ロッキード事件の見方その3ーれんだいこかく語りきー

 更新日/2018(平成30).5.28日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「ロッキード事件の見方その3ーれんだいこかく語りきー」を記しておく。

 2010.12.05日 れんだいこ拝


【れんだいこの見方】
 ロッキード事件をどう読み取るべきか。「ロッキード事件の見方その1、キッシンジャーかく語りき」、「ロッキード事件の見方その2、太田龍かく語りき」で検証しているが、ここでれんだいこの見立てを確認しておく。

その1  ロッキード事件は、戦後日本政治最大の傑物・田中角栄を葬るために仕組まれた謀略事件であった。
その2  田中角栄が葬むられた遠因は、角栄政治が本質とするハト派政治がネオシオニズムの世界支配構想に抵触し、角栄権力が強まれば強まるほど対日支配政策が弱められることを危惧したからであった。
その3  田中角栄が葬むられた直接の要因は、日中国交回復交渉時の「角栄ー毛沢東秘密会談」にあった。この時、日中両国政府は首脳は、ネオシオニズムの世界支配構想に立ち向かう「国家百年の計」としての「日中同盟構想」に合意した。この情報を把握するや、ネオシオニストは角栄失脚を用意周到に準備し始めた。
その4  田中政権は、オイル・ショックに遭うや、それまでの親イスラエル政策を捨てアラブ寄りへ転換させた。田中政権はその後も資源外交を繰り広げ、エネルギー自給自立化政策に向った。世界を牛耳る米英ユ同盟はこれを認めず、田中政権打倒を指令した。ネオシオニストのマスコミ動員捜査作戦が始動した。
その5  1974.10.9日、月刊「文芸春秋」11月号で、立花隆「田中角栄−その金脈と人脈」、児玉隆也の「寂しき越山会の女王」が掲載された。これが政界追放の狼煙となり、マスコミ全社が囃したてて行くことになった。
その6  同10.22日、田中首相は、東京外国特派員協会の外人記者クラブがお膳立てした記者会見に臨んだところ、「金脈問題」に関する質問攻めの場となり、現役首相に対する査問委員会のような雰囲気を呈した。この外国人記者クラブでの会見が日本のメディア総動員の合図となった。
その7  11.18日、フォード米大統領が来日し、東京.迎賓館で田中.フォード会談が持たれた。これは引退の儀式であり、フォード米大統領帰国後の11.26日、田中首相は辞意表明、12月、内閣総辞職となった。後継総裁選びが難航したが、副総裁・椎名悦三郎の裁定で三木が指名された。ところが、三木は稀代のシオニスタン・エイリアンであった。
その8

 12.9日、三木政権が誕生したが、幹事長・中曽根、政調会長・松野頼三、法務大臣・稲葉修の極悪シオニスタンを要職に据えていた。この体制下でロッキード事件が勃発させられることになる。

その9  1976.2.4日、米国上院外交委員会の多国籍企業小委員会で、チャーチ委員長が冒頭でロッキード社の対外秘密工作を問題にし、日本に於いては児玉ルートで日本の政府高官に工作資金が渡っていることが暴露された。いわゆるチャーチ委員会に於ける「コーチャン証言」、「フィンドレー証言」、「クラッター証言」による爆弾証言が、ロッキード事件の幕開けとなった。米国SEC によるロッキード社の極秘賄賂工作の暴露は、電波に乗せられたちまち全世界に報道された。
その10  翌2.5日、日本の新聞マスコミは各社こぞって一面トップで「ロッキード事件」勃発を載せた。チャーチ委員会は、児玉ルートを通じて21億円が渡ったことを明らかにしていたが、そのうちの16億円が流れた中曽根、松野、ナベツネが絡む軍用機P3C購入問題を切り捨て、5億円が流れたとされるロッキード社のトライスター商戦に限って事件化されていくことになる。この5億円贈収賄は丸紅仲介までは明らかにされたが、その先は不明にも拘らず無理矢理角栄へと結びつけられていくことになった。
その11  翌2.6日、三木首相が、衆議院予算委員会で、「日本の政治の名誉にかけても真相を究明する」、「事件の解明は全ての政治課題に優先する」と決意を述べ、三木首相―稲葉法相―宮沢外相―中曽根幹事長ー松野頼三政調会長ラインが「逆指揮権発動」で後押ししていくことになる。これに野党各党が呼応し、調査特別委設置、調査団派遣で三木政権と呼吸を合わせていく。日米両政府共同による事件徹底究明が進む。
その12  他方、本星の児玉誉士夫は東京女子医大に入院し雲隠れした。児玉に対しては病床尋問による事情聴取で手加減される中、併行して2.16日、衆議院予算委員会で、ロッキード疑獄についての証人尋問が開始された。全日空ルートで、田中角栄の刎頚の友と云われる国際興行社主・小佐野賢治を始め、全日空社長・若狭得治、同副社長・渡辺尚次、大庭、丸紅ルートで、社長・桧山広、松尾・大久保・伊藤、ロッキード社側で鬼俊良日本支社支配人らが国会に証人喚問された。
その13  日本のマスコミの喧騒に連動して検察が呼応し、異例の熱意と決意で「ロッキード事件」の捜査に乗り出していくことになる。最高検検事・伊藤栄樹が音頭取りの要となり采配を振るう。2.18日、最高検、東京高検、東京地検による初の検察首脳会議が開かれ、2.24日、検察庁、警視庁、国税庁の三庁合同捜査体制が発足した。捜査は、丸紅ルート・全日空ルート・児玉ルートの三ルートに分けられて追及されていくことになった。
その14  2.23日、衆議院本会議で、アメリカ政府上院に対して資料提供を求める決議案が採択された。これを受け、三木首相は、「異常な熱意」で「フォード大統領宛三木親書」を送った。親書は、司法の漸次的解明を待たず政治が先駆けて事件解明していく姿勢を示していた。
その15  2.26日、堀田力・法務省検事局参事官・検事が、米国へ派遣された。3.15日、稲葉法相の指揮で、法務事務次官・塩野宣慶、刑事課長・吉田淳一、刑事局付き検事・渡辺尚・氏が米国に派遣された。3.24日、日米政府間に「法執行に関する司法共助協定」が調印された。
その16  「ロッキード事件の一人歩き」に対して、三木首相誕生の生みの親・椎名副総裁は、三木首相を「はしゃぎすぎ」と批判し、「三木下ろし」を画策していくことになった。
その17  4.2日、田中角栄は、田中派7日会の臨時総会で「私の所感」を発表し疑惑を否定した。これに対し、4.5日、中曽根幹事長ー松野頼三政調会長の音頭で、与野党5党幹事長書記長会談が始まり、ロッキード問題に関する特別委員会の設置による厳正究明を申し合わせた。
その18  4.8日、日米で資料取引された。東京地検特捜部資料課長・田山太市郎と米国司法省知能犯課特別検事・ロバート・クラークが、路上で、割符確認のうえで米側資料を遣り取りするというスリラーもどきを演出している。4.10日、SEC(米連邦証券取引委員会)よりの資料が東京地検特捜部に届けられた。4.21日、三木、春日、左側に成田、宮顕、竹入の5党党首会談が開かれた。
その19  これに対し、椎名副総裁が、田中、大平蔵相、福田副総理と会談し、三木退陣を画策していく。マスコミは、こうした椎名の動きを「ロッキード隠し」と疑い、「おかしな『三木退陣要求の動き』」(毎日新聞)、「三木退陣論の虚構」(朝日新聞)、「理解できぬ自民の『三木退陣要求』」(読売新聞)との論調で、椎名工作を批判した。三木首相は、こうしたマスコミ世論の支持を背景に、「ロッキード疑惑の徹底究明を断行する」、「辞任も衆院解散もしない」と述べ、一瀉千里に田中角栄追い込みに狂奔していくこととなった。
その20  5.14日、ロッキード問題調査特別委員会発足。5.15日、超党派議員団(田中伊三次団長)が訪米。この時、奇妙なほどにタイミングよく「日米合同体制」が敷かれている。東京地検は、米国側の要請に基づき、日本の刑訴法では認められていない「反対尋問権なき起訴免責による嘱託尋問」を採用していくことになる。布施検事総長と高瀬東京地検検事正が連名で不起訴宣明した(「第一次宣明」)。
その21  6.2日、 6.2日、「衆議院ロッキード問題に関する調査特別委員会」で証人喚問が始まり、6.24日まで6回、延べ12名の証人を喚問した。
その22  6.19日、検事総長室の定例会議の席上、検事総長・布施健、高橋、東京高検検事長・神谷尚男、東京地検検事正・高瀬礼二による四者会談で、田中逮捕を決定した。国会喚問後の6月末ごろから7月初旬にかけて、偽証容疑の議院証言法違反や外為法違反で関係者が次々と逮捕されていった。
その18  6.24日、三木首相が、プエルトルコで開かれる第二回目の主要先進国首脳会議に出席のため出発。三木首相はこれに出席した後アメリカに向かった。三木首相の主な目的は、「ロッキード事件の追及に関し、アメリカ側からより多くの協力を得る」ことだった。6.25日、ロサンゼルス連邦地裁で、コーチャンらに対する嘱託尋問始まる。
その19  6.30日、三木首相はサンファン・サミットに出席した帰路ワシントンに回り、フォード大統領と首脳会談。日本側から三木首相、宮沢外相、アメリカ側からフォード大統領、キッシンジャー国務長官、レビ司法長官が出席した。この時の会議資料では、ロッキード事件の処理が、経済分野と並ぶ主要議題になっていた。三木首相は、ロッキード事件究明の協力を要請したと伝えられているが、この会談記録は、25年を経た2001年現在今でも非開示であり、国家機密扱いとなっている。公文書保管所のスタッフは今日においても、「その記録は国家安全保障上の理由で公表されない」としている。
その20  7.2日、東京地検が、丸紅前専務・伊藤宏を偽証罪で逮捕。同日、警視庁が、児玉秘書・太刀川恒夫を殖産住宅前会長・東郷民安に対する強要罪容疑で逮捕。7.7日、東京地検が、全日空取締役・経営管理室長・藤原享一を外為法違反で逮捕。7.8日、全日空社長・若狭得治を外為法違反、偽証罪で逮捕。7.9日、全日空副社長・渡辺尚次を偽証罪で逮捕。7.13日、丸紅前会長・檜山広を外為法違反で逮捕。大久保前専務が偽証罪で、沢専務ら全日空関係者3名が外為法違反で起訴された。7.19日、丸紅総務課長・毛利秀和、運転手・松岡克浩を証拠隠滅容疑で逮捕。児玉の友人、水谷文一を処分保留のまま釈放。7.20日、丸紅秘書課長・中井篤也を証拠隠滅容疑で逮捕。7.23日、伊藤前専務を偽証罪で起訴。この間児玉も起訴されたが、病状のためか逮捕は免れている。
その21  7.4日、稲葉法相が、毎日新聞記者とのインタビューで「横綱級は2ヶ月以内に」とロッキード事件での大物逮捕を予告した。田中が逮捕されるのはそれから3週間後になる。7.27日午前6時半頃、稲葉法相が三木首相に電話を入れ、「実は、法務省の安原美穂刑事局長から、田中前首相に対して、外国為替法違反容疑で逮捕したいので許可願いたい旨の電話があり、許可しました」と伝えている。 
その22  7.24日、最高裁判所裁判官会議が開かれ、米国地裁は、検察の「不起訴宣明」だけでは安心ならず、最高裁のそれを取り付けるよう要請し、藤林益三最高裁長官以下15名の最高裁判事全員一致による「不起訴宣明書」を提出している。これで角栄刑事訴追の外堀が埋まった。
その23

 7・27日、田中角栄前首相は外為法違反容疑で逮捕された。この時続いて榎本秘書官も逮捕されている。当夜、料亭「金竜」で、三木派の河本通産大臣、井出官房長官、中曽根派の中曽根幹事長、桜内義雄、稲葉法務大臣などが出席して酒宴を開いた。

その24  検察は、榎本に対し、「『田中5億円受領を認める』と一面トップに書かれたサンケイ新聞を見せ」、自供に追い込んでいる。これを確認するのにサンケイ新聞のみならず大新聞が一様に「田中前総理が5億円授受を認めた」と「実際に」虚報を報道している。しかし、角栄は自供しておらず明らかに虚報であった。これにつき、サンケイ新聞社始めマスコミ各社は今日に至るまで釈明していない。果して、このようなトリックが許されるのだろうか。
その25  7.28日、朝日新聞朝刊には、「汚職の疑惑」との見出しでトップ記事が載せられ、中曽根康弘、二階堂進、佐藤孝行、橋本登美三郎の4名の名前が挙げられていた。しかし、奇妙なことに司直の手は、中曽根康弘だけを外していくことになる。
その26  この間関係者のお抱え運転手の取り調べが為され、運行行動日報・ノート・手帳との照合が為されている。清水運転手(榎本付き)、松岡運転手(丸紅付き)は、帰りたい一心で検事の尋問誘導に「そうです、そうです」と迎合したことを後に明らかにしている。
その27  8.2日、笠原政則運転手(目白邸付き・42歳)が取り調べ直後変死している。この笠原運転手変死もいささかミステリーである。
その28  8.9日、東京地検は東京地裁に対し、榎本を外為法違反で起訴している。これは伊藤調書によって立件された。伊藤調書では、田中の受託収賄罪の核心部分の一つになる榎本と伊藤間の五億円のワイロの受け渡し場面がまことしやかに記述されていた。8.9日、1973.8.10から74.3.1日にかけ計4回、英国大使館(東京都千代田区一番町一番地の)裏側の道路などで、現金の入ったダンボール箱を丸紅の車のトランクから、田中家の車のトランクに移し替え、目白の田中邸に搬入したとされ、生々しいダンボール箱の受け渡しが明るみにされていた。ところが、これを精査していくと不自然な個所が多く、渡した側の伊藤氏の供述も肝心なところが曖昧で、本人自身「細かい日時なども含めて詳細な点を思い出すことができず」という調子の調書でしかない。
その29  8.10日、桧山の供述検事調書が作成されている。桧山調書では、8.23日の目白邸訪問の際、田中に縷縷尽力を要請し(全日空が大型機を輸入するにあたっては、ダグラス社のDC10ではなく、ロッキード社のL1011という機種を選定するように働きかけて欲しい)、見返りとして5億円を贈ることを約束する桧山に対し、田中が「よしゃ、よしゃ」と快諾した旨が記載されていた。この陳述は桧山逮捕後29日のものではあるが、請託と約束があったと明記されており、これが検事側からする唯一の証拠能力を持つ調書となった。

 この檜山調書の真実性を廻って、公判で完全否定側の田中及びその弁護人と検察間で激しく争われることになった。ちなみに、田中自身の受託収賄を裏付けるのは、この部分を記した桧山調書だけが証拠でこれ以外には全くないという奇妙な構図がここにある。一国の元首相犯罪を立件するにしては杜撰さが過ぎようと云うべきである。
その30  8・16日、検察は、田中を外為法違反と受託収賄罪で起訴した。この時点より、田中は、「総理大臣より一転して刑事被告人」の立場に追いやられることになった。「5億円は全日空のトライスター機導入に絡む賄賂である」として受託収賄罪が適用された。 
その31  8.17日、検察によって起訴された翌日の8.18日、田中は保釈されている。逮捕以来21日ぶりの出所であったが、2億円の保釈金を積まされたことになる。保釈金2億円は、贈収賄事件としては史上最高金額であった。
その32  以降、角栄にとって長い苦しみの裁判闘争が始まった。その後も角栄の裏権力は続くが、真綿で次第に首を絞められることになった。角栄は、最後まで5億円授受を否認し続け争ったが、マスコミ及びこれに煽られた世論は裁判所に対し、有罪宣告を煽っていった。
その33

【れんだいこのロッキード事件論】
 わゆるロッキード事件とは、事件当時に現職総理であった田中角栄が、米国ロッキード社の代理店であった丸紅の請託を受けて、全日空に新型旅客機としてロッキード社製のトライスターの選定を承諾させ、その謝礼として5億円を受け取ったと「される」受託収賄罪事件である。この「ロッキード事件」を再検証することが今ほど望まれていることはない。特に、日共系のカクエイ批判の度が過ぎており、この観点と対決せずんば有益な運動を何一つ組織し得ないであろう。れんだいこは、先にれんだいこ党を旗揚げしている。参じて来る者は未だ少ないが、「田中角栄氏の歴史的再評価復権」を掲げている。れんだいこの卓見が評される時がいつかくるだろう。

 
思えば、「ロッキード事件ないし角栄考」は、現代左派のリトマス試験紙になり得る。角栄を高く評価できない者は汝が左派でないことを知れ。角栄を悪し様に云う者は、云えば云うほど汝がエセ左翼つまりサヨであることを知り恥よ。それほど観点が歪んでいるという訳だ。とまぁ述べたが、分からない者には分からないのだろう。そして死ぬまで正義ぶりつつ何ほどのことも為しえなかったのに自尊しつつ去っていくのだろう。れんだいことは永遠に会話が通じない手合いである。これも人の世の倣いだろう。

 
なぜ、角栄が「悪のシンボル」としてあれほど糾弾され、汚名を残したまま去らねばならなかったのか。私も又、
「ロッキード疑獄事件は、日本の近代政治史上最大の汚点=魔女狩りであった。ロッキード裁判は何から何まで滅茶苦茶であった」と考える。この魔女狩りの恐ろしきところは、法の番人をはじめとする当代の一流とされるインテリ層によって為されたそれであったことである。我が国のインテリを自称する者たちのこの悪行は、彼等のインテリの質を示すものとしてしっかりと踏まえておかねばならない。

 なお、この余韻は今も続いている。しかし、その杜撰さは、「角栄問題」より余程腐敗したその後の事象に対してはおざなりを決め込み、ダンマリあるいはフリーパスさせているという変態性の中で、ご丁寧にも今も「ロッキードを風化させるな」と云われ続けていることにある。

 私は、こうした似非インテリ層のボンクラ性と怯惰な精神に吐き気を覚えている。今日まで論調の変化を期待してきたがその兆しはない。もはやれんだいこの出番とせざるを得ない。遅きに失するが、今からでもその解明をやらぬよりはやった方がよいから。

 その観点はこうである。
結果的に、ロッキード事件は、田中角栄という稀有な有能政治家を失わせることになった。これにより法体系の背骨が狂わされてしまった。どちらに於いても日本にとってかけがえのない損失であった。そのことがはっきりする今日に至っており、今後ますます痛恨を噛み締めることになるであろう。

 以下見ていくことになるが、
角栄追討派が、「初めに判決ありき」に従い、如何に理不尽なまでに「戦後民主主義」の諸ルールを踏みにじっていったかを明らかにしたい。仮に千歩譲って、角栄を金権の元締めとして葬らねばならない意図があったとしても、「やって良いことと悪いことがある」、というのが私の考えである。時の勢力は、この理不尽を「さも、らしく」粉飾しながら貫徹させた。為に、「さも、らしく」後遺症があらゆる分野に今も攪拌している、と私は見なしている。言い方を替えれば、真偽不明の汚濁混沌現象が全域に転移してしまったということだ。このマインドコントロールを解く力が私の筆のうちにありや否や!

 「やって良いことと悪いことがある」について若干補足したい。「やって悪いことを行うのがなぜ悪いのか」、それは脳内の思考秩序を混乱させるからである。脳内の混乱は世事雑般に対しての処世を混乱させる。この混乱は社会をアノミーにさせる。こうなると最終的に出てくるのが強権力であり、この強権力が良き指導性を発揮すればまだしもそういうことは稀である。我々を家畜にして恥じない視野狭窄権力者を生むのが常である。元に戻ってそういう意味で、「やって悪いことを行うのは悪い。結果、高くつく」ことになる。「角栄その後」はその例証であろう。

 2003.9.16日、2006.1.7日再編集 れんだいこ拝

(私論.私見) 法廷闘争の格好教材としてのロッキード公判と宮顕リンチ事件公判について
 れんだいこは、法廷闘争の格好教材として、日本関連で戦前の「宮顕リンチ事件」と戦後の「ロッキード事件」とを双璧として挙げたい。海外では「ホローコースト事件」、「ニュルンベルク裁判」が該当するのだろうか。れんだいこは、これらの事件を精査することで、推理力、論証力、弁論力が試されると思っている。実際にはそれら全てに於いて十分になされているとは云えないので、いつでも新たに取り組む必要がある課題として突きつけられている。

 れんだいこは子供の頃弁護士に憧れた。その道を択ばず今日まで経緯しているが、「宮顕リンチ事件」と「ロッキード事件」及び公判を思う時、弁護士になっていたらそれらしい働きをする事ができたのにと悔やむことがある。念の為付言しておくが、ロッキード事件の場合には如何なる国策捜査が演ぜられたかを主点として、角栄を弁護したい。宮顕事件の場合には宮顕が如何なる詭弁を弄しているかを主点として、査問致死させられた小畑のスパイ容疑の冤罪を晴らしたい。そういう意味に於いての弁護である。この観点からの弁護が為されていないことを残念に思っている。

 ところで、ロッキード事件と宮顕リンチ事件は発生事実を隔てているとはいえ、妙な繋がりがある。これが歴史の不可思議なところと云える。何のことか分からない向きもあろうから、れんだいこが説明しておく。両事件は国会質疑を通して繋がっているのであるが、これを回顧してみる。

 1974(昭和49).6.26日、7月の参院選を前にして、民社党の春日委員長が突如、宮顕の戦前のリンチ事件を取り上げ、「極悪非道ですよ、共産党は反対者を殺すのだから。昭和8年、宮本顕治や袴田里見が何をやったか、予審調書を見れば分かる。連合赤軍の集団リンチ殺人事件とどこが違うか。口ではない。彼等が何をやったかだ。それをもとに判断するしかないじゃありませんか」と述べ、、宮顕リンチ事件を蒸し返した。共産党は直ちに反撃したが、これが鎮火せずむしろ燻(くすぶ)り続けていくことになる。

 立花隆は、ロッキード事件追求の旗頭として一躍注目を浴びたが、引き続き「日本共産党の研究」に着手し、1976年の「文芸春秋新年特別号」で「宮顕リンチ事件」を採りあげていく。次のように述べていた。「今のように、過敏症的にそれにふれまいとする態度で行く限り、いつまでたっても、この問題は宮本路線のアキレス腱となりつづけるだろう。この問題を歴史的文脈の中で自己切開しない限り、この事件は歴史的事件として終わらず、現在的事件であり続けるだろう、と思うからである」。

 これに勢いを得たか、1976.1.27日、民社党の春日委員長が、衆院本会議で「宮顕リンチ事件」を質問し、事件の究明と宮顕の戦後の公民権回復に関しても疑義を表明した。1.30日、民社党の塚本書記長が「宮顕リンチ事件」についての詳細な質疑を行った。共産党の不破書記局長が、衆院予算委員会での春日質問を非難し、「国会を反共の党利党略に利用するもの。宮本委員長の復権は法的に決着済み。暗黒政治の正当化だ」と反論したが、1月末、自民党が「共産党リンチ事件調査特別委員会」設置した。

 さて、問題はこれからである。
まさに「宮顕リンチ事件」にメスが入ろうとしたその瞬間とも云える2.4日、アメリカ上院外交委員会多国籍企業小委員会の公聴会で、ロッキード社の贈収賄工作が証言された。ロッキード社の不法献金証拠資料が公表され、日本の場合、小玉、丸紅、全日空、小佐野賢治らを通じて約36億円の工作資金が流れたと証言された。こうして「ロッキード事件」が勃発した。マスコミ全社がこれに飛びつき報道合戦を繰り広げていくことになる。

 2.7日、衆院予算委員会で、日共の正森成二議員の質問中、浜田幸一委員長が割って入り、共産党議長宮顕を殺人者呼ばわりし、委員会は騒然となった。発端は、正森議員が、代々の自民党が過激派の泳がせ政策を取っていると指摘し、その論証の一つとして概要「1984.9.19日の中核派による自民党襲撃事件の際に浜田議員が、『この責任は誰にあるかというと、泳がしていた我々にもある』との発言をしている。この点では意見が一致します」と例示したことにあった。

 これに対し、浜田委員長が、概要「殺人者である宮本顕治氏をトップに戴く共産党との意見の一致を言われることは心外」として抗弁し、勢いあまって、戦前の宮顕らによる小畑氏リンチ事件を持ち出し、「これを隠蔽している共産党の体質とは政治信条から相容れるものがない」ことを論述した。場内ヤジが飛び交い、議場は大混乱となった。この時の発言によって、2.12日、浜田氏は委員長を辞任させられた。

 2.24日、日共の全国活動者会議が開かれ、委員長・宮顕以下全党幹部、党機関幹部が参加し、異例の秘密会議を開いている。この時、何が話し合われたのか公表されていないが、異例の並々ならぬ意思統一をした形跡がある。何を意思統一したのかの詳細は分からないが、「宮顕リンチ事件」に対する防戦、「ロッキード事件」に対する攻撃がテーマにされたであろう事が推測される。

 「ロッキード事件」が次第に的が絞られ、児玉ー中曽根ラインの訴追が外され、小佐野ー角栄ラインに焦点が合わされていった。被疑者が次々逮捕され始め遂に、7.27日、田中角栄元首相及び秘書榎本が逮捕された。

 その翌日の7.28日、日共の第13回臨時党大会が開催された。本来この年の秋に開催が予定されていたのを翌年に延期し、角栄逮捕直後に臨時党大会を開くという異例措置であった。開催日が角栄逮捕の翌日になった経緯については偶然かもしれないが、れんだいこには知る術も無いが、何らかの情報を得ていたとしたらややこしいことになろう。

 この時、委員長・宮顕は異例なまでに終始大会を指導し、大会の冒頭で、前日の田中前首相の逮捕を誇らしげに伝え、事件の徹底的究明を力説している。他にも、「自由と民主主義の宣言」、規約改正、表記替え決議も為されたが、。本来この年の秋に開催が予定されていたのを翌年に延期し、角栄逮捕直後に臨時党大会を開いたタイミングからしてロッキード事件徹底追求の為の緊急指令こそ大会の主眼であったことが明らかである。


 10.5日、自民党の「共産党リンチ事件調査特別委員会」が、1・事件は捜査当局によるデッチアあげでなく、緻密に計画された犯行である。2・小畑達夫の死因は外傷性ショック死である、との報告を発表したが、既に世論はロッキード一色となっていた。この経緯に対して、鈴木卓郎の「共産党取材30年」は次のように記している。
 「助かったのは『スパイ査問事件』を追及されていた共産党である。『査問事件』のナゾは解かれたわけではないが、要するに話題はロッキード献金の方へ移ってしまい、話題としては急速にしぼんだ。宮本を獄中から釈放したのはマッカーサーであった。今度はロッキードが宮本を世論の総攻撃から救った。これで宮本は二度『アメノか帝国主義』に助けられたことになる。なんとも運の強い皮肉な共産党委員長といわざるを得ない」。

 以上から、「宮顕リンチ事件」と戦後の「ロッキード事件」の妙な繋がりを確認しえたであろうか。れんだいこは、宮顕リンチ事件騒動を鎮静化させる為にロッキード事件が引き起こされたとまでは考えないが、日共から見て、絶体絶命の危機がロッキード事件勃発によって救われたことは確かであろう。日共はその後、宮顕リンチ事件の当の被疑者宮顕の大督励によりロッキード事件徹底究明運動に乗り出していくことになった。角栄逮捕直後の臨時党大会開催ともあいまってまさに異例の取り組みをしたことになる。

 れんだいこは今、日共の当時の異例な対ロッキード取り組みの裏に、宮顕リンチ事件隠しの意図があったことに気づかされている。そう理解しないと、日共の当時の異例な対ロッキード取り組みが解せないからである。しかし、宮顕ー不破系党中央の日共はそうすることにより、宮顕リンチ事件徹底解明先送りと共に新たに田中角栄政界追放のやり過ぎというもう一つの犯罪に手を染めることになった。いわゆる悪事の連鎖である。

 あの頃は、日共の議会闘争が一定程度成果を見せていたこともあり、この異常ぶりが問題にされなかった。しかし、大衆闘争から召還してまでの議会闘争がぬかるみの後退を示している現在に於いては、宮顕ー不破路線の最終的破綻と相まってその指導の変調ぶりをも見つめ直されようとしている。今や、この党はそれを自己切開できぬゆえに党存立の根拠まで奪われようとしている。
 しかしそうなるとまさに、「自民党をぶっ潰す」と宣言して登場し、その通りにした小ねずみ首相に似て、宮顕ー不破系党中央も又「日共をぶっ潰す」を使命に掲げて登場し、その通りにしたことになるのではあるまいか。小ねずみ同様の胡散臭さを嗅ぐべきではなかろうか。

 それはそうと、「宮顕リンチ事件」、「ロッキード事件」に於ける不破の致命的なウソ弁論を確認しておく。不破は、「宮顕リンチ事件」に関連して、2000.7.20日、日共創立78周年記念講話「日本共産党の歴史と綱領を語る 戦後の党の歴史から―1950年代のソ連・中国の干渉と『軍事方針』」で次のように述べている。
 「こういう法廷闘争の結果、戦時中のあの無法な法廷でも、『不法監禁致死』などいくつもの罪名をなすりつけはしたが、肝心の『殺人』という罪をなすりつけることはできなかったのであります。治安維持法違反が主で、無期懲役の判決が一九四四年十二月五日に下されました」。

 しかし、実際は、宮顕は、「治安維持法違反、殺人、同未遂、死体遺棄、不法監禁、銃砲火薬類取締施行規則違反」の罪名で起訴されている。つまり、不破は日共創立78周年記念講話という公的な場で明らかにウソをついている。このような知らぬ者を誑かす弁論が許されるものだろうか。

 次に、「ロッキード事件」で最近になって次のように述べている。これまで「金権諸悪の元凶」非難をしてきた不破は現在、角栄死してなお鞭打ち「金に困ってたかが5億円贈収賄に手をつけた貧乏な角栄」などと批判のスタンスを代えている。実際には、1999.7.25日付け赤旗の「日本共産党創立77周年記念講演会 現代史のなかで日本共産党を考える」で次のように述べている。

 「私は、いまでも思うのですが、金権政治の元祖といわれた田中角栄氏は、国内で五億円の金を調達できないで、危険だとわかっていながらロッキードの献金に手をだして領収書を書いた。それがあの大事件になったわけでしょう。いま、五億円――物価が上がっているから、いまなら十億円、二十億円というお金に当たるのでしょうが、その程度の金は、自民党のどの派閥でも、どこからでも平気で生みだしてきます」。


 これが、公党の最高指導者の言辞である。このような物言いが許されるだろうか。

 れんだいこがなぜこういうことを指摘するのか。それは、ソフトスマイルの裏に隠れた隠微なものを感じるからである。学生運動時のスパイ容疑査問事件、「戦後革命論争史」の」編纂手柄横取り功名、宮顕との超親密さ、その指導の悉くに胡散臭さを感じるからである。


 2006.5.27日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評864 れんだいこ 2010/12/05
 【郵便不正事件不当捜査を語る者がロッキード事件不当捜査へ思い至らない不思議考】

 2010年現在の政治観の一つとして未だにロッキード事件を廻る「角栄5億円授受」が定説化されている。最近でも、「田中角栄の場合露見して捕まるまでの確かにやり方はおかしい。でも収賄で5億円を受け取ったのは本当なのでどうにも弁護や共感はできない」と述べている者が居る。他にも、角栄政治を擁護する者にしてなおかつこの定説を受け入れている者が居る。れんだいこは、サイト「ロッキード事件」で、定説の誤りを指摘している。角栄政治が次第に見直されつつある今もう一度繰り返して、議論を呼びたいと思う。

 結論から云うと、角栄は5億円授受していない可能性の方が強い。その論拠は、当の角栄本人が強く主張し、死ぬまで公判闘争を続け、身の潔白を訴えていたからであると云えば笑われるだろうか。しかし、れんだいこは、マジで角栄の訴えこそに耳を傾けたいと思っている。

 その補強として次のような事由がある。その一つが次のようなことである。角栄の公判闘争弁護団は、弁護方針を廻って、角栄に対し、いっそのこと5億円授受を認め、且つ様々な理由を付して刑の軽減を求める方向を模索するよう意見している。しかし、角栄自身が頑として身の潔白を訴え、百年戦争を鼓舞した。「角栄5億円授受説肯定派」からすれば、何と傲慢不遜な態度と映るであろう。しかし、「角栄5億円授受説否定派」から見ると、当の本人がさほどに否定している以上、貰っていない可能性を信じるべきではないかと云うことになる。しかし、これは物別れになるだろう。

 もう一つの事由がある。角栄の政治履歴を確認すると、角栄は政治家活動の割合当初よりGHQに睨まれており、そういう緊張感の下で政治を司祭していることが分かる。つまり、外国のカネを貰うことにより弱みを握られることを警戒している節が認められる。これは秘書団にも徹底指示しており、いかがわしいカネの授受が入り込む余地がない。同様に、財界からの政治献金によるヒモ付き政治を嫌い、自己調達型にしている。これにより信念に基づく思い切った政治活動ができた。自己調達型の政治資金の調達内実も案外とキレイであり、自由自主自律的な政治献金を貰っており、口を利いたのだから幾ら出せと云う横柄なものではなかった。これらは、角栄の生きざま、政治哲学の倫理に基づいていたと考えられる。世に金権政治の代名詞のように云われる角栄であるが、角栄を調べれば調べるほど正々堂々とした金銭授受、その使い道も同様を特質としている。イカガワシイものには手を出さない作風が認められる点で、むしろ潔癖とさえ云える。

 こういう風に考えると、「前首相田中角栄の5億円授受説肯定派」が従うところの東京地検特捜部の立件事由がどのようなものだったのか知る必要があろう。失礼なことに、前首相たるものを、それまで発動されたことのない死文法であった外為法違反と云う別件捜査から始まっている。これだけでもヒドイ捜査だったと云うことになる。当然ながら角栄は認めない。

 そこで編み出されたのが、同時に逮捕された榎本秘書の自供であった。その自供も、容疑を否認する榎本秘書に対し、産経新聞の一面トップにデカデカと報ぜられた「角栄認める」を見せ、オヤジが認めているのだからお前も認めろ式に誘導されたものであった。榎本秘書は、金銭授受を認める供述調書にサインした理由について、「取調検事のトリックに引っかかったためだ」と次のように語っている。「逮捕されてまもなく、検事から『田中5億円受領を認める』という産経新聞の記事を見せられたので、おやじさんは何らかの意図があって認めたのだろう。秘書としてそれに合わせなくてはいけないのかなと思った」。

 ところで、その産経新聞の一面トップ記事は、産経新聞が検察に協力して刷ったニセモノであった。角栄は頑強に否定し続けていたので「角栄認める」なる記事は有り得てならない。してみれば、検察も産経もそこまでやるのかと云う思いが禁じられないが実際に起こった話である。司法が正常であれば本来なら、この時点で、こういう捜査をした者こそ、協力した産経新聞の責任者こそ即逮捕されてしまうべきであろう。それがお咎めなしに今日までやり過ごしていると云う不正がある。ちなみに、当時の産経新聞の最高責任者であった鹿内父子はその後不審死している。口封じの感がある。よって、ニセ新聞印刷経緯が分からないままになっている。

 そうやって、榎本秘書の自供調書が取られた。そうすると今度は、5億円授受の様子を陳述せねばならないことになる。それがどのようなものであったのか。余りにも不自然なことに、成功報酬の前払金もなく、後払いもないまま経緯し、やおら確か1年半後に分割で支払われたと云う。これを詳細に綴ったのが丸紅の伊藤専務の調書であった。渡した相手が榎本秘書にされたので、二人がどういう風に授受したのか口裏合わせせねばならないことになった。その経緯は略すが、噴飯としか云いようのない劇画調に仕立て上げられている。何故に5度の分割払いになったのかも不自然であるが、4度の授受の現場もその都度変えられており、1回目は英国大使館裏の路上、2回目は公衆電話ボックスの近く、3回目はホテルオークラの駐車場のホテルサイド玄関先、4回目は伊藤の自宅でと云う風にスリラー小説じみている。

 事件の核心はこの部分である。果たして、伊藤調書―榎本調書は真実を弁明したものなのだろうか。榎本調書では、受け渡された段ボール入りの現金をその足で目白の角栄邸宅に届けたと記されている。多くの者は、金権代名詞の角栄の邸宅内ではこの種の現金が次から次へと運びこまれていたとして首肯するのであろうが、わざわざスリラー小説仕立ての怪しいカネである。角栄邸宅の誰に届け、どう云う風に保管されたのかぐらいまでは裏を採るべきであろうが、単に「角栄邸に運ばれた」で終わっている。当時、越山会の金庫番は佐藤昭であり金銭的管理を一括していたのに、何の連絡も打ち合わせもされていない。

 伊藤調書を採ったのは松尾邦弘検事である。松尾検事はその後大出世を遂げ、検事総長になっているのは衆知の通りである。榎本調書は村田恒検事のようである。この御仁も順調に出世階段を上っている。ロッキード事件で立件に手を染めた者はみんな出世の栄誉にあずかっている。それが、その後の検察腐敗の培養土となったと思われるがいかがだろうか。

 さて、この時の捜査に違法性はなかったのだろうか、と今日的に考える必要があるのではなかろうか。これを詳細に記すのは紙数を増すばかりとなるので控えるが、れんだいこなりに云えば全てがデタラメである。厚労省・村木厚子元局長逮捕事件で知られる郵便不正事件捜査で、大阪地検特捜部の主任検事・前田恒彦検事が証拠隠滅の疑いで逮捕されたが、この種のデタラメ捜査手法はロッキード事件捜査の際に満展開されたものであり、逮捕された前田他の3検事は何をいまさらの思いで臍を咬んでいると見るべきだろう。その後全く報道されていないが、ここに闇がある。

 検察捜査のトンデモ性が大衆的に暴露された今、その元一日となったロッキード事件を訪ね、角栄冤罪説に光を当てることも必要なのではなかろうか。これが論の自然な展開である。ここに至らず、郵便不正事件捜査で検事の不当捜査をなじるも、今なお角栄有罪説を唱えるのは不自然なのではなかろうか。れんだいこには、そういう思考止めが我慢できない。ここを正確に踏まえれば、ムネオ事件も小沢どん事件も、その不正を理解するのは難しくない。そういう意味もあり敢えて一石を投じておきたい。

 2010.12.5日 れんだいこ拝

【「永田町異聞」氏の中曽根疑惑論】
 「永田町異聞」の2010.2.14日付けブログ「ロッキード事件揉み消しを米政府に依頼した中曽根氏」を転載しておく。
 ロッキード事件発覚当時、自民党幹事長だった中曽根康弘氏がジェームズ・ホジソン駐日米大使に「この問題をもみ消してほしい」と依頼していたことが、12日の朝日新聞の報道でわかった。その旨を記したホジソン大使の国務省あて公電の写しが米国立公文書館のフォード大統領図書館に保管されていた。2008年8月、秘密指定が解除されたのにともなって発掘された資料のようだ。この報道が注目されるのは、ロッキード事件の真の主役は田中角栄ではなく、中曽根康弘ではないかという説が、いまだにくすぶっているからだ。

 ロッキード事件が発覚したのは1976年2月4日。米・上院の「チャーチ委員会」公聴会で、ロッキード社のコーチャン副社長らの証言により、自社の旅客機や軍事用航空機の売り込み工作が明るみに出た。全日空にL-1011トライスターを、防衛庁に次期対潜哨戒機候補P-3Cオライオンを導入してもらうため、ロッキード社の秘密代理人、児玉誉士夫や国際興業社主、小佐野賢治らを通じて複数の日本政府高官に裏金を渡したという内容だった。CIAのエージェントとして戦後日本政界で暗躍した児玉は工作資金として21億円をロッキード社から受け取っていた。小佐野に渡った資金を含めるとロッキード社が日本への売り込み工作として支出したのは30億円といわれる。

 真っ先に疑われた政治家は中曽根幹事長だった。佐藤内閣で運輸大臣や防衛庁長官を歴任していたこと。児玉との関係が取りざたされていたことなどが背景にあった。盟友の渡邊恒雄は児玉と親しかったことが知られている。また児玉の秘書、太刀川恒夫はかつて中曽根の書生であった。中曽根幹事長は、ロッキード事件発覚当日の76年2月5日(日本時間)午後、「今の段階ではノーコメント」と語っている。

 この事件に対し三木武夫首相は積極的な解明方針を示し、2月18日、米政府に高官名を含む資料提供を要請することを決めた。ところが、朝日の記事によると、中曽根氏はその夜、米大使館関係者と接触し「もし高官名リストが公表されると日本の政治は大混乱になる」と語ったという。ホジソン大使の公電には「MOMIKESU」と、中曽根氏の使った言葉がそのまま記されていた。「もみ消す」などという露骨な日本語を使っているところをみると、その米大使館関係者はよほど信頼できる相手だったのだろう。その後、中曽根にとって旧知の仲のキッシンジャー国務長官がレビ司法長官に高官名の公表をしないように要請していることも、三木首相の意向とは別の次元で物事が進んでいたことをうかがわせる。そして、米側が日本の検察に提供したのは、田中角栄、橋本登美三郎、佐藤孝行ら三人の政治家逮捕につながる資料だけだった。

 これをめぐり、日本のジャーナリズムでは、アメリカの謀略説が飛び交った。70年代の米外交をリードしたキッシンジャー氏や、ロックフェラーなど米財界中枢が、日中国交正常化や日本独自の石油ルート開拓を進めた田中角栄に反感を抱いていたことがその根拠とされる。田中角栄は丸紅ルートで5億円をロッキード社からもらい、全日空にトライスター機を導入するよう働きかけたという検察のストーリーで逮捕、起訴されたが、裁判の過程で疑問点が次々と浮上し、ほんとうに5億円の授受があったのかどうか深い霧に包まれたまま亡くなった。一方、中曽根は、児玉との関わりが噂されたものの、検察から捜査の手が彼に伸びることはなかった。その結果、3500億円もの国民の税金が投入された45機のP-3Cオライオン購入をめぐる児玉ルート防衛疑惑は解明されないまま、現在に至っている。

 今回の「もみ消し」文書に関する朝日新聞の取材に対し、中曽根事務所は「ノーコメント」と回答しているという。東京地検特捜部はロッキード事件で勇名をはせたが、本筋の児玉・中曽根を追わず、前総理の断罪で幕を引いたとする批判もある。また、田中角栄逮捕という栄光が、東京地検特捜部の今の凋落の元凶だと唱える識者もいる。大物政治家をお縄にかけることで世間の喝采を浴び、正義を貫き国を守るのは自分たちしかいないという思い上がりが高じていったと言えるかもしれない。検察がストーリーを組み立て、それに沿って、保釈をほのめかしながら供述を強要してゆくやりかたは、ロッキード事件、リクルート事件、東京佐川急便事件、鈴木宗男・佐藤優事件、佐藤栄佐久事件などにも共通している。

 
米国に好かれた中曽根は疑惑をくぐり抜け、5年間にわたる長期政権を維持し、大勲位の栄誉を与えられた。一方、米国に嫌われた田中角栄は、まれに見る政治的実行力で首相の座にのぼりつめ、今太閤ともてはやされたにもかかわらず、メディアの金脈追及でわずか二年間の短期政権に終わり、さらにロッキード事件によって、その名は「巨悪」の象徴となった。

 米国に対する中曽根の「もみ消し」要請が何を意図したものか、その真相は本人に聞くしか知りようがないが、朝日の記事にそのヒントを見つけた。記事によれば、中曽根は「高官名が公表されると三木内閣の崩壊、選挙での自民党の完全な敗北、場合によっては日米安保の枠組みの破壊につながる恐れがある」と米側に指摘したという。しかし現実に田中角栄、橋本登美三郎、佐藤孝行の名がのちに明らかになったものの、中曽根が指摘したような事態にはなっていない。それどころか、三木首相は世論の支持を取りつけるため、政敵の田中角栄をスケープゴートにし、検察の捜査を積極的に後押ししたのである。大勲位の晩節を汚すことになっては申し訳ないので、できる限り憶測は控えたいが、中曽根の「もみ消し」工作には自身の名前を出さないようにという意味が隠されていたのではないか、という疑念をどうしても拭い去ることはできない。

 ロッキード事件の本質とは何だったのか。30億円はどこに流れたのか。いまだに解けない疑問に答えうる数少ない生存者の一人が、中曽根康弘、その人ではないだろうか。







(私論.私見)