「シオンの議定書」の真贋考

 (最新見直し2012.08.11日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 日本左派運動は、「シオンの議定書」に対して全く無知状態にある。滑稽なことに自ら求めて無知状態にしているように見える。「シオンの議定書」を云々し始めるや一笑に付すのが左派の見識とばかりに聞く耳を持たず、否耳を塞ぐ。2005.3月現在でも相も変わらず、世の自称サヨイストのみならず結構な左派グループ陣営の者からでさえ「トンデモ陰謀論説」が披瀝されている。この作法はどのようにして形成されているのだろうか、れんだいこには解せない。

 恐らく、マルクス、エンゲルス、レーニン、トロツキーらがなべて「シオンの議定書」に象徴されるネオシオニスト運動に不言及な為であろう。開祖が言及しないものは受け継がないとでもしているのだろう。しかし、当時なら許されても、以来マルクス主義が衰亡し、ネオシオニズムが隆盛しているその後の歴史を観れば、ネオシオニズムに対する不言及は許されないと云うべきではないか。この態度を採らないのなら、そういう者達のマルクス主義は宗教に化していることになる。あるいはネオシオニズムの下僕たらんとしていることになる。そういう連中に限って我こそは科学的主義屋だと公言する。滑稽というべきか哀れというべきか。

 れんだいこが「シオンの議定書考」を世に問うたのは2004.6.16日頃である。れんだいこは、本サイトで、「シオンの議定書」の考察を陰謀論で一蹴するのではなく、これを真っ当に研究していく必要を提起した。しかし、無視されている。こうなると、「トンデモ陰謀論説」でオカルト批判をしている側の者が変なオカルトに感染しているように見えて仕方ない。本サイトで、どちらがオカルト感染者なのか確かめようと思う。

 「世界権力構造の秘密 ユースタス・マリンズ(Eustace Mullins) 1」、「『プロトコール』真贋論争の最終結論」その他参照。

 2005.3.6日、2006.6.17日再編集 れんだいこ拝


【「シオンの議定書」とは】
 「シオンの長老の議定書(プロトコール、Protocols of the Elders of Zion)」(以下、通称の「シオンの議定書」と記す)は、次のように評せられている。
 「ユダヤ人の恐るべき悪魔的世界征服計画陰謀書にして20世紀最大の怪文書」
 「ユダヤ指導者による世界を裏面から操りながらのユダヤ王国再興世界支配計画」

 その内容を知ればむぺなるかなであろう。「シオンの議定書」が史上に登場したのは、1901年、セルジェス・ニールスによるロシア語版「シオンの議定書」を嚆矢とする。同書で、ユダヤ人グループ内ネオシオニストの陰謀が明るみにされることになった。

 セルジェス・ニールスが「シオンの議定書」を入手した経緯は後述するとして、その底本は定かではない。いずれにせよ、1897.8.29日から31日にかけてスイスのバーゼルで開かれた第1回シオニスト会議の席上で、ユダヤ人の秘密結社ブネイ・ブリスのメンバーであるアッシャー・キンズバークが発表した「シオン長老作成の24項目の決議文」が存在する、と云う。仮にこれを「シオニスト会議プロトコール」と称することにする。

 元になる原文は誰の手になるものかまでは分からない。近代シオニズムの父デオドール・ヘルツェル博士が書いたものとみなされているが、それは表面的な受取りであろう。内容的に見て、第1回シオニスト会議か恐らくはそれ以前の段階における重要なユダヤ人秘密組織の秘密会議の席上での、「ある長老による三日間講義録」であるように思われる。仮にこれを「ある長老による三日間講義録プロトコール」と称することにする。

 「第1回シオニスト会議」は世界史上の最重要な日となっている。それは、ヘルツェルが主催したとされているこの会議で、政治的シオニスト運動の国際組織「世界シオニスト機構」が創設され、「公法で保証された(世界が承認した合法的な)ユダヤ人のホームランドをパレスチナに創設することが宣言された」ことにある。以降、「土地無き民に民無き土地を」プロパガンダが喧伝されていき、実際にはアラブの民を追い出しながらイスラエル建国となり、はるけき今日の「国際金融資本支配-米英ユ同盟によるネオ・シオニズム全盛政治」にまで至っている、と見なせるからである。

 その「第一回シオニスト会議」開催の動因力となったのが「シオンの議定書」である。いわば、ユダヤ人グループ内ネオシオニストにとって「シオンの議定書」は、キリスト教徒の聖書、マルクス主義者の「共産主義者の宣言」に匹敵する地位を持っていることになる。それほどの重要な文献が、セルジェス・ニールスによって暴露された史的意義は高すぎる。かく認識すべきであろう。

 2006.6.5日再編集 れんだいこ拝

【「シオンの議定書」偽書説とは】
 しかし、通説的には次のように評されている。
 「シオン賢人議定書というのはユダヤ陰謀史観に必ず登場する歴史的偽書」

 かく見なされ、排斥されている。「シオンの議定書」その他を参照すれば、その理由として次の諸説が挙げられている。
 【「モンテスキューとマキャベリの地獄での会話」底本説】
 1864年、「モンテスキューとマキャヴェリの地獄の対話」が出版された。著者はフランスの弁護士にして文筆家だったモーリス・ジョリー。王政を批判して三権分立を唱えたモンテスキューと、「君主論」のマキャヴェリに仮託させてナポレオン3世を批判した書とのことである。後にジョリーは逮捕されて刑に服すが、出獄後「自殺」している。

 1921年、イギリスのタイムズ紙がこの説を記事にした。同記事は、「シオンの議定書」のかなりの部分が「モンテスキューとマキャベリの地獄での会話」をベースにして書かれた物であると指摘した。
 【帝政ロシア作成の偽書説】
 1900年代初頭、ロシア帝政内務省の秘密警察の手の者によって書かれた物であるという説が為されている。ロシア政府のユダヤ人弾圧を正当化し、当時燃え上がっていたポグロム(ユダヤ人虐殺)を煽動するための偽文書、という観点が披瀝されている。
 【ベルンの法廷で偽書説判決】
 1930年代には、ベルンの法廷が偽物との判定を下している。

 以上3説の理由付けで、「故に、シオンの議定書は紛れもない偽書なのだ」と云う。しかし、3説はいずれも異なる見地のものであるのに精査されていない。つまり、「否定するための論拠のあれこれ」でしかない。

 2006.2.3日付け読売新聞の12版で、解説部の波津博明氏は「ハマスの原理主義綱領」の見出しの小論を書いており、その中でシオンの議定書に触れて次のように述べている。
 「ハマスは、ユダヤ人に対し、キリスト教徒などに対するのとは異なる敵対姿勢を示す。『敵は長期の計画で富を蓄え、メディアを支配した。フランス革命や共産主義革命の背後には彼らがいる。フリーメーソンやロータリー・クラブも彼らのスパイ機関である』(22条)。『彼らの(世界支配の)計画はシオン長老の議定書に書かれている』(23条)。

 波津氏は、文末で、何の疑いもなく「帝政ロシアが作成したといわれる偽書さえ援用して、ユダヤ人陰謀説を説く徹底した反ユダヤ主義だ」と断じている。これによると、波津氏は、通説的な偽書説に依拠して「ハマスの原理主義綱領」を批判していることになる。

 これに関連して、「ユダヤ人問題」は、概要「『ユダヤの陰謀説』が、日本の部落差別同様の排外主義的な一般大衆の不満のはけ口として利用されている」とする見解を示して、次のように述べている。
 「三番目に、ヨーロッパには中世から『ユダヤの陰謀説』が存在した。ペストの際の一般大衆によるデマの流布についてはすでに述べた。1905年には『シオンの議定書』なる反ユダヤ本が現れたが、その内容は、『ユダヤ人は、悪辣な手段を弄して他民族や国家を腐敗、堕落させ、世界を征服しようと企んでいる』というものであった。今日の研究によれば、これはロシアの秘密警察がユダヤ人を陥れるために書いたものだとされている。国家というものは、社会を安定させるために、一般大衆にとっての不満のはけ口を必要とする。日本の被差別部落の誕生に関してもそうであったが、為政者は時に人為的に差別を作り出そうとするものなのである」。
(私論.私見)
 これが通俗的な見解ということになる。しかし、「今日の研究によれば、これはロシアの秘密警察がユダヤ人を陥れるために書いたものだとされている」と云うが、お前は、本当に「シオンの議定書」に目を通しているのか。書かれていることの内容を吟味すれば、「ロシアの秘密警察がユダヤ人を陥れるために書いたもの」なる批判が凡そ不見識であることが分かろう。れんだいこは、「読みもせず分かったような批判だけするな」と言い返したい。

 2006.6.5日再編集 れんだいこ拝
 2004.10.7日、これにつき、我が敬愛すべき木村愛二氏の次のような一文が検索できたので記しておく。「阿修羅♪ 戦争40 」Re:コールマン氏:この種の卑しむべき行為の典型は『シオンの長老の議定書』で、「 『偽イスラエル政治神話』(その30)、原著者ロジェ・ガロディの『結論』」の「(その1)(c)…偽造者と批判的な歴史」から自身が引用している。これを紹介しておく。

 「この種の卑しむべき行為の典型は、『シオンの長老の議定書』である。これについては、拙著『パレスチナ/神の伝言の土地』の中でも、九頁も費やして、警察による偽造の過程を明らかにした。私が教えを受けた原典は、アンリ・ロランが一九三九年に出した反駁の余地のない論証、『われわれの時代の黙示録』である。この本は、翌年の一九四〇年、ヒトラーによる焚書の対象となった。ナチによる反ユダヤ主義プロパガンダの絶好の材料を台無しにする本だからだったからである。復刻本が一九九一年に出版されている」。
 アンリ・ロランは、つぎの二つの剽窃文書を発見した。この二つの文書を基にして、今世紀の初頭、ロシアの内務省の警察官吏、フォン・プレヴが、問題の偽造文書を作成したのである。
 「一八六四年にフランスのモウリス・ジョリイが、ナポレオン三世に反対する立場で書いた『モンテスキューとマッキャヴェリの地獄での対話』と題するパンフレットである。そのどの章にも皇帝の圧制に対しての、あらゆる批判が転載されていて、すべての政治的支配に対して適用できる内容になっている」。
 「ロシアからの移民、イリア・ツィオンが、ロシアの大蔵大臣、ヴィッテ伯爵に反対するために出した『ヴィッテ氏の圧制はロシアをどこへ導くか?』という題の評論である。発表されたのは一八九五年であるが、これがまた今度は、一七八九年以前に、カロヌ氏に反対するために出されていた風刺書の剽窃であって、これも、すべての大蔵大臣と国際的な銀行との関係に関して使える内容なのである。この剽窃文書に関しての特筆すべき点は、これがさらに、ヴィッテ伯爵を憎んでいたフォン・プレヴによって、ヴィッテに関する報告の手本にされたことである」。

 以上を受けて、木村氏は次のように評している。
 「この卑しむべき種類の探偵小説的偽造文書は、生憎なことに、かなり利用されてしまった。特に、いくつかのアラブ諸国での利用に関しては、私は、早くから批判を加えている。この誤った利用によって、シオニストとイスラエル、および彼らの国際的な圧力団体は、彼らの中東政策に対するすべての批判を、偽造者の仕業と同一視する機会を得たのであり、それによって、さらに非難を強めることができたのである。

 多くの読者は、結論に到達するのを非常に急ぎ、しばしば、無味乾燥な証拠を挙げる作業を嫌うものである。しかし、以上に列挙した理由にもとづいて、私は、読者には余分な手間となり、疲労の原因となることを意識しながらも、あえて、いかなる問題についても、必ず出典を明示したのである」。
(私論.私見) 木村見解考
 残念ながら、木村氏のこの認識はれんだいこと違う。この種の問題の権威である木村先輩をして何ゆえこのような見解に至らしめるのか解せない。

 2005.10.15日再編集 れんだいこ拝

 「名誉のために名を秘す」氏の次のような言説も為されている。
 「広瀬隆『赤い盾』にあるような、マルクスやトロツキーを『ロスチャイルドの手先』呼ばわりするのは暴論の一言に尽きる。このような主張こそ実は古典的な反ユダヤ主義者のいつものデマ宣伝ですよ。つまり、陰謀論者は『歴史をつくるのは人民だ』ということを否定し、『歴史は陰謀や謀略によってつくられる』、『人民は陰謀や謀略によって利用され、翻弄されるだけの無力な存在』という人民蔑視感を抱いている。そして、陰謀論者こそ実は、さまざまな陰謀的な手法を好んで行なうわけです。たとえば、悪名高い偽書『シオンの長老の議定書』の捏造がそうです」。
 「陰謀論者の巧妙な点は基本的に反権力のスタンスを取って、一方で左翼も叩くという事です。彼らも資本主義の矛盾を容赦なく叩き、一方で左翼革命主義者も体制派と同じメーソンとして叩く。アメリカ・ソモサを叩き、返す刀で解放の神学も叩く。革命の高揚期が終わると、7月も2月もパリコミューンもメーソンの陰謀で一蹴されてしまう。ここで、自分が社会を動かしているという実感がなく、自分より権力を持った誰かに社会が動かされているという実感しかなければ、『2月革命はメーソンの陰謀』といわれても『そうかな』としか思わない」。
 「陰謀論は権力者によって、傍観者的・受動的な政治態度しか自分には許されないと思っている人間の不満を代弁してくれる面がある。陰謀論者はこのような主体的能動的闘争を取れずに、苦悩している労働者階級に救いの手を差し伸べてくれるように見える面がある。陰謀論者は全ての論理を引っくり返して民衆を支配をしようとする。自由は圧制であり、革命は独裁である。真の解放は左翼にはなく、彼らもまた代理人なのであると。なんでここまで手の込んだ思想が西欧に出てきたのかといえば、支配者がそれだけ体制崩壊の危機感を持ったからだ」。
(私論.私見) 「名誉のために名を秘す」氏見解考
 この人は自分が云っていることが論旨不明となっていることに気づかないおめでたい質のようである。つまりは、己の器量の甲羅に合わせてのみ理解しようとするからであろう。広瀬隆・氏の「赤い盾」は値打ちものなのであり、卑小せしめるものではない。「歴史をつくるのは人民だ」としても、名指導者と青写真が無ければ海図無き航海に似ており成功することが難しい。いわゆる陰謀論の検証は、事態の客観的認識を得る為に必要な共認作業なのであり、悪し様に罵詈雑言して却下すれば良いというものでもない。

 2005.10.15日再編集 れんだいこ拝

 これにつき、「阿修羅」のあっしら氏が20002.11.19日付「シオン長老の議定書』偽書説について」で、素敵な言い回しで「偽書説の空疎な反論」を衝いている。「『ロシアの秘密警察が1920年代に偽造したと言われ』とあるが、記憶に拠れば、流布しているのは、ソ連時代ではなく帝政ロシア時代(1905年頃)の警察関係者の偽造説ではなかっただろうか?(ご存じの方フォローをお願いします)」の問いに対して次のように述べている。これを転載しておく。
 「日本の古代関連文書もそうだが、偽書というのはオーソライズされていないというだけで、嘘か事実かということとは直接関係ない。書かれた時代や伝承経緯を基に真偽性も問いかけられなければならないが、そういう内容を書いた人がいるということのほうが重要である。

 『シオン長老の議定書』は、なかなか洞察力がある人が書いたと推察できるものであり、それが誰によって書かれたものであっても歴史的に重要な文書である。ユダヤ人組織が『シオン長老の議定書』を書いたかどうかはわからないが、ユダヤ人を貶めるために誰かが書いたとしたら、その人は、破格の陰謀力と歴史的見通しを持っていると言える。ロシアの警察関係者が書いたとしたら、それほどの人物を抱えていたロシアの歴史はもっと違うものになっていたと思われる」。


(私論.私見) 【「シオンの議定書」に対するれんだいこ見解】
 上述のように真贋を廻って論争が為されているが決着がついていない。その理由として、その内容において「あまりにも露骨な且つ驚倒すべきリアリズム的陰謀論理に基づく世界支配計画」が認められるからである。読了した者には自明であろうが、「シオンの議定書」にあるごとく、「世界支配の陰謀」なるものが存在し、これを座右の書としている勢力が跳梁しているとしたら、それは脅威に過ぎるであろう。これに、かのヒトラーが対峙していたのは事実であるが、実書派も偽書派も取扱いに苦労しているのが実際のところのように思える。

 れんだいこが注目するのは、いわゆる左派圏の否定派の見解である。ネオ・シオニズム派がおのれらの悪行の露見を恐れてこれを否定するのは当然としても、その大胆過ぎる観点からであろうか、左派圏の人たちは概ね「旧体制護持帝政派側からのフランス革命以降の近代的諸革命運動に対する革命抑圧を企図した悪質な逆宣伝偽造書であるとする」見解に依拠している。この観点は、「シオンの議定書」の入手経緯のミステリーさに不自然さを見てとり、ロシア帝政の放った間諜が取得したとされている経緯を疑惑することにより補強されている。

 その真偽は今も不明である。

 実書派の書籍紹介は、「ユダヤの陰謀を窺い知る必読の書」として、次のように述べている。
 「これは“ユダヤの神エホバから選民されたユダヤ人のみが人間であり非ユダヤはすべて家畜(ゴイム)である”とする教義(タルムード)に基づき二千年に亘り蓄積したぼう大な資本力と謀略を駆使し、地上のあらゆる国家、機関、組織、フリーメーソン人脈を利用し尽し、双頭戦略とかくれみの戦術で世界支配と人類総奴隷化を完成しつつある見えざる帝国、国際主義パリサイユダヤの恐るべき謀議の記録である云々」。

 ここで、れんだいこの見解を示せば次のようになる。

 れんだいこは、「シオンの議定書」は、「ユダヤ王による世界支配宣言史書」として紛れもなく存在する、と受け留めている。あまたの偽書説が流布されているが、書かれている内容を読み取った方が早い。さすれば、偽書説が為にする「議定書隠蔽工作」でしかないことが分かる。そういう主張をする者に限って罵倒に終始し、内容の紹介に及ばないのも頷けるところである。「シオンの議定書」の内容があからさまにされることを怖れているのであろうが、議定書派の者ならともかく、何の関わりもない自称インテリが率先して加担しているのは滑稽なことだ。

 偽書派は、「シオンの議定書」を俗に採るに足らぬ「陰謀書」とみなして排斥しようとしている。れんだいこは、それは違うと思う。「シオンの議定書」において「陰謀論」はその要素の一つに過ぎない。しかと聞け。正しくは次のようにみなすべきであろう。
 「シオンの議定書は紛れもなく、ユダヤ王国再興を目指してのネオシオニスト系ユダヤ人による世界支配計画書でありマニュフェストである。内容的に見て、政治においては権謀術数論、経済においては金融支配論、文化においては抵抗精神骨抜き論、総合的支配方法としての強権独裁、恐怖支配論に依拠しつつ、ユダヤ王国再興までの間を雌伏陰謀的に処世していくべし、とする教本指南書である」。

 かく評して位置づけるべきであろう。

 これを総称して「陰謀論」とするなら、「陰謀論」という命名自体はおかしくない。しかし、れんだいこのようにそういう陰謀は存在するとして「陰謀論」を受け止めるのではなく、逆に陰謀は存在しないとして否定する為に「陰謀論」を唱え、「シオンの議定書偽書説」を吹聴するのなら、連中は実書派の論拠に反論せねばなるまい。果して、その反論を為しているのだろうか。例によって、ホロコースト論同様に「議論せぬのが上策」として単に排斥しているだけなのではなかろうか。

 れんだいこが見るところ、「シオンの議定書」はむしろ対話すべき性質のものである。何とならば、彼らが目指すユダヤ王朝論理の検討にこそ向うべきであろうから。その指摘は、人類社会の警句としてかなり鋭いものがある。同書の非ユダヤ人諸国家の支配秩序に対する批判は的確で辛辣である。この方面の指摘に対する問答だけでさえ値打ちものであろう。

 その鋭さを思えば、偽書派の云う如く仮にロシア帝政の秘密警察の創作であったとした場合、度の過ぎた体制批判が繰り返し為されており、何のためにそこまで内情暴露する必要があったのだろう、との疑問が禁じえない。

 もとへ。最終的に、彼らが構想する「ユダヤ王社会」の検討に移らねばならない。それがなるほど彼らが自画自賛するほどに秀逸な人類の未来社会なのか、単に戯画的なそれなのか、「悪の論理」による狂信的奴隷社会招来プロトコールなのか、そこを問わなければなるまい。

 我々人民大衆にとっては次のような実践課題が提起されている。「シオンの議定書」で示された運動が実在するとして、旧あるいは現支配秩序を貫く歴史のベクトルを、「シオンの議定書」が説くような「ユダヤ王支配社会」方向に向わせるのが賢明なのか愚挙なのか、後者であるとすれば我々はどのような道筋を対置すべきなのか、していくべきなのか等々が問いかけられているように思う。

 こういう思想的営為を為さずして、「シオンの議定書」を「単なる陰謀論教本」と見なしてその価値を落としこめ、検討を放棄することは、それこそ問題ありではなかろうか。れんだいことしては、「議定書派ユダヤ人頭脳の狂信ぶり」を理論的に明らかにしない限り、「シオンの議定書」研究は終わらないと思っている。内容が高度でもあるので、それにはかなりな能力が要求され、誰しもにできる業ではなかろうが。

 いずれにせよ、「シオンの議定書」は無視されるものではなく格好の理論闘争テキストと見なして大いに検討されるべしであろう。ならば、「5W1H」こそ確認しておかねばならない。現に書物としてあり、それが質疑されるに値する内容を持っていることは事実なのだから、正式書であるとする側からであろうと偽書であるとする側からであろうと、何時ごろ(when)、何処で(wheres)、誰が(who)、何の為に(why)、何を(what)、如何にして(how)書かれたのものなのか、如何に露見することになったのか、如何に歴史的に登場することになったのか、を確認せねばなるまい。

 これを為さずして、「ユダヤの陰謀実書か偽書か論」に拘泥するさまは詰まらない。内容的に見てかなり重要なメッセージの宝庫である以上、加えて世界の諸事情が現に「シオンの議定書」に書かれている如くに推移しているように見える以上、その内容に習熟し吟味せねばならないだろう。孫子曰く「敵を知り己を知らば百戦闘うも危うからず」ではないか。実際は、「シオンの議定書を知らず、己を知らず、百戦闘うも闘えば闘うほどジリ貧」ではないか。根本姿勢からしておかしいからそうなる。これがれんだいこの観点である。

 しかるに、これを為そうとしない。特にいわゆるサヨ系のアレルギーが強いように見受けられる。こここそ怪しむに足りるというべきであろう。サヨ系の親ネオ・シオニズム傾向に就いては稿を改めて述べることにする。

 2004.6.16日、2006.6.5日再編集 れんだいこ拝
 2006.1月、「愛宕北山氏のユダヤ問題論考」に行き当たり、愛宕北山氏が「第1章、ユダヤ魂の本質」の「シオンの議定書」の項でかなり詳しく真偽問題を検討していることが判明した。特に、偽書派により「1930年代には、ベルンの法廷が偽物との判定を下している」と流布されているベルン法廷の実際の様子を明らかにしている点で貴重である。

 2006.1.20日 れんだいこ拝


「シオン長老」とは
 「シオン長老」とは、自他ともに認めるグランドリアンの33位階のフリーメーソンであったことは事実である。フリーメーソンは、「メーソン乗っ取り」を云うまでも無く、その奥の院が「ユダヤ人フリーメーソン長老」により構成されていることも判明している。メーソンの内部記録にはフリーメーソンにしてフランス支部の最高監査役として鉄道王ジェームスの名前が明記されている。フランスではロスチャイルド家のことを“フライット街の帝王”と呼んできた。こうしてシオン長老二十四人のうち一人はロスチャイルドであることが判明している。

【「プロトコール」とは】
 「ユダヤプロトコール」阿修羅♪プロトコールを参照する。
 「プロトコール」の語源は、ギリシャ語の「prote」(最初)+「kolla」(にかわ、接着剤)に発する。この語源から「プロトコール(Protocol )」という言葉は、公的文書の最初の頁に糊付けして、開巻の決まり文句だとか参考に供するために内容の要約だとかを書いた見返しのことを意味していたことになる。条約の草稿は普通、署名人が署名する前に正式文書に誤りがないかどうかを検するために、こういう糊付けをした訳であり、草稿そのものは会議で論じられたことをもとにしたので、この言葉は議事録のことも意味するようになった。
 「シオン長老のプロトコール」の例では、ユダヤの指導者たちによる「行動計画草案」という意味になる。「ディアスポラ」(バビロン捕囚後のユダヤ人離散)以来、ユダヤの歴史では異なる時期にこのような草稿が数多く存在したが、一般に流布されたものは僅かしかない。全体を通じて、その原理と道義性は、この種族と同じくらい古くから変りない。今日、15世紀にあった一例が知られている。

【「1492年のプロトコール手紙」】

 「ユダヤプロトコール」阿修羅♪プロトコールを参照する。「プロトコール」がいつごろ書かれたものか定かでない。次の事例が知られている。

 1492年、スペインのラビの長キモールがグランド・サンヘドリンに手紙を出した(これを仮に「スペインのラビの長キモールのグランド・サンヘドリンへの手紙」とする)。スペインの法律によって追放されそうになった彼が、コンスタンチノープルにあったサンヘドリンに助言を求めたのである。次がその返書である。この返書は、16世紀のスペインの書物、フリオ・イニゲス・デ・メドラーノ著「ラ・シルヴァ・クリオサ」(パリ、オリー出版社、1608年)の156頁から156頁にかけて掲載されている。

 「愛するモーゼの兄弟よ、あなた達の苦しい状況と災厄を忍ばれている悲しい運命を綴った書簡を拝見しました。あなた方同様私たちも大いなる心痛に胸を刺さるる思いです。大地方総督とラビの助言は次の通りです。よく読んでいいただきたい。
 スペイン王(フェルディナンド王)にキリスト教徒にならんことを強要さるる件に関して。他に途なき以上やむを得ぬ、そうされよ。但し、モーゼの律法は決して忘れてはならない。
 貴下の財産の没収命令が出さるる件に関して。貴下の子息らを商人となし、キリスト教徒より少しづつ没収せしめよ。
 貴下の生命が脅迫さるる件に関して。貴下の子息らを商人に育て、又は医師、薬剤師となし、キリスト教徒どもの財産、生命を奪え。
 貴下の礼拝堂破壊の件に関して。貴下の子息らを、キリスト教の神父に育て、やがてキリスト教教会を破壊すべく、大聖堂参事会員ならびに聖職者にせよ。
 その他、貴下が訴願されたる心労の種諸々に関して。貴下の子息を弁護士ならびに法律家となすよう手配し、常に国事に親ませ、貴下らの支配世界実現によりキリスト教徒に軛をつなぎ存分に報復せよ。 
 貴下に送るこれらの指図を逸脱せずよくよく守れ。なんとなれば、屈辱を蒙りし貴下の経験を通じ、貴下はやがて未来の栄光への道に至るであろう。現実の支配力に到達されるであろう。
 (署名) コンスタンチノープルのユダヤ王子

(私論.私見) 「スペインのラビの長キモールのグランド・サンヘドリンへの手紙」について
 これによれば、ユダヤ教徒は、キリスト教徒の迫害に抗する為に、1・偽装転向する。2・商人になる。3・医師、薬剤師になる。4・キリスト教の神父になる。5・弁護士ならびに法律家となるよう指示されている。これが、1492年時点の指針である。この指針によってかどうかはともかく、ユダヤ教徒に商人、医師、薬剤師、弁護士、法律家が多いことは事実である。

 2006.6.5日 れんだいこ拝

【1773年、「ロスチャイルド(初代)主宰秘密会議】

 太田龍の時事寸評フランス革命の真相に迫る気運を醸成せよは、「シオンの議定書」の誕生過程を次のように述べている。引用元は、ユースタス・マリンズ著「民間が所有する中央銀行」。原文は、1958年、ウイリアム・G・CARR(W・G・カー)著の「PAWNS IN THE GAME」(ポーンズ・イン・ザ・ゲーム、将棋の駒)(成甲書房、2005.1.25日初版)。これをれんだいこ風にまとめる。

 著者W・G・カー(1895~1959年)の履歴は次の通り。
 カナダ海軍士官の軍歴あり。1930年代から、カナダ国民に対し、国際的陰謀の危険を警告し続けた。「PAWNS IN THE GAME(ポーンズ・イン・ザ・ゲーム、将棋の駒)」は、W・G・カーの長年の研究の集大成であり、死の直前に完成した。今でも、関係者の間で古典として読み続けられて居る。

 1773年(フランス革命が起きる16年前)、マイヤー・ロスチャイルド(初代)は、弱冠30歳で、12名の国際ユダヤの巨頭を招いて、フランクフルトで秘密重要会議を開いた。ロスチャイルドは、その会議で、英国のピューリタン革命を検証し、これを教訓化させ、フランス革命を勝利的に導くよう指針させた。その上で、「フリーメーソンに代わるより生硬な」、全世界に対する支配権を手中に収めるための「世界革命運動」の創出について述べ、その為の「二十五項目の行動計画書」を打ち出した。これが「シオンの議定書」の原型となった。(「二十五項目の行動計画書」の概要が、「裏の世界史」P102~110に記されている) 

 この時、「世界革命運動」を実行するための地下秘密組織イルミナティ(Illuminati)の創設が決定され、改宗ユダヤ人にしてイエズス会士にしてインゴシュタット大学法学部長アダム・ヴァイスハウプト(1748~1811、当時26歳)がイルミナティ責任者として選抜された。

【「ロスチャイルド(初代)の『二十五項目の行動計画書』」考】

 この時の「二十五項目の行動計画書」とは次の通り(「世界革命行動計画」、「目覚めよ日本!、日本の未来: 「ユダヤシオン長老議定書」から学べ!」その他参照)。マイヤー・ロスチャイルド(初代)の独演を筆記するという体裁となっている。
 この発言者は、大多数の人間は善より悪の傾向が強いため、そのような人間を支配するには学究的議論ではなく、暴力とテロリズムに訴えると最善の結果が得られると述べるところからその企てを明かしはじめ、そもそも人間社会は残酷で見境のない力に支配されていたが、やがてその力が「法」とされたと論じた。そして「法」が姿を変えた「力」である以上、自然の諸法によって、権力は力の中に存在している」と考えるのが妥当であると続けた。

 人間を支配するには、暴力とテロリズムに訴えると最善の結果が得られる。権力は力の中に存在している。
 次にこの発言者は、政治的自由とは事実ではなく1つの思想であると主張し、政治権力を奪取するには「リベラリズム」を説くだけで十分であるとした。そうすれば有権者は1つの思想のために自らの力、特権を手放すことになり、陰謀者はその放棄された力、特権をかき集めて手中におさめればいいことになると論じた。

 政治権力を奪取するには「リベラリズム」を説くだけで十分である。そうすれば有権者は1つの思想のために自らの力、特権を手放すことになり、その放棄された力、特権をかき集めて手中に収めればいい。
 この発言者は、「金の力」はこのときすでにリベラルな支配者の権限を奪取したと主張し、かつての時代には「信仰」が支配していたことを出席者に思い起こさせた。それでも「自由」が「信仰」に置き換えられても、大衆にはどのようにして自由を穏当に享受すればいいのかわからないと発言者は続け、この事実から考えると、「自由」という思想を利用すれば「階級闘争」を生じさせることも可能だと論じた。そして勝者は必ず「我々の手中にすっぽりおさまっている資金」を必要とするだろうから、計画さえ成功すれば、既存政府が内敵に破壊されようが外敵に破壊されようが、それは重要問題ではないとした。

 「金の力」はリベラルな支配者の権限を奪取した。「自由」が「信仰」に置き換えられても、大衆にはどのようにして自由を享受すればいいのかわからない。「自由」という思想を利用すれば「階級闘争」を生じさせることも可能だ。そして勝者は必ず「我々の資金」を必要とするだろうから、計画さえ成功すれば、既存政府が内敵に破壊されようが外敵に破壊されようが、それは重要問題ではない。
 道徳律によって支配を行なう支配者は、自ら攻撃にされされてその地位を追われかねないので、熟達した政治家とは言えないということを論拠にすれば、最終目標に到達するために利用されるありとあらゆる手段を正当化できると論じたうえで、発言者は「率直さや正直さといった国民としての立派な資質は政治に支障をきたすから、支配となろうとする者はずる賢さ、欺瞞に訴えなければならない」と言った。

 
道徳律によって支配を行なう支配者は、自ら攻撃にさらされてその地位を追われかねないので、熟達した政治家とは言えない。最終目標に到達するために利用されるありとあらゆる手段を正当化できる。率直さや正直さといった国民としての立派な資質は政治に支障をきたすから、支配となろうとする者は狡賢さ、欺瞞に訴えなければならない。
 「我々の権利は力の中にある。『権利』という言葉は抽象概念であって、実体はない。私が見出している新たな『権利』とは…強者の権利によって攻撃する権利であり、既存秩序、規律のすべてを粉砕し、既存のすべての制度を再構築する権利であり、『リベラリズム』の中で自発的に放棄された権限に対する『権利』を我々に委ねた人々の主権者となる権利である。」と発言者は主張した。

 
我々の権利は力の中にある。私が見出している新たな権利とは、強者の権利によって攻撃する権利であり、既存秩序、規律のすべてを粉砕し、既存のすべての制度を再構築する権利であり、リベラリズムの中で自発的に放棄された権限に対する権利を我々に委ねた人々の主権者となる権利である。
 さらに「我々の富の力はいかなるずる賢さ、力によっても損なわれないような強さを獲得するそのときまで、表面化しないよう保たれなければならない」と出席者を諭し、明かされつつある戦略計画の基本路線から逸れることは「何世紀にも及ぶ営為」を無にする危険性があると、発言者は警告した。

 
我々の富の力は、いかなる狡賢さ、力によっても損なわれないような強さを獲得する時まで、表面化しないよう保たれなければならない。戦略計画の基本路線から逸れることは「何世紀にも及ぶ営為」を無にする危険性がある。
 また発言者は「群集心理」を利用して大衆に対する支配権を獲得するように忠告した。暴徒の力は無目的で、無意味で、論拠を持たないために、いかなる側の提案にも影響されると主張し、「独裁支配者だけが暴徒を有効に支配できる。というのも、絶対独裁支配がなければ、大衆ではなく(それがだれであれ)大衆の先導者によって達成される文明も存在し得ないからである」と論じた。そして「暴徒が『自由』を手にした瞬間、事態はたちまち無秩序状態に転じる」と警告を与えた。

 
群集心理を利用して大衆に対する支配権を獲得すべきだ。暴徒の力は無目的で、無意味で、論拠を持たないために、いかなる側の提案にも影響される。独裁支配者だけが暴徒を有効に支配できる。
 次に、酒類、ドラッグ、退廃的道徳、あらゆる形態の悪徳を代理人を通じて組織的に利用することで、諸国家の若者の道徳心を低下させなければならないと説いたうえで、専門の代理人が個人教師、使用人、係官として、それもゴイムが頻繁に出入りする娯楽場に配された我々の側の女性によって養成されなければならない、と発言者は主張した。そして「今述べた女性の中には、贅沢にふける堕落した人々の愛人となることを自ら選ぶいわゆる社交婦人も含まれる。賄賂もペテンも裏切り行為も、それが我々の目的達成に役立つのであれば、続けられなければならない」と付言した。

 
酒類、ドラッグ、退廃的道徳、あらゆる形態の悪徳を代理人を通じて組織的に利用することで、諸国家の若者の道徳心を低下させなければならない。賄賂もペテンも裏切り行為も、それが我々の目的達成に役立つのであれば、続けられなければならない。

 政治については、そうすることで服従と主権を確保できるなら、何がなんでも躊躇うことなく財産を奪い取る権利が自分達にはあると発言者は主張し、「平和的征服の道を進む我々の国家は戦争の恐怖を死刑宣告、すなわち盲従を生じさせる『恐怖』を維持するための目立たないが目的に適う方策で置き換える権利を有する」と明言した。

 
そうすることで服従と主権を確保できるなら、何がなんでも躊躇うことなく財産を奪い取る権利が自分達にはある。平和的征服の道を進む我々の国家は、盲従を生じさせる「恐怖」を維持するための目的に適う方策で置き換える権利を有する。

10  スローガンの使用については「古代において、我々は『自由』『平等』『博愛』という言葉を大衆に教え込んだ最初の民族であり…今日に至るまで、この言葉は愚かな人々によって繰り返されてきた。ゴイムは、賢者であると自称する者さえ、難解さゆえにこの言葉を理解できず、その言葉の意味とその相互関係の対立に気づくことさえない」と述べ、これは我々の旗を意気揚々と掲げる軍隊を我々の指示と統制のもとに置く言葉であるとした。さらに発言者は『自由』『平等』『博愛』のための場など自然界に存在しないと論じ、「ゴイムの自然発生的で世襲的な貴族社会の廃墟の上に、我々は金による貴族社会をつくりあげた。それは我々の拠りどころ、すなわち富を参加資格とする貴族社会である」とした。

 
我々は「自由・平等・博愛」という言葉を大衆に教え込んだ最初の民族である。今日に至るまで、この言葉は愚かな人々によって繰り返されてきた。ゴイムは、賢者であると自称する者さえ、難解さゆえにこの言葉を理解できず、その言葉の意味とその相互関係の対立に気づくことさえない。これは我々の旗を掲げる軍隊を我々の指示と統制のもとに置く言葉である。「自由・平等・博愛」のための場など自然界に存在しない。ゴイムの自然発生的で世襲的な貴族社会の廃墟の上に、我々は金による貴族社会をつくりあげた。それは我々の拠りどころ、すなわち富を参加資格とする貴族社会である。
11  戦争に関しては、発言者は持論を披露した(この発言者が1773年に提案した1つの原則は1939年、英国およびアメリカ合衆国によって共同政策として発表された)。自ら戦争を誘発しながらに、敵対するどちらの側にも領土の獲得が生じない和平会議を主導しなければならないと論じたのである。さらに、発言者は「戦争とは対立する双方の国家がさらに負債を抱え込み、我々の代理人の手中に落ちるよう主導されなければならない」とも主張した。

 
自ら戦争を誘発しながら、敵対するどちらの側にも領土の獲得が生じない和平会議を主導しなければならない。戦争は対立する双方の国家がさらに負債を抱え込み、我々の代理人の手中に落ちるよう主導されなければならない。
12  行政府については、財を活用して「我々の要求に素直に従いね我々、ゲームの駒となって、正規の助言者として政府を陰で操ることを我々から任じられた学識と独創性を備えた人物にすぐ利用され得る候補者を選ばなければならない」と論じ、「『助言者』として我々が任じられる人物は全世界の出来事を支配するために、幼い頃から我々の考えに沿って育てられ、教育され、訓練された人物である」とした。

 
財を活用して、我々の要求に素直に従い、我々のゲームの駒となって、正規の助言者として政府を陰で操ることを我々から任じられた学識と独創性を備えた人物にすぐ利用され得る候補者を選ばなければならない。助言者として我々が任じる人物は、全世界の出来事を支配するために、幼い頃から我々の考えに沿って育てられ、教育され、訓練された人物にすべきである。
13  プロパガンダについても発言者は論じ、プールされた金をどのように活用すれば-誹謗、中傷、偽の情報を流したことでどのような波紋が広がろうと、自らは姿を隠したまま、非難されることもなく-大衆への情報の出口すべてを支配できるのかについて説明した。そして「大量の『血と汗』から集めるしかなかったのは事実だか、我々が金を手中におさめられたのは新聞のおかげである…それでも、我々は多くの同胞を犠牲にした。見返りは確かにあった。我々の同胞の犠牲者一人はゴイムのそれの1000人にも値する」と付言した。

 
誹謗、中傷、偽の情報を流したことでどのような波紋が広がろうと、自らは姿を隠したまま、非難されることがないようにしなければならない。そして、プールした金を活用し、大衆への情報の出口すべてを支配すべきである。
14  次に、状況が悪化し、貧困と恐怖によって大衆が支配されたときには、常に代理人を表舞台に立たせ、秩序を回復すべきときが来れば、犠牲者は犯罪者や責任能力のない人々の犠牲となったと解釈されるよう、ことを進めなければならないと発言者は指摘した。つまり、計算済みの『恐怖支配』が実現した時点で、犯罪者や精神異常者を処刑すれば、我々自身を抑圧された人々の救世主、労働者の擁護者として見せかけることができる」と述べ、発言者は「実際のところ、我々の関心は正反対で…減らすこと、すなわちゴイムを殺害することにある」と続けたのだった。

 
状況が悪化し、貧困と恐怖によって大衆が支配されたときには、常に代理人を表舞台に立たせ、秩序を回復すべきときが来れば、犠牲者は犯罪者や責任能力のない人々の犠牲となったと解釈されるよう、ことを進めなければならない。計算済みの恐怖支配が実現した時点で、犯罪者や精神異常者を処刑すれば、我々自身を抑圧された人々の救世主、労働者の擁護者として見せかけることができる。実際のところ、我々の関心は正反対で…減らすこと、すなわちゴイムを殺害することにある。
15  経済不況および経済不安をどのように引き起こし、自らの目的のためにどのように活用するかについては、「食糧不足を引き起こすために我々の力を行使すれば、失業と飢えがつくりだされ、大衆にのしかかる。そうすれば、自然発生的貴族社会にかつて(それも国王という合法的権威によって)与えられた以上に確実な資本の支配力が生じる」と述べ、代理人に暴徒を支配させることで、「暴徒」を利用して、行く手を阻むすべての人間を一掃することは可能であるとした。

 
我々の力を行使すれば、失業と飢えがつくりだされ、大衆にのしかかる。そうすれば、自然発生的貴族社会にかつて与えられた以上に確実な資本の支配力が生じる。代理人に暴徒を支配させることで、「暴徒」を利用して、行く手を阻むすべての人間を一掃することは可能である。
16  さらには大陸のフリーメーソンへの潜入についても徹底的な議論がなされた。この発言者は、自分たちの目的はその組織および秘密厳守のフリーメーソンから提供されるものはすべて利用することであるとして、ブルー・フリーメーソン内部に自らの大東社を組織して破壊活動を実行しながら、博愛主義の名のもとで、自らの活動の真の意味を隠すことは可能であると述べた。また、自らの大東社に参入するメンバーはすべて、勧誘活動のために、そしてゴイムのあいだに無神論的唯物主義を広めるために利用されなければならないとし、これに関する議論を以下のように締めくくった-「全世界を統治する我々の主権者が王座に就く日が来れば、この同じ手が彼らの行く手を遮る可能性のあるすべてのものを払いのけることだろう」。

 
フリーメーソンへの潜入については、自分たちの目的はその組織および秘密厳守のフリーメーソンから提供されるものはすべて利用することである。ブルー・フリーメーソン内部に自らの大東社を組織して破壊活動を実行しながら、博愛主義の名のもとで、自らの活動の真の意味を隠すことは可能である。大東社に参入するメンバーはすべて、勧誘活動のために、そしてゴイムの間に無神論的唯物主義を広めるために利用されなければならない。全世界を統治する我々の主権者が王座に就く日が来れば、この同じ手が彼らの行く手を遮る可能性のあるすべてのものを払いのけることだろう。
17  この発言者はさらに、組織的な計略の価値についても説明を行ない、代理人は仰々しい言い回し、大衆受けのするスローガンを生み出せるよう訓練されなければならないと指摘した。大衆には惜しみなく約束しなければならないからである。そして「約束されたことと反対のことはのちになれば常におこなえる…どうということではない」と続け、「自由」と「解放」という言葉をつかえば、ゴイムを煽って愛国心を駆りたて、神の掟、自然の掟に逆らってでも戦うという気にさせることができると論じた。そして「それだから、我々が支配権を得たら『神の名』そのものが『生きとし生ける者の辞書』から消し去ることになる」と付言した。

 
代理人は仰々しい言い回し、大衆受けのするスローガンを生み出せるよう訓練されなければならない。大衆には惜しみなく約束しなければならないからである。約束された事と反対の事は、のちになれば常におこなえる。「自由」と「解放」という言葉を使えば、ゴイムを煽って愛国心を駆りたて、神の掟、自然の掟に逆らってでも戦うという気にさせることができる。我々が支配権を得たら、神の名そのものが生きとし生ける者の辞書から消し去ることになる。
18 次に、この発言者は革命戦争の計画、すなわち市街戦の戦い方について詳述し、革命活動に必ず伴わなければならない「恐怖支配」の定型を「手っ取り早く大衆を服従させるもっとも安上がりな方法として概説した。

 
恐怖支配は、手っ取り早く大衆を服従させるもっとも安上がりな方法だ。
19  外交術については、「『政治』『経済』『財政』の助言者の仮面をかぶった我々の代理人が、国家的および国際的出来事の背後に潜む『秘密権力』の正体が暴かれるのではないかと心配することなく、我々の命令を実行できるよう、すべての戦争のあとには、秘密外交が主張されなければならない」と述べ、秘密外交によって「我々の代理人が関わらないかぎり、諸国家は些細な個人的取り決めさえも結ぶことができないような支配権が確保されなければならない」と続けた。

 
政治・経済・財政の助言者の仮面をかぶった我々の代理人が、国家的および国際的出来事の背後に潜む“秘密権力”の正体が暴かれるのではないかと心配することなく、我々の命令を実行できるよう、すべての戦争のあとには、秘密外交が主張されなければならない。秘密外交によって、我々の代理人が関わらないかぎり、諸国家は些細な個人的取り決めさえも結ぶことができないような支配権が確保されなければならない。
20  目標である最終的世界政府については、この目標に到達するためには「大規模の独占、すなわちゴイムの中でももっとも富ある者さえ我々に頼るほど(そして頼った挙句、政治的大打撃が生じた際には、政府への貸付とともに藻くずとなり果てるほど)莫大な富の蓄積が必要とされるだろう」と述べ、この発言者は「ここにお集まりの皆さんは、経済通でいらっしゃるから、こうして協力することの意味をあっさり計算されることと思います」と付言した。

 
最終目標である世界政府に到達するためには、大規模の独占、すなわちゴイムの中でも最も富ある者さえ我々に頼るほど、莫大な富の蓄積が必要とされるだろう。ここにお集まりの皆さんは、経済通でいらっしゃるから、こうして協力することの意味をあっさり計算されることと思います。
21  経済戦争については、ゴイムからその不動産、産業を奪うための計画が議論され、経済的な国家利益、および投資に関する限り、重税と不当競争を組み合わせてゴイムの経済破綻を引き起こさなければならないと主張した。国際舞台においてゴイムが商売ができないように仕向けることは可能であると、つまりは原材料の巧みな支配、短時間労働および高賃金を求める組織的煽動運動の普及、競争者の助成によってそれは実現できる、とこの発言者は考えた。そこで提言されたのが下準備を整えること、そして賃金の増加で労働者が潤うことが決してないよう状況を管理することだった。

 
ゴイムからその不動産、産業を奪うため、経済的な国家利益および投資に関する限り、重税と不当競争を組み合わせてゴイムの経済破綻を引き起こさなければならない。国際舞台においてゴイムが商売ができないように仕向けることは可能である。つまりは原材料の巧みな支配、短時間労働および高賃金を求める組織的煽動運動の普及、競争者の助成によってそれは実現できる。賃金の増加で労働者が潤うことが決してないよう状況を管理しなければならない。
22  武装については、ゴイムに殺し合いをさせるために-最終的には「我々の運動に尽くす少数の金持ち…および我々の利益を守る警察と兵士と、プロレタリアートの大衆がのこればいい」として-大々規模の増強が開始されなければならないと提案した。

 
最終的には、我々の運動に尽くす少数の金持ち、および我々の利益を守る警察と兵士と、プロレタリアートの大衆が残ればいい。ゴイムに殺し合いをさせるため、大々規模の武装増強が開始されなければならない。
23

 新秩序については、世界単一政府のメンバーは独裁者によって任命され、科学者、経済学者、財政専門家、企業家、大金持ちの中から選出されるとし、「実質的には万事、数字で解決がつく」と論じた。

 
世界単一政府のメンバーは独裁者によって任命され、科学者、経済学者、財政専門家、企業家、大金持ちの中から選出される。実質的には万事、数字(カネ?)で解決がつく。

24  若者の重要性については、若者の関心を引きつける大切さを強調し、「代理人はその誤りを我々が承知している理論、原則を教え込むことで、社会の若年層の精神を惑わせて腐敗させる目的で、あらゆる階級、あらゆるレベルの社会、政府に潜入しなければならない」とした。

 
代理人はその誤りを我々が承知している理論、原則を教え込むことで、社会の若年層の精神を惑わせて腐敗させる目的で、あらゆる階級、あらゆるレベルの社会、政府に潜入しなければならない。
25  国家法および国際法については、いずれも変えるべきではなく、「歪曲して最初はその法を覆い隠し、やがては見えなくさせるような否定的解釈を行なうだけで」現状のまま利用しつつ、ゴイムの文明を破壊しなければならないとされ、「我々の究極の目的は法を調停で置き換えることである」と論じられた。そして、この発言者は「我々に対してゴイムが武装蜂起するのではないかと、皆さんはお考えになるかもしれません。西ヨーロッパにおいて、我々はこの可能性への対抗手段として、どのような強者さえ縮み上がるような恐怖の組織を持っています…地下組織、地下鉄道、地下の(権力)回廊…などがそうです。危険に脅かされないうちに、こうした組織を諸国家の各都市に組織することにいたしましょう」と続けた。

 
国家法および国際法については、いずれも変えるべきではなく、歪曲して最初はその法を覆い隠し、やがては見えなくさせるような否定的解釈を行なうだけで、現状のまま利用しつつ、ゴイムの文明を破壊しなければならない。我々の究極の目的は法を調停で置き換えることである。我々に対してゴイムが武装蜂起するのではないかと、皆さんはお考えになるかもしれませんが、我々は西ヨーロッパにおいて、どのような強者さえ縮み上がるような恐怖の組織を持っています。危険に脅かされないうちに、こうした組織を諸国家の各都市に組織することにいたしましょう。


【1776年、イルミナティ創設者のヴァイスハウプトが「シオン長老の議定書」を策定する】
 1776年、ヴァイスハウプトが、マイヤー・ロスチャイルド(初代)が打ち出した「二十五項目の行動計画書」を下敷きにして、シオン長老の議定書」を完成させた。これがイルミナティのマニュフェストとなった。1776.5.1日、イルミナティが、ドイツ南部のバヴァリアで創設された。この悪事は次の事情で露見することになった。

 1785年、フランクフルトのイルミナティからパリのフリーメーソン大東社ロッジの大棟梁オルレアン公宛指示書を持ったユダヤ人秘密結社イルミナティの密使が、雷に撃たれて死亡。密使が携行していた密書が、バヴァリア政府の手に入った。バヴァリア政府は、密書を精査し、摘発に向かった。

 1785年、バヴァリア政府は、イルミナティを禁止し、ヴァイスハウプトが新たに組織した大東社ロッジを閉鎖し、1786年、陰謀の全容を公表した。英語タイトルは、「啓明結社の原本文書」(The Ooriginal Writings of the Order and Sect of the Illuminati)。この写しが教会、国家の首脳に配布された。

 イルミナティは地下に潜った。ジョン・ロビソンはは、フリーメーソンの指導者にイルミナティをがロッジに潜入していると警告を発した。

 1789年、こイルミナティを主体とするユダヤ人グループの扇動によりフランス革命が遂行された。連中が以降、すべての戦争、革命を陰で操る秘密権力となった。

 1798年、ジョン・ロビソンは、「全政府及び宗教を破壊するための陰謀の証拠」(proof of conspiracy to destroy all goverments and religions)を発表し警告したが、無視された。

(私論.私見) 「W・G・カーの指摘」について
 「W・G・カーの指摘」によれば、マイヤー・ロスチャイルド(初代)が「二十五項目の行動計画書」を講演し、これが下敷きとなってイルミナティの創始者ヴァイスハウプトにより後に「シオンの議定書」として纏められたことになる。「シオンの議定書」は確かに講演口調であるからして、これは貴重な指摘であるように思われる。してみれば、「シオンの議定書」の原作者はマイヤー・ロスチャイルド(初代)と云う事になる。これについては、「イルミナティ考」の「イルミナティの歴史」で検証した。

 2006.6.5日 れんだいこ拝

【「第一回シオニスト会議プロトコール」考】

 「第一回シオニスト会議プロトコール」は、1897.8.29日から31日にかけてスイスのバーゼルで開かれた第一回シオニスト会議の席上、ユダヤ人の秘密結社ブネイ・ブリスのメンバーであるアッシャー・キンズバークが読み上げた「シオン二十四人の長老」の決議文で、もとの原稿は近代シオニズムの父デオドール・ヘルツル博士が書いたものとされる。

 「ニールス入手プロトコール」が「第一回シオニスト会議プロトコール」を底本にしているのか別物であるのか定かではない。いずれにせよ、「第一回シオニスト会議プロトコール」の存在が指摘されている。両者の内容的合致性は不明である。今日紹介されている「シオンの議定書」は、そのどちらなのであろうか。


【「三百人評議委員会」との繫がり考】

 太田龍・氏の「縄文日本文明1万5千年史序論」は次のように記している。

 「ジョン・コールマン博士によれば、(第1回世界シオニスト会議と)ほぼ同時期に、英国東インド会社(BEIC)の三百人評議会を継承する、闇の世界権力としての『三百人委員会』が正式に発足したという。この『三百人委員会』と『シオン長老の議定書』は密接に結びついているであろう」。

【「シオンの議定書」の底本考】
 四天王延孝・氏著、太田龍・氏解説の「シオン長老の議定書」は、「猶太(ユダヤ)の思想と運動」の項で、「シオンの議定書」の底本について極めて重要な経緯を記している。それによると、ユースタス・マリンズの「カナンの呪い」文中に次のように書かれている、と云う。これをれんだいこ風に整理してみる。
 ユダヤ教徒には、正統派(オーソドックス)、改革派(リフォーム)、保守派(コンサバティブ)の三系譜があり、「シオンの議定書」は改革派系のシオニズム運動の中から生まれたものである。
 ユダヤ教改革派はフリーメーソンを生み出しており、その最初のロッジは、マイン河畔のフランクフルトに置かれ、ここが政治的シオニズム運動の中心となった。
 この運動を最初に指導したのがラビのヒルシェ・カリシャーであった。カリシャーは、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドと親しかった。カリシャーは、カール・マルクスの親友モーゼス・ヘスとも親しかった。
 1860年、カリシャーは、スールの自宅で秘密会合を開き、1848年の革命から得られた教訓を検証した講演をした。この講演の筆記録が「シオンの議定書」の底本となる。つまり、これがタネ本ということになる。この底本を元に、1861年、カリシャー著「ドリシャル・シオン」、後にモーゼス・ヘスの「ローマとエルサレム」が生まれている。
 この時の会合に出席したある人物(エルネスト・ラハラン?)が、その議事記録を文筆家モーリス・ジョリにリークし、ジョリは後に、この議事録を「マキャべりとモンテスキューの地獄における対話」と題して出版する(It was first published in Geneva in 1864)。これが現在、「シオンの議定書」として流布しているものの原型となる。

 この書は、カリシャー著「ドリシャル・シオン」とほぼ重なるが、1868年のゲージェによって上梓された小説の一部を下敷きにしており、1869年、ライプツィヒの教会会議議事録、ホべべ・シオンのカトヴィッツ会議のそれらとも一致しており、「シオンの議定書」としてあらわれた最初の文書を見ると、ホべべ・シオン(シオン愛好者団)のカトヴィッツ会議のそれらとも一致する。
 カトヴィッツ会議の議事録が、パリのミツライム・ロッジからジョゼフ・ショースト・シャピロにより持ち出され、この人物がミールに売り渡し、それをユリアナ・D・グリンカが手に入れ、ロシアの内務大臣に提出する。それがオルゲフスキー将軍の手に渡り、世に明らかにされることになる。ちなみに、最初の持ち出し人物ジョゼフ・ショースト・シャピロはエジプトで殺害されている。
 ホべべ・シオン及びアシェド・ギンズバーグ(アハド・ハアム度)に率いられたブナイ・モシェのオデッサ会議が開かれる。
 1894年、ギンズバーグがパリに滞在した直後、現在知られている体裁での「シオンの議定書」が現れる。
 スイスの裁判所は、第二審で「議定書」偽書説を無根拠の説として退けて居る。偽書派の「1930年代には、ベルンの法廷が偽物との判定を下している」は史実歪曲である。
(私論.私見) ユースタス・マリンズ著「カナンの呪い」の「シオンの議定書」作成経緯考について
 「シオンの議定書」にはこうした経緯がある。太田龍・氏は、「このマリンズの叙述には『シオン長老の議定書』の『偽書説』を木っ端微塵に粉砕する理論と論証の全てが集約されている」と賛じている。れんだいこ読むところ、ユースタス・マリンズの説明は腑に落ちるものがある。してみれば、「マキャべりとモンテスキューの地獄における対話」を原本とすることで偽書説を構築している偽書派の説は底の浅いことが判明する。

 ちなみに、太田龍・氏は、2006.2.3日付け読売新聞の波津博明氏の「ハマスの原理主義綱領」の見出しの小論に於ける「シオンの議定書は、帝政ロシアが作成したといわれる偽書」説に対し、2006.2.6日付け「時事評論シオニストユダヤの手先、反イスラムサタニスト売国奴讀賣新聞を告発する」で次のように批判している。
 「しかしもちろん、讀賣に限らず、極悪売国奴全日本マスコミは、一切の論証抜きで、問答無用、シオン長老の議定書は偽書である、と独断して切り捨てる。つまり、日本の国賊売国奴マスコミは、この問題ではいかなる意味でもジャーナリズムでもなく報道機関でもない。彼らは、シオニストユダヤのサタニスト的イデオロギーの宣伝機関、であるに過ぎないそして彼らのこの性格は、昭和二十年十月以降、今日に至るまで六十年、首尾一貫して、米国(イルミナティサタニスト世界権力)占領軍の日本民族一人残らず皆殺し侵略作戦の第一線の軍隊、として対日戦争を遂行しつつあることと、表裏一体、なのである」。
 [参考文献]
 四王天延孝著「猶太(ユダヤ)の思想と運動」(昭和十六年)
 愛宕北山著「猶太(ユダヤ)と世界戦争」(昭和十六年)
 「シオン長老の議定書」太田龍解説(成甲書房二〇〇四年)
 ユースタス・マリンズ著、太田龍監訳「カナンの呪い」(成甲書房、二〇〇四年)
 ヘンリー・メイコウ(キリスト教に改宗したカナダ在住反シオニスト的ユダヤ人学者)の、「シオン長老の議定書」の著者はロスチャイルド家の一人、との英文論説(未邦訳)

【フランスで密かに紹介される】
 『シオン賢人議定書』談録裁講」は次のように記している。
 「フランスではロシアで出版される50年以上も前、『ユダヤの民の神秘』という本の最後の章にはイエズス会の悪魔的な計画が最終的には犯罪に繋がるものであることが事細かに説明され、ロシアで出版された議定書が一字一句そのまま掲載されている」。

【「ニールス入手プロトコール」の入手経緯】「ユダヤプロトコール」阿修羅♪プロトコール参照)
 1901年、セルジェス・ニールスによりロシア語版「シオンの議定書(プロトコール)」が世に出されるが、いかにしてそのプロトールが広く知られるに至ったかの「入手物語」は極めて興味深い。次のように認(したた)められている。
 1884年のこと、ロシアの一将軍の娘、ジュスティーヌ・グリンカ嬢が、パリで政治情報を収集する任務を帯びて勤務中のことだった。彼女は、当時の内務大臣シェレーヴィン付き秘書官であったセント・ペテルブルグのオルゲフスキー将軍と連絡をとっていた。この任務のために、彼女はジョセフ・ショールストというユダヤ人を雇った。

 ある日、パリのフリーメーソンのミズライム・ロッジの一員であるショルスト(別名シャピロで、彼の父親はロンドンでこの二年前、偽造罪で十年の懲役宣告を受けていた)が、ロシアにとって非常に重要な文書を提供するから2千5百フラン出さないかと話を持ちかけてきた。セント・ペテルブルグから到着した全額が支払われると、問題の文書はグリンカ嬢に手渡された。この後ショルストはエジプトに逃亡したが、フランス警察の記録では同地で殺害された。

 グリンカ嬢はフランス語の原本に前書きを付け、ロシア語訳を添えてオルゲフスキーに届けた。オルゲフスキーは今度は皇帝に届くように、上官のシェレーヴィン将軍に手渡した。だが、シェレーヴィンは、裕福なユダヤ人から負債を負っていたため、握りつぶしてただ資料保管所に保存しただけに終った(1896年、彼は死に際してプロトコールを含めた自分の回想録をニコラス二世に遺贈した)。

 一方、パリではロシア宮廷生活のことを書いた書物が出版され、ロシア皇帝の不興を買った。「ヴァシーリー伯爵」の偽名で発行されたこの本の真の筆者はジュリエット・アダム夫人で、デミドフ・サン・ドナコ王女、ラジヴィル王女その他のロシア人の提供した資料を使って執筆した、と伝えられている。

 皇帝は秘密警察に著書を見付け出してくるように命じた。このことが、恐らく意図的にねじ曲げられて(パリのロシア秘密警察にいたユダヤ人にマニウロフがいて、この憎むべき人物はM・パレオローグの「回想録」に描かれている)、グリンカ嬢が著者であるということにされ、彼女はロシアへの帰途、彼女の農園があるオレルに追放の身となった。グリンカ嬢は、この地方の貴族であるアレクシス・スホーティンに、プロトコールの写しを一通渡した。スホーティンはこの文書を、ステパーノフとセルジェス・ニールスという二人の知人に見せた。

 ステパノフ氏の調書が残されており、次のように記述されている。
 「1895年、トゥーラ地方の私の知人、元市長のアレクシス・スホーティンが、私に『シオン長老のプロトコール』の手書き原稿をくれました。スホーティンは、パリに居住する知り合いの女性が、その女性の名前は言いませんでしたが、ユダヤ人の友人の家で見付けたものだと言いました。パリを立つ前に、彼女はひそかに翻訳して、その一部がロシアに来て、スホーティンの手に渡ったと言いました。

 初め私はこの翻訳を謄写版で印刷しましたが、読みにくいものでした。それで活字印刷することにしましたが、何時だったかどこの町の何という印刷所だったか覚えておりません。この件に関しましては、その頃、セルギウス大公の執事長だったアルカディ・イッポリットヴィッチ・ケレポフスキーに手伝ってもらいました。彼がこの文書を地方の印刷所に印刷させたのです。それは1897年のことでした。セルギウス・ニールス(セルゲイ・ニース)は彼の著作の中にこのプロトコールを入れ、彼自身の注釈を付けました。

 1927.4.17日

 (署名)フィリップ・ペトロヴィッチ・ステパーノフ元モスクワ長老教会事務弁護士、式部官、枢密院委員、現在(1897年)オレル町所在モスクワ・カ ーク鉄道代表。(証人)ディミトリ・ガリツィン王子 スタリ・フォンタク所在ロシア移民居留地代表。

【「ニールス版議定書」の出版経緯】
 ユダヤプロトコール阿修羅♪プロトコール、「シオン長老の議定書の背景-創られた予言と警告の書-」その他を参照する。
 1901年、神秘思想家・セルジェス・ニールス(セルゲイ・ニルス)によりロシア語版「シオンの議定書(プロトコール)」が世に出される。初めはツァルスコエ・ツェロ(ロシア)で、「卑小の内なる偉大」という書名で出版した。これを仮に「ニールス版議定書」とすると、「ニールス版議定書」がユダヤ人の世界支配計画書の「鳴り物入りでの史上初発表」という史的地位を獲得している。

 なお、1901年の「ニールス版議定書」より早く1897年にステパーノフにより密かに印刷配付されていたとの説もある。但し、仲間内の廻し読み程度のものであった。更に、ニールスが刊行した同じ年に、編集者の明記のない冊子が「諸悪の根源」と題して発行されているとも云う。「諸悪の根源」は、民族主義団体「黒百人組」の創設メンバーが発行したものと云われている。

 「ニールス版議定書」が出回った時期は、日露戦争の最中で革命運動が昂揚し、世情は騒然としていた。ロシアに本格的な革命勢力が生まれ、ロシアロマノフ王朝のニコライ二世を苦しめ始めていた。ロマノフ王朝は、革命勢力の背後に世界支配計画を持つ「シオンの議定書派」が居ると睨んで、ロシア大衆に対し軽挙妄動に扇動されぬよう警告の意味で、「ニールス版議定書」を世に露見させたと考えられる。

 俗説は、そういう拮抗関係を見ずに、「当時燃え上がっていたポグロム(ユダヤ人虐殺)を煽動するため、1905年にロシアで初めて出版された」と説明している。しかしながら、この場合でも、「ロシアに於けるポグロムの社会的背景」に対する精査が為されていない。社会事情には相応の理由があるとしてこれを調査するのが責務のところなおざりにされている。結論的に、ネオ・シオニズムのプロパガンダに有利な話は取り入れられ、不利な話は変造歪曲されるという傾向がある。その尻馬に乗るのは学問的ではなかろう。

 1903年、「ニールス版議定書」が、ロシア・ペテルブルグの新聞「軍旗」(ズミアナ)紙上に、「シオン賢者の議定書」(「ユダヤ・プロトコール」)なる題名で発表された。これを仮に「軍旗版議定書」とする。「ニールス版議定書」は、「この議定書は、1897年にスイスのバーゼルで開かれた第1回シオニスト会議に於ける決議から抄出したもの」だとしていたが、「軍旗版議定書」は、「フランスに滞在中の神智学に傾倒していた外交官の娘・ユリアナ・グリンカが持ち込んだもの」としていた。

 1905年、「ニールス版議定書」が、ロシア政府の検閲済みで、「世界の終末は近い。反キリストは全地球上にサタンの支配を確立する為、やがて現れるだろう」と添え書き付きで「卑賤で強大なもの、反キリストとサタンの地上国家近づく」(「近い将来の政治的緊急課題としてのキリストの敵」)という本の付録に「人類の悪の根元」というタイトルで紹介された。「フランスにあるシオンの中央秘密倉庫にいる私の通信員によって入手したユダヤ教徒の陰謀計画書」として喧伝されていた。

 こうして、「シオンの議定書」(「シオン賢哲会合の会議録」)が、1・ユダヤ秘密結社の幹部が、世界支配のための方法を会議で報告した記録という体裁を執っていること。2・あらゆる策謀を弄して他民族や国家を腐敗・堕落・転覆させ、最終的にユダヤ王が世界を支配するというその為の方策を詳細に描いていること。3・その筋道として、民主主義・社会主義・共産主義を煽ることにより国内を混乱させつつ、国家間戦争や革命を誘導する。その一方で秘密結社フリーメーソンを傀儡として使い、マスコミなどを利用して暗愚な民衆支配を行う。ユダヤの敵対勢力は暗殺など様々な方法で粛正する。4・最終的にユダヤ王の支配する独裁国家を創建し王国を造るという「ネオ・シオニストの恐るべき世界支配陰謀計画書」であることが明らかにされた。「シオンの議定書」が発表されるや、直ちに西欧に紹介され、衝撃と反響を呼んだ。

 次いで、同じ時期に、ニールスの友人G・ブトミもまた写しを一部持ち出し、1906.8.10日、大英博物館に寄託した。現在、ロンドン大英博物館に「登録番号№3926D17」が付され、貴重書籍として保管されている。
 
 「ニールス版議定書」 は、タイトルを変更しつつ版を重ねていった。「人類の敵、シオンの中央書記局の機密文庫から持ち出された議定書」として定着する。「近い将来の政治的緊急課題としてのキリストの敵」として、赤十字支部の後援で出版されたものもある。「『シオン賢人議定書』談録裁講」では次のように説明されている。
 「いずれもロシアで流布し、最終的には皇帝や教会の手に渡り、その後ロシア全土に広まることになる。それは当時の帝政ロシアでは国家の政策として反ユダヤ主義を標榜していたことによる。異教徒で少数者へのユダヤ人への憎悪をあおることで、国内の階級対立をうやむやにしようという目論見があった」。
 「帝政ロシアの反ユダヤ政策によって件の議定書は一兵卒に至るまで配布されていた」。

 その間、ロシア警察のユダヤ人たち(エノ・アゼフとエフロム)が更なる機密情報を入手しようとしていた。エフロムは、以前ラビであって1925年に逃避先のセルビアの僧院で死没した。彼はよく修道僧に、「プロトコールは世界を支配しようとするユダヤの計画のほんの一部であって、異邦人に対するユダヤの憎悪を弱々しく表現したものに過ぎない」と語っていた。彼を通じて、1897年のバール[バーゼルの古名]会議の議事録が入手され、その文書がプロトコールの内容と酷似していることが判った。ロシア政府は、ブナイ・ブリスが1893~4年にニューヨークで開いた会議で、ヤコブ・シフがロシア革命運動委員会代表に選ばれたことを知った。

 1917.1月、ニールスは改訂増補版を出版する準備をしていた。だが、同書が市場に出回らないうちに、1917.3月の革命が起こり、政権を取ったケレンスキーはニールスの本を全冊処分する命令を出した。しかし、「1917年のロシア・ユダヤ共産革命事件によって一躍、ニールス訳のこの本は全世界の有志に注目されるところとなり、英語は勿論のこと、広く各国語に翻訳出版された」(太田龍解説「シオン長老の議定書」)。

 1924年、ニールス教授はキエフでチェカに逮捕投獄され拷問を受けた。ニールスは首席裁判官のユダヤ人に、この処分は「プロトコールを出版することで測り知れない損害を人々に与えたこと」に相応する措置であると言われた。数ヵ月後に釈放されたニールスは、モスクワで再びGPU(ゲーペーウー、チェカ)に逮捕され監禁された。1926年に釈放されたが、1929.1.13日、ニールスは追放先のウラジミールで亡くなった。

 2006.9.3日再編集 れんだいこ拝

【ニールス版「プロトコール」の命がけの経緯考】
 愛宕北山氏は、1938(昭和13).1月の「シオンの議定書付録」の中で、当時の経緯を次のように解説している。
 最初露国でニルスの訳が現れたとき、ユダヤ人側は大いに狼狽して、これを偽作なりと宣伝する一方、黙殺、買占め、押収等の挙に出たが、ことに1917年ニルスが第4版をぺテルスブルク近傍の聖セルギウス僧院で印刷させた時の話は極端な暴力沙汰である。同年2.28日政変によってフリーメーソン員たるルヴオフが政権を握った直後、3.2日か3日にニルスの本は書店に渡される手筈になっていた。そして鉄道貨車に荷物が積み込まれた時、突如武装した一隊の暴徒が駅を襲い、この書籍全部を街上に散乱して火を放ち、一部も余さず焼き終わるのを見てから他の荷物には手も触れず立ち去った。

 第一版から第三版までも書店に現れるや否や忽ちのうちに姿を消してしまい、ユダヤ人に買占められた。ユダヤ人ケレンスキーが政権を握った後に、早速ぺテルスブルクとモスクワの本屋で議定書の有無を探索し、これを見つけ次第没収した。ロシア革命前にこの本は30ルーブルから40ルーブルぐらいだったのに、革命後は500から600ルーブルに上り、今日では何百万ルーブルという高値であるという。(中略)

 版ごとに買収、押収の厄に遭ったニルス版の中で1906年第二版が偶然にもロンドンの大英博物館に入って、登記番号3926D17号の下に保管されていたが、誰もこれを読むものがなく、ドイツ訳が世に出てから創めて英国人はこの所蔵本に気がつきこれを英訳して、政府の御用印刷所「イアー・スポッティスウッド」が印刷し、「ユダヤ禍」の題で出版した。どんなに圧迫されても、出るべきものはいつかは出る。「シオン賢者の秘密」もその出現の当初から創作者の意志を裏切って、数奇な道を辿りつつ全世界に宣伝されるに至った。

 フランス国ではニルス本のフランス訳二つ出たと、米国にも二訳が現われ、その他、スイス、デンマーク、ポーランド、イタリーでもそれぞれ自国語の翻訳を備え、ウラジオストクには叉ニルス、ブトミとは別のロシア語版が出てシベリアに伝播し、この系統で我が国に入っているものもある。オーストリア、ユーゴスラビア、フィンランド、レトランド、スイス、オランダ等では言葉の親近感系からドイツ版を買い込んで、それぞれ世人の耳目を挙動するところがあった。この本の世界に伝播した系譜を詳細に探求したならば驚くべき表ができるに違いない。(中略)

 かくてかの二頭の毒蛇は、今なお国の内外でその芽を磨きつつあるのである。そしてユダヤ金権の独裁下に於いてのみならず日本に於いてもユダヤ人問題をして威力あるタブーたらしめ、小数なるユダヤ人を排撃することの非人道的なることのみを強調して、この少数者が世界十数億の非ユダヤ人を金力と麻薬とテロとによって虐待しつつたることを黙殺せしめているのである。しかしてこれらの事情の謎を解くものが、実にこの「シオン議定書」に他ならない。それ故に、この議定書は、単に欧州諸国のみに関係するものではなくて、今や皇国日本にも深き関係を持っているのである。この意味に於いて日本人的日本人諸賢の熟読を切願する。

【「プロトコール」のロシアからの頒布経緯】
 ニールスの第二版は数冊押収を免れ、外国へ持ち出され刊行された。ドイツでは、1919年にゴットリート・ツム・ビーク、英国では1920年にザ・ブリトンによって、フランスではジュアン氏が「秘密社会国際評論」で、また、ウルバン・ゴイェが「ラ・ヴェーユ・フランス」、アメリカ合衆国ではスモール・メイナード会社(ボストン、1920年)により出版された。後に、イタリア語、ロシア語、アラビア語、そして日本語でも刊行された。1905年にロシアで出版された「シオンの議定書」は、1920~30年代にかけて猛烈な勢いで世界に広まった。「プロトコル」とも「シオン賢哲の議事録」、「シオン賢者のプロトコル」、「ユダヤの議定書」等々様々の書名で刊行されている。

 1920年初め、敗戦であえぐドイツにプロトコルは「シオン賢者の秘密」として登場する。出版元は、「ユダヤ人の傲慢に抗戦する協会」という名称だった。この年には英語版が刊行され、ここからプロトコルは燎原の火のごとく拡がっていく。イギリスでは「ユダヤ禍」という題名が付けられた。これをタイムズ紙が取り上げるが、しかし翌年、ジョリーの「地獄の対話」と対比させ、偽造文書であることを発表。イギリスでのプロトコル騒動は終息に向かう。

 1924年、ニールス教授はキエフでチェカに逮捕投獄され拷問を受けた。ニールスは首席裁判官のユダヤ人に、この処分は「プロトコールを出版することで測り知れない損害を人々に与えたこと」に相応する措置であると言われた。数ヵ月後に釈放されたニールスは、モスクワで再びGPU(ゲーペーウー、チェカ)に逮捕され監禁された。1926年に釈放されたが、1929.1.13日、ニールスは追放先のウラジミールで亡くなった。

 以上が、プロトコールがいかにロシアにやって来たか、その後世界に広まったのかの手短かな物語である。

 2006.9.3日再編集 れんだいこ拝

【「プロトコール」の英訳経緯】

 阿修羅♪プロトコール」を参照する。ロシア語訳「シオンの議定書」の英訳に向ったビクター・E・マースデン( Victor E Marsden)のその後には壮絶なドラマが待ち受けていた。次のように書かれている。

 概要「有名なプロトコールの翻訳者は、革命の犠牲者であった。彼は多年にわたってロシアに居住したことがあり、ロシア婦人と結婚した。ロシアにあった当時の彼は、長らくモーニング・ポスト誌のロシア通信員であった。ロシア革命が失敗するまでその仕事に従事していた彼がロシアから送った生き生きとした記事は、同誌の読者には今もって思い出となってとどまっているだろう。

 推察されるように、彼はソビエト政府に狙い打ちされた。クロミー船長がユダヤに殺されたその日、ビクター・マースデンは逮捕されペテル・パウル監獄に投監され、処刑執行に自分の名を呼ばれるのを日々待つ身となった。だが、彼は脱走し、はなはだしく肉体を損傷してイギリスに戻った。しかし、彼は妻と友人たちの献身的な看護で健康を回復した。仕事ができるようになると直ちに手をつけたことの一つが、プロトコールの本翻訳だった。

 マースデン氏はこの仕事には抜群にうってつけの人だった。ロシアとロシアの生活とロシア語に造詣が深い一方で、簡潔で要を得た英文スタイルは巨匠の域にあり、何人かがこの仕事に名乗りをあげたとしても、彼に優る適任者はいなかった。その結果、彼の訳文により優れて読み易い訳文に接し、整理されていなかった感のある主題に、マースデン氏の筆致により24のプロトコールを流れる脈絡を読んでとることができる。

 彼自身が各章の最初に掲げた要約は、プロトコールの概観を得るのにきわめて有用であろう。

 この労作はマースデン氏自身の血をあがなって実現したというのが真実である。英訳しようという使命感にかられて無理を重ねたことが明らかに彼を病気にさせ、彼はこの序文の筆者に、もはや大英博物館の中で一時間と続けて仕事をしていられないと語った。

 マースデン氏とモーニング・ポスト誌との関係は、英国に帰国してからはゆるやかなものになったが、彼はプリンス・オブ・ウエルズ殿下の海外旅行の同誌随行特派員を快諾した。明らかに良い健康状態で殿下との旅行から帰国した彼は、上陸して数日を出ずして突然発病し、短時日病床に就いて死亡した。彼の突然の死はいまもって謎である。

 この労作が彼の栄誉を飾る記念碑とならんことを! この作品を通じて彼は英語を話す世界に計り知れない貢献をはたした。本書が「シオン長老のプロトコール」の英訳書のなかで第一級に位置づけられることは、疑う余地がない」。


【日本語訳の経緯】
 議定書の日本への最初の紹介は、大正8、9年、久保田栄吉・氏のロシア語からの訳本を嚆矢とする。

 酒井勝軍・氏が、「日猶同祖論」を繰り広げながら、議定書も紹介するという流れもある。

 1918年、日本政府のシベリア出兵が、帝政ロシアの反ユダヤ政策を知らしめることになる。共に共産主義と戦った白ロシア反革命軍の一兵卒に至るまで配布されていた「シオンの議定書」が日本軍部の目にとまり、これを研究していくことになる。白ロシア反革命軍は、「国家を持たないユダヤ人は、世界制覇を狙っている、その為の金融資本の支配であり、共産主義革命なのだ」と示唆した。

 犬塚惟重海軍大佐、安江仙弘(のりひろ)大佐を中心に陸海軍で「ユダヤ(陰謀)研究」が盛んになり、石原莞爾らと昵懇であった安江大佐は「シオンの議定書」の翻訳、出版を行うに至る。しかし軍のみならず外務省をも巻き込んでの「ユダヤ(陰謀)研究」は、目立った成果を挙げ得なかった。

 大正末年から昭和20年敗戦前までユダヤ・フリーメーソン批判が展開されていくことになる。

 1934年から40年頃にかけて、ヨーロッパのユダヤ人を満州に移住させ、世界の金融を握る米英のユダヤ資本を投資させその開発に利用するという秘密計画「河豚(フグ)計画」が、日本政府一部上層部によって企画立案される。

 「河豚(フグ)計画」の名前は、「シオンの議定書」の翻訳者でもある犬塚惟重海軍大佐の次の言に由来する。
 「これはフグを料理するようなものだ。もしユダヤ人をうまく料理できれば…つまり、ずるがしこい彼らの性格を監視し、彼らのエネルギーを日本のために利用することさえできれば、味も栄養もたっぷりの御馳走になる。しかし、もしちょっとでも料理のしかたを誤れば、日本の破滅にさえつながりかねない」。

 つまり、「危険だがうまいフグ=ユダヤ」観から命名されたことになる。
 
 1934年、外務省から、「ドイツ系ユダヤ人五万人の満州移住計画について」が発表される。これがいわゆる「河豚計画」の始動となったが、流れは次第に日米開戦に向かい、それと共に「河豚(フグ)計画」は雲散霧消していくことになる。(マービン・トケイヤー、メアリ・シュオーツ著「河豚計画」、1979年、日本ブリタニカ)

 1938(昭和13).1月、某帝国大学助教授の愛岩北山氏が、光明思想普及会の「いのち」に「シオンの議定書」を完訳掲載、解説付きで発表した。

 同年12.25日、久保田栄吉氏が「世界転覆の大陰謀ユダヤ議定書」(エス・ニールス著、破邪顕正社、167P)を出版している。次のように解説している。

 「この書は恐るべき書である。この書が世界的に知られるに至った経路については種々の説があるが、本書は、ユダヤ民族の世界征服の大秘密を暴露したものである。この書は、一八九七年(明治三〇)にスイスのバーゼルで開催された第一回シオン会議に於て議定されたものと云われる。猶太の愛国者ベルンスタインは曰く「第一回シオン会議はユダヤ人に自由の時代を開拓し、彼等に新しい進路を与えた。この進路とは何か? 曰く「バーゼルのプログラムが是である」と。本書はユダヤ民族が非ユダヤ民族のすべての国家を革命によって崩壊滅亡させ、全世界を転覆征服し、その後にユダヤ王が現われて恐怖的専制政治を行ない、非ユダヤ民族を奴隷化、家畜化して永遠に締めつけて行なおうとする大陰謀の筋書きを具体的に書いたものである。地球上に何十億冊の書物があるといってもこの書くらい戦慄的な書物はないと云われる。

 ソ連ではこの書を持っている事を知られると直ちに銃殺されるという。本書は正にユダヤ思想の発露であり、ユダヤ民族が非ユダヤ民族に対して抱いている憎しみ、呪い、さげすみの精神の結晶であるとされる。本書を読まずしてユダヤ問題は語れない。必読の文献である。日本人として一生の間に読むべき主要な四冊の本を挙げよといわれた場合、筆者は「古事記」と「管子」と、ヒトラーの「我が闘争」と本書「ユダヤ議定書」を挙げるであろう」。


 1941(昭和16)年、陸軍中将・四王天延孝・氏が、フランス文三種、英語訳、ロシア語訳、邦文訳を参照しつつ「猶太思想及運動」を発行した。四王天・氏は、陸軍きっての反ユダヤ主義者として名を馳せることになる。 
 安江仙弘の履歴

 1888.1.12日、安江仙政の長男として秋田県秋田市の平田篤胤の生家で生れる。京華中学校、陸軍中央幼年学校を経て、1909.5月、陸軍士官学校(21期)を卒業する。同期に石原莞爾、樋口季一郎等がいる。1918年、シベリア出兵に参戦する。この時、グリゴリー・セミョーノフなど白衛隊軍の将校から『シオン賢者の議定書』を受け取る。帰国後、1924年、包荒子のペンネームで「世界革命之裏面」を著し、『シオン賢者の議定書』全文を日本に紹介した。1927年、ユダヤ研究を命じられ、酒井勝軍を英語通訳として伴い、パレスチナ、エジプト、欧州を視察する。以降、急速に親ユダヤ的傾向を強める。在郷軍人会本部の依頼で書かれた「猶太の人々」(1934)の結論には安江のユダヤ観が次のように披瀝されている。
 「ユダヤ人の一人々々を観れば、数千万のユダヤ人が一人残らず革命運動に参画して居るのでもなく、又皆一様に大財閥である訳でもない。多くのユダヤ人の中には、之を分類すると色々の種類がある。例えば、絵で見るキリストのような、昔ながらの服装をして、『ユダヤの泣壁』に朝夕集り、救世主の降臨を祈り、全く現代とかけ離れて、ユダヤ教のみに没頭して居る宗教的ユダヤ人がある。又一方にシオニストとして、パーレスタインのユダヤ国建設のみに熱中して居るユダヤ人があるかと思えば、又他方には国境を超越して、世界を舞臺として活躍するインターナシヨナルなユダヤ人もある。更にシオニズムによって一般に覚醒されたとは云いながら、シオン運動には無関心に自己の商売のみに熱中しているユダヤ人もある。即ちユダヤ人であるからと云うて誰も彼も危険視すべきではない。我が国に取って有害な人物もあれば、無害な善良な人もある」。

 1935.2月、ハルビンで極東ユダヤ人会議の議長カウフマン博士及び幹部たちとの協議の結果、日本民族とユダヤ民族間の親善実行団体として「世界民族文化協会」が創立された。安江は自ら会長となり、医学博士の磯部検三を顧問とし、在満ユダヤ人の保護に尽力した。1938(昭和13).1.21日付で関東軍司部で策定された「現下ニ於ケル対猶太民族施策要領」は、「満州国開発に際し外資導入に専念するの余り、ユダヤ資金を迎合的に投下せしむるが如き態度は厳に之を抑制す」と記している。河豚計画を海軍の犬塚惟重と共に構想している。犬塚は、1938(昭和13).10月の講演で、「ユダヤ人の咽喉を扼し徹底的に之を圧服するを要す。即ち日本側が厳然実力を振い得る今日確固たる自信と強烈なる意気込みとを以て彼等を牽制圧服し、我國に依存するの必須なる所以を了解せしめ、他面その馴致工作を実施するを適当とす」と述べている。

 当時の最高意思決定機関であった五相会議で、ユダヤ人対策要綱が策定された。これは、安江が当時の陸相・板垣征四郎に働きかけ為であった。「猶太人を積極的に日、満、支に招致するが如きは之を避く、但し資本家、技術家の如き特に利用価値のあるものはこの限りにあらず」と記している。日独伊三国軍事同盟が締結され、続いて日本が対米戦に突入すると、ユダヤ人を利用した満州への資本導入や対米世論の改善策が論外となり、軍部にとって次第に安江の存在は目障りになり、憲兵隊の尾行がつくようになった。1940.10月、軍中央部の方針と意見が合わず、東条英機陸相によって、予備役に編入される。

 1945.8.23日、大連でソ連軍に逮捕され、1950.8.14日、ハバロフスク収容所で病死した。安江は、「日本をこのようにしてしまったのは、我々年配の者達の責任だ。俺はその責任を取る。ソ連が入って来たら拘引されるだろう。俺は逃げも隠れもしない」 と言い残して凍土に没した。在満時代にユダヤ人保護のために奔走した安江に深い恩義を感じていたミハエル・コーガンは、安江がハバロフスクの捕虜収容所で亡くなった後、葬儀が挙げられていないことを心配し、1954(昭和29)年、「在日ユダヤ協会で一切の費用を持つから好きなようにやって下さい」 と申し出た。『シオン賢者の議定書』の翻訳者として、安江を嫌っていたユダヤ学者、アブラハム・小辻でさえ、その回想録『東京からエルサレムへ』(1975)において、「大連特務機関は、安江大佐によって率いられていた。満州の事業に親しみを寄せるユダヤ人たちは、安江に恩義を感じ、実際安江が多くの点でユダヤ人を助力したのはまったくの真実である」 と認めざるを得なかった。安江の葬儀には、イスラエル公使やユダヤ人協会会長も出席し、在満時代のユダヤ人保護の尽力に謝意を示した。満州ユダヤ人社会の指導者であったアブラハム・カウフマン博士は、安江に信頼を寄せ、その回想録『キャンプの医師』(Camp Doctor, 1973)には、敗戦後同じくシベリアの強制収容所に捕らわていた日本の軍民に同情の念はあっても、日本人への怨嗟の言葉一つなかった。そのため、カウフマンは、ユダヤ人社会から「対日協力者」のレッテルが貼られたが、それも意に介さなかった。戦後、樋口季一郎とともに、イスラエルの「ゴールデン・ブック」に「偉大なる人道主義者」として名前が刻印された。


【ヘンリー・フォードのユダヤ研究】
 1920年、 世界的自動車メーカーのフォード社の創始者にして「自動車王」と称されていたヘンリー・フォードは、国際ユダヤの陰謀に対する警告運動を開始した。フォードは、巨額の私財を投じてネオ・シオニズム批判運動を行った。対戦前にドイツを訪問して、ヒトラーと親交し、最高勲章を授けられている。

 独立系新聞「ディアボーン・インディペンデント」に「国際ユダヤ人」に関する連載を始め、その中で「シオン長老の議定書」も取り上げていた。秋には「国際ユダヤ人」として発売した。この本はアメリカ国内で約五十万部を売り上げ、さらに十六国語に翻訳された。ここでプロトコルは世界的にその存在を知られるようになる。だが7年後、周囲の抗議や訴訟などで遂にフォードは内容を否定し、本の回収に同意する。

 太田龍解説「シオン長老の議定書」は次のように記している。
 「これによって一躍、議定書は、全世界の心ある有志の必読の参考文献ナンバーワンとなるのである。フォードはその後、世界シオニスト・ユダヤ陣営の猛烈な包囲攻撃に耐えかねて、ユダヤ批判キャンペーンからやむなく撤退する」。

 1921(大正10).2.17日号「ニューヨーク・ワールド」に次のようなヘンリー・フォードと記者質問記事が掲載されている。
記者  いわゆる国際的ユダヤ勢力についてアメリカ国民に真相を知らしめる必要あり、との考えに至られたのはいつ頃からですか。
フォード  数年前からであるが、特に深くこれを感じたのは約5年前からである。各方面から研究するに、戦争の為直接利益を占め、今もなお利益を占めつつあるのは国家を持たない国際的金融業者たるユダヤ人である。
記者  国際的ユダヤ勢力は如何にして世界戦争を起さしめたと思われるか。
フォード  国際的情熱を喚起せしめてである。詳しく言えば、宣伝によって、A国民とB国民を争わしめたものである。即ち、戦争前には軍需品の製造により、戦争中は国債により、戦後には今行われている通り利権獲得闘争に於いて、彼らの秘密力は利益を収めている。

【ヒトラーの反ユダヤ論】
 ヒトラーは、次のように評している。「『シオン賢人議定書』談録裁講」
 「そこに書かれている内容はユダヤ人を説明するのに適している」。
 「プロトコルには多くのユダヤ人が無意識に行っている行為が、ここでは意識的に明示されている」。
 概要「プロトコルが偽書? それがどうした? 歴史的に真実かどうかはどうでもよい。内容が真実であれば、体裁などどうでもよいのだ」。
 意訳概要「歴史的な意味で、このプロトコルが真実であるかどうかと云うことに私の興味はない。仮に偽書であったとしても、そこに書かれている内容の真実性を詮索する方が重要である。私は、書かれている事が真実であることを確信している。その内容が暴露されることによって、ユダヤ人は自身の武器によって打倒されねばならない。私は、この本を読んだ時、そのことを確信した」。

(私論.私見) 「シオンの議定書出版弾圧史考」
 「シオンの議定書」を偽書と云おうが云うまいが、「シオンの議定書出版弾圧史」は否定すべくもない。判明する奇妙なことは、世の自由主義者、社会主義者、マルクス主義者が、ユダヤ人の不幸な歴史には過度に同情的ながら、ユダヤ人側からのかような弾圧には過度に盲目になることである。何かおかしいのではないのか。れんだいこはそう問いたい。

 2006.9.3日 れんだいこ拝




(私論.私見)