452913 諸氏百家の角栄評考その2、不動明王氏の角栄論

 (最新見直し2006.4.20日)

「新しい国家社会の建設を目指して」の角栄評について】
 インターネットサイト「新しい国家社会の建設を目指して」は、角栄についてかなり総合的な見解を披瀝している。「田中角栄問題に関して」、「田中角栄氏の大幅な見直しが始まる兆候か」、「田中角栄氏の評価は大局的・相対的・総合的に」云々。

 そこで、れんだいこはこれを基にして対話を試みることにする。逐次コメント付けてみる。


23田中角栄問題に関して
 不動明王氏は、次のように述べている。
 田中角栄氏こそは功罪相半ばし毀誉褒貶の激しい政治家であるが、総合的、相対的、大局的に考えて実に、国益を重視した愛国者であり、マイナス面よりも遙かにプラス面が多かったと言えよう。角栄氏が総理を継続していたら、北方領土も返還されていたであろう。米国を押さえられるからこそ旧ソ連も返還に応じるというものだった。米国と旧ソ連、そして中国の世界の強国を手玉に取って外交が出来る唯一の政治家であり、正に世界の田中であったと言えよう。

  それにしても外国勢力にとっては、田中氏ほど手強い交渉相手は近年には存在せず、どうしても彼らの既得権益擁護のためには排除すべき存在であったことは確かだ。その田中氏を追い落とした米国の陰謀に乗せられた国民は実に近視眼的亡国者であり、また米国に加担した法務省や最高裁、当時の権力者などは実に売国奴であったと言えるであろう。今こそ、真の国家主権とは何か、真の愛国的行動とは何かを考え直す時期に来たようだ。
(私論.私見)「新しい国家社会の建設を目指して」の角栄評について

 れんだいこは、この角栄評に全面的に賛同する。

 「田中角栄氏が失脚して行ったのは国民にとり多大な損失であった。世界にとっても大きな損失であり、田中氏こそは実に世界の多くの政治的指導者が恐れる世界の田中であったからだ。当時のソ連政府のブレジネフ書記長との北方領土交渉に対しても、相手に対して脅威を与えて、返還の合意を引き出したほどである。当時のソ連のブレジネフ書記長から、「田中さん、あんたならソ連に来ても書記長が務まる」などと言わしめたものである。恐らく彼が総理大臣をそのまま継続していたら、その後、北方領土も簡単に返還されていたであろう」。
(私論.私見)「新しい国家社会の建設を目指して」の秘話―ブレジネフ書記長の角栄評について

 この逸話は初めて聞かされた。あり得る話だろうと思う。

 「また、中国の周恩来首相との日中国交正常化交渉でも、多くの日本人が当初から懸念していたように、中国側が日本の太平洋戦争当時の事実を突きつけたのに対し、「中国こそ、鎌倉時代の元寇により文永の役、弘安の役で日本を侵略したではないか」と厳しく言い返して、日本への戦争に関する中国の損害賠償請求を放棄させたものである。また、米国に対しても、西部開拓魂の旺盛なテキサス出身のコナリー財務長官に対しても、あの早撃ちコナリーとまで言われた彼の早口を上回るほどのスピードで言い負かしたことでは、逆に相手から畏怖され、尊敬され、信頼されていったものである。彼は英語が出来なくても相手の心が良く理解できるものであり、その意味では、なまじっか英語が話せる者よりも遙かに国際的な政治家であったと言えるであろう」。
(私論.私見)「新しい国家社会の建設を目指して」の秘話―日中国交正常化交渉での遣り取りについて

 この逸話は初めてではないが、角栄の外交能力を高く評価している点で同感である。

 「不幸なことに、例のロッキード事件では、コーチャンというロッキード社副社長の米国人にのみ免責特権を与えて、その自白を下に、形骸化し死文化された外国為替管理法(外為法)という法律で有罪にしてしまったものであり、しかも確実な物的証拠もなく、状況証拠をでっち上げて行ったものであり、極めて異例でもあり、異常でもあったことは誠に残念なことである。その上、田中氏側の反対尋問すら与えずに裁判を押し切ったところに、先の我が国に法律上何ら規定のない免責特権を与えたことと言い、状況証拠のみで有罪としたことに加えて、憲法違反の疑いすらあったと言えるだろう。

 また、当時の最高裁長官は、後日、「国民の協力があったればこそ有罪に持ち込めた」と言っていたのには、全く何をかいわんやと言う思いである。例え、5億円を相手から受け取ったとしても、彼ほどの人物ならば許しても良かったものと思われる。それ程の数十年に一度の決断と実行力に富み、且つ2,30年先をも先を読むことが出来た実に先見性、洞察力に富んだ偉大な政治家であったと言えるだろう。人の心を読むことにかけては誰も真似ることの出来なかった人物であったであろう」。
(私論.私見)「新しい国家社会の建設を目指して」の「ロッキード事件」批判について

 「ロッキード事件」の胡散臭さについて的確な批判をしている点で同感である。但し、「例え、5億円を相手から受け取ったとしても、彼ほどの人物ならば許しても良かったものと思われる」としている点が気にかかる。現段階最新の「ロッキード事件」研究は、「角栄は真実5億円を受け取っていないのではないのか」というところまで来ている。出来うれば、この水準からコメントして欲しいと思う。

 「近年には彼に匹敵するような人物は全く存在しないだろうと思われる。明治時代にはよく似た人物もいたが現代では殆ど見当たらないと言っても良いだろう。実に嫉妬や妬みに狂った国民性が彼を葬ったと言えるであろう。そんな国民にしても、皆多かれ少なかれ、速度違反や信号無視、キセル乗車程度の法律無視の誤魔化し程度はやっているものと思われる。金銭の額に多少はないであろうと思われ、罪としては同罪なのである。国民が余りにも、目先の嫉妬に狂ったものであり、国家にとって、国民全体にとって大きな損失であったと言えるだろう。実に、「罪を憎んで人を憎まず」といった寛大な心が国民全体に求められていたようだ」。
(私論.私見)「新しい国家社会の建設を目指して」の「ロッキード事件」に関する国民の嫉妬要因論について

 ここの文はいただけない。角栄を葬った要因に「国民の嫉妬」を挙げるのはお門違いでは無かろうか。大衆は総じて賢く、巷では角栄を好評価する者の方が多い。にも拘わらず、マスコミとエセインテリがこれてもかこれでもかと角栄批判をし続けてきている、というのが実際では無いのか。

 「彼の選挙区に多額の公共工事費が投下されて行ったとかの国民的非難もあるが、彼の頭の中には、単に選挙民に対する奉仕ということ以上に、表日本における東京に対抗して、新潟を裏日本の代表格にして、国土の均衡ある発展を期する思いもあったものと思われる。また、一方で、田中氏も従来のような国民の税金を一部誤魔化していくようなことを止めて、心を入れ替えて政治手法を根本から改めるべきであったと言えるだろう。誠にもって残念なことに、田中氏も国民も共に、大局的な展望や解決策を大きく誤り、国家の進路を狂わせていったと言えるであろう」。
(私論.私見)「新しい国家社会の建設を目指して」の「角栄の選挙区への公共工事費投入観」について

 ここは、戦後の普通選挙システムと議院内閣制システムを関連付けて、議員が自身の選挙区に国費を引っ張ってくることはさほど問題ではない、と立論すべきところではないだろうか。

 後段の「田中氏も従来のような国民の税金を一部誤魔化していくようなことを止めて、心を入れ替えて政治手法を根本から改めるべきであったと言えるだろう」については同意できない。角栄は案外と身綺麗である。このことが知られていな過ぎる。「新しい国家社会の建設を目指して」管理人ともあろうものが、俗説に染まっているのは残念である。

 「なお、配下の竹下氏から派閥を乗っ取られていったことが原因して、竹下氏との確執により倒れたのも酒とストレスが大きく影響を与えていたと言えるだろう。なお、竹下氏が後で田中邸を訪問した際に門前払いしたのも、何も心から憎くて退けたのではなくて、塀をも乗り越えてまでやって来るかどうかの迫力と根性を試したものと思われる。竹下氏にはそうした度胸は全く無かったことは当時の言動でも明確であり、その後の行動でも証明済みであろう」。
(私論.私見)「新しい国家社会の建設を目指して」の「竹下の角栄邸門前払いの背景推測」について

 前段の「配下の竹下氏から派閥を乗っ取られていったことが原因して、竹下氏との確執により倒れたのも酒とストレスが大きく影響を与えていたと言えるだろう」は、まま正しい。後段の「竹下氏が後で田中邸を訪問した際に門前払いしたのも、何も心から憎くて退けたのではなくて、塀をも乗り越えてまでやって来るかどうかの迫力と根性を試したものと思われる」は、余計な推測だろう。角栄の娘・真紀子は、竹下―金丸連合に対して押えきれない怒りを持っており、後に判明したようなアリバイづくり的な表敬を拒否したのは当然であろう。末尾の「竹下氏にはそうした度胸は全く無かったことは当時の言動でも明確であり、その後の行動でも証明済みであろう」は、正しい。

 「ところで、例のロッキード事件は米国の謀略だとかいう指摘もあるが、最初に米国に情報を売った者は、田中氏の側近であり盟友であった某人物であり、田中氏との些細な約束違反に腹を立てて、米国に田中氏関係の情報を売ったものであろう。国益を全く考えないで私恨に囚われた低俗な人物によって、稀に見る天才的な世界的政治家としての田中氏を米国に売ったことにより、日本国家の不幸が始まったと言えよう。それぐらいの裏切りをすらやりかねない人物であった。田中氏は最後までそれとは知らずに死んでいったようだ。現在の殆どの日本人はこのような売国奴、某国の輩、裏切りの徒と言えるであろう」。
(私論.私見)「新しい国家社会の建設を目指して」の「米国に田中氏関係の情報を売ったもの云々」について

 この話は初耳だ。「田中氏の側近であり盟友であった某人物」とは誰のことだろう。ここまで書くのなら、特定すれば良いのに。それは人民的利益に非常に関わることだから、問題ないと思う。

 「また田中氏を有罪にしていった当時の総理大臣や法務大臣にしても、法律解釈をねじ曲げて事件を政略的に利用していった嫌いがあるようだ。クリーンを売り物にしていたほどにはクリーンでもなく、極めて腹黒い人物であったと言えよう。その女房に至っては、現在では、厚顔無恥にも野党の集会に出て反政府行動を実践している有様だ。また田中氏の税務内容を暴いた某作家にしても、その後、アメリカ航空宇宙局(NASA)関係の仕事を取材していたり、また当時の事件担当で田中有罪に追い込んだ某検事にしても、畑違いの某財団で活躍しているところを見ると、何処から取材の便宜が出ていたり、財団設立の背景や真の出資者が誰であるかを追跡調査すれば面白いものが出て来ることであろう。案外、アメリカ当たりから田中氏を葬ったことに対して、多大なる感謝の論功行賞としての対価であったとしてもおかしくはないであろう」。
(私論.私見)「新しい国家社会の建設を目指して」の「ロッキード事件ではしゃいだ者達の胡散臭さ」について

 当時の総理大臣、その女房、法務大臣、某作家を槍玉に挙げているが、もっともなことである。ここのところはもっと詳しく書いても良いところだと思う。

 「さて、様々なストレスが重なって田中氏は倒れることになったが、それでも田中氏ほどの病状ならば、もっと早くにも亡くなっていて当然だったように思われる。何処か、田中氏は神仏の加護に守られて生き長らえていったものと思われるのである。しかし、田中氏が倒れたのは、真の神仏に対する嫌悪感からであったように思われる。某講演会でも、「ワシに法華を勧めるものがいるが、ワシは真言だ」と言っていたことでも解ろうというものだ。崇高な法華経の精神を、何かいかがわしい多くの邪宗教の法華教の一宗教と勘違いしたようだ」
(私論.私見)「新しい国家社会の建設を目指して」の「角栄家の宗派問答」について

 「ワシに法華を勧めるものがいるが、ワシは真言だ」と述べていたという角栄の逸話も初耳だ。面白い。角栄と創価学会―公明党との関係がとかく噂されているが、「ワシは真言だ」というスタンスの中での交わりであったことが判明して興味津々。

 「田中氏も、意識が朦朧とした精神状態の中で、自分を守護している真の神仏の姿を心から感じ取り、周囲にそうした真の神仏の存在に関する何かを訴えていったものと推察されるが、周囲は田中氏からのサインを何も感じないままに見過ごしていったものと思われる。最初の内は意識もあったようだが、次第に意識も不鮮明になっていき、周囲に対して明確な意志を伝えることが出来ないままに、恐らく身近に感じて存在する真の神仏に関する意識を充分に伝達できなかったものと思われる。

  そうしたことは、田中氏の盟友の某総理が生前に、「信じ難きことを信ずる事なかれ」と日記に書き残していったことも、一体何のことかすぐには解らないが、案外、身近に何かを感じ取っていたのかも知れないと思われる。これも周囲にとっては何のことか全く理解できなかったことであろうと思われる。もっとも何のことか解らないからこそ、新聞等で公開されたのであろうと思われる。恐らく、田中氏が感じたものは、盟友が書き残したものと同じものであったことと思われる。当時も仕事の最中に急に倒れて入院し、一週間で退院できる程の軽易なものと言った医者の予想をに反して、一週間で死んで退院したようだ。何か不思議な因縁を感じる想いだ」。

 「さてその内、田中氏を裏切った者には天罰が下り、衰滅の運命に晒されるであろうと思われる。事実、天罰が下るような状況が起きていると言っても良いだろう。田中氏の周囲に集まってきた連中の殆どが、田中氏の人並み外れた才能に畏怖し、尊敬して集まってきたものではなかったのであろう。単なる金銭や地位への集(たか)りでしかなかったと思われるのに、不幸にも田中氏はそのことに気付かなかったようである。また、田中氏は、実に洞察力や先見性に富んでいたようだ。20年,30年先を読んでも周囲は理解できないから、精々が2,3年先しか話していなかったようだ」。
(私論.私見)「新しい国家社会の建設を目指して」の「角栄を取り巻いた人士のレベル」について

 「田中氏の周囲に集まってきた連中の殆どが、田中氏の人並み外れた才能に畏怖し、尊敬して集まってきたものではなかったのであろう。単なる金銭や地位への集(たか)りでしかなかったと思われるのに、不幸にも田中氏はそのことに気付かなかったようである」には同意できない。角栄がロッキード事件を通じて闇討ちされなければ、角栄門下生は更に大きく成長していただろう、と推測する方がまともではなかろうか。玉石混交の様々な人士が取り巻いたというのが真相であろう。

 「惜しむらくは、田中氏にもう少し福田氏ほどの官僚的な緻密ぐらいに頭が良かったら、かなり安定的に権力を維持できたものと思われることである。彼ほどの独創性に富んだ政治家ならば、いっそのこと独裁をやらせても良かったと思われるほどである。それでも、田中氏にはヒトラーほどの残酷性は無いし、極めて人情に厚い涙もろい政治家であったと言えるだろう。そうした田中氏も例の事件後は、心理的にも一段と追い詰められていき、そうした背水の陣の中で洞察力も益々と深化していったものと推察される。少し、性格的には性急で短慮であったのが懸念される」。
(私論.私見)「新しい国家社会の建設を目指して」の「角栄の能力と性癖」について

 「彼ほどの独創性に富んだ政治家ならば、いっそのこと独裁をやらせても良かったと思われるほどである」の指摘は面白い。但し、角栄は大衆的民主主義者であるので機関運営を重んじ、独裁者になる道は全く意図していなかっただろう。

 「思うに、田中氏に再起を期す執念があったことが否定しないし、現に裁判で汚名を晴らした後には、再度総理大臣に返り咲く戦略狙っていたものと推察される。そうした意志や目的があったればこそ、派閥を簡単に譲らなかったとも言えよう。しかし、政治家としては一旦身を引き、経済界に身を置いて、そこでビジネス界で名を挙げながら裁判を戦い、その後に政界に打って出る戦略を採るべきであったであろう。他のロッキード事件で裁判に拘わって置きながらビジネス界で有能な才能を発揮した某航空機会社の会長のように対処しておれば、汚名挽回して再起を図ることが出来たであろうと悔やまれる」。
(私論.私見)「新しい国家社会の建設を目指して」の「角栄のロッキード法廷闘争考」について

 ここの一文は駄文。

 「日本列島改造計画でも、きちんと土地の投機的な値上がりを防止する措置を予め講じて置いた上で、公表すべきであったと悔やまれる。田中氏も一方的に突進するだけで、細かな配慮を大きく欠いていったところに、悲劇が隠されていたように思われる。よく、田中氏を例えて、今太閤と言われるが、実質は、知恵者の成り上がり者の、豊臣秀吉タイプではなく、現状を切り開いていった破天荒な織田信長タイプであったと言えるであろう。全く惜しい人物を失ったものである。その内に、田中氏に対する評価の大幅な見直しが始まるであろう」。
(私論.私見)「新しい国家社会の建設を目指して」の「角栄資質信長タイプ論」について

 角栄は自ら、秀吉タイプと云われているがむしろ信長タイプであると自負していた。管理人もそう同意していることが分かる。

 「なお、田中氏の身内から、もしも政治家として大々的に行動することがあれば止めておいた方が良いであろう。現段階では国民の多くが田中角栄氏に対する叱咤や妬みがある以上、大した政治も出来るわけはなく、自分でも恨みが忘れられない以上、再度怨念の対立の世界に引きずり込まれるだけであり、角栄氏の偉大な功績に泥を塗るだけであろう。それに次第に悪化する経済等の問題を前にして、全てが崩壊しなければ解決出来ないほど困難な状況に直面していく背景を考えても、大した活躍が出来ないことと思われる。

  こうした大混乱の戦国乱世に突入していく時勢においては、明確な政治理念を提示して、思い切った抜本的な政治を実行できるものではなく、単なる政治に対する売名や人気取り、利欲的なものでしかないであろう。それに差ほどの政策を有しているものとも思えない。更には名政治家の身内が必ずしも名政治家を継承するものではない。事実は全く逆であり、角栄氏ほどには苦労が伴っていない故に、弱者を思い遣る寛大さや人望に欠けて、とんでもない馬脚を現し、角栄氏の名声を汚す結果になるだけであろう」。

 「ところで近い将来においても、現状を打破するような救世主的な人物が現れるとしたら、正に田中角栄氏のような決断と実行に富み、独創性、先見性、洞察力に溢れたタイプと言えるであろう。ところが今次の大改革はそれだけでは最早、大きく不足していると言えるであろう。即ち今度は、徳川家康のような慎重さや計画性、度量をも併せ持っていく者であろうと思われる。あくまでも救世主的指導者は原則的には田中角栄氏のような破天荒な改革者タイプであろうと思われるし、更に、それに加えて、実に徳川家康のような人の心を真底から理解していくためにも、苦労に満ちた人生体験が必要であり、それによってこそ、多くの国民の心が真底から付き従って協力して行くものと思われるのである」。
(私論.私見)「新しい国家社会の建設を目指して」の「第二角栄待望論」について

 「あくまでも救世主的指導者は原則的には田中角栄氏のような破天荒な改革者タイプであろうと思われる」という指摘は面白い。

追記1: 田中角栄氏の大幅な見直しが始まる兆候か(2002年11月11日)】
 小説家の津本陽氏が田中角栄氏に関する小説を書いたようだ。普通、彼のような歴史作家は、歴史上の人物を描く場合は、その人物の死後、約100年ほど経過しなければ、真実の姿が見えてこないと言うのが普通だ。幕末の時の徳川慶喜の真の姿にしてもそうだった。彼の死後100年ほど経過して初めて、真実の姿が客観的に把握できて、作家の司馬遼太郎氏が描いたことでも知られていることだ。だが、今回、津本氏が田中角栄氏を描くのは未だ角栄氏の死後、9年ほどしか経過していないのに実に異例のことだ。

  当方がHP上でも指摘するように、田中角栄氏に対する評価の見直しが始まるであろうと言うことを指摘したが、いよいよその時期に来たと言うことを暗示するものと言えよう。もっとも、外にも某弁護士の方も田中角栄氏のことをロッキード裁判上からも、不合理性を正したが、今一度世間の空気を一新させることには至らなかったものを感じる。また、当時の周辺の人物も多く角栄氏のことを描いてきたが、同様な結果だったように思われる。しかし、こうした行動が次第に功を奏してきたことは確かだろう。

  今回、津本氏のような歴史作家が書くと言うことは、正しい歴史的評価を下すことが出来た結果だと言うことだから、正に画期的なことと言えるだろうし、評価がほぼ客観的に捉えることが出来るほど、時代が急展開で進展してきていると言うことだろう。当方が歴史の進展が100倍もの猛スピードで展開しつつつあると言うのも頷けるはずだ。

  一方で、田中角栄氏を金脈問題で追い落とした某評論家も、最近は角栄氏のことを再度取り上げて著作を出版しているが、注意深くその言動を観察すると、少々変化してきているのが解る。つまり、以前は彼は田中角栄憎しで、良い面は殆ど評価することもなかったのであるが、最近は、「良い面も多いが、相対的に考えると悪い面が多い」と言っているようだ。つまり、良い点も多少なりとも評価し始めたと言うことだ。

  勿論、当方は、全く逆であり、税金の誤魔化しなどで行いを改めるべき悪かった面も少々あるが、良い面が遙かに多く、彼の転落、没落、追放は日本にとって実に多大な損失に他ならず、否、日本のみならず、全世界にとって多大な損失であったと言うことを既に指摘した。この時期に来て、津本氏のような作家が角栄氏を描く決意をした背景は、真の神仏の波動が深く広く浸透してきているものと思われる。

  彼の行動により、また周囲の反対者の著しい勢力後退や、国際環境の変化により、次第に角栄氏に対する客観的で大幅な見直し・評価が開始されていくものと思われる。これにより、日本人の近視眼的な嫉妬や妬みの多い国民性が大きく変革されていく序章になればと大いに期待するものだ。

【 追記2: 田中角栄氏の評価は大局的・相対的・総合的に(2002年12月30日) 】
追記9: 真の愛国的行動とは何か(田中角栄氏問題に関係して)(2002年12月25日)】
 多くの有識者から下々の国民に至るまで、実に多くの国民から毀誉褒貶で見られているのが田中角栄氏であろう。ここで再度、補足して言及しておきたい。
 当方自身も角栄氏は人間的には決して好きなタイプではないし、むしろその傍若無人で高慢で独善的な押しの強い人間性には嫌悪する方である。しかし、そのような感情で判断していっては真の愛国者かどうか、国益を追求したか、国家にとって貢献できるかの明確な判断が下せなくなるものだ。米国やソ連、中国を手玉にとって対等に交渉できた政治家は、残念ながら戦後には一人もいなく、その意味では数十年に一度、否、明治以来、百年足らずの間では一度の政治家であったと言えるだろう。
(私論.私見)「新しい国家社会の建設を目指して」の「角栄嫌悪感」について

 「当方自身も角栄氏は人間的には決して好きなタイプではないし、むしろその傍若無人で高慢で独善的な押しの強い人間性には嫌悪する方である」とあるが、れんだいこなどはタイプ的には好感を持つ。「傍若無人で高慢で独善的な押しの強い人間性」の謂いに根拠があるのだろうか。
 正に世界の田中であり、米国やソ連や中国が恐れ畏怖する大政治家であったと言えるだろう。残念ながら、近視眼的で付和雷同型の殆どの国民はそうした外交や真の国益が何であるかが全く理解できていないようだ。恰も遠くの金持ちよりも、近くの宝くじに当たった身内に対して嫉妬や妬みを感じるような感覚で、総合的、大局的、相対的に田中角栄と言う時代の寵児、破天荒な政治家を真底から理解できなかったことが悔やまれる。恐らく彼が総理を継続していたら、北方領土も返還されていたことであろう。米国を抑えられるからこそ、ソ連も返還に応じる結果に至るものであった。逆に言えば、米国追従から脱却できて、在日米軍を押さえ込んで行ける政治家しか、北方領土返還は成し遂げられないと言うことであろう。
(私論.私見)「新しい国家社会の建設を目指して」の「国民暗愚論」について

 「残念ながら、近視眼的で付和雷同型の殆どの国民はそうした外交や真の国益が何であるかが全く理解できていないようだ」と云うが、前述したように国民はそれほど暗愚ではない。むしろ、知的に高いと自称しているマスコミ、インテリ諸君の方がその非実用的な半端な知性で批判し続けているだけではないのか。それも洪水のような情報量でこれをやるから、その限りで影響受けている国民がいるということではないのか。
 こうした田中氏の独立した自主的外交に恐れを抱いた米国が日本人の裏切り者の協力を得てロッキード事件を仕掛け、嗾(けしか)けてきて失脚を謀ったものであろう。正に、戦後以来、東京裁判を仕掛けて誤魔化してきた占領従属体制に国民が目覚める危険性に慌てて封印し蓋をしたものであろう。一部の有識者が指摘するように、「田中外交の結果として欧米から謀略を仕掛けられ大アジア主義阻止のため中国韓国に反日世論を歴史捏造までして定着化させてしまったことは、その払拭に数世代を要する愚行であったと判断せざるを得ない。」のコメントに関しては、全く、背景・認識を誤解され、因果関係を逆にしているように思われて残念である。
 むしろ、田中外交の結果ではなく、失脚させられて行ったが為の結果であろうと思われる。田中角栄氏の対米強硬路線が虎の尾を踏んだとは言われるが、ここが見解の分岐点になろうかと思われる。その外国の謀略や反発が怖いからこそ、また報復を恐れるからこそ、殆どの政治家が外国に迎合し屈従し服従し従属し奴隷化するのであろう。これを突破して行かないことには真の愛国者には成れ切れないし、愛国的判断が出来ないように思われる。ここにこそ、肉を切らせて骨を断つの気概があるものだ。報復を覚悟した上で如何に対処するかで、愛国的な行動、対処、評価、判断が分かれるようだ。
 こうした結果は、田中角栄氏を外国の謀略が絡んで、マスコミや法務省や最高裁までも巻き込んで世論を誘導して田中氏の追い落としに一丸となって突き進んで大局を見誤って行ったのが真の因果関係だと思われる。過ぎてしまったことは詮方ないことだが、その当時と現在の国民性は何ら変化していないことに憂慮の念を禁じ得ないものだ。解りやすく言えば、家庭内で頑固親父がいて、家族が小さくなって、言うことを聞く者だけを優遇して怒鳴り散らしていた場合において、その結果、頑固親父の存在で、親戚一同や町内会など周囲の者達が、財産争いや土地の境界に対して、干渉できなかったものと酷似しているだろう。その頑固親父を家族が一致して追放していった結果、どうなるかと言えば、確かに家庭内では一見、明らかに平和がやってくることであろうし、生活資金も皆が平等に民主的に分かち合えるであろう。

 ところが、その結果、今まで、沈黙し泣き寝入りをしてきた親戚や町内会の連中が、勢いを増して無理難題を吹っ掛けてきたものと酷似していると言えるだろう。これを頑固親父がいたから、その態度の復讐でそうなったとか言うことは簡単であろうが、真理は頑固親父が追放され失脚したからそうなったのであると言えるだろう。この辺が付和雷同型の国民意識の根底からの勘違い、大局的判断の誤り、見解の根本的相違、外国が仕掛けた謀略に乗じられた不幸な結果であったと言えるだろう。
 角栄氏に照らし合わせて言えば、角栄氏の外交によって、確かに覇権国家の世界支配権力からは反感を招き、恐れを抱いたことは事実であるが、これは某外国勢力が田中氏の追い落としの為に逆に仕掛けていったものであり、田中氏には反発を解消させるだけの取引が十分出来る実力を有したものと思われ、その点でも実に雄大で包容力のある偉大なものであったと思われます。これは米国やソ連や中国との当時の外交交渉において、激しく渡り合った舞台裏を詳細に観察すれば理解できよう。
 また、国内政治を見ても野党の連中までも党の公式見解とは裏腹に、個人的には彼に心酔していった政治家が多かったことでも理解できようかと思われる。むしろ有識者が指摘するような結果は、田中角栄氏を失脚させんとした外国勢力の謀略であり、失脚した故に巻き上がった結果であり、多くの国民が誤解している点であり、真の背景や因果関係を正確に捉えられていないものと懸念するものだ。今後とも、愛国者が登場する度に外国から謀略を仕掛けられて行くことを警戒して行かねばならないだろう。
 ところで、中国や韓国が反日であるのも、民族性もあろうが、それ以上に、某外国勢力がアジア人同士を対立させて、分断して統治するという戦略で来ているものだ。日本人には戦力的思考が不得手で、ましてや謀略や陰謀なども考えること自体が不謹慎であると言った思考停止の痴呆・白痴化しつつある国民性のようだ。状況や背景の分析が表面的、一義的になっている嫌いがあるようだ。
 もっとも、田中角栄氏も、巷間指摘されるような金権政治、税金の誤魔化し、利権集権システムの構築などは、大いに反省し自制し改めて行くべきであったことは当然であったであろう。田中氏の客観的で、総合的な評価がもうじき始まるであろう。これは愛国旋風の巻き上がりとも連動するからだ。敵の正体を見破って、一体、何が真の愛国的行動であるかを日本人は真剣に考え直して行くべきであろう。
(私論.私見)「新しい国家社会の建設を目指して」の「角栄の金権政治、税金の誤魔化し、利権集権システム批判」について

 角栄の金権政治については、戦後の普通選挙システムと議院内閣制システムに由りもたらされているものと見なすのが相当であろう。「税金の誤魔化し」とあるが、何のどのことを指して云っているのだろう。「巷間指摘されるような」風聞に依拠するのは如何なものだろう。
 色々と欠点や批判はあろうが、それでも当方は国益のためには、田中角栄氏ほどの政治家ならば、「罪を許して人を憎まず」の精神で対処して行くべきであったものと残念に思っている次第だ。北方領土の返還の可能性を見極める大局的判断よりも、自分達の税金の使われ方に最大の関心があったのもこの嫉妬や妬みの強い国民性にしては当然であり、この辺が外国に付け込まれていったものであろう。誠に持って、国民が判断を誤り、角栄氏も国民の意思・感情を甘く見て正しく判断できなかったが故の両方からの失敗であり、共に外国や国内売国奴に乗じられた亡国的行為であったと言わざるを得ない。
(私論.私見)「新しい国家社会の建設を目指して」の「国民と角栄の双方の誤り論」について

 「誠に持って、国民が判断を誤り、角栄氏も国民の意思・感情を甘く見て正しく判断できなかったが故の両方からの失敗であり」などというような喧嘩両成敗的感覚は如何なものだろうか、解せない。
 なお、外国に付け込まれることに関しては、沖縄の米軍基地にしても、軍事戦力上の地政学的見地もあろうが、沖縄人と内地人との反目が利用されたという見方もできるだろう。沖縄ならば米軍基地撤去という大きな愛国的運動も巻き上がらないと判断した結果であろう。田中氏に関して付言すれば、外国に恐れを抱かれて付け込まれた田中氏を非難するよりも、その愛国的行動を讃え、付け込んだ側の謀略を観察して協力した者を売国奴として非難し、国民が国益の防衛に立ち上がるべきであったと言うことだろう。そして田中氏も反省し国家の改革に繋げて行くべきであったことだろう。今後の教訓として心に銘記し、国家的・国民的判断の誤りとして後世に語り残して行きたいものだ。
 さて米国崩壊も間近に迫ってきた段階で、米国国民も戦争よりも経済重視で対イラク戦争反対の大合唱が巻き起こる寸前であり、一方ではユダヤ人追放の嵐が巻き上がってくるものと思われ、また日本でも真の愛国旋風が巻き上がっていくことであろう。米国に追従してきた連中も次第に墓穴を掘って権威を喪失して失脚して行くことであろう。これまでの外国協調主義、似非平和主義、迎合主義、従属主義、屈従主義の売国奴、亡国の輩、非国の民が一掃されて行くことであろう。今次の大激動に際しては、そう簡単に新しい流れに切り換えて、調子良く主張を代えて変質して泳ぎ渡ることは出来ないであろう。
 正に多くの有識者が歴史的大変化の潮流が読み切れずに、大局的判断を誤って失脚し権威喪失し、破綻し衰滅して行き、結果的には主役の大幅な交代を招来させ、左右両勢力の対立・共倒れにより中道勢力が台頭して新しい時代が切り開かれて行くことであろう。そういう中で田中角栄氏の大幅な見直しも成されていくことであろう。そして最後は邪悪な想念の一掃により陰謀勢力も崩壊せしめていき、ある意味では非常に面白い時代にも成るようだ。邪悪な闇の陰謀に対処するにはそれ以上の光の神々しい神聖で清浄な波動の照射しかないだろう。
 なお追記すると、田中角栄氏の手下共は、角栄氏ほどの力量や度量もなく、ただ角栄氏の積み上げた悪い側面、即ち、税金に集っていく寄生虫的亡国の面ばかりのテクニックをマスターしていったようだ。それも時代の変遷であり、仕方ないことであろうし、高度経済成長時代には上手く機能していたことでもあり、むしろ時代環境の変化と共に改訂することを怠ってきた結果だと言えると思われる。

 田中角栄氏も自分の周囲に集まってくる連中の真意も見分けることが出来ず、ただ自分の才能や能力に崇拝して集まったと大きく錯覚していったものであろう。真実のところは連中はただ利権や地位ポストに群がってきたものであり、田中氏失脚に際しては心は次第に離れていったと言うことに対して、そうした連中の真意すらも見抜けなかったようだ。最後は見事に裏切られて、酒に煽られて心身を乱して倒れていったものだ。
(私論.私見)「新しい国家社会の建設を目指して」の「田中角栄氏の手下共論」について

 角栄倒れる前後に田中派は分裂した。二階堂、山下らの直系派と竹下―金丸派に分岐したが、竹下―金丸派はいわば裏切り派であり、これを「手下共」と云うのは不正確では無かろうか。「そうした連中の真意すらも見抜けなかったようだ。最後は見事に裏切られて、酒に煽られて心身を乱して倒れていったものだ」とは、何と角栄を卑小に評価しているものか。角栄は生ある限り自己の指導と精力的な活動による感化を重視していたのであり、それが角栄の哲学であったことを思えば、防御が弱い間抜け者扱いするのは結局何ら角栄たるものを知っていないということになりはしないか。
 目下の特殊法人改革も、殆どが田中角栄氏が編み出した利権システムとも言えるであろう。しかし、これは現在だからこそ問題に出きるが、当時はむしろ強力な政権作りに効果的であったし、高度経済成長にも必要なシステムであったことは間違いはないようだ。今や、環境が大きく変化してきて解体して行かねばならないことも確かであろう。これは創設した者の責任を追及するのではなく、現在に至ってもなおも固執している者の責任を追及することが必要と言えるだろう。
 国鉄の改革にしても、田中角栄氏が病気で倒れて失脚していったからこそ可能であったとも言われるが、それは正解であり、当方もむしろ晩年の角栄氏や、利権集団になり果てつつあった面を田中氏が反省すべきであったことを当方も指摘しているものだ。ただ、当方は色々と善悪、交錯する中でも田中角栄氏の功績や実力や愛国的行動を称えていきたいし、それが米ソ中と世界の強国に囲まれた極東地域の熾烈な環境の中にある日本の国益に取り、極めて有能な政治家であったことを指摘するばかりだ。
 今後とも最早こういった政治家の登場は皆無であろうし、例えあっても同様に国民は引きずり降ろして行くであろうと懸念する次第だ。国家の進路を冒険に晒していき危険であるという理由により、失脚させて行くであろうと危惧するものだ。実に国家の命運を賭けての一大勝負を賭けた身命を賭した外交よりも、腰抜けで臆病で事無かれ主義で無難な似非平和主義、外国追従、従属の政治しかできないであろうと思われる。

 ただ可能ならば、国際環境が劇的に変化して、米国やロシアや中国のような強国が破綻し崩壊していく中で、日本自身の国家崩壊を体験していく過程でならば、田中角栄氏のような人物でも国民皆が付いていく状況の到来となるであろうと思われる。それは、危険性が減少しつつある中で、最早それしか方策が無いと言う展開に至るからであろうと思われる。恐らく、そうした予想が的中していくものと思われる。


【不動明王氏との対話を求めて】
 れんだいこが、不動明王氏の角栄論に注目してこれをサイトアップし上記のようなコメントをつけていたら、不動明王氏の目に留まり、全8篇でもって更に精緻な角栄論の展開をいただいた。遅まきながらこれに再度コメントさせていただく。コメントに当たっては、全篇が貴重ゆえ全文転載し、逐条コメントを避け末尾での一括感想文にいたしました。大事な論点については勝手にれんだいこが太字にしました。

 2004.1.30日 れんだいこ拝

1.田中角栄氏に関する感想を追加しておこう 投稿者:不動明王  投稿日:12月15日
 なかなか含蓄のある奥深い田中角栄氏に関する論考を展開しているサイトを偶然に発見した。この中で当方のHPの中の田中角栄氏に関する見解を丁寧に論評してあった。概して当方の見解に共鳴し好意的であるが、角栄氏に対する否定的見解に対しては、可成り厳しい反論があるようだ。それも角栄氏を崇拝している者であればこそ、仕方ないであろう。むしろ当方の指摘が厳し過ぎたとも言えよう。

当方の田中角栄氏に関する見解に丁寧なコメントをしている参考サイトを紹介。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/
人生学院(なかなかバラエテイーに富んだサイトである)
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/tanakakakuei.htm
田中角栄(角栄氏に関する資料や見解をよくまとめている)
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/hiyoka.htm
角栄論考(当HPの『新しい国家社会の建設を目指して』を紹介している)

 ところで、余り明言したくもないが、どうも角栄氏は5億円は授受していたように思われる。しかし、裁判上は無罪である。事実だからと言っても必ずしも有罪ではない。つまりは裁判は証拠に基づいて立証してこそ始めて有罪である。判決文を読むと明らかに、証拠不十分により無罪の結論が導かれて然るべき内容であり、論旨の展開だ。それを大きく論理、論旨、結論を巧妙にねじ曲げ、すり替えたものだ。これは共産党の最高位顧問の某弁護士も、当時、裁判批判を展開し、司法の自殺だと言及指摘していた。これに対して共産党幹部が猛反発してきた経緯もあったようだ。自ら自白しない限り、限りなく怪しく疑念があっても、裁判上は法手続きにより立証できなければ、刑法罪の原則である「疑わしきは罰せず」で無罪である。

 思うに角栄氏は必ずしも悪意で現金を授受したのではなく、人の良い面倒見の良い正確を反映して、膨大な選挙資金に流用し、私益で独占したものでは無かろう。然るに、金権体質と言われるように、金に対する観念が大変ルーズであったことは否めない。当方も角栄氏の金銭感覚を真底から改め、利益誘導の政治を是正するように政策を転換しておれば、神仏のご加護により、再生も可能であったように思われる。その再生も一旦政界から身を引いて、経済界で裁判を戦い、再度、政界に登場してくれば良かったかと思われる。田中角栄氏ほどであれば、松下幸之助以上に巨大企業を構築することが出来たであろう。

 それでも当方は、田中氏ほどの政治家ならば、一般大衆と異なり、これぐらいの金は政治権力を維持するのに不可欠であり、国益遂行のために幾多の政策を実践して行くならば、それぐらいの資金には、国民はも言う少し寛大であって欲しかった。その点を当方は、例えマスコミが必要以上に書き立てた嫌いがあるとは言え、矢張り、それに同調した国民性が嫉妬や妬みが根底にあったからだと思わざるを得ない。勿論、米国ユダヤに影響を受けたマスコミの扇動もあるのは確かだ。

 なお、田中氏の下に集まってきた政治家連中の殆どが、角栄氏の人柄や政策に共鳴したのではなく、金やポストに群がって来たという当方の見解に対して、可成りの反発を感じられるのも仕方ないであろう。現在でも未だ多くの政治家が中枢で活躍しているのだから、正面切って非難できにくいものだ。また、打算、利欲というものは、よく注意しないと分からない微妙なものだ。田中氏を誉め讃えている連中でも、利欲や打算で集まってきたと言えよう。その証拠に多くが田中家から心が次第に離れていったと言うことで分かろう。現在でも、田中家に歩み寄っている某政治家でも、何らかの打算や利欲が見え隠れしているとしか思えない。
なお、田中角栄氏の後継者は、二階堂氏を中心にまとまって行ってこそ、田中氏に対する心からの恩返しとなるものであっただろう。二階堂氏から離れて竹下氏に走った連中は、実に忘恩の打算、利欲の連中であろうというものだ。
(私論.私見) 「れんだいこの角栄論に対する不動明王氏の好意的評価」について

 「なかなか含蓄のある奥深い田中角栄氏に関する論考を展開しているサイト」との評価有難うございます。まだまだ未完ですが、れんだいこ観点から更に精緻にしていこうと思います。

2.田中角栄氏に関する感想を追加しておこう 投稿者:不動明王  投稿日:12月15日
 何やらこれは三百年前の忠臣蔵における浅野家の家臣達の取った対応と似ているものと言えよう。即ち、仇討ちに加わるべきか、さっさと町民や農民に職業代えして、生き長らえていくべきかの判断であろう。矢張りここは仇討ちに加わってこそ、忠義の者と言えるであろう。仇討ちに加わらなかった連中は、打算と生命に対する欲望の中で生き長らえる選択をしたわけだが、最後は悶々とした空虚な人生を送らざるを得なかったであろうと想像できる。田中問題にしても、竹下氏に与した政治家連中にも、後ろめたい空虚な感情が何時までもくすぶり続け、それが次第に国勢にも衰退、衰滅の流れを形成していったように思われる。角栄氏問題は実に、政治という残酷な現実的ドラマの中にも、人の心の忠義とは如何なるものかをよく想い起こさせてくれるものと言えよう。

 ところで、第8章で紹介する聖心仏陀先生からの手紙を当方は田中角栄氏に送付したことがあった。これを角栄氏が勘違いして「ワシに法華を勧める者がいるが、ワシは真言だ」と某講演会の席上言ったものだろう。その激しい反発に対して、自らの邪念波動を受けていったものと思われる。大平総理にしても、昭和55年当時の総選挙の最中に倒れたのも、直前に送付した手紙に、後で日記に「信じ難きことを信じる事勿れ」と記録し、可成り聖心仏陀先生に反発していたようだ。惜しむらくは、今少し聖心先生に心を寄せていたら、ロッキード事件の魔から守護されていたであろうと悔やまれる。

 実際、聖心仏陀先生も、裁判当初は、「ロッキード事件はうやむやに終わって無罪放免になるだろう」と予告していたものだ。あれほど追い込まれていったのも、角栄氏が聖心仏陀先生の手紙を排斥したためとしか思えない。それでも聖心仏陀先生は、田中さんを守っていると言っておられた。普通ならとっくに死亡していてしかるべきなのに、先生が守護しているから長らえているものだと言っておられた。案の定、聖心先生が死亡されてから、数ヶ月後に田中角栄氏も亡くなって、不思議な想いに駆られたものだ。

 聖心先生に対する反発の影響ではないかと思われる剣は随分多く感じられる。当方には何も反応が伝わってこないが、聖心仏陀先生との対話を通じて、成る程と想わせられてきたものだ。某歌手のM氏や某俳優のI氏、某政治家のN氏なども角栄氏や大平氏と同じではなかったかと思われる。これに対する嫌悪や中傷は極めて要注意と警告を発したつもりだが、全く無視されてしまったようだ。

 2500年前の古代インドの釈尊以来の真の仏身顛化の歴史的大偉業を達成され、如来をなられた聖心仏陀先生を、真底から心を寄せてくる者は、恐らくこれまでの長い日本の歴史を通じては、弘法大師空海、源義経、徳川家康、新井白石、荻生楚来ぐらいであり、伝教大師、菅原道真、道元禅師、親鸞、日蓮、源頼朝、宮本武蔵、また近代では多くの政治家や学者は殆ど駄目だろうと言っておられた。
しかし、万一、ロッキード事件が無かりせば、田中角栄氏は聖心先生のところに心を寄せてきたように想うと語っておられた。それほど内面的には、角栄氏の精神や心魂は極めて崇高で偉大であったと言えよう。偶々、現行の金が掛かる選挙というシステムが、資金調達へ暴走させて、ロッキード事件に嵌められていったものであろうと残念に思われる。
(私論.私見) 「角栄氏の精神や心魂は極めて崇高で偉大であった論」について

 れんだいこもそのように思います。れんだいこは、書のことは分かりませんが、書道の大家が角栄の筆跡を評して曰く、「...」、「それに比べて福田のそれは...」。実際の言葉は忘れましたが、なかなかに絶賛していたような記憶があります。他にも次のような例があります。日経の「私の履歴書」に登場した角栄は、他の多くの者がゴーストライターを用意しているのに自ら書き上げ、それを川端康成だったかどなたかが曰く、「...」。実際の言葉は忘れましたが、なかなかに絶賛していたような記憶があります。

 これに類する事例はまだまだあります。どなたか物好きなおばさんがいて、歴代の首相と握手するのが趣味であった。角栄と握手した時の感触を評して曰く、「...」、「それに比べて三木のそれは...」。実際の言葉は忘れましたが、なかなかに絶賛していたような記憶があります。こうしたことは間接的な補強にしかなりませんが、それでも貴重な証言と見ております。

3.田中角栄氏に関する感想を追加しておこう 投稿者:不動明王  投稿日:12月15日(月)
 当時、当方も身命を賭して火山灰利用の国家的プロジェクトを推進するために、政財官の関係筋と交渉していたが、この国家的政策を強力に推進できる政治家こそ、正に田中角栄氏しかいないものであった。それを承知で、一旦忘却しておいたプロジェクトを、再度復活させて、現在でもメッセージを発信するのは、何も周囲に実行を期待するのではない。最初から腰抜け、腑抜けの政治家や官僚には何も期待しているものではなく、むしろ最後通牒をしているものだ。最後に後悔、懺悔に至るように、しっかりと記憶に留めておかせるためだ。最後にそういう明きメクラの連中を一掃するためでしかない。

 なお、聖心仏陀先生は、田中角栄氏は政治信条的には自民党よりも民社党に属するタイプだと言っておられた。聖心仏陀先生は、田中角栄氏のことを、右でもなく左でもなく、実に中庸、中道の政治家でバランス感覚の取れた政治家だと言っておられた。田中角栄氏もよく民社党幹部に向かって、もし民社党が、即ち、「民主社会党」が反対の「社会民主党」であれば、自分は入党したであろうと言っていたようだ。そして彼は反対政党の野党の幹部でも、直ぐに友人になれるほどのわだかまりのない気さくな人柄で、誰をも魅了したものだ。田中角栄氏を直接に見た者は、その迫力ある仕事ぶりに圧倒され、また畏怖し脅威に感じたものであろう。正に聖心先生が指摘したように、「敵を味方にすることを考えろ」ということに通じるものだ。これは徳川家康の対応にも言えるものだ。

 田中角栄氏に期待した政治手法に関しては、あくまでも中道、中庸の精神に他ならない。事実、角栄氏が目指した政治も中庸、中道政治である。彼が失脚してからは、聖心仏陀先生は、民社党の塚本三郎氏と公明党の矢野殉也氏とが連携すれば、極めて良い政治が出来るだろうにと言っておられた。しかしながら、両名とも、失脚するようにして政界から身を引いていったようだ。矢野殉也氏の方は今でも、一民間人の評論家として、政治に対してなかなか切れ味の鋭い評論を展開しているようだ。しかも公明党とは言いながら、少しも創価学会的言動は感じさせず、何でも学会幹部と対立したとも言われているようだ。

 ところで、北方領土解決にために旧ソ連に乗り込んで、当時のソ連書記長のブレジネフ氏に「田中さん、貴方はソ連に来れば書記長になれる」と言わしめたのも、クレムリンにおける会談の冒頭、ブレジネフ書記長が故意に北方領土の問題をはぐらかすために、延々とソ連の地図を前に如何に資源、エネルギーが豊富にあり、日本に取り投資の対象として魅力的かを説明していた時だ。田中角栄氏は、立ち上がって、机をばーんと叩き「そんなことを話に来たのではない。そんな説明を聞かなくても既に分かっている。北方領土問題を話し合おう。ところで、来る途中、シベリア上空から下を見ると、森林が間伐していないところが沢山ある。これでは折角の森林資源が台無しになろう。即刻、間伐することだ」と言ったようだ。それを受けてブレジネフ書記長が「貴方は他人の財布の中味までよく知っている」と言い、その延長で、「貴方ならばソ連の書記長が務まる」と絶賛したものだ。

 ところで、ロッキード事件が発覚した際に、田中氏が最初に漏らした言葉は、「ユダヤにやられた」と言うものだったようだ。その際の田中氏は果たしてどれほどユダヤのことを真に理解し熟知していたかどうかは分からない。ただ、資源、エネルギー支配の奥の院に、ユダヤ国際資本があることは充分に分かっていたことであり、その虎の尾を踏んだという直感が走ったことだろう。この角栄氏が思わず口に出したユダヤとの最終決戦が今始まろうとしているものだ。こうした事態を果たして国民の何人が知っているのであろうか。殆どの有識者や指導者が白痴化している有様だし、多くが売国奴に成り下がっているのが実体であろう。
(私論.私見)「角栄氏のエピソードあれこれ」について

 どれもこれも貴重なエピソードの紹介です。

4.田中角栄氏に関する感想を追加しておこう 投稿者:不動明王  投稿日:12月15日
 なお、角栄氏の銅像が生まれ故郷の某駅前に建っているが、銅像というものは墓と何ら変わりはない。特に、単なる記念塔や記念物ならいざ知らず、心よりの崇拝の念を持って合掌するようなものは、正に墓と殆ど変わりはない性質を帯びてくるものだ。即ち、そこに人々の念が入り、うっかりと粗末に扱っていけば、逆に何らかの影響を被るものだ。一般的に言って、余り安易に銅像は建立するものではない。万人が等しく崇拝し尊敬して行くならば、概して悪影響はないのだが、嫌悪し嘲笑する輩が少しでも蔓延している内は、逆に粗末になると言うものだ。即ち、崇拝の対象でもあるが、逆に怨念の対象を建立したとも言えるからだ。

 ところで、聖心仏陀先生は、当方に対して、「君には日本の改革というやり甲斐のある仕事が待っているだろう。その仕事をする際は、田中角栄のように行け」と言われた。即ち、「度胸で勝負しろ」と言うことだ。まともに正面から議論をするよりも、度胸と胆力の破天荒でぶち当たって行くことだと激励してくれた。そして「ボクと心が一つになれば日本の改革は可能だろう。君には皆が付いてくるだろう。案外、徳川家康みたいになるかもな」とも言われた。「今度ばかりは命懸けの死にもの狂いでやることだ」とも言われた。果たして、如何なる状況下で、日本の改革の時期が到来するのか予断を許さないものだが、次第にその気運が高まってきているのを痛切に感じる思いだ。その折には、角栄氏の無念さも晴らし、聖心先生の御霊に奉納することで、幾多の恩返しをしていくことになるだろうと思う。

 今後の日本は両極端同志の対立から共倒れにいたり、そこから真の中庸、中道勢力が登場してくるだろうと言われた。今正に、イラクへの自衛隊派遣を巡って、国論を大きく分裂している状況だ。国論の分裂は他にも多くあるが、イラク問題が一番国家の命運を決する最大の課題であろう。しかも聖心仏陀先生は、日本は決して米国と共に戦争をしては国家を滅亡させることになるだろうと警告されておられた。小泉政権が米国追従に大きくのめり込んでいく現状では、正に、亡国の危機への突入を促進させ、一気に政局が流動化し、戦国乱世の到来が急迫化してくるものであろう。そうなれば正に、戦後田中角栄氏が登場したと同じような状況が生まれてくるであろう。即ち、学歴や門閥、出自に関係のない真の実力を発揮する創造時代の到来だろう。

 ところで角栄氏は空で歌える歌誌、歌唱のレパトリーは一千曲もあったらしく、正に天才と言えよう。しかしながら今時の改革には、田中角栄氏とそっくりの手法は必要はないであろう。即ち、カラオケなどで国民を引っ張るような余裕や演技は不要であり、真の政策を実施していくことが求められるだろう。即ち、大衆迎合のパフォーマンスは不必要であり、真摯で真剣な身命を賭した国家の体系を決する大改革が要求されるであろう。それほど角栄氏の高度経済成長の楽観的な時代と異なり、今や国家危急存亡の時期に遭遇して、実に時間との勝負になっていくということだ。歌など歌って、国民に迎合し諂いゴマするほど時間的余裕もないであろう。

 なお、田中角栄氏が最後にテレビに登場して、小学校時代の頃から回顧して、校歌を口ずさんだりした一代ドラマが放映されたことがあったが、聖心仏陀先生も、これは将来の記念碑的内容をもって評価されるであろうと言っておられた。角栄氏の顔の表情も実に清々しいものであったと記憶している。この時も、角栄氏が好んで愛唱し色紙に書いたとされる「末ついに海となるべき山水も、しばし木の葉の下くぐるなり」の言葉も登場し、大変懐かしく拝見したものだ。その顔は正に弘法大師の生まれ変わりであり、菩薩のような神々しさを感じさせられた思いだ。角栄氏の言葉で、大変面白く想ったことは、「再度、生まれ変わってきたら何になるか」との問いに対し、角栄氏は、作家乃至文学者になりたいと言っていたことだ。熾烈な闘いを要求される政治家に相違して、人間観察が最大の目的であると思われる作家や文学者になりたいとは、角栄氏の洞察力の最大の対象が実に人間そのものに他ならないことを窺わせ示唆するものだ。
(私論.私見 ) 「角栄氏のエピソードあれこれ」について

 これも、どれもこれも貴重なエピソードの紹介です。

5.田中角栄氏に関する感想を追加しておこう 投稿者:不動明王  投稿日:12月15日
 なお、角栄氏の天才は一体何処から来たのであろうか。小学校時代のエピソードでは、教室の隅っこで女生徒に虐められて泣いていたという事実が伝わっているようだ。そのような軟弱な角英少年を大きく迫力と胆力、度胸がある政治家に変身させていった原動力は何処にあったのであろうか。この背景や原因の解明も殆どなされていないように想われる。なお、彼は若いときに軍隊に召集されて、肺病を患って、確か仙台の陸軍病院に担ぎ込まれて、生きるか死ぬかの生死のどん底を流離い奇跡的に助かったという経験を有している。恐らくこの体験が彼をして、神仏の加護をもたらし、そこから天才的発展を成していったのではないかと思われる。これは松下幸之助氏にも共通しているものだ。松下幸之助氏も大病を患って生死の境を彷徨い、天理教に入信したと言うことだ。生死を賭けた心境でこそ、心魂が浄化され錬磨されて、神仏が逆に協力してくると言うことだ。願わなくても神が助けると言うことだろう。

 ところで、これは全面的な角栄氏賛美の方には少し残酷になるかも知れないが、田中角栄氏をして天才ならしめた生理的、病理的原因は、実に彼が扇子を忙しそうに煽る汗かき体質のバセドー氏病であり、この病的にも思われる体質が、彼の天才を生み出したと言えよう。実にこの特異のバセドー氏病の体質こそ、梅毒の影響だったものと思われる。要の東西を問わず、多くの天才に見られる梅毒症状と同じである。戦国乱世の織田信長にも梅毒症状が見られるというものだ。戦国時代は鉄砲とキリスト教の伝来の他に、実に梅毒も伝来した。この梅毒は幕末時では日本人の成年男子の実に9割も感染し、哀しいことに大正天皇も感染していたようだ。

 その後、梅毒は消滅したかのように言われているが、実は抵抗力を有して変性変質し、幾多の何々症候群などの奇病、難病に発展しているものだ。角栄氏の破天荒な実行力や天才性は、この梅毒性体質から来たものとも言えよう。その角栄氏も酒に溺れた生活から過労とストレスが祟って倒れてからは、次第に意識が朦朧として行くに連れて、角栄氏の意識の夢現の中に、彼を守護している聖心仏陀先生の神聖で光輝な神々しい姿が見えたであろうと思われる。角栄氏が必死になって、周囲に何かを訴えたものと思われるが、周囲はそのメッセージに対して、一向に気付くことなく、何も感じ取ることが出来なかったであろうと思われる。

 今後、日本が大きく衰退し袋小路に入って行くに連れて、万一、救世主のような人物が登場するとすれば、今時は角栄氏の織田信長タイプに加えて、慎重でより国家の基本に係る諸政策を実践していく創造的能力を有した正に徳川家康タイプの両方を併せ持った人物となるであろうか。戦国乱世は、「織田が突き、羽柴が捏ねし天下餅、それを喰うは徳川家康」と言われたように、三人の英雄がそれぞれの持ち味を有した連携で展開したものだ。しかしながら今時の歴史的激動に際しては、実にその歴史的展開は急速であり、一気に三人分を一人で実施するような役割を期待されて行くであろうと思われる。

 正に歴史的大改革を実践するには、即ち、新しい家屋の建設に当たっては、国家という家屋の現状を打破し解体する織田信長型の仕事と、その後、瓦礫を撤収し刀狩りを実施して更地にする豊臣秀吉型と、更にはその後に新しい家屋、国家社会を建設する徳川家康型とが必須であるが、一挙にこれら全てを担った役割、才能を求められて行くであろうと思われる。もっとも、破壊や解体、現状打破に関しては、経済的変動などの非人為的な事態の推移により展開されていく要素が多いとも思われる。正に最後に、徳川家康が天下餅を棚ぼた式に喰らったように、次第に周囲が衰退衰滅して破綻崩壊して行くであろう。
(私論.私見)「角栄梅毒病者論」について

 ここは全くいただけない。根拠のあることを云うのならともかく、「実にこの特異のバセドー氏病の体質こそ、梅毒の影響だったものと思われる」の「思われる」がいけない。「思われる」などという推測で、「角栄梅毒病者論」をぶつのは居酒屋談義に堕してしまう。

6.田中角栄氏に関する感想を追加しておこう 投稿者:不動明王  投稿日:12月17日
 角栄氏に関する想い出は幾ら語っても尽きない。ただ当方は出版された多くの本は購入はしたが多忙で殆ど読んでいない。多くは新聞や雑誌などの情報でしかない。後はテレビなどを通した個人的感触、観察、洞察だ。表情を見ればある程度心の奥底まで分かると言うものだ。彼をして天才ならしめた最大の原因は矢張り、虐げられた環境、劣等感、負けず嫌いの挑戦意欲から必死に立ち上がり克服し這い上がろうとする不屈の精神力であったことは間違いはないだろう。

 角栄氏が大変な勉強家であり、また努力家であったことも案外知られていない。枕元には沢山の資料を積み上げ、ある時には徹夜で必死にも読破していたようだし、六法全書などの記憶力抜群に暗記していたようだ。某総理のように、報告は二枚でまとめてくれ、それ以上は読まない、読めない、理解できないと言うのとは雲泥の差だ。よく「分かったの角さん」とも言われ、人の話を充分に聴かなかったのが傍若無人に受け取られていくのであろう。

 角栄氏が大変などもりであったと言うことも共感できるものだ。彼の場合はせっかち的な言動がもたらしたものであろう。余りにも早口であることが災いしたのであろう。盟友の大平氏との対談でも、1時間の内、角栄氏が50分間ほど話して、残りの10分で大平氏がまとめて話すと言うほどであったようだ。積極的な角栄氏と、受け身の大平氏とは、凹凸の関係で大変ウマが合ったと言うことだろう。似たもの同士では互いに高めもするが、衝突、対立し、最後は離反しやすいが、角栄氏と大平氏とは実に芸術的コンビであったようだ。

 ところで、英雄と豪傑があるが、両者は似ているようで大きく異なるものだ。もっとも両方を併せ持った者もいることは確かだ。そして何れも天下の大物と言われるには、人生の若いときに苦難、苦労を必死に背負ってきた経験が必要不可欠と言えよう。その数少ない英雄と豪傑、そして人生の苦難の体験者であった人物が、百年に一度の田中角栄氏であったと言えよう。英雄と豪傑の区別は一体何処で見るのであろうか。よく「英雄は色を好み、豪傑は酒を好む」と言われるが正にその通りであろう。即ち、英雄は女性を好み、しかもたった一人の女性を真剣に愛すると言うことだ。豪傑の女性の愛した方は、大勢の女性を相手にし、しかも酒を優先する余り、どうしても酒の力を借りたもので、女性への対応がちゃらんぽらんになりやすい。また英雄の女性観は、美人からよりもブスからも愛されると言うことだろう。ブスからも愛されると言うことは、顔の形よりも、心に親近感が持たれると言うことだろう。角栄氏を観察していると、実に英雄的な女性への接し方、そして酒を好む豪傑型であり、正に英雄と豪傑の両方を併せ持った人物と言えよう。

 なお、歴史的に見ると、源義経は静御前一人を愛した英雄と言えるし、源頼朝は酒を好み女性には節操の無かった点で、豪傑と言えようか。角栄氏も芸者関係で女性問題が皆無とは言えなかったが、離婚するまでもなく、一人の夫人を一生妻として行った点も、英雄的心情を彷彿とさせるものだ。ハナ夫人は角栄氏とも言える歴史的にも希代の超大物にとっては、大変失礼な言い方をすれば、政治家の妻には相応しくない甚だ見窄らしい粗末なものであったろう。そこは真紀子氏が母親の代わりを難なく勤めたとも言えよう。政治の表舞台に妻が登場する機会が余りにも少なかったことを見ても、角栄氏が如何に家庭的で英雄的で女性思いであったかを窺わせるものだろう。なお、角栄氏の健康を害した最大の原因は実に、強い酒にあったと言えよう。酒を節制しておれば、健康を始め政治力も安泰であったと悔やまれるものだ。
(私論.私見) 「角栄天才論、英雄・豪傑論」について

 今度は一転して持ち上げており可笑しい。付言すれば、ハナ夫人を語る場合には純愛物語をこそ紹介すべきではなかろうか。ハナ夫人を「大変失礼な言い方をすれば、政治家の妻には相応しくない甚だ見窄らしい粗末なものであったろうは、一部当たっているが、表に出たがらない昔気質のつつましや型の女房として見れば、むしろ美徳に受け取ることができるのではなかろうか。

 ところで、ハナ夫人は離婚し一児を持ついわゆる出戻りであった。角栄より8歳年上で、ハナが角栄に出会った時は31歳であった。終戦後、知人の紹介で、角栄が建築業者坂本氏の家の一部を借り受け、田中建築事務所を開設することになる。早速、理研との仕事を復活させ前途洋々であった。世は奇しき縁で結ばれるもので、角栄とハナは結婚を望むようになる。ハナのどこかに角栄をその気にならせるものがあったということになる。「角栄は、はなさんのつつましやかな挙動と、内に秘められた芯の強さに惚れた。このはなが糟糠の妻となる」。とはいえ、出戻り事情のハナ夫人を娶る角栄の男気もさるものであろう。決して坂本工務店を手に入れようなどとの魂胆からの政略結婚ではない。

 それはそれとして、ハナは結婚するに当たって、妙な次の約束「三つの誓い」を取り付けている。「一つ、出て行けと云わぬこと。二つ、足蹴にしないこと。三つ、将来、田中が二重橋を渡るときは彼女を同伴すること。その三つを守ってくださるなら、それ以外のことについては、どんなつらいことにも、耐えてついていきます」と結んだ、と伝えられている。この約束が角栄とハナとの夫婦の契りとなった。


 れんだいこが興味深いことは、この時、ハナが「将来、田中が二重橋を渡るときは彼女を同伴すること」なる約束を取り付けていることである。常識的には夢にも叶えられぬ妄言ではなかろうか。ところが、歴史は不思議である。ハナのこの見通しが当たる事になる。ハナは、角栄に何を感じ取っていたのか。世にジャーナリストがいるとすれば、このあたりを聞き出すこことだろうが、あまりにボンクラゆえこういう奇しきことに思いを馳せる能力を持っていない。


 追記すれば。小泉というのは角栄と丁度逆で、漏れ伝わるところによると暴行魔で足蹴りどころではないと云う。こんな御仁にわが国の舵取り任せておいて良いのだろうか。後釜がいないのを良いことに、福田のボンとその元秘書が好き放題している。しかもかなりお粗末極まりない学芸会政治で。れんだいこに云わせれば何もかも無茶やがな。

7.田中角栄氏に関する感想を追加しておこう 投稿者:不動明王  投稿日:12月17日
 ところで、角栄氏は先祖代々馬喰であると言うが、その馬喰こそ、大和朝廷に反発して山野に逃亡していったサンカの流れを汲むもので、現在の支配階級を形成している中国系渡来人の弥生系とは大きく異なるというものだ。このサンカとは源流を遡れば、紀元前500年ほど前から三派に分かれて日本に流入してきた古代イスラエルの民とも言えよう。秦氏や鹿児島島津藩などもそうだし、某総理も、先祖に入れ墨をしていた者がいることから考えても、またその反骨精神の旺盛を見ても明らかだろう。要は、権力に抵抗したサンカの民族性こそ、今後の日本が大きく行き詰まって来た際の、国家社会を救済する原動力になり得るものだろう。

 現在の中国渡来系の支配階級では、最早、難局の現状の打破に際して、破天荒な行動を期待するのは不可能であろう。余りにも管理支配に明け暮れた習性が災いして、身命を賭して難局を打開する必死の抵抗力、突破力、破壊力などは生まれてくるはずもないからだ。今や、知らずの内に、空気や流れ、波動の変化により、支配階級が大きく行き詰まり、衰退、没落、破綻、失脚が始まろうとしていると言えよう。今後の国家危急存亡の時機到来に際しては、そのサンカの不撓不屈の精神が現状の膠着状態を切り開いていく役割を果たしていくことだろう。そしてその後に、長い間、弥生系渡来人により虐げられ、抑圧管理支配されてきた縄文日本人の血が沸々と沸き上がってきて、主役交代を促進させ、国民意識の変革へと繋がって行くことであろう。

 なお、サンカとは権力側に追い詰められて山野に逃亡してひっそりと生活を余儀なくされてきたが、戦国時代や幕末動乱、そして大東亜戦争時の歴史的大混乱の時期に乗じて、里に下りてきて、一般大衆に紛れ込み溶け込んだようだ。豊臣秀吉もサンカであろう。それ故に、蜂須賀小六のような野武士とも交流があり、裏の世界にも通じていたのであろう。また徳川家康も三河の松平直系に成り代わったもので、真の出自は群馬県の得川村瀬良田の出身のサンカであり、三河侍の三河とは、愛知県三河の三河ではなく、サンカの浪人や流れ者を隔離幽閉していた江戸の三河島の三河であったと言えよう。その三河島の浪人を解放したのが三河侍になったものだ。これは矢切留夫氏が暴露しているようだ。

 今次の歴史的大改革には、国民意識の大変革が必至であるが、これは田中角栄的なものの再評価と密接不可分に関係しており、角栄氏の大幅な見直し無くして、国民意識の変革もないであろう。その見直しとは何も全面的な反省と言うよりも、極めて客観的に総合的に相対的に見た判断や総括であり、その結果、悪かった面も確かにあるが、それは国際的な政治家で、正に世界の田中角栄氏であったという評価により、極めて優れた良い面が遙かに多く、彼の失脚が大きく歴史的にも国益を喪失させたという結論に至るというものであろう。その総懺悔がない限り、日本は永久に真の独立を勝ち取ることが不可能であろう。何故なら、真の国益を追求した政治家角栄氏を、正しく判断できないからで、そういう意識状況下では、今後とも角栄的な愛国民族主義的人間を抹殺して行くであろうと懸念するからだ。

 ところで、角栄的なものの復活とは言っても、利権政治や敵を増産するようなことでは、即ち、打算や利欲的な邪道、そして邪魔し抵抗する勢力が強力に存在すれば歴史的改革は不可能であるのは、今更、議論をするまでも無いだろう。角栄時代は何よりも戦後の焼け野原から新しいシステムを構築して行く時期に遭遇し、高度経済成長の流れにも合致したものだ。現在の改革は一旦破壊して、新しい国家社会の建設に向かうべき壮大で雄大なものであり、しかも、その展望や青写真、具体像は何処にもないものだ。実に、豊かな創造力や洞察、先見性により構築して行くべきものと言えるだろう。
(私論.私見)「不動明王氏のサンカ論、縄文論」について

 時にこういう説を聞くことがある。れんだいこは、少し違うよく似たところもある観点を持っているが今はまだ言葉にならない。

8.田中角栄氏に関する感想を追加しておこう 投稿者:不動明王  投稿日:12月19日
 今時の歴史的大改革に際しては、救世主なる人物乃至勢力は、田中角栄的破天荒で臨むべきことは当然であるが、その内容や対処進展に当たっては、角栄氏を大きく乗り越えて行かねばならないだろう。内需拡大政策をとっても、角栄氏の公表した列島改造論なるものは、角栄氏の故郷の雪国新潟での体験に基づく除雪した道路の整備が原点であり、その列島全体における高速道路の整備に他ならなかった。真の過疎、過密の解消という大きく踏み込んだ緻密で総合的、体系的なものでもなく、単なる地方都市を高速道路で結んで時間の短縮を図るという地方都市間の活性化であった。

 今時の列島改造論は、真に日本列島全体の産業や雇用、経済などの全体的な活性化でなくてはならない。それも単に道路やダム、護岸、建築物などの建設だけの推進ではダメで、環境問題や廃棄物処理、省資源・省エネを志向したものでなければならない。既に、公共工事のばらまきだけでは、雇用も増えず、他の産業全般の波及拡大性が大きく損なわれていることも確かだ。肝腎の産業の活性化に繋げた建設でなくてはならないからだ。産業の育成や発展無くして、道路のみ建設したところで、現在では、費用対効果の点でも、疑問視されていることも事実だ。

 角栄氏が構築した戦後体制を、根本から解体し、再度、新しく構築して行かねばならない。この構築も、今や戦後体制の破綻に伴って、司法や行政、立法を始め、年金や教育、少子化対策など実に広範多岐に亘るものだ。また国際外交的にも、米国の崩壊、中国の台頭、欧州の台頭、ロシアの再生を踏まえて、実に外交が複雑怪奇に展開し始めていくようだ。これまでの対米従属一辺倒の思考では、国家の進路を大きく誤ろうとし、さりとて、米国に代わって中国に深くのめり込んで、対中従属では、従来と相手が交代するだけで、何ら変わりはない土下座外交、屈従外交、謝罪外交の延長でしかないだろう。真の自主、独立外交が求められている所以であろう。

 また角栄氏は、創価学会・公明党にも無頓着で、民主主義とは多数決だと言わんばかりに、ただ議員の人数の拡大ばかりを追求し、安易に連携を模索していたようだ。宗教には全く無関心であり、創価学会批判の本の出版を禁止したのも角栄氏の圧力だった。しかし、今や国内の巨大教団が大きく社会的にも影響力を持ちはじぇめ、政界にも創価学会・公明党の影響が浸透し始めたのみならず、世界的にも、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の対立よ、実に宗教戦争へと大きく様相を変えてきたと言えよう。今や数千年来の宗教の総決算が始まろうとし、日本がこれらの世界大戦に利用され巻き込まれるのか、それとも日本から全世界に向けて、新たな崇高な世界性、普遍性を有した理念を提示し発信していくことが出来るのか、実に国家の命運を賭けたその歴史的選択の岐路に立ったと言えよう。

 それ故に、今次の予想される歴史的大激動に際しては、国民皆が付いてくるような、私利私欲を廃絶し、打算売名を超克した清廉潔白を有した上で、なおかつ、天下国家の大局に立った雄大で壮大、深遠で崇高な政策を創造して提起できる能力も求められているだろう。単なる破天荒な度胸や胆力、抜群の記憶力だけではない、実に広範多岐に亘る奥深い洞察力、崇高な創造性、深遠な先見性が求められてくるであろう。正に、織田信長型の現状打破や豊臣秀吉型の戦後処理型を越えて、戦国乱世を最後に幕引きできる徳川家康型の用意周到、沈着冷静、深謀遠慮で対処し、天下分け目の大掃除の関ヶ原を仕掛けられるほどの肝っ玉の据わった、天下統一の歴史的役割・任務を演じられる人物こそ求められているものであろう。

角栄論における親愛の情をお伝え申し上げます 投稿者:れんだいこ  投稿日: 1月30日
 不動明王さんはじめまして。当掲示板で、れんだいこの角栄論を取り上げてくださり、且つ8投稿に及ぶ角栄論を公開してくださり、非常にためになっております。今日、「不動明王氏の角栄論考」と題する論考をサイトアップいたしました。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/fudomeioco.htm

 今書き付けたばかりで推敲しておりませんが、お知らせしておきます。小泉の酩酊ぶりを思うにつき角栄恋しやの気持ちになっております。ロッキード以降、日本は課題に対して正面から取り組む作法を失い、阿諛追従がはびこる世の中になってしまい、今や末期的に加速させているとみなしております。

 時代の転換を図るには、ロッキードが全てとは云いませんが、この事件の禊をせずんば始まらない、ねじれがただせないと考えております。この点では、不動明王さんも同じような観点を披瀝されており、うれしく存じております。今後ともよろしくご厚誼賜りますようお願い申し上げます。

↓.角栄氏に関するコメントを修正補足 投稿者:不動明王  投稿日: 2月 2日
 当HPへのご訪問有り難うございます。先のコメントに対し誤解と偏見を除去するべく若干修正補足して追記いたします。以下敬語省略を御免下さい。

 田中角栄氏に対する当方の厳しい客観的な観察には、賛否両論があることは容易に推察できる。当方は必ずしも全面的で盲目的な賛美ではない。それでも田中角栄氏への嫌悪反対派は論外だが、角栄氏を支持する者以上に、深く角栄氏を絶賛していることも確かだ。しかしながら、欠点も詳細に観察し検証しているものだ。何故なら、彼の過ちを二度と繰り返してはならないからだ。

 ところで、角栄氏のせっかちで汗かきの体質が、病理学、医学的な見地からみて、梅毒が変異、変形したバセドー氏病が原因であったと言うことは、角栄氏支持者には相当にショッキングなことかも知れないが、何もこれは悪意で言っているものではない。昔から梅毒は広く蔓延しており、欧州でも殆どの王侯貴族にも蔓延し、著名な作家、音楽家、画家などの芸術家の殆どに感染していたようだ。実に天才と狂気とは紙一重であった。仮に表面化していなくても、潜伏していただけに過ぎないものだ。

 日本でも幕末時には成年男子の90%以上もが、感染していたようだ。そして最近は梅毒が消滅したように思えれているが、これは梅毒菌が耐性を有して、様々に変異して何々症候群という得体の知れない難病や奇病に変転していったように思われる。この梅毒は個人差により発病する時期が大きく異なり、自分でも70年後に、実に棺桶に入る直前に初めて表面化することもあり、実に潜伏期間が長いものだ。また自分自身に何も原因が無くても子孫に現れることもあるし、祖先から引き継いでくる場合もある。

 しかも梅毒は天才と狂気を生み出すもので、別に嫌悪すべきものでもない。上手く行けば天才だし、悪くすれば狂気となるもので、これは運命であり賭けでもあろう。例え、梅毒が関係しなくても、天才を狂気とは紙一重であるのが常識だ。角栄氏はヒットラーのように狂気はなく、実に慈愛に満ちた人間性豊かなものだった。むしろ、一般常識者の方が真理に対して盲目であり狂気に満ち、中庸、中道を大きく欠如した偏見、偏狭な心理であったと言えよう。

 ところで、ハナ夫人のことであるが、当方は彼女の暖かい家庭的な面は高く評価している。角栄氏の大好物の芋の煮物を喜んで作っていたような家庭的な女性だった。決して人目に触れる場所にしゃしゃり出ていくタイプでもなかった。また角栄氏に女性関係があっても、嫉妬や妬みに狂って家庭を破壊するようなこともなく、大きな母性愛で包み込むような古風なタイプであった。この点を高く評価した上での、政治家としての女房感を言っているものだ。

 即ち、当方が指摘するのは、あくまでも「政治家の妻」としての評価である。政治家の妻たるものは、選挙などと言うパフォーマンスを演じて、夫と共に虚栄、虚構、ハッタリの世界に身を置くことが出来るタイプでなければならない。その意味からも、「政治家の妻としては」と言う条件で、貧弱で見窄らしかったと言うことを指摘したまでだ。この貧弱で見窄らしいというのは、何も身なりが乞食みたいと言う意味ではなく、むしろ華美、贅沢、虚飾、虚栄とは全く縁遠い存在であり、政治家の妻としての各種パーテーや海外視察や外交儀礼への同伴や同行には不向きであったと言うこと言っているものだ。

 それでも角栄氏は、別に嫌悪したり冷淡にすること排除することもなく、生涯を通じて糟糠の妻として連れ添ったことは実に敬意を表するもので、静御前一人を心から愛した義経のような英雄のような存在を感じるものだ。「英雄は色を好む」とは何も複数の女性を次から次へとちゃらんぽらんに愛するものではなく、たった一人の女性を愛することを言うものだ。この辺が多くの者が誤解しているものだ。複数の女性を愛する者は、どうしても愛情がいい加減になり遊び半分になりやすい。これは色を好む英雄でも何でもなく、ただの軽薄で偽善的な浮気癖の悪い者でしかない。

1.参考までに角栄氏に関する某情報を紹介 投稿者:不動明王  投稿日: 2月 2日
 なお、参考までに角栄氏に関する某情報を紹介しておこう。
■東京地検特捜部〜週刊アカシックレコード031117■
 76年から、東京地検特捜部は米保守本流の別働隊として、田中角栄、金丸信らの反米的な政治家を葬る役割をはたして来た。次の標的は、青木幹雄・参院自民党幹事長だ。

【04年夏は同日選?】
 知人が03年の衆院選に落選したので「次の衆院選は3年ぐらい先でしょうが、捲土重来を」と激励のメールを書こうとしてふと気付きました。イラクに派兵した自衛隊員の血が流れたり、自民党道路族の汚職が摘発されたりした場合は、04年の通常国会会期末に内閣不信任案が与党内の造反で可決されて、04年夏の参院選は衆・参同日選になるかも。
 同日選は投票率が上がるので、組織票頼みの公明党には不利でも、浮動票頼みの民主党には有利なので、一気に政権交代!?

 ジェームズ・ウルジー元米CIA長官は「北朝鮮の残虐な金正日独裁体制を終わらせるために、米国は(CIAなどを使って)クーデターなどの政権転覆工作をすべきではないか」と聞かれた際、「米国人のいない北朝鮮で、米国のできることは限られている」と否定的見解を示した(03年9月21日放送のテレビ東京『日高義樹ワシントンリポート』)。

 ということは、裏を返せば、米国人が大勢常駐している日本では、米国のできることは「限られていない」のだ。
 もちろん、米国籍の工作員が直接日本の政府高官を暗殺して政権を転覆するのは容易でない。日本のような治安のいい民主主義国家で要人が殺されれば、たとえ「病死」と発表しても、与野党やマスコミが疑うので、そう簡単に米国の都合のいい人物に権力を握らせることはできない。

 が、常駐している大勢の米国人に手懐けられた日本の指導的人物を多数操れば、何も暗殺などしなくても、たとえばスキャンダルの暴露による失脚などの形で「反米的な」人物を政界から追放することは「平和的」「民主的」に実現可能だし、現に過去に行われている。

2.参考までに角栄氏に関する某情報を紹介 投稿者:不動明王  投稿日: 2月 2日
 ●ロッキード事件●
 その典型は、田中角栄元首相を「金権政治家」として失脚させた「ロッキード事件」(ロ事件)という名のスキャンダル工作だ。

 これは何もおどろおどろしい(マニアックな)陰謀論ではない。少なからぬ識者もそう思っており、たとえば毎日新聞記者の岩見隆夫は「田中角栄の『無罪』論」を述べ、国際謀略の可能性を示唆している(毎日新聞Web版00年10月8日)。
http://www.mainichi.co.jp/eye/iwami/sunday/2000/1008.html

 謀略の構図は、世界のエネルギー市場を支配する国際石油資本(メジャー)が、メジャーに逆らって「資源外交」を展開した日本の首相、田中角栄を、ロ事件という(別件逮捕ならぬ)「別件スキャンダル」で冤罪の罠にかけて葬った、というものだ。

 【この事件では、世界十数か国の政府高官が米ロッキード社(ロ社)製航空機の輸入問題で追及されているので「角栄 vs. メジャー」の構図で説明するのは間違いだ、という反対意見があるが、それは、ビジネスの現場を知らない評論家の、単なる思い込みだ。
 ダムを作るとき、灌漑、発電など複数の目的で作れば「多目的ダム」になる。1本の映画にも異なる目的で複数の会社が出資することがあり、たとえば03年11月公開の邦画『game』は、フジテレビにとっては「1〜2年後に地上波で放映するための映画」だが、ポニーキャニオンにとっては「主題歌のCDを売るための映画」だ。
 ロ事件という「多目的スキャンダル」で利益を得た「出資者」は、石油、航空機製造、マスコミ、米政界、反原発運動など世界の広汎な「業界」にまたがるが、人脈上その大半が米保守本流(米共和党、メジャー、とくにロックフェラー財閥系石油資本)につながるのは間違いなく、イタリアやトルコへのロ社の工作暴露で他の航空機製造業者が利益を得たとしても、それは異業種が参加していないことの証明にはならない。】

 73年の第一次石油危機では、産油国とメジャーが共謀して原油価格を一気に4倍にして大儲けする一方、日本経済はスタグフレーション(輸入原油の暴騰による超インフレと産油国への所得移転によるデフレ)で大打撃を受けた。これに懲りた当時の日本政財界は、メジャーの支配を受けないエネルギー調達を模索し、首相だった角栄は「資源外交」を開始した。それは、メジャーを通さずに産油国から直接輸入するルートの開拓と、オーストラリア(豪)のウラン開発・輸入による原子力発電の推進から成っていた。

3.参考までに角栄氏に関する某情報を紹介 投稿者:不動明王  投稿日: 2月 2日
 しかし、世界最大級の石油輸入国である日本で原発が普及して石油依存度が下がると、世界の石油相場は下がる。
 米系メジャーは、石油危機の前に、タールサンド(粘り気の強い石油を多量に含んだ砂)やオイルシエール(粘着性のある石油を含んだ頁岩)の多い北米の荒れ地を大量に買い占めていたが、中東油田地帯に比べて相当に生産性の低いこれらの荒れ地から生産できる石油は、石油の値段が4倍ぐらいに高騰していれば採算に乗るものの、値下がりすれば採算割れして、荒れ地は「ただの荒れ地」に戻ってしまう。第一次石油危機直前の73年4月と6月の米国のエネルギー教書には「米国はタールサンド、オイルシエールの開発に取り組む」と明記されているから、角栄の資源外交は、米国にとって絶対に容認できないものだった(経済企画庁『昭和48年 年次世界経済報告』 <
http://wp.cao.go.jp/zenbun/sekai/wp-we73/wp-we73-00303.html > 科学技術庁『昭和49年版 科学技術白書』 < http://wwwwp.mext.go.jp/kag1974/index-7.html > )。

 74年10月、月刊誌『文藝春秋』(74年11月号)に田中角栄の「金脈政治」を批判する記事が載り、その発売直後に角栄は東京外国特派員協会(外人記者クラブ)で会見する。当時の外国特派員の大半は日本語の読めない記者によって占められていたので、角栄はまさか日本語で書かれた雑誌記事が話題になるとは夢想だにしていなかった。

 が、会見直前、上記の記事やその関連資料の英訳版が何者かによって特派員たちに配布され、一転して会見のテーマは「金脈問題」になった。なんの準備もしていなかった角栄は会見でしどろもどろになり醜態をさらし、これがきっかけで角栄は退陣する。

 【これは、87年7月31日深夜(8月1日未明)放送のテレビ朝日『朝まで生テレビ』に出演した元豪外交官グレゴリー・クラーク(のちの多摩大学学長)の説である。彼にとって角栄は、ホイットラム豪首相と日豪原子力プロジェクトを進めようとした英雄なので、角栄の「冤罪」に対して黙っていられなかったのだろう。ちなみに角栄と相前後して、ホイットラムも意味不明の理由で失脚している。】

 ところが、角栄は首相の座を降りてもなお、田中派(木曜倶楽部)という自民党最大派閥を率いて、政権への影響力を維持した。当然、原発推進路線や資源外交は継続される。

 すると76年2月、米議会上院に(間違って)配達されたロ社の書類が開封され、同社の各国政府への航空機売り込み工作を示す資料が出てきたので、これを上院外交委員会の多国籍企業小委員会が調査することになった。

 その結果「ロ社が航空機トライスター売り込みのため巨額の工作資金を日本、イタリア、トルコなど十数か国に流し、そのうち全日空にトライスターを売り込むために、総合商社の丸紅などを介して、複数の日本政府高官(いわゆる「灰色高官」)に1000万ドル(当時のレートで約30億円)の工作資金を渡した」と判明。

 76年8月、上記の1000万ドルのうち5億円が角栄に渡ったという、受託収賄罪と外国為替管理法違反の容疑で、東京地検特捜部は角栄を逮捕した。

 角栄は(贈賄側の丸紅幹部や、収賄側の他の政治家などとともに)起訴され「公判中の刑事被告人」となるが、出身地(新潟県長岡市)では絶大な支持を保ち、有罪判決を受けても衆議院に議席を維持し、自民党を離党して無所属議員となりながらも多数の自民党議員を率いて田中派を支配し、事実上誰を自民党総裁(首相)にするか決めることのできる「キングメーカー」であり続けた。

 マスコミは連日、角栄を「金権政治家」「目白の闇将軍」と非難し続けたが、日本の保守政財界は角栄の資源外交が国益を守るために必要とわかっていたので、彼の権力は揺るがなかった。

 反面、角栄は下層階級の出身で低学歴だったので、東大卒など高学歴の財界人や官僚からは生理的に嫌われており「原発推進を米国に見逃してもらうための人身御供」として差し出された可能性は否めない。ロ事件の被告のうち、東大卒の丸紅専務、伊藤宏は、早々と検察側の言い分をすべて認めて執行猶予付き有罪判決で裁判を終えてしまったが、一、二審はおもに伊藤の供述を根拠に角栄に実刑判決を下し、角栄は最後まで無罪を唱え、最高裁判決を待たずに93年に死亡した。

 【「灰色高官」の1人で、86年に有罪判決が確定した、事件当時運輸政務次官だった佐藤孝行は、派閥の「親分」である中曽根康弘(のちの首相)の身代わりに起訴された、という説が政治記者のあいだでは有力だ。ちなみに、中曽根は東大卒で「いけにえ」の佐藤は明大卒。】

4.参考までに角栄氏に関する某情報を紹介 投稿者:不動明王  投稿日: 2月 2日
 ●日本法曹史上の汚点●
角栄の無罪判決は一度も下りず、検察側の主張は一、二審では認められた。
が、角栄が受託収賄で有罪になるためには、検察側の主張のうち

#1: ロ社側の工作の事実を証明する、同社のコーチャン副会長(当時)の、「嘱託尋問調書」の合法性
#2: 現金(5億円)授受の事実
#3: 首相時代の角栄が民間企業である全日空の導入機種選定に関与できる、という「首相の職務権限」の存在

のすべてが成立する必要がある。つまり、権限のある人に「その権限を私たちに有利に行使して下されば利益があります」と言って利益を与えた場合だけ、もらった側が収賄罪(与えた側は贈賄罪)に問われるのであって、#1〜#3のうち1つでも欠ければ無罪だ。

が、3つとも怪しい。
#1の嘱託尋問は、米国内にいて、まったく来日しなかったコーチャンの証言による一種の伝聞証拠にすぎず、(日本の法廷で)被告・弁護側の反対尋問を受けていないから、日本の刑事訴訟法では無効のはずだ。が、日本の裁判所はなぜかこれを有効とした。

#3の職務権限論はもっとくだらない。
 日本の首相やその部下の政府高官から、法的根拠なく民間企業(たとえばタクシー会社)が「国産(車)を使わず輸入品にしなさい」と言われてハイと従った例など1つもない。法令で許される限り、どんな商売道具を買おうが民間企業の自由だ。これは常識の問題であり、裁判で争うこと自体ばかげている。

#2の現金授受についても、検察側の主張する場所と方法と日時では物理的に不可能という説がある(岩見前掲記事)。
 まさにロ事件の裁判は日本法曹史上最大の汚点だ。

 この異常な司法判断の理由は2つ考えられる。
 1つは日本の大半のマスコミが「角栄悪い」の非理性的な報道を数年間、ほとんど毎日洪水のように垂れ流したこと、もう1つは一審の東京地裁の担当判事の1人が心臓発作で急死したことだ。

 急死の真相はともかく、日本のマスコミを異常な偏向報道に総動員する工作能力を持つ何者かが存在する以上、検事や判事が「自分も死ぬかもしれない」と連想して、正常な判断を躊躇しても不思議でない。
 10年を超すロ事件裁判の期間中、大勢の検事が辞表を出し、また最高裁は異例の、一、二審以上の年月をかけて最終審判決をひたすら先延ばしにし、角栄の死亡を待った(死亡と同時に、裁判自体がなかったことになるので、最高裁は冤罪判決で「手を汚す」ことは免れる)。地検特捜部の名物検事だったHも、定年を待たずに検察を去り、晩年は慈善事業に打ち込んでいる。下劣な法解釈をして無実の政治家を葬ったことへの、良心の呵責による転身だろう。

 ロ事件の残したもの……それは、金権政治を糾す司法の正義などとはほど遠いものだ。いちばん重要なことは、日本の司法、とくに東京地検特捜部が、米保守本流の利益のためなら平気で恣意的な法解釈をする、という事実が判明したことだ。

5.参考までに角栄氏に関する某情報を紹介 投稿者:不動明王  投稿日: 2月 2日
 ●東京地検特捜部 vs. 旧田中派●
 米保守本流の意を受けた東京地検特捜部と、田中角栄とその後継者との戦いは、76年8月に始まり、いまも続いている。

 角栄は、竹下登(のちに首相) 青木幹雄(参院自民党幹事長) 小渕恵三(首相) 橋本龍太郎(首相) 小沢一郎(新生党代表幹事) 羽田孜(首相) 金丸信(自民党幹事長) 野中広務(同) 鳩山由紀夫(民主党代表) 武村正義(新党さきがけ代表) 細川護煕(日本新党代表・首相)ら大勢の政治家を育てて田中派を拡大し、「日本列島改造論」を打ち出して旧国土庁を創設し、都会の納税者の税金を農村地帯に公共事業予算として流し込んで道路を造りまくる「道路族議員」も育てた。
 道路特定財源の自動車重量税は角栄の発案だし、また「朝日新聞-NET(のちのテレビ朝日)-大阪毎日放送 vs. 毎日新聞-TBS-大阪朝日放送」のねじれた提携関係を(大阪の毎日放送と朝日放送を入れ替えて)解消し、新聞とTVをペアにして系列化して、郵政省のマスコミ監督権を強化をしたのも彼だし、郵政族議員を育て上げたのも彼だ。また、米国よりも先に中国との国交回復を実現して中国利権に迫り、親中国・北朝鮮派の政治家(金丸、野中)を育てたのも彼だった。

 (旧)田中派は、角栄が刑事被告人となったことで、弟子の竹下に乗っ取られて竹下派(経世会)となり、以後竹下派(現橋本派)は角栄の娘の田中真紀子(のちの外相)の恨みを買うが、竹下とその後見役の金丸は、都会人口が少なかった時代の、農村に不当に有利な選挙区割りを維持して道路族、郵政族の議員を多数当選させ、彼らを率いて都会の納税者の税金を農村で浪費する利権政治を続け、また親中国・北朝鮮人脈に基づき中国や北朝鮮にODA(政府開発援助)やコメ支援を与え、間接的に両国の(核)軍拡を支援し、しばしば日米同盟の強化を阻害した。

 93年3月、東京地検特捜部は金丸を脱税容疑で逮捕し、その政治生命を断つ。
 これによって重石のはずれた竹下派は、竹下や小渕らの小渕派と、小沢や羽田の羽田派に分かれ、さらに後者は自民党を抜け出して新生党となり、細川の日本新党や武村のさきがけ、公明党、民社党、社会党などを糾合し、細川を首相とする非自民連立内閣を実現させる。

 細川内閣発足に先立って、その立役者である小沢が著した『日本改造計画』(講談社93年6月刊)はCIAの手で英訳され、全世界で発売されたが、その英語版の序文は、なんとJ.D.ロックフェラー(4世)米上院議員が執筆した(講談社インターナショナル94年9月刊の英語版初版本のオビに「CIA訳」とある)。

 これによって、小沢がロックフェラー人脈にスカウトされて旧田中派から引き剥がされ、米保守本流の「お気に入り」となったこと、また今後いかなるスキャンダル工作によっても失脚させられない(CIAが小沢を守る)ことが全世界に明らかになった。

 【旧田中派に「残留」した野中は、のちに小沢のことを「悪魔」「国を売るような者」と罵るが、それは、小沢が角栄の教え子でありながら、角栄の仇敵ロックフェラーの配下になったことを指している。】

6.参考までに角栄氏に関する某情報を紹介 投稿者:不動明王  投稿日: 2月 2日
 ところで、英語版の序文の中でロックフェラーは、小沢が作った細川政権を「日本で初めての都市型政権」と呼んでいる。つまり、米保守本流は日本に都市型政権を作りたかったのだ。

 やはりロ事件は「多目的スキャンダル」であり、ロックフェラーらの米保守本流が角栄をたたいた理由は石油だけではなかった。

 旧田中派が、道路族、郵政族を使って、米国の重要な同盟国である日本の資源を浪費する時代遅れの農村型政治を続け、日本の国力が十分に発揮されないことが、米保守本流はいやなのだ。

 米保守本流は冷戦に勝ち、ソ連・東欧の、資源を浪費する、効率の悪い社会主義体制を崩壊させ、これら諸国を「構造改革」して民主化、市場経済化し、米国にとっての重要な市場とし、また同盟国とした。かつての東欧の社会主義国ポーランドは、いまや仏独よりもはるかに米国に忠実な同盟国で、米国を助けるためにイラクに派兵しているほどだ。

 ならば、米保守本流は日本の構造改革のため、みたび東京地検特捜部を使って、旧田中派(現橋本派)をたたくはずだ。

 地検特捜部は、76年に角栄を、93年に金丸をたたいた。おそらく03〜04年には、旧田中派道路族のドン、青木幹雄を始末するはずだ。

 さすれば04年6月の通常国会会期末には、小泉内閣不信任案が可決される可能性があり、可決されれば、04年夏の参院選は衆・参同日選になる。

 03年11月9日の衆院選(過半数は241議席)の結果、民主党(177議席)が政権を取るには次の衆院選(同日選)で少々議席を伸ばしても足りないし、公明党(34議席)と連立してもまだ足りない情勢となった。

 東京地検とも「連立」して自民党(旧田中派)を壊さない限り、政権は取れない。そのことをいちばんよく知っているのは、93年の非自民連立政権樹立の経験を持ち、いまは民主党員となっている小沢だ。

 すでに03年9月、自民党に不利に、民主党に有利になるように、東京地検は秘書給与詐欺疑惑を問われていた田中真紀子元外相を、衆議院の解散直前にわざとらしく不起訴処分にし、彼女が「反自民の旗手」として03年の衆院選に立候補し当選することを許した(真紀子は、竹下らが田中派を乗っ取って以来、彼らと敵対する小沢と親しい)。

 これこそまさに、地検がいまだに米保守本流の支配下にあることの証拠だ。

角栄考 投稿者:れんだいこ  投稿日: 2月 2日
 不動明王さん、続きましての貴重情報ありがとうございます。いただけるものはいただき角栄論サイトを更に充実させようと思います。とりあえず御礼まで。日中は落ち着けず、夜は夜でそうなのですが、頃合に腰を落ち着けて返信させていただこうと考えております。ではまた。

角栄考返信1 投稿者:れんだいこ  投稿日: 2月 2日
 不動明王さんちわぁ。梅毒に対する見解、ハナ夫人考に対する真意は了解しました。(1)見解も了解です。(2)の「ロ事件という『多目的スキャンダル』」という表現にも面白く感じました。(3)は内容豊かで、大いに啓発を受けました。

 特に、経済企画庁『昭和48年 年次世界経済報告』は読むべき価値がありそうです。あの頃の官僚は頭脳がしっかりしていたのだと思います。

 概要「角栄の外国特派員協会(外人記者クラブ)での会見が立花論文が掲載された『文藝春秋』(74年11月号)の売直後であり、会見直前、上記の記事やその関連資料の英訳版が何者かによって特派員たちに配布され、一転して会見のテーマは『金脈問題』になった。なんの準備もしていなかった角栄は会見でしどろもどろになり醜態をさらし、これがきっかけで角栄は退陣する」の指摘はこれまで知らされていない史実のように思います。

 「ちなみに角栄と相前後して、ホイットラムも意味不明の理由で失脚している」の指摘も有益ですね。当時、角栄と関わりを持っていた各国首相のこの種の失脚が相次いでいることを検証せねばならないとも思います。

 「当然、原発推進路線や資源外交は継続される」とありますが、「原発推進路線」について角栄が積極的であったかどうか、やや疑問としたいと思います。れんだいこ観点によれば、「原発推進路線」はどうも軍事防衛タカ派族と繋がりがなお深いとみなしております。

 角栄が「原発推進を米国に見逃してもらうための人身御供」として差し出された可能性は否めないとの説は、理解不能です。原発推進は日米共同作戦でせうから、「米国に見逃してもらう」という見解は成り立たないと思います。

 佐藤孝行が、派閥の「親分」である中曽根康弘(のちの首相)の身代わりに起訴された、という説が政治記者のあいだでは有力だ、についですが、ここは学歴と絡ませる必要は無く、佐藤孝行が中曽根の身代わりになったとそのまま理解すれば良いのではないでせうか。ちなみに、中曽根は極ワルで、ロッキード事件も本筋は中曽根−児玉一派の仕業を無理矢理に角栄追討に向かわせた気配が濃厚ですね。

 ここら辺はさほど追跡されていない。もしこの探索に向かえば命が幾つあっても足りない、こういう仕掛けがあるところだと思っております。

角栄考返信2 投稿者:れんだいこ  投稿日: 2月 2日
 4)について。「まさにロ事件の裁判は日本法曹史上最大の汚点だ」は同感です。「もう1つは一審の東京地裁の担当判事の1人が心臓発作で急死したことだ。急死の真相はともかく、日本のマスコミを異常な偏向報道に総動員する工作能力を持つ何者かが存在する以上、検事や判事が『自分も死ぬかもしれない』と連想して、正常な判断を躊躇しても不思議でない」は、貴重情報ですね。亡くなった判事の氏名を明らかにしてもらいたく存じます。

「地検特捜部の名物検事だったHも、定年を待たずに検察を去り、晩年は慈善事業に打ち込んでいる。下劣な法解釈をして無実の政治家を葬ったことへの、良心の呵責による転身だろう」は、あり得る話だと思います。

 (5)について。また「朝日新聞-NET(のちのテレビ朝日)-大阪毎日放送 vs. 毎日新聞-TBS-大阪朝日放送」のねじれた提携関係を(大阪の毎日放送と朝日放送を入れ替えて)解消し、新聞とTVをペアにして系列化して、郵政省のマスコミ監督権を強化をした、とのことですが、ここら辺りはもっと正確に知っておきたいです。教えてくだされば助かります。

 角栄後の政局流動の認識でかなり相違しております。れんだいこ史観によると、竹下−金丸連合は、「鉄の軍団田中派」解体の為に操作された感があります。意図的にせり上げが為され、お役目済みになるに応じて切り捨てられた、と考えております。だから、竹下の評伝の題名が「その罪万死に値する」となっており、まったくうまく付けられた題名だと思っております。

 これによって、小沢がロックフェラー人脈にスカウトされて旧田中派から引き剥がされ、米保守本流の「お気に入り」となったこと、また今後いかなるスキャンダル工作によっても失脚させられない(CIAが小沢を守る)ことが全世界に明らかになった、についてですが、その甘水を飲んだのか蹴ったのかの見極めが大事だと思います。目下は、判然としておらず、むしろれんだいこは蹴ったと思っております。だから、小沢を必要以上に敵視する観方には賛成できません。むしろ、非難されるべきは、中曽根−小泉一派の売国奴達でせう。この連中こそ身も心も金玉も握られていると見ております。

 (6)について。旧田中派が、道路族、郵政族を使って、米国の重要な同盟国である日本の資源を浪費する時代遅れの農村型政治を続け、日本の国力が十分に発揮されないことが、米保守本流はいやなのだ、とありますが、全く理解できません。

 地検特捜部は、旧田中派道路族のドン、青木幹雄を始末するはずだ、とありますが、青きなぞ矮小な利権族に過ぎず、米英ユ勢力がわざわざ叩くまでも無いと思います。

 東京地検とも「連立」して自民党(旧田中派)を壊さない限り、政権は取れない。そのことをいちばんよく知っているのは、93年の非自民連立政権樹立の経験を持ち、いまは民主党員となっている小沢だ、とありますが、この辺りの認識は、とても混乱されているように思います。

 小沢の真意は旧田中派を叩くなどには無く、否むしろやはり同盟軍でせう。タカ派系に乗っ取られた自民党内を内部から変えていくのはもはや不能と見て取り、野党化して本格的に政変に持って行こうとしているように思えます。してみれば、居残り組みの橋本−宮沢系のハト派はそういう決断もできない優柔不断な利権型無能組ということになるのではないでせうか。

 留意すべきは、米英ユ同盟から見て、どちらへ転ぼうとも保険はかけてある、というところ辺りではないでせうか。

 「これこそまさに、地検がいまだに米保守本流の支配下にあることの証拠だ」として、「東京地検は秘書給与詐欺疑惑を問われていた田中真紀子元外相を、衆議院の解散直前にわざとらしく不起訴処分にし、彼女が『反自民の旗手』として03年の衆院選に立候補し当選することを許した(真紀子は、竹下らが田中派を乗っ取って以来、彼らと敵対する小沢と親しい)」というのも変です。

 タカ派系から見て、真紀子の影響力を殺ぎたい、蟄居させたいのはやまやまなれど、やはり法治国家ですからあまりに露骨な無茶なことはできない、ということではないでせうか。

 何やら小沢−真紀子同盟が一番のワル論へ帰着しておるようで、この辺りどこでどう道を間違えたか、れんだいこと不動明王さんとの結論が反対方向へ来ております。なぜこういうことになるのか解せないところです。




(私論.私見)