連続とは、外でもない存在の形式的規定そのものではないか。ここで取り上げられるものは云わば形式的な存在の理論――存在論――なのである。ここでは数学的範疇はもはや単に数学のものではなくて哲学のものとなる。
     古代に於ける無限主義・連続主義はアナクサゴラスによって、又有限主義・不連続主義はデモクリトスによって代表されたと云われるが、近世数学に於ける無限主義・連続主義はライプニツ又はニュートンの微分の概念によって確立されたと云って好い。微分の概念が有つ哲学的意味を近代に至って普遍的に指摘したのはコーエン一派のマルブルク学派であった。之に反して同じく近代に於て、有限主義・不連続主義の立場に立ちながらこの無限や連続を捉えようとしたのは、デーデキントとG・カントルとによる要素(Element)の概念である。集合論はこの要素の概念から出発するのである。
     有限主義・不連続主義の系統は、B・ラッセルやクテュラの手を通って、ヒルベルトの公理主義乃至数学的形式主義に到着し、無限主義・連続主義の系統はブローエルの直観主義に到着する。元来無限乃至連続の問題は「集合論の二律背反」とか「無限者の逆説」とか呼ばれている困難を持っているのであり、そしてこれ等の二律背反乃至逆説は数学的「存在」の概念に連関して生じて来るものであったが、形式主義は有限不連続な固定的なこの数学的存在――要素・数其他――から、一切の論理的・概念表現的・意味内容を捨象して、この存在を単なる記号にして了うことによって、今云った論理的困難を脱しようと企てる。之に反して直観主義は、数学的存在の論理的な概念が仮定する固定的存在の思想を斥けて、数学的根本直観によって数を自由な生成として把捉し、そうやってかの論理的困難を解こうと試みる。だがその結果、直観主義は、形式論理の法則を悉くは承認出来なくなる、排中律の如きは破棄されねばならなくなるのである。
     エレア主義ヘラクレイトス主義とにまで還元出来るだろう数学に於けるこの二つの世界観乃至存在論は、だから実は直ちに論理学上の対立を意味している。形式論理学は、その一切の論理的意味内容を棄て去ることによって辛うじて形式論理学に踏み止まるか(形式主義――論理計算)、それでなければ形式論理学的法則の一部を棄て去らねばならぬ(直観主義)。数学は形式論理をあくまで固執するか、それでなければ先々のあてもなくこの形式論理の一部分を棄てねばならない。数学は云わば論理学的危機に立っているのである。
     この危機は併し元来例の二律背反乃至逆説の処理の仕方から結果したものに他ならなかった。この二律背反乃至逆説の論理的意味を検討し直すことによって、この危機を切り抜ける方針は見出されるべきだ。――処で二律背反なるものは、論理が論理以外のものを取り入れようとする関係を論理自身の側から名づけたものに外ならない。と云うのは、それは外でもない、弁証法を形式論理の側から局部的に名づけたものなのである(だからカントに於ても二律背反はその「弁証法」にぞくしている)。弁証法の本質は形式論理の側から見ると単なる矛盾としか写らないが、二律背反とは遂に解くべからざる一種の矛盾ではなかったか。
     文学的反省に於て逆説やアイロニーが弁証法的本質として一般的に捉えられていないのを常とするように、今の数学的認識に於ても、この二律背反が充分に弁証法的なものとして自覚されていなかった。そこから、かの数学の危機が発生して来たのである。数学の危機を解くには、少くとも、数学の認識に於ける形式論理学の仮定をすてて、弁証法的論理学を採用すれば好いだろう。実際、弁証法とは形式的に云えばエレア主義とヘラクレイトス主義との弁証法的な統一なのである。
     (形式論理に対する懐疑を有つ点では直観主義は一応形式主義に優っている。だが、数学的存在を主観的な「直観」によって規定しようとした点では、直観主義は、云わば客観的な存在のモデルにも相当するだろう符号――シンボル――を数学的存在だと考える形式主義に、遠く及ばないもののようである。)
     さてここまで突きつめて来ると、数学的範疇――数学的世界観・存在論・論理――のイデオロギー性は明らかだろう。弁証法的論理学を(そして夫は唯物弁証法のことでなければならない筈であった――前を見よ)、採用するかしないかは、数学の歴史的前進にとって致命的な問題なのである。処が弁証法(唯物弁証法)的論理は、正にマルクス主義的論理学であった。之を採用するかしないかは、だから単に数学の歴史的前進だけの、又数学だけの、問題なのではない、夫は一切の範疇と連帯関係を持ち、従って又一定の社会的定位を持つ処の、問題なのである。それが数学のイデオロギー性に外ならない。
     (数学に於ては、物理学や化学に於けると同じく、例えば哲学や社会科学又更に文芸や宗教などとは異って、「イデオロギーの社会学」――ジャーナリズム・アカデミズム・機構――はあまり問題にならないから之を省こう。)

     自然科学に於けるイデオロギーに就いて。――今世紀の初頭から、時間や空間、物質やエネルギー、に関する概念を次第に訂正しなければならなかった物理学は、この七八年来、遂に因果律に対する疑問にまで到着した。処が因果律の問題は、古来、自由乃至自由意志の問題と切っても切れない縁故があるという点からだけ云っても、物理学にとっては之程公共的な問題はないと共に、又之ほど致命的な問題はない。物理学に於けるイデオロギー性は、現在、この問題に連関して、そして物理学者の哲学イデオロギーを通じて、鮮かに明るみへ暴露されつつある。
     何時の時代を取って見ても、物理学の世界では――尤も何処でもそうだが――様々な異説が対立していた。例えば光の粒子説や波動説、熱に関する熱素説や熱量説、等々。だがそう云った諸説の対立は云わば物理学の内部だけの問題であって、必ずしも直ぐ様外部との交渉に影響したとは考えられないだろう。処が因果律に就いては、もはや問題は単に物理学に限られることは出来ない、すでにカントは因果の関係を先天的な範疇に依って哲学的に演繹して見せたし、それより前には哲学者ヒュームがそれの論理的通用性を拒んだと考えられるので名高い。――で物理学者は今や、この問題をめぐって二群の哲学者として対立する。決定論者不決定論者。と云うのは因果律の固執者と放擲者とである。そして注意しなければならないが、多くの物理学者が暗々裏に意識している処に従えば、決定論は唯物論に帰着し、不決定論は観念論を結果する、というのである。蓋し不決定論は、因果的必然性の外に、偶然性を許すことだが、一旦之を許せば、自然界の内にも自由自由意志を許すこととなり、それはやがて、所謂精神主義へ、又神秘思想へ、導く処のものだろうからである。
     不決定論の根拠はハイゼンベルクの不決定性の原理に基いて理解される。之に従えば、大量観察の際はとに角として、微細な現象の個々の場合に就いては、原理的に云って因果的必然性に充分の信頼を置くことが出来ない、そこでは一定の限界から先、全くの偶然性が支配しなければならぬ、と云うのである。例えば自由電子の空間的位置を充分に精密に決定――測定――するためには、之に一定度以上の光を与えなければならない、が電子のような微細な物質に光をあてることは電子の運動量乃至速度に変化を与えることになる。従ってそれだけこの電子の運動量乃至速度の測定は不精密にならざるを得ない。逆に之等を充分に精密に測定し得るためには空間的位置の測定はそれだけ不精密であらざるを得ないだろう。物理学的対象が持つ二つの量を同時に測定する場合、常に一方の量の測定の精度を犠牲にしなければ他方の精度を得ることが出来ない。
     この関係は物理学的測定それ自身が一つの物理的作用であり、従って測定は測定装置と測定されるものとの客観的な交互作用だということに由来する。物理的作用は量子論によれば一定の単位である作用量子(Wirkungsquantum)hの倍数を以てしか作用し得ないから。このダイメンションに相当する範囲に於て、本来測定は不精密であらざるを得ないのである。で交互作用をなす一対である二つの量p・qの同時測定の際に於ける夫々の精度乃至不精度Δp・Δqは、Δp・Δq〜h(〜はダイメンションの同一を意味する)の関係によって与えられる。――之が不決定性の原理である。
     こうした不精密さは併し、因果律の適用をおのずからそれだけ不精密にする。自由電子の位置が充分に精密に測定され得てもその運動状態がそれだけ不精密にしか測定され得ないから、次の瞬間この電子の状態は精密には決定出来ない。処が一切の個々の事物が一切の個々の瞬間に就いて、完全に精密に決定されているということが、因果律の要請ではなかったか。ここにはだから偶然性が支配する、電子の位置の如きは、一つの可能性蓋然性にすぎない。電子の存在は、電子の存在の蓋然性に外ならない、とも云われている。
     この測定に於ける不精密さは併し、決して測定という主観的な研究方法によって初めて引き起こされたものではない。量子論で云うように物理学的対象――存在――そのものが量子的であったが故に測定作用も亦量子的であらざるを得なかった迄である。問題は一対の物理学的量の客観的な交互作用の内に横たわる。だから不決定性の原理は人々が往々想像するだろうような認識主観の限界を意味するのではない。でここに出て来る偶然性は、認識主観から由来するのではなくて客観的な存在そのものにぞくしているのである、今この点を忘れてはならない。従って、存在そのものは因果的に決定されているが、偶々之を認識する場合に、認識主観がもつ制限の故に充分に因果律を適用出来ないのだ、という解釈は許されない。所謂因果律は物理学的対象それ自身に於てもはや行われないのだ、というのが不決定論者の本当の――最も徹底した――主張であるべきなのである。
     ハイゼンベルクやシュレーディンガーの不決定論に対して、M・プランクは依然として決定論を支持する。プランクはこう主張する、なる程感性の世界に於ては事件の予見はいつも一定の不精確さを脱することは出来ないが、物理学的世界像に於ては一切の事件が一定の与えられた法則に従って因果的に厳密に決定されている、で所謂不決定性は感性界の事件を物理的世界像へ移行する際の不精確に帰着するのだ、と。その実在論的傾向にも拘らずカントを通して或る意味のマッハ主義者に止まっているプランク――但しマッハは彼の有名な論敵ではあるが――は、かくてかの不決定性を結局単に人間の主観性(擬人化)に帰着せしめる。之は前に述べた処に従えば、不決定論者に対する充分な解答ではあり得ない。だから彼はその固持しようとする因果律を高々一種の発見的原理に過ぎないものにまで譲歩させる。因果律は彼によれば真理でも嘘でもないのである*。

       * M. Planck, Der Kausalbegriff in der Physik, 1932, S. 11, 26.


     さて、決定論も不決定論も、因果乃至必然性の概念を機械論的にしか理解していない、そして之を固持したり排斥したりしようとするのである。決定論とは機械論的決定論であり、不決定論はこの機械論的決定論の否定でしかない。――と云うのは、両者は、一旦バラバラに他から切り離されて孤立した個々の事象、を仮定しているのであって、決定論が之を機械的な因果必然性によって機械的に結び付けることが出来ると主張するに反して、不決定論はかかる機械的結合を拒もうとするのである。いずれの場合にも、必然性――因果――と偶然性とが機械的に、動かすべからざる固定的な区画によって、対立せしめられている。
     だが実際には、他から孤立した、その意味に於て絶体固定化された個々の事象などはないのであって、如何なる個々の事象であっても常に他の事象との連関――交互作用や対立――に於てしか存在せず、又そういう連関に於てしか把握されない。その意味に於ては一つ一つの個々事象というようなものは実はないのである。量子論が一切の事象を大量現象として見なければならなかったのは、だから当然なことなのであった。それ故こうした個々事象を結合するような機械的な必然性――決定性――は実はどこにもあり得ない。
     本当の必然性は、それ自身偶然性との弁証法的な統一の下に、初めて必然性であることが出来る。存在は単純に必然的であったり、単純に偶然的であったりするのではない、必然性と偶然性との節度ある結合の下に置かれているのである。――存在は本質現象形態とを以て初めて存在する、本質は現象形態を縫って、現象形態を通じて、自らを一貫する。処でこの本質は存在に於ける必然的なるものであり、之に反して現象はこの必然的なるものの偶然的なるものの外ではない。こうして正当に理解されたものが必然性の弁証法的概念である。ここでは因果の概念も亦弁証法的に理解されねばならぬ。決定論はここでは機械的決定論ではなくて正に弁証法的決定論でなければならぬ。
     こう考えて来ると、この弁証法的決定論がかの所謂「決定論」――機械的決定論――と不決定論との和解すべからざる矛盾を解くものとして現われることは、すでに明らかだろう。――困難を解くものは、要するにここでも亦弁証法でなければならないことが判る。
     現代物理学はその問題の客観的な進歩にも拘らず、ブルジョア哲学の諸範疇――機械論・又形而上学――を棄てることが出来ないばかりに、その根本概念――因果的必然性――を困難に陥れて了っている、それを救うものは今やマルクス主義哲学の諸範疇――弁証法――の外にはないだろう。吾々はそういう結論に到着する。――でここまで来れば、物理学に於けるイデオロギー性の内容は、もはや疑う余地があるまい*。

       * 以上の点に就いての多少細かい説明を拙稿「自然科学とイデオロギー」(『知識社会学』――同文館)〔本全集第三巻所収〕で与えた。



     物理学に於ける決定論と不決定論との対立に比較すべきものは、生物学に於ける「機械論」と「生気説」との対立である。――前者における無機的物質現象の代りに、ここでは生命の現象を置き替えれば好い。そうすれば不決定論はやがて生気説に相当するものになるのである。なお機械論は両者を通じて殆んど同一のものだと見て好い。
     素朴な生気説は機械的必然性の外に、之と独立な、又は之を或る程度だけ犯すことを許される、独自の力――生命力――を仮定する。この仮定は併しながら、丁度物理学に於ける不決定論による偶然性や自由の導入の場合に人々が想像したと同じに、物理的化学的認識の統一――それは機械論的因果必然性によって完全に支配されねばならないと従来考えられて来た――を破壊することをしか意味しない。生命力は、因果関係の外に、恰も之と逆行する処の目的論を導き入れる。目的論も丁度吾々の意識的行為がそうであるように、因果律を用いるのではあるが、結果を予見することによって初めて原因を選択するのであるから、因果そのものの逆行でしかない。(機械的)因果と目的論とは絶体的に対立する。処がそれが、生気説によれば同時に生命現象の説明原理でなければならないのである。
     だが機械論者の云うように、生命現象であっても一つの自然現象である以上、物理的化学的説明を与え得なければならないと云うのも尤もであるし、又之に反して生気論者が主張するように、生命現象は到底単なる物理的化学的現象に還元出来そうにもないというのも亦事実のように見える。二つの主張はそこで何とか調停されなければならない。
     新生気説はこの調停を目指して現われる。H・ドリーシュによれば、生物即ち有機体が他の無機体と異る点は、それが因果系列の上で・構造の上で・又機能の上で、調和性を有ち、且つ調整の能力を持っているということにある。こうしたものは所謂目的論に外ならないが、目的論にも彼によれば二つのものを区別しなければならない。第一は、事物の時間上の発展の予定された可能的運命と実現する現実の運命とが一致している場合で、静的目的論であり、第二は之に反して、この可能的運命が現実的運命と一つではなく、前者の諸可能性の内からどれか一つの可能性だけが一種の偶然性を以て選択されて実現される場合である。之が本当の――動的な――目的論だと考えられる。機械のようなものは一定の目的の下に構成されているから合目的的に運動することは間違いないが、その運動には何の偶然性もあり得ないから、その目的論は静的なものにしか過ぎない。生物に固有なものは之に反して動的目的論である、とそう彼は主張する。
     だから生物には機械的な因果の系列の外に、之と並んで、エンテレヒー(Entelechie)と名づけられる運動の決定要因がなければならず、生物はこの要因によって、他のものから区別された固有法則を持つ処の自律性を示すのである。生命の固有法則性(Eigengesetzlichkeit)とは之である。
     だが生命のこの新生気論的説明は、真の機械的説明とは少しも矛盾しない、とドリーシュは主張する。何故ならエンテレヒーなる要因は物質でもエネルギーでもなく、又物質やエネルギーを生ぜしめたり消滅せしめたりするような物理的・化学的な外延量でもない、からである。エンテレヒーはただ、物質乃至エネルギーの可能的な諸転換の内から、特に或る転換だけを現実すべく、合目的的に選択し得る嚮導原理の外ではない。夫は何も別に新しい作用を及ぼすのではなくて、ただ与えられた諸可能態の内の一つを除く凡てを、単に抑圧・制止するだけなのである。――だからエンテレヒーの仮定は自然の機械的因果律を少しも破るものではない。この因果律を少しでも破って好いと考えたのは旧生気説であり、そしてそこにこそ初めてこの生気説の困難があったのだが、ドリーシュの新生気説によればこの困難は避けられる、というのである。
     吾々は目的論一般に就いて分析している暇を持たないが、カントの目的論が自然の因果とは全く段階を異にした領域の原理であったとは異って、ドリーシュのエンテレヒーは、この機械的因果と同列に並ぶ処の自然要因の一つであったことを注意せねばならぬ。だから如何にそれが積極的な作用力を持たずに単に消極的な制止と抑圧との嚮導原理に過ぎないと云っても、その制止乃至抑圧は消極的ではあっても実際にはそうした制止とか抑圧とかいう一種の――積極的な――作用力でなくてはならぬ。之は物理的・化学的作用と干渉し合わざるを得ない。でそうすれば新生気説と雖も、この形態の下では矢張り一種の――精妙な――旧生気説にしか過ぎないだろう。だからドリーシュの新生気説は生気説と機械論とのかの二律背反を解くことは出来ない。ドリーシュの可なりに精緻なその生気説乃至目的論が、あまり科学的信用を博さないのは、恐らくこの幻滅に由来しているのではないだろうか。

     問題の困難は併しながら機械論的因果律の概念自身の内に横たわっている。と云うのは、機械論者によっても新旧生気論者によっても、因果律は機械論的にしか把握されておらず、そう把握した因果律を仮定して問題が堂々巡りをしていたのである。処が、すでに所謂「近代物理学」に於て見たように、元来因果律そのものが機械論的に理解されることはもはや今日では許されなくなっているのである。機械論的に把握された必然性に対する同じく機械論的に把握された偶然性、そういう偶然性の概念を固執する限り、如何なる目的論――生気説――も機械論の困難を救うことの出来ないのは当然である。――因果は弁証法的に理解されねばならなかった、従って又偶然性・目的論・生気説も、弁証法的に理解されるのでなければならぬ。
     そこで弁証法的方法によれば、無機的物質と生命との間には連続的な推移があるにも拘らず、段階的な質的相違が横たわることが見のがされない。生命現象は一種の物質現象であり、従って物質現象に行われる諸法則――物理的・化学的・法則――が無論之を支配しなければならないが、そうであるからと云って、この種の法則だけで生命現象が説明されるとしたら、それは全く機械的な公式的な願望でしかあるまい。生命には生命に固有な質的特色を有った法則――それが生気説によって目的論とか何とか呼ばれた――がなくてはならない。一応こう考えれば、所謂機械論と所謂生気説とのかの二律背反は解ける筈である。
     だが、自然に、単なる物質現象と生命現象という、諸段階があるということに注意することは、まだそれだけでは弁証法的思惟にはならない。必要なものは、何故自然にそうした段階が存在するかの説明である。そしてこの説明を与えるものこそ(唯物)弁証法に外ならない。自然とは自然史的発展の結果である。生命はそうした結果の一つの外ではない。だから生命現象はその内部規定として、自然が生命にまで発展して来た自然史的過程を、そのモメントとして持っている。物理的化学的構造はそうしたモメントの一つだったのである。生命現象の有つ固有法則性は、生命に至るまでの自然の時間的蓄積に相当する。この歴史的経歴を抜きにして、直接に単なる物理的・化学的原理だけで説明しようとしても、それが無理だということは、だから極めて当然ではないか。――でこう云う意味で、生命は、少くとも機械論的にでなく、又機械論的な生気説によってでなく、正に弁証法によって把握される外に道を残さない。新物理学の進歩と並行するためにも、生物学はこの途を取らざるを得ないのである。
     自然史的発展のこの弁証法的な理解は、種の起源に就いて云えば取りも直さず進化論の思想となって現われる。反対に云えば、進化論の本質――それは自然史の弁証法的認識である――は当然に、生命のこうした弁証法的な理解にまで導く筈だったのである。――吾々は物理学に於ける不決定論の問題と、生命に関する生気説の問題と、更に種の起源に関する進化論の問題とが、期せずして、(唯物)弁証法というイデオロギー性格によって、一貫して連絡を与えられたことを、注意しなければならない*。

       * 以上の点に就いては拙稿「生物学論」(岩波講座『生物学』〔本全集第三巻所収〕に多少詳しい。


     生物学のイデオロギー性は併し、数学や物理学の場合に較べて、より広範な作用を有っている。外でもない、生命はやがて社会にまで自然史的発展を有つべきものなので、ここでは社会との接触が甚だ屡々問題とならねばならないからである。例えば人々は生物学に於ける専門的知識を利用して社会問題や人生の問題を解こうと試みる。すでに進化論は、そうした社会認識の方法としても亦、一つの有力なイデオロギー・「思想」であった。このことは進化論がアメリカの教会あたりから敵視されているとか、又わが国では却って生物学者にキリスト教徒が多いとかいう、極めて卑近な例から知り得るばかりではなく、進化論がマルクス主義的唯物史観――コンミュニズム――と連帯関係にあることを注意すれば、もっと明らかに判るだろう。クロポトキンも亦生物学的認識から出発する。古典的社会学がその生物主義によって促進されたのも事実だろう。遺伝学――獲得質遺伝の問題――とか優生学とかは、極めて強い政治的・社会的な特徴を有っている。自然科学の内で最も露骨にイデオロギー性――階級性――を有つものは生物学なのである。
     この点から必然的に出て来ることであるが、生物学は数学や物理学に較べて、著しくジャーナリスティックな性質を表わすことが出来る。だから又、そこではアカデミズムとの対立が屡々重大な関心事をなすのである。G・フロイトの精神分析学――フロイト主義――は、生物学が、医学や心理学との連関に於て、云い表わされたものに外ならないが、之は今ではジャーナリズムを支配する一つのイデオロギー・思想であって、文学者達さえが之を好んで口にすることを忘れない。処が固陋な或いは慎重なアカデミズムの上では、フロイト主義は必ずしも科学的信用を有っているとは限らないように見受けられる。吾々はこの一例に於ても生物学イデオロギーに於ける、ジャーナリズムとアカデミズムとの対立を見ることが出来るのである。そして大切なことは、こうした科学は、単にアカデミズムを通してばかりではなく、又ジャーナリズムをも通して、恐らく初めて科学的発展を有つことが出来るだろうという点である。

       三

     最後に吾々は社会科学のイデオロギーに就いて語らねばならぬ。蓋し科学に於けるイデオロギー性――階級性――が最も顕著に現われるのは、恰も社会科学に於てであるのだから。
     社会科学に於けるイデオロギー性・階級性の特色は、それがブルジョア社会科学プロレタリア社会科学という、異った二つの体系として対立するという現象の内に見られる。人々の単純な考え方に従えば、科学はどんな科学でも真理の体系でなければならず、そして真理はプロレタリアにとってもブルジョアジーにとっても斉しく真理であればこそ、初めて真理であることが出来るのだから、苟しくも科学としての科学にそうした階級的対立などがあろう筈がない、と考えられるだろう。なる程一応尤もではあるが、実際は、殆んど全く異った――併し無論共通の点がないのではない――二つの科学体系が現に存在し、而もその銘々が発達すればする程、互いに歩み寄る処ではなく却って益々その対立を深めて行くというのが事実である。だからこの対立は、この二つの科学がまだ充分に発達しないために銘々事物の異った夫々の側面をしか解明出来ないので両者の連絡が断たれている、というようなことを意味するのではない。ブルジョア社会科学はブルジョア社会科学なりに、プロレタリア社会科学はプロレタリア社会科学なりに、吾々の時代は他の諸科学に較べて決して発達の後れてはいない筈の、社会科学を持っている。それにも拘らず、そこには階級的対立が愈々著しい。
     その社会学的原因は云うまでもなく、社会科学が言葉通り社会の科学であり、従って他の諸科学に比較して、社会階級に対する関係が異質的に濃いということの内に横たわる。社会科学の理論は、ブルジョア社会科学者が何と云おうと、一定の社会的実践と直接に結び付いている。社会科学は科学である以上無論公平無私な態度と純粋な――主観的情意から純粋な――理論構成とに従わなければならないが、それは何もこの理論が実践から独立に無関係になるということを意味しない。もしそういうことが必要ならば、所謂政策的諸科学は決して科学性を有つことは出来ないだろう。
     二群のこの対立する社会科学は、そこで、事実上は――意識するとしないとに拘らず――常に夫々のプロレタリア的な又はブルジョア的な社会的実践意識・即ち階級的利害によって、成り立っている。一方の階級と利害を共にしているものは、その階級のイデオロギーによってそれに相当した社会科学を構成する、之れによればその階級の利害が――意識するとしないとに拘らず――常に擁護されるのは至極当然だろう。で、こうして真理は、社会科学に於ては二つに分裂するように見える。だが真理は無論唯一の標準をしか有たない筈だろう。そうすれば一体この真理の分裂現象は、論理学的にどう説明されるか。
     併し科学的理論は云うまでもなく理論の体系であって、抽象的な之あれという真理の断片なのではない。二つの社会科学体系が、その対立にも拘らず銘々夫々の科学性――真理性――を自負することが出来るのは、理論に於けるこうした論理の云わば、立体性に基くのである。一定の端初出発さえ与えられればあとは論理の単なる整合をたよりにして、諸考察や実証的諸事実に対する辻褄を合わせて行くことは、或る程度まで至極容易である。問題は併し如何なる端初を採用するかに存するのである。
     社会科学に於て一定の端初を選択させる動機は、一定の問題に対する関心である。例えば或る社会科学は社会を問題にすると称しながら、実は社会ではなくて個人の生活が内実の切実な問題となっている、そうすれば社会も亦個人の問題からの延長としてしか問題になることが出来ない――個人主義。之に反して社会主義的社会科学は個人の問題ではなくて社会を本当に切実にテーマとする、社会の問題こそこの社会科学の成立の動機をなしている、端初はこの問題の内に横たわる。
     同じ問題を取り扱うように見える場合でも併し、問題の提出形態によって、実は異った問題が発生する。一切の事物は如何なる動機如何なる立場からでも、夫々の形態で一応は問題になることが出来、またならねばならないだろう。で問題が端初を決定するというのは、実は問題提出の形態が理論の端初を決定するということなのであった。――さてそこで、如何なる問題を如何なる動機から如何なる形態で提出するかが、今云った理論の科学性・論理性の立体的な内容をなす。社会科学の理論を、単に――形式論理的な――整合・前後一貫の関係だけで判定すれば、ブルジョア社会科学であろうとプロレタリア社会科学であろうと、相当なものはどれも斉しく科学性を有つように見えるだろう。銘々は夫々科学的なのである。だが理論を、理論構成の動機に遡って、即ちその端初の選択の仕方によって、即ち又如何なる問題提出をするかを見て、判定するならば、二群の対立する社会科学の科学性・真理性は、もはや論理学的に同格とは云えない。そこではどの問題提出の仕方の方がより正当であるかが問題となるのである。
     だが、どの問題提出の仕方の方がより正当であるかは、外でもない、理論家がどの問題を自分自身にとっての問題として提出し得またせねばならぬような、社会的客観的・状勢の下におかれているか、によって決まるわけである。問題提出は全く社会階級の利害から決定される。――だが階級的利害は階級的主観の利害にしか過ぎないから、そう云っただけではこの利害によって決定された問題提出形態の正当さを証明するには足りない。必要なことは、一定の階級の主観的な利害が、他の対立階級の利害とは反対に、歴史的社会の運動法則客観的な物的・論理的・必然性と一致せねばならぬという点である。処が唯物史観が与える公式によれば、プロレタリアこそこうした――その主観的利害が客観的な必然性と一致する――階級なのである。
     そこでこういうことになる。プロレタリア階級はブルジョアジーとは異って、正当な問題提出を端初とすることによって、正当な理論構成を遂行することが出来る。そういうことが出来るということは併し、全くプロレタリアの歴史的社会的な必然的な位置から来るに外ならない。プロレタリア階級は一般に、ブルジョアジーとは異って、真理の体系に到達出来る客観的な事情の下に置かれている、この階級は真理をより容易に発見することが出来る。処がブルジョアジーは一般に、真理の体系に到達することが終局に於ては不可能なような客観的事情に立つから、真理を発見することがより困難であり、発見された真理にもおのずから一定の制限がなくてはならない。――之を歴史的に云い表わせば、前者による社会科学はかくて、進歩の可能性を含み、後者によるそれは行きづまり――危機や停滞――の宿命を持っている、と云うことになる。以上が社会科学のイデオロギー性、階級性の一般的な輪郭である。

     どの科学を取って見ても、社会科学に於て程、ブルジョアジーとプロレタリアとの階級対立が、科学的理論の論理的歴史的社会的な対立として、鮮かに反映しているものを吾々は見ない。すでに哲学に於ては、観念論と唯物論とが、夫に従って又形式論理的方法と(唯物)弁証法的とが、階級性の資格に於て対立したが、今はこれが社会科学という特殊科学に相応わしいように具体化・主体化される。
     社会科学――夫は元来マルクス主義に固有なものだと云っても好いが――を広く理解するなら、経済学・政治学・法律学・史学・社会学等々のマルクス主義的乃至ブルジョア的諸科学が夫に含まれるが、そこに問題となる最も一般的な範疇は例えば社会の概念と国家の概念とだろう。処でこうした諸根本概念が、観念論的に、又はそうではなくて唯物論的に、鮮かに対立した取り扱いを受けるのである。
     マルクス主義――プロレタリア・イデオロギー――によれば、社会や国家は夫々一つの歴史的範疇である。唯物史観――社会科学に於ける唯物論――によれば是非ともそうあらざるを得ない。処が殆んど凡ての又は多くのブルジョア「社会学」や「国家学」によれば、之等のものは超歴史的に理解されるべき概念となる、社会とは人間の社会生活の諸範型としての不動な社会諸関係となり、国家とは人間の社会生活の永遠な本質形式となる。マルクス主義的社会科学に於ては之等の事物は、歴史的内容から出発して内容主義的――唯物論的――に取り扱われねばならぬに反して、ブルジョア社会科学によれば之等のものは全く形式主義的に取り扱われる、社会や国家は、恰も数学の対象でもあるかのように、形式的に定義され得るかのようにさえ考えられるのである。
     この内容主義と形式主義との対立は併し、取りも直さず内容的論理による方法と形式的論理による方法との対立になる、と云うのは弁証法的方法と形式論理的方法との対立に外ならない、そのことはすでに前に見ておいた。――処が形式論理的方法が最も科学的威厳を有つように見える場合は数学に於てであると人々は想像するので(だが実はそうではなかったのだが――前を見よ)、この方法の最も発達した或いは最後の穴にまで追いつめられた形態は、数学的方法なのである。そこで例えばブルジョア経済学の最後の穴にまで追い落された形態は、当然にも、所謂数理経済学の如きものとならねばならぬ。この経済学形態――之はオーストリー学派・所謂金利生活者の経済学と不離の関係にある――の要点は、客観的な財や主観的な欲望が数量的に測定出来たり、又之に数学的操作が加え得られたり、又方程式で之の諸関係が云い表わされる、と云ったような点よりも寧ろ、経済関係が経済的均衡として把握されているという点にあるのである。社会諸関係の内から経験的乃至偶然的な――例えば戦争・革命・飢饉・震災の影響・等々の政治的意義をもつ――諸項を捨象し去って、「本質的」な可能性の上での経済的諸関係だけを取り出せば、それは恐らく経済的均衡の外にはないだろう。
     経済関係のマルクス主義的・唯物史観的・方法によれば、政治現象は経済的地盤によって終局的に決定されているわけであるから、政治現象は一定の限界に於て、その本質に従っては経済学的に予言され得る筈であった。即ち経済現象はそれだけ政治学的に予言出来るわけである、そうした政治学的予言を含むことが出来るというのが、マルクス主義経済学――弁証法的経済学――が実際に具体的現実に役に立ちつつある主な理由である。処が数理経済学の立場は、こうした弁証法というような非数学的・文学的・な方法の代りに、数学的に精密な併し数学的に抽象的な、従って夫だけでは経済現象の具体的運動の説明に就いては本質的に何の役にも立たない方法を、置き代えようとするのである。――この立場・方法によれば経済現象に於ける歴史的原理は全く捨象し去られている。だから歴史的事実は、今の処全く経験論的な統計的方法に立っている処の景気変動論というようなものに一任される外はない。そして而も、形式的な数理的方法と、経験的な統計的方法とが、一体どうやって結び付けるかは抑々問題であろう。
     数理経済学は、その方法から特色づければ、社会学的均衡理論――之は数理経済学と共にパレートが得意とした処である――の一部分に相当する。この均衡理論が社会を如何に機械論的に取り扱うか、従って如何にそれだけ非弁証法的・形式論理的に夫を取り扱わねばならぬかさえ見れば、ブルジョア経済学のこの精鋭が何であるかが判る。――之は唯物史観(歴史的唯物論)に対立する・弁証法に対立する、観念論の形式主義の・最も近代的な適用物に外ならない。
     社会や又国家がこうした対立する二つの問題提出の形態によって、階級的に把握し分けられるばかりではなく、マルクス主義的社会科学とブルジョア社会科学とでは、抑々発端の問題それ自身をさえ別にしていると云って好い。と云うのは、前者の理論が社会を問題にして出発するに反して、後者は実は社会ではなくて個人の問題を出発点とするのである。だから前者は社会を社会的存在として、即ち客観主義的見地から取り上げるに反して、後者は社会を結局個人に帰着せしめることによって、即ち主観主義的見地から、取り上げる。例えば前者によれば経済社会は商品の集積として規定し始められるが、後者によれば夫は人間性欲望から規定し起こされる。――後者は個人主義的社会科学であり、前者は之に反して社会主義的社会科学である。そしてこの区別は外でもない、観念論と唯物論との哲学イデオロギー上の対立に対応するのであった。なぜなら吾々は、観念論の問題が結局個人の――意識の――問題である所以を初めに指摘しておいたのだから。
     今マルクス主義社会科学が社会主義的だと云った通り、この社会科学は自分のイデオロギー性=階級性を最も能く自覚していることをその特色とする(ブルジョア社会科学は併し、之を自覚乃至告白することを決して肯んじないのである)。而も之は単にその理論家の主観的な意識に於て自覚されていると云うだけではなくて、理論それ自身の内に之がその規定となって織り出されているのである。マルクス主義社会科学は特に――一般にマルクス主義はそうなのだが――その階級性=イデオロギー性を著しくする。最初に述べた所謂理論と実践との統一は実際、そうでなければ得られなかっただろう*。

       * 以上の点に就いては拙稿「唯物史観とマルクス主義社会学」(岩波講座『教育科学』〔前出〕)参照。


     社会科学の論理学的――即ち又歴史的――イデオロギー性=階級性はこうであるとして、なお外にその社会学的なイデオロギー性=階級性を見忘れてはならない。数学や自然科学に較べてイデオロギー性の著しかったこの科学は、それだけジャーナリスティックな特色を持っている。ジャーナリズムとは吾々によればイデオロギーの一契機乃至一形態であった。でそうすればそれだけ又、ここではジャーナリズムとアカデミズムとの対立が著しくなって来なければならないわけである。
     アカデミー乃至大学に於ける今日の社会科学は、云うまでもなく主としてアカデミズムの契機と形態とに相当する。そして夫が同時に殆んど凡てブルジョア・イデオロギーの上に立つブルジョア社会科学であることを今は注意しなければならぬ。実際、ブルジョアジーが自己の階級の経済的・政治的・社会的・文化的・利害をイデオロギーによって擁護するには、ブルジョア国家の手に成り又は統制に服する大学やアカデミー程手近かなものは又とあるまい。現代の大学は国家の恐らく最も有効なイデオロギー的機関であろう。大学は科学的権威を有っている、これを政治的権威にまで兌換しさえすれば好い。
     今日のジャーナリズムの波の上に乗っている社会科学は併しもっと複雑である。そこでは、プロレタリア・ジャーナリズムとブルジョア・ジャーナリズムとが対立する通り、マルクス主義的社会科学と、ブルジョア社会科学とが、対峙している。そして資本主義的経済機構の行きづまり、従って又ブルジョア・デモクラシーの行きづまりと共に、ブルジョア社会科学はその従来の超階級的自由主義の仮面をぬぎすてて、露骨に資本主義の擁護者として現われて来なければならなかった、それはやがてファシスト乃至社会ファシスト社会科学となって、ブルジョア・ジャーナリズムを席巻し始めつつあるように見える。
     かくて今日プロレタリア・ジャーナリズム――夫は実は大衆化と呼ばれるべきであった――の上に立っているプロレタリア的・マルクス主義的・社会科学は、(ブルジョア)アカデミズムとブルジョア・ジャーナリズムとに於ける――だがこの二つは無論結び付き合うことを忘れない――ブルジョア社会科学に対峙しているのである。夫がこのブルジョア・イデオロギーを克服して、プロレタリア・アカデミズムにまで自らを建設する日は何時であるか。――社会科学に於けるイデオロギー性=階級性の具体的状勢は大体こうである。
     (吾々は以上、諸科学に就いて行って来たイデオロギー論を、同じ仕方によって、芸術・道徳・宗教へまで拡大して適用すれば好い。その基本的な機構と機構に沿うた理論の技術とは併し、この諸科学のイデオロギー論で尽きているだろう。吾々はいつか之を今云った文化全般に及ぼす機会を持ちたいと思う。)

     だが、も一つの重大な根本問題を忘れてはならぬ。吾々のイデオロギー論自身のイデオロギー性=階級性に就いて。吾々の――マルクス主義的――イデオロギー論は、マルクス主義哲学乃至マルクス主義社会科学の一部分である。観念・意識・文化、要するにイデオロギー、を取り扱う限りのマルクス主義哲学、乃至社会科学で之はあったのである。でそうすれば吾々のイデオロギー性=階級性に就いてはもはや説明は必要としない筈ではないか。イデオロギー論とは実は、階級の闘争のための観念的技術なのである(第二章を見よ)。
     イデオロギー論と最も切実な関係に立つものは併し(ブルジョア)「社会学」である。吾々の云わば社会科学的イデオロギー論に対して、「社会学」は云わば社会学的イデオロギー論とも云うべきものを対立させる。それには意識するとしないとに関係なく、深い階級的=イデオロギー的理由のあることだ。吾々は次に之等のものを批判しなければならない(第二部)。

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    日本イデオロギー論

      ――現代日本に於ける日本主義・
          ファシズム・自由主義・思想の批判


     



     

     この書物で私は、現代日本の日本主義と自由主義とを、様々の視角から、併し終局に於て唯物論の観点から、検討しようと企てた。この論述に『日本イデオロギー論』という名をつけたのは、マルクスが、みずからを真理と主張し又は社会の困難を解決すると自称するドイツに於ける諸思想を批判するに際して、之を『ドイツ・イデオロギー』と呼んだのに傚ったのだが、それだけ云えば私がこの書物に就いて云いたいと思うことは一遍に判ると思う。無論私は自分の力の足りない点を充分に知っていると考えるので、敢えてマルクスの書名を僭する心算ではないのである。

     

      (「現代日本の思想上の諸問題」と「自由主義哲学と唯物論」の二つは新しく書いたものである。他の論文は『唯物論研究』『歴史科学』『社会評論』『進歩』『読書』『知識』や、『改造』『経済往来』『行動』『文芸』に、一旦載せたものであるが併し之を整理して一貫した秩序を与えたのである。)


     なお私がひそかに想定している思考上の伏線に就いて、注意を払う読者があるならば、左記の書物を参照して貰えば幸いである。特に第二以下のものが直接の役に立つだろうと思う。

     一、科学方法論      (一九二九)  (岩波書店)
     二、イデオロギーの論理学 (一九三〇)  (鉄塔書院)
     三、イデオロギー概論   (一九三二)(理想社出版部)
     四、技術の哲学      (一九三三)   (時潮社)
     五、現代哲学講話     (一九三四)   (白揚社)
      (『現代のための哲学』――大畑書店――の改訂版)
                            以 上
      
    一九三五・六・三〇
                    東 京                   
    戸 坂  潤





     
    増補版序文



     再版に際して補足として三つの文章を加えることにした。時局の進展に応じてこれが必要だと思ったからである。――なお参考として、初版序文に挙げた他に、『思想としての文学』(一九三六・三笠書房)と『科学論』(一九三五・唯物論全書・三笠書房)の二つの拙著をつけ加えておく。
      
    一九三六・五
                          
    著 者





     
    増補版重版序文



     増補版も版を重ねること数回に及んだ。今、特に云うべき言葉は持たないが、ただ増補版序文の後、本書と連関のある私の著書が四つ程出版されていることを、読者に報告しておきたいと思う。
     巻末の著書表〔そこには『道徳論』(一九三六・唯物論全書・三笠書房)、『思想と風俗』(一九三六・三笠書房)、『現代日本の思想対立』(一九三六・白揚社)、の四つの著書が追加されている〕を参照されたい。
      
    一九三七・一
                         
    著 者







    序 論





     
     現代日本の思想上の諸問題
          
    ――日本主義・自由主義・唯物論



     現代の日本に於いては、凡んどありとあらゆる思想が行なわれている。日本・東洋・欧米の、而も過去から現在にかけてのあれこれの人物に基く思想を取り上げるならば際限がない。曰く二宮尊徳・山鹿素行、曰く孔子、曰くニーチェ・ドストエフスキー、曰くハイデッガー、曰くヤスペルス、曰く何々。こう並べて見ると、こういう所謂「思想」なるものが如何に無意味に並べられ得るかに驚かされるだろう。だがこの種のあれこれの思想はどれも、実は高々一個の「見解」といったものにしか過ぎないのであって、まだそれだけでは社会に於ける一貫した流れとして根を張った「思想」ではない。――思想とはあれこれの思想家の頭脳の内にだけ横たわるようなただの観念のことではない。それが一つの社会的勢力として社会的な客観的存在をもち、そして社会の実際問題の解決に参加しようと欲する時、初めて思想というものが成り立つのである。
     そうした意味に於ける思想として、現代日本に於てまず第一に挙げられるべきものは、自由主義なのである。世間の或る者は自由主義が昨今転落したと云っている。だが、そういうならば一体最近に転落し得るようなどういう自由主義が旺盛を極めていたか、と反問しなければならなくなるだろう。少くとも最近、自由主義は世間の意識に少しも積極的に上ってはいなかった。大戦以後、自由主義思想が勢力を有ったと見られ得たのは、僅かに吉野作造氏等によるデモクラシー運動位のものだったが、それもマルクス主義の駸々たる台頭の前には、完全に後退して了ったと見ねばならぬ。それ以後意識的に自由主義思想が高揚したのを吾々は見ないのである。だがそれにも拘らず、自由主義は明治以来の社会常識の基調をなして来ているという他面の事実を忘れてはならない。
     云うまでもなく日本に於ける民主主義は決して完全なブルジョア・デモクラシーの形態と実質とを備えたものではなかった。封建性に由来する官僚的・軍閥的・勢力との混淆・妥協によって、著しく歪められた民主主義でしか夫はなかった。併しそれが夫なりに、矢張り一個の民主主義を基調としたればこそ民主主義の歪曲でもあり得た、という点が今大切である。日本に於ける自由主義の意識は、甚だ不徹底な形に於てであるにも拘らず、吾々の社会常識の基調をなして今日に及んでいる。ただそれが余りに常識化したものであったため、それから又、決して常識以上に抜け出なかったために、特別に「自由主義」として意識的に自覚され強調されるような場合が、極めて例外な偶然的な場合と見られるのに他ならない。日本主義が台頭するに当って、さし当り第一の目の敵としなければならなかったのは、だから、この普及した社会常識としての自由主義思想だったのであって、之は別に、それまで自由主義の思想が特に意識的に旺盛を極めていたからではない。で、自由主義は無意識的にしろ近代日本の思想のかくされた基調をなしている。
     自由主義思想は、自由主義の意識は、その本来の淵源を所謂経済的自由主義の内に持つにも拘らず、思想としての直接の源泉は之を政治的デモクラシーの内に持っている。だが自由主義思想は決してデモクラシーという観念内容に終始するものではない。それはもっと広範な観念内容を含んでいるが、そこから、自由主義思想には、ありと凡ゆる内容が取り入れられることが出来る、ということになって来るのである。
     一体自由主義が本当に独立した一個の思想として成り立つかどうかが抑々の疑問なのである。と云うのは、一定の発展展開のメカニズムを有ち、自分と自分に対立するものとの(けん)別を通して自らを首尾一貫する処の、生きた論理組織を、自由主義が独自に持てるかどうかが、抑々の疑問なのである。だが仮にそうした自由主義の哲学体系が成り立ったとして、そうした「自由主義」哲学は必ずしも自由主義思想全般の忠実な組織であるとは限らないのである。なぜかと云うに、自由主義的思想にはありと凡ゆる観念内容が這入り得るのだったから、仮にその観念内容を理論的な哲学体系にまで組織したとして、果してその体系が、依然として「自由主義」という名目に値いするかどうかが、保証の限りではないからである。つまりそれ程、自由主義思想の観念内容は雑多で自由なのである。
     自由主義思想にぞくする内容の一つには、社会的政治的観念からの自由、とも云うべきものが含まれている。そこでは専ら文化的自由だけが問題となる。之は今日多くの自由主義者の自由観念の内に見出される処であるが、その一つの場合として、その文化的自由の観念が宗教的意識にまで高揚し、又は深化されるのを見なくてはならぬ。キリスト教的(主にプロテスタント的)神学や仏教的哲学を通って、自由主義者の哲学は宗教意識へと移行するのを、読者は至る処に見るだろう。今日教養あるインテリゲンチャが宗教観念に到達する道は、多くはここにあるのであって、この種の宗教意識は、この段階に止まる限り(この段階からもっと進めば別になるが)、自由主義意識の一つの特別な産物なのである。
     この宗教的自由は云うまでもなく政治的自由からの自由を意味する。現実からの逃避を意味している。処がここに実に、宗教の第一義的な真理が、即ち又その第一の用途が、横たわることは人の知る処だ。社会に於ける現実的な矛盾がもはや自由主義思想のメカニズムでは解決出来なくなった現在のような場合、その血路の一つが(但し唯一の血路ではないが)ここにあるのであって、矛盾の現実的な解決の代りに、矛盾の観念的な解決が、或いは矛盾の観念的な無視・解消が、その血路である。現代は、従来国家的又社会的に認定された「既成宗教」や、比較的無教育な大衆の上に寄生する所謂邪宗の他に、インテリゲンチャを目あてとする多少とも哲理的な新興宗教の企業時代だが、一般に自由主義に基くインテリゲンチャの動揺がなければ、こうした企業の目算は決して成り立たない筈であった。
     処で、この云わば宗教的な自由主義は、一変して、云わば宗教的な絶対主義〕に転化するのである。自由主義は宗教意識を仲立ちとすることによって、容易に一種の〔絶対主義〕に、而も一種の政治的〔絶対主義〕に、移行することが出来るのである。宗教は今や政治的〔絶対主義に協力〕し始める。例えば仏教は日本精神の一つの現われだと解釈され始める。カトリック主義さえが法皇の宗教的権威と日本の〔絶対君主とを調和〕させよと主張し始める。日本の〔絶対君主〕が一種の宗教的〔対象〕を意味することなど、もはや少しも問題ではないかのように。――で自由主義の埒外へ一歩でも踏み出した宗教意識は、やがて日本主義の埒内に収容されるのだ、ということを注目すべきである。
     宗教復興によって宗教的世界観が、宗教的思想が、最近の日本を支配し始めたように云われている。之が本当の「宗教」的真理運動を意味することが出来るかどうかは別として、とに角そういう特別な宗教思想が今日の著しい現象だということには疑いはあるまい。だが、これは必ずしも、宗教的思想が独自な思想分野を構成するものだということを意味しない。宗教意識は自由主義思想に基くものでなければ、日本主義思想に帰着するものであったからだ。――思想は社会人の政治的活動と一定連関を持つことによって初めて思想の資格を得る。もし単なる宗教としての宗教というものがあるとしたなら、それは何等の思想でもなく、全くの私事に過ぎないだろう。だが無論実際には、単なる宗教としての宗教などというものは決して存在していない。

     自由主義思想が一つの独自な論理を有つことによって哲学体系にまで組織される時、夫は広く自由主義哲学と呼ばれてよいものになるのであるが(尤もその多くのものはそういう命名法に満足しないことは判っている)、この哲学体系の根本的な特色は、その方法が多少に拘らず精練された「解釈の哲学」だということにある。事物の現実的な秩序に就いて解明する代りに、それに対応する意味の秩序に就いてだけ語るのが、この哲学法の共通な得意な手口なのである。例えば現実の世界では、宇宙は物理的時間の秩序に従って現在の瞬間にまで至っている。よく云われることであるが、意識の所有者である人間や(他の生物さえ)がまだ存在しなかった時にも、すでに地球が存在した、ということを地質学と天文学とが証明している。処が自由主義的論理に立つ解釈の哲学は、宇宙のこうした現実の秩序(物理的時間)を問題とはしない、その代りに人間と自然との関係を、人間の心理的時間の秩序に於て問題にしたり、或いは超人間的な又は超宇宙的な従って又超時間的な秩序(そういう秩序は意味の世界に於てしかあり得ない)に於て問題にしたりしかしない。現実の世界に就いて語るように見せかけて、実際に聞かされるのは、意味の(だから全く観念界にぞくする)世界に就いてでしかない。そういうことが世界の単なる解釈ということなのである。
     観念論が最も近代的に自由主義的形態を取ったものが、この精巧に仕上げられた解釈哲学に他ならない。露骨な観念論という髑髏(どくろ)は、この自由主義という偽装によって、温和なリベラルな肉付きを受けとる。だがそれだけ自由主義が観念論の近代文化化された被服であるということが、証拠立てられることになる。
     この解釈哲学という哲学のメカニズムは非常に広範な(寧ろ哲学的観念論全般に渡る)適用の範囲を有っている。従ってこれが必ずしも自由主義哲学だけの母胎でないことは後に見る通りだが、併しここから出て来る最も自由主義哲学らしい結論の一つは、文学的自由主義乃至文学主義という論理なのである。之は解釈哲学という方法の特殊な場合であって、この解釈方法を、文化的に尤もらしく又進歩的に円滑にさえ見せるために工夫し出されたメカニズムに他ならない。現実に就いてのファンタスティックな表象である処の文学的な表象乃至イメージを利用して、この文学的表象乃至イメージをそのまま哲学的論理的概念にまで仕立てたものが之である。こうすれば現実の秩序に基く現実的な範疇組織(=論理)の代りに、イメージとイメージとをつなぐに適した解釈用の範疇組織(=論理)を結果するのに、何よりも都合がいいからである。
     処で実際問題として、この文学主義は、多く文学的自由主義者である処の日本現在のインテリゲンチャの社会意識にとって、何より気に入ったアットホームなロジックなのである。だから現在インテリゲンチャが自らインテリゲンチャを論じるに際して知らず知らずに採用する立場はこの文学的自由主義乃至文学主義であらざるを得ない。事実インテリゲンチャ論は現在に於ては何よりもまず広義の文学者達の一身上の問題として提起されているのであって、そこからこの種のインテリゲンチャ論がインテリ至上主義に帰しはしないかと疑われる点も出て来るのであるが、それはとに角、少くとも之が文学主義という一種の自由主義哲学に立脚していることはこの際特徴的だと考えられる。――だがインテリゲンチャの問題は元来インテリジェンスの問題に集中する。処でインテリジェンスの問題を解くにはもはや自由主義哲学では役立たない。というのは、一体インテリジェンスの問題に就いて、自由主義的に科学的解決を与えるということは、何か意味のある言葉だろうか。――ここでも気づくことだが、自由主義哲学を、科学的理論体系として徹底することは、すでに何かの錯誤を意味しているのだ。
     自由主義哲学の最もプロパーな場合は、自由そのものの観念的な解釈に立脚する理論体系である。ここでは経済的・政治的・倫理的・自由が、それ自身だけとして問題になることによって、自由そのものとなり、従って又自由一般となり、従って哲学は自由の一般的な理論となる。ここから結果するものは自由一般に関する形式主義的理論でしかない。――形式主義は解釈哲学の必然的な結果の一つであるが、元来形式主義と解釈哲学とは、形而上学=観念論的論理の、二つの著しい特色だと認められている。

     さて処で、自由主義が宗教的意識を産み出すことによって、やがて〔絶対主義〕としての日本主義に通じて行くことを前に見たが、今度は恰もこの現象に平行して、自由主義に於ける解釈哲学という方法が、日本主義を産み出す所以を見よう。之を見るならば、日本主義の哲学が実は或る意味に於て自由主義哲学の所産であり、少くとも日本主義哲学への余地を与えたものが自由主義哲学の寛大な方法だった、ということに気がつくだろう。
     先に自由主義哲学の方法上の特徴であった例の解釈哲学が、自由主義に特有な文学主義を産む所以を見たが、之に平行して、今度はこの解釈哲学は文献学主義を産むのである。文学主義が現実に基く哲学的範疇の代りに文学的イメージに基く文学的範疇を採用するという解釈方法だったとすれば、文献学主義は、現実の事物の代りに文書乃至文献の語源学的乃至文義的解釈だけに立脚する。その最も極端な場合は、国語の内からあれこれの言葉を勝手に取り出して来て、之を哲学的な概念にまで仕立てることである。文学主義は表象を概念にまで仕立てたが、文献学主義は言葉を概念にまで仕立てる。処でそれだけならば誰しもこうした「哲学方法」(?)の極度に浅薄なことに気付かぬ者はないのだが、併しこのやり方を古典的な文献に適用すると、その時代の現実に就いて人々が充分歴史科学的な知識を有っていない限り、相当の信用を博することも出来なくはない。そこでこうした古典の文献学主義的「解釈」(或いは寧ろコジツケ)を手頼って、歴史の文献学主義的な「解釈」を惹き出すことも出来る。今日の日本主義者達による「国史の認識」は殆んど凡てこの種類の方法に基いているのである。
     そしてもっと大事な点は、こうした古典の文献学主義的解釈を以て、現在の現実問題の実際的解決に代えようとする意図なのである。仏典を講釈して現下の労働問題を解決し得ようといった類の企てが夫なのである。古典が成立した時代に於てしか通用しない範疇を持って来て、夫を現代に適用すれば、現在の実際的な現実界の持っている現実はどこかへ行って了って、その代りに古典的に解釈された意味の世界が展開する。現実の秩序の代りに、意味の秩序を持ち出すのに、恐らくこの位い尤もらしく見えるトリックはないだろう。
     文献学主義は尤も、必ずしもすぐ様日本主義へ行かなければならぬという必然性は有たない。元来日本主義というものが何かが決して一般的に判っているのではないが、少くとも文献学主義から、ギリシア主義やヘブライ主義へ行くことも出来れば、古代支那主義(儒教主義)や古代印度主義(仏教主義)へ行くことも出来る。アカデミーの哲学者やキリスト教神学者、王道主義者や仏教神学者達は、夫々この文献学主義のメカニズムを利用して、現代の事物に就いて口を利いているのである。古典の研究は古典の研究であって、現代の実際問題の解決ではない。処がこの古典研究を利用して、現在の実際問題を解き得るように見せかける手品が、文献学主義だというのである。――之は現代の資本主義内部から必然的に発生する処の各種の反動主義の国際的原則をなしているのである。
     以上からすぐ様想像出来るように、文献学主義は容易に復古主義へ行くことが出来る。復古主義とは、現実の歴史が前方に向って展開して行くのに、之を観念的に逆転し得たものとして解釈する方法の特殊なもので、古代的範疇を用いることによって、現代社会の現実の姿を歪曲して解釈して見せる手段のことだ。そして忘れてならぬ点は、夫が結果に於て社会の進展の忠実な反映になると自ら称するのが常だということである。
     さて文献学主義が愈々日本主義の完全な用具となるのは、之が国史に適用される時なのである。元来漫然と日本主義と呼ばれるものには、無数の種類が含まれている。一般的にムッソリーニ的ファシズムやナチス的ファシズム、社会ファシズムと呼ばれるべきものさえ、今日では日本主義と或る共通の利害に立っていると考えられる。又単に一般的な復古主義や精神主義や神秘主義や、又ただの反動主義に過ぎないものも、日本主義的色彩によって色どられている。アジア主義や王道主義も実は一種の日本主義なのである。だがプロパーな意味での日本主義は「国史」の日本主義的「認識」に立脚しているのである。日本精神主義、日本農本主義、更に日本アジア主義(日本はアジアの盟主であるという主義)さえが、「国史的」日本主義の内容である。だから結局、一切の日本主義は淘汰され統一されて、〔絶対主義にまで帰着しなければならず、又現にそうなりつつあるのである。〔天皇〕そのものに就いては、論議の限りではないが、〔絶対主義〕は処で、全く文献学主義なる解釈哲学方法を国史へ適用したものに他ならない。この主義が日本に於ける積極的な観念論の尖鋭の極致である所以だ。之に較べれば自由主義は、消極的な観念論の単なる安定状態を示しているものに他ならぬ。
     と角の議論はあるにしても、日本主義は日本型の一種のファシズムである。そう見ない限り之を国際的な現象の一環として統一的に理解出来ないし、又日本主義に如何に多くヨーロッパのファシズム哲学が利用されているかという特殊な事実を説明出来なくなる。色々のニュアンスを持った全体主義的社会理論(ゲマインシャフト・全体国家・等々)は日本主義者が好んで利用するファシズム哲学のメカニズムなのである。だが日本主義はこうした外来思想のメカニズムによっては決して辻褄の合った合理化を受け取ることは出来ないだろう。唯一の依り処は、国史というものの、それ自身初めから日本主義的である処の「認識」(?)以外にはあるまい(結論を予め仮定にしておくことは最も具合のいい論法だ)。処でそのために必要な哲学方法は、ヨーロッパ的全体主義の範疇論や何かではなくて、正に例の文献学主義以外のものではなかったのである。――併し実は、この文献学主義自身は、もはや決して日本にだけ特有なものではない、寧ろドイツの最近の代表的な哲学が露骨な文献学主義なのだが(M・ハイデッガーの如き)。だから、日本主義に於て日本主義として残るものは、日本主義的国史だけであって、もはや何等の哲学でもない、という結果になるのだ。
     例えば自由主義乃至自由主義哲学によって国史を検討する、というような言葉には殆んど意味がないだろう。日本主義的歴史観に対立するものは、唯物論による、即ち唯物史観による、科学的研究と記述とでしかあり得ない。だからこの点からも判るように、日本主義に本当に対立するものは自由主義ではなくて正に唯物論なのである。その証拠には、日本主義の殆んど唯一の「科学的」(?)方法である文献学主義のために余地を与えたものは、他ならぬ自由主義の解釈哲学だったのである。この意味に於て、自由主義的哲学乃至思想の或るものは、そのままで容易に日本主義哲学に移行することが出来る。日本主義哲学は所謂右翼反動団体的な哲学には限らない、最もリベラルな外貌を具えたモダーン哲学であっても、それがモダーンであり自由主義的であることに基いて、やがて典型的な日本主義哲学となることが出来る。和辻哲郎教授の『人間の学としての倫理学』などがその最もいい例であって、元来「人間の学」乃至人間学なるものは、今日(可なり悪質な)自由主義哲学の代表物であり、例の文学主義の一体系にぞくするものであったが、夫が誠に円滑に、日本主義の代表物にまで転化することが出来るのである。――ここに自由主義的哲学と日本主義的哲学との本質的な類縁関係が横たわる。
     高橋里美教授の全体主義の論理は、それだけとして見れば全く自由主義の哲学体系に数えなければならないが、併し全体という範疇がナチス的社会理論の不可欠な基礎概念となっていることは改めて指摘するまでもないだろう。西田幾多郎博士の「無」の論理も亦、決して一見そう思われるような宗教的神秘的な境地だと云うことは出来ないが、それにも拘らずこれはその客観的な運命から判断すれば、例のインテリ向きの宗教意識に応えんがために存在しているようにさえ見受けられる。そしてこうした宗教意識が、多少とも社会的な積極性を帯びると、忽ち日本主義のものになるという、現実の条件に就いてはすでに述べた。――自由主義はその自由主義らしい論理上の党派的節操の欠乏から、日本主義に赴くことに対して殆んど何等の論理的抵抗力をも用意していないように見える。自由主義者乃至自由主義的哲学者が日本主義に赴かないのは、論理的な根拠からではなくて、殆んど全く情緒的な或いは又性格的な根拠からであるに過ぎない。処が彼等が唯物論に赴けないのは、単に情緒的な或いは又性格的な根拠からだけではなく、又論理的な根拠からでもあるのである。
     普通自由主義は日本主義よりも寧ろまだ唯物論に近い、という政治的判断が下されている。だが自由主義が自由主義哲学の体系に関わり合っている限り、それは原則的には唯物論の反対物であって、寧ろ日本主義への準備に他ならない。にも拘らずなお、自由主義が唯物論の同伴者めいた役割を持つことが出来ると判断されるのは、自由主義が自由主義としての立場を固執することを止めて、却ってその反対な立場にまで自分の立場を徹底させうるだけの自由な立場を採る時に限る。自由主義は日本主義へ移行するには理論的に自由主義の立場を固執していても不可能ではない、だが自由主義が唯物論に移行するためには、自由主義は真に自由主義として、否、もはや自由主義ではないものにまで、自らを徹底しなければならない。この意味に於てだから自由主義は、決して普通考えられるように、日本主義と唯物論との公平な中間地帯などではなかったのである。

     さて初めに私は、自由主義が近代日本の隠然たる社会常識だと云った。このことは日本が曲りなりにも高度に発達した資本主義国であることから、当然出て来る結論でもある。今日の自由主義、即ちブルジョア・リベラリズムは、云うまでもなく資本主義に基いたイデオロギーなのだから、これは又資本主義社会の根本常識でもなくてはならない筈だ。従って自由主義が、発達した資本主義の社会的所産を現在の所与として仮定する限り、そうした所与を無視する他の各種の思想に較べれば、少くとも進歩的だと云わねばならぬ。中世的封建制を思想上の地盤にしている各種の復古思想の反動性と比較すれば、何と云ってもそうなのである。或るカトリック学者は自由主義が今日なぜ一応の社会常識であるかを理解し得ないと云うのであるが、この常識の是非はとに角として、自由主義乃至プロテスタンティズムの方が、中世的なカトリチスムスなどに較べて、ブルジョア社会の常識に一致するということは、今更論証を必要としないことだろう。
     処で日本主義(之が今日一個の復古思想であり又反動思想なのだという点に注意を払うことを怠ってはならぬ)は、この自由主義的ブルジョア社会常識に照せば、著しく非常識な特色を有っている。この非常識さが自由主義者を日本主義的右翼反動思想から、情緒的に又趣味の上から、反発させるに充分なのである。処がそれにも拘らず、事実上は、こうした非常識であるべき日本主義思潮が、今日日本のあまり教養のない大衆の或る層を動かしているという現実を、どうすることも出来ない。そうなると之又一つの常識だということにならざるを得ないように見えるのである。社会に於ける大衆やその世論(?)というものがどこにあるか、という問題にも之は直接連関している。――で、常識というものの有っているこうした困難を解決するのでなければ、今日の日本主義に対する批判は充分有力にはなれまい。
     実際日本主義は自分がもっているこの一種の常識性(?)をすでに自覚しているばかりではなく、今では夫を愈々強調しようとする方針に出て来つつあるように見える。日本主義は大衆を啓蒙(!)しなければならぬとさえ叫んでいる。処が一般に大衆を相手にする啓蒙なるものは、今日の上品なリベラーレン達が決して潔しとしない仕事なのである。解釈哲学者や文学主義者達の多くは、専ら意味の形而上学の建設や自己意識(自意識―自己反省)の琢磨に多忙であって、社会や大衆などは一杯の紅茶の値さえもないと考える。これはつまり、如何に自由主義者達が日本主義的啓蒙運動(?)に対して、有力な援助を与えつつあるかということを物語っている。
     自由主義者達の日本主義的啓蒙運動に対するこの援助は、云わば日本主義の前哨戦である文化ファシズムとしての文化統制運動となって、日本主義者の側から感謝の手をさし延べられているのである。今日の多くの自由主義者達が、最近の各種の文化統制運動に対して、殆んど何等の本質的な反発を感じないらしいことは、関係が援助と感謝との間柄だからに他ならない。
     日本主義と自由主義とに対立する第三の思想は、云うまでもなく唯物論である。日本主義と自由主義との各々に就いて、又その相互の関係に就いて、科学的に批判し得るものは、日本主義でもなければ自由主義でもなくて、正に唯物論でなければならぬだろう。今この点に注目するならば、唯物論の思想としての優越性が、おのずから間接に証明されることになる。――ここに思想というのは他でもない、実際問題の実地の解決のために、その論理を首尾一貫して展開出来る処の、包括的で統一的な観念のメカニズムのことである。
     私は以上のような観点から、日本主義と自由主義との若干の批判を企て、或いは少くとも批判の原則を指摘しようと目論みたのである。思うに現在に於ける唯物論の仕事の半ばはここにあるのである。







    第一編 日本主義の批判とその原則





     
     「文献学」的哲学の批判
           ――一、文献学の哲学への発達
             二、文献学主義に対する批判の諸原則




     まず問題の意味を説明しよう。
     現代に於ける唯物論の一つの課題は、世界と精神(文化)とに対する科学的批判である。ここに一つの課題という意味は、之だけが現代に於ける唯物論の課題の凡てではないということだが、更にここに批判というのは、批判されるべき対象の現実的な克服に相応する処の理論的克服のことである。理論的な克服だけで事物は決して現実的に克服されるものでないことは明らかだが、逆に理論的な克服なしに実際的な克服を全うすることは実際的に云って出来ないことだ。世間では往々批判というものを実証に対立させて、消極的な労作にしか数えない場合が多いが、之は実証主義の安易な知恵に発するものだ。無論又、力量のないくせに眼だけ沃えた傍観者の批評趣味や、それから所謂批判主義などは、吾々が今必要とするこの批判とは殆んど全く関係がない。
     この批判が、そして科学的批判だという意味は、統一的で最も広範な科学的範疇(云い直せば哲学的範疇)を使って事物を分析する処の批判ということである。統一的で包括的な科学的諸範疇・哲学的諸範疇の組織は、無論厳密に云うとただ一つしかあってはならない。一つしかないということが客観的で科学的であることの特色の一つでもあるからだ。そういう唯一性をもった哲学的範疇組織を今日、唯物論(乃至もっと説明して云えば弁証法的唯物論)と吾々は呼んでいる。唯物論はこうした唯一の科学的な論理のことなのだ。――この論理が使う色々の根本概念は、実際上はどういう外貌をもった具体的表象をでも外被として纏うことが出来る。実際吾々は表象をアナロジーやユーモアやファンタジーやサジェッションに結びつけていつも文学的にもちいることしか他に道を有たない、そうしなければ実際的の文章にも思想にもならないからだ。だが、それにも拘らず、否それであればこそ、そういう浮動する文芸的表象、日常的観念の碇となるものが唯物論の範疇と範疇組織とでなければならない。
     処で、唯物論によるこうした科学的批判の一般的な基本的方法は、すでに広く知られている処であるが、問題はこの一般的な方法を、現在の諸事情に即して役に立つように具体化すことなのである。科学的批判の現在に必要な諸根本命題=諸原則をこの一般方法から導き出しまたは新しく工夫して之に組み入れることなのである。――私の現在の課題は特に、現下の哲学的観念論とそれのありと凡ゆる社会的・文化的適用とに対して、技術的に科学的批判を行うのに実地に役立つ諸原則を求めることに他ならない。この見透しに従って私はこれまで、一方ジャーナリズム・日常性・常識などの問題を取り上げたし、他方解釈哲学乃至その一つである文学主義に対してどこから攻撃してかかるべきかという吾々の態度をテーマとして来た(三、四、一一、一四、等を見よ)。無論この二つの系統の問題は実は同じ根柢に基いている。そしてまだ残っているテーマは沢山ある。
     文献学(フィロロギー)は文学主義の問題其他と並んで、解釈哲学(世界を専ら解釈して済ます哲学)の問題の特殊な場合の一つとして提出される。つまり文献学主義がここでの問題なのである。或る人は文献学(Philologie)を文学と呼ぶことを提案し、そして所謂文学を文芸と呼ぶべきだと主張しているが、この提案は或る尤もな理由を有っている。少くとも、ここから見ても判るように、文献学主義の問題が文学主義の問題とごく近親な関係に立っていることをまず記憶しておくのが便利だろう(文学主義に就ては一一、「偽装した近代観念論」を見よ)。

       

     Philologie(文献学)は世間で通俗的に言語学と訳されている言葉である。併し言語学は必ずしもフィロロギーではないことを注意しなければならぬ。例えばソシュール(Fer. de Saussure, Cours de Linguistique Generale)によれば、言語の研究はギリシアにおいて文法学としてはじまったが、それが主にF・A・ヴォルフの学派(十八世紀後半)によってはじめて、所謂フィロロギーと呼び慣わされるようになったに過ぎない。しかもこのフィロロギーは主に古典語と古典語の解釈法に止まっていて、まだ活きた言葉の研究ではなかったので、本当の言語学はこのヴォルフ的な「フィロロギー」をつき抜けて、比較文法学へまで発達し(F. Bopp)、やがて本来の科学的な言語学(それはもはやフィロロギーではなくて Linguistique と呼ばれる)の段階に這入ったのだ、と説明されている。でフィロロギーなるものが必ずしも言語学と一致しないばかりではなく、実は言語学が横合いから之に触れ又は之れを横切り交叉する処の或る一地帯を意味しているに他ならない。フィロロギー(文献学)はフィロロギーで、その後言語学とは比較的別なコースを辿って展開されているように見える。つまり例のヴォルフ的な「フィロロギー」は、単に言語が文献学と交叉した地点に他ならなかったわけで、従ってフィロロギーを特に文献学、更に「文学」とさえ訳す理由があるのである。ヴォルフのこのフィロロギーは更に一般の文芸理論乃至芸術理論とも交叉している(例えばボーザンケトの美学史を見よ―― B. Bosanquet, A History of Aesthetic. Chap. IX)。単なる言語学ではない所以だ。
     吾々は文献学の問題に就いて、所謂言語学自身の問題は之を一応等閑に付してもいいことになるわけだが(事実、言語学は現今の思想の動向に対して直接の影響を有っていないから)、併し文献学が言語学的なものから全く独立なものでなく必ずどこかで之と交叉しなければならないという点は、どこまでも忘れてならない要所である。つまり文献学の問題は、後にどれ程それが古典や歴史や、又更に哲学自身の問題としてさえ生長しようとも、万一にも言葉の問題を離れてしまっては、もはやどこにも定位を有たなくなるわけで、大まかに云えば、言葉・言語と思想・論理との間から起きる困難が、文献学乃至文献学主義の問題を提起するのである。――事実を云えば文献学的研究と言語学的研究とが殆んど一つに結び付いている場合は決して少なくない。すでに先に云ったヴォルフがその先駆的な一例だが、十九世紀ではW・v・フンボルトが何よりもいい例である。言語の比較研究が彼に於ては直ちに古典芸術の理解や歴史記述の問題に連続するのであるが、それは彼の一種の比較言語学が同時に文献学の意義を有っていたからこそ出来たことだ。
     処がフンボルトで見られるように、文献学と言語学との連関は普通、言語哲学と呼ばれるものによって最もよく特色づけられると考えられないでもない。そして言語哲学は一方哲学的な文献学と他方実証的な言語学とに交錯しながら、又それ自身に固有な発展のコースを辿っている。――でヴォルフ的フィロロギーは、言語学と言語哲学とが文献学に於て交叉した点だったと見てもいいことになるが、文献学自身はこの言語哲学からも割合独立に発展する。それにも拘らずここでも大切なのは文献学が言葉の問題から決して解放されるものでないという一つの要点だ。
     文献学としてのフィロロギーは古典特に古典的文書の解読を最初の課題としている。併し事実之は、一方に於ては古典的な造形芸術其他の観照へまで、他方に於ては同時代的な文書及び其他の一般文化的表現の理解へまでその課題を拡大される。文献学が目的を単なる文献の解読に限らず、すぐ様一般的な古典学や同時代的な文化表現の解釈理論へまで拡大されるという点は、このフィロロギーの非常に大切な特色なのであって、そこから文献学が所謂言語学や言語哲学を離れる点が出て来るのであり、従って又一寸見ると、文献学が言葉の問題の制約から自由になって、何か独自の哲学的な――普遍的で現在に対して実際的な意味をもつ――方法にでもなるかのように思われても来るのである。文献学が言語学的なフィロロギーから外へ向って拡大されるプロセスは、大体次のようなものだ――

     文書を解読するのは、云うまでもなく単に言葉や文章を理解するためでなく、そこに盛られた思想や観念をこうして理解するためである。処で何でもがそう簡単に徒手空拳で理解出来るものではないので、理解の用具を提供するものが実は言葉や文章そのものだが、古典にぞくしていたり外国のものであったり、又あまりに専門的な術語に基くものであったりすれば、この理解の用具の使い方自身を又理解するための用具が必要となる。こうした理解の用具・技法が解釈なのであって、理解はいつもこの解釈を通じて行なわれる。フィロロギーはこうした言葉や文章が盛っている思想の解釈の技法を伝承して学問に仕上げたもののことで、狭い意味に於ける「解釈学」(Interpretationswissenschaft ―― Hermeneutik)をその哲学的核心としているのである。――なぜ狭い意味に於けるというかと云えば、この解釈学はまだ言葉(乃至文章)の説明という直接目的を離れていないからである(その内でも更に最も狭い意味で解釈学という言葉を使えば、言葉や文章の文法学的説明が解釈の事になる)。言葉の説明という直接目的から離れないこの狭義のフィロロギー=解釈学の立場はA・ベックなどが最も忠実にこれを代表している(A. Boeckh, Enzyklopadie und Methodologie der philologischen Wissenschaften ――ここでは言葉の説明――解釈の仕方が四つに区別されている)。

     処がフィロロギーの哲学的核心が解釈学にあるということ、理解という独自の人間的認識作用にあるということは、この理解対象や解釈学の適用範囲を、もはや文書だけには限定しないことを意味する。況して古典文書だけに限定しないことを意味する。だから文献学をその哲学的核心について受取ることは、やがて文献学を単に言葉の世界に制限されない一般的な解釈学として、又更に一般的な理解論として(Hermeneutische Theorie, Theorie des Verstehens)受取ることである。――之を極端に推して行けば、やがて文献学は外見からいうと殆んど全く哲学的な(そして無論観念論的な)科学自身と一致することになり、又結局は同じことだが、哲学の方が殆んど全く文献学化されて了う、という結果になる。こうした哲学的文献学(?)への動きを代表するものが、誰よりも先にシュライエルマッハーなのである。
     シュライエルマッハーは無論ベックに較べて先輩である。だから時間上から云えば、シュライエルマッハーの哲学的解釈はベックの手によって再び言語学的解釈にまで萎縮したのだとも考えられる。だから文献学という科学の勝手な生長から云えばシュライエルマッハーがその最高峰か分水嶺に立つわけだ(但し現代に於ける文献学の哲学的認識への全面的な適用は今見ないとして)。――一体解釈学乃至フィロロギーは、実はギリシア以来存在する。アリストテレスはフィロソフォス(哲学者――知恵を愛する者)はフィロロゴス(文献学者――言葉を愛する者)だとも云っているし、アレキサンドリアにはすでに文献学派と呼ばれるものが存在した。中世を通じて(アヴェロエスや聖トマス其他)、聖書とギリシア哲学古典との解釈学は著名である。だが近世の解釈学の特色は、それが組織的に科学的で、従って又聖書とかギリシア哲学古典とかいう特定の古典だけを対象とはしないという一般性にある。聖書解釈学を科学的にしたものは Semler であり、之を一般的な解釈技法にまで高めたものは Meier だと云われるが(Dilthey, Die Entstehung der Hermeneutik)、つまり近代文献学の始まりは宗教改革以後だと見なければならぬ(ルターは某大学の図書館でバイブルを探した処、塵にまみれたラテン訳がたった一冊出て来た。彼は之によって初めて聖書なるものを手にしたという話しである。当時はバイブルを読まなくても立派に神学の教授になれたとさえ云われる)。そして文献学と哲学とを最も密接に結びつけたものはプロテスタントとしてのシュライエルマッハーであった(シュライエルマッハーの書物―― Akademiereden uber Hermeneutik. その先駆者としてはアスト―― Fr. Ast, Grundlinien der Grammatik. Hermeneutik und Kritik 1808; Der Grundriss der Philologie 1808. 及び前に述べたヴォルフ―― Fr. A. Wolf, Museum der Altertumswissenschaft. Leitaufsatz)(J. Wach, Das Verstehen 1 参照)。
     だがシュライエルマッハーのフィロロギーが哲学的な深さを持つということは、同時に夫が神学的な深さを持つということに他ならない(事実彼は哲学者としてよりも神学者として、又宗教的啓蒙家として、の方が勝れていた)。彼の神学乃至哲学は、無限なものへの思慕によって裏づけられている。この無限なものへの思慕が、独り中世と云わず又ギリシア古典と云わず、凡そ過ぎ去った世界への回顧的な思慕にまで行く処が、ドイツ・ロマンティックの落ちつく処なのである。世界の審美的感想と人間的情緒による解釈とが、そこに於ける唯一の「科学的」なものとなる。或る時期のシェリングはその哲学によって、現実を消去して自由なファンタジーの世界を導き入れたが、この自由なファンタジーの代りに過去の歴史を導き入れるものが、シュライエルマッハーの解釈学の動機だと云ってもいいだろう。――文献学乃至解釈学が哲学と結びつき又は哲学的となる時、その哲学はこのロマン派的・審美的・回顧的・観念的な一種の解釈哲学であったことを注意しておかなくてはならない。

     シュライエルマッハーの文献学(乃至解釈学)は併し、どれ程それが哲学的であり又哲学化されていると云っても、依然として文献学(乃至解釈学)プロパーの線の上に止まっていることを忘れてはならぬ。なる程彼によって文献学乃至解釈学はごく一般的な方法にまで、又可なり深遠とも見える世界観にまでさえ拡大された。がそれはまだあくまで、文献学乃至解釈学プロパーとして拡大されたものであって、文献学乃至解釈学が、文献学乃至解釈学プロパー以上又は以外のものとして拡大されたのではない。――本当に文献学が哲学化され、或いは同じことだが、哲学が文献学化されるためには、すでにW・v・フンボルトでも見られたように、その前段階として歴史の問題がこのフィロロギー・プロパーの線から独立しなくてはならなかった。文学が歴史記述又は歴史哲学の問題として、テーマを改めて現われる時、文献学は哲学へ向って決定的な飛躍を用意するのである。ここから初めて、理解一般というものが文献学プロパーや古典学に於ける「理解」から独立化して、やがて一切の人間的認識の本質だと宣布され始めるのである。
     この跳躍の最初の準備は恐らくドロイゼン(J. G. Droysen, Historik)の内にある。彼によれば理解は歴史学的方法の本質だということになるのである。処がG・ジンメルの『歴史哲学の諸問題』になると、理解というこの歴史的認識そのものが、もはや単に歴史学の方法であるに止まらず、やがて一般的な哲学的態度そのものを決定するものとなるのである。これが最も大規模に展開されたものは云うまでもなくディルタイであって、彼は一方その精神科学の記述方法を例の解釈学から受取っていると共に他方、理解こそ、こうした精神科学の記述を通して表わされるその所謂「生の哲学」の、認識理論の枢軸をなしているものだ。吾々の生活は歴史に於て客観化されて表現される、この表現が本当の精神なのであって、この精神の把握を通して初めて、吾々は却って自分自身の生活を知ることが出来る。――表現の解釈こそ生の理解なのだ。哲学は生が歴史の内に表現されたものの解釈を通して生みずからを自己解釈し従って又自己理解することなのだ、とディルタイは主張する。――かくて歴史に於ける理解というものを踏み台にして、文献学乃至解釈学は、歴史哲学にまで、又更に哲学そのものの方法にまで、高められる。この際、この文献学乃至解釈学によって支援される「歴史学」や「生の哲学」が、どういう素性のものであるかは、今更説明するまでもないことだろう。
     文献学が解釈学=理解論として、その本来の文献学的地盤である言葉の問題から飛躍して哲学と一つになったのは、ディルタイを以てさし当りの代表者とするのであるが、併しディルタイのこの文献学的哲学は、その実質から云って精神(文化及び社会)の最も豊富な歴史的記述に他ならないのだから、そして歴史的記述から云えば何と云っても文書の文献学的解釈が中心的な手続きであることに間違いはないのだから(仮に文献学乃至解釈学が歴史科学の方法にならないまでも)、その点から云えばディルタイの哲学はなお文献学的・解釈学的な本質のものである権利を、或る限界の内では、実際上持っているわけだ。仮にこの哲学を歴史の原則的な記述に他ならぬものと考えて見るなら、それがフィロロギー的であることに何の不思議も一応ないだろう。その哲学の無意味な点は、夫が単にフィロロギッシュだと考えられる処にあるよりも寧ろ、一応当然文献学的であってもよいこの哲学も結局解釈哲学につきているという処にあるのである。この点を除けば、ディルタイの哲学は実に現実的で健全なので、これは却って取りも直さずその文献学的な方法のおかげだとさえ云えるかも知れない。――併し文献学的解釈学的哲学は、いやしくも歴史記述という特別な形態を離れる時、その分相応の地盤を失って、一挙にして昇天して了わざるを得ない。M・ハイデッガーの解釈学的現象学は丁度そうしたものに相当する。
     ハイデッガーがフッセルルから受け継いだ現象学なるものは、元来が文献学的なものと無縁であったばかりではなく、その反対物でさえあった。フッセルルが主にディルタイの生の哲学に対して厳密学としての哲学を主張したことはよく知られている通りだし、現象学の現象という観念を直接にフッセルルに伝えたF・ブレンターノの『経験的心理学』そのものも文献学と殆んど何の関係もない。更にブレンターノが現象という観念を引き出したA・コントの実証主義こそは批判や解釈なるものをこき下すことを建前とするものに他ならなかった。近代文献学が主にプロテスタントのものであって人間的情意の総体やそのオルガニズムを尊重したに対して、カトリック的なフェノメノロギーはそうしたヒューマニズムと縁の近いものではなかった。そこをハイデッガーはディルタイの解釈学とフッセルルの現象学とを結合したのである。――尤も晩年のディルタイはフッセルルの現象学的分析に可なり動かされていたし、F・ブレンターノ自身有力なアリストテレス文献学者でもあったから、この結びつきが諸般の事情から云って唐突だなどと云うのではない。問題はもっと根本的な処に潜んでいる。
     どういうフェノメノロギーも凡て非歴史的だということにまず注目してかからなければならぬ。ヘーゲルの『精神現象学』であっても、意識発達の段階の叙述ではあっても、書かれてあるのは意識の歴史でもなければまして世界の歴史でもない。それが現代の所謂フェノメノロギーになると愈々ハッキリするのであって、現象とは現象が現われては隠れる一定の舞台のことで、その舞台面が意識とか存在とか其他々々と名づけられるのである。だからそれだけから云っても、現象に解釈学や文献学を結合することは、もしその解釈学なり文献学なりが歴史の問題からの由緒の正しさを持つ限り、元来無意味でなければならない。処がまた、現象というものの意味は、それがいつもその表面に於てしか問題として取り上げられない、という処に横たわっている。と云うのは、現象の背後や裏面を正面から問題にするということがそこでは無意味なのである。表面化すということが現象するということに他ならない。そうだとすれば、例えば事物の背後や内奥に生活の表現を探り、事物の裏から事物の匿された意味を取り出すといったような解釈学や文献学は、現象なるものに対して初めからソリの合わない方法だと云わざるを得えない。表面というものの厚さを量ることは出来ない相談だからである。
     にも拘らずハイデッガーは解釈学的な現象学を企てようとする。つまりこの意図を客観的に見れば、解釈学乃至文献学からその歴史用の用途を抜き去り、歴史的認識に代わるような体系的な、その意味に於て形而上的な(必ずしも所謂形而上学だというものではない)哲学上の学的構築を齎らそうという事になる。文献学乃至解釈学は歴史的には使えないから何か現象的にでも之を使う他はない。ドイツ・イデアリスムスの世界観としての(人々はそれを好意的に形而上学と呼んだ)歴史的行き詰まりを打開するには、こうした非歴史的な哲学体系が何より時宜に適したものであったに相違ない。ナチスの綱領がドイツの小市民を魅惑したと同様に、ドイツの所謂教養ある(?)インテリゲンチャを魅惑したのがこの哲学「体系」であった。
     処が歴史的用途から解放されたこの解釈学乃至文献学は、云うまでもなく完全に「哲学」的用途のものにまで昇華する。今やハイデッガーに於ては、文献学乃至解釈学は、そのプロパーな言語学的又歴史学的桎梏から脱して、正に哲学そのものの方法にまで羽化登仙するのである。文献学にとってこれ以上の名誉は又とあるまい。と同時に、これ程文献学にとって迷惑な事もないのである。なぜというに、ここでは文献学はその本来の歴史学的言語学的な実体性を失って、極めて戯画化されて現われざるを得なくなるからだ。例えばハイデッガーによれば、距離(Entfernung)とは遠く離れてある(fern)処へ、手を伸ばすなり足を運ぶなりして、その遠さを取り除く(Ent)事によって、成り立つというのだ。こうした説明は一応甚だ尤ものように見えて案外他愛のないものであり、殆んど一切の言葉が同じ仕方で説明出来ない限り、語源学的な意義さえそこにはないのであって、之は何等言語学的な説明でさえあり得ないのだ。言葉(ロゴス)が現象への通路だというが、こういう調子では、この通路もただ割合に工夫を凝した思いつきの示唆にしか過ぎない。解釈学の実質がこういうフィロロギーのカリケチュアにまで萎縮したのは、全く解釈学や文献学が自分に固有な歴史学的乃至言語学的エレメントから跳ね出したからで、もしそれ以外になおこの解釈学の実質があるというなら、それは解釈学的現象学の科学的方法にではなくて、そうした方法が(そだ)っている処の一つの何か僧侶的な「イデオロギー」にしか過ぎない、という事を注目すべきだ(死・不安・其他)。
     で、文献学はこうして哲学化されることによって却って戯画化される。逆に哲学は、文献学化することによって非科学化す。文献学は文献学として無論少しも誤ってはいない。だが世界の現下のアクチュアリティーは決して文献学の対象ではないのだ。だから、文献学を何か特別な主賓として待遇しなければならないと考える哲学は、必ず何かこの現実=アクチュアリティーを恐れなければならぬ理由を有った哲学に違いない。――そしてアクチュアリティーが問題にならぬ時、どんな「歴史」も意味がないのだ。
     さてハイデッガーの解釈学的現象学は、存在の問題を取り上げる、夫が「存在論」たる所以だが、存在(Sein)は更に人間存在から始めて取り上げられる。そこで問題になるものが現実存在(Existenz)だ。その意味で存在論は「人間学」から始められる。夫は存在の自己解釈であった。
     人間学(アントロポロギー)の歴史は極めて多岐であり、その言葉の意味さえが様々である。遠く人間知に始まって人性論人類学更に哲学的人類学にまで及んでいる。だがここで云う人間学はそうしたものから区別された人間学のことであって、この区別を与えるものがとりも直さず解釈学の有る無しにあるのである。だからこの人間学は云わば解釈学的人間学に他ならない(人間学の系統的な批判を私は機会を得て試みたいと思っている)。――だから少くとも、例えば之をL・フォイエルバハの宗教批判のための人間論などと同列に置くことは出来ない。ここで解釈的と呼ばれる所以は、すでに云ったように歴史認識から足を洗ったという処にあるのだったから、結局残るものとしては、形而上的な従って又精々神学的な建築材料しか持ち合わさないからだ。之に直接比較されてよいものはさし当りS・キールケゴールの著作などだろう。――なぜこんなことを云うかと云えば、日本では曾てはフォイエルバハに結びつけられて、人間学なるもの一般が、何かマルクス主義哲学と関係あるもののようにして輸入されたからである。云うまでもなく輸入されたこの人間学は例の解釈学的人間学のことで、唯物論とは凡そ原則的な対立物だったのだが、にも拘らずこうした人間学が、その素性の曖昧な一般性を利用して、なおわが国の進歩的(?)な自由主義者達に可なりの魅惑を与えているらしい。之は現下の文芸其他に於ける各種のヒューマニズムの素地とさえなるだろう。人間学は今日、あまり素質の高くないインテリの間では一つの合言葉とさえなっている。どんなものにでも人間学という言葉をつけられないことはないが、一旦そう名づけて見ると如何にも尤もらしく進歩的(?)に聞えて来るだろう。仏教も人間学として(高神覚昇・益谷文雄・其他の諸氏)、倫理学も就中「人間の学」として(和辻哲郎)現代物らしくなり多少とも「進歩的」なものになる、というわけである。
     文献学を最も模範的に人間学に適用したものは和辻氏の『人間の学としての倫理学』である(七、を見よ)。否、ただの適用でなくて、云わば文献学からの人間学の演繹だとさえ云っていいだろう。文献学の溶液に存在という微粒子を落すと忽ちにして人間学=倫理学の結晶が見る見る発達する。それ程文献学の適用がここでは完全なのだ。それにもっと完全なことには、この人間の学の方はハイデッガーの人間学から、現象学的残滓をすっかりとりのけて、その解釈学(=文献学)を純化したものなのである。――つまり之はもっと純粋なハイデッガーに他ならない。だから吾々は之に対してハイデッガーの文献学主義に就いて云ったことを、もっと純粋に云い直せば事は足りる。

       

     以上は科学として発達して来た文献学を想定した上で、之を解釈学という一般的な組織的手続きに直して哲学に適用した場合を、解明して来たのであるが、私の今の目標は寧ろ、そうした組織的手続きとしての文献学の代りに、もっと断片的に従って又或る意味では常識的に、文献学的なものに頼って物を考える場合の社会現象に対してであって、その意味に於ける文献学の無組織的適用が次の問題だ。現在のわが国では特にこの問題が時事的重大さを持っているのである。
     だがこの現象を一つの社会現象として見れば、一見極めてナンセンスなものから、一見極めて荘重なものにまで及んでいる。坊間の言論家(為政者や朝野の名士も含めて)の茶番のような言動から、ブルジョア・アカデミーの紳士達(教授から副手や学生まで含めて)の高遠真摯な研究に至るまで、この現象は及んでいる。そしてこの社会現象の哲学的意義になると、坊間の茶番劇だからと云って、決してアカデミーの悲劇的な身振りに較べて、その重大さが劣るとばかりは云えない。却って茶番劇であればある程、その科学的批判の原則は複雑で困難だというのが事実である。実際相手が非科学的な時、之を科学的に批判するほどムツかしいことはあるまい。実はこの困難に打ち勝つためにこそ、私は文献学の問題の必要を痛感するのである。
     尤もこの現象にも罪障の甚だ深いものと割合罪のないものとの区別はある。前に云った茶番と悲劇との区別に関係なく、別にこの区別がある。例えば和辻氏の倫理学は、その推理過程を殆んど凡て辞典的根拠に置いているが、それが「純粋」解釈学の重大な症状であるにしても、それだけ取って見れば比較的罪は軽いと云っていいだろう。人々は容易にそこにすぐ様フィロロギーのカリケチュアを気づくだろうからだ。紀平正美氏のやり口でも、その文義的論拠にぞくするものは、同様に思い付きのギゴチなさを感じさせるだけで、真剣な問題を惹き起こす類のものではない(例えば「理」=コトワリ=断=分割―ヘーゲルの Ur-Teilen)。このカリケチュア自身のカリケチュアは一例を挙げれば木村鷹太郎氏の日本=ギリシア説のようなものに相当するが、之は併し実は、かの教授達のこの点でのナンセンスを単に高度にして見せたものに過ぎない。このフィロロギー現象と精神病理現象との間にはあまり本質的な距離があるものではない。
     重大なのは、現在のアクチュアリティーに向って古典無批判的に適用することの罪である。否、もっと一般的に云えば、文献学的意義しか持たない古典を持ち出し、之に基いた勝手な結論で以て現実実際問題を解決出来るという、故意の又無意識の想定なのである。之も亦、巷間からブルジョア・アカデミーの回廊にまで及ぶ現象である。――例えば権藤翁における南淵書や、神道家の国学古典などが最も良い例で、この古典の古典としての真偽とは関係なく、古典の現在への時事的適用自身が無意味でなければならぬ。紀平・鹿子木・平泉・の諸氏やその他多数の国粋主義的ファッショ言論家が、この日本ものの部類にぞくする。東洋もの乃至支那ものでは、西晋一郎氏の「東洋倫理」や漢学者・アジア主義者の言論、印度ものとしては仏教僧侶の時局説法、更に欧米ものとしてはブルジョア・アカデミー哲学者達の半フィロロギー的哲学問題の選択――文献学的に論じて行くうちに夫がいつの間にか問題の実際的解決になるとでも思っているらしいドイツ語フィロローグやギリシア文引用家達の哲学的作文等々、その現象には限りがない。
     こうしたものを一つ一つ部分々々に批判して行くことは無論決して不可能ではない。一々現実界の状態や運動に引きあててそのナンセンスを実証してもいいし、各々の不統一な主張をアブサーディティーにまで追い落してもいい。だが困難はこういうデタラメなフィロロギー現象が、限りなく存在し又とめ度なく繰り返すという事実にある。吾々は百億という数値の〇を一つ一つ書いている煩に耐えないというので、10
    n といったようなフォーミュラ(公式)を必要とすることになるが、それと同様な必要から、文献学のこの組織的な適用に対する批判の諸公式を、根本命題、原則の形で、今四つ程挙げようと思う。
     第一、一般に言葉の説明は事物の説明にならぬ。――この判り切った命題は実は私の云いたい事の初めであり又終りでもある。現在使われている各国乃至各民族の言葉は、当然夫々の現実の事物に対応する観念を云い表わす、だがそれにも拘らず言葉と論理との間のギャップはいつも問題として残る。ここで論理というのは概念が実在に対する対応関係を云うのであるが、この論理が人類の歴史を通じて発達すればする程、即ち実在に対する概念の対応が具体的になり精細になればなる程、言葉の方はいつも論理に引きずられることになるから、言葉と論理との間のギャップの可能性は増々大きくなる。論理は思想を首尾一貫して貫徹する活きたメカニズムだが、処が言葉も亦社会的に消長する活きた存在で、言葉は言葉でそれ自身の発育と代謝機能とを有っている。言葉の説明、言葉による説明は、夫々の言葉の語源からの変遷を溯ることを普通とするが(もしそうでなければ社会的な統計でもとって「通念」を算出しなければならなくなる)、そうして溯源の結果発見されるだろう言葉の語源的な意味を採って、夫によって事物を説明し、それで現在の言葉による事物の説明の代りにするならば、言葉と論理との間のギャップの可能性は二重に大きくなるわけだ。
     古代の思想のメカニズムでは、言語と論理(古代論理)とは極めて親しい関係に立っている。例えばE・ホフマンの論文(E. Hoffmann, Sprache und die archaische Logik)によれば、秘儀(ミュステリオン・語るを許さず)――神秘(ミュスティック・語る能わず)――神話(ミュトス・語らんと欲す)=ミュトス(話)――エポス(言葉)――ロゴス(思惟)という具合に、言語と論理との親近関係をつけることが出来る。つまり語ることを問題にしている前の系列と、考えることを問題にする後の系列とがミュトスによって直接に連なっているのである。処が近代の論理はこうした言葉から独立することをこそその使命としている。
     言葉による説明は、だから、説明される事物が発展した社会の所産であればある程、夫を何等か古代的なものにまで歴史の流れを逆行させない限り、事物の説明の態をなさない。文献学主義者は、何等かの意味で古典にまで論拠を溯行させようとしたがる、そうした故意の又無意識の企てを有つのだ。併し――
     第二、古典実際問題の解決の論拠とはならぬ。一体古典とは何を意味するか(古典と云っても古典主義やギリシア古典と必ずしも関係はない)。自然科学に於ける古典主義に就いては改めて考えなければならないが、少くとも文学・哲学・社会科学の領域に於ける古典は、大体三つの意義と科学的用途とを持っていると考えていいようだ。(一)或る考え方や経験(実験までも含めていい)の有用な先例又は文献として、(二)歴史的追跡のための事実又は資料として、そして最後に(三)訓練のための用具又は模範として。(一)ならばこの古典が先例又は文献として現在役立つかどうかは古典自身が決める事ではなくて、現在の実際的な事情が決定することである。現に文献を先例として引用しただけでは、一向自分の主張の論拠にはなるまい。文献は論拠として見る限り、すぐに古くなるものだ。(二)ならば資料の使い道の決め方は資料自身にあるのではなくて、夫は全く現在の実際的な認識目的に基くことだ。資料それ自身は論拠にはならぬので、誤謬の歴史に資する資料というものがあるからである。(三)ならば模範は模範であって少しも論拠ではない。――だからいずれにしても、古典はあくまで参考物の限界を出ないもので、現在の実際問題解決のための論拠を提出する使命をもつものでもないし、又持ってもならない。
     ただ古典の大切な条件の一つとして、それが歴史的に伝承されて今日現在に至ったものだという点を忘れてはならぬ。そうでなければ古典ではなくてただ過去の一介の歴史的所産にしか過ぎない。でこの古典が引く伝統の糸は、哲学なら哲学史の、社会科学なら社会科学史の、流れを貫いていつも不断の作用を各時代に及ぼしている。だからして古典は論拠とされてはならぬが、併し又必ず参照されねばならぬものとなる。つまり古典とは実際問題の必要に応じて批判され淘汰・陶冶されて行かなければならないものなのである。
     批判と淘汰・陶冶を用意しないで、その意味で無条件に、古典を何かの用に役立てることは、その言葉が示す通り、文献学主義の根本特色の一つである。古典の引用に当ってもこのテーゼはその通りあてはまる。自分の主張を単に権威づけるために、古典的文章を引用することは、単に馬鹿げた無用なことばかりではなく、現在の問題を古典の時代の問題にまで引きかえす処の反動をさえ意味しているのだ。
     普通このやり口を公式主義と一口に云うのだが、併しそう云うのは正確でない。公式は実は常に運用されるための公式なのである。公式主義の特色は、既知の公式を使うことにあるのではなく(公式を使わなければ科学的でない)、却って、既知の公式を使う代りに無用にもワザワザ之を改めて導き出して見せて、そしてそこが解決点ででもあるかのように問題を打ち切って了う、という処に横たわる。――併し一体公式は古典の意味を持たないか、古典的ということは普通、均斉のとれた典型的なことだが、之は科学の上では公式に相当しないか、という疑問は起きるかも知れない。併しそうではない、典型的ということは、(三)の模範性に他ならないからである。吾々は之を教育上の目的で使用することは出来ても論証上又は製作上の目的に之を技術的に実地に使用することは出来ない。もし出来るとしたらミケランジェロのデッサンの上に色彩を施すことも完全な絵画の創作となるだろうが、それは無論文学で云えば剽竊に相当するものでしかないだろう。処が公式は単に訓練上だけではなくいつも論証上の又広く制作上の目的に実地に技術的に役立てられるべきもので、古典のように過去のどこかに位置する事物ではなく、現在日常的に手回り近くに用意されてある処の観念的な生産用具に他ならないのである。
     古典を何か実際的に直接技術的に役立つ公式か何かのように思い込むのは、つまり古典を使って制作をすることと、古典を理想として製作することとを混同するからである。この区別は唯物論的には重大な意味があるが、観照的な解釈家であり審美的な理解者である古典学主義者(そうした特殊の文献学主義者)にとっては、夫はどうでもいいことらしい。彼等は云うまでもなく古典を実地に技術的に用具として使うことは出来ない。併し又初めから使おうなどとは思いもよらないのである。元来そうしたものが古典なのだが、之に反して公式ならば夫が使われないというようなことは許すべからざる不経済だろう。――古典の権威に対する不当な尊重は、文献学主義の一つの宿命である。
     第三、古典的範疇はそのままでは論理をなさぬ。――古典に論拠を求めるという誤りは、要するに古典的範疇乃至範疇組織を、現在に於ても論理的に通用するものと認めることに他ならない。ギリシア古典・印度の古典・支那・日本・中世ヨーロッパ・アラビア・其他の古典的文物は、夫々に固有な範疇と範疇組織=論理を持っている。古典的でなくても未開人は未開人固有の範疇論理を有っている。処が之等は今日の吾々の、即ち現代の文明諸国の、国際的に通用する論理とは同じでない。極端な例はレヴィ・ブリュール等の一連の研究によって示されているが(未開人に於ける特有な集団表象・分有=パルティシパションの論理・先論理)、古代印度人の思考のメカニズムも亦、今日の国際的な論理との間に可なり決定的なギャップを示している。その良い例は因明論理の論証手続きなどだろう(例えば Betty Heimann という女史は古代インド的思考の研究を Kant-Studien に時々発表しているが、その一つによるとヨーロッパと古代印度ではアナロジーをさえ絶する程異った思考のメカニズムがあるという結果になる)。
     蓋し範疇組織=論理は、それぞれの時代の社会の歴史的条件によって現実界に対応すべく組み立てられた思考の足場なのだが、この現実界が発展すれば当然この足場も発展せざるを得ない。足場が発展するには、この範疇組織という足場の材料となっている各範疇がモディファイされ止揚されることによって、断えず足場が再構築されて行かなければならぬ。古典的範疇だからと云って、勝手に持って来て現実の実際問題を処理するオルガノンとすることは、だから絶対に許されない筈なのである。時代は時代の範疇組織を、論理を有っている。文献学主義は処で、古典の権威に対するその信頼によって、時代の範疇組織=論理を知らなかったり、又強いて認めなかったりする。だが、古典的範疇はなる程理解はされよう、併し使うことは出来ない。
     第四、古典的範疇は飜訳され得ねばならぬ。併し飜訳はいつも飜訳に止まる。――狭い意味に於ける飜訳は一つの国語の文章を他の国語の文章で置き換える事だが、広い意味の飜訳は、一般に文化の紹介を意味している。どれも文献的労作である点で変らない。シュレーゲルのシェークスピア飜訳や、カーライルのゲーテ紹介などはこの二つの意味を兼ね具えたものであった。正にこうした飜訳こそフィロロギーの使命であり、現在の実際問題解決に対するフィロロギーの唯一の寄与の仕方なのである。――だが飜訳は飜訳であって原物ではない。未開・古代的・古典的な文書や言葉であっても、又同時代的な同一文化水準の外国語でも、言葉として或る程度まで飜訳は可能でなくてはならぬ(この文学上の飜訳の問題に就いては野上豊一郎氏「飜訳論」――岩波講座『世界文学』の内を見よ。なおフェノメノロギッシェな試論としては L. F. Clauss, Das Verstehen des sprachlichen Kunstwerks, 1929 ― Husserls Jahrbuch, Erganzungsband などがある、尤も之は大したものとは思われないが)。だが広い意味の飜訳は文化の紹介なのだから、問題はこの種の文学上の飜訳に止まることは出来ない。今何より大事なのは範疇乃至範疇組織の飜訳の問題なのである。
     今日の同時代諸国の間の論理の飜訳は併しあまり問題ではない。なぜなら世界の生産力が或る程度まで発達した結果、生産技術と生産機構とは殆んど全く国際的な共通部面を持つようになって来た。そして之が夫々の国の生産関係の尖端をなすのだから、尖端は国際的に出揃ったと云っていい。この生産の尖端に誘導されねばならない理由を有っている夫々の国々の論理機構は又、その尖端を出揃わせるわけで、それに交通運輸機関の著しい発達の必要がこの論理の国際性を日増しに現実的なものにして行きつつある。で、同じものを同じものに飜訳するのは飜訳ではなくて、ただの交換か授受に過ぎない。ヨーロッパ文明が日本で消化し切れなかったり、日本精神が外国人に判らなかったりすると考えるのは、論理の飜訳の意義を知らぬもののデマゴギーであって、そういう人間に限って、古代インドや古代支那の論理を平気で現代の日本に使おうとする癖がある、ということを忘れてはならない。
     実は問題は、古代的・古典的諸論理を現代的論理へ飜訳する場合にあったのである。例えばインドの原始仏教の文献的内容は、単にそのテキストが国訳されただけでは吾々の理解にとって不充分なので、更に之を現代的範疇と範疇組織によって解釈して呉れなければ、原始仏教の文化内容も遂に今日の吾々の文化内容と接続し得ないで終る。単に古典学的興味の対象とはなっても文化的関心の圏内には這入って来ないだろう。処が例えば之を木村泰賢氏のようにカント哲学風に解釈して再現すれば初めて多少現代の文化財としての意義が生れて来る。更に之を和辻哲郎氏のように現象学的な立場からでも解釈し直せば、すでに吾々にとって理論的に充分読めるものとなる、という次第だ(和辻哲郎氏『原始仏教の実践哲学』参考)。
     だが範疇又は範疇組織=論理を飜訳するという事は、AのものをBのものへ移して、Aの生きた生活連関をBに於ける活きた生活連関であるかのように作為することに他ならない。Aに於て活きていた論理はだから、Bへまで飜訳された上で、なおBに固有な活きた連関を有つことは、決して許されない。今その限りBへ移し植えられたこの被飜訳論理は死んでいる、だから本当の論理ではあり得ない。このAが古代的・古典的論理であり、このBが現在の実際的論理なのである。――だから飜訳は永久に飜訳であって、遂に原物ではないというのである。即ち文献学者は、文献学者の資格に於ては、活きた論理を使用する使用者としての哲学者ではあり得ない。フィロロゴスは決してフィロソフォスではない。ここがフィロロギー・文献学の権利の限界をなしているのである。でこの文献学の制限を、無意識に、そして甚だ往々にしては故意に、無視することが、文献学主義=文献学的哲学の根本的な誤謬か、又は最も根深い欺瞞の要点なのである。

     フィロロギー現象=文献学主義は、解釈哲学(世界を単に解釈することによる観念論)の一つの特殊な場合であった。無論文献学主義の形を採らない解釈哲学は他に多い。解釈哲学が必らずしも解釈学的哲学に限らないことは注目すべきだが、併し文献学的・解釈学的・哲学の組織的な又断片的な形態が、今日わが国の至る処に著しく目立つことに、着眼することは、各種の日本主義に対する批判にとって、極めて大切だ。





     
     「常識」の分析
          
    ――二つの社会常識の矛盾対立の解決のために



     文芸の領域では最近、日常性という問題が相当話題に上るように見受けられる。一部の知識人によると、現在の文芸家の或る者達が尊重する不安というのも、社会生活の経済的政治的又観念的な不安であるとかないとかいうよりも、何よりも先に、日常生活意識に対する懐疑と攻撃、としての不安でなくてはならぬというのである。そうした不安にこそ、インテリゲンチャの特色と、更に又インテリゲンチャの積極的な自覚さえが宿っていると云う。日常的なものは、即ち、こうした不安らしいものと対比させられて、一部の文芸家の観念に取り入れられる。
     文学的修辞からすると、日常的ということは又俗物的なことでもなくてはならぬ。だから日常性は、俗物主義に反対するためにも取り上げられる必要があり、そして改めてハタき落されなくてはならないということになる。こうした考え方は、確かに一種常識的な尤もらしさを持っている。だが、では、日常性というものはどういうものか、ということになると、結局それが不安を覚えない俗物さの対応物だということに尽きているらしく、人々はそれ以上面倒な商量や考察を敢えてしようとはしないようだ。日常性が不安を知らぬ俗物さの対応物だというこの現在の一つの常識は、その素性を糺すと僧侶主義的な生活へ転心(この宗教的な体験の秘密は今日では各種の転向という世俗的な奇蹟として実現しているが)しない内の空しい堕ちた人間生活のことが日常性のことだとする、ある特定の神学又は哲学から来た民間常識なのであるが、それ以外のそれ以上のことになると、この常識にとってはどうでもいいらしい。必要なことは却って俗物的な情熱で以て日常性を俗物さと対置することでしかないらしい。
     処がこうして常識的に日常性を俗物的だとしか見ない態度が、却ってそれ自身ごく日常的なものに他ならないのであって、従って又それ自身却って甚だ俗物的な常識に過ぎないのだが、俗物呼ばわりをするに熱心なこの俗物達にとっては、俗物さ自身のもつそうしたアイロニーやパラドクッスなどはどうでもよい。この常識は何等の愛嬌もユーモアもなしに、日常性をひたすら俗物呼ばわりするのである。日常性というものにどういうディアレクティッシュな裏の裏があるかにもお構いなしに。――処が日常性には立派に日常性の原理とも云うべきものがあって、それが例えば哲学を俗悪で無意味な形而上論から区別している。それを私は屡々色々の機会に説明したのであるが、日常性を俗物呼ばわりしたくて仕方のないこの常識論は、日常性の今云うような意義に対して全く無感覚な程非常識なのである。
     日常性とか俗物主義とか(その間を「不安」が取りもつのだが)に就いての今日の常識が、すぐ様如何に非常識なものかという事実を見れば、一般に常識というものがどんなに一筋繩では片づかないものかということが判る。処で、日常性や俗物主義の場合は、単にこの常識のアイロニー(所謂ロマンティック・アイロニーのことを考えて貰っては困るが)の一例だというばかりでなく、それ自身常識につらなる一連の諸観念に他ならなかった。所謂日常性―所謂俗物主義―所謂常識という一連の云わばメフィストフェレス的又はサタン的な系列が問題だ。だからこの種の問題は一切、常識に就いての問題に集中するのである。――事実常識は、例えば学問・科学・真理・天才・独創・等々を、試み批判する職能を持っている。サタンは試みるもののことであり、メフィストは誘惑するもののことだ。
     常識も亦文芸の世界で多少は話題に上っている。常識的な文芸批評は遂に常識以上に出ないと云えば、そう云う当の側が非常識ではないかとやり返される。ここの関係に一種込み入った矛盾が横たわっていることは明らかなのだが、誰もまだあまり注意を払っていないようだ。つまり常識は単に全く常識的にしか掴まれていないのである。そして常識に就いて単に常識的な観念しか見当らないのは、何も今日の文芸の世界に限ったことではないのであって、現在の一般の理論や哲学の世界に於てさえこの事情に変りはないのである。で、必要なのは常識の(もはや常識的ならぬ)分析でなくてはならない。

       

     常識は常識的に見て、この二つの相矛盾した側面を有たされている。一方に於てそれは、非(又反)科学的・非(又反)哲学的・非(又反)文学的・等々の消極的又は否定的な知識を意味している。処が他方に於ては之に反して、却って一人前の・ノルマルな・社会に通用する・実際的な健全で常態な知識のことをそれは意味している。前の意味では常識的であることは恥ずべきことであり、後の意味では常識的であることは誇るに値いすることだと考えられる。そしてこの二つの相矛盾した意味が、同じ常識という観念の内に、どう折り合いをつけるかという段になると、常識自身は一向それを気にしない。常識はこの二つの矛盾したものの常識的対立で満足しているのであって、この段階に止まるものが、常識の常識的概念に他ならない。蓋し常識的な態度は、互いに相容れない二つのテーゼを平気で並べておいて顧ないということを、その特色の一つとする。常識は常識自分自身に対してさえそうなのだ。
     或る意味で文学的科学である哲学は、いつも時代の与える常識から出発する。だから常識自身に対する哲学的反省も亦、今云ったこの常識的段階から出発するのを常とする。ギリシア古典に於ける「ドクサ」は丁度そう云った常識に就いての哲学的概念の初歩のもので、真の知識=学問から見れば、それは結果から云って、凡そ真理の反対物でしかあるまい(プラトンの段階)。だが哲学がこの常識・ドクサの有つアナーキスティックな本質に注目することは、この見解がすでにただの常識的概念を離れ始めることを意味する。ドクサの本質は、その内にいくつもの相矛盾するテーゼが平気に並んでいるということである。この相矛盾する諸テーゼを整頓処理して初めて科学的な知識へも行くことが出来ると考えられる。アリストテレスがディアレクティックをこの種のドクサに於てだけ認めたのは、恰もこの段階の常識概念に相当するのである。ここでも併し、常識は真の知識への一つの足場にはなっても、云うまでもなく、真の知識の単なる反対物でしかない。蓋しドクサは一方に於て旧来の自然学者の多少との偶然な見解や知識的伝説のことであり、他方に於てはデモクラティックな民衆の自然発生的な通念に他ならない。そうすれば之がギリシアの貴族主義的な知識の依り処となれないことは当然だろう。
     併し、常識という言葉(Common sense, Gemeinsinn)そのものが、アリストテレスに於てドクサとは全く系統の違った観念として提唱されている点は、よく知られている。彼の De Anima によれば、一定種類の知覚に対応しては、それを受け取る夫々の感官があるのは云うまでもないことで、眼は色や光や形を、耳は音を、知覚する。だが人間は色や光や形――そうした視覚的なものとなって現われる知覚と、音というような聴覚となって現われる知覚との相違自身をも亦知っている。単に赤が青でない事を知るだけではなく(それならば視覚だけで判る)、赤や青が音の高底とは全く別な系列にぞくすることを事実吾々は知っている。而もこの相違は何と云っても知覚的に知られるのであって、別に知覚以外の又は知覚以上の心的能力によって知られるのではない。そうすると五官が夫々感受する知覚をば、相互に比較出来るような、従って五官に共通した而も五官の外にある何かの共通な感官がなくてはならぬということになる。耳でも眼でも舌でも鼻でも皮膚でもない感官が、そこで想定されざるを得ない。こうした共通感官が、後に常識と訳されるものの語源なのである。だが之は無論単なる語源の問題には止まらないのだ。
     この共通感官は、無論五官(外官)ではあり得ない。アリストテレスによれば之は多分脳髄のどこかに位置する器官だと想像される。だが吾々はそのような感官の位置に就いては問題を感覚生理学か解剖学に一任することにしよう。哲学的テルミノロギーとしては、感官は一種の心的性能の意味にまで抽象されるのを常とする。そうした生理解剖学的定位から抽象されたものとしてこの共通感官を見るならば、今云った定位問題とは一応無関係に、之を外官に対する内官と考えることが出来るようになる。無論外官とか内官とかいう哲学上の常識観念は、相当限定の困難なものだが、少くとも外官が常識的に云っても肉体上明らかな定位を持っているのに較べれば、内官の方は、決してそんなに容易に肉体的器具と一致させることの出来ないように見える理由があるだろう。内官という観念がだから既に、哲学的な抽象概念を意図したものと云わねばならぬ。と云うのは内官に就いては、もはや感覚器官を意味するという規定が相応しくなくなるからである。そこで之を内感と呼んでもいいと考えられるようになって来るのである(この時内官に対比される外官も亦外感と書かれるに値して来る)。
     そう考えると、感官がやがて感覚を意味して来る理由も亦おのずから理解出来るだろう。感官は元来感覚――哲学では知覚心理学からの訂正にも拘らずこの言葉に意味を認めていいのだが――を受けとる器官だったのだから、感官は感覚ではない筈だったのだが、今云った理由によって、感官と感覚とが同じ観念になる理由が生じて来たのである。――さてそこで今の共通感官も亦やがて共通感覚にまで、その意味を転化して来るのである。センスやジンやサンスという外国語は事実この転化をよく示しているので、単に感覚を意味するだけでなくて、それが意味という言葉や核心という言葉をさえ意味するようになるのを注意すべきだ。
     だからアリストテレスの共通感官は、やがて共通感覚という意味を受けとるようになる。この時内感という文字の意味が初めて明瞭となるばかりではなく、その内感がやがて内部知覚という概念でも置き換えられ得る所以が明らかとなる。内感即ちやがて内部知覚は、之を少し心理学的内省によって分析して見れば、内部知覚と云った方が内容が限定されて問題がより具体的になるからだ。
     共通感覚という古典的な規定を内感又は内部知覚という主に近世哲学的な規定で尽せるかどうかには、疑問の余地があるだろうが、それは内感又は内部知覚という規定そのものに色々の決め方がある以上やむを得ないことだろう。だが共通感覚が何かしら内部的な感覚と考えられねばならぬという一般的な点だけが今大事なのであって、それがなければ、共通感覚がなぜ後世の常識の概念の先駆として之に連なるかが、全く理解出来ないだろう。之が、ただ言葉が共通だというだけなら全く偶然なことに過ぎなくて、今茲に問題にするに足りないわけだ。共通感覚が内部的だという点で以て初めて、アリストテレスの共通感官(コイネー・アイステーシス)は、近世の例えば常識学派の哲学による常識に、連絡しているのである。
     古典的なこの共通感官の観念と、近世的な常識の観念との間には、スコラ哲学の一般感官(之が即ち又内部的感覚の問題に帰着するのだが)が仲介の労を取っている。だが一足飛びに常識学派の場合に来た方が吾々の話しが簡潔になる。

       

     常識学派はイギリスのスコットランド学派のことに他ならないが、今特に問題になるのはトマス・リード(Th. Reid ― 1710―96)の場合に就いてである。普通彼はイギリス経験論(その代表的な源泉はジョン・ロック)に反対して立ったと考えられている。ロックが人間の心を白紙の如きものになぞらえたことから、イギリスに於ては、心理学では連想心理学が、認識論では各種の主観主義的懐疑論が、結果する。この前提と帰結とに反対することが、なる程リードの主な原因であったように見える。彼はシャフツベリ卿やハッチスンから来る審美的倫理的な疑うべからざる直覚の権威を、人間の心一般の問題にまで徹底させるべく、経験主義に対立したのだということに間違いはない。だがリードは決して大陸のラショナリストが直観主義者であった(例えばデカルト)ような意味で、反経験論的な直覚主義者であったのではない。彼が直覚主義に赴いたのは、却って正にイギリス風の経験主義の一つの必然的な帰結としてであって、単に所謂経験論的な経験(外的経験)が、内的経験にまでおきかえられた処の、云わば内的経験論乃至は内的経験主義に他ならないということを注意しておかなくてはならぬ。ここで相変らず大事な根拠として挙げられるものは、経験主義風の「事実」であって、ただその事実が内的な事実でなければ本当の事実とは考えられないというまでなのである。
     外部的経験は彼によれば、客観的な各人に共通なスタンダードを有つ処の認識を与えることが出来ぬ、とも考えられよう。もしだからそれだけが唯一の認識の源泉だとすると、ヒュームの場合のように、客観的な実在界の因果的連鎖をさえ疑わなければならなくなる。つまり外部的経験では事実は必ずしも事実としての経験の名に値いする権威を振えない事になる。この経験の権威を護るためにはだから、認識の根拠を内部的経験に、内部知覚に、直観に、求めなくてはならぬ。そこで人間の心は初めて、疑うことの出来ない事実にぶつかる、と云うのである。
     処がこの人間の心の内部で吾々がぶつかる、と云うのである。が事実である以上、もはやそれ以上の合理的な根拠を必要としないし、又必要としない筈のものでなくてはならぬ。なぜなら事実はそれ自身自らの根拠だからこそ事実の名に値いするわけなのだ。デカルトの表象(観念)が真である場合は、明晰にして判明だという合理的根拠が、この表象の唯一の直接的な根拠即ち直観となっていたが、リードに於てはそうした合理主義的根拠の代りに、経験主義的な事実が口を利くということになる。
     合理主義的ではなくて経験主義的なこの直覚は、この直接な内的事実は、だから事実というものに固有な如何にも事実に相応わしい経験的な所与性を持っている。と云うのは、この直覚内容の多様が、雑多な幾つかの内容物が、事実の名によって、単に経験的に、即ち合理論的な根拠なしに、「事実真理的」に結びつけられて与えられているのである。だからこの直観は決して単一な直観ではなくて、一定の具体的内容に分割され得る処の、その意味に於てはアーティキュレーション(分節・音述)を持った処の、テーゼ・命題でなくてはならぬのは尤もだろう。而もこの命題は事実というものの権威によって組み立てられている限り、之を合理的に分解することは不可能なのだから、その命題の内部の凝結力は絶対的でなくてはならぬ。即ちこの命題は固定した処の――まるで合理主義によるアプリオリのように――不動の命題、公理の性質を持たざるを得ない。云わばこの諸命題は人間が実際生活に於て下す一切の判断の元素や単位のようなもので、判断はいつも之をそのまま使う他はなく、苟くも之を分解しそれ以上の要素に還元することの出来ないものなのだ。それにも拘らず、この元素的な単位が、本当は雑合物なのだから、之は正に公理の値いするのである。
     さて公理とは自明なもののことである。それは直覚的に自明でなければならない筈だ。判断が使う人間的悟性=理解力はこうした直覚的明白さを持った公理を唯一の根拠とするわけであるが、客観的世界が存在することやそこに因果関係が行なわれるというような公理を、人間の悟性は本能的に承認するものなのだ、とリードは云うのである。処でリードによれば、こうした直覚の事実としての公理を本能的に承認することが常識の健全な職能であり、またこの公理の内容がこの健全なる人間悟性の、即ち常識の、夫々の内容となるのである。常識とはつまり審美的・倫理的・宗教的・又理論的な・出来上った一定不変の諸テーゼを、夫々公理として、即ち普遍的に通用するものとして承認し、認識をここから出発させようという、その態度と意識内容とのことだということになる。
     常識(健全な人間的悟性)のこうした権能は、専ら夫が外部的経験によるものではなくて内的経験のものだったという処から発生したわけであった。ここにアリストテレスの共通感官と、リード風の(一般にスコットランド学派の)共通感覚=常識との、言葉の上だけではない連絡があったのである。――云うまでもなくアリストテレスに於ては、共通感覚が共通するのは五官乃至五官が受け取る五つ乃至それ以上の知覚(感覚)の間に於てであった。之に反してリードの共通感覚=常識が共通するのは、社会における各個人の間に於てである。ここでは例えば各個人と云っても実は或る意味での平均人と云ったようなものが必要となって来る。共通という意味が、だから両者の間で一向共通でないではないかと云うかも知れない。
     だがリードの主著(Inquiry into the Human Mind on the Principles of Common Sense)が、人間の外部的諸感官の問題から出発していることは多少の注意に値する。と云うのは、五官に共通する感官によって、実は初めて人間の意識的統一が成り立つわけだが、この人間的・個人的・統一がなければ、社会に於ける個人間に共通するという常識なる統一も成り立たないのは云うまでもないし、それから又逆に、常識というものが初めて、他面に於て個人々々の意識の統一を齎すものだという事実も見逃してはならない、からである。一人の個人の意識の統一を齎すものは、一方個人心理的に云えばコイネー・アイステーシスであると共に、その同じ関係が、個人を社会心理的に見ると、所謂常識となるのである。個人意識の統一という点から見れば、だからアリストテレス的共通感官の概念と、リード的常識の概念との、実質的な連絡がハッキリするわけだ。
     常識のリード的概念が実はイギリス風の経験論をその踏台として有ち、経験論の直覚主義的な変容とも見ることが出来る所以はすでに述べた。シャフツベリ卿やハッチスンは云うまでもなくケンブリッジ・プラトニスト風に、多少ともプラトン的乃至はプロティノス的であって、その動機から云えば経験論の反対者として現われる外貌を有ってはいるが、それがリードによって、単に審美的乃至倫理的宗教的なものから、知的判断にまで一般化され拡大されるに及んで、遂に常識というそれ自身極めて経験的で日常的な概念にまで到達したのである。大陸風の合理主義とハッキリ対立する点に於て、この概念の経験論的本質は疑う余地はあるまい。一切の人間が、総平均人としての社会の各個人が、その日常の経験によって、何が美であり醜であり、何が善であり悪であり、何が真理であり虚偽であるかということを、理窟なしに、無条件に、直覚的本能的に、判定出来るということが、この常識の職能に他ならない。凡ての人が経験的に客観界の実在を信じるのが常識になっているが、リードは単にこの日常経験の根拠を、人間の心に予め横たわる内的直観に求めたに過ぎなかったのである。

       

     だが誰が考えても、このリード的な常識の観念には多くの弱点が含まれている。第一一定のテーゼの形をなしたドグマが公理として常識の内容になるという説明は極めて無理だと云わねばなるまい。と云うのは、そうすれば常識とは、その内容から云って(その全体の態度のことは後回しにして)、単に社会の各人に平均的に通用する客観性を持つだけではなく、それが何か人間の悟性=理解力に固有な、それと共に永久不変なものだと仮定されているわけになるからである。合理主義は人間の悟性なり理性なりの永久不変さを仮定するにしても、それは悟性や理性という一般的な活動態度に就いてそう仮定するまでであって、そうした悟性や理性によって規定される内容自身までが一定不変なものだとは主張しない。寧ろそうした悟性乃至理性の内容は、悟性乃至理性自身の判断力によって合理的に訂正され進歩せしめられると考えられる。処がリード的常識に於ては、常識(即ち悟性内容―悟性公理)は決して進歩すべきものではあり得ないので、謂わば常に変らず保守的なものでなくてはならない。リードの常識概念は、つまり、当時のイギリス的常識を、而も或る一定の社会層に行なわれた一部の常識を、固定化永久化し、又普遍化したものに過ぎないということが想像される。
     当時のイギリスは一方に於て政治的反動期であって、アイルランド其他の新教徒の新教復興運動を眼の前に見ているのであるが、他方に於てフランスの大革命のジャコバン党の活動に直面している。代表的な保守家である晩年のエドマンド・バーク(ホイッグの巨頭)がフランス・ブルジョアジーのこの新興形態に対して取った反啓蒙的な反動的態度は有名であるが、リードはバークの完全な同時代者であるばかりではない。バークはまた、そのシャフツベリ卿系の美学思想に立って、永久不変な美的感情の単位を想定した点で、スコットランド学派の闘士の一人に数えられている。スコットランド学派・常識学派は、イギリス風の経験論に立ちながら、その経験論自身に対立するように見える処のやや尚古的な思潮に立つものであって、イギリス・ブルジョアジーの発達の上に発生したイギリス的現実を尊重する一種独特な貴族主義的イデオロギーの上に立脚すると見ていいだろう。
     バークは一種の社会契約論者に数えられるが、ホッブスの社会契約説は云うまでもなく個人主義に、その意味では却って一種デモクラティックな原理に、立っているとさえ云うことが出来よう。現実家であり歴史的伝統を重視するバークも亦、凡ゆる形式の政治に於ていつも人民が支配者なのだと云っている。だから彼は一種のデモクラットと見えないでもない。フランス大革命に対する彼の激しい反感は、彼の自由主義から来る倫理的反発に由来している。だが彼は又旧ホイッグ党党是の無条件な信奉者であり、民衆的な衡平の反対者なのであった。だから云わば彼は極めてイギリス貴族風に保守的なデモクラットだったと云ってもいいかも知れない。――処でこのイデオロギーはリードの常識概念の内に、相当鮮かに反映されていはしないかと考えられる。彼によれば、常識というこの元来デモクラティックな観念が、直ちにそれ自身イギリス貴族風の固定感覚を意味して来て、旧来変らぬ保守的な永久法則の意味を有たされたわけであった。ここで常識として強調されたものは、要するに社会的には革命的行動(ジャコバン党の)に対して、観念的には尖鋭な懐疑主義(ヒュームの――之が進歩的であろうと反動的であろうと)に対して、即ちそうした実際上の又観念上の破壊的な又は突進的な動きに対して、守勢と保守との役割を負わされている処のものに他ならない。
     常識が一般に問題ではなくて、常識をそういう風に役立てることが問題だったのだから、この「常識」は、単に当時のイギリス風に経験的論なそしてイギリス風にデモクラティックな「常識」の反映であったばかりではなく、その内でも特殊に保守的な貴族層の常識によって承認を与えられた常識に過ぎなかった、と云わねばならぬ。リード達のスコットランド学派が、ケンブリッジ・プラトニスト達(カッドウォース其他)の後裔であることは無意味ではない。この常識によって想定される平均人とは、謂わば貴族を模範としなければならぬ一般民衆のことになるだろう。――リード的「常識」は単に、こうした幾層かの制限によって初めて限定され得る常識に過ぎなかったのである。
     この常識概念は、当時のイギリス貴族層の独特なイデオロギーを動機としているから、常識の有つ積極的な貴族的役割ばかりが注目されて、却って常識の消極的な云わば庶民的性質の方が殆んど完全に無視されて了っていることは、驚くに値しない。平民的常識が遂に常識に止まってそれ以上のものになれないという制限も、又常識はいつもお互いに撞着するものだという性質も、ここでは頭から問題にしていない。凡てはこの貴族的常識によって根本的に最高の形式で統一的に解決出来ると仮定する。だからこの哲学的な常識概念は、常識に対して今日の吾々が持っている常識的概念にさえ及ばない程、単純で一本調子なのである。之が第三の欠点である。――初めに云った常識の弁証的本質は、この結局は経験論的な、経験主義的な、即ち又現象主義的なイギリス風の仕方によって、完全に見落されて了っている。処が常識は今日の常識から云ってさえ、もう少しは込み入った矛盾を蔵しているものだった。

       

     相当純粋なブルジョア的常識に興味を有ったものは、却ってドイツ産の「世界市民」カントだったと云ってもいいだろう。事実彼は優れた常識家として有名であるし、彼の哲学の歴史上の大きさの一つも亦、「このブルジョア的常識」の哲学であった処にあるだろう。彼自身トマス・リードの例の常識説にも触れているが、その際すでに、実は当然なことではあるが、常識の例のお互いに撞着する本性に注意している。だがそれよりも大事な点はカントの人間理性乃至人間悟性と呼んだものが、取りも直さず啓蒙期ブルジョア・イデオロギーによる人間常識の能力のややドイツ化された観念に他ならなかったということである。カントの「純粋理性」批判は「ブルジョア的常識」の批判だったと見ることが出来る。なぜなら彼の問題は、人間悟性(理性)のどこまでが健全であり、どこから先が不健全な矛盾を暴露するか、にあったのであり、前者の場合(それが「分析論」だ)の健全な悟性が即ち常識のことに他ならず、後者の場合が之に反して「弁証法」と呼ばれたわけだからである。
     そう考えて見ると、感性の「先天的直観」や理性の先験的「範疇」や、その結合と見做される先験的「根本命題」(公理)やが、例えば因果律に就いても判るように、リードの常識による直観的肯定を、如何に現象学的(?)に分析したものであるかに気付くだろう。カントの所謂形式主義は、この点から見れば、リード的な貴族主義的内容常識の制限を破って、之をブルジョア的な常識にまで一般化する企てと一致させることが出来る。彼はヒュームの懐疑論に対して、常識学派風の常識の独断(公理・ドグマ)の代りに、常識の批判を置いた。
     カントによるブルジョア的常識の批判は、理性批判をするもの自身がその同じ理性だと云われているように、それ自身一種の(ドイツ的な)ブルジョア的常識に従っていると云わなくてはならぬ。だがブルジョア的常識のこのブルジョア常識による批判は、ブルジョア的常識の「自己批判」として、やがてブルジョア的常識の限界の極めてきわどい処にまで追って行っている。と云うのは、カントが自分で弁証法と呼んでいるものがそのきわどさを見せている当のものであって、例えば二律背反などは、正しく常識のもつお互いの間の撞着性を、論理学的に云い現わしたものに他ならない。ここで示されているものは、ブルジョア的常識が、良い意味でも悪い意味でも、弁証法的な一種の喰い違いを持ったものだという認識なのだ。――ヘーゲルにまで来て弁証法が学的思惟の方法として積極的に立ち現われれば、もはやこのブルジョア的常識――学的思惟に対する非科学的思考としての――は退場するものであって、そこには常識に対立した弁証法だけが残される。だがそうだからと云って、常識の一切の問題がそこで消えて了うのではない。現に、弁証法的な思考は、今日の吾々にとって、一種のもはやブルジョア的ではない処の常識となっており、又はならねばならないからである。
     常識の二律背反や弁証性は、単に二つの常識的命題が矛盾するという場合にはつきない。カントの見たのはそれだけであったが、本当は、その他に、常識そのものが、常識であるが故に真理だと考えられると共に、同時に又、常識であるが故に真理でないと考えられている、という二律背反こそ、常識の根本的な弁証性だったのである。そしてここには非常に複雑したものが匿されているのだ。
     この矛盾を解く手段として、もう一遍リード的常識の一つの性質を思い出して見なくてはならぬ。リードの常識は一定の独断的テーゼとして現われた根本命題(公理)だったから、その限りそれは実は個々の常識内容を意味している。一つ一つの常識的な主張を含んだ命題が、常識というものの実質だと考えられている。処が他方に於て、こうした個々の常識内容は人間の健全な理性に具わる云わば本能のような必然性によってヴァリディティーを与えられているのだったから、個々の常識内容の他に、この個々の常識内容を常識内容たらしめる処の形式が、そうした常識的態度が、常識のもう一つの契機でなくてはならぬ。故にここでは、さし当り、個々の常識内容と之を成り立たせている常識形式とが区別される。この二つのものは常識に於ける内容と形式とに相当する。だが併し、単に何にでもある内容と形式との関係だけではない。実際、吾々が今は常識的に考えている常識というものに就いて、この個々の常識(テーゼの形をもつ)という内容と、常識という形式とは、対立した或いは喰い違ってさえいる処の、一つの関係におかれているからである。この二つの区別をもっと展開して見よう。
     〔軍部〕が今日のような自信を有つことの出来なかった大戦直後の頃、或る私の知っている将校が私に云うのに、軍人に常識がないという非難があるので上部から常識涵養のために法律や経済の勉強を勧められているが、一体そういう知識が不足していることが軍人の非常識とか没常識とかいうことの意味なのだろうか、どんなに知識を所有しても非常識は非常識であって、そのままでは常識の涵養にならぬように思うが、と云うのであった。なる程法律や経済や政治という社会科学的な知識を有たなければ人間は必ず非常識になるには相違なく、又この知識を有てば常識の涵養の条件の一つが具わることも間違いではないが、或る一定の意味に於ては、そうした常識の獲得は必ずしも常識そのものを高めることにはならぬ。
     もし常識というものを個々の知識やその総和と考えるならば、知識の獲得はそれだけ常識内容の量的な増加になるわけだが、それによっては必ずしも人間的見識の水準が高まるとは限らない。常識という水準に人間が謂わば質的に高まり接近することは、量的な常識内容の増加とは一応独立なのである。知識と見識というものが直ちに一つにならぬことは、誰しも知っていることで、知識のただの総和が見識なのではない。
     尤も知識が豊富ならばおのずから見識も高まるというのが事実であり、そして知識というものをよく考えて見ると、特に社会科学的知識などに於て明らかであるように、それ自身一種の見識に基き、或いはそれ自身で一個の見識の意味をもつのだが、それにしても、ただの知識や知識の総和が見識とはならぬ。一寸考えると、知識の総和的平均が人間的見識のように見えるかも知れないが、併しこの平均ということが決して簡単なことではない。内容としての常識(個々の中庸の知識乃至その総和)と、水準としての常識(知識の総和平均と想像されるもの)との関係は、丁度、事象の個々の場合々々とその集団的・統計的な場合との関係に似ているが、この二つの場合の間に何かの実質的な連絡があることが明らかであるにも拘らず、二つは一応夫々独立した立場に立っている。一つの場合に就いて云われることは、そのままでは他の立場に之を移し植えることが出来ない。凡ての場合を単に平均するということは、実はそれだけでも既に、個別的なものの立場から平均的・水準的なものの立場を独立させることを意味している。丁度それと同じように、個々の知識内容としての常識から独立に、水準としての常識が区別されねばならぬ。
     水準としての常識・常識水準としての常識は、常識の内にでなければ見出せないような、常識の独自性を示している。常識が常識として、他のものに還元されずに問題にされ得るのは、だから内容としての常識ではなくてこの水準としての常識に就いてでしかない。内容的常識はよく考えて見ると実は本当の常識ではなかったので、つまり個々の知識やその総和に過ぎない。だから実は、之をそのまま平均しても、生じるものは常識(常識水準)ではなくて、要するに知識水準にしか過ぎないだろう。そうした知識水準は、組織的な知識に就いては学術的水準にまで発展するもので、更に総合的な知識に就いては文化水準にまで発展するものだろう。だがまだ夫は一向常識水準とはならぬ処のものだ。
     今一般に常識なるものを、こうした知識水準・学術水準・文化水準によって測定するとすれば、即ち常識なるものをそれ自身の標尺で量らずに、知識・学術・文化・等々の尺度に照して量るとすれば、それは常識なるものの有つ独自性を、常識なるものを知識・学術・文化・等々なるものから区別しているその当の独自性を、無視することになるわけだから、常識という概念は実は初めから否定されてかかっているに外ならない。その当然な結果としては、常識なるものが知識・学術・文化・等々なるものに還元されて了った上で問題にされるから、常識なるものはいつも知識・学術・文化・等々以下のものであり、従って、不完全な未熟な知識・学術・文化・等々にしか過ぎぬということにならざるを得ない。常識が自分自身の原理を有たないと仮定されているから、常識とは一般にそれ自身最も低いもののことを意味することになるわけで、常識以下のものは何物も存しないということが同語反覆的に自明なこととなる。
     常識を常識内容とする結果が之だが、之は常識の知識中心主義的乃至学術中心主義的な、アカデミシャン式な概念に他ならない。事実近頃のわが国のアカデミシャン達によれば、常識とは常にこうしたネガティヴなものでしかないので、例えば科学や芸術を卑俗化し通俗化したものが常識のことだと彼等は考えている。――だが一方、水準としての常識・常識水準に常識の本体があることを注目するならば、この常識の概念は完全に改められねばならぬだろう。之によって示されるものは、常識がそれ自身の尺度を有つことであり、それ自身一個の水準を意味するということであった。常識は独自な(知識水準其他とは独立した)ノルムを意味する。処でこのノルムに従えば、一切の他のものはこのノルムに一致する点に於て、常識それ自身の右に出ることの出来ないのは当然だ。だからここでは常識が最高であって、常識以上のものはあり得ないこととなるのである。
     常識が一方に於て常識であるが故に常に真理でないと考えられると共に、他方に於ては又却って常識であるが故に常に真理だと考えられるという、かの矛盾、二律背反は、或いは寧ろ常識のこのパラロギスムスは、こうした内容を有っていたのである。つまり、常識の独自性、常識固有の原理、を承認すれば、この弁証性が解けるのであった。

       

     常識が非難されるのは、それが独創性を欠いているということ、その意味で単に平均的な凡庸に止まっているということである。即ちこの際、一定の知識なら知識は、社会的な平均によって与えられた一定の常識水準を有っていて(常識水準のことではない)、それ以下の場合は問題外として、その水準以上に抜けないことが、常識というもののネガティヴな宿命だと云って非難される。世間では殆んど凡てそういう意味に従って、常識以下とか常識的とか常識以上とか云っている。そしてこの常識以上の知識水準に達したというのが独創性のことなのである。知識は云うまでもなく、いつも独創的でなくてはならぬ。独創的でない処の即ち常識的な知識(それが例の常識内容だが)は、いつも不完全な未熟な知識のことをしか意味しない。社会の平均人に比較して知識が劣っていないということは、無論知識のこの不完全さ未熟さの弁解にはならぬ。
     だが、知識が独創的であるとないとに拘らず、そうしたものとは一応独立に、常識水準の尺度が、云わば常識自身が、独創的であるかないかの問題さえが、存在する。水準としてのこの常識であっても、それが社会人の見識の平均値だという端初的性質は無論無視出来ない。処がそう見ている限り、知識の平均値としての常識的水準(常識内容)とこの常識水準とは別なものではないように見える。併し少し考えて見れば判ることだが、本当に単に平均値的だというだけでは、如何に常識という言葉に愛着を有つものでも、それが評価のノルムや標尺になれるとは考え得られないだろう。で、社会人の見識の平均値と見えながら実はそれ以上のものでなくてはならぬというのが、この常識水準なるものの内に見出される新しい矛盾なのだ。
     今この矛盾を解くためには、この平均値という観念の謎を解く必要がある。と云うのは、この平均値を正直に単純に社会に於ける各個人の量質的な総和平均のことだと考えていては之は解けない。それが平均値であるが故に(どういう根拠だか判らないが)おのずから標準的なものであり、又理想的なものだというのでなくてはならない。リード的常識の常識的態度は恰も、之を健全という標準又は理想で以て云い表わしたのであった(bon sens という常識概念も亦、こうした標準又は理想をひそかに想定している)。健全とは無論、病気と健康との総平均などではなくて、各人の健康状態の標準であり又理想のことなのである。それにも拘らず健全さは人間健康のノルマルな常態だと考えられる。この間の消息は、健康の保持(不健康疲労物質の新陳代謝と健康恢復)というものが伝えている。即ちたえず健康を引き上げ健康さを発達させることが、人間の平均的な従ってノルマルで通常の健康状態と考えられるわけである。
     常識も亦、いつも常識という活きた社会人の見識をば、引き上げ発達させることによって初めて自らを保持出来るのであり、そしてこの常識水準の保持がノルマルな常態なのであり、このノルマルな常態は更に、社会人の総平均値をいつも自分まで高めるべき動的イニシエーションとして現われるのである。そこで初めて、平均値的なものが、おのずからノルマル(ノルム的標尺的)なものとなるのである。で常識水準に於て平均値的なものと考えられたものは、実はただの平均値ではなくて、この平均値自身を常に高めつつ働く処のソリシテーション(促動)のことだったのである。
     だから常識水準とはその時その時に与えられた社会人の見識の平均値のことではなくて、却って、この平均値を高めるべき目標・理想線を意味している。この理想線の方眼紙上の位置は不定であり、或いはその位置を問題にすることは不可能なので、平均値のあるところ常にその近くにこの常識水準が力の場のような作用を持って横たわっているのである。本当の常識はそれ自身いつも低下し消散し死滅して行く或る活きものだが、これを常に刺戟して活きて行かせ保持発達させるものが、この常識水準という言葉の意味でなくてはならぬ。丁度真理とは真理を保持し高めるもののことであるように、常識とは常識を保持し高めるもののことだ。
     本当の常識・常識水準は、社会人の見識の単なる平均ではなく、又況して社会人の知識の中庸のことでもなかったから、所謂世論と云ったようなものとは可なりの距りを有っている。世論が大衆の政治的見識の平均値(実は多数者の共通した限りの政治的見識)と見做される限りそうである。世論は一般に、多数決の原理によって理解されている。だが多数の原理も亦、多数者の権利を肯定する根拠となると同様に之を否定する根拠ともなる。多数原理を正直に受け取る限り、多数者の権利を之から惹き出すためには、理論的にはコンベンションに、行動としては単なる多数の存在という以上の行為・暴力に、訴えなければならぬ。或る時代のギリシアの議会に於ては、声の最も高くて大きい者が多数を意味した。で世論というこの近世ブルジョアジーのデモクラティックな観念を、こうした哲学的困難から救うためには、世論に於ける多数決の問題を「常識水準」に於ける平均値に準じて考え直されなければならぬだろう(常識をリードの常識に結びつけて分析し得たように、世論―― Opinion, Meinung ――をギリシアの例のドクサに結びつけることも出来る)。
     だが実は常識水準そのものが、政治的な性質のものだということを注意しなければならぬ。吾々は既に之を単なる知識(やがて学術・文化)から区別された意味に於て見識と呼んで来たが、社会人の見識とは、単に個人の知的意志の統一を意味するばかりではなく、その各個人が社会に於て(物質的生産を媒介として)相互の関係に這入ることからくる社会を通った知的意志の統一を意味している。こうした社会的な政治的な統一の、社会的・政治的・平均値を引き上げ発展させるものが例の常識水準であった。だから常識水準はいつも政治的な根本特色を有っている。世論とは恐らく、このそれ自身政治的な常識の、特に狭義に於て政治的な場合のことだろう。
     更に又常識に連なるものは通俗化乃至大衆化であるが、之等も亦普通ルーズに考えられている処とは異って、平均値や多数決の問題によっては解決出来ぬものである。大衆化ということは、事物を多数者の平均値に近づけることではなくて、多数者たるべきものを事物にまで近づかしめる通路を提供することなのだが、そのためには人々は大衆にまで、多衆にまで、組織されねばならぬ。大衆化ということはだから大衆への組織ということを措いて正確な意味を持つことは出来ないだろう。今は常識水準の常識保持発展力がこの大衆組織化に相応するわけである。そして通俗化とは、こうした大衆化以外に正当な観念内容を有つものではない。もし持つとすればそれは例の悪い常識(知識水準に照された常識内容)を混入しているからに過ぎない。
     今まで述べて来たように、常識が一応端初的には社会人の多数の見識の平均値と関係があるにしても、又更に事実上の現象として一見した限りでは多数者の平均的な凡庸な見識のことにすぎぬにしても、この多数とか平均とかいうものが吟味を必要としたのであって、その結果、常識は、常態としての水準常識は、本当を云うと多数や平均そのものではなくて、却って之等のものを引き上げ押し上げデベロップさせる理想線のようなものであった。であるから、常識は結局に於て多数者のものでもなく平均値的なものでもなくて、却って或る種の少数者だけが事実上このノルムに接近(?)出来るのであり、又却ってこの平均値を抜け出る処にこそ恰も卓越した常識が横たわると考えられる、という事実が説明され得るのである。
     仮に本当に常識が平均値的なものに過ぎないならば、社会に於ける各個人の常識をもう一遍平均することは全く無意味な筈だが、処が実際は卓越した常識とはそうした平均値的常識を遙かに抜いているが故にこそ卓越しているのである。そして卓越した常識家(例のエドマンド・バークやカント更にはヘーゲルやマルクスまでも之に数えることが出来ようと思うが)は決して多数ではない。――尤も知識内容が例の内容的常識という常識的水準に止まっている意味での「常識家」は世の中に必ずしも少くはない。だが之とても決して、絶対的に多数ではないので、従って実際には平均値的な知識人よりも稍々高い知識水準を有っているかも知れぬ。それにティピカルに平均的な人間というものさえそう沢山はいないのが事実だ。

       

     かくて常識は平均値的なものや多数性から来る端初的な概念規定から、遂に解放される。この手続きを踏まずに、而も強いて常識に独自の原理を認めようとして、ブルジョア民主主義的な常識概念は、平均性や多数性を常識の固有原理らしいものと考えるが、それは常識の原則を確立する所以ではない。常識の固有原則は、このようなブルジョア民主主義的な(そしてそこでは社会人の抽象的な同一性・平等が機械論的に設定されている)常識概念からは決して出て来ない。
     こうした数量的な平均性や多数性の規定を脱して常識の規定はどこへ行くのかと云うと、それは最初に触れた日常性の原理と呼ばれてよいものに帰着するのである。尤も世間では俗物も超俗物も、日常性というものを、平均的な多数者である世間の俗物の、原則を失った生活状態のものだという風に考えているらしいが、日常性をそういう数量的な規定で片づけ得ると考えていることが、それ自身俗悪な常識的な知恵でしかない。日常性の原理とはそんなことからは独立に、実際性(Actuality)の原理のことだったのである(之はドイツ語では現実― Wirklichkeit ―と呼ばれる。act=wirken)。日常性の原理の分析そのものが又可なり面倒だと思うが、それに就いては私は屡々出来るだけ機会を利用して説明をして来た(拙著『現代哲学講話』〔本全集第三巻所収〕参照)。
     今最も簡単に実際性の原理を思い浮べるには、新聞なるものの日常的な機能を反省して見ればいいだろう。誰が一体新聞紙の機能の内に、アカデミーの研究室で行われるような機能を求めるものがあろう。又単なる研究家や学究や篤学者が新聞に書いたり雑誌を編集したり出来るとは誰も考えない。アカデミックな機能に対立する新聞のこのジャーナリスティックな機能こそ日常性の原理の最も手近かな証拠になる。ジャーナリズムとは、言葉通り、日々の実際生活に立脚した主義のことであり、だから日常性の原理に立つことなのである。云うまでもなく、之は学究的俗悪さの代表者であるアカデミック・フールが想像も及ばない原理かも知れぬ。
     そして最後に、クリティシズム(批判・批評)は他ならぬこのジャーナリズムの、日常性の原理に立った。一機能なのである。一般に事物の批判乃至批評はいつも、常識水準(この社会的政治的標尺)に準じて行われるのだ。で今にして云えば、常識とは社会上の単なる共通感覚ではなかったので、社会的な(従って歴史的になる)日常感覚のことだったのである。之は人間の歴史的な社会的な本能のようなもので、人間生活に於ける知能の一形態だったのである。
     だが重ねて云うが、この人間の日常感覚・常識(水準としての常識)は、単に社会的平均物でもなければ、又社会的共通物でもなかった、之はノルム・水準であった。だから之は反ノルムに対立しているのである、そしてこの反ノルム自身が皮肉にもノルムの名を僭称しているのである。常識のメフィスト自身が、そこでこのカイザーとゲーゲン・カイザーとの間に処して一働きしなければならない。常識水準は階級的対立に従って分裂対立する。知識―科学に階級性(階級的対立)があったように、そして、知識―科学の論理が階級的〔党派〕性の首尾一貫に他ならなかったように、常識にも亦階級性・階級的対立が、そして階級的〔党派〕性の首尾一貫が存する。そうして知識―科学について「論理」と呼ばれたものがここで「常識」水準と呼ばれた水準に相当するのであった。
     そこで今二つの常識水準が対立しているとして、この対立(いずれも水準としてのノルマリティーを主張して譲らない)はどこから導かれどう解決されるか。ここで例の常識内容と常識水準との関係が又々参考に値いする。今卓越した常識水準に較べて、低劣な方の常識水準が、往々より常識的で尤もらしい通念となるという事実を注意しよう。つまりこれは低劣な方の常識水準が、社会人の常識的な知識水準に一層適応したものを持ち勝ちだという証拠などである。すると水準のこの低い方は、例の常識内容と呼ばれた知識の常識的水準と混同した分量だけ、それだけ卓越した高い常識水準から劣るのだ、ということが判る。一体知識が完全に常識的水準(常識水準のことではない)に止まっている限り、少くとも、之に対比される常識水準の方にも卓越さを期待出来ないのは当然だが(尤も逆に知識が常識的水準を抜けてもそれだけでは常識水準の確立にはならなかったが)、低劣な常識水準は、いつもその前提として、常識的水準又はそれ以下の知識内容を条件にしている。これはつまり、知識の欠乏が非常識を結果する、という知れ切った関係に帰するものなのである。
     常識に今日ブルジョア的常識水準と無産者的常識水準とがあることは、それ自身日常経験として明らかであるばかりではなく、ジャーナリズムにブルジョア・ジャーナリズムとプロレタリア・ジャーナリズムとの対立がある事からも明らかだ。これは大衆化の概念に就いても、世論という概念に就いても実証される。処が例えばブルジョア的大衆化は何かと云えば、つまり卑俗化・俗流化のことでしかない。大衆化のブルジョア的概念が、それ以外の分析をなし得ないのであり、従って又元来大衆化という概念によって一般的に期待された目標に到着するには、解くべき困難があまりに手に負えないのである。今日大衆化というイデー(分析の結果を期待される観念)が無産者的にしか分析され得ないのは周知の事実である。
     世論も亦之と同じであって、このブルジョア民主主義的観念は、ブルジョア的概念としては全く行きづまって了っていると云わねばならぬ。世論は今日ブルジョア的プブリクムともいうべき社会の一隅からブスブス起こる私語であるか、それでなければ統制的官衙の石段を粛々として降って来る「声」かなのである。――常識はもはや今日地上のどこにも見当らぬ。常識は「地下室」などに押し込められて了って、常識の息の根は圧しつぶされて了いそうに見える。而もそうしたことが今日の日本主義などに於ける「常識」! なのだ。

     さて、私が分析によって得た結果は、水準としての常識・常識水準という規定なのである。この規定を必要に応じてハッキリさせることによって、常識なるもののもつ困難が、その矛盾・二律背反・弁証性が、解決され止揚されるだろうというのである。常識に普通な相反する二つのテーゼの雑居、常識そのものの否定と肯定、常識に於ける平均性と卓越さ、常識というノルムの階級的対立、等々がこの困難であった。
     だが、と読者の何人かはキット云うだろうと思う、今時常識の分析などをして、それが実際問題と何の関係があるのかと。併し常識そのものはとに角として、常識の独自的原理の問題に注目することは、今日、唯物論の基石の一つを据えることなのだ。なぜと云うに、常識に於て見出される日常性の原理・実際性の原理こそ、大衆の思想を、解釈哲学から、その意味での形而上学から、又その意味での観念論から、防衛するための原理に他ならなかったからである。





     
     啓蒙論
          
    ――現代に於ける啓蒙の意義と必要とに就いて



       

     啓蒙(Aufklarung)という観念は現在二つのものに区別されている。一つは文化史上に於ける啓蒙期の所謂「啓蒙」であり、一つは今日一般世間で啓蒙という日常語を以て云い表わす処の夫である。二つのものの間には無論根本的な連関があるのだが、併し歴史上の「啓蒙」は、一面に於て、この言葉のある限り永久に残るだろう処の普遍的な規定を有っていると共に、他面その時代の共通な特定の歴史的制限をも持っている。従って之は、現在の啓蒙と決して一つではありえない。でこの二つのものの間を、歴史的に且つ又理論的に媒介することが、さし当っての目的である。
     啓蒙という観念の正確な又は細かい内容はとに角として、少くとも今日世間の大多数の人達は、この言葉が大体何を意味するかを予め知っているだろうと思う。というのは、何人も必要のない処のものは容易に直覚出来にくいもので、そこから無用に煩雑な衒学的な分析も出て来ないとは限らないのだが、併し之とは反対に、必要のある処では、事物は最も速かに直覚的に理解されることが出来るものなのだ。でもし今日、啓蒙という言葉を日常的に理解出来ないという人があるとしたなら、その人は必ず今日啓蒙の必要を感じないで済ませる処の或る特別な事情の下にある人に相違ない。そういう人は、啓蒙に就いて全く利益を感じない人か、又は逆に積極的に之から損害を蒙るだろうと考えている人か、でなくてはならぬ。日本の昨今程に啓蒙というものの必要な時代は、明治になってからも全く久しぶりだと云わざるを得ない。啓蒙の必要を昨今切実に感じている人は、啓蒙という言葉の大体の意味を、すでに日常的に理解しているだろう。吾々は結局、この日常観念を土壌として、分析の結果この日常観念の土に還れば、これからの目的を果すことになる。
     今日わが国で啓蒙と訳されるドイツ語・アウフクレールングは恐らく英語のエンライトゥンメント――文明――からの訳ではないかと思う。処でエンライトゥンされアウフクレーレンされるものは、例えば闇とか妖雲とかいうものでなければなるまい。歴史上では、それは封建的な残存機構から自然生的に発生した不合理な(アウフクレールング自身から見て不合理な)観念・イデオロギーのことだったのである。無論ここで文明と云いアウフクレールングというのは、社会の経済的又技術的な機構の発達のことであるよりも、寧ろ主に社会に於ける文化的観念の発達を意味するのである。例えばドイツはイギリス特に又フランスに較べてこの文明乃至啓蒙が著しく後れていた。一種の啓蒙思潮の代表者でもあるカントは処が、フリートリヒ大王下のプロイセンを目して、啓蒙された時代ではないが啓蒙されつつある時代だと呼んでいる。イギリス・フランスに較べて、生産様式と文化意識とが著しく後れていた当時のドイツにしてからが、すでに「啓蒙されつつある」時代だったというのだが、このことはよく考えて見ると、この啓蒙されるべきものが当時の封建的残存機構から全く自然生的に生じた闇であり妖雲であったことを意味しなければなるまい。日本がプロイセンの憲法に則って憲法を制定したと云われる(今日迄の多くの権威ある法学者や歴史家の間ではこの点科学的常識になっている)のも亦、日本の極めて長い封建制から自然生的に生じた観念的残存物に対するアウフクレールングとしてだったと考えられる。
     之は大体、歴史上に於ける所謂「啓蒙」の系列にぞくするもののことだが、処が今日必要な啓蒙、従って今日の意味での啓蒙は、少くとも一つの根本的な条件に就いて、之とは全く違った新しい種類のものだ、という点を注目しなければならぬ。今日の啓蒙が打ち払うべき妖雲は、今日でも事実上濃厚に残っている日本の封建的基礎条件から、自然生的に生じた妖雲では決してない。この闇はこの日本的封建制の基礎条件は目的的に採用することによって、意識的に(「認識する」ことによって又国民としての「自覚」によって)導き入れられようとしている処の闇なのである。尤もいつの時代にも完全な闇はあり得ないので、闇とは実は薄明りのことなのだが、同じ薄明りでも、歴史上の所謂啓蒙期の「啓蒙」は、「啓蒙されつつある処の」黎明だったが、現今の薄明りは蒙昧化されつつある黄昏にも類するだろう。或は日明を蔽う触魔の(かげ)であるかも知れない。之だけ見ても今日の啓蒙の性能と機能とにおのずから新しい従来とは異ったものがなくてはならぬ理由が判る。まして今日の啓蒙は、単に封建制から自生的乃至意識的に導き出された観念に光をあてなければならぬばかりではなく、歴史上の所謂「啓蒙」を産んだ資本制自身に基く観念そのものにも亦、その強い光を当てねばならぬ。こうして今日の啓蒙の意義は、歴史上の所謂啓蒙に較べて、一方に於ては愈々規定が一般化されると同時に、他方に於ては愈々夫が限定されて来るのである。
     だが、仮に私が之まで云って来たことに反対でなくても、又啓蒙の今云った今日に於ける意義を一応認めなくはないにしても、なおこの問題に大して興味を持てない、という種類の識者が、日本のインテリゲンチャの内には決して尠くない。吾々はそういう事実を見逃せない。啓蒙も好いだろう、併し啓蒙よりも遙かに大切なものが吾々の手元には沢山ある。例えば研究・反省・自己不安・等々が何より吾々には大事で、抑々ひとを啓蒙するなどは後回わしにしたらばどうか、と云った具合に、この種のインテリはまず私達自身を「啓蒙」しようと企てるのである。――無論それもいいだろう。だがそうやって研究し反省し或いは自己不安することによって諸君は何を導き入れるか。例えば全体性・体験・ゲマインシャフト・などという「哲学的」に尤もらしい諸範疇の強調は、殆んど総てこうした謙譲な研究家や反省家や不安家自身の口から洩れたものに他ならないのだ。之は現代的神秘主義・現代的蒙昧主義の、衒学的な基礎工事に他ならないのである。抽象的に考えれば、なる程部分主義よりは全体主義が良いし、体験無視より体験尊重が正しいし、ゲゼルシャフトよりもゲマインシャフトの方が人間関係として勝っているに決っている。だがそれは形式的に云ってのことで、その内容に合理的な啓蒙されたものが這入るか、それとも神秘的な蒙昧が這入るかによって、百日の説法も屁一つとなるだろう。啓蒙活動の必要を感じない者には何等の自己啓蒙さえもない、というのが、今日吾々の置かれている事情なのである。

     さて歴史上の啓蒙期的啓蒙は、先ず第一に自由主義として現われ、又自由主義をその第一の規定とする。一体歴史上の啓蒙というのは、云わば文化史上の一時期乃至一範疇であって、決してすぐ様政治的範疇とは考えられないし、まして経済上の範疇ではあり得ない。従ってここに自由主義と云うのも、無論経済上の自由主義(自由契約・自由売買・自由競争)でもなければ、又元来を云うと政治上の自由主義(議会主義・立憲主義・デモクラシー)でもなくて、正に文化的自由主義とも呼ばれるべきものでなくてはならぬ。
     だがそれにも拘らず、この文化上の自由主義(その意味は段々説明して行く)は無論経済的乃至政治的自由主義から蒸溜されたものに他ならないのであって、事実ジョン・ロックに於ては、政治上の自由主義に基いて初めて、啓蒙期的啓蒙の哲学組織が創始されたと見られている。近世ブルジョア社会に於ける個人の経済上のリベラリズムがそれの物質的根柢であることは今更述べるまでもないが、ただこの経済上のリベラリズムに相当する自由の観念が、文化的な性質を受け取るためには、個人の企業や商行為や契約や労働やの自由の観念の代りに、同じ個人の自由であっても、多少とも文化的な側面にぞくする方の自由にまで、即ち、個人の悟性や意欲やの権威の確立にまで、蒸溜されねばならない。この時初めて、この自由は政治的自由の観念へも完全に移行することが出来る。処でロックはこの内でも又特にその文化的なモメントをば、悟性即ち、人間悟性(今の処之を理性と云ってもいい)の内に、求めようとするのである。で今や、個人の経済的・政治的・又更に文化的・自由は、人間悟性の権威の名の下に一所に集中されることになる。人間悟性の前には、人間悟性自身を他にして、何等の権威もない。教会・貴族・国王・其他もこのブルジョアの活きた悟性を前にして、何の絶対性をも誇り得ない。
     この悟性乃至理性は云うまでもなく、フランス啓蒙家達の信条となった処のもので、悟性乃至理性こそフランスの市民の自由を(平等や友愛と共に)保証する文化的権威に他ならなかった。処がドイツではカントが、この悟性乃至理性の権威をば、恰も悟性乃至理性自身の自由=自律の内に求めることを創案する。自由は茲で単なる経済的・政治的・自由として受け容れられずに、悟性乃至理性の自己自由として、正に文化的自由にまで蒸溜されて受け容れられる。自由主義はカントによって、このプロシア的世界市民の頭脳によって、文化的自由主義にまで「哲学化」される。政治的行動の自由の代りに、哲学的思弁の自由が、社会に於ける自由の代りに、観念に於ける自由が、この時以来ドイツ古典観念論の中心課題として導き入れられたのである。啓蒙はこうして第一に文化的自由主義に帰着する。
     カント自身の啓蒙の観念が、最もよくこの消息を物語っている。「啓蒙とは何かの問題に答える」という有名な文章で、彼は啓蒙に就いて定義を下してまず云っている。「啓蒙とは理性が自業自得で陥っている未丁年状態から解放されることだ」と。理性が自分自身成熟する自由を持っているに拘らず、なお未丁年状態に止まっているのは全く理性自身の責任だというのである。ドイツ資本主義の後れた発育が理性を未丁年状態に引き留めた責任者などとは決して考えられていない。次第に啓蒙されつつあるドイツはカントによると、フリートリヒ二世の文化的経綸のおかげであって、ドイツ統一によるドイツ資本制化のために、ドイツ諸公に対する大王にとって必要な進歩政策の結果だった、などとも考えられていない。そして特に注意すべきは、カントが啓蒙による理性の自由活動を専ら文化人の文化人に対する文化活動に限っていることだ。市民的職業や地位に就いて理性をどんなに自由に使っても、それは一向啓蒙活動でないばかりでなく、フリートリヒの治下に於ては一個のバーバリズムででもあるかのようにさえ考えているらしい。カントの啓蒙に於ける自由主義の契機が、いかに文化的自由主義に限られているかが、これで判るだろう。
     啓蒙に於ける自由主義の契機をこうやって蒸溜して見せた点では、カントは最も代表的な啓蒙思想家であると云ってもいいが、併し実はカントこそ却って、ドイツに於ける啓蒙批判家・啓蒙脱却者であった。一体彼の啓蒙に対して下した例の定義そのものが、ドイツは云うまでもなく、当時のヨーロッパ・イギリスに於ける事実上の啓蒙現象を云い表わしたものでは決してなかった。夫は寧ろ云わば啓蒙の理想を、啓蒙の永久に変らぬ普遍的な主義を、つかみ出そうとしたものに外ならない。カントの眼の前には有名な啓蒙哲学者モーゼス・メンデルスゾーンがあるし、カントの先生にはドイツ啓蒙哲学の組織者クリスチャン・ヴォルフが控えている。そして世間にはあり余る程の「通俗哲学」が横行している。カントは実にこうした常識的な諸現象の批判をこそその使命としたのだった。
     イギリス啓蒙思想の哲学的(世界観的・論理的)根柢は無論経験論である。之に対してフランスの夫は他に対して最も特徴あるものを挙げれば唯物論(ブルジョア的形而上学的唯物論)であった。ドイツ啓蒙哲学=ヴォルフ学派の哲学の根柢は処で「悟性の哲学」だった。吾々は今やドイツ・アウフクレールングを少くともここまで遡って、その第二の規定をこの悟性の哲学に、その合理主義に見出すことが出来るだろう。と云うのは、歴史上の所謂啓蒙の第二の規定が、その矛盾律中心主義の哲学組織(ヴォルフで初めて伝統的なドイツ哲学の例の「体系」が出来上った)にあるというのだ。
     併しこの第二の規定は実は、ドイツ・アウフクレールングでは単に最も極端なドイツ式な形で現われたと云うまでで、広くフランスの唯物論にも共通な一つの論理機構に他ならない。矛盾律、その裏をかえせば同一律だが、この矛盾律を思考の最後の又は殆んど唯一の根拠とし、思想の枢軸とすることは、つまり機械論=機械主義の論理を採用することの宣言を意味する以外の何ものでもない。所謂経験論も、所謂フランス唯物論も、この機械論に於てドイツ啓蒙的合理主義と全く一つなのである。だからこの三つのものは、夫が経験論であるにも拘らず、又唯物論であるに拘らず、それから又合理主義であるにも拘らず、斉しく形而上学的と呼ばれる理由を有っているのである。結局、啓蒙のこの第二の規定は、その形而上学としての特色をコンデンスして云い表わしたものに過ぎなかったのだ。

     そこで今二つの規定を与えたこの歴史上の所謂「啓蒙」と、現在に意味を有つ啓蒙との、連関が次の問題だが、それには前者から後者への必然的な歴史の動きを見ればよいわけである。処が、啓蒙というこの文化的範疇は、それが文化的であって経済的範疇でも政治的範疇でもなかっただけに、そうした範疇を実際に際して用いる必要を感じなかったドイツ古典哲学の内を特に選んで、発育と変遷と脱化とを経なければならぬ理由があったのである。すでにその批判を通して啓蒙を脱却しようと企てた最初の思想家はカントだったと云ったが、恰もその消息が、原則的な形としては、カントの理性批判=弁証法の見解となって現われる。
     カントの弁証法(それは理性の使用法の誤りから起る理性の各種の矛盾に就いての理論を意味する)は、彼の哲学組織に於て外見上消極的な否定的な役割をしか果していないが、それがフィヒテ・シェリングを通じて、ヘーゲルになると、論理そのものの根本的な積極的な本性に帰せられる処にまで展開される。夫をここで改めて述べる必要はないだろう。今ただ大切な点は、カントに於てやや曖昧であった悟性と理性との区別又は対立が、ヘーゲルに至って初めてハッキリしたということだ。ヘーゲルはカントの理性を、まだ依然として悟性の段階に止まるものと見て、之を形而上学乃至機械論の代表者と見立て、之に本当の理性のディアレクティクを対立させたが、恰も之は、カントが批判し脱却しようと力めた啓蒙主義の特有な合理主義・矛盾律中心主義に対する判然とした批判を意味している。即ち歴史上の所謂啓蒙の第二規定の方は、ヘーゲルに至って、初めて徹底的に止揚されたわけだ。
     論理的な機構だけを見ている限りこの結果のもつ具体的な意義は判りにくいが、実際はこの結果は、歴史に関する認識について所謂アウフクレールングが免れ得ない不吉な宿命と関係があるのである。少くともドイツ・アウフクレールングはその悟性の立脚点からして歴史の観念に注意を払うことの尠ないのが特徴をなしている。カントはドイツ風の歴史哲学の先駆者の一人であり、又宇宙進化論の創設者でさえあるが、それにも拘らずその歴史観即ち又社会観は、歴史に独特な所謂非合理性(普通そう呼ばれるが之は信用出来ない言葉だ)の意義を十分認めることが出来なかった。ヘーゲルによると、之は悟性の形而上学の立場に立つからだ、ということに帰着するのである。だから理性の弁証法の立場に立つヘーゲルは、全く歴史的だということになる。
     処が人も知る通り、ヘーゲルの歴史観自身が又、所謂歴史の非合理性の認識に於て根本的な致命的欠陥を暴露する。それはやや本筋を離れた横合いから、後期のシェリングによって指摘されたが、つまりヘーゲルの理性の弁証法による歴史、理念の発展が現実の歴史の必然性だという思想は、結局歴史の合理主義的観念化に過ぎなかった。今や理性そのものが更に批判され脱却されねばならぬ。処がヘーゲルに於ける理性の特色は、何より先に自分自らを知るという理性の根源的な自律・自由にあった。之はカントが啓蒙に就いて要求した、例の第一の規定そのものを、即ち文化的自由の観念を、単に最も哲学的に整頓して云い表わしたものに過ぎない。だから、ヘーゲルの理性の逆立ちが立て直され、夫が物質(哲学的範疇としての物質)によって置きかえられる時、啓蒙期的啓蒙の例の第一規定から来る文化的自由主義の制限は、完全に踏み越えられることになる。そこに唯物論があったのである。
     で、歴史上の所謂「啓蒙」の二つの規定から来る啓蒙の二つの制限(悟性の哲学と理性の哲学)(即ち形而上学絶対的観念論)を踏み越えて、啓蒙というものの本当に自由なそして本当に合理的な意義を、現在、歴史的に惹き出すなら、その内容は結局、弁証法的唯物論だったということになる。――読者は或いは、私が初めから啓蒙という名目の外見の下にただ一般的な哲学史を辿って見せたに過ぎないのではないか、と云うかも知れない。併しそれはそうではないので、こうすることによってこそ初めて、今日必要な「啓蒙」というものの最も合理的で一般的な現実の観念を歴史的に導き出せるわけだ。
     例えば今日必要であろう処の啓蒙を、漫然と表象するならば、恐らくリベラリズム(而も文化活動でのリベラリズムだから文化的自由主義)などが最初に思い浮びはしないかと思う。併しその機能上の問題は別として、少くとも今日の啓蒙と啓蒙の概念との機構内容から云う限り、リベラリズムでは啓蒙の規定としては、今日すでに間に合わないのである。そのことは今説明したばかりの点である。カントが曾て啓蒙を説明したようなやり方――理性の自由な使用――では、吾々は今日自分自身をさえ啓蒙出来ない、そういうような時代に来ているというのである。一体昨今「理性」程蒙昧なものはなく、「自由」程不自由なものはない。或る民族の歴史を認識するには他の諸民族には一つも判らないような自覚=理性が必要であるらしいし、国民の自由を伸展防衛するためには国民自身が極度に自由を奪われねばならぬらしい。進歩的なフリートリヒ治下のプロイセンならば、理性を自由に使用することも出来たろう、反動下の今日では、理性を自由に使用すること自身が只では出来ないのだ。

     以上は啓蒙乃至啓蒙概念の内容機構に就いてであるが、その活動機能になると、即ち啓蒙は今日どういう活動形態を取るべきかということになると、又新しい問題に這入る。元来啓蒙活動は少くとも一種の大衆化・常識化・ジャーナリズム活動・批判活動なわけだから、この活動形態はごく大切な問題でなくてはならぬ。別の機会に譲ろう。

       二

     一、を補足するために、もう一遍之を反覆しよう。
     最近文壇ではロマンティシズムの叫び声が高い。之はリアリズムに対比してそう呼ばれているのである。処がこの言葉によって云い表わされる内容は科学的に云って、決してまだ判然としたものではない。人によっては、ドイツ・ロマンティシズムの諸規定を以て之の輪郭を規定しようとする。なる程文学史乃至は広く文化史の上に於てロマンティシズムと呼ばれた運動を最も特徴的に代表するものはドイツ・ロマンティクであり、ここに於ては独り文学に限らず広く哲学・経済学にまでその運動が貫かれている。そこで今日の日本の文学者達が考えたり云ったりしている所謂ロマンティシズムをドイツ・ロマンティシズムの諸規定で規定することは、この歴史上の特定な運動と、現在の或る一定の、併しその規定を今現に模索しつつある処の運動とを、直接に接合させ又は混同することであって、決して歴史的な見方ではあり得ない。と共に又、ロマンティシズムという言葉が少くとも一方に於て、或る特定の時期に於ける歴史的一運動の名であったという処から、この言葉を現在に就いて使う時の使い方を、もっと慎重にしなければならないだろう。
     之と略同じことは啓蒙(アウフクレールング)という観念に就いても云われるのである。一体啓蒙とは所謂啓蒙期(イギリス・ヨーロッパの十七八世紀)が有っていた一つの政治的又は文化的理想の名であって、従ってそれは特定の歴史的な定型を有った言葉なのである。現にアウフクレールングはクラシシズムとロマンティシズムとに対立した処の一つの文化理想であった。現今はロマンティシズムをリアリズムという一つの創作方法に対比するのだが、歴史上のロマンティシズムは何よりも先にクラシシズムに対立したということを忘れることは、その際危険である。処でこの歴史的ロマンティシズム、そして又同じく歴史的なクラシシズム、に対立するものが歴史的な「啓蒙」運動の特色をなしていた。――処が現在吾々が啓蒙と云う場合、必ずしもそうした啓蒙期的啓蒙を意味するのでないことは云うまでもない。現にアウフクレールングの時代は過ぎて文化史上ではクラシシズムやロマンティシズムがすぐその後に之に代わったと考えられる。そうした過ぎ去った意味では、啓蒙が今日吾々の社会の進歩的な課題になれないことは、云わなくても判っている。今日必要な啓蒙は、云うまでもなく例の歴史的な啓蒙期的「啓蒙」と全く別なものである筈はないが、それにも拘らず、之から区別された、もっと一般的な、或いはもっと個別な、啓蒙でなくてはならぬ。
     歴史上のロマンティシズムと雖も、例えば無限への憧憬とか自我の世界的拡大とかいう、すでにもはや歴史的一時期の特色にだけは限られない規定をそれから導き出せるし、同じくクラシシズムでも形相的な類型的な均斉と云ったような規定を抽出出来るが、それと同じに、啓蒙も亦、所謂啓蒙期的啓蒙から或る一般的なものとして抽出されることが出来る。それがすぐ様現下の必要な啓蒙の意味をなすとは限らないが、少くとも之を抜きにしては、之を手頼りにしなければ、必要な啓蒙問題の科学的な解決が望めないことは確かだ。
     福沢諭吉は日本が之まで産んだ所の最大な啓蒙家であったといってもいい。そして明治の前半は又文化史的に規定すれば云わば日本に於ける啓蒙期に相当するだろう。併しこの時期はヨーロッパに於てはすでに所謂啓蒙期が遠く過ぎ去った時代なのである。だから日本の啓蒙期という観念も、福沢翁が啓蒙家だったという意味も、すでに所謂「啓蒙」以上或いは以外の何物かを意味している。ではそれが、にも拘らずどういう理由で依然啓蒙の名に価したか。少くとも啓蒙期的啓蒙の有っている幾つかの主な規定がそこに反覆されているからである。では一体今日必要と思われる啓蒙は、どういう規定を持つのか。福沢式或はアウフクレールング的啓蒙とどこまで同じでどこから違うか、又違わねばならぬか、そういう問題には今まであまり世間では答えていないのではないかと思う。否一体啓蒙という運動乃至観念さえが、どういう意義によって今日必要であるかに就いて、あまり世間では多く説いていないように見受けられる。
     私はすでに常識というものを問題にして見たのであるが、常識はすでに今日の文壇などで多少は問題になっている。処がこの常識という観念も亦一方に於て或る歴史的な特定な意味を有っているので、所謂常識学派の「常識」を参照しないでは科学的に分析出来ないものなのだが、この常識学派なるもの自身が実は、もっと広く之を文化史的に云い表わせば、所謂アウフクレールング(特にイギリス啓蒙期)の哲学学派の一つに他ならない。だからこの関係から辿って行っても、常識が問題になる処、必ず啓蒙も亦問題にならなければならぬ。フランスの行動主義文学者達などはすべてこの啓蒙という問題に相当実質的な関心を寄せているのではないかと思う。――同じことは、もっと具体的にハッキリした場合を通じて、即ち唯物論の問題を通じて、今日のテーマとならざるを得ないように出来ている。すでにフランス唯物論はアウフクレールングの最も代表的な運動の形の一つであった。啓蒙活動というものを抜きにしてフランス唯物論を取り上げるならば、之ほど興味の乏しい意味の判り兼ねる思想はないかも知れない。この筋を辿って行けば、今日唯物論が問題になる処、必ず又啓蒙が問題にならなければならぬだろう。――併し何もこのような思想史的文化史的な連関を辿らなくても、今日の唯物論にとって啓蒙程重大な科学的使命はない、ということは、何より直接に感得出来る筈のものだと思う。唯物論は学者達のただの学説ではない、それは真理でなくてはならぬ。と云うのは、大衆が之を理解し身につけねばならぬ。科学乃至文化の大衆化・普及・教育・等々の問題は実は啓蒙問題に帰着するのである。
     尤も今日の日本のような文化的バーバリズムが横行する時代でないとすれば、或いは啓蒙という言葉も大して必要ではないかも知れない。処が今日では一切の文化がその合理性を、その自由を、その現実性(唯物論性)を、失わせられようとしている。処で後に見るように、この合理性や自由や唯物論性こそ、啓蒙なるものの特徴の内に横たわらねばならぬものだった。

     私は啓蒙の問題を多少詳細に考えて見たいと思っているのだが、夫は別に機会を得た上でなくては出来ぬ。今はただごく簡単にこの問題のスケッチをするに止めよう。
     所謂啓蒙期に於ける啓蒙活動は、オランダとイングランドとから起きたと考えられる。尤もその前駆的段階はルネサンスと宗教改革との内に横たわっていたと云われるのであるが、本来の啓蒙期は十七世紀、特にイギリスのジョン・ロックに始まると見られる(実を云えばアウフクレールングの理想に含まれる観念の内にはフランシス・ベーコンにまで遡るものを見出すのだが)。ロックの所謂政治的リベラリズム、之はH・ラスキ等の表現を借りれば、経済的リベラリズムに基くものだが、この自由主義は云うまでもなく個人の行動の自由に集中される。経済的・政治的・道徳的・自由、行動と意志との個人的自由が、ロックによって初めて強調されたことはよく知られている処である。之が当時の封建的残存物・絶対王権・カトリック教権の打倒を要求した近代ブルジョアジーの最も代表的な政治的イデオロギーであったことは云うまでもないが、今必要なのは特に、このイデオロギーがロックの手によって個人の知的自由・理性乃至悟性の自由・というものによって根柢を与えられたという点なのである。彼の『人間悟性論』は単に観念が経験から生み出されるという経験論を主張するだけではなく、同時に悟性こそが人間の、即ち又個人の、核心をなすものだという想定に立脚しているのである。彼はそこでこの悟性=理性の内に、個人の政治的自由の根拠を見出そうとする。なぜなら個人の悟性こそ自由でなければならないからだ。悟性の自由をおいて他に何等の権威も根本的に云うとあり得ないと考えられる。
     ロックに於て、一つに結びつけられているこの悟性(乃至理性)と個人的自由こそ、アウフクレールングのまず第一の規定となる。この規定に沿うて、イギリスの宗教哲学も亦、理神論(理性宗教)の形を取るし(そしてここから一種の唯物論者――トーランドなども出て来る)、やがてはヒュームの人間性論の課題も掲げられるのである。スコットランドの常識学派も亦、この悟性の健全さに認識の客観性の根拠を求めた。イギリスのモーラル・サイエンスがこの一貫した人間悟性の線に沿うて展開したことは有名である。フランスに於てはヴォルテールも亦理性の健全さを認識の根拠に数えている。ただし彼によっては個人的自由は却ってこの健全な人間理性によって否定されるべきものではあるのだが。
     ドイツの啓蒙期哲学に於ては、この悟性と自由との関係が特別な形で正面に押し出された。その最も代表的なものはカントに於ける啓蒙的な部分であって、一方に於て悟性と理性との区別が用意されることによって、この二つのものの外面的な制限と、同時に又この二つのものの内面的な自由(自律)とが、初めて体系的に浮き出して来る。啓蒙とはカントにとっては理性の自律に他ならない。彼はだから「啓蒙とは何ぞやに答える」の論文で(この問題はモーゼス・メンデルスゾーンも亦取り上げていたそうだが)、それは「人間が自業自得の未成年から卒業することだ」という有名な定義を下している。自業自得というのは理性的な人間が自分自身に就いて責任を有つこと、即ち彼の悟性が自由であることを、想定して初めて意味のあることだ。カントは人間が自分自身の悟性を言論に於て又文章に於て公的に自由に駆使する企て、そうした決心と勇気とがアウフクレールングだと云っている。
     だがこの悟性乃至理性とそれの自由乃至自律とが、それだけでアウフクレールングの規定として決して充分でないことは、一方理性が単に世界を解釈する精神となったり、他方自由が意志の自由や人間の神に対比しての宗教的自由などになって行く経過を注意すればすぐ判ることで、一方アウフクレールングの悟性乃至理性はあくまで一種の合理主義のものでなければならず、他方アウフクレールングの自由はあくまで政治的自由であることを失ってはならぬ。でここからアウフクレールングの二つの規定が更に導き出される。一つは合理主義、も一つは政治的変革の理想。
     啓蒙期的合理主義はドイツ・アウフクレールングの特徴をなしている。その代表的なものはクリスチャン・ヴォルフであるが、彼はライプニツの思想の一半である所謂合理主義を徹底し、そして又之を合理化した。と云うのは、ヴォルフは、一方に於てはライプニツの事実真理の問題(それが歴史の問題の原理として役立つ)を殆んど無視して、その永久真理の問題を哲学の中心に齎らしたと共に、他方に於て、こうした永久真理的哲学を組織立てて学校式に整備した点に於て、之を合理化したのであった。――フランス啓蒙運動の代表者ヴォルテールは「歴史哲学」という言葉を造った人だとも云われている通り、ヘルダーからカントに至る、そして更に唯物史観にさえ至る種類の科学的歴史観の先駆者の一人であるが、ヴォルフに於ては歴史の問題は歴史の問題として殆んど全く忘れられる。彼は形式論理学的矛盾律(夫は同時に同一律をも意味する)を唯一のオルガノンとする処の機械論(即ち形式論理主義的悟性主義)を徹底するのである。
     機械論の徹底は決してヴォルフ乃至ドイツ・アウフクレールングだけの特色ではない。それは広く啓蒙期イギリス・ヨーロッパの国際的な論理であって、この論理に実質的な地盤を提供した代表者はニュートンであった。なる程彼の立場はライプニツの場合と同じく、デカルトの機械論に対比して云えばダイナミズムであってただの機械論ではない。そのことは、彼の微分の観念が之を物語っている。にも拘らず、広義のメヘヤニスムスを脱していない。ニュートンは当時の国際的な技術水準を理論的に体現した人物であって、当時の主としてイングランドの生産力の学者的表現に他ならないのだが、ニュートンに対する関心は、広くフランス啓蒙家達に共通なものであった。例えばフォントネル、モペルテュイ、ヴォルテール、等がそうだが、この点無論ドイツ啓蒙家と雖も変りがない。オイラー、ランベルト、カント等が如何に問題の多くをニュートンに負うているかを注目すれば足りるだろう。カントが第一批判で問題にした半ばの課題は、ニュートン物理学の客観性を哲学的に解明し又批判することであった。カントになればニュートンの批判なのであるから、それだけ機械論(=形式論理)の批判を含むわけだが(ニュートン批判はゲーテやヘーゲルになって著しくなる)、従ってそれだけニュートン主義はアウフクレールングの特色を示すことになる。この啓蒙的合理主義はヴォルフの無矛盾律原理に於て典型的に現われる。
     処でヴォルフは、この啓蒙哲学を初めて体系的に講壇的に整備した点に於ても、有名な合理主義者であった。彼によって或いは少なくとも彼の学派によって、今日のドイツ講壇哲学の用語と通念の多くが確定されたのであり、云うまでもなくカントは直接にヴォルフ哲学からその用語と問題との示唆を得ている(例えばオントロギーという言葉はヴォルフによって決定されたのだし、フェノメノロギーという言葉はランベルトの認識論に於て初めて使われたように思われる。ランベルトはヴォルフ学派の有力者である)。
     併し啓蒙哲学がこうして講壇哲学として整備されたということは、何か喰い違っているように見えるかも知れないが、実はこの科学的厳密さはアウフクレールングの哲学に於てはヴォルフ学派を殆んど唯一の例外とするのである。ただそれが例外的に厳密科学的な思想体系であったに拘らず、恐らくドイツ的に後れた生産機構のおかげで従って政治的自由や理性乃至悟性の政治的実践への活用から絶縁して専ら講壇化された結果であろう、ヴォルフの厳密哲学は遂に折衷哲学を出なかった。その結果、ドイツではこの哲学が悪く通俗化されて所謂「通俗哲学」を産むに至ったのである。ここにドイツ啓蒙主義の俗悪な一面が露出したと云わざるを得ない。併し例えばフランス啓蒙主義に於ては、一方に於てこの運動の国際的連帯(丁度フランスの諸革命がそうだったように)にも拘らず、同時に国語乃至俗語の自由な駆使によって言葉通り啓蒙的な役割が果されていることを忘れてはならぬ。多くのフランス啓蒙家(その内には沢山の唯物論者や又所謂フランス・イデオローグをも含む)は単に哲学的な著述家であるばかりではなく、文学的・演劇的・作家であり批評家・評論家であった。彼等は決して折衷家ではなかったにも拘らず、云わばエンサイクロペディストだったのである。当時のフランスは評論雑誌と書斎とサロンとの時代であった。フランスの所謂「アンシークロペディー」と(なら)んで、之を改版した模造百科辞典が少なからず造られた時代であったのである。
     さて最後に、啓蒙主義の自由の規定から来る社会変革の問題が残っている。云うまでもなくフランスに於ては啓蒙運動のこの中心的な目的は一応立派に実現された。否、本当をいうと、フランス的啓蒙主義の自由の観念は、それは平等や友愛と並ぶが、フランス革命のイデオロギーが啓蒙主義の思想体系に織り込まれたものに他ならなかった。フランスの啓蒙主義は全く政治的な実質を具えていたと云わねばならぬ。之に反してドイツ・アウフクレールングは、一般に、人間を理性によって教育する理想だと云われるように、単に文化的な文人的な理想にまで落される。ドイツの啓蒙主義は全く単なる文化史上の一エポックをしか意味しない。それは単に文化史上のクラシシズムやロマンティシズムの先行期に他ならぬ。カントはこの点を非常にハッキリと云い現わしている。啓蒙とは悟性の公共的な使用のことであって、悟性の私的使用のことではない。私的とここに云うのは、例えば官吏が官吏として命を奉じて行なうブルジョア市民的な世俗的行動のことであるが、啓蒙は之に反して専ら「公衆」即ち「読者層」を対手にして、その意味に於て公共的に文書を通じて、学者として振舞うことだというのである。ここにのみ人性進歩が齎らされるのであって、革命を通じてではなく「徐々に」変革が行なわれるようになるだろうと云うのである。カントは「啓蒙時代(啓蒙された時代ではなく啓蒙し行く時代)はフリートリヒの世紀」だと結んでいる。
     啓蒙として最も特色のあるのはフランスのものとドイツのものだが、その二つの間に之だけの相違がある。にも拘らず両者共通なものはその機械論(メカニズム)だということが、今まで云って来たことで結論されるだろうと思う。明らかに之は歴史の一時期としての啓蒙期に於ける啓蒙の特色であった。その後の世界の政治的文化的発展は、この啓蒙期的機械論を如何にして脱却するかの工夫だったとも云うことが出来るが、それがディアレクティーク(実は唯物論)にまで行かなければ脱却出来ないことは、歴史的にも論理的にも、今日では証明済みの事柄だろう。――で今日必要な啓蒙は、云わば弁証法的啓蒙でなければならぬだろう。弁証法によって初めて又、折衷や通俗哲学に堕さない科学的な文化総合の目的も、確実に保証され得るだろう。こうした文化総合のない処では、どのような啓蒙も大衆化も、まして政治的な活動も、根のない草と択ぶ処はあるまい。ここで初めて新しい時代のエンサイクロペディストというものの意味も内容を得るだろう。
     エンサイクロペディストと唯物論者とがフランス啓蒙期に於て一つであったという関係は、今日でも少しも変らないだろう。ただその唯物論が、機械論を脱却したという現在の論理学的条件が、今日の啓蒙の新しい内容を決定するのである。本当の合理性と自由とがここで初めて実際的な問題になれるのだ。

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    マルクス・エンゲルス ドイツ・イデオロギー

    「共産主義社会では、各人が一定の専属の活動範囲をもたずにどんな任意の部門においても修行をつむことができ、社会が全般の生産を規制する。そしてまさにそれゆえにこそ私はまったく気のむくままに今日はこれをし、明日はあれをし、朝には狩りをし、午後には魚をとり、夕には家畜を飼い、食後には批判をすることができるようになり、しかも漁師や漁夫や牧人または批判家になることはない」と。
    [zurueck]