4477 敵の出方論考

 (参考文献)
 共産主義運動の研究(弘津恭輔・立花書房・1982.12.10)


 暴力革命必然論に対する敵の出方論対する平和革命論。

 平和革命を志向して、議会闘争で勝利を得て議会内で安定過半数を勝ち取り、内戦なしに国家権力を握ったとする。この時、ブルジョワ階級が暴力的本質を剥き出しにして反革命に出てくるかどうか、「歴史の経験が教えるところは、支配階級はそれほど聞き分けが良い訳でもなく、進んで権力を譲り渡すものではない」。この旧勢力の暴力にどう立ち向かうのかが、本来の敵の出方論であった。「平和革命の可能性に依拠した統一戦線型議会闘争−敵の出方論」。


 概要「新政府の樹立前後、あるいは新政府による内外の転換に対して、米日反動勢力が非常な挑発、暴力的な手段をもって抵抗する可能性もある。また、革命運動の発展を未然に抑えるために、民主勢力がまだ強大にならないうちに、弾圧を加える可能性のあることを見失ってはならない」(1956.6.30日7中総決議)。


 宮顕が第7回党大会から8回党大会の過程でしきりに説いたが、党の綱領の中に明文化するのを慎重に回避した。この時の言い回しは、「どういう手段で革命が達成できるかは、最終的には敵の出方によって決めることであるから、一方的に自らの手をしばるべきではないという基本的な見地に立って行われた必要な問題提起であった」。この時の立場は、51年綱領が暴力革命必然論で、自らの手を一方的に縛り付け、平和革命的戦術を一切否定していたのが誤りであったように、平和革命論がまた自らの手を一方的に縛り付ける必要は無いという立場から、敵の出方論が云われていた。


 この頃の敵の出方論は、平和革命に向かう手段として議会闘争の院内闘争と議会外の大衆闘争との結合を前提にしていた。つまり、議会は革命的利用の対象であった。この議会は革命的利用にも、論者によって大衆闘争重視派と議会闘争重視派の千差万別な活用論であった。ちなみに大衆闘争重視派の議会観は、「議会外の大衆闘争の学校、又はその補助手段に過ぎない」という位置付けであった。


 この敵の出方論を綱領に明文化するかどうかについて、1961.3.1日からの第16中総で繰り返し討議され、遂に上述のような理由で規定しないことを決定した。これについては、1961.6..7日付けアカハタ特別号外「第16中総における討議内容に関して」で次のように述べられている。概要「革命の平和的、非平和的移行の問題については、繰り返すまでも無くモスクワ宣言、モスクワ声明及び我が党の7回大会の政治報告などにおいて明らかにされている。この問題を綱領上の問題として書くとすれば正確に書かなければならない。綱領上の問題として書く場合、単に党の平和的意図を宣伝するだけでは不十分であって、実際にはどうなるかという具体的な問題に触れなければ正しく規定したことにはならない。51年綱領の場合には、平和的な手段による革命遂行の可能性を一面的に否定する定式化を行うことによって自らの手を縛ったが、今度は逆に党の平和的意図だけを一方的に宣言することによって逆の方向に偏向する結果をつくってはならない。この問題について、原則的な理論にとどまらないで、日本の展望として、かつ弾圧を狙う敵に口実を与えないように、具体的に正確に定式化することは困難である。又、必ずしも政治的大局的に得策とも云えない」。


 これを宮顕の「反共攻撃に隙を与えない窮余の一策」論理として受け取る向きも有るが、詭弁論理と見たほうが素直であろう。