387 名裁定弁論



「ユダヤ律法に照らして姦淫の罪を問う者に対して示したイエスの言葉」(聖書・ヨハネ伝第8章)
 ここに学者・パリサイ人ら、姦淫の時捕らえられたる女を連れ来たり、真中に立ててイエスに云う。
 「師よ、この女は姦淫のおり、そのまま捕らえられたるなり。モーゼは律法に、かかる者を石にて撃つべきことを我等に命じたるが、汝は如何に云うか」
 イエスは身をかがめ、指にて地にもの書きたまう。彼等問いて止まざれば、イエス身を起して
 「汝等のうち、罪無き者まず石を投げ打て」
 といい、また身をかがめて地にもの書き給う。彼等これを聞きて良心に責められ、老人をはじめ若き者まで一人一人いで行き、ただイエスと立てる女とのみ残れリ。
 「女よ。汝を訴えたる者どもはいずこおるぞ、汝を罪する者無きか」
 「主よ、誰も無し」
 「我も汝を罪せじ、往け、この後再び罪を犯すな」


 「死んだ金持ちの遺体引き取り問答」(中国故事)
 ある人が溺れ死んだ。遺族が死体を拾った男のところにいくと、その男は相手が金持ちと知って高額の謝礼を要求してきた。困った遺族が当時有名な学者のケ析(とうせき)に相談を持ち込んだところ、ケ析はこう教えてくれた。
 「心配はいりません。あなたがお金を出さなければ、他に出す人はいないんですから」
 そこで遺族が強気に出ると、死体を拾った男のほうが弱ってしまった。その男もケ析先生に泣き付いてみたら、先生はこういって慰めた。

 「心配はいりません。あなたが死体を渡さなければ、別の死体で間に合わす訳にはいかないんですから」
 ケ析先生は両方から謝礼を貰い、結局は三方丸く収まった。


周恩来が、中ソ決裂後のモスクワ訪問の際の逸話。あるレセプションで、当時のソ連共産党第一書記フルシチョフが、各国共産党幹部を前にして周恩来を次のように紹介した。「彼も私も現在はコミュニストだが、根本的な違いが一つだけある。私は労働者の息子でプロレタリアートだが、彼は大地主の家に育った貴族である」。満座の中で周恩来に恥をかかせ、自らの優位を誇ろうとしたようである。その直後、周恩来は、顔色一つ変えずに立ち上がり、壇上に立って次のように切り返している。「お話のように、確かに私は大地主の出身で、かっては貴族でした。彼のように労働者階級の出身ではありません。しかし、彼と私には一つだけ共通点があります。それはフルシチョフ氏も私も、自分の出身階級を裏切ったということであります」。満場、息を飲んで声も無かった、と伝えられている。






(私論.私見)