452912 諸氏百家の角栄評考その1、好評系

 (最新見直し2006.4.20日)

 角栄を評した数々の伝聞を以下に掲げ、論評してみる。云えることは、角栄評価派に案外と高潔人士が多いということか。逆に云うと、角栄批判派には節操の無さが共通して見られる気がする。

 2005.3.30日再編集 れんだいこ拝


【秘書】
 早坂茂三

 角栄の秘書には数々の人士がいるが、マスコミ上がりの早坂氏は外向け秘書として重用されていた。その早坂秘書の角栄評。

 指導者に求められるのは洞察力、決断力、実行力と情熱。そしてそれを支える人脈や情報力、専門知識、経験、気配りなどの要素だ。角栄さんはそのすべてを備えていた。現実の政治家たちは、まず当選ありき。そして、身の栄達と保身だ。角栄さんは、来るもの拒まず、集まる政治家たちに資金を融通し、信賞必罰で抜てきし、それにこたえた。見返りはただ一つ、総裁選で名前を書くことだけだった。

 金権腐敗だとしてマスコミは「功3罪7」で彼を評価する。しかし政治はきれい事ではない。力がなければ、やるべきことをやることが出来ない。角栄さんは、戦後日本の復興・成長、雪国新潟からの脱却を、明確な目標に掲げ、やりとげた。それは、人々の願いそのものでもあった。農村的な日本の相互扶助社会が崩壊し、優勝劣敗の合理主義だけがはびこる今の社会に、角栄さんのような政治家が再び現れる土壌はない。

【近親者】
佐藤昭子 「私の田中角栄日記」
辻和子 「熱情ー田中角栄をとりこにした芸者」

【カメラマン、画家】
 「専属カメラマンの山本氏の角栄論」は次のように記している。
 「それほど被写体としての角さんは魅力的 であった。軍団に激をとばす時の”力”の 風貌はレンズを通して私の背筋を凍らた。一転故郷の実家で近所のおばさん達と大 笑いをするさまはシャッターを押す私の顔 が思わずほころんでしまうほどの親しみを 感じさせる」。

【政治家、自民党】
二階堂進  田中内閣時の官房長官を務めた角栄心酔派の筆頭が二階堂であった。その二階堂の弁。
 「私の趣味は角栄」。
河野謙三  河野洋平自民党前総裁の叔父にあたる河野謙三(こうのけんぞう)元参院議長の伝。
 「田中角栄という政治家は百年か二百年に一人出る天才政治家だ。よくも悪しくも」
保利茂  保利耕輔(ほりこうすけ)自民党国対委員長の実父でその気骨を謳われた保利茂(ほりしげる)元自民党幹事長の伝。
 「福田赳夫や大平正芳が束になっても、田中にはとてもかないやしない。指導力、政治力、いろんな意味でね」。
小坂徳三郎

 1980.12.26日、木曜クラブ入会の際の弁。

 「田中先生は魅力のある人だ。もって生まれたものもあるが、非常に努力家だし勉強家だ。現状ではなく数年先のことに終始気を使って、それに対応することをいつも考えている」。
小沢一郎  角栄が次世代の指導者的政治家として高く評価していたのが小沢一郎であった。その小沢の弁。
 概要「私は戦前なら大久保利通(おおくぼとしみち)、戦後政治家では田中さんが傑出していたと思う」。要するに、いかにカリスマ性に富んだ”ケタ違い”の人物であったかということである。
羽田孜  角栄の薫陶を受けた羽田は、角栄を次のように評している。
 「大変な努力家であると同時に政治の天才だったなと。あの人のことを思うと今でも気持ちが躍動するね」。
中川一郎  反田中派に位置し、角栄批判の急先鋒の一人であった元科学技術庁長官にして総裁の目を狙っていた中川氏の伝。
 「オレは本当は角さんが大好きなんだ。田中さんのようになりたいと思って、オレはここまでやってきた」。
一竜斎貞鳳  元参院議員・今泉正二こと一竜斎貞鳳の伝。
 「田中先生の魅力は何といってもスケールの大きさ。それに人間操縦術」(文芸春秋・58.3月号)。
竹下登  鉄の軍団田中派を解体せしめた獅子身中の虫・竹下登であるが、その竹下にしてこの弁。
 「碁とか将棋とかと同じように政治に天才があるとすれば、政治勘みたいなところでは田中先生は間違いなく天才であった。それは常人ではとても真似のできないことであり、努力して追いつけるようなものではない。ある種の天分みたいなものがあったように思う」。
塩谷一夫
 「三木派に属している私が、こんなことを言い出すのは、おかしいかも知れないが、今でも私は、田中角栄が好きである。せっかく政治家になるのなら、ああなりたい、と思わせる魅力的な男だった」(「オール読物」10月号)。

【政治家、野党】
堀昌雄 社会党

 社会党・衆院議員の伝。

 「役所の考え方ではなく、自分で政策を考えた大蔵大臣は、今までに田中角栄さんしかいなかったナ」。
竹入義勝 公明党

 公明党元委員長の伝。

 「なんと言っても、信義に厚いのは田中だ」。
矢野恂也 公明党  公明党元書記長の伝。
 「私は田中に政治の次元では一切貸借は無い。取引はしなかったし、やらない。しかし、人間的に魅力があることは確かだ」
 「そこには雪で象徴される土着性を背景にした日本という、氏なりの座標軸があり、アジア意識が有った。必ずしも対米一辺倒ではなく、この面でも異端の政治家だったのであろう。氏がアメリカ発のロッキード事件で政治生命にトドメを指されたのも、単なる偶然だったのか、という印象すらある」(2003.12.23日付毎日新聞長官)。
和田耕作 民社党

 民社党・衆院議員の伝。

 「政治家は倫理よりも政治家として役立つ仕事をする方が重要。この見地からすると、田中は立派な政治家だ」

【官僚】
後藤田正晴  後藤田正晴「政と官」の伝。
 「田中さんはまず、判断が非常に早い人だった。陳情を聞き終わるか終わらないうちに、可能かどうかを判断し、結論を相手に伝える。そして、『分かった』と言って引き受ければ、必ず希望通りに実現してくれていた。ということは、判断が早いだけでなく、実行力もあるということだ。珍しい異能の政治家だ。天才という見方もあるが、天才という形容詞は政治家には向かないので、異能といった方がいいだろう。大変な人だと、私は思う」。
 「田中さんのDNAは生きている。それは田中さんに人を見る目があり、それだけの人を引きつける吸引力があったということ。世間は金だというが、全く間違い。ぼくも資金援助は受けた。しかし(旧田中派は)あれだけの大所帯だから、一人当たりでいえば、もらう金は他の派閥より少ないよ」。
 「実行力のある異能の政治家だったが、一番の印象は、雪国新潟の厳しい風土で育ち、自分で道を切り開いてきた庶民のにおい。国民がどこに住んでいても政治の光を当てたいというのが、あの人の原点だった。それは実現した。ただ(公共事業批判や赤字財政など)今ではマイナスも出てきた。功罪相半ばする巨大な存在だと感じる」

 当時接した大蔵・通産・建設などの高級官僚の述懐。

 「田中さんと議論するのが楽しかった。なかなか云うことを聞いてくれなかったが、負けずに云うことだけは云っておくと、必ず反応があった。それに、我々専門家の頭では、何十年考えても出てきそうにない発想が、ポンポン飛び出すのには驚いた」
長岡実
 「田中角栄さんは蔵相を三年務められた。私は最後の一年間だけ主計官として仕えた。理解力、決断力、実行力−全ての面で機敏で的確な大臣だった。しかもエネルギッシュで何かオーラを発するのを肌で感じた」(2004.4.18日付け日経新聞「私の履歴書」第17回、元東京証券取引所理事長・長岡実「下水道に努める」)。
山下元利
大村襄治
林義郎

【財界人】
土光敏夫  ロッキード事件の起こった後、臨調の会長だった土光敏夫さんと瀬島龍三さんが田中邸を訪ねた。羽田が、堂々と入ってくる姿に「田中邸に来るといろんなことを云われるのに、臨調の会長がいいんですか」と何気なく聞いたところ、次のように答えている。
 「羽田さんね、田中さんは的確に問題を捉えてズバッと云ってくれる人なんだ。『一番のネックはここだぞ。ここを抑えなきゃ駄目だよ』と具体的に云ってくれる。私たちは形だけでやっているんじゃないんだ。行革を本気でやろうとすれば、誰であっても力のある人、知恵のある人のところに頼みに行くんだ」
堀田庄三  日本航空会長の伝。
 「今は田中先生は、ヘンな事件に連座しておられるが一日も早く、この疑いを晴らし、総理の座に再び戻られることを念じているのであります!」。
堤義明
 「47年の人生で、会って話し合っていて、これは自分より頭がいいな、この人には叶わないな、と思う人はそうはいませんけど、あの人だけは叶わない。特に、田中さんの発想というのは勉強になります」
森下泰  森下仁丹の会長にして参議院議員だった森下泰氏は、角栄の「側近の集め方」について、次のように語っている。
 概要「一部のマスコミは、田中さんのことを『金権政治家』としか報じない。これはとんでもない話でね、自分の仕事に何よりも大義、使命感というものを重く受け止めていた。根底に人類、天下国家、国民を見据える眼があったし、それに基づいて行動していた。カネ、地位など人生でやることは全てやってきた訳で、あの人にはそんなものはもうこれ以上欲しいものではなかったのだ。だから、『側近』として重要する人物は、よほどの人でなければ認めなかった。まず、この人物は大義、使命感で動いているかどうか、そのあたりで、線を引いていたと思っている。合わせて、あれだけ人の集まった人だったが、決して自分がシャカリキになって集めた人脈じゃなかったということだ。『来い来い』と集めた部下は、イヤになればすぐ離れるが、自分から率先入ってきた部下は決して離れていかない。本当の部下とは、そういう部下を言う。僕は会社をやってきた人間だから、よく分かるんだ。田中派が田中さんの元で圧倒的な一枚岩を誇ってきたのも、そういうところに最大の要因があったということになる」(小林吉弥「田中角栄の人材育成術」)。

【ジャーナリスト】
大宅壮一
 「田中角栄という男は浪花節そのものだ。しかし、浪花節でもオーケストラを操れるところが偉い」。
松本清張  推理作家の伝。ある本の推薦文にこう書いた。
 「田中角栄は現代史まれにみる梟雄(きょうゆう)である。政界にこんな『天才』があらわれるのは五十年に一度あるかなしだろう。『金権政治』という単純なパターンで彼をさばききることはできない」

【番記者】
Re:れんだいこのカンテラ時評その119 れんだいこ 2005/10/25
 【増山榮太郎氏の「角栄伝説ー番記者が見た光と影」を評す】

 小泉政治の狂態をみせつけられるほどに角栄が懐かしい。こういう折柄、増山榮太郎氏が「角栄伝説ー番記者が見た光と影」(出窓社、2005.10.20日初版)を出版した。これを仮に「増山本」と云う。

 角栄についてはこれまであまたの著作が為されている。角栄ほどその見解が批判と擁護に分かれる人物は珍しい。れんだいこはおおかたの角栄本に目を通しているが、読めば観点が余計に歪んでくる本と為になる本がある。「増山本」は当然後者の有益本である。これがれんだいこの総評となる。

 増山氏は、早大文学部卒の時事通信社の政治記者である。運命の僥倖であろう増山氏は、要職時代の角栄が首相になるまでの期間の番記者を勤めた。増山氏は添え書きで、「本書は、戦後政治の結晶として『総中流社会』をもたらし、巨悪論によって追われた田中政治を再検討・再評価するものです」、「私自身、長年の政治記者生活の総決算のつもりです」と記している。

 増山氏は、角栄政治と余りにも対極的な小泉政治下の現下の時局を憂い、角栄政治を懐旧し、ありし日の角栄の実録証言を世に明らかにすることを使命と思い立った。その内容は、既成の角栄本と重複しないよう随所に有益な新証言、逸話を持ち込んでおり、角栄研究本の新ページを開いている。

 文章は新聞記者だけあっててだれており、非常に読みやすい。れんだいこは一気に読み上げさせてもらった。「れんだいこの角栄論」に取り込むべき多くの逸話を聞かせて頂いた。ここに感謝し、併せてこの場で了承を得たいと思う。

 あとがきで、「おそらく田中氏のような天才政治家はこれまではもちろんのこと、これから二度と現われることはあるまいというのが、本書を書き終わっての私の結論である」と記している。

 思えば、角栄と身近に接してその息遣いさえ知っている者ほど好意的且つ信奉的であり、角栄の人となりが偲ばれる。佐藤昭子女史の「私の田中角栄日記」、辻和子女史の「熱情ー田中角栄をとりこにした芸者」は、角栄の裏表のない生き様をいずれも称えている。秘書早坂茂三は、角栄政治の何たるかを縷々語り続け、噛めばかむほど味があった好人物ぶりと政治能力の高さを評している。

 「増山本」は、角栄出自の新潟の原風景、幼少時の角栄、上京後の角栄、実業家時代、政治家駆け出し時代の記述が目新しい。願うらくは、「世界で最も成功した社会主義国ニッポン」を底上げした要職時代の角栄の逸話をもう少し詳しく聞かせて欲しい。思うに、増山氏の情報力を以てすれば、恐らく全三冊ぐらいにはなりそうである。そういう意味で続刊を期待したい。

 角栄は不幸なことにロッキード事件で虎バサミされ、以降その政治能力が羽交い絞め封殺された。右派と左派が奇しくも連衡し、日本政界から実に惜しい人物を訴追していった。今なおしたり顔して角栄批判に興じている手合いを見るが、食傷である。

 不破の角栄イジメは病的であり、新著「私の戦後60年」では何と、それまでの金権の元凶批判から転じて「角栄は僅か5億円の調達に困って外国の金に手を出した」云々なる誹謗を浴びせている。あまりにも酷いと云うべきではなかろうか。ニセの友は老いても悔いることがないようである。

 その点、増山氏の角栄を見る眼は温かい。というか、その温かさは角栄自身が増山氏に注いでいたものであり、増山氏は今その温かさを思い出しながら懐古しているのではなかろうか。小泉名宰相論に興じるメディアの嬌態下の今、「増山本」の素顔の角栄論は貴重である。他の角栄番記者よ、今からでも遅くないそれぞれの実録角栄像を語り伝えて欲しい。「角栄は日本政治史上孤高の座を占めている」と判ずるれんだいこは、このことを強く願う。

 れんだいこ的には、「増山本」が角栄政治の左派性に光を当てているところが特に良かった。「角栄政治の本質左派性即ち土着左派性の解明」はこれからもっとも急がれるところであり、ひょっとしてロッキード事件勃発の最深部の真相かも知れない。「増山本」は、ゴルバチョフ談話「世界で最も成功した社会主義国ニッポン」を紹介しながら、この方面への関心を誘っているところに良質さを見せている。この観点は、増山氏が実際に接していた当時には見えずして、今になって遠望して気づかされた角栄観なのではあるまいか。

 角栄はこれまで余りにも、立花史観と不破史観により栄誉と実像を著しく傷つけられてきた。この両者はネオ・シオニズムと親和して、この観点から角栄批判に興じているところで共通している。猪瀬直樹の論もこの類のもので、許し難い逆さま観点からの角栄批判を開陳している。田原総一朗、岩見隆夫らの論は上げたり下げたりで常に日和見なそれである。小林吉弥、北門政士、久保紘之、水木楊らの論はややましな中間派のものである。

 他方、小室直樹、青木直人、三浦康之らの好意派のものがある。古井喜實、井上正治、石島泰、渡部昇一、秦野章、後藤田正晴、木村喜助、小山健一らは、ロッキード事件に対する疑義を表明することで間接的に角栄を擁護している。政治評論家では早くより馬弓良彦、砂辺功、戸川猪佐武、岩崎定夢、新野哲也、渡辺正次郎が角栄政治を高く評価している。戸川氏は不審に急逝してしまったが実に惜しまれる死であった。「増山本」には、戸川氏が生きておれば一献傾け合うであろうシンパシーがある。

 惜しむらくはと記しておこう。増山氏はよほど穏和な性質の御方なのだろう、ロッキード献金5億円授受説に対して、これを冤罪とする立場からは論じていない。最近の徳本栄一郎氏の「角栄失脚歪められた真実」、これをヨイショする五十嵐仁氏の「転成仁語」の最終的に否定されたロッキード事件アメリカ謀略説らの観点に対して宥和的である。この点に関しては、れんだいこ的には角栄冤罪説に立って欲しかったと思う。

 歴史のトップ・シークレットは嗅ぎ分けることでしか判断できない。れんだいこは、ロッキード社5億円献金捏造説、ロッキード事件国策捜査説、角栄政治土着系左派説、角栄外交日中同盟説に立っている。この観点からの角栄論はまだ曙光でしかない。「増山本」は角栄政治土着系左派説に道を開いており、番記者の証言であるだけに値打ちがある。

 「角栄ー大平同盟の絆の裏話」の下りも良かった。補足すれば、れんだいこが最近聞いた話はこうである。大平急死を聞きつけた角栄は善通寺での通夜に駆けつけ、大平の死装束を前にして十数分余嗚咽男泣きしていたという逸話である。今、政界で、こういう掛け値無しの絆を持つ者がいるだろうか。角栄ー大平同盟が夢見た真実一路の政治は戦後ルネサンスに咲いた日輪であった。今は跡形も無く土足で踏みにじられている。残念無念至極というほかない。

 いずれにせよ、「増山本」は新たな角栄観に向けて一石を投じたことになる。その波紋や如何に。

 2005.10.25日 れんだいこ拝

【評価派の見解】
 「田中事件の本質とロッキード事件の真相」は次のように述べている。
 「組織力、行動力、問題処理能力、人心掌握力、資金調達力。戦後日本のエートス。今太閤、コンピューター付きブルドーザー、、利益誘導政治、戦後政治の鬼才」。
 「約束したことは必ず守った」与野党議員の回顧。永田町のもめごとから、日米間の懸案事項の解決まで、田中は処理しえた」。
 「田中の人間洞察力を根底にした指導力については、凄絶と言ってもいいものがあった。田中以降の歴代首相を見ても、それを超える者は一人もいない。と言うより、この点に関しては足元にも及ばない」(小林吉弥「究極の人間洞察力」より)。
 「マスコミや国民一般は、政治の表面に出た一部分、それも都合のよい部分だけを取り出して田中政治を批難する。ニクソンショック、石油ショックに続く狂乱物価の攻勢に耐えた日本経済の秘密は、田中政治が政治の表舞台に出さなかった部分、要するにコンピューター頭脳の緻密さをもって国家百年の大計で考え抜いた、政治的貢献によるものである。われわれは、田中内閣の性格を殉難・殉国の内閣と評価してやまない」。

(私論.私見)評価派の角栄評について

 上述の評価こそ正しい。この観点を堅く保持する必要がある。  


【早坂茂三氏の「田中角栄回顧録」】

 早坂茂三氏は、「田中角栄回顧録」の中で次のように述べている。

 「(岸首相退陣を受け、その後継争いで吉田派の両雄池田・佐藤が先陣争いをし始めた頃、吉田は、ある日角栄を呼んだ。田中が(吉田が名づけた大磯の自邸)七賢堂に駆けつけると、吉田は『二人の喧嘩には困ったものだ。この書を彼等に届けて欲しい』と云って、オヤジに渡した。池田には『呑舟の魚は支流に遊ばず』。舟を呑み込むような大きな魚は、小さな川出は泳がない、と。佐藤には『燕雀は知らず天地の高さ』と書かれてあった。小物には人生の奥深さなど知るべくも無い。池田、佐藤の二人を等分に持ち上げて喧嘩果てての棒ちぎれを戒めた吉田は、田中にも『コウ竜、雲雨を得』。お前さんにも、いずれ時がくるよ、と書いてくれた。彼は池田、佐藤とも親しく、無類の口説き上手、もめごとの仲裁役には慣れていることを吉田は知っていた。こういう場合の役回りには、オヤジがうってつけだったのである。

 田中は書が好きだ。自分でも端正で品格のある字を勢い良く書く。若い人には『末ついに海となるべき山水も暫し木の葉の下くぐるなり』、普通には『微風和暖』、ロッキード事件で十年戦争を始めてからは『不動心』の三文字をよく書いた。その彼が若い頃、大磯の七賢堂で吉田に良寛和尚の逸品を持っていると自慢した。吉田はフンと鼻先で笑い、『そりゃ、きみ、贋物だよ』。オヤジが『いや、本物です』と頑張った。じいさん、答えていわく、『同じ良寛の書でも、僕が持っていれば本物だが、君が持っていると贋物になるんだ』。そういってキャッキャッとと笑った。この話をした田中は『あの時はアタマに来た』と苦笑したものである」。
 「田中は役人、日本官僚、世界に冠たる霞ヶ関のドブねずみ集団の優秀性もよく知っていた。よくこういっていた。『役人は、明治維新の太政官布告以来の日本の国家経営、国家統治のあらゆるノウハウ、情報、数字を年代別、問題別、項目別にキチンと整理して、これを保管し、あるいは脳髄のひだに焼き付けている』と。しかも、彼が言うには、『役人は自分の目線の高さでしか発想できない。鳥瞰的というか、鳥になって空を飛んで、上から下を見る。そういう発想が出来ない。つまり、役人の発想は目の前にある現行の法体系の枠から抜け出ることができない。しかし、現実はたえまなく動いている。変化している。そして、今の法体系が、それにぜんぜん通用しなくなってきている。にもかかわらず、これを状況に合せて、あるいは先取りして改廃する、新規立法する、そういうダイナミックスは、官僚制度の中からは生まれない』と。

 田中がロッキードでやられた後も、役人達は注意深くマスコミの目を避けながら、風呂敷包みに書類を山ほど入れて、目白や平河町の田中事務所に来ましたよ。彼の知恵と力を借りるためにね。田中派役人の話を聞き、自分は鳥の目になって上から全てを見た。そして、入口はここだ、出口はあそこだとアイデアを出し、知恵を提供した。それで厄介な問題が片付いた。それを役人は多としたからこそ、あの危ない橋を渡って、『田中詣で』を続けたんだ。田中派役人の内部規約、外に出せないルール、属性を、あるがままにリアルに理解していた。並みの政治家とひと味違ったところだった」(早坂茂三「宝石・平成元年12月号」)。
 「角栄は、叩き上げ創業者オーナーです。天才的なアイデアの持ち主でもあった。これは秀才官僚の発想からは出てきません。田中のアイデア、着眼点は役人にとって大変、貴重で便利なものであったということでしょう。欲人たちが、『田中もうで』をした理由が他にもある。それは彼が役人の属性を鋭く把握していたからだ。役人が政治家に求めるのは方向を示し、物事を決定してくれることです。役人が一番嫌がるのは物事を自分の責任で決めることだ。うまくいけばいいけど、失敗すれば泥をかぶる。自分の経歴にかすかな傷がつくことを役人は極端に嫌う。ところが角栄は方向を示して決定も自分が下すという形をつくってくれる。従って彼等は泥をかぶることが無かった。それから役人の人事に角栄は手を突っ込まなかった。---」。

【新野哲也氏の角栄評について】
 新野哲也氏は、次のように角栄を評している。
 ”角栄殺し”とは、いったい何だったのか。そしてそれは、現在の日本に何をもたらしたのかーー”指導民主主義”の具現者・田中角栄の人と政治を浮き彫りにする話題作!」(新野哲也著「政治家・田中角栄の研究 だれが角栄をころしたのか?」)
 「マックス・ウェーバーの唱える「理想政治」を実現しようとし、敢然としてエリート官僚たちと戦った豪腕の大衆政治家、その功罪を解析する問題作。「男性原理」に立ち、世俗性と超人性を兼ねそなえ、現実機能を持った希有の政治家田中角栄と日本の政治構造の徹底研究」(新野哲也著「政治家・田中角栄の研究 だれが角栄をころしたのか?」)。
 「大衆のヒーローが大衆にうちのめされた悲劇なぜ角栄は戦後最大の政治家といわれるのかエリート官僚主義とたたかった真の民主主義宰相。暖かい政治よりも”冷血政治”を選んだ日本人田中角栄がめざした「血のかよった社会」の建設 角栄的なるものを失った日本が落ち込んだ冷血社会。日本を滅ぼしかけている<官僚化>政治の恐怖 「角栄的なもの」を抹殺したインテリと官僚の傲慢」(新野哲也著「政治家・田中角栄の研究 だれが角栄をころしたのか?」)。
(私論.私見) 新野哲也氏の角栄評について

 良いものを良いと云い、おかしいものをおかしいと云える認識こそ本来の意味での知識であろう。新野氏はこれを持ち合わせられている方であり、そこが素晴らしい。

【私の見た田中角栄(鉄槌よ!語れより)】
 「私の見た田中角栄(鉄槌よ!語れより)」は、次のように角栄を評している。
 最近、雑誌で田中角栄論をよく見かけるので、今日はひとつ、私も自分の目で見た彼のすがたをここに記してみたい。
 学生のころ、先輩の紹介でH会という自民党の政策集団の事務所に出入りしていたことがある。四ツ谷の文芸春秋のすぐ隣のビルにあり、Fさんというコワモテの親分がいた。この人は東大を出て共同通信の記者となり、田中角栄の政策秘書をしていたという経歴の持ち主で、早坂茂三氏の先輩にあたる。「日本列島改造論」の原形をつくった人ということだったが、意見の相違で田中事務所を出て他の派閥に移っていた。

 私は政治的関心などまったくなく、実のところ、そこの美人秘書めあてに通っていたのだが、どういう訳かFさんは私をかわいがってくれて、仕事の合間に人生論から英会話まで、さまざまな教育をしてくださった。そのなかでよく角栄さんの話が出た。田中角栄ほど頭のいい男に出合ったことはない、というのがFさんの口癖だった。直観的に物事を把握する能力、記憶力、とっさの判断力、いずれも比類のないレベルであり、ニクソンや周恩来と対等にわたりあえた。その意味で、世界でも有数の政治家だということだった。東大出の官僚たちもみな、その能力にたいして畏敬の念をいだいているという。

 当時は中曽根首相の時代で、田中角栄は闇将軍といわれキングメーカーとして君臨していた。そのぶんマスコミのバッシングも激しく、私も金権政治の親分くらいに考えていた。しかしFさんの話を聞いているうちに、田中角栄という人物に興味がわいてきた。ちょうどその時、ある代議士のパーティーで、なまの角さんを体験することができた。そこで私の評価はがらりと変わった。

 何人もの大物政治家のスピーチのなかで、田中角栄の弁舌の巧みさ、発散するエネルギーは群をぬいていた。しかし私がおどろいたのはそんな事ではない、その慈愛にみちた内容である。自分の派閥の議員にたいする、父親にも負けぬくらい愛情にあふれたスピーチだった。「角さんは札びらで地位を築いたのではないよ」というFさんの話を、私も実感した。

 彼は新米の秘書にはかならず、「料理屋などに行っても、でかい態度で仲居さんや下足番のお爺さんを怒鳴りつけたりするようなことは、俺が絶対に許さん」と厳しく訓示したという。下積みの苦労を人一倍経験しても、いったん成り上がれば、そういう人々を踏みつけにするのが人間のつねであるが、角栄さんはそうではなかった。だから病に倒れたときも、全国のさまざまな無名の人から、毎日毎日、病気に効くという漢方薬や食品が届いたそうだ。

 私はいまも田中角栄は温かい人だったと信じている。それを人気取りの擬態だとは考えない。異才のある人物であり、金権政治家であり、心の温かい人だった。田中角栄とはそういう複雑な存在だったのである
 (私論.私見) 「私の見た田中角栄(鉄槌よ!語れより)」の角栄評について

 この証言も当人の実録であるだけに貴重である。「田中角栄ほど頭のいい男に出合ったことはない、というのがFさんの口癖だった。直観的に物事を把握する能力、記憶力、とっさの判断力、いずれも比類のないレベルであり、ニクソンや周恩来と対等にわたりあえた。その意味で、世界でも有数の政治家だということだった。東大出の官僚たちもみな、その能力にたいして畏敬の念をいだいているという」は、立花派の金権篭絡説を挫いていよう。

角栄殺し=CIA&日本人官僚・マスコミ!?
 どなたの文章か分からないが、「角栄殺し=CIA&日本人官僚・マスコミ!?」がサイトアップされている。なかなかのご指摘であり掲載しておく。
【角栄殺し=CIA&日本人官僚・マスコミ!?  結論を先にいおう 田中角栄元総理大臣閣下は、「完全無罪」「無実」】
 「・・・・・いっぱしの知識人面をしたインテリらがじぶんたちに都合のよい社会を作るために行ったキャンペーンこそが<角栄殺し>だったわけだが、その結果、日本が失ったものは、はかりしれなかった。
 
 日本が失ったものーーーーそれを仮に<角栄的なもの>と呼ぶと、それはおそらく昔ながらの庶民の現実感覚ではなかったろうか。知識と権限でじぶんたちの桃源郷をつくろうとする官僚(注 特に東京地検特捜部(法務省刑事局の一部の人間にに引き吊りまわされた?)や、当時の一部最高裁判事など)やインテリはいざ知らず、庶民の現場感覚は、伝統や経験をささえにする。
 
 人生や仕事に対する真剣さ、世間の常識やよき習慣、義理や人情、腕や人格を磨こうという健気さ、機会があれば大勝負にでる度胸といった庶民的感覚は、目に見えない社会規範を作り出し、あるいは人間形成の鏡となる。それが、伝統や経験に根ざした社会である。権限も高度な専門知識もなく、懸命に努力しなければ世間からはじき出される庶民は、伝統や経験をささえにしなければ、とても生きてはゆけようにない。彼らには官僚やインテリの権力主義や傲慢さ、計算高さや卑怯、他者への侮りなど、薬にしたくともありはしない。
 
 その逆をいえば、官僚やインテリは、伝統や経験からもっとも縁遠い人種だったことになる。彼らは「よき心」などなくとも、権限と専門知識だけで特権的に生きてゆけるからだ。・・・」(前書き10ページより抜粋)
 
 本の紹介です。田中角栄元総理大臣閣下は、小規模のCIA謀略工作チームと日本のインテリ(官僚、マスコミ人)に息の根を止められた。ことを論証するものです。
 
 私と司法書士の戦いの原点もここにある。以前と以後。日本はどう変わったか。(1)マスコミ権力の誕生と戦役的報道の開始(2)官僚の権限増大と政治力の衰退、(3)インテリ層の社会支配力の増大」(前書き8ページ)があるという。(2)の事項が特に甚だしい事態に立ち至っている。それは検察(東京地検特捜部)が、(1)のマスコミと手を組んで政治に介入している、したことである。
 
 この二つが手を組めば、何でも出来る。そこに、検察に民意は働かない。GHQの亡霊は、CIAと名を代え、今も検察に取り憑いている。刑罰権を国民の手に戻すときである。それには選挙しかない。
 
 再々主張、述べていることだが、検事を公選すべきである。国民のレベル以上の政治家はでてこない。選ばれない。とはよく言われていることだが、だれからもコントロールされない検察。目は日本国民を見ていない。外国の利益になることをやって平気でいる。中には、それを自慢して本まで出版している者もいる。
 
 国民のレベルにあった血の通った、日本人のための検察行政を推進する者を検察官検事に据えなければならない。と多数の日本国民は思い始めている。いや思っている。「正義感を喪失」したと、角川書店刊「検察の疲労」に書かれていたが、正義感のない検察、恐ろしくて口に出さないだけである。
 
 話変わって、そもそもグローバルスタンダードとは何なのか。つまるところ、海賊資本主義、冒険商業主義・商人。日本から略奪をで行うための隠れ蓑ではないのか。日本がツンボ桟敷に置かれたままで決められたBIS(国際決済銀行)規制。そこからバブル崩壊の序曲は始まった(田中閣下的なものが葬り去られた、一つの結果である)。
 
 その大本(おおもと)は、ものの本によれば、「イギリス女王」である。海賊のキャプテンクックを、外国の商戦から積み荷を奪い、イギリスに富をもたらした。と、貴族に列した国なのである。その下に「300人委員会」(注 この名の翻訳著作あり。再再版。初版は別の出版社で出されたが、なぜか発禁になった。
 
 イギリスのインド植民地支配は、会社組織、株式会社が行っていた?!というようなことが書かれている。その黒幕、大株主、社長はイギリス女王。又、明治維新に大きな影響を与えた、清とイギリスが戦った阿片戦争の内幕も。最近は堂々と出版されている。日本に何も怖いものがなくなって、暴露されても何の影響もないからなのか。私は2度目に出版されたものを所持。)
 
 そして、その手足となるのがユダヤ金融家など。決してユダヤ人は悪くない。そのご主人様が欲の皮が突っ張っているのである。出資金、株式に対するに対する、高額の配当を要求しているのだろうか。
 
 ところで、 日本とイギリス。同じ資本主義国でもその根っこが違う。根本的に思想がことなる。日本の資本主義は、封建時代の江戸時代にすでに誕生している。封建制度そのものが、必然的に資本主義を形成した。士農工商の身分差に基づく契約概念がその基本になっている。
 
 その根本理念は「正直、勤勉、倹約」で、宗教、仏教を主とし、神道・儒教の影響もある思想をもとにしている。約束を守らなかったら武士は切腹。その他の階級は打ち首獄門。おまけにお家取りつぶし。が究極の制裁。
 
 イギリス国教、分派 キリスト教でも、その萌芽は見られた。プロテスタンティズムだかカソリズムといわれるもので、やはり宗教から派生したものであった。理念は日本とほぼ同じ。(貴族と一般庶民の階級差が、契約遵守の精神を醸成したのである。
 
 イギリスの刑罰は過酷なものであった。産業革命で毛織物が貿易の主たるものになると、その原料の羊毛を取るため、小麦を作っていた農地は羊の放牧場にされた。領主の小作人となってそれら農作物の生産にたずさわっていた者は、農村から追い出さされた。それが都市部に流入。浮浪者となった。住まいも持てず、路頭で暮らした。イギリスは、それを取り締まる法律を制定。住所不定者無職者は逮捕連行。右手首を切断した。一般庶民(特に小作農民)にあっては、産業革命は暗黒の時代、日々であった。
 
 今の外圧によって生じている日本国民の就職難、リストラ解雇、中高年者の交通事故死者の3倍を超える自殺者の発生という災難。イギリス革命の裏にあった農地囲い込み、農民追い出し、俗にいうインクルーディング。その状況はオーバーラップしてしまう。)
 
 ところが、今のイギリス資本主義はその片鱗もない。アメリカに輸出され、そのキリスト教的資本主義は、マンデビルのいうところの似非自由資本主義。「個人の悪徳は公共の利益なり」に取って代わられ、自分、自社の利益最優先。共存共栄はない。簡単にいうと、やるかやられるか。仁義なき戦い。日本のやくざのような緊張の日々をビジネスの日常で送っている。外では競業他社。内では、上司、同僚、部下がライバル。ライバルは、優し過ぎる。端的に言えば仇同士。それを中心とするビジネススタイルが、国際標準の名の下、日本に怒濤のごとく押し寄せている。
 
 その砦、防壁だったのが、田中角栄元総理大臣閣下。エネルギー政策、高速交通網整備、教員優遇政策、国防政策等々。今に引き継がれている政策・方針は数多くある。経営学の神髄「組織は愛。市場は冷酷」を理解し、「国という組織は愛」を日本で実践、政治に適用。すばらしい方だった。
 
 その反対、外国勢力と手を組んで、日本を刑罰市場にしようとしているのが、司法官僚ではないだろうか。今の司法官僚、政治、政治家に牙を剥きすぎる。国民から選挙で選ばれたという「正統性」を否定している。「民主主義」否定し、資格試験合格者優先主義を台頭させ、跋扈している。司法試験と国家公務員上級試験。その間にも格差があるようになった。資格試験合格者は政治、主権者たる国民の僕であるべきではないだろうか。
 
 というようなわけで、20世紀最後の年に当たって、田中閣下の輝かしい業績と、降って湧いた謀略による思わぬ悲運を振り返る好著がこれ。ただ、田中閣下はその本当の下手人を勘違いして最後まで知らなかったようだ。表題と全く異なるが、それは「イギリス女王」だということを。
 
 ユダヤ人のイスラエル入植は、イギリスの後押しがあったからこそ出来たこと。そこに思いを致せば自ずと解答はでてくる。因みに大阪証券取引所の取引に端を発する、日本の株価大暴落はユダヤ系証券会社が引き金を引いた。といわれている。その後、イスラエルに対する米国の援助は減らされた。
 
 本当は、まだまだもっともっと株価を上げ、そして完膚無きまでに暴落させ、日本経済強いては日本を壊滅させるという計画があったといわれる。それを知ったユダヤ人、早めに引き金を引いた。そして、弾は急所を外れた。ある面でユダヤ人は日本人を救ったのである。
 
 その制裁がアメリカのイスラエルに対する、援助額の減額だった。日本人のために働かない官僚。外国勢力と手を結ぶ官僚。刑罰権の発動を促すという、ある意味で総理大臣以上の権力を握る検察。その組織の構成員、検察官は公選すべきである。法の恣意的解釈・そして運用、民意が働かない閉鎖社会、組織なので、その弊害が甚だしい。また独任官庁なのだから個々に、選挙の洗礼を受けさせても問題は生じない。
 
 癒着や派閥、外国勢力の浸透を防ぐ意味で、任期は当然次の選挙までということでなければならない。立候補者は、学歴、資格問わず。年齢は30歳以上。当然日本人のみ。ということで、国会議員は立法に当たって欲しい。そして当たり前といえば当たり前だが。公職選挙法が適用される。
 
 前置きはこれくらいにして、以下本題の本の紹介。新野哲也著。「−政治家・田中角栄の研究 だれが角栄をころしたのか?」発行所 株式会社 光人社 東京都千代田区九段北1−9−11 電話03(3265)1864 定価(本体1700円+税) 
 
 その本の帯・裏表紙には、次のように書かれている。「21世紀の日本を考える一冊!”角栄殺し”とは、いったい何だったのか。そしてそれは、現在の日本に何をもたらしたのかーー”指導民主主義”の具現者・田中角栄の人と政治を浮き彫りにする話題作!」(表表紙部帯) 「マックス・ウェーバーの唱える「理想政治」を実現しようとし、敢然としてエリート官僚たちと戦った豪腕の大衆政治家、その功罪を解析する問題作。
 
 「男性原理」に立ち、世俗性と超人性を兼ねそなえ、現実機能を持った希有の政治家田中角栄と日本の政治構造の徹底研究。」(裏表紙部帯)、「大衆のヒーローが大衆にうちのめされた悲劇なぜ角栄は戦後最大の政治家といわれるのか。エリート官僚主義とたたかった真の民主主義宰相、暖かい政治よりも”冷血政治”を選んだ日本人。田中角栄がめざした「血のかよった社会」の建設。角栄的なるものを失った日本が落ち込んだ冷血社会。日本を滅ぼしかけている<官僚化>政治の恐怖。「角栄的なもの」を抹殺したインテリと官僚の傲慢」(裏表紙) 





(私論.私見)