議会政治家の申し子としての角栄その2、陳情采配能力

 更新日/2017.3.16日

 (れんだいこのショートメッセージ)

 ここで、「議会政治家の申し子としての角栄その1、選挙区守護能力」に続いて「議会政治家の申し子としての角栄その2」として角栄の陳情采配能力を確認しておく。これを仮に「角栄の陳情政治論」と命名する。

 2006.10.26日再編集 2010.1.4日再編集 れんだいこ拝




【角栄の陳情政治論その1、民衆政治の真骨頂としての陳情処理】
 2010年の昨今、企業献金全面禁止論が正義の名を持って政界を席巻しつつある。その次に来るのが陳情政治一掃論だとしたら、それにも然りと従うのだろうか。れんだいこは、企業献金全面禁止論も陳情政治一掃論にも与しない。むしろ肯定的に捉えようとしている。議会主義政治には政治献金、陳情政治が付き物と考えており、その質を上げることこそ論の使命と考えている。否定論は、この営為を踏みにじろうとする暴論と考えている。これを証する為に角栄の陳情政治論を窺っておく。

 角栄の政治家観を示す次のような言葉がある。 
 「戦後の政治家は行政に精通し、予算書が読めて、法律案文を修正することが政治だという錯覚に陥っている者が多い(それさえできかねている政治家が大部分であろうが-れんだいこ註)。それもいいが、国民各階層の個別的な利益を吸い上げ、それを十分にろ過した上で、国民全体の利益に統合し、自らの手で立法することにより政治や政策の方向を示すことこそ、政治家本来の機能であることを明確にしておきたいのである」(「中央公論」1937(昭和42).6月号)。
(私論.私見)
 これが角栄の政治家論である。それによると、政治家たる者は、1・行政に精通、2・予算書が読める、3・法律案文を修正することを絶対要件として、次に4・国民各階層の個別的な利益を吸い上げる能力、5・それを十分にろ過した上で、国民全体の利益に統合する能力、6・自らの手で議員立法することにより政治や政策の方向を示す能力をプラスアルファ―要件とし、これこそ政治家本来の権能であると述べていることになる。銘して聞くべきではなかろうか。

 ここには、事業経験者ならではの大局的発想、総合的比較認識が窺える。加えて、戦後憲法に則り、それを物差しにしていたことも窺える。こういう観点の下に、角栄は議員活動自体を事業感覚で捉えていたのではなかろうか。

 大正時代の総理大臣・原敬も又陳情政治をこなしていた。その時の「殺し文句逸話」が伝えられている。即ち、総理になった原の元には毎朝数十人もの陳情客が来ていた。朝一番の客には次のように語った。「君の話は、いの一番に聞かねばならんと思ってね」。最後まで待たせた客には次のように語った。「君の話はゆっくり聞かなければならないと思って、最後までお待ちいただきました」。このように、自分を特別で重要だと思わせることで、原敬の人気は高かったと云う」。(「相手を待たせた時にどう言うか プライドをくすぐる『殺し文句』とは」、「ザ・殺し文句」(川上徹也・著)参照)


【角栄の陳情政治論その1、民衆政治の真骨頂としての陳情処理】
 角栄は、上述の陳情政治観点を前提にして次のような陳情政治論を唱えていた。陳情について独自の見識を持っていたことになる。角栄は、若い頃はもちろん闇将軍となってからも、日に100件、凡そ300人の陳情をさばいていたという。陳情について田中はある新聞でこう語っている。
 「必ず返事を出すんだ。結果が相手の希望通りでなくても『聞いてくれたんだ』となる。大切なことだよ」。
 概要「現代は陳情の時代だ。陳情は、現代の議会制民主主義制度下にあっては、必要不可欠な主権者の権利行使ですよ。提言とも云うべきものじゃあないですか。国民が、立法府あるいは行政府に対して、社会生活上の様々な問題を持ち込むというのは、最も至極当然なことじゃあないんですか。陳情という言い方が悪ければ、主権者の提言といってもよい。

 マスコミは、癒着の温床だとか、賄賂だ、利権だとか陳情をいけないことのようにいうが何を云うかだ。そういう物差しこそ反憲法的思想で、ものの見方が逆立ちしている。国民が立法や行政府に対して、あれをしてくれ、これをしてほしいと陳情するのは、株主が取締役会に対して意見するのと同じ、取締役会に累積投票権を要求するのと同じことでね。選挙民だから、投票されたこちらとしてはね、請願、陳情は、いつでも聞く耳を持たなきゃなりませんよ。国民に取っても、それが憲法でちゃんと認められた大権なんだから。主権者の請願、陳情権は憲法上の大権といってよいんだ」。
(私論.私見) 

 角栄は、代議制民主主義の基盤として陳情政治を大事にしていたことになる。実際に選挙区はもちろん持ちこまれた案件、関わった案件について面倒見が良かった。このことは誉れであっても批判されることではなかろう。これを批判するような自称インテリが多過ぎるが、度し難いと云うべきだろう。


 次のようにも述べている。
 「現代はね、陳情の時代なんだよ。陳情と云う言い方が悪ければ、主権者の提言といってもいい。マスコミは陳情政治がいけないように云うが、そういう物差しこそ旧憲法思想なんだ。ものの見方が逆立ちしている。国民が立法や行政府に対して、あれをしてくれ、これをして欲しいと陳情するのは、株主が取締役会に対して累積投票権を要求するのと同じでね、主権者の請願、陳情権は憲法上の大権といっていいんだ」(早坂茂三「田中角栄回想録」134p)。

 これを補足すれば、党人政治家大野伴睦の次のような陳情政治論がある。
 「多くの人たちの頼みごとを政治の上にどんどん反映さそうと努力すると、世間では『陳情政治』と批判する。しかし、民主政治から陳情を除いたら、そこに残るものは、明治の初めから築かれてきた官僚政治でしかない。お役所という官僚の安住の地で考えられる政治は、彼らの勢力拡大の政治である」(「回想録」)。
(私論.私見)
 これが、日本の廃墟からの再建に貢献した党人派の心意気であり政治哲学であった。今日から見れば「古典的な民主政治論」でしかないが、ここに見られる「正」の面を見て取ることが必要ではなかろうか。

 角栄の陳情政治の実際について、小林吉弥氏の「究極の人間洞察力」は次のように記している。
 「東京・目白の田中邸には各界、各層のあらゆる人間が、陳情などで詰め掛けたことは知られているが、こうした中には人の目を気にするようにして革新系の首長なども姿を見せていた。しかし、田中は革新系だからといって一蹴、帰してしまうことはなかった。話を聞き、住民のためとなれば、これが政治とばかりその革新系首長の要望も実現化にひと肌脱いでいた」。

 農民作家の山下惣一氏は次のように記している。
 「役人は威張っている。みんなだ。常日頃百姓をバカにしている。陳情に行っても請願したも木で鼻をくくるような返事。末端の小役人でさうそうだから、日本を動かしていると自負している中央官庁の連中がどれほどだか、想像にかたくない。その冷血動物さながらの奴らが、センセイを通じて行くと、まるでコメツキバッタさながらペコペコするのだ。こんな愉快なことがまたとあろうか。この痛快さのためなら命をも惜しくないと、多くの村人は実感するのだ。東野栄治郎扮する黄門様と、おらがセンセイがダブっているのはもちろんだ。それはいい気分である。そして農民にとって現代の黄門さまの筆頭が田中角栄だろう」。

 羽田孜・氏は、著書「田中学校」の中で次のように述べている。
 「それは単なる利益誘導の政治として非難すべきものではない。そこには血の通った政治の原風景がある。郷土愛の原風景がある。そして均衡ある国土計画の原点がある」
(私論.私見)
 れんだいこには、これらの謂いこそ的確であるように思われる。

 2チャンネル田中角栄№4」より転載する。
774 :名無しさん@3周年:2006/10/21
 陳情団の代表とともに目白台の田中首相邸に出向いた。保岡興治は、田中首相に懸命に訴えた。「昭和四十年当時、コメとさとうきびの価格はともに六千円でした。しかし、コメは、いまや一万円だというのに、さとうきびは六千九百五十円です。これは、ビートとの関係によるものです。ビートも、コメとは三千円の差がついている。しかし、ビートは機械化により生産性があがっています。輪作も、できます。しかし、奄美は、さとうきびしかできません。台風に強いさとうきびにしがみつくしか、ないんです。だが、機械化も、基盤整備もされていない。それなのに、価格を抑えられるのはおかしい。コメとおなじに してください」

 田中首相は、即答した。 「わかった」 田中首相は、なんと保岡らの眼の前で愛知揆一蔵相に電話をかけた。「さとうきびの買上げ価格だがな、奨励金を乗せて米一俵とおなじにしろ。九千九百九十九円じゃ、駄目だ。一万円だぞ。さとうきびの価格を上げてやれないようでは、政治じゃない」  保岡は、おどろきを隠せなかった。陳情団の代表者も、みな呆気にとられている。無理もない。これまで、毎年五十円づつしか上がらなかった価格が一気に三千円もアップするのである。保岡は、田中首相の決断力に舌を巻いた。

 田崎は、次のように陳情政治評をしている(「」より転載する)。
 「田中は自ら『選挙が趣味』と語り、全国の選挙情勢、各選挙区で票を動かせる実力者、各地域の実情、選挙運動の手法などの情報を常に集めていた。田中は全国各地から1日数十組の陳情を受けていたが、陳情は全国のナマの情報と、それに関わっている人たちが集まってくる『回路』だった。田中は『人に利用されるうちが花。俺は人助けが稼業だ』(1982.9.4日)と言って陳情を受け付け、陳情処理の中で得た人脈を選挙にフルに活用した。『ウチに来る陳情客の半分は新潟以外のところから来る。代議士が150人、200人と連れてくるのを会わん訳にいかん。それずできなければ辞めりゃいいんだ。田中の票がなぜ減らないのかなんて云う奴がいるが、何を言うか。何もしないで、票が出るわけがない。それをやらん奴は汗を流さないで、月給だけを上げろと言っているようなもんだ』(1983.10.7日)」。

 この角栄と対極的な在り方をしていたのが稲葉修である。新潟2区から選出されていたが、55年6月の選挙で落選している。その時の地元の声として次の指摘が為されている。
 「稲葉さんは立派なことを云う。田中さん批判もそれはそれで良いでしょう。しかし、県北で遅れている2区に対して、稲葉さんは何もしてくれない。貧乏を放置している。評論家ならそれでいいでしょうが、政治家はそれでは困る。有権者は稲葉さんにも、それなりの地元の為の努力を求めていたのですよ」。
(私論.私見)
 我々は、この謂いをどう受け止めるべきであろうか。
 報道特集か何かでの、「闇将軍」として取り沙汰されていた角栄に、粗脳記者が、「田中先生は地元への利益誘導を行った。総理大臣としていかがなものか?」と問うた。これに対し、角栄は落ち着いた口調で次のように答えている。
 「いかにも私は日本国総理大臣であった。その前に新潟3区選出の衆議院議員である。雪に苦しむ郷土に光をさしのべることは誰にも非難されるべきことではない」 。

(私論.私見) 【角栄の陳情政治論考】
 角栄はいわば本能的に陳情処理を積極的に受け付けていった。こうした角栄の立ち働きは、地元に対する面倒見のよさ、地元サービスに熱心且つ処理に有能なる政治家として頭角を現わしていくことになった。こういう土着志向の強さは、今日利益誘導として非難されているが、地元から選出される選挙制度からして最も自然なあり方であり、なりゆきとでも云えるのではなかろうか。もしこれを否定するのなら、貴族院、元老院政治にでも復古させるしかなかろう。それが良いとする者がいるのならそう弁論して見給え。

 特に、衆議員は地域貢献を課せられているのであって、それは議員の重要な仕事ではなかろうか。それが証拠に、地元に貢献しない議員の存在なぞ何の意義があるだろう。参議員ならまだしも衆議員は地元有権者の期待と利益に応えるべき性質を持つそういう性格の議員なのではなかろうか。もしこのことが非難されるとするならば、それは一人議員が責めを負うものではなく、有権者もまた同罪であろう。

 こうした「利益」から離れた聖人君子像を求める道徳的な説教こそ軽薄なインテリ性であり、我々は「利益」の中身の精査にこそ関心を持ち続けるべきではなかろうか。陳情政治は確かに金権政治へと繋がり易い。しかしながら、金権政治批判の名目で政治資金を縛り、陳情政治を否定するとしたら「たらいごと赤子を流す」愚に陥るのではなかろうか。確かに政治資金の自由化、陳情政治の是認は「諸刃(もろは)の剣」ではある。しかし、世の中の何事もそういう面があるのではなかろうか。そういう関心で角栄政治を見て行くと、むしろ案外と身ぎれいでさえあることに気づかされる。角栄は、陳情処理したとして「ハイ幾ら下さい」などという手を出していない。熟し柿的に自然とカンパされるものは有り難く頂戴するという手法であった。陳情も、お国の為にならない案件は受け付けていない面も窺える。つまり権力の弁えを持っていたことになる。してみると、かなり高等な政治を取り仕切っていたことになる。

 こうなると問題は、「政治資金の自由化、陳情政治の是認」は人治主義傾向にあることにある。つまり、角栄なら上手に操れても三文役者が悪乗りしたらどうしようもなくなるという危険性である。これをどうするかが問われているのではなかろうか。現下の政治改革の流れが、この問題に正面から挑むものであってほしいと思う。


Re::れんだいこのカンテラ時評708 れんだいこ 2010/04/14
 【議会政治家の申し子としての角栄その2、陳情采配能力】

 ここで、「議会政治家の申し子としての角栄その1、選挙区守護能力」に続いて「議会政治家の申し子としての角栄その2」として「角栄の陳情采配能力」を確認しておく。これを仮に「角栄の陳情政治論」と命名する。

 「田中角栄の思想と政治姿勢、資金源、人脈考」
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/sisosiseico/sisosiseico.htm)
 「議会政治家の申し子としての角栄その2、陳情采配能力」
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/sisosiseico/gikaiseijikaco2.htm)

 2010年の昨今、企業献金全面禁止論が正義の名を持って政界を席巻しつつある。その次に来るのが陳情政治一掃論だとしたら、それにも然りと従うのだろうか。れんだいこは、企業献金全面禁止論も陳情政治一掃論にも与しない。むしろ肯定的に捉えようとしている。議会主義政治には政治献金、陳情政治が付き物と考えており、その質を上げることこそ論の使命と考えている。否定論は、この営為を踏みにじろうとする暴論と考えている。これを証する為に角栄の陳情政治論を窺っておく。

 角栄の政治家観を示す次のような言葉がある。 
 「戦後の政治家は行政に精通し、予算書が読めて、法律案文を修正することが政治だという錯覚に陥っている者が多い(それさえできかねている政治家が大部分であろうが-れんだいこ註)。それもいいが、国民各階層の個別的な利益を吸い上げ、それを十分にろ過した上で、国民全体の利益に統合し、自らの手で立法することにより政治や政策の方向を示すことこそ、政治家本来の機能であることを明確にしておきたいのである」(「中央公論」1937(昭和42).6月号)。

 これが角栄の政治家論である。それによると、政治家たる者は、1・行政に精通、2・予算書が読める、3・法律案文を修正することを絶対要件とする。次に4・国民各階層の個別的な利益を吸い上げる能力、5・それを十分にろ過した上で、国民全体の利益に統合する能力、6・自らの手で議員立法することにより政治や政策の方向を示す能力をプラスアルファ―要件とし、これこそ政治家本来の権能であると述べていることになる。銘して聞くべきではなかろうか。

 ここには、事業経験者ならではの大局的発想、総合的な比較認識、高等な判断、分別が窺える。加えて、角栄が戦後憲法に則り、それを物差しにしていたことも窺える。こういう観点の下に、角栄は議員活動自体を事業感覚で捉えていたのではなかろうか。してみれば、角栄政治の本質は高度な国家運営事業であったことになる。

 角栄は、以上のような観点を前提にして、次のような陳情政治論を唱えていた。陳情について独自の見識を持っていたことになる。  

 概要「現代は陳情の時代だ。陳情は、現代の議会制民主主義制度下にあっては、必要不可欠な主権者の権利行使ですよ。提言とも云うべきものじゃあないですか。国民が、立法府あるいは行政府に対して、社会生活上の様々な問題を持ち込むというのは、最も至極当然なことじゃあないんですか。陳情という言い方が悪ければ、主権者の提言といってもよい。

 マスコミは、癒着の温床だとか、賄賂だ、利権だとか陳情をいけないことのようにいうが何を云うかだ。そういう物差しこそ反憲法的思想で、ものの見方が逆立ちしている。国民が立法や行政府に対して、あれをしてくれ、これをしてほしいと陳情するのは、株主が取締役会に対して意見するのと同じ、取締役会に累積投票権を要求するのと同じことでね。選挙民だから、投票されたこちらとしてはね、請願、陳情は、いつでも聞く耳を持たなきゃなりませんよ。国民に取っても、それが憲法でちゃんと認められた大権なんだから。主権者の請願、陳情権は憲法上の大権といってよいんだ」。

 これによれば、角栄は、代議制民主主義の基盤として陳情政治を大事にしていたことになる。実際に選挙区はもちろん持ちこまれた案件、関わった案件について面倒見が良かった。このことは誉れであっても批判されることではなかろう。これを批判するようなインテリが多過ぎるが、果たしてどちらが正論なのだろうか。

 これを補足すれば、党人政治家大野伴睦の次のような陳情政治論がある。

 「多くの人たちの頼みごとを政治の上にどんどん反映さそうと努力すると、世間では『陳情政治』と批判する。しかし、民主政治から陳情を除いたら、そこに残るものは、明治の初めから築かれてきた官僚政治でしかない。お役所という官僚の安住の地で考えられる政治は、彼らの勢力拡大の政治である」(「回想録」)。

 これが、日本の廃墟からの再建に貢献した党人派の心意気であり政治哲学であった。今日から見れば「古典的な民主政治論」でしかないが、ここに見られる「正」の面を見て取ることが必要ではなかろうか。

 角栄はいわば本能的に陳情処理を積極的に受け付けていった。こうした角栄の立ち働きは、地元に対する面倒見のよさ、地元サービスに熱心且つ処理に有能なる政治家として頭角を現わしていくことになった。こういう土着志向の強さは、今日利益誘導として非難されているが、地元から選出される選挙制度からして最も自然なあり方であり、なりゆきとでも云えるのではなかろうか。もしこれを否定するのなら、貴族院、元老院政治にでも復古させるしかなかろう。それが良いとする者がいるのならそう弁論すれば良かろうに。

 衆議員は特に地域貢献を課せられているのであって、それは議員の重要な仕事ではなかろうか。それが証拠に、地元に貢献しない議員の存在なぞ何の意義があるだろう。参議員ならまだしも衆議員は地元有権者の期待と利益に応えるべき性質を持つそういう性格の議員なのではなかろうか。もしこのことが非難されるとするならば、それは一人議員が責めを負うものではなく、有権者もまた同罪であろう。

 こうした「利益」から離れた聖人君子像を求める道徳的な説教こそ軽薄なインテリ性であり、我々は「利益」の中身の精査にこそ関心を持ち続けるべきではなかろうか。陳情政治は確かに金権政治へと繋がり易い。しかしながら、金権政治批判の名目で政治資金を縛り、陳情政治を否定するとしたら「たらいごと赤子を流す」愚に陥るのではなかろうか。

 確かに政治資金の自由化、陳情政治の是認は「諸刃(もろは)の剣」ではある。しかし、世の中の何事もそういう面があるのではなかろうか。そういう関心で角栄政治を見て行くと、むしろ案外と身ぎれいでさえあることに気づかされる。角栄は、陳情処理したとして「ハイ幾ら下さい」などという手を出していない。熟し柿的に自然とカンパされるものは有り難く頂戴するという手法であった。陳情も、お国の為にならない案件は受け付けていない面も窺える。ダメなものはダメとはっきり断っていた。つまり権力を私的に行使することなく権力の弁えを持って政治していたことになる。してみると、かなり高等な政治を取り仕切っていたことになる。

 こうなると問題は、「政治資金の自由化、陳情政治の是認」は人治主義傾向にあることにある。つまり、角栄なら上手に操れても三文役者が悪乗りしたらどうしようもなくなるという危険性である。これをどうするかが問われているのではなかろうか。現下の政治改革の流れが、この問題に正面から挑むものであってほしいと思う。規制強化は容易且つ安逸なものでしかなく裏表を作り易い。そういう意味で、自主的な内部規律的なものを積み上げることこそ目指すべき政治改革なのではなかろうか。十年、百年の議論を費やしても惜しくないと考える。

 2010.4.14日 れんだいこ拝

【角栄の陳情処理の実際】
 休日の東京・目白の田中邸には朝から各界、各層の陳情客が100人単位で列をなしていたというが、田中は一人一人順番に陳情の内容を聞き「よし分かった」、「それはできる」、「それはできない」とその場で陳情をさばいていった。田中が「分かった」と言ったものに関しては100%実行されたという。

 
角栄は、政治的依頼につき、とにかく一応の話を聞き、イエス、ノ―をはっきりさせていた。引き受けられないものは、その場でノ―と云った。イエスと答えたものは秘書共々で案件に従い処理した。「考えてみます」云々の曖昧な返答を嫌った。これについて、角栄は次のように述べている。
 「確かに、人にノ―と云うのは勇気のいることだ。しかし、逆に信頼度はノ―で高まる場合もある。できないものはノ―とはっきり云った方が、長い目で見れば信用されるもんだ」。

【角栄の陳情政治論その2、陳情政治を廻る角栄とナベツネの大バトル】

 1960年代後半か1970年代初頭の頃のやり取りと思われるが、時の幹事長の田中角栄と読売新聞夜回り記者であった渡辺恒雄(ナベツネ)との興味深い陳情政治是非論争がある。これを確認しておく。れんだいこは角栄の言を支持するが、自称インテリの多くの者がナベツネ見解に酔っているように思われる。この論争の決着はまだついていない。以下、確認する。

 幹事長時代を迎えても角栄の陳情処理は止まず、というか一層門前市を為していった。これを廻って、角栄は、当時の読売新聞夜回り記者であった渡辺恒雄(ナベツネ)と次のような激論を交わしている。

ナベツネ  「田中邸には毎朝何十人もの陳情客が押しかけ、あなたはそれに全部会っているそうだが、(目白邸での陳情処理に対して)大幹事長になったからには、そんなくだらんことは止めたらどうか」
田中  「そうはいかん。選挙区の連中に会えんようになるのなら、俺は政治家を辞める。それに大野伴睦や河野一郎が死んでからは、陳情に行くところがなくなった連中だっているんだ。俺が会ってやらなきゃ、誰が会ってやるんだ」
ナベツネ  「それはなるほど結構なことかも知れないが、与党の幹事長たる者は、毎朝、陳情の受け付けをするより、他にもっと大事なことがあるんじゃないか」。
田中  「ないっ、ないっ。俺は陳情客に会っているが、その為に幹事長の仕事をないがしろにしたことは一度もない。政治家が自分の選挙区の者と会うということは、取りも直さず民主主義なんだ。そこで国民の声を聞いて、政治に取り入れるんだ」。

 両者とも声が大きく、向こう息が強い。三十人近くの各新聞、放送記者達が居る面前でこの遣り取りが為された。「首をすくめ、目を見張ったものである」とある。

(私論.私見)

 この「角栄-ナベツネ激論」は貴重である。ナベツネは元共産党員席に一時身をおいていたこともあると触れ込んでいるが、実は当時の共産党運動を右から撹乱した本質的に右派系の、且ついつ頃より転んだのか定かではないがネオシオニズムエージェントである。ここで、ナベツネ思想の胡散臭さが随所に露呈している。ナベツネの謂いの方が官僚機構的であり、角栄がこれに堂々と民主政治論で立ち向かっている姿が見えてくる。角栄は、陳情受付が単に選挙目当てのものではなく、民主主義政治の基本であるという認識を示している。角栄の明確な政治姿勢及び哲学をここに窺うことができる。思想的に見れば角栄の方が深く、ナベツネのそれはありきたり過ぎるものでしかないのではなかろうか。

 角栄は、「政治家が自分の選挙区の者と会うということは、取りも直さず民主主義なんだ。そこで国民の声を聞いて、政治に取り入れるんだ」と説いている。これこそ角栄の本領とも云える実学主義であり、下手に学校テキストで習うと失われてしまう観点ではなかろうか。

 角栄は、現下の戦後普通選挙システムをそのまま捉えており、選挙区の有権者に選出される以上、選挙民の声を聞き届けるのが当たり前としているように思える。ここに生きた政治があるとして、ここで得た皮膚感覚を大事にしたがっているように思われる。実際にはかなり能力の問われることである。

 マスコミはこの政治を嫌い、ナベツネ的見解を学があると評する傾向にある。あるいは地元に寄与しない三木流をクリーンなどと称している。選挙時に敢えて自分の選挙区に戻って運動しないことを誉れとしている小泉を議員のカガミとしていたりする。自称インテリの評論というのはこの程度のものが多い。

 ミニ角栄的な面を持つ鈴木ムネオが、田中真紀子外相を引きずり降ろした瞬間、もは用済みとばかりに喧嘩両成敗で失脚させられた。この時、「ムネオハウス」などという造語でムネオ批判の先頭に立ったのが日共であった。マスコミ提灯がこれに列なった。つまり、上手く使われているということになる。

  陳情の受付は政治家の最初の政治能力が問われる仕事であり、要は何を受付け受付けないかが問われている。角栄失脚後の中曽根自民党は、国際金融資本の陳情、独占企業体の陳情を受け付けることが夥しくなった。それを思えば、角栄が地元の声を受付け調理したことはむしろ真っ当な政治だったのではなかろうか。実際にこれやると毎日大変で、門前市を為した目白邸の家族と秘書の苦労ははかりしれなかった。それでもやり続けたのが角栄で大衆政治家としての面目躍如といえよう。角栄のすごさは、そういう地元政治をやりつつ国内の大局政治もこなし、国際政治でも対等にわたりあったところにある。

 まさに百年一人の逸材、否五百年一人の逸材で、角栄こそが織田信長政治と同じ高みにあるといえるように思われる。小泉狂人首相がミニ信長を気取っていたが、そう評するおべんちゃらマスコミのオツムの底の何と浅かったことか。

Re:公私混同、陳情政治について れんだいこ 2005/09/24
 kotaさんちわぁ。
> 上記は公私混同の具体例です。田中邸は角栄さんの私邸であり、田中事務所とは違います。この区別ができなくなったので角栄さんは殺された(密室の談義は違法やん)  Kotaもアホなので公私の区別をキッチリ付けられないんです。

 これについてですが、思案せねばならんと考えております。私邸と事務所の違いを指摘されておりますが、根本は陳情を受け付けるのかどうかという陳情政治問題になると考えます。これについては興味深いやり取りがあり、「議会政治家の申し子としての角栄」に記しております。特に、ナベツネとのやり取りの項に注目してください。
 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/phirosophy_gikaiseizika.htm)

 角栄は、「政治家が自分の選挙区の者と会うということは、取りも直さず民主主義なんだ。そこで国民の声を聞いて、政治に取り入れるんだ」と説いております。これこそ角栄の本領とも云える実学主義であり、下手に学校テキストで習うと失われてしまう観点だろうと思います。

 角栄は、現下の戦後普通選挙システムをそのまま捉えており、選挙区の有権者に選出される以上、選挙民の声を聞き届けるのが当たり前としているように思います。ここに生きた政治があるとして、ここで得た皮膚感覚を大事にしたがっているように思います。実際にはかなり能力の問われることですが。

 マスコミはこの政治を嫌い、ナベツネ的見解を学があると評しているように思います。あるいは地元に寄与しない三木流をクリーンなどと称しております。さしづめ選挙時に敢えて自分の選挙区に戻って運動しないことを誉れとしている小泉流などカガミなのでせう。

 自称インテリの評論というのはこの程度のものが多い。先だってはムネオがやられましたが、そしてこの時も「ムネオハウス」などという造語でムネオ批判の先頭に立ったのが日共でしたが、馬鹿げてます。

 陳情の受付は政治家の最初の政治能力が問われる仕事であり、要は何を受付け受付けないかが問われているのだと思います。実際に、与党系は国際金融資本の陳情を受け付けております。独占企業体の陳情を受け付けております。それを思えば、角栄が地元の声を受付け調理したことはむしろオープンで宜しいと思っております。

 実際にこれやると毎日大変で、門前市を為した目白邸の家族と秘書の苦労ははかりしれません。それでもやり続けたのが角栄で大衆政治家としての面目躍如といえませう。角栄のすごさは、そういう地元政治をやりつつ国内の大局政治もこなし、国際政治でも対等にわたりあったところにあります。

 百年一人の逸材、否五百年一人の逸材で、角栄こそが織田信長政治と同じ高みにあるといえます。小ネズミがミニ信長を気取るなどおこがましくて、そう評するおべんちゃらマスコミのオツムの底の何と浅いことよ。

 もとへ。「密室の談義は違法やん」などというようでは子供的見解です。政治は密室もあればオープンもあります。局面や内容によるでせう。「Kotaもアホなので公私の区別をキッチリ付けられないんです」の方が自然で、つけなくても良い公私もあればつけなければならない公私もあります。

 つけねばならない時につけず、つけなくても良い時につけているのが今時の公私観で、勉強しすぎるとそういうことになります。その点角栄は偉かった。筋道を外して居らず、私は私で法に触れぬ以上はばかることなく、公は公で取り組んだ。そのどちらにも類稀な才を発揮しました。

 それは手本であれども批判されることではない。その角栄をあの手この手使って法さえ曲げて滅茶苦茶に叩いていったのが当時の自称インテリ達であった。そのなれの果てが小ネズミ政治であり、日共の現下の腐敗です。

 そういえば、小ネズミと日共の政治手法は酷似していますねぇ。あの排除の論理は宮顕以来のもので、小ネズミは勝共連合統一原理の御用聞きかとばかり思っていたら、日共かぶれであったとは。俗に言う、ウマが合うという関係でせうね。そういえば、不破の「戦後60年」読んだら、全編政府高官のような物言いで政界ご意見番を気取ってらぁ。

Re::れんだいこのカンテラ時評709 れんだいこ 2010/04/14
 【陳情政治を廻る角栄とナベツネの大バトル考】

 1960年代後半か1970年代初頭の頃のやり取りと思われるが、時の幹事長の田中角栄と読売新聞夜回り記者であった渡辺恒雄(ナベツネ)との興味深い陳情政治是非論争がある。これを確認しておく。れんだいこは角栄の言を支持するが、諸氏の見解を賜わりたいと思う。この論争の決着はまだついていない。以下、確認する。

 幹事長時代を迎えても角栄の陳情処理は止まず、というか一層門前市を為していった。これを廻って、角栄は、当時の読売新聞夜回り記者であった渡辺恒雄(ナベツネ)と次のような激論を交わしている。

 ナベツネ  
 「田中邸には毎朝何十人もの陳情客が押しかけ、あなたはそれに全部会っているそうだが、(目白邸での陳情処理に対して)大幹事長になったからには、そんなくだらんことは止めたらどうか」。

 田中
 「そうはいかん。選挙区の連中に会えんようになるのなら、俺は政治家を辞める。それに大野伴睦や河野一郎が死んでからは、陳情に行くところがなくなった連中だっているんだ。俺が会ってやらなきゃ、誰が会ってやるんだ」。

 ナベツネ
 「それはなるほど結構なことかも知れないが、与党の幹事長たる者は、毎朝、陳情の受け付けをするより、他にもっと大事なことがあるんじゃないか」。

 田中
 「ないっ、ないっ。俺は陳情客に会っているが、その為に幹事長の仕事をないがしろにしたことは一度もない。政治家が自分の選挙区の者と会うということは、取りも直さず民主主義なんだ。そこで国民の声を聞いて、政治に取り入れるんだ」。

 両者とも声が大きく、向こう息が強い。三十人近くの各新聞、放送記者達が居る面前でこの遣り取りが為された。「首をすくめ、目を見張ったものである」とある。

 (れんだいこ私論.私見)

 この「陳情政治を廻る角栄-ナベツネ激論」は貴重である。ナベツネは元共産党員席に一時身をおいていたこともあると触れ込んでいるが、実は当時の戦後共産党運動を右から撹乱した本質的に右派系の、且ついつ頃より転んだのか定かではないがれっきとしたネオシオニズムエージェントである。歴史は正力松太郎の素性を暴いているがナベツネも時間の問題である。角栄失脚後の中曽根政権誕生と共に恣に権力を行使して三十年、我が世の春を謳歌しているが立ち枯れの日は近い。歴史に汚名を遺したことになる。

 もとへ。ここで、ナベツネ思想の胡散臭さが随所に露呈している。ナベツネの謂いの方が頑迷な官僚的な発想そのものであり、角栄がこれに堂々と民主政治論で立ち向かっている姿が見えてくる。角栄は、陳情受付が単に選挙目当てのものではなく、民主主義政治の基本であるという認識を示している。角栄の明確な政治姿勢及び哲学をここに窺うことができる。思想的に見れば角栄の方が深く、ナベツネのそれは東大的英才にありがちな凡庸な権力観を披歴しているに過ぎないと思うのは、れんだいこだけだろうか。

 角栄は、「政治家が自分の選挙区の者と会うということは、取りも直さず民主主義なんだ。そこで国民の声を聞いて、政治に取り入れるんだ」と説いている。これこそ角栄の本領とも云える実学主義であり、長年シオニズムテキストに浸ると失われてしまう観点ではなかろうか。角栄は、現下の戦後普通選挙システムをそのまま捉えており、選挙区の有権者に選出される以上、選挙民の声を聞き届けるのが当たり前としているように思える。ここに生きた政治があるとして、ここで得た皮膚感覚を大事にしたがっているように思われる。実際にはかなり能力の問われることではあるが。

 マスコミはこの政治を嫌い、ナベツネ的見解を学があると評する傾向にある。あるいは地元に寄与しない三木流をクリーンなどと称している。選挙時に敢えて自分の選挙区に戻って運動しないことを誉れとしている小泉を議員のカガミとして阿諛追従したりする。自称インテリの評論というのはこの程度のものが多い。

 ミニ角栄的な面を持つ鈴木ムネオが、田中真紀子外相を引きずり降ろした瞬間、もは用済みとばかりに喧嘩両成敗で失脚させられた。この時、「ムネオハウス」などという造語でムネオ批判の先頭に立ったのが日共であった。マスコミ提灯がこれに列なった。つまり、両者とも権力奥の院に上手く使われているということになる。こういう手合いが正義ぶるので警戒せねばならない。

 陳情の受付は政治家の最初の政治能力が問われる仕事であり、要は何を受付け受付けないかが問われている。角栄失脚後の中曽根自民党は、国際金融資本の陳情、独占企業体の陳情を受け付けることが夥しくなった。それを思えば、角栄派は地元の声を受付け陳情調理していたことになる。このことはむしろ真っ当な政治だったのではなかろうか。実際にこれやると毎日大変で、門前市を為した目白邸の家族と秘書の苦労ははかりしれなかった。それでもやり続けたのが角栄で、大衆政治家としての面目躍如といえよう。

 角栄のすごさは、そういう地元政治をやりつつ国内の大局政治もこなし、国際政治でも対等にわたりあったところにある。ニクソンと呼吸を合わせ、毛沢東―周恩来と肝胆相通じさせ、ブレジネフに舌を巻かせた。それをも金権政治の為せる技と云う者が居るなら、れんだいこが百万言費やしても一生通じ合わない手合いである。

 「事の内に屈しなかった角栄は事の外に立つことができた」。まさに百年一人の逸材、否五百年一人の逸材で、角栄こそが織田信長政治と同じ高みにあるといえるように思われる。小泉狂人首相がミニ信長を気取っていたが、これに相槌を打っていた評論家諸氏よ、君らのおべんちゃらオツムの底の何と浅いことか。田原よ、何か弁じて見よ。

 結論。政治の世界では一事万事、角栄的なるものと中曽根的なるものが争闘していると見て良い。現代的には小沢的なるものと小泉的なるものとが争闘していると見て良い。このことを知れば後は、我々はどちらの側で弁舌を為し、活動するのかが問われていることになる。この政治座標軸をもって諸事分析すれば間違うことはなかろう。これを難しく語る者が居たとして、その皮をめくって行けば案外詰まらない見解の者が多い。よって、難しく語る者を好評したり恐れぬが良い。れんだいこはそう割りきっている。

 2010.4.14日 れんだいこ拝

【角栄の陳情者への見送りの実際】
 「1000億円を動かした男 田中角栄全人像」(文芸春秋、2016.8月臨時増刊号)15P
 「熊本県の町会議員は、目白へ陳情に訪れた際の体験を綴った。話が終わり、帰ろうと玄関口に出ると、(角栄がすぐ後に来て旅館の番頭よろしく声をかける。靴を履きかけて尻を向けていた一行は、慌てて向きを変え、再び深々と頭を下げる。まさか玄関口にきて挨拶しているのが角栄とは---。『やっぱ大したもんバイ』。同様のことを郷里から出てきた老婆にやったとき、忙しいのに誰にでもそこまでやる必要があるのか、と聞いた早坂茂三秘書は、角栄に『阿呆っ!』と怒られたという。『あのばあさんは田舎に帰れば、角がオラを玄関まで送って下駄を履かせてくれたと、頼まないのに言って歩くぞ。二十軒も三十軒も。俺の選挙運動になって、金は一銭もかからない。お前、何を怒っているんだ。いいことずくめじゃないか』」。




(私論.私見)