45221 | 議員立法 |
(最新見直し2006.2.19日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
角栄自ら提出者として成立させた議員立法は、初当選からの10年間に25法、42年間の議員生活を通じて実に33法、同僚議員との共同提出や協力して成立させた関連立法は84法、直接、間接に作成した法律は100件以上を数えている。この記録は前代未聞であり、凡百の政治家の真似できないところである。この記録は今後も破られそうに無い。その角栄は後に、金権利権土建屋政治家として批判を浴びせられることになった。しかし、角栄が手掛けた以下の議員立法に通暁すれば、角栄が私利私欲の為に働いた訳ではないことが判明しよう。これを論より証拠と云う。 角栄は、土木建築畑出身の専門性を発揮し、建築士法、住宅金融公庫法、公営住宅法を手始めにダム法、道路法、港湾法、河川法へ向う。次に、高速道路法、新幹線整備法、地域開発法へ向かい、次第に国土総合開発という観点からの必要事業を手掛けて行き、数多くの実績を残していることが分かる。この一連の社会基盤整備が、昭和30年代から40年代へかけての高度経済成長の基盤となり、国富増進に資したことは疑いない。 角栄は、これら全ての業績を集約する形で日本列島改造案まで進む。そこには国土の均衡的発展を要とする国家百年の計があった。昭和40年代後半からクローズアップされてきた公害、環境問題への対策が甘かった欠点は有るが、角栄健在なら必ずや更なる叡智を発揮していただろう。 しかし如何せん、例の批判合唱から始まるロッキード疑獄により手かせ足かせを嵌められ、国政関与ができなくされてしまった。以降の日本の舵取りは、それまで蓄えられた国富の食い潰し政策であり、まともな指針を打ち出すことが皆無となった。今日、公共事業が目の仇にされ、与野党マスコミ問わずそれを合唱している様は、国家が自分の首を絞めて恍惚の法悦している愚に似ている。 2005.9.7日、2006.2.19日再編集 れんだいこ拝 |
【角栄の議員立法考】 | ||||||||||||
角栄が議員立法として成立させた法案は33件にのぼり、この抜群の記録はいまだに破られていない。そして、その法案の多くは「生活関連及び国土開発とその為の特殊法人」に関するものである。角栄は数多くの議員立法を手がけた不世出の異能政治家であったことになる。 これにつき、増山榮太郎氏は「角栄伝説」の中で次のように述べている。
云うは易く行いは難しい。議員立法には、超人的な勉強と卓越した能力が必要とされる。関連法規全てを熟知し、その地平に立って新たな法律を作らなければならない。もしそれが的外れであったり、穴だらけのザルであったなら、第一役人達が横を向いてしまう。役人を納得させ、あたうならば協力させ、手伝わせる手腕が必要とされる。加えて責任を取る者でなければついて来ない。角栄は非常なる勉強家であったし、それらの能力を発揮したからこそ数々の議員立法が可能となった。
「文芸春秋」(昭和56.2月号)での田原総一朗氏のインタビューに次のように応えているのも注目される。
角栄は、昭和44年組当選議員(小沢・羽田・梶山ら)の祝いの会での挨拶で次のように述べている。
田中は、後になって田中派の若い議員が来るたびに、地方のことは地方議員に任せればよい、君達は立法府の議員なのだから議員立法に取り組みなさいと勧めている。佐藤昭子は次のようにコメントしている。
猪瀬直樹氏の「死者達のロッキード事件」より引用する。
かく本人の述べるように、角栄は初当選からの10年間に25法の議員立法を実現、42年間の議員生活を通じて33法、生涯に陽の目を見させた議員立法は72件、直接、間接に作成した法律は100件以上という空前の業績を為している。事実、後にも先にも出ない、不世出の記録保持者となっている。
早坂茂三氏も次のように云う。
この一連の議員立法が後の公共事業(道路、港湾、鉄道、住宅)の法的根幹になっていく。つまり骨格作りとなった。角栄のこうした裏方的社会基盤整備に向けた国土開発は、池田首相の高度経済成長路線と相まって車の両輪の如く日本経済を発展させていくことになった。
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【(田中角栄の議員立法及び傾注立法)】 |
西暦 | 和暦 | 議員立法 | 備考 | |
1949 | 24年 | 建築士法 | 第1号 | 衆議院の国土計画委員会(後の建設委員会)の中に地方開発小委員会をつくり、電源開発の基本的な討議を行っている。以降、この審議を皮切りにして議員立法が作成されていく。 |
1950 | 25年 | 国土総合開発法 | 内閣提案の形をとっているが、角栄の議員立法であった。 | |
住宅金融公庫法 | ||||
1951 | 26年 | 河川法一部改正 | 国土開発や、経済発展という観点から一部改正され、原因者負担の大原則を確立し国の負担への道を拓いた。 | |
公営住宅法 | ||||
電源開発促進法 | GHQの抵抗があり、粘り強い交渉を要した。 | |||
道路法改正 | 28年公布。有料道路制を導入した。 | |||
1952 | 27年 | 道路整備緊急措置法(ガソリン税法) | 28.7月成立、28.7.23日公布 | |
道路整備特別措置法(有料道路法) | ||||
水資源開発促進法 | ||||
各軍港都市整備法 | ||||
北海道東北開発法 | ||||
官庁営繕統一法 | ||||
高速道路連絡促進法 | ||||
新幹線建設促進法 | ||||
ダム特別会計法 | ||||
水特別会計法 | ||||
港湾特別会計法 | ||||
トン税法 | ||||
1961 | 36年 | 水資源開発促進法 | 「治水特別会計」に大蔵省が頑強に抵抗したが、押し切った。 | |
1964 | 39年 | 河川法全面改正 | ||
首都建設法、首都圏整備法。続いて、低開発地域工業開発促進法、新産業都市建設促進法、工業整備特別地域促進法、地域ブロック(北海道、東北、北陸、中国、四国、九州)開発法。 |
【住宅法について】 |
「住宅公団10年史」(昭和40年刊)には次のように記されている。「戦争は日本の多くの都市に、壊滅的な破壊をもたらしたところで終結した。210万戸の住宅が失われ、しかも復員や海外からの引き揚げで64万戸ほどの世帯が増加し、住宅不足は420万戸に達すると云われた。住宅の状況は絶望的であった」。 |
【河川法一部改正について】 |
旧河川法では、橋も鉄橋も仮設物としてしか認可されていない為、国が堤防のカサ上げをする河川工事の際には、仮設物設置者の費用負担で一緒に位置を上げねばならなかった。それを「河川の所有者である国が負担する」ことにした。 |
【全国総合開発計画(「全総」)について】 |
1950年、国土総合開発法が制定されている。内閣提案の形をとっているが、角栄の議員立法であった。後に日本列島改造論を唱えることになるが、その淵源はこの議員立法時代に発している。 下河辺淳・国土審議会会長。 |
【道路法について】 | |||||
角栄は、「道路三法」と呼ばれる1・道路法、2・ガソリン税法、3・有料道路法の制定に孤軍奮闘した。角栄は、道路網整備に於いて誰も考えないことを考え、実行するアイデアマンでもあった。
1952(昭和27).4月、角栄は他の二人の議員とはかって旧道路法の全面改正による戦後道路行政の骨格を決める「新道路法」を提案、この年6.10日に公布させた。
ヴァーチュアス・サイクル(好循環)の受益者負担論を畳み掛けて、運輸・石油業界を黙らせてしまった。
1952(昭和27).12月、第15回国会に、田中は他の25人の議員とはかって、ガソリン税法を議員立法で提案した。百日間にわたる長期論議が行われたが、結局、このときの提案は衆議院は通過したものの、参議院で野党と大蔵側委員の強い反対論が通って審議未了になった。
この時の相手の一人として後の民社党委員長・春日一幸氏と角栄の遣り取りが、小林吉弥氏の著作「角栄一代」(77P)に記載されている。角栄は、局面が困難になると、大蔵省に乗り込んでいき、「君達、日本再建の基礎は、道路だ。頼むぞ」と大蔵官僚に根回ししていった。角栄は「ガソリン税を一旦そのまま歳入として一般会計に組み入れ、同時にその歳入額に『相当』する額を、道路整備の特定財源として支出する」というアイデアを考案し、調整していった。この発想は、東大法学部卒の高級官僚の知恵の及ぶところではなく、角栄の異能さを知らしめていくことになった。
同時に、田中角栄はこの経過で昭和23年に独立して間が無い新興官庁たる建設省に、政治家としての大きな拠点をつくることになった。法案成立の過程で若手の建設官僚とともに知恵をかき汗を流すことで、誼を通じることとなった。この当時の若手建設官僚たちは、以後長く「政治家田中」に一目置くことになり、信奉する者も生まれることになった。 |
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(「2003年度近畿大学法学部卒業論文」所収の黒瀬侑・氏の「角栄の功と罪」参照) 2007.2.3日 れんだいこ拝 |
【水資源開発促進法】 |
角栄は、日本に於ける水資源の重要性を認識し、「利用者負担の原則」を打ち出して、水資源開発促進法から水資源開発公団法、治水特別会計法に取り組んだ。水資源開発促進法は、昭和36年に、角栄自身が衆院水資源開発と区別委員長になり、建設、通産、農林、運輸など、各省の縄張り争いを苦労して調整し、纏めた。 治水特別会計法創設の際には、大蔵省が「特定の財源を持たない特別会計は、財政法によって作ることが出来ない」と反対した。角栄はこれに対して、「水は最大の財源だ。水の使用者が利水料を払うべきだ。ただ農業だけは既得権があるから免除するだけだ」という論法で、説得に成功した。 |
【小泉政治の「角栄政治破壊」考】 |
小泉改革で廃止が決定している「日本道路公団」、「首都高速道路公団」、「日本鉄道建設公団」、「日本住宅公団」、「本州四国連絡橋公団」など、すべて角栄が成立させたものだ。小泉政治は、意図的に角栄政治の遺産を壊し続けている。 小泉政治は何故に角栄政治の遺産を壊し続けているのか、これを考察せねばならない。 2005.10.30日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)