出雲王朝神話考

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).2.14日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、出雲王朝神話に基づく出雲王朝考察をしておく。

 2008.4.10日、2010.4.17日再編集 れんだいこ拝


 目次

出雲王朝考、その真偽考
出雲王朝史1、原出雲元出雲-国引き王朝史考
出雲王朝史2、スサノウ出雲王朝史考
補足、諸氏のスサノウ論
出雲王朝史3-1、大国主の命王朝史考
補足、大国主の命考
補足、スクナヒコナの神考
出雲王朝史4、国譲り前段事情考
出雲王朝史5の1、国譲り神楽に見る国譲り神話考
出雲王朝史5の2、国譲り神楽に見る国譲り神話考
出雲王朝史5の3、れんだいこ他諸氏の国譲り論考 
出雲王朝史6、国譲り後の出雲王朝の帰趨考
出雲王朝史7、出雲王朝御代の善政考
出雲王朝史8、出雲神道、出雲大社の信仰、思想考その1
 古代出雲紀行(2)概要編 出雲大社
出雲王朝史9、出雲神道、出雲大社の信仰、思想考その2
出雲王朝御世の言語及び文字、和歌考
出雲王朝御世の相撲考
出雲王朝御世の躾、子供教育考
出雲王朝御世の伝統行事、儀式考
出雲王朝御代の医食同源、医薬、風俗、風習考
出雲王朝御代の温泉湯治考
出雲王朝御代の酒、茶考
出雲王朝御代の履物考
出雲王朝御代の着物考
出雲王朝御代の漬物考
出雲王朝御代の草花、樹木考
出雲王朝御代の技能(竹細工、陶芸、蒔絵、その他)考
出雲王朝御代の住居、建築物考
出雲王朝御代の宝石、装身具考
出雲王朝御代の暦と月見の風習について
別章【鬼、天狗、サンカ伝説、エタ、非人考
かごめ歌の裏意味考
意宇六社(おうろくしゃ)考
諏訪大社考
戸隠神社考
大和に於ける出雲系神社(大神、大和、石上、元伊勢)考
出雲王朝と邪馬台国を結ぶ点と線考
出雲国造家、出雲国造神賀詞考
出雲大社教神拝詞集
出雲の遺跡考(神庭荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡の衝撃考)
佐太神社考 古代出雲紀行(20)佐太神社
佐太神社考その2
熊野大社(出雲)考 古代出雲紀行(13)出雲の国一ノ宮『熊野大社』
サルタ彦考
神魂(かもす)神社考
須多(すた)神社考
八重垣神社考 古代出雲紀行(4)概要編 八重垣神社
斐伊神社(島根県雲南市木次町里方)
美保神社考古代出雲紀行(22)美保神社
島根、松江市美保関にある美保神社。えびす様の総本宮。出雲大社と両参りするとよい。
劔(つるぎ)神社考
須佐神社考
須我神社考 古代出雲紀行(15)須我神社
美保神社
別章【梅原史学の行程史考
梅原猛「葬られた王朝―古代出雲の謎を解く―」考
倉橋日出夫「邪馬台国と大和朝廷
別章【竹取物語考
 古代出雲紀行 目次編
 古代出雲紀行(1)概要編 日御碕神社・古代出雲歴史博物館  

 古代出雲紀行(5)概要編 松江城
 古代出雲紀行(7)八雲立つ風土記の丘その1(岡田山古墳)
 古代出雲紀行(8)八雲立つ風土記の丘その2(岩屋後古墳)
 古代出雲紀行(9)八雲立つ風土記の丘その3(大草古墳群)
 古代出雲紀行(10)八雲立つ風土記の丘その4(出雲国府跡)
 古代出雲紀行(11)八雲立つ風土記の丘その5(真名井神社)
 古代出雲紀行(12)八雲立つ風土記の丘その6(新造院跡・瓦窯跡)
 古代出雲紀行(14)『万九千神社』『立虫神社』
 古代出雲紀行(17)神原神社・古墳  
 古代出雲紀行(18)玉作湯神社
 古代出雲紀行(19)史跡出雲玉作跡
 古代出雲紀行(21)田中神社
関連著作本
インターネットサイト




(私論.私見)

【月形神社】
島根県安来市荒島町
主祭神:月読命
配祀神:下照日女命・天真婦津命・級長津彦命・級長津姫命

...

享保五年(1720)の荒島八幡宮社伝記に、「荒島」の地名の由来は、この地が中海海岸に近いことから波風が強く、田んぼや民家を壊してきた為、住民は常に不安を抱えていました。この様なことから「荒島村」と呼ばれていました。
ところが、海岸近くの山に「金色のうさぎ」が現れ、「日と月の神様を祀れば風や波の被害が無くなり、住民が安全になり、作物が豊かに実るでしょう」と告げました。そして、昼と夜にそれぞれ神様が現れ光り輝くようになりました。そこでこの場所(鎮座地)に、日形大明神(天照大神)、月向山形大明神(月読尊)をお祀りしたところあれほど荒れ狂った波風の被害がなくなりました。また、夜に神様の光が現れると、海岸近くの山からうさぎが群れ出てきて神様を拝んだことからこの山を「うさぎ山」と名付けられたようです。月形神社は、この岩山の岩盤を背にしていて、月の形を表す岩盤が御神体なのだそうです。

もっと見る

— 場所: 月形神社

鳥取県

角磐山大山寺&大神山神社奥宮

元々は奥宮の場所には、地蔵権現がお祀りされていたが、明治の神仏分離で神社になり、大己貴神が祀られるようになったそう。

壱岐の島の八本の折れ柱伝説

壱岐の島は古事記の国生み神話の中で5番目に生まれた島と書かれている。「伊伎島」と書かれ別名(神名)で「天一柱」または「天比登都柱」ともいう。「天一柱」は、「天上に達する一本の柱」という意味とされる。 「天一柱」は天上と地上を結ぶ道を意味しており、この道を通り天上から神が降りてきたとの言い伝えがある。壱岐には柱にまつわる話が他にもある。壱岐の島の名前の由来につながるが、島は「生き島(いきしま)」と言われ、勝手に移動していたと考えられていた。そこで、創造神は、壱岐が動かぬよう、八本の柱を使い鋼で繋ぎとめた。それが「八本柱の伝説」。但し諸説ある。八本の柱は折れてしまったもの、現存するものもある。そのうちの6ヵ所は次の通り。

①八幡の鼻の折れ柱/左京鼻にある柱。猿岩のほぼ対極にあるので島の最東部に位置している。海上から突き出た奇岩。折れ柱は「夫婦岩」や「観音柱」とも呼ばれている。

②黒崎唐人神の「鼻の折れ柱」/現在の猿岩。黒崎半島にある猿岩の付近に 唐人神が祀ってあったことからこの名が付いた。

③手長(たなが)島/湯ノ本湾の沖、猿岩から北へ 2㎞に位置している。

④半城湾/犬島の横の柱。半城湾の中にある。

⑤筒城/塩津浜。白山権現の近くにある折れ柱。筒城浜から北方へ…

⑥辰ノ島/日の出柱。勝本湾を出た所、辰ノ島横にある。勝本~辰ノ島の折れ柱~勝本沖、辰ノ島の西側柱状の岩…「日の出柱」とも いいます。

 「天一柱」と「八本の折れ柱」の関係性はいまだ解って いない。「八本柱」と「八本の折れ柱」は別であるとの説もある。変わらないのは、~島が生きて動いていたという言う伝説。島が生きて移動する話は珍しく、今なお神話化して残っているのが不思議。