452312 ロッキード事件の見方その1ーキッシンジャーかく語りきー

 (最新見直し2007.2.3日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ロッキード事件の捜査は初めからある意図を持った「国策」に添って遂行された。「国策」を指揮発動させたのは米国務長官キッシンジャー頭目とするネオ・シオニストである。ロッキード事件の解明にはこの視点を持つことが肝要である。思えば、ロッキード事件騒動を通じて、戦後日本の支配上層部の人材が転換した。それは、悪貨が良貨を駆逐する愚の時代を切り開いた。2006年初頭現在未だこの流れにある。この視点を持つことが肝要である。

 ロッキード社からの金の流れには「児玉ルート」、「丸紅ルート」、「全日空ルート」の三つがあったが、事件の中心人物である児玉誉士夫の「児玉ルート」の捜査は手加減された。ロッキード社との交渉の通訳を務めた福田太郎も6月に肝硬変悪化理由で急死したことにより迷宮入りした。トライスターの売り込み工作資金が30億円、防衛庁が購入する対潜哨戒機P3Cオライオンに関わる売り込み工作資金が25億円、合わせて55億円の賄賂が我が国の政界に流れ込んだとされる主たる方面の疑惑は追求されず、「丸紅ルート」の6億円の行方に絞られていった。


 このような特殊な意図によって作り出された「ロッキード事件」は、れんだいこには見えるものが有るが、見えない者にとっては今に至るも五里霧中の中にある。「2チャンネルのニュース議」での角栄スレッドに於ける議論などを見ると、未だに「角栄有罪説」に凝り固まっている連中が居ることに驚かされる。というか、何らかの政治的意図をもって反角栄プロパガンダを仕掛けているとしか思えない論調で、「そう信じたいが故にそう信ずる」弁論を披瀝し続けている。

 世の中には白黒つけられないもの、つけてはならないものもあるが、逆に白黒つけねばならないものもある。「ロッキード事件」はいつまでも「闇」にしてはいけないと考える。蛇足すれば、変なことだが、白黒つけられないもの、つけてはならないものにイキがり、つけねばならないものを曖昧にする風潮が有る。さしづめ小泉首相の「人生いろいろ論法」はその典型だろう。

 ロッキード事件の解明は、これを世界史的に見れば、日本人民の能力が問われている。「ロッキードの罠」を見抜く力、国際金融資本ネオ・シオ二ズムの軍門に下るのか跳ね除けるのか、戦後日本の主権を保持し得るのか等々が問われている。問題をこのように認識し、立ち向かう以外には解けない。

 佐藤昭子の「私の田中角栄日記」は、角栄のロッキード事件観を次のように記している。
 「この裁判には日本国総理大臣の尊厳がかかっている。冤罪を晴らせなかったら、俺は死んでも死にきれない。誰が何と云ってもいい。百年戦争になっても俺は闘う」。

 佐藤昭子の「田中角栄ー私が最後に伝えないこと」は、角栄のロッキード裁判観を次のように記している。
 「田中は終生疑惑を否定した。『一銭も貰っていない』と。長期裁判も覚悟の上、元総理の名誉に於いて『5億円授受否認』を争ったのである。田中は誇りの高い党人政治家であり、外国のエージェントからカネを貰うことなど絶対に有り得なく、田中の言葉にこそ真実がある、と私は考えている」。

 これらによると、角栄は、ロッキード事件に於ける5億円収賄は冤罪であると明瞭に語り、故に徹底的に闘うとしていたことになる。今日に於いても諸説あるところであるが、れんだいこは、本人のこの観点に立って解析することが真相に迫る道筋であると思っている。冤罪的刑事事件の場合にその全てを被疑者の側から見ることが正しいという保証はないが、ロッキード事件の場合には被疑者角栄の側から見るほうが正しく見えると思っている。

 以下、この観点から解析して見ることにする。

 2005.1.28日、2006.2.24日再編集 れんだいこ拝


【「ロッキード事件」の背景諸説、角栄の罪状諸説考】
 ロッキード事件に於ける角栄の罪状についても見方が分かれており、次のような諸説がある。まず、1・有罪説、2・無罪説、3・冤罪説の3説に分かれている。「1・有罪説」は、れんだいこには理解不能であるが、「司法(検察、裁判所)は正義の味方であるとしてか、取り締まり歓迎説とでも云うべきか、角栄の5億円収賄徹底弾劾、諸悪の元凶懲罰による見せしめ効果説」に依拠しているように見える。派生的に金権政治批判イデオロギーが絡み、この観点を擁護している。

 ちなみに、当時のマスコミはこぞって日頃の「不偏不党」をかなぐり捨て、露骨に「1・有罪説」を説いて廻った。しかしながら、かって首相職に在った重みのある当人が頑として否定しているという複雑な容疑段階にも拘らず司法判断前の「1・有罪説」論評は何を根拠にしていたのだろう。

 ロッキード事件の背景事情をA・国際的要因とB・国内的要因に分類すれば、次のような事由が挙げられている。国際的要因として1・ニクソン裏金説、2・国際金融資本による謀略的粛清説。国内的要因として、3・角栄の金権体質複合型政治献金説、4・昭和天皇忌避説、5・官尊民卑犠牲説、6・ハト派対タカ派(田中・大平派対タカ派系福田・中曽根派)の政争収監説等々。

 「1・有罪説」は、上記の事由の任意なものを結びつけて角栄の犯罪を問おうとしている。本サイト全体で論証しているのでここでは考察を割愛する。以下、「2・無罪説」、「3・冤罪説」の諸説を検討する。


 「2・無罪説」は、「1・有罪説」理論をナンセンスとして退け、別の事由を挙げて角栄救済論を打ち出しており、それも「単なる政治献金説」、「角栄評価説」(有能故にこれしきのことで罪を被せられてはならない説)、「公訴手続きが違法故に無効説」、「証拠不十分説」に分かれる。 

 「3・冤罪説」は、「2・無罪説」で足りず更なる角栄救済論を打ち出しており、それも「角栄不関与説」と「完全デッチアゲ説」に分かれる。れんだいこは、後者見解に立っており、「ネオ・シオニスト奥の院指令による完全デッチアゲ冤罪説」を採っている。

【1・国際的要因説その1、「ニクソン裏金作り説」
 「ニクソン裏金作り説」とは、「ロッキード事件とはロッキード社がニクソン再選の為の献金や裏金作りのため、世界中にカネをばらまいたようにみせかけ、これを裏で回収したウォーターゲート事件の一環であったのであり、コーチャンの大芝居に日本中が乗せられてしまった事件だった」、という説。
(私論.私見) 「ニクソン裏金作り説」について

 この説が本当なら立証されるべしであろう。現在では憶測の域を出ない。れんだいこ史観的には有り得ない。ニクソンはウォーター事件で失脚せしめられたことでも判明するように、ネオ・シオニストからすれば反目の政治的地位にある。ネオ・シオニストが、ニクソン−角栄を悪玉視させる為の虚説であることが容易に透けて見える話である。

 2007.2.3日再編集 れんだいこ拝

【1・国際的要因説その2、「国際金融資本による謀略的粛清説」】
 「現代世界を牛耳る国際金融資本勢力により、その「虎の尾」を踏んだ角栄が、国際的謀略により粛清された」、という説で「政治的スケープゴート(身代わり、生贄)」説と通底する。「米国から見て田中さんが簡単にはコントロールできない強力な政治家であったことは否定できない」(中山)という見方で補強されている。

 とかく胡散臭い松野頼三が、微妙な言い回しで次のように述べている。(かく述べる松野頼三の胡散臭さに就いては別途論考することにする)
 「人の出来ないことをするというのは、無理をするということなんだ。彼は緻密で用意周到だけれど、無理をする。その無理がたたって事件に絡んだ。私腹を肥やそうと思ったわけじゃない。自分の正義を維持しようと思って無理をしたんだ」。

 この観点から、誰に斬られたのかを述べないままのが「角栄馬しょく説」も生まれている。「馬しょく」とは、中国の三国時代の蜀漢の武将で、諸葛亮に重用されて参謀となり、めざましい働きを見せたが、魏軍との「街亭の戦い」で亮の命令に従わず、戦略を誤って大敗した。このため中原攻略の雄図を断たれた亮は、公正な指導者であらんが為に、泣き泣き馬しょくを斬罪に処した故事。
(私論.私見) 「国際金融資本による謀略的粛清説」について

 この説は極めて有力と思われる。「国際金融資本奥の院」のエージェントとしてのキッシンジャーの動きを追跡する必要があろう。

【「国際金融資本による謀略的粛清説」補強、文明子・氏の鋭い指摘「キッシンジャーかく語りき」】
 文明子・著「朴正熙と金大中」(共同通信社刊、2001・2月)に次のように記されているとのことである。(2チャンネルの田中角栄スレッドより)
 概要「76年、私は一つの驚くべき事実を確認した。大統領専用機であるエアフォースワンで、キッシンジャー米国務長官と同行記者団が非公式会見を開いた時だった。当時はロッキード事件に突然巻き込まれた日本の田中角栄首相の運命に外国記者達の関心が集まっていた時期だった。記者達はキッシンジャーにかみつき、ぶらさがった。『「田中は長続きしますかね?』。

 キッシンジャーは大変傲慢な姿勢で答えた。『田中程度ならいつでも取り替えられる』。瞬間、私はひどくうろたえた。キッシンジャーは言葉を続けた。『彼はあまりにも生意気だ。米国の後を追って日中関係を改善する程度ならよいが、米国をさしおいて、日中関係を改善してしまった』。73年、米国は米中関係を改善したが、台湾との関係を断ち切りはしなかった。中国に対する地雷を残したわけだ。しかし、米中正常化作業をするどく注視していた日本は台湾と断交し、 日中関係を一足早く正常化してしまった。田中が生意気だというキッシンジャーの言葉はまさにこのことを指しているのである。

  私はキッシンジャーに尋ねた。『ヘンリー、ロッキード事件もあなたが起こしたんじゃないのですか?』。私はいまだその時、彼の答えた表情と抑揚を忘れることができない。『オブ・コース』 。キッシンジャーは田中問題について、まるで財閥グループ のオーナー会長が、サラリーマン社長を一人首にしたかのよう な口ぶりで言った」。
(私論.私見) 「キッシンジャーかく語りき」について

 文明子・氏のこの指摘は驚愕的に貴重である。意訳概要「ロッキード事件は、国際金融資本の表エージェントであるキッシンジャーが、日米同盟よりも日中同盟化に傾斜し始めた田中角栄に危機感を覚え、『生意気である』として失脚させたものである」ことを、キッシンジャー自らの口から公言させているからである。

 世の諸氏は、この「キッシンジャー証言」に触れてもなお、「角栄征伐は金権批判運動として正しかった」と居直り続けるのだろうか。れんだいこには、「キッシンジャーシナリオに踊らされたボンクラ運動でしかなかった」ように映ずる。

 2005.1.10日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その178 れんだいこ 2006/05/29
 【「キッシンジャーのジャップ呼ばわりしてまでの田中首相批判」考】

 2006.5.26日、シンクタンク「国家安全保障公文書館」が国立公文書館から入手した文書により、1970年代の米外交政策を主導したキッシンジャー大統領補佐官(後に国務長官)が、日中国交正常化交渉を押し進める当時の田中首相に対し、日本人への極みの蔑称(べっしょう)であるジャップ呼ばわりしてまて「最悪の裏切り者と非難していた」ことが判明した。

 キッシンジャー氏の反角栄的な対日観は解禁済みの公文書から既に明らかになっているが、ここまで露骨な表現で敵がい心を露にしていたことが判明したのは初である。こたびの機密漏洩はそういう史的価値がある。

 共同通信が「キッシンジャー氏、田中元首相をジャップ 」の見だしで次のように報じている(2006.5.26日)。
 ニクソン米大統領の中国訪問など70年代の米外交政策を主導したキッシンジャー大統領補佐官(後に国務長官)が72年夏、田中角栄首相が訪中して日中国交正常化を図る計画を知り「ジャップ(日本人への蔑称(べっしょう))」との表現を使って日本を「最悪の裏切り者」と非難していたことが、26日までに解禁された米公文書で分かった。

 キッシンジャー氏の懐疑的な対日観は解禁済みの公文書から既に明らかになっているが、戦略性の高い外交案件をめぐり、同氏が日本に露骨な敵がい心を抱いていたことを明確に伝えている。日米繊維交渉などで険悪化した当時の両国関係を反映しており、70年代の日米関係史をひもとく重要資料といえる。

 文書はシンクタンク「国家安全保障公文書館」が国立公文書館から入手。26日の公表前に共同通信に閲覧を認めた。

 ハワイで日米首脳会談が行われた72年8月31日付の部内協議メモ(極秘)によると、キッシンジャー氏は部内協議の冒頭で「あらゆる裏切り者の中でも、ジャップが最悪だ」と発言した。

 続けて、中国との国交正常化を伝えてきた日本の外交方針を「品のない拙速さ」と批判し、日中共同声明調印のために田中首相が中国の建国記念日に合わせ訪中する計画を非難。首相訪中に関する日本からの高官協議の申し入れを拒否したという。

 またフォード大統領訪日を直前に控えた74年11月12日付の国務省会議録(秘密)によると、国務長官も兼務していた同氏は省内会議で田中首相について「日本の標準に照らしてみてもうそつきだ」と言明した。

 今回判明した発言内容に関し、キッシンジャー氏は共同通信の取材に応じていない。


 河北新報が「ジャップは裏切り者 72年にキッシンジャー氏 」の見だしで次のように報じている(2006.5.26日)。
 【ワシントン26日共同】 ニクソン米大統領の中国訪問など1970年代の米外交政策を主導したキッシンジャー大統領補佐官(後に国務長官)が72年夏、田中角栄首相が訪中して日中国交正常化を図る計画を知り「ジャップ(日本人への蔑称(べっしょう))」との表現を使って日本を「最悪の裏切り者」と非難していたことが、26日までに解禁された米公文書で分かった。

 キッシンジャー氏の懐疑的な対日観は解禁済みの公文書から既に明らかになっているが、戦略性の高い外交案件をめぐり、同氏が日本に露骨な敵がい心を抱いていたことを明確に伝えている。日米繊維交渉などで険悪化した当時の両国関係を反映しており、70年代の日米関係史をひもとく重要資料といえる。
(私論.私見) 「キッシンジャーのジャップ呼ばわりしてまでの田中首相批判」について

 我々は、「キッシンジャーのジャップ呼ばわりしてまでの田中首相批判」から何を窺うべきだろうか。「日米繊維交渉などで険悪化していた当時の日米関係を反映しており、70年代の日米関係史をひもとく重要資料といえる」などと評論されているが表層的過ぎよう。

 キッシンジャー氏の対日侮蔑観一般として受け取るのは正しくないように思われる。的確に「田中政権の内政外交に対する苛立ちの表明」と受け取るべきではなかろうか。

 思うに、国際金融資本ネオ・シオニズム派の頭脳として1970年代の外交を主導したキッシンジャーは、当時の政治局面に於ける角栄ー大平同盟の台頭に対し露骨な敵愾心を抱いていた。予期していた福田が蹴落とされ、田中政権が誕生するや、キッシンジャー仕掛けの「頭越しの米中外交」に割って入り、見事に日中国交回復を成し遂げ、日米同盟に加えて新たに日中同盟ベクトルを加えた。

 田中政権のすること為すこと全てが、国際金融資本ネオ・シオニズム派の世界支配構想にとって敵対物以外の何物でもなかった。かくて、角栄ー大平同盟解体の用意周到なシナリオが練られ、文芸春秋社誌上に於ける立花隆論文を狼煙として対角栄殲滅戦に突入した。

 田中政権は余力を残したまま退陣し、後継した三木政権の下でロッキード事件が勃発した。ロッキード事件で追い詰められるべきは児玉ー中曽根ーナベツネー松野ラインであったにも拘わらず捜査が捻じ曲げられ、検察は強引に小佐野ー角栄ラインを包囲していった。日頃飼いならされているエセマスコミ、エセ右翼からエセ左翼、エセ労組が総動員され、角栄の政治能力を殺ぎ、目的はただ一つ角栄ー大平同盟解体へと誘われた。

 鉄の軍団と云われた田中派は結束して持ちこたえていたが、竹下ー金丸連合による創世会結成で致命的な打撃を受けた。これも、シナリオ通りの運びであったと思われる。以降、我が政界は次第にタカ派主導の流れへ歩み始め、今日ではキッシンジャー戦略の忠実な下僕小ネズミ政権へと辿り着いた。

 この間日本は、もう一つのシナリオである天文学的国債累積債務化、内治政策としての公共事業抑制、外地政策としての自衛隊の米軍傭兵化による世界各地への派兵へと誘われている。キッシンジャーは狙い通りに事が運びさぞかし満足しているであろう。が、シナリオの出来過ぎによって新たな対日侮蔑観を抱くようになっているのではあるまいか。ジャップがここまでアホウとは思わなんだと。

 「 ロッキード事件の見方その1ーキッシンジャーかく語りきー 」

 http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/rokiido_zikennomikata.htm

 2006.5.28日 れんだいこ拝

 太田龍・氏の「時事評論」の2006.5.30日付「 今、公開されたキッシンジャーの一九七二年の発言の意味」は次のように記している。
○米国の情報公開システムによって、一九七二年、米国、キッシンジャー(当時、ニクソン大統領補佐官)が、田中内閣の中国との国交回復政策を、口をきわめて罵倒した、と言う発言記録が公表されたと言う。つまり、キッシンジャーによれば、これは日本の最悪の裏切りである、と言う。

○今となって思えば、僅か三十四年前の日本が、何十万年前もの大昔、のことのように思われる。田中角栄は、日中国交回復をなし遂げただけでない。角栄は、サウジアラビア国王に近付いた。これも、キッシンジャーにとっては、「このジャップヤロウめ!!」と成ったであろう。更に角栄は、オーストラリアとウラン鉱の日本への輸入の拡大強化について交渉した。これらは、ひとつひとつ、孤立した現象ではない。角栄は、明らかに日本の対米独立のアジェンダを持って、日本の首相の座を奪取したのである。

○かくして、キッシンジャーがその一員であるところの、イルミナティサタニスト三百人委員会世界権力は、角栄を消せ!!との命令を下したのである。小泉は、まさしく、三十四年前のイルミナティサタニスト世界権力の絶対命令を、今、完成した。いわゆるロッキード事件について、それが米国の陰謀ではないか、と疑い、その線で取材を始めた、

○ひとりの日本経済新聞記者が、忽ち、暗殺された。そしてこの政治的暗殺事件は闇の中に封印された。この事件は、日本の全マスコミ人に対する脅迫である。「余計なことをする」ジャーナリストの運命はかくの如しだ、と。
(私論.私見) 「太田龍・氏の指摘」について

 そういうことである。

 2006.5.31日 れんだいこ拝

【「国際金融資本による謀略的粛正説」補強、「ロックフェラーの暗躍」】
 次のような指摘為されている。(2チャンネルの田中角栄スレッドより)
 「ロックフェラーとしては、戦後処理の段階で財閥を解体し、完全に支配下に起きたかったが猛反発にあい断念した。その間に池田〜角栄ラインで日本経済は急成長し、容易に手を出せなくなった。竹下は田中派嫡男と認められながらも角栄から跡目を譲られずにいた。ロックフェラーはその竹下と手を組み、角栄を倒した。その後は経世会支配の総理大臣の指導の下、日本経済は着々とロックフェラーに侵食されている」。
(私論.私見) 「ロックフェラーの暗躍」について

 この指摘も鋭い。角栄失脚の背景に、「池田〜角栄ラインで日本経済は急成長し、容易に手を出せなくなった」ことがあり、竹下ー金丸を唆(そそのか)して田中派解体を策した、とのことである。「その後は経世会支配の総理大臣の指導の下、日本経済は着々とロックフェラーに侵食されている」とあるのも鋭い。

 2005.1.10日 れんだいこ拝

【「国際金融資本による謀略的粛正説」補強、「日米欧三極委員会暗躍」】
 「2チャンネル政治版の田中角栄スレッド2」の2005.6.16日付投稿bW98、「名無しさん@3周年」氏が次のような貴重情報を開示しているのでこれを引用しておく(読みやすくする為、れんだいこが編成し直した)。
 日本の国家中枢を、完璧に占領掌握することに成功した日米欧三極委員会。今、日本で生じて居る悲惨な状況の真相を知るために、必ず読まなければならない文献は、 ゲイリー・アレン著、高橋良典訳「見えざる世界政府――ロックフェラー帝国の陰謀(上下二巻)」(自由国民社、1984〜1986年)である。

 英語原著は、「 THE ROCKEFELLER FILE by GARY ALLEN」(1976年)。とりわけ、その第2巻第7章「世界政府への道」の148頁〜161頁。ここに、日米欧三極委員会設立当時の状況が描かれて居る。
 日本の存在が無視できないまでに大きくなったことである。日本の動向は彼らを苛立たせ、彼らに軌道修正を迫るほど大きな圧力となっているが、大部分の日本人はそのことに気づいていない。
 この年(一九七四年)、アメリカのニクソン大統領と日本の田中首相は強引に辞めさせられ、ロックフェラーに操られたフォード政権と三木政権が誕生した。そしてこのあと日米欧三極委員会のメンバーは、……日本の中枢を億万長者の代理人で固めることにしたのである。

 (訳注)
 M資金≠ヘ、日本の基幹産業を極秘のうちに支配 下に収めようとするOHU〔ロシア語で『彼ら』〕陰謀の有力な道具である。……三木内閣から大平内閣の時代まで採用された国債政策は、基本的にOHUの国家財政破壊策を無批判に受け入れたものといえる。日本の国家指導者をOHUの代理人で固めることが世界政府を実現するための最優先課題となっている。日米欧三極委員会は、彼らの「前に立ちはだかる」日本を徹底的に叩きのめし、日本の国家障壁を完全に一掃しなければOHUの目的は達成されないという判断に基いて創設された。
 そもそもデイヴィット・ロックフェラーが日米欧三極委員会をつくったのは、日本の政財界、官界、アカデミズムの実力者を彼らの代理人として仕立て上げ、これらの人々の個人的な影響力をフルに生かした日本の軌道修正を図ることであった。
(私論.私見) 「日米欧三極委員会の暗躍」について

 この指摘も鋭い。角栄失脚の背景に、「日米欧三極委員会の暗躍」があり、三木政権以降露骨に日本政界を操り始めたことを示唆している。

 2005.1.10日 れんだいこ拝

【太田龍・氏の指摘「第四次対日侵略戦争論」】
 太田龍・氏は、2006.1.20日付け「時事評論、吉川、関岡著「国富消尽」。吉川、関岡著「国富消尽」。これは貴重な良書であるが、しかし、現象論に過ぎない」で次のように述べている。これを部分転載しておく。
○第一次、第二次、第三次のユダヤ対日侵略戦争のあと、ユダヤ(イルミナティ)は、一九七二年(昭和四十七年)、第四次対日侵略戦争を開始した。その主たる作戦目標は、田中角栄を完全に抹殺して、日本の政界の中の、愛国的対米独立的勢力を、壊滅させることである。この目標は、一九八五年(昭和六十年)、田中角栄が政治的にも肉体的にも没落することによって、ほぼ実現された。

○更に、ユダヤ(イルミナティ)は、一九九八年(平成十年)、第五次の対日侵略戦争を開始した。この第五次対日侵略戦争の作戦目標は、日本の本丸の占領、日本民族の最終的滅亡以外の何者でもない。まさしくこの局面に於て、(ユダヤイルミナティ)は、「小泉」と言う、絶好のタマ(エージェント、手先、売国奴)を見出した。

○ユダヤの対日侵略戦争は、それぞれの局面、それぞれの段階に於て、その役者、そしてシナリオが変えられた。しかし、その本体、その奥の院は不変である。今日の「米国」。それは、ユダヤ(イルミナティ)が使役する兵隊の一端に過ぎないことを、日本民族有志は理解しなければならない。

【宇野正美氏の指摘「ワン・ワールド主義者の指令論」】
 宇野正美氏は、著書「戦後50年 日本の死角」の中で次のように述べている。
 概要「田中内閣は何故に崩壊したのだろうか。実は国内に於けるオイルショックによる国民の不満もさることながら、本当の原因は国外に有ったのである。その最大のものは日中国交回復と、オイルショックにまつわる田中外交だったのである。ワン・ワールド主義者たちは田中角栄の積極的外交を認めようとしなかった。むしろそれは自分たちにとって災いとなると受け止めたのである。

 彼らには日中同盟の流れは悪夢そのものだった。日本が豊かな資本と技術を提供し、中国が無尽蔵の労働力と資源を提供するという関係で成り立つ日本と中国が結びつき、アジア経済圏を創出することは、。ワン・ワールド主義者にとって世界支配の妨げ以外の何物でもなかった。

 彼らは田中のこの二つの外交展開をきっかけに、田中を崩壊に導いていく。丁度同じ頃、日本経済もまた、混乱と混迷の中にあったが、それでも上昇は続けていた。オイルショックにによって欧米先進国は混迷状態に陥った。しかし、日本経済、日本企業は、むしろそれをバネニして急成長していったのである。まさにオイルショックによって日本は先進諸国への仲間入りどころか、その先頭に踊り出たのであった。

 この頃から田中角栄を待ち受ける運命は、いよいよ日本経済のそれと似てくる。ワン・ワールド主義者たちが田中角栄を二つの外交政策によって崩壊させていったように、日本経済を崩壊させようと決意したのはこの頃だったのである」。
 「田中内閣は崩壊したが、その後も田中角栄の隠然たる力はそのまま引き継がれていった。政治の表舞台から退いた田中角栄は、キングメーカーと云われた。ワン・ワールド主義者たちはなおも田中角栄追撃の手を緩めなかった。それが田中内閣崩壊後数ヶ月して発覚したロッキード事件なのである」。
 「ワン・ワールド主義者たちには、日本国内政治でもブルドーザーの如く活躍し、外交に於いても内政の延長上であるかの如くに積極政治を展開する田中角栄が目の上のこぶに思えてきたのである。ワン・ワールド主義者たちは田中角栄のやり方にたじたじとなったのではなかろうか。なぜなら、それまで彼らは日本の指導者の中に彼のような人物を見つけることが出来なかったからである。

 ワン・ワールド主義者たちがこの田中角栄という『脅威』を崩壊させるために、ロッキード事件などでマスコミを使ったとき、日本のマスコミもそれに合唱し、日本国民のほとんどすべてもその合唱に加わってしまった。かくして、日本独自の政治、日本独自の歩みは封じられたのであった」。

【児玉ー中曽根ー松野ラインのP3C贈収賄事件犯罪を角栄にすり替えた説】
 ロッキード事件の真相は、角栄の5億円授受にあるのではなく、児玉ー中曽根ー松野ラインによるP3C贈収賄事件を角栄にすりかえたのではないのか、という推定が成り立つ。れんだいこはこの見解に辿り着いたが、佐藤昭子氏の「田中角栄ー私が最後に伝えたいこと」も次のような見解を披瀝している。
 「当時はロッキードよりも対潜哨戒機P3Cの商戦が激しかった。P3Cは(金額的に見て)トライスターの10倍にも当る商戦だったが、途中で捜査が打ち切られている。(当初より)P3Cと中曽根氏との関係が取り沙汰されていた。(しかしながら)幹事長がやられたら三木内閣が窮地に陥る。だから、中曽根さんに対しては指揮権発動で免責し、田中に対しては逆指揮権発動で逮捕させるという構図だったという人も居る」。
(私論.私見) 「ロッキード事件の真相」について

 「ロッキード事件とは、その真相は、児玉ー中曽根ー松野ラインによるP3C贈収賄事件を角栄にすりかえたものである」という観点はかなり有力なように思える。問題は、それが三木内閣の延命として画策されたというのではなく、ネオ・シオニストにより、角栄打倒の為に、意図的に児玉ー中曽根ー松野ラインの犯罪を角栄にすり替えた、と受け止めるべきではなかろうか。この観点からの言及は無論捜査も行われていないが、それこそ国策捜査の何たるかの如実性を示して余りあるというべきではなかろうか。

 2006.2.19日 れんだいこ拝

【2・主として国内的要因説その1、「昭和天皇忌避説」
 昭和天皇が角栄を嫌い、その意向が宮内庁より伝わり角栄が失脚へと導かれた、という説。確か、角栄がテレビに映ると御機嫌を不快にしスイッチを切ったとか。
(私論.私見) 「昭和天皇忌避説」について

 「昭和天皇忌避説」については目下、裏づけ取り中。但し、この説が裏付けられたとしても主因にはならないだろう。

【2・主として国内的要因説その2、「官尊民卑犠牲説」 

 角栄は、日本のエスタブリッシュメント守旧派官僚連合によって、「成り上がりもの」故に捕捉失脚せしめられた、とする説。

 元産経新聞政治部長・喜多幡道夫氏は、「週間サンケイ緊急増刊号」8.23日号で、「強者には弱く、弱者には強い」論理と体質、姿勢がそこには見られないかとして次のように述べている。

 「ロッキード事件解明の為に、いかなる方法、いかなる手段を使ってもいいというものではない。もし、そうした習性が検察に横行し始めるとしたら、それこそ、ロッキード事件より恐ろしいことになる。ロッキード事件で民主主義は死滅しないが、検察がもしその権力を恣意的に行使し始めたら、それこそ民主主義が滅びるどころか、世は真っ暗闇となる。権力の中の権力、権力の中枢は、検察、警察にあるのであり、それは某国の秘密警察などの実態とその威力、恐怖を振り返って見るだけでよく分かるはずだ」。


 コーチャンらの免責の仕方にも疑問を提起し次のように述べている。
 「例の金大中事件の時、わが国のマスコミは、金大中がわが国から連れ去られたことで『主権侵害』と騒ぎ、『原状回復』を高らかに要求した。ロッキード事件については、そうした声が一向に起こらない。どうしたことだろう。それらの背景に党派性はないだろうか。あるいは安易な便宜主義がないだろうか」。
(私論.私見) 「官尊民卑犠牲説」について

 いわゆる成り上がり者成敗説であるが、この説が裏付けられたとしても同様に主因にはならないだろう。

【2・主として国内的要因説その3、「ハト派対タカ派の政争収監説」 
 福田勢力との抗争説で、田中−福田の対立には、戦後日本の二つの思潮が反映していたという観点。これに拠れば、首相の座を退いた角栄に対して、「池に落ちた犬を更に打つ」かのように政争が仕掛けられ、角栄は収監―法廷により羽交い絞めされたことになる。
(私論.私見) 「政争収監説」について

 「政争収監説」は有力で、れんだいこは、ロッキード事件は、「国内政争」と「国際金融資本による謀略的粛清」のドッキングで引き起こされた事件ではなかったか、という仮説に立っている。

【3・冤罪説その1、「角栄不関与説」】
 丸紅の5億円贈賄は為されていたが、角栄はこれに関与していなかったので知らなかった、とする説。「5億円を受け取ったが、榎本秘書止まりで、田中氏自身は本当に知らなかったという説」で補強されている。

 2002.3.16日付け毎日新聞・岩見隆夫「近聞達見」は次のように記している。
 「角栄死去後、渡辺美智雄元副総理は、『角さんは知らなかったんじゃないかな。(ロ社からのワイロの)5億円は党本部の金庫に入ったはずだ』と言い残して、世を去った。もしそうだとすれば、ロ事件も個人色が薄れてくる」。
(私論.私見) 「角栄不関与説」について

 「角栄不関与説」は、冤罪なら当たり前のことで、それを敢えて「角栄不関与説」とするからには5億円授受を認めたうえで、角栄を擁護しようとしている説として打ち出されていることになる。れんだいはこの説を採らない。

【3・冤罪説その2、「完全デッチアゲ説」】
 丸紅の角栄に対する5億円贈賄はデッチアゲであるとする説。これによると、ロッキード事件は米日支配層協働による稀代の謀略であったことになる。

 砂辺功・氏は、著書「田中角栄 怒涛の大構想」の中で次のように記している。
 概要「ロッキード事件は、検察庁法第14条による三木首相・稲葉法相の指揮による政治介入であり、逆指揮権発動により作られた政治裁判である。それは、三木・稲葉らが仕組んだ政権奪取への謀略である」。
 
(私論.私見) 「完全デッチアゲ説」、「角栄失脚の政治的意味」について

 れんだいこはこの説を採っており、「5億円を受け取り説は冤罪であり、真相は児玉ー中曽根ー松野ラインの方が臭いのではないのか。それが意図的に角栄ラインへと捻じ曲げられている」との仮説を立てている。砂辺氏の指摘は、れんだいこも然りと思う。

 いずれにせよ、この「ロッキード事件」を通じて戦後日本社会に豊潤に胚胎していたルネサンスの息吹が封殺されたことは疑いない。日本史上白眉な有能異能政治家がかくして葬られた。そして、日本政治の水準が「戦前並みの元の木阿弥」に戻ってしまった。それを思えば、フランス革命のようにバスチーユ監獄の襲撃から始まる政権動乱を人民自身の手で行わなければならないのかも知れない。「お与えのルネサンスの享受」は滅びが早い、という気がする。

 2003.10.3日 れんだいこ拝


【広瀬隆氏の「ロッキード事件の人脈に反旗をひるがえした国士」に見られる混乱性について】
 広瀬隆氏は、「ロッキード事件の人脈に反旗をひるがえした国士」で次のように述べている。これに逐次コメントつけて見る。
 72年8月、田中角栄首相とアメリカのニクソン大統領が会談して、ロッキード社の航空機トライスターを大量に購入することが決定された。しかしその決定に至るまでに、ロッキード社は、販売代理人として日本の政商・児玉誉士夫を雇い、同時に、商社の「丸紅」と航空ラインの「全日空」にも働きかけて、日本の国会議員に大金をばらまく政界工作をおこなっていた。それが、なぜか突然、76年2月のアメリカの外交委員会(多国籍企業小委員会)で発覚した。 この発覚の経過には、アメリカの政治的な意図が隠されていた。

(私論.私見) 「事件の謀略性を衝いている」ことへの御意

 れんだいこは、広瀬氏が「この発覚の経過には、アメリカの政治的な意図が隠されていた」という観点に立っていることに同意する。


 なかでも問題となったのが、田中角栄首相に渡った5億円の成功報酬であり、76年7月には田中角栄が逮捕され、実に数百人が取り調べを受けるという大疑獄事件に発展した。この事件では、ロッキード社のP3C対潜哨戒機の導入疑惑が発覚し、中曾根康弘(防衛庁長官)や後藤田正晴(官房副長官)に重大な疑いがもたれたが、なぜか、この軍用機問題は消滅して、民間航空機の疑惑だけがロッキード事件として社会問題となった。
(私論.私見) 「中曽根疑惑に向わずの不自然性を衝いている」ことへの御意

 れんだいこは、広瀬氏が「中曽根疑惑に向わずの不自然性を衝いている」観点に立っていることに同意する。この視点こそがロッキード事件解明の真っ当なものなのだが、なかなか見破れない者が多すぎる。

 田中角栄は、5億円を受け取った疑惑がありながら、8月17には2億円の保釈金をつんで保釈された。不正な金5億円を受け取って、そのうち2億円の保釈金を払えば、犯罪者の手元には3億円が残る。これが、無法者を金持ちにする日本の法律である。

 しかも93年12月に死去した田中角栄の遺産は、時価評価で650億円にのぼるとみられていたが、非上場株のかたちで、娘の田中真紀子らが相続した。その時、ペーパーカンパニーが次々とつくられ、実質的な所有権は田中真紀子にありながら、遺産がほとんどゼロのように消えてしまったのである。前述の一般庶民の遺産相続の話と比べてみれば、国税庁がどれほどいい加減な査定をしているか分かる。国税庁を動かしているのが、大蔵官僚である。
(私論.私見) 「5億円授受説を盲信している」ことへの不御意

 中曽根疑惑を突いていた広瀬氏がここで途端に陳腐な見解を見せている。れんだいこは、広瀬氏が「角栄側への5億円授受説を盲信している」観点に不同意である。

 この事件は、いわゆる冤罪的観点から捉えないと真相が見えてこない。徒に、「犯罪者の手元には3億円が残る」、「これが、無法者を金持ちにする日本の法律である」などと煽らぬ方が賢明だろう。「国税庁がどれほどいい加減な査定をしているか分かる。国税庁を動かしているのが、大蔵官僚である」も、国税庁の背徳を逆から批判していることになり、れんだいこは大いに不満である。

 ほぼ同じ犯罪の容疑がかけられながら、逮捕される者と逮捕されない者が、どの事件にもみられる。司法・検察の不平等を示すこの事実は、かねてから黒幕の存在を指摘され、問題になってきた。ロッキード事件で後藤田正晴の容疑が追及されなかったのは、明かに彼が、警察庁官房長、警察庁長官、国家公安委員長を歴任した「捜査側」の身内の大物だからであり、彼が潔白だったからではない。 事件の数に比べれば、大物が逮捕されることは、きわめて稀である。起訴資料の不足や偶然だけでは、説明できない。
(私論.私見) 「後藤田批判の軽率さ」について

 広瀬氏は後藤田批判に向っているが、違う。向うべきは、中曽根疑惑が消されていることへの疑惑であろう。結局、単に権力者批判に終始していることになるが、政府自民党内のいわゆるハト派とタカ派の酸鼻を極めた政争について無見識なところからこういう間違いが発生しているように思われる。

 ロッキード事件の逮捕者が、いまだに全日空を支配していたというニュースに、日本全土が驚かされた。 運輸事務次官だった官僚天下りの若狭得治は、69年から全日空の取締役となり、ロッキードとの裏取引がはじまる前の70年から社長に就任し、田中角栄と悪事に手を染めた。やがて76年に贈賄が発覚すると、12月から会長に退き、91年から名誉会長の座についていた。しかも92年にロッキード事件の有罪が確定していながら退社することもなく、"全日空の天皇"と呼ばれていたのである。この呼び名は二重の意味で正しいだろう。ところが今年、現役の普勝清治社長が、若狭たちの長老支配は腹にすえかねると、辞表を提出し、内輪もめが表沙汰になった。
(私論.私見) 「若狭批判の軽率さ」について

 れんだいこは、角栄が闇将軍化したのも若狭が実力者の地位を失わなかったのも、当人も周囲もロッキード事件の胡散臭さを知っていた故と観る。このことはむしろ誉れであり、広瀬氏はこれを反対から見ていることになる。いわゆる立花史観とハーモニーしているが、「広瀬氏の世界」からあれこれ学ぶのを良しとしているれんだいことしては不満が残る。

 別サイトとして、【徳本栄一郎ー五十嵐仁−立花隆の御用漫談考

 別サイトとして、【キッシンジャー考





(私論.私見)