名言の宝 言葉と語源、理論集

 (最新見直し2006.7.1日)

 (れんだいこのショートメッセージ)

 言葉にはそれ自身のうちに力がある。これを言霊(ことだま)として格別重視する思想の流れさえある。私はここでそこまで主張しようとは思わないが、有益な言葉を多く知っておくことは大事であるという観点から「名言の宝」コーナーを設けている。


 その実証的な一例として、森田実氏の「古き良き格言と共に生きる我が人生」にあった「逆境を生き抜いたある母子の話」を以下に掲げておく。
逆境を生き抜いたある母子の話
 『東照宮遺訓』のこの言葉は多くの人々、とくに戦前派と戦中派の世代には多大の影響を与えた。私は30年ほど前につぎのような経験をした。戦前、満蒙開拓団に参加し、終戦時筆舌に尽くしがたい苦難を体験した岐阜のMさん(私と同世代)と彼の母親の人生を取材したときのことである。逆境の連続のなかをたくましく生き抜いてきた一人の男とその母親を支えたものが「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し……」の格言だった。

 Mさんの母の父親は飛騨高山近くのある村の地主で由緒ある神社の神官をしていた。あるとき村人に頼まれて借金の保証人になったために先祖代々引き継いできた広大な田畑を失った。良家の娘としてなに不自由なく育てられ思春期を迎えていたMさんの母親はやむなく名古屋の紡績工場の女工として働くことになった。

 私がMさんの母親に会ったのは彼女が60歳のころだったが、気品ある美貌は際立っていた。若いころは大変な美女だったのではないかと感じた。彼女はその工場の重役にみそめられ重役の子を孕む。これがMさんである。Mさんの父親であるその重役には四国に妻子がいた。重役はMさんの母親の妊娠を知ってか知らずか妻子のもとへ去っていった。そのまま消息は絶えてしまった。

 Mさんの母親は妊娠したまま、この事情を承知の農家の次男に嫁ぐ。Mさんの義理の父親である。やがて一家は満蒙開拓団に加わり満州へと旅立つ。Mさんには弟と二人の妹ができ、束の間の幸せが訪れたが、昭和20年8月、野蛮なソ連軍の満州侵入により不幸のどん底に突き落とされる。地獄のような逃亡行の過程で二人の妹の悲劇的な死を体験した。そしてやっとたどり着いた祖国もまた飢えていた。Mさんと母親は一心不乱に働いた。……

 あるとき、Mさんは母親の強さについて語った際、母親が肌身離さずに最も大切にしているという一冊のノートを私に見せてくれた。そこには美しい墨筆で「東照宮遺訓」の表題のあとに「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なし」と書かれていた。

 Mさんは「母はあたかもお経を読むように毎日この言葉を繰り返し唱えて、逆境に生き抜くため自らの精神を鼓舞し、自らを奮い立たせてきた。母のような人は少なくなかったと思う」と語った。Mさんの母親は、「人の一生は……」の言葉によって苦難に耐える力を得たのだった。この一言が彼女に生きる力を与えつづけたのだ。言葉の力は偉大である。格言は大切なものだ。人間は一つの箴言によって救われるのである。

 2005.10.16日再編集 れんだいこ拝



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目次

111 熟語集
121 味わいことわざ集
122 慣用句
123 数え歌
131 短文系格言・名句
132 数行系格言・名句
133 長文系名言・講話
134 韻律句(和歌、短歌)
辞世の句(男性)
135 韻律詩歌
141 和用外語
151 語源
152 字義考
153 故事来歴
中国の名言(論語)
161 神話、説話
ギリシャ神話 ユダヤ教話 キリスト教話
仏説教話 イスラム教話
162 比喩、警句、寓話
イソップ物語集 小泉八雲集
163 童話
164 逸話
171 名理論
172 肝史実
181 名歌
182 社訓・社歌
183 人物名言
創業者・経営者名言 武将・社長の名言 マルクスらの名言
政治家の名言
184 艶笑話
185 ウイット、ジョーク、ユーモア
191 雑学
192 錦の御旗論理あれこれ
193 時代考証
インターネットサイト
著作


(参考文献)

ためになる言葉
「森田実の古くよき格言と共に生きる我が人生」
「ことわざ・格言から人生の教訓を学ぶ」
ことわざ辞典
日英面白ことわざ集
諺のパラドクス
金田一春彦先生に捧ぐ
相原コージ先生に捧ぐ
「ことわざを楽しむ辞典」(真藤建志郎・PHP文庫)
「名言百選」(加藤尚文・マネジメント社・1978.12.13日)




(私論.私見)


 巳は上に、己は下に、しこうして中までなるは既に已みなむ。


 百姓昭明、万邦協和 中国書経より  昭和