452911 れんだいこの血涙の自己批判

 (最新見直し2006.3.20日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「れんだいこの血涙の自己批判」というサイト名にしたが、人目を引きたいが為のものである。れんだいこの政治活動は、1970年からのものであり、丁度佐藤内閣打倒時に符合している。角栄が首相の座に上り詰め、日中国交回復交渉に向かうその過程ではむしろ地下サークル活動に潜り始めており、その後の田中内閣退陣頃は私事多忙となり政治の一線から身を引いていた。従って、「闇将軍」の過程、その後のロッキード事件の勃発と喧騒過程にはなんらタッチしていない。

 それを思えば、「胡散臭い角栄追放史」に手を染めておらず、「血涙の自己批判」というには及ばない。敢えてそう名づけたのは、人目を引く刺激的なタイトルにしたという意味と、「胡散臭い角栄追放史」に批判を逞しう為し得なかったことへのお詫びという意味であり、もう一つは「胡散臭い角栄追放史」に加担していった者達に対して「血涙の自己批判」を要求せんが為である。この三つの意味から「れんだいこの血涙の自己批判」というサイト名にした。

 今日、マスコミ人からの「角栄見直し」の声がちらほらと聞こえてくる。これについて言及する。「角栄見直し」は為されないよりはましとしても、れんだいこ的にはマスコミ人の気楽な稼業ぶり、俗に云う無責任夜郎自大ぶりが却って知らされ胸中複雑というか、否はっきり云おうむしろ怒りさえ覚える。何に対して怒るのか。それは「血涙の自己批判無き故」であろう。マスコミは既に第四権力であり、その権力を駆使して史上例の無い阿漕な反角栄キャンペーンを続けてきたというのに、その史実に対する「歴史的謝罪」無しに安穏な見解修正なぞ許されるべきだろうか。

 「マスコミが捜査、裁判を大々的に報じ、あおる結果になった面は否定しないが、それだけが、真実を遠ざけたとは、私は思わない。しかし、これだけの疑惑が残るからには、さらなる究明がマスコミの責任である」などとのほほんと云われると、このど阿呆めエエカゲンニセンカイと怒鳴りたくなる。

 その癖、よそ事の例えば戦前の軍部に対しては相変わらずの「歴史的謝罪要求論者」として立ち居振る舞いしているとすれば、手前勝手とご都合の虫が宜し過ぎよう。彼らはいつも正義気取りで人気を得ようとしている。世の中にはこういう処世術士の手合いが多い。まったく連中は結構な性分と身分であるわな。

 れんだいこは、こういう繰り言を云いたいのだと思う。但し、「角栄見直し」はされぬよりはされた方が良い訳だから、れんだいこの怒りも若干は割引せねばなるまい。他の「潔癖正義の社会修正主義的改良家」が未だに頑迷にも「諸悪の元凶角栄、ロッキードを思い出せ」なる論を採り続けていることを思えば。

 「角栄見直し論」派の双璧に田原総一朗と岩見隆夫が居る。悔い改めない人士に立花隆と猪瀬直樹が居る。この4名については、れんだいこは引き続きウオッチしていこうと思う。面白くも無いウオッチではあるが、「角栄見直し」の帰趨上必要なことだから。 

 2004.2.1日 れんだいこ拝


田中角栄の「無罪」論
 さし当り、岩見隆夫の次のような記事田中角栄の無罪論を紹介しておく。
 (れんだいこによる前略) ところで、これは決してこじつけではなく、スポーツであれ、何であれ、〈アメリカとの勝敗〉を耳にするたびに、政治記者の私には脳裏をよぎることが一つある。アメリカは一番好きな国ではあるが、あのことが、 〈アメリカにやられたのではないか……〉 という底深い不信として残っているからだ。

 四半世紀も前の一九七六年二月、春雷のように日本を直撃したロッキード疑獄である。いまの政治不信の淵源となる〈総理大臣の犯罪〉だった。主犯の田中角栄元首相は裁判途中の七年前に死去、公訴棄却となる。つまり、確定判決はない。

 田中さんが亡くなってから、政界の人たちはロ事件について、胸につかえていたことを少しずつしゃべりだした。事件がアメリカから持ち込まれた当時の三木内閣で重要閣僚をつとめた某氏と、私はそのころ酒席でロ事件問答をしたことがある。 田中さんに対する受託収賄罪の起訴状、核心部分の一つは五億円のワイロの受け渡し場面だ。

 〈一九七三年八月十日から七四年三月一日にかけ計四回、東京都千代田区一番町一番地の英国大使館裏側の道路などで、現金の入ったダンボール箱を丸紅の車のトランクから、田中家の車のトランクに移し替え、目白の田中邸に搬入した〉 という趣旨である。だれもが記憶している、生々しいダンボール箱のストーリーだ。事件発覚からすでに十年余が過ぎ去っていたが、私は某氏を相手に蒸し返してみた。

 「白昼に、天下の公道で、できますかねえ」。某氏は即座に答えた。「そんなことがあるわけないじゃないですか。できっこありませんよ」。「ほう、じゃ、あれは嘘ですか」。「そうだよ……」。

 酔いも手伝って、某氏もかねてからの疑惑を断定的に口にしたのかもしれない。だが、少なくともこの人は、事件の内側をかなり深く知り得る立場にいた。私はそれを聞いてがく然とした。あれは検事の作文ということになるのか。以来、何人かの実力者といわれる政治家からロ事件の感想をうかがう機会があったが、「角さんは五億円のことは知らなかったと思うよ」と言う人が多く、さらに事件の性格については、 〈アメリカが田中を失脚させるための追放劇だった〉 という見方でほぼ一致していた。

 アメリカの謀略? 究明が報道の責任

 この謀略説の裏は、〈資源外交説〉と〈中国説〉(日中接近に対する米保守派の反発)の二つがあったが、確証があるわけではない。ただ、中曽根康弘元首相は、著書『天地有情』のなかで、 〈田中君はヨーロッパやソ連で石油取得外交をやった。それがアメリカの琴線に触れたのではないかと思います。世界を支配している石油メジャーの力は絶大ですからね。のちにキッシンジャーは「ロッキード事件は間違いだった」と密かに私に言いました〉 と打ちあけている。一体、間違いだった、とは何を意味するのか。

 とにかく、私にとって、ロ事件はふっきれないまま世紀末に至っている。そんな折、『田中角栄の真実――弁護人から見たロッキード事件』という本が先日、出版された。著者の木村喜助さんは検事から弁護士に転じた方で、いま七十二歳、ロ事件では第一審から最高裁まで田中さんの弁護を担当した。

 なにはともあれ、読みたい本である。木村さんは、まず、 〈私も高齢者といわれる年齢になった。いまのうちに、この事件はマスコミが喧伝したような明々白々とした事件ではなく、一、二審で有罪判決は出たものの、田中先生は無罪であると確信しており、百歩譲っても限りなく不透明な事件で有罪にはできないことをどうしても明らかにしておく必要があると考えた……〉と筆をとった意図を記している。

 詳細を紹介する紙幅はないが、ダンボール箱ストーリーはどうなのか。木村さんは、〈いやしくも時の総理大臣に対する献金を路上などで本当に行なうものだろうか。人目につきにくい路上などあるのだろうか〉 と強い疑問を抱き、あらゆる調書などを点検した結論として、 〈(田中側の)運転手がつけていた運転日報と(ロ社側の)領収証の日付を付き合わせ、金を渡した日は領収証の日付に近接した日として、それに適当な場所を、取調べ検事が頭で考えて作り出したものであったのだ〉 と断定している。もし作文説が真実なら、これほど恐ろしい話はない。ほかにも検事の作文調書と言い切っている個所が、この本にはいくつもある。

 それはそうだろう。もし、木村さんの主張どおりなら、事件全体を作文で固めたことになるからで、すべてはフィクション、ということになってしまう。 事件に関係した検察幹部がのちに、「四回の金銭授受の裏付証拠が少ない。信ぴょう性に欠けていた」 と語ったという話も紹介されている。あとから言われても、と思う。 ロ事件がアメリカの謀略だったと仮定して、なぜ日本の検察、裁判所はそれに悪乗りすることになったのか、という疑念が残る。

 〈マスコミの煽動による世論にあおられて、知らず知らずのうちに、「田中角栄は悪い奴だ。早く葬らないと日本が滅びる」という妙な観念が固定してしまったのではないか〉と木村さんは書いているが、もしそうだとすれば、戦後政治最大の汚点というほかない。木村さんは、 〈マスコミによって作り上げられた巨大な世論に押しつぶされたようなロッキード裁判……〉 などと繰り返しマスコミ報道の罪悪を指摘した。

 マスコミが捜査、裁判を大々的に報じ、あおる結果になった面は否定しないが、それだけが、真実を遠ざけたとは、私は思わない。しかし、これだけの疑惑が残るからには、さらなる究明がマスコミの責任である。

【呪われるべし日共不破のお粗末見解】
 それにしても、日共不破の次の発言だけは許しがたい。「ロッキード事件に果たした日共の陰謀及び反動的立ち回り」で述べているが再掲する。1999.7.25日付け赤旗の「日本共産党創立77周年記念講演会 現代史のなかで日本共産党を考える」で、日共の不破幹部会委員長は、ロッキード事件に関して次のような見解を披瀝している。

 「それから、あれだけ国民が追及していた政治腐敗でしたが、それが途方もなく大きくなりました。私は、いまでも思うのですが、金権政治の元祖といわれた田中角栄氏は、国内で五億円の金を調達できないで、危険だとわかっていながらロッキードの献金に手をだして領収書を書いた。それがあの大事件になったわけでしょう。いま、五億円――物価が上がっているから、いまなら十億円、二十億円というお金に当たるのでしょうが、その程度の金は、自民党のどの派閥でも、どこからでも平気で生みだしてきます。

 田中角栄氏の後を継いだ金丸信氏などは、国が公共事業を発注するたびに、そのいくばくかは発注額に比例して自分のところに入ってくるという自動献金装置までつくって、逮捕されたときには金の延べ棒が金庫にざくざくでした。(笑い)」。

(私論.私見) 「日共不破の今日に於いてもかような見解」について

 何と、「金権政治の元祖といわれた田中角栄氏は、国内で五億円の金を調達できないで、危険だとわかっていながらロッキードの献金に手をだして領収書を書いた。それがあの大事件になった」と云う。この詐術に胸が悪くなるのはれんだいこだけだろうか。

 不破は、「金権政治の元凶」として批判し続けてきたが、その元凶が葬られるや「元祖」と少し表現を替え、「その元祖が落ちぶれて国内で五億円の金を調達できないで、危険だとわかっていながらロッキードの献金に手をだして領収書を書いたのがロッキード事件の真相だ」と云う。聞き捨てならない無茶苦茶な観点を披瀝している訳だが、日共党員つうのは余程脳軟化症しているのだろう。この詐術と観点の歪みを問わないで(笑い)で応じているようである。

 れんだいこはもはや言葉を失う。こんにちでさえこのテイタラクであるからして当時の日共の対応の変調さは推して知るべしであろう。宮顕ー不破系党中央は、検察司法のロッキード事件追求をあたかも正義の使者であるかの如く見立てて礼賛していった。更に、検察司法の手に負えない政治局面で、正義の使者を引き継ぐかのようにして議員辞職運動を組織していった。その例証は枚挙にいとまない。

 2005.6.6日再編集 れんだいこ拝




(私論.私見)